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木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その3

邦画にかぎるのですが、わたしは脇役の俳優が気になります。ところが、俳優辞典のたぐいをもっていないので、名前がわからないことがよくあります。たとえば、渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』に、だれそれが演じるなになにの役、などと書いてあるのを手がかりにして、すこしずつ空白を埋めていくといった、気の長い作業をやっています。

『ゴジラ』シリーズなども、いまでは俳優のアンサンブルを楽しむ映画に感じますが、日活アクションは、なんといってもギャングの顔ぶれが楽しみです。『花と怒涛』では飯場の土方衆が多く、悪役の一部は善玉に吸収されています。その代表が野呂圭介と柳瀬志朗。

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野呂圭介

深江章喜はいつものように悪役として登場するのですが、途中で小林旭と意気投合して善玉に転換するというめずらしい役をやっています。裕次郎=ルリ子のムード・アクションの代表作『二人の世界』で深江章喜が演じた、「お嬢さん」を守ることに命をかける一本気なヤクザほどの儲け役ではありませんが、陰鬱なギャングの役が多いこの俳優としては、『花と怒涛』の小頭は好ましい役のひとつでしょう。まあ、極悪の深江章喜があってこそ、稀な善玉役が面白く感じられるのですが。

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深江章喜

榎木兵衛も、ギャングのなかにいるとうれしくなる俳優です。山下公園のベンチに坐って、むやみにピーナツを食べる情報屋を榎木兵衛が演じたのは、どの映画でしたっけ? あれがこの異相の俳優のもっとも目立つ役だったかもしれません。

こんなことを書いていると、また終わらなくなるので、そろそろ切り上げます。日活脇役陣のことを詳細に教えてくれるサイトは見あたらず、そのうち、脇役にスポットを当てた記事でも書こうとかと思います。

◆ 浅草十二階下 ◆◆
前回は、小林旭が車夫に化けて警官たちの目をごまかしたはよかったけれど、ホンモノとまちがわれて、川地民夫を乗せるハメになったところまで書きました。この脇筋はプロットに有機的に組み込まれているわけではなく、ささやかなコミック・リリーフにすぎません。

ここで気になったのは、川地民夫が小林旭に行き先を「浅草の十二階下」と命じることです。居酒屋〈伊平〉があるのは「十二階下」ではないのですが、どうも、あそこに行くつもりで「十二階下」といっているように思われます。さらにいうと、木村威夫も「あの十二階下の飲み屋」といっています。

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はて? かつての十二階下(現在の〈ひさご通り〉の裏側あたり)は、いわゆる「銘酒屋」などが櫛比する売笑窟だったそうです(昭和4年発行の今和次郎編『新版大東京案内』によると、関東大震災以後、十二階下の娼婦はすっかりいなくなってしまったという)。たしかに、〈伊平〉の向かいの店は娼家という設定で、客が引きずり込まれるシーンがありますし、あろうことか、川地民夫が娼婦に引っ張り込まれて、押し倒されてしまうショットまで出てきます。

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十二階下の通りからは、十二階そのものの全景が見えるはずがありません。基部が見えるだけでしょう。しかし、川地民夫のセリフと木村威夫の言葉から、少なくとも監督や美術監督の「つもり」としては、あの通りのセットは十二階下にあるという設定なのかもしれません。

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「気分」としては、鈴木清順=木村威夫が十二階下にこだわるのはよく理解できます。わたしも、高校のとき、用もないのに、たんなる好奇心から、まだ明るいうちに横浜黄金町のガード下(黒澤明『天国と地獄』のおどろおどろしい描写をご覧あれ!)に入りこみ、バーに引っ張り込まれそうになってあわてた経験のある人間ですからね。かつてのあのへんのバーは「銘酒屋」といっしょで、たんに酒を飲む場所ではないのだから、高校生なんか相手にしちゃいかんのですが、そんなことはおかまいなしなんだから、面白い場所でした、いえ、怖ろしい場所でした。

◆ 雑踏の迷彩 ◆◆
小林旭は松原智恵子に手紙で満州行きの手順を知らせます。

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「おしげちゃん、荷物は上野ステーションにあずけてきたからね、七時には出るんだよ」

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小林旭の手紙を読んで幸せそうな笑みを浮かべる松原智恵子。

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しかし、つぎの瞬間、松原智恵子は隣の部屋に入り、その笑顔は暗闇でとらえられる。こういうことを無意識にやる映画監督というのはいない。意図的に暗闇に入らせたのだ。

新潟で会う手はずだったのですが、心配になった小林旭は浅草に出向きます。祭の最中という設定なのでしょう、通りには人があふれ、面を頭にのせた遊興の客もすくなくありません。小林旭はこれを利用して、面で顔を隠したりしながら、伊平に接触します。

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居酒屋〈伊平〉の外で様子をうかがう小林旭。なかには玉川伊佐男がいて、こちらも外の様子が気になり、障子を開けたりする。

伊平の店には玉川伊佐男刑事が来ていて、その目をかいくぐる様子を鈴木清順は手際よく描写します。

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小上がりの松原智恵子と玉川伊佐男、そして、それを裏口からうかがう小林旭。この小上がりは裏口の脇にある。二つあるのか、それとも正面入口の脇にある小上がりというのは、わたしの誤解だったのか、それは次回に検討。

この刑事から女房を引き離さなければどうにもならないというので、小林旭は、髪結の予約を利用することにし、そこで松原智恵子に会います。

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「こっちを見るんじゃねえ」髪結床での鏡台越しの対面。

しかし、髪結床も刑事たちの監視下にあり、それをどう切り抜けるのか?

これよりずっと以前のシーンで、玉川伊佐男は、松原智恵子に「おしげちゃん、丸髷に結ってみちゃどうだ?」といいます。古典的な髪型を好む頑固な男の表現か、と思ったのですが、そういう意図もあったにせよ、もうひとつべつの意図がこのセリフにはあったようです。

松原智恵子が髪結床に入っていくと、玉川伊佐男が刑事たちに「あの女だ」、ちゃんと見張っていろと指示します。部下は「いいもんですなあ、ハイカラ髪というのも」と、松原智恵子の髪型に注意を払います。

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「あの女だ」「ほう、ハイカラ髪というのもいいもんですな」と刑事たちは話すが……。

さて、キャメラはまずハイカラ髪にした女が髪結床を出て、左に曲がるところ、および、それを刑事が確認して見送るところをとらえます。

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刑事がそちらに気を奪われかけたとき、もうひとり、丸髷の女が逆方向、〈伊平〉や〈凌雲閣〉があるほうへと出て行きます。刑事はこの女に気づきますが、髪型が丸髷なので、安心します。

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もうおわかりでしょう。髪型を変えて刑事たちの目を眩ましたのです。玉川伊佐男刑事は部下の失態に怒りますが、なあに、自分だって居酒屋〈伊平〉の入口の前で松原智恵子にすれちがいながら気づかなかったのです。

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女のうしろすがたを追うキャメラは、〈伊平〉の前まできて、店から出てきた玉川伊佐男をとらえる。

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玉川伊佐男はなにも気づかず、髪結床のほうに向かう。

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もう大丈夫、と松原智恵子がふりかえる。

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俥をとめ、「上野ステーション」と命じる。

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車夫が俥をまわし、上野ステーションに向かうと……。

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その陰からマント姿の川地民夫が姿をあらわす。

ここへきて、ずっとまえに登場した玉川伊佐男のセリフが生きます。「おしげちゃん、丸髷に結ってみちゃあどうだ?」おしげはそのとおりにして、まんまと玉川伊佐男を陥れたのでした。

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かくして舞台は新潟へと移り、クライマクスとなりますが、時間がなくなってしまったので、本日はここまで、もう一回、『花と怒涛』をつづけさせていただきます。

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by songsf4s | 2010-04-24 22:25 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その2

前回は音楽がゼロなだけでなく、映画の話題としても超小型重箱のミクロな隅をせせるような話で、どうも恐縮です。お客さんは内容を見てからいらしているわけではないので、直接は関係ないのですが、とりあえず、今日のヴィジター数はいつもより多めなので、悪影響はなかったものとみなします(論理的じゃないなあ、と自覚あり。影響が出るのはもうすこし先に決まっている!)。

お客さんで思いだしましたが、今月は恒例の「検索キーワード・ランキング」をまだやっていませんでした。四月一日から昨日までの累積では以下のような順位です。

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いつごろだったか、夜だけ、なんだかむやみにお客さんが多い日があったのですが、翌日見たら、「古川ロッパ」がいきなり初登場一位になっていました。どこかロッパ・ファンがよくご覧になるところで、当家が紹介されたのかもしれませんが、だとしたらリンクしていそうなもので、検索キーワードにはならないような気もします。

how high the moonは上位常連、どなたか存じませんが、いつもありがとうございます。「芦川いづみ」は今月も上位。毎度申し上げるように、このキーワードで当家にたどり着くのは一苦労、ありがたさもひとしおです。でも、そうやって芦川いづみをキーワードにしてきてくださると、当家の検索結果出現順位も上がるので、今後ともよろしくお願いいたします。浅丘ルリ子、芦川いづみという序列を逆転して、もっとも好きな女優は芦川いづみにしようかと思っている昨今です(年をとっておべんちゃらを言うように相成り候)。

灰田勝彦新雪とi put a spell on youとお座敷小唄も長きにわたる常連、いつもありがとうございます。「北京の55日」は初登場かもしれません。ちゃんと歌詞を書かずに失礼しました。

今月初登場は川地民夫。このキーワードで当家にたどり着くのも、かなり手間がかかるでしょうに、どうもありがとうございます。わたしは川地民夫が大好きなので、川地ファンのご来訪は欣快事です。目下も川地民夫が重要な役を演じる『花と怒涛』を書いているところですし、今後予定している映画のなかにも、川地民夫がキーになっているものがあります。

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◆ 清順十八番、折檻シーン ◆◆
『花と怒涛』は、前回書いたように、小林旭と松原智恵子が川地民夫の刺客に狙われる話でもあるのですが、二つの組の争いに巻き込まれた、土方に身をやつした渡世人・小林旭の戦いの物語でもあります。ここに辰巳芸者を思わせる気っ風のいい「馬賊芸者」の万龍姐さん(久保菜穂子)や、「鬼刑事」(玉川伊佐男)、飯場の班長(深江章喜)などがからみます。

利権をめぐる争いから、対立する組の妨害を受けても、土方がやくざのまねをしてはいけないと仲間に説いていた小林旭も、野呂圭介の死をきっかけに、結局はでいりで大暴れし、見せ場をつくります。

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右翼の大物・滝沢修の仲介で、ふたつの組が和解したその手打ちのあとの花会で、小林旭は川地民夫のいかさまを見抜きますが、自分の親分である山内明の邪魔だてのために、証拠を押さえそこなってしまいます。

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めでたい手打ちを危うくしたとして、山内明は組に戻ってから小林旭を激しく打擲します。鈴木清順映画にはしばしば登場するタイプの場面です。

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また、傷のメーキャップも極端で、小林旭はお岩さんのようにされてしまいます。『関東無宿』のとき、小林旭がとんでもなく太い眉毛をつけてきたので驚いたと監督はいっていますが、その淵源はこの「お岩さんメーク」じゃないでしょうかね。お互い、やることが極端なだけでしょう!

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山内明は、仕置きを終わると、拳銃を投げ出し、これで向こうの親分をやって屈辱をはらせ、といいます。

小林旭はいわれたとおりに敵対する組に向かいますが、途中で久保菜穂子の「万龍姐さん」に出会います。久保菜穂子は、黒幕の酒の相手をしていて、惚れた小林旭を罠に落とす陰謀が進行をしていることを知り、それを知らせに来たのです。

こういうシークェンスでも、鈴木清順はノーマルな演出はしません。ケガでふらつく小林旭が、止める久保菜穂子をふりほどこうとして、二人がもつれにもつれて、あっちに転び、こっちにまろぶ、まるで濡れ場のような演出するのです! じっさい、久保菜穂子はそのつもりで小林旭に抱きついているのですが、袖がまくれ上がって、腕に「おしげ」と彫られているのを見て、自分の望みが叶わぬことを覚ります。

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この場面で驚くのは、背後の神輿が動きはじめること。

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いったいなにが起こるのかと思って息を呑んでいると、回想の祭のシーンになるという無茶苦茶さ! こういうところで面白いと感じれば清順ファンになるし、わからん! といえば経営者センスになってしまうという、踏み絵のようなショットのつなぎ。

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久保菜穂子に証拠の手紙を見せられ、やっと自分の立場がわかった小林旭は、自分の組にとって返し、山内明を殺します。

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渡辺武信が『日活アクションの華麗な世界』で、何度か、日活の任侠アクションと、東映任侠映画の根本的な相違にふれています。極端に簡略化すると、東映任侠映画のヒーローは「組」という擬制的な「家」、つまり「組織」の論理に身を添わせる男を描くものであるのに対し、日活任侠アクションのヒーローは、「私怨」つまりは「個の論理」にしたがって行動する、というように分析しています。任侠映画の形をとりながらも、日活任侠アクションは、依然として「日活アクション」の文脈のなかにあった、というのです。

『花と怒涛』も、監督や脚本家にその自覚があったかどうかは別として、ヒーローは「個の論理」にしたがって、山内明親分を殺します。このとき、世話になったとか、義理があるといった、東映任侠映画ならドラマにねじれ、たわみをあたえるはずの要素は、あっさり無視されます。自分を裏切って陥れようとした人間は、ただの虫けらであり、親分でも「親」でも、「義理ある人」でもないのです。

東映の「しがらみ」の粘り方と、日活のこの乾き方と、どちらが好きだったかといえば、わたしはつねに日活ファンでした。ここで「我慢」という位置エネルギーをため込んで、終幕で一気に爆発させる、という東映任侠映画のドラマトゥルギーを採用しないのであれば、べつのエネルギー源が必要になりますが、そのへんはのちほど、余裕があれば考えることにします。

◆ 小さな工夫の積み重ね ◆◆
小林旭は身重の松原智恵子のために、おそらくは杉山茂丸か頭山満がモデルと思われる、豪放磊落な右翼の大物(滝沢修)に、借金を頼みにいき、自首するのはやめて、満州に行けといわれ、それを承諾し、結局、その家にしばらくかくまわれることになります。

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小林旭の意を体して、高品格は、滝沢修に借りた金の一部を久保菜穂子のもとにもっていきます。借金漬けの万龍姐さんには何度も助けられているので、その礼として、この金で自由になってくれ、というのです。このあたり、ごく自然な伏線になっていて、あとで、うまいなあ、と思いだすことになります。

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このセットも味がある。六角形の赤い火鉢がいい。木村威夫デザインの日本間の建具については、できれば次回に細かく見たい。

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かくして、いかに司直の目をかいくぐって、小林旭と松原智恵子の夫婦が満州に脱出するかがクライマクスとなります。セット・デザインの話をするつもりなのですが、そのセットがクライマクスに使われるものなので、話の綾は全部書きます。ここから先、お読みになるのであれば、そのお覚悟をお願いします。まあ、話がわかっていても、十分に面白い映画ですが。

玉川伊佐男刑事は、小林旭が滝沢修の屋敷にかくまわれていることを察知していて、部下に滝沢邸を監視させていますし、もちろん、浅草の居酒屋〈伊平〉のおしげの動向からも目を離しません。

プログラム・ピクチャーは忙しいので、つねに会社からできあがったシナリオをわたされた、と鈴木清順はいっています。したがって、たいていの場合、話の大枠は監督の自由にはなりません。だから、つねに細部をどうするかを考えたということは、自身もいっていますし、木村威夫もしばしば、鈴木清順のシナリオ改変の発想と技に言及し、ときにはそれを鈴木さんの「天才性」とまで呼んでいます。

いや、監督自身は「ただ撮ってもつまらない、なにか工夫しなければいけない」といっているだけですが。それがみごとにあらわれたのが、前回、ご紹介した、居酒屋内部での芝居です。

滝沢修の家から人力車が出てきて、警官に制止されます。幌を撥ね上げると、なかは無人。帰り車だというので通されます。

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しばらく走って、この車夫が伏せていた顔をあげると、それが小林旭。やれやれ、もう大丈夫と立ち止まると、「俥屋!」と客に止められます。この客がなんと川地民夫。

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ここで、川地民夫が小林旭に気づいていて、俥の前とうしろの芝居をする、という手もあったかもしれませんが、話はもう煮詰まっているので、脇道に入りこまず、小林旭は途中で俥をとめ、旦那、ちょっと用を足させてください、といって川地民夫を置き去りにします。こういう、不必要なまでのディテールの工夫に、鈴木清順らしさを感じます。

今日はまだなにも書いていないも同然ですが、スクリーン・キャプチャーの時間を考えると、このあたりが限界のようです。クライマクスに突入するための助走でした。


鈴木清順監督自選DVD-BOX 弐 <惚れた女優と気心知れた大正生まれたち>
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by songsf4s | 2010-04-23 23:58 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『花と怒涛』その1

枕を書くべきか、省略すべきか。アルバート・ハモンドのIt Never Rains in Southern Californiaでドラム・ストゥールに坐ったのはハル・ブレインか、ジム・ゴードンかという、一昨年から悩まされている問題を再考したのですが、これは書きはじめると長くなりそうなので、今日はやめておきます。近々、改めて記事にするかもしれませんし、放擲してしまうかもしれません。

◆ 浅草十二階 ◆◆
今日から鈴木清順監督、木村威夫美術監督の日活映画『花と怒涛』に入ります。いまの心づもりにすぎませんが、映画の内容にはあまり踏み込まず、印象的な二つのセットの話を中心に、みじっかく(と玉置宏がよくラジオ名人寄席でいっていた)やろうと思っています。

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『花と怒涛』は鈴木清順の日活後期(1964年)の作品で、木村威夫は美術のみならず、シナリオにも加わっています。美術監督はシナリオが読めなければ仕事にならないので、書く方にまわっても不思議はないのですが、でも、じっさいには、シナリオを共同執筆した美術監督というのはめずらしいでしょう。後年、自身がフィーチャー・フィルムを監督するようになる人にふさわしいことに感じます。

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『花と怒涛』は大正の震災以前の時期を背景にした、渡世人のラヴ・ストーリーです、と書いてから、なんだか「渡世人」と「ラヴ・ストーリー」が衝突気味だな、と思いましたが、でも、一言でいうならそういう話です。

渡世人の尾形菊治(小林旭)は、許嫁のしげ(松原智恵子)を、自分の親分が借金のかたに無理矢理女房にしようとしたため、嫁入り行列に乱入して、おしげを救いだして東京に逃げます。

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ここまでが導入部。おしげは、元博打打ちの伊平(高品格)の居酒屋で働き、菊治は土方をして世を忍んでいますが、そこへおしげを奪われた親分が送った刺客(川地民夫)がやってきます。

まず、最初に出てくる浅草の飲屋街とその裏手のセットをご覧いただきましょう。

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「浅草」の文字の向こうに〈凌雲閣〉、いわゆる「浅草十二階」が見えます。〈凌雲閣〉は1923(大正12)年の関東大震災で崩壊しているので、この映画はそれ以前に時代を設定していることがわかります。

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つぎのショットでは、川地民夫はこの中通りの裏手、ほの暗い水辺へと降りていきます。ここでも遠くに〈凌雲閣〉が見えます。手前に水が見えますが、現実に照らし合わせれば、ひょうたん池か隅田川のどちらかということになります。しかし、あとでわかりますが、このあたりは川向こうという設定ではないので、ひょうたん池しか考えられません。

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ひょうたん池を手前に配して〈凌雲閣〉を撮った写真というのはたくさん残っていますが(「明治大正プロジェクト」にいい写真が数点あり)、そうしたものと比較すると、このセットの〈凌雲閣〉はちょっと遠すぎるように感じます。

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必要ならば、襖の大きさを不揃いにしてしまう大胆不敵な美術監督ですから、現実のパースを度外視したのでしょう。現実に即した比率にしてしまうと、デザイン的に不都合だったのだろうと想像します。

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川地民夫は、人相見の屋台に「尾形、尾形菊治」と声をかけるや、仕込み杖を幕に突き刺します。このマントにつば広の帽子という川地民夫の扮装が楽しくて、ニヤニヤ笑ってしまいます。鈴木清順監督、木村威夫美術監督、どちらの発案なのでしょうか。もちろん、いくら木村威夫が「これでいこう」といっても、監督の承認なしにはできないので、二人が合意したにちがいありません。こういう極端なことを怖れないのが、鈴木清順=木村威夫コンビの仕事が、いまになって光彩を放っている所以です。

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昭和10年ごろの浅草公園第六区興行街略図。北は上ではなく、左になっていることにご注意。すでに十二階はないが、左端にその位置を示した(赤く囲った昭和座という劇場)。居酒屋〈伊平〉の位置は中央付近の黄色く囲った三角地帯あたりが想定されているのではないだろうか。とくにピンク色の通りの可能性が高いと感じる。川地民夫が人相見のところで小林旭を襲撃する場面は、図中の「A」または「B」の位置を想定していると思われる。

川地民夫もこの扮装にふさわしい身のこなしで、反りのない直刀を西洋の剣のように扱う、江戸時代とはハッキリと異なる「ハイカラな刺客」を好演しています。『東京流れ者』の殺し屋もなかなか楽しい演技ですが、こちらはさらに乗っていて、こういう稚気ある美術と演出を歓迎するタイプの役者なのだろうと思います。嫌がる人だっていますよ、こんな「仮面をとった怪傑ゾロ」(渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』)みたいな衣裳は! 単なる好みでものをいうにすぎませんが、この映画は川地民夫のベスト3に入れます。

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同じく浅草公園第六区の地図だが、こちらは現代。こんどは上が北なのでご注意。上の赤い「1」が凌雲閣跡地、水色の「2」がひょうたん池跡地、そして、その下の「3」が、居酒屋〈伊平〉の位置と考えられる一郭。

◆ 居酒屋のねじれた構造 ◆◆
上述の〈凌雲閣〉=浅草十二階が見える中通りと、そこにある高品格の居酒屋〈伊平〉が、この『花と怒涛』でもっとも活躍するセットであり、居酒屋のデザインは、セットが先か、演出プランが先か、というぐらいにセット・デザインと演出が一体化した場面の舞台となります。

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居酒屋〈伊平〉入口

その場面にいくまえに、登場人物のおさらいをしておきます。渡世人・小林旭は、親分の嫁・松原智恵子を奪って東京に逃げました。アキラは土方になって埋立工事の飯場に身を寄せ、松原智恵子は(おそらくアキラの古くからの知り合いである)高品格の居酒屋〈伊平〉で働いています。そして、ときおりアキラがこの居酒屋の二階にやってきて、つかのまの逢瀬を楽しんでいます。

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〈伊平〉店内の玉川伊佐男と松原智恵子

この店に玉川伊佐男扮する刑事が入りびたっていて、松原智恵子にちょっかいを出したりするいっぽう、この界隈をうろつく川地民夫に、「おまえが戻ったとあっては、俺も忙しくなるな。なにかしでかしたら、こんどこそ俺がふん捕まえてやるからな」と威しをかけたりもします。

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玉川伊佐男(左)と高品格

以上の五人が、伊平の居酒屋で舞台劇のような芝居を演じる場面が、『花と怒涛』のハイライトのひとつです。いや、いま、スクリーン・キャプチャーと見取り図をにらんで、どうやってこの構造を説明しようかと考えていたのですが、これは困難を極めますなあ。おおよその構造がわからないと、演出もわからないので、まず、構造からいきます。

本業は建築家である渡辺武信も、このセットとここでの芝居におおいなる感興を覚えたようで、『日活アクションの華麗な世界』に、居酒屋〈伊平〉の略図を掲載しています。

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これは記憶をもとにして起こした図でしょうから、多少、勘違いがあるように思います。繰り返しヴィデオを見て、じっさいにはこうではないかと思われた部分を色つきの線と小さい文字で書き加えてみました。

修正点は、まず、調理場と席のあいだに斜めの仕切りがあることです(図中の青い線)。

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小林旭が〈伊平〉の裏口から店内をのぞく。調理場と席の仕切りが斜めになっていて、その向こうに正面入口が見える。

木村威夫らしい、ひとひねりです。しかも、見透かしではなく、竹かなにかの格子になっているところがミソで、監督と撮影監督は、当然、この構造を利用したショットを撮りたがるでしょう。

『日活アクションの華麗な世界』所載見取り図では、角店と仮定し、正面入口と裏口を直角に配置しています。しかし、その位置にも入口はあるのかもしれませんが、正面入口は裏口の対面にあります(図中のピンクの線)。

それから、小上がりがあるのですが、これは調理場に接していると思われます(図中の黄緑色の線)。ただし、明確にはわからないのですが、じっさいには、図のもっと上のほうに位置しているのかもしれません。そのほうが正面入口の位置と大きさ(二間間口?)にふさわしいようにも思えます。

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小上がりでの芝居。左から松原智恵子、久保菜穂子、玉川伊佐男。

◆ いよいよ芝居へ ◆◆
いやはや、煩雑で相済みません。この映画をご覧になった方はご興味おありかもしれませんが、ご覧になっていない方は状況がうまく把握できないでしょうし、これから書こうとしているシーンの面白みはおわかりにならないだろうと、ちょっと弱気になってしまいました。しかし、鈴木清順と木村威夫のコンビらしい、セットと演出が一体になったシーンなので、このままつづけさせていただきます。

ある夜、もう客もいなくなり、店を閉めようというころに、川地民夫がやってきて、看板です、という高品格の言葉を無視して、席に着き、酒を注文してから、「オヤジ、煙草を買ってきてくれ、〈エアシップ〉だ」と、金を渡して高品格を追い出してしまいます。

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ここで裏口の脇、階段の下におかれた男物の雪駄の短いショットと、川地民夫の顔のショットが挿入され、川地が二階に小林旭がいると察知したことが表現されます。このへん、つなぎが速くてサスペンスが醸成されます。

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高品格が店を出て行き、松原智恵子が銚子を運んでいくと、川地民夫は依頼主の親分から渡された、松原智恵子の写真を卓子に投げ出します。

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「潮来のおしげさんだね」立ち上がった川地民夫は、そういって仕込み杖を抜きます。

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「ちがいます」と後じさる松原智恵子、二階で火鉢の炭を整える小林旭、その背後の障子をやぶって飛び込んできた石、その音をきき、外と二階の気配をうかがう川地民夫、ショットはめまぐるしく変化します。小林旭が二階の障子を開けて下を見ると、石を投げた高品格が無言で、店のほうでまずいことがある、と知らせます。

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急いで階段を下りかかり、しかし用心深く立ち止まる小林旭、降りてきたところをひと息にと下で待ち受ける川地民夫、夫に危急を知らせる松原智恵子。

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「あなた!」と叫ぶや、松原智恵子は身を翻して、正面入口から逃げようとし、かくてはならじと、川地民夫は小林旭をひとまずほうって、松原智恵子を追って店内を横切ります。

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しかし、ちょうど店に入ろうとしていた玉川伊佐男が、飛び出してきた松原智恵子を抱きとめます。

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やむをえず、川地民夫は計画を放棄し、反対側の裏口へと向かいます。

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再び、階段の小林旭と川地民夫の「見えざる対峙」。

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そこへ裏口の戸が開き、高品格が入ってきて、「お待たせしました」と、煙草と釣り銭をわたし、ここまで高まってきたサスペンスを一気に溶解させます。

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キャメラの動き、編集のリズム、俳優の演技、すべてが噛み合ってこういうシーンの面白みが生まれるので、静止画を並べてもあまり意味がないかもしれません。しかし、1972年の池袋文芸座地下における鈴木清順シネマテークで、はじめて『花と怒涛』を見たとき、どこに魅力を感じたかといえば、なによりもこのセットの使い方です。そのときは、ただ息を呑んで見ていただけですが、今回、ショット単位で分析してみて、やはり、たいしたものだなあ、と思いました。

このセットではまだ芝居があるので、次回は(今回よりは簡単に)そのことと、できれば、エンディング・シークェンスのセットを検討したいと思います。いや、そのまえに、サイド・ストーリーを見ることになるかもしれませんが。


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by songsf4s | 2010-04-22 22:22 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『悪太郎』その4

週に一度ほどチェックする海外のブログで、鈴木清順のインタヴューを見つけました。形式はFLVです。

鈴木清順 in LA

映画を学んでいる学生の質問に答えたようですが、外国人が相手なので、ふだんなら省略するような、かつての日本映画界のありようにもふれていて、面白い談話になっています。また、おそらくは通訳しやすいようにという配慮なのでしょう、いつもの韜晦的言辞はすくなく、わかりやすく話しています。

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撮影中の鈴木清順監督(右)。撮影監督のお名前がわからず申し訳ない。ご存知の方がいらしたらご教示を。しばしば鈴木清順についた撮影監督は、永塚一栄と峰重義のお二人だが。

「小津さん」については、年齢のせいか、海外の学生のあいだにもいるであろう小津ファンに配慮してか、おだやかに語っています。映画ではなく、書籍の『けんかえれじい』に収められた、エッセイとも自伝小説ともつかない松竹助監督時代の回想では、もっとストレートに小津を否定していますが、上記のインタヴューで語っていることが、レトリックを取り去った本音なのだろうと想像します。

音楽にたとえれば、小津安二郎は完璧主義者の「スタジオ録音の人」、鈴木清順はspontaneity、インプロヴ重視の「ライヴの人」、小津はポップ・ミュージックの作り方、清順はジャズ的嗜好だったというあたりでしょう。

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鈴木清順のエッセイ集『けんかえれじい』に収められた「洋パンと『野良犬』と自動小銃」の冒頭。このとき、彼の仕事場だった松竹大船撮影所に通勤できる範囲で、海岸に「占領軍の飛行場」がある土地といえば、かつての海軍航空隊の本拠、横須賀市追浜[おっぱま]しか考えられない。次ページに「まちから近い金沢八景の海」とあることも、その裏付けとなる。金沢八景は横浜市、追浜は横須賀市だが、隣接した町である。

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当時の若手監督の多くが、年をとってから小津が理解できるようになったと、いわば「転向」をしているが、鈴木清順がこのように小津を見ていたのだとしたら、いまでも否定的だろうと感じる。

このインタヴューの最後に収められている『東京流れ者』のオリジナルのエンディングについては、木村威夫が『映画美術』のなかで語っていますが、監督自身の言葉としてきいたのは、これがはじめてでした(DVDボックスのオーディオ・コメンタリーなどで話しているのかもしれないが)。

かつての『東京流れ者』の記事(その1およびその2)は、ちょっと拙速だったような気がして、改めてやり直したいとずっと思っています。でもまあ、とりあえずは、まだ取り上げていない映画をやるべきだろうと自重しています。

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おおいに感じるものがあったので、このインタヴューには、枕ではなく、改めてきちんとふれたいと思います。人間は衰え、やがて滅するのが運命なのだから、やむをえないのですが、この人ばかりは長生きしてほしいと思います。健康を取り戻されんことをお祈ります。

◆ ロケーションでの美術 ◆◆
極端な言い方になってしまいますが、しばしば、映画はロケーションで決まる、と思います。とくに日本映画にはそのタイプのものが多いと感じるのだから、つまりは、自国の風土を知っているがゆえに、外国映画よりはるかに視覚的ディテールが気になるのでしょう。

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『悪太郎』のロケハン、岐阜県元浜町とキャプションにある。

『悪太郎』はまさにロケーションで成功したタイプの映画で、やはり半世紀前の日本には、古いものがよく保存された町があったのだなあ、と思います。まずいものが入ってしまう心配なしに引きのショットが撮れるというのはすごいものです。

ただし、木村威夫美術監督は、こういう場合にどういう措置をするか、ロケーションでの美術の役割についても語っています。

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ほかの映画でも、このような消去、隠蔽の作業は必要でしょうが、『悪太郎』のように、近過去に時代を設定した作品では、きわめて重要になります。といっても、CGではないのだから、もとのロケーションがよくなくては、消去も隠蔽もあったものではなく、数カ所におよぶロケ地の選択(近江八幡、郡上八幡などらしい)が正しかったともいえるでしょう。

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白黒だから成功した、というのも、そうだろうなあ、と思います(昔はモノクロフィルムのほうが安かった。鈴木清順は前述のインタヴューで、カラーの場合よりも1作品あたり300万円安くすんだといっている。トータルの予算は一本当たり2000万、カラーだとここに300万上乗せだとか)。カラーでは、じっさいの町にもともとあったものと、「材木」でつくったものとのちがいが明瞭に出てしまい、うまくいかなかったにちがいありません。モノクロを選択することに、そういう効用があるなどということは、この木村威夫の言葉ではじめて知りました。

◆ ヴィジュアル箇条書き ◆◆
このところ毎度、箇条書きのような記事ばかりですが、ここから先は「視覚の箇条書き」という感じで、スクリーン・キャプチャーやスティルを並べていくことにします。

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書店の看板。文房具と書籍をいっしょに売るのが昔はふつうだったのか。いまでも丸善がそうだが。

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書店から和泉雅子が出てくる。

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入れ替わりに山内賢が、「白樺」の十月号は入ったか、と店に入っていく。ついでに、いま出て行った女学生はなにを買ったのかときく。

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へい、ストリンドベルヒの『赤い部屋』です、というので、山内賢は、彼女はストリンドベルヒなど読むのかと驚く。『赤い部屋』は重要な小道具になる。よけいなことだが、この書店主が、いつもならギャングを演じているはずの長弘(ちょう ひろし)なのが、日活アクション・ファンにはたまらなく楽しい。

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以下は「今宵こそ」というか、tonight the nightとなった、京都の一夜。会話はありません。

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そして、明くる日の同じ部屋。

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なんだか、妙に「小津調」の絵作りになっていて、思わずニヤニヤ笑ってしまいます。ほんとうに、小津をちょっとからかうつもりで、『晩春』のパロディーをやったのではないかと勘ぐりましたぜ。小津なら切り返しますが、鈴木清順はツーショットで二人をとらえています。

和泉雅子の父(佐野淺夫)は医者という設定です。以下はその医院の診療室と待合室。かなり凝ったデザインです。

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この和洋折衷の衝立がじつに面白い。

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木村威夫がいうとおり、まったくこのシーンには魅了されました。万灯会[ばんとうえ]がほのかに見えるところがなんともいえない味があります。

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画面奥に万灯会の灯り。

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牛鍋屋の「いろは」をモデルにしたという市松のガラス戸。コックは柳瀬志郎。

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短いシーンなので、時代劇のセットを流用できるという幸運がなければ、ここは簡略化されるか、室内のシーンで置き換えられてしまったのではないでしょうか。よくぞ撮ってくれたというシークェンスです。

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鈴木清順のエッセイ集『けんかえれじい』に収録された『悪太郎』のスティル


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鈴木清順監督自選DVD-BOX 弐 <惚れた女優と気心知れた大正生まれたち>
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by songsf4s | 2010-04-14 23:58 | 映画
木村威夫追悼 鈴木清順監督『悪太郎』その3

かつては野球小僧だったのですが、年々興味が薄れて、最近はすこし力を入れて見るのは開幕直後の数試合と、ポスト・シーズンの数試合ぐらいです。もちろん、そうなった理由は単純ではなく、複数の要因がからんでいるのですが、ひとつはFAのような気がします。



選手の権利なので、FAを否定する気はありません。ただ、結果として、生え抜き選手によるチーム作りの楽しみが奪われるのは事実です。とくに、わたしが贔屓にするジャイアンツの場合は、ご存知のようにそれが甚だしいのです。

しかし、蓋を開けてみると、今年はすこしだけちがった気分で楽しむことができ、各球団一回りしたいまも、球場に行ったり、テレビ観戦をしたりはしないものの(PCに向かいながらラジオ中継を聴くことはある)、依然として試合結果を気にするほど興味がつづいています。

今年の序盤の興味は、まず第一に、坂本、松本の若い一、二番コンビが昨年のように活躍できるか、でした。ひょっとしたら、どちらかが脱落するのではないかと危惧していましたが、二人とも大活躍、とくに松本選手は盗塁数も大きく増え、楽しみを倍増させてくれています。こういうファームから上がってきた選手が大活躍することが、なによりも野球の楽しみだと思います。松本選手の場合は、山口投手と並んで、育成選手制度が機能した生ける証拠でもあるので、うれしさもひとしおです。

ルーキーの長野〔ちょうの〕選手も楽しみでした。いまのところ、活躍もあり、失敗もありで、ルーキーらしくて、こちらも楽しませてもらっています。甲子園で、単打で出塁、二盗を決め、直後に阿部選手のライト前ヒットで本塁生還、というシーンは(ラジオで聴いただけだが)強く印象に残りました。ホームランもけっこうですが、こういう攻めはじつに気持のいいものです。長野選手はいずれ、3割30本30盗塁を達成するかもしれません。

そして、高橋由伸選手が還ってきたことも、今シーズンを楽しみのあるものにしています。かつてのスウィングはまだ見られないものの、もう一花咲かせてくれるものと信じています。いえ、日ハム時代から小笠原選手は大の贔屓だったし、もちろん、アレックス・ラミレス選手もすごいものだと思うのですが、でも生え抜きの主軸はまた格別なのです。

これで、優勝チームがそのまま日本シリーズに進む昔の形に戻り、屋根なし、土のグラウンド、開幕と日本シリーズがデイゲームに戻れば、また野球に熱狂できるような気がするのですが、まあ、昔を今になすよしもがな、ですな。優勝しなかったチームが日本シリーズに出るのでは、145試合のシーズンなんかまったくの無意味、そんなものを見るのは阿呆だけということに、どうしてプロ野球機構は気づかないのでしょうか。奇怪千万。

◆ 竹久夢二と花柄襖と「定斎屋」 ◆◆
さて、ずいぶんと間があいてしまいましたが、今日は鈴木清順監督、木村威夫美術監督の『悪太郎』の話に戻ります。できれば最後までいきたいのですが、たぶん無理でしょう。

もうお忘れでしょうが、『悪太郎』の前回では、芦田伸介の家のデザイン(「葭戸」をお忘れなく)と、和泉雅子、田代みどりの衣裳の大正趣味にふれました。

衣裳ではなく、建具に大正趣味が濃厚にあらわれたのは、田代みどりの家である、旅館・海士〔あま〕屋のセット・デザインです。

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海士屋の玄関に坐る女将役の東恵美子。右手、中央にガラスのはまった障子が時代らしさを醸している。

二度、長い芝居の舞台に使われる海士屋の二階は、商売用の部屋なのか、それとも田代みどりの部屋なのか、そのあたりは不明ですが(火鉢しかないのでたぶん前者。ただし、鈴木清順は飾りつけをみなどけてしまうことで有名なので、美術監督が配置した小道具をみんな消してしまった可能性もゼロではない)、木村威夫にしてはおとなしめのデザインばかりのこの映画のなかで、唯一、大胆な絵柄になっています。

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左から山内賢、田代みどり、和泉雅子

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わたしがしゃしゃり出るまでもなく、美術監督自身がこの部屋のデザインについて説明しているので、それをご覧いただきましょう。

「(木村)その襖柄をちょいと考えたというわけです。竹久夢二描く女人の立ち姿、その屏風に合わせたんです。こんな襖柄ないですよ。西洋壁紙使ったんだ。この男女に代表される世界。大正ラブロマンスを表現してみようかなと思ってね」
「(聞き手)花柄ではないんですね」
「(木村)花柄のようなもんだね。西洋壁紙を使うんだって、この時の僕にとっちゃ冒険ですよ。うまくいくかなって不安な気持ちでやった記憶がある。ライティングもなかなかいいんですよ。建具による奥行きの感じもまずまずじゃないかな」

というわけで、またしても、ありゃあ、そういう仕掛けですか、でした。大正らしいモダンな柄の襖だなあ、とは思ったんですよ。でも、西洋壁紙とは思いませんでした。トミー・テデスコがサウンドトラックの録音についていっていました。「結果がすべてである、方法はどうでもいい」とね。結果として「大正らしいモダンなデザイン」に見えれば、なにを使おうとかまわないのです。

べつの箇所で、木村威夫はさらにこのセットに言及しています。

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「定斎屋」というのは、百科事典に「夏に江戸の街を売り歩く薬の行商人。是斎屋(ぜさいや)ともいい、江戸では「じょさいや」という。この薬を飲むと夏負けをしないという。たんすの引き出し箱に入った薬を天秤棒で担ぎ、それが揺れるたびにたんすの鐶が揺れて音を発するので定斎屋がきたことがわかる。売り子たちは猛暑でも笠も手拭もかぶらない。この薬は、堺の薬問屋村田定斎が、明の薬法から考案した煎じ薬で、江戸では夏の風物詩であった」とあります。

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百科事典の記述とは異なり、このシーンの定斎屋は手拭いをかぶっている。ミスか、はたまた視覚的効果優先の意図的改変か? 黒い二つの箱がクスリの入った引き出し、その中間に白く見えるのが手拭いをかぶった定斎屋の頭。

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この定斎屋の鐶の音を、鈴木清順はクレッシェンドで使い、恋人たちの心の高まりに重ね合わせています。しかし、これがストレートな盛夏の表現でもあることなど、いまとなっては説明されないとわからないわけで、ちょっと情けなくも感じます。

花柄襖も目を惹きますが、夢二の二つ折りの屏風も目立ちます。大胆です。定斎屋の音を背景に、山内賢は和泉雅子を押し倒し、一儀におよばんとしますが、心の高まりにもかかわらず、和泉雅子はかろうじてそれをかわし、「京都で」といって、この派手な屏風の前に立ちます。その京都の一夜への転換もなかなかよろしいのですが、今夜は時間がなくなってしまいました。

ということで、さらに『悪太郎』はつづきます。


鈴木清順監督自選DVD-BOX 弐 <惚れた女優と気心知れた大正生まれたち>
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by songsf4s | 2010-04-12 23:58 | 映画
佐藤勝・武満徹『狂った果実』および寺部頼幸「想い出」補足 その2
 
読売新聞をとっていらっしゃる方は、今日5日の夕刊をご覧になってみてください。

芸能欄に矢野誠一「落語のはなし 人と落語家編」の第一席「安藤鶴夫と三代目桂三木助」というエッセイが掲載されています。一読、納得でした。安藤鶴夫という人物を、まったくの外側からでもなく、内側からでもなく、外と内を隔てる皮膜に沿って描いたような、みごとな人物素描になっています。

今日は時間がないので内容には踏み込みませんが、反故にするまえに、お持ちの方はご一読あれ。

◆ スコアのモデュール化 ◆◆
さて、前回に引きつづき、今回もさらに『狂った果実』の補足です。

今日は(というか「今日も」)Oさんに全面的に負った補足です。Oさんご提供の資料ばかり。

まず、武満徹インタヴューの一部をどうぞ。

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いやはや、変な質問ではじまりますなあ。このインタヴュワー、プログラム・ピクチャーとはどういうものか、まったくご存知ないのでしょう。黒澤映画じゃないんだから、監督と音楽監督が火花を散らして徹夜で議論、なんてもんじゃござんせん。短時間で打ち合わせをすませ、あとはそれぞれの仕事に精を出して(佐藤勝はしきりに「夜なべ」といっている)、封切り日にギリギリで間に合わせるのです。

昔はこういうトンチキな映画ジャーナリストが山ほどいて、インタヴューウィーと読者の双方をおおいに悩ませたものです。鈴木清順なんか、文字で読んでも、額に青筋を立てているのが見えてきそうなほど、苛立ちを見せているインタヴューが『けんかえれじい』に収録されています。製作意図だのなんだのというのは、大監督の芸術映画にのみ付属する贅沢品です。

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武満徹は肩のひと揺すりで愚質問を振り落とし、現場のすがたをありのままに伝える談話をしています。いやはや、こうなるともう、「音楽監督の想像力と運だけで映像と音のマッチングの成否が決まる」としかいえません。ラッシュも見ないでよくやりますよ。

ジョン・カーペンターは、初期はフィルムを見ずに音楽を録音したといっていますが、彼は自分自身が監督なのだから、もちろん撮影の現場にもいたし、当然ラッシュも見ていたわけで、たんに画面に合わせてプレイできなかったにすぎません。とはいえ、結局のところ、「音楽素材のモデュール化」という一点で、『Holloween』のときのジョン・カーペンターと、『狂った果実』のときの武満徹(および佐藤勝)は同じ仕事の仕方をした、といえるかもしれません。

つまり、たとえば、「スピード感のあるシーン」「恐怖を暗示するシーン」「軽やかな気分のシーン」「ラヴ・シーン」などというように、現実の映像ではなく、シーンを類型化、分類して、現実の絵ではなく「概念に合わせて」スコアを書いていく、ということです。コンピューター・プログラミングでいう「汎用サブルーティン」(モデュール)と同じように、汎用性のあるパッケージ化された音をつくるということです。

このやり方では、画面とのマッチングはギャンブルになってしまいますが、長い年月がたって、スコアだけを単独で聴いたとき、それはそれで独立完結した音楽に感じられるという、思わぬ副産物が、この「スコアのモデュール化」にはあると思います。

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ものをいう土台となるほど十分な例を知らないのですが、日活にかぎらず、プログラム・ピクチャーでは、ラッシュを見られないのはごく当たり前のことだったと思われます。あいだに人をはさんだ伝聞ですが、『暁の追跡』の飯田信夫音楽監督は、「黒澤映画の音楽がいいというが、そんなのは当たり前だ、ラッシュを見て書けるんだから。こっちはラッシュなんか見もせずに書かされているんだぞ」とボヤいていたそうです。これが、巨匠ではない人の映画を担当する音楽監督の、ごくふつうの日常だったのだろうと想像します。

だから、いま、日本の映画音楽が注目されはじめているのは、案外、この劣悪な環境、条件のおかげではないかという気がするのです。映画から切り離されても面白いスコア、ただ盤で聴いても楽しめる音楽になっているからではないかと思い、それを「スコアのモデュール化」と呼んでみたわけです。

◆ 「想い出」は尽きず ◆◆
わが田に水を引くのに忙しくて、武満徹の談話で気になったことを書き忘れました。あのラスト・シーン、ヨットの空撮は中平康監督ではなく、蔵原惟善助監督だったのか、と思ったのですが、それはかならずしも正確ではないようです。中平康は地上(海上?)で撮影の指揮をとったのであって、ヘリに乗ったのは蔵原惟善だという意味にすぎず、中平康が現場に行かなかったという意味ではないとこのページはいっています。それはそうでしょうね。だいじなシーンに監督が立ち会わないというのは、通常ならありえないでしょうから。

さて、本日の本題、前回、「想い出」は、わが家には映画から切り出したものしかないと書いたところ、さっそくご喜捨があったので、アップしました。

サンプル 石原裕次郎「想い出」

映画用に録音されたものではなく、あとからスタジオで盤にするために録音されたものなのでしょう。アレンジはかなり異なります。映画ではシテュエーションに合わせてウクレレ一本で歌っていましたが、こちらはバンドがついています。

映画ヴァージョンは、わざとやったのか、ウクレレのチューニングが狂っているのですが、盤ヴァージョンを聴くと、それがかえっていい効果を生んでいたことがはっきり理解できます。映画のなかの設定である、素人がパーティーで歌っている雰囲気が、映画ヴァージョンにはきちんとあるのです。盤ヴァージョンは映画とはちがってスリックな仕上がりで、きれいにつくってあるぶん、ざらついた味は当然ありません。状況のしからしむる当然の結果が双方のヴァージョンにあらわれていて、なかなか面白い聴きくらべでした。


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by songsf4s | 2010-04-05 23:09 | 映画・TV音楽
佐藤勝・武満徹『狂った果実』および寺部頼幸「想い出」補足

今日はみなさんお花見でしょうか。わたしは家から出られず、調べものと書き物の一日。明日はできれば写真を撮ろうと思いますが、どうなりますやら。

一昨日、とんでもない強風のなか、所用で外出したついでに染井吉野と大島桜を撮りました。公園の段々になった水の流れが、強風で逆流しそうになったのには仰天しました。噴水は十メートル以上曲がって、まるで水撒き。

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日本国領土から、対岸の非日本国領土の桜を見る。こちらは八分咲きぐらいだったが、あちらはまだ三分から五分というところ。なにゆえに?

昔、サンフランシスコ・ジャイアンツのホームグラウンド、キャンドルスティック・パーク(ビートルズが最後にライヴでプレイしたのはどこか、というクイズの解答。ただし、アップルの屋上はのぞく)で、インフィールド・フライ、バッター・アウトが宣告された内野フライが、とんでもない強風に運ばれてスタンドに入ってしまったことがある、最終的な判断はどうなったか、というクイズがありました。50メートルぐらいは流されたのだから、すごいものです。たとえば、上がった瞬間はセカンド・フライに見えたものが、あれえ、ライト・フライだ、と思ったら、それがフェンスを越えちゃったというような状況で、そんな馬鹿な、です。

クイズの答えは「風の中に舞っている」です。The answer is blowin' in the wind.いや、まじめな話、忘れちゃいました。バッター・アウトは取り消せないでしょう。でも、ホームランはホームランだから、得点は入って(もちろん、走者もみな生還にして)、同時にアウト・カウントはひとつ増える、なんていう三方一両損みたいな案ではダメでしょうかね。どなたか、このクイズの正解をご存知の方いらっしゃいませんか?

◆ 大いなる錯誤 ◆◆
今日、某氏からいただいた、佐藤勝の歌ものを集めた『佐藤勝ソングブック』というアルバムを聴いていて、「あれ?」と思いました。最初に入っていたのが「狂った果実」だったのです。過去、何度かゴチャゴチャ書いているので、いちおう「狂った果実」という映画または曲について、くわしく書いた記事を列挙しておきます。

『狂った果実』その1
『狂った果実』その2
『狂った果実』その3
『狂った果実』その4
石原裕次郎「想い出」

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それで、『佐藤勝ソングブック』を聴いていて、この「狂った果実」は、映画に使われた石原裕次郎の歌「想い出」のほうではないかという気がしたのです。しかし、上記の記事「石原裕次郎『想い出』」に書いたように、そんなはずはないのです。

曲を取り違えたのだろうと、当ブログの「石原裕次郎『想い出』」を開き、「想い出」のサンプルをプレイしてみました。ところが、これも『佐藤勝ソングブック』収録の「狂った果実」と同一の曲でした。はて?

こうなったら、映画で確認するしかありません。『狂った果実』の問題のシーンを見てみました。

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あちゃあ。わたしの勘違いでした。どこで取り違えが起きたかというと、『東京流れ者』の枕に、YouTubeで「想い出」のクリップを見つけた、と書いたときにです。これは佐藤勝作曲の「狂った果実」のほうだったのに、映画に使われた曲のほうだと思いこんでクリップを貼りつけていたのです。

その結果、上記の訂正記事「石原裕次郎『想い出』」のときのサンプルも、「想い出」ではなく「狂った果実」のほうをアップしてしまったのです。いやはや。

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ともあれ、ミスを訂正できるのは幸運なことです。ほかにもいっぱい眠っているミスがあることを思うと、落ち着かない気分になりますが、所詮、人生はミスの連続、To err is human, to forgive devineと「自習英文典」にありました。

◆ オルタネート・ヴァージョン ◆◆
さて、「想い出」の高音質ヴァージョンがあればアップするのですが、結局、わが家にあるのはさまざまな「狂った果実」ばかりです。調べると、石原裕次郎の編集盤のなかには「想い出」を収めたものがあるようです。ということは、フル・ヴァースを歌ったヴァージョンがあるのでしょう。ちょっと聴いてみたい気もします。

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かわりに「狂った果実」のオルタネートをアップしました。アレンジ、楽器の選択はハズレのような気がしますが、石原裕次郎のヴォーカル・レンディションは悪くない、というか、こういうリヴァーブのかけ方もよろしいのではないかと思います。映画のなかの「現実音」「自然音」として使うには加工しすぎでしょうけれど。

サンプル 「狂った果実」(オルタネート)

以前の記事で、「想い出」のほうが「狂った果実」よりずっといいなんてことを書きましたが、いまになると、甲乙つけがたく感じます。佐藤勝のコード・チェンジもやはり面白いところがあります。まったく無定見なんだからもー>オレ。

◆ 紅の翼セカンド・フライト ◆◆
さらにオマケです。

本日のDEEPさんのコメントを拝見して、「紅の翼」(The High and the Mighty)のアクセス数アップのひとつの要因が判明しました。ほかにも要因があると思いますが、わからないことをあれこれ考えてもはじまらないので、追求しません。

前回、最初のときにはオミットしたカヴァーをアップするかもしれないと書きましたが、シャドウズ人気なのか、それとも「紅の翼」人気なのかを判断する材料として、ふたつのヴァージョンをアップしてみました。

サンプル Reloy Holmes "The High and the Mighty"
サンプル Victor Young "The High and the Mighty"

どちらも素直なカヴァーで、それゆえに『紅の翼』その2のときにはオミットしてしまいましたが、両ヴァージョンともおおいに魅力的です。

ヴィクター・ヤング盤はイントロがストリングス、ヴァースから口笛になるのに対し、リロイ・ホームズ盤は口笛で入り、ヴァースでストリングスに移行しています。他人の盤を気にしてアレンジするものでしょうかね?

わたしの好みは、リロイ・ホームズ(ルロイ・ホルムスなんていう、「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」みたいなカタカナ書きもある!)盤で、途中からホルンが入ってくるところです。



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武満徹全集 第3巻 映画音楽(1)
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ベスト・オブ・ビクター・ヤング
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by songsf4s | 2010-04-03 23:58 | 映画・TV音楽
むつひろし『八月の濡れた砂』スコア

一昨日の記事で、藤田敏八監督の『八月の濡れた砂』についてふれたら、昨日、ご常連方にはおなじみ、当ブログの「相談役」、Oさんがさっそく「資料」を提供してくださいました。

小林信彦『大統領の密使』で、主人公がピンチになると、どこにでも「志乃多寿司」を差し入れるリスナーの奥さん(「青木の奥さん」という名だったと思う)みたいなもので、いやもう、間のいいこと、驚いてしまいます。じっさい、前回の記事を書くときにクリップを見ていて、音楽が気になったんですよねえ。ふつう、あれは気になるでしょう?



というわけで、日活映画宣伝の一環として(「宣伝」と大声で繰り返しておく)、ちょっとサンプルをアップしてみましょうか。

サンプル 『八月の濡れた砂』メイン・テーマ

サンプル 『八月の濡れた砂』より「朝霧の再会」

サンプル 『八月の濡れた砂』より「海へ」

サンプル 『八月の濡れた砂』主題歌(movie edit)

「朝霧の再会」は「メイン・テーマ」のヴァリアントです。この映画にはヴァリアントが多く、映画音楽の基本を忠実に守っています。もうひとつぐらい、テンポもムードもまったくちがうヴァリアントがあってもよかったかもしれませんが。

ともあれ、日活はロマンポルノに移行する直前まで、一貫していいスコアを作り続けていたのだなあ、と感銘を受けます。いや、ひょっとしたら、ロマンポルノもすぐれたスコアが目白押しだったりして。ちょっとだけ聴いたことがあるのですが、そのあたりは宿題ということで。

◆ 唐紅に翼を染めて ◆◆
いま、アップロードのためにbox.netを開いたら、中一日あけただけなのに、驚くほどアクセスが増えていました。『紅の翼』の人気も高くて、シャドウズ盤The High and the Mightyは、ついにビーチボーイズを抜いて、星野みよ子「湖畔のふたり」に次ぐ2位に躍進しました。

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『紅の翼』の記事では、ほかにロス・インディオス・タバハラスとトミー・モーガンのヴァージョンもサンプルにしたのですが、シャドウズに引きずられた、というか、楽曲自体の人気が高いのか、この2ヴァージョンのアクセスも上昇中です。カヴァーが多かったので、残りはサンプルをアップしなかったのですが、そのうち、全部アップしてみましょうかね?

それで思いだしましたが、先月のキーワード・ランキング、最後は「芦川いづみ」が大躍進して、またまたビックリしました。前々回の記事で、わたしがそのことにふれたのに反応なさったのかもしれません。つまり、「もっと芦川いづみの映画を取り上げなさい」とおっしゃりたいのでしょう。努力いたします。赤木圭一郎のものなら、すでに「キュー」に入れてあるのですが。

しかし、なんです、よけいなことを書くから、久しぶりに人形町の志乃多寿司のおいなりさんが食べたくなりました。志乃多のおいなりさんてえものが、いやもう、じつにけっこうでげしてな、なんて、幇間をやっている場合じゃないでげすな。いま、志乃多寿司総本店のウェブ・サイトを見てしまいました。出来星の店じゃないのだから、自分のところを「お店」なんて呼んでは、伝統の重みが吹き飛んじゃまいすぜ>志乃多寿司総本店。いまどきの日本語に不自由な輩の経営になる店といっしょになってはダメです。プライドをお持ちなさいな。

まとまった記事を書くだけの時間がとれず、あいすみません。今日も箇条書きでした。


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日活映画音楽集~監督シリーズ~藤田敏八
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by songsf4s | 2010-04-01 23:55 | 映画・TV音楽
追悼・木村威夫 鈴木清順監督『悪太郎』その2

ときおり、アクセス・キーワード・ランキングのことにふれていますが、今月のトップは当家の名前そのまま、2位以下は「how high the moon 歌詞」「beyond the reef 歌詞」「アール・パーマー」「お座敷小唄 楽譜」(楽譜は提供できず失礼。しかし、あれはシンプルな3コードかなにかなのでコピーは容易かと)「シャドウズの紅の翼」「i put a spell on you 意味」といった感じです。

また今月も、このあと8位に「芦川いづみ」、10位に「赤木圭一郎」があるのがちょっとした驚きです。以前にも書きましたが、このキーワードで当家にたどり着くには何ページも見なければいけないでしょう。ブックマークの手間を省くのであれば、「芦川いづみ 乳母車」とか「赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる」ぐらいの狭め方をしたほうが、より短時間で当家にたどり着けるのではないかと、老婆心ながら申し上げておきます。まあ、どちらのキーワードをお使いの方も、芦川いづみ、赤木圭一郎の大ファンでいらっしゃるのでしょうから、途中でいろいろなところを見ながらいらっしゃるのかもしれず、よけいなお世話かもしれませんが。

◆ 日本間の夏 ◆◆
『悪太郎』は、今東光の自伝的小説を原作にしたもので、作者自身と主人公・紺野東吾(山内賢)をぴったり重ねてよいのなら、主人公の旧制中学時代を描く映画『悪太郎』の時代設定は大正初年とみなすことができます。



紺野東吾は恋愛問題で神戸の中学を諭旨退学になり、東京の中学にはいるつもりだったのが、母の考えで豊岡中学に編入されてしまい、この地方都市での主人公の暴れぶりと恋愛を描いたのが『悪太郎』と簡略にいうことができるでしょう。

当然、のちに大々的に前面に出てくることになる、鈴木清順の大正趣味の萌芽がここにあります。鈴木清順や木村威夫は今東光よりずっと若いのですが、ひるがえってわが身を考えれば、同世代の作り手より、一回りから二回り年上の人間がつくったものの影響を受けたわけで、鈴木清順は今東光の読者だとはいわないまでも、その描く世界を身近なものに感じられたのでしょう。木村威夫にしても大正生まれなので、その点は同じだったのだろうと推測できます。

大正趣味かどうかはしばらくおくとして、最初にいかにも木村威夫らしさを濃厚に感じるのは、主人公・山内賢が母・高峰美枝子(木村威夫は「まだ色香があって」と賞賛している)につれていかれた豊岡中学校長・芦田伸介の家の居間です(がんばってみたのだが、エアチェックしか入手できず、画質劣悪、残念ながらセットのディテールは不分明)。

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左端は芦田伸介、ひとりおいて山内賢、葭戸の影には高峰三枝子。

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同じセットをべつの角度から撮っている。背中を向けているのが高峰三枝子。

以前、『乳母車』の美術 その2という記事で、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみの親子が暮らす鎌倉の邸宅の日本間のデザインをとりあげました。

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こういう葦簀張りの障子といった塩梅の建具は「葭戸」といい、もちろん、夏のあいだしか使わないものだそうです。細い葦の枝を並べて障子のようにしてあるのでしょう。これを使うと格式のある味が出せるので、木村威夫は『乳母車』の鎌倉の邸宅同様、この豊岡中学校長宅にも葭戸をもってきたのでしょう。

このふたつの部屋はタイプがちがうのですが、それでもやはり、同じ美術家がデザインした共通のムードがあります。木村威夫の『映画美術』のおかげで、美術を中心にして映画を見る習慣がつき(もちろん、もともとバックグラウンドが気になる人間だったからだが)、セットの味わいがいくぶんか理解できるようになったような気がします。

◆ 衣裳による時代の表現 ◆◆
山内賢は、芦田伸介の子どもをつれて川遊びに行こうとした途次、二人の女学生、和泉雅子と田代みどりに出会います。

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こちらはスティル。じっさいにはこのように四人がみなレンズに顔を向けているショットはない。

われわれ観客の目には、いかにも大正時代の女学生という容子に見え、日傘というのはけっこうなものだと思うだけですが、このシーンについて、木村威夫美術監督はつぎのようにコメントしています。

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当然ながら、日傘だって、着物だって、そこらにあるものを適当に選ぶなどということはありえず、ある意図のもとに選択されているわけで、だからこそ、ある時代のムードとか、ある人物のキャラクターといったことが視覚的に観客に伝わってくるのでしょう。

「ガス銘仙」というのは、「ガス糸」で織った銘仙という意味です。糸をガスの炎の上を素早く通過させ、毛羽を焼き落として滑らかにする加工法を用いたものは、素材のいかんにかかわらず、みな「ガス糸」というようです。

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また、銘仙とは、

「絹織物の一種。江戸時代、天保の改革(1841)ころから玉紬を軸に秩父(埼玉県)や伊勢崎(群馬県)の太織(ふとおり)からつくられたもので、明治以降第2次世界大戦までの日本人の衣料に欠かすことのできない織物であった」

と百科事典にあります。念のため。

このシーンでは、鈴木清順は和泉雅子の顔をほとんど見せません。ファースト・ショットは背後から日傘の動きを見せ、子どもと出会って挨拶するのも背後からのショット、角の向こうから山内賢が姿をあらわすと、切り返して和泉雅子と田代みどりを正面から捉えるのですが、和泉雅子のほうは恥ずかしがって、顔を見せそうになったとたん、向こうを向いてしまいます。

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このショットで、背中を向けてとっとと歩く和泉雅子の歩行のリズムがいい。

なんだか、『エイリアン』でモンスターのすがたがなかなか見えないようなぐあいで、和泉雅子はこのシークェンスではついにはっきりと顔を見せることはありません。現代的感覚では、町で同年代の少年と出会ったからといって、少女が恥ずかしがって元来た道を引き返してしまうなどというのは奇異ですが、鈴木清順の世代にとっては、昔だったらおおいにありうる自然なふるまいだったのかもしれません。

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川のシーンのあと、自宅の外で山内賢と子どもの話声が聞こえ、和泉雅子はオルガンのまえから立ち上がって窓際にいく。ここでやっとヒロインの顔が見えるのだが、格子が影を落として、これまた「はっきりと見える」とはいえない。どう考えても意図的な演出。

◆ 「現実音」としての歌声 ◆◆
映画評論というのは音楽に冷たいもので、一流作曲家のスコアでも、よほど違和感があったりしないと言及すらしなかったりします。まして、劇中で俳優が歌う小唄の切れっ端など、なかったものにされるのがつねです。

上記の和泉雅子と田代みどりの歌もなかなかいい味で、こういう演出と、いかにも昔の女学生らしい二人の自然な歌いぶりはおおいにけっこうです。

さらにいいのは、子どもをつれて川に出た山内賢が艪をこぎながら口ずさむ歌です。よくあるオーケストラの伴奏が流れて、「どこにそんなバンドがいるんだ」とむくれながらも、「まあ、映画の決めごとだから」と我慢するようなものではなく、ごく自然にア・カペラで歌っていることもけっこうですし、ピッチをはずさずに歌っていることも、かといって、妙にうますぎることもなく、ちょっと歌える子どもが自然に歌っている雰囲気になっていて、非常にいい歌の使い方です。こういう「小さな演出」をし、それを成功させているからこそ、全体としてグッド・フィーリンのある映画が生まれるのだと思います。

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あといくつか面白いデザインがあるので、もう一回『悪太郎』をつづけさせていただきます。

たんなるオマケにすぎず、『悪太郎』に直接の関係はないのですが、この映画のヒーローとヒロインのデュエットはいかが?

二人の銀座

by songsf4s | 2010-03-28 15:12 | 追悼
追悼・木村威夫 鈴木清順監督『悪太郎』 その1

このところ、昼間歩くことがなく、今日、久しぶりに出かけたら、いやもう百花繚乱。下を見れば花ニラ、菫、姫踊り子草、ヒメツルソバ、菜の花、雪柳が満開、上を見れば白木蓮、木蓮(早い株なのだろう)、辛夷ときて、染井吉野も三分から五分と、大変な騒ぎです。花ではありませんが、諸処の生け垣の黒鉄黐も赤く芽吹き、わが家では海棠と鈴蘭水仙が咲きはじめました。

昨夜、オークション出品を終えたあとで、この三日ほどちびちび再見していた鈴木清順の『悪太郎』を見ました。あと15分でおわりというところで、用事を思いだしてブラウザーを起動し、検索しました。まったくべつの事柄を検索していたのですが、結果を眺めていて、木村威夫、美術監督、享年九十一の文字が目に入り、すぐさま新聞サイトで確認しました。

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昨年亡くなったわが亡父が1921年生まれ、木村威夫は1918年生まれなのだから、一大意外事にはなりようがないのですが、九十をすぎて初監督作品を撮るような人なので、なんとなく百まで生きそうな気がしてしまい、この死は思いがけないものになりました。

◆ 木村威夫記事一覧 ◆◆
これから何回かにわたって木村威夫の仕事を見ていくつもりですが、そのまえに、当家の記事のなかで木村美術にふれたものを列挙しておきます。ほんの刺身のつま程度でふれたものは省き、古いものから新しいものという順で並べてあります。

東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その1)

東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その2)

『東京流れ者』訂正

Nikkatsuの復活 その2

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その1

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その3

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その4

『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その5

『真白き富士の嶺』および『狂った果実』の補足+『霧笛が俺を呼んでいる』予告篇のみ

霧笛が俺を呼んでいる』 その1

『霧笛が俺を呼んでいる』その2 バンド・ホテル

『霧笛が俺を呼んでいる』 その3 突堤と病院

『霧笛が俺を呼んでいる』 その4 「バンド」と日本

『霧笛が俺を呼んでいる』 その5 木村威夫タッチのナイトクラブ

『霧笛が俺を呼んでいる』 その6

『霧笛が俺を呼んでいる』 その7

鎌倉駅と『乳母車』(石原裕次郎、芦川いづみ主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)

いやはや、ずいぶん書いたものです。映画関係者では、もっとも頻繁に言及した人物だと思います。

◆ 二人の挑発者 ◆◆
木村威夫が美術を担当した映画は二百数十本におよぶそうです。それだけの数があっては、木村威夫著・荒川邦彦編の大著『映画美術 擬景・借景・嘘百景』をもってしても、とてもひとつひとつの映画について細かく言及するわけにはいきません。ごく一部の重要な映画だけを取り上げています。

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鈴木清順作品であっても、ディテールについて言及しているのはほんの一握り、そのなかの一本はすでに取り上げた『東京流れ者』です。これは「映画美術開眼」ともいうべき作品だそうで、なるほど、クラブ〈アルル〉は、いかにも木村威夫らしい大胆不敵な挑戦的デザインでした。

『悪太郎』は、鈴木清順、木村威夫という、二人の大胆不敵なチャレンジャーが最初に出会った映画です。この映画を最初に見たのは1972年、池袋文芸座地下での鈴木清順シネマテークでのことでした。じつは、それっきりで、再見することはなく、今回が二度目でした。

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いや、つまらないから再見しなかったのではありません。72年のシネマテークのときは、たしかに、プログラムを見て、これはぜひ見たいわけでもないから(アクションものではないし、キャストにも惹かれなかった)、睡魔に襲われたら寝てよし(オールナイトなので)という気分で見ました。

しかし、これが予想外に面白い映画だったし、まだ十八歳だったわたしは、和泉雅子もいいじゃない、とその気になってしまいました。いやはや。浅丘ルリ子一辺倒だったわたしは、このシネマテークで松原智恵子や和泉雅子の贔屓になりました。清順を見るはずが、女優を見たようなものです。でも、『殺しの烙印』で南原宏治もすごいなと思いました。

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なんとかまとまりのある文章を書けるのではないかと思ってはじめたのですが、今日はセ・リーグの開幕などもあって、あまり時間をとれず、そろそろタイム・アウトです。例によって最初は予告篇程度、次回から本格的に『悪太郎』を見ようと思います。

いま、また検索して、訃報ではなく、すこしは意味のある追悼記事が見つかりました。木村威夫の人物が多少とも伝わってくる記事はこれくらいしかありません。また、『刺青一代』や『肉体の門』といった重要な映画に言及したのもこの記事だけです。


映画美術―擬景・借景・嘘百景
映画美術―擬景・借景・嘘百景
by songsf4s | 2010-03-26 23:38 | 追悼