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サックス・メロディー by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その6)
タイトル
Sax Melody
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠
リリース年
1963年
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井上梅次監督が亡くなったそうです。当家では昨年、同監督の『嵐を呼ぶ男』を5回に分けて取り上げていますが(予告篇その1その2その3その4)、賞賛したのは大森盛太郎のスコアだけで、映画自体はまったく誉めませんでした。

いやはや、なんとも間の悪いことで、人様の作物を軽軽しくけなしたりするものではないと思いはしますが、かといって、そんなことに斟酌して、自分の考えを枉げるぐらいなら、たとえウェブであっても、はじめからものなど書くべきではないことも明らかです。批評的言辞を弄するのであれば、こういうバツの悪い思いをするぐらいのことは、はじめから見越しておかなくてはいかんということでしょう。

ということで、わたしはかつて井上梅次作品を好んだことはありませんが、縁あって当ブログで『嵐を呼ぶ男』を取り上げたのだから、井上監督が亡くなられたことをここにお知らせし、ご冥福をお祈りします。

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『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』に登場するこの有楽町のショットはすでにご紹介した。だが、あとになって疑問が湧いてきた。こんなショット、どうやって撮ったのだろう? 銀座4丁目の交差点のど真ん中に撮影用のやぐらを組めるはずがない。考えられるのは、地下掘削工事用のやぐらがここにあったということだ。まったく、そこらじゅうで工事をやっている時代だった。

◆ いかに面白くするか ◆◆
鈴木清順は、途中でスタイルを変えてはいない、はじめから同じ姿勢でつくってきた、という趣旨の発言をしています。ある意味では、そのとおりだと思います。監督自身と、周囲の見方のあいだに溝が生じたのは、レベルの異なることがらを同じ平面で語ったためでしょう。

鈴木清順の観点からは、映画作りの根本にあるものは、つねに「いかに面白くするか」、「いかに観客を退屈させないか」だったのだと想像します。見る側が感じる、たとえば「いかにも鈴木清順的な色づかい」なども、「いかに面白くするか」「いかに変化をつけるか」という足掻きのなかから生まれてきたものにすぎない、ともいえます。

観客はその点をアーティスティックに捉えるのに対して、鈴木清順は純技術的問題と捉えているために、ズレが生まれるのでしょう。障子が倒れた向こうに真っ赤な世界が広がっていると、観客は「なぜ世界が赤いのか」と、「意味」「意図」のレベルで考えますが、監督は「ただの雪の夜など退屈だ。色がついているほうが面白い」といったレベルで発想してくるのだと想像します。

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建築家の村野藤吾は、かつて日比谷にあった「大阪ビル1号館」で、テラコッタによる豚の頭部を装飾にしました。なぜ豚を装飾にしたのかと問われ、アーキテクトは「建物に豚があってもいいじゃないか」と答えたと伝えられています。その伝でいえば、鈴木清順は「真っ赤な雪の夜があったっていいじゃないか」と思ったのではないでしょうか。

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◆ ノーマリティーとアブノーマリティー ◆◆
鈴木清順の映画を見るときは、アーティスティックな側面から考えるより、「客があくびをしないように」という根本姿勢のことを思ったほうがいいと感じます。意味論的に捉えるのではなく、意味や論理から切り離された「美」として捉えるほうがよい場合がほとんどだろうと思います。

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、清順映画としては異質性が強調されていないもので、ふつうに見ることも可能です。しかし、後年の目から見ると、やっぱり清順映画、ちょっと変、と思うところがいくつかあります。

一味のアジトの地下室を探りにいった宍戸錠が、笹森礼子に、あなたが警察の手先だということはわかっているといわれ、その瞬間に、錠は彼女に当身をくわせます。ここまではいいのです。でも、ふつうなら、これで相手は気絶するでしょう。ところが、この映画では、笹森礼子は気絶せず、腹を押さえて痛みに苦しんでしまうのです。

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ここは引っかかります。ふつうではないことがあれば、われわれはそこに相応の意味を見出そうとする習性をもっているのですから。なんでしょうね。古今亭志ん生が、客の気を惹くために、なかばわざとつっかえていたようなものである可能性も考えられます。客に「これはなんだろう?」と思わせるのは重要なことです。

いっぽうで、鈴木清順という監督は、苦痛にさいなまれる人間の姿に美を感じていたふしもあります。「肉体的にあるいは精神的に責め苛まれる女」というのは、清順映画ではごく当たり前の普遍的アイコンです。いや、男の苦しむ姿も同等に捉えられているのかもしれませんが。

『殺しの烙印』のような映画になると、すべてがノーマリティーを失うために、結果的にアブノーマリティーも雲散しますが、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』のような、そこそこノーマルな映画では、異様なシーンは目立ちます。笹森礼子が苦悶するシーンは、たんなる「目覚まし」だったのかもしれませんし、あるいは「清順好み」「清順ぶり」「清順様式」の発現なのかもしれません。

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鈴木清順の性的倒錯の表現や暗示というのは、監督自身が「はじめから同じ作り方をしている」というとおり、50年代の段階ですでに散見します。ただし、この『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』が製作された1963年に、清順が一部で注目されるようになったのも、また相応の理由があったと考えます。

ここらで、一歩踏み込んでみようと、監督自身、ひそかに決意したのではないでしょうか。それが、「その3」でふれた川地民夫と楠侑子のシーンであり、「その5」でふれたジャズ喫茶のシーンであり、そして、この地下室のシーンなのでしょう。はじめからそういう表現を志していたのかもしれませんが、方向は変わらなくても、ここでレベル、深度、幅が変化しているのは間違いありません。

◆ サックス・メロディ ◆◆
この映画については、『赤いハンカチ』のようにクライマクスがきわめて重要というわけではないので、プロットを追うのはここまでにしておきます。

挿入曲やスコアについても、必要なことはほぼ書きました。残るはスコアが一曲のみです。

サンプル 「サックスのメロディ」

これは「その1」でふれたメイン・タイトルの変奏曲のようなもので、タイトルが8ビートなのに対して、こちらはスロウな4ビートでやっています。

このスロウな4ビートの変奏曲にもヴァリエーションがあり、『日活映画音楽集 監督シリーズ 鈴木清順』と『日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠』では、同じ曲名で、異なるトラックを収録しています。サンプルにはしなかった前者に収録のヴァージョンのほうが、タイトル曲のヴァリエーションであることが明白にあらわれています。

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鈴木清順という監督は、音楽の面では(彼が好まなかった)小津安二郎に似ています(松竹時代を回想するエッセイに、同居している女性が小津の新作を見たといったのに対し、清順は「つまらなかっただろ」といったとある。また、インタヴューでも、小津映画は好みではないといっている)。小津安二郎のように、鈴木清順も、音楽監督に細かい注文をつけた形跡はないのです。

そのくせ、日活アクションのスコアのなかでも、とくにすばらしい出来の『殺しの烙印』(山本直純音楽監督)をはじめ、おおいに楽しめるものが、清順作品にはずいぶんあります。口を出さなかったおかげなのかもしれません。

今回で『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』を終わります。つぎはまた日活アクションに直行するか、短くべつの映画をはさんでからにするか、まだ決めかねています。

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by songsf4s | 2010-02-17 23:19 | 映画・TV音楽
バカとリコウ by 吉村アキ(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その5)
タイトル
バカとリコウ
アーティスト
吉村アキ
ライター
伊部晴美、滝田順
収録アルバム
N/A(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』挿入曲)
リリース年
1963年
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昨夜、就寝前に渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』を拾い読みしました。たまたま「中巻」だったので、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』の項も、制約を受けて書きにくくなるのに、つい読んでしまいました。

数百本の映画を対象にした本だから無理もないのですが、渡辺武信もときおりプロットを勘違いをします。『くたばれ悪党ども』については、当家では前回ふれた、教会のシーンで、金子信雄警部が宍戸錠の父親に化けて信欽三の疑いを解くと、渡辺武信は書いています。じっさいには、実の父親の役を佐野淺夫が演じていて、金子信雄は神父に化け、連絡のために教会で待っていただけです。

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いや、『日活アクションの華麗な世界』を批判しているわけではありません。逆です。こういう記憶違い(ないしは「記録違い」)があるということ自体が、他の正しい部分は、やはりメモの助けを借りた、記憶による記述だということを物語っています。とんでもない「記録能力」と記憶力の持ち主です。

いや、記述のミスなどを手がかりとせずとも、『日活アクションの華麗な世界』がおそるべき力業であることは、すぐにわかります。再映されたはずのない映画が山ほど収録されているからです。ひどくオブスキュアな映画がテレビ放映されることは多々ありますが、それにしても、封切りのときに見ただけという作品は相当な数にのぼるはずです。見て、記憶して、メモもとっておいたから、あのような本が残され、われわれがあとから日活アクションを見るための土台を提供してくれているのです。

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それにしても、やはり、映画館でメモをとるということのすごさを考えてしまいます。昔の映画評論家はみなそうしていたのですからね。エラいものです。わたしがいまブログでこういうふうに映画のことを気楽に書けるのは、DVDのおかげです。映画とエディターをAlt+Tabのキーストロークだけで切り替えることができるからです。カット割りの確認なんかチョイチョイですからね。映画館で見て、同じことをやれといわれたら、勘弁してもらいますよ。キーストローク一発で数フレーム戻るなんてことは、フィルムが相手ではできません。

そういうことを考えていると、ドーンと地べたに落ちこんで、思いきり謙虚になってしまいます。地べたから見上げると、『日活アクションの華麗な世界』はどこまでも高く聳えたっています。とはいえ、われわれは現代に生きているので、もはや徒手空拳は非現実的、テクノロジーの力を借りて映画を見、そして語るしかなく、その条件において最良の道筋を見いだしていくしかないでしょう。

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◆ ジャズ喫茶 ◆◆
鈴木清順の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、見ているときはそうでもないのですが、あとから考えると変なプロットです。

『くたばれ悪党ども』の「その4」に書いたように、宍戸錠はじつに苦心惨憺、手のこんだ方法で組織に潜入するのですが、教会で神父に扮した金子信雄警部に会って連絡をとったばかりに、あらゆるトリックも水の泡、あっさり警察の手先とバレてしまします。金子信雄が写真を撮られ、それで警察官とわかってしまうのです。

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信欣三は笹森礼子に宍戸錠を尾行させますが、錠はそれに気づき、銀座裏(だろうと想像する。笹森礼子は築地で錠を見失ったと電話する。築地に近いとなると銀座と考えるのが自然だろう)の「ジャズ喫茶」に引っ張り込んで、組織の内情を探ろうとします。わたしはそういう時代に一歩遅れた世代ですが、あの時代の「ジャズ喫茶」とは、すなわち「ロカビリー喫茶」で、じっさいにやっている音楽はロカビリーです。

サンプル タイトル不明ロカビリー

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クレジットされている挿入曲は2曲だけで、このロカビリーは、だれの、なんという歌かもわかりません。まったくの推測にすぎませんが、この映画のために書かれた曲ではなく、ありものをはめこんだのではないでしょうか。どうであれ、英語なんだか日本語なんだかも判然としないディクションには閉口しますが、ドラムのタイムが安定しているおかげもあって、プレイ自体は悪くありません。

このシーンの演出もちょっと奇妙で、印象に残ります。笹森礼子はふつうの表情ではなく、薬物を摂取したように、目をつぶったり(音楽に陶酔しているという意味なのだろうが)、上体をゆらゆらさせたりしています。宍戸錠も、周囲に女性客がたくさんいるなかで、笹森礼子の唇を奪おうとするし(彼女の服に隠しマイクを仕込むためだが)、女性客の歓声がひときわ高まるのと、錠が笹森礼子に迫るタイミングを一致させ、まるで錠の振る舞いに女性客が反応しているかのように演出しています。

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鈴木清順のこのようなリアリスティックではない演出は、ファンにとっては魅力のひとつなのですが、会社の上層部が嫌ったのもわからなくはありません。

◆ バカとリコウの化かし合い ◆◆
信欣三は、取引に行かせると見せかけて、宍戸錠と川地民夫を罠に落とします。宍戸錠は、ジャズ喫茶で笹森礼子の服に仕込んだ隠しマイクによって、この罠を察知して脱出に成功します。警察の回し者とわかっても、まだやりようはあると、宍戸錠はクラブ《エスカイヤ》に戻ります。そのときクラブで歌われているのが、「バカとリコウ」という曲です。

サンプル バカとリコウ

歌詞も曲も歌い方もなかなかトボけた味があって、悪くありません。「六三年のダンディ」同様、鈴木清順や宍戸錠の編集盤に収録されてもよかったのではないかと思います。

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死んだはずの宍戸錠が帰ってきたので信欣三は驚きますが、錠は、自分が警察の手先であることを明かしながらも、10万じゃ合わない、もっと金が欲しい、といいます。この信欣三と宍戸錠のだまし合いを歌ったので、こういう変な歌詞になったのでしょう

あと少しなのですが、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』はもう一回延長させていただきます。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
by songsf4s | 2010-02-08 23:55 | 映画・TV音楽
六三年のダンディ by 星ナオミ&&宍戸錠(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その4)
タイトル
六三年のダンディ
アーティスト
星ナオミ&宍戸錠
ライター
伊部晴美、滝田順
収録アルバム
日活映画音楽集 スタアシリーズ 宍戸錠
リリース年
1963年
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昨日はなんだか気味の悪いほど暖かく、株によっては梅の花がだいぶ咲きはじめてきました。うちはいつも遅めなのですが、それでも紅梅は三分咲きぐらいにはなっています。白梅はまだぜんぜんですが。

前回、G Mailのアドレスを書いておいたら、さっそく旧知のお二人がそちらにメールをくださって、やはり書いておくものだなあ、と思いました。右のメニューのどこかにつねにおいておくべきだろうと思うのですが、デザイン変更の前に、とりあえず、またG Mailのアドレスを書いておきます。御用の節にはこちらにどうぞ。

pocketfulofmiracles@gmail.com

◆ 潜入手順 ◆◆
さて、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』のつづきです。宍戸錠は、敵対する暴力団の手から救った川地民夫を手づるにして、彼が属する組織に潜入を試みます。この組織のアジトは六本木のどこかにあるという設定で、隣接するガソリン・スタンドとナイトクラブ、ともに組織が経営しています。

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どういうわけだか、いまだに明快な説明ができませんが、このオープン・セットとおぼしきアジトの外観の絵に、高校生のわたしはおおいに惹かれました。たんに子どものときのことが思いだせないだけならどうでもいいのですが、いまこの絵を見ても、やはり惹かれるのに、どこがどう好ましいのかわからないので困惑します。

宍戸錠はすぐには信用されず、地下に閉じこめられ、そのあいだに、信欽三の子分たちは手分けをして、この「田中一郎」と自称する男の身元を洗います。まずは西銀座デパートの前にたむろっているチンピラたちに宍戸錠=田中一郎の写真を見せ、聞き込みをします。

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話が脇に逸れますが、西銀座デパートはまだこの時代には新しい東京名所だったのでしょう。西銀座デパートの「大家」であり、その天井を走る東京高速道路の一部が最初に開通したのは1959年だそうで、その後、東京オリンピックに合わせて64年に全線が開通しています(たしか、小林信彦『夢の砦』に、まだ開通前のこの道路に主人公たちが立つ場面があった)。

残念ながら、かつて読んだこの道路のエピソードはみな忘れてしまいましたが、このあたりの短い区間は首都高速ではないということと、独立した企業体がつくったものだということだけは覚えています。なにか、番地も変わっているということを読んだような気もするのですが、どうも記憶のピントが合いません。無番地?

グーグルマップ 東京高速道路および西銀座デパート付近

西銀座デパート前にたむろっていたチンピラの、田中はまだ刑務所にいるはずだが、という話から、一味のひとりは刑務所に行ってみますが、田中なら先月出所した、といわれます。

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さらにその所番地を尋ねていくと、ここがなんと教会。「武蔵台教会」となっているので、調布にあるという設定なのでしょう。すでに立川基地、福生の米軍住宅などが登場しているわけで、ロケは都心と東京西郊にまとめたのかもしれません。

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かくして、ボスの信欽三は、宍戸錠の監禁を解き、その教会に連れて行きます。宍戸錠の父親が佐野淺夫で、いつもの味を出しています。宍戸錠は冷や冷やしていますが、金子信雄はキッチリ手を打ってあり、サクラも仕込んで、とりあえずボロは出しません。

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◆ 歌って踊るエースのジョー! ◆◆
これでいちおう宍戸錠は信用され、仲間に加わります。その祝いのような、仕事の打ち合わせのような席なのでしょうか、信欽三、その情婦である笹森礼子、上野山功一、そして宍戸錠たちが、一味の経営するクラブ〈エスカイヤ〉で飲むシーンで、星ナオミ(彼女の名前がキャストにあるとちょっとうれしくなる)が踊りながら歌うのが「六三年のダンディ」です。

サンプル 星ナオミ&宍戸錠「六三年のダンディ」

潜入中の宍戸錠としては、「素」のときの知り合いとは顔を合わせたくないという状況で、やむをえず、いっしょに歌って踊りながら、よけいなことをいわないようにさせます。

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チャンスはあっても、歌のほうで有名にならなかったことが雄弁に物語っていますが、宍戸錠の歌はうまくありません。ただし、いい俳優がみなそうであるように、エースのジョーも、ヴォイス・トレーニングを受ければ、まずまずのところまでいった可能性を感じます。

ダンスのほうも捨てたものではありません。自宅にトレーニング・ルームを設け、年をとってもつねにアクションのできる体をつくっていたという人だけあって、動きにいいリズムがあり、それがこの場面での、照れたようなダンスの端々にあらわれています。それに、さすがは俳優、たんなるダンサーにはない味が動きにあります。だれか、このときに思いきりヨイショして、天までほうりあげ、歌とダンスに本気で取り組ませていたら、ちょっとしたミュージカル・スターが誕生していたのじゃないでしょうか。惜しい!

挿入曲はまだあるし、スコアのほうにもまだ曲があるので、もうすこし『くたばれ悪党ども』をつづけることにさせていただきます。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
by songsf4s | 2010-01-29 23:51 | 映画・TV音楽
(仮)案外悪趣味なギャング by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その3)
タイトル
案外悪趣味なギャング(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』)
リリース年
1963年
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みなさんもそうだと思うのですが、このところ、プロヴァイダーのメール・アカウントより、ウェブ・メールに依存する度合いが高まっています。OSのクラッシュの影響でデータの欠損が生まれることがあるものより、ウェブ上にあるほうが安全かもしれないと、最近は考えはじめていました。

ところが、今日はどういうわけか、goo mailのアカウントにログインできなくなってしまいました。通常使うOpera(Firefoxにシェアで後れをとったために、必死に努力したらしく、最近のヴァージョンはFirefoxよりずっと高速ではるかに使いやすい。お試しあれ)はダメ、IEもダメ、しからばというので、最近はよそのエクサイト・ブログのカウンターを廻すためにしか起動しないFirefox(電話で確認しながらブラウザーを試した結果、エクサイトはFirefoxユーザー以外はカウントしないことがわかった、IEやOperaのお客さんはカウントされない)を使って、やっと入れました。

goo mailのアドレスは、過去の記事に何度か、連絡にご利用くださいと公開したのですが、Firefoxでしか入れないのでは不便なので、これを機会に、ちがうアドレスを書いておくことにします。

pocketfulofmiracles@gmail.com

こちらも毎日チェックしているので、もしもわたしになにかおっしゃりたいことがあるようでしたら、ご利用ください。以前公開したgoo mailのアカウントで何人かのお客さんがわたしに連絡をお取りになりましたが、どうも危なっかしいので、アドレス帳から削除するようにお願いします。

◆ アンチリアリズムの萌芽 ◆◆
今回見直すまで、そういう風に考えたことはなかったのですが、ランニング・タイムの表示をにらみながら見ていると、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は『七人の侍』タイプの「はじまるまでが長い映画」のように思えてきました。

いや、もうすこしポジティヴな言い方をすると、「準備で見せる映画」といったあたりでしょうか。『七人の侍』は、ひとりひとりのリクルート手順をていねいに描き、その「副作用」で、各人のキャラクターを明確にしていきます。

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』は、「軍団」のリクルートはしません。この映画の「準備」は、宍戸錠扮する探偵が、信欽三の組織(その裏にまだ黒幕がいるのだが、意外性を狙った設定ではない)に潜入していく過程です。これがけっこう入念なのです。

宍戸錠は、金子信雄警部にニセの身分をつくってもらい、釈放された川地民夫をテコにして、信欽三の組織に入りこもうとします。追っ手をまいた宍戸錠は、逃走用の車を捨て、べつの車に乗り換えて、まず川地民夫の家(または愛人=楠侑子の家)に行きます。

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洋風下見板と白く塗った木の柵という組み合わせのおかげで、いかにも福生か狭山あたりの米軍住宅という雰囲気になっている。でも、妙に車の数が多く、中古車展示場みたいになっていて、思わず笑ってしまった。

ここはなかなか笑えると同時に、やがて堀久作をはじめとする日活首脳陣に「鈴木清順はわけのわからない映画をつくる」という観念を植え付けることになる、独特の「くたばれリアリズム演出」が見られるところでもあります。

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MGではサツに見つかると、福生の米軍住宅あたり(横田基地が登場することでわかるように、昔は「都下」といっていた市域を舞台に設定しているので、福生で平仄は合う)でべつの車を盗み、シーンが事務所でテレビの報道を見る初井言栄に切り替わり、テレビの画面が映ると、つぎのショットは呼び鈴を押す手のクロースアップになっています。

つぎのショットはアパートのドアの前の川地民夫と、ちょっと離れて立つ宍戸錠。つぎは建物のすぐ外に駐められた車(さっき福生で盗んできたものと受け取れる)、そしてまたキャメラはドアの前に戻ります。ここまでのつなぎも、アブノーマルとはいいませんが、ちょっとイレギュラーで、監督の指示なしに、編集者が独断でやるつなぎ方には思えません。

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だれにでもわかるつなぎ方は、

建物の外に停まる車=>車から出てくる宍戸錠と川地民夫=>ドアの前の二人=>呼び鈴を押す手

といったところではないでしょうか。そういうノーマルな手順を踏まないところに、鈴木清順らしさがあるのですが、それは後年、すでに清順が名を成してから見はじめた若造の印象にすぎないのでしょう。リアルタイムで見た日活首脳陣は、なぜわかりにくくするのだ、と思ったかもしれません。

◆ 清順十八番、倒錯カップル艶笑シーン ◆◆
このつなぎ方は明らかに意図的です。速いつなぎで、しかもカードをシャッフルしたように、カットのつなぎ順が月並みではないので、観客は一瞬、「猫だまし」を喰らったようになり、ノーマルな「映画のなかの時間経過」の観念から切り離されます。感覚が宙に浮き、非現実的世界に突入するのに必要な心理的準備がととのってしまうのです。

そして、覗き窓から見える赤い灯り。ストリップでもはじまりそうな音楽。覗き窓の向こうの女(楠侑子。まさにうってつけの役)の呆けた表情。男を引っ張り込んだな、と一方的に女を責める男、黄色いライティング、その下で嫉妬する男をからかい、殴られて歓ぶ女――これぞまさしく、「清順的なるもの」のカードをずらっとテーブルに並べたシークェンスです。

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紅灯の巷ならいざ知らず、玄関のあたりを赤い照明にしている家もなければ、居間を真っ黄色にしている家もありません。でも、このアパートに入る直前の、スムーズではないショットのつなぎで、われわれは「ここからは奇妙なことが起きる」という心の準備ができているので、まるで『東京流れ者』のクラブ〈アルル〉のように変梃な照明デザインも、このカップルの奇怪なふるまいも、「そういうもの」として受け入れます。

いや、当時はやはり受け入れがたかったのでしょうかねえ。プログラム・ピクチャーに「作家性」なんかありはしないから、ただ「なにをいっているのかわからない」という評価だったのかもしれません。

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赤い男と……

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黄色い女、なにか意味があるのか?

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「おまえ、案外、悪趣味だな」

いや、そもそも、日活アクションはまともな批評の対象ではなく、しかも、その日活アクションのたんなる同時上映作品では、批判もなにも、見た人すら少なく、だれも、ここでなにか起きていることに気づかなかったのかもしれません。鈴木清順が一部の批評家に注目されるようになるのは、この『くたばれ悪党ども』が封切られた1963年なのだそうですが、そのきっかけとなったのはべつの映画なのです。

ともあれ、このシークェンス全体を音でどうぞ。

サンプル 「案外悪趣味なギャング」

途中で「ハサミ」は入れていません。川地民夫が楠侑子を痛めつけていたと思ったら、急にネットリなってしまうのですが、じっさいに、カットのつなぎで、一瞬にして甘いムードになっているのです。

そして、川地民夫が楠侑子と抱き合いながら、宍戸錠に「どこへ行くんだ?」と話しかける、一オクターヴ上がった、半分笑ったような台詞が妙に可笑しくて、川地民夫はちょっと倒錯的な人間を演じたときが一番いいなあ、と思います。川地の倒錯演技は、同じ年に撮られたつぎの清順映画のひとつの大きな柱になります。

たったひとつのシークェンスだけでおしまいとは情けないかぎりですが、まだ猫をかぶって控えめにやっていたころの鈴木清順としては、もっとも本性をあらわした場面なので、まあ、やむをえないとご容赦あれ。次回は、本格的にギャングたちのしつこい身元追求の手順を見ます。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
by songsf4s | 2010-01-25 23:04 | 映画・TV音楽
(仮)暴動序曲 by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その2)
タイトル
暴動序曲(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』)
リリース年
1963年
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ほんとうに近ごろは世間のことを知らなくて、日高敏隆氏がなくなったことを、さきほどになってようやく知りました。十代二十代に接した氏の著訳書は、ただわけもわからず読んだだけでしたが、後年、「種に序列をつけない」という明快な主張を読み、おおいにうたれました。

f0147840_023015.jpgそれを読んだのは新聞のコラム、欧米の反捕鯨運動の虚妄をみごとに衝く一文のなかででした。彼らは、牛や豚は下等だから家畜にして殺して食べても問題ないといい、そのいっぽうで、鯨やイルカには知性ないしはその萌芽がある、だから殺してはいけない、というが、それぞれの種にどの程度の価値があるかなどということは、人間が決めることではない、鯨も牛も豚も価値に差はない、という論旨でした。

こういう簡単な理屈すら理解できなくなる病が「ドグマ」というものです。まあ、鯨には価値があり、日本人には価値がないと、例によって序列をつけているから、あのような無法非道な行為を「正義」と思いこめるのでしょう。

◆ プログラム・ピクチャーはジャズではない ◆◆
鈴木清順があるインタヴューで、あの映画の意図はどのようなものだったのか、などときかれて、いらだちを抑えるように、意図もなにもありはしない、会社からあたえられた企画なんだから、とこたえていました。

1967年の『殺しの烙印』を直接の理由として、鈴木清順は日活から馘首を言い渡されました。その後、支援者の協力を得て訴訟を起こしますが、たまたまそういう時代だったためか、これはいくぶんか左翼活動のような気味合いになっていきます。

たぶん、それが誤解のもとになったのでしょう。作者に向かって、「作品の意味」を問うなどというたわけたことをする(たぶん左翼の)トンチキまでが鈴木清順に興味を持ち、「あの映画の意図はなんでしょうか」などと、およそ無意味な問いかけをするようになります。

たとえお芸術の世界でも、「あなたのあの詩はどういう意図で書いたものですか?」などといったら、作者に張り倒されますよ。まあ、世の中にはパブリシティー最優先というお芸術家もいるので、バカは適当にあしらっておけとばかりに、あることないこと、適当な「意味」を口から出放題にしゃべるかもしれませんが、そんなのはすべて相手に合わせたたわごと、はじめから詐欺師の口上みたいなものです。

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まして、プログラム・ピクチャーですから、意図なんかないことは、ふつうの脳みそを持っている人間は知っています。いや、意図はありますよ。「大勢の客を引き寄せること」というのがすべてのプログラム・ピクチャーの「意図」です。いやいや、予算が予算なので、じつは「大ヒット」も狙っていなくて、「そこそこ当たってくれ」ぐらいのところでしょう。

日活最後の数本をのぞけば、一貫してそういうお客さん本意映画それ自体ですらなく、その付録として公開される同時上映作品を撮ってきた人に向かって(いや、溝口健二や小津安二郎が相手でも、それはそれでまずいが)、「あの作品の意図はなんですか?」はないでしょう!

世の中にはほんとうになにもわかっていない人というのがいるものですが、それにしても、あの時代には、左翼のこの手のお芸術バカが一人前の顔をしてそこらを闊歩していて、わたしのような普通の高校生はときおりおおいなる迷惑をこうむりました。

ちょっと年上の大学生なんかに、この手合いが掃いて捨てるほどいて、ただたんに喫茶店で隣のテーブルに坐ったというだけの理由で、議論を吹きかけてきたりしました。「こんな音楽のどこが面白いんだ、きみはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンを聴かないのか」って、おまえの知ったことかよ! ジャズみたいな退廃無為惰弱猥褻なる音楽のどこが面白いんだ、おまえはデイヴ・クラーク・ファイヴやヤング・ラスカルズを聴かないのか?

わたしは右翼ではないし、昔の分類でいえばリベラルだと思うのですが、あのころの政治状況を思いだすと、ウルトラ右翼的気分になります。わけのわからない時代でした。高倉健の『昭和残侠伝』五本立て終夜興業に行くと(まじめな受験生だったのに、どうやって親を騙して池袋文芸座で夜明かししたのか、いまでは思いだせない)、左翼がいっぱいいるのですよ。でも、プログラム・ピクチャーをたくさん見たひとは、ものがわかっているから、高校生をつかまえて議論を吹きかけたりはせず、静かに(つねに超満員、座席は狭く、押し合いへし合いだったが)映画を愉しむことができました。

今日の枕の御題は「世の中にはお芸術ではないものもある」でした。もうひとつの「裏の御題」は、「プログラム・ピクチャーはロックンロールである」なんですが、「その意図は?」と訊かれちゃうかもしれません!

◆ お仕着せを染め直す ◆◆
「その意図は?」も困りますが、プロットというヤツも困りものです。だいたい、多くのものがそうですが、味があるのは骨組より肉づけのほうです。

たとえばですよ、ビートルズのTwist and Shoutはどういう曲か、説明しなければならないとしますね。そうすると、典型的な3コードの曲で、キーはなんだっけ、Dかな、とか、そういうくだらないことをいうハメになります。でも、あれは楽曲がどうしたということではなく、なによりもジョン・レノンのレンディションがすばらしいのだということは、どなたもご存知の通りです。

鈴木清順の映画も、そういうところがあります。企画は会社のお仕着せ、日活社員である以上、拒否はできません。仕方がないから、ディテールに工夫を凝らし、客席で「あくび指南」がはじまったりしないよう、せいぜい、数分に一回はなにかが起こるようにするぐらいのことしかできなかったのです。

鈴木清順映画の魅力はプロットにはない、ということをご承知おき願えたところで、その意味のないプロットをざっといきましょう。この矛盾!

ギャングが取引中の他のギャングを襲い、金やブツを奪うという事件が起こります。現場付近で逮捕された男(川地民夫)が収容された所轄署を、被害にあった二組のギャングどもが公然と見張っているところに、私立探偵の田島(宍戸錠)があらわれ、捜査の指揮を執る警部(金子信雄)に、自分を川地民夫の組織に潜入させろ、ともちかけます。金子信雄はいったんは拒否しますが、宍戸錠の事務所(築地と設定されているが、ロケ地はわからない)にやってきて、拳銃とニセの運転免許証をわたします。

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以上で、リアリズムなどはなから考えていないことはおわかりでしょう。「探偵許可証」などというありえないものを「取り上げるぞ」と脅かされちゃったり、どうやら警察から報酬をもらうようで、これまた「それは無理でしょう」です。

子どものとき、面白く感じたのは、暴力団が大挙して警察を取り囲んで、騒ぎ立てているという設定です。そんなことが現実に起こりうるかはさておき、鈴木清順は、論理を超えて、「見た目に派手」な演出を選択したように感じます。冒頭の襲撃シーンもそれなりに工夫を凝らしてあるし、派手な絵づらになっています。

木村威夫によると、朝、仕事がはじまる直前に、鈴木清順監督に、ここをこう変えたいといわれ、セットを手直ししたり、急いで小道具を調達したりするということがよくあったそうです。つねに、「ただ撮る」ことを避け、細部をいじって、すこしでも退屈しないようにと心がけていたというのです。

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鈴木清順自身は、あたえられたシナリオの根本的な不備はいじりようがない、場面場面の工夫で、すこしでも面白くするしかやりようがない、ということをいっています。観客のほうも、プロットの論理性にはそれほどこだわらず、ディテールの楽しみを追うので、この考え方は正しかったことになります。こういう監督が、どうして裕次郎の映画を撮らせてもらえなかったのか、不思議千万です。

◆ ヤーレン騒乱、騒乱 ◆◆
1960年代終わりに「新宿騒乱事件」というのがありました。68年のことなので、わたしはまだ中学生、なにがどうなってそういう事態に至ったのか、まったく理解していませんでしたが、あのあたりから70年安保締結までは、「騒乱の時代」だったような記憶があります。



新しい日米安全保障条約の締結で学生運動は急激に退潮し、その縮退による急激な内圧の高まりが、72年の「連合赤軍浅間山荘事件」という爆発を喚んだと理解しています。わたしはその騒乱の時代に中学生から高校生になり、浅間山荘事件のときは大学受験準備の真っ最中で、食事のときに、チラッと中継を見るだけでした(野球か!)。

テレビで『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』をはじめて見たのは71年なので、騒乱の記憶なまなましく、しかし永田洋子の顔はまだ知らないという時期です。あの「政治の季節」を「当事者予備軍」「リクルート対象」として過ごした結果、わたしは「過激な反政治主義者」に育ったようです。小説や音楽や映画を政治の道具にする輩はすべて敵でした。いまでもそうです。稲垣足穂がいうように「政治と文学を結びつけるのは、反対向きに二台の機関車を連結するようなもの」なのです。

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そんな「意図」は爪の先ほどもなかっただろうが、オリンピックに向かってそこらじゅうがほじくり返されてしまった東京を、キャメラは偶然に捉えている。有楽町の日劇前も、アスファルトではなく、鉄板の道路になってしまった。

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宍戸錠が「武蔵野署」から築地の事務所にもどったところ。この周辺も工事現場だらけ。

それでも、おかしなことに、所轄署の前に暴力団が陣取って気勢をあげている『くたばれ悪党ども』のシークェンスは、60年安保の記憶なのか、あるいは70年安保の「未来の記憶」なのか、どことなくポジティヴに表現されていて、かつてわたしより年上の世代が経験した「祭り」のように見えました。

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劇中、宍戸錠は、暴力団が警察の前に陣取って気焔をあげているのは気に入らない、といっていますが、なあに、ちょっとした弁解として、暴力団否定を入れておいただけでしょう。あのにぎやかな「お祭り」を演出した監督が、そんなことを本気で思っているはずがあるものですか。

わたしより年上の「運動」をしていた学生たちがヤクザ映画を愛したのも、「でいり」の昂揚感ゆえでしょう。わたしは、雪の夜にドスを片手に雪駄を鳴らして歩く高倉健と池部良の姿には、昂揚感より「滅びの美学」を感じてしまいますが、『くたばれ悪党ども』のギャングの「騒乱」には、盛り上がってしまいました。そういう記憶があるせいか、何度見ても、このヤクザどもの「おい、テレビが来たぞ、今夜は俺たちはヒーローだ」というバカさ加減に、いつも楽しい気分になってしまいます。

この「騒乱」のなかに宍戸錠がMGを駆って割って入り、釈放された川地民夫をさらい、土方弘にミキサー車で追跡の車をさえぎらせて、まんまと逃走するシークェンスは、71年に見てもまずまず手際のよい演出に感じられたのだから(いや、だから、『ブリット』のようなわけにはいかないのだ、日本映画は!)、63年にはもっときびきびと見えたでしょう。

前進で突っ込んだミキサー車が、ちょっとバックして、脇を抜けようとした数台の車を邪魔し、見えないところで、ゴンゴンと音がして、停止が間に合わなかったことを暗示する処理も、なんだか妙に笑いがこみ上げてきます。

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裕次郎抜きでも客が眠らない映画をつくろうと、必死に工夫する鈴木清順監督の姿勢には頭が下がります。こういうことが「ものをつくる」ことなのであって、「意図」なんか、どうだっていいのです。

◆ 微妙なマッチング ◆◆
この「騒乱」シーン(昔は「モブ・シーン」という術語があったことを思いだした)の音楽は、真部(川地民夫)が釈放されるまでは、騒然たる状況の正反対ともいうべき、スロウで静かな4ビートのブルースです。

サンプル 暴動序曲

よく考えると、不思議なタイプのサウンドをもってきているのですが、そうかといって、ここににぎやかな音楽を入れられても困るな、と思います。伊部晴美としても、試行錯誤によって、このシーンの音楽を決めたのかもしれません。

このスロウ・ブルースは、使いまわしのきくキューとしてつくられていて(べつにめずらしいことではない)、何度か登場しますが、それはまたあとで機会があればふれます、

もう一曲、スコアを聴く予定だったのですが。新宿騒乱事件などという変なものを思いだしてしまったために、たどりつけませんでした。ここまででまだ映画は15分しかたっていません。いつ終わることやら。


DVD
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]
探偵事務所23 くたばれ悪党ども [DVD]

OST
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順
日活映画音楽集~監督シリーズ~鈴木清順

日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
日活映画音楽集~スタアシリーズ~宍戸錠
by songsf4s | 2010-01-23 23:12 | 映画・TV音楽
タイトル・ミュージック by 伊部晴美(日活映画『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』より その1)
タイトル
タイトル・ミュージック
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
日活映画音楽集 監督シリーズ 鈴木清順
リリース年
1963年
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上梓から数年を経て、ようやく矢作俊彦『ららら科學の子』を読みました。若いころは、好きな書き手の新作はこまめに読んでいたのですが、結局、最後までそういう風に接したのは山田風太郎のみ、半村良ですら晩年(死が早すぎたので「晩年」の感覚はなかったが)にはもうあまり買っていませんでした。

f0147840_23582353.jpg矢作俊彦がほんとうに好きだったのは1970年代のことで、いまだにタイトルを覚えられない、スズキさんのなんとかという本のレヴューを読んだ時点で関心が冷め、「以前、よく読んだ作家」になってしまいました。

むろん、作家は変貌していかなければならず、矢作俊彦が「ふつうの小説」を書くようになったのは必然ですし(処女短編「抱きしめたい」の冒頭数パラグラフを読んだだけで、資質としてはメインストリームの書き手であることが明瞭に読み取れた)、内容に合わせてスタイルが変化していったのも、当然すぎるほど当然です。

◆ 30年の欠落 ◆◆
熱を失ってから読んだ数冊は、「他の日本の作家よりは面白い」というところでしょうか。昔のような蠱惑的スタイルは、当然ながら、もうよみがえるはずはないのです。結局、ときおり、デビュー作「抱きしめたい」などの初期短編、処女長編『リンゴォ・キッドの休日』、『マイク・ハマーへ伝言』、そしてわたしにとってはつねに彼の代表作である『真夜中へもう一歩』をひっくりかえすだけの「懐かしい作家」になってしまいました。いまも書き続けている人に対して、まことに失礼な言いぐさなのですが!

『ららら科學の子』も、昔のように舌なめずりして読むような長編ではありませんでした。主人公は作者と同年齢ぐらいに設定され、1969年、学生運動のいきがかりで警官に対して殺人未遂を働いたとして指名手配され、文化大革命末期の中国へと密航します。

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それから30年たって、主人公は蛇頭の手引きで日本に帰ってきます。ついこのあいだまではテレビもなかったような中国の山奥で30年暮らした主人公の、「20世紀浦島太郎の東京地獄巡り」とでもいうべき数日間の物語、と表現しても、的はずれではないでしょう。

主人公は映画青年だったのですが、中国の山奥にはテレビすらないので、彼が知っている映画は1969年までのものだけ、音楽もそれに準じていて、ハワイというと、エルヴィスのBlue Hawaiiか、ビーチボーイズのHawaiiになってしまいます。

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矢作俊彦「抱きしめたい」冒頭(1972年)

そろそろ、この枕がどこにいくかお気づきですよね? つまり、この主人公と、わたしのあいだに、どういう違いがあるのか、ということです。1960年代の疾風怒濤を抜けて、1970年代の無風状態を迎えたときは、たんなる「天候の変化」だと思っていました(もちろん、レイモンド・ダグラス・デイヴィーズ歌うThere's a Change in the Weatherを連想してもらいたい)。しばらくのあいだは、また嵐がくると信じていたのです。

ところが、いつまで待っても風は吹かず、気がつけば「人間五十年」を過ぎて、「ロスタイム」に入り、いつ死んでもかまわない年齢になっていました。30年間、中国の山奥で映画も見なければ、音楽も聴かなかったような気分です。わたしも、ハワイというと、エルヴィスのBlue HawaiiとビーチボーイズのHawaiiと、ヤング・ラスカルズのHawaiiになってしまいます。岡晴夫の「あこがれのハワイ航路」にはなりませんがね!

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◆ I think I'm goin' back ◆◆
1969年かあ、とため息をつきました。いまふりかえれば、もう断末魔の年のような気がします。1970年以降に経験したことはみな余生の出来事のようだし、音楽に関するかぎり、68年にはもう自分の一生は終わっていたような気がします。映画はもっとずっと長持ちしましたが、それにしても70年代に入ると、もう「映画館で暮らす」ような状態ではありませんでした。

しかし、まだ高校生だったのだから、自分の人生が終わったなどという自覚はもちろんないし、音楽や映画だって「終わった」とは認識していませんでした。自分の趣味が変わったために、同時代のものが面白くなくなったのだという認識です。現実は逆でした。世の中は変わったのに、自分だけは変わらなかったために、同時代の作物が面白くなくなったのです。

70年代は、いまふりかえれば「Uターン開始」の時期でした。突然、子どものころに聴いたレスリー・ゴアの盤が欲しくなるなんて、60年代の疾風怒濤時代には思いもよらないことでした。「next」だけがあり、「previous」がないのが60年代という環境だったのです。未来に向かって一方通行で全力疾走していました。

「話の特集」だったか、「ガロ」だったか(こういう雑誌のバックナンバーを買い集めはじめたのも70年ごろで、そういう面でもやはりUターンをはじめていた)、鈴木清順という「元日活の映画監督」のエッセイを読んだのも、たぶん1971年のことです。

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どういうエッセイだったか、鈴木清順という人物のどこに興味を持ったのか、もはやそういうことはなにも覚えていません。ひょっとしたら、わたしはもう無意識に180度舵を切り、過去に向かって歩きはじめていて、レスリー・ゴアを思いだしたように、宍戸錠を思いだし(現役で活躍していた俳優に対して失礼千万だが)、どの映画館よりも日活に入ることにスリルを感じていた時期があったことを、思いだしはじめていたのかもしれません。鈴木清順は原因や理由ではなく、空気中に満ちはじめていた水分を凝縮させるための核にすぎなかったようにも思います。

どうであれ、「鈴木清順」という名前を記憶したちょうどそのころ(ついでにいうと、「そのころ」は、はっぴいえんどのデビュー盤と、ジム・ゴードンが好きだった)に、テレビの「深夜劇場」で、その監督が撮った宍戸錠主演の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』が放映されました。

◆ タイトル・ミュージック ◆◆
枕でもたもたしたために、時間がなくなってしまったので、今日は『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』の冒頭にふれるだけにとどめ、本格的に見るのは次回ということにします。

アヴァン・タイトル


このクリップがこういう編集になったのは当然だろうと思うのですが、じつはこの直前に12小節分のキューがついています。タイトルで流れるのと同じ曲なので、省略したのは理解できますが、おかげで、やや奇妙な構成のアヴァン・タイトル・シークェンスだということがわからなくなっています。以下に、素直に冒頭のサウンドトラックを切り出したものを示しておきます。

サンプル タイトル・ミュージック完全版

この曲は数種類の編集盤に収録されているのですが、わたしが聴いた2種類は、後半の冒頭であるスネアのパラディドルではじまるようになっていて、上記のクリップと同じように、最初の12小節は省略しています。

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What'd I Sayに似た、リフ・オリエンティッドな12小節のブルースも面白いのですが、より日活らしさを感じるのは、その中間にある、スタンダップ・ベースとヴァイブラフォーンしか聞こえない、スロウな4ビートのキューです。どちらかというと、4ビートのキューのほうが、この映画のスコアの基調といえるでしょう。

以下、次回につづきます。
by songsf4s | 2010-01-21 23:26 | 映画・TV音楽
セット、ロケ考 (日活映画『赤いハンカチ』より その7)

予告篇の対語はなんだろうなんて思いましたが、そんなものは存在しないから言葉もないのでしょう。overtureの対語として、勝手にundertureという言葉をつくった(preludeの反対はpostludeかと思って調べたら、ほんとうにあった!)アル・クーパーにならえば、「後告篇」てなものでしょうか。

せっかく加工までしながら、置き場所に困って棚上げしてしまった『赤いハンカチ』関係の写真などもあるので、つぎの映画を見終わるまでのつなぎとして、本日は雑多な話でア・ラ・カルトと参ります。

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本文ではふれなかったが、二谷英明が経営しているスーパーマーケットの店内や社長室も出てくる。社長室からはマジック・ミラーで店内が見られるという設定で、スクリーン・プロセスで店内の様子が嵌めこんである。浅丘ルリ子のバスト・ショット用にも異なったアングルから撮った店内のショットが嵌めこんである。

◆ 視覚の快楽 ◆◆
日活無国籍アクションは、非日本的風景を追求しました。若い監督たちは、自分の好きな外国映画をイメージしながら、ショットを積み重ねていったにちがいありません。アメリカ映画よりヨーロッパ映画、とくにフランス映画に範をとることが多かったのだと想像します。たとえば『俺は待ってるぜ』の冒頭は、ジャン・ギャバン主演のメグレ警視ものがはじまるのかと思うような絵作りです。

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後年の山手の丘の邸宅を強調するために、冒頭の「お豆腐屋さ~ん」のあとに浅丘ルリ子の家の内部を見せる。

当然、見る側もそこに注意を払うことになります。『赤いハンカチ』でもっともイマジナティヴなロケとセットは、「山下橋ホテル」のファサードと室内、そしてロビーのデザインです。ほかに視覚的刺激を強く感じるショットを登場順にあげると、

1 冒頭に登場する埠頭と引き込み線(ロケ)
2 警察署の裏庭(セット)
3 ホテル・ニュー・グランドのファサードと階段(ロケ)
4 二谷英明と浅丘ルリ子の家の室内、とくに暖炉のある居間(ロケとセット)
5 「横浜共済病院」のファサード(ロケ)

といったところでしょうか。こうしてみると、ダム工事の飯場や「お豆腐屋さ~ん」にちょっと目を眩まされてしまいますが、『霧笛が俺を呼んでいる』ほど先鋭的ではないにしても、『赤いハンカチ』もまた、「非日本的風景」を追求した映画だということがはっきりします。子どものころ、この映画が好きだった裏には、そういう視覚的快楽もあったのかもしれません。

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4の二谷英明の家(主として浅丘ルリ子のショットだが)は、いまになるとたんなる豪邸にしか見えないでしょうが、当時の最先端のデザインで、明らかに意図的に選択されたスタイルです。

居間が吹き抜けになっていることがまず目を惹きます。また、金属の覆いをかぶせて煙を導く「暖炉」(のようなもの)も尖鋭的です。時代の花形だったスーパーマーケット・ビジネス(たしかにあのころはそうだったのだ!)で大儲けした人間の住まいにふさわしくつくられているのです。

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ガラスだかプラスティックだかの小さなプレートをつなぎ合わせたカーテンのごときものも、演出効果を狙ってのものでしょうが、これまたどこにでもあるものではなく、あの尖端的デザインの家にふさわしいものとして選ばれたにちがいありません。映画美術というのは、なかなか大変であると同時に、雑食性が強く、すごく面白いものだと思います。

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◆ 警察署のバックロット ◆◆
警察署の裏手にある駐車場は『赤いハンカチ』のもっとも大事な舞台のひとつです。

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もちろん、これはセットです。調布撮影所のステージのひとつをめいっぱいに使ってつくられたものでしょう。それでも、署内の廊下まではステージに入りきらないでしょうから、その部分はバックロットに突き出させたのでしょう。

考えてみると、これはなかなか愉快です。劇中の屋外は撮影所の室内につくられ、劇中の屋内は屋外につくられたのです。世界が裏返っているのです。

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警察署裏をセットにしたのは、適当なロケーションが見つからなかった、雪を降らせたかった、舞台劇的ライティングをしたかった、薄明のライティングがロケではむずかしい、などといったことなのかもしれません。

しかし、できあがった絵から感じるのは、この警察署裏が「異次元」化しているということです。『赤いハンカチ』が子どもにも強い印象を残したのは、この警察署裏のセットのせいもあったと思います。ほんとうなら、あれだけの銃声がして、署内からだれも出てこないのは奇妙なのですが、それを感じさせないのは、あのセットが舞台劇的な空間になっているからです。

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われながら、どうしてそういうよけいなことを考えるのかと思うのですが、この架空の警察署はどこにあるのでしょうか。わたしはずっと昔から、中華街にいって、たまたま加賀町署の前を通ると、「『赤いハンカチ』だ」と思っていました(「神奈川県警加賀町署」のオフィシャル・サイトへ)。

もうなくなってしまったかと思ってグーグル・マップで見たら、昔と同じファサードだったのでビックリしました。でも、よく見ると、建て替えたのだけれど、ファサードは保存した、という東京銀行協会(旧状はわたしのべつのブログに示した)や工業倶楽部などと同じ形でした。

背後に新しい建物ができたので、もはやバックロットは存在せず、わたしの「幻視の愉しみ」はエンド・マークを打たれてしまいました。

加賀町署は中華街に接していて、山下橋ホテルで逮捕された石原裕次郎が連行されるならここしかないという場所にあります。ロケハンのとき、当然、舛田利雄監督もこの警察署のたたずまいに目をとめただろうと思います。いや、映画ではついにファサードが登場しなかったのは、「異次元性」を補強する結果になったので、あれでよかったのだと思いますが。

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◆ 黒澤明のベスト100 ◆◆
そんなものを探していたわけではなく、なにかべつの映画のデータを探していたのですが、たまたま「黒澤明が選んだ映画ベスト100」といったリストにぶつかりました。

娘さんとの対話を文字に起こしたもので、各監督につき一作品という条件がつき、あとから年代順に並べ替えたものだそうです。黒澤明関係のいずれかの本に収録されたもののようで、なにも英語で読まなくてもよさそうなものですが、元になった本をもっていないので、このような迂遠なことになりました!

作品よりも監督自身について語られているものも多く、厳密にベストを選んだというわけではないでしょう。思いついた百人の監督を並べてみた、ぐらいに受け取っておくほうが安全です。

それから、わたしは黒澤明を信奉しているわけではないことも申し上げておきます。好きな映画もあれば、『静かなる決闘』『白痴』『生きる』『素晴らしき日曜日』のように、おおいにへこたれたものもたくさんあり、最後まで見られなかったものすらあります。しかし、それでもなお、このリストは興味深く感じます。

もっとも意外だったのは、38番目に登場する、『足ながおじさん』です。黒澤明は「これはきちんとつくられた映画だよ。ぼくは不器用だから、フレッド・アステアのような人にはまいっちゃうし、なんといってもレスリー・キャロンがいいよね」といっています。

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この映画は、当家でも先日、「Astaire the Drummer その1 『足ながおじさん』」として取り上げています。自分でも取り上げたぐらいだから、嫌いではないのですが、でも、わたしなら『足ながおじさん』はフレッド・アステアの代表作にすら選ばないでしょう。

黒澤明の『足ながおじさん』短評はべつに不賛成ではないのですが、『バンド・ワゴン』や『イースター・パレード』より素晴らしいかというと「はて?」です。

『足ながおじさん』のように他力本願的に幸せになる物語というのは、ひとつのジャンルを成しているといっていいほどで、それはそれでおおいに魅力があるとは思うのですが、この映画のフレッド・アステアのダンスにはすでに昔日の輝きはありません。結局、黒澤明がこの映画のどこに『バンド・ワゴン』にまさる魅力を見いだしたのかはわかりませんでした。

当然、百人のうちに入ってしかるべき監督でも、どの作品を選ぶかという点は興味があります。成瀬巳喜男は『浮雲』、小津安二郎は『晩春』、川島雄三は『幕末太陽伝』というのは諸手を挙げて賛成ですし、山中貞雄は『人情紙風船』ではなく、『丹下左膳余話 百万両の壺』をもってきたところに味がありますが、溝口健二は『西鶴一代女』というところで、そうくるか、でした。

いや、こんなことを書いていたら永遠に終わらないので、今日はこれくらいにしておきます。このリストはまたネタにするかもしれません。それにしても、黒澤明という人は、実作者ではなく、評論家なのかと思うほど、こまめに映画を見ていたのだなあ、と呆れてしまいました。

つぎはハリウッド映画のつもりだったのですが、前回、金子信雄のことを書いていて気が変わりました。またしても日活アクションでいきます。
 

by songsf4s | 2010-01-17 22:43 | 映画
(仮)最後の弾丸 by 伊部晴美(日活映画『赤いハンカチ』より その6)
タイトル
最後の弾丸(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(『赤いハンカチ』OST)
リリース年
1964年
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今日こそは『赤いハンカチ』のクライマクスを事細かに書くので、結末は自分で見たいという方は、以下の記事をお読みにならないようにお願いします。

『赤いハンカチ』はストレートな謎解き物語ではありませんが、過去の事件の真相を突き止めることをエンジンにして、話を前進させている物語ではあるので、やはりそこを先に知ってしまうと、いくぶんか興味をそがれるでしょう。もちろん、わたしは映画館で三回、ヴィデオでは数えきれぬほど見ているので、結末を知っていても面白い映画ではありますが。

◆ 金子信雄讃 ◆◆
プロットの続きを書きはじめたら置き場所がなくなりそうなので、先に書いておきます。『仁義なき戦い』シリーズを見た百人中九十九人が、「このオヤジ、早く死なんかいな」とうんざりする山守義雄組長役こそが、金子信雄の生涯の仕事の集大成なのだろうと思います。

たしかに、あれほど無茶苦茶な人格にまとまりを与えられる俳優はめったにいるものではなく、金子信雄が長年演じてきた「卑怯な悪人」の映画的記憶まで動員されて、はじめてリアリティーを獲得できるのだと感じます。まるでヒトラー暗殺計画の映画(というのを昔見た)のように、『仁義なき戦い』とは、「山守義雄=金子信雄の命を狙った連中が、みな目的を果たせずに虚しく斃れていく物語」といえるのではないかと思うほどです!

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『仁義なき戦い 頂上作戦』左から小林旭、金子信雄、室田日出男

日活から東映にかけて金子信雄は悪役ばかり演じたので、そのなかで『赤いハンカチ』の〈土屋警部〉は稀な善人役だから、ということももちろんあります。しかし、稀少性だけで、この映画での金子信雄がいいといっているわけではありません。

いや、正確にいえば、稀少性とも無関係ではないのですが、金子信雄自身が「こんなにいい役は二度とめぐってこない」と感じていたのではないかと思うほど、気持よく、楽しんで演じているのが感じられるのです。もっとピンポイントでいうと、『カサブランカ』のクロード・レインズがやった役を自分がやるとしたらどうするか、ぐらいの気持があったのではないでしょうか。

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金子信雄ではなく、だれかべつの人間が『赤いハンカチ』の土屋警部を演じていたら、この映画はずいぶんと異なる味わいになったことでしょう。いまになって『夜霧よ今夜も有難う』を見ると、佐野淺夫演じる刑事は、金子信雄のほうがよかったのではないかと思えてきます。

◆ いまじゃない、いまだと…… ◆◆
二谷英明を叩き伏せた石原裕次郎は、襲撃をかわすと、山下橋ホテルにもどります。通りには警官があふれていて、裕次郎は裏口からホテルに入ります。刑事のひとりがそれに気づきますが、金子信雄警部は、ほうっておけ、と目配せします。

ホテルの部屋には浅丘ルリ子が待っています。このときの浅丘ルリ子も印象的です。(性差別主義者ではないのだが、昔風の言い方をすると)「この男のものになる」と心に決めたことが表情にあらわれています。さらにいえば、「いま、このときをおいて、ほかにふさわしい時はない」という強い決意すら読み取れます。

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サンプル 「ラヴ・テーマ」

金子信雄警部がやってきて、裕次郎が隠れているクローゼットの前まで行き、浅丘ルリ子に話しかける形で「もしそのへんの窓から三上君がひょっこり顔を出すようなことがあったら、命を狙われているから危ない、わたしんところへ自首するよう、友だちに手柄を立てさせるよう、まあ、そういってください」なんていうところも、じつに間合いがよくて楽しめます。

金子信雄が出て行くと、浅丘ルリ子は部屋に鍵をかけ、ホッとため息をつきます。終幕に向かって密度が高まっているので、いや、その結果ではなく、原因かもしれませんが、こうした息づかいや表情のひとつひとつに、われわれの目と耳は惹きつけられていきます。

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二人がベッドに倒れ込み、浅丘ルリ子の足からパンプスが脱げ落ち……昔のふつうの映画なら、あとは暗示するにとどめ、ここで画面溶暗といったところですが、このへんが日活アクションらしいところで、裕次郎はここで引き返します。

「いまじゃない。いまだと……」

というのです。「いまだと」なんなのか、あとの言葉は想像にまかせたのはうまい処理です。言葉にすると、どういう語彙を選択しても、むくつけで品がなくなってしまい、言葉を飲み込む処理にしたのだろうと想像します。できるだけ婉曲にいえば、いまだとたんなる不倫になってしまう、といったようなことをいおうとしたと解しておきます。

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どうであれ、日活アクションのヒーローはストイックでなければいけないので、ここはどういう理由をつけてでも、裕次郎をベッドから起きあがらせなければならない場面です。いや、そうはいっても、浅丘ルリ子の表情がすばらしく蠱惑的で、そのぶんだけ、ヒーローのストイシズムが強調され、この映画のもっとも魅力的な場面のひとつになっています。

◆ 「わたしは赦されたくなんかありません」 ◆◆
石原裕次郎は、金子信雄に示唆されたとおり、浅丘ルリ子に銃をあずかってもらい(あまり有効ではないが、伏線である)、二人揃ってロビーへとおりていきます。

ここで二人に気づいた瞬間の二谷英明の表情が二度インサートされますが、このへんが「ムード・アクション」なのだと感じます。いや、つまり、アクション・シークェンスは、きびきびと演出されてはいるものの、いうなれば「最低限必要なことは押さえる」といった調子です。

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それに対し、男と女の表情は(成瀬巳喜男ほどではないにしても!)じつに丹念に捉え、また、お互いの一挙手一投足に反応させています。二谷英明は、この二人の姿を見た瞬間に、いわば「発狂」したのであって、それが物語を結末へと向かって強く後押しします。

金子信雄警部は、君がドスで刺した犯人ではないという目撃証言もあるから、取り調べは簡単に終わる、といって、二谷英明に保証人になるよううながし、裕次郎を連行していきます。

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ロビーに残された二谷英明と浅丘ルリ子のすがたが、必要以上に長く映されるところも、この映画が、アクション映画である以上に、ラヴ・ストーリーであることがあらわれています。

そして、つぎのシーンは、家に帰ってからの浅丘ルリ子と二谷英明のやり取りになり、浅丘ルリ子はひざまずきかねない二谷英明を、「一度の過ちを赦されなかった人がいます。わたしは赦されたくなんかありません」と、拳銃までむけて冷たく拒否します。

ベンツを駆って湘南から横浜へ引き返すあたりからの浅丘ルリ子は、ただただ凄艶で、たしかにこの女を失うのは、男にとって死にもまさる苦痛だろうという、ソリッドなリアリティーを感じさせます。

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◆ 偶然性の犯罪 ◆◆
二谷英明と浅丘ルリ子が争っているところへ、電話がかかってきます。それと明示はされませんが、金子信雄警部から、取り調べが終わって釈放になるから、身元引受人として石原裕次郎を引き取りにきてほしい、という電話だということが前後からわかります。

折りがあれば裕次郎を殺そうと思ったのか、あるいは、身の危険を感じたのか、二谷英明は出かけるまえに引き出しから銃を出します。伏線といえば伏線なのですが、ここはやや強引な処理に感じます。映画だからこういう荒っぽい処理が見過ごされるともいえますし、映画だから小説のように細かく心理描写をすることができない、ともいえます。

警察署裏の駐車場、かつて石原裕次郎が逃走する森川信を射殺した場所が、クライマクスの舞台になります。なぜ二谷英明が銃を持っていることを知ったかはわかりませんが、石原裕次郎は二谷に導かれて車のステップに足をかけた瞬間、振り向きざま二谷を殴り倒し、内ポケットから銃を奪い、二谷の周囲に威嚇発砲をします。

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そして裕次郎は、彼がたどりついた四年前の事件の解釈を語りはじめます。二谷英明が、きびしい尋問で正常な判断力を失った森川信に、俺の銃を奪って逃げろ、とそそのかしたのであり、その銃には空包しか入っていなかったのだ、というのです(これ以前の場面で、金子信雄が、現場からは一発も銃弾がみつからなかった、といっている)。

火を噴く銃口にむかって飛び込んでいけたのは、空砲しか入っていないことを知っていたからで、背後から裕次郎が容疑者を狙っていても、オリンピック候補の射撃の腕を信じて、イチかバチかでタックルし、裕次郎の狙いが同僚を避けてすこし上がり、致命傷になることを狙った、と指摘され、二谷英明はそのとおりだ、だが、証拠はなにもない、とうそぶきます。

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この謎解きは、舛田利雄監督ら脚本家陣が苦心したところなのでしょうが、映画的ではあっても、まったく論理的ではなく、あまりにも偶然に依存しすぎています。石原裕次郎が二谷英明を誤射することを怖れてためらえば成立せず、そもそも、数秒の誤差も許されない状況で、裕次郎が間合いを計ったようにタイミングよくあとからあらわれ、タイミングよく射撃できる可能性はきわめて薄く、まったく現実性のない犯罪です。被疑者の口を封じたいなら、もっと確実で、露見しにくい方法がいくらでもあるでしょう。しいていうなら、裕次郎に殺人の嫌疑をかける方法にはなっているので、映画シナリオとしては、こういうものにしたくなる気持はわからなくもない、というところです。

ということで、犯罪の蓋然性を追求しない人たちには、このシーンはそれなりに面白いかもしれませんが、子どものころはともかくとして、大人になってからは、「無理だよ、成功の可能性はゼロ近辺だもの」とあっさり投げ捨てました。「まあ、映画だからな」という場面です。

◆ 致命傷 ◆◆
わたしがいまでもこの映画が好きなのは、半分はこのあとのシーンのせいです。いや、これも犯罪としてみるなら、成立の可能性はゼロ付近なのですが、「映画のなかの出来事」としては納得できるのです。

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二谷英明は、おまえのいうとおりだ、あれはイチかバチかの賭けだった、俺はそれに勝って成功したのだ、こうして警察署でこれだけのことをいっても、だれも俺に指一本ふれられない、証拠はなにもないのだ、と高笑いします。

しかし、裕次郎は、ゆっくりと右手の銃を上に向け、撃鉄を押し下げながらいいます。

「法で裁けないなら、俺がやる」

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いや、早まってくれるな、でありまして、ここがいちばんいいところだろいっているわけではありません。もちろん、子どものころ、いや若いころも、これは好きな台詞でしたけれどね(ミッキー・スピレインみたいではあるが)。でも、重要なのはここから先です。

サンプル 「最後の弾丸」

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裕次郎が銃をかまえて狙いを定め、本気だと覚った二谷英明が恐怖に顔を歪ませ、銃口がクロース・アップでとらえられます。

そして、長い周期のディレイをかけた銃声。しかし、クロース・アップになった銃口からは火は噴きません。にもかかわらず、二谷英明はくるっと廻って転倒します。

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キャメラが引くと、呆然と見返った裕次郎と金子信雄の視線の先に、銃を持った浅丘ルリ子が署内からあらわれます。胸を押さえて起きあがった二谷英明は、石原裕次郎ではなく、妻である浅丘ルリ子が自分を撃ったことを知ります。そして、よろめきながら彼女に向かって歩み、とどめを刺せ、といい、彼女の銃を奪って、自分で二発腹を撃って倒れます。

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もちろん、十メートル以上の距離があるところから、はじめて銃を撃って、みごと胸に命中などというのは、まったくリアリティーがありません。ふつうなら、弾丸は上にそれるでしょう。浅丘ルリ子ですよ。反動を抑えられるはずがありません。

でも、この弾丸はじつは浅丘ルリ子の心の弾丸であり、命中したのは二谷英明の心そのものだから、これでいいのです。愛する女が他の男への愛と、自分への殺意をあらわにしたことだけで十分に、二谷英明にとっては致命傷、fatal shotだったのです。

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◆ 死と愛は兄弟 ◆◆
『赤いハンカチ』という映画には、さまざまな美点と忘れがたいショットがあり、同時に論理的な破綻があちこちに見られます。でも、結局、子どもがはじめてこの映画を見たとき、どこに惹かれたかといえば、愛する女が自分を殺そうとしたのなら、もはやこれまで、死以外の道はないと覚悟する男の心情です。もちろん、子どもには分析力などありません。ただ、ああして死んでいった男のすがたが美しく感じられただけです。

同じ映画、同じシーンでも、年齢とともに受け取り方が徐々に変わっていきます。感覚的なレベルから離れるように努力してみるならば、ここは、ひょっとしたら「甘美なる自殺」の場面なのかもしれません。

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近々取り上げるつもりの映画のなかで、白木マリが男に向かって、あなたになら殺されてもいい、という場面がありますが、愛するものに殺されたいというこうした衝動は、思いのほか普遍的なことなのかもしれません。だとするなら、『赤いハンカチ』はそうした「変則自殺衝動」ないしは「エロス=タナトス重合性衝動」がもっとも甘美なものとして描かれた作品といえるでしょう。

さまざまな論理的破綻にもかかわらず(最後にして最大の破綻は、司法解剖がおこなわれれば他殺だとわかってしまうのに、二谷英明は金子信雄警部に、「撃ったのは玲子じゃない、最初から俺の自殺だ」といい、金子信雄がうなずくことである。ほんとうにそんなことをしたら、この警部はたいへんなスキャンダルに巻き込まれる)、このクライマクスが忘れがたいのは、二谷英明が、敗北が明白になったギリギリの土壇場において、命を捨てることで大逆転に成功し、勝者として死ぬという、思わぬ転換に心撃たれるからだと、年をとったわたしは分析します。

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テープを仕掛け、二谷英明の「告白」を録音しようという金子信雄警部のトリックは、思わぬ展開のために抹消しなければならないはめになる。人間の細工なんていうのは虚しいな、という金子信雄の表情がいい。

二谷英明が死んだことによって、石原裕次郎と浅丘ルリ子は未来を絶たれます。二人のあいだには永遠に二谷の死が横たわっているから、もはやどうにもできないのです(言い方を替えると、二谷英明は一命を賭して、愛する女が憎い男と結ばれるのを阻止した)。いや、子どものときは、なぜラスト・シーンで、二人が他人のように別れていくのか、理解できませんでした。大人になってやっと、二人が結ばれることなどありえないと納得がいったのです。

サンプル 「墓地の別れ」

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映画と小説というのは、まったく逆方向を向いたメディアなのかもしれません。『赤いハンカチ』が小説だとしたら、ガタガタのプロットに呆れて、途中で投げ出したでしょう。でも、映画だから、浅丘ルリ子の変身を見ているだけでも楽しいし、そのうえ、山下橋ホテルのセット・デザインのような余録まであり、キャメラが捉えたものを目で追っていると、論理の破綻など、なにほどのものとも思えなくなっていきます。

子どものころから好きだった映画を分析的に見てみようと思ったのですが、それでどうなったかといえば、分析など、所詮、無意味だということがわかっただけでした。映画においては、論理はアクセサリー程度のものでしかないのでした。

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DVD
赤いハンカチ [DVD]
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by songsf4s | 2010-01-16 23:57 | 映画・TV音楽
(仮)夜のハイウェイ by 伊部晴美(日活映画『赤いハンカチ』より その5)
タイトル
夜のハイウェイ(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(『赤いハンカチ』OST)
リリース年
1964年
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『赤いハンカチ』もそろそろ最終コーナーというところにさしかかりました。結末は伏せて書くこともあるのですが、今回は全部書いてしまいます。『赤いハンカチ』という映画について思うことは、主として結末にかかわることだから、そこを書かないのでは、この映画を取り上げる意味がありません。

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舛田利雄監督(左)と浅丘ルリ子

いや、今日もまた残り時間僅少の時間帯に書きはじめているので、決着をつけられない恐れもありますが、その場合でも、結末に近いところまでは確実にたどり着きます。これから見るのだから、肝心なところは知りたくない、というお方は、今日はパスするのがよろしかろうと愚考します。

それでも、サンプルはお聴きになりたいという方もいらっしゃるかもしれないので、この記事の最後に、サンプルだけをまとめておきます。ただし、『赤いハンカチ』のサンプルはすべて映画から切り出したものなので、台詞が入っています。ということは、クライマクスの展開がある程度わかるということです。それをご承知おきのうえでお聴きください。

◆ テンポ・チェンジ ◆◆
前回の記事の最後に、二谷英明の命令で、ヤクザ者が石原裕次郎を取り囲んで、飲屋街の裏手のひと気のない場所につれていき、威しをかける、というくだりを書きました。

ここで(たぶん)柳瀬志郎がくりだしたドスを裕次郎がよけ、まちがって(たぶん)深江章喜に刺さってしまいます(暗くて速くてだれがだれだかよくわからない!)。たんに「ハマから出て行って欲しい」だけなのに、ドスをくりだすのは矛盾していますが、まあ、ヤクザ者は知的で冷静ではないから、と解釈しておきましょう。でも、殺しちゃったら、あとでボスにこってり絞られるでしょうねえ。

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乱闘になったところでパトカーのサイレンが聞こえ、裕次郎もヤクザ者も散り散りになって逃げます。

ここも説明がないのですが、なぜか、またしても、金子信雄警部が先頭になって現場に駈けつけます。速い展開だから、たいていの観客はこだわらないのでしょうが、でも、警察機構からいって、金子信雄が無所属遊軍的に動き、しかも、裕次郎をつけねらっているかのように、かならず現場に駈けつけるのは、「映画だからな」といわれても仕方のない処理です。

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ただし、ここで金子信雄が「緊急指名手配、三上次郎」と、きびきびと部下に命じ、ポーンとショットが夜のハイウェイを疾駆するベンツに切り替わって、速い4ビートの音楽が流れるのは、まさに映画的魅惑が凝縮された一瞬です。

サンプル 「夜のハイウェイ」

この音楽がまた、じつにすばらしいグルーヴで、この時代の日本のジャズ・プレイヤーはかなりのところまで来ていたことが伝わってきます。ジャズはおおむねそうなのですが、この曲に関しても、グルーヴの主たる担い手は、ドラムではなく、スタンダップ・ベースです。これは伊部晴美が書いたものではなく、ありものを嵌めこんだ可能性もあります。もしも、だれのなんという曲かご存知の方がいらしたら、コメント欄でご教示をお願いします。

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どうであれ、スパニッシュ・ギター一本の静かなキューが中心のこの映画に、突然あらわれるこのアップテンポのグルーヴは鮮烈です。ほんの30秒ほどで終わってしまうのが残念でなりません。

この転換は、やはり物語がここから最終コーナーに入ることを、映像としても、音としても宣言する意図があってのことなのでしょう。ということは、ここでは監督の意向も、アップテンポの曲ということだったと考えられます。

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◆ 四年の歳月をUターン ◆◆
上記の4ビートの曲は、二谷英明が浅丘ルリ子を同乗させ、箱根に向かって夜のハイウェイを疾駆しているシーンで流れます。ということは、国道1号線か134号線と想定されるのですが、夜なので目標物がなく、判断できません。「気分だけ」でいうなら、134号線茅ヶ崎付近と感じます。いや、一瞬、道路際の防砂柵が映るのが手がかりになります。あの時代、防砂柵があったのは、あのへんでは、片瀬から茅ヶ崎にかけての一帯だと思います。

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ラジオは「三上次郎」(石原裕次郎)の指名手配を伝えている。

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浅丘ルリ子は二谷英明を置き去りにし、ひとりで横浜を目指して引き返してしまう。

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そして、金子信雄警部の緊急指名手配の結果である検問に引っかかり、免許不携帯の二谷英明は車から降ろされます。ラジオのニュースで石原裕次郎が指名手配されたことを知った浅丘ルリ子は、夫が車を降りたすきに、横浜へとUターンさせていまいます。ここは、車を使ったことで、もう後戻りはない、不退転の決意で裕次郎のほうへと気持が雪崩落ちたことが表現されたシークェンスです。

ということで、居ても立ってもいられない焦燥を抑えながら、浅丘ルリ子が横浜に向かって車を疾駆させるシーンで流れる音楽もサンプルにしました。ここは、先ほどの4ビートのキューとは異なり、この映画の基調であるマイナーのギター・キューです。妥当な切り替えだと感じます。

サンプル 「玲子のテーマ」

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ギター・キューはいずれも3種類ほどのテーマを応用したヴァリエーションで、テンポやアレンジを変えて、同じフレーズが何度も登場します。わたしもだんだんわからなくなってきているので、メロディーとしては重複しているものもあるかと思いますが、どうかあしからず。

◆ ふたたび襲撃 ◆◆
例によってなんの説明もないのですが、二谷英明と浅丘ルリ子が留守のあいだに、石原裕次郎は二谷邸に忍びこみます。勝手に解釈するなら、なにか四年前の事件に関する証拠か、現在の二谷の悪行の手がかりを求めてのこと、というあたりでしょうか。

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愛する女の家に忍びこむなどということをするから、天罰覿面、ナイティーやらベッドやら、見たくないものを見てしまう。

そこへ、タクシーでもつかまえたのか、二谷英明が「玲子、玲子!」と大声をあげながら帰ってきます。奥様はあれからお戻りになっていません、といわれて、二谷はヤクザ者に電話をかけます(向こうの声は柳瀬志郎のようだ)。手段はまかせる、だが証拠は残すな、というのだから、これは抹殺指令です。

ここから二人の格闘になり、『俺は待ってるぜ』ほどではないにしても、なかなか見応えのあるファイトを見せてくれます。つながったままの電話からは、ただならぬ気配を感じた男が「石塚さん、石塚さん、いまいきます!」と叫んでいる声が流れてきます。ここはちゃんと伏線を張ったのだということがあとでわかります。

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二谷英明を叩き伏せた石原裕次郎は、二谷邸の外に出るのに低い門を飛び越え、ちょっと太りはじめたけれど、まだ体が動くところをデモンストレーションします。

しかし、外に出てみると、向こうからヘッドライトが迫ってきて、裕次郎は車に追われて坂道を逃げます。ということで、そのときに流れる、ジャズ・コンボによるキュー。このトラックもテンポが速く、ビートがあり、展開が切迫してきたことを象徴しています。

サンプル 「襲撃」

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最後の銃声は、追いつめられた裕次郎が車に向かって発砲したところです。

あとわずかなのですが、エンディングはゆっくり書きたいので、本日はここまで、次回、完結とします。お約束通り、今回使ったサンプルを以下にまとめておきます。

サンプル 「夜のハイウェイ」

サンプル 「玲子のテーマ」

サンプル 「襲撃」

以上の3トラックです。

DVD
赤いハンカチ [DVD]
赤いハンカチ [DVD]


by songsf4s | 2010-01-15 23:58 | 映画・TV音楽
(仮)フロア・ダンス by 伊部晴美(日活映画『赤いハンカチ』より その3)
タイトル
フロア・ダンス(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(『赤いハンカチ』OST)
リリース年
1964年
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たまに見に行くNikkatsu Action Loungeというサイトがあります。英語圏の日活アクション・ファンにとっては貴重な情報源になっているのだと思います。

このトップページに俳優紹介ページへのリンクがあって、渡哲也、高橋英樹、松原智恵子、二谷英明、真理アンヌ、宍戸錠、赤木圭一郎、小林旭、石原裕次郎という名前が並んでいます。ちょっと変ですよ、この選択は。

いや、男優陣はこんな感じでしょう。路線違いの浜田光夫の名前がないのは納得ですし、作品そのものが海外に紹介されていない和田浩二が取り上げられていないのも、当然でしょう。

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舞台は北の地から再び横浜に戻ったことを示すために、キャメラは「横浜バンド」をパーンで見せる。氷川丸から山下公園と海岸通り、そして、ホテル・ニュー・グランドへ。

でも、女優陣はビックリしちゃいます。真理アンヌは、そもそも「日活の女優」と呼ぶことすらわたしはためらいます。ここに彼女の名前がある理由はただひとつ、鈴木清順の『殺しの烙印』のヒロインを演じたからです。

日活の女優といったとき、ふつうはどういう名前が出てくるでしょうか。クウィーンであった時期がズレるので、長幼の序にしたがえば、まず移籍組の北原三枝、つぎに生え抜きの浅丘ルリ子、これは動かないでしょう。

この二人の双方に対して二番手だったのが芦川いづみ、いや、どちらに対しても彼女のほうがクウィーンだった、というファンもいらっしゃることでしょう。このお三方が第一グループ。吉永小百合をはずしたのは、「日活アクション」のヒロインは演じなかったからであり、他意はありません。友人のなかには怖いサユリストがいるので、こういう一言は書いておかないとまずいのでありましてな。

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ニュー・グランドのマーキーの前につけられたベンツから、二谷英明と浅丘ルリ子夫妻が降り立つ。

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ふと、向こうの銀杏の木の下にたたずむ男が浅丘ルリ子の視野に入る。

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「もしや、あれは……」

第二グループは、笹森礼子、松原智恵子、野川由美子あたりではないかと感じます。ここでやっとNikkatsu Action Lounge選出の女優が登場です。第一グループのお三方をさしおいて、松原智恵子がNikkatsu Action Loungeで紹介された理由も簡単に想像がつきます。鈴木清順の『東京流れ者』のヒロインを演じたからです。

『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』でも書きましたが、海外での知名度というのは、なかば運しだいで、日活アクション関係者の場合、鈴木清順の代表作で印象的な仕事をしているか否かが分かれ目になっています。

日活時代の鈴木清順は、彼のいう「ついで映画」、すなわち、フィーチャー作品ではない「同時上映作品」の監督でした。それは清順が石原裕次郎主演映画を一本も撮っていないことに端的にあらわれています。そして同時にこれは、海外では石原裕次郎や浅丘ルリ子が、宍戸錠や松原智恵子ほど有名ではない理由でもあるのです。

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内部もホテル・ニュー・グランドでのロケ。このホテルは二階にロビーがあるし、たいていの人間は裏のエレヴェーターは使わず、この魅惑的な階段をのぼりたがる。

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窓外の風景から、ここは二階ロビーではなく、最上階(旧館)のダイニング・ルームだとわかる。

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どうしても気になり、浅丘ルリ子は再び外を見る。

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この彼我における評価ないしは知名度の落差は、日活映画の本質的部分にもかかわってきそうな気がするのですが、今日、枕にこの話をもってきたのは、そういう面倒なことではなく、簡単な理由によります。当家では過去に北原三枝(『狂った果実』『嵐を呼ぶ男』)、芦川いづみ(『乳母車』『霧笛が俺を呼んでいる』)、そして松原智恵子(東京流れ者』)の映画は取り上げたのに、浅丘ルリ子の初登場はやっと今年になってからのことだからです(厳密にいうと『太平洋ひとりぼっち』に出演しているが、カメオ同然で、シーンは少なく、また、当家の記事自体も映画の内容にほとんどふれず、武満徹と芥川也寸志のスコアに終始した)。

小学校六年の終わりにジーン・セバーグ(『黄金の男』)を見て、むむう、と思い、中学二年でジョアナ・シムカスにノックアウトされるという思春期の嵐のなかで一度は忘れてしまいましたが、わたしは小学校五年までは、ガチガチの浅丘ルリ子ファンだったのです。

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やはり、たしかめたくなって、浅丘ルリ子は階段を下りる。くどいようだが、階段の裏側にちゃんとエレヴェーターがある。だが、この階段を通らせたい監督の気持ちはよくわかる。

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それなのに、いままで浅丘ルリ子映画が登場しなかったのは、それこそただの巡り合わせでしかありません。そろそろ、失したバランスを取り戻そうというのが、先日の『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』その1その2、そして、この『赤いハンカチ』という、浅丘ルリ子映画の連打なのです。

◆ 丘をくだって運河を渡り ◆◆
どうも前回のような調子でサンプルを大量に並べていては、いつまでたっても終わらないし、お客さん方も、どれを聴くべきか迷ってしまうでしょうから、今日はすこしスピードアップします。と宣言しながら、でも、この映画、ここからが面白いところだからなあ、逆にスロウ・ダウンか、とみずから危ぶんでいます!

石原裕次郎は、結局、金子信雄警部の挑発にのってしまい、四年ぶりに横浜に舞い戻ります。その後の行動から、これは金子信雄の狙いだった、二谷英明の欺瞞の暴露というより、恋した女、いまも自分自身を罰しつづける理由となった女が、ほんとうに彼を「裏切った」のかどうかをたしかめるためだと推量できます。表面的にはなにもなかった女に「裏切られる」はずもないのですが、でも、心情としては「裏切り」に感じられる、ということはきちんと描かれています。

いまでは彼女の夫になっている二谷英明とともにベンツから降り立ち、ニューグランドのマーキーに立った浅丘ルリ子を目撃した裕次郎は、その日の夜、泥酔して地回りとゴロをまいて、病院にかつぎこまれます。

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なぜ浅丘ルリ子がニューグランドにあらわれるのを知っていたかも説明されませんが、同様に、通報で駈けつけた警察官のなかに、生活安全課か殺人課に所属すると想定される金子信雄警部がまじっているかも説明されません! たかが地回りがゴロをまいたぐらいで、警部殿がじきじき現場にくるのはやっぱりちょっと変。たまたまべつの用事で公用車に乗って付近を通り、無線をきいて酔狂にも寄り道した、てなことで手を打ちますかな。ちょっと偶然過度ですが。

四年前の事件の関係者をつついて「活性化」させようとしている金子信雄警部は、石原裕次郎が気にかけていたのは、二谷英明ではなく、浅丘ルリ子だったことを知って(そのために、警部殿に警邏警官のようにケンカの現場に駈けつけさせるという強引な処理をしたのだろう)、狙いを変え、浅丘ルリ子のもとを訪れます。

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裕次郎がケガをして入院していることを知った浅丘ルリ子はすぐに見舞いにいきます。このとき、ミンクのコートを着て、ベンツに乗り、山手の丘を石川町裏のスラムに向かって下って行きます。たんに住まいのロケーションを明らかにする以上の意味が、この坂を下るショットにはこめられています。

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病院と病室にたどりつけばその意味はさらに明瞭になります。同じ横浜の病院でも、裕次郎が入院しているのは、『霧笛が俺を呼んでいる』に出てきた横浜中央病院のような近代的な建物ではなく、木造二階建てのボロ病院、それも大部屋です(ただし、ロケに使われたのは貧しい地区ではなく、横浜公園付近の建物ではないかと思うが)。

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ミンクのコートでこの病室に入っていった浅丘ルリ子は、裕次郎の冷たい視線に迎えられ、そして、同室の患者たちの嘲笑を買い、あとから見舞いに来た、裕次郎に恩義を感じている寿司屋のオヤジ(桂小金治)に「毛皮のオバケ」といわれます。

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ここはダメ押しがすぎると感じますが、演出の意図は明確で、浅丘ルリ子の「裏切り」を浮き彫りにするためのシークェンスです。四年前、勤め先の工場に裕次郎が悔やみに来たときに、腹立ちのあまり返却を拒んで、泥水に落とした父親のセーターを、もったいないと思い直し、あとで拾って洗濯して、編み直して翌年の冬のあいだ着ていた、という話をするのも、浅丘ルリ子自身が、うすうす「裏切り」を恥じていることをあらわそうという演出でしょう。

「女は出世の早いもの」と三亀松がよく新派の台詞らしきものを引用していますが、このへんは、まあ、そのような「裏切り」の物語の系譜につらなるものと受け取っておきます。

◆ おきまりとはいえ ◆◆
裕次郎が元県警の刑事とは知らずにケンカを売った地回りが謝罪にきて、うちのボスがぜひご一献と申しております、というので、裕次郎は招きに応じます。

古来、日活アクションでは、そのような密談をするのはナイトクラブ、いや昔の分類では「キャバレー」と決まっています。そしてもちろん、このようなキャバレーにはフロア・ショウがつきものです。

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サンプル 「フロア・ダンス」

おきまりのルーティンといってしまえばそれまでなのですが、やはりこれがないと、日活アクションを見た気分がしないものです。作曲家も、毎度、フロア・ショウのスコアを書くのを楽しみにしていたのではないでしょうか。遊んでかまわないところですからね。舛田利雄の演出も、どうせダンサーに踊らせるなら、もっと活躍させようとでもいうのか、いつもより露出度が高く、濃厚な振り付けにしています。

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芦田伸介の出番はここだけで、考えてみるとプロットにあまり影響しない役で、芦田伸介自身も、彼の組織もこのあとの話にはあまりからんできません。たんに、四年前の事件の背後にあった組織とは敵対する一派があり、いまでもあの事件を蒸し返して、敵の追い落としに利用したいと考えていることを明らかにしているだけです。

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うーん、むずかしいところですが、この役を芦田伸介がやったことで、筋は通らないまま、ともかく話に重みと奥行きを与える結果になったのだから、まあいいか、といったあたりでしょうか。でも、芦田伸介が出てきた以上、この組織がなにかあとでからんできそうな予感を与えるというマイナスもあるのですが。

◆ 運河を仮の宿りに ◆◆
プロットは影響を受けないのですが、映画は視覚と聴覚を刺激するメディアなので、やはりロケーションとセットはきわめてだいじです。とりわけ日活アクションは、「無国籍アクション」といわれた、非日本的ムードを醸成するための舞台づくりが重要でした。『赤いハンカチ』で忘れがたいロケーションは、「山下橋ホテル」と名づけられた、おそらくは船員向けの安宿です。

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この建物のロケーションによる外観も印象的ですが、セットによる内部がまたじつにいいのです。木村威夫がデザインした『東京流れ者』のホテルと同じように、この千葉和彦美術監督による『赤いハンカチ』のホテルは、なんとも忘れがたいたたずまいを見せています。

以下は、スコアではなく、ホテルの部屋で裕次郎が弾いているギターの音、という現実音の扱いですが、現実音であろうと、スコアであろうと、とくに区別する必要はないでしょう。

サンプル 「チープ・ホテル」

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このホテルの周囲の風景も雰囲気がありますし、ファサードのデザインも横浜らしさがありますが、そうした現実の風景にひけをとらないほど、セット・デザインにも力があります。ふつう、日本にはこういう安宿というのはないのですが、そこは横浜、そこは「日活無国籍アクション」、累積された映画の記憶がこの部屋に「夢のリアリティー」を与えています。

「よごし」も入念におこなわれていますが、四角形ではなく、おそらく五角形の変則的な形にしてあるところも、このデザインにすばらしい味を加えています。

ここからまた重要な場面へとつながるのですが、本日もすでに時間切れ、さらに次回へと続きます。


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by songsf4s | 2010-01-13 23:57 | 映画・TV音楽