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ニック・デカロのItalian Graffitiのオリジナル1 Under the Jamaican Moon

12月12日は小津安二郎の誕生日にして命日でした。還暦の誕生日に息を引き取る人というのは、そうはいないでしょう。1212なんていう数字の並びも、いかにも小津らしく整然とし、端正です。

といって、べつに小津関連の企画を用意していたわけではありません。今年の秋は小津のカラー三部作を一気にやろうか、なんて思わなくもなかったのですが、それだけの元気はありませんでした。

でも、せっかくだから、ちょいとサンプルなどいってみましょうか。小津ファン以外は聴かないほうがいいと思いますが、インタヴューと『秋日和』のほんのささやかなダイジェスト。それでもランニング・タイムは11分を超えます。

サンプル 小津安二郎『秋日和』オーディオ・ダイジェスト

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ざっと説明しておきます。冒頭は小津安二郎監督の謦咳。つぎの女性は岡田茉莉子です。『秋日和』の岡田茉莉子はじつにけっこうでした。彼女が「父」といっているのは俳優の岡田時彦、戦前の小津映画の常連でした。その縁から小津は岡田茉莉子をかわいがったようです。背後で流れている曲は斎藤高順による『秋日和』のテーマ。

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その先は映画からのダイジェストです。まず、法事のあとの精進落とし、柳橋あたりの料亭の場面です。登場するのは原節子、司葉子、佐分利信、中村伸郎、北竜二の五人です。

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『秋日和』より、柳橋あたりの料亭の場面。左から司葉子、原節子、北竜二、佐分利信、中村伸郎。

「そりゃいかんな」ではじまるのは、ラーメン屋で佐田啓二と司葉子が話す場面。なんだかむやみに奥行きのないバーカウンターみたいなテーブルが不思議で、気になって気になって落ち着かなくなるシーンです。

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ノックの音、「はい、どなた?」の返事ではじまるのは、原節子、司葉子の親子が住むアパートに岡田茉莉子がおとずれたところです。

最後はもう終盤、司葉子が佐田啓二と結婚する前に、親子で旅をするのですが(『秋日和』は『晩春』のリメイクみたいなものなので、これは『晩春』の京都旅行にあたる)、これは、エーと、中禅寺湖、いや、榛名湖かな、湖のそばの茶屋で氷かなにか食べる場面だったと思います。ちょっと記憶あやうし。

原節子が「なんかかんか買ってきて」というのを聴いていて、「なんかかんか」という言葉を最近、耳にしていないことに気づきました。「なにやかにや」のほうがまだ使われているような気がします。「なんかかんか」はたぶん関東でしか使わない言葉なのでしょう。

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音だけにしてみると、小津安二郎と野田高梧の書く台詞の美しさがいっそう際立ち、思わず暗誦してしまったりします。そういう映画脚本というのは、そうたくさんはないでしょう。

◆ ニック・デカロ盤 ◆◆
カーティス・メイフィールド・ソングブックに予定していたあと2曲は、It's All RightとFor Your Precious Loveですが、やるにしても、いずれ後日ということにします。It's All Rightは二種類しかなくて簡単なので、時間がなくて焦っているときにでもやるかもしれません。

For Your Precious Loveは、ジェリー・バトラー、インプレッションズ、カーティス・メイフィールドのいずれにとっても代表作でしょう。でも、わたしは、この曲はつねに「歴史のお勉強」と思って聴いてきただけで、いいと思ったことはありません。そのわりにはヴァージョン数がむやみにあって、たぶん永遠にペンディングとなるでしょう。

ということで、move on drifter, drifter move on、てな感じで、つぎの企画に移ります。カヴァーとオリジナルというのは昔からよくやっているゲームだから楽でして、また同工異曲です。またしてもR&Bカヴァー&オリジナルをやろうかと思ったのですが、ポップ系で一拍入れてから、そのあとでやることにしました。

ということで、タイトルに書いたとおり、ニック・デカロ(デカーロ)のItalian Graffitiを箸休めにします。とくに乱さなければならない理由はないので、LPの曲順にしたがってオリジナルを検討していくことにします。

それではアルバム・オープナー、Under the Jamaican Moonです。オリジナルに重心をおくので、ニック・デカロ盤については、クリップがあればそれを使うことにして、サンプルはアップしません。

ニック・デカロ Under the Jamaican Moon


さすがにオープナーにするだけあって、Italian Graffitiというアルバムでもっともうまくいったトラックだと感じます。ベーシック、ストリングスともにアレンジはけっこうですし、プレイヤーもみなきちんとやっています。

しかし、パフォーマーが気にするのはヴォーカルでしょう。とくに、ニック・デカーロのような素人の場合、ほかのことはともかく、歌のどこかにひどく気に入らないところがあったりすれば、オープナーにしないのが人間の心理です。

レンディション以前に、Under the Jamaican Moonは、ヴォーカル・アレンジの段階で成功していると感じます。ヴァースはストレートに歌っているようで、なにかしたとしても、ビートルズのいうADR、フランジングで声を厚くしているだけでしょう(カレン・カーペンターは異常に強くフランジングをかけて分厚くしている。あれが地声だと思ったら大間違いのコンコンチキ。機械がつくったロボット声)。

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ニック・デカーロの歌は素人丸出し、あまりうまくありません。彼はそのことをよく承知していたはずで(まあ、シェリー・ファブレイよりはうまいが!)、その弱点をどう補うかをつねに考えていたにちがいありません。結局、それがこのアルバムの仕上がりのよさにつながったと思います。素顔はちょっと見られないけれど、化粧と着こなしのうまい人工美人LP。

ファースト・コーラス(But under the Jamaican moon/Everything's dim from view/Now you, now you can play the fool)に入ると、ダブル・トラックを使っていることがわかります。これがじつに微妙で、ひょっとしたら、ヴァースからずっとダブル・トラックだったのが、あまりにも薄い重ね方でそれと認識できず、コーラスではズレたところがあるために、コーラスだけダブル・トラックを使っていると感じるにすぎないのではないか、という疑問が湧くほどです。ほんとうに、どちらとも判断しかねます。

セカンド・コーラスもダブル・トラックに思えますが、ここではさらにハーモニーも加え、変化を持たせています。サード以降のコーラスも、セカンドをほぼ踏襲して、now youにアクセントをつけています。ずっとハーモニーをつけるわけではないし、メロディー・ラインとは関係のないウーアー・コーラスでもないこのヴォーカル・アレンジは、なかなか繊細で、この曲のグッド・フィーリンに大きく寄与しています。

◆ スティーヴン・ビショップ盤 ◆◆
オリジナルはスティーヴン・ビショップなのか、リア・カンケルなのか知りませんが、うちにあるのはビショップ・ヴァージョンのみなので、こちらをサンプルにします。

サンプル Stephen Bishop "Under the Jamaican Moon"

微妙なところなのですが、バランシング、ミックス・ダウン、マスタリングからいうと、わたしはこちらの音のほうを好ましく感じます。楽器編成面からいっても、スタンダップ・ベースとギター・コードが重なったサウンドが気持よく、南国の夏の夜のムードが横溢しています。

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ただ、スティーヴン・ビショップというシンガーの声とシンギング・スタイルが好きか、となると、これがどちらかというと不得手なタイプ、はっきりいって、アルバムを集めようなどとは絶対に思いません。

わたしは清く正しい健全ロックンロール小僧なので、退廃ムードとかアンニュイななんとかといったたぐいは受けつけず、こういう「おまえは無脊椎動物か」みたいな歌を聴いていると、尻がむずむずしてきます。サウンドは好ましい、歌は好ましくない、ピリオド。

リア・カンケルのヴァージョンはYouTubeにあります。わたしの好みからいうと、プレイ、アレンジ、サウンド、そろいもそろって大タワケの問題外、論外、歌は関心外、聴くべきところなし、よって貼り付けず、各自、自助努力されよ。なんでこんなものを聴かなきゃならんのだと大立腹です。

以上、どちらがいいとは決められず、いいとこどりができるなら、ニック・デカーロのヴォーカル・アレンジで、だれか声のいいシンガーが歌い、バックトラックはスティーヴン・ビショップのものを使う、というあたりでしょうか。まあ、どちらのヴァージョンもグッド・フィーリンがあるので、両方楽しめばいいだけのこと、そんなキメラを作る必要はありませんが。


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by songsf4s | 2010-12-12 23:58
善人なおもて往生す、況や悪役をや――日活ギャングと小津安二郎

前回に引きつづき、今日もこぼれ話のようなものをひとつ。外題のとおり、小津安二郎の映画に出演した日活アクションの悪役俳優たちのことです。いや、正確には順序が逆ですが、そのあたりは後述するとして、まずはいくつかスクリーン・ショットをどうぞ。


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菅井一郎。『麦秋』(1951年)より。左は東山千栄子、背後は神宮の絵画館。

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二本柳寛と原節子。『麦秋』(1951年)より。北鎌倉駅上りプラットフォームの東京寄りの端あたり。

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三島雅夫と原節子。『晩春』(1949年)より。


いったいどういうことなのでしょうか、と決まり文句をいうまでもなく、まったくの偶然にすぎないのでしょうが、後年、日活アクションでギャングのボスを演じることになる俳優たちが、小津映画にはひしめいているのです。

日本最古のスタジオでありながら、戦時の統合のために製作を中止し、戦後も配給のみをおこなっていた日活は、1954(昭和29)年になって製作を再開するにあたって、各社からスタッフや俳優を引き抜きます。たとえば、松竹の助監督だった鈴木清順(このときはまだ本名の清太郎)は、監督昇格とサラリー三倍増の約束で日活に移ったと云っています。

そういう線で考えたくなるのですが、でも結局、松竹だから、日活だから、ということも、まったく関係なさそうです。三島雅夫はフリーだったし、安部徹も松竹の専属ではあったものの、その後はフリーで、日活アクションで悪役を山ほどやった時期も、日活専属ではなかったようです。二本柳寛についてはくわしいことはわからないのですが、やはり日活専属ではなかったと思われます。

そもそも、安部徹と二本柳寛の二人は、「日活アクションで活躍した悪役俳優」と呼んでかまわないでしょうが、三島雅夫や菅井一郎をそう呼んでいいかどうかは微妙なところです。二人とも、数本の日活アクションに出演しただけですし、とくに菅井一郎は悪役は多くなかったと思います。

でもまあ、まったくやらなかったわけではないから、ウソではありません。すこし細かく見てみます。

◆ 揃い踏みの『東京物語』 ◆◆
三島雅夫の悪役としては、野口博志監督、赤木圭一郎主演の『海の情事に賭けろ』をすぐさまあげることができますが、ほかにはとりあえず具体的作品名が出てきません。いやまあ、日活アクションは、ひとつの巨大な映画のように、頭のなかで溶けてしまっているので、しばしば分離がむずかしくなってしまうのですが。

菅井一郎は、当家で取り上げた映画では悪役はなく、医者(『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』)と刑事(『暁の追跡』、いや、これは日活ではないが)だけです。

それでもなお、やはり子どものころに見た映画の印象は強く、そして、善人役よりも悪役のほうが印象に残りやすくもあるので、三島雅夫も、菅井一郎も、悪役のような印象を持っていました。

小津安二郎の映画をまとめて見たのは三十代なかばのことです。最初は『晩春』でした。三島雅夫が大学教授役で出てきたので、へえ、と思いました。

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以上は三島雅夫。『晩春』(1949年)より。この竜安寺石庭のシーンを演じた俳優たちは、ほかになにもしなかったとしても、俳優であったことを誇りに思えるだろう。三島雅夫と笠智衆。


つぎは『東京物語』です。

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大坂志郎。『東京物語』(1953年)より。「まったく、いま死なれたらかないませんわ。親孝行、したいときに親はなし、さりとて墓に布団は着せられず、ですわ」

大坂志郎は笠智衆・東山千栄子夫婦の三男の役で、大阪の鉄道に勤めているという設定です。大坂志郎も、菅井一郎と同じく、日活映画では悪役と決まったわけではなく、しばしば善良な人物も演じていますし、すぐにはこの俳優が悪人を演じた具体的な作品名をあげることができません。

いま、心当たりを探してプロットを拾い読みし、松尾昭典監督、石原裕次郎主演『泣かせるぜ』で悪役を演じたことが確認しましたが、とんでもない悪人というわけではなく、保険金詐欺を仕組む貨物船の船長です。ギャングの親玉ないしは黒幕のような役も記憶しているのですが……。

すっかり失念していましたが、『東京物語』には、後年の日活アクションを支えた俳優がもうひとり出ていたことに、昨日、気づきました。

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安部徹と大坂志郎(向こうむき)。『東京物語』(1953年)より。二人のギャングがよからぬ相談をしているわけではなく、二人の鉄道員が親というものについて語り合っている。

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ほんの1シーンだけですし、しばらく見ていなかったので、すっかり失念していました。最近、なにかの記事で、安部徹の善人役というのを見てみたいなどと書きましたが、すでに見ていたのに忘れていただけでした!

また、先日見た木下恵介の映画にも、若き日の安部徹が三宅邦子の夫の役で、ほんの数ショットですが、子どもを抱いて善良そうな笑顔を見せていました。当時はなんでもないショットだったにちがいありませんが、いま見ると、あの安部徹がねえ、という感慨があるから時の流れというのはおかしなものです。

その次に見た小津映画は『麦秋』でした。以前にも書きましたが、開巻間もない北鎌倉駅のプラットフォームで、原節子に挨拶し、「『チボー家の人びと』面白いですね」なんていうので、思わず大笑いしてしまいました。演出者も演技者も笑いを意図していない場面なのに、後年の勝手な印象で笑ってしまい、どうも失礼しました!

しかし、『麦秋』の二本柳寛は、ややコミカルな役柄で、他のシーンでは、こんどはちゃんと「意図して」笑わせてくれます。

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杉村春子「紀子さん、おまえと結婚してくれるんだってさ。うれしくないのかい。うれしいだろ?」二本柳寛「そりゃうれしいさ……」

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二本柳寛を「日活アクションでギャングのボスを演じた渋い俳優」として記憶しているわたしのような人間にとっては、『麦秋』はじつにもって意外性の塊です。

なお、二本柳寛がギャングを演じた日活アクションとしては、『霧笛が俺を呼んでいる』『拳銃無頼帖 抜き射ちの竜』の二本を当家では取り上げています。

◆ ふだん善人ときどき悪役 ◆◆
やはり「日活の俳優」ではありませんが、数作の日活アクションで悪役を演じた人で、小津映画経験者はまだいます。

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小沢栄太郎。子どもは青木放屁。『長屋紳士録』(1947年)より。

この『長屋紳士録』については、映画そのものではなく、挿入曲についてですが、過去に取り上げています。小沢栄太郎は、飯田蝶子があずかっていた迷子の洟垂れ小僧(青木放屁、すなわち青木富夫の弟)の父親の役で、最後の最後に、ようやく子どもを捜し当て、お礼の申しようもありませんと、飯田蝶子に頭を下げる場面に登場します。

小沢栄太郎がギャングのボスを演じた日活アクションで、すぐに思いだすのは牛原陽一監督、赤木圭一郎主演の『紅の拳銃』です。わたしは『霧笛が俺を呼んでいる』のほうが好きですが、『紅の拳銃』を赤木圭一郎の代表作にあげる人は多いでしょう。

「悪役俳優」ではないし、「日活の俳優」でもありませんが、「日活アクションで悪役を演じた経験がある」ということなら、まだ他にも例があります。ひとりはすでに当家で取り上げた映画でギャングを演じた人です。

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右から北竜二、中村伸郎、佐分利信。『秋日和』より。北竜二は似たような役柄で、『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』という小津晩年のカラー三部作のすべてに出演した。

北竜二(または北龍二)が日活アクションに出演した例は、わたしは『東京流れ者』しか知りませんが、とにかく、一本だけは日活のギャングをやった例があるのです。

つぎはちょっと意外かもしれない例です。

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山茶花究。小津安二郎が東宝で撮った『小早川家の秋』では伏見の造り酒屋の番頭を演じた。

山茶花究が悪役をやった日活アクションというのはめずらしい、というか、わたしは一本しか知りませんし、ご存知ない方も多いだろうと想像します。石原裕次郎と浅丘ルリ子が共演した『夜霧のブルース』(野村孝監督)で、港湾荷役会社の社長を演じ、裕次郎の怨みを飲んだドスで刺し殺されます。

『夜霧のブルース』は、小林正樹の『切腹』のリメイクだそうで、たしかに、裕次郎=ルリ子映画としてはじつに異色な、二人とも無惨な死に方をする話でした。もっとも、石原裕次郎は、一度、死ぬ役をやってみたかったと喜んだそうですが! まあ、どうせ死ぬなら、あれくらい凄絶な最期のほうが演じ甲斐があるでしょうがね。

◆ ヤクザになった原節子の夫 ◆◆
さて、最後にもうひとり(そう、まだあるのです)、これまた悪役、善人役、両刀使いだった人が、小津映画に出ています。

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信欽三。『東京暮色』より。

『東京暮色』というのは変な映画で、わたしはあまり乗れなかったのですが、キャプチャーをしていて、ちょっと再見したくなってきました。信欽三の出番は少ないのですが、役はなんと原節子の夫です。

信欽三の悪役は、当家ではすでに二作をご紹介しています、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』『野獣の青春』で、ともに鈴木清順監督、宍戸錠主演です。

どちらも鈴木清順らしい変な悪役で、とくに『野獣の青春』のヤクザの親分は、悪党といってはちょっと可哀想で、いくぶんかパラノイアックではあるものの、昔気質なだけにすぎないともいえるかもしれません。宍戸錠には騙されるは、子分は云うことをきいてくれないは、最後はカミカゼ突撃するは、散々なことになってしまいます。

小津映画に出た俳優たちのなかに、のちに日活アクションの悪役として活躍した人が数人いたとしても、それがなんだ、といわれれば、どうだというわけではないけれど、ですがね。でも、最初に見たときは、どの映画にも「知り合いのギャング」が出てくるので、なんとも妙な感じがしました。

これで金子信雄がいれば完璧なのですが、そこまでいったら話ができすぎなので、これくらいでちょうどいいところのような気がします。


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by songsf4s | 2010-10-15 23:57 | 映画
「永遠の未亡人」原節子の秋

補足というほどのものではないのですが、『娘・妻・母』を見ながら頭に浮かんだことを少々書きます。

『めし』『娘・妻・母』の、死別の、再婚の、結婚の、といった話を細かく見ているうちに、意識が脇へ流れていきました。

成瀬巳喜男はその代表作のひとつ『妻よ薔薇のやうに』の主演女優・千葉早智子と結婚し、ほど経ずして離別しています。二人のあいだに子どもはなかったようです。

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以上、二葉とも『妻よ薔薇のやうに』のときの千葉早智子。

小津安二郎が生涯独身だったことはよく知られています。おかげで、原節子をはじめ、さまざまな女優が噂の種にされました。周囲の人びとの口が堅いのかもしれませんが、どうやらどれも事実ではなかったようです。小津自身と周囲が認めているのは「小田原の人」(花柳界の女性)だけです。

溝口健二は結婚しましたが、夫人はやがて重い精神疾患を患って入院したきりになってしまいます。溝口自身の「病気」のせいだというのは事実ではない、医学的な証拠があると依田義賢は証言していますが、どうであれ、晩年の溝口健二は非常に不幸だったと伝えられています。また、伝記映画には、(監督としてではなく)田中絹代に惚れ込んでいたという証言も記録されています

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溝口健二と女優たち。『赤線地帯』撮影時のスナップだろう。監督のうしろからのぞき込んでいるのは若尾文子、その隣に立っているのは木暮三千代だろう。さらにその右に立っている女優はあるいは三益愛子か。左端に坐っているのは京マチ子に思われる。三益愛子は、溝口健二の竹馬の友にして、原作や脚本を提供し、またプロデューサーとしても溝口作品にかかわった大映京都撮影所長・川口松太郎の夫人でもあった。

このような話題でご存命の人を俎上に載せるのはいくぶんか気が引けますが、鈴木清順には、エッセイにも何度か登場した夫人がいます。鈴木清順の映画監督としての「空白の十年間」(とその後の歳月も?)を支えたのは、この夫人のようです。ただし、お子さんがいるという話は読んだことがありません。

日本映画界を代表する監督たちの私生活が、いずれも「平均的ではない」のは、たんなる偶然にすぎず、なんの意味もないことなのかもしれません。しかし、なにか意味があるように受け取るのも、また人間としてふつうのことだと思います。

こういう側面を見ると、黒澤明がいちばん「ふつう」だったというのは、ちょっと意外ではあります(若き日に高峰秀子とのあいだを裂かれたという有名なエピソードがあるが)。しかし、よくよく考えると、作り方は尋常ではなかったにせよ、結果としてできあがった作品は、溝口、小津、成瀬、鈴木よりずっと「ストレートな映画」のような気もします。

◆ 生粋の未亡人・原節子 ◆◆
『娘・妻・母』を見ていて、原節子ほど未亡人の似合う女優はちょっといないなあ、と思いました。原節子というと、結婚しなかったために「永遠の処女」というラベルがつきまとっていましたが、わたしは「永遠の未亡人」と云いたくなります。そうなってしまったのには、必然的な理由がありました。

1920年生まれで、デビューが日中戦争のさなかの1935年、二十代前半の娘盛りはぴったり太平洋戦争と重なってしまい、戦後になると、娘役がきびしい年齢になっていました。

だから昭和24年、二十九歳、『晩春』ではじめて小津安二郎の映画に出たとき、「戦争のせいで婚期を逸した娘」になっていたのでしょう(ただし、同年の木下恵介『お嬢さん乾杯!』では没落貴族の令嬢役だった。再見したい映画のひとつ)。

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『お嬢さん乾杯!』はもっていないので、かわりに、ほぼ同じ時期(1947年)、二十七歳の原節子をご覧いただく。吉村公三郎の『安城家の舞踏会』で、原節子はやはり没落華族の令嬢を演じた。右は原節子の兄を演じた森雅之。

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同じく『安城家の舞踏会』より。男優は父の役を演じた滝沢修。

昭和26年の小津安二郎『麦秋』では依然として「嫁き遅れた娘」、しかし昭和28年、三十三歳のときの『東京物語』では、笠智衆、東山千栄子夫妻の戦争で死んだ次男の嫁という役を演じます。このあと、彼女が出演した三本の小津映画のうち二本、『秋日和』と『小早川家の秋』が未亡人役です。もう一本の『東京暮色』では子もあるふつうの妻でしたが。

やはり、原節子=未亡人というイメージは小津安二郎の責任かもしれません。『東京物語』のけなげな未亡人は忘れがたい印象を残しますし、『秋日和』ではいきなり喪服で登場して、かつて彼女に熱を上げた「老童」たち(佐分利信、中村伸郎、北竜二)を落ち着かない気分にさせ、その妻たちを嫉妬させる未亡人を演じていました。

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以上三葉は小津安二郎『東京物語』より。

若い娘であった時期は戦争と重なってしまい、日本映画の全盛期にはもはや娘というにはむずかしい年齢になっていたのが不運でしたが、おかげで『秋日和』の、男たちをそわそわさせる美しい未亡人が誕生したのだから、悪いことばかりでもなかったといえるでしょう。

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小津安二郎『秋日和』より。1960年、原節子四十歳。この二年後に引退する。

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『秋日和』冒頭の法事の場面。左から原節子、司葉子(娘役)、笠智衆(舅役)。

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同じく『秋日和』より、柳橋あたりの料亭の場面。左から司葉子、原節子、北竜二、佐分利信、中村伸郎。この三人は「本郷」の学校の同級生で、若死にしてしまった原節子の旦那の仲間。みな原節子を目当てに彼女の家が営んでいた本郷三丁目の薬局に通った過去をもち、いまだに思し召しなきにしもあらずという設定。この「老童」たちがじつに可笑しい。

原節子=未亡人のイメージは、現実の彼女が生涯結婚しなかったことと重なっています。プライヴェートな生活に興味があるわけではないのですが、彼女の未亡人役を見ていると、行こうと思えばすぐに行かれる場所で隠遁生活を送っている、(きっと)上品な老婦人のことを、どうしても思い浮かべてしまいます。

そろそろ鎌倉山は秋景色が濃くなりはじめているかもしれません。1920年生まれというのが正しければ、原節子は九十歳になったことになります。


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娘・妻・母 [DVD]
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by songsf4s | 2010-10-14 22:13
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その4(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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当家では小津安二郎の『長屋紳士録』の話の始末がつけられず、散歩ブログでは「隣の猫町」が宙ぶらりん、黄金光音堂ではレス・ポール追悼が中途半端、これだけ遊んでいる糸があると、あっちこっちで「お祭り」になって、収拾がつかなくなります。

そもそも、いまはレス・ポールの追悼で忙しいからと、本来ならきちんと書かなければいけないラリー・ネクテルのことは、過去の記事をご参照願うだけでそそくさと焼香をすませてしまったため、香典を出し忘れたような恥ずかしさがあります。

まだあるんです。これは手をつけていないのだから、なかったことにしてもいいのですが、ほんとうは、黄金光音堂は60年代ビキニ・ムーヴィー大特集に突入の予定で、準備万端整え、すでにMustle Beach Partyは途中まで見ていたのです。『パーム・スプリングの週末』だってちゃんとあるし、サントラ盤もそれなりに準備できていたのです。

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ところが、そこにレス・ポール死すの知らせがあり、ああ、やんぬるかな、てえんで、用意したパーティーのごちそうと飲み物はみな捨てるハメになったのです。そういうことがあると、明智光秀だって謀反を決意しちゃうわけで、このところ、抑鬱状態なのでありますな(武田滅亡後、信長は家康を安土に招いて大饗宴を開くことになり、その接待役を仰せつかったのが光秀。ところが光秀は信長の勘気にふれて接待役解任、不要になったパーティーのごちそうを腹立ちまぎれに壕に捨て、それが腐ってまた信長が激怒、で、その数日後に本能寺の変という順序)。

かがり結びをしておかないと、糸がほつれるので、First-in First-outでいくことにしました。中途半端になっているものを先に片づけ、しかるのちに、to-dosリストに手をつけます。したがって、本日は『長屋紳士録』の最終回です。日暮れて道なお遠しですが、万歩計をポケットに一歩一歩あるきます。

◆ 「いつものでよろしく」 ◆◆
伊藤宜二だったか、斉藤高順〔たかのぶ〕だったか、小津映画のレギュラー作曲家がいっていましたが、こんどはどうしますか、ときくと、小津は「いつものでよろしく」といったそうです。事前の注文はとくになかったというのです。

こういうのはいろいろ解釈ができます。お前はプロなのだから、ちゃんと仕事をすると信じている、というのがひとつ。「溝口タイプ」と呼びましょうかね。

依田義賢がいっていたのだと思いますが、「どう書き直しましょうか?」とお伺いをたてると、溝口健二は、「脚本家はあなたでしょう。あなたが考えなさい」としかいわなかったそうです。すべてこの調子で、各人が全力を尽くせばそれでよろしい、細かいことは担当の人間の領分である、自分は監督なのだから、取捨選択をするだけだ、というわけです。思うに、宮川一夫があれだけの仕事をできた背景には、こうした溝口の考え方があったにちがいありません。

ただ、小津の場合、溝口とは大きく異なるニュアンスを感じます。戦後の小津映画のほとんどを撮った厚田雄春は、自分は「キャメラマン」ではなく、「キャメラ番」だと繰り返しいっています。小津の望むとおりの絵を、小津の望むとおりのやり方でフィルムに定着しただけであって、自分が絵をつくったことはない、というのです。もちろん謙遜ですが、でも、川又昂の回想などを読むと、たしかに、小津がファインダーをのぞいている時間は長かったようです。

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画角を調整し、小道具の位置を直し、ライトを変えては、そのたびに小津がファインダーをのぞき、よし、とお許しが出て、やっとフィルムがまわったといいます。これは溝口とは正反対の行き方です。小津は撮影部で修行を積んでから監督部に移ったそうですが、そういうこととは無関係に、自分のつくるもののすべてをコントロールしたがるタイプだったと思われます。

そういう人が、音楽だけは「いつものでよろしく」というのは、どういうことなのでしょうか。ふつうに考えれば、もっとも蓋然性が高いのは、「音楽のことはわからなかった」です。そうなのかもしれませんが、いまは結論をあずけて、先に進みます。

◆ 黒澤明と作曲家 ◆◆
小津と同じように、すべてを自分でやりたがる黒澤明は、音楽についてもものすごくうるさく、はじめから絵と音をセットで考えていたことは、さまざまな本に記録されています。スタンリー・キューブリックによく似ていて(『2001年宇宙の旅』その1およびその2をご参照あれ)、黒澤も既存のクラシック・ミュージックを填めこんでフィルムをつないでいったそうです。

f0147840_23563933.jpg黒澤映画の音楽というと、まずなんといっても早坂文雄、その弟子である佐藤勝、佐藤の相弟子のような位置にあった武満徹、という三人が思い浮かびます。このあいだ、図書館で借りてきた野上照代『天気待ち 監督・黒澤明とともに』には、この三人がそれぞれに黒澤とぶつかったときの様子が描かれています。

もっとも穏やかで、ほとんど衝突しなかった(つまり、つねに一歩譲ったということだろう)早坂文雄ですら、悄然としてしまったことがあるほどで、武満徹は黒澤の批判に怒り心頭に発し、無言でスタジオを去ったことがあるそうですし、佐藤勝にいたっては、『影武者』のときに静かに身を引き、以後、黒澤映画にかかわることはなかったといいます。

それもこれも、すべては「音楽のわかる映画監督」という、それだけですでにしてこの世で最悪の人格結合に、さらに「天皇」などといわれるほどの巨大なエゴが融合し(いや、黒澤の理解者は、あれはエゴなんかではない、映画作りの本旨に忠実なだけだというし、黒澤自身も、我を通しているのではない、という趣旨の発言をしているが)、キングギドラ並みの破壊力をもったことに由来するのです。

まあ、しかたないですねえ。我慢するか、ケンカするか、それはその場の成り行きでしょう。いろいろあっても、佐藤勝だって印象深い音楽をたくさん残していますし、武満徹も、あのときは謝罪して仕事に戻ってよかったと、あとで振り返ったのではないでしょうか。複数の人間がものをつくるというのは、程度の差こそあれ、エゴの衝突の集積以外のなにものでもありません。

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◆ 実景つなぎ用キュー ◆◆
いや、小津安二郎と音楽の話だったのに、黒澤明に飛んでしまいました。

黒澤明は音楽が好きで、いろいろなものを聴いていたそうですが、小津安二郎にはそういう形跡はありません。黒澤映画にくらべて、小津映画は音楽が退屈だという評者もいます。わたしも、そうかもしれないなあと、なかばそういう意見に傾いていました。いや、『晩春』のテーマのように、すごく好きな曲もあるのですが、音楽の比重は比較的小さいと考えるようになったのです。

しかし、とくに『彼岸花』以降の晩年のカラー作品にはっきりとあらわれることですが、例の「実景による場面転換」の音楽にある傾向が見られるようになります。

いや、そのまえに、これまでの記事で書いてきた、「実景による場面転換」のことを繰り返しておきます。『長屋紳士録』その2で書いたように、小津安二郎は、ディゾルブやワイプのようなつなぎの技法は使わず、場面転換の際には、実景(人のいない風景などのショット)を三つ四つ積み重ねました。前記記事に『秋日和』冒頭のショットのつなぎを書いておいたので、そちらをご覧あれ。

で、このような実景による場面転換を、『晩春』以降、小津の編集助手をつとめた浦岡敬一は「場面転換にはオーバー・ラップなどの編集技法を使わずに、実景を三つ四つほど重ねて、音楽をブリッジする」と表現しています。「音楽をブリッジする」という表現を正確に解釈できませんが、この数ショットにわたって同じ音楽が流れていること、ショットを音楽で串刺しにすることをいっているのだろうと想像します。

その実景のつなぎの音楽を聴いていて、ああ、そうか、と思いました。しばしば、速めのテンポの2ビート系の軽快な音楽が使われているのです。斉藤高順は試行錯誤の結果、小津の好みはここにある、と突き止めたのではないでしょうか。

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『東京暮色』記念写真。後列左から3人目が斉藤高順。

この2ビートというのは、いわば黒澤の対極なのです。2も4も8も、黒澤のスコアはあまりビートには縁がなく(縁があるところはきわめて印象的で、『天国と地獄』や『野良犬』をいずれとりあげたいと思う所以である)、どちらかというと、複雑かつ高踏的音楽が主になっています。

それに対して、小津映画の音楽、とくに実景によるつなぎのショットには、きわめてシンプルな、まるで唱歌のようなものが使われているのです。そして、それはしばしば2ビート系だということは、注目していいことではないでしょうか。

◆ メロディー対ビート ◆◆
「注目」で逃げるのもなんなので、当てずっぽうを書いておきます。小津はメロディーよりもリズムに強く反応した、2ビートの実景用キューを提示したとき、斉藤高順は小津の反応を観察し、これだ、と確信を得た……以上がわたしの当たるも八卦当たらぬも八卦の世紀の大臆測であります。小津は唱歌のようなメロディーを愛したわけではない、はじめからメロディーに関心はなかった、そうではなく、オン、オフ、オン、オフ、という明快なビートを愛したのだ……というあたりではないでしょうかねえ。

たいした根拠はないのですが、多くの映画監督、いや、そればかりでなく、観客の大多数も、映画をシンフォニックなものととらえているような気がします。黒澤明は、そういう映画人の代表ではないでしょうか。黒澤映画はメロディックであり、山あり谷ありのカラフルなドラマです。

それに対して小津安二郎は、映画をロックンロールないしはファンク・ミュージックのようにとらえていたのだと思います。もっとも重要なのは、メロディーではなくビートであり、オン、オフ、オン、オフ、という心臓の鼓動のような、ステディー・ビートの確かな手応えを妨げる、カラフルでメロディックな要素は、すべて排除していった結果、ああいうスタイルが確立されたのだとわたしは考えています。


by songsf4s | 2009-08-29 23:58 | 映画・TV音楽
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その3(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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前回引用した、編集者の浦岡敬一による小津映画に関する分析を繰り返しておきます。お読みになった方ももうお忘れでしょうし、はじめての方も前の記事に戻るのは面倒でしょうから。

「その実景の秒数は、七フィート、ジャスト。一コマたりとも違わない。しかも、ダイアローグ・カット、つまり、会話の部分はすべて台詞尻十コマ、頭六コマで切れている。これはどういうことかというと、Aの人物が話し終わって十コマ間があき、つぎの人物が話すまでに六コマの間があくということなんです。その間はつねに十六コマ、つまり三分の二秒、間があくということです」

本日はおもにこの後半、「ダイアローグ・カット」についてです。しちくどくなりますが、浦岡敬一の言葉を噛みくだいて書き直しておきます。

小津映画ではおなじみの二人の人物の会話を、切り返してみせるパターンに、この「台詞尻十コマ、頭六コマ」のリズムが明白にあらわれます。

たとえば、こんなぐあいです。

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佐分利信が話し終わってから十コマのあいだこのショットがつづく。

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原節子のショットに切り替わっても、台詞がはじまるまでに六コマ進む。

「台詞尻十コマ」というのは、佐分利信の台詞が終わってから、そのショットのまま十コマ分いく、という意味です。「頭六コマ」というのは、つぎの原節子のショットに切り替わってから、台詞がはじまるまでの無音が六コマつづく、という意味です。だから、佐分利信の台詞の最後と、原節子の台詞のはじまりとのあいだに、合計で十六コマ=三分の二秒間の無音部分がある、ということになります。

この点をご理解いただいたものとして、話をつづけます。

◆ 会話のグルーヴ ◆◆
驚くべきは、浦岡敬一の分析では、小津はどんな場面でもこの三分の二秒間の無音を貫いたということです。もちろんわれわれは、十六コマ、三分の二秒間というものを、感覚で正確に計測することはできません。

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浦岡敬一

でも、浦岡敬一もいうように、これが何度も何度も繰り返されると、そこに一定のリズムがあることを、無意識のうちに、自然に感じるものです。音楽を聴いていて、ドラマーのうまい下手はわからなくても、全体のグルーヴを無意識のうちに感じ、この音楽は気分がいい、とか、なんだかギクシャクしていて気持ちが悪い、といったことを判断できるのと同じです。

この「小津の十六コマ」は昭和24年の『晩春』で確立されたのだと思います。浦岡敬一も、すでに脚本作りの段階から、このリズムははじまっている、だから、これだけを模倣しても「小津調」にはならない、と指摘しているからです。つまり、戦後、小津が野田高梧とはじめて組んで、シナリオを書きはじめた『晩春』から、あのスタイルが登場するのだと考えていいことになります。

◆ 言葉のステディー・ビート ◆◆
小津安二郎と野田高梧が書く会話は、まだ俳優の口にのらない文字だけの段階で、すでにステディー・ビートの感覚をもっています。『晩春』の竜安寺石庭のシークェンス、笠智衆と三島雅夫の対話を引用します。

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三島「しかし、よく紀ちゃん遣る気になったねえ」
笠「(ほとんど聞こえないほどの低声で)うん」
三島「あの子ならきっといい奥さんになるよ」
笠「うん……もつんなら、やっぱり男の子だよ。女の子はつまらんよ。……(鳥のさえずり)……せっかく育てると嫁にやるんだから」
三島「うん……」
笠「行かなきゃ行かないで心配だし、いざゆくとなると、やっぱりなんだかつまらないよ」
三島「そらあしようがないさ。われわれだって育ったのを貰ったんだから」
笠「そりゃあまあそうだ」
二人「はっはっはは」

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映画の台詞にかぎらず、書き言葉までふくめて、日本語のリズムを決定する大きな要素は語尾です。二人の人物の対話においては、語尾がよりいっそう重要になります。有能なフィクションの作り手はみな語尾に神経をすり減らしているにちがいありません。

◆ 精密な言葉のリズム ◆◆
『小津安二郎と茅ヶ崎館』に書かれていたことですが、著者・石坂昌三は、大船撮影所の廊下で電話をかけている小津安二郎を目撃したことがあるそうです。そのとき、小津はなにをいっていたか? じっさいに俳優にいわせてみたら、あの台詞の語尾の「よ」がどうしてもうまくいかないので、削らせていただきました、と謝っていたのだそうです。

これだけで、電話の相手は野田高梧とわかります。二人で半年以上もかけて細部まで固めていったシナリオですが、いざ人間の口に乗れば、やはりリズムが悪く聞こえることはあるでしょう。俳優も人間なので、ミュージシャン同様、それぞれ固有のセンス・オヴ・タイムをかならずもっています。そのタイムと台詞が合わなければ、ぎこちなく響くにちがいありません。それで、小津は共作者の野田高梧に相談しないまま、その場で決断を下し、撮影を終えたあとで、急いで事後承諾を願う電話をかけたのだと考えられます。

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左から笠智衆、野田高梧、里見弴、小津安二郎。キャプションに「『晩春』のころ」とあって、素の笠智衆が若いのに驚く。

これはなにを示しているのでしょうか? 語尾の「よ」「わ」「だ」「だね」「なあ」といった、一見ささいな言葉であっても、無意識におかれたものはひとつもないということです。すべてはリズムを配慮したうえで、マティーニのオリーヴのように慎重に配置されたものだったのです。

こうしてシナリオの段階から全体のリズムと合致する形で組み上げられていった言葉の伽藍は、三分の二秒という厳密な間をとって配置されていき、こうしたすべてが映画のグルーヴを形成したのです。

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これが戦後小津映画の核心、あのスタイル(大文字かつイタリックで、「ザ・スタイル」というべきだが)を形成したものの正体です。小津安二郎は、映画史上もっとも「フィルムのグルーヴ」を重視した映画監督だったのです。

ロックンロールが誕生する以前に、小津はフィルムを使って「完璧にステディーなビート」をつくりだしました。わたしが小津を愛する理由は、彼のすばらしいビート、ジム・ゴードンのドラミングを聴いているのと同質の感動を得られる、卓越したグルーヴに尽きます。

どうも、相手が小津安二郎ともなると、むやみに時間がかかるは、神経は磨りへらすは、なかなか話が進みません。もうひとつ書こうと思っていたこと、「メロディー対ビート」という話題にたどり着けなかったので、この項はさらにもう一回延長させていただきます。
by songsf4s | 2009-08-21 23:49 | 映画・TV音楽
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その2(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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HDDのクラッシュと、レス・ポールの死という、二つの意外事のおかげで、ただでさえ目がまわるほど忙しいのに、なにを書いているのかわからないような目まぐるしさになってしまいました。

三つの玉でジャグリングするぐらいならなんとかなるのですが、皆様に見えているところだけでも四つ(当家と、右側にリンクを張ってある他の三つのブログ)、ほかにもうひとつ隠しブログがあって、いま、宙に投げあげているものが五つあるのだから、これを回転させるのに四苦八苦しています。

以上、弁解おしまい。友人からメールをもらって、小津安二郎の『長屋紳士録』の前編を書いてから、ずいぶん時間がたってしまったことに思い至りました。いま、たしかめたら、あの記事は7月31日付けでした。これはいくらなんでもまずいので、そろそろ決着をつけようと思います。

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『長屋紳士録』に記録された東京風景のなかでもっとも驚いたのは、このショットだった。本願寺のすぐそば、いまは埋め立てられて公園になってしまった、かつての築地川で釣りをしていた!

◆ 編集とリズム ◆◆
もうお忘れでしょうから繰り返しますが、前回は「覗き機関」と「からくり節」のことを書いただけにすぎず、小津安二郎はジム・ゴードン並みのすぐれたグルーヴの持ち主であるといっただけで、その中身に入りこむ手前で、あとは次回に、となってしまいました。本日はそのつづきです。

「映画のグルーヴ」「映画のセンス・オヴ・タイム」は、監督の技量のみならず、編集者の手腕にもよるものですが、このあたりは、人それぞれ事情が異なり、ひとまとめにいうことはできないようです。

たとえば、黒澤明が編集を得意としたことはさまざまな本に記録されていますし、じっさい、自分でフィルムをつないだそうです。ここは印刷物なら傍点を付して強調するところで、ふつうの監督はまずフィルムには手を触れないものです。この場合、「編集者」と呼ぶべきは黒澤明自身で、編集とクレジットされた人は編集助手の役目をしたのでしょう。

小津安二郎は、黒澤のように自分でフィルムにさわることは、すくなくとも監督として名をなしてからはなかったようです。しかし、すぐれた監督の多くがそうであるように、小津は鋭敏なセンス・オヴ・タイムをもっていたといわれます。

出典に当たらず、うろ覚えで書きますが、戦後の小津映画のほとんどを編集した浜村義康が、こういう回想をしていました。なんの映画だったか、ラッシュのときに小津が浜村を振り返って(小津のうしろの席は浜村と決まっていた)、「なぜ一コマ短くしたのだ?」というので、浜村は「フィルムにキズがあったので、しかたなく切りました」とこたえたそうです。

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浜村曰く、動きのあるショットなら一コマ(24分の1秒)のちがいがわかる人はかなりいるだろうが、あれは空〔から〕のショット、ただ風景が映っているだけの動きのないものだった、小津さんはそういうものでも、一コマ分短くなったことがわかる人だった云々。

◆ ロック・ステディー ◆◆
これは、ひとつには、小津映画の「空のショット」のつなぎ方が、厳密な規則にしたがっていたためでもあるでしょう。『小津安二郎新発見』という本のなかで、昭和24年の『晩春』から浜村義康の助手となった編集者の浦岡敬一(略歴と著書については、このページへどうぞ)が、小津のリズムについて語っています。これについては本が出てきたので、うろ覚えではありません!

f0147840_22325759.jpg質問者が小津の特長を列挙し、それに対して浦岡は、

「加えて、場面転換にはオーバー・ラップなどの編集技法を使わずに、実景を三つ四つほど重ねて、音楽をブリッジすることなどがあげられますね」

そして、くだらない寄り道はまったくなしに、ずばり小津リズムの核心を指摘しています。

「その実景の秒数は、七フィート、ジャスト。一コマたりとも違わない。しかも、ダイアローグ・カット、つまり、会話の部分はすべて台詞尻十コマ、頭六コマで切れている。これはどういうことかというと、Aの人物が話し終わって十コマ間があき、つぎの人物が話すまでに六コマの間があくということなんです。その間はつねに十六コマ、つまり三分の二秒、間があくということです」

こういう分析力にすぐれ、ものいいが遠まわりしない人は大好きです。さすがは日本を代表する名編集者。

まず、第一のポイントである「実景の長さ」です。7フィートをスタンダード・サイズのコマ数に換算すると133コマ(19コマ×7)で、これを24コマで割ると、約5秒半です。わたしは頭のなかで、シーンのつなぎの実景の秒数をいい加減に勘定したことがあるのですが、6秒、5秒半、5秒ぐらいの割合で、人物のショットが近づくほど、実景のショットを短くしているのではないかと勘違いしていました。われながら、あてにならんタイムだ、と呆れます。

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『秋日和』のタイトル直後。まず東京タワーの寄り。

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東京タワーの引き、この2ショットで、ここが芝であることをわからせる。

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つづいて、寺の本堂の前。以上の3ショットで、以下のシークェンスが芝にある寺で起きるのだとわかる。

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寺の内部。ここまでが人物のいない実景。

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寺の内部。水の照り返しがある廊下を北竜二が歩いている。

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北竜二が自分の席に戻り、人物たちが登場して、台詞が語られ、芝居がはじまる。浦岡敬一がいっている「実景」によるシーンの転換とは、こういう小津の手法を指す。

つねに7フィートちょうど、といわれて、なるほど、そうでなければいけないのだな、と納得しました。すこしずつ短くするのでは、まるでメル・テイラーやジョン・グェランのような三流ドラマーの、拍を食って突っ込みまくるフィルインのようなもの、いいグルーヴになるはずがありません。小津はジム・ゴードンやジム・ケルトナーのように、つねに精密なステディー・ビートの人なのだと、肝に銘じました。

さて、浦岡敬一が指摘した第二のポイント、といきたいのですが、本日は時間がとれず、さらにもう一回延長させていただきます。こんどは半月も間をおかず、明日にもつづきを書きますので、お赦しあれ。


by songsf4s | 2009-08-18 23:41 | 映画・TV音楽
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト(OST 『長屋紳士録』より) その1
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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またまた新ブログの話ですが、こちらの記事をあちらに写す作業をしてみました。しかし、どうも、これは手間がかかり、トラブルも多く、あまり現実的ではないようです。

で、考えたのですが、今後、新しい記事は新ブログのほうにアップするのが合理的のようです。それすれば、FC2のエクスポート機能と、エクサイトのインポート機能を使って、手間をかけずに、いまご覧になっているこのエクサイト・ブログを過去記事倉庫化できるような気がするのです。当初は、あちらを倉庫にするつもりだったのですが、そのプランはうまくいかず、あちらを母屋にし、こちらは月遅れ記事のアーカイヴにするというほうへと考えが変わってきました。

すぐにもそういう方向へと舵をきる可能性があるので、定期的にいらっしゃる方にはあらかじめお知らせしておこうと考えたしだいです。当家の記事をお読みになることを習慣になさっている方は、週明けあたりから、まず、新ブログのほうをご覧ください。しばらくは、当家にも新家更新のお知らせを書くようにしますが、ずぼらなので、そんなことを継続する自信はありません。

もっとも、ただの倉庫を維持管理するのも退屈なので、こちらには、つれづれなるよしなしごとを書いてみようかと思っています。新家では、こちらでときおり書いている、しょーもない枕は据わりが悪いのです。だから、こちらでは、ウェブログの本道に立ち戻って、日々のことを書こうかと思います。

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◆ 消えない烙印 ◆◆
さて、本題。前回の最後に、つぎはタイプの異なる映画を予定している、と書いたときは、ハリウッド映画を思い描いていたのですが、ふと、気が変わり、今回も邦画を見ることにします。

小津安二郎については、すでに百万言×多数言語が費やされ、いまさらわたしがいうべきことはなにもないようです。多くのすぐれた書籍、少数の箸にも棒にもかからない本があり、小津についてなにか知りたいのなら、そういうものにじかにあたるのがよろしかろうと愚考します。

『長屋紳士録』は小津安二郎の戦後第一作です。いろいろなものを読みましたが、概してこの映画はあまり褒められない傾向にあります。小津は敗戦直後の悲惨な状況から目を背け、戦前、彼の代名詞ともなっていた「長屋もの」「喜八もの」へと退行した、といったあたりが評者の意見の最大公約数ではないかと思います。

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わたしがいうべきことはなにもないといいながら、ゴチャゴチャいってしまいますが、そういう同時代の批判というのは、もう忘れていいと思います。批評の書き手自身までふくめ、多くの日本人が飢餓の恐怖におびえ、じっさいに餓死者が出ていた状況では、腹の立つことばかりで、のんびりしたノリの映画を楽しむ余裕はなかったのでしょう。

それはよく理解できますし、その後の評価が、先行する同時代の評価に目を曇らされたのも、ある程度はしかたのないことと思います。印刷媒体にレヴューや批評を書くのは、ウェブで好き勝手なオダをあげるのとは次元の異なることで、多数派を批判するのは、ちょっとしたエネルギーと覚悟を要する「事業」なのです。いや、だった、と過去形でいうべきでしょうが。

あの当時の若い世代が、黒澤明の新しい感覚に熱狂し、小津を骨董品と批判した気持もよくわかりますし、自分がその場にいても、同じように感じただろうと思います。わたしがいいたいのは、それはすんだ話ではないか、いまはもう終戦直後ではない、古い時代のパラダイムは無用である、長い歴史のパースペクティヴのなかにおいて映画を見るか、さもなくば、まったくの新作(どんな作品も、ある個人にとっては、はじめて見るものはみな「新作」である)だとみなして接するべきだ、ということです。

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◆ 小津安二郎=ジム・ゴードン説 ◆◆
『長屋紳士録』は、小津の作品系列という文脈からいえば、たしかに戦後的なものではありませんが(つまり、『晩春』『麦秋』『東京物語』などとの近縁性は薄く、『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』にいたってはさらに遠い)、そういう文脈から離れさえすれば、ていねいにつくられた、楽しい映画です。

わたしは天下の本末転倒男なので、細部に目がいき、全体を忘れることがしばしばあって、「木を見て森を見ず」のどこがいけないのだ、森を見て木を見ないよりはよほどマシではないか、と思ったりします。漠然と森を見たって、なにひとつわかるはずがありません。微細に木を観察することのほうがはるかに重要です。

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小津映画を微細に観察して思うことは、なによりもまず、小津はグルーヴの人だ、ドラマーになっていたら、映画同様に、大きな名を残しただろうということです。ジム・ゴードン・タイプの、きわめて精密なビートを叩くドラマーになったにちがいありません。小津のカット割り、コマ数のセンス・オヴ・タイムを観察していると、どうしても「映画のグルーヴ」という観念が浮かび上がってきます。

いや、そういう小うるさい話に入る前に、現物をご覧いただきましょう。エンベッドはできないので、YouTubeにいっていただきたいのですが、これは、いままで当家でご紹介してきたもののなかでも、最上級にランクされる音楽クリップのひとつ、まちがいなく三本指に入ります。騙されたと思って、笠智衆の「元祖本朝ラップ・ミュージック」をお楽しみあれ。

宴会~武夫と浪子

いやもう、はじめてこれを見たときはひっくり返りました。音楽好きな友だちにもよく見せていましたが、つねに大ウケでした。もちろん、音だけ聴いても面白いのですが、笠智衆と飯田蝶子のフリがまた楽しいので、絵もいっしょのほうが数等いいだろうと思います。

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さりながら、ただの音として聴いてみることも、検証には必要。すでに廃盤となってしまったらしい『小津安二郎の世界』という、LPの時代にリリースされ、CD化もされたアルバムから、〈武夫と浪子〉の部分だけ切り出したものを、サンプルとしてアップしておきました。

サンプル 笠智衆およびキャスト〈武夫と浪子〉

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それにしても、この歌の「文句」(こういうものの場合、「歌詞」という言葉を使うのはためらう)の面白さ、笠智衆の言葉の切り方の妙は外国人にはわからないでしょうねえ。このシーンのファンの数自体は、日本より海外でのほうが多いでしょうけれど。

いま手に入る『小津安二郎ミュージック・アンソロジー』という2枚組CDは、小津映画音楽集としてはいいと思うのですが、なにも、よりによって笠智衆の絶品〈武夫と浪子〉をオミットすることはないじゃないか、と目が三角になります。

たしかに、スコアではないし、挿入曲と呼ぶことすらためらうかもしれません。でも、小津の全作品のなかで、これほど魅力的な音楽を楽しめるシークェンスはほかにありません。そういうものを入れないというのは、どんなものでしょう。新版を出すときは再考してもらいたいものです。

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◆ 色気抜きのピープ・ショウ ◆◆
このシーンで川村黎吉が「のぞき」と呼んでいるものは、ブッキッシュには「覗き機関」(のぞきからくり)といいます。と講釈しているわたし自身、じつはこの実物を見たことはありません。映画のなかでも、飯田蝶子が「近ごろは見かけなくなったね」といっているわけで、その「近ごろ」(昭和22年)よりもあとに生まれたわたしが見ていなくても、不思議でもなんでもないのです。よって、以下はすべて「見てきたような」ウソかもしれません。

まずは百科事典の「覗き機関」の項の記述をどうぞ。
「大道演芸の一種。幅三尺余(ほぼ1メートル)の屋台の前面に五つ六つの、レンズがはめられたのぞき穴をあける。この穴からのぞくと箱の中の絵が拡大されて見え、その絵を一枚ごとに紐で上へ引き上げて一編の物語を見せるという仕掛けである。屋台の左右に男女が立ち、鞭を持って屋台をたたきながら「からくり節」という七五調の古風な口調の物語を語りつつ筋を展開した」

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べつの百科事典は、サイズを三尺ではなく「一間」としていました。ヴァリエーションがあるのでしょう。ともあれ、これで、笠智衆が劇中で歌ったのは、ここで「からくり節」といっているものだとわかりました。

この大道芸はその後どうなったのだろうかと検索したところ、つぎのような長崎県のページが見つかりました。なんとか古い芸を残そうとしている人たちも、少数ながらいらっしゃるようで、めでたしめでたし。いや、「愛でたし」だから、チャンスがあったら賞美なされよ。

長崎県深江町のぞきからくり

この写真では、三尺ではなく、一間に見えるし、覗き孔のパネルをはずして、大人数で見られる状態にしているようです。飯田蝶子は「トラホー目」になったそうだから、目をつけるのは衛生的ではないかもしれませんが、トラホームという病気も、子どものころはよくあったのに、近ごろ、とんと聞きません。

まだぜんぜん終わりが見えないので、本日はこれまで、小津のグルーヴについては次回まわしということにします。

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by songsf4s | 2009-07-31 23:55 | 映画・TV音楽