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川口松太郎と溝口健二の『雨月物語』補足と訂正 付:代表作抄
 
新藤兼人監督没だそうです。享年百、赤飯を炊く年齢の大往生で、めでたい、というべきでしょう。最近のお若い方は、大往生も、赤飯もご存知ないらしく、めでたい、というツイートはついに目にしませんでした。

当家では、以前、新藤兼人映画で面白いと思ったものは一本もない、と書きましたし、いまさら口を拭う気もありません。わたしにとってはきわめて相性の悪い映画監督のひとりで、もはや、見てみようという好奇心も起こりません。

ひとつだけ気になったことがあります。新藤兼人は脚本家としても傑出していた、という意見をいくつか見ました。それ自体についてはなにも考えはありません。なにかいうほどの数は見ていないのです。しいていうと、市川崑の『暁の追跡』のときに、新藤兼人の脚本がひどいと書いたほどで、とにかく苦手なのです。

いや、新藤兼人がすぐれた脚本家かどうかは知りません。しかし、その新藤兼人によるすぐれた脚本のなかに、鈴木清順監督の『けんかえれじい』を入れるのには、おおいなる抵抗、違和感があります。

当家では何度も鈴木清順映画をとりあげ、そのつど強調しました。鈴木清順は、脚本をまったく重視しない監督であり、彼の最初の仕事は、脚本をずたずたにして、自分らしい映画の土台へと変換することである、と。

鈴木清順映画ではプロットはあまり意味をもたず、重要なのは、なにを描くかではなく、どう描くか、です。ストーリーではなく、視覚的なディテールに重心の大半がかかっているのです。

以上は鈴木清順映画一般に通じる大原則。もう一点あります。なにで読んだのか忘れてしまったのですが(木村威夫の『映画美術』かもしれない)、そのような清順の手によって、いつものように、脚本などクソ食らえと大改変した『けんかえれじい』の試写を見て、新藤兼人が激怒した、という話が伝わっているのです。

脚本を書いたご当人が激怒するようなものを、その人の脚本の代表作に算入するのはどんなものでしょうか。映画の出来がよかったからといって、脚本がよかったと、まっすぐに逆算するのは賛成できません。

とりわけ、鈴木清順のように、台本なんか会社が寄越すもの、そんなもので映画は撮れない、自分の映画は自分のやり方で撮ると公言している監督をつかまえて、手放しで脚本をほめたりすると、監督も、脚本家も、双方ともに腹を立てるのではないでしょうか。

◆ 原作ならず ◆◆
てなことを枕に、今回は石原裕次郎の映画を、と思っていたのですが、なにしろ相手は三時間半の大作、ただ見るだけでもおおごと、サウンドトラックの切り出しだって、2GBのwavファイルを相手に悪戦苦闘して、今日は準備が整いませんでした。

ツイッターで最近フォローしてくださった方が、先日の溝口健二と川口松太郎の記事について、背景情報を寄せられたので、今日はそれをもとに訂正と補足をしておきます。

多くの溝口健二映画のシナリオを書いた依田義賢の『溝口健二の人と芸術』という本がありまして、わたしも若いころに読んだのですが、中身は忘れてしまいましたし、当家の溝口=川口シリーズの冒頭に書いたように、一昨年、蔵書をほとんどすべて整理したときに、映画関係の本も手放してしまいました。

で、その本によると、『雨月物語』は、映画の企画と小説が同時進行だったのだそうです。返信のツイートにも書きましたが、アーサー・C・クラークが、スタンリー・キューブリックと共同でシナリオを書き、映画とパラレルで小説を執筆した『2001年宇宙の旅』と同じパターンです。後年の露骨な商業主義ノヴェライゼーションとは、いくぶんかニュアンスが異なりますが、しかし、箱に入れるなら「原作」ではなく「ノヴェライゼーション」です。謹んで訂正させていただきます。

お浜が映画では生き延びたのは、会社からの注文があってのことだったと依田義賢は証言しているそうです。会社といったって、溝口健二の映画に注文をつけられるのは、永田雅一しかいなかったのではないでしょうか!

アーサー・C・クラークの小説とスタンリー・キューブリックの映画では、とりわけエンディングのニュアンスが大きく異なったように、『雨月物語』も映画と小説では結末が異なり、後味も大きく異なっていました。たんなる偶然かもしれませんし、そこに映画と小説の本質的な違いがあらわれるものなのかもしれません。

◆ 人情馬鹿列伝抄 ◆◆
溝口=川口シリーズを書いた直接の動機は、溝口健二の映画を見たからではなく、いまやほとんど売れないと古書店の番頭氏が保証した、川口松太郎の本を数冊まとめて読み返し、もったいないなあ、いいものがたくさんあるのに、と思ったからです。

○人情馬鹿物語
いろいろあったものの、結局、川口松太郎は『人情馬鹿物語』の作家、というところに落ち着いたように思います。若き日の作者自身と思われる「信吉」という作家志望の青年と、その師匠である講釈師の悟道軒円玉(実在)をめぐる人々の、古風な義理と人情のあやなす連作短編です。

なぜ作家志望の信吉=川口松太郎が講釈師の弟子になっていたかというと、円玉は躰が弱く、この物語ではもう講釈はやめて、速記本作者になっていたからです。そして、講談速記が発展したものが、時代小説であり、大衆小説のひながたなのだ、というのが、大衆文学の歴史では常識となっています(講談社の最初の社名は「大日本雄弁会講談社」といった。講談速記本からスタートした)。

たしか半村良が『雨やどり』のあとがきで、これは川口松太郎の『人情馬鹿物語』に範をとった連作短編であり、オマージュなのだという趣旨のことを書いていて、それでまだ学生だったころに『人情馬鹿物語』を古本屋であがないました。

一読、なるほど、と納得がいきました。いずれも、なんともいえず胸にしみる話柄ですし、古い東京のおもかげが行間に揺曳するところにおおいなる魅力があります。

半村良は、連作『雨やどり』と同じ登場人物による続篇に『新宿馬鹿物語』というタイトルをつけました。

○続・人情馬鹿物語
『人情馬鹿物語』は、のちに代表作といわれることになるわけで、評判も悪くなかったのでしょう。続篇が生まれています。

続篇も基本的には正篇と同じような雰囲気で、引き続き悟道軒円玉も登場しますが、すこし時代の下った話も入っていました。やはり、正篇ほどの密度、完成度とはいきませんが、しかし、正篇が気に入った読み手には十分に満足のいくものでした。

○非情物語
タイトルが示すように、『人情馬鹿物語』と同様の連作短編形式をとり、同様に、やるせなくなるような人の情けの物語が集められていますが、悟道軒円玉の時代ではなく、大東亜戦争後の時代を背景にしています。

息子の川口浩から聞いたものを書いたという「親不孝通り」という短編は、それこそ、川口浩とその夫人の野添ひとみの主演で映画化したらよろしかろうという話です。浩は、親父の小説は古い、と批判したそうですが、彼がこの話を書きなよと語った物語は、結局、川口松太郎的な、『人情馬鹿物語』的な結末を迎えます。

川口松太郎は身辺の人物を題材にした短編をたくさん書いているので、当然、幼なじみの溝口健二も何度か登場しています。『非情物語』収録の「祇王寺ざくら」には、溝口健二や依田義賢と遊びに行った祇王寺での出来事が描かれています。

また、大映専務としての執務の様子を描くくだりもあり、古い日本映画を愛する人間には興味深い付録になっています。

○しぐれ茶屋おりく
連作短編と長編の中間のような形式の、各章読み切りの短編をつないだ長編です。

明治の中頃(だったと思う)、吉原の妓楼の女主「おりく」が、妓楼を養女にゆずって、鐘ヶ淵のあたりの寂しい場所に料理茶屋を開き、努力によって店を繁盛させながら、時代の変転が気に入らず、店を閉じるまでの物語です。

おりくは、若いときに吉原の妓楼に買われながら、主人に気に入られ、結局、見世には出ないまま、主人の囲われものになります。その没後、女だてらに妓楼を経営しますが、養女が大きくなり、婿を迎えたので、なかば引退するようにして料理屋を開きます。妓楼を営んでいたころは身を慎んでいましたが、茶屋を開いてからは、もういいだろうと、これまでの人生の報酬として、おりくは男道楽を自分に許します。

したがって、話はおおむね、おりくが惚れた男たちの肖像という形になるのですが、しかし、これまた、人と人のつながりというのは摩訶不思議だなあ、というところに落ち着く、いかにも川口松太郎らしい話材ばかりです。

浅草生まれなので、川口松太郎は芸事をよく知っています。当然、落語や講釈にもくわしく、彼の語り口自体にそれが血となって流れていますが、『しぐれ茶屋おりく』では、もっと直接的に、芸人たちの肖像という形で表現されています。

とりわけ、おお、と思ったのは、おりくの若き日の回想に登場する三遊亭圓朝です。圓朝ですよ!

おりくの亭主は寄席が好きで、おりくもやがて芸に深い関心を抱くようになります。亭主から圓朝の『塩原多助一代記』がいかにすばらしいかをきかされたおりくは、晩年の圓朝がこの長い続き物を高座にのせたときに、毎晩通い詰めて圓朝の芸を堪能します。

この連作のなかで、圓朝が登場する短編は、プロットとしてすばらしいわけではないのですが、圓朝の姿がなんとも慕わしく、これほど噺家の高座姿を筆に乗せるのがうまい作家はほかにいないのではないかと感じます。

三遊亭圓朝は1900年没、川口松太郎は1899年誕生、どう考えても、川口松太郎は圓朝の高座を知るはずがありません。しかし、おそらくは悟道軒円玉あたりから、くわしく話をきいたのでしょう、じつに真に迫った圓朝の肖像が描かれています。なんせ、安藤鶴夫も一目をおいた作家ですからね。

○古都憂愁
これまた連作短編ですが、背景になったのは、いつもの東京下町ではなく、タイトルが示すとおり京都です。

川口松太郎は大映の専務だったので、撮影所のある京都にしばしば滞在したようで、『古都憂愁』は、いわば京の芸妓をあつかった『人情馬鹿物語』です。

当然ながら、こちらにも溝口健二は登場します。同じ浅草生まれでも、川口松太郎は東京と京都を行ったり来たりしていましたが、溝口健二は戦前から京都暮らしでした。そして、こちらに収録された溝口健二がらみの話は、溝口自身の映画『お遊さま』のロケをめぐる物語なので、溝口ファンは目をお通しになったほうがよかろうと思います。ううむ、そんな話があったのか、とちょっと感銘を受ける短編です。

いま思い出しましたが、半村良の『ながめせしまに』に収録された諸篇の一部は、『古都憂愁』に範をとったもののように感じます。


そろそろ時間切れ、なんの準備もなく、手元に該当の本のないまま(引越準備で大部分は段ボールに収めてしまった)、エイヤッと乱暴に書いてしまい、ちょっと恥ずかしいようにも思うのですが、このブログはもともと音楽をあつかっていたもので、それが映画を扱うのも逸脱、小説となるとさらに守備範囲からはずれるので、勢いのついた時でないと書きにくく、一気にやってしまいました。

上掲のほかに映画(成瀬巳喜男監督、長谷川一夫、山田五十鈴主演)や芝居にもなった『鶴八鶴次郎』は、おおかたの人の認める代表作ですし、中篇『風流深川唄』も、感銘の深いものでした。川口松太郎らしい話柄とはいいかねますが、代表作に数えられることもある『皇女和の宮』も、一気に読ませる長編です。

そのうち、映画と込みで『鶴八鶴次郎』を取り上げられるといいのですが、それより『蛇姫さま』でしょうかね!


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by songsf4s | 2012-06-01 23:54 | 書物
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 後篇
 
溝口健二監督『祇園囃子』(1953年、大映)と、その原作である川口松太郎の『祇園囃子』の関係は、『雨月物語』以上に微妙だと感じます。プロットはほぼアイデンティカルで、「忠実な映画化」といえるほどなのですが、しかし、後味は異なるものでした。

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祇園の芸妓・美代春(木暮実千代)のもとに、昔の客と朋輩だった名妓のあいだにできた娘、栄子(若尾文子)がやってきて、舞妓になりたいと頼みます。

美代春は妹分をもちたいのは山々ではあるものの、舞妓ひとりを一人前にするには大金が必要で、その投資を回収するには時間がかかり、途中でやめられでもしたら大損害になるため、慎重に栄子の意思をたしかめます。だれか確実な保証人をたてるのが手順ですが、栄子の没落した父(進藤英太郎)は、あれこれといって、ついに判を押しません。

溝口健二『祇園囃子』冒頭


美代春はそれでも栄子の境遇に同情し、また、自分も旦那を持たず、頼り身寄りがないので、栄子を妹分にして、舞妓に育てます。映画では、垢抜けない少女が、稽古に通い、身なりも変わり、だんだん美しくなっていく過程が描かれています。

美代春は「吉君〔よしきみ〕」という茶屋の女将から、栄子を一人前に育て、着飾らせるための費用を借りるのですが、この女将はその金を楠田(河津清三郎)という「車輌会社」(小説によれば鉄道車輌の製造会社らしい)の常務から借りたというので、美代春はあとで驚くことになります。茶屋に借りをつくるのはともかく、旦那でもない客から借りるのは本意ではなかったのです。

視覚的には、前半は若尾文子が美しく粧っていく過程がポイントですが、プロットのロジックとしては、芸妓、舞妓(あの方面にはまったく不案内でこの二者の区別はつかないのだが)というのは、花代だけでは生活が成り立たず、「後援者」を必要とする、むくつけにいえば、男に買ってもらわねばやっていけない、ということが描かれています。

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もうひとつ、若尾文子演じる栄子(のちに美代栄と名乗る)が「アプレ」だということも示唆されます。アプレとは「アプレゲール」の略、辞書には「(フランスapres-guerre)戦後、特に第二次大戦後に育った、昔からの考え方や習慣にとらわれない人たちをいう。戦後派。アプレ。⇔アバンゲール」とあります。

ただし、川口松太郎の原作では「アブレ」と書かれています。昔だから、こういう訛りというのはいかにもありそうで、誤植ではないだろうと思います。昔の年寄りはデパートを「デバート」、アパートを「アバート」などといったもので、それと同じようなものでしょう。

アプレの栄子は、花街のしきたり、前近代性に対して、何度か疑問を呈し、異議を唱えます。「そしたら、お座敷でお客はんが強引に口説きはったら、基本的人権を無視したことになりまっしゃろ」などというわけです。当然、これは後半への伏線です。

車輌会社の楠田は栄子が気に入り、旦那になりたいという意思を示します。いっぽう、楠田は運輸省(のように思われる)の役人を口説き落とし、重要な案件の認可をもらおうと画策しているところで、この役人は、美代春姐さんに一目惚れします。

京の舞妓は、その時期になると、東京に行って演舞場で「東おどり」を見ないと肩身が狭いのだそうで、楠田は栄子を東京に誘い、栄子は姐ちゃんも一緒ならというので、美代春もともに東京に行きます。

これは旅費滞在費、さらに二十四時間ぶっ通しの花代まで払うので、おおいに金のかかることのようで、楠田のほうはもう栄子の旦那になったつもりでいますが、栄子のほうは、まだ楠田を旦那と定める決心がついていません。

築地の旅館で、役人は美代春の酌でくつろぎ、さておもむろに口説こうというかまえになったとき、楠田は別室で栄子を抱きすくめ、無理に一儀に及ぼうとしますが、栄子は抵抗し、楠田の唇を思い切り噛んでしまいます。

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これが案外な大怪我で、大事な客をしくじりそうになった「吉君」の女将(浪花千栄子)は、非公式の「ふれ」を出して、他の茶屋にも美代春と栄子を呼ばないように圧力をかけます。

楠田の側は、自分の欲望はさておき、大事なのはここ一番の切所に来た商売のほうで、なにがなんでも役人を口説き落とさなければならないところに追いつめられているため、楠田の部下(菅井一郎)は、吉君の女将を通して美代春に、役人と枕を交わすように圧力をかけます。

吉君の女将の怒りが解けなければ、祇園町での芸者稼業は立ちゆかず、美代春は役人と寝て、女将の勘気をときます。しかし、美代春がなにをしたかを察した栄子は、座敷に出られるといわれても喜ばず、美代春を嘘つきとなじります。

みんな嘘つきばっかや、京都の名物も、世界の名物もみんな嘘や、お金で買われるのが上手な人間が出世して、下手なのがうちみたいにボイコットをされるのやないか、もう厭や、躰を売らないと舞妓できんのやったら、うちやめる、姐ちゃんも芸者やめて、と栄子は泣いて頼みます。

美代春は、この暮らしに狎れきった躰やさかい、いまさらどうしようもないけれど、あんたの躰だけはきれいに守ってやりたいとおもっているのえ、と諭します。そして、先夜、栄子の父が来て、二進も三進もいかずに金に困っているというので、栄子に黙って工面してあげたことを告げます。

「あたしは親も兄弟もないさびしい女やけど、人間の情けだけはもっているつもりや」と美代春はいい、「人間なんていくらお金や地位があっても、ひとりきりやったら、みんな心細うてさびしいもんや」と栄子を諭します。

二人は、お互いがいることに満足を感じ、同時に、ある諦念のもとに、稼業に戻っていくところで映画は終わります。

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原作もほぼ同様のプロットで、二人が蹉跌を乗り越えて稼業に戻るところで終わっているのですが、映画とは微妙にニュアンスが異なっています。

どちらかというと、小説のほうが、栄子をわが娘にしたいと願う美代春の心が、なめらかに飲み込めるように思います。こうしているわけにはいかない、あたしは働きに出る、でも、あんたは舞妓がいやなら、やめていい、という美代春の、栄子の一本気な気性とまだ男を知らない躰を守ってあげたいという心情が、無理からぬものに思えるのです。

映画でも小説でも、冒頭で、一人前の舞妓ができあがるまでにはたいへんな投資が必要であり、昔のように借金で舞妓の躰を縛ることのできない時代なのだから、たしかな身元引受人が必要だということが描出されています。

それなのに、最後にいたって、美代春は、栄子の父に金をやって娘と縁を切らせるだけでなく、それまでの投資すらもうどうでもよいと考え、ただ栄子を自分の娘にしたい、栄子の好きなようにさせたいと願うわけですが、そこのところが、そうだなあ、とすんなり思えるのは、原作のほうなのです。

すこし戻りますが、栄子が楠田に怪我をさせ、その結果として、美代春と栄子が祇園で商売できなくなる、というのは川口松太郎版も溝口健二版も同じです。

映画では、その解決策として、楠田が賄賂攻勢をかけている役人と美代春は枕を交わすことになります。こちらのほうが、原因と結果をわかりやすくつなげてある、といえるでしょう。楠田に被害を与えたのだから、楠田の利益になることをして、謝罪するわけです。

ひるがえって、小説では、楠田の一件それ自体より、むしろ吉君の女将の怒りが問題で、女将の要求している、べつの客に美代春は躰を売ることになります。

これはどうでしょうねえ。映画は観客にわかりやすい形にしたのに対し、小説のほうは、花街の構造を示す形にしてあるというあたりでしょうか。

そして、映画では、このときの花代と、栄子の父に工面してやるものは、直接にはつなげられていないのに対し、小説では、このときの五十万がそのまま栄子の父に渡されたように描かれています。それで、美代春は名実ともに栄子の「母」になるのです。

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小説より映画のほうが、エンディングの流れがスムーズですが、感銘を受けたのは小説のほうでした。以下、小説のエンディングあたりを省略しつつ書き抜きます。

「うちかて親も姉妹もないやろ。間違いだらけな女やけど、人間の情だけは持っているつもりや。情に縋って生きて行けたら、案外気楽にいけるのやないやろか」
「………?」
「もし栄子がほんまの子になってくれたら、五十万は安いもんや」
「うん」
(略)
 宇治の佐藤に躰を売って五十万の金を造った。そして二人は親子になった。同時に、栄子の髪は『割れしのぶ』から『福わけ』に変った。処女を失った証明の髪飾りだ。
「旦那を持って女になりました」
 と、吹聴する飾り方を、怪しまない習慣の世界が、大都会の真中に存在する。哀れな貧しい親子だけが、不合理な風習に反抗して、
「美代栄の水揚げの旦那はうちや」
 と、美代春は笑っている。
「襟替えの時の旦那もお母ちゃんや」
 と、栄子は笑ってつぶやいたが、笑い切れない淋しさを、肩の上に乗せながら、悲しい稼業を続けて行った。


作家は「笑い切れない淋しさ」と云っていますが、映画を見たあとでこちらを読むと、心が明るくなるように感じました。花街のしきたりに負けた格好ですが、それでも、小説のほうが、一矢を報いた感覚があります。

それは、美代春が栄子の躰を買ったという比喩にあらわれています。二人は、祇園のしきたりを逆手にとり、自分たちのやり方を偽装して、自分たちの気持と栄子の躰を守るのです。

そして、美代春自身は、金で躰を売ったというネガティヴな行為を、生きることを肯定するためのなにものかに変換し得たことが、小説では明快に描かれています。

『雨月物語』とは異なり、『祇園囃子』の脚本は依田義賢単独です。脚本家の考えというのも計算の外におくわけにはいきませんが、『祇園囃子』の映画と小説のニュアンスの相違は、やはり川口松太郎と溝口健二の資質の違いに由来するような気がします。

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現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
by songsf4s | 2012-05-31 23:46 | 映画
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 中篇
 
溝口健二の『雨月物語』の記憶を反芻するとき、どの場面を思い浮かべるかというと、なによりも湖水を渡る舟のシークェンス、そして、森雅之が家に帰り、妻の名を呼びつつぐるっとまわって戻ると、ちゃんと囲炉裏に火が入って、田中絹代が夫を迎える場面です。

先年の再見では、侍女たちが廊下に灯を点して、(溝口健二がデザインを嫌ったという)朽木屋敷がほんのりと明るくなる場面と、岩風呂のショットからキャメラが移動で地面を見せ、すっと湖面を見渡す草地にたどり着き、森雅之と京マチ子が戯れている、というシーンにも感銘を受けました。

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映画と小説はまったくべつのものだな、と改めて思いました。以上の四つの場面のうち三つは、小説ではとくにポイントでもなく、強調されてもいないのです。

朽木屋敷の廊下の場面は小説にはありませんし、湖水を見晴るかす草地の戯れもありません。当然でしょう。どちらもきわめて視覚的で、映画ならではの場面です。

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危険な陸路を避けて、舟で湖水を渡る場面も、その途中、海賊に襲われた犠牲者に出会って、船幽霊と勘違いする場面も原作にあります。しかし、これまた当然ながら、映画だけに可能な幽玄の美の表出であって、文字であのようなものを表現するのはきわめて困難です。

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故郷に帰りついた森雅之が、土間を通って家をぐるっと回って田中絹代を見つけるところも、小説にはありません。あれは宮川一夫がいうように、映画だからこその場面でした。

小説ではどうなっているか? 戦いの決着がつき、秀吉の軍勢が引き上げてしずかになった故郷に源十郎がたどりつく描写から入って──

 (略)丁度、日の暮れ合いで灰色の炊煙がうっすりとたゆたい、戦火を免れ得た幸福が四辺〔あたり〕を包んでいる。胸を躍らせて戸を引きあけると、ほの暗い土間の片隅に、宮木が釜を燃やしていた。
「無事だったか」
 土間へ駆け込みざまにいった。いいながら躰を抱いて炉端へ上った。宮木の面に血の気がなく、少しやつれて青く見える。


このとき、息子は眠っているのですが、源十郎もやがて旅の疲れで寝入ってしまいます。目が覚めると、息子が泣いていて、お母ちゃんはどうした、ときくと、死んじゃったと答えます。

視覚的な側面はさておき、話の持って行き方についても、小説はストレートすぎると感じます。映画では、翌朝、庄屋がやってきて、源十郎に、おまえの子どもをあずかっていたが、昨夜いなくなってしまい、驚いて探していた、ここにいたのか、と安堵し、そのときに源十郎に宮木の死を告げます。このほうが印象的な話の運びです。

このような、ワン・クッション入れる処理というのは考え出すのに時間がかかるものなので、雑誌掲載の締め切りに追われているときは、ストレートな持って行き方に流れやすいのだろうと想像します。依田義賢と川口松太郎による脚本は、原作の瑕を修正したものになっています。

映画は、源十郎、藤兵衛、お浜、そして宮木の亡霊が、焼き物に汗を流すところで終わっています。しかし、原作ではそのさらに先、後日談が語られています。

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源十郎は、若狭が褒めちぎったように、ほんとうに才能のある陶工だったようで、その道で名を成します。

(略)が、二人とも、もう二度目の妻は求めなかった。宮木を埋めた石の下の土を掘って素地を作り、薬をかけて窯で焼いた。鰥男がせっせと働き、美しい信楽焼を、無数に作って諸国にさばいた。宮木の性格に似てつつましやかな壺もあれば、阿浜に似て強く気丈な大皿も出来た。青薬を華やかに散りばめた平鉢が焼けると、市へは出さずに愛蔵し『若狭』という銘をうってその発色を楽しんだ。

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そして、源十郎は、後水尾天皇の即位にあたって、調度の一部を焼くことになります。これを届けに京に上る途次、大溝で泊まった源十郎は、平鉢『若狭』をもって、朽木屋敷の跡におもむきます。

三十年前をしのぶよすがは見あたらず、わずかに残っていた鞍馬石(「京都市鞍馬山に産する閃緑岩の石材名。通常鉄さび色をした自然石のまま庭石に用いられる」と辞書にある)の上に、『若狭』をおき、なみなみと酒をそそぎます。

「三十年の歳月が過ぎて私も老いた。どれほど老いても去らないのはおまえと過した十日の暮らしだ。みじめな私の生涯に一点の灯を点じた美しい花だ」

と若狭の霊に語りかけ、細く閉じていた目を開けると、平鉢にそそいだ酒はなくなっていて、源十郎は、飲みほしてくれたか、と喜びます。

これは、溝口健二版『雨月物語』とは正反対の結末といえるでしょう。映画のほうは、源十郎は宮木の墓を守って後半生を生きることになる、と印象づけて終わっています。源十郎にとってどちらの女性が重要だったか、という決定的なポイントで、小説と映画はまったく異なっているのです。

『雨月物語』をふくむ「和風ハロウィーン怪談特集」というシリーズを書いていて、『牡丹灯籠』と『雨月物語』は対照的だと感じました。どちらも、女としての歓びを知らぬままに死んだ若い娘の亡霊が、これは、と見込んだ男に取り憑く話ですが、片や『雨月物語』では、男は亡霊に取り殺される前に逃れ、片や『牡丹灯籠』では、使用人の裏切りのために、男は亡霊に取り殺されます。

しかし、その記事にも書きましたが、三遊亭圓朝の原作とは異なり、山本薩夫の映画『牡丹灯籠』では、萩原新三郎は、穏やかな、幸せそうな顔で死んでいるのです。

映画版『雨月物語』では、亡霊の若狭は疎まれ、源十郎は妻の宮木(こちらも亡霊になっているのだが)のもとに帰って幸せに暮らしたような印象を与えるエンディングになっています。

しかし小説版『雨月物語』のエンディングは、山本薩夫版『牡丹灯籠』(脚本は『雨月物語』と同じ依田義賢)のほうに近いニュアンスです。亡霊に取り憑かれることを、かならずしも否定的にはとらえていないのです。

同じシリーズの「小林正樹監督『怪談』より「耳無し芳一の話」その2」という記事で、亡霊に取り憑かれた経験というのは、一種の「愛の記憶」なのだということを、稲垣足穂の『懐かしの七月――別名「世は山本五郎左衛門と名乗る」』や『耳無し抱一の話』や山本薩夫版『牡丹灯籠』を例にして書きましたが、川口松太郎の『雨月物語』もまた、亡霊を肯定的にとらえるエンディングになっていたのです。

『人情馬鹿物語』なんていう小説を書いたせいで、「人情作家」などといわれるようになったため、川口松太郎は「人情」ということについて、何度か書いています。『雨月物語』は、川口松太郎という作家の深いところから出てきたものではなく、職業作家の「業務」として書かれたものでしょうが、最後に、「人の情け」を語る作家らしく、源十郎の若狭への慕情を噴出させたな、と感じます。そして、川口松太郎版『雨月物語』の最大の美点は、このエンディングにあります。

では、溝口健二はなぜこの結末をとらず、宮木のあたたかい愛情を強く印象づけるエンディングにしたのでしょうか。

作品の解釈に作者の私生活を持ち込むのは邪道ではありますが、わたしに思いつくのは、溝口健二の夫人が精神疾患で長い病院生活を送っていたことぐらいです。いや、げすの勘ぐりを許していただくなら、宮木を演じた田中絹代への愛、ということも関係があったのかもしれません。

どこの家庭とも同じように、いや、それ以上かもしれませんが、川口松太郎の家庭にもさまざまな波乱があったようですが、彼には愛妻があり、四人の子女に恵まれました。それに対して溝口健二は、波乱を起こす家族すらない生活でした(戦前、妻ではない同居女性に刺されるなんていうことはあったが!)。

いや、つまらない解釈で恐縮です。わたしに思いつくのは、二人の家庭生活の落差ぐらいしかなかっただけです。ものを作る人間としての、二人の資質の違いというのを見なければいけないのに!

タイトルにあげているにもかかわらず、いっかな『祇園囃子』にたどり着けませんが、次回はまちがいなく!


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現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
by songsf4s | 2012-05-25 23:46 | 映画
『雨月物語』と『祇園囃子』──川口松太郎による溝口健二映画の原作小説二種 前篇
 
以前にも書いたかもしれませんが、溝口健二と川口松太郎はともに浅草の生まれで小学校が一緒、戦後、永田雅一が大映の社長に就任したときに、二人は永田に呼ばれ、わたしを助けてくれと頼まれたのだと、川口松太郎は書いています。

川口松太郎は以後、大映の撮影所長や企画担当専務をつとめながら、作家活動をつづけます。大映勤務のかたわらに書いた『新吾十番勝負』は、大川橋蔵主演で映画化され、ヒット・シリーズとなりました。わたしがしじゅう大映と東映を見ていた時代のものなので、そのうち数本を公開時に見た記憶があります。はじめから、映画化を念頭に書かれたものなのでしょう。

先年、蔵書を売り払ったとき、まだこれからも読み返すからと残した作家が十数人いますが、そのなかに川口松太郎もあり、もっているものはすべて残しました。そのときに、古書店の人と話したのですが、いまどき、川口松太郎の本は売れないそうで、やはりな、でした。そうなると、売ってもゼロ円付近、そのくせ、あとで買い直そうと思ってもむずかしいので、売らずに残すことにしました。

案の定、引越からさして時間もたたないのに、もっていた数冊をすべて読みましたが、そのなかに角川書店の「現代国民文学全集」という叢書の『川口松太郎集』という巻がありました。

これは三段組で読みにくいので、未読のまま何十年ももっていたものです。近所の古書店で買ったもので、見返しに「50」と鉛筆で値段が書いてあります。文学全集のたぐいは、ほとんど「つぶし」(廃棄処分)にされるので、生き残ったものもこの程度の値段でした。まあ、「立て場」(古紙の取引場)で仕入れるため、安いので有名な本屋で買ったのですが。

あまり本を処分しすぎて、読むものがなくなってしまったため、結局、この三段組も読んでみました。いままでほうってあったので気づきませんでしたが、以前、映画を見ていて、ああ、そうだったのか、機会があったら読んでみようと思った、溝口健二の『雨月物語』と『祗園囃子』の原作が、両方ともこの巻には収録されていたのです。

ということで川口松太郎の原作と溝口健二の映画化を比較してみました。溝口健二の『雨月物語』については、当家では過去に記事として取り上げています。

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溝口健二の『雨月物語』は、上田秋成の『雨月物語』中、「蛇性の婬」と「浅茅が宿」の二篇にもとづいていますが、直接の「原作」は、これを換骨奪胎した川口松太郎の小説『雨月物語』である、ということは、前掲の記事に記しました。

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今回、川口版を読んで、やはり、秋成版は映画とは遠い関係であることを確認しました。いや、こうなると、上田秋成版オリジナル『雨月物語』も再読しなければいけないと思ったのですが。

しかし、むろん、小説と映画は、表現形式も異なれば、受容者に受け取ってもらおうと目指すものも異なっています。原作とその映画化なのだから、当然、似たようなプロットではあるのですが、それぞれの目指すところにしたがって、異同があるのが当然です。

以前の記事で、溝口版『雨月物語』の背景となっている戦は、織田勢と浅井方の戦いなのか、その後の羽柴秀吉対柴田勝家の戦いなのか、映画でははっきりしないと書きました。川口松太郎の原作には、小説だからふつうはそうなりますが、明快に書いてありました。

ここで描かれているのは、後者の秀吉対勝家の戦いで、藤兵衛(小沢栄太郎)がにわか武者になって駈けまわるのは、有名な賤ヶ岳の決戦なのだそうです。

映画を思い浮かべつつ原作を読んでいくと、映画化に必要な省略や追加、そしてささやかな変更ばかりで、途中までは、おおむね忠実に原作をなぞったのだな、と思いました。

川口松太郎の小説のほうは、淡々と源十郎(映画では森雅之)と宮木(田中絹代)、藤兵衛(小沢栄太郎)とお浜(水戸光子)の運命の転変を描いているのに対し、溝口健二の『雨月物語』は、彼のいう「絵巻物」、撮影監督の宮川一夫のいう「墨絵」として、奥の深い視覚的な美を生み出している、という重心の置き方の違いを感じるだけでした。

いや、川口松太郎の原作とは大きく異なり、溝口のものは、名作、秀作といわれるだけの風格のあるものになっており、その貢献の一半は宮川一夫のキャメラにあるでしょう。川口松太郎にはいい作品がたくさんありますが、『雨月物語』にかぎれば、水準作といったあたりで、代表作として指を折るわけにはいかない出来です。

以下は、未見、未読の方はお読みにならないほうがいいでしょう。

はじめて、ここは映画とは大きく異なる、と思ったのは、侍になった藤兵衛(小沢栄太郎)が、妓楼にあがって、遊女に身を落とした妻のお浜(水戸光子)に再会する場面です。

妓楼の外に出て、妻が夫をなじるのは原作、映画、ともに同じなのです。しかし、映画では、二人で故郷に帰る決心をするのに対し、原作では、お浜は「海津大崎の絶壁から身をおどらせて湖水に投じて」しまいます。

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ふうむ。なにゆえの変更でしょうかねえ。原作が、お浜を死なせてしまったのは、よくわかります。宮木、若狭(京マチ子)、そしてお浜という、女登場人物は、三人とも、戦争の犠牲になって死ぬ、としたかったのでしょう。とりわけ宮木とお浜は、ともに夫の野心と欲望の踏み台にされて死んでいくことになります。川口松太郎はそのことを書きたかったのでしょう。

では、溝口健二版では、なぜお浜を死なせなかったのか、それどころか、エンディングで、甲斐甲斐しく夫と兄を助けて幸せに生きるお浜の姿を描いたのか?

ひとつ考えられるのは、クライマクスのあとのシークェンスが、森雅之と小沢栄太郎の兄弟と男の子の三人だけというのは、あまりにもわびしくて、悲劇的な色合いが強くなってしまうことを懸念したのではないか、ということです。

川口松太郎版のエンディングは、悲劇的にならないように書かれていますが、その終わり方は映画版では採用されていないので、やわらかい終わり方をさせるために、妻たちのいっぽうを生き延びさせたのだろうと感じます。

では、川口松太郎版の結末はどうなっているか、その点も省略するつもりはないのですが、本日は時間切れ、次回、『祗園囃子』とともにそのあたりを見るつもりです。


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現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
現代国民文学全集〈第15巻〉川口松太郎集 (1957年)
by songsf4s | 2012-05-24 23:59 | 映画
溝口健二監督『武蔵野夫人』(東宝、1951年、音楽監督・早坂文雄) その2

大岡昇平の『武蔵野夫人』は大昔に読んだきりで、プロットを忘れてしまいました。有夫の婦人が夫ではない若い男と、進展しない恋愛を抱えて、「ハケ」だの「恋ヶ窪」だのといった名詞のあいだをうろうろする、ぐらいの記憶です。

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現実の土地を舞台に、その場所のディテールを書き込んでくれる小説のほうが好きですが、さらに好ましいのは、よく知っている土地をスケッチしたものです。『武蔵野夫人』を読んだときは、あのあたりを散策してみる余裕がなく、ただ電車で通りすぎていただけなので、「知っている土地」ではなく「未知の土地」でした。

若いころは都市徘徊を好み、山岳はおろか田園地帯を歩こうという気もありませんでした。悪人がよからぬたくらみをするこの世の陰の場所を愛する小僧っ子にとって(小学校のとき、もっとも魅惑を感じたのは黒澤明の『天国と地獄』で山崎勉が徘徊する界隈。矢作俊彦の短編「暗黒街のサンマ」の少年は、小学校のときのわたし自身に見えた)、『武蔵野夫人』が描く「恋ヶ窪」のあたりは、全部が表で、裏も陰もなく、あまりにもとっかかりがなさすぎました。

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しかし、ここが小説と映画の決定的なちがい、溝口健二が描いた武蔵野を見て、なるほど、印象派か、と納得しました。そのあたりに重心の三分の二ぐらいをかけて『武蔵野夫人』を見てみます。

◆ 手練手管 ◆◆
太平洋戦争の末期、空襲で家を焼かれた忠雄と道子の秋山夫妻(森雅之と田中絹代)は、道子の実家(たぶん小金井村のあたりにある)に避難してきます。

実家には道子の老いた両親(進藤英太郎と平井岐代子)が暮らしていて、母のほうはどこが悪いのか、永の患いで床についています。また、すぐ向かいの家には、道子の従兄弟の大野英治(山村聡)と妻の富子(轟夕起子)が一人娘とともに暮らしています。

実家につく早々、森雅之は、道子ときたら、うろたえるわたしを冷然と見下しているんですからね、とボヤき、田中絹代は、あなたはここへ来る途中、一度でもわたしに、大丈夫か、と声をかけてくれましたか、となじります。

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ほど経ずして母がみまかり、墓参のおりに、父は娘の夫婦仲を心配している容子を示します。「おまえは手練手管というものが苦手だから」と新藤英太郎がいうと、田中絹代が「いやですわ」という強い嫌悪を示したところで、わたしは驚きました。

夫婦のあいだで手練手管ってなんだ、とカマトトをやりそうになりましたが、つまり「閨房」のあれこれをいったわけです。おまえたちは閨でしっくりいっていないのだろう、と父にいわれたのだから、娘が会話を打ち切るのも無理はありません。

しかし、飾りを剥ぎ取って、あからさまにいうなら、つまるところ、この映画の主題はセックスです。ポイントは二つ。彼女が既婚者でありながら性的に未熟であること、そして、夫とうまくいっていないことです。この二点から必然的にプロットが導きだされます。

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この映画に田中絹代はミスキャストではないかと思いましたが、よく考えると、結婚しても花開かなかった女を演じられるスターはそれほど多くないかもしれません。いや、田中絹代に惚れていたという溝口健二は、彼女に合った話柄を選択したということでしょう。

◆ タブローとしての映画 ◆◆
終戦直前に父もみまかります。森雅之は大学でフランス文学を教えていて、戦後の出版ブームのおかげで「スタンダールの翻訳が売れて」順調にやっていますが、山村聡は軍需景気が終わり、家運が傾きます。

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終戦から二、三年ののち、南方の捕虜収容所から解放されて道子の若い従兄弟・宮地勉(片山明彦)が帰還します。

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勉は義母しかいない自宅には帰りたがらず、田中絹代に、ここにおいてくれと頼みます。森雅之は、きみの昔の仲間たちは五反田にアパートを借りて面白おかしくやっているようだよ、若い者は若い者だけで楽しくやればいいといいます。

片山明彦は、収容所にいるとき、武蔵野の夢を見た、といいます。森雅之や轟夕起子は、そんなものがまだあるか、あったとしてもどうというものではないと相手にしませんが、田中絹代は父の蔵書から武蔵野に関するものを選び出したり、遠出の散策に誘ったりします。

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溝口健二が「泰西名画」(子どものころ、なんて古くさい響きと字面の言葉だと思った)を好んだから、そのオマージュとしてこういう絵を撮ったのか、それとも逆に、印象派なんて日本の物真似じゃないかと見下していたのか、そのへんはわかりません。とにかく、西洋絵画、とくにゴッホを念頭に置いて、こうした絵作りをしたと仮定しても、的はずれではないだろうと思います。

そして、この映画のもっともいいところは、この視覚的な美とそれを彩る音楽です。武蔵野の風景だけは美しく、あとは醜いばかりなのです。

人間たちの思惑は、どの人物についても、わたしには好ましくありません。森雅之は色欲に目が眩み、山村聡は左前の事業を立て直すために田中絹代が相続した財産を当てにし、轟夕起子も片山明彦に気があるいっぽうで、言い寄る森雅之を操って遊んでいます。片山明彦はどっちつかずの不決断、イノセントに見える田中絹代も、みずから性的開花を拒んだ小児症、男にとってははなはだ迷惑、夫にとっては悪夢です。

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轟夕起子は大学まで森雅之に会いに行く。背後に見える建物はまごうかたなき内田祥三スタイル。東大本郷キャンパスのほとんどの建物が内田祥三設計だが、他の東大関係施設など、都内にはいくつもあった。この建物は本郷の工学部一号館のように見える。

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その夜、飲みながら、森雅之は轟夕起子をくどくが、軽くいなされてしまう。背後に見える風車型のネオンサインは新宿のムーラン・ルージュという設定か。国分寺か小金井に帰るのなら、新宿で飲むのは筋が通っている。

◆ 人物造形 ◆◆
クレジットには、「脚色 依田義賢」と並んで「潤色 福田恆存」とあります(Movie Walkerすなわちキネ旬のデータベースは「恒存」と字をまちがえている。こういう間違いが多すぎる。そのくせ、おおいに役に立った年度別検索を廃止した)。福田恆存は『武蔵野夫人』を舞台化したそうで、その改変も映画に取り込んだという意味で、クレジットされたのだろうと想像します。

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原作を忘れてしまったので、どこをどう改変したのかはわかりませんが、結果的にできた脚本も、人物の描出という面ではうまくいっているとは思えません。森雅之と山村聡は見た目の通り、ただの俗物で、とくに解釈は不要、そこはいいとします。

轟夕起子は、森雅之と火遊びするいっぽう、片山明彦が好きで、ちょっかいを出すのは、ヴァンプ型と了解できますが、森雅之の夫であり、片山明彦を姉のように愛している田中絹代にどういう顔をするかというところがうまくいっていないと感じます。

片山明彦も、年齢からいって当然ながら、自分をもてあまして、どう生きればいいのか決めかね、「アプレな」(この言葉も通じるのは私らの世代が最後か)生活と、田中絹代を思う気持とのあいだで、うろうろするのですが、心理をはかりかねることが多すぎ、少なくとも後年の人間の目には不可解で、明瞭な像を結びません。まあ、演技がよろしくないせいもあるのでしょうが。

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田中絹代にいたっては、なんなんだ、この女は、と腹が立ってきます。愛はなくても夫婦は夫婦と思うなら、片山明彦のことで夫の疑いを招くようなふるまいはすべきではないのに、そういう知恵は働かないようで、頭の悪い聖母マリアといった気味合いの、おおいにはた迷惑な女です。

セックスをあからさまに表現できないからかもしれませんが、いったいどういうつもりで従兄弟に接しているのか、最後までわかりませんでした。男は嫌いではないが、性的な接触には嫌悪感があるということなのか、リアリティーがまったくありません。複数の矛盾する観念に甲斐庄楠音が見繕った衣裳をとっかえひっかえ着せただけに見えます。

◆ シェイクスピア悲劇 ◆◆
今回もエンディングを書きます。たぶん小説とはいくぶん異なるので、本を読もうという方は気にしなくてもいいかもしれませんが、映画をご覧になるつもりの方はここまでとしてください。

森雅之が田舎に帰って留守のとき(じつは轟夕起子と逢っている)、村山貯水池のほうに散策に行った田中絹代と片山明彦は、突然の嵐に遭って、ホテルに泊まることになります。

サンプル 早坂文雄「大雷雨」

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その夜、片山明彦に迫られ、田中絹代は拒絶します。嵐を奇貨として女をものにしようという男もあまり利口ではないし、その気がないのに、さんざん恋人のように振る舞った女も知恵が足りません。

サンプル 早坂文雄「嵐の翌朝」

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その翌日なのか、山村聡が血相を変えて田中絹代のところにやってきます。森雅之と轟夕起子が示し合わせて出奔した、土地の権利書ももっていったにちがいない、というのです。

田中絹代は金庫を開け、山村聡のいうとおり、権利書がないことをたしかめます。父から受け継いだ土地を守ることに強い義務を感じていた田中絹代は狼狽し、土地の売却を防ぐ方法はないのかと山村聡に問いただします。山村聡は、もうどうにもならない、といいながら、冗談半分のように、きみが死ねば、遺言が執行されることになるがね、といいます。

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田中絹代は墓に詣で、どうしたらいいのでしょうか、と亡き父に問います。いっぽう、森雅之は不動産屋に土地売却の話を持ち込みますが、名義人である田中絹代の同意書だかなにかが必要で、この書類だけではどうにもならないと断られてしまいます。

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金を持って逃げるという当てが外れ、森雅之と轟夕起子はその夜、飲み歩きますが、最後のところで、彼女はするりと身をかわしてタクシーにひとりで乗ってしまい、森雅之はやむなく家に帰ります。

サンプル 早坂文雄「ブギ」

大声で怒鳴っても妻はあらわれず、しかたなく雨戸を外して森雅之は家に入ります。横たわる妻を起こそうと布団をはがすと、両足はしごきで結んであり、枕元には薬瓶がありました。

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たいした根拠はないのですが、このあたりに福田恆存の「潤色」があるのではないかと思います。福田恆存は舞台演出家であると同時に(あまりうまいとは思わないが)シェイクスピアの翻訳家でもあったわけで、この些細な誤解と不運が招いた悲劇は、いかにもシェイクスピア的だからです。

舞台の芝居というのは、象徴的、様式的なものだから、そういう潤色もいいのかもしれませんが、映画にすると、いかにも作り事めいて見えます。ここが『武蔵野夫人』のもっとも弱い鎖だと感じます。

死なねばならぬほど重大なことには思えないし、たとえ重大だとしても、ふつうの人間なら、もっとさまざまな手を尽くして夫の土地売却を防ぐ努力をし、すべてが無駄だったときに、はじめて死を決意をするでしょう。いきなり死んでしまうなどというのは、まともな人間のすることには思えません。

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森雅之を振り切ってタクシーに乗った轟夕起子は、片山明彦のアパートに泊まったのだが、朝食の最中に田中絹代から速達が届き、二人は彼女の死の決意を知る。

◆ 武蔵野の夢 ◆◆
田中絹代は翌日にいたって息を引き取るので、関係者全員が枕頭に集い、死が宣告されたあとでそれぞれの不誠実をなじり合います。

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山村聡は田中絹代の遺言状を出し、財産の三分の二は片山明彦にいくことを明かしますが、当の相続人は、腹立たしげに、ぼくはいりません、あなたたちで分けなさいといって出て行ってしまいます。片山明彦が歩くさまに、田中絹代が書き送った手紙の言葉が重ねられます。

サンプル 早坂文雄「エンディング 武蔵野の夢」

「でも、その武蔵野はあなたの夢であり、感傷にしかすぎないのです。工場や学校、それから、たくましい力で生まれ変わろうとしている東京の町、それがほんとうの武蔵野の姿なのよ。あなたはそういう新しい土台から生まれ直さなければならないわ」

この結論はやや意外の感がありましたが、終戦六年後では、こういうほうがふさわしかったのかもしれません。

キャメラは田園の道からそのはずれの西洋館の廃墟へとたどり、さらに丘陵の下に広がる都市を見せます。

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このショットには軽い衝撃を覚えました。この時代、このような田園と都会の明快な界面がどれほど一般的だったか知りませんが、やがて、このような風景はどこにでも見られるようになります。わたしはこういう土地で数年間暮らしたことがありますし、この数年よく歩いている横浜南部から鎌倉にかけての丘陵地帯のあちこちに見られます。

こうしたことを肯定的に見るか否定的に見るかはとりあえず措くとして、これはきわめて予見的な絵でしたし、『武蔵野夫人』と題した映画がこういうショットで終わるとは思っていなかったので、感銘を受けました。

小説同様、結局、いいんだか悪いんだかよくわからずに終わってしまいましたが、ということはつまり、いいとは思わなかったということです。

それでも、フィルムに定着された武蔵野の風景(それを現実のものというのはためらう。日活映画の横浜がわたしが知っている横浜とは異なるように、溝口健二の武蔵野も現実の武蔵野とは異なるにちがいない)と、早坂文雄の音楽は魅惑的で、できればもっとよい画質と音質であってくれたら(さらにいえばもっと大編成の錬度の高いオーケストラであってくれたら)、話の結構の出来不出来なんかそっちのけで、美しい映画だ、と感嘆したかもしれません。

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by songsf4s | 2010-11-03 23:59 | 映画・TV音楽
溝口健二監督『武蔵野夫人』(東宝、1951年、音楽監督・早坂文雄) その1

昔、国木田独歩の『武蔵野』というのは、渋谷を舞台にしているのだということをきき、驚きました。道玄坂を上りきったところは武蔵野台地の外れにあたり、昔は、あのへんはずいぶん寂しいところだったようです。

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わたしが十代のころだって、渋谷の町は道玄坂の途中までしかないようなもので、明治二十年代にはまさに「村」の風景だったのでしょう。江戸時代には、「江戸」の内と考えられていたのは青山まで、渋谷は江戸の外の村落だったのだから、独歩が武蔵野を題材にした小説の冒頭に渋谷の風景をおいたのも、昔ならべつに不思議ではなかったにちがいありません。

f0147840_23461723.jpgそもそも、「武蔵野」といっても広うござんす、なのです。北は川越、南は東京の山手線の内側まで入りこんでいます。上野の「お山」は武蔵野台地の外れと来るのだから、地形学的にはともかくとして、ひとつのイメージでとらえるのは無理というものです。

江戸は武蔵野台地の外れを切り崩して、その残土で海を埋め立ててできた町だから、太田道灌の時代には、そこらじゅうが「武蔵野」だったのでしょう。皇居のなかにはその時代の林が残っているそうですし、われわれも入れる皇居東御苑には、あとからつくったものでしょうが、武蔵野の名残のような雑木林があります。

半村良に『江戸打入り』という、徳川家の歴史でいうところの「神君江戸御打入」、すなわち家康の関東転封(秀吉に遠隔地へと追い払われた)を描いた秀作があります。この長編の最後のほうで、主人公が荒れ果てた江戸城の外に広がる砂浜に立つ場面があります。これが日比谷入江で、現在の日比谷公園のあたり。十六世紀末には江戸城のすぐ外でサーフィンができるほどだったのだから(だれもしなかったが)、徳川氏がどれほど派手に埋め立てたかわかろうというものです。

◆ 武蔵野は遠くなりにけり ◆◆
明治三十年代にすでに小説のテーマになるくらいだから、武蔵野に対する郷愁は江戸の昔からあったようです。斉藤鶴磯の『武蔵野話』(「むさしやわ」)はすでに文化年間(十九世紀初め)に書かれています。江戸後期の人間から見ても、武蔵野は「開発によって失われた」ものだったのでしょう。

東京の「下町」が失われ、気がついたら川を二本もわたったはるか彼方、東京というのはちと苦しい葛飾柴又が、いつのまにか「下町」になっていたのに似て、大岡昇平が『武蔵野夫人』を書いたときには、「武蔵野」といえば、新宿から中央線に乗って、何十分もかけないとたどり着けない場所になっていたようです。

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二十歳ごろ、バンドのために、そのころ住んでいた鎌倉から見ると、地の果てかと思うほど遠い国立や国分寺に通いました。「エラいこってすよ。こないだなんか、雨上がりの日に中央線に乗ったら、吉祥寺あたりから屋根に白いものが見えはじめてビックリ仰天。あっちは雪、それも派手に積もっていて、まるでトンネルの向こうは雪国だった、てやつです。居眠りしているあいだに新潟に行っちゃったのかと思いましたよ。山野浩一の『X列車で行こう』ですぜ、まったく」てなことを、嘘つき弥次郎よろしく大げさに話したら、ずっと年上の読書家が、これを読んでごらんなさいといってわたしてくれたのが、大岡昇平の『武蔵野夫人』でした。

わたしも本を目方で読むような子どもでしたが、ただし、純文学なんか中学生が読むものとてんから馬鹿にしていて、ミステリーやSFしか読まない小僧だったので、『武蔵野夫人』というのは、結局、なんの話なのか、さっぱりわからぬままに読了しました。

だいたい、ラヴ・ロマンスなんて、わたしにわかるのはジャック・フィニーのLove Lettersのような仕掛けのあるものがいいところです、ストレートに愛について書かれると、思いきり引いてしまいます。まして、昔の言葉でいう「よろめき」、不倫をあつかったものときては、キャッチャーとセンターぐらい守備範囲がちがいます。

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そもそも、国立駅(「くにたち」。以前、だれか日本の作曲家の英文バイオを読んでいたら、National University of Music卒業とあり、首をかしげた。芸大ならTokyo University of the Artsだ。長考一番、そうか、わかった、国立音大だ!)のあたりをウロウロしていては、武蔵野もへったくれあったものではなく、大岡昇平の描いた風景は、わたしが練習の行き帰りに電車から見る風景とはおよそかけ離れていました。

結局、この読書が残したものは、「ハケ」という言葉と、「恋ヶ窪」という地名だけでした。

◆ 早坂文雄のスコア1 ◆◆
もはや二十歳の小僧ではなく、あれから数十年、この世の光と影の両方を見たことでもあるし、小説ではなく、映画なら、ああいう世界にも関心が湧くかもしれないと思い、溝口健二の『武蔵野夫人』を見ました。

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結果は、うーん、です。登場人物たちの心理とふるまいは、依然としてわたしには共感できません。スタンダールの『ボヴァリー夫人』を元にしたものなのだそうですが、フランス文学という奴がまた、わたしにとっては父の従兄弟の姪の友だちの家の前に住んでいるおっさんが通勤に使う電車の車掌ぐらいに遠い縁戚関係で、まったく興味を持ったことがありません。わたしにとって外国文学とは、ダシール・ハメットの『マルタの鷹』であり、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』なのでして、フランス文学といえそうなのもの(いえないかもしれない)で好きなのは、アレクサンドル・デュマとジョルジュ・シムノンぐらいです。

しかし、そこはやっぱり映画、小説とちがって、光と影と音で表現されるのでありまして、圧倒的な絵があり、音があります。これだけで小説『武蔵野夫人』とはまったく異なった感興を映画に覚えました。手を触れると感染しそうな登場人物たちの色と欲の思惑は隔離して、目に見えるもの、耳に聞こえるものだけで捉えるなら、『武蔵野夫人』はそれほど悪くない映画です。

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いまからプロットを書いて、それにスクリーン・キャプチャーをはめこんで、という時間の余裕はないので、それは次回に先送りさせていただきます。今日は『武蔵野夫人』のサウンドトラックを切り出していたので、最後にサンプルをすこし上げておくことにします。映画から切り出したので、タイトルは当然、わたしが適宜つけたものです。

サンプル 早坂文雄「メイン・タイトル」
サンプル 早坂文雄「帰郷」

順番なので、まずオープニング・クレジットで流れる曲から。二曲目は、ヒロイン田中絹代の従兄弟である片山明彦が戦地から故郷に帰り、歩いて家に向かう途次で流れるものです。

『赤いハンカチ』以来、久しぶりに、音楽が鳴っているところはすべて切り出し、トラックごとに切り分けて、MP3に圧縮しました。全22曲、どれでも行ける状態なので、そのあたりは次回に。


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by songsf4s | 2010-11-02 23:07 | 映画・TV音楽
和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年) その4

(追記: サンプル「湖水」のリンクが空だったのを修正しました。どうも失礼いたしました。他の2トラックは思ったより多くのアクセスがあり、少々驚きました。)


『雨月物語』のスコアからどこかを切り出そうと思ったのですが、いやもう途方に暮れました。これほど絵と切り離すと意味を失ってしまう音というのは、これまでに取り上げた映画にはありませんでした。絵があってこそ意味をもつ音ばかりなのです。

だから、単独で聴いても意味を成さないことを知っていただくためだけに、サンプルをつくろうと、方向転換しました。『雨月物語』のフルスコア盤はないので、以下は映画から切り出したもので、タイトルはわたしが便宜的につけたものです。いずれも台詞がかぶっています。

サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「湖水」
サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「天国」
サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「囲炉裏」

「湖水」は「『雨月物語』その1」「『雨月物語』その2」でふれた一族五人が舟で湖水を渡るシーンです。水戸光子が艪をこぎながら歌う舟歌と大太鼓のステディー・ビート。歌がたくさん出てくるので、わざわざ吉井勇に作詞を依頼することになったのでしょう。

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「天国」は、前回の「『雨月物語』その3」でふれた、朽木屋敷で森雅之が目覚め、京マチ子と湯浴みをし、さらに湖を一望する屋敷の庭で戯れる場面です。西洋音楽と日本の音楽が交錯、混淆するところにご注意を。

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最後の「囲炉裏」は後述するクライマクスのものなので、未見の方はお聴きにならないほうがいいでしょう。幽霊の登場するところに「スティンガー」(するどい威しの音)がまったく使われていないことに特徴があります。

◆ 兜首 ◆◆
毎度同じようなことをいっていますが、今回はエンディングまで行くので、『雨月物語』を未見の方はお読みにならないほうがいいと、強く申し上げておきます。

小沢栄太郎は手負いの武者とその家来が戦場から離れるのを見つけ、つけていきます。敵に首を取られないように、家来が大将の首を刎ね、それをもって立ち去ろうとするところを、小沢栄太郎はうしろから突き殺します。

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大将の首を持ち帰り、自分の大将(なのだろう。例によって説明はない)に差し出したところ、「分不相応な落ち首を拾ったな」と笑われますが、それでも恩賞をとらすというので、鎧兜と馬と家来を望み、あたえられます。

その家来を連れて故郷に錦を飾ろうという途次、妓楼にあがることになります。ここで得々と大将の首を取ったときの自慢話をしていると、金を払わずに帰ろうとした嫖客を追って遊女があらわれます。女房の水戸光子だったのです。

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◆ 護符 ◆◆
森雅之は、朽木屋敷に行くときに通りかかった服屋で、京マチ子のために買い物をします。すこし金が足りなくなったので、そこの山陰の朽木屋敷まで届けてくれ、残りの代金はそのときに渡す、というと、主(上田吉二郎)はギョッとし、金はもういい、品物はやるから持って帰れと、けんもほろろに森雅之を追い出します。

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屋敷に帰ろうとすると、すれ違った僧に呼びとめられます。森雅之の顔に死相があらわれているというのです。僧侶は、妻と子があるなら、その者たちのもとに帰れと諭しますが、森雅之は肯わずに去ろうとするのを、僧はさらに引き留め、見殺しにもできない、といいます。

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京マチ子は、美しい着物を見て大喜びしますが、森雅之の浮かぬ表情に気づき、近寄って背中に触ろうとしたとたん、飛び退きます。市で出会った僧が森雅之の体に梵字の護符を書いておいたのです。

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その護符をぬぐってくれという京マチ子の嘆願を拒み、森雅之はそばにあった刀を抜いて狂ったように振りまわし、庭に出て気を失ってしまいます。

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朝目覚めると、人に取り囲まれていて、昨夜から握ったままだった刀を見とがめられます。それは先ごろ盗まれたご神刀で、盗人めとこづかれ、銭を奪われてしまいます。

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(衣裳を担当した甲斐庄楠音=かいのしょう・ただおとは、特異なスタイルの画家だった。三十年ほど前だっただろうか、「京都日本画展」という展覧会で楠音の絵を数点見て感銘を受けた。溝口のタダゴトではないテイストに、たしかにこの画家は合ったのかもしれない。ウェブ上にはいくつか甲斐庄楠音の絵があるので、ぜひ検索してご覧あれ)

◆ 幸福 ◆◆
さて、いよいよ未見の方はぜったいに読まないほうがいいくだりです。

夜分、森雅之は故郷に帰り着き、家に入りますが、なかは暗く、ひと気がありません。「宮木、宮木」と女房の名を呼びながら、土間を通って裏口から外に出て、ぐるっと回ってまた表口に立つと、さっきまで暗かった囲炉裏に火があり、その前に女房が坐っています。

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戸口から森雅之が入ってきて、土間を通って裏に抜け、また戸口に立って、女房の姿を認めるまでを、宮川一夫のキャメラはワン・ショットで捉えます。幽霊が登場するのだから、怖いシーンではあるのですが、どちらかというと、美しさに総毛立ちます。

『雨月物語』を見ていて、わたしは三度、ハッとしました。朽木屋敷の侍女(亡霊だが)たちが灯りをつけた瞬間、岩風呂からキャメラが横移動で地面をたどっていったら、突然、湖の畔に出た一瞬。そして、この囲炉裏に火が入って、田中絹代があらわれるときです。

そのいずれもが、強いショックではなく、音でいえば立ち上がりの遅い、アタックの弱い、短いフェイドインではじまり、長いサステインがあるような波形をしています。ギョッとするというより、すうーっと静かに驚きがフェイドインしてくるのです。

これは、『雨月物語』が「ゴースト・ストーリー」ではあるけれど、「ホラー」ではないことを示しています。脅して怖がらせることが目的ではないのです。音楽も、いわゆる「スティンガー」(ジャン、ドン、バンといったオノマトペで表せるような、瞬間的なフォルテシモの音。観客をstingして跳びあがらせることからそう呼ぶ)をいっさい使っていません。

宮川一夫は、無人の囲炉裏と、田中絹代が坐り、火の入った囲炉裏をワン・ショットに収めたことについて、映画だからできることだ、といっています。そのとおりですが、でも、そんな簡単なことじゃなくて、もっとなにかあるでしょう、といいたくなります。幽霊をどのように出現させるかについては、たいへんな煩悶があり、そのうえで生まれたショットだろうと想像します。

このように、静謐のなかで、しかし、見るものの心をざわめかせるように幽霊を登場させたことで、この映画は永遠の命を獲得したと思います。そのあたりは、他の映画との比較で、後日、もう一度ふれたいと思います。

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女房は森雅之にすがりつき、無事の帰着を歓びます。粗末な土産しか持って帰れなかった、と藁苞を見せ、欲にかられた自分はどうかしていた、間違いに気づいたと謝る亭主に、親子三人、静かに楽しく暮らせればそれでいいのだと慰め、酒を飲ませます。

酔って森雅之が子どもを抱いて横になると、夜着をかけてあげ、亭主が脱いだわらじの土を払って片づけ、繕い物をはじめます。

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朝になって名主が訪れ、子どもがいなくなったので昨夜から大騒ぎで探していたが、お前のところに戻っていたのか、やれやれ、無事でよかったと歓びます。森雅之が、名主に挨拶させようと、その場にいない女房を呼ぶので、名主は驚き、夢でも見ているのか、お前の女房は落ち武者に殺されてしまったといいます。

女房が遊女になっているのを見て、侍がイヤになった小沢栄太郎も村に戻り、森雅之親子といっしょに野良仕事や焼き物に精を出し、昔の暮らしが戻ります。森雅之が粘土をこねているところで、田中絹代の霊が声だけであらわれ、こうしてろくろを廻してあなたを手伝っているときがいちばん幸せです、といいます。

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◆ 野心と安寧 ◆◆
男たちのささやかな野心は悲惨な結果を招き、結局、女たちのもとに戻っていき、日々の静かな生活のなかにこそほんとうの幸福があることを知る、というこの話の「レッスン」については、意見はさまざまおありでしょう。この設定から正反対の結論を導きだす物語もつくれます。

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しかし、こういう映画を見たときは、そんなことはどちらでもいいと感じます。「ある時間を経験した」という濃密さ、重さだけが残るのです。われわれは見ることと、聴くことという、心のもっとも根幹に関わる作業に専念してしまうので、「理念」ごとき表層的なことを気にする余裕はなくなってしまうのです。その意味で、『雨月物語』は「究極的に究極の映画」といえるでしょう。絵と音だけなのです。

だから、たとえあなたが、「男は戦場にあってこそ真の姿を発現する」という信念を持っていても、『雨月物語』に賛嘆する妨げにはなりません。理念だの信念だのといった精神の低次の問題ではなく、「光と影と音による時間の経験」というもっとも高次にある映画だからです。

いや、こんな小理屈をこねても無意味ですし、読んだところでなんのことかおわかりにならないでしょう。ただ見ればいいだけの映画です。

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by songsf4s | 2010-10-25 23:57 | 映画
和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年) その3

◆ この師にしてこの弟子 ◆◆
『雨月物語』の音楽監督は早坂文雄、「音楽補佐」として斉藤一郎もクレジットされています。一部の曲を書いたという意味でしょう。また、もうひとり、早坂文雄の弟子の佐藤勝もこの映画ではおおいに働いたそうですが、そのことはひとまず措きます。

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伊藤喜朔は木村威夫の師匠で舞台美術の大家

映画がすごいのは初見のときからわかっていることで、今回の再見で感銘を受けたのは音楽です。しかし、困ったことに、いいところをハイライトにするというぐあいにはいかないのです。そこが『雨月物語』の早坂文雄スコアのすごさを端的に示しているといえそうです。

『雨月物語』のゆったりとした、しかし、淀むことのない流麗なリズムをつくっているのは、宮川一夫のキャメラ・ワークと編集ですが、そのリズムとピッタリ寄り添うように、静かに、やわらかく、なくなったときにはじめて、いままで流れていたことに気づくほど、音楽が自然に絵に溶けこんでいるのです。

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早坂文雄

こういうスコアはほかに記憶がありません。しいていうと、いやホントに遠い遠い縁者にすぎませんが、モーリス・ジャールが書いた『史上最大の作戦』のスコアが、やはり存在を強く感じさせないものでした。

『雨月物語』と『史上最大の作戦』との類似点はもうひとつあります。パーカッションが中心だということです。あちらはスネア・ドラムひとつによる、マーチング・ドラムの断片を随所に使っていますが、『雨月物語』は、ゆるいテンポの大太鼓のステディー・ビートや小鼓のアクセントが中心です。

大映の時代劇は京都・太秦の撮影所でつくられていました。溝口健二は当然、京都に住んで、太秦に通っていました。同じ浅草生まれ(わが家の菩提寺の近所で育ったという。観音様にも吉原にも近い)の竹馬の友にして、撮影所長の川口松太郎も京都にいて、二人で遊んだり働いたりした容子が川口松太郎の小説に描かれています。とくに嵯峨野でのロケを描いた短編は忘れがたいのですが、どの本に入っていたのだったか。『古都憂愁』?

いや、音楽の話です。早坂文雄は東京に住んでいて、病弱で、とても京都と往復を繰り返すなどということはできませんでした。撮影の進捗に合わせて、細かく溝口健二と打ち合わせをするのは無理だったのです。

チーフ助監督の田中徳三によると、ここで佐藤勝の登場となります。京都の「オヤジ」と東京の師匠が動けないので、片や田中徳三、片や佐藤勝という二人の弟子に加えて、録音エンジニアの大谷巌の三人が集まり、音楽をどうするかというロードマップをつくっていったのだそうです。

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早坂文雄(左)と佐藤勝

ということで、早坂文雄か佐藤勝か(はたまた補佐した斉藤一郎か)、ピンポイントの狙いはつけられなくなりましたが、この師弟はすごいなあ、と今回も呆れました。さらに、「非公式の弟子」である武満徹もいるわけで、いやはやです。

どこか一カ所を取り出して、ここがすばらしい、などといえるようなタイプではなく、全体のムードとして「いい音楽だ」と感じるスコアなので、まだ考えがまとまらず、サンプルは棚上げにします。次回に。

◆ 地獄と天国はリヴァーシブル ◆◆
撮影初日は朽木屋敷の場面で、前回、スクリーン・ショットを掲げておいた、ひと気のない屋敷に、どこからともなく侍女たちがあらわれ、灯りをつけていくところだったようです。

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ここは美しいと同時にちょっと怖い場面で、ほう、と思うのですが、溝口健二は、不機嫌に黙り込んでいたそうです。田中徳三助監督に「きみぃ、これが朽木屋敷にみえるかね?」といったという話で、セット・デザインが気に入らなかったようです。

どうしろと指示はしない人だから、どのようなイメージを描いていたかはわかりません。デザイン的にはよくできているので、物語のなかでの位置づけの問題でしょう。

たとえば、ディズニーの『眠れる森の美女』の枯れ木の森が、エンディングで、さあーっと緑の森に変化するようなことが、あの時代に実写で実現できたなら、そういう処理もひとつの考えではないかと思います。あばら屋が人(いや霊なのだが)の出現とともに息を吹き返していくのです。侍女たちが灯りをつけるのは、そういう効果を小規模に実現したものなのだと思います。

わがままで口うるさい監督は気に入らなかったのかもしれませんが、朽木屋敷のシーンはすばらしい出来だと感じます。このシークェンスの出来が悪かったら、『雨月物語』は意味を失ってしまうでしょう。

溝口健二は、映画は絵巻物なのだといったそうで、その考えがもっともストレートにあらわれたのが『雨月物語』です。宮川一夫は、ある場面からある場面への移動を、クレーンの動かし方で絵巻物をすべらせるように表現しています。

森雅之が目覚めると、侍女が、二人で湯浴みをなさいとお節介を焼きます。キャメラは右から左のクレーンの横移動で庭の立木をたどって露天の岩風呂を見せます。

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つなぎのクレーンによる移動撮影が挿まれる。

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「わたしのことを魔性の者とお疑いでしょう」

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「たとえあなたさまが、物の怪、魔性の者でもかまわない、もうあなたさまを離しませぬ」

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京マチ子が帯をとき、動く影と水音で彼女も湯船に入ったことを暗示すると、またキャメラは右から左に移動し、岩や地面を見せ、すっと水辺の草地が出現します。

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よくまあ、こんな絵がつくれたものだと思います。これほど陶然とするような風景は、映画のなかでもそうしょっちゅうはお目にかかれないでしょう。

いったいどこでロケをしたのやら、早朝だったのかもしれませんが、広々とした水面に舟一艘見えず、手前の草地(これはもちろんつくったにちがいないが)ときれいに照応しています。この男と女が天国にいることは、台詞や動きがなくとも、この風景だけで即座に了解されるわけで、映画だけに可能な表現です。

◆ 食い物はないか ◆◆
大溝に行った三人は、運命の糸かなにか得体の知れないものに引っ張られて、それぞれの地獄に落ちこみましたが、子どもとともに北近江に残った田中絹代も平穏無事ではすみません。

夫が魔性の女を抱いて「天国だ」といったつぎのショットでは、女房は子どもを抱いて、野武士かなにかの荒っぽい連中に襲われた村のなかを逃げまどっています。

田中絹代は、親切な老女に握り飯をもらい、村の外に逃げようとしますが、運悪く雑兵に見つかってしまい、食べ物を奪われます。そこに敵方の侍があらわれ、混乱のなかで田中絹代は子を負ぶったまま槍で突かれてしまいます。

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二度出てくる戦の側杖のようなシーンでは、雑兵たちはつねに食べ物を探しています。日中戦争のときの日本陸軍もそうだったといいますが、戦国時代も食料の現地調達はごくふつうのことだったようです。

極論でしょうが、わたしは、戦国時代というのは天候不順による食糧難の時代の、食料ぶんどり合戦だったと理解しています。秋になると戦が始まることが多いのです。田んぼを挟んで、城方と攻め手が対峙すると、攻め手の側から少人数の部隊が出て行って、敵の目前で稲刈りをする、などということがよく書かれています。

はじめのうちは、なるほど、そういう挑発は有効だろうな、と読み過ごしていましたが、考えてみると、稲刈りができる季節はかぎられています。狙ってその時期に行かなければ、稲刈りで挑発するなどということはできません。それなら、考え方を逆にするべきではないでしょうか。米が戦の目的だと考えれば、話は明快です。

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そして、そういう前提ならば、『雨月物語』の雑兵たちが、食い物はないかと、一軒一軒しらみつぶしに見ていくのも、田中絹代がたかが握り飯を奪われまいと、雑兵に抵抗するのも、すっきりと納得がいきます。握り飯には命をかける価値があったのです。「切り取り強盗は武士のならい」とは、つまり、食い物のことでしょう。

『雨月物語』はさらにつづきます。


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by songsf4s | 2010-10-24 19:46 | 映画
和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年) その2

いつもは「切れ場」を考えて話を割っているのですが、昨夜は肝心のときにいろいろ支障があって、あわてて終えたので、話が途中になってしまいました。いや、昨夜切ったところで、つぎの段落でなにを書こうとしていたのか失念してしまったのですが!

舟で兄と酒を酌み交わしながら、小沢栄太郎が「明日の朝には大溝に着く。あそこは名だたる勇将丹羽五郎左衛門さまのご城下だ、長浜よりももっと繁盛だぞ」といいます。

丹羽五郎左衛門、すなわち丹羽長秀が大溝城主だったのは、本能寺の変よりあとの天正十一(1583)年のことだそうで、これで映画『雨月物語』の時代設定がわかります。

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確信はないが、どうやら中央の赤い点のあたりに大溝城はあったらしい。

ちょいと手を焼かされましたが、「説明ではなく描写を」がフィクションの要諦です。「天正十一年――」と文字を出すのは「説明」です。そうではなく、物語のナラティヴ、描写のなかに自然に事実関係を織り込むべきなのです。

◆ 幽明、境を分かつ ◆◆
『雨月物語』は、90パーセントはクレーンで撮ったと宮川一夫はいっています。溝口健二がクレーンを好んだのだそうですが、見るほうは、宮川一夫のスタイルのように感じます。

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宮川一夫

ファースト・ショットも、当然のように華麗なクレーン・ワークで、うわあ、といったぐらいの時間では足りず、うわあ、うわあ、うわあ、ぐらいは繰り返して感心します。『山椒大夫』でもやった、斜め下への移動撮影です。

湖水のクレーン撮影は、開巻のような華麗なダイナミズムはなく、つねに静かに移動し、縹渺たる幽玄さを表現するのに寄与しています。キャメラをパーンやティルトさせる「強い」動きを嫌って、やわらかい、静かな動きをつくるためにクレーンを使っているのではないでしょうか。

そろそろ、未見の方には邪魔になるかもしれないことを書きはじめると、ご注意申し上げておきます。エンディングを書くかどうかはまだ決めていませんが、たいていのことは知らずにいたほうが映画を楽しめるものです。

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ゆっくりと霧の向こうから舟があらわれる。

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チーフ助監督の田中徳三、セカンドの池広一夫(クレジットなし)というのちの大映時代劇を支えた監督たち(ともに『座頭市』や『眠狂四郎』などを撮っている)が二月の極寒のなか、水に入って舟を押した。宮川一夫がファインダーをのぞきながら、スモークのかかりぐあいを見て、左が薄いとか、いろいろ注文をつけるが、相手は煙だから、思うようにはいかず、撮影には時間がかかったという。

わたしは、この湖水の場面から、もう幻想の世界に入ったと感じます。霧の向こうからゆっくりと舟が漂いあらわれるのは、この世からあの世に抜けたことをあらわしているように見えるのです。

そして、彼らの行く手の霧のなかから、べつの舟が漂いあらわれます。近づいてみると、さんばら髪の人が伏していて、田中絹代は「あっ、船幽霊!」と声を上げます。

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船幽霊とは「海上で遭難した人の亡霊が幽霊船に乗って,漁師などこの世の人に働きかけるという霊異現象」(世界大百科)だそうです。また、〈マリー・セレスト〉号のような「幽霊船」、つまり船自体を「船幽霊」と呼ぶこともあるようです。

そして、「船幽霊には、闇夜でもよく見える、避けようとすると害を受ける、ひしゃくを貸せというなどの共通点がある。(中略)船幽霊をさける方法やこれの見分け方も伝えられている。とくに、ひしゃくを貸してくれといわれたときには、底を抜いてから与えないと船に水を入れられて沈没する」のだそうです。

漂ってきた舟に伏していた男は、幽霊といわれると、ちがう、幽霊ではない、海賊に襲われた、といい(幽霊ではないというのは自己申告にすぎないからなあ、とツッコミを入れそうになる)、水をくれ、と所望します。

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「ひしゃくを貸してくれ」(たぶん、船底の水をかい出すのに必要だという意味だろう)といったわけではないのですが、森雅之たちはなんの用心もせずに水をあたえます。依田義賢が船幽霊の伝説を調べたかどうかはわかりませんが、調べないというほうに賭けるのは危険なので、知っていたと仮定すると、この不用心はすでにここが異界であることの念押しかもしれません。

◆ 殷賑きわめる巷の地獄巡り ◆◆
行く手は危険だ、気をつけろ、という死にかけた船頭の忠告を受けて、森雅之はいったん舟を戻し、妻と子を置いていくことにします。

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彼らの舟は再び霧のなかに入っていき、幽霊のようにわれわれの視界から消える。もう一度霧に戻っていくのにはなにかの意味があるはずだと直感が告げているが、いまだ明快に腑分けできない。

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水戸光子は漕ぎ手でもあり、また侍になりたいという亭主のことが気がかりでもあるのでしょう、男たちといっしょに大溝に行くことになります。

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大溝の市の大オープン・セットをクレーン・ショットで見せる。

大溝の市では、森雅之たち三人の商売は繁盛し、たちまちいくばくかの金を手にします。熱心に商売に励んでいた小沢栄太郎は、家来をしたがえた騎馬武者が通るのを見て、我慢できずに金をつかんでその場を去ります。

水戸光子はビックリして亭主を止めようとし、義兄にも助けを頼みますが、ちょっとその場を離れただけで、品物に人がたかっているのが見え、森雅之はあきらめてしまいます。

小沢栄太郎は、女房をまいてから、市の具足屋に行き、鎧と槍を買います。

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いっぽう、水戸光子は亭主を捜しているうちにひと気のない河原に出てしまい、雑兵たちに取り囲まれ、近くの寺のお堂に担ぎ込まれてしまいます。

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わたしが考えるように、湖水に滑り出したところで異界に入ったかどうかとはかかわりなく、彼らはそれぞれに地獄巡りをはじめました。

◆ 異界の女と契れば ◆◆
それより以前、おおいに皿や器を売りまくっているときに、貴婦人と供の中老の婦人が森雅之に声をかけ、いくつか品物を買い、そこの向こうの朽木屋敷まで届けてくれといいます。

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夕方になって売れ残った品物を片づけると、森雅之は買い上げられた品物をもって屋敷に向かいます。途中、美々しく着物を飾った店に立ち寄り、女房にきれいな服を着せる様を空想するリリカルなシーンが挿入されます。

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その幸せな幻想を破るように、ふと気づくと、店の外にさきほどの貴婦人・若狭(京マチ子)と侍女(毛利菊枝)があらわれ、案内がなければわからないだろうと、森雅之を屋敷に連れて行きます。

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玄関の式台に上がらず、品物を置いて平伏し、帰ろうとする森雅之を、京マチ子がとどめ、引きずるようにして座敷に通します。

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京マチ子は、あなたは北近江の源十郎だろう、あのような美しいものをつくる人に会いたかったといい、酒肴でもてなします。

あなたはもっとその才を伸ばさなければいけません、といわれて、森雅之は、それにはどうすればいいのですか、と問います。すると、侍女が「若狭様とお契りなされまし」といいます。

われわれ観客同様、森雅之も、論理の飛躍にビックリし、同時に、あまりにも身分がかけ離れていて、とうていそのようなことはできない、という恐懼の表情を浮かべます。

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しかし、わたしの考えでは、湖水に浮かんだときから、すでに異界に入っているのであり、まして、その異界のなかでもこの朽木屋敷はさらに妖しいのだから、ふつうの世界の論理は通用しません。

森雅之も、正気なら、こんな飛躍はおかしいと思い(じっさい、思うだけは思っていることが、あとで間接的に表現される)、逃げ出すでしょうが、異界では現世とは異なる論理が支配しているので、この妖しい姫君と契りを結んでしまいます。

かくして、三人が三様に地獄へと落ちこんで、物語は後半へと向かいます。


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by songsf4s | 2010-10-23 23:58 | 映画
和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年)その1

タイトルを書いた瞬間に、あ、順番がちがった、とほぞを噛みました。真打ちを先に出してしまったのです。でも、ハロウィーンまでにどれだけ書けるかわからないし、ほかの映画はまだ準備ができていないので、これは荷が勝ちすぎるなあ、と思いつつ、ずるずると入ることにします。

◆ ヴィンティジ・イヤー ◆◆
溝口健二、小津安二郎、黒澤明の三人の映画はじつに書きにくく、当家のこれまでのスコアは、溝口=ゼロ、小津=1(『長屋紳士録』。ほかに、「日活ギャングと小津安二郎」という裏口から入った変なものがある)、黒澤=1(『椿三十郎』)のみです。

鈴木清順と成瀬巳喜男を合わせると、十本ほどは取り上げたはずで、それにくらべて三巨匠をいかに敬して遠ざけてきたかがおわかりでしょう。好みでいえば、小津安二郎がもっとも性に合います。あのエース・ドラマーのビートを聴いているような、小津の精密なタイムが好きなのです。いや、そういうことは『長屋紳士録』のときに事細かに書きました。

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溝口健二や黒澤明になると、そもそも見た本数ががたんと落ちます。小津安二郎、鈴木清順、成瀬巳喜男はシネマテークでドンとまとめて見たことがあるのに対し、溝口と黒澤はそういう経験がないのだから、当然です。いや、嫌いだというのではありません。映画館で見たことがあまりないだけであって、見れば、毎度、すごいものだなあ、と感心します。

『雨月物語』は溝口健二の代表作なので、わたしのように「角が暗い」溝口健二不束者でも、当然、大昔に見ました。ひっくり返りました。小津安二郎ひとりでも、日本映画黄金時代を背負えそうなのに、もうひとり、小津並みの人がいたのだから、いやまったく驚きました。

そして、小津安二郎の『東京物語』と溝口健二の『雨月物語』は、ともに昭和28(1953)年に製作されたのだから、二度驚きます。もうひとついえば、溝口はこの年にもう一本、秀作『祇園囃子』を撮っているのだから、言葉を失います。

ついでにいうと、同じ年、成瀬巳喜男は『あにいもうと』を撮っています。四半世紀前に見たきりですが、いい映画だったという記憶があります。黒澤明は、惜しいかな、『生きる』と『七人の侍』の中間で、一回休みです。例の『ある侍の一日』が頓挫して、『七人の侍』として再生するまでの苦しい時期に当たるのかもしれません。

ほかに、豊田四郎『雁』、木下恵介『日本の悲劇』、アメリカでは、ヴィンセント・ミネリ『バンド・ワゴン』、ハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』、ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』、バイロン・ハスキン(というより、ジョージ・パルの、といいたくなるが)『宇宙戦争』、ラズロ・ベネディク『乱暴者〔あばれもの〕』(スコアに4ビートを取り入れた初期の映画として、ハリウッド音楽史では書き落とせない)などが公開されていて、ハリウッドも1953年はvery good yearだったようです。さらにいうと、だれも名作の、秀作のと、うっとうしい持ち上げ方をする心配はないけれど、わたしは大好きな『百万長者と結婚する方法』も1953年だそうです。

◆ 乱世の欲 ◆◆
映画『雨月物語』は、タイトルが示すとおり、上田秋成の小説を土台にしていますが、大幅に換骨奪胎したというか、「ヒントにした」程度の印象です。

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「品川心中」と川島雄三の『幕末太陽傳』の関係より、もっとずっと距離がありますが、『幕末太陽傳』が「品川心中」と「居残り佐平次」をつなげたように、映画『雨月物語』も、上田秋成の「浅茅の宿」と「蛇性の婬」の二つを(いちおう)もとにしています。そもそも、直接の原作は上田秋成の『雨月物語』ではなく、そこから川口松太郎(依田義賢とともにこの映画の脚本も書いている)がつくりあげた小説のほうなのだそうです。

源十郎(森雅之)は、妻の宮木(田中絹代)とひとり息子とともに、琵琶湖の北岸で暮らしています(当家のお客さん、mstsswtrさんのご近所)。森雅之は農事のかたわら、焼き物をつくっていて、それを隣家で暮らす弟の藤兵衛(小沢栄太郎、クレジットでは小沢栄)と、長浜(秀吉が城を築いた直後という設定か)の市に売りさばきに行きます。

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織田勢と浅井方の戦いなのか(お市の方は三人の娘とともに救出される)、その後の羽柴秀吉対柴田勝家の戦い(お市の方が死んでしまう)か、どちらかを背景にしているようで、長浜城下は繁栄し、品物さえあれば飛ぶように売れる(太平洋戦争後の闇市と重ねられている)いっぽう、あちこちで戦いがあり、また野伏りのたぐいも跳梁して、市までの道中は危険をともないます。

兄の森雅之はこの戦乱のなかの繁栄で大儲けしたいという欲をだし、いっぽう、弟の小沢栄太郎は、品物を売るのではなく、武士になって身を立てたいと思いますが、女房の阿浜(=おはま、水戸光子)はもちろん、兄や兄嫁も、愚かな考えと反対します。

市でおおいに稼いだ森雅之は、女房子どもに新しい服を買い、銀をもって帰ります(このあたりで、古太鼓を売って得た五百両をもって帰った「火焔太鼓」の甚兵衛さんを連想するのはわたしだけ?)。小沢栄太郎は市で会った侍に家来にしてくれと頼みますが、具足もないようなものはダメだと追い払われます。

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市で儲けた森雅之は欲に取り憑かれ、片や小沢栄太郎は具足を買う金が欲しくて、二人は必死になって働き、再び市に焼き物を売りに行こうとします。しかし、戦の火の手がそこまで迫り、かろうじて焼き物を守った二人は、長浜に出るのは無理だと考え、「船で湖水を渡ろう」ということになります。

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◆ 「監督」は「監督」するのが仕事 ◆◆
水戸光子は船頭の娘で、彼女が艪を操り、夫婦二組と幼児の五人は船に乗って湖水に滑り出します。

と、ここで立ち止まらないといけないのです。なぜならば、溝口健二の『雨月物語』を語る場合でも、この映画の撮影監督・宮川一夫のキャリアを語る場合でも、このシーンは避けて通れないからです。

宮川一夫が回想記に書いていたのだったか、ここは墨絵を狙ったのだそうです。

スクリーン・ショットでも、なんとも微妙な絵作りであることがそれなりに伝わるのではないでしょうか。

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面白いのは、「墨絵でいこう」という方針は、溝口健二の言葉として読んだわけではなく、宮川一夫がそう書いているのを読んだだけだということです。これが溝口映画の最大の特徴といえるのではないでしょうか。

溝口健二というのはほんとうに「監督」で、監督以外のことはしないのです。つまり、スタッフに指示を出すだけであり、キャメラをのぞいたり、脚本をいじったり、フィルムをつないだりといったことはぜったいにしないのです。

俳優にアドヴァイスすることもなかったそうです。「ダメですね」というだけで、どう修正するかは俳優の仕事であり、監督の仕事ではなかったのです。文字どおり現場の作業を「監督する」親方なのです。

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だから、なにをどうするかを考えるのはスタッフの仕事であり、その溝口流がもっとも性に合ったのは、撮影監督の宮川一夫だったのではないかと感じます。宮川一夫は、だれかに指示されるより、自分で撮りたい撮影監督で(撮影監督より長い時間ファインダーをのぞいていたという小津安二郎ですら、『浮草』のときは宮川一夫に遠慮したらしいと、厚田雄春が証言している)、各人が持ち場で死力を尽くせ、と要求するだけで、具体的な指示は一切しなかった溝口健二との仕事のときに、もっとも独創的な撮影をしたと感じます。

したがって、「ここは墨絵でいこう」というのは、溝口健二ではなく、宮川一夫であり、その方針をどう具体化するかを考えるのも宮川一夫だったのでしょう。溝口健二は、そういうスタッフの考えを是認したり、否認したりすることを仕事にしていたわけです。いや、この「否認」たるや、漢字二文字で片づけしまっては申し訳ないくらい、とんでもないものだったことは、多くの人が証言しているのですが!

中途半端なところですが、時間がなくなってしまったので、次回もこの湖水のシーンの話をつづけます。


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by songsf4s | 2010-10-22 23:58 | 映画