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池野成『牡丹燈籠』スコア、武満徹『雨月物語』スコア他、和風ハロウィーン怪談特集補足

今日はバーベット・シュローダー監督『陰獣』などという映画を見ていたのですが、記事にするには間に合いませんでした。そもそも、怪異ムードは横溢しているものの、怪談ではなく、ミステリーなので、怪談特集で取り上げるのもちょっとうまくないのです。ともあれ、途中までですが、それなりに楽しめる出来でした。

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江戸川乱歩の読者ならもちろん中編『陰獣』をご存知でしょう。博文館・新青年編集長だった横溝正史が、この原稿を乱歩からとった話を何度かエッセイに書いています。ミステリー的結構の出来不出来については見解は分かれるでしょうが、乱歩の代表作のひとつであることはまちがいありません。

フランス人がなんだって『陰獣』を映画化しようと思ったのかは知りませんが、ボアロー=ナルスジャック的な、無理に無理を重ねたトリッキーな展開がフランス人好みなのかもしれません。

じっさい、映画の冒頭はなかなか楽しいトリックになっています(スポイラー警報。この映画を見て驚きたい方はここでやめてつぎの見出しにジャンプされよ)。京都らしい町でなにやら事件があり、パトカー(大昔のトヨペット!)に乗って私服がひとりで駈けつけます。

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刑事は銃を構えて慎重に家に入っていき、女が座っているのを見て安心し、近寄ると、ゴロンと首が転がります。乱歩的ですな。さらに奥に入っていき、襖の影に刀をもった人物を認め、いきなり発砲します。

しかしそれは鏡の像で、背後の障子が赤く血潮で染まり、その向こうから縛られた女性が倒れてきます。誤射だったのです。瀕死の女を抱きとめ、刑事が振り返ると、刀をもった男がいます。刑事は刀掛けの長刀をとると、男と斬り合いをはじめますが、数合ののち、首を飛ばされてしまいます。

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犯人は悠々と現場から立ち去り、クレジットが流れはじめます。ずいぶん謎めいたアヴァン・タイトルだな、とりあえずさっぱり意味がわからんぜ、と思っていると、クレジットはオープニングではなく、エンディングで、映画は終わってしまいます。

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画面が明るくなると、そこはフランスの大学の講義室らしく、若いフランス人が、いま終わった映画について論述をはじめます。この映画は日本の作家・大江春泥のベストセラーをもとにしたもので、ご覧のように、大江の話の特徴は、悪が凱歌をあげることだ、などといいます。

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やがて、この教師が作家で、これから新著のプロモーションで日本に行くところだということがわかります。この作家はしばしば悪夢を見るため、乱歩や正史の作品同様、この映画もなんとなく怪奇ものの様相を呈しはじめます。

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この種の映画はあまり書きすぎると興醒めなので、このへんでやめておきましょう。最初のうちは、どこが『陰獣』なのかと思っていましたが、途中から、骨組は乱歩の原作のままで、きちんとパラフレーズしていることがわかってきます。加藤泰監督、あおい輝彦主演の『陰獣』と並べて見るのもまた一興かもしれません。そういえば、テレビで天知茂のも見た記憶もあります。もちろん、小説がいちばんいいと思いますが。

◆ 池野成「牡丹燈籠」スコア ◆◆
さて、今日の本題は以前お約束した、池野成による『牡丹燈籠』のスコアです。

サンプル 池野成「牡丹燈籠」

これはどこの部分のスコアという風には簡単には云えないトラックで、さまざまな部分から抜き出したものがひとつにまとめられています。ひょっとしたら、新たに譜面を起こした再録音の可能性もあると思います。なんとなく、映画よりオーケストラのサイズが大きいように感じるのです。

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池野成「牡丹燈籠」は「怪獣王」という10枚組ボックスに収録されている。

この種の映画の場合、どうしても「スティンガー」、すなわち威しの音が必要で、そのために、いくぶんチープな印象になりますが、この独立したトラックには、そういう音はほとんど採録されていないため、ノーマルなオーケストラ音楽の味わいが強くなっています。

どうであれ、わたしはこのトラックを聴いて、映画のなかで聴いているより、単独で聴くほうがずっといいと感じました。まったく、昔の日本映画の音楽というのは、どこを掘っても大判小判ざくざくで、すごいものだと思います。

◆ 1キロ超のサウンドステージ!? ◆◆
さらに補足はつづき、こんどは小林正樹監督の『怪談』です。

まず、撮影場所ですが、京都の近くで、「戦争中に飛行機の格納庫として使われていた建物」を見つけたと小林正樹監督はいっています。そのサイズがじつに全長1000メートル、幅60メートル、天井まで18メートルだとか。道理で広く感じるわけです!

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そういう場所だから、映画スタジオの設備はなにもなく、ホリゾントからつくっていかねばならなかったそうです。そして、天井が高すぎて照明部は怖がり、鳶職をやとったけれど、ふつうのスタジオより距離が遠いので光量がいり、ライトが大きくなり、そのために発電機も多数必要になって、ひどく費用がかさんだとのことです

その結果、製作プロダクション「にんじんくらぶ」は倒産、小林監督自身も自宅を売却するハメになったそうです。まったく、映画作りはこれだから、監督がみな有名女優と結婚するのでしょう。稼ぐのは奥さんばかり。

スコアについて。中村嘉葎雄の語りと琵琶のスタンドインは鶴田錦史だったそうです。語り(謡い?)についてはわかりませんが、琵琶には感銘を受けました。ジミヘンがやって以来、ジミー・ペイジなども真似しておおいに流行った、ピックで弦をこするスタントがありますが、鶴田錦史は撥でガリガリギリギリ絃をこすっています。『怪談』の公開は1965年です。日本のギター・プレイヤーは『怪談』を見て、ジミヘンより先にあの技を思いつくべきでした。

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『怪談』では、武満徹はスコアばかりでなく、音響効果もすべてやったそうです。たとえば、尺八の演奏を録音し、それに大々的に加工を加え、風の音をつくったりしたというのです。画面もほぼすべてスタジオで撮られているので、この人工的な音は絵にふさわしい効果を生んでいます。

『怪談』の製作は1964年(公開は翌年正月)、ポップ/ロックの世界も1966年ごろから実験的なものが目立ちはじめますが(ビートルズがはじめてテープの逆回転を使ったのは、1966年のRain)、やはり現代音楽のほうがそのあたりは先んじていたようです。

◆ 早坂文雄倒れる ◆◆
最後は『雨月物語』の補足です。

この映画の音楽のクレジットが、「音楽監督 早坂文雄」「音楽補佐 斉藤一郎」となっていることにふれて、一部を斉藤一郎が書いたという意味だろうとわたしは書きました。

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それで間違いではないのですが、なぜそうなったとかというと、早坂文雄は胸が悪く、『雨月物語』のときに病勢が悪化してしまったかららしいのです。それで途中から斉藤一郎が作曲を引き継ぎ、オーケストレーションとコンダクトを佐藤勝がおこなったようです。

わが友、三河のOさんからのメールには、早坂文雄の譜面も一部は残ったと佐藤勝の著書に書かれている、とあります。ということは、斉藤一郎のほうが主体となったというように受け取れますが、関係者はみなすでに物故しているので、いまとなっては、細かいことはわかりません。

日本映画を代表する作品のスコアの成り立ちが謎に包まれてしまったとは、なんとも恥ずかしいことで、研究者や評論家はなにをボンヤリ突っ立っていたのかと思います。耳無し芳一評論家ばかりなのでしょうな。情けない!

黒澤映画OST以外の早坂文雄の盤はお持ちではないのかとOさんにたずねたら、いまのところ入手できず、という返事でした。どちらにしろフルスコアはリリースされていないから、映画から切り出してみたらどうですかと、逆に煽られてしまいました。まあ、切り出しは馴れたものですが、それでも手間暇かかるので、いつになるとはお約束せず、いずれ折を見て、私家版ベスト・オヴ・早坂文雄映画スコアを編集してみようと思います。


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by songsf4s | 2010-10-31 23:23 | 映画・TV音楽
和風ハロウィーン怪談特集3 小林正樹監督『怪談』より「耳無し芳一の話」(東宝、1964年) その2

ハロウィーンは迫るのに、予定どおりには進行していないので、バタバタになり、大事なことをいくつか書き落としたり、いろいろ端折ったりしています。

『牡丹燈籠』その2のときに、できれば池野成のスコアのサンプルをつけたかったのですが、時間が足りず断念しました。

ところが、当家には三河のOさんという、平手御酒のような強い助っ人がついていて、映画から切り出したのではない、きちんとしたトラックをご喜捨してくださいました。それを聴いたら、映画よりずっといい音で、音質がよくなると、オーケストラ音楽というのは大きく印象が変わるもので、これはサンプルにするべきだったと思いました。『雨月物語』の音楽についても補足があるので、そのあたりはハロウィーンがすぎてからまとめてやるつもりです。

◆ 武満徹のスコア ◆◆
本日は『怪談』なので、そちらのほうのスコアをサンプルにしました。武満徹によるスコアは一部が盤になっています。いや、クレジットを先にご覧いただいたほうがいいでしょう。この映画の音楽も武満徹ひとりでやったものではないのです。

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とはいえ、サンプルにした部分は、状況から考えてクレジットの問題は起きないところだろうと想像します。サンプルは盤からとったものですが、長いトラックなので末尾の3分ほどをカットしました。また、タイトルはわたしが恣意的につけたもので、オリジナルとは異なります。

サンプル 武満徹「耳なし芳一の話」

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◆ 師匠より拝借ものの赤間神宮の写真 ◆◆
もうひとつ、こんどは絵のほうに話が変わりますが、たまたまわが写真の師である岡崎“風小僧”秀美氏が下関の出身で、赤間神宮周辺の写真を撮っていらしたので、ちょいと拝借させてくださいな、とお願いしたところ、快く数点の写真を送ってくださったので、前回の補足として、以下にそれを掲げさせていただききます。いつもはクリックしても同じサイズの写真が表示されるだけですが、以下の6点はクリックすると拡大表示されます。

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赤間神宮の水天門。下の写真も同じ。

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関門橋。壇ノ浦はこのあたりになる。

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同じく関門橋。手前の大砲は馬関戦争(下関事件)のときのものだそうな。

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上掲の写真と同じみもすそ川公園にある源義経像

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こちらは方角が逆で、赤間神宮よりさらに西のほうにある亀山神宮から関門海峡を望む。芳一が琵琶を弾じた場所はこんなではなかったかという気がする。以上6点は岡崎秀美氏撮影。

◆ あと一歩の透明人間 ◆◆
さて、映画『怪談』に戻ります。

甲冑の武士に手を引かれて、芳一はどこかの館に入ったつもりでいますが、そこはなにやら不思議な場所で、ギリシャ神殿の廃墟のような雰囲気になっています。

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そこにいる人びとも不思議な容子ですが、目が見えないからか、たぶらかされているからか、芳一はあたりの異様さには気づかない容子で、琵琶を弾じます。

翌晩も同じ甲冑の武士が迎えに来て、同じ場所で、壇ノ浦のくだりを、という注文を受けて語ります。あたりの人びとはいよいよ異様になり、鎧に弓矢がささったまま、などというように、死んだときの姿のままあらわれたりします。

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嵐の中、芳一のあとをつけていった寺男たちが、芳一が墓所でひとりで琵琶を弾じているのを見つけ、連れもどす。左から田中邦衛、中村嘉葎雄、花沢徳衛。

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翌日、和尚は芳一に問いただし、お前は安徳天皇の墓に向かって琵琶を弾いていた、平家の亡霊に取り憑かれたのだと断じます。和尚は、亡霊に取り殺されないように、納所と二人で、芳一の全身に「般若心経」を書いていきます。これで、亡霊に呼びかけられても、返答せず、身動きもしなければ助かるはずだ、と言い渡して、和尚と納所はその夜も通夜に出かけていきます。

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また甲冑の武士がやってきますが、経文のおかげで、彼には芳一のすがたが見えません。しかし、和尚と納所は、耳に経文を書くのを忘れたために、亡霊は耳だけを見つけます。

役目を果たそうとした証拠として主君に見せるために、耳を持っていくことにしよう、といった甲冑武者の亡霊は、芳一の両耳をつかんで引きずりまわし、結局、両耳を引きちぎってしまいます。

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通夜から戻った和尚は、耳をちぎられた芳一を見つけ、わしの手落ちだったと謝ります。しかし、いまさら耳が生えるわけではないから、このうえは養生しよう、耳だけですんで、命までは取られなかったのだ、もうあの魔物たちが来ることはない、と慰めます。

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◆ 通過儀礼としての亡霊経験 ◆◆
子どものころは、一面に文字を書かれた芳一の顔が妙に気味の悪いものに感じられましたし、力まかせに耳を引きちぎられるところは、うひゃあ、でした。今回の再見では、当然ながら、そういうところはそれほど気にならなくなりましたが。

原作もそうですが、映画のほうも、コーダのようなものが最後にあります。安徳天皇や平家一門の亡霊に、壇ノ浦のくだりを何度も所望され、最後は耳をとられてしまったということは大きな評判になり、貴顕紳士から、ぜひその技を、と所望引きもきらず、そうした人びとからの贈り物で、芳一は金持ちになったというのです。

その場面、法衣を着し、頭巾をかぶった僧体の芳一(盲人には独自の位階があるので、富を得て芳一は出世したという設定なのだろうと推測する。座頭から勾当、別当、検校と位階を上がるには多額の費用がかかり、「検校千両」という言葉も生まれたという)が登場するところは、ハッとします。

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ほんの数カ月の撮影期間のあいだに、人が現実に成長するはずはなく、これは演技(わたしにもわかる違いは、背筋を伸ばしたこと)とメーキャップと照明のおかげなのでしょうが、あのはげしい経験をくぐり抜けて、芳一が「本物」となり、ある道に通じた結果として生まれる落ち着きを得たことが、視覚的に表現されているのに驚きました。この映画でもっとも印象的なショットです。

はげしい経験は人を変えます。『雨月物語』の源十郎は、若狭の男を取り殺さんばかりの愛を経験したおかげで、ほんとうの生活に目覚めます。『牡丹燈籠』の萩原新三郎は、お露のおかげで愛のなんたるかを知ります。耳無し芳一は、亡霊たちの愛を経験し、耳を失うことで、たんなる「上手」、将来を嘱望される少年から、一流の技芸の持ち主へと成長を遂げます。

なんて書きつらねると、怪談の話をしているような気がしなくなってきて、思わず笑ってしまいました。

◆ 芳一と稲生平太郎 ◆◆
備後三次藩の侍、稲生武太夫(平太郎)は、十代のときに、ひと月のあいだ、夜毎、妖怪の来訪に悩まされたそうで、その記録がさまざまな形で書物にされています。わたしは稲垣足穂の『懐かしの七月――別名「世は山本五郎左衛門と名乗る」』で読みました(足穂はこの話を繰り返し改変していて、『稲生家=化物コンクール』という異本もある)。

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簡単にいえばポルターガイストと少年の戦い(というか根比べというか)なのですが、稲垣足穂はこれを「愛の記憶」といったように表現していました(現物売却のため確認できず)。つまり、化け物が少年に恋したというのが、足穂一流の解釈なのです。

『怪談』を再見して、耳無し芳一と稲生平太郎はなんだか似ているな、と感じました。芳一の場合は恋愛ではありませんが、彼の琵琶と語りの技能に対する熱烈な讃仰が根本にあるのだから、広い意味でそれはやはり「愛」といえるでしょう。

どういうわけだか、今回の特集でこれまでにとりあげた怪談映画は、みなこのパターンです。「ある愛の記憶」の物語なのです。『雨月物語』の若狭や、『牡丹燈籠』のお露の男への愛は、平家の亡霊たちの芳一の技量への愛着に通底していると感じます。どういうんでしょうかね。「取り憑く」というのは、ストーキングのことなのでしょうか。

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西洋の怪談だって、「愛」がからんでくることはありますが、日本ほど秤がそちらに傾いてはいないでしょう。ドラキュラは女に惚れますが、だからといって、それはほかの人間の血を吸う妨げにはならない、というか、吸わないと「生きて」いけないわけで、ラヴ・ストーリー一色ではありません。

たった三例のサンプルからなにかを一般化するのは無謀なので、深入りせずにおきますが、でも、われわれの民族的心性として、盲目の愛に駆られた亡霊を好む傾向があるのかもしれないと思ったのでした。

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by songsf4s | 2010-10-29 23:57 | 映画
和風ハロウィーン怪談特集3 小林正樹監督『怪談』より「耳無し芳一の話」(東宝、1964年) その1

小林正樹監督の『怪談』は、今回の怪談特集で、唯一、公開のときに劇場で見た映画です。

子どもがよくこんな映画を見に行ったものだと思いますが、大作とプログラム・ピクチャーなどといった区別をしていなかったので、「いつもの東宝映画」のつもりだったのだろうと思います。つまり、「怖い話」という意味で、『マタンゴ』『ガス人間第一号』の同類と思っていたにちがいありません!

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小林正樹監督の『怪談』は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の短編四編を選んで映像化したオムニバスです。三時間の大作ですが、なかでも「耳無し芳一の話」はいちばん長く、ほとんどふつうの映画と同じほどの長さがあります。

◆ 滅亡のノスタルジア ◆◆
耳無し芳一の話というのは、どなたもご存知と仮定していいのだろうと思うのですが、記憶を新たにするという意味で、映画版を元に、できるだけ簡単にシノプシスを書いてみます。

平家が滅んだ壇ノ浦の近くの赤間が原(原作では赤間ヶ関)の、平家の人びとを弔うために建立された阿弥陀寺(現在の赤間神宮)に、芳一という盲目の琵琶法師が住んでいました。映画では説明されませんが、ハーンの原作では、芳一の琵琶と語りの才能はすばらしかったとされています。

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ある夜、和尚たちが通夜で寺を留守にしているとき、芳一は未知の侍のおとないを受け、近くの館で、わが殿のために琵琶を弾じてほしいといわれて出かけていきます。

目の見えない芳一は、そこは貴人の屋敷だと思い、心を込めて平家の話を語ります。翌る晩もまた迎えが来て、芳一はまた壇ノ浦のくだりを弾じ、語ります。

芳一のふるまいをいぶかしく思った和尚は、寺男たちに芳一のあとをつけさせ、安徳天皇や平家の武者を祀った墓所で、芳一がひとりで琵琶を弾いているのを見つけます。

これは平家の亡霊たちに魅入られたのだ、このままでは芳一は取り殺されてしまう、と危ぶんだ和尚は、芳一の全身に護符(いや、原作をたしかめたら、「般若心経」の一節となっていた)を書き、また今夜、迎えが来ても、ぜったいに返事をしてはいけないし、身動きしてもいけない、と固く言い渡して、弔いに出かけていきます。

これであとはクライマクスになるので、とりあえず、このあたりでシノプシスは切り上げます。

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◆ 土間の西瓜 ◆◆
雪女をはじめ、ほかのエピソードは忘れてしまったのですが、小学生のわたしは、「耳無し芳一の話」が怖くて、忘れかねました。

再見してみてまず思ったのは、アクションものでもないのに、小学生がよくこれほど長い映画を最後まで見たものだ、ということです。異様なムードの画面に圧倒されたか、こういう話柄に興を覚えたか、あるいはオムニバス形式なので、ひとつひとつの話は短いおかげか、そんなあたりでしょうか。

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怪談だから当然でしょうが、小林正樹監督、宮島義勇撮影監督、戸田重昌美術監督、青松明照明監督は、リアリズムとは手を切ったところで、なんとも不思議な画面をつくっています。

耳無し芳一のエピソードは、壇ノ浦の海の実写からはじまり、壇ノ浦の合戦のさまを様式的に描いたシークェンスが長々とつづきます。おおいに金をかけた豪華な場面なのですが、正直いって、ちょっと飛ばしたくなります。

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ご存知の方はご存知だが、ご存知ない方もいらっしゃるので贅言を弄する。昔、運動会で「赤勝て、白勝て」などといったが、「紅白合戦」とは源平の戦いから来ている。白旗は源氏、赤旗は平家である。たとえば「白幡神社」だの「白山神社」だのという名前なら、源氏所縁の社であることが多い。そういう関東でのことを敷衍していいのかどうかいくぶんか不安だが、平家の人びとを祀ったのが「赤間神宮」というのも、そういう意味ではないかと想像する。

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絵としては面白いのですが、映画というより日本舞踊でも見ているようで、わたしのように雑駁な人間は、早く物語に入って欲しいと落ち着かなくなります。

平家が滅び、安徳天皇をはじめ、多くの人がここで入水したことがナレーション(仲代達矢)で説明されると、阿弥陀寺の景がはじまります。ここでいきなり出てくる西瓜にギョッとします。

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西瓜の色も、照明も、手間をかけて工夫したのでしょう。とくに象徴性があるとは感じませんが(つまり殺戮の予感といったような意味合い)、強い絵なので、長い壇ノ浦のシークェンスでダレきっていたわたしは、ここで目が覚め、画面に引き入れられました。

◆ 魔物にいざなわれて ◆◆
初見のときとはちがって、いまではストーリーを知っているので、興味はいかにそれを表現するかという点に尽きます。じっさい、色彩も、空間表現も、独特のもので、文字でどうこう言ってもはじまらないような魅力があります。

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舞台劇を連想させる表現ではあるのですが、もちろん、舞台ではこのように自在に場を移動することはできません。頓狂な連想ですが、ふと『バンド・ワゴン』を思いだしました。

あの映画の終盤、舞台のショウ・ナンバーをつないでいくシークェンスがありますが、あれは、舞台の演技を捉えたショットではあるものの、現実には、あのような舞台は組めるはずがありません。背景がどんどん変化してしまうのです。テンポはずっと遅いものの、『怪談』にも、『バンド・ワゴン』のような、「現実には不可能な舞台劇の表現」の味があります。

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砧のステージはずいぶん広かったのだなあ、なんて感心してしまったのですが、じつは撮影所ではなく、飛行機の格納庫にセットを組んだのだそうです。それならこの広さはわかります。

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和尚(志村喬)たちが通夜に出かけた夜、芳一(中村嘉葎雄)は突然、高飛車な声に呼びかけられます。

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甲冑の武士(丹波哲郎)は、わが殿は壇ノ浦の古戦場を訪れ、おまえの上手であることを知って、ぜひにとおっしゃる、館へ来いといいます。かくして芳一は亡霊の群に引き寄せられるのですが、そのくだりは次回に。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……。

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by songsf4s | 2010-10-28 23:58 | 映画
またまたまたしても佐藤勝・武満徹『狂った果実』 補足の3 これで打ち止め総集篇
タイトル
狂った果実
アーティスト
佐藤勝(バッキー白片 on steel guitar)
ライター
佐藤勝(映画『狂った果実』より)
収録アルバム
佐藤勝作品集第16集
リリース年
1956年(録音)
他のヴァージョン
石原裕次郎
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昔から読書の秋とか、食欲の秋とか、小早川家の秋とか、麦秋(これはじつは初夏のことだそうだが!)とか、Autumn of My Madnessとか、いろいろな秋がありますが、わたしの場合は「聴欲の秋」のようです。

暑いあいだはどうも聴が進まなくて、2、3曲聴くと、もうごちそうさまと、茶碗をお膳に置いてしまっていたのですが、この数日、アルバムを通して聴けるぐらいに快復してきたのです。まあ、耳も腹と同じ、八分目ぐらいにしておくべきですが。

◆ まだあった狂った果実 ◆◆
今日は『椿三十郎』を一休みして、佐藤勝のこと、というか、当家ではいったい何度言及したのかわからないほどしばしばふれている『狂った果実』のことを少々書きます。

いやはや、『狂った果実』のテーマとスコアについては、何度補足したのかわからないくらいで、もう書くことなんかなにもなさそうなものですが、あにはからんや、それがあったのだから、わたしも驚いています。

『椿三十郎』の件で、毎度お世話になりますの「三河のOさん」とメールのやり取りをしていたら、エラいものが飛んで来ちゃったのです。『狂った果実』(映画には出てこないが、石原裕次郎がシングルにした曲)のインスト・ヴァージョンです。

サンプル 佐藤勝「狂った果実」(スティール・ギター・インスト・ヴァージョン)

バッキー白片のスティール・ギターもけっこうな、じつになんとも魅力的なヴァージョンで、映画に使わなかったのは惜しいなあと思います。と書いてから、いま、武満徹全集のライナーを読み直しました。

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ということは、このヴァージョンは未発表ではなく、映画のなかに出てきたのでしょうか。どうも記憶がなくて相済みません。チャンスがあったら、『狂った果実』を見直して、どこかに出てくるかどうか確認します。

ただし、映画から音を切り出したときに、一度音だけをちゃんと聴いたので、こんなにいい曲を聞き逃したとは、わたしとしては信じたくないところです。好ましい曲はあのときに拾い出して、サンプルにしたわけですからね。

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武満徹全集には、佐藤勝作曲のメロディーは入れるわけにはいかず、『狂った果実』のフルスコアという盤はないので、このトラックだけ宙に浮き、佐藤勝作品集の補巻である、雑纂篇とでも名づけたくなるような第16集に収録されることになったのかも知れません。

参考として、同じ曲を石原裕次郎が歌ったヴァージョンもあげておきます。作詞は石原慎太郎。

サンプル 石原裕次郎〈狂った果実〉

◆ サンプル総集篇 ◆◆
三河のOさんからは、もうひとつ、これまたすばらしく楽しいものをいただいたのですが、今夜は時間がなくなってしまったので、それは次回か、または『椿三十郎』を完結させてからご紹介することにします。

今日は、これまでのさまざまな記事のなかにバラバラに埋め込んだ、『狂った果実』関係のサンプルの総まとめをしておきます。その前に、オリジナル記事一覧をどうぞ。

中平康監督、北原三枝、石原裕次郎主演『狂った果実』
その1
その2
その3
その4

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それではサンプル一覧にいきます。まずは、のちの補足記事でアップした高音質ヴァージョン。特記のないかぎり、作曲は武満徹(オーケストレーションは武満徹と佐藤勝の分担)です。

サンプル 〈メイン・テーマ〉
サンプル 〈DB4-M4〉
サンプル 〈DB8-M8〉
サンプル 〈メイン・テーマ〉(unused)

この未使用の〈メイン・テーマ〉というのは、武満徹全集収録のトラックですから、今夜の記事の主役である、佐藤勝作曲の未使用(だと思うのだが)の主題歌とは異なります。

つづいて、映画から切り出した低音質サンプル。低音質といっても、それほどひどくもないし、SEや台詞がはいっているほうが面白い場合もあります。

サンプル サンプル1(テーマ)
サンプル サンプル2(スティール&口笛)
サンプル サンプル3(ラヴ・テーマ)
サンプル サンプル4(ラヴ・テーマ、オルタネート)

最後は、劇中のパーティー・シーンで石原裕次郎が歌う(彼のシンガー・デビュー曲)〈想い出〉の低音質サンプルです。映画から切り出したもので、パーティー・シーンの直前のスコアも入れてありますし、台詞も多数です。作曲は寺部頼幸、作詞は石原慎太郎。

サンプル 石原裕次郎〈想い出〉とその前後

あとは〈想い出〉のオルタネート・ヴァージョンがあるくらいですが、それもお聴きになりますか。

サンプル 石原裕次郎〈想い出〉(スタジオ録音)

これでもう『狂った果実』という映画とそのスコアについて補足することはないだろうと願っていますが、ほとんど魔に取り憑かれたように、あとからあとからいろいろなものが飛び出してくるので、また続篇が登場するかもしれません!


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日活映画音楽集~監督シリーズ~中平康
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オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2010-09-25 23:56 | 映画・TV音楽
佐藤勝・武満徹『狂った果実』および寺部頼幸「想い出」補足 その2
 
読売新聞をとっていらっしゃる方は、今日5日の夕刊をご覧になってみてください。

芸能欄に矢野誠一「落語のはなし 人と落語家編」の第一席「安藤鶴夫と三代目桂三木助」というエッセイが掲載されています。一読、納得でした。安藤鶴夫という人物を、まったくの外側からでもなく、内側からでもなく、外と内を隔てる皮膜に沿って描いたような、みごとな人物素描になっています。

今日は時間がないので内容には踏み込みませんが、反故にするまえに、お持ちの方はご一読あれ。

◆ スコアのモデュール化 ◆◆
さて、前回に引きつづき、今回もさらに『狂った果実』の補足です。

今日は(というか「今日も」)Oさんに全面的に負った補足です。Oさんご提供の資料ばかり。

まず、武満徹インタヴューの一部をどうぞ。

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いやはや、変な質問ではじまりますなあ。このインタヴュワー、プログラム・ピクチャーとはどういうものか、まったくご存知ないのでしょう。黒澤映画じゃないんだから、監督と音楽監督が火花を散らして徹夜で議論、なんてもんじゃござんせん。短時間で打ち合わせをすませ、あとはそれぞれの仕事に精を出して(佐藤勝はしきりに「夜なべ」といっている)、封切り日にギリギリで間に合わせるのです。

昔はこういうトンチキな映画ジャーナリストが山ほどいて、インタヴューウィーと読者の双方をおおいに悩ませたものです。鈴木清順なんか、文字で読んでも、額に青筋を立てているのが見えてきそうなほど、苛立ちを見せているインタヴューが『けんかえれじい』に収録されています。製作意図だのなんだのというのは、大監督の芸術映画にのみ付属する贅沢品です。

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武満徹は肩のひと揺すりで愚質問を振り落とし、現場のすがたをありのままに伝える談話をしています。いやはや、こうなるともう、「音楽監督の想像力と運だけで映像と音のマッチングの成否が決まる」としかいえません。ラッシュも見ないでよくやりますよ。

ジョン・カーペンターは、初期はフィルムを見ずに音楽を録音したといっていますが、彼は自分自身が監督なのだから、もちろん撮影の現場にもいたし、当然ラッシュも見ていたわけで、たんに画面に合わせてプレイできなかったにすぎません。とはいえ、結局のところ、「音楽素材のモデュール化」という一点で、『Holloween』のときのジョン・カーペンターと、『狂った果実』のときの武満徹(および佐藤勝)は同じ仕事の仕方をした、といえるかもしれません。

つまり、たとえば、「スピード感のあるシーン」「恐怖を暗示するシーン」「軽やかな気分のシーン」「ラヴ・シーン」などというように、現実の映像ではなく、シーンを類型化、分類して、現実の絵ではなく「概念に合わせて」スコアを書いていく、ということです。コンピューター・プログラミングでいう「汎用サブルーティン」(モデュール)と同じように、汎用性のあるパッケージ化された音をつくるということです。

このやり方では、画面とのマッチングはギャンブルになってしまいますが、長い年月がたって、スコアだけを単独で聴いたとき、それはそれで独立完結した音楽に感じられるという、思わぬ副産物が、この「スコアのモデュール化」にはあると思います。

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ものをいう土台となるほど十分な例を知らないのですが、日活にかぎらず、プログラム・ピクチャーでは、ラッシュを見られないのはごく当たり前のことだったと思われます。あいだに人をはさんだ伝聞ですが、『暁の追跡』の飯田信夫音楽監督は、「黒澤映画の音楽がいいというが、そんなのは当たり前だ、ラッシュを見て書けるんだから。こっちはラッシュなんか見もせずに書かされているんだぞ」とボヤいていたそうです。これが、巨匠ではない人の映画を担当する音楽監督の、ごくふつうの日常だったのだろうと想像します。

だから、いま、日本の映画音楽が注目されはじめているのは、案外、この劣悪な環境、条件のおかげではないかという気がするのです。映画から切り離されても面白いスコア、ただ盤で聴いても楽しめる音楽になっているからではないかと思い、それを「スコアのモデュール化」と呼んでみたわけです。

◆ 「想い出」は尽きず ◆◆
わが田に水を引くのに忙しくて、武満徹の談話で気になったことを書き忘れました。あのラスト・シーン、ヨットの空撮は中平康監督ではなく、蔵原惟善助監督だったのか、と思ったのですが、それはかならずしも正確ではないようです。中平康は地上(海上?)で撮影の指揮をとったのであって、ヘリに乗ったのは蔵原惟善だという意味にすぎず、中平康が現場に行かなかったという意味ではないとこのページはいっています。それはそうでしょうね。だいじなシーンに監督が立ち会わないというのは、通常ならありえないでしょうから。

さて、本日の本題、前回、「想い出」は、わが家には映画から切り出したものしかないと書いたところ、さっそくご喜捨があったので、アップしました。

サンプル 石原裕次郎「想い出」

映画用に録音されたものではなく、あとからスタジオで盤にするために録音されたものなのでしょう。アレンジはかなり異なります。映画ではシテュエーションに合わせてウクレレ一本で歌っていましたが、こちらはバンドがついています。

映画ヴァージョンは、わざとやったのか、ウクレレのチューニングが狂っているのですが、盤ヴァージョンを聴くと、それがかえっていい効果を生んでいたことがはっきり理解できます。映画のなかの設定である、素人がパーティーで歌っている雰囲気が、映画ヴァージョンにはきちんとあるのです。盤ヴァージョンは映画とはちがってスリックな仕上がりで、きれいにつくってあるぶん、ざらついた味は当然ありません。状況のしからしむる当然の結果が双方のヴァージョンにあらわれていて、なかなか面白い聴きくらべでした。


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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2010-04-05 23:09 | 映画・TV音楽
佐藤勝・武満徹『狂った果実』および寺部頼幸「想い出」補足

今日はみなさんお花見でしょうか。わたしは家から出られず、調べものと書き物の一日。明日はできれば写真を撮ろうと思いますが、どうなりますやら。

一昨日、とんでもない強風のなか、所用で外出したついでに染井吉野と大島桜を撮りました。公園の段々になった水の流れが、強風で逆流しそうになったのには仰天しました。噴水は十メートル以上曲がって、まるで水撒き。

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日本国領土から、対岸の非日本国領土の桜を見る。こちらは八分咲きぐらいだったが、あちらはまだ三分から五分というところ。なにゆえに?

昔、サンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンド、キャンドルスティック・パーク(ビートルズが最後にライヴでプレイしたのはどこか、というクイズの解答。ただし、アップルの屋上はのぞく)で、インフィールド・フライ、バッター・アウトが宣告された内野フライが、とんでもない強風に運ばれてスタンドに入ってしまったことがある、最終的な判断はどうなったか、というクイズがありました。50メートルぐらいは流されたのだから、すごいものです。たとえば、上がった瞬間はセカンド・フライに見えたものが、あれえ、ライト・フライだ、と思ったら、それがフェンスを越えちゃったというような状況で、そんな馬鹿な、です。

クイズの答えは「風の中に舞っている」です。The answer is blowin' in the wind.いや、まじめな話、忘れちゃいました。バッター・アウトは取り消せないでしょう。でも、ホームランはホームランだから、得点は入って(もちろん、走者もみな生還にして)、同時にアウト・カウントはひとつ増える、なんていう三方一両損みたいな案ではダメでしょうかね。どなたか、このクイズの正解をご存知の方いらっしゃいませんか?

◆ 大いなる錯誤 ◆◆
今日、某氏からいただいた、佐藤勝の歌ものを集めた『佐藤勝ソングブック』というアルバムを聴いていて、「あれ?」と思いました。最初に入っていたのが「狂った果実」だったのです。過去、何度かゴチャゴチャ書いているので、いちおう「狂った果実」という映画または曲について、くわしく書いた記事を列挙しておきます。

『狂った果実』その1
『狂った果実』その2
『狂った果実』その3
『狂った果実』その4
石原裕次郎「想い出」

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それで、『佐藤勝ソングブック』を聴いていて、この「狂った果実」は、映画に使われた石原裕次郎の歌「想い出」のほうではないかという気がしたのです。しかし、上記の記事「石原裕次郎『想い出』」に書いたように、そんなはずはないのです。

曲を取り違えたのだろうと、当ブログの「石原裕次郎『想い出』」を開き、「想い出」のサンプルをプレイしてみました。ところが、これも『佐藤勝ソングブック』収録の「狂った果実」と同一の曲でした。はて?

こうなったら、映画で確認するしかありません。『狂った果実』の問題のシーンを見てみました。

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あちゃあ。わたしの勘違いでした。どこで取り違えが起きたかというと、『東京流れ者』の枕に、YouTubeで「想い出」のクリップを見つけた、と書いたときにです。これは佐藤勝作曲の「狂った果実」のほうだったのに、映画に使われた曲のほうだと思いこんでクリップを貼りつけていたのです。

その結果、上記の訂正記事「石原裕次郎『想い出』」のときのサンプルも、「想い出」ではなく「狂った果実」のほうをアップしてしまったのです。いやはや。

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ともあれ、ミスを訂正できるのは幸運なことです。ほかにもいっぱい眠っているミスがあることを思うと、落ち着かない気分になりますが、所詮、人生はミスの連続、To err is human, to forgive devineと「自習英文典」にありました。

◆ オルタネート・ヴァージョン ◆◆
さて、「想い出」の高音質ヴァージョンがあればアップするのですが、結局、わが家にあるのはさまざまな「狂った果実」ばかりです。調べると、石原裕次郎の編集盤のなかには「想い出」を収めたものがあるようです。ということは、フル・ヴァースを歌ったヴァージョンがあるのでしょう。ちょっと聴いてみたい気もします。

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かわりに「狂った果実」のオルタネートをアップしました。アレンジ、楽器の選択はハズレのような気がしますが、石原裕次郎のヴォーカル・レンディションは悪くない、というか、こういうリヴァーブのかけ方もよろしいのではないかと思います。映画のなかの「現実音」「自然音」として使うには加工しすぎでしょうけれど。

サンプル 「狂った果実」(オルタネート)

以前の記事で、「想い出」のほうが「狂った果実」よりずっといいなんてことを書きましたが、いまになると、甲乙つけがたく感じます。佐藤勝のコード・チェンジもやはり面白いところがあります。まったく無定見なんだからもー>オレ。

◆ 紅の翼セカンド・フライト ◆◆
さらにオマケです。

本日のDEEPさんのコメントを拝見して、「紅の翼」(The High and the Mighty)のアクセス数アップのひとつの要因が判明しました。ほかにも要因があると思いますが、わからないことをあれこれ考えてもはじまらないので、追求しません。

前回、最初のときにはオミットしたカヴァーをアップするかもしれないと書きましたが、シャドウズ人気なのか、それとも「紅の翼」人気なのかを判断する材料として、ふたつのヴァージョンをアップしてみました。

サンプル Reloy Holmes "The High and the Mighty"
サンプル Victor Young "The High and the Mighty"

どちらも素直なカヴァーで、それゆえに『紅の翼』その2のときにはオミットしてしまいましたが、両ヴァージョンともおおいに魅力的です。

ヴィクター・ヤング盤はイントロがストリングス、ヴァースから口笛になるのに対し、リロイ・ホームズ盤は口笛で入り、ヴァースでストリングスに移行しています。他人の盤を気にしてアレンジするものでしょうかね?

わたしの好みは、リロイ・ホームズ(ルロイ・ホルムスなんていう、「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」みたいなカタカナ書きもある!)盤で、途中からホルンが入ってくるところです。



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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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ベスト・オブ・ビクター・ヤング
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by songsf4s | 2010-04-03 23:58 | 映画・TV音楽
想い出 by 石原裕次郎(『ゴジラの逆襲』『太平洋ひとりぼっち』『狂った果実』の訂正と補足 その2)
タイトル
想い出
アーティスト
石原裕次郎 (OST)
ライター
清水みのる作詞、寺部頼幸作曲、久我山明編曲
収録アルバム
武満徹全集 第3巻
リリース年
1956年
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前回にひきつづき、本日も、Oさんに提供していただいた資料にもとづく過去の記事の訂正と補足です。今日は『狂った果実』です。

武満徹全集の解説を読んで、おっと、こりゃまた大間違い、と頭を掻いたのは、劇中で石原裕次郎がウクレレを弾きながら歌った曲は、〈狂った果実〉ではなく、〈想い出〉というタイトルであり、作曲者はクレジット・タイトルに記されている佐藤勝でもなければ、武満徹でもなく、寺部頼幸だということです。

f0147840_23525522.jpg寺部頼幸はスティール・ギターおよびギター・プレイヤーで、戦後、弟の寺部震が率いるココナッツ・アイランダースというハワイアン・グループなどでプレイしたそうです。このへんのことはまったく不案内で、たいしたことが書けず、どうも相済みませぬ。調べてもコンプリヘンシヴな記述は見あたらず、

http://www9.plala.or.jp/matchnet/bond.html
http://www.alani-aloha.com/alani_cd60405.html
http://blog.livedoor.jp/abegeorge/archives/50841352.html

などを参照したにすぎません。こういう人のキャリアには面白い逸話がいっぱいあるのではないかと、鼻がうごめきます。

ということで、Oさんのご厚意により、かつては映画から切り出したものやら、YouTubeのものやらをご紹介したものを、ここにはじめて、遠回りせず、高音質、フル・ヴァースのヴァージョンへとグレードアップしてお届けできることになりました。

2010年4月追記
以下のサンプルは正しくは「狂った果実」(佐藤勝作曲)です。「想い出」と取り違えてアップしてしまったのですが、記事の前後関係を壊さないために、削除せずにおきます。「想い出」の低音質サンプルは「狂った果実」その1においてあります。

サンプル 石原裕次郎〈想い出〉

これをもって懸案解決、と宣言したいのですが、じつは、まだかすかに疑問が残っています。こういうミニ・アルバムが存在することをはじめて知ったのですが(10インチ盤か?)、ここに〈リコール ツー マイ メモリー〉というトラックが収録されていて、作曲は寺部頼幸、作詞は石原慎太郎となっています。なんだか気になります。〈想い出〉の歌詞ちがいヴァリアントの可能性なきにしもあらずです。ご存知のかたがいらしたら、ぜひコメントをどうぞ。

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もうひとつ引っかかるのは、佐藤勝作曲、石原慎太郎作詞の〈狂った果実〉という、シングルになった曲はなんだったのか、ということです。これが映画のなかで使われていれば、まったく問題がないのですが、映画の挿入曲は〈想い出〉だけ、〈狂った果実〉という映画と同題の曲は、映画と同じスタッフの手になるものでありながら、映画に登場せず、というのでは、傾げた首が折れちゃいますよ。

◆ やや趣の異なる共作形態 ◆◆
『太平洋ひとりぼっち』とおなじく、『狂った果実』のスコアも、単独クレジットではなく、佐藤勝と武満徹の共作となっています。このとき、佐藤勝は黒澤明の『蜘蛛巣城』で忙しく、とうてい他の映画を抱え込む余裕がなかったということですが、親しくしていた中平康の監督第一作で断りきれず、師匠の早坂文雄のところに出入りしていた武満徹の助力を仰いだのだといいます。武満徹にとっても、これが本格的な映画音楽第一作となりました。

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解説によると、作業の分担は、まず佐藤勝が主題歌を書き(結果的にこれは使用されず、そのメロディーはインストへと再利用された)、武満徹が佐藤の構成案にしたがって、メイン・タイトル以下の大部分の曲を書いたのだそうです。オーケストレーションはふたりが分担し、コンダクトは佐藤勝がおこなったとのことです。

プログラム・ピクチャーなので、スケデュールにまったく余裕がなく、撮影に先行して録音された曲も多かったそうで、ノーマルな共作とはいいかねますが、これまた、『太平洋ひとりぼっち』と同様、結果的にうまくいったのだから、ものをつくるというのは、つくづく一筋縄ではいかないと痛感します。

またまたどこかの星団か恒星のような名前がついていますが、以前、映画から切り出してサンプルにした曲を中心に、高音質ヴァージョンをアップしておきました。

以下はサンプル
〈メイン・テーマ〉
〈DB4-M4〉
〈DB8-M8〉
〈メイン・テーマ〉(unused)

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◆ 「オンリーさん」というもの ◆◆
武満徹全集の解説を読んでいて、えっ、そういう解釈があるのか、と驚いた箇所がありました。『狂った果実』で北原三枝が演じた女性のことを「人妻」と書いていたのです。あれは人妻ではなく、「オンリーさん」または、それに類する女性でしょう。

「オンリーさん」という言葉がすんなりわかる人はもう少ないかもしれません。進駐軍(米軍)関係者と短期契約を結んだ愛人のことです。進駐軍関係者というのは、軍人および軍属です。軍属とはなんぞやなどといいはじめると、どんどん話が長くなるので略しますが、あの映画で北原三枝を囲っていた外国人は、軍人には見えず、軍属ないしは、それに近いビジネスマンだろうと思います。横浜のベース・キャンプにかかわるビジネスをしている金回りのいいアメリカ人という、当時にあってはごく自然な設定と見て大丈夫です。

鎌倉駅のプラットフォームでばったり会ったときに、彼女が津川雅彦に対して自分の素性を隠そうとしたのは、結婚していることを知られたくなかったからではないでしょう。売春類似の行為をしていることを知られたくなかったのです。あの当時の観客なら、大多数はひと目でそう解釈したはずなのですが、時代が下って、進駐軍関係者を対象とした短期専属契約売春というものが身のまわりからなくなると、それがわからなくなってしまうのでしょう。

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なぜ、裕次郎扮する兄が、弟の恋人を強引に奪ったのか、という点に関しても、北原三枝を外国人と結婚したただの人妻だとみなしてしまうと、あの一連の流れを自然に解釈できなくなるでしょう。セリフのなかでも暗示されているように、堅気の女ではない、という明確な認識があったからこそ、裕次郎は直裁に彼女に肉体関係を迫るのでしょう。

そしてそのときに、世間知らずの弟にこういう性悪女は御しきれない、この女狐から弟を守ってやるのだ、というエクスキューズを自分に対してしているのです。観客も、相手はオンリーさんだから、裕次郎の行為に眉をひそめたりはしません。盗人にも三分の理、裕次郎の考えも、それなりに筋が通っていなくもない、と感じるのです。

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北原三枝をふつうの人妻とみなすと、裕次郎の行為の意味は異なったものになってしまい、ひいては、映画全体の構造が変わってしまうのではないかと危惧し、またしても、音楽ブログとしては出過ぎたことを書いてしまいました。ご容赦を。

◆ 過去の映画の未来 ◆◆
Oさんと対話していて、いやホントにねえ、困ったことですねえ、と嘆息しました。以下、勝手にOさんの私信の一部を引用します。

「最近では海外でも古い日本映画を容易に見れる環境になっており(中略)、みんな驚くのが、日本では有名な作品がLPやCDなどでフルスコアが音源化されていないこと。欧米の物と遜色のないほどの優れたスコアの数々が埋もれたままになっているのは、マスターテープの不在とかの物理的な問題があるにせよ、音楽文化の成熟度の違いでしょうか? もっと多くの海外の人々に日本映画のサントラに関心を持ってもらって、より多くのスコアが日の目を見ることを切望しております」

まったく同感です。すぐれたスコアがまたまだ大量に眠っているはずで、われわれも気づいていない佳作秀作もあるにちがいありません。

海外のブログやフォーラムをのぞいている方はご存知でしょうが、日本映画に対する海外の需要は無視できない大きさになってきています。それなのに、Oさんも嘆かれているように、世界映画史に記録されるような作品ですら、OSTがリリースされていないことがあるのです。たとえば、『東京物語』や『晩春』、『雨月物語』や『流れる』などといった、日本映画の代名詞ともいうべき作品のフル・スコアが存在しないのです。外国人に、どうしてOSTがないのだ、といわれても、われわれだって答えようがありませんよ。

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日本映画界に人がいれば、機は熟した、もはや海外の配給会社にまかせてはおけない、日本の会社が主体となって、積極的にプロモーションをおこなわなければ、ビジネス機会は失われる、と読んでいるはずですが、はて、どうでしょうかねえ。第一歩は、YouTubeの積極的な活用、具体的には、トレイラーの英語版を大量につくり、YouTubeに流すことです。これをやれば、日活アクションなんか、まだまだどんどん売れるでしょう。

いや、こういうことを書いていると虚しくなってくるので、もうやめます。日本映画界が鋭敏であったことなど、かつて一度もなかったのだから、今回もきっと世界の需要を読みそこない、対応をまちがえるだろうという予感がします。わたしにやらせてくれれば、いろいろなことができるのに!


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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
by songsf4s | 2009-07-19 23:55 | 映画・TV音楽
湖畔のふたり by 星野みよ子(『ゴジラの逆襲』『太平洋ひとりぼっち』『狂った果実』の訂正と補足 その1)
 
時間がなくて、どこまで書けるかわかりませんが、ときおりわたしの記事の不備を指摘してくださる、まことにありがたいウェブ上の友人Oさんが、昨日、今日のメールのやりとりでいくつかの点をご教示してくださり、また、資料まで送ってくださったので、それをもとに、最近の記事を訂正、補足しようと思います。

f0147840_23352917.jpgまず、星野みよ子の〈湖畔のふたり〉です。これは、『ゴジラの逆襲』の記事では、タイトル未詳で、仮に〈丘のホテル〉と名づけておいた曲の正式なタイトルです。Tonieさんのコメントに対するレスにも書きましたが、これは『ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクションBOX』というセットにボーナスとして収録されているのだそうです。

前々回の記事で、映画から切り出したこの曲の低音質のサンプルをアップしたところ、これまでのなかでも一、二を争うスピードでダウンロード数が伸びていて、驚いています。そして今日は、Oさんのご厚意で、高音質のファイルもアップできる運びになりました。

サンプル 〈湖畔のふたり〉

このヴァージョンでも、映画でブツッと切れた場所で切られているところを見ると、結局、この曲は既存の盤を利用したわけではなく、映画『ゴジラの逆襲』のためにつくられ、その際の録音しか残されていないということかもしれません。もっとも、日本の映画会社は資産の保全に神経質ではないので、どこかにフル・ヴァージョンが埋もれていないともいえませんが。

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星野みよ子(『ゴジラの逆襲』より)


2011年6月2日追記

星野みよ子のほかの歌のクリップを発見したので、付け加えておきます。「湖畔のふたり」で彼女の歌声がお気に召した方はこちらも楽しめるのではないでしょうか。CD化されているのはわずか一曲だけのようで、そちらは未聴です。

星野みよ子 ウェディング・ベルを盗まれた(Somebody Bad Stole de Wedding Bells)


◆ 『太平洋ひとりぼっち』の共作形態 ◆◆
これもOさんにうかがってはじめて知ったのですが、『武満徹全集』というセットがあり、『太平洋ひとりぼっち』や『狂った果実』のスコアも収録されているのだそうで、解説をスキャンしたJPEGとサンプルまで頂戴しました。

盤のマスタリングは映画とは異なるし、そもそも光学録音と磁気録音では特性が異なるので、盤からのファイルを聴くと、ずいぶん印象がちがい、今日はおおいにリスニングを楽しんでしまいました。高音質サンプルとして、前回の記事で勝手に〈好天〉と名づけておいた曲をアップしました。すばらしい曲です。

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キュー・シートの記載をそのままタイトルにしただけでしょうが、武満徹全集ではこの曲のタイトルは〈M6〉とされているそうです。それはどこの星雲ですか、てなもんで、あまりといえばあまりなタイトル!

サンプル 〈M6〉

Oさんがいっしょに送ってくださった解説のJPEGを読んで、うーむ、そうであったか、どうも失礼つかまつった、てえんで、泉下のマエストロに謝ってしまいましたよ。ひどい誤解をしていたのです。

前回も書いたように、この映画のクレジット・タイトルには、音楽は芥川也寸志と武満徹と並記されているだけで、作業分担を暗示する記載はまったくありません。わたしは、オーソドクスな曲調のものは芥川、ミュージック・コンクレート寄りのものは武満徹であろうと想定しました(いや、プロは技をもっている、お互いの役割を交換するという悪戯だってやりかねない、ということは書いておいたが)。これが大はずれだったのです。

f0147840_23531139.jpgアメリカ式にクレジットを細分化すると、「Music Supervisor-芥川也寸志」であり、「Music-武満徹」というべきで、芥川が音楽監督(およびアレンジとコンダクト)、武満が作曲という役割分担だったというのです。一般論として、オーソドキシーへの明確な理解のない人、基礎のできていない人には、アヴァンギャルドはつくれませんが、武満徹もまたこの原則の例外ではなかったようです。

ピカソの子どものころの絵を見ると、オーソドクスな意味で、つまり、写実という意味で、めちゃくちゃな馬鹿テクの持ち主だったことがわかりますが、武満徹もまた、その気になりさえすれば、保守的な意味での「いい曲」を書く能力は十分にもっていた、たんに資質として、そういうものに拘泥することを好まず、冒険的、発見的創作を指向しただけである、といっていいのでしょう。

◆ 音楽監督と作曲家 ◆◆
しかし、面白いのは、この映画のスコアに出てくる、いかにも武満徹作品らしいと感じさせる、ミュージック・コンクレート的な曲は、じつは、芥川也寸志の明快な指示のもとでつくられた、武満が我を通したものではなかった、ということです。どんな創作者もそうですが、単純化されたパブリック・イメージの向こう側には、複雑なキャラクターが潜んでいるもので、芥川也寸志と武満徹の場合も、それぞれにあまり表面には出てこない「劣性遺伝子」を抱えていたのでしょう。

f0147840_23535737.jpgもうひとつ指摘しておかなければいけないのは、芥川也寸志のオーケストレーションです。どうアレンジするかで、楽曲の色彩というのは大きく変化するものです。M6、すなわち、わたしが勝手に〈好天〉と名づけた曲に、あれほど軽快かつ叙情的な感覚が付与されたについては、楽曲よりも、アレンジ、サウンドの力が大きいといっていいでしょう。

そういう意味で、ヴェテラン芥川也寸志の老練さと、清新な感覚にみなぎった若い武満徹の『太平洋ひとりぼっち』は、理想的な共同作業だったといっていいのではないでしょうか。久しぶりにこの映画を再見して、スコアのすばらしさに強い感銘を受けました。

もはや時間切れのようなので、『狂った果実』の補足と訂正は次回へと繰り越させていただきます。この映画のスコアについても、わたしは大きな誤解をしていたようです。


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『太平洋ひとりぼっち』
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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
by songsf4s | 2009-07-18 23:54 | 映画・TV音楽
メイン・タイトル (OST 『太平洋ひとりぼっち』より)
タイトル
メイン・タイトル
アーティスト
N/A (OST)
ライター
芥川也寸志または武満徹
収録アルバム
N/A (OST)
リリース年
1963年
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漢字の間違い、言葉の用法の間違いはまだしも、ひらがなの間違いというのは、かなり恥ずかしいものだと思います。「は」を「わ」と書くのが典型ですが、しかし、言葉は間違いによって変化するという実証例であるかのごとく、「こんにちわ」は大手を振ってまかり通っています。遠からず「これわペンです」と書くようになるのではないでしょうか。

わたし自身、「ず」と「づ」はよくわからなくなります。そもそも、国語審議会もよくわからなかったらしく、理屈の上からは間違いとするべきものを正しいとし、正しいと考えられるものを間違いとしています。たとえば「跪く」は、言葉の大もとから考えていくと「ひざまづく」のはずですが、「ひざまずく」としなければいけないそうです。理屈に合わないことは不快ですが、ルールではそうなっているのです。

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「大通り」はひらがなで書くと、「おおどおり」ですが、「おおどうり」と書く人もいます。まったくもって母音は面倒ごとのはじまりで、わたし自身も「扇」と変換するつもりで「oogi」とタイプしてから、ちがった、といってタイプし直したりします。

前々回の『ゴジラ』のときには、日本語のアルファベット表記の規則は変だ、あれでは読めないということを書きましたが、そのときに例に挙げたものの一部は、長音の対象外だということに、あとになって気づき、「こんにちわ」並みのひどい間違いだと赤面しました。

「i」は「a」「e」同様、長音の変則規則の対象外だということを、わたしはきちんと理解していなかったのです。知らなかったのはわたしだけでしょうが、「o」と「u」は長音も兼ねるという無茶苦茶な変則ルールをつくったために、こちらも勘違いするのだといいたくなります。

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一国の言語の規則を定める機関がまじめに仕事をしないと、国民が努力しても、ごくごく基本的なレベルで大間違いをするわけで、これはルールのほうが間違っているのだ、といいたくなります。まあ、「ときょ」という首都をもつ国だから、しょーがネーか、と諦め気分ですけれどね。関西に行っても、「おさか」に「きょと」に「こべ」とくるのだから、逃げ場がない!

◆ 太平洋という名の密室 ◆◆
前回もタイトルがはっきりしない挿入曲でしたが、今回も、じつはサウンドトラック盤がないため(市川崑作品の音楽を集めた編集盤に数曲収められているらしいが、もっていない)、勝手にタイトルをつけました。また、スコアの作曲者としてクレジットされている人も二人いるため、作曲者も不明です。わたしの感触では、メイン・タイトルは武満徹のスタイルには感じられないので、芥川也寸志だろうと思いますが。

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いちおう、どういう映画かということを説明しておきます。わたしは子どものときもいまも、まったく関心がないのですが、堀江謙一という人がいます。この人物がかつて、ヨット(正確にはディンギーないしはセイル・ボートといわなくてはいけない。yochtは本来、外洋を航行できる大型帆船または機帆船を指す。『マタンゴ』の船はまさに「ヨット」)で大阪からサンフランシスコまで行ったという出来事がありました。いつのことか忘れたし、調べる手間も省きますが、1960年代はじめのことです。

当時、これは大変な快挙と騒ぎ立てられました。わたしは子どもなので、さっぱり意味がわからず、なんの関心ももちませんでした。この年になっても、だからなんだ、としか思わず、この種のこと(「冒険」と当事者とメディアが呼ぶ行為)には価値などないという考えは一貫して変わりません。

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しかし、石原裕次郎はセイリングを愛するせいか、この題材に執着し、日活とみずからの会社との共同製作で、映画化にこぎつけます。わたしは小学校四年だったことになりますが、たとえば、『愛と死を見つめて』とまったく同様に、この映画には興味ゼロでした。いや、年齢の問題ではなく、いまでも息苦しい映画は大の苦手です。

大人になり、監督が市川崑だというので、なかば義理で見たのですが、感銘が薄いだけでなく、ひどくテンポがのろくて、ヴィデオだったら、がんがん早送りするにちがいない退屈な出来でした。

いま、具体的な例が出てこないのですが、「漂流もの」という「海洋冒険もの」のサブジャンルがあります。わたしにとっては天敵のようなもので、大好きなヒチコックの『救命艇』ですら、きっと漂流ものなのだろうと、いまだに見ていないほどです。なぜ嫌いかというと、あの閉塞感に耐えられないのです。

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映画製作者は、ゴムボートや筏からカメラが動かない致命的欠陥に補いをつけようと、フラッシュ・バックを多用したりしますが、回想シーンのあいだも、ただの間借り、一時的な避難という感覚にとらわれたままで、意識は依然として「洋上の密室」にあり、フラッシュ・バックでは解放感、開放感は得られません。陸に着き、狭いボートから脱出しないかぎり、窒息しそうな気分から抜け出せないのです。

映画が舞台劇と異なるのは、編集によって、自在に、そして瞬時に時空間を移動できることです。しかし、海洋もの、とりわけ、漂流ものは、いつまでも同じ狭い空間から移動できず、わたしのようなタイプの観客は、この苦行から一刻も早く解放されたいと願うことになります。市川崑監督も、この窒息感をやわらげることにおいて特段の能力を発揮することはなく、『太平洋ひとりぼっち』は、この種のものの典型というべき、息苦しい映画です。

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◆ 広々、はろばろのサウンド ◆◆
では、なぜそういう映画を取り上げたのかといえば、ひとつの法則を発見したような気がするので、そのサンプルになるのではないかと思ったのです。どういう法則か?

「ディンギーやヨットが出てくる日本映画は音楽が面白い」

という法則です。当家で過去に取り上げた映画でいうと、やはり石原裕次郎がディンギーで帆走するショットが山ほど出てくる『狂った果実』、東宝特撮ものの一篇、大型機帆船という正真正銘の「ヨット」が出てくる『マタンゴ』がこれに当てはまります(『マタンゴ』の登場人物の一部は、当時の有名人のカリカチュアで、そのひとりはほかならぬ堀江謙一だとか)。

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ま、要するに、海に出て風を帆に受けたときの気分をあらわすような音楽をわたしはおおいに好む、ということをいっているにすぎず、それを「法則」というのは誇大もいいところですが、でも、「法則」なんてのはみな誇大なものですから、わたしが「ディンギー日本映画音楽よしの法則」を唱えたって、それほど無茶でもないでしょう。

前述のように、OST盤はリリースされていないため、すべて映画から切り出した音質の悪い断片、しかも、多くはセリフがかぶっていますが、すこしサンプルをあげておきました。じつは、すべてのサウンドトラックを切り出し、タイトルをつけて自家製のアルバムをつくったのですが、そんな大げさなものをお聴きになりたい方はいらっしゃらないだろうし、トラブルを招く怖れもあるので、控えめにしておきました。

以下はサンプル(ただし、ここで〈好天〉と仮に名づけた曲のタイトルは正しくは〈M6〉だということがわかり、改めて高音質のサンプルをアップしたので、この曲に関してはその訂正記事のほうをご参照あれ)
メイン・タイトル
北風吹く
嘆きの父
伊豆七島
好天
走れマーメイド
近くて遠き

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◆ コンビネーション・プレイ ◆◆
武満徹が嫌いということはないのですが、いたって保守的な嗜好なので、グルーヴ、メロディー、和声という次元で音楽を捉える傾向があり、以上のサンプルもまた、保守的な意味で「いい曲」を拾ってみたものです。

〈メイン・タイトル〉は懐かしい手触りがあり、おおいにけっこうです。ほんの数小節で、昔の映画を見ている気分になり、リラックスしてしまいます。こういうすばらしい音ではじまった映画が、あれほど退屈なものになったのは信じられない現象です。

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このメイン・タイトルなら、田坂具隆の『陽のあたる坂道』、滝沢英輔の『あじさいの歌』、中平康の『あいつと私』といった、石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演、芦川いづみ共演の明朗青春映画のタイトルとして頂戴しても、ぴったりはまるでしょう。いや、わたしは『あじさいの歌』のメイン・タイトルは好きなので、べつにあのままでもいいのですけれどね(いま調べたら、『あじさいの歌』の音楽監督は小津映画の常連、斉藤高順だった。われながら好みが一貫している)。

〈北風吹く〉は〈メイン・タイトル〉の変奏曲です。このシーンにおいてみると、いっそう、この曲に組み込まれた昂揚感が明瞭になります。

〈嘆きの父〉は、大の贔屓、森雅之のセリフ入りです。企画の推進者である裕次郎は、皮肉なことに、ひどいミスキャストだと感じますが(これほど大阪弁が不似合いな俳優はほかにいないのではないか?)、森雅之と田中絹代の夫婦はおおいにけっこうでした。長生きして、年老いた森雅之の演技というのを見てみたかったと、つくづくと思います。

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森雅之

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田中絹代と石原裕次郎。市川崑は被写体をワイドスクリーンの両端に片寄せて捉えている。

〈伊豆七島〉はこの映画のスコアのなかで唯一の4ビートです。60年代前半から中盤の日本映画を見ていると、スコアのどこかに4ビートの曲を嵌めこむのは、ほとんど常識だったのではないかと思えてきます。時代の気分をあらわすものだったのでしょう。この部分は、芥川也寸志なのか、武満徹なのか、どちらなのだろうと首をかしげています。

〈好天〉は、この映画のなかでもっとも楽しい曲です。メロディー、パーカッションの使い方、アレンジ、いずれも;好ましく、文句なしです。途中、ギター・コードのストロークが出てきますが、これまた盛り上がりますし、マイナーにいくところには、ホルンのサウンドのはろばろした感覚も相まって、心地よいセンティメントがあります。

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〈走れマーメイド〉は、〈メイン・タイトル〉のアップテンポ・ヴァージョンで、直前の〈好天〉の一部に聞こえるようなアレンジが施されています。エレヴェーターに閉じこめられたようなこの映画のなかで、この2曲はおおいなる救いです。

〈近くて遠き〉は、いかにも武満徹、という曲を選んでみました。いや、シャレの好きな人間なら、お互いの役割を交換してみる、という悪戯をしかねないので、保証はできませんが、でもまあ、ふつう、武満徹の音楽といえば、だれでもこういうタイプの和声をイメージするでしょう。

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だれのアイディアだったのか、たんなる苦肉の策だったのか、はたまた、なんらかのトラブルの結果だったのか、そんなことは知りませんが、芥川也寸志のオーソドクスな音と、武満徹の屹立した個性の組み合わせは、不思議な対比をなして、おおいなる魅力を発揮しています。こういうこともあるのだから、なにごともやってみないことにはわからんな、です。

◆ 出口なし ◆◆
f0147840_2329557.jpgこういう風に、映画にはまったく魅力を感じないけれど、音楽の出来は非常にいい、というのは困惑します。映画の出来を云々する以前に、音楽がひどくて怒ってしまう、というのは(そういうのは70年代以降の日本映画にかぎられるが)まだ始末がいいといえます。憤激というのはひとつの「出口」なので、「解決」がつくのです。

でも、「いい音楽だなあ」という気分と、「このストーリー、この絵では窒息してしまう」という閉塞感の組み合わせは、出口がなくて、結論のつけようがありません。製作者側としては、苦難の末にサンフランシスコに着いたときの解放感をカタルシスと考えたのかもしれませんが、もとが実話なので、ドラマティックなところはなく、ただ単に密室から這い出て、ばたりと倒れるような、カタルシスにはほど遠い終わり方です。事実は小説よりも奇なりかもしれませんが、小説より盛り上がるものなり、ではないことがよくわかりました。

ともあれ、今回は、「映画は退屈でも、音楽はすばらしい」ということは、やはりあるものなのだなあと、サントラ・ファンにいわせれば、当然かもしれないことを痛感しました。つぎも、映画の出来は『太平洋ひとりぼっち』をホコリのなかに置き去りにするほどの圧倒的なひどさなのに、音楽は楽しいという作品を予定しています。

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この画角で吊り橋を捉えるのは、当時は新鮮だったのではないだろうか。時代が下ると、ジェイムズ・ボンド・シリーズにも、このような絵が出てきた記憶がある。




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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-07-16 23:38 | 映画・TV音楽
狂った果実 by 石原裕次郎 (OST 日活映画『狂った果実』より) その4
タイトル
狂った果実
アーティスト
石原裕次郎
ライター
石原慎太郎, 佐藤勝
収録アルバム
N/A (未発売)
リリース年
1956年
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近ごろはニュースを見ず、新聞もあまり読まず、仙人への道を歩みはじめていたのですが、新型インフルエンザへの対応が極端にノロいので、毎日、ウェブでチェックするようになり、すこし地上に引き戻されました。

映画『アウトブレイク』でも、警報を出すか否かで登場人物たちが争いますが、今回もCDCなどではきっと大激論があったのでしょう。いまごろ、早期警報派が、だれそれが責任を負うのをこわがったせいで、ここまで広がってしまった、と地団駄踏んでいるにちがいありません。

わたしは報道を見た瞬間(テレビではなく、ニュース・フィードで見た)、即座に徹底した空港検疫をはじめれば日本政府は合格、と思いましたが、案の定、無責任だから、ためらってしまいました。CDCの段階ですでに大きく遅れたことを計算に入れれば、即座に断固たる手段を執らねばいけないことは、わたしのような市井の人間にも簡単にわかることで、それができないようでは、役人も政治家も仕事をしていないことになります。

しかし、どこの国の政府もみな似たり寄ったりで、あそこは立派だった、なんていうのはないようです。21世紀のもっとも深刻な世界的流行病は、新型インフルエンザではなく、不決断病、無責任病のほうかもしれません。

◆ イレギュラーな楽器構成 ◆◆
わたしもやっと21世紀に追いついたのか、不決断病にかかりました。『狂った果実』をここまで引っ張って、このうえまだ4回目をやるのか、です。人のことを不決断とそしるなら、決断せざるをえず、「止めてくれるなおっかさん、だれも読まなくても4回目をやるぞ!」と決めました。いや、じつは、3回目をやって、カウンターの数字がおもいきり「引いた」らやめようと思ったのですが、午前中まででかなりいい数字だったので、他力本願の「決断」をしただけです。

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こういう砂浜につくられた夏場だけの臨時のアミューズメント・パークというのは昔はよくあったのだが、近年はあまり見ない。もっとも、逗子や葉山に行くこともめったにないから、こちらが知らないだけか。

もうひとつ、武満徹のスコアについてちょっと書くつもりだったのに、サンプルの出し遅れのせいであわてたために失念してしまった、ということもあります。前の記事に戻るのは面倒だというわがままなお客さんのために、もう一度ここにリンクを貼ります。なんて親切なんだろうと、自分を尊敬してしまいますよ。

サンプル3(ラヴ・テーマ)
サンプル4(ラヴ・テーマ、オルタネート)

この2曲のアレンジです。最初はハーモニカ、ウクレレ、ペダル・スティールというトリオの演奏です。って、これ、じつは、ものすごくイレギュラーな楽器編成です。わたしの自前脳内データベースはかなり規模が大きいはずですが、何日もずっと検索をかけているにもかかわらず、類似楽器編成の曲にヒットしません。これが唯一の例ではないでしょうか。いや、もちろん、そんなことはない、というご意見があれば大歓迎ですので、ほかの例をご存知なら、ぜひコメントなさってください。

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北原三枝と津川雅彦の背後に見えるのは国鉄逗子駅旧駅舎。記憶にございません。そういえば、殿山泰司がここで川地民夫に出くわし……いや、いまはそんなことを書いている場合ではないので、またいつか。

サンプル4のラヴ・テーマ変奏曲も、やはりイレギュラーな楽器編成です。こんどはリード楽器をハーモニカからトランペットに変更しているのですが、この組み合わせも他の例を思いつきません。ハワイアン的編成に異質なリード楽器を持ち込む、という基本方針を立ててから、スコア全体のアレンジに取りかかったのかと思っちゃいます。

いまになっても、この映画のスコアが古めかしく聞こえず、依然として相応の訴求力をもっている理由は、楽曲そのもののみならず、アレンジ、サウンドにもあるのだと考えます。

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ここでのショットは二度出てくる。カーヴに記憶があるのだが、どことも特定できず。たぶん、逗子から鎌倉に抜けるあたりではないか。

◆ 葉山テキトー散歩 ◆◆
さて、残るロケーションはほとんど海です。いちおう、映画を見直してから葉山に出かけたのですが、なんせ、あそこは荷車か駕籠が通るのが精いっぱいという江戸時代的な道幅なのに、無数の車が無理矢理通るために、おそろしく剣呑で、のんびりあちこち写真を撮って歩くわけにはいきませんでした。自転車で転倒した小学生が、うしろから来た車に轢かれて死んじゃった町ですからね。それくらい道幅が狭くて、ヘビとミミズの専用道路といったところです。

古今亭志ん生がいっていましたな。「昔はどこの家にも井戸というものがあって、よく若い娘が飛び込んで死んだものです。いまじゃあ、井戸もポンプで汲みあげるようになっちゃったので、死のうたってたいへんです。ほそーくなんないと飛び込めない」

葉山はだいたいそういう感じで、バスが来たら、ほそーくならないとすれ違えません。そういえば、昔、泊めてもらった軽音の仲間の葉山の別荘には井戸があって(いや、もちろん、簡単に飛び込み自殺はできず、「ほそーく」ならないと死ねないタイプの井戸だが)、海からあがると、井戸水で足を洗ったことを思い出しました。

というわけで、葉山ロケ地散歩は、立ち止まれるところで適当に撮ってきただけなので、映画と一対一対応で細かく見るというような、前回までの方法は使えません。どうかあしからず。たんに、1956年と2008年の葉山のムードの違いだけをご紹介するにとどめます。

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以上三葉は同じ場所でのショット。北原三枝はここに現れ、ここに消えるだけで、はじめのうちはどこに住んでいるのかもわからない。たんに「オンリーさん」であることを隠して、良家の子女であるかのように振る舞っているだけなのだが、岩場の構造のせいもあって、この隠蔽がなにやら彼女に神話的属性を付与する。

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江ノ島を臨む

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フランクのヴィラのありそうな場所を探したが、ついに見あたらなかった。もっと南のつもりか、あるいは逗子だったのか。

◆ 最後は相模湾南船北馬 ◆◆
東京都知事は、物書きとしてどれほどの才能があったのか、わたしにはよくわかりません。若くしてデビューした人はたいへんだな、と思うだけです。史上最高の物書きだとうぬぼれていれば、政治のほうに行ったりはしなかったでしょうから、ご当人もそれほどすごい才能とは思っていなかったふしがあります。

『狂った果実』の脚本はどうか? 政治家にしては悪くない本だと思います。兄弟の確執が単純な形をとらず、愛情と憎悪を一枚板の合金にしたところなんぞは、都知事だなんていうインチキ商売をやらせておくのは惜しい、あんた、物書きでも食えるよ、といいたくなります。でも、このスタイルでそのまま年をとるわけにはいかないから、物書きでありつづけたら、中年を迎えて苦しんだことでしょう。いくらご婦人方に人気があったからといって、渡辺淳一みたいな方向には曲がれなかったでしょうからね。

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ともあれ、『狂った果実』の、弟への思いやりなんだか、ただの身勝手なんだか、よくわからない兄の心情とふるまいは、それなりのリアリティーがあり、いまみても古くさくはありません。兄に対してやはり愛憎なかばする弟が、いくら激情に駆られたからといって、あそこまですることが納得いくようには丁寧に伏線が張られていないため、「こうでもしないと話が終わらない」という、エンディングのためのエンディングの感なきにしもあらずで、その点はささやかながら瑕瑾かなと思いますが。

さて、そのクライマクス・シークェンス。兄と恋人の行方を求めて、弟はモーターボートで相模湾を走りまわります。最初は、油壺に行くといっていたという話を信じて、南に針路をとります。そして、風向きからしてそれは考えにくい、「レッド・ヘリング」(ヒチコックがよくいっていた言葉で、辞書には「red herring_n.《深塩で長期燻煙処理した》燻製ニシン; [fig.] 人の注意をほかへそらすもの」とある)だと気づき、また葉山へ引き返します。このとき、一瞬だけ、油壺湾が映ります。

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こんな風景、わざわざ油壺まで行かなくても、葉山の近くで撮ればいいじゃないかと思うのですが、これはたしかに油壺のようです。連休中、お子さんやお孫さんと油壺マリンパークに出かけるようなことがあったら、あの岬の突端より手前にある、海に降りる道をちょっと散策なさってみてください。ああ、ここか、と思うことでしょう。

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昨年暮に油壺をぶらぶら歩いたのに、『狂った果実』にここが登場することを忘れ、肝心の同じ位置の写真は撮らず、富士山と海ばかり撮ってしまった。

劈頭の鎌倉駅のシーンからずっとロケ地を見てきて最後に思うのは、じつになんとも律儀に、忠実に「現地」を使って撮影していることです。つぎはぎで、適当に「それらしく」することは避けているのです。これはやっぱり、若さゆえの潔癖性ではないでしょうか。あとで会社の幹部に怒られたと思いますよ。もっと簡単に撮れるのに、よけいな金を使うんじゃない、1ショットのために油壺なんかにいくな、葉山ロケのついでに、そこらで撮れるだろうが、なんてね。

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だからかどうか、空撮を含む最後の一連のショットは、穏やかで、周囲に船がなければ撮れるものなので、どこの海で撮ったかはわかりません。それこそ、葉山沖かもしれません。したがって、『狂った果実』散歩地図(アクセスしてくださった人が数人いらっしゃるようで、どうもありがとうございます。親兄弟親戚友人だけかもしれませんが!)に印を付けた真鶴岬沖のポイントはおっそろしくテキトーなので、信用しないでください。そもそも、真鶴には三十数年前に遊んだきりで、あまり縁がなく、土地勘ゼロなのです。

でも、映画のなかで、真鶴だ、伊豆だ、といっているなら、これまでの経緯から考えて、真鶴も現地まで行って撮影したのだろう、なんてうっかり思いこんでしまうほど、中平康が律儀に現地ロケ主義に徹したことが、その跡を歩いてみてよくわかったのでした。

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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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(『狂った果実』は、サウンドトラックではなく、ボーナス・ディスクに武満徹のこの映画の音楽に関するコメントが収録されているのみ)


武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-04-29 23:56 | 映画・TV音楽