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続The Best of Jim Gordon 02 ホール&オーツ、バートン・カミングス、インクレディブル・ボンゴ・バンド
 
なにか映画を取り上げようと思い、今日は市川崑の『幸福』を見ました。エド・マクベインの87分署シリーズ初期の秀作『クレアが死んでいる』にゆるやかに基づいた映画です。

いうまでもなく、面白ければ、今日の記事のタイトルは「市川崑監督『幸福』に描かれた87分署の刑事たち」なんてタイトルになっていたはずです。そうはならなかったということは、書くに足るほど面白くはなかったということです。

捜査の過程で、さまざまな家族の内実を見る、というのは87分署にかぎらず、ミステリーのよくあるパターンで、それがゾッとするような家であることも少なくありません。

だから、『幸福』に登場する狂った家族のことはいいのです。でも、それが主人公である水谷豊の家庭の事情と照らし合わされるのには、やりきれなくなりました。梅雨時に廃屋の地下室に閉じこめられたような映画で、救いは、刑事のひとり、谷啓の演技ぐらいでした。

まあ、『幸福』というタイトルがイヤで、いままで避けてきたのですが、直感は信じたほうがいいな、やっぱり、という出来でした。

市川崑の不幸は、なんといっても、夫人/脚本家の和田夏十の早すぎた死でしょう。後年の作品は、脚本の段階に戻って考え直してくださいな、とお願いしたくなるものが多く、相棒の脚本家と愛妻を同時に失うとはまたなんと不幸な、と思いました。

◆ ホール&オーツ ◆◆
ということで今日も音楽、またまたジム・ゴードンの登場です。幸い、上ものは入れ替え制、当然、音楽スタイルもどんどん変化していくので、またジム・ゴードンか、とうんざりはしないだろうと思います。

本日はまずホール&オーツ。ドラミング優先ではなく、上ものの都合を優先し、ヒット曲から入ります。1976年のアルバム、Bigger Than Both of Usから。

Hall & Oates - Rich Girl


時代の要請もだしがたく、さすがのジム・ゴードンも、70年代後半に入るとスネアのチューニングを低くします。残念無念。

したがって、あのキレのよいスネア・ワークは聴けなくなりますが、そういう悪条件に配慮すれば、このトラックもまた中の上ぐらいと感じます。すでに76年、見渡せばどこまでも茫々たる荒野、という時代ですから、そういう不幸な時代にあっては、得がたいグルーヴでした。

つぎは、Bigger Than Both of Usの前年、1975年にリリースされたエポニマス・タイトルのアルバムから。クリップがないので、サンプルを。

サンプル Daryl Hall & John Oates "(You Know) It Doesn't Matter Anymore"

上ものの出来はRich Girlよりこちらのほうが数段好ましく、ジム・ゴードンのプレイも、こちらのほうにより強い魅力を感じます。

ホール&オーツも、これくらいのところなら、聴いていてうんざりしないのですがねえ……。アップテンポも、バラッドも、イヤな味が舌に残るし、そのくせ肝心なところでは味が足りず、じつにバランスの悪いヴォーカル・レンディションばかりで、退屈な70年代を象徴するデュオでした。

いや、わたしはヴォーカルは箸でつまんで捨て、残ったトラックをおいしくいただける人間なので、気にせずにジム・ゴードンの話をつづけます。

同じアルバムから、こんどはシングル・ヒットを。

Hall & Oates - Sara Smile


ベタベタ粘つく気色の悪いバラッドで、60年代中期だったら、チャートインしなかったでしょうが、ジム・ゴードンはやるだけのことはやっています。

◆ バートン・カミングス ◆◆
残念ながら、口の中のねばねばを洗い流すのにもってこい、というような曲の用意はないのですが、こちらのほうがまだしもさっぱりしていると思います。

ゲス・フーのリード・シンガー、キーボード・プレイヤー、ソングライターだったバートン・カミングスのソロ・デビューから。

Burton Cummings - I'm Scared


冬の日の歌で、なにか怖ろしい体験をして、神にすがりたくなったといった話ですが、グッド・グルーヴによって内容の重さをうまく相殺しています。

◆ オマケはインクレディブル・ボンド・バンド ◆◆
まだホール&オーツのネバネバが舌に残っているので、なにか気分が明るくなるものはないかとHDDをひっくり返し(比喩なのだ!)ました。

冗談半分の企画もの、インクレディブル・ボンゴ・バンドはいかがでありましょうか。前にも取り上げましたが、IBBは全部かけてもOKなのです。

今日はおなじみの曲のアップデート・ヴァージョンです。前半はバックビートを叩いているだけですが、ジミー・ゴードンはエンディングにかけて豪快なヒットを連発します。

The Incredible Bongo Band - Wipeout


いつもそうですが、この曲でもフロア・タムがとんでもない鳴りで、わっはっは、です。

メンバーはよくわかりませんが、ギターのひとりはマイク・デイシーだそうで、この曲も彼のプレイでしょうか。

もう一曲いきましょう。このドアホ・ヒットをジム・ゴードンのドラムで聴くことになるとは思いませんでした!

Incredible Bongo Band - In a Gadda Da Vida


もともとパアな曲ですが、管でやると馬鹿っぽさがいっそう強調されて、笑いました。このコミック・アルバムにふさわしい選曲でありますなあ。

以上、やっぱり音楽は馬鹿でもアホでもまったくノー・プロブレムだけど、ベタベタしたりネチョネチョしたりグチョグチョしたりするのだけはやめようね、と思ったのでありました。


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ホール&オーツ(アルバムDaryl Hall & John Oates (1975)およびBigger Than Both Of Us (1976)の両者を含む)
Original Album Classics
Original Album Classics


バートン・カミングス
Burton Cummings
Burton Cummings


インクレディブル・ボンゴ・バンド(CD)
ボンゴ・ロック
ボンゴ・ロック


インクレディブル・ボンゴ・バンド(MP3、Wipeoutを含む)
Bongo Rock
Bongo Rock


初回限定 特別版 市川崑監督 水谷豊主演「幸福」【ハイブリッド版Blu-ray】
初回限定 特別版 市川崑監督 水谷豊主演「幸福」【ハイブリッド版Blu-ray】
by songsf4s | 2011-12-17 23:52 | ドラマー特集
(仮)キャバレー・ブルー・クイーン by 飯田信夫(新東宝映画『暁の追跡』より その3)
タイトル
キャバレー・ブルー・クイーン
アーティスト
飯田信夫
ライター
飯田信夫
収録アルバム
N/A(『暁の追跡』OST)
リリース年
1950年
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このところFC2のブログはまったく更新できず、当家も匍匐前進になってしまったにはいろいろいな理由があるのですが、とりわけ古書をオークションに出す準備に時間をとられています。

うちにあるのはほとんどすべてが昭和以降のものなので、「古書」とは呼べず、たんなる「セコハン」にすぎません。一握りしかない大正以前の本で、ややめずらしい一冊がこれ。

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この本は、ちょっとした成り行きから、自分で値をつけて買ってきたものです。いや、正確には、懇意な古書店で数冊の古書の値踏みをした報酬として安価に譲ってもらったのです。四半世紀前のことで、もういくら払ったかは忘れてしまいましたが、当然ながら、現今の相場よりはるかに安い価格にしました。なんたって買い手はわたし自身なのだから、ふっかけたりはしません!

そんな若いときに古書価がわかっていたのかといわれそうですが、すくなくとも現在よりはよく知っていました。この矢野目源一訳の『吸血鬼』元版は、はじめて見るものでしたが、これはそれなりの値打ちがあると考え、一冊抜いていいといわれたその権利を、この本に適用することにしたくらいですから、最低限の知識は持っていました。

そのときの値踏みでも、書店主に損をさせてはいけないという思いと、あまり高すぎて売れなくても意味がないという配慮がせめぎ合って、呻吟してしまいましたが、オークションも似たところがあります。あまり安く売りたくはないけれど、高すぎて売れなくては意味がありません。

いやまあ、高いから売れない、安いから売れる、というものではなく、ウソみたいに高くつけているところがそれなりに売れていたりするから、無茶苦茶というか、世の中は面白いというか、わけがわからないのですが。

◆ ハリウッドの先を越しそこなう! ◆◆
古書の話は次回にでもゆっくりすることにして、今日は『暁の追跡』を最後まで見ることにします。

前々回にも書きましたが、『暁の追跡』という映画は、池部良と水島道太郎という二人の巡査の対立が、あまりにも観念的、図式的で、ドラマとしてはちょっときびしいものがあります。個人や集団の対立はドラマのエンジンになりうるのですが、この映画では、利害の対立でもなければ、魂のせめぎ合いでもなく、観念の対立にすぎないので、見ていて恥ずかしさに赤面してしまいます。

その中間にいる伊藤雄之助は、警察官であることに自嘲的で、ちょっといい加減なところがあり、交番で銃を暴発させ、同僚に軽いケガをさせて免職になってしまいます。銃の扱いがあまりにも粗雑で、こんな警官がいるはずがあるかよ、と思ういっぽう、現代の警官にもとんでもない事件を起こす不心得者がときおりあらわれることに思い至り、こんなものかもな、という妙な気分になります。

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ここからの展開がまたちょっと不思議なのです。寮の部屋で荷物をまとめながら、伊藤雄之助がトランペットをもてあそんで、「こんなことなら、もうちょっとこいつを練習しておけばよかったよ。あいつは雇ってくれるかな」などというのです。

まあ、プレイヤーもピンキリで、ずいぶんいい加減なのがいたようなので、「こんな設定はありえない」などとはいわずにおきます。その他大勢として突っ立ち、よくわからないときは音を出さないようにしていれば、お情けで給料をもらえるかもしれません。しかし、あの時代のビッグバンドでは、譜面を読めないと無理のような気もやはりするのですが……。

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そして、池部良が雨の日に警邏していると、「ブルー・クイーン」というキャバレーの裏口から伊藤雄之助が声をかけ、いまはここにつとめている、ちょっと寄っていけと誘います。このキャバレーのバンドが演奏している「現実音」として2曲が流れます。つづけて出てくるので、ファイルを切らず、2曲をまとめてあります。また、例によって、タイトルはわたしが恣意的につけたものにすぎません。

サンプル 「キャバレー・ブルー・クイーン」

ほんの少ししか聴けない最初の曲はなかなかホットで、飯田信夫音楽監督は、ちょっとばかり尖鋭なセンスをもっていたのかもしれません。ブルース・コード進行になりそうでならないところが、面白いような、肩すかしのような、妙な気分になります。服部良一の影響があったのかもしれませんが、この曲でのスタイルはずっとハードで、思わず「ムムッ」と身構えてしまいました。昔の音楽をなめてかかると、ときおり、尖鋭な時代性にもろに突き刺されてしまうことがあります。

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この最初の曲のようにハードなものを、「現実音」としてではなく、純粋なスコアとして、東京アンダーワールドの風景と重ね合わせることができたら、『暁の追跡』は日本映画史のターニング・ポイントのひとつに勘定されたにちがいありません。市川崑監督、飯田信夫音楽監督、ともに大魚を逸しましたな。

いや、ハリウッドだって、クラブの場面などでの現実音ではなく、スコアとして4ビートが使われるようになるのは1950年代後半のこと。それに数年も先立って、日本がジャズ・スコアの映画なんかつくってしまっては秩序破壊かもしれません。いや、「時間線擾乱罪」で「タイム・パトロール」に摘発される恐れなきにしもあらず。呵々。

◆ 廃墟の美 ◆◆
『暁の追跡』は「視覚の愉楽」、eye-candyに充ち満ちた映画で、ストーリーラインを追わずに、画面だけ見ているぶんにはまったく退屈しません。

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『暁の追跡』はクライム・ストーリーではあっても、ディテクティヴ・ストーリーではないので、謎解きの興味はまったくのゼロ、事件の首謀者はあっさり割れてしまいます。じっさい、どういう手がかりから首謀者と本拠が判明したのか、よくわからないうちに、いつのまにか払暁の大捕物へ向かって動きだすものだから、観客は面食らってしまいます。

とはいえ、清洲橋を渡った川向こうでの捕物劇は、舞台がすばらしくて、おおいに楽しめました。こういう場合は、百万言を費やすより、キャプチャーを見ていただいたほうがいいでしょう。

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まだ空襲で破壊された廃墟がそれなりに残っている時期だったのでしょうが、それにしても、よくまあ、これほど魅惑的な舞台がみつかったものだと思います。映画はロケーション・ハンティングで決まる、とまでいう人がいますが、『暁の追跡』の場合は、まさにその通りだという気がします。

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どんなことでも人の噂は当てにならないもので、自分の目と耳でたしかめないかぎりは、作物の善し悪しなどいえるものではありません。

たしかに、「映画としての評価」などと正面を切った物言いでは、『暁の追跡』はとくにいい作品とはいえないでしょう。でも、そういう表向きのことはうっちゃって、ただたんに見ていて楽しいか楽しくないかというレベルでいうなら、これはもうすばらしい視覚的愉悦で、こんなに楽しいロケーション・ショットが連続する映画はほかに思いつかないほどです。そういう映画の重要性を伝える文章をいままで目にしたことがなかったというのは、ちょっと考えこんでしまいます。

いや、『暁の追跡』のロケーション・ショットにおおいなる美をみいだすのは、多くの人と共有できることではないかもしれません。ふつうはストーリー・テリングを重視するもので、その面では『暁の追跡』は不出来です。

それでもなお、世の中には、他人の意見だの「定説」などにはまったく興味を持たず、自分の感覚しか信じない論者というのがいるものです。変な音楽や変な小説や変な映画のことが、葡萄のツルを伝わってくるのはよくあることなのに、『暁の追跡』のように、そういうネットワークからこぼれてしまうものがあるのは、じつにもったいないと思います。

この映画の視覚的卓越性、都市を捉える目の鋭さをいままで知らなかったとは、まったくもって不覚でした。いや、こういうことがあるから、定評のない映画を見てみようという気になるのですが。

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暁の追跡 [DVD]
暁の追跡 [DVD]
by songsf4s | 2010-03-12 23:56 | 映画・TV音楽
メイン・タイトル by 飯田信夫(新東宝映画『暁の追跡』より その2)
タイトル
メイン・タイトル
アーティスト
飯田信夫
ライター
飯田信夫
収録アルバム
N/A(『暁の追跡』OST)
リリース年
1950年
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『暁の追跡』という映画で愕くのは、ふつうの映画ならセットにするだろうというシーンのほとんど、または、すべてがロケーションで撮影されていることです。もちろん、絵からはセットかロケかを判断できないものもありますが、窓のある部屋、つまり、窓外の風景が見える室内シーンは、すべてロケーションです。

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これはどういうことでしょうか。わたしに思いつくのは、ジュールズ・ダッシンの『裸の町』の影響かもしれない、ということぐらいです。あの映画も全編ロケーションでニューヨークの町を捉えています。若き市川崑も、東京を「裸の町」として描いてみたかったのではないでしょうか。

シネマ・ヴェリテ的犯罪物語というのは、1950年にあっては時代の最先端だったのだろうと想像します(『暁の追跡』は『裸の町』の二年後に公開された)。これでドラマ作りがフリーフォームだったら、ヌーヴェル・バーグになってしまうのですが、まさか、そこまでぶっ飛んではいません。しかし、徹底したロケーション撮影はすばらしい効果をあげていて、わたしはおおいに楽しみました。

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勝鬨橋。こんなところで水泳をしているのに仰天する。戦後しばらくのあいだ、大川が澄んでいたという話を読んだことがあるが、1950年でもまだ泳げるほどきれいだったのだろうか?

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勝鬨橋をわたって月島に向かう池部良。いつだったか、月島ですしを食べたあと、ちょっと歩こうといって、池部良とは逆のコースをたどって、銀座を経由して新橋から電車に乗って帰ったことがあった。十分に歩ける距離だが、この映画は真夏の話で、そんなときに日陰のない勝鬨橋を歩いてわたりたくない! ついでにいうと、『乳母車』と同じように、この映画でも「橋」は異界への通路として扱われている。

◆ 立体としての東京 ◆◆
不審者を追跡して死なせたり、同僚の伊藤雄之助が拳銃を暴発させて首になったり、いくつかの事件が重なって池部良は転職を決意します。転職事情はいまとはずいぶん異なり、戦友を訪ねてまわる池部良のすがたに、へへえ、といってしまいました。派遣会社の中間搾取がないのはけっこうですが、真夏の東京を歩きまわるのは、見ているこちらも疲労感を覚えます。

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成瀬証券と山二証券の現況は下の写真を参照されたい。突き当たりに見える窓が二連になった建物は日証館で、これも無事である。日証館に突き当たったところで右に曲がれば、左側、日証館の並びに東京証券取引所が見える。むろん、取引所の現在の建物は見るに値しないし、映画の舞台にも使いようのない凡庸なデザインである。

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兜町はクラシックなビルがほとんど消えてしまったが、山二証券と成瀬証券は奇跡的に無事である。撮影は2009年10月。映画のキャメラ位置とは逆方向から撮った。

池部良は兜町のあとで有楽町にまわり、ビルの屋上で友人に会います。そのビルはすでにオープニング・シークェンスに登場しています。

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池部良の背後に日劇と朝日新聞が見える。これでこのビルの位置がわかる。

このビルの屋上で友人と話していて、池部良は、線路を挟んだ向かいのビル、すなわち、オープニング・シークェンスで内部を見せたビルで、人が争っているのを目撃し、急いで駈けつけます。

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池部良がその部屋にたどりついたときには、人の姿はなく、机や椅子が倒れ、薬品の瓶とこぼれた粉末が発見されます。この薬品(台詞では「劇薬」といっているが、なんらかの事情で「麻薬」という言葉の使用を避けただけだろう)によって、最初の不審者の逃走と、この一室が結びつけられ、さらに末端の売人の逮捕で(ここにも池部良が噛んでいくところで、いくらなんでも偶然がすぎると感じる)、背後の組織の姿が浮かび上がってきます。

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いやまあ、プロットの重要性は相対的に低いので、その点は気にしないでください。肝心なのは目に見えるもの、視覚表現のほうです。ここに書いた仕事探しから、事件現場の発見にいたるシークェンスも、セットはなく、すべてロケーションと思われます。

職探しのシークェンスでは、キャメラは新橋署管轄の外に出て、もう少し広い範囲で東京を捉えます。この一連の絵からも、やはりジュールズ・ダッシンの『裸の町』に近似したアティテュードが読み取れ、それがこの映画の最大の美点だと感じます。

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◆ 矛盾する被写体 ◆◆
わたしは町を捉えた映画が好きなので、『暁の追跡』は冒頭からそういう映画だと感じ、だとしたら、もっともだいじなことは、当然、「いかに町を撮影したか」であり、そこに着目しました。そして、冒頭に書いたように、途中から、室内のショットの撮り方が気になりだしました。

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窓がある室内のショットは、ほぼすべてのケースで、ロケーションであることが明白にわかるように撮っています。はっきりとはわからないものでも、窓外の立ち木の枝葉が風にそよいでいて、ロケだろうと推測できるようになっています。ここでは、そういうショットをいくつか拾ってみます。

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昭和25年の映画なので、フィルムの質はあまり期待できないのですが、そのわりには、暗い室内と明るい屋外を捉えたショットは、どれもほぼうまくいっていて、すごいものだな、と思いました。いや、見るほうは感心するだけですみますが、現場は艱難辛苦の、どこまで続く泥濘ぞ、だったのかもしれません。ほんとうに、矛盾する二つの被写体をよくもまあきれいに同じショットに収めたものです。それが全編にわたってつづくのだから、いやもう、現場の苦労を想像すると、こちらまでつらくなってくるほどです。

◆ トントントンカラリっと ◆◆
前回は挿入曲のひとつ、李香蘭(山口淑子)の「夜来香」をとりあげましたが、今回はスコアから一曲。メインタイトルです。

サンプル 『暁の追跡』メイン・タイトル

『暁の追跡』の音楽監督である飯田信夫は、わたしが知っているものとしてはほかに『秀子の車掌さん』『鶴八鶴次郎』『雪崩』といった成瀬巳喜男作品でもスコアを書いています。

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飯田信夫作でもっと人口に膾炙した曲は「トントントンカラリっと、隣組」という徳山璉の「隣組」でしょう。戦時下の生活をすごした方たちにとっては不快かもしれませんが、わたしは戦後生まれなので、この歌が好きです。歌謡曲史上もっともキャッチなーメロディーと歌詞の組み合わせではないでしょうか。一度聴いただけで覚えてしまいます。

隣組(部分)


もう一回だけ延長して、『暁の追跡』のクライマクスのロケ・シークェンスを見ることにします。


暁の追跡 [DVD]
暁の追跡 [DVD]
by songsf4s | 2010-03-06 23:53 | 映画・TV音楽
夜来香(日本語ヴァージョン) by 李香蘭(新東宝映画『暁の追跡』より その1)
タイトル
夜来香
アーティスト
李香蘭
ライター
黎錦光、佐伯孝夫(追加日本語詞)
収録アルバム
N/A(『暁の追跡』OST)
リリース年
1950年(日本語ヴァージョン)
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前回の『浮雲』その2でふれた中古智美術監督は、シベリア抑留から解放されて帰国してみたら、東宝はかの大争議のさなかだったそうです。どうやらそのおかげのようですが、新東宝で数本の仕事をして、そのなかに市川崑監督、池部良主演の『暁の追跡』がありました。

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たったそれだけの縁で、『暁の追跡』を見てみました。市川崑の大ファンというわけでもないので、それほど期待していなかったせいもあるのですが、この映画にはちょっと驚きました。『暁の追跡』を特筆大書で紹介した文章というのは見たことがなく、市川崑修行時代のエチュードてなあたりか、ぐらいの軽い気持で見てしまったのです。

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◆ ストーリーテリングを阻害する議論 ◆◆
池部良は新橋駅前交番に勤務する警邏巡査、その班長が水島道太郎、同僚に田崎潤と伊藤雄之助がいます。

夏の払暁、水島道太郎が、路上で不審な取引をしていた男を交番に連行し、自分の傷の手当てのために、池部良にその男をあずけます。たまたま長時間勤務で注意散漫になっていた池部良は、一瞬の隙に、その男に逃げられ、必死で追跡します。男はガード脇の工事足場を伝って線路に出て逃走するものの、足をとられて転倒し、列車にはねられて死んでしまいます。

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この男は麻薬密売組織の末端だったことがわかり、菅井一郎を主任としたチームがこの組織を追い詰め、壊滅させるというのが骨組で、警邏警官にすぎない池部良は、ちょっとした偶然から、この事件に深くかかわることになります。

プロットとしてはそんなところで、とくに目を見張るようなものではありません。水島道太郎が組織論を振りかざし、池部良がヒューマニズムの側に立ち、むやみに生硬な議論をくりかえす新藤兼人脚本にはおおいにめげます。新藤兼人の映画が面白いと思ったことが生涯にただ一度もない人間の偏見かもしれませんが、でも、そりが合わないというのはどうにもなりません。

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鈴木清順が『けんかえれじい』のとき、新藤兼人の脚本をずたずたにしてしまったという逸話を読み(新藤は完成試写を見て怒り狂ったとか)、さもありなん、鈴木清順と新藤兼人では水と油だ、清順があんな青臭い人間の書くことを好むはずがない、と思いました。

しかし、脚本はどこまでいっても脚本、それですむならだれもキャメラを廻したりはしません。いや、脚本に足をとられて沈没するのが大部分の映画の運命なのですが、ときには、脚本とは無関係に、勝手にどこかに飛んでいく映画もあります。『暁の追跡』は、脚本が意図したろくでもない「意味」のレベルを超えたところで面白い映画でした。

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◆ ロケーション撮影 ◆◆
中古智美術監督は、『成瀬巳喜男の設計』のなかで自身のキャリアにふれ、『暁の追跡』については、「市川さんの将来がよく出ている」と短くコメントするにとどめていますが、じっさいに見ると、なるほど、そういう感じだ、と納得がいきます。画角の取り方に精彩があり、それがこの映画の最大の魅力になっているのです。

タイトルが終わって話に入った瞬間からの1分ほどに、この若い監督の野心が刻み込まれています。以下、タイトル直後のショットからはじめて、カットごとに最低でも一葉のキャプチャーをとってみました。

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ファースト・ショット。新橋-有楽町間の風景。手前に見えるビルにご注目。その手前に高架の線路がある。

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上述のビルを反対側から捉えている。

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キャメラはこのビルの3階の一室とそのなかの人物を捉える。

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さらにもうひとりの人物を捉える。ふつうなら、こういうシーンはセットで撮影し、背景はミニチュアと書割の組み合わせだろう。しかし、この映画は徹底したロケーション主義を貫いている。

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人物が頭を下げた瞬間、窓の向こうを電車が通過して、ロケであることを証明する。

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そのビルの前を警邏中の池部良巡査が通る。

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このビルを折り返し点にして、角を回って逆方向に歩み始める。

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この家並みの捉え方に軽いショックを覚えた。手前のバラック建築のたたずまいもすばらしいし、キャメラ位置が卓抜で、なんともいえない質感と量感をたたえた絵になっている。

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池部良は警邏を終わり、新橋駅前に戻る。この旧駅舎にもちょっと驚いた。いつまであったものか知らないが、まったく記憶にない。

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駅前交番に戻った。


ショットの選択や電車の通過を利用したスムーズな編集にも感心しましたが、なんといっても、バラック建築の捉え方がすばらしいシークェンスです。家並みをこのように捉えた映画というのは記憶がありません(しいていうと、規模は異なるし、ロケではなくオープン・セットだが、『天井桟敷の人々』をいくぶん想起させる)。いや、いいなあ、と思うだけで、そのよさのよってきたるところをうまく言語化できないのですが。

◆ 挿入曲 ◆◆
新橋駅前派出所のようすはしばしば描写されるのですが、近所の商店ないしは飲食店から流れてくるのか、たいていはなにか流行歌が聞こえてきます。そのほとんどの曲がわからないのですが、夜更けになって流れるこの曲だけはわかりました。

李香蘭 夜来香 日本録音


李香蘭の「夜来香」のオリジナルは戦中の上海録音で、サウンドの出来については、そのオリジナルのほうがずっと上です。『暁の追跡』に使われているのは、サウンドがドライで奥行きのない日本録音ですが、映画のなかでは台詞や効果音に邪魔されて音が曖昧になり、結果的に盤よりも違和感のない音になっています。上海録音の中国語ヴァージョンに近いサウンドに聞こえるのです。

上海録音の「夜来香」は盤で聴いてのけぞりました。楽曲の構成も、アレンジ、サウンドも、1950年代終わりのアメリカにもっていき、たとえばコニー・フランシスが歌ってもまったく違和感がないであろうものなのです。ときおり、時代を間違えたような曲というのがありますが、「夜来香」もタイム・トラヴェラーがつくったのかと思うほど、未来のポップ・ミュージックを予言する音になっています。

夜来香 上海録音


これが太平洋戦争中のアレンジ、サウンドに聞こえますか? わたしだったら時代測定を20年ほど間違えると思います。

「夜来香」(イエライシャンと発音する)がどういう植物かについては、「花300」の夜来香ページを参照ありたし。

もう一回、『暁の追跡』のロケーション撮影を観察する予定です。
by songsf4s | 2010-02-26 23:48 | 映画・TV音楽