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「永遠の未亡人」原節子の秋

補足というほどのものではないのですが、『娘・妻・母』を見ながら頭に浮かんだことを少々書きます。

『めし』『娘・妻・母』の、死別の、再婚の、結婚の、といった話を細かく見ているうちに、意識が脇へ流れていきました。

成瀬巳喜男はその代表作のひとつ『妻よ薔薇のやうに』の主演女優・千葉早智子と結婚し、ほど経ずして離別しています。二人のあいだに子どもはなかったようです。

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以上、二葉とも『妻よ薔薇のやうに』のときの千葉早智子。

小津安二郎が生涯独身だったことはよく知られています。おかげで、原節子をはじめ、さまざまな女優が噂の種にされました。周囲の人びとの口が堅いのかもしれませんが、どうやらどれも事実ではなかったようです。小津自身と周囲が認めているのは「小田原の人」(花柳界の女性)だけです。

溝口健二は結婚しましたが、夫人はやがて重い精神疾患を患って入院したきりになってしまいます。溝口自身の「病気」のせいだというのは事実ではない、医学的な証拠があると依田義賢は証言していますが、どうであれ、晩年の溝口健二は非常に不幸だったと伝えられています。また、伝記映画には、(監督としてではなく)田中絹代に惚れ込んでいたという証言も記録されています

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溝口健二と女優たち。『赤線地帯』撮影時のスナップだろう。監督のうしろからのぞき込んでいるのは若尾文子、その隣に立っているのは木暮三千代だろう。さらにその右に立っている女優はあるいは三益愛子か。左端に坐っているのは京マチ子に思われる。三益愛子は、溝口健二の竹馬の友にして、原作や脚本を提供し、またプロデューサーとしても溝口作品にかかわった大映京都撮影所長・川口松太郎の夫人でもあった。

このような話題でご存命の人を俎上に載せるのはいくぶんか気が引けますが、鈴木清順には、エッセイにも何度か登場した夫人がいます。鈴木清順の映画監督としての「空白の十年間」(とその後の歳月も?)を支えたのは、この夫人のようです。ただし、お子さんがいるという話は読んだことがありません。

日本映画界を代表する監督たちの私生活が、いずれも「平均的ではない」のは、たんなる偶然にすぎず、なんの意味もないことなのかもしれません。しかし、なにか意味があるように受け取るのも、また人間としてふつうのことだと思います。

こういう側面を見ると、黒澤明がいちばん「ふつう」だったというのは、ちょっと意外ではあります(若き日に高峰秀子とのあいだを裂かれたという有名なエピソードがあるが)。しかし、よくよく考えると、作り方は尋常ではなかったにせよ、結果としてできあがった作品は、溝口、小津、成瀬、鈴木よりずっと「ストレートな映画」のような気もします。

◆ 生粋の未亡人・原節子 ◆◆
『娘・妻・母』を見ていて、原節子ほど未亡人の似合う女優はちょっといないなあ、と思いました。原節子というと、結婚しなかったために「永遠の処女」というラベルがつきまとっていましたが、わたしは「永遠の未亡人」と云いたくなります。そうなってしまったのには、必然的な理由がありました。

1920年生まれで、デビューが日中戦争のさなかの1935年、二十代前半の娘盛りはぴったり太平洋戦争と重なってしまい、戦後になると、娘役がきびしい年齢になっていました。

だから昭和24年、二十九歳、『晩春』ではじめて小津安二郎の映画に出たとき、「戦争のせいで婚期を逸した娘」になっていたのでしょう(ただし、同年の木下恵介『お嬢さん乾杯!』では没落貴族の令嬢役だった。再見したい映画のひとつ)。

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『お嬢さん乾杯!』はもっていないので、かわりに、ほぼ同じ時期(1947年)、二十七歳の原節子をご覧いただく。吉村公三郎の『安城家の舞踏会』で、原節子はやはり没落華族の令嬢を演じた。右は原節子の兄を演じた森雅之。

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同じく『安城家の舞踏会』より。男優は父の役を演じた滝沢修。

昭和26年の小津安二郎『麦秋』では依然として「嫁き遅れた娘」、しかし昭和28年、三十三歳のときの『東京物語』では、笠智衆、東山千栄子夫妻の戦争で死んだ次男の嫁という役を演じます。このあと、彼女が出演した三本の小津映画のうち二本、『秋日和』と『小早川家の秋』が未亡人役です。もう一本の『東京暮色』では子もあるふつうの妻でしたが。

やはり、原節子=未亡人というイメージは小津安二郎の責任かもしれません。『東京物語』のけなげな未亡人は忘れがたい印象を残しますし、『秋日和』ではいきなり喪服で登場して、かつて彼女に熱を上げた「老童」たち(佐分利信、中村伸郎、北竜二)を落ち着かない気分にさせ、その妻たちを嫉妬させる未亡人を演じていました。

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以上三葉は小津安二郎『東京物語』より。

若い娘であった時期は戦争と重なってしまい、日本映画の全盛期にはもはや娘というにはむずかしい年齢になっていたのが不運でしたが、おかげで『秋日和』の、男たちをそわそわさせる美しい未亡人が誕生したのだから、悪いことばかりでもなかったといえるでしょう。

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小津安二郎『秋日和』より。1960年、原節子四十歳。この二年後に引退する。

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『秋日和』冒頭の法事の場面。左から原節子、司葉子(娘役)、笠智衆(舅役)。

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同じく『秋日和』より、柳橋あたりの料亭の場面。左から司葉子、原節子、北竜二、佐分利信、中村伸郎。この三人は「本郷」の学校の同級生で、若死にしてしまった原節子の旦那の仲間。みな原節子を目当てに彼女の家が営んでいた本郷三丁目の薬局に通った過去をもち、いまだに思し召しなきにしもあらずという設定。この「老童」たちがじつに可笑しい。

原節子=未亡人のイメージは、現実の彼女が生涯結婚しなかったことと重なっています。プライヴェートな生活に興味があるわけではないのですが、彼女の未亡人役を見ていると、行こうと思えばすぐに行かれる場所で隠遁生活を送っている、(きっと)上品な老婦人のことを、どうしても思い浮かべてしまいます。

そろそろ鎌倉山は秋景色が濃くなりはじめているかもしれません。1920年生まれというのが正しければ、原節子は九十歳になったことになります。


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by songsf4s | 2010-10-14 22:13
成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』(東宝映画、1961年) その4

『娘・妻・母』は、結末がわかっていてもそれほど困る映画ではありませんが、とにかく、今回はエンディングを事細かに書きますので、ご注意ください。

◆ 養老院と老人ホーム ◆◆
前回、草笛光子が原節子に20万の借金を頼んだところまで書きました。これは、現今云うところのマンションの頭金で、姑の家に同居するのをやめ、夫婦だけの暮らしをしたいというのです。

しかし、あの母親がそんなことを承知するはずがなく、そういう出て行けがしのことをいうなら、そうしてやると老人ホーム(ここでも言葉の変わり目で、杉村春子と三益愛子は「養老院」ではなく「老人ホーム」となったことについて話す)にいってしまいます。

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夫婦は困って三益愛子に助けを求め、三益愛子は娘夫婦と一緒に、老人ホームまで杉村春子を迎えに行きます。杉村春子は笑って、ちょっとおどかしてやろうと思っただけだと、すぐに家に帰ることに同意して一件落着、アパート暮らしはなかったことになってしまいます。

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杉村春子は息子夫婦への抗議として「ちょっと見学に」来ただけだし、三益愛子はその杉村春子を迎えに来ただけなのだが、この老人は二人に歓迎の挨拶をする。「しばらくはお寂しいかも知れませんが、すぐに馴れますよ」。いかにも成瀬巳喜男映画らしい、云っている人間はそれと意識していない皮肉。

このくだりは、原節子の財産を減らすために仕組んだものかと思ったのですが、それだけでなく、杉村春子と息子夫婦の関係を使って、三益愛子と子どもたちとの関係を照らし出すための手段でもあったようです。

その同じ日、中北千枝子が坂西家を訪問し、原節子、三益愛子、高峰秀子も同席しているところで、京都のお茶の宗家の上原謙から、正式に原節子への結婚の申し込みがあったことを伝えます。しかし、原節子は結婚生活に対して懐疑的で、色よい返事はしません。

◆ 破 局 ◆◆
ある日、森雅之が加東大介のところに電話すると、おかしなことになっていたため、あわてて駈けつけると、工場は人手に渡って、改装していました。観客は、粉石鹸の行商をやるようでは、工場はもうダメだとわかっていたのですが、当然ながら、森雅之は真っ青になります。

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かくして、『娘・妻・母』はクライマクスの家族会議を迎えます。これは事細かに書くと、うんざりしそうなので、できるだけ端折ってみます。

問題は、いま森雅之夫婦たちが住んでいる家は、抵当に入っていて、加東大介が夜逃げをした結果、これを売って借金を返すしか方法がないということです。

むろん、映画の前半で家族が集まったときに土地の値段や、兄弟の取り分がいくらになるなどといった話をしたのは、このための伏線でした。森雅之の云うとおりにするなら、取り分もなにもあったものではないのです。

次男、二女、三女は自分たちの取り分が消えたことにおおいに不満で、借金を返して残った金まで、長兄が新しい家に移る費用として使うことに納得がいきません。強く反対された森雅之は、話し合いの余地がないならしかたない、勝手にすればいい、そのかわり、お母さんの面倒もおまえたちが見てくれ、と開き直ります。

こういうことが母親の面前で話し合われるのだから、ときおり「あなたたち!」とたしなめる原節子と同じように、観客もいたたまれない思いをします。森雅之が、お母さんの面倒はおまえたちが見ろ、といったときの三益愛子の表情に、わたしは目を覆いたくなりました。

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次男は「俺んところ、アパートだからな」といい、次女は「うちはダメね、お姑さんがいるから」と、ともに拒否し、三女は「早苗姉さん(原節子)といっしょにアパートでも借りれば」と自分を局外においてしまいます。母はいたたまれず、孫をあやすようにして中座します。そりゃそうでしょう。

しかし、この映画のほんとうにきついところは、自分の取り分がなくなったことに文句を云い、母親を引き取るのを嫌がる彼らを責められる人はそう多くないということです。遺産を欲しくない人、老いた親の世話をしたい人、どちらもそこら中にいる、というものではないでしょう。彼らのようにハッキリと口に出しはしないだけのことです。

まあ、少子化で、これからは選択肢が少なくなり、自宅で世話をするか、親たちだけで暮らしてもらうか、施設に入ってもらうかの三択にすぎず、兄弟の確執は一般的ではなくなっていくのでしょうけれど。

◆ 母の心中 ◆◆
成瀬巳喜男という人は、救いのない映画をつくるときもありますが、『娘・妻・母』はそんなことはありません。原節子は中座した母のところに来て、二人で一緒に暮らしましょう、といいますが、母親は、おまえが働けるはずがない、お嫁に行きなさいといいます。

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また、高峰秀子も、夫・森雅之に、お母さんはわたしたちと暮らしてもらうのがいい、といいます。寝る前に夫と二人きりになってからも、夫にきかれ、その考えに変わりはないことを云います。お母さんは他人なのだとはっきりと認めれば、いままでよりうまくやれそうな気がする、やり直してみたいのだと説明します。

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やはり先行きが不安なのでしょう、母親が寝つけずに輾転反側しているところに、また原節子がやってきます。じつは、結婚を申し込んできた上原謙が、よければお母さんも一緒に暮らそうといってくれている、でも、それではお母さんは気詰まりだろうし、兄たちに気兼ねしたこともあって、さっきはいいだせなかった、といいます。

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原節子は仲代達矢に会い、結婚することを告げます。それならぼくと結婚すればいい、という仲代達矢に、原節子は、もっと若い娘を見つけなさい、と拒絶します。夜遅く帰ると、母親は、おまえの気持はうれしいけれど、やっぱり、京都の婚家にはひとりでいきなさいといいます。

では、長男夫婦と一緒に暮らすつもりなのか? ある日、高峰秀子は、老人ホームから義母に封書が届いているのを見ます。迷った末、彼女はそれをエプロンのポケットにしまい、母親には見せないことにします。

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台所に行くと、原節子がいたので、やっぱり、お母さんはわたしたちと暮らすのがいい、それがいちばん自然だと思うといいますが、原節子も、お母さんはわたしといっしょに京都に行きます、と譲りません。

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◆ あなたみたいなおばあさんは喜ばれるけれど ◆◆
この成り行きがどうなるかはわからないまま、キャメラは買い物に出た母親が公園のベンチで休んでいるところに切り替えられます。そこにまた、乳母車を押して笠智衆が通りかかり、挨拶を交わすのですが、この二人の会話も、あらら、です。

三益「お孫さんですか?」
笠「いえ、内職に近所の子どもあずかってるんですよ。一日70円で。年寄りも、あなたみたいなおばあさんは喜ばれるけれど、おじいさんはいけませんなあ。今朝も、洗濯ひとつできないって、息子の嫁に怒鳴られました。はははあ」


この話を聞いたおばあさんの気持を想像すると胸ふさがれます。公園でよく会い、秘かに好意を寄せていたおじいさんが、けっして幸せな境遇ではないことを明かしただけでなく、例によって成瀬得意の「無意識の言葉」まで使って(「あなたのようなおばあさんは喜ばれますが」)、彼女の心をえぐっているのですから。

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三益愛子は、落ち着き先がどこになるにせよ、もう一度、笠智衆の顔が見たかったのでしょう。それがこんな結果になって、肩を落として公園を去ろうとします。そのとき、赤ん坊の泣き声がして、三益愛子は振り返ります。

しばらくためらってから、彼女は小走りに笠智衆のほうに駆け寄り、赤ん坊を受け取り、あやします。かくして、溶暗、「終」の文字。年寄り二人にも、ささやかな未来が待っているのかもしれません。

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◆ 巳喜ちゃんはうめえな ◆◆
成瀬巳喜男は、似たような題材を扱ったせいで、しばしば小津安二郎と比較されます。わたし自身は、それほど似ているとは思いませんが、ただし、『娘・妻・母』は小津作品との近縁性があると感じます。じっさい、成瀬巳喜男は、そのことを意識していたのではないでしょうか(『娘・妻・母』が製作された1961年、小津はまだ元気だった)。

プロットから考えていくと、『娘・妻・母』は小津安二郎の『麦秋』(1951年)および『東京物語』(1953年)に似ています。

『麦秋』の終盤、父・菅井一郎が散歩するシーンで、踏切の遮断機が下りてきて、力尽きたように縁石に坐り込んでしまう有名なシーンを、成瀬巳喜男は『娘・妻・母』の最後で、三益愛子を公園のベンチに坐らせることで再現したような気がして仕方ありません。

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以上三葉はいずれも小津安二郎『麦秋』より。人物は菅井一郎。

家族会議で、次男、二女、三女が母親をはっきりと邪魔者扱いするところは、『東京物語』そのものでしょう。家族会議のあと、高峰秀子が、お母さんのことを他人なのだと思えば、もっとうまくやれそうな気がする、というのは、『東京物語』で、上京してきた両親を邪魔者扱いしなかったのは、血のつながりのない他人である、戦争で死んだ次男の嫁、原節子だけだったことを連想させます。

母親を引き取りたくて、原節子は上原謙との結婚を決意したのに、そのあとで三益愛子が、おまえと京都にいくのはよしておくよ、といい、原節子が、わたしを騙したのね、といいます。これは、『晩春』で原節子を結婚させるために、父親の笠智衆が、再婚するようなふりをするのに似ています。むろん、『晩春』のリメイクのような『秋日和』で、司葉子を結婚させるために、母・原節子が再婚するようなふりをするのも同断です。

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小津安二郎と成瀬巳喜男では、表現の質がまったく異なっているので、成瀬巳喜男は小津と比較されることを気に病んだりはしなかったでしょうが、小津が「巳喜ちゃんはうめえな」といったと伝えられているように、お互いの力量は認め合っていたことでしょう。成瀬巳喜男は『娘・妻・母』で、小津にウィンクしたような気がわたしにはします。

終盤の展開のうまさに感銘を受け、また、登場人物たちのふるまいに、おおいに感ずるところがあって、そういったことも書くつもりだったのですが、エンディングまで来てみれば、自分がどう受け取ったかなどというのは、どうでもいいことに思えてきました。

『娘・妻・母』は、とくにすぐれた作品とはみなされていないようですが、しっかりとした手応えのある、立派な作物でした。

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by songsf4s | 2010-10-13 23:57
成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』(東宝映画、1961年) その3

前回の枕で、当家で取り上げた池部良主演映画は『暁の追跡』だけだと申し上げました。

しかし、あとから考えたら、「横浜映画」と題した記事で、篠田正浩監督『乾いた花』にふれていて、これも池部良主演でした。他の映画と入れ込みで取り上げたので、失念してしまったしだいです。

池部良をしのんで映画を見るとなると、たとえば『青い山脈』以外にはない、という方もいらっしゃると思います。それもたしかにそうだろうとは思うのですが、いっぽうで、代表作のひとつ『乾いた花』に、切れ味するどい変化球として『暁の追跡』を組み合わせた二本立てというのも、かなりいいのではないでしょうか。

◆ 石鹸売り! ◆◆
成瀬巳喜男の『娘・妻・母』、今回は中盤から後半へというあたりです。

原節子はまた妹に引っ張り出されて、弟夫妻や妹の同僚たちと甲府に遊びに行き、仲代達矢に再会します。仲代達矢は原節子に、つぎに上京したときにまた会ってくださいと、はっきり胸の内を明かします。原節子のほうは煮えきりませんが、これは昔の女性のたしなみというもので、ノーだけでなく、イエスもハッキリ云わないだけです>現代のお嬢さん方。

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この甲府でのハイキングのシーンに流れる音楽をサンプルにしてみました。小津安二郎の『秋日和』だったか、やはり若い連中が山登りをする場面があり、そこでも似たようなスタイルの音楽が流れました。オールドタイマーなら、うん、昔の映画はこうだったね、とうなずくであろうサウンドです。

サンプル 斉藤一郎「ハイキング」

原節子と団令子が甲府に出かけている日曜に、草笛光子と小泉博の夫妻が実家を訪れ、森雅之に借金を申し込みます。家を出て夫婦だけでアパート暮らしをしたいというのです。あの杉村春子のグチと小言は、このための伏線だったのです。ゆくゆくは買い取れるのだから、というので、ここでいっているアパートはマンションのことです(そのままアパートといっておけばよかったのに、どこかの開発業者がつけたインチキな名称が定着してしまった)。

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もちろん観客は、森雅之にそんな金がないことを知っています。加東大介に貸してしまったのですから。その加東大介は、草笛・小泉夫妻の留守のあいだに、杉村春子のところを訪れています。これが親類の訪問ではなく、粉石鹸を売りに行ったのだから、われわれは愕然とすることになります。工場はどうなったのだ?

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◆ もうひとりの男 ◆◆
原節子は中北千枝子に呼び出されて、銀座にお茶を飲みに行きます。用はないんだけど、といわれて、原節子は、いいの、母の還暦のお祝いだから、ちょうど銀座に来たかった、と答えます。

また噂話だな、と思ったのですが、中北千枝子は、原節子に出戻り娘の生活ぶりを話させる役割のようです。原節子は、家のことはあまりいわず、甲府旅行が楽しかったといいます。中北千枝子は、実家だってやっぱり気詰まりだろうから(高峰秀子のことは「きつそうだけれど、悪い人じゃないわね」と断じる)出かけたくもなるわね、と受け取りますが、観客は、それだけでなく、原節子も仲代達矢のことをまんざらでもなく思っているのだな、と確認します。

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起きる出来事はみな小さなことばかりで、出来事とすら呼びにくいようなものですが、それがきれいに、整然と、有機的に結びついていくのも成瀬映画の特徴です。この『娘・妻・母』も、日常の小さなことが積み上げられて、話を断崖絶壁に追い込んでいくところは、これぞ映画的快楽といいたくなります。この快感があるから、どんなにひどい話でも最後まで見てしまうのでしょう。

脚本家は異なっても、どの映画も同じように本がていねいにつくってあり、ちょっとした会話や小さな出来事が伏線とわからぬように、さりげなく、繊細にちりばめられています。ということは、成瀬巳喜男も、溝口健二のように、執筆の段階でうるさく注文を出していたのかもしれません。

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三益愛子が孫を連れて公園に行く。なんでもないショットで、伏線だということを見逃しそうになる。すれちがう老人は笠智衆。

二人がお茶を飲みながら話していると、中北千枝子の知人が来合わせ、挨拶し、原節子に紹介されます。この知人を演じているのが上原謙ですし、映画のなかでは、いや、とりわけ成瀬映画のなかでは、無駄な人間が無駄に台詞をしゃべったりはしないので、ははあ、上原謙はなにか重要な役割を負って登場したな、とだれしも思うところです。

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◆ 楽あれば…… ◆◆
二男三女で夫婦者も多いのに、不思議に子どもの少ない家ですが(成瀬巳喜男は、猫は好きだけれど、子どもは好きではなかった?)、ともかく、家族がみな集まって、母親三益愛子の還暦を祝います。こういう祝い事のあとは、現実でも気をつけなければいけないのですが、映画のなかではなおさらです。

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原節子は、上京した仲代達矢と会います。こんどこそ二人きり、正真正銘のデートで、上野の美術館などに行ったりします。西洋美術館のロダンの像の前にたまたま上原謙がいて挨拶するのですが、しばらくたってから、原節子は笑いだし、いぶかしがる仲代達矢に説明します。このあいだ、知らぬ間に見合いをさせられたことにいま気づいた、というのです。

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わたしもボンヤリ者なので、原節子にいわれて、そうか、あの銀座のカフェで紹介されたのは見合いだったのか、とやっとわかりました。見合いではなく、偶然の出会いで、あとで仲代達矢と原節子をめぐって争うのかと思っていたのです。

この夜、原節子と仲代達矢は、ほんの軽いもので、あいまいに描かれるのですが、キスをします。へえ、原節子もこういうシーンをやったことがあるのかと、妙にドキドキしました。

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原節子としてもじつにめずらしいラヴ・シーンだが、当家でもはじめてこういうシーンをキャプチャーした。しかし、これはキス・シーンといえるのかどうか。たんに二人の人物の顔が重なっただけのショット、という言い方もできるような……。

家に帰る道で、原節子は妹・草笛光子に出くわします。彼女はずっと姉の帰りを待っていたところで、近くの店に入って用件を話します。例のアパートの一件で、森雅之が貸し渋るので、こんどは姉に借金を頼んだのです。いやはや、まったく罪な百万円です。

今日はスピードアップするぞ、と思ったのですが、相変わらずのスロウペースでした。成瀬巳喜男のペースにはまったようです。次回でなんとか『娘・妻・母』をまとめたいと思っています。


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by songsf4s | 2010-10-12 23:57 | 映画
成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』(東宝映画、1961年) その2

よるべない、たよりない、やるせない、成瀬映画はこの「三無」です。かつてだれか口の悪い映画人が「成瀬巳喜男じゃなくて、やるせなきおだ」といったそうですが、ほんとうに、つらい映画ばかりよくつくったものです。

先日『めし』をとりあげたせいだと思うのですが、仔猫を手の中に収めた夢を見ました。目が覚めた瞬間、『めし』に猫が出てきた意味が直感的にわかったような気がしました。ひとつは壊れてしまいそうな頼りなさ、ひとつはこのか弱い生き物を保護しなければならないという意識、ひとつははかなさです。

『めし』の原節子は、仔猫のなかに自分を見、夫を見、そしてこの宇宙とこの人生を観照したのでしょう。

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◆ 「おまえたち夫婦の女中はごめんだよ」 ◆◆
外道なことを云うようですが、成瀬巳喜男の映画は音だけにして聴くと、おそるべきものです。怖い台詞が山ほど詰め込まれていて、うへえ、ムヒョー、ドヒャーの三種ぐらいではとても追いつきません。

たとえば、小泉博と草笛光子の夫婦が帰宅すると、杉村春子の小言がはじまります。

「いつもいつも二人で待ち合わせて帰ることはないじゃないか。近所の人がなんて云っているか知ってんの。英隆、聞いてんのかい? あたしももう六十すぎたんだからね、いつまでもおまえたち夫婦の女中はごめんだよ。だいたい薫さんだって、結婚したら幼稚園やめるって約束じゃなかったの。子どもができるまで、できるまでって、あんたたち子どもつくらないつもりじゃないのかい?(後略)」

いやはや、これを杉村春子が絶妙のタイミング・コントロールでいうんですからね、もうへこたれるなんてもんじゃありません。なんでこんな映画を見てるんだろうと首をひねっちゃいます。それでも最後まで見せるのが成瀬巳喜男のすごいところです。

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アメリカ映画なら、プレヴューで観客がみな不快だと文句を云い、プロデューサーがこの台詞のカットを監督に命じるに決まっています。成瀬巳喜男の海外での評価が上がっていったのは、人生のこの精細にしてリアルなスケッチが、世界的に見てきわめて稀な映画要素だったからでしょう。

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◆ 他人の鏡 ◆◆
ふと、『娘・妻・母』を「噂話映画」と名づけたくなりました。家族や知人たちが、そこにいない人物の噂をするシーンが山ほど出てくるのです。

原節子が墓参りに出かけた留守に(いや、これも母親がそういうだけで、墓地のシーンなどは一切ない)、彼女の友人の中北千枝子が坂西家を訪れ、母親と話していて、原節子の再婚の可能性を問います。

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いっぽう、原節子は弟・宝田明のスタジオで写真を撮られています。再婚話のあとだから、だれしも見合い写真を思うところですが、訪ねてきた三女の団令子に、宝田明は、フィルムがあまっただけ、と云います。

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このあたりから、みなで夕食に行こうと一決し、原節子が家に電話をかけるところまでをサンプルにしました。ほとんどは台詞がかぶっていますが、それはそれで面白いのではないかと思います。

サンプル 斉藤一郎「スタジオ・モンド」

こういう音楽はどのあたりに分類するのか、まあ、ラウンジなのでしょうが、昔の日本ではこういう、あまり強烈ではないブロウ・テナーをリードにしたムード音楽が流行ったことを思いだします。サム・テイラーとかね!

さて、団令子はここで、次姉の草笛光子にアパート探しを頼まれたことを長姉と次兄に告げます。しかし、宝田明は、あのはっきりしない男が母親に別居するなどと云えるものか、と懐疑的で、妻の淡路恵子も、ホントにおとなしい方ね、と夫に同意します。団令子も同意しつつ、でも、あれで勤評闘争なんかになるとすごく張りきっちゃうんだって、といいます。

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昔の映画を見ていると、ときおり耳から入っただけでは意味のわからない言葉が出てきます。「きんぴょう」ってなんだ、でした。小泉博は中学の先生という設定なので、なにか教師の労働運動に関わる言葉だろうと思いましたが、知らないのはわたしだけのようで、ATOKはあっさり変換しました! いつも、おまえは古い言葉を知らないね、と馬鹿にしていたATOKにやられてムッとなりましたぜ。いや、古い言葉ではなく、まだ生きている言葉だから変換したのでしょう。「勤務評定闘争」の略だそうです。

あっちで噂話、こっちで噂話、『娘・妻・母』では、噂話で人物像が形成されていくのです。そういう映画というのはめずらしいのではないでしょうか。

団令子は酒造会社の宣伝部に勤めていて、そのポスターなどのためにカメラマンの次兄のところをしばしば訪れているのですが、この日は、あとから来た同僚の太刀川寛が、もうひとりの男・仲代達矢を伴ってきて、初対面の原節子に、甲府工場の醸造技師と紹介します。

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当然ながらわれわれは、原節子と仲代達矢のあいだにロマンスが生まれるという展開を予想します。じっさい、その夜、一同うちそろって食事に出かけ、そのあとでいったナイトクラブでは、踊れないという原節子と仲代達矢だけがテーブルに取り残され、観客は、やっぱりな、と思うことになります。

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◆ 家族という債権者 ◆◆
楽しい時間を過ごし、土産にイチゴのショートケーキを買って妹とともに帰ると、原節子は兄に呼ばれます。

高峰秀子の伯父・加東大介の新たな借金の申し込みはいったん断ったのですが、森雅之の留守中に、加東大介は家にまで押しかけて、いかに苦しいかを姪に訴えます。ここで、以前貸した金は、家族にはいわずに家を抵当に入れて借りたものだということが、高峰秀子のグチのようにして明らかにされます。

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もう森雅之に貸す金はないのですが、そこに百万円をもった妹が転がり込んできたため、兄は無考えにも、妹に金を貸すように勧めます。全額ではおまえも不安だろうから、五十万でどうだ、それなら毎月の利子は五千円、生活費がそっくり出る、いまどき銀行にあずけたってろくな利子は付かない、俺が間に入っているのだから、元金は補償する、おまえに迷惑をかけるようなことはしない、などといいます。

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観客はみな、家を抵当に入れて金を借りた人間が「元金は俺が補償する」もないものだ、まずいなあ、と顔を覆ってしまうのですが、成瀬映画では、登場人物は、毅然と拒否したりはできません。

いや、この状況では、現実の話だったとしても、やっぱり、拒否はむずかしいでしょう。兄の家にやっかいになっている身なのに、現金をたくさんもっているという妙な立場にあるところに、金をくれというのではなく、貸して利子を取れという話ですからね。イヤだと思っても、返答を先延ばしにするぐらいしかできることはないでしょう。あとは、この家を出て行くかです。

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「兄さんの話、なんだったの?」「ううん、なんでもないの」

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かくして、『めし』に引きつづき、『娘・妻・母』でも、原節子は「三界に五尺の身の置きどころなし」であることを痛感します。


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by songsf4s | 2010-10-10 23:56 | 映画
成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』(東宝映画、1961年) その1

成瀬巳喜男の映画は、ついこのあいだ、『めし』をとりあげたばかりですが、先日、『娘・妻・母』を見たので、印象が薄れないうちに書いておこうと思います。

この十数年はすっかり無精になり、また、劇場の椅子に坐りつづける体力もなくなってしまったため、シネマテークに行くことはめったになくなりました。三十代なかばをすぎてからいったのは、鈴木清順、小津安二郎、そして成瀬巳喜男の三人、および監督単位ではなく、日活アクションの特集と、石原裕次郎の連続上映ぐらいです。

成瀬巳喜男もブック・チケットを買って、何日も通ったので、代表作といわれるものの多くを見ました。しかし、成瀬巳喜男は作品数が多く、ずいぶん見たつもりでも、未見のものがまだたくさんあります。いまいちばん見たいのは『秋立ちぬ』という映画なのですが、調べてみたら、これがまだDVDにもなっていなくて、劇場で見るしかないようです。

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◆ オールスター・キャスト ◆◆
さて、今回の成瀬巳喜男映画は、やっとつい先日、はじめて見た『娘・妻・母』です。美術はいつものように中古智、照明も成瀬組の石井長四郎ですが、キャメラは成瀬巳喜男後期のレギュラー安本淳であって、玉井正夫ではありません。脚本は井出俊郎と松山善三、音楽は斉藤一郎です。

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おもな舞台になる坂西家は東京の郊外(代々木上原という想定らしい)にあり、還暦になろうとしている母(三益愛子)、どこかの企業の部長である長男(森雅之)、その妻(高峰秀子)、二人のあいだの学齢前の息子、そして、酒造会社で働く独身の三女(団令子)という家族構成です。

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坂西家にはほかに、日本橋の大店に嫁に行った長女(原節子)、次女(草笛光子)、すでに結婚してべつに一家を構えている、カメラマンの次男(宝田明)がいます(宝田明のスタジオは銀座裏あたりの設定か)。

草笛光子の夫は小泉博、その母は杉村春子、宝田明の妻は淡路恵子、カメラマン宝田明のところに仕事に来るモデルが笹森礼子、ほかに仲代達矢、加東大介、上原謙、笠智衆、中北千枝子(ひょっとしたら成瀬巳喜男映画最多出演女優)、太刀川寛などが出ています。脇役が豪華で正月映画かと思ってしまうキャスティングです。

このような家族構成と配役で、ちょっとしたことから坂西家が崩壊し、一家離散となるまでの物語が『娘・妻・母』です。

◆ 二男三女の生活ぶり ◆◆
日本橋の商家に嫁いだ長女・原節子は、姑とのあいだがうまくいかず、数日前から実家に身を寄せています。この映画での原節子は、『めし』の里帰りした妻とはだいぶ異なり、同じような状況にありながら、達観しているというか、あきらめているというか、ふてぶてしいとすら云いたくなるほどで、夫や婚家に未練を残していません。

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次女の草笛光子は自分も保母として働きながら、教師をしている夫の小泉博、義母の杉村春子と小さな家に三人暮らしをしています。

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次男の宝田明はカメラマンとして活躍し、元モデルの妻は喫茶店を経営していて、こちらも繁盛し、同じDinkでも、舅姑のいない二人だけということもあって、草笛光子のところとはだいぶちがう派手な生活ぶりです。

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『娘・妻・母』はこのような状況設定ではじまり、原節子が里に帰っているあいだに、夫が同業者組合の慰安旅行で行った伊豆で事故に遭い、死んでしまったことから話が展開しはじめます。

◆ またまた未亡人 ◆◆
原節子と高峰秀子という、二人の大物女優が出演していて、ビリングも分け合っているのですが、原節子が未亡人になったことで、彼女が中心になっていくことが冒頭でわかります。

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香典をどうするかで、宝田明のところが勝手に金額を決めたために、草笛光子のところで姑が嫁に嫌みをいうなどという、どこの家でも、いつの時代でもありそうなエピソードが挿まれます。こういう小さな描写も、それぞれの家庭の経済状態や、草笛光子と杉村春子の嫁と姑の関係を明らかにし、のちに起きることの伏線になっているところは、成瀬映画らしい細やかさです。

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葬式のあとは、日曜なのか、原節子をのぞいて、坂西家の人びとが集まって話しているシーンで、ここで坂西家の経済状態が明らかにされます。父は資産を残さず(三益愛子いわく「お父さんはああいう人でしたからね」。いやはや、このなんでもない台詞のじつにリアルなこと!)、残ったのは土地と家だけ。

宝田明が「二百坪というところか」といいますが、長男の森雅之は「とんでもない。百六十だ」と訂正します。こんな話もどこの家でも交わされるでしょう。三女は坪いくらとして、ひとり頭どれくらいの金額になるかを計算します。戦前に生まれ育った人は、長子相続が頭にこびりついているので、戦後は兄弟平等だということを観客に念押しする役割もあるのでしょう。

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ここらで、この映画のテーマは「家」と「金」と見当をつけました。

そして、この長女のいない「非公式な家族会議」の場で、彼女が離縁されると明らかになります。大事に育てられ、あんな大家の奥さんにおさまった人は、いまから働いて自立するといっても無理だ、ということで、森雅之が家長として「当面、俺が面倒を見るよ」といいます。

◆ あっちの百万とこっちの百万 ◆◆
高峰秀子には伯父(加東大介)があり、プラスティック成型をする町工場を経営しています。加東大介は資金繰りに苦しんで、親類縁者をまわってあちこちから金を借りているらしく、森雅之にも利息を渡したおりに、工場の設備更新の資金百万円の融資を依頼しますが、とても無理と断られます。百万は十倍して現在では一千万の見当でしょう。

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この映画は間接的な描写が多いのですが、離縁された原節子が実家に戻るところも直接には描かれません。三女の団令子が次男の宝田明に電話して、その話をします。そのときに団令子は、和子姉さん(高峰秀子)たら、さっそく女中さんをやめさせちゃったのよ、なんていいます。いやはや、小姑のうるさいこと。

原節子は微妙な位置にはまりこむことになります。彼女の庇護者である母はまだ健在です。しかし、一家の主婦は兄嫁、この微妙な力関係のなかで、居場所を見つけるのはえらく気骨が折れるなあ、と溜息が出てしまいます。

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兄嫁に、よろしくお願いします、と挨拶しておき、後刻、原節子は母と二人だけのときに、自分は女中部屋を使わせてもらうといいます。そして、毎月五千円を家に入れることにします。母は、それは多すぎるといいますが、原節子は、あたし、お金もってるの、百万円、といいます。死んだ夫の保険金で、「これがわたしの全財産」と説明します。

この話をたまたま子どもがきき、子どもだから無分別にほかの家族にも話してしまいます。まあ、いずれわかることでしょうが、なし崩しに知れていったせいもあって、この百万円は結果的に不幸の種になります。

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まだ設定と冒頭の展開を書いただけで、本格的に話が動きはじめるのはこれからなのですが、残りは次回に。最初のうちは、未亡人原節子の運命を描く話なのかと思ったのですが、じっさいにはそれほど単純な構造ではありませんでした。

◆ 斉藤一郎のスコア ◆◆
『娘・妻・母』の音楽は斉藤一郎です。当家で過去に取り上げた映画としては、成瀬巳喜男『浮雲』田坂具隆『乳母車』、そして小津安二郎『長屋紳士録』のスコアを書いています。

作品数が多いからだともいえますが、斉藤一郎は、成瀬巳喜男映画としてはほかに『流れる』『放浪記』『山の音』『晩菊』『稲妻』『おかあさん』『乱れる』など、代表作、有名作の多くの音楽監督をつとめています。

古い映画の喫茶店やバーなどのシーンで流れる現実音はいつも面白いのですが、それは次回ということにして、今回は素直にメイン・タイトルをサンプルにしました。

サンプル 斉藤一郎「『娘・妻・母』メイン・タイトル」

こういうサウンドを聴いていると、昔の映画を見ているなあ、という気分になれます。


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by songsf4s | 2010-10-09 23:54 | 映画
成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その5 補足 大阪ロケ、早坂文雄のスコア

『めし』の「その1」に書いたように、この映画の前半は大阪が舞台になっています。

原節子と上原謙の夫婦は横浜(川崎?)と世田谷に実家があり、関東から移ってきたという設定ですが、原作を読んでいないので、この設定の意図ははかりかねます。妻を遠い実家に戻らせたい、ただし、妻の実家から遠くないところに夫の実家もおきたい、となると、大都市間の移動であるほうが都合がいい、といったあたりでしょうか。

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本文に関係ないが、もう一枚猫の写真をあげておく。ついでによけいな話だが、昔の流しは石だった。同潤会江戸川アパートメントのような、ウルトラモダンでも、当時の写真を見ると石の流し。一軒家の台所は一段下がって土間よりちょっと高い板の間か、土間そのものだった。あれはなぜなのだろう? 水の供給方法の問題だろうか。

二人の故郷を田舎にし、結婚してから東京なり大阪なりに出てきたという設定でも不都合はないようですが、実家が都会にあるほうが、家が狭くて身の置きどころがない感じを強調できるかもしれません。

とくに、西と東の考え方の相違などというものは描写されないので、どこにお住まいの方も気になさらないでください。そういう意図ははじめからない映画なのです。

◆ 阪堺線沿線? ◆◆
わたしは南関東に生まれ育ったので、関西には土地鑑がなく、今回は調べて書くだけなので、信用しないでいただきたいと、はじめにご注意申し上げておきます。ちゃうでえ、ということであれば、どんどんコメントに書き込んでください。

タイトルからオープニングまでを、原節子のナレーション入りで(というか、たとえナレーションをとりたくてもとれないのだが)サンプルにしました。

サンプル 早坂文雄「メイン・タイトル~朝食」

この音楽とナレーションに乗って登場するのは、上原謙と原節子の夫婦が住む土地で、「その1」にも引用したように、「大阪市の南のはずれ、地図の上では市内ということになっているが、まるで郊外のような寂しい小さな電車の停留所」の界隈です。

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「停留所」といっているぐらいで、関東でいえば都電荒川線か江ノ電のような、路面電車と懸隔のない小規模な鉄道の「駅」が映ります。都電荒川線に似た路線というと、阪堺線だそうで、そのどこかの駅だろうと思いますが、わたしにはそれ以上のことはわかりません。阪堺電車のサイトから路線図を頂戴してきました。

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阪堺線はその名の通り、大阪と堺を結んでいるので、映画のナレーションにしたがえば、このうち、大阪側のどれかの駅に設定されているのでしょう。

駅からの道筋らしきものも映りますが、夫婦が住む、道路からちょっと下がった路地の一帯はオープン・セットです。砧撮影所でしょう。

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以上三葉はいずれもオープン・セット。この朝の光景は寸分違わぬタイミングで二度繰り返される。「気いつけていきや」といわれた子どもは二度とも階段を上がったところでコケ、お母さんが家に戻ろうとすると向かいの主人が出てきて挨拶、あとからその家の奥さんが走ってきて、階段のところで忘れた弁当を手渡す。成瀬巳喜男らしい控えめなユーモア。

◆ 大阪観光 ◆◆
東京から姪がやってきたので、上原謙はバスで大阪見物に連れて行くことにします。小津安二郎の『東京物語』では当然、笠智衆、東山千栄子は、次男の嫁の原節子に連れられて「はとバス」で市内を観光しましたが、大阪では、どの会社のバスと自動的には決められないようです。

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梅田の駅前、でよろしいあるか?>大阪ネイティヴ諸兄姉。

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バスガイドもそういっているが、これだけは云われなくてもわかる大阪証券取引所。

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北浜の株屋町。

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グーグル・マップ 大阪中之島周辺

この地図を見ると、スクリーン・ショットのように、渡りながら北浜の証券取引所が見える、という条件に合うのは天神橋以外にはなさそうです。いや、現在では高速道路が邪魔で、北浜はよく見えないでしょうけれど。

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このあと、大坂城見物までは団体バス観光のようです。「大坂城第二の大石」といっているので、どのあたりか、大阪の方はおわかりでしょう。「天下普請」なんて規模になると、どこでも大石の確保には苦労するようで、金もかかれば、人死にも出ます。

昼食は「まむし」です。

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鰻が蛇に似ているからかと思いましたが、「まぶし」の転訛だそうです。めしに鰻をまぶして「まぶしめし」、それが転じて「まむしめし」。大阪では「のせる」ことを「まぶす」というのでしょうか。知っているようで、やっぱり外国語、細かいニュアンスまではわかりません!

◆ 大阪デート ◆◆
上原謙と原節子の夫婦の近所に「谷口さん」(浦辺粂子)という人がいて、猫の面倒を見てくれたりすることはすでに書きました。その家の息子(大泉滉)が島崎雪子を誘ってデートのようなことをする場面があります。ここは有名なところしか行かないようで、大阪の方は一目でわかるのではないでしょうか。

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出かけるときに、大泉滉が「とりあえず難波のほうに」といっているのですが、そういう表現の場合、どのあたりに行くのやら。心斎橋の周辺ということでいいのでしょうかね。東京で云うと、とりあえず有楽町、なんてんで出かけて、銀座から日本橋のほうをぶらぶらするとか、そんな感じで?

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どのあたりなのでしょうか。新世界でいいんですかね。通天閣のあたりとか。当てずっぽうを並べてもしかたありませんね。「成瀬巳喜男監督 めし ロケ地」なんてキーワードで検索なさるといいでしょう。当家も引っかかってしまいますがね!

以上で『めし』はおしまいです。ちょっと音楽をはさんで、そのあとは、さらに成瀬巳喜男の、五尺の身さえ置きどころがなく、一日とて生き難い映画をつづけるつもりです。

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めし [DVD]
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by songsf4s | 2010-10-07 23:54 | 映画・TV音楽
成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その4

◆ 五尺の身の置きどころなし ◆◆
前回、「女三界に家なし」と書いたのですが、「三界」の中身を記憶していなかったので調べました。

「いっさいの衆生の生死輪廻する三種の迷いの世界。すなわち、欲界・色界・無色界」だそうで、「欲界」とは「性欲・食欲・睡眠欲の三つの欲を有する生きものの住む領域」、つまりわれわれの世界です。

「色界」は「三欲を離れた生きものの住む清らかな領域」ではあるけれど、依然として物質の存在する世界。

「無色界」は「最上の領域であり、物質をすべて離脱した高度に精神的な世界。ここの最高処を有頂天と称する」とあります。

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「三界に家なし」の典拠は、『平家物語』のようです。せっかくだから、原文にあたってみました。

大納言宣ひけるは、「三界広しと雖も、五尺の身置き所なし。一生程無しといへども、一日暮らし難し」とて、夜中に九重の中を紛れ出でて、八重立つ雲のほかへぞおもむかれける。 (平家物語第三巻)

大納言とは源資賢のことだそうです。ここは清盛が、多くの者の官位を剥奪して流罪にするくだりで、源資賢も畿外へと追放になったのだとか。

細かいことはどうでもよくて、大事なのは、この段階では、わずか五尺しかない身の置きどころを三つの界のどこにも見つけられないのは、女ではなく、男だったということです。

わたしは「女三界に家なし」と覚えていましたし、辞書にもそうありますが、これは後世のだれかが、家父長制のなかでの女の地位の低さを嘆いて創作したのでしょう。近代文学の有名な作品だろうと想像します。

つまり、なにごとも鵜呑みにするな、ということです。だれかが女のことへとねじ曲げたのであって、もとはといえば男、いや、性別とは無関係に、人間というのは身の置きどころがないものだ、という意味だったのです。

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このくだりには感銘を受けました。居場所がないだけでなく、人の一生は短いものだというのに「一日暮らし難し」なのだから、いやはや、です。まったく、あれから八百年たっても、やっぱり居場所はないし、一日生き延びるのも四苦八苦です。

◆ 一日とて生き難し ◆◆
今回は『めし』の結末にふれるので、ご注意ください。

前夜の義弟・小林桂樹の叱責に、身の置きどころがないことを思い知ったうえに、原節子は姪を送っていった夫の実家で、姑(長岡輝子)に、あなたの義弟さんはよくできた人だから、実家でのうのうとしていられるだろうけれど、ふつうだったらはそうはいかないのだから、もう大阪に帰りなさいな、と諭されます。

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前夜、人のいい義弟がめずらしく怒りをあらわにしたところに接し、もはや実家も自分の居場所ではないことを思い知ったばかりなので、この長岡輝子の言葉は、またしても、意図しないアイロニーになって、原節子を責めさいなみます。

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そして、(たぶん)「三界に家なしなのね」とため息をつくような思いで帰路につくと、前回の最後で見たように、戦争未亡人の同級生が新聞を売る姿を目撃してしまうわけで、一日とて生き難いことも痛感させられます。

そんなふうに、悄然と帰宅した原節子を、満面の笑みの母と妹が迎えます。

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靴を見て、上原謙がやってきたことを原節子は知ります。

ここで原節子は、身を翻して出て行ってしまいます。ビックリして止めようとする杉葉子に、杉村春子は「ほうっておきよ。気を鎮めてから会いたいんだろ」といいます。わたしも杉葉子と一緒に、なるほど、そういうものかねえ、と思ってしまいました。

前夜からいろいろと思い乱れる出来事がつづき、それまでよりも夫の面影が脳裡で濃くなってきたまさにそのときに、本人があらわれたものだから、図星を指されたようで恥ずかしかったのだろう、とわたしは受け取りました。

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成瀬巳喜男は皮肉な人、というか、原作者の林芙美子か、はたまた脚色者の田中澄江と井出俊郎のせいなのか、ここも意地の悪い展開になります。

祭で賑わう町を原節子が歩みます。その通りの脇の路地から、下駄履きで手拭いをもった夫があらわれ、うしろから原節子に声をかけるのです。

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◆ いっしょに帰るかい? ◆◆
ここまで読んできた方はやめにくいでしょうが、以下、わたしなりに、この物語をほぐしてしまうので、これから『めし』をご覧になる方は、お読みにならないほうがいいと思います。楽しみを減ずることはあっても、増やすことはないでしょう。

そういいつつ、この部分からエンドマークが出るまでのサウンドトラックを切り出してサンプルにしました。どうせなら映画を見たほうがいいとは思いますが、音だけの映画というのも、わたしは好きで、よく聴いています。

サンプル 早坂文雄「語り合い~エンディング」

さて、近所を歩きながらの話で、上原謙は急に出張することになって、今朝着いたことがわかります。ここはどう解釈しましょうかね。原節子を連れもどすことが上京の主たる目的ではない、ということは、彼女の気を楽にしたのではないでしょうか。賭金の低いゲームだと、夫のほうから切り出したのです。ノーというにも、イエスというにも、気の楽な状況です。

むろん、ものごとはつねに多面的です。夫が耐えきれずに、頭を下げに来たわけではない、ということは、一面で原節子をガッカリさせたでしょう。人生はそういうものなので、やむをえませんな。

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風呂上がりの上原謙は「喉渇いた」といいます。二人は、昔なら「簡易食堂」といったであろう、安直な飲食店に入ります。夫は銭湯帰りの下駄履きだから、ちゃんとしたところになど入れないのですが、それでも、これは意図的なセッティングであり、恋人たちの背景ではなく、夫婦の背景です。ふたりはビールを飲み、話しはじめます。

原節子「苦い」
上原謙「ああ旨い」
「Yシャツ、ずいぶんよごれているのね。替わりもっていらした?」
「うん」
「猫、います?」
「ああ、谷口さんにあずけてきた。あの息子さん、就職したそうだ」
「そう……あなた、あたしがすぐ帰るとお思いになって?」
「ああ。だから、手紙書かなかった。ぼくの仕事は明日すむんだ。いっしょに帰る?」
「そうね……。あたし、あなたに手紙書いたのよ。だけど出さなかった」
「どうして?」
「……」(ただ笑って答えず)

あらゆることに意味を見いだそうとするのは賢明ではありません。話の流れの都合で、「つなぎ」として書かれる会話もあります。重要なラインを導きだすための準備であったり、二つの重要なラインが団子にならないように、中間に無意味なラインを入れることもあります。だから、事大主義に陥るべきではないと思いつつ、でもやはり、ここはひとつひとつのラインに注意が向かってしまいます。

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Yシャツの一件はなるほどです。彼女は「わたしはあなたの妻だ」と宣言したのではないでしょうか。離婚の意思は、たとえあったとしても、もうそれは過去のことだ、あなたのシャツの汚れが気になるのだ、それは自分の役割だから、といったように感じます。

「苦い」と「旨い」の対比は、音のつながりも重要ですが、つまり、夫婦は異なった意見を持っているものである、でも、それだからこそひとセットなのだ、という意味だとわたしは受け取りました。ユニゾンではなく、異なる二つの音のハーモニーだという意味です。

猫のことを尋ねるのは、Yシャツの件に似ていて、彼女がまだ大阪に、すなわち亭主との生活に「気」を残していることを明瞭化し、いったん開いた二人の距離を彼女のほうから縮め、もとの距離を再獲得するための手続きです。二人は連続性を取り戻し、他人ではなく、数年の歴史をもつ夫婦であることを確認するのです。

すぐ帰ると思ったかどうかをきくのは、女房としては当然のことでしょう。あるいは、自分でもすぐ帰るのかどうかわからなくて、夫の目にどう見えたか知りたくなったのかも知れませんが。

いっしょに帰るかい、という台詞はギョッとします。これは二通りに解釈できます。上原謙がひどく無神経な人間で、深く考えずに、軽く、「ついでだから」「どうせだから」という意味でいったケース。

もうひとつは、夫が繊細な人間で、ことを大きくしたり、妻になにかを強く迫って、事態を崖っぷちに追い込むようなことは避けたくて、できるだけ軽く、さりげなく、まるで妻がちょっとした用を片づけに実家に帰ったかのごとく、いたって日常的なレベルに収めようとした、というケースです。

「手紙書いたのよ」もじつに微妙です。こういうことを云うとどうなるか? ひとつは、夫に、あなたのことを忘れていたわけではない、と告げる意味があるでしょう。

なんだか犠牲フライによる一点みたいで、ワンアウトはとられるけれど(夫は書かなかったのに自分は書いた)、あなたとちがって、わたしは二人のことを真剣に考えたのだ、という得点をあげることになるのではないでしょうか。

もうひとつ、夫は、どんな手紙なのだろうと思うにちがいなく、情報を握っている人間と、情報を欲しい人間という立場の違いが生まれる可能性があります。やっぱり、2ラン・スクイズみたいなものかもしれません!

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◆ 腹減ったなー ◆◆
途中で終わりにするのもなんなので、二人の対話を最後までほぐしてみます。

「ねえ、あたし東京へ来て、2500円も使っちゃった」
「竹中の伯父さんがねえ、こんど、東亜商事に勤めたらどうかっていうんだ。そうすりゃ月給もすこし上がる。きみに相談して返事するっていっておいた」
「いいのに、あなたがお決めになって」
「そりゃあね、ぼくだってきみが苦労しているのはわかっているんだけど……」
「いいのよ……」
「もうそろそろ帰ろうか」
「ええ。(残った自分のビールを差し出して)これ、お飲みになって」
「うん……あー、腹減ったなー。あ、ごめんごめん」
(声を上げて笑う)

ここには、もう緊張感はありません。「2500円」(4、5万というあたりか)も使ったというのは、ほんの軽いものですが、妻が夫に謝っているのです。危機にある夫婦はこんな話はしません。

わたしは省略しましたが、「竹中の伯父さん」(進藤英太郎)に転職を勧められるシーンでも、上原謙は妻に相談してといっています。この夫婦の経済はすこし改善されるかも知れないのです。ここにも危機の気配はありません。転職のニュースは謝罪であると同時に、和解の確認で、「いいのよ」ということで、原節子は謝罪を受け入れます。

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すごいのは「そろそろ帰ろうか」です。もちろん、もう夕食の時間だから、妻の実家にもどろうというのですが、同時に、大阪に帰ろう、もとの二人に返ろうと云っています。

それに対して、原節子は、ちょっとだけ口をつけた自分のビールを夫に差し出し、もったいないから飲んでくれといいます。これが妻のそぶりでなければ、妻らしさなんかこの世に存在しません。他人はもちろん、恋人でも、こういうふるまいはしません。妻が夫にだけいう言葉です。夫も当然のように、そのビールを飲み干します。これでもう二人はもとの夫婦です。

安心のあまり、上原謙は、そもそも原節子が夫婦の生活に疑問を抱くきっかけとなった「腹減った」という台詞を云ってしまいます。以前とはちがうのは、夫は、妻の不満のありかを明確に認識していることです。

だから、腹減ったと口にした瞬間に、上原謙は失策に気づいたのです。そして妻は、そんな夫を見て、こうして実家に戻ったことは、まったくの無駄ではなかった、二人は一歩ずつ歩み寄り、理解は深まったのだと思い、笑ったのです。

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とまあ、わかったようなことを書きましたが、要するに、これは「わたしのヴァージョン」にすぎません。解釈はいくらでもあります。だから、うっかり読んでしまったあなたが、いまから『めし』を見る妨げにはならないのではないでしょうか。

このあと、大阪に戻る東海道線の車中のシークェンスがあり、女の幸せに関する妻の考察が一人称で語られますが、そこはコーダにすぎず、二人のたどり着いた場所は、簡易食堂での対話で明快に示されています。なかば諦念ではありますが、諦念と縁のない夫婦があるとは、わたしには思えません。

今回も大阪のショットを並べられなかったので、もう一回、こんどはプロットを追うのではなく、「成瀬巳喜男が捉えた大阪」として、ヴィジュアルを追ってみます。


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by songsf4s | 2010-10-06 23:56
成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その3

大阪、大阪、と地名を云うだけで、『めし』では大阪でどういう話があって、どういうショットが映るかなどということはほとんど書かずにすませてしまいました。

関西だから無視したなどと思われるとまずいので、弁解しておきます。「『めし』その1」のときは、サウンドトラックの切り出しで失敗を繰り返して時間を空費し、そのうえ、更新の時間にちょっと用事ができてしまい、ロケのショットを大量に並べて構成するわけにはいかなくなってしまったのです。

いまのつもりでは、最後までいったところで、補遺として大阪ロケを見る予定です。わたしにわかる場所は多くないのですが、大阪をご存知の方なら、ほほうと思うショットがあるだろうと思います。そのときに、早坂文雄のスコアからまたサンプルをつくるつもりです。

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◆ 三界に家なし ◆◆
映画のなかで妻たちが「実家に帰らせていただきます」といったとき、われわれは、「帰った」という事実のみを認識し、ブラックボックス化して、その内容をあまり気にしないのではないでしょうか。

成瀬巳喜男の手にかかると、「里に帰った」妻たちは、小津安二郎の『秋日和』(いや、『秋刀魚の味』だったか。後日確認する)の娘のように、ノホホンとしてはいられないのです。まさしく「女三界に家なし」です。お待ちあれ! これは最終的には「男も三界に家なし」へとつながっていきます。性差別的な意味でいったわけではないので、誤解なきように。

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『めし』の原節子も、実家に身を寄せているのに、日々、なにをしても、露出した歯の神経を刺激するようなことにばかり出合います。

大阪には原節子の親戚があり、独身の従兄弟(二本柳寛)がいます。二本柳寛は東京の銀行に勤めていて、大阪でも顔を合わせるのですが、東京に向かう車中でまた二人は出会います。

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その後、東京でも、美術館にでもいっしょに行ったのか、食事をともにします(『めし』と同じ昭和26年に製作された小津安二郎『麦秋』の組み合わせである。『麦秋』で二本柳寛の母を演じた杉村春子は『めし』では原節子の母)。

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二本柳寛と原節子。一瞬、また絵画館か、と思ったが、ちがった。いったいどこの建物なのやら。さっぱり記憶にない。

原節子が、昔、塔ノ沢に行った話をすると、二本柳寛は「いまから行こうか」と誘います。原節子の返答。

「ダメ。あたし奥さんよ、まだ」

この微妙さ。「まだ」が最後に付け加えられるのです。

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しかし、二本柳寛に「不幸な結婚」といわれると、原節子は憐れまれるのは惨めだ、と反撥します。いやはや、なんとも細やかな映画です。夫の元を離れて、実家に戻るというのは、こういう、かならずしも当事者にはうれしくないパースペクティヴをあたえることになるなんていうのは、いかにもありそうなことですが、男の多くは気づいていないのではないでしょうか。

波立つ心を鎮めるように、原節子が立ち上がり、窓外を見ると、屋根の上に仔猫(大阪で飼っていた猫の一匹二役? 大阪の仔猫の二カ月後ぐらいの大きさ)がいて、猫好きならそうするであろうように「チッチ、チッチ」と気を引いてみます。

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成瀬演出はほんとうに細かい。猫のせいで大阪の亭主のことを思いだしたにちがいありません。

その夜のことでしょうか、原節子は手紙を書きます。

「あなたのそばを離れるということは、どんなに不安に身をおくことか、やっとわかったようです」

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そこへ杉村春子がきて、手紙を書くより、早く帰りなさい、あたしがあちらのお母さんなら、あんな嫁、さっさと離縁しなさい、といっているかもしれないよ、などといいます。バランス感覚のすぐれた、いい母親だと思いますが、実家に戻っている娘にはキツい一言でしょう。

翌日、原節子はこの手紙を出しにポストの前までいきますが、結局、投函はしません。こういう描写も、うん、そういう気分だろうなあ、といちいちうなずいてしまいます。

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◆ ささやかな妻の不在 ◆◆
それからすぐのことでしょう。夜、小林桂樹が杉村春子に「光子はどうしました?」とききます。「いまお風呂だよ」といわれると、小林桂樹は「あれの風呂は長いからな」とつぶやきます。

杉村春子(原節子に)「ちょっと光子がいなくなると、すぐこれなんだよ」
小林桂樹「聞こえてますよ」
杉村春子「おやそうかい、あたしは三千代にいっていたんだよ」

と、一見、平和な家庭のなんでもない会話が描かれます。しかし、原節子も、そして観客も「いつまでも亭主をほったらかしにしておくべきではない」という意味だと受け取ります。ひとつひとつはなんでもないのですが、こういう小さな描写を積み上げていくのが成瀬巳喜男映画なのです。

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杉葉子が銭湯から戻る(杉村春子が「いまお風呂だよ」といったとき、まっすぐ湯屋を連想するのはどのへんの年代までだろうか? 昔の商店で内湯があるところは多くなかった)ときにはひどい風で、裏木戸がバタバタ音を立て、表の七五三縄や提灯(祭が近い)が揺れています。

成瀬巳喜男(にかぎらないが)がしばしば使った、心理を気象として「外」に出して具体化する手法です。『めし』の嵐は『山の音』ほどストレートな心理の具象化ではありませんが、この嵐は原節子の背中を押すことになります。

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女房が戻ると、小林桂樹は帳面つけに取りかかり、杉葉子に算盤を入れさせます。昔は当たり前だった、なんでもない商家の夜の風景ですが、成瀬巳喜男が無意味なショットを挿入したりはしません。これは二人でなければできない作業です。小さな商売を男と女が協力して成り立たせているのです。原節子は「自分の人生はこれだけなのか」という思いを募らせたのですが、この夫婦は「これだけ」で満足しているように見えます。

◆ 嵐といふらむ ◆◆
夜も更けて風がいっそう強まったころ、姪の島崎雪子がやってきて、映画を見ていて遅くなってしまったので、泊めてほしいといいます。

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こっちに来るより、世田谷の家に帰るほうが早いではないか、と原節子に叱責され、島崎雪子は、だってお父さんと喧嘩したから、今日は家には帰りたくないのだとふくれてしまいます。女が四人集まって話している容子を隣の座敷から見ていた小林桂樹が、島崎雪子の甘えた態度が癇に障り、強い言葉で戒めます。

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寝支度にかかり、杉村春子が押し入れのところに行くと、お母さんにそんなことをさせることはないじゃないか、女の人たちがそろって布団もおろせないというのか、とこんどは娘たちをまとめて叱責し、原節子があわてて押し入れに歩みます。

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こういう小さな役になぜ小林桂樹が出ているかと云えば、このシーンのためでしょう。穏やかな性格の婿養子で、実直な商人なのですが、そこは男、筋の通らないことには、はっきりと異議を唱えます。原節子は、自分自身を叱責したのだと受け取ったはずです。

さらに、島崎雪子は原節子に、二本柳寛と遊びに行ったことを話し、すごく金遣いのきれいなところが気に入った、あの人と結婚しようかしら、などといいます。これまた、原節子には気持のいい話ではなく、自分の将来をあるパースペクティヴのなかにおいて見る、いまひとつの契機になります。

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そして嵐がおさまった翌日、無沙汰の挨拶の意味もあるのでしょう、原節子は島崎雪子とともに夫の実家に行きます。その帰り、線路際で中北千枝子が新聞を売っているのを見ますが、とても声をかけることができません。戦争で夫を失った級友が必死で生きるすがたに、またしても、と胸を突かれてしまったのでしょう。

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けっして「たたみかける」という強さではないのですが、こういう小さな出来事を、成瀬巳喜男は倦まず弛まず積み上げて、ヒロインを取り囲み、必然的な結果を導いていきます。

ここまでくればあと一歩、次回で『めし』を完結できるでしょう。


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by songsf4s | 2010-10-05 23:55 | 映画
成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その2

勘定したわけではありませんが、成瀬巳喜男作品のヒロインを演じた女優で、最多出演はもちろん高峰秀子でしょう。『放浪記』『浮雲』『稲妻』『女が階段を上る時』など、秀作がずらっと並びます。戦前の『秀子の車掌さん』などという軽いものもありました。

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高峰秀子。成瀬巳喜男監督『妻の心』より。

考えてみると、子役時代から数えて、戦前、戦後の長いあいだ、主役をつとめたわけで、高峰秀子というのは、なんともすごい女優です。男優なら、六十代、七十代でもヒーローを演じた人がいますが(ケーリー・グラント、チャールトン・へストン、クリント・イーストウッドなど、わが国では佐分利信、山村聡、高倉健など)、女優の場合はそういうことは稀で、高峰秀子は例外的に華の命が長かったといえるでしょう。ああ、吉永小百合がいますね。あの人はモンスター。

そのつぎはもう飛び出た人はいなくて、晩年の作品に数本出た司葉子、その少し前が新珠三千代や淡島千景、ずっと昔の田中絹代、高峰三枝子といったあたりがヒロインを演じています。

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新珠三千代と小林桂樹。成瀬巳喜男監督『女の中にいる他人』より。

原節子が出演した成瀬巳喜男作品はほんの四、五本ですが、『山の音』と『めし』という、成瀬といえばかならず指を折られる映画に出たおかげで、「原節子=小津安二郎と成瀬巳喜男の女優」という強い印象が残ることになりました。

いや、山中貞雄『河内山宗春』での美少女ぶりもすごいし、デビュー作『新しき土』も驚きますが、まだ「モデル」のようなもので、「女優」になっていません。でも、木下恵介『お嬢さん乾杯!』や吉村公三郎『安城家の舞踏会』での没落貴族の子女は、いかにも似つかわしい役柄でした。

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以下はいずれも成瀬巳喜男監督『娘・妻・母』より。

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左からは高峰秀子(長男の嫁)、原節子(長女)、三益愛子(母)、団令子(三女)。

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◆ 顔のオンとオフ ◆◆
成瀬巳喜男作品での高峰秀子と原節子の表情を見くらべてみました。原節子の演技の特徴は視線の上げ下げです。『山の音』でも『めし』でも、スウィッチのオン・オフのように、視線が上がったり下がったりして、心理の変化を表現しています。それに対して、高峰秀子は視線の上下および顔の上げ下げはあまり使っていないようです。

ということは、成瀬巳喜男は役者に細かく指示を与えなかったという黒澤明の証言も併せて考えると、あの表情の変化は「成瀬巳喜男の演出」というより、「原節子の演技」なのでしょう。

『山の音』での気象と原節子の表情の対比の印象が強く、あれは成瀬巳喜男のスタイルのような気がしていましたが、原節子だったのですね。原節子の顔の上げ下げということでは、小津安二郎『晩春』の観能シーンで、三宅邦子に気づき、うつむいて夜叉の表情になるカットも印象的でした。

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昔の人が原節子は大根であるといい、小津安二郎がそんなことはないと擁護したのは、この顔の上げ下げ、視線の上下のせいかもしれません。わかりやすい心理変化の表現ですから。

でも、大根であるか否かはひとまず措き、『めし』と『山の音』という、静かで穏やかな映画にきびしい緊張感をあたえているのは、原節子の表情です。女性観客はどうか知りませんが、男の観客は、原節子が視線を下げるたびに、「やばい」と緊張することでしょう。成瀬巳喜男も、原さんは怖いなあ、と内心で思いながら撮っていたのじゃないでしょうか!

原節子が下を向いたら、それは否定、拒否なのですが、上原謙は、それに気づかないか、または気づかないふりをしています。そして、この「下向き」は、観客にはスコアボードのように見えます。10点差がついたところでコールド、大阪のゲームは終わり、舞台は東京と横浜に移ります。

◆ たかが猫の子一匹なれど ◆◆
どうでもいいことなのかもしれませんが、原節子が飼っている仔猫がすごく気になります。よくまあこういう猫を見つけたものだと感心するほど「微妙な猫」なのです。

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朝は亭主より先に猫にかつぶしご飯をあたえる。

仔猫らしく暴れるわけではなく(いや、そういうときには撮影しなかっただけだろうが)、ちょっと毛がぼさぼさで捨て猫のようなところがあり、背中が曲がって姿勢も悪いし、病気ではないかと思うほど動作が遅く、それでいながら、けっこう可愛いのです。

大阪にいる同級生だけで同窓会をするシーンがあり、大店の料理屋に嫁いだ同級生が原節子にききます。

級友「あたし、あなたみたいに、一日でもいいから主人と二人きりで暮らしてみたいわ。ねえ、どんなこと話してらっしゃるの?」
原節子(微笑みながら)「猫飼ってるの」

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これはなんでしょうね。この間に省略された原節子の思いを想像すると、「とくになにか話したりなんかしないわ。だから、いつも猫と話しているの」といったあたりでしょうか。あるいは「主人も猫みたいなもので、会話なんかないわ」でしょうか。

こういうところの成瀬巳喜男の処理というのはじつに細やかで、解読するのにこちらは大わらわになってしまいます。

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背中で芝居するところなんぞは、隅におけない演技派の猫。

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この映画で唯一、声を出して笑ったのも、猫がらみの会話です。島崎雪子を連れて帰郷する車中、窓外を眺めながら、原節子がつぶやきます。会話のなかの「谷口さん」とは、近所の家のおばさん(浦辺粂子)です。

「谷口さんに頼んできたけど、大丈夫かしら」
「なあに?」
「猫」

ここも素直に受け取っていいのか迷うところです。笑ったあとで、猫は亭主のメタファーかな、と思うのです。それで、あんなショボショボした、情けないような、可愛いような、微妙な猫をキャスティングしたのではないかという気がしてきます。

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それとも、ペットショップなんかあまりなかった昔は、みな和猫だから、あんなものだったのでしょうか。邦画にペルシャやシャムなどの「舶来」猫が目立ちはじめるのは、60年代に入ってからではないでしょうか(『霧笛が俺を呼んでいる』『野獣の青春』を参照あれ)。

◆ 成瀬巳喜男の町 ◆◆
原節子は矢向という駅で降ります。神奈川県民でありながら、南武線というのに乗ったのはこれまでにただの二回、さっぱり土地鑑がなくて、調べてしまいました。路線図を見ると川崎かと思うのですが、市境が入り組んだところで、横浜市の北部なのだそうです。

駅舎というのは案外建て替わらないもので、矢向駅は依然として同じ形をしています。表面は張り替えたのでしょうが、躯体は『めし』のころのままなのにちがいありません。

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なんでもないことにのようですが、わたしはこういう連続性、町の記憶というのは大事なことだと思います。矢向の町の人たちは、『めし』の重要な舞台になったことを自慢できます。ただし、画面上にあらわれるのは「川崎市」の文字で、ロケは川崎市側でおこなわれたようです(撮影許可をとるとすると、横浜、川崎の両方でとるのは煩雑だろうと考える)。

成瀬巳喜男は町を撮るのがうまい人で、いつも風景が気になります。矢向の駅の近くと設定された原節子の実家の界隈も、何度も登場するので、店の並びを覚えてしまいます。実家自体はセットですが。

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というように、母は杉村春子、妹は杉葉子(すばらしい。『青い山脈』のときよりずっといい)、その婿さんが小林桂樹という顔ぶれで、洋品店を営んでいます。

こんなふうに気をまわすのはわたしだけかもしれませんが、成瀬映画には、しばしば商売が左前になった家が登場するので、こういう店のたたずまいが出てくるだけで、このうちは大丈夫だろうか、と緊張してしまいます。こういうタイプの商店は現代では流行りませんからね。

しかし、数十年後のことはいざ知らず、どうやらこの店は現在、とくに心配事を抱えていないようで、ホッとします。成瀬巳喜男映画には、はげしい闘争は出てきませんが、こういう「静かな緊張」がずっとつづくのです。だれかが、ささいなきっかけで、重大な決心をしたりするので、画面から目を離せません。

◆ Home Again ◆◆
成瀬巳喜男の細密描写をいちいち追っていると手に負えなくなるので、前半は端折ってしまいましたが、後半はすこしストーリーを追ってみます。

実家に戻って、意外なシーンから後半がスタートします。夕食の支度ができたというときに、原節子だけはぐっすり眠っているというシーンです。夜行で着いて、午後から仮眠をしていたといったところなのでしょう。

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杉村春子は「女は眠いんだよ」と笑いながら娘を擁護します。昔は、嫁に行った女は、おちおち安眠をむさぼったりできなかった、というのは、わが母のことなどを思っても理解できますが、それを映画のなかで描写する監督はきわめて稀、ひょっとしたら成瀬巳喜男ただひとりじゃないでしょうか。久しぶりに『めし』を再見して、いちばん驚いたのはこのショットでした。

たぶん、その翌日のことなのでしょう、原節子は職安(現在はハローワークと名前を変え、体裁よくしたつもり)の外までいき、求職者がぞろぞろと建物に入っていくのを見て、たじろぎます。

彼女は、離婚も考えているので、職を探しに来たと解釈できます。もちろん、そこまではいかなくても、とにかく、遊んでいるわけにはいかないという思いがあったのでしょう。

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ここでまた、と胸(原節子と観客の両方の)を突かれる小さな出来事が起こります。これでは職を見つけるのは無理だ、と原節子が途方に暮れていると、子どもの手を引いて通り合わせた女性、中北千枝子に「あら、三千代さんじゃない?」と話しかけられます。

どうやら、二人は女学校の同窓生のようです。中北千枝子は戦争未亡人で、もう還らないとわかってはいても、ラジオの尋ね人の時間はきいてしまう、といい、つぎの瞬間、「でも、それももう売り払っちゃって、かえって気が楽になったわ」と、じつにアイロニカルな台詞をいいます。いやもう、たとえ原作にあるラインだとしても、なんともいえぬほど成瀬的な台詞です。

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あと三カ月で失業保険が切れるというのだから、彼女は明らかに職安を目指してやってきて、ここで原節子に会ってしまったのです。彼女は原節子が職安に用があるとは思っていないらしく、「ごめんなさい。あなたみたいに幸せな人にこんなことをいって」と謝ります。

当然、原節子は複雑な表情であいまいに返事を濁します。これがまたなんとも成瀬的アイロニー。じつに人の悪い監督です。成瀬巳喜男映画の特徴は、この「意識しない間の悪さ」といえるのではないでしょうか。思わず目をつぶってしまうような気まずいシーンが頻出します。

毎度甘い見積もりで、『めし』は二回ぐらいで、なんて目算でしたが、そんな簡単に片づくはずもなく、今日も「つづく」です。


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by songsf4s | 2010-10-04 23:57 | 映画
成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その1

小林桂樹出演の映画をもうすこしつづけます。もう追悼というより、ただかこつけているだけという感じになってきましたが……。

今回は成瀬巳喜男の『めし』です。撮影は玉井正夫、美術は中古智といういつもの二人に、原作はまたしても林芙美子、脚本は田中澄江と井出俊郎、音楽は早坂文雄というスタッフです。

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◆ 結婚五年、子どもなし ◆◆
ワンセンテンスでいうなら、『めし』は、東京からやってきて大阪の郊外(冒頭、原節子のナレーションで「大阪市の南のはずれ、地図の上では市内ということになっているが、まるで郊外のような寂しい小さな電車の停留所」と表現される。たしかに江ノ電の駅みたいな「箸箱」タイプ。どこらへん?)で暮らす、結婚後五年たった子どものない夫婦の家に、家出してきた夫の姪が転がり込んできたことによって、伏在していた夫婦の問題が表面化し、それを「とりあえずの解決」に導くまでの話、といったところでしょう。

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小林桂樹出演の映画というなら、社長シリーズでも見ればいいのに、行きがかりで見るにしても(二度目だが)、成瀬巳喜男はなかったか、とちょっと反省しました。まあ、身につまされるシーンはあるとはいうものの、やはり成瀬、静かに流れる世界はつねに魅力があります。

夫婦を演じるのは上原謙と原節子という、やはり成瀬巳喜男の代表作『山の音』の危機にある夫婦と同じ組み合わせです。成瀬巳喜男の『娘・妻・母』という映画で、「うちは美男美女の家系だから」と宝田明がいいますが、この夫婦の家も美男美女の家系になりそうです!

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「おーい、めしは?」

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困ったちゃんの姪を演じるのは島崎雪子、小津安二郎の嫁さん候補と噂されたこともあった女優ですが、ちょっとミスマッチと感じます。いや、この映画の役にはドンピシャ、小津の嫁さんという感じではないという意味です。小津の日記でも言及される、厚田雄春のいう「小田原の人」とはタイプが全然ちがうのではないでしょうか(結局、神代辰巳夫人になった)。

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◆ これですべてなの? ◆◆
ここで描かれる夫婦の問題は、嫁は「毎日毎日、こんなふうに同じことをつづけて、年をとって死ぬだけがわたしの人生なのだろうか?」と思っているのに、夫はそうとは気づかず、毎日「腹へった、めし」などというばかり、という、すくなくとも昔は普遍的だったパターンです。

子どもがいないから、といえるのかもしれませんが、子どもがいても、夫と子どもの世話に明け暮れるだけ、というふうに考えることも多いのだろうと想像します。昔はその基盤がないので、夫婦共働きというのはいたって少数派だったから、これは一般的な問題だったのでしょう。いや、いまでも、まだ普遍性があるのかもしれませんが。

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原節子は、そういう思いを胸のうちにしまって日々を生きていたのですが、家出した夫の姪の島崎雪子が東京からやってきたことによって、あれこれと心が波立ち、「しばらく実家に帰ります」というパターンになります。

それが原因というわけではなく、きっかけにすぎないのですが、姪が夫に甘えるのが癇に障るようすが、いかにも成瀬巳喜男というタッチで、細密に描かれ、原節子がリズミカルに米をとぐところが妙に怖かったりします。

前半は細密描写が興味深いだけで、心の問題は後半、原節子が横浜郊外の実家に戻ってからのシークェンスで描出されるのですが、今日はスクリーン・ショットと音の切り出しに手間取ってしまったので、まだなにも書いていないに等しいものの、残りは次回に持ち越させていただきます。

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◆ 早坂文雄のダンス・ミュージック ◆◆
『めし』の音楽は早坂文雄です。当家ではしばしば取り上げている佐藤勝が、映画音楽をやりたいと思ったとき、日本でその道の師匠たり得るのはこの人しかいない、と思い定めた作曲家です。

『狂った果実』の音楽を依頼された佐藤勝が、黒澤明の『蜘蛛巣城』と重なってどうしても時間がとれず、武満徹に応援を求めたのも、武満徹が早坂文雄の非公認の弟子のようなものだったために、「正式の弟子」だった佐藤勝と親しかったからです。

日本の映画音楽のもっとも重要な作曲家のひとりが、成瀬巳喜男の映画でどんな仕事をしたかは興味のあるところです。いえ、いたって控えめな、そしてオーソドクスなスコアです。そのなかで今日は、上原謙が田中春男につれられて行ったキャバレーで流れている「現実音」をサンプルにしてみました。タイトルは例によってわたしがテキトーにつけたものです。

サンプル 早坂文雄「キャバレー・ビックリだっしゃろ」

ほんの短い断片ですが、他の曲が弦を中心としたオーケストラ曲なので、この曲が出てきた瞬間、ハッとします。それに、ナイトクラブ・シーンで流れる音楽には、その時代の好尚がストレートにあらわれるので、いつも注目すべきだと思っています。

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それでは、次回はまじめに成瀬巳喜男の表現に取り組みます。やはり成瀬の代表作といわれるだけのことはある映画です。


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by songsf4s | 2010-10-03 23:28 | 映画・TV音楽