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一対一のブルース by 西田佐知子(日活映画『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』より その2)
タイトル
一対一のブルース
アーティスト
西田佐知子
ライター
梅本たかし、望月弘
収録アルバム
西田佐知子歌謡大全集
リリース年
1960年
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前回もちょっとふれましたが、『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』のスコアを書いたのは山本直純です。コンダクトも作曲者自身である可能性が高いと思います。

テレビのレギュラー番組をもっていたり、CMに出演したりしていて、なんだかよくわからない印象のある人ですが、山本直純の日活アクションへの貢献は大きく、まだ評価があがっていくだろうと思います。

こういうことというのは半分は運不運なのですが、山本直純がたまたま鈴木清順監督の『殺しの烙印』のスコアを書いたというのは、いまになってみればきわめて重要です。『殺しの烙印』は、映画のみならず、スコアとしても海外にファンがたくさんいるからです。

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われわれの目から見れば、いくぶんバランスを失しているのですが、どうであれ、Naozumi Yamamotoの名前を忘れても、Seijun SuzukiのBranded to Killのスコアを書いた作曲家、といえば通じてしまうというのは、やはりおおいなる強みです。伊福部昭が海外でも有名なのは『ゴジラ』のおかげであるように、多くの人が見た映画のスコアを書いたというのは、名刺がわりになるのです。

もちろん、いくら有名な映画のスコアを書いても、それがつまらなければ一顧だにされません。まだ現在のようなフルスコアのCDがリリースされる前に、映画から音楽を切り出してブートの殺しの烙印OSTを配布していたサイトがありましたが、そういうファンがいても不思議はないほど、『殺しの烙印』のスコアは印象的です。フルスコアのCDのリリースは遅きに失したというべきでしょう。

◆ 山本直純とは何者ぞや? ◆◆
山本直純が不思議なのは、メディアを通じたパブリック・イメージだけではありません。スコアを聴いても、どういうバックグラウンドの人なのか、想像がつかないのです。『殺しの烙印』は、『死刑台のエレベーター』ほどではないにしても、ほぼ純粋な4ビートのスコアで、その点が海外でも人気が高い理由のひとつになっています。

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『殺しの烙印』のスコアを聴くと、もともとはジャズの人か、なんていいそうになるほど、4ビートの楽曲に違和感がありません。では、『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』はどうか? 基本的なトーンはラテンです。

この二本の映画スコアを聴いても、芸大で伝統音楽の作曲と指揮を学んだというバックグラウンドは浮かんできません。そのへんが、確固たる「自分の音楽」があり、それが映画スコアにも反映された武満徹とはまったくちがうし、伊福部昭ともタイプの違う映画音楽作曲家です。しいていうと、佐藤勝の系統というべきヴァーサティリティーの持ち主といえるでしょう。

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クラウンにルノーに果てはオート三輪とくるのだから、ロケ・ショットは車を見ているだけでも楽しい。

でも、佐藤勝にはまだ「本籍は伝統音楽」という感触があるのに対して、山本直純は「本籍なし」という印象を受けます。『殺しの烙印』と『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』の二本なら、なんとなくある「集合」に収まる感じがするのですが、ここに『男はつらいよ』なども加わるわけで、そこから芸大出の伝統音楽作曲家の像を結べといわれても困ります。

要するに、山本直純というのは「そういう人」なのでしょう。たまたま音楽を職業にするには芸大出身は便利だったのであり、たまたま上野の音楽学校には「ユニヴァーサル音楽科」という学科がなかったので、伝統音楽を選択しただけなのだろうと思います。そして、映画音楽ほど強い雑食性のあるユニヴァーサルな音楽ジャンルはなく、ちょうどうまくこの作曲家のキャラクターがはまりこんだのでしょう。

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『東京流れ者』同様、基地の町が使われているが、この映画では福生で撮影されたショットが出てくる。

◆ ラテン対位法 ◆◆
順番なので、スコアの一番手はメイン・タイトルです。

サンプル 「Main Title」

アヴァン・タイトルの撃ち合いに決着がついたところで、タイトルがはじまり、その文字の「下敷き」になって、赤木圭一郎が病院に搬送され、苦しみ、治療を受けている映像につけられた音楽です。この曲はラテン・タッチはなく、いわば「日活調」とでもいうべきムードになっています。

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タイアップというのはいまでも広くおこなわれているが、昔は露骨だった。香月美奈子が赤木圭一郎の前でストッキングを穿くと……。

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赤木圭一郎は香月美奈子が放り出したストッキングの袋を取り上げて引っ繰り返し……。

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「へえ、三枚入りかい」などとよけいなことをいう!

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「そうよ。一枚がダメになってもスペアがあるから便利なの」と香月美奈子。いまになると、こういう映画内コマーシャルも楽しく見られる!

二曲目は典型的なラテン、といっても、マンボなんだかチャチャなんだか、わたしにはよくわかりません。「疑似ラテン・ア・ラ・ニッカツ」といっておきましょうか。

サンプル スコア「Two Killers」(仮題)

映画から切り出したので台詞が多くて失礼。でも、台詞入りは台詞入りで楽しいのではないでしょうか。西村晃の中国人ギャングの命令で、宍戸錠と赤木圭一郎が、二本柳寛扮する日本人ギャングを殺すシーンの音楽です。

この映画のスコアのなかで、わたしはこの曲がいちばん好きです。曲の善し悪しよりも、こういう殺しのシーンなら、たいていの人は、遅めで、音数の少ない、サスペンスフルなサウンドをつけるでしょう。それなのに、山本直純は軽快なラテン・ミュージックを選んだわけで、こういう対位法こそが映画音楽のもっとも重要で基本的なテクニックです。

以前にも書きましたが、ヒチコックのたしか『逃走迷路』で、夫が死んだことをその妻に知らせに行くと、その家ではラジオから軽快なダンス・ミュージックが流れていて、訪問者はその音楽をバックに、ご主人が亡くなりました、と告げるシーンがありました。テレビ放映の日本語版では、ここに静かな音楽を入れていて、なにやってんだ馬鹿野郎、音楽監督の意図がぶち壊しじゃないか、と怒り狂いました。カウンターは芸事万般に通じる基本理念なのですが、それがわからない野暮天もたくさんいるのです。

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ピントが浅丘ルリ子ではなく、ジューサーにいっているこのショットもタイアップくさい。そもそもひとり暮らしの浅丘ルリ子がこんなにジュースを飲んではいかんと思う!

◆ 「ゼロの女」 ◆◆
こんどはスコアから離れ、もうひとつの挿入曲、西田佐知子の「一対一のブルース」をどうぞ。

西田佐知子「一対一のブルース」(映画ヴァージョン)


西田佐知子「一対一のブルース」(盤)


映画のクレジットでは「佐智子」となっています。まちがいではなく、初期はこの文字を使っていたようです。じっさい、この曲はごく初期の録音のようですが、どうも、三種類のヴァージョンがあるようで、わけがわかりません。ノーマルなスタジオ録音が50年代のものと62年のシングル用のものがあり、そのあいだに、1960年の映画ヴァージョンがある、ということのようです。いや、まちがっていたら、訂正をお願いします。わたしにはよくわからないのです。

おわかりでしょうが、この時点ではまだ「コーヒールンバ」も「アカシヤの雨」も生まれていなくて、要するにただの「西田佐智子」だったのであり、「西田佐知子」というスターになる以前の歌なのです。

わたしは、子どものころは歌謡曲が好きだったのです。その「歌謡曲」とは、たとえば、こういうムードの曲のことです。あの演歌なる代物はどこから湧いてきたのでしょうか。あれとビートルズが表裏をなして、わたしは音楽としての日本を「退去」するハメになりました。日活映画には、演歌がのさばる以前の正しいニッポン大衆音楽に出合えるという付録があります。

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あんまりジュースをつくりすぎたので……

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赤木圭一郎が飲みに来た、わけではなく……

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先日は失礼とわびに来たのだが……

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デート、のようなものに誘われてしまった。

それはさておき、いきなり話を小さくしますが、この「一対一のブルース」って曲は、なんともわからない歌詞になっていて、目がまわりました。

「一対一の恋をして」という以上、ほかに、「一対二の恋」とか「一対三の恋」とか「五対五の恋」とか「八対七の恋」とか、さまざまなパターンがあると、暗黙のうちに措定されているわけでしょう? それって「あり」なんでしょうか。わたしはいきなり混迷に陥りました。

やっぱり、ふつうは「八対七の恋」なんてものは存在しないと考えると思います。一対一ではないといっても、せいぜい「二対一」が関の山、「三対二」になると蓋然性のレベルはガタンと落ちます。なんだってわざわざ、一対一の恋などと、わかりきったことをいっているのでしょうか。

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西村晃扮する香港ギャングは銀座の洋装店の二階を根城にしているという設定が笑える。洋装店の名前が「ルガー」というのがすごい。そのとなりが中華料理屋というのはなんだか妙だが、ここに西村晃の子分である藤村有弘が巣くっていて、内部で二軒がつながっている。

ここで想像力と同情心をフルスロットルにしてみました。一対一とは「男女イーヴン」という意味かもしれません。でも、こっちの橋にも悪魔が待ちかまえています。「男女イーヴンではない恋」というのを措定しないと、この概念は成立不能です。恋において、男女がイーヴンではないとはどういう状況か、そこにたどりつくまえに、わたしの想像力は短絡しました。

それはともかく、わたしの耳は「ゼロの女」というフレーズにひっぱられて、ビヨーンと伸びましたね。わたしだったら、この曲には「ゼロの女」というタイトルを付けますよ。「一対一のブルース」なんていわれても、イマジネーションを刺激されません。

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潜入捜査官(草薙幸二郎)はトランペットを吹く! でも、背後を見ると、ドラムの配置が変。スネアが見えるところにあってはいけないし、ハイハットは20センチほど下げてもらいたい。

◆ ラヴ・テーマ、のようなもの ◆◆
さて、またまたrunning out of timeとなってきたので、以下、積み残したスコアをまとめてどうぞ。すべて映画から切り出したもので、台詞やらSEやらが入っていたりします。もちろん、タイトルもわたしが恣意的につけたものです。

サンプル スコア「Waterfront」(仮題)

サンプル スコア「Kinda Love Theme」(仮題)

サンプル スコア「Baby Let's Pretend」(仮題)

WaterfrontとKinda Love Themeは同じ曲です。一回で録ったもののべつの部分をそれぞれの場面に嵌めこんだのではないでしょうか。汎用性のあるムーディーな曲としてつくられたのでしょう。こういうクラリネットやハーモニカの使い方にも、日活らしいタッチが感じられます。なぜか、というところまでは考究しませんが。

ラズベリーズのヒット曲からタイトルを拝借したBaby Let's Pretendは、前出Two Killersと並ぶこの映画の代表的なラテン・タッチの曲です。チャチャ風のリズムとパセティックなトランペットの組み合わせが、いかにも日活らしいムードを生んでいます。

この曲の最後にバシバシ、バシッとSEが入っていますが、これは、恋人のフリをするために無理矢理キスをした赤木圭一郎を、浅丘ルリ子が張り倒した音です。ふつうなら一撃ですむはずが、二往復プラスだめ押しの一打という念の入れようで、しかも、一、二発ほんとうにあたったのではないかという、キツいビンタです。

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監督に指示されて、浅丘ルリ子は「そんなにぶつんですか?」と抵抗したのじゃないでしょうか。浅丘ルリ子ファンのわたしとしては、一発だけにしておいて欲しかったと思います!

日活アクションではめずらしいことではありませんが、『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』も、音楽が楽しい映画でした。いえ、日活アクションのスコアも、山本直純のスコアも、これが最後ではなく、またほかのものを取り上げることになるでしょう。

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日活映画音楽集~スタアシリーズ~赤木圭一郎
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by songsf4s | 2010-01-10 23:14 | 映画・TV音楽
黒い霧の町 by 赤木圭一郎(日活映画『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』より その1)
タイトル
黒い霧の町
アーティスト
赤木圭一郎
ライター
水木かほる、藤原秀行
収録アルバム
『日活映画音楽集 スタアシリーズ 赤木圭一郎』
リリース年
1960年
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松がとれたあとはどうするのか、まったく腹案がなく、そのときになればなにか思いつくだろうと思ったのですが、ぜんぜんなにも思いつかず、ちょうど見ようと思っていた映画を見て、それをそのまま書くことに(万やむをえず)なりました。

しばらくは企画を立てて、準備をするといった形ではなく、そのときそのときのインプロヴ、思いつきで選んでいくことになりそうです。

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◆ 「化け」おおせた映画 ◆◆
『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』は、拳銃無頼帖シリーズの第一作で、公開時ではなく、ずっと後年にテレビではじめてみました。

製作の順番通りに見ていない人間の勝手な思いこみですが、この『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』は、赤木圭一郎が「いかにも赤木圭一郎らしいキャラクター」を確立した映画のように感じます。数年後に鈴木清順監督の『素っ裸の年齢』を見て、面白い映画ではあるものの、「赤木圭一郎ができあがる前の映画」と感じました。

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じっさいには、『素っ裸の年齢』が1959年、『拳銃無頼帖』が1960年なのだから、ほとんど同じ時期に撮られています。いや、それをいうなら、赤木圭一郎はスターになったかと思うともう死んでいたというぐらいで、主役としての「実働」はほんの一年半ほどなのだから愕きます。

それでもなお、役者はやはり「化ける」時期があり、赤木圭一郎は1959年と1960年のあいだのどこかで「化け」、のちのち語りぐさになる役者へと変貌したのだと感じます。後追いのファンとしては、その「化け」おおせた映画が『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』ではないかと思っています。

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いや、そうじゃないかな、と思って二十年ぶりに見返してみたのでありまして、まあ、外れてはいなかった、というだけです。わたしだけの思いこみかもしれないから、干支でもあることだし(カンケーないか)虎の威を借る狐をやって、渡辺武信の『日活アクションの華麗な世界』をいま引っ繰り返してみましたが、赤木の章の冒頭で、以下のように明快に断じていました。

「〔赤木圭一郎は〕この年(1959年)の内に二本の主演作を持つようになるが、彼がダイアモンドラインの一翼をになう日活“第三の男”となるのは翌年2月の『抜き射ちの竜』(野口博志監督)まで待たなくてはならない」

そういう感じなのでしょうね。『抜き射ちの竜』の赤木圭一郎には、すでに「できあがった」魅力があります。

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◆ 宍戸錠の古典的敵役 ◆◆
赤木圭一郎が演じる剣崎竜次は、相手を殺さず、肩を撃ち抜くだけというガンマンで、冒頭、ある組織のボス(とあとでわかる)と対決し、相手を仕留めるものの、ヘロインの禁断症状に襲われ、菅井一郎(小津安二郎の『麦秋』のイメージとそれほど矛盾しない)の病院に担ぎ込まれます。ここまでがアヴァン・タイトルとタイトル。

ひと月後、病院に高品格を筆頭とする、赤木が斃したボスの子分たちがやってきて、騒動になりかかりますが、赤木の治療費を出した男というのがやってきて、拳銃の腕でこの連中を追い払います。これが宍戸錠扮する「コルトの銀」というのだから、え? ですわ。

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まあ、エースのジョーというわけにはいかないから仕方ありませんが、いまになると、シリーズ違いなど気にせずに、こちらでもエースのジョーとしておいてもらいたかったと思います。渡り鳥シリーズじゃないからと思っていても、やっぱり「コルトの銀」といわれると、気分の片足が三センチばかりズルッとなり、そのたびに体勢を立て直さねばなりません!

というくらいで、宍戸錠は「主人公に惚れたライヴァル」という「いつもの役」で、いつものように台詞にもスタイルにも気を配っています。海外の宍戸錠ファンは、エースのジョーの本領は、主役のときではなく、こういうライヴァル役のときにあるということを知らないのだから、じつにお気の毒なことと同情しちゃいます。子どものころ、宍戸錠にあこがれたのは、主役としてではなく、「どうも野暮用が多くてな」などとボヤく殺し屋ぶりがじつに楽しかったからです。

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藤村有弘の包丁の一撃を食らいそうになって、茶碗と箸を持って逃げる「コルトの銀」=宍戸錠。ただし、よく見ると、この直前の、坐ったままで包丁をよけたショットでは手ぶら。あとになって、茶碗と箸を持っているほうが面白いと思ったのだろうが、直前のショットを修正する手間はかけなかったらしい。

今回、笑ったのは、飲食物がらみのショットでの工夫です。こういうところに宍戸錠の映画物知りぶりと、その知識を自分の演技にアダプトするすぐれた適応力があらわれています。早川ポケット・ミステリーを片端から読んで、しばしば自分で台詞をつくった人だから、視覚的アクセサリーにも神経質だったのです。

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宍戸錠は、ただ漫然と立っているなどというムダなことはしない。ここではじつに上品にお茶をいただいている殺し屋をやっている!

◆ 豪華絢爛多士済々の悪役陣 ◆◆
宍戸錠が赤木圭一郎の治療代を払ったのは、彼のボス、香港のギャング「楊三元」(西村晃)の意を体してのことで、義理ができた赤木は楊の手下として働くことになります。

この映画の西村晃は、彼の日活脇役史のなかでも特筆に値します。「わたし、美術品でも、女でも、一流、好きです」という中国語訛りの日本語が、宍戸錠のアメリカ風キザと好対照をなして、うれしくてうれしくて頬がゆるんだり、手を叩きたくなるシーンの連続です。

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藤村有弘(左)と西村晃。片や「中国語風怪しい日本語」の大家、片や名優、この二人の片言日本語合戦には、スタッフが笑い死にしそうになったにちがいない。いや、当人たちも吹いてしまっただろう。たぶん、こういうのは現代ではpolitically incorrectだろうから、二度と味わうことのできない芸である。

西村晃の懐刀が、中華料理のシェフに身をやつしている「張」(藤村有弘)で、これがまたうれしくなるようなキャラクターです。宍戸錠に料理のことで侮辱されるや、いかにもおそろしげな肉切り包丁でいきなり斬りつけちゃったりするし、麻薬取引ともなれば、先頭に立って現場指揮を執ります。

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この香港ギャングの日本側のパートナーだったのが二本柳寛(小津安二郎の『麦秋』のキャラクターとはぜんぜん違う! 『麦秋』では杉村春子の息子、原節子の結婚相手!)とくるわけで、悪役陣はじつに層が厚くて、日活アクションの愉楽ここにあり、です。

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あの時代の日活プログラム・ピクチャーなので、とんでもなく意外なことが起こるわけではなく、赤木圭一郎は、ギャングのくせに、結局、悪いことはせず、香港ギャングと二本柳寛の一味を破滅させ、浅丘ルリ子に「待ってるわ」といわせて、エンドマークを引っ張り上げるのでした。

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◆ まずは主役の歌各種とりまぜ ◆◆
ストーリーを知っている映画を見直すときには、当然、目は画面の端に向かい、耳も活溌に働かせます。

この映画のスコアは山本直純、挿入曲は赤木圭一郎歌う「黒い霧の町」と、西田佐知子の「1対1の女」、これはそれぞれライターが異なります。

日活アクションではよくあったことですが、この映画も、スコア、挿入曲、ともに楽しい出来で、独立したOST盤とまではいわないまでも、たとえば拳銃無頼帖シリーズだけのOST盤をリリースしてもいいのではないかと感じます。

スコアのハイライトは次回ということにして、挿入曲をYouTubeで探してみました。

黒い霧の町(盤)


霧笛が俺を呼んでいる~黒い霧の町(ライヴ with 宍戸錠)


どちらも映画とは異なるので、いちおう、映画から切り出した純粋なOSTをサンプルにしてみました。この「黒い霧の町」は劇中二度流れますが、これはその最初のほう、中間部で流れるヴァージョンです。

サンプル 赤木圭一郎「黒い霧の町」(映画ヴァージョン1)

今日は野暮用があったり、夕方から取りかかったものの、頭がちゃんと働いていなかったために、音楽の切り出しに時間がかかってしまい、残りは明日ということにします。スコアもお楽しみに。


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拳銃無頼帖 抜き射ちの竜 [DVD]
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日活映画音楽集~スタアシリーズ~赤木圭一郎
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by songsf4s | 2010-01-09 23:46 | 映画・TV音楽
『霧笛が俺を呼んでいる』 その7

先週後半からいつもよりお客さんが増えました。なんだろうと思ったら、クリスマス需要がはじまったようです。検索キーワードを見ると、クリスマス・ソングが増えています。

これだから、みなクリスマス・ソングをレコーディングするわけですよね。当ブログでも、一昨年の十一月から十二月にかけてクリスマス・スペシャルをやっただけで、毎年時期になると、それを目当てのお客さんがいらっしゃるぐらいなので、盤をつくって売っている人たちとしては、これをやらない手はない、というものです。

もう、一昨年のような怒濤のクリスマス・ソング特集はできませんが、昨年はサボったので、今年はクリスマス・スペシャルをやろうと考えています。まあ、スタートまでに少なくともまだ一週間はかかるでしょうけれど。

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一味に殺されそうになったホステスを赤木圭一郎が自分の船室にかくまう。昔の映画はどんどんセットをつくってしまう。

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◆ シティー・ホテルの先駆 ◆◆
うまくすると、今日中に『霧笛が俺を呼んでいる』を完了できるような気がするので、張り切ってスタートします。

西村晃たちに発見された葉山良二は、地下道から抜け出せなかったハリー・ライムとは異なり、地下出入口のおかげで、危うく窮地を脱します。そして、バンド・ホテルの赤木圭一郎の部屋にあらわれ、明日、「日比谷ホテル」(実在しない)に芦川いづみを連れてくるように頼みます。親友を逃げ延びさせてやろうと決めていた赤木は、この申し入れを承知します。

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逃亡を企てる葉山良二を尾行していた深江章喜が、葉山の動向をボスに連絡する。どうやら丸の内ロケらしい。背後の煉瓦のビルはいわゆる「一丁倫敦」ではないだろうか。

まあ、だれが考えてももう話は煮詰まっています。翌日、赤木圭一郎と芦川いづみ(彼女のほうは赤木の考えには不賛成で、葉山良二に自首させようと思っている)は、東京のホテルに出向きます。

このホテルがアッハッハです。日比谷の日活ホテルでロケされているのです。いえ、このときはまだできたばかりで、いわば「シティー・ホテル」のはしり、お膝元で撮影しやすいというだけの理由で使ったわけではなく、この非日本的風景に充ち満ちた映画の、クライマクスの舞台として最適だったのでしょう。

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キャメラは日活国際会館の外壁を面白いアングルで捉えた。

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アメリカン・ファーマシーの看板

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出典を思いだせず、いまは確認できないのですが、昔は地下駐車場というものがほとんどなくて、そういうロケが必要になると、かならず日活国際会館、すなわち、日活ホテルの入っているこのビルが使われたという話を読んだ記憶があります。

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地下駐車場に降りていく急カーヴ。「時速5メートル」とはすごい。たしかに「デッド・スロウ」だ。いや、このMはメートルではなく、マイルなのだろう。はじめから日本人は相手にしていない?

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こういう日本映画には思えない絵が欲しくて、地下駐車場を使いたかったに違いない。

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葉山良二を深江章喜が尾行している。

そういえば、戦前のオフィス・ビルには駐車場がなく、使い勝手が悪いために取り壊されたものがいくつもあるということを、建築関係の本で読んだことがあります。「老朽化」のための取り壊し、という言葉の意味は、そういうことだったりするようです。

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以下三葉はセット。ホテル内部はほとんどセットと思われる。勘定してみると、やはり昔の映画、セットの杯数はいまどきの映画などくらべものにならないほど多い。

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西村晃らに追われて、葉山良二は外に逃げる。上掲二葉のセットは、逃亡シーンのために、外壁もつくってあったのである。このショットは、外からレースのカーテン越しに室内の芦川いづみを捉えている。

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ビルとビルのあいだから遠く議事堂が見える。その左側に葉山良二(というか、スタントマン)がいる。

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細かくカットを割って、ていねいに撮っている。時代のパラダイムといってしまえばそれまでだが、昔は良かったという禁句が、喉元まで迫り上がってくる。

日活国際会館は、その後、日活の屋台骨が傾いて売却され、日比谷パーク・ビルとなって、ついこのあいだまで(年寄りの時間感覚はあてにならない)あったのですが、気がつけばすでに建てかわっていました。日比谷パーク・ビルといっておわかりにならない方でも、アメリカン・ファーマシーがあったビルといえば、あのたたずまいを思いだされるのではないでしょうか。灰緑色の化粧タイルが特徴的でした。

以下の地図で、「ザ・ペニンシュラ東京」となっているのが、日活国際会館の跡地です。
日活国際会館跡地

以下は、見つけておいたものの、適当な置き場所がなく、ここまで引っ張ってしまった宍戸錠の赤木圭一郎の思い出。

宍戸錠コメント 調布撮影所事故現場 霧笛が俺を呼んでいる(テレビ) 黒い霧の町(テレビ、デュエット)


◆ 別れの握手??? ◆◆
葉山良二がどうなったかまでは書かずにおきます。まあ、おおかた推測はつくでしょう。プログラム・ピクチャーというのは、落ち着くべきところに落ち着くものと決まっています。

事件の片がついたら、コーダを奏でることになります。残された登場人物たちが、今後どうしていくかを明言したり、示唆したりして、それぞれの道を行くことになる、というように、ここも「型」が決まっています。男と女が結ばれることはまずありません。たいていの場合、淡い慕情で終わります。

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『霧笛が俺を呼んでいる』も、やはりその型に則って、パセティックであると同時にストイックな、日活独特の風味のあるエンディングになっています。当然、音楽も、冒頭と同じように、赤木圭一郎歌うテーマ・ソングが流れます。

エンディング


わが胸に手を当ててよく考えてみました。こういう日活アクション独特のセンティメンタリズム、なかんづく、テーマ・ソングと画面がつくりだす独特のムードが好きなのか、嫌いなのか? 留保なしというわけではありませんが、やはり嫌いではないようです。それはそうでしょう。このムードが嫌いだったら、そもそもはなから日活アクションは見られません。

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留保をつけるとしたら、曲の善し悪しにある程度左右される、ということと、映画のでき次第で、この「日活アクション・コーダ」に浸れるか否かが決まるようです。もちろん、『霧笛が俺を呼んでいる』は、曲の出来も上々、映画の出来も(脚本にはいろいろ文句をつけたが)よく、これで「コーダ」がなかったら腹を立てたでしょう。

ふと思いました。日活には、「ムード・アクション」と呼ばれた作品群がありました。勝手に定義を試みると、「ラヴ・ロマンス色が強く出たアクション映画」といったところでしょうか。『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』『帰らざる波止場』といったあたりの、石原裕次郎と浅丘ルリ子が共演した映画が、代表的な「日活ムード・アクション」といえるかと思います。

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そういう作品群が登場するのは1963、4年と考えていいのでしょうが、『霧笛が俺を呼んでいる』は、すでにのちの「ムード・アクション」の手ざわりをもっています。たんに、石原裕次郎と浅丘ルリ子ほどには男女の距離が縮まらず、お互いに「好意をもつ」段階でとどまることがちがうだけです。

だから、赤木圭一郎と芦川いづみがはじめて「肉体的接触」をするのは、霧の埠頭での別れの場面、ただ握手をするだけなのです。握手ですよ。日活映画は不良の見るものなんて、だれがいったのでしょうかね!

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by songsf4s | 2009-11-15 23:57 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』 その6

現今でも使うと思うのですが、かつて「文芸映画」という言葉をよく目にしました。いまもって定義を知らないのですが、「シリアス・ノヴェルを原作としたシリアス・フィルム」なんてあたりの意味でしょうか。

いや、「シリアス」にあまり力点を置かないほうがいいかもしれません。やがて「中間小説」と呼ばれはじめ、ついには「エンターテインメント」だなんて、作家がタップダンスでも踊るのかと思ってしまう、奇怪な言葉で呼ばれるようになるタイプの小説も含まれていたように思います。

たとえば、当家ですでに取り上げたものとしては、『乳母車』は「文芸映画」と呼べるのだろうと思います。もうすこしニュアンスを弱めて、少なくとも「文芸路線」ではあるでしょう。

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困ったことに、日本人のわたしでも定義に苦しんだりするのに、いまや日本映画は国際市場に散乱しはじめているため、ウェブであれこれいっている海外日本映画ファンも、「文芸映画」とはなにかを、ほんの軽い気分であれ、考えなければならないハメになったようです。

そして、どういう訳語が適用されたか? Art Filmsです。うーん、しかたないか、ぐらいの感じですね。日本映画について書かれた英文のなかに、art filmsという言葉があったとして、「文芸映画」と訳すかといえば、「芸術映画」という訳語にするのがふつうでしょう。微妙に包含する対象がずれています。

以上の事実は、英語圏には、日本の「文芸映画」に相当するものがないことを強く示唆しています。『老人と海』『普通の人々』『ナチュラル』『ドライヴィング・ミス・デイジー』(原作は戯曲だが)なんていうのは、典型的な「文芸映画」だったと思うのですがねえ。

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ああ、そうか。彼らにとって、メインストリームの小説が原作になっているか否かは、どうでもいいことなのかもしれません。映画は映画、原作は無関係、という気持でしょう。ここいらへんに、彼我の思考形態の差異があるような気がします。

◆ 謎解きからアクションへ ◆◆
城ヶ島で芦川いづみからロープの切れ端のことをきいた赤木圭一郎は、トリックのにおいをかぎ、(たぶん翌日)二人でふたたび突堤に行き、海底でロープのもういっぽうの端を見つけます。あとで説明されるところによれば、こすれて切れたように見せかけているが、じっさいにはナイフで切ったものだ、というのです。

さらに、殺されたバーのホステスが、恋人が行方不明になったことを一味の仕業と疑っていたことを、同僚のホステスが赤木圭一郎に告げます。それを赤木に告げようとして殺されたのだ、というわけです。かくして、2マイナス1の答は明々白々、赤木圭一郎の親友にして芦川いづみの恋人にして吉永小百合の兄は、死んでいない、身代わりを殺して死んだように見せかけたのだ、という結論になり、この映画がミステリーものだとするなら、ここまでで謎はすべて解決されます。

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赤木圭一郎に同僚の疑いを告げたせいで、このホステスは仕事帰りに深江章喜らに殺されそうになる。

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ここはロケ地を特定できない。背後に派手な造りの教会があるので、すぐにわかりそうなものだが……。なんだか、ほかの映画でも同じ場所を見たような気もする。

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教会ばかりではなく、歩道の造りも、下見板に鎧戸の家も、じつに非日本的。ということは、根岸ハイツのほうで撮ったのか?

こうなると、あとはアクションあるのみ。赤木圭一郎は一味のアジトであるバー〈35ノット〉(おわかりだろうが、セットを組む関係上、そんなにあれこれと場所を設定できない)に乗り込み、一暴れして、俺の言葉をあいつに伝えろ、といいます。

この揺さぶりによって、ついに親友、葉山良二が会見を承知します。観客はみな、この話は『第三の男』パターンだと読んでいるので、ここで意外の感にうたれるお人好しはまずいないでしょう。やっと結末に向かって動きだしたな、ぐらいの印象です。

◆ さらに『第三の男』へと ◆◆
赤木圭一郎は、警察の尾行に対する「ぼくよけ」のつもりなのか、吉永小百合を東京見物に連れて行くといって、ことのついでに葉山良二の隠れ家に立ち寄ります。

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ここからの一連のショットは、ドライヴに行くときのものではなく、これよりも前の、ただ見舞いに来たときのショットだが、都合でここに置いた。「編集によってどんなことでも思いこませることができる」という理論の実践である。いや、そうじゃなくて、背後に写っている町に愕いたのだ。

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市電の線路があるのはいい。なければ愕く。だるま船がたくさんあるのもいい。このころ、あそこはまだ運河として機能していたのだから。

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だが、運河の向こうはなんだ。町になっていないではないか。あんな場所に、あんな空き地があるなんて、いまになると信じがたい!

外観はロケハンのときに、たしか横浜で見つけた家を借りてロケをした、と木村威夫美術監督はいっています。外からミドルで見た葉山良二のショットは別として、あとは室内はすべて、外もアップはセットです。

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ドアにご注目。このドアは「たしか名前を書いて、よその組には使わせなかった」という木村威夫専用部材で、いろいろな映画に登場している。すでに取り上げた田坂具隆監督、石原裕次郎、芦川いづみ主演の『乳母車』に出てくる鎌倉の邸宅や、同じようなスタッフとキャストでつくられた『陽のあたる坂道』の裕次郎や芦川いづみが住んでいる田園調布の邸宅にも使われている。この波形が木村威夫美術監督のお気に召していたそうな。

いまなら、たった二度の階段のショットのために、セットをつくったりはしないでしょうが、そこがやっぱり昔の撮影所、最低限、やるべきことはやっています。そもそも木村威夫は、下手なところを借りるとかえって高くつく、セットのほうが安上がりなこともあると、現今の映画作りを批判しています。

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セット。左端に暖炉があるが、サイズは見て取れない。

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ロケ。カーテンにご注目。

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もちろんロケ。

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ロケ。ただし、緑色の鎧戸はつくってもっていったものらしい。また、はっきりとはわからないが、屋根はどうも天然スレートに思える。最近は見かけないが、天然スレートで葺くと、たっぷりとした量感のある屋根になる。

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セット。ここがわからない。ここもロケで大丈夫だったのではないだろうか。あとからの追加ショットか。カーテンもきちんとそろえてある。ということは、ロケ先にカーテンをもっていったのだろう。

赤木圭一郎は葉山良二の買収に乗らず、葉山良二は自首しろという赤木圭一郎の説得に耳を貸さず、観客の予想通り、会見は物別れに終わります、

赤木圭一郎と妹を遠く見送った直後、葉山良二は拳銃を手に家を出ます。説明はないのですが、友を買収しそこなったうえは、もはや日本に長居は無用、芦川いづみを連れて海外逃亡をするために、密かに横浜に行く、といったあたりでしょう。

二本柳寛のアジトである例のクラブ〈カサブランカ〉に行くと、網を張っていた西村晃らに追われることになります。

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地下の秘密の出入口というのがなんとも「ロマネスク」で、これはどんなものかなあ、と思いますが、作り手としては『第三の男』にもっていきたかったのでしょう。

なんだか、今日は頭が空っぽになって、あらすじを書くだけの能なしになったような気がしますが、肝心なのは文字ではなく、スクリーン・ショットなので、そちらをご覧あれ。

葉山良二が姿をあらわしたことで、もうもってまわった描き方をするわけにはいかず、話はどんどん動くので、つぎからはこちらもスピードアップするのではないかと予測しています。

吉永小百合のインタヴューがあったので貼っておきます。ドライヴのシーンにふれています。

吉永小百合 『霧笛が俺を呼んでいる』の思い出


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by songsf4s | 2009-11-14 23:58 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』 その5 木村威夫タッチのナイトクラブ

先は長く、遊んでいる余裕はないので、本日も無愛想に、枕なしで話に入ります。あしからず。いや、たいていのお客さんにとっては、そのほうが好都合でしょうが。

◆ 木村威夫ここにあり ◆◆
刑事との対話のシーンの直後に、説明なしで、芦川いづみがステージに登場して、彼女がクラブ・シンガーだということがわかります。その歌の最中に、赤木圭一郎が客としてクラブに入ってきて、バーカウンターのストゥールに腰を下ろします。埠頭で刑事たちと話したその足でここにやってきた、という想定でしょう。

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ステージのデザインが不思議なので、拡大してみた。上部は書き割りで、「『サンダカン八番娼館 望郷編』のような絵」と美術監督はいっている!

かくしてファンならご存知、日活アクションを特徴づける「毎度毎度のナイトクラブ・シーン」の幕開けです。ただし、小林旭の映画ではないので、白木マリのダンスはありません! おあいにくさま。

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こうなると、撮影監督としては、この複雑なセットを駆使して、さまざまな撮り方がしたくなるにちがいない。映画美術とはたんなる視覚デザインではないのだ。

「ナイトクラブの魔術師・木村威夫」なんていったりはしないのでしょうが、わたしとしては、そう呼びたくなります。『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉は、いまや「木村ナイトクラブ」の代表作とみなされていますが、今回、20年ぶりに『霧笛が俺を呼んでいる』を見て、ちょっとばかり愕きました。

鈴木清順関係の書籍ではすでに繰り返し指摘されていることなのかもしれない、と先にお断りしておきます。わたしがこの『霧笛が俺を呼んでいる』のナイトクラブを見てビックリしたのは、その構造が鈴木清順的なのに、この映画は清順とは無関係だということです。どこが清順的か?

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一瞬、スプリット・スクリーンかと思うが……。

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キャメラが引くと、現物自体がスプリットされていただけとわかり……。

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じつは、ブロックガラスの壁をはさんで、ステージの反対側に事務室があり、そこから見たショットなのだとわかる。

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事務室では、二本柳寛のボスと内田良平の子分がよからぬ相談をしている。

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さらにキャメラが引くと(クレーン撮影なので、手前に広い場所が必要だ)、待ってました、深江章喜登場。今回も殺し屋に違いない、という風情なり。

というように、ステージの向こうにはオフィスがあり、ガラスを通して客席をのぞける構造になっているのです。これを見れば、清順ファンならだれでも『野獣の青春』を思いだします。しかし、『野獣の青春』の美術監督は木村威夫ではなく、横尾嘉良(ヨシナガ)なのです。

この算術の答えはなんでしょうかね? いちばん単純な解は、木村威夫と鈴木清順は、視覚的な構造の概念を共有するソウル・ブラザーズであった、というあたりでしょうか。もっと単純な答えもあります。鈴木清順ないしは横尾嘉良美術監督が、『霧笛が俺を呼んでいる』のセット・デザインを見て、このアイディアを拡大解釈した、ということです。

『野獣の青春』は近々取り上げる予定なので、ここではこれくらいにしておきます。このガラス・ブロックの使い方は、モンドリアン・パターンの現代版といったおもむきで視覚的にも面白いし、セットの構造という面でも興味深く、きわめて木村威夫的なデザイン、といえます。

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キャメラは再びガラスブロックに迫り、その向こう側で、赤木圭一郎と芦川いづみが話すすがたを捉え、事務室のワルたちが、二人の接近を警戒しはじめたことが観客にも伝わる。

木村威夫美術監督は、このナイトクラブのセットについて以下のように回想しています。

「芦川が上り下りする階段を配して、随分凹凸をつくったような印象があるね」
「建築的なものじゃなしに、敢えていえば、反建築的世界だよ。ドラマの組み立てから、逆にキャバレーの形式を打ち出していったんだ」


おかしなことに、というか、当然というか、木村威夫がデザインした映画のなかのナイトクラブを見て、そういうクラブをつくってくれという注文があり、いくつか現実のナイトクラブを設計したことがあるそうです!

赤木圭一郎と芦川いづみがラジオに出演したときの録音というのがあったので貼り付けておきます。

キャバレーセット ラジオ放送


台本を読んでいるような放送で、いまとはずいぶん感覚が違います。赤木圭一郎が芦川いづみの歌を褒めていますが、これはたぶんプロの歌手のスタンドインでしょう。赤木圭一郎だってそのことを知っていたでしょうが、台本どおりに「演じた」と思われます。

◆ 駄菓子もまた捨て難し ◆◆
親友の死に関する事実を知る女が、冒頭に出てきたバー〈35ノット〉に勤めていて、芦川いづみと会ったあとでホテルに戻った赤木圭一郎は、その女からの「やっと話す気になった」という伝言を聞きます。

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女がバーのカウンターから、そういう重要な電話をかける(しかも、このバーが一味の内田良平が差配していて、その部下が女をいつも見張っている!)のは、この脚本のもっとも安易なところで、日活にかぎらず、昔の映画、とくに邦画にはよくある欠陥でした。こういう馬鹿馬鹿しさを回避するのはむずかしくないと思うのですが、映画関係者は視覚的に処理したいと考える傾向があり、絵のほうが先走ってしまうのでしょう。

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そもそも、この女を危険視し、見張っていて、口を開きそうだとなるや、まずい、すぐに消せ、なんていうくらいなら、もっと早い段階でそうしておくはずです。赤木に死体を発見させるという、これまた映画的効果と、書く側の話の運びの都合を重視したもので、論理的にはたがをはめるようにビシッとプロットに収まっているわけではありません。

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活動屋さんは「映画は理屈ではない」というでしょうが、要所要所でプロットのパーツとパーツをカチッとはめてくれないと、ドラマは弱くなっていきます。子どものころ、わたしが邦画を見なくなっていったのは、「そんな馬鹿な」と思うことが度重なったからです。いまさらわたしごときがなにをいってもはじまりませんが、双葉十三郎はリアルタイムでくりかえし日本映画界に苦言を呈しているわけで、批評家の言葉では客は来ない、などといわずに、すこしは耳を傾けるべきでした。

ただし、おかしなことに、これだけ時間がたち、「あ、またテキトーな処理をしやがって。まじめにやれよ」と思うことが習慣となった結果、これが日活映画(および昔の邦画全体)の味であるような気もしてきました。小津安二郎や溝口健二や成瀬巳喜男の映画には、こういう駄菓子のような味はないので、シナリオの欠陥、ご都合主義をプログラム・ピクチャーの持ち味として積極的に評価したくなってしまいます。時の経過による意識の変化というのは、じつにもって摩訶不思議ですな。

◆ 城ヶ島の磯に ◆◆
遺体の発見者として赤木圭一郎が、警察でまた西村晃の取り調べ(麻薬ルートを追っていたというので風紀課だと思っていたが、殺人課だったのね!)を受けるシーンが溶暗して、つぎのショットは郊外の風景になります。

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ここになにか高いものがあったのだろうか? それとも櫓を組んで撮影した?

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現在では、田園風景のなかにずいぶん住宅が混じり、週末は道路が渋滞するようになったが、三浦に行けば、いまでも道路ぎわに畑が広がっているのを見ることができる。もっとも、三浦大根の作付けは激減したらしいが!

前日、芦川いづみと話ができていたという設定なのでしょう。特段の必然性も説明もなく、二人は城ヶ島にドライヴします。「画面を動かしたい」という衝動はよく理解できるので、「映画的チェンジ・オヴ・ペース」なのだと解釈しておきます。

城ヶ島で赤木圭一郎は芦川いづみの言葉から、謎を解くヒントを得ますが、これだって、横浜でもかまわないことです。詰まるところ、美男美女をどこか景色のいいところに遊ばせよう、ロマンスの芽を感じさせようという意図の、視覚的な刺激だけを狙ったシーンです。

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郊外へ、と思ったとき、城ヶ島が選ばれたのは、横浜から遠くないということはもちろんですが、このとき、城ヶ島大橋ができたばかりで、観光資源としての価値があったためでしょう。と山勘で書いておき、泥縄で調べました。

神奈川県サイトの城ヶ島大橋ページ

1960年竣工なので、新しいもなにも、出来たてのホヤホヤ、まだ橋が柔らかいうちに(!)ロケしたことになります。わたしら神奈川県民の小学生も、このころ、みなこぞって遠足で城ヶ島に行き、北原白秋の名前をたたき込まれ、歌碑の前で記念写真を撮られました。しかし、国や市のものではなく、県主導でつくり、現在も県が管理しているものとは、いまのいままで知りませんでした。

というだけで、とくに書くべきことはないので、あとはスクリーン・ショットをご覧にいれます。

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ここはすぐに撮影場所がわかった。遠くに見えている岩のアーチのようなものは、〈馬の背洞門〉という名前までつけられている名所。

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昨年、城ヶ島に行ったときに撮った馬の背洞門の写真。映画は丘の上で撮っているが、こちらは磯から撮った。

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こういうこともあろうかと思った――はずもないが、「切り返した」写真も撮っておいた。馬の背洞門の前から、向こうの丘を望んでいる。左端、丘が海に向かって下っていくあたりにベンチがあり、映画はそこで撮影をしたのだと推測する。

城ヶ島は、この映画が撮影された半世紀前とあまり変わっていないようです。昨年撮った写真でわかるように、馬の背洞門は相変わらず崩れていませんし、ひどく混み合うこともありません。平日の早朝なら、無人の海岸のロケがいまでもできると思います。

グーグル・マップ・リンク
城ヶ島 馬の背洞門付近

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映画をつくる人たちとしては、やっぱりこういうショットが撮りたいのでしょうね。

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このロープの切れ端がヒントになる、といってもそれほどミステリー的興趣があるわけではないが。

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橋の位置から考えて、島の東端、現在、小さな灯台(城ヶ島灯台ではない)があるあたりでの撮影だと思う。昨年、城ヶ島で遊んだときは、このあたりにユリが咲いていて、その写真は撮ったのだが、こういうアングルで橋を捉えた写真は撮らなかった。

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これでようやく上映時間にして30分ほどです。まだ検討したいセット、ロケ地は相当数あるので、長丁場と覚悟を決めて、のんびり行きます。

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by songsf4s | 2009-11-13 17:14 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』 その4 「バンド」と日本

前置き抜き、説明なしで前回、途中で終わってしまった「横浜バンド」の話にダイレクトにつなげます。説明の必要性から、前回掲載した「バンド」の写真をもう一度掲載しておきます。

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◆ 氷川丸以前! ◆◆
刑事たちと赤木圭一郎の対話の中身はさておき、問題はこのロケ地、そしてここから見える風景です。じつにもって、へへえ、でした。なんといっても、氷川丸がないのに愕いて、思わず調べました。

日本郵船歴史博物館 氷川丸のページ

同 歴史の生き証人「氷川丸」

日本郵船歴史博物館はこの「横浜バンド」にあります。わたしは一度入館したことがありますが、昭和戦前の歴史が趣味なので、それなりに楽しく過ごしました。図書資料も豊富です。

日本郵船のウェブサイトで調べたかぎりでは、氷川丸がホテル・ニューグランドの正面に係留されたのは1961年のようで、『霧笛が俺を呼んでいる』はその直前に撮影されたことになります。

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幼いころ、うち中で動かない氷川丸に「乗船」し、帰りに中華街で食事をした記憶がありますが、それはきっと61年のことなのでしょう。子どものいる家というのは、話題になったアトラクションには、古びる前にすぐに行くものですから。東京タワーもマリンタワーも、できたとたんにのぼった記憶があります。昭和30年代的心性なのか、いや、いまでも同じでしょうね。

◆ キングかクウィーンかジャックか? ◆◆
正面手前は山下公園ですが、夕暮れなので不分明。その向こう、左寄りのビルはニューグランド、その右手は、すでにシルク・センターができていたのだろうと思います(1959年竣工だそうな)。

久生十蘭によれば、船の送迎のあとは、ニューグランドかバンド・ホテルで一餐だったそうです。わたしの若いころは、船で外国に行くのはめずらしくなっていたのですが、それでも、不思議なことに、大桟橋で三度も出迎え、二度も見送りをしています。そういう場合、もちろんニューグランドも使いましたが、シルク・センターも使いました。そこが十蘭の時代とは違うところです。

右端に見える塔はちょっと悩みました。しかし、よく見ると二つのようなので、あとは高さ(見た目の高さなので、遠近も関係する)の問題だけです。低いほうが横浜開港記念会館、高いほうが横浜税関(このページには他のふたつの塔の写真も掲載されている)だろうと思います。ただし、低いほうは神奈川県庁かもしれません。小さなシルエットだけなのでなんとも判断しかねます。

税関は海に面して建っているので、これだけはまちがありません。横浜税関の地下には展示室があります。ここもなかなか興味深い展示がありますし、クラシックな建築の地下を見学できるという余録もあります。

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横浜税関ファサード。税関のオフィシャル・サイトから拝借した。じつに興味深いことに、この建物は陸に背を向け、ファサードを海に向けている。玄関は海に向かって開いているのだ。

木村威夫じゃありませんが、昔の建物はやはり「寸法がちがう」のです。わたしは好んで戦前の建築の地下に入っていますが、一般論としていえることがあります。「現今の建築より階上は天井が高いが、逆に、地下は現今の建築より天井が低い」という原則です。これ、かなりの確率で当たっているはずなので、機会があれば、古い建物の地下に入ってご確認あれ。天井に違和感を覚えるでしょう。

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横浜開港記念会館。こちらもオフィシャル・サイトから拝借した。半地下式になっているので、歩道を歩いているだけでちょっと昔にタイムスリップしたような気分になる。

◆ 海岸都市または彼岸の風景 ◆◆
みなさんはどうお感じかわかりませんが、わたしはこの「バンド」をつくづく眺めていて、なんだか寂しいなあ、と思いました。主として上海バンドを思い浮かべているせいですが……。

わたしは旅というものをしない人間で、各地の風物についてはなにも知らないのですが、日本には「バンド」といえる海岸の町並みがあるのでしょうか。小さな漁業の町に行くと(たとえばわたしが知っている場所では三浦市の三崎港)、海に正対する形で町並みができています。海岸、海岸道路、家並み、という並びで、家々の正面が海に向かっているのです。

しかし、「都市」といえる場所で、大廈高楼がファサードを海に向けている、という土地が日本にあるのでしょうか。函館、室蘭、神戸、博多、新潟など、可能性を感じる場所はありますが、どうなのだろうかと思います。

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函館港。この坂道を小林旭と二本柳寛がのぼったのは、『ギターを持った渡り鳥』でのことだった。

日本中を歩いたわけでもないのにこういうことをいってはなんですが、日本の都市は、おおむね「海に背を向けている」といっていいのではないでしょうか。わたしの生活圏でいうと、たとえば湘南の海沿いには道路があり、それに沿って海に正面を向けて建物が建っていますが、大廈高楼といえるようなものはほとんどありません。ポツポツとホテルがある程度です。

東京にもそういうところはないでしょう。隅田川沿いですら、建物のほとんどは川に背を向けています。日本の大都市の海岸、河岸というのは、港湾施設、荷揚施設が集まるところであり、一般市民が遊興したり、買い物したりする場ではないのです。

そうなったについては、万やむをえぬ事情があったのだろうとは思いますが、都市の発達という側面から考えると、これは大間違いだったと思います。

たんなる間違い都市作りの一例としてあげるだけですが、いまどき、大都市のコンビナートなど、まったく無用の長物と化しつつあり(いまは加工済みの製品が来るので、都市部の石油精製施設は不用)、半世紀前とは事情が一変しています。横浜の根岸、磯子の海をつぶしたのは、ほんの一瞬の用に供する無駄遣いだったことになり、いまでは愚なる為政者の果てしない無思慮無分別の証拠として、コンビナートが無価値有害に残されています。

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バブルのときに「ウォーター・フロント」という「流行」があったのは、方向性としては間違いではなかったと思います。金がだぶついているときにしか大都市の改造はできません。でも、明確なヴィジョンと方向性を感じない開発ばかりだったような気がします。

横浜は相対的に(ということは東京にくらべてという意味にすぎないが)いい方向を目指したと思うのですが、経済情勢の激変に足をすくわれたのか、ちょっと、いや、ひどく寸足らずでした。それでも、「市民が憩う港」が部分的には実現されたと思います。

横浜に小規模な「バンド」ができたのは、ここが外国人居留地だったからであり、日本人の意思によるものではありません。結局、日本人のもっとも苦手とするところは、「都市を構想する」ことなのでしょう。

日活は、われわれが不得手とする「美的都市空間の構築」を、ロケーション・ハンティングとキャメラのフレーミングとフィルム編集によって、映画のなかだけで仮想的に実現しました。日活描く都市横浜は、現実の横浜ではなく、視覚的にパラフレーズされた「彼岸の横浜」「あらまほしき横浜」「そうであってほしい日本」だったのです。意図されたものではなく、なかば無意識に生じたサイド・キックなのかもしれませんが、これが「わたしが日活映画を見る理由」のひとつです。

またしても、一回に1シークェンスというのろまなことになってしまいました。つぎはいよいよ、木村威夫美術監督の腕が発揮されるナイトクラブへと向かいます。

by songsf4s | 2009-11-12 23:59 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』 その3 突堤と病院

一度に1シークェンスなどというペースでは、いつまでたっても終わらないので、今日はスピードアップしようという決意で望んでいます。

しかし、テンポが遅いのにはそれなりの理由があります。木村威夫美術監督のフィルモグラフィーを眺めていて、そうか『霧笛が俺を呼んでいる』がそうだったか、あれは横浜が舞台で楽しかった、という、それくらいの気分で、この映画を見返したのですが、いざ検討にとりかかったら、日活アクションの魅惑のエッセンスが詰まった作品のような気がしてきたのです。

もうひとつ、舞台になったのが横浜、それも海岸付近が中心なので、あれこれと記憶がよみがえってしまう、という個人的な事情もあります。この舞台の選択は「無国籍性」と密接に関連しています。

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なぜ「無国籍」だったのか? それは当時の日本がひどく野暮な国に感じられたからです。だから、「無国籍」ではなく、正確には「非日本」「アンチ日本」なのです。いまの言葉でいえば「クールな」世界をつくるために、日本的要素を排除していったのが「日活無国籍アクション」です。

『霧笛が俺を呼んでいる』は、いまの若者の目には「クール」には映らないでしょうが、なにがクールか、なにが「イン」か、なにが「ヒップ」かは、すぐれて時代のコンテクストに依存します。いま現在「クール」なことは、明日の「スクェア」であることがすでに保証されています。

日本がイヤでイヤでしかたなく、非日本的音楽の極北であるロックンロールに狂った少年の目には、日活だけが「クール」な映画スタジオでした。『霧笛が俺を呼んでいる』のシーンのひとつひとつ、セット・デコレーションの細部、小道具、台詞が、わたしの大嫌いだった昭和30年代の日本国の現実を逆光で照らし出すのです。

◆ 日活突堤 ◆◆
それではシーンに戻ります。バンド・ホテルで芦川いづみを見かけた翌日、赤木圭一郎は、かつて親友が住んでいたアパートにいき、管理人に話を聞きます。

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このアパートも明らかに戦前の建築。スクラッチ・タイルや全体のデザインからわかる。いまあればもちろん写真を撮るし、なかにも入りたい。屋上にもなにか見るべきものがあると思う。

ここはロケ地の同定ができませんが、山勘でいえば、新山下のどこかではないかと思います。もっと南の、本牧の可能性もあるかもしれませんが。この風景、とくに小さな鉄の橋に見覚えがあるという方がいらしたら、ぜひコメントにお書きになってください。周囲の風景は変わっても、橋は残っている可能性があるので、チャンスがあったら、写真を撮りに行きたいと思います。

この管理人の話で、親友の死を知り、その水死体が発見されたという突堤に、赤木圭一郎は花を捧げに出向きます。

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横浜港にはこういう突堤がいくらでもあるので、どれだとはいいかねます。ただし、映画を作る側としては、どの突堤でもいい、などというはずがなく、おそらく、日活映画に登場した横浜港の突堤は、ひとつだけでしょう。これも地元では有名だったでしょうから、ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示ください。

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突堤で話し合ったあと、芦川いづみは赤木圭一郎を墓地に案内する。ロケ地はおそらくバンド・ホテルの裏手、現在の「港の見える丘公園」付近だろう。

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どうも本物の墓地ではなく、空き地に墓石を並べたように見える。まったくの偶然だが、ブライアン・デ・パーマの『愛のメモリー』の墓を想起させる。

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二人を西村晃が尾行している。

◆ 日活御用達病院 ◆◆
芦川いづみに会い、親友の妹が足の手術のために横浜の病院に入院していることを知った赤木圭一郎は、果物かごをもって病院を訪れます。まだタイトルに「新人」と出ていた吉永小百合(デビュー作とはかぎらない。どういう決まりになっていたかは知らないが、「新人」表示は数作にわたってつづく)の美少女ぶりは印象的ですが、わたしは根が無粋なので、目はつねに背景へと向かいます。

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ここは一目でロケ地がわかります。『スター・トレック』の宇宙船エンタープライズそっくりの形をしたマーキーは、忘れようにも忘れられるものではありません。横浜中央病院というところです。グーグル・マップのリンクをおいておきます。

横浜中央病院航空写真

というように、足を運ばなくても、この写真を見れば、はっきりとあの特徴的なマーキーがわかるので、現存を確認できます。マーキーにかぎらず、全体にすぐれたデザインの病院で、現存はまことにもって慶賀に堪えません。今後も長いあいだ、道行く人の目を楽しませてもらいたいものです。

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病室の外景は、あの周囲の風景と矛盾しないように感じます。内部も現地でロケではないでしょうか。いや、病院が院内での撮影を許可するかどうかは微妙ですが。

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屋上もこの病院の屋上で撮影したのだろうと思います。チラッと近くに見える褐色のスクラッチ・タイルの建物が気になります。ひょっとしたら、同潤会山下町アパートではないでしょうか? かつての古建築行脚では、同潤会アパートをすべて撮影したかったのですが、横浜の同潤会アパートは、平沼町(小津安二郎『東京物語』に登場する。戦争未亡人の原節子が住んでいるという設定)、山下町、ともに取り壊し後で、残念な思いをしました。

横浜中央病院は、横浜港や山手や元町に近いという地の利と、派手なデザインのおかげで、日活アクションに何度か登場しています。いま、どの映画と思いだせないのですが、裕次郎がこの病院に入院しているというシーンがあったと思います。

そういっては病院に失礼かもしれませんが、「病院まで“日活ぶり”しているじゃないか」と感心してしまいます。いえ、正しくは、横浜の風土に由来する、と考えるべきでしょう。それが日活の持ち味にピッタリだったというだけです。

◆ 横浜バンド夕景 ◆◆
病院を出た赤木圭一郎は、二人の刑事に呼び止められます。西村晃はこのころ、悪役が多かったと思いますが、こういう役でもピタッとはまって、プロだなあ、と思います。

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右手に見える全面ガラス張りの階段室のデザインが秀抜。思わず見ほれてしまう。

子ども心に焼きついているのは、『越前竹人形』で西村晃が若尾文子を「襲う」シーンです。水戸黄門も若いころはひどいことをしたものですな! これで若尾文子は妊娠してしまい、記憶はおぼろながら、たしか、水子にするという話だったと思います。色気づいた小学生は、意味がわからないながらもストーリーを記憶し、あとで、なるほど、あれはああいう意味か、と納得しました。

この映画では湯浴みのシーンもあり、若尾文子の裸の背中にもドキドキしました。子どものときに見たきりで、45年ぐらいはたっているのに、そういうことはぜったいに忘れないようです!

それはさておき、二人の刑事は赤木圭一郎を埠頭に連れて行き、これまでの経緯を話します。赤木の親友は麻薬ルートの大物で、彼らはそのルートを追っていたというのです。それで赤木圭一郎も、芦川いづみに突堤に行くように電話したのは刑事たちだと覚ります。観客のほうは、霧の夜、バンド・ホテルの外で芦川いづみを見張っていたのも、この二人だということを知っています。

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グーグル・マップ・リンク
山下埠頭

上記地図の「7号物置場」のあたりがロケ現場だろうと思います。形から想像するに、これはあとから付け足された部分かもしれないので、じっさいにはもうすこしズレた位置である可能性もあると思いますが。

この「バンド」の風景からいろいろなことを思ったのですが、ひどく長い話になってしまったので、それは次回送りにします。

by songsf4s | 2009-11-10 23:59 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』その2 バンド・ホテル

『霧笛が俺を呼んでいる』は、いちおうミステリー仕立ての映画なのですが、その方面の興味は薄く、親友の消息という「謎」は映画のなかほどで「解決」されます。謎も謎というほどのものでもなければ、解決も解決というほどのものでもありません。純粋な謎解きものではないのです。

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この記事では、あるショットのコンテクストを説明するときに、「謎」の答えにふれる可能性が高く、そういうことをおおいに気にされる方は今回はパスされたほうがいいでしょう。つぎの段落ではそのことにふれます。

◆ ハリー・ライム物語 ◆◆
日活映画(にかぎらないだろうが)は、さまざまな外国映画をベースにしてプロットをつくっています。とりわけ「日活好み」だったのは、『望郷』『カサブランカ』『第三の男』ではないでしょうか。この三作はプロットやシーンの設定に何度も借用、引用されていると思います。

赤木圭一郎扮する航海士が消息不明の友人を探す、という『霧笛が俺を呼んでいる』の設定はすでに書きました。それだけでもう観客は、『第三の男』パターンか、と予測を立てます。そして、さまざまな状況がこの予測を裏づけ、わかってみるとやっぱり『第三の男』だった、という映画です。

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どこかで見たような……『第三の男』

したがって、ミステリー的興趣はほとんどありません。出だしの展開を重くしない潤滑剤として、「冒頭に興味深い謎を提示する」という探偵小説的アプローチを利用しているのです。

冒頭で謎が提示されるが、謎解きものではない、というのは日活アクションの典型的パターンです。謎解きの興味が最後まで持続したり、真犯人やその他の謎が解明されたときに、多少とも意外の感を味わうことはめったにありません。

以上、先に弁明しておき、あとは遠慮会釈なしに書くことにします。

◆ ロケかはたまた「ピックアップ」か ◆◆
舞台は、霧の埠頭、霧の裏町、紫煙の船員バー、と移動し、バーでの乱闘のあと、赤木圭一郎はホテルに部屋をとり、ロビーから階段で二階のレストランにあがります。

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ここで使われているバンド・ホテルは実在しました。この「バンド」は「上海バンド」などと同じもので、水辺の通りのことです(ふつうは海岸らしいが、上海の場合は前は海ではなく、揚子江だから、水辺とした)。

残念ながら、わたしはこのホテルに入ったことがありませんし、すでに取り壊されているので、内部の撮影がロケなのかセットなのかは判断できません。感触だけでいうなら、セットでしょう。

その理由のひとつは、レストラン内部を何回か横移動で捉えていることですが、しかし、回廊状になっているようなので、そこに移動車をおけば、ロケでも移動撮影ができるような気もします。たんに、なんとなく、全体の造りや汚れぐあいがセットに感じられるだけです。小規模なホテルの内部での撮影はやりにくいだろうとも推測します。ステディー・カムによる手持ち撮影などということはできなかった時代です(以前取り上げた、スタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』はステディー・カムを多用している)。

ただし、セットであっても、おそらくは「ピックアップ」と木村威夫が呼んでいた、現物の忠実なコピーでしょう。それなりに名を知られたホテルの実名を出したのだから、内部を大きく変更するわけにはいきません。それに、これがセットだとしたら、かなり規模が大きく、この映画にそれほどの予算があったかどうかはわかりません。

◆ 窓を開ければ…… ◆◆
藤浦洸は、このバンド・ホテルをイメージして、服部良一作の曲に「窓を開ければ、港が見える」という詞をつけました。淡谷のり子の「別れのブルース」です。

久生十蘭は昭和24年の長編『だいこん』のなかでこう書いています。

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十蘭の『だいこん』は、昭和20年8月15日から、同9月2日のミズーリ号艦上での降伏調印までにあった、軍部、政界のさまざまな動きを、鎌倉に住むリベラルな外交官の娘の目を通して描いたものです。

事実をゆるがせにする書き手ではないので、当初、司令部がバンド・ホテルにあり、その後、税関に移ったというのはほんとうなのでしょう。誤解されている方がいるといけないので急いで付け加えますが、このときダグラス・マッカーサーはまだ日本に着いていません。したがって、バンド・ホテルのすぐそばにあるホテル・ニューグランドに止宿してもいません。マッカーサーが厚木基地に降り立ったのは8月30日、降伏調印式の直前のことでした。

それよりも、久生十蘭という稀有の作家によって、終戦直後の「横浜バンド」のすがたが描写されていることに、何度読んでも興奮を禁じえません。山下公園一帯、とくにニューグランドにはかつてはよくいったし、書物によって、この一円が占領軍に接収されていたことも知っていましたが(山下公園にかまぼこ兵舎が並んでいる写真のなんとショッキングだったことか!)、作家がインティミットにその現実を描くのは、歴史書の「客観」を標榜した記述とはまったく次元が異なります。しかも、ただの作家ではありません。作家のなかの作家、日本文学史上のベストのひとりが書いておいてくれたのです。

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残念ながら、『だいこん』を収録した三一書房版全集は入手難、目下刊行中の全集新版は、まだ『だいこん』収録の第六巻の配本にいたっていません。青空文庫もチェックしましたが、久生十蘭の仕掛品リストによると、入力中、未公開です(よけいなお世話かもしれないが、青空文庫が底本にしている三一版全集は誤脱が多いし、社会思想社の文庫本はさらに質が悪い。入力後にもう一度、新版での交合、じゃなくて、校合が必要だろう。久生十蘭作品の校訂には十分なフランス語の知識が不可欠だが、三一版も社会思想社版も、フランス語のルビがまったく問題外だった。「寝椅子」のルビの「ディバン」ないしは「デイバン」あるいは「デイヴアン」か、どうであれ、これくらいのことはまちがえないで欲しい。フランス語など目に一丁字もないわたしですらdivanぐらいは知っている)。

しかし、まもなく新版全集か、青空文庫で読めるようになるので、枕を高くして果報は寝て待てばよろしいでしょう!

◆ 吹き抜けと回廊 ◆◆
毎度のことながら、話がサブルーティンに入り、さらにサブ・サブ・ルーティンに潜り込んで失礼しました。人間の思考構造の美点も欠点も、この連想機能にあるのだからしかたがない、と開き直っておきます。まあ、わたしの場合は明白に欠点でしょうが。それではメイン・ルーティンに復帰。

ホテル内部の構造は、あつらえたような「日活ぶり」です。日活アクションに登場するホテルの構造というのはいつも興味深いのですが、このバンド・ホテル内部の造りは、ほとんど祖型的といっていいでしょう。ほかの映画にこの造りがやがて木霊することになりますが、そのへんは、その映画にたどり着いたときのことにしましょう。

このような構造は当然キャメラワークに影響します。姫田真佐久撮影監督は、この場面の撮影を楽しんだのではないでしょうか。動かしようがないとフラストレーションを感じるでしょうが(小津安二郎は例外だが!)、これならいろいろな撮り方ができます。

そして、ここで赤木圭一郎は芦川いづみに出会います。どうやら、外でなにかイヤな出来事があってここに逃げ込んだ様子の芦川いづみは「窓を開ければ、港が見える」で、窓の外に目をやり、胡乱な人物に気づきます。

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窓の外はセットには思えないので、やはりロケなのでしょう。ということは、スクリーン・プロセスではめこんだ? 芦川いづみが外景にかからない位置に立つことで、スクリーン・プロセスであることをわかりにくくする処理をしているのではないでしょうか。いや、スクリーン・プロセスにしては外景が鮮明で、悩んでしまいますが。でも、この設定で内景と外景をいっしょにきれいに収めるのも、それはそれでむずかしいでしょう。

細かく、意識的にキャメラの動きと画面の感触を見てきて、姫田真佐久撮影監督の仕事ぶりは、やはり名人上手といわれただけのことはある、文句なしだと感嘆します。

◆ バンド・ホテル・スーヴェニア ◆◆
なんとも進みがのろくて困ったものですが、今日はついにバンド・ホテルだけでおしまいです。

目下、散歩ブログでやっている古建築写真特集で利用している写真を撮って歩いたころに、バンド・ホテルまで行ったことがあります。80年代のことです。しかし、見た目にも老朽化がひどくて、なんだか撮るに忍びず、そのままにしてしまいました。

「窓を開ければ港が見える」で有名になったのに、その後、高架に目の前をふさがれ、「窓を開ければ高速が見える」になり、「バンド」に建つホテルの味を失ってしまったのは、このホテルにとってはなんとも不運でした。

毎日新聞のバンド・ホテルの記事

グーグル・マップのリンクをおいておきます。この地図でドンキホーテになっている場所が、バンド・ホテルの跡地です。

バンド・ホテル跡地(ドンキホーテ)

次回は、新山下のアパート、突堤、病院、この三つぐらいはこなしたいと思っています。「新人」吉永小百合も登場することになるでしょう。

by songsf4s | 2009-11-08 23:59 | 映画
『霧笛が俺を呼んでいる』 その1

前回は「予告篇」をやったので、今日からは『霧笛が俺を呼んでいる』を見ていきます。

しかし、なにをどう見るのか、今回はまだ考えがまとまらないまま、ブログは待ったなし、書きながら考える、でやっていくことにします。思いつきでいうと、「わたしが日活アクションを見たくなる五つの理由」てな方針かもしれません。

◆ 目と耳に訴えかける「非日本」 ◆◆
すでに前回の「予告篇」で見てしまったのですが、改めてオープニングに戻ります。このとろっととろけるような甘みのある夜のクレーン・ショットだけで、わたしはもう「その気」になってしまいます。日活映画にしかない味がたっぷりしみこんだ濃厚な絵作りです。

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このピックアップ・トラックの車種にしても、色彩にしても、偶然のはずがない。日本のトラックではないだろうし、こういう色もそこらにあるものではない。木村威夫美術監督が指定したものに違いない。慎重に非日本的要素が選択され、画面作りに、映画全体のムード作りに寄与するように並べられている。

もちろん、音楽も不可欠です。コンボの4ビートの曲、ビッグバンドでの派手な入り方というのもないわけではありませんが、やはり「正調日活アクション」は歌、それも主役スターが歌うものでなければいけません。だからこそ、歌が得意とは思えない宍戸錠や二谷英明も主題歌をうたったのです。

日活アクションが「無国籍」と評された理由はさまざまあるでしょう。

・台詞が外国映画のように気取っている。
・日本ではありえないような事柄や事件が頻出する(殺し屋の登場やギャングの銃撃戦)。
・ロケ地の選択、セット・デザインが非日本的。
・そうした被写体を捉える手法もまた非日本的で、しばしば外国映画のようなムードが画面に漂う。
・画面に合わせてスコアも非日本的で、コンボによる4ビートの曲がよく使われる。

こんなところでしょうか。アクションものに関しては、こういうファクターについて検討すればいいのではないかと思います。

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◆ 世界一の「4ビート・スコア・スタジオ」 ◆◆
予定では違うことを書くつもりだったのですが、スコアのことを書いたら、自分で、そうだなあ、これは極端だ、と思いました。日活はひょっとしたら「世界でもっとも4ビートのスコアを多用したメイジャー・スタジオ」と定義していいのではないでしょうか。

同時期(1950年代終わりから1960年代なかば)を見渡して、日本ではこのように4ビートを多用した撮影所はほかにありません。これは当然で、どなたでもすぐに想像がつき、納得がいくでしょう。もっとすごいのは、ハリウッドにだってこんなスタジオはない、ということです。

意外だ、などという人は、あの時代のハリウッドのスコアをご存知ないのです。スタジオ所属のオーケストラは50年代後半に解体されるのですが、それまでの遺産がたっぷりあるので、「映画スコアとはすなわちオーケストラ音楽である」というパラダイムは、その後も厳として存在しつづけました(どこでそれが壊れたかは見方が分かれるだろうが、ひとつのきっかけは1969年の『イージー・ライダー』だった)。

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『オズの魔法使い』のスコアを録音中のMGMオーケストラ。

ハリウッド映画で、スコアに4ビートが使われるようになるのは50年代に入ってからのことです。ジャズ・プレイヤーがスコアでプレイするようになるのも同じ時期です。

しかも、どういう映画にジャズ・スコアが使われたかはすでに完璧に研究済みというほど、数は限られています。『巴里のアメリカ人』『欲望という名の電車』『黄金の腕』『成功の甘き香り』などです。後二者はミュージシャンの物語なので、厳密には「スコア」とはいえず、「現実音」に分類すべきかもしれません。それほどにハリウッド映画のスコアでは、4ビートは傍流、少数派でした。

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◆ 日活の特殊事情 ◆◆
日活はハリウッドのどのメイジャー・スタジオにくらべても、圧倒的にジャズ・スコアを多用したと断言できます。なぜそうなったかも、簡単に推測できます。

ヴェテランのエンジニアが話していましたが、ハリウッドの撮影所のサウンド・ステージは、90ピースのオーケストラがプレイすることを前提につくってあったそうです。90ピースといえば、フル・スケールというか、これ以上大きなオーケストラはめったにないぐらいの規模です。

それに対して、4ビートのスコアはどうか? ビッグ・バンドといったって、20人もいれば十分に「ビッグ」なサウンドになります。コンボでよければ、三人にはじまって、せいぜいセクステットかセプテットぐらいで十分です。もうおわかりでしょう。コストの問題です。

いや、もうすこし考慮するべきファクターがあるかもしれません。いわゆる「ジャズ・コン(ジャズ・コンサート)・ブーム」というものがあり、他の撮影所とは異なり、日活(の少なくともだれか)はそれを十分に計算に入れ、『嵐を呼ぶ男』という映画を作って爆発的にヒットさせた、という実績です。

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いろいろな要素が絡まり合って、日活は世界で有数の、いや、おそらく世界一の「4ビート・スコア・スタジオ」になったのでした。リアルタイムではわたしは小学生だったので、スコアがどうだという意識はありませんでした。本格的に日活を見はじめた高校時代には、がちがちのロックンローラーだったのですが、それでも、オーケストラ音楽よりは、4ビートのほうがずっといいと思っていました。

昔は非日本的なものを「バタ臭い」といいましたが、日活は極端に「バタ臭い」絵作りをしたのだから、スコアもそれに合わせる以外に方法はありません。そして、たまたま、当時の日本のジャズ・ミュージシャンのレベルは高く、「バタ臭い」画面づくりとみごとに呼応する、「バタ臭い」4ビートのスコアができあがったのです。

◆ ひどい煙 ◆◆
話が具体性を欠くと退屈するのですが、サントラ盤がなく、唯一のよりどころとなる赤木圭一郎作品の音楽を集めたCDももっていないため、サンプルを提示することもできず、長広舌になってしまいした。

ご覧になった方はご存知のように、山本直純による『霧笛が俺を呼んでいる』のスコアは、ほぼすべて4ビートです。それ以外の音楽というと、赤木圭一郎が歌うテーマ曲と、クラブ・シンガー役の芦川いづみが歌うシャンソンぐらいでしょう。

テーマ曲で「悲しい噂」と表現されている出来事は、この町、すなわち横浜に住んでいた親友の行方がわからなくなったことです。たまたま乗船の機関の故障から出港が延びたのを利用して、船乗りの赤木圭一郎はその友人を行方を捜そうとします。

まずは船員バーでの一暴れが最初の山場ですが、ここまでの視覚デザインは完璧に非日本的です。

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『日活アクションの華麗な世界』で渡辺武信がつとに指摘していますが、この映画はタイトル通り、つねに煙っていて、埠頭も霧、バーの外も霧、バーのなかも紫煙、じつにもって見ているだけで噎せそうなスモークだらけの映画で、撮影が終わったとき、俳優たちはみな薫製になったような気分だったでしょう。

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どうであれ、視覚と聴覚と言語の三面から、日活は「ここではないどこか」をつくりだし、後年のわたしよりもっと切実に、「ここではないどこか」を必要としていた昭和30年代の若年層に、確固たる夢の基盤を与えたのだと思います。

なんだかまるで前に進まず、恐縮してしまいますが、次回からは物語に沿ってデザイン感覚を見ていくことにします。


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by songsf4s | 2009-11-07 23:58 | 映画
『真白き富士の嶺』および『狂った果実』の補足+『霧笛が俺を呼んでいる』予告篇のみ

つぎの映画のためのクリップを探していて、たまたま日活映画『真白き富士の嶺』のシーンを見つけました。

tonieさんに執筆をお願いした「日本の雪の歌」特集の「真白き富士の嶺」のときに、こういうのを掘り出せたらよかったのですが、いずれにしても、あのころはYouTubeのクリップを貼り付けられませんでした。

映画の時代設定は「現代」で、この歌のもとになった明治の海難事故とは直接の関係はないようです。それでも、吉永小百合がちゃんとこの歌をうたっています。また、彼女が立つ岩場の風景にもご注意を。

真白き富士の嶺


ロケは逗子か葉山か、などと思っていたら、あれえ、これはどこかで見たような岩場だなあ、となってしまいました。『狂った果実』のロケ地巡りで取り上げた岩場です。いや、わたしは発見できなかったのですが。

◆ 『狂った果実』補足 ◆◆
検索してみたら、記事を書いたときにはなかった『狂った果実』のクリップがあったので、これも貼り付けておきます。偶然でしょうが、このクリップは武満徹=佐藤勝スコアのハイライトにもなっていて、やっぱり音楽的にもいい映画だなあ、と惚れ直しました。

日活映画『狂った果実』ハイライト


『狂った果実』予告篇


後年のアクションものの予告篇とはだいぶ雰囲気が異なっていて、なかなか楽しめます。予告篇では、じっさいのスコアではなく、適当な音楽の断片を使うのはよくあったようですが(予告篇製作の段階ではスコアができていないことが多かった)、このトレイラーでは最後にワーグナーが出てきちゃったのを、武満徹、佐藤勝のご両所はご存知だったのかどうか……。

ライヴ 狂った果実


そういってはなんですが、まだ痩せていた石原裕次郎のライヴというのは、まったく見た記憶がありません。テレビで歌っているのは、日活映画末期と同じような体型の時代で、こういうクリップを見ると、へえ、と思います。

アゲイン


矢作俊彦監督の日活版『ザッツ・エンターテインメント』といった趣の映画。わたしは映画館で見ました。断片でもいいから日活映画をスクリーンで見たいという気分だったのです。いつもサービス精神満点のジョーさんが、新たに撮影したシークェンスに出演していました。

◆ こちらも予告篇 ◆◆
今日から山崎徳次郎監督、赤木圭一郎、芦川いづみ、葉山良二主演の『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年)に入るつもりだったのですが、クリップ探しと、ロケ地の探索だけで終わってしまいました。記事を書く時間がとれなかったため、やむをえず、上記のごとく、目的地以外の脇道で拾ったクリップをご紹介した次第です。

本格的にこの映画を見るのは次回以降とし、今日は「予告篇」のつもりで、まず赤木圭一郎歌うテーマ曲をどうぞ。

赤木圭一郎『霧笛が俺を呼んでいる』テーマ曲


ふとした気の迷いから、学生時代に中古屋でこのシングル盤を買ったのですが、そのときには、なんだかずいぶんピッチが悪いように感じました。でも、いま聴くと、宍戸錠や二谷英明より、石原裕次郎に近いタイプで、雰囲気はあると感じます。レッスンを受ければ、ものになったのではないでしょうか。

おちょくるわけではないのですが、このストリング・アレンジメントは、小林旭の「銀座旋風児」に似ていて、思わずニヤニヤしてしまいます。あっちの歌で呼んでいるのは、霧笛ではなく、かーぜがー呼んでる、せんぷーうーじ、ですが。

というので、いま、当家の昔の記事を確認しました。「銀座旋風児」の編曲は、「霧笛が俺を呼んでいる」の作曲者である藤原秀行。アッハッハ。近ごろ、当てものをみなはずしていますが、久しぶりに正解!

日活アクションだからして、当然ながら、この曲はタイトルのときに流れるのですが、このキャメラワークがギンギラギンの野心満々なのです。スクリーン・ショットでそれをお伝えするのはむずかしいのですが、まあ、とにかくやってみましょう。

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ワン・ショットだということに途中で気づくんです。まあ、はじめからワン・ショットとわかるなんていうことは、ふつうはありませんが! 赤木圭一郎はなにをキューにして、タイミングよくあそこにあらわれたのか、なにか工夫したのでしょう。フレームの外での助監督の奮闘が想像されます。

こういうのは、気取りといってしまえばそれまでなのですが、このタイトルは日活アクションの魅惑の核心に近いところにあると感じます。そして、この冒頭のクレーン撮影だけでも、のちの「ムード・アクション」の予告篇になっていることも見て取れます。

以上、本日は「予告篇」のみ。次回から、またしても木村威夫美術監督のコメントを交えつつ、このいかにも日活らしい重箱の隅をせせってみるつもりです。


by songsf4s | 2009-11-06 23:58 | 映画