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池部良主演、本多猪四郎監督『妖星ゴラス』(東宝映画、1962年) その3

訂正というほどでもないのですが、舌足らずだったところを補っておきます。前回、『サブウェイ・パニック』の邦題のつけ方について書きましたが、内容を批判したわけではありません。

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いや、じっさいのところ、映画も面白かったし(ウォルター・マソーよろし)、原作は映画以上に感心しました。ひどい邦題なので、「ケッ、『ポセイドン・アドベンチャー』の焼き直しか」なんて思い、危うく見逃しそうになりました。

成瀬巳喜男は、映画というのは映画館にかかっているその数週間だけの命のものだ、といったそうですが、現代のように「資産」とされる時代になると、その場かぎりの使い捨てタイトルでいい、という考え方は時代遅れです。人目を引く努力も必要ですが、とことん恥知らずなインチキをすると、あとで嗤いものになるだけでなく、「資産」の価値を減ずることにもなります。

『サブウェイ・パニック』はディザースター映画ではなく、典型的な泥棒もの、すぐれたアイディアとキレのいいひねりのある、上々のケイパー・ストーリーでした。泥棒ものが好きな映画ファンにも届くタイトルを付けるべきだったでしょう。

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地下鉄に勤めるウォルター・マソーは日本の鉄道会社の視察団の案内をさせられる。

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緊急事態が起きたことを察した日本人たちは、お邪魔でしょうからわれわれは引き上げます。どうもありがとうございましたと礼をいう。

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こいつら、ぜんぜん英語がわかっていない、というので、さんざん失礼なことを云ったウォルター・マソーは、完璧な英語の辞去の挨拶をきき、苦い顔をする。ひょっとしたら、シナリオ・ライターは、日本の鉄道運行ノウハウは世界に冠たるものだということを知っていたのかもしれない。よそがたいしたことないのをたしかめるためだけに視察団を送り込んだ、と。

以前、どれかの記事に書きましたが、『結婚しない女』なんて映画は、邦題に気をとられ、原題をたしかめもしなければ、レヴューも読まなかったので見逃してしまい、テレビで見ることになりました。

An Unmarried Womanすなわち「離婚した女」(字句通りには「未婚の女」の意もあるが、映画のヒロインは離婚されてしまう設定)が、一所懸命に再婚しようとする映画に「結婚しない女」のタイトルは無理の三乗でしょう。いまからでも遅くない、『やっぱり結婚したい女』と改題しましょう。「コンカツ」とかいう、狐をカツレツにしちゃうのかと思うようなブームにぴったり、二度のお務めが果たせるでしょう。

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◆ 「国際社会」のなかの「国際的日本人」コンプレクス ◆◆
まさか『妖星ゴラス』を三回もやるとは思いませんでした。そもそもディザースター映画とは、なんてよけいなゴタクを書くから、こういうことになってしまうのですが、『妖星ゴラス』は、ブーム以前の先駆的ディザースター映画ですから、どうしても、そういう文脈に置いて考えざるをえなかったというしだいです。

おかげで池部良を放り出してしまったのは本末転倒でした。池部良は、科学者(たぶん物理学者)の役で、上原謙扮する大物学者をかついで、ゴラス対策の中心人物をつとめます。この二人は見た目がいいので、政治家を説得するのに最適のムードをもっています。

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『ゴジラ』と同じように、志村喬が学者の役で出演しているにもかかわらず、池部良のみならず上原謙までキャストし、「近鉄バファローズのベンチ」みたいな雰囲気(わかる人は少ない喩えか!)をつくったのには、意味があると思います。

当時はべつになにも思いませんでしたが、国連が中心になって地球を危機から救うプロジェクトが繰り広げられ、日本人がその推進者のひとりになる、というのは、あの時代の日本人の願望を表現したものだったのでしょう。「国際社会への復帰」です。

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国連会議場

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中央、立ち上がっているのが上原謙、左端は池部良

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同じシーンのつづきで、南極にロケットを据えつけることで地球の軌道を変えられるということを説明する池部良。数式は「本物」だそうな!

東宝特撮映画にはしばしば外国人俳優が必要になり、主人公たちが、外国人と対等に渡り合うシーンが撮られたのは、たぶん、プロレスで外人レスラーが必要だったのと似たような意味なのでしょう。いえ、否定的に云っているわけではなく、時代の気分は映画に色濃く反映されるものだというだけです。

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劇中では「カプセル」と呼んでいるが(当時、NASAも、宇宙船の、地球に帰ってくる先端部分をそう呼んでいた)、後年いうところの小型探査艇を搭載していて、ゴラスに接近して観測する。この探査艇のノーズのデザインは、ジェミニ宇宙船に範をとったのだろうが、古めかしさがなく、スター・ウォーズにも使えなくはない。ただし、全体のデザインはそれほどシャープではない。

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◆ ただの「大勢の人びと」 ◆◆
ディザースター映画でも、怪獣映画でも、同じことですが、一般映画と決定的に異なるのは、個々の人間の重みです。いや、主要人物があっさり死んだりはしませんし、命を軽く扱ったりはしません。

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上原謙扮する科学者は池部良に向かってつくづく述懐する。「徒然草だったかな、蟻のごとく集い、東西に急ぎ、南北に走る。人間はいつの時代も、ただ目先のことに追われて生きていくようにできているらしいね」。東宝特撮はつねにこういう視点でつくられていた。「思いきりキャメラを引いた人類の絵」である。

でも、だれかの悪意や作為ではなく、巨大な災害で多くの人が死んでいくのがディザースター映画というものです。われわれは否応なく視点と考え方の基準を変更せざるをえなくなります。ひとりの人間の生き死にと、全市民、全国民、全世界の人びとの比較、世界を救うために犠牲になるヒーロー、というのは、この種の映画ではルーティンです。

大災害で人びとが死んでいくのを見ながらなにを考えるかは人それぞれでしょうが、子どものわたしは「自己の価値の相対的低さ」を感じとったようです。ゴジラを相手に素手で戦うことはできないのだから、所詮、人間ひとりの価値など多寡が知れています。

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南極の工事現場で落盤が起きる。

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掘削現場から避難する人びと。

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「地底探検」映画に化けてしまいそうな、とんでもない空洞ができてしまった。子どものころ、こういうはめ込み合成が大好きだった。左上の赤と黄色の点が人物のはめ込み。

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いや、それよりも、大勢の人が避難しているシーンがあり、そのシーンにおいて、個々の人物は認識できず、「大勢の人」でしかないことのほうが、ずっと重要だったかもしれません。自分や友だちや親兄弟ではなく、「人類」という、べつの価値体系で計るべきなにものかの存在を教えてくれたと、でもいいましょうか。

ときおり、ディザースター映画や怪獣映画を見て、圧倒的な力に追われて逃げまどう人びとのなかに身を置いてみるのは、夜郎自大になるのをふせぎ、精神のバランスをとるのに有効だろうと思います。

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久保明は探査艇に乗ってゴラスに接近するが……。

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ゴラスの表面。子どものころは気味悪く感じた。

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ゴラスを観察しているうちに久保明の容子がおかしくなる。奇妙なことに、このあたりは『2001年宇宙の旅』でフランク・ボーマンがスペース・コリダーに突入するところに酷似している。スタンリー・キューブリックは参考に東宝特撮映画を見た?

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かろうじて帰投した久保明を助けに、母船から仲間が向かう。

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結局、久保明は記憶喪失になってしまう。このエピソードは全体のプロットにほとんど影響を与えないのだが、子どものときは、どういうわけか、このあたりがひどく怖かった。なにかのきっかけで精神に異常を来すことに対する強い恐怖心をもっていたらしい。

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こういう絵柄だけ捉えれば、後年のフルスケールの宇宙ものにそれほどひけをとるわけではない。モーション・コントロールという発想があれば、と惜しまれる。

◆ 滅びよ、と悪魔は云った ◆◆
そういうことと表裏一体なのですが、人間が営々と築いてきたものが、瞬時にして破壊されていくのは、爽快な眺めです。ディザースター映画が好まれるのは、ひとつにはそれが理由だと確信しています。

たとえば大地震などで現実に大規模な破壊が起きればやっかいなことだし、起きて欲しくはないのですが、なにかを大事に守るというのは、一面で重荷でもあるので、都市が消えたら、いっそ、せいせいするかもしれないと、われわれは心のどこかで思っているのでしょう。

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東京暮色。白川由美と水野久美が疎開の支度をしている。外の風景はもちろんセットだが、なんだか妙に好ましい絵柄に感じる。

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フィアンセを失ってメランコリックになった水野久美は「いっそのことゴラスが地球にぶつかって、みんな死んじまったほうが幸せなのかもしれないわ」という。そのためのこの夕景デザインか。

『妖星ゴラス』は、他の天体衝突ものディザースター映画とは異なり、ほとんど無傷で地球を救ってしまうため、破壊シーンは数えるほどです。南極の掘削現場での落盤事故、南極の氷の下に眠っていたオットセイ風モンスター(この映画には怪獣はいらないのに、やっぱり出てきた)が施設を破壊するところ、最後にゴラスとすれちがうときに高潮や山崩れが起きるぐらいで、いたって穏やかなものです。

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空、月、ゴラスはマット・ペインティング、そして地上は模型またはマットだろうが、それがSF映画にふさわしいかどうかはさておき、やはり広重、清親の伝統が生きていることを感じる。

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それでも、エンディングの高潮が引いていくシーンなんか、じつに子ども心をそそる出来で、おお、と思います。予算が僅少だったのでしょうが、もうすこし破壊シーンがあったら、子どもはさらに盛り上がったことでしょう。

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この場面で流れる叙情的な曲をサンプルにしました。

サンプル 石井歓「エンディング」

大昔のSF映画ですから、いろいろな不満はありますが、いま振り返れば、(予算が少ないことの反映でもあったのだろうが)後年のディザースター映画のような「ケレン倒れ」に陥らない、生真面目な映画に見えます(まあ、オットセイの怪獣だけはよけいだったが!)。そして、わたしにとっては、後年のディザースター映画好きの原因となる映画でもあり、再見して懐かしく感じました。

結局、いちばん好きなディザースター映画はどれだ、なんてことも考えてみたのですが、また話が長くなるので、そのあたりは次回に。

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by songsf4s | 2010-10-18 23:45 | 映画・TV音楽
池部良主演、本多猪四郎監督『妖星ゴラス』(東宝映画、1962年) その2

前回、現代的ディザースター映画の嚆矢は『タワーリング・インフェルノ』と書きましたが、こちらは1974年の製作、『ポセイドン・アドベンチャー』は1972年の製作だそうです。後者のほうが日本でいう「パニック映画」の嚆矢ということになります。

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しかし、どちらもわたしの理想「大災害映画」にはほど遠い、限定された空間のなかでの小さな出来事をあつかったものにすぎません。『エアポート'75』(1974年)も同断です。

映画配給会社の宣伝部というのは、ほんとうに想像力豊かな人たちが集まっていて、しばしば驚かされますが、「パニック映画」ブームのときは彼らの才能が極点に達しました。The Taking of Pelham 1-2-3、すなわち「ペラム行123番列車乗っ取り」というケイパー物語を『サブウェイ・パニック』と命名したり、(ここで、あとはなんだっけとMovie Walkerで検索し)Two Minutes Warningというクライム・サスペンスを『パニック・イン・スタジアム』と命名したり、みごとなものでした。

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巡り合わせにすぎませんが、ちょうど『ジョーズ』というモンスター映画の亜種のようなものが大ヒットして、この種の、人間以外の生物が人間に襲いかかるものも「パニック映画」のサブジャンルとみなされるようになったようです。クモとかヘビとかアリとかハチとかシャチとかワニとかアマゾンの小魚とか、いやはやいろいろなものに襲われたものです。

ということは、大昔の『恐怖のミイラ男』とか『大アマゾンの半魚人』(ATOKは「半漁」と変換し、危なく確定しそうになった。そりゃ半農半漁というやつでしょうに!)なんてのも「パニック映画」かよ、と思ったら、Movie Walker(ということはすなわち責任はキネマ旬報)では「ホラー・パニック映画」という言葉をつくっていました。ジョージ・ロメロのゾンビものはこちらに分類されるようです!

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云わずと知れた『大アマゾンの半魚人』。これで子どもが生まれると、大アマゾンの4分の1魚人になる勘定。音楽はまだユニヴァーサルの社員だったヘンリー・マンシーニ。

こんなことをいっているとワケがわからなくなってきます。ヒチコックの『鳥』はどうなのだとか、『マタンゴ』もあるぞとか、『エイリアン』はどうしようとか、パアなことをいいだしかねません。

結論として、「パニック映画」という無茶苦茶な言葉は定義できない、したがって意味を成さないと考えます。だって、『ピラニア』と『サブウェイ・パニック』が同じジャンルというのは、いくらなんでも無理でしょうに。ディザースター映画のほうがまだしも意味を成します。

地道にディザースター映画にもどって考えると、『宇宙戦争』などというのは、ジョージ・パルのオリジナル版(1953年)も、スピルバーグのリメイクも、「地球規模の大災害を扱った映画」という定義でいえば、ディザースター映画に分類していいような気がします。まあ、どちらも感銘を受けるほどの出来ではありませんでしたが、リメイク版の最初の来襲シーンなど、大流星雨の降下と同じ絵柄でした。

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オリジナル版の『宇宙戦争』(1953年)。ひょっとしたら『ゴジラ』は、『キングコング』のみならず『宇宙戦争』の影響も受けたのではないかと思う。

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以上六葉はリメイク版『宇宙戦争』より。こちらを見ると、スピルバーグは『ゴジラ』をつくりたかったのではないかと感じる。ジョージ・パルのオリジナル『宇宙戦争』→本多猪四郎のオリジナル『ゴジラ』→スピルバーグのリメイク版『宇宙戦争』という影響関係を仮定したくなる。リメイク版の宇宙人のヴィークルだか戦闘ロボットだかは、オリジナルより爬虫類的につくられている。

◆ マニュアル航行 ◆◆
ジャンルなどというものは正面からぶつかると泥沼になるので、「そういうもの」と思っておけばいいのでしょう。広げすぎた風呂敷を畳み、『妖星ゴラス』へと撤退します。

古い映画を見ていると、製作者の意図とは関係なく、しばしばその時代の風物に惹きつけられてしまいます。『妖星ゴラス』は1980年代を想定した1960年代の未来映画ですが、当然ながら、1962年のパラダイムに縛りつけられています。

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ロケットには翼がありますし、航法はどうやらマニュアルらしく、spaceshipではなく、ただのshipのメタファーになっています。慣性航法に切り替えると(この考え方はすでに取り入れている。かなり早いのではないだろうか)、キャプテンは潜望鏡で周囲の容子を見ますし、航海図のように定規やコンパスで線など引くところはじつに新鮮です。

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コンピューターに見えなくはないものも積まれている。不思議にAltair(なんてコンピューターを覚えている人がいるかどうか知らないが)に似ている。

そういう映画をつくれたのは、このころが限界ではないでしょうか。たぶん、60年代後半には(それがどれほどアンリアリスティックな表現になっていようと)コンピューター制御の考え方が出てきて、三角定規の出番はなくなってしまうでしょう。

ギョッとしたのは「無重力室」です。

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名前のとおり、無重力状態になる部屋で、ここで宇宙飛行士たちが訓練しているのです。地上で無重力状態を実現するには、当然ながら重力を制御する技術が必要です。そんなことはできないから、大型の輸送機を高度何万フィートだかまで上昇させ、自由落下することで無重力状態をつくって訓練しているわけで(スカイツリーの最上階でエレヴェーターのワイヤが切れたら、なかにいる人はそれなりの長さの自由落下、すなわち無重力状態を経験できるだろう!)、重力の制御は昔から実現がきわめて困難と考えられています。

つくられた時点では未来物語なのだから、なにをしてもいいようなものですが、無重力室などというものをつくれる技術があれば、ゴラスのコースを変えることも不可能ではありません。無重力室は重力の影響をキャンセルできるのだから、スケールこそ異なれ、ゴラスの重力の影響をキャンセルする基礎技術はすでに持っていることになるのですから。

どうしても南極にロケットを据えつけ、地球の軌道を変更したいのであっても、あんな「300人様収容大バーベQ場」みたいな代物をつくる必要はなく、炎の出ないクリーンな重力エンジンで太陽系の彼方にまでだってすっ飛んでいけます。水と炎は特撮の頭痛の種、そのひとつから解放されたのに、残念なことをしました。あのロケットはどう見てもガスレンジの親玉ですからね。

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でも、視覚的に表現しようのない重力エンジンでは「点火!」といったって、なにも起きず、計測機器のリードアウトが関の山だから、映画製作者としては、そんなもの使えるか、でしょうね。

◆ 俺ら宇宙のパイロット ◆◆
今日はなにがなんでも『妖星ゴラス』を終えようと、ちょっと無理矢理にまとめようとしたのですが、うまくいかず、その部分は次回まわしとして、今日も石井歓のスコアからサンプルをあげておきます。

今日は純粋なスコアではなく、また酒場で流れる「現実音」、それに挿入歌があるので、それをいってみます。

サンプル 石井歓「グランドキャバレー」

ゴラスの観測に行く宇宙飛行士たちが、出発の前夜に飲むシーンがあり、これはその酒場で流れている音楽です。

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バーカウンターには天本英世がいて、宇宙飛行士に一杯おごってやり、「宇宙に行く君たちが生き残って、地球にいる俺たちはゴラスにやられてあの世行き、ということもありうるな」などといいます。天本英世は役名もなく、このシーンにしか出てきません。

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映画では台詞がかぶったりしてよく聞こえないのですが、単体で聴くと、断片ではありますが、なかなかけっこうなラウンジ・ミュージックで、こういうのを使い捨てにしていかなければいけないのだから、映画音楽はなかなか大変です。

もう一曲は、シャレみたいなものなので、生真面目な方はお聴きにならないように警告しておきます。

サンプル 石井歓 「俺ら宇宙のパイロット」

「山男の歌」の宇宙版といったおもむきのシンガロング・ソングで、劇中、若い宇宙飛行士たちが二度にわたって歌います。サンプルにしたものはショート・ヴァージョンで、上述のキャバレー・シーンに使われたものです。リズムのとりにくいドドンパ・アレンジなのがくせ者で、素人たちの歌は乱れに乱れて、じつに楽しい仕上がりです!

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それでは次回こそ完結を目指して、またしても「つづく」とさせていただきます。


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by songsf4s | 2010-10-17 23:58 | 映画・TV音楽
池部良主演、本多猪四郎監督『妖星ゴラス』(東宝映画、1962年) その1

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ちょっと遅くなりましたが、やはり池部良追悼企画もやっておこうと思います。

池部良はどの映画がよかったか、などという話はよそでやっていらっしゃるでしょうから、当家では『乾いた花』も『昭和残侠伝』もさしおいて、とくに名作というわけでもない映画を取り上げることにします。

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いや、箸にも棒にもかからないわけではなく、十分に楽しめる映画です。少なくとも、小学生のわたしは満足した一本、怪獣のレスリングが出てこない(一匹だけのショボイ怪獣は出る!)東宝特撮映画『妖星ゴラス』です。

『妖星ゴラス』トレイラー


◆ ご存知天体衝突もの ◆◆
『妖星ゴラス』の設定はシンプルです。太陽系に向かってくる、大きさ(直径なのか体積なのかは不明だが)は地球の4分の3、質量は6000倍という黒色矮星が発見され、「ゴラス」と命名されます。そして、計算の結果、このままの針路なら、地球に衝突するか、ごく近くを通過することが判明します。

世界各国は利害の対立、軍事的諸問題を乗り越え、資金と技術を集めて、南極に巨大なエンジンを据えつけ、地球全体をひとつの宇宙船として、ゴラスを回避しようとします。話はこれだけのことでして、特撮によってこの巨大プロジェクトを見せるのが、この映画の眼目です。

なんだかありふれた設定だなあ、とお感じになった方もいらっしゃると思います。たとえば、比較的近年では『アルマゲドン』と『ディープ・インパクト』(ともに1999年)というハリウッド製の天体衝突ものディザースター映画がありました。

さらにさかのぼると、『メテオ』(1979年)というのも見た記憶があります。

『メテオ』


どんな話だったか忘れてしまったので、いくつかのサイトでシノプシスを読んでみました。アメリカとソ連が核ミサイルを発射して、「メテオ」(meteorの仮名書きとしては「ミーティオ」あたりが妥当だろうが)すなわち隕石を破砕しようとするものの、東西両陣営の政治対立がからんで困難を極める、というプロットのようです。

『アルマゲドン』や『ディープ・インパクト』が公開されたころ、だれか物理学者が、地球に向かって来る彗星や小惑星を破砕した場合、被害が大きくなることはあっても、抑制することはできない、と発言したのを記憶しています。

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『ディープ・インパクト』のエンディング。小惑星を破砕して万々歳というシーン。あの破片はどこへ向かっているのか?

そりゃそうでしょうね。マグナム弾で撃たれるか、散弾銃で撃たれるかのちがいにすぎず、弾丸が飛んでくるのは防げない、というのは、中学の物理で落第点をとりそうになったわたしでも、直感的にわかります。選択肢は、蒸発させるか、コースを曲げるか、こちらがよけるか、この三つしか思いつきません。

つまり、『妖星ゴラス』はon the right trackだけれど、『メテオ』『ディープ・インパクト』『アルマゲドン』は失格という、意外な判定が科学的に下されるのではないでしょうかね。あらあら。

いちおう、爆破によってコースを変えるのだ、細かい破片による被害はやむをえない、としているものもありますが、破砕せずにまるのまま衝突したときと被害の大きさは変わらないのではないでしょうか。

『アルマゲドン』トレイラー


『アルマゲドン』の冒頭で、先触れの大流星雨が降り注ぎ、大きな被害が出ますが、巨大隕石なり小惑星なり、さらには黒色矮星(恒星がエネルギーを失って縮退し、電磁波を発しなくなって、電波望遠鏡では観測できない状態になったもの、なんて説明でいいのだろうか? どうであれ仮説にすぎず、観測されたことがあるわけではないそうな)なりを破砕しても、結局はこのような流星雨を引き起こすだけでしょう。「まあ、映画だからな」とリラックスして、大破壊場面を楽しむにかぎります。

◆ 石井歓のスコア ◆◆
映画の話が長引くと、音楽にふれる余裕がなくなる恐れがあるので、先に書いておきます。『妖星ゴラス』のスコアは石井歓によります。石井歓の父は舞踏家の石井漠だというので驚きましたが、まあ、それが音楽の出来に関係するわけではありません。

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石井歓の音楽は『妖星ゴラス』しか知りませんが、伊福部昭の映画音楽スタイルからそれほど遠くない、メインストリートを行く勇壮なオーケストラ曲がいくつかあって、なかなか楽しめるスコアです。

サンプルは、ひとつはタイトルの直後、白川由美と水野久美が、夜、海岸をドライヴしている場面で、ラジオから流れてくる曲です。

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曲のタイトルは「カーラジオ」となっているが、画面に出てくるのは車につまれたトランジスター・ラジオである。昔のトランジスター・ラジオは、カメラと同じように、こういう堅牢な革ケースに収まっているものだった。

「現実音」だから、ストレートなラウンジ・ミュージックで、こういうのがあるところが東宝特撮映画のスコアのうれしいところです。『妖星ゴラス』にはフルスコア盤があるので、以下のタイトルは正式のものですし、ステレオです(映画はモノーラル)。

サンプル 石井歓「カーラジオ」

すごく短いのが残念で、せめて一分ぐらいだったらよかったのにと思います。もう一曲はいかにも東宝特撮らしいオーケストラ曲です。

サンプル 石井歓「ジェットパイプ点火」

まだ面白い曲がありますが、ここまでちょっと書いた感じでは、『妖星ゴラス』は二回に分けることになりそうなので、今日は以上の二曲のみにしておきます。

◆ 破滅という名前のユートピア ◆◆
わたしはディザースター映画(かつて日本では「パニック映画」と呼んでいた)のファンです。当家では、最近の当たり前の映画は取り上げない方針ですが、見るだけはかなり見ています。近ごろでは『2012』が派手でした。まあ、あそこまでいくと、それは無理でしょうと(あのジェット機の離陸シーン!)、東宝特撮とは違う意味で笑ってしまいますが。

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『タワーリング・インフェルノ』が現代的なディザースター映画の概念を確立したといえるでしょうが、見ようによっては、東宝怪獣映画というのは、ディザースター映画の一サブジャンルともいえます。絵柄もしばしば似たようなものになりますしね。

『タワーリング・インフェルノ』がつまらないとか、嫌いだとかいうことはないのですが、ディザースター映画としては、あれでは不十分です。いかに大きかろうが、要するにひとつのビルの中の話、外の世界はなにも影響を受けません。

わたしが好むのは、できれば全地球規模、小さくてもせめて一国の全体が影響を受けるような災害(『日本沈没』)を前提とした映画です。そういう定義では、火山の爆発をあつかったもの(たとえば『ダンテズ・ピーク』)も、やはり地域が限定されることに不満を感じます。

なぜディザースター映画を好むのか、まじめに考えてみました。結論は「日常生活のモラトリアムまたは終焉」でした。

巨大な隕石が地球に向かっているとしたら、もはや勉強も仕事も資産も貯蓄もあったものではありません。日常は、すくなくとも停止されます。防ぎきれなければ、ラリー・ニーヴンとジェリー・パーネルの『悪魔のハンマー』(そう、小説もこの手のものは読むのです)のように、それまでの世界がチャラになってしまった、「ザ・デイ・アフター」の新しい世界のなかで生きる道を見つけることになります。

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大火球(「ボライド」「爆発流星」ともいう)が海に落下して、(たぶん)水蒸気爆発も起こす。その大津波が世界の都市を襲う。いずれも『ディープ・インパクト』より。

結局、わたしはこういうことが好きでディザースター映画ファンになったのだと思います。子どものころ、台風が接近して、ほんの一、二時間授業を受けただけで帰宅するなどということがあると、妙に浮き浮きした気分になりましたが、あれをフルサイズに拡大すると、わたしの「ずっとこれを待っていたぜ、うれし楽しの地球滅亡」になるような気がします。要するに、ふつうの日常のガチガチに固体化された空気が嫌いなのです。

さらにいうならば、『妖星ゴラス』のなかで水野久美が云うように「いっそのことゴラスが地球にぶつかって、みんな死んじまったほうが幸せなのかもしれないわ」という気分もチラッとあるようです。ひとりで割を食うのはゴメンですが、だれも逃れられない災厄なら、「それも悪くない」のではないでしょうか。

「日常」というのは、だれか不運な奴が貧乏くじを引いて、ひとりで割を食うことであり、地球規模の大災厄というのは、だれも割を食わずにすむユートピアだと、そのように感じるのです。

むろん、『ディープ・インパクト』や『2012』のように、特権階級や金持ちが生き残る確率は高いのですが、まあ、この世に完璧などありうべくもないので、それくらいの欠陥はやむをえないでしょう。

今日はディザースター映画だらだら考察で終わってしまったので、もう一回『妖星ゴラス』をつづけさせていただきます。


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by songsf4s | 2010-10-16 23:58 | 映画・TV音楽
佐藤勝「シーコーラル」(東宝映画『ゴジラ対メカゴジラ』より その2)
 
いやはや、東宝特撮映画のタイトル付けの独創性たるやすばらしいもので、他の追随を許しません。あまりすごいので、タイトルを覚えることもできなければ、タイトルを見て中身を思いだすのもむずかしいほどで、『怪獣総進撃』と『オール怪獣大進撃』なんて、いまだに区別ができません!

ひどいのはメカゴジラ関係、なかでも個性的なのは、『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)と『ゴジラVSメカゴジラ』(1993年)と『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)の三本です。ちがいは「対」と「VS」と「×」だけ、意味は同じだし、形だって似ています! 英語版はどうしたかというと、

『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)→Godzilla vs. the Bionic Monster a.k.a. Godzilla vs. the Cosmic Monster a.k.a. Godzilla vs. Mechagodzilla

『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)→Godzilla vs. Mechagodzilla II

『ゴジラ×メカゴジラ』(2002)→Godzilla Against Mechagodzilla

という調子で、苦しんだ痕跡歴然たり。しかし、IIのあとを素直にIIIにしてくれれば、英題はスッキリとわかりやすくなったでしょうにね。いや、問題は、メカゴジラの登場するものがほかにもあることです。それで素直にIIIとはできなかった可能性があります。

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まあ、そんなことはたいていの人にとってはどうでもいいことで、全部見ようなどと不埒なことを考えなければ、どれほどタイトルが紛らわしくてもかまわないのですが!

でも、メカゴジラって、子どもには人気があるのでしょうかね。とりたてて面白いキャラクターには思えないのですが。とくに、どの作品だったか、東京湾の底から回収したゴジラの骨(第一作で死んだあのゴジラのもの!)からとったDNAをロボットに組み込むというのが、チンプンカンプンで悶絶してしまいました。

そうするとなにかいいことがあるという説明すらなされないので、客が自力で想像しなければいけないらしいのですが、わたしの想像力ではまったくなんのメリットも思いつきませんでした。

そもそも、どうやってDNAとメカゴジラのプロセシング・ユニットを結合するのか、そのへんの技術的細部も想像を絶しています。はっきりいえば、リモコンなのだから、能動的に動く必要すらなく、はじめからDNAなんかの入りこむ余地は絶無なのはハッキリしています。プロットに変化を与えたいなら、人間と機械のインターフェイスでトラブルが起きるとか、単純なリモコンではなく、人間の脳と電気的に接続して、操作者の精神状態がロボットの動きに反映され、それがトラブルの原因になるとか、もうすこしマシな設定ぐらい、だれでもたちどころに五つ六つは思いつきます。

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ひょっとしたら、『2001年宇宙の旅』で、HAL9000コンピューターが異常を起こしたのを真似したかったのだけれど、生物学やコンピューター・サイエンスの知識がゼロ以下だったということかもしれません。HALが人間のように話すのには、コンピューター・サイエンスの裏付けがあったのですがね。いや、DNA組み込みメカゴジラの登場するあの映画が、中学生以上を対象にしていると仮定しての話であって、幼児向けなのだとしたら、DNAだろうがCIAだろうがFBIだろうが、なにをロボットに組み込もうとどうでもいいのですが。

◆ 仕切り直し ◆◆
前回の記事で、こういう順番にするまずいことになるかもしれない、と危惧したのですが、じっさい、そのとおりになってしまいました。最初にあげたサンプルは、とくにいいわけではなく、「ゴジラ映画のオープニングにしてはすごく変わっている」にすぎません。

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あの記事の眼目、『ゴジラ対メカゴジラ』を取り上げようと思った理由は、2番目のサンプルのほうにあります。オープニングは付けたり、主役はメイン・タイトルのほうなのですが、サンプルのアクセスは、付けたりのほうに集中してしまいました。よって、やり直します。

サンプル 佐藤勝「メインタイトル(M2タイトルT2+M2T1)」

これはいい、と手を打ったのは、こちらの曲のほうです。

◆ 謎の人、ベルベラ・リーン ◆◆
『ゴジラ対メカゴジラ』のスコアを書いた佐藤勝は、自身にとっては最初のゴジラものである『ゴジラの逆襲』でも、〈湖畔のふたり〉という曲を劇中に使っていますが、『ゴジラ対メカゴジラ』にも「歌謡曲」が登場します。

佐藤勝作曲、福田純作詞、ベルベラ・リーン唱「ミヤラビの祈り」


クリップをご覧になれば想像がつくと思うのですが、これはシーサーのモンスター「キング・シーサー」を太古の眠りから呼び覚ます歌で、モスラの歌のようなものです。

しかし、これは微妙ですねえ。コーラスのメロディーがメイジャーに行くところは魅力的だったりするのですが、それ以外はとくにどうということはなく、「湖畔のふたり」のようにキャッチーではありません。まあ、星野みよ子の「湖畔のふたり」は、映画から切り出したゴジラ来襲アナウンス入りのサンプル低音質ヴァージョンと併せると、当家のサンプルの最大の「ヒット曲」で、そういうものと比較するのはフェアではないかも知れません。

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星野みよ子同様、この「ミヤラビの祈り」を歌ったベルベラ・リーンという歌い手についても、なにもわかりませんでした。ウェブ上にはまったくバイオがないのです。当時のプログラムなどには紹介が載っているかもしれないので、ご存知の方がいらしたら、ぜひご教示をお願いいたします。沖縄出身の新人シンガーだったのでしょうか。

グーグルで「ベルベラ・リーン」のキーワードで画像検索をかけると、ゴジラやメカゴジラなど、怪獣の写真ばかりが並んでしまい、女性にはあまりにもお気の毒なので、ちゃんとご自分の顔で登場できるようにと祈って、スクリーン・ショットとお名前をセットにしてみます。はたしてどうなりますか。

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ベルベラ・リーン

ただの歌謡曲、なんて言葉で片づけてはなにもいったことにならないので、いま、ベルベラ・リーン歌う「ミヤラビの祈り」を数回聴き直し、検討してみました。曲もまあクリシェではあるのですが、それよりも問題なのは、あの時期の歌謡曲のサウンドをあまりにもストレートに反映しすぎたことだと感じます。

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ベルベラ・リーン

古代の伝承で霊おろしのようなことをするシーンであり、霊的な作用をもつ歌という設定ですからね、時代の音につきすぎてはリアリティーがなくなります。「モスラの歌」の超時代性に負けているのです。サウンドの味わいというレベルでいっても、『ゴジラの逆襲』の「湖畔のふたり」ほどの感興はもたらされず、ひどく俗っぽい印象になってしまっています。メロディーはこのままでも、アレンジを変えれば、ずいぶん異なったものになったのではないでしょうか。

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もうひとつベルベラ・リーン

◆ さらにエキゾティカ ◆◆
『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』でふれたように、低予算の邦画というのは、タイアップだらけになり、劇中でコマーシャルを見るはめになったものです(いや、たとえばジェイムズ・ボンド・シリーズなどでも、CMが巧妙かつ大量に仕込まれているのだが)。

『ゴジラ対メカゴジラ』で、なんかタイアップくさいなあ、と思ったのは、このショットです。

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これだけならまだしも、べつにいわなくてもいいところで、「この《さんふらわあ》を使うとは敵も思わないだろう」などと、わざとらしい台詞をいうので、タイアップとすぐにわかってしまいます。

いや、そんなことはどうでもよくて、このあたりで流れる曲がなかなか好ましいのです。前回の轍を踏まないように、今日は映画のなかでの順番を無視して、好きな順にサンプルをおきます。

サンプル 佐藤勝「シーコーラル(M16)」

「メイン・タイトル」同様、沖縄スケールを取り込んだものですが、こちらのほうはよりスロウで、ソフトなアレンジになっています。

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よけいなことですが、coral seaはあるものの、sea coralというのはききませんな。まるでland coralというのがあって、区別が必要だといわんばかりです。サンゴはふつう海のものだから、これは「隠れた」トートロジーでしょう。

もう一曲、同じく「さんふらわあ」船上のシーンで流れる曲です。

サンプル 佐藤勝「海路の陽光(M14)」

レストランのシーンなので、そのハウス・バンドの演奏という雰囲気ですが、映画からは、現実音なのか、スコアなのかは判断できませんでした。短い断片ですが、なかなかいいムードの4ビートのキューです。

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これでおわってしまってはあんまりだから、ざっと、どういう映画なのか、紹介しようかと思ったのですが、書きはじめると、きっとあら探しになるからやめておきます。佐藤勝の音楽の付録だと思うしかないでしょう。いや、そういう意味では、もうすこし観光映画風にして欲しかったところですが。

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OST
ゴジラ大全集(14)ゴジラ対メカゴジラ
ゴジラ大全集(14)ゴジラ対メカゴジラ
by songsf4s | 2010-09-15 23:59 | 映画・TV音楽
佐藤勝「メイン・テーマ」(東宝映画『ゴジラ対メカゴジラ』より その1)
つい先日、伊福部昭の自衛隊マーチないしはゴジラのテーマの『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』エンド・タイトル・ヴァージョンを取り上げましたが、あれは前ふりのようなもので、つぎのゴジラの本命は、今日の『ゴジラ対メカゴジラ』だったのです。

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しかし、 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のときもかなり困惑しましたが、今回はもっと「すごい」ので、困惑も一段と深く、ほとんど混迷の域に達しそうなほどです。

だいたい、60年代終わりから70年代前半のゴジラ映画は、わたしの好みからいうと、どん底に落ちこんでいて、いまだにあまり見たいとは思わないのです。『ゴジラ対メカゴジラ』は1974年公開ですから、じつにもう逆風ここにきわまれりの時期につくられています。どれくらいの逆風かというと、つぎの『メカゴジラの逆襲』でゴジラ映画は打ち切りになってしまうほどの冬の時代なのです(9年後、『ゴジラ』The Return of Godzillaで復活する)。

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平田昭彦、小泉博、佐原健二などの昔なじみが出演しているのがささやかなお楽しみではある。

この時期のゴジラ映画はほとんど見ていないのに、なにかをいうのは具合が悪いのですが、なぜ見たくないかというと、子ども向けを通り越して「幼児向け」になってしまったかのようなつくりで、小学生も赤面してしまうような場面があったりするからです。

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しかし、平田昭彦、小泉博、ともに老け役、ともにプロフェッサーである。かつては志村喬がやった役を平田昭彦や小泉博がやる時代になったのだ。

いや、『怪獣総進撃』『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 』『ゴジラ対ヘドラ』『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』『ゴジラ対メガロ』などはいまだに見ていないので、ほんとうに「幼児向け」かどうかはたしかめていませんが、中学のときにへこたれて、ゴジラにサヨナラをいったのは、「I'm too old for this」と見切ったからです。

それから40年以上たち、多少の幼児退行ははじまっているかもしれませんが、まだ着ぐるみのレスリングを面白いと感じるほど十分には年をとっていないようです。

◆ エキゾティカ・ウチナー ◆◆
ということで、今回は映画の内容は棚上げにして、もっぱら佐藤勝のスコアに注目することにします。

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これがいちばん好きなわけではありませんが、順番なので、まず、東宝ロゴから、アヴァン・タイトルでアンギラスが登場するシーンにかけて流れるトラックを。

サンプル 佐藤勝「オープニング(M1)」

ゴジラ映画の文脈、いやつまり、伊福部昭的管弦楽をイメージしていると、いきなり猫だましを喰らってしまいます。アメリカのオーケストラ音楽の文脈におけば、多くの人は「ジャングル・エキゾティカ」に分類するであろうタイプのサウンドですから。これはもっとも異色あるゴジラ映画のオープニングではないでしょうか。

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しかし、この映画を取り上げようと思ったのは、その直後、オープニング・クレジットで流れる曲のせいです。一聴、「へへえ、さすがは佐藤勝、またしてもエキゾティカ・ジャポネじゃん」でした。いや、正確には「エキゾティカ・ウチナー」かもしれませんが。

サンプル 佐藤勝「メインタイトル(M2タイトルT2+M2T1)」

ゴジラ・シリーズのどこかに、まだエキゾティカが隠れているにちがいないとは思っていましたが、これほどのジェムがあるとは予想していなかったので、欣喜雀躍でした。こういう曲を発見したくて、レスリングはイヤだなあ、と思いながら、ゴジラを見ているわけでしてね。この数日、ずっとこのメロディーを口ずさんでいます。

邦画のシリーズものの安易なところで、『ゴジラ対メカゴジラ』は、沖縄海洋博(まさかお忘れではなかろうが)にひっかけて、沖縄を主要な舞台にしたからこういう曲調になったのですが、おかげで、わたしがゴジラ映画(およびシリーズ外の東宝特撮もの)に求める、あの南方的なサウンドが必要になり、いかにも佐藤勝らしい、オーケストラによる叙情的なエキゾティカの誕生となったしだいです。

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沖縄海洋博に便乗したのは、まあ、よくあるパターンですが、狛犬というか、鬼瓦というか、あの「シーサー」という魔除けをモティーフにしたモンスターをつくっちゃったところが、すごいですわ。いじましくて、なんだか涙が出てきそうです。まあ、エビラよりはマシかもしれませんが。いや、どっちもどっちだなあ。

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◆ 今宵二人でマンボを踊らん ◆◆
佐藤勝は、『ゴジラの逆襲』でも、伊福部昭とはずいぶん異なったタッチの音をつくり、 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』ではもっとラディカルに、ゴジラ映画としては外道といいたくなるようなスコアを書いた人なので、『ゴジラ対メカゴジラ』もゴジラ・ファンの意表をつくようなスコアになっています。

メカゴジラのテーマ


これなんか、のけぞっちゃいましたよ。東宝ロゴに使われているテーマの変奏曲で、長い分だけ、こちらのほうがジャングル・エキゾティカらしさが横溢しています。って、この音楽でゴジラ映画の売りものである、怪獣どうし(いや、この映画の場合、片方はロボットだが)のレスリングをやっちゃうのだから、ゴジラ・ファンのなかには腹を立てた方もいらっしゃるのではないかと思います。わたしは、おおいに楽しみました。ゴジラ映画の音楽のなかでも、とりわけ楽しい楽曲だと思います。

映画の内容にはふれないのだから、簡単に終わるかと思ったのですが、もう2曲ほどふれたいキューがあるので、次回も『ゴジラ対メカゴジラ』のスコアをつづけます。


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by songsf4s | 2010-09-14 23:53 | 映画・TV音楽
レッチ島 by 佐藤勝 (OST 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』より その2)
タイトル
レッチ島(Lech Island)
アーティスト
佐藤勝(OST)
ライター
佐藤勝
収録アルバム
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(Godzilla vs. the Sea Monster)
リリース年
1966年
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このところ、まともな更新がなく、新ブログのご案内やら、しょーもないジョークやら、妙なことばかりやっていますが、今日はレギュラーな更新です。

新ブログのほうは、第一の目的は冗談でもなんでもなく猫の餌代なのですが、当家のミラーないしはアーカイヴにしようかという考えもあって、その線もまだ抹消していません。

丸ごと引っ越しも考えたのですが、膨大なテキストの蓄積というのは、つまるところ、もっとも効果的なSEO対策らしく、その種の努力をまったくしていないにもかかわらず、当家の記事は販売サイトを抑えこんでグーグルで上位にくることが多く、ここを捨てるのは現実的ではないのです。

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〈赤イ竹〉レッチ島基地の桟橋とクルーザー(キャプテンは天本英世!)。このあたりにもジェイムズ・ボンド・シリーズの影響を感じる。

ということで、新家のほうに重心を移す予定ですが、こちらもときおり更新しつつ、新家への入口として使っていこう、というのが目下の考えです。あるいは、こちらは昔のように純粋に音楽を扱うことにし、映画と映画音楽は新家のほうで、という考えもあります。どうなるかはわかりませんが、体力の限界も厳としてあるので、落ち着くところに落ち着くでしょう。

当面は、当家の記事の引き写しで新家を更新した場合は口をつぐみ、当家のアーカイヴとはあまり重ならない記事であったり、当家ですでに扱ったものでも、視点を変え、切り口を新しくしたものならば、更新のお知らせをする、というような形でいくつもりです。

それでは、なかなかケリをつけられなかったエビラをば、今日こそ活け作りにしてくれます。

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◆ 不自然なプロット ◆◆
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』のプロットが不自然なのは(自然なプロットのゴジラものなんていうのがあるのか、といわれると言葉に詰まるが!)、これはもともとゴジラものではなく、キング・コングものとしてつくられたせいなのかもしれません。それが端的にあらわれたのが、このゴジラが日本本土を襲撃しないことです。全部を見たわけではないのですが、そういうゴジラはこれだけではないでしょうか(ただし、このつぎにあたる『ゴジラの息子』も南洋ものかもしれない)。

『南海の大決闘』というタイトルどおり(いや、南海電鉄の「南海」は紀州を指すが!)、冒頭の日本でのシークェンスをのぞけば、話はどことも知れぬ南海の島々に終始します。ゴジラが暴れる「ストンピン・グラウンド」は、実態のよくわからない秘密組織〈赤イ竹〉の基地がある〈レッチ島〉とその周辺の海だけですし、あとは近傍にあるという〈インファント島〉しか出てきません。

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モスラとインファント島島民。以前より人口が減少したように感じるのはこちらのひが目か?

どちらの島も人口稀薄で、町といえるようなものはなく、レッチ島のほうに目的不明の構築物があるくらいで、ゴジラはしかたなくそれを壊してはみるものの、居眠りをしたり、人間の女(水野久美)に色目を使ってみたり(種がちがうじゃネーか!)、加山雄三の物真似をしたり、ろくなことをしません。

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赤イ竹秘密基地の地上施設。なんだかわからないが、はじめからゴジラに踏みつぶされる予定だから、気にしなくていいのである。ゴジラはいつも、よろめいてビルにもたれかかりながら壊すのを楽しみにしているふしがあるが、こういう平屋状態では、よろめくわけにもいかず、いかにも物足りなさそうに踏みつぶす。

この映画を見たとき、わたしは中学一年生でしたが、こういうシャレのキツいゴジラがどうも気に入らず、なんだか子ども向け、いや、つまり、幼児向けのような気がしたものです。このあたりから、ゴジラ映画はきびしい時代に入るのでしょう。

◆ さらにエキゾティカ ◆◆
それでもなおかつ、音楽は面白く、その1でご紹介した〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉以外にも、興味深い曲があります。残ったトラックのなかでエキゾティカに分類できるのは、〈レッチ島〉という曲です。これはもうタイトルからして「島」とくるのだから、エキゾティカのにおいは文字からも漂っちゃっています。

サンプル 〈レッチ島〉

パーカッションの扱いからいうと、ややジャングル・エキゾティカ寄りではありますが、もちろん、子ども向け映画なので、佐藤勝は官能的なほうには向かわず、品のよいところに収めています。

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また、メイン・タイトルの変奏曲である〈レッチ島への脱出〉という曲は、エキゾティカ的なアレンジ、サウンドになっています。メイン・タイトルよりこちらのヴァージョンのサウンドのほうがいいと思います。メイン・タイトルにはもっとゴジラらしい曲のほうがよかったのではないでしょうか(キング・コングのつもりでつくってしまったために、ゴジラ的ではなくなったのかもしれないが)。

〈赤イ竹の基地へ〉という30秒ほどの短い断片も、やはりエキゾティカ的な味わいのあるサウンドになっています。もうすこし長くて、まとまった曲ならよかったのに、惜しいなあ、と思います。まあ、映画スコアではよくあることで、しかたがないのですが。

モスラが登場するものには、古関裕而作のオリジナルをはじめ、かならずなんらかのモスラの歌が使われていますが、『南海の大決闘』にも、佐藤勝作の新しいモスラの歌が出てきます。もちろん、古関裕而版オリジナルを凌駕することがなかったのは歴史が証明していますが、これはこれで悪くないモスラの歌だと思います。〈ジャングル・エキゾティカ歌謡〉とでもいうか、折衷的、中間的、ゴタマゼ的なところが楽しめます。

モスラの歌2 南海の大決闘


この映画では、双子の小妖精はザ・ピーナツではなく、「ペア・バンビ」というデュオが演じています。もの知らずで、どういうことをしていたのか記憶がないのですが、おそらくはシンギング・デュオで、このモスラの歌も彼女たち自身が歌ったのでしょう。

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◆ ロッキン・ゴジラ ◆◆
なんだかひどく堕落して、人間的になってしまったこの作品のゴジラ像に合わせたのか、佐藤勝は音楽も軽めの方向にシフトさせたように感じます。いや、1966年の製作、公開(暮れ)だから、時代も時代で、ロックンロールないしはエレクトリック・ギターのソロをスコアに取り入れるのは、英米の映画ではよく見られるようになってきていたので、そういう趨勢に合わせたと受け取るべきかもしれません。

『南海の大決闘』では、ギター・コンボによるスコアも使われています。しかも8ビートかつ3コード、ブルース・コード進行なのです。OSTには入っていなくて、タイトルがわからなかったのですが、『ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクションBOX2』のトラック・リスティングを見てみたら、〈ゴジラ対戦闘機隊〉となっていました。

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どこかの国がスポンサーになっているのか、赤イ竹の財政基盤はかなり堅固のようで、ジェット戦闘機小隊までもっている。レッチ島のプラントや軍事力を詳細に分析、試算したところ、スペクターやスラッシュと五分で渡り合える組織であることが判明した……なんて幼児退行はさておき、このシーンの音楽がロックンロールなのである。ゴジラも変われば変わるものだ。

これはもう、じつにもってストレートなロックンロール・インストで、複数(2本だと思うが、ひょっとしたらもう1本出入りしているかもしれない)のギターのからませ方に工夫があり、しかも、目だつことはしていないものの、なかなかいいプレイヤーで、遅ればせながら感心してしまいました。

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レッチ島の地下プラント。なにをつくっているのかよくわからないが、世界の安全を脅かすものであることはまちがいない。こういうショットもジェイムズ・ボンド・シリーズを想起させるのだが、考えてみると、東宝特撮映画は007よりずっと早くからこの手の構築物をデザインしてきたわけで(たとえば『地球防衛軍』)、本家は東宝、ジェイムズ・ボンドのほうが東宝を見習ったのかもしれない。

ただボックスの表記は「ゴジラ対戦闘機隊(「天国と地獄」M14本番の5)」となっていて、おっと、黒澤明の『天国と地獄』に出てきたんだっけ、というので、そちらのOSTを聴くと、〈酒場の音楽Ⅱ〉とほぼ同じもの、別テイクないしは別エディットでした。横浜歓楽街彷徨のシークェンスに出てくるもののようです。って、いうことが頼りないのですが、あのあたりはつぎつぎといろいろな「俗曲」(佐藤勝はポップ・ミュージックをこう呼んでいる)が出てくるので、細かくは覚えていないのです。

サンプル 〈酒場の音楽2〉(『天国と地獄』より)

映画のスコアリングというのは、自分の欲求を満たすためではなく、映画が要求する音楽をつくる仕事なのだからして、佐藤勝も、66年になって突然、こういう方向の音をスコアに取り込んでみようと思ったわけではなく、63年の『天国と地獄』のときにはすでにやっていたわけです。

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ジェイムズ・ボンド・シリーズ第一作『ドクター・ノオ』に登場する〈ドラゴン〉。火炎放射器を搭載した装甲車にすぎないのだが、やや子どもっぽいデザインで、ゴジラものを見ているような気分になる。

よく考えると、これはかなり尖端的なことだったような気もします。映画音楽は、ジャンルとジャンルのすき間にはまりこんでしまうことが多いのですが、ことはロックンロール、われわれの側から積極的に再評価を推し進めるべきのような気がします。

また、ひどく日本的なバイアスがかかったものですが、サーフ・ギター・インストに聞こえなくもない曲もあります。開巻まもなく、いにしえのアメリカの「マラソン・ダンス」のゴーゴー版のようなものが登場し、そのダンス音楽として、リヴァーブをきかせたギターをフィーチャーした曲が出てくるのです。

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そういう「現実音」、劇中に流れる音楽ばかりではなく、純粋なスコアの部分でも、エレクトリック・ギターのグリサンドや、低音弦のリックがしばしば使われています。さらにいうと、やはりリヴァーブをきかせたフェンダー・ベースもしばしば登場します。

はじめからすべて、細かく検討したわけではありませんが、ゴジラ映画にフェンダー・ベースが大々的に利用されたのは、この『南海の大決闘』が最初のことではないかと思います。ビッグバンドやオーケストラにフェンダー・ベースを使うのは、やがて圧倒的多数派になるのですが、この時期、とりわけ日本ではまだめずらしかったのではないでしょうか。

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〈赤イ竹〉のボスと幹部。左から平田昭彦、田崎潤、天本英世。いやもうじつにシビれるような東宝特撮男優陣の揃い踏み!

◆ ゴジラは南から、エキゾティカはどこから? ◆◆
80年代以降のゴジラは極端に引用が多くなりますが(たとえば、だれが見ても『エイリアン』だったり『レイダース』だったりする場面が出てくる。そして、あろうことか、ハリウッド版ゴジラまで、後半は『ジュラシック・パーク』のコピーになってしまう)、ゴジラには時代を映す鏡のような側面がもともと強くあったのかもしれません。

『南海の大決闘』の音楽、とくに冒頭の日本国内のシークェンスは、あの時代を反映したサウンドになっています。同じ東宝の看板シリーズで、しばしば怪獣ものとセットで上映された、若大将ものを意識していたのかもしれませんが。

しかし、さまざまな東宝特撮映画のあちこちに顔をのぞかせる、エキゾティカ的音楽の源流はなにか、という点になると、「時代を映す鏡」だったのかどうかは判断しかねます。

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佐藤勝 film-composer Satoh Masaru

映画および映画音楽はとほうもない雑食性をもっているので、佐藤勝のように、映画スコアを専門とする作曲家は、外国映画やラジオや町で耳にする音楽につねに注意を払っていたにちがいありません。そして、レス・バクスターやマーティン・デニーの音楽は、当時すでに国内でリリースされてもいました。だから、佐藤勝がそういう音楽を聴いていた可能性はあります。でも、たんなる蓋然性と事実のあいだには無限の距離がありますからねえ……。

妥当な着地点を探すと、佐藤勝はそういうタイプの音楽を何度か耳にしたことがあり、南洋的なサウンドというものを認識していたが、その作り手がレス・バクスターであったり、アクスル・ストーダールであったり、マーティン・デニーであったり、ということは知らなかった、というあたりでしょう。毒にも薬にもならない、まったくもって当たり障りのない、つまらない推測ですが!

ゴジラ・シリーズでは、ほかに、あの作品も音楽が面白かった、などと煽る方がいらっしゃることですし、根が嫌いではないので、あと何本か、ゴジラを含む東宝特撮映画を取り上げるつもりです。しかし、次回はちょっと箸休めで、タイプの違う映画をやろうかと思っています。

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by songsf4s | 2009-07-27 10:24 | 映画・TV音楽
ヤーレン号に乗ってⅡ by 佐藤勝 (OST 『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』より その1)
タイトル
ヤーレン号に乗ってⅡ
アーティスト
佐藤勝(OST)
ライター
佐藤勝
収録アルバム
『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』 (OST)
リリース年
1966年
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今日7月22日は未明からずっと雨で、10時すぎにやっと雨音がしなくなりました。それが11時ごろになってまた暗くなってきたので、やれやれ、まだ降るのかよ、と思ってから、ああ、今日は日蝕だっけな、と思いなおしました。

というわけで、南関東の当地では、75パーセントほどの部分日蝕も、ただの雨模様ていどに終わってしまいましたが、皆さまのところはどうでしたでしょうか。当家のお客さんのなかに、皆既日蝕が見られる地域にお住まいの方がいらっしゃる可能性はあまり高くありませんが、南のほうでは、晴天のもと、「太陽の死と再生」を観察できた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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なんだか小学校のときに、日蝕、日蝕と大騒ぎして、ささやかな工作物(穴を開けたボール紙とか、黒く塗った紙とか)を手に、みなが校庭に出てワイワイやった記憶がかすかにあります。今回は46年ぶりだそうなので、その46年前の出来事なのでしょう。残念ながら、むしばまれていく太陽の記憶はないのですが、空は晴れていたことだけは覚えています。いや、虫眼鏡で黒い紙に火をつける実験したときのことと、記憶がまだらになっているのかもしれませんが……。

昔は多くの文化が蝕を不吉なこととみなし、たとえば中国では、日蝕のあいだじゅう、派手に銅鑼を叩いて、魔物を追い払おうとしたそうです。それがいまでは馬鹿騒ぎのダシにされているわけで、まったくもってけっこうなことだと思います。科学は幸福をもたらしはしませんが、迷信にもとづく不幸を防ぐ役には立つのかもしれません。

◆ 南へ、南へ ◆◆
ゴジラはたいてい南からやってくることになっています。どの映画だったか、シリーズの終盤の作品で、登場人物がその点にふれて、太平洋戦争の犠牲者の復讐、といった解釈を提示していました。たしかに、南方戦線で斃れた人がたくさんいらっしゃるいっぽうで、戦場にされたほうでも多くの犠牲者を出しています。

f0147840_21182771.jpgなぜ日本は南方に出て行かねばならなかったか、昔のことばでいうなら「南進する」必要があったかといえば、これはもうエネルギー問題しかありません。「満蒙」のみならず、南方もまた「日本の生命線」であり、つねに「作戦行動地域」だったのです(しいていえば、「日本にいたる回廊」という、戦略拠点としての側面もあるが、こちらのほうは重要性が低いと思う)。

「南方」ということば自体が軍事用語だそうで、百科事典には「日本軍の作戦区域は、当時、イギリス領ビルマおよびマラヤ、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、アメリカ領フィリピンという4植民地と、タイ王国に分かれており、それを包括する呼称はなかった。そこで日本軍は総称として〈南方〉という呼称を採用したが、連合軍はこの地域に〈東南アジア〉という呼称を与えた」とあります。

調べていて、へへえ、と思ったのは、南方のことより、「東南アジア」のことのほうです。Southeast Asiaというのは、連合軍側がつくったこの作戦行動地域の呼称だったとは驚きです。子どものころから当たり前のように使ってきたので、軍事用語だなどとは思ってもみませんでした。

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それはともかく、「南方」と東南アジアは、すくなくともイメージのなかでは等号で結ぶことはできないように思います。マラヤ(マレーシア)、インドシナ(ヴェトナム)、東インド(インドネシア)はもちろん「南方」です。その心臓部の外側に広がる、いわゆる「南洋諸島」(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)も、前線基地、重要拠点としての「南方」に入れていいのだろうと思います。

もちろん、わたしはリアルタイムで読んだわけではありませんが、『のらくろ』や『冒険ダン吉』が描いたのも、東南アジアというより、南洋諸島のほうだったという印象があります。大昔に『吼える密林』しか読んだことがなく、ほとんどなにも知りませんが、南洋一郎の『緑の無人島』や『南海の秘密境』といった子ども向け冒険小説も、やはり、「南方」を扱ったものなのだろうと思います。

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東宝特撮映画、とりわけ怪獣ものを見るのに、現代史の知識が必要なわけではありません。ただ、「南から来る悪夢」もこう繰り返されると、やはり「どこ」から来るのか、追求したくなってくるだけです。80年代以降のシリーズはともかくとして、70年代までの第一シリーズに関しては、やはり製作者側はなんらかの意味および深さで、太平洋戦争を意識していたのだろうと思います。だからゴジラは、地から涌いたり(ラドン)、天から降ってきたり(キングギドラ)することはなく、つねに海を渡ってやってくるのでしょう。

◆ 南進策の果て ◆◆
そういう意味で、今日の『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』は、微妙な設定のゴジラものです。ジェイムズ・ボンド映画、とくにジャマイカを舞台にした一作目の『殺しの番号』、マイアミを舞台にした第四作の『サンダーボール作戦』の影響を受けたと思われるストーリーで、ボンド・シリーズの「スペクター」のような、世界制覇をもくろむ秘密組織〈赤イ竹〉が登場します。一味はみな日本語をしゃべるのですが、名前から連想するのは中国です。

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『海底軍艦』のときにも、南方のどこかの島に秘密基地を建設した田崎潤が、こんどは悪玉のボスになって、やはり南洋のどこかにある〈レッチ島〉(ボートでも行けるほどの近くにモスラの故郷〈インファント島〉がある)に秘密基地を建設します。田崎潤はドクター・ノーに相当する役どころですが、あのようなケレンはなしで、平田昭彦を右腕としてストレートに演じています。『海底軍艦』の神宮司大佐はいろいろ演じようがあったでしょうが、こちらは「やりがいなし」というところでは?

平田昭彦のほうは、『ゴジラ』第一作の芹沢博士のように、片目は眼帯で隠して登場します。芹沢博士は沈鬱なキャラクターで、純粋な善玉とはニュアンスが異なりましたが、こちらは純粋な悪玉。でも、この人の面白いところは、善玉、悪玉、両方を演じられるばかりでなく、どちらをやっても、白でも黒でもない、灰色の領域がほの見えることです。得がたい味のある俳優でした。

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平田昭彦(左)と田崎潤

それにしても、『海底軍艦』を強く連想させる設定で、なんとなく、苦しまぎれの雰囲気が感じられます。あちこちから流用してきたつぎはぎのように見えるのです(まあ、それをいうなら、時代の下ったゴジラ・シリーズはつねにシーン単位では流用、借用、引用が目だつのだが)。そろそろ日本映画全体も頽勢が目だち、ゴジラ・シリーズも観客が離れはじめたのではないでしょうか。わたしは、この年、中学一年生になったこともあって、この作品をもって、ゴジラ・シリーズとは縁が切れてしまい、以後はテレビで放映されたものを三つ四つ見ただけというありさまになってしまいます。

しいて太平洋戦争のメタファーをもちだすと、〈赤イ竹〉はいわば「南進」した旧帝国軍であり、拉致され、重労働に従事させられたインファント島の住民は、南方諸島、東南アジア諸国の人びとということになるのかもしれません。製作された順序とは逆に、これを第一作『ゴジラ』以前の出来事とするなら、ゴジラが「北進」する原因を描いた作品ということになるでしょう。と書きつつ、自分で「よくいうぜ。それほどのもんじゃネーだろーに」と自分の脇腹をつついています!

メイン・タイトル


◆ オーセンティックなエキゾティカ ◆◆
わたしにとっては「最後のゴジラ」になっただけあって、『南海の大決闘』というのは、言葉に詰まってしまう映画です。ゴジラの敵役のエビラというのが、姿はエビそのまま、名前はエビにラをつけただけという、ひどい手抜きですし、巨大コンドルにいたっては、そんなものが登場したことすら忘れてしまったほど印象稀薄でした。大人の目ではなく、子どもの目でいっても、『三大怪獣地球最大の決戦』までは楽しんでいましたが、これがピークで、あとは関心が薄れていきました。

そういう映画なので、ゴジラを再見するといっても、この『南海の大決闘』はあまり見たくなかった作品のひとつです。それなのになぜ見たかといえば、タイトルに「南」の字があり、そっちの音楽が出てくる可能性が高いと思ったからです。そして、これが期待通りのジャックポットでした。

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どういうわけか、日本の作曲家というのは、エキゾティカというか、南方的な曲を得意としているように思われます。当家で過去に取り上げたものとしては、『ガス人間第一号』に登場した〈ドラゴン〉という曲が典型ですが、『マタンゴ』のなかの〈漂流〉という曲などもエキゾティカに分類できます。まだ取り上げていない東宝特撮ものにも、エキゾティカないしはそのサブジャンルである「ジャングル・エキゾティカ」(南洋的というより、アフリカ的なテイストのあるもので、パーカッションの扱いに特徴がある)に属する音楽の登場するものもあります。

しかし、どれか一曲というのなら、いまの段階ではわたしは、この佐藤勝作曲の〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉を最上のものとします。『ベスト・オヴ・ワールズ・エキゾティカ』なんていう盤が編集されるなら、日本製としてはこの曲を入れれば、それで十分だろうと思います。

サンプル 〈ヤーレン号に乗ってⅠ〉
サンプル 〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉

〈Ⅱ〉があるのだからして、当然、〈ヤーレン号に乗ってⅠ〉もあります。こちらもエキゾティカに分類できますが、30秒足らずの断片で、ひとつの楽曲としての独立性があるとはいいかねます。

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ヤーレン号。ディンギー、セイル・ボートではなく、正真正銘の「ヨット」のサイズ。このショットでは〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉が流れる。

〈ヤーレン号に乗ってⅡ〉は、冒頭を聴いただけで、いいなあ、と思いました。ピアノとベースとパーカッションを中心とした低音部の作り方も、メロディーラインを担当する弦も、どちらもすばらしいサウンドです。

あれこれやっているうちに時間切れになってしまったので、『南海の大決闘』は次回へと延長させていただきます。

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by songsf4s | 2009-07-22 23:52 | 映画・TV音楽
湖畔のふたり by 星野みよ子(『ゴジラの逆襲』『太平洋ひとりぼっち』『狂った果実』の訂正と補足 その1)
 
時間がなくて、どこまで書けるかわかりませんが、ときおりわたしの記事の不備を指摘してくださる、まことにありがたいウェブ上の友人Oさんが、昨日、今日のメールのやりとりでいくつかの点をご教示してくださり、また、資料まで送ってくださったので、それをもとに、最近の記事を訂正、補足しようと思います。

f0147840_23352917.jpgまず、星野みよ子の〈湖畔のふたり〉です。これは、『ゴジラの逆襲』の記事では、タイトル未詳で、仮に〈丘のホテル〉と名づけておいた曲の正式なタイトルです。Tonieさんのコメントに対するレスにも書きましたが、これは『ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクションBOX』というセットにボーナスとして収録されているのだそうです。

前々回の記事で、映画から切り出したこの曲の低音質のサンプルをアップしたところ、これまでのなかでも一、二を争うスピードでダウンロード数が伸びていて、驚いています。そして今日は、Oさんのご厚意で、高音質のファイルもアップできる運びになりました。

サンプル 〈湖畔のふたり〉

このヴァージョンでも、映画でブツッと切れた場所で切られているところを見ると、結局、この曲は既存の盤を利用したわけではなく、映画『ゴジラの逆襲』のためにつくられ、その際の録音しか残されていないということかもしれません。もっとも、日本の映画会社は資産の保全に神経質ではないので、どこかにフル・ヴァージョンが埋もれていないともいえませんが。

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星野みよ子(『ゴジラの逆襲』より)


2011年6月2日追記

星野みよ子のほかの歌のクリップを発見したので、付け加えておきます。「湖畔のふたり」で彼女の歌声がお気に召した方はこちらも楽しめるのではないでしょうか。CD化されているのはわずか一曲だけのようで、そちらは未聴です。

星野みよ子 ウェディング・ベルを盗まれた(Somebody Bad Stole de Wedding Bells)


◆ 『太平洋ひとりぼっち』の共作形態 ◆◆
これもOさんにうかがってはじめて知ったのですが、『武満徹全集』というセットがあり、『太平洋ひとりぼっち』や『狂った果実』のスコアも収録されているのだそうで、解説をスキャンしたJPEGとサンプルまで頂戴しました。

盤のマスタリングは映画とは異なるし、そもそも光学録音と磁気録音では特性が異なるので、盤からのファイルを聴くと、ずいぶん印象がちがい、今日はおおいにリスニングを楽しんでしまいました。高音質サンプルとして、前回の記事で勝手に〈好天〉と名づけておいた曲をアップしました。すばらしい曲です。

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キュー・シートの記載をそのままタイトルにしただけでしょうが、武満徹全集ではこの曲のタイトルは〈M6〉とされているそうです。それはどこの星雲ですか、てなもんで、あまりといえばあまりなタイトル!

サンプル 〈M6〉

Oさんがいっしょに送ってくださった解説のJPEGを読んで、うーむ、そうであったか、どうも失礼つかまつった、てえんで、泉下のマエストロに謝ってしまいましたよ。ひどい誤解をしていたのです。

前回も書いたように、この映画のクレジット・タイトルには、音楽は芥川也寸志と武満徹と並記されているだけで、作業分担を暗示する記載はまったくありません。わたしは、オーソドクスな曲調のものは芥川、ミュージック・コンクレート寄りのものは武満徹であろうと想定しました(いや、プロは技をもっている、お互いの役割を交換するという悪戯だってやりかねない、ということは書いておいたが)。これが大はずれだったのです。

f0147840_23531139.jpgアメリカ式にクレジットを細分化すると、「Music Supervisor-芥川也寸志」であり、「Music-武満徹」というべきで、芥川が音楽監督(およびアレンジとコンダクト)、武満が作曲という役割分担だったというのです。一般論として、オーソドキシーへの明確な理解のない人、基礎のできていない人には、アヴァンギャルドはつくれませんが、武満徹もまたこの原則の例外ではなかったようです。

ピカソの子どものころの絵を見ると、オーソドクスな意味で、つまり、写実という意味で、めちゃくちゃな馬鹿テクの持ち主だったことがわかりますが、武満徹もまた、その気になりさえすれば、保守的な意味での「いい曲」を書く能力は十分にもっていた、たんに資質として、そういうものに拘泥することを好まず、冒険的、発見的創作を指向しただけである、といっていいのでしょう。

◆ 音楽監督と作曲家 ◆◆
しかし、面白いのは、この映画のスコアに出てくる、いかにも武満徹作品らしいと感じさせる、ミュージック・コンクレート的な曲は、じつは、芥川也寸志の明快な指示のもとでつくられた、武満が我を通したものではなかった、ということです。どんな創作者もそうですが、単純化されたパブリック・イメージの向こう側には、複雑なキャラクターが潜んでいるもので、芥川也寸志と武満徹の場合も、それぞれにあまり表面には出てこない「劣性遺伝子」を抱えていたのでしょう。

f0147840_23535737.jpgもうひとつ指摘しておかなければいけないのは、芥川也寸志のオーケストレーションです。どうアレンジするかで、楽曲の色彩というのは大きく変化するものです。M6、すなわち、わたしが勝手に〈好天〉と名づけた曲に、あれほど軽快かつ叙情的な感覚が付与されたについては、楽曲よりも、アレンジ、サウンドの力が大きいといっていいでしょう。

そういう意味で、ヴェテラン芥川也寸志の老練さと、清新な感覚にみなぎった若い武満徹の『太平洋ひとりぼっち』は、理想的な共同作業だったといっていいのではないでしょうか。久しぶりにこの映画を再見して、スコアのすばらしさに強い感銘を受けました。

もはや時間切れのようなので、『狂った果実』の補足と訂正は次回へと繰り越させていただきます。この映画のスコアについても、わたしは大きな誤解をしていたようです。


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『太平洋ひとりぼっち』
太平洋ひとりぼっち [DVD]
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武満徹(7CD box)
オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽
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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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by songsf4s | 2009-07-18 23:54 | 映画・TV音楽
(仮)丘のホテル by 星野みよ子 (OST 『ゴジラの逆襲』より)
タイトル
未詳(仮に〈丘のホテル〉とする)
アーティスト
未詳(おそらく星野みよ子)
ライター
未詳(佐藤勝?)
収録アルバム
N/A (OST)
リリース年
1955年
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昔は映画とサウンドトラックを切り離して考えるようなことはありませんでした。テーマ曲、挿入曲は切り離せますが、スコアは映画と心中するものと思っていました。しかし、このところ、映画は退屈なのに、スコアはすばらしい、あるいは楽しいというものに立てつづけに出くわしました。どちらも日本映画です。

音楽の出来がいいのはけっこうなような、でも、映画が面白くないのでは、なんの意味もないような、いや、そうでもないような、そのへんはかなり微妙なところがありますが、それは、画面とスコアのバランスが崩れた映画を取り上げるときにでも書きます。いや、今日の映画も、そういうことと無関係ではないのですが。

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◆ 都会を目指すゴジラ ◆◆
『ゴジラ』を取り上げたくせに、『ゴジラの逆襲』をまたいで通ったりすると、大阪方面で顰蹙を買う恐れがあるので、素直にゴジラ2へと進むことにします。

舞台が大阪になったせいなのか、それとも監督が小田基義(トニー谷の『家庭の事情 馬ッ鹿じゃなかろかの巻』および『家庭の事情 ネチョリンコンの巻』の監督)になったせいか、はたまた音楽が伊福部昭から佐藤勝になったせいか、ずいぶんとタッチのちがうゴジラで、これはこれで、いま見ると面白いのではないかと思いますが、映画のほうはさておき、まず音楽です。ゴジラ映画に、伊福部昭のあの曲が出てこないと、物足りない思いなきにしもあらずですが、佐藤勝のメイン・タイトルもなかなかけっこうな出来です。



例によって、説明不足ないしは説明する意志がないために、よくわからないところがあるプロットなのですが、なぜか今回は東京ではなく、ゴジラは大阪方面を目指します。しかし、(なぜか)大方の予想では四国に上陸するというので、第一発見者である小泉博をはじめ、大阪人は呑気にナイトクラブで踊っています。

台風だって四国に上陸しそうなら、大阪でも警戒しそうなもの、ましてゴジラなんだから、どこに来るかわかったものではなく、ナイトクラブで遊んでいる場合じゃないと思うのですが、たぶん、このシンガーに出演シーンをあたえなければならない事情があったのでしょう。

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といって、ここにそのシーンを貼りつけられるといいのですが、そうは問屋が卸さないので、かわりにサンプルをおいておきました。盤ではなく、映画から切り出したもので、音質は悪いし、1分半ほどの断片ですが、曲もなかなかけっこうですし、人数は少ないものの、弦のアレンジもちょっとしたものです。

サンプル

映画のクレジットには曲名が書かれていないので、歌詞から勝手に「丘のホテル」と名づけておきました。歌手の名前を星野みよ子とした唯一の根拠はクレジット・タイトルの星野みよ子のところに「コロムビア」とあったことです。所属レーベルが書いてあるのだからシンガーであり、映画のなかで歌ったという意味と解しました。

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歌の終わりのほうに、空襲警報のようなゴジラ警報も残しておきました。これでナイトクラブの客はパニックになるのですが、そんなに怖いなら家にいろよ、と思ってから、家にいてもナイトクラブにいても同じか、と思いなおしました。近畿地方から避難するか、腹をくくるか、どちらかしかなく、パニックになる理由はかけらもないと思うのですがねえ。

ともあれ、こういうチェンジアップの曲を入れておいてくれたのはうれしいことです。挿入曲の作者とスコアの書き手はかならずしもイコールではないのですが、これが佐藤勝の作だとしたら、なるほどねえ、です。佐藤勝の曲は、当家では石原裕次郎の〈狂った果実〉を過去に取り上げています。〈丘のホテル〉も〈狂った果実〉もコード・チェンジの面白さがあり、したがって、シンガーにとっては難所があるところが共通しています。〈丘のホテル〉がサントラ盤に収録されていないのは残念ですが、所属レーベルの問題を解決できなかったのではないでしょうか。

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◆ サブプロットはつくったが…… ◆◆
最初の『ゴジラ』が太平洋戦争のメタファーなら、ゴジラとアンギラスという二匹の怪獣が勝手に日本にやってきて、周囲の迷惑にはおかまいなく、勝負をつけようと大暴れし、破壊のかぎりを尽くす『ゴジラの逆襲』は、米ソ冷戦時代のメタファーなのかもしれません。

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辰野金吾設計の中之島公会堂もゴジラとアンギラスの戦場になってしまう。

現実の冷戦はその後、だらだらとつづきますが、『ゴジラの逆襲』では、大阪城の戦いであっさり決着がつき、迷惑も中くらいですみます。まだ冷戦構造が明確になりはじめた段階で、まもなくドラスティックな変化が起こり、「熱戦」に突入して、破局的な結末にいたる、という予想または恐怖感があったのかもしれません。

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しかし、まあ、そういうメタファーというのは、一面で重要ではあるものの、いっぽうで、だからどうした、といいたくなるときもあります。まず、面白いかどうかが重要であり、面白さを裏づける要素としてメタファーがある、という順番であって、逆ではないでしょう。

当局は、光に反応するゴジラの習性を利用して、照明弾で大阪湾の外へと連れだそうとします。この作戦の遂行のために、大阪市内は厳重な灯火管制が布かれています(またしても太平洋戦争のメタファー)。そのゴジラ誘因作戦の真っ最中に、大阪市内を走る囚人護送車へと話が切り替わります。ははあ、この連中が作戦失敗の原因をつくるのね、とすぐにわかります。

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いや、それはしかたがないのですが、なぜ囚人護送車なのか、です。ゴジラにそなえて厳戒態勢を敷いている最中なのだから、だれがどう見ても、囚人を移送するタイミングではありません。そこにはやむにやまれぬ理由があった、というのなら、そのシーンをちゃんと入れておいてよ、です。

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警官の銃を奪って脱走した囚人たちは、たまたまそこにあったタンク・ローリーに乗って逃走するが……。

物語というのは、手順を踏んで、場面と場面を有機的に結びつけていかないと、面白くならないもので、ゴジラが大阪に逆戻りする理由をつくるのは当然だし、そのためのサイド・プロットをつくるのもノーマルな手順です。そこまでは、唐突さを特徴とする東宝特撮のシナリオしては、いつになくまっとうな仕事をしていると思うのですが、理由づけ抜きでの囚人移送は無理です。ほんの2、3ショットで簡単に正当化できたはずなのですが、その手間をかけてくれないのが、いかにも日本映画らしいところです。いまになれば岡目八目、ここに滅亡の兆候あり、ですな。

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ゴジラとアンギラスが大暴れしたために、川底が割れ、その下の地下鉄へと水がなだれこむ。囚人たちの一部はこの淀屋橋駅で奔流に呑みこまれてしまう。

◆ 戦争は終わっていない ◆◆
エンディング直前にも、わけのわからないことが起こります。これは、『ゴジラの逆襲』をこれから見よう、または再見しようという方はお読みにならないでください。

さて、千秋実は漁業会社に勤めるパイロットで、魚群を探すことを仕事にしています(魚探が生まれるのは未来のこと)。映画の後半、彼は北海道支社に移り、またしてもゴジラを発見してしまいます。それはかまわないのですが、自衛隊の攻撃がうまくいかないのに業を煮やし、なんの武器ももっていないのに、ゴジラに突っかけるように飛び、熱線にやられてしまいます。その結果、氷壁にぶつかり、それがヒントになって、土屋嘉男の飛行隊長はゴジラ氷漬け作戦を思いつき、これが決定打になる、という展開です。

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でも、わたしは、どうしても、千秋実の自殺行為の意味が解せず、あれえ、これでエンディングに持ち込む気かよ、まさかそれはないよなあ、と思いました。あれはどういう意味なのでしょうか。人間、心底怒ると、死にたくなる? まさかそれはないですよねえ。

考えられることは、千秋実は特攻隊の生き残りで、ここを死に場所と定めた、ということですが、ゴジラにダメージをあたえられるという確信もないのに、よく突っ込めるなあ、と首をひねります。特攻隊だって、500キロ爆弾かなんかを抱いて突っ込むわけで、戦争中、パイロットだったのなら、それくらいのことはわかっているでしょう。

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民間、自衛隊とところを変えた太平洋戦争の戦友たちは北海道で再会するが、ともにゴジラ邀撃のために出動することになる。

まあ、これは戦後生まれが思うことにすぎず、太平洋戦争経験者なら、あの千秋実のヤケクソ飛行の意味を、心情的に理解できるのかもしれません。ゴジラ・シリーズを見ていくと、つくづく、太平洋戦争は終わらなかったのだと思います。

それはともかく、わたしは『ゴジラの逆襲』という映画も、『ゴジラ』とは味わいが異なっているところが、なかなか面白いと感じました。スコアについても同じことがいえます。ゴジラといえば伊福部昭なのでしょうが、佐藤勝もお忘れなく。

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ゴジラの逆襲 [DVD]
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by songsf4s | 2009-07-15 00:39 | 映画・TV音楽
ゴジラ・メイン・タイトル by 伊福部昭 (OST 『ゴジラ』より)
タイトル
ゴジラ・メイン・タイトル
アーティスト
伊福部昭 (OST)
ライター
伊福部昭
収録アルバム
Godzilla 50th Anniversary Edition (OST)
リリース年
1954年
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◆ トホな国ニッポン ◆◆
現在使われている日本語のアルファベット表記というのは、つくづく奇妙なものだと思います。街角で交番の「Koban」という看板を見るたびに、「大判小判ざくざく」と頭のなかでコール&レスポンスをしちゃいます。

日本国内で通用しているだけなら、もとの漢字や仮名とセットになっていることも多く、類推のむずかしい固有名詞でもわかったりします。「Oe Indust. Co.」だけでは読めませんが、「大江産業」(万一実在していたら、ご容赦を)とあれば、そういうことか、と納得します。

ゴジラ1 予告篇


しかし、ウェブでこれだけ日本のことが取り沙汰されるようになると、日本の文物に関する英文記事を読むのはひどく疲れるときがあります。たとえば、このブログは、わたしと同世代のアメリカ人のところなのですが、それはそれは熱心に日本映画を見ていて、おおいに啓発されます。

しかし、わたしの知らない最近の日本映画人の名前が頻出するため、しばしば立ち止まって考えてしまいます。Yukiなんていう名前は、由紀かもしれないし、結城かもしれないし、知らないとさっぱり読めません。そういうわたしも、この伸ばすんだか、伸ばさないんだか見当のつかないYuの表記を使う名前なのですが!

東宝特撮映画のファンというのは、こういう世相ですから、海外にも山ほどいて、ウェブサイトやらブログやらが氾濫しています。こういうことになると、人間はまじめに、徹底的にやる傾向があるようで、なかには面白いものもあります。われわれも似たようなことをしているのですが、そういうサイトのなかに、タイトルのJPEGの飾りとして、日本語を使っているところがありました。でも、その飾りの日本語というのが、「トホ映画」っていうんですよ。あらら、でした。

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もちろん、固有名詞のアルファベット表記に長音記号を使っているところもあるし、前述のブログのように、たとえば、Koreedaとは書かず、Kore'edaと書いて、「コリーダ」ではなく「是枝」なのだということまでわかるように、気を遣っているところもあります(ということは、OeもOh'eにすると読める可能性が出てくる?)。

こういうことというのは、一度、普及してしまうと変更できないもので、なんとも悩ましいことです。わたしは、他人に見せないもの、たとえば、落語のエアチェック・ファイルは、Shinsyou_Kaen DaikoとかShinchou_SuzumeとかEnsyou_Misoguraといったように、語尾のuを省略せずにファイル名をつけています。

ただし、RyuukouやRyuukyouというように、同じ母音が重なると、あまりきれいではなくて、ここでもむずかしさを痛感してしまいます。飯田さんなんてお名前も困りますねえ。Idaだと英語式に「アイダ」と読みそうになるし、Iidaもきれいではないし、どうしよー、です。

こうしてみてくると、二重母音がむずかしいのだということがはっきりしてきますが、解決策なんか、わたしには見当もつきません。だれか、なんとかしてくれー、です。

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◆ けなげな曲 ◆◆
シナリオに大きな穴があるとかなんとか、一人前に不満をいっているくせに、この二週間ほどのあいだに、トホ映画、もとい、東宝特撮映画を四本も見てしまいました。やはり音楽が気になり、いくつか面白いチェンジアップを見つけましたが、でも、そういうところに行く前に、やはりど真ん中の速球をやっておかないと義理が悪かろうと思い、だれもが知っている、ゴジラのメイン・タイトル、というより、ゴジラ行進曲とか、ゴジラ・マーチといったほうが通りがいいであろう曲を取り上げることにしました。



取り上げるといったところで、「わたしもやっぱりこの曲は好き」という、コメント欄に書けばいいじゃネーか、みたいなことしか思っていないのでして、書くことはなにもないのです。平行五度とか、そういうことが問題にされたりすることもあるようですが、ポップ/ロック的観点では当たり前の手法なので、われわれの側からは取り立てて問題にするべきことではなく、伝統音楽の世界の問題でしょう。

ゴジラというより、自衛隊が出動する音楽という感じで、子どものときは、これが流れると、いつも盛り上がっていました。まあ、いつだって、どの兵器も通用しないのですが、音楽は元気で、また今回も負けゲームだろうけれど、とりあえずやってみようや、という楽天性があり、いっぽうで、絶望的な戦いの悲壮感も重合されていて、そのへんがつねに愛されてきた理由ではないかと思います。勝ち目のない太平洋戦争を繰り返すことを強いられている心境の表現じゃないでしょうか。勇壮かつ悲愴というところでしょう。クリシェ御免。

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そうしばしば自衛隊に出動を要請するわけにはいかなかったのか、こういうショットは使いまわしされることが多い。これは再利用だらけの『大怪獣バラン』で二度のおつとめを果たしたショットのひとつ。

いったい、いつも、なにをくどくどしく書いているのかと、こういう日は反省してしまいます。よけいな飾りをとれば、いつもいっていることはたったの二種類、「この曲は好きだ」「この曲は嫌いだ」にすぎず、字を書くまでもなく、YとNを大きくて派手なロゴにして、ペタッとやっておけば、それですんじゃうのです。

◆ 三つの楽しみ ◆◆
といって終わりではなんなので、駄話をつづけます。年寄りが縁台将棋をしながらぶつぶついっている無駄話と同程度の価値しかないと覚悟のうえでお読みあれ。

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ブツブツ文句をいいながら、どうして東宝特撮映画を見ているのか、この際だから、よく考えてみました。どういうことを楽しみにして待ち受けているかを、自覚的、第三者的に観察してみたのです。わりに簡単なことでした。

1. 俳優たち
2. ロケの町並みと模型によるセット
3. 音楽

まず1の俳優たち。これがなんといっても楽しみです。土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博、宝田明、藤木悠、高島忠夫、田崎潤(東宝特撮ムードが濃厚に感じられる順に並べてみた)といった男優陣、とくに、四天王ともいうべき土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博を見ていると、子どものころにもどったような気分になります。

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土屋嘉男(左)と小泉博(『ゴジラの逆襲』より)

もちろん、ほかのタイプの映画の記憶もありますが(土屋嘉男は黒澤組のレギュラーなので、『七人の侍』の農民などは印象が強い)、子どものころに夢中になった映画群の常連だから、いまになって再会すると、なんともいえない親しみを感じます。若いままの姿で町ですれちがったら、きっと頭を下げちゃうでしょう。残念ながらすでに鬼籍に入った人もいるのですが……。

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左から河内桃子、平田昭彦、志村喬、宝田明

こういう特別な親しみを感じる俳優というのは、わたしの場合、東宝にかぎられるようです。子どものころ(というのは昭和30年代のことだが)、松竹をのぞく邦画四社を満遍なく見ていましたが、日活はほぼとぎれることなく見つづけているので、しばらく会っていなかった懐かしさというものは感じませんし、大映や東映の映画は、いわば大人向けのものに無理矢理適応していたようなものなので(『白馬童子』『赤胴鈴之助』といった子ども向け時代劇もあったが、東映のいちばんのお楽しみはアニメーションだった)、やはり、東宝特撮映画男優陣は特別な存在です。

じっさい、なんだかすごく気になってきて、もっとお年を召してからの作品群をまとめて見たいだなんていう、非常に不都合な考えを起こしています。まずは、佐原健二から……。

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佐原健二(左)と有島一郎(『キングコング対ゴジラ』より)

2のロケの町並みとセットというのは、とくに説明の要はないでしょう。実写の町並みはもちろんじっくり見ますし、しばしばストップ・モーションにしてたしかめています。映画は映画館で見るべきものですが、好きなところで止められるというのは、ロケ地観察には絶対不可欠です。

東宝特撮映画は、ミニチュアの町並みを破壊することを売り物にしていたので、当然、そちらも気になります。円谷特技監督以下、実物をコピーしようとがんばったのでしょう。ミニチュアの町並みを見るのも楽しいものです。子どものころは大破壊に喝采していましたが、この年になると、あー、それはいま残っていたとしたら名所になるようなビルなんだから、壊さないでよー、なんて思うところが自分で笑ってしまいますがね。

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炎上する東京。『ゴジラ』は全編に太平洋戦争のメタファーがちりばめられていて、当時の観客が不気味なリアリティーを感じたであろうことは容易に想像がつく。

そして、これまでにも『ガス人間第一号』『マタンゴ』で二度にわたってみてきたように、音楽はなかなか楽しくて、これもまた大きな魅力になっています。まあ、これはいわずもがななのですが。

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このショットの意味を理解するのには少々手間取った。銀座のデパートのいずれかの屋上に大きなバード・ケイジがあったのを、なにかべつの映画で見た記憶がある。そのデパート(銀座三越?)の屋上から、ケイジ越しにゴジラを捉えたという趣向である。

◆ 成瀬タッチ ◆◆
『ゴジラ』第一作に間に合ったのは、団塊の世代までです。われわれは間に合いませんでした。もちろん、翌1955年の第二作『ゴジラの逆襲』にも間に合わず、「My first Toho」は『空の大怪獣ラドン』でした。といっても、封切りのときに見たとはっきり記憶しているだけで、中身はきれいに忘れてしまいました。記憶が鮮明になるのは『モスラ』以後です。

最初の『ゴジラ』はいつ見たのか、これまた記憶がありません。たぶん、子どものころ、夏休みにリヴァイヴァルがあって、それで見たのだろうと思います。それはいいのですが、その後、一度も見なかったのか、今回見直したら、さっぱり記憶がなくて、驚きました。第二作の『ゴジラの逆襲』のほうは大人になってからヴィデオを見たのですが、オリジナル・ゴジラを見るのは半世紀ぶりぐらいだったようです。

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有楽町の朝日新聞(右)と日本劇場(日劇)に迫るゴジラ。ほかのものはやむをえないとしても、この二つのビルだけは残すべきだったと思う。というこちらの感傷とは無関係に、ゴジラは無頓着に壊していく。

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向島側から捉えた浅草・松屋(右)。中央の尖塔は地下鉄ビルではないかと思うが、それにしては位置がややずれている。リアリズムは捨て、見栄えのよい配置をとった? どちらも現存だが、地下鉄ビル(地下鉄入口の上にある)は、ステンレスのプレートを全面に貼りつけ、スクラッチ・タイルの外壁や尖塔を隠してしまっている。川端康成の『浅草紅團』はこの尖塔の上での会話からはじまるぐらいで、本来なら浅草のランドマークになるべき建築。

半世紀ぶりに見て思ったのは、ああ、アメリカ製ゴジラはこのシーンを引用したのね、といった些末なことと、サウンド・イフェクトというか、ゴジラの叫び声のすごさです。ゴジラの声がすごいのは、当然、知っていたのですが、一作目の冒頭はとりわけすごいのではないでしょうか。よくまあ、こんな音をつくったものだと呆れます。

これは東宝音響部の仕事ではなく、伊福部昭の発案で、ベースをこすったのだとか。そういえば、キャロル・ケイが『激突!』のときだったか、ベースでトラックの、たしかギア・チェンジの効果音をつくったという話を書いていました。そういう細部の工夫というのが、映画のもっとも重要な楽しみのような気がするときすらあります。

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ゴジラの足跡、日本(上)とハリウッド(下)。こうして見ると、日本製はいかになんでもケレンがなさすぎる。やぐらを組んででも、もっと明快なショットを撮るべきだった。「暗示」にとどめておきたかっただろうとは思うが……。

それから、もうひとつ、これは子どものころにはわかるはずがないのですが、なるほど、成瀬巳喜男映画の兄弟だ、と感じました。『ゴジラ』の撮影監督の玉井正夫は成瀬組で、たまたまこのときだけ特撮もののグリップを握ったのだということが、美術監督の中古智(こちらも成瀬組から『ゴジラ』に出張し、師匠である北猛夫美術監督を補佐している)の本に出てきます。

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室内シーンではむずかしいライティングをする。

一流キャメラマンというのはやはりタッチをもっているので、『ゴジラ』も、セット・シーンになると、なんとなく、成瀬映画的な湿度が感じられるのです。そう思ってみると、妙な気分になること請け合いです。

東宝特撮映画はこれで終わりではなく、「つづく」のつもりでいます。間をあけずに何本か行こうともくろんでいますが、果たしていかに。

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by songsf4s | 2009-07-10 23:30 | 映画・TV音楽