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成瀬巳喜男監督『めし』(東宝映画、1951年) その3

大阪、大阪、と地名を云うだけで、『めし』では大阪でどういう話があって、どういうショットが映るかなどということはほとんど書かずにすませてしまいました。

関西だから無視したなどと思われるとまずいので、弁解しておきます。「『めし』その1」のときは、サウンドトラックの切り出しで失敗を繰り返して時間を空費し、そのうえ、更新の時間にちょっと用事ができてしまい、ロケのショットを大量に並べて構成するわけにはいかなくなってしまったのです。

いまのつもりでは、最後までいったところで、補遺として大阪ロケを見る予定です。わたしにわかる場所は多くないのですが、大阪をご存知の方なら、ほほうと思うショットがあるだろうと思います。そのときに、早坂文雄のスコアからまたサンプルをつくるつもりです。

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◆ 三界に家なし ◆◆
映画のなかで妻たちが「実家に帰らせていただきます」といったとき、われわれは、「帰った」という事実のみを認識し、ブラックボックス化して、その内容をあまり気にしないのではないでしょうか。

成瀬巳喜男の手にかかると、「里に帰った」妻たちは、小津安二郎の『秋日和』(いや、『秋刀魚の味』だったか。後日確認する)の娘のように、ノホホンとしてはいられないのです。まさしく「女三界に家なし」です。お待ちあれ! これは最終的には「男も三界に家なし」へとつながっていきます。性差別的な意味でいったわけではないので、誤解なきように。

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『めし』の原節子も、実家に身を寄せているのに、日々、なにをしても、露出した歯の神経を刺激するようなことにばかり出合います。

大阪には原節子の親戚があり、独身の従兄弟(二本柳寛)がいます。二本柳寛は東京の銀行に勤めていて、大阪でも顔を合わせるのですが、東京に向かう車中でまた二人は出会います。

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その後、東京でも、美術館にでもいっしょに行ったのか、食事をともにします(『めし』と同じ昭和26年に製作された小津安二郎『麦秋』の組み合わせである。『麦秋』で二本柳寛の母を演じた杉村春子は『めし』では原節子の母)。

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二本柳寛と原節子。一瞬、また絵画館か、と思ったが、ちがった。いったいどこの建物なのやら。さっぱり記憶にない。

原節子が、昔、塔ノ沢に行った話をすると、二本柳寛は「いまから行こうか」と誘います。原節子の返答。

「ダメ。あたし奥さんよ、まだ」

この微妙さ。「まだ」が最後に付け加えられるのです。

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しかし、二本柳寛に「不幸な結婚」といわれると、原節子は憐れまれるのは惨めだ、と反撥します。いやはや、なんとも細やかな映画です。夫の元を離れて、実家に戻るというのは、こういう、かならずしも当事者にはうれしくないパースペクティヴをあたえることになるなんていうのは、いかにもありそうなことですが、男の多くは気づいていないのではないでしょうか。

波立つ心を鎮めるように、原節子が立ち上がり、窓外を見ると、屋根の上に仔猫(大阪で飼っていた猫の一匹二役? 大阪の仔猫の二カ月後ぐらいの大きさ)がいて、猫好きならそうするであろうように「チッチ、チッチ」と気を引いてみます。

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成瀬演出はほんとうに細かい。猫のせいで大阪の亭主のことを思いだしたにちがいありません。

その夜のことでしょうか、原節子は手紙を書きます。

「あなたのそばを離れるということは、どんなに不安に身をおくことか、やっとわかったようです」

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そこへ杉村春子がきて、手紙を書くより、早く帰りなさい、あたしがあちらのお母さんなら、あんな嫁、さっさと離縁しなさい、といっているかもしれないよ、などといいます。バランス感覚のすぐれた、いい母親だと思いますが、実家に戻っている娘にはキツい一言でしょう。

翌日、原節子はこの手紙を出しにポストの前までいきますが、結局、投函はしません。こういう描写も、うん、そういう気分だろうなあ、といちいちうなずいてしまいます。

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◆ ささやかな妻の不在 ◆◆
それからすぐのことでしょう。夜、小林桂樹が杉村春子に「光子はどうしました?」とききます。「いまお風呂だよ」といわれると、小林桂樹は「あれの風呂は長いからな」とつぶやきます。

杉村春子(原節子に)「ちょっと光子がいなくなると、すぐこれなんだよ」
小林桂樹「聞こえてますよ」
杉村春子「おやそうかい、あたしは三千代にいっていたんだよ」

と、一見、平和な家庭のなんでもない会話が描かれます。しかし、原節子も、そして観客も「いつまでも亭主をほったらかしにしておくべきではない」という意味だと受け取ります。ひとつひとつはなんでもないのですが、こういう小さな描写を積み上げていくのが成瀬巳喜男映画なのです。

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杉葉子が銭湯から戻る(杉村春子が「いまお風呂だよ」といったとき、まっすぐ湯屋を連想するのはどのへんの年代までだろうか? 昔の商店で内湯があるところは多くなかった)ときにはひどい風で、裏木戸がバタバタ音を立て、表の七五三縄や提灯(祭が近い)が揺れています。

成瀬巳喜男(にかぎらないが)がしばしば使った、心理を気象として「外」に出して具体化する手法です。『めし』の嵐は『山の音』ほどストレートな心理の具象化ではありませんが、この嵐は原節子の背中を押すことになります。

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女房が戻ると、小林桂樹は帳面つけに取りかかり、杉葉子に算盤を入れさせます。昔は当たり前だった、なんでもない商家の夜の風景ですが、成瀬巳喜男が無意味なショットを挿入したりはしません。これは二人でなければできない作業です。小さな商売を男と女が協力して成り立たせているのです。原節子は「自分の人生はこれだけなのか」という思いを募らせたのですが、この夫婦は「これだけ」で満足しているように見えます。

◆ 嵐といふらむ ◆◆
夜も更けて風がいっそう強まったころ、姪の島崎雪子がやってきて、映画を見ていて遅くなってしまったので、泊めてほしいといいます。

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こっちに来るより、世田谷の家に帰るほうが早いではないか、と原節子に叱責され、島崎雪子は、だってお父さんと喧嘩したから、今日は家には帰りたくないのだとふくれてしまいます。女が四人集まって話している容子を隣の座敷から見ていた小林桂樹が、島崎雪子の甘えた態度が癇に障り、強い言葉で戒めます。

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寝支度にかかり、杉村春子が押し入れのところに行くと、お母さんにそんなことをさせることはないじゃないか、女の人たちがそろって布団もおろせないというのか、とこんどは娘たちをまとめて叱責し、原節子があわてて押し入れに歩みます。

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こういう小さな役になぜ小林桂樹が出ているかと云えば、このシーンのためでしょう。穏やかな性格の婿養子で、実直な商人なのですが、そこは男、筋の通らないことには、はっきりと異議を唱えます。原節子は、自分自身を叱責したのだと受け取ったはずです。

さらに、島崎雪子は原節子に、二本柳寛と遊びに行ったことを話し、すごく金遣いのきれいなところが気に入った、あの人と結婚しようかしら、などといいます。これまた、原節子には気持のいい話ではなく、自分の将来をあるパースペクティヴのなかにおいて見る、いまひとつの契機になります。

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そして嵐がおさまった翌日、無沙汰の挨拶の意味もあるのでしょう、原節子は島崎雪子とともに夫の実家に行きます。その帰り、線路際で中北千枝子が新聞を売っているのを見ますが、とても声をかけることができません。戦争で夫を失った級友が必死で生きるすがたに、またしても、と胸を突かれてしまったのでしょう。

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けっして「たたみかける」という強さではないのですが、こういう小さな出来事を、成瀬巳喜男は倦まず弛まず積み上げて、ヒロインを取り囲み、必然的な結果を導いていきます。

ここまでくればあと一歩、次回で『めし』を完結できるでしょう。


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by songsf4s | 2010-10-05 23:55 | 映画
黒澤明監督『椿三十郎』(1962年、東宝=黒澤プロ) その2

前回の枕で、バディー・エモンズというペダル・スティール・プレイヤーのBluemmonsという曲をサンプルにしたのですが、さきほどbox.netを見たら、アクセス0でした。

やっぱりペダル・スティールはダメか、どカントリーじゃなくて、4ビートですごく面白い曲なのだが、と思ってから、いままで、一日たってもアクセス0だったものは、すべてリンクの間違いだったことを思いだし、確認しました。空リンクではないのですが、OSTフォルダー全体に対するリンクになっていて、目的の曲にはたどり着けませんでした。平伏陳謝。

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すぐに修正したので、昨日、お試しになって聴けなかったという方は、以下のリンクをご利用になってみてください。なんとも表現しようのない、ジャンルに収まらない不思議なサウンドで、久しぶりに発見の興奮を味わいました。

サンプル Buddy Emmons "Bluemmons"

おっと。いま、もっとひどい間違いに気づきました。Blue Moonの5回目では、ポール・スミスのBlue Moonをアップしたはずなのに、box.netのファイルはBlue Roomとなっていて、おいおい、またファイル名をまちがえたか、と思ったら、そんな段ではなく、あらぬ曲をアップしていました。すでに多くの方がまちがった曲をお聴きになったようで、どうも失礼いたしました。平伏。いまアップし直しましたので、まだご興味がおありなら、こちらをどうぞ。これもすばらしい出来なのに、ファイルをまちがえては話がわやです。

サンプル Paul Smith "Blue Moon"

いやはや、いろいろな間違いをするものです。冷汗三斗でした。

◆ 耳から指突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるで ◆◆
半分は偶然、半分はわたしの嗜好の偏りのしからしむる必然ですが、『椿三十郎』のスコアもまた佐藤勝によるものです。そもそも佐藤勝が多作だから当たりやすいのですが、それにしても、このところ、しじゅう佐藤勝作品です。

しかし、『椿三十郎』のフルスコアはもっていなくて、あわててわが友「三河の師匠」に救援を仰ぎ、無事、アウトテイクまで聴くことができました。三河の侍大将の支えがないと立ちゆかないブログなのです。

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だれでもすぐにわかることですが、『椿三十郎』のスコアの特徴は、パーカッションの多用と、同じことの裏返しですが、メロディーとハーモニーの不在、といってはいいすぎ、「微少さ」といっておきましょう。

いや、「パーカッションの多用」だけでは、やはり佐藤勝が書いた『用心棒』のスコアと同じになってしまいます。『用心棒』と『椿三十郎』のスコアのあいだには、厳としたちがいがあります。キハーダ(quijada)の有無です。

サウンドと奏法のわかりやすいものというと、これしか見つけられなかったのですが、よろしかったら、メキシコのキハーダという打楽器をご覧ください。全部見ることはありません。冒頭の2、3小節で十分です。



この楽器は、牛や馬などの頭部をよく干し、骨と歯だけを残してつくるのだそうです。ま、早い話が、楽器というより、馬のシャレコウベ。考えてみると、あまりプレイしたくなるような代物でもありません!

キーポイントは歯肉を落とすことで、その結果、骨と歯のあいだに隙間ができ、叩くと両者がふれあうカラカラという音が生じます。このクリップでわかることは、ヘラのようなものでこすってギロのような音を出すのと、拳で叩いてrattling、つまりカラカラという音を出す、二種類の奏法があるということです。

つぎは『椿三十郎』の冒頭、東宝ロゴからタイトルにかけて流れるトラックです。

サンプル 佐藤勝「タイトル・バック」(『椿三十郎』より)

以上、キハーダがフィーチャーされていることがおわかりでしょう。

◆ デファクト・スタンダードの創造 ◆◆
歌舞伎の鳴物に、拍子木で板を強く叩く派手な効果音がありますが、あれに似た、この椿三十郎の「タイトル・バック」のような、キハーダの時代劇スコアへの応用というのはクリシェだと思っていました(さらにいえば、イタロ・ウェスタンにまで利用された)。

Titoli (『荒野の用心棒』挿入曲。多くの人が勘違いしているが、この曲はテーマではない。テーマは別にある。鞭の効果音はキハーダではないのかもしれないが、受ける印象は同じなので、佐藤勝に影響を受けた可能性はあると考える)


しかし、佐藤勝ですからね。しかも、黒澤映画のスコアです。クリシェを提出する状況でもなければ、クリシェにOKを出す監督でもありません。

わたしには日本映画音楽史の知識などありませんが、状況から想定できることは、佐藤勝はキハーダを歌舞伎の鳴物的に時代劇に利用する手法を『椿三十郎』で創始し、後続の作曲家たちがこのアイディアを遠慮なく頂戴した結果、「時代劇にはキハーダ」というのがクリシェに「なってしまった」、ということです。

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「三河の師匠」はほんとうに親切な方で、いつもわたしの救援要請に即座に答えてくださるばかりでなく、ブログに書くときの参考にと、ライナーや録音データの完全なスキャンをつけてくださいます。それによると、やはり、後年、こうしたキハーダの使い方はテレビ時代劇で大々的に利用されることになったそうです。そうか、そうだよな、佐藤勝と黒澤明だもの、工夫をしたに決まっているじゃないか、でした。

続篇としての連続性を維持するために、『椿三十郎』では『用心棒』のモティーフも使っているので、念のために、そちらのほうのサントラもざっと聴きました。太鼓や拍子木(ないしは西洋のウッドブロック)などのパーカッションを柱にしたサウンドであることは同じですが、まだキハーダは登場していません。『用心棒』で拍子木を多用した結果として、その延長線上にキハーダの利用を思いついたのではないでしょうか。

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佐藤勝が『椿三十郎』でオリジネートした「太鼓とキハーダを特徴とする、いかにも時代劇らしい勇壮なサウンド」は、その後、この分野の事実上の標準となり、無数にコピーされた、ということを確認させていただきました。耳慣れた音楽に聞こえるとしたら、そういう事情によるのであって、佐藤勝がクリシェにもたれかかって仕事をしたわけではありません。

◆ ニアミス ◆◆
いま、とんでもないミスをしたときに感じる、腹のなかで出合ってはいけないものが出合って、不快な化学反応を起こしたような感覚がありました。時代劇におけるキハーダの利用を佐藤勝の創始と断じるだけの十分な材料を、おまえはもっていないだろうが、という声が聞こえたのです。

ほら、あの曲があっただろ、あれはいつのものだ、いますぐ調べろ、とわが内なる声が叫んだので、あわててプレイヤーにファイルをドラッグしました。



このクリップ、冒頭のティンパニーが聞こえません。印象的な入り方なので、音だけのサンプルもあげておきます。

サンプル 芥川也寸志「赤穂浪士」

この大河ドラマのテーマは子どものころ大好きで、いま聴いてもいい曲だと思います。いや、問題はこれがいつのものかということです。1964年正月から放送がはじまったとありました。『椿三十郎』は1962年1月1日に封切りだそうですから、2年早かったことになります。

そもそも、こちらの曲に使われているパーカッションは、キハーダではなく、拍子木かスラップスティックか、なにかそういうものかもしれません。ただ、『椿三十郎』に印象の似たパーカッションの使い方ではあります。

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それにしても、『赤穂浪士』の配役を見ると、すごいものです。当時、本編ではこれだけの配役ができる大作はなかったでしょう。もうひとつ、『花の生涯』も見てみましたが、これも仰天のハイパー豪華キャスト。オールスター映画5本分ぐらいの豪華さです。ヒットするはずですよ。やがてわたしは大河ドラマというのが大嫌いになりますが、『花の生涯』と『赤穂浪士』だけは、じつに熱心に見ました。キャストを見れば、それも当然です。尾上松緑(『花の生涯』)と宇野重吉(『赤穂浪士』)は深く印象に残りました。

◆ 転向者 ◆◆
『椿三十郎』のストーリーを追うつもりはなかったのですが、小林桂樹の登場場面を説明しようとすると、やはりそうなってしまうようです。

冒頭の神社のシークェンスで三船浪人の腕に感銘を受けた室戸半兵衛(仲代達矢)は、仕官したいのなら、俺のところに来いと言い残します。三船用心棒は、あとでそのことを思いだし、ちょっと菊井のところに行ってくる、といってアジトを出て行きます。

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椿三十郎が室戸半兵衛に会おうと大目付の邸の門前に立つきわめて印象的なシークェンス。通用口を叩いて門番を呼び出し、室戸に会いたいというと、いまはそれどころではないといわれてしまう。

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なんだというのかと思うと、門が開いて、「出陣」の騒ぎがはじまる。

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あおり気味に撮りはじめて、しだいにティルト・ダウンして、ものものしさを強調している。ただし、現実にこのように馬前を横切ったりしたら、即座に首を飛ばされる。

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観客には、これは相手の懐に入りこんで容子を探るためとわかりますが、残された若侍たちは、三船浪人を信じる一派と、あいつは金欲しさに裏切ったのだという一派に分かれて議論になります。

議論が白熱したところで、ちょっと失礼します、という声が聞こえ、全員が押し入れのほうを見ます。

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すると、小林桂樹見張り侍が押し入れから出てきて、わたしもあの浪人を信用します、城代の邸から逃げるときに、奥方の踏み台になったじゃないですか、あれは奥方の人柄にうたれたからです、それだけとっても、あの人がいい人間だということがわかります、と、いうだけいうと、また自分で押し入れに戻っていきます。

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ここで小林桂樹登場はこの映画のなかのルーティンになるわけで、ギャグというもののあらまほしき姿を体現しています。

◆ ハル・ブレイン的役割 ◆◆
小林桂樹はインタヴューでこういっています。

「監督さんはわりあいに、ほっといてくれたというか、わたしが調子を出して一所懸命やると、黙って、よく笑って見ていてくれていましたからね」

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黒澤明は俳優のアドリブなどめったに許す監督ではありません。『日日平安』の段階では主役だった小林桂樹の役は、『椿三十郎』では、なくても話の運びには影響しない軽い役に縮小されたのですが、それでも削除しなかった、あるいは、それでも小林桂樹に振ったのは、いい判断だったと思います(もちろん、黒澤映画だから、小林桂樹も承知したのだろうが)。

小津安二郎の映画で、自主的に演技することを望まれていたのは杉村春子だったそうです。この女優も、小林桂樹と同じようなことを、たとえば『晩春』について回想しています。

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フィル・スペクターは、小津安二郎のようにガチガチに固めていくタイプのプロデューサーでしたが、好き勝手にやっていいとカルト・ブランシュを渡していたプレイヤーが一人だけいました。ドラムのハル・ブレインです。

自分の世界ができあがっている巨匠というのは、だれか、自分にはない要素をもった、すぐれたパフォーマーを必要としたのではないでしょうか。隅々までみずからの意思を浸透させ、作品を堅牢につくりたいという衝動があるいっぽうで、そこに意想外のもの、異質な要素が入ってきて、硬直を防いで欲しいとも願っていたのだろうと思います。

黒澤明は、成瀬巳喜男の演出についてこういっています。演技が気に入らないと、成瀬さんは、ただ「そうじゃない」というだけで、それ以上の説明をしたり、指導をしたりすることはなかった、俳優は自分で考えなければいけなかったのだ、ひるがって、自分は黙っていることができず、こうやるんだと指示を与えてしまう、溝さん、小津さん、成瀬さんに鍛えられた俳優たちは力があって、自分で演技を考えることができた、と。

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右から山村聡、成瀬巳喜男、原節子

小林桂樹に自由に演技をさせたとき、黒澤明は先達のことを思っていたのかもしれません。

『椿三十郎』は二回で十分だろうと思ったのですが、黒澤明と佐藤勝が相手ではそうは問屋が卸さないようで、もう一回延長することにさせていただきます。


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原作
日日平安 (新潮文庫)
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映画音楽 佐藤勝作品集 第13集 : 黒澤明監督作品篇
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Steel Guitar Jazz
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Amazing Steel Guitar: The Buddy Emmons Collection
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芥川也寸志の芸術/蜘蛛の糸~芥川也寸志管弦楽作品集
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by songsf4s | 2010-09-24 23:55 | 映画
黒澤明監督『椿三十郎』(1963年、東宝=黒澤プロ) その1

前回完了したBlue Moon特集のために、当然、HDDを検索して、わが家にあるすべてのBlue Moonをプレイヤーにおいて聴きくらべました。

そのなかに、Blue Moonとはぜんぜん関係のないインストが入っていて、タグを見たら、タイトルはBluemoons、アーティストはバディー・エモンズとなっていました。Blue Moonではないのですが、ちょっとしたトラックです。

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ついでだから、グラム・パーソンズのアルバムでプレイしたことぐらいしか知らなかったこのペダル・スティール・プレイヤーのことを検索してみました。ディスコグラフィーを眺めていて、違和感があったので、よくよく見つめたら、Bluemmonsというタイトルになっていて、笑いました。文字が重なるとタイプミスをしやすくなります。

と思ってから、はたと気づきました。「このプレイヤーの名前はなんだっけ? Emmonsじゃないか!」つまり、Blueと名前を合成した造語だったのです。ということは、Bluemoonsというタグのほうが間違いだったことになります。

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このSteel Guitar Jazzというアルバムのオープナーはなかなかのものなので、袖すり合うも多生の縁、サンプルにしてみました。4ビートとペダル・スティールの組み合わせ自体がめずらしいのですが、ここまでホットなのはまずないでしょう。

サンプル Buddy Emmons "Bluemmons"

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アルバムの他のトラックも気になるかもしれませんが、Bluemmonsほど盛り上がる曲はほかにありません。だからアルバム・オープナーにしたのでしょう。

◆ 九人の馬鹿侍 ◆◆
さて、本日は、『江分利満氏の優雅な生活』に引きつづき、小林桂樹追悼です。



黒澤明映画を取り上げたって、いいことはなにもないのですが(1.めずらしくもないので当ブログの独自性を高めることはない、2.すでに大家気鋭がさまざまな言語で千万言を費やして語っているので、いまさら付け足すことはなにもない、3.うるさいファンが山ほどいて、なにかまちがえると、いらぬ面倒ごとを呼び寄せる恐れがある)、小林桂樹の映画というと、わたしは真っ先に『椿三十郎』を思い浮かべるのでして、この際だから、食い逃げのように、さっと書いてみるか、と思ったしだいです。

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多くの方がこの映画のことはご存知でしょうが、概要を書いておきます。前年の『用心棒』が大ヒットしたために、黒澤明は東宝から続篇の製作を要請されます。そこで黒澤明は、かつて弟子の堀川弘通のために書き、結局、実現しなかった山本周五郎原作の『日日平安』のシナリオに、『用心棒』で三船敏郎が演じた、名なしの浪人のキャラクターをはめこみました。

どことも知れぬ神社のお堂に九人の若侍があつまって、藩政改革について議論しています。代表者(加山雄三)が城代家老に意見書を提出したときの経緯を仲間に説明しているところです。彼は、家老にはまったく相手にされず、意見書は引きちぎられてしまったと仲間に報告します。

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そこで、菊井という大目付(清水将夫)にあたってみたところ、こちらはよく話を聞いてくれ、ほかの同士の諸君も会いたいといわれた――。

などといっているところに、お堂の奥からむさ苦しい身なりの浪人(三船敏郎)が、大あくびをしながらあらわれます。

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三船浪人は、さっきから話は聞いていた、岡目八目で当事者よりよく事情が見える、おまえたちは騙されている、と忠告します。

若侍たちは、この不作法な浪人を警戒しますが、お堂が大目付の手の者に包囲されたことがわかって、三船浪人の解釈の正しさはたちまち証明されます。この浪人が、頼りない九人の若侍を助けて、藩を牛耳ろうとする悪人たちを一網打尽にし、囚われた城代家老を救出するというのが、『椿三十郎』という話の骨子です。

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物語のプロットなどというのは、いくつかに分類できてしまうほどで、あまりたいした意味はありません。『椿三十郎』が稀有な映画になったのは、もっぱら黒澤明のディテールの描き方のうまさによります。

まあ、そんなことはたぶん多数の言語で繰り返し書かれているでしょうけれど、多数派はおそらく『生きる』や『七人の侍』を最上位におき、『用心棒』との比較においてすら、『椿三十郎』を下風に立たせるでしょう。わたしは、黒澤明の全作品のなかで『椿三十郎』がもっとも好きです。『用心棒』との比較でも、宮川一夫の撮影に気持は残るものの、この続篇のほうが数段好ましく感じます。

◆ 細やかなディテールの表現 ◆◆
インタヴューによると、小林桂樹は堀川正通監督『日日平安』の段階で主役を演じるよう依頼されていて、その役が『椿三十郎』にもスライドしたのだそうです。周五郎の『日日平安』は読んでいませんが、派手なアクションものを書く作家ではないので、小林桂樹が「地味な」主人公をやる予定だったというのは、さもありなん、です。目を吊り上げ、肩を怒らす改革派のあいだを泳ぎわたって、とぼけたことをいいつつ、改革を成功に導く、といったあたりなのではないでしょうか。

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しかし、三船浪人の登場で、この役は脇に押しのけられ、「見張りの侍A(木村)」なんてことになってしまいます。ところがどっこい、「A」に格下げされても、さすがは小林桂樹、じわじわとプレゼンスを強めていき、映画を見終わったときには、「あの小林桂樹の役がきいているなあ」と思わせてしまうのです。

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お堂を包囲されて窮地に陥った若侍たちを救うと(さすがは三船、この殺陣の動きはすばらしい。いくら撮りようと編集でごまかしがきくといっても、アクション映画の基本は体技、キレのある動きができる俳優が演じてこそ盛り上がる)、この数日メシを食っていないといって金を要求し、じゃあ、しっかりやれよ、と去ろうとして、いかん、と坐り直します。俺がその菊井という目付だったら、邪魔な城代を亡き者にする、急いで城代の安否をたしかめろ、と示唆します。

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九人とともに三船浪人が城代の邸に忍びこむと、案の定、一見静かだった邸には、菊井の手のものが入りこんで警戒していました。この点をたしかめるときに、三船敏郎が、その池には魚がいるか、ときき、加山雄三が、大きな鯉がたくさんいるとこたえます。

それなら大丈夫だろうという思い入れで、三船浪人が石を池に投げ込むと、とたんに障子が開いて、大刀を手にした侍たちが、何者、と誰何します。これで、城代家老がすでに殺されたか、悪人たちに監禁されたであろうことが、視覚的に確認されます。

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こういう処理というのは、一見、なんでもない、ささやかなものです。しかし、『椿三十郎』という映画のもっとも美しいところは、こうしたディテールのひとつひとつをまったくおろそかにせず、どのつなぎ目でも、小さな工夫をし、きちんと処理して話をつなげている点です。

とりあえずいいアイディアが出てこなかったからここは強引に押し通る、などという横着なことはまったくしていません。納得のいくアイディアが出てくるまでは、黒澤明がOKを出さなかったのではないでしょうか。シナリオの教科書であり、物語作りの根本にこれほど忠実な作品は、日本映画ではめったにお目にかかれるものではありません。

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◆ 見張りの侍A登場 ◆◆
善後策を練るために、三船浪人と九人の若侍は城代の邸の厩に移ります。そこに、逃げてきた女中が通りかかって、城代はどこかに連れ去られ、その奥方と娘は邸に軟禁されている、という事情がわかります。

見張りの侍たちにたらふく飲ませておけ、といって女中を戻し、三船浪人以下若侍たちはしばし時を稼ぎ、ころやよしと見ると、見張りを倒し、目星をつけた部屋に踏み込んで、城代の奥方(入江たか子)と娘(団令子)を救出します。

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小林桂樹(左端。顔は見えない)が殺陣をやったのは『椿三十郎』だけではないだろうか。三船敏郎に鞘で突かれて倒れるところ。

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三人の見張りのうち、ひとりだけ生きて捕らえられたのが「A」すなわち小林桂樹です。清水将夫大目付一派の事情を探るために、小林桂樹だけは生かしておいたのですが、結局、なにも吐かず、田中邦衛が「こいつをどうするんだ」というと、三船敏郎は「顔を見られたんだ、叩き斬るしかねえ」とあっさりいいます。しかし、入江たか子奥方は「いけませんよ、そんな。すぐに殺すのはあなたの悪いくせです」と叱りつけます。

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この入江たか子が、娘役の団令子とともに、じつに間延びしたいい味を出しています。椿三十郎のワイルドな味と、家老奥方のほわんとした味は、なんともいえない対比を成して、この映画を豊かにする大事な役割を演じます。

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清水将夫大目付の策略にのせられて、わずかな供回りの大目付たちを襲おうとし、幸運な偶然のおかげで(ここの処理もじつにうまい)、罠に陥るのを免れた若侍たちが三十郎とともにアジトに戻ると、小林桂樹が、閉じこめてあった押し入れから外に出て、乾いた服に着替えて(泉水に顔を押しつけられるという拷問を受けた)食事をしています。

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呆気にとられている若侍たちに、小林桂樹は、城代家老の奥方が出してくれた、とこたえ、この家の主である平田昭彦が「あ、こいつ、俺のいちばんいい服を着ている」というと、それも奥方が、といいます。

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加山雄三に「しかし、貴様、なぜ逃げなかった」ときかれると、奥方はわたしが逃げるなんてことはこれっぱかりも考えていません、そこまで信用されては逃げるわけにはいかないでしょう、と平然としたもので、また食事を再開します。

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どうも失礼しました、と自分で監禁場所の押し入れに戻る小林桂樹扮する見張りの侍。

このあたり、じつになんとも可笑しくて、愉快な気分になります。この続篇では、『用心棒』になかったユーモアを加えるというのは、当初からの考えだったようですが、それはみごとに成功し、『椿三十郎』の『用心棒』を上まわる大きな魅力になっています。そして、そのユーモアのかなりの部分は、小林桂樹という役者の力に負っています。

インタヴューで、ものを食べながらの演技のことをきかれ、小林桂樹は、ラヴ・シーンは下手だけれど、食べる演技はうまいと人からも褒められる、と笑って答えています。口に食べ物が入っていても、ちゃんとセリフがいえるのだとか。なるほど、そういうのもスキルの一種なのですねえ。考えてみれば、噺家にとっては食べる描写も重要な技芸なのだから、俳優にとっても同じなのでしょう。

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ここからが小林桂樹の本領発揮で、ポイント、ポイントで押し入れから出てきては活躍することになりますが、残りは次回ということにして、本日はこれまで。


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映画音楽 佐藤勝作品集 第13集 : 黒澤明監督作品篇
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by songsf4s | 2010-09-23 23:56 | 映画
岡本喜八監督『江分利満氏の優雅な生活』(1963年、東宝映画) その2

1973年の今日、アメリカでは十九日、日本では二十日、グラム・パーソンズは、セカンド・アルバムの仕上げを終わり、あとはエミールー・ハリスと一緒にカヴァーの撮影をするだけ、というところで骨休めにいった、デス・ヴァリーのジョシュア・トゥリーのモーテルで急死しました。

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このアルバムはのちにGrievous Angelとしてリリースされますが、それは彼の死後一年たってからのことでした。なんの予備知識もなく、米軍基地のPXでこの盤を見たときは、もう遺作がリリースされる時期ではなかったので、ガラクタの寄せ集めだろうと思ったほどです。

もちろん、ガラクタの寄せ集めどころか、死の直前にやっとグラムが、「俺の音楽」と呼べるものを完成させていたことがわかるのですが、それはここでは関係ありません。肝心なのは、リプリーズ・レコードが、グラムの死を商売に利用しなかったことです。遺作と騒ぎ立てて稼ぐのは品がないと考え、リリースを延期したのです。

いや、グラム・パーソンズはまだ有名ではなかったから(彼の名声が確立されたのは近年のこと)、騒いでもたいした売上げになるわけではないという判断もあったのでしょうが、それでもやはり、かけたコストはできるだけ短時間で回収したいというのはビジネスマンの本能です。その点を考えれば、よくぞ自制心を働かせたと思います。

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ライノのグラム・パーソンズ・アンソロジー。ジョシュア・トゥリーで撮影された写真をカヴァーに使った。

人が死んだからといって、それを騒ぎ立てるのは、一面で礼儀なのかもしれませんが、一面で、品のないハゲタカ的な所行ともいえるでしょう。当家では何度も追悼記事を書いてきましたが、毎度、そのことを意識します。騒ぎ立てたいのなら、生前にやっておけよ、と自分の不調法にいつも頭の片隅で恥じ入っています。

◆ カルピスは恥ずかしい ◆◆
映画の後半、江分利満氏は、バーでカルピスを飲む同じ部の女子社員を見て、「カルピスというのは恥ずかしいな。なぜだろう。『初恋の味』というのが恥ずかしいのかもしれない」といいます。

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ここも原作で印象に残った箇所です。『江分利満氏の優雅な生活』という本は、こういう「断定」を櫂にして、日々の生活を漕いでいく物語だったという記憶があります。その後、こういうことはだれでもいうようになって、それこそ江分利満氏がいうように「面白くない、断じて面白くない」のですが(だいたい、このブログからしてそうなのだが!)、あの時代には、こういう「生活と意見」は新鮮に感じられました。

いっぽうで、後年、長編『血族』として掘り下げられることになる、山口/江分利家の過去についても語られます。母(英百合子。『妻よ薔薇のように』は忘れがたい)の死に際して、家に金がなく、大晦日に借金をしてまわる場面から、父(東野英治郎)の人物と過去へと江分利満氏の述懐は向かうのですが、この父親の人生にはなんともいえない感懐を覚えます。

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江分利満氏の父親は、事業を興して大金を儲けては、失敗して債権者に追われるという、極端なアップス&ダウンズを繰り返す、家族に対する責任観念の乏しい、やや奇矯な人物だったようで、江分利満氏の肩に父の借金が重くのしかかっています。

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しかし、借金のことは、じつは、まだしも、なのです。母の遺品を整理していて、遺書が出てきます。それを読んでいるうちに、江分利満氏は母の胸中を思いやって号泣してしまいます。遺書に書いてあったことが問題ではないのです。江分利満氏は、母がある時点で「自分の人生は失敗だったとあきらめをつけた」ことに思いを馳せ、その胸中があまりにも憐れで耐えられなくなった、というのです。

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こういう難所があるので、わたしはシリアスな映画はあまり見ないようにしています。わが母のことを思ったわけではないのです。でも、人は生きていると、いや、年をとると、このような、いまさらどうにもならぬことで無益な洞察に到達し、うちひしがれる瞬間があるものです。

だから、おおいに共感はするのですが、あまり好調ではないときには、こういうくだりには接したくないものです。つい、ドンパチだのチャンバラだのを見てしまう所以であります。まだしも、血が飛び散る映画のほうが、精神の安定に寄与するのではないでしょうか。

◆ 戦争の御利益 ◆◆
江分利満氏は、戦争中、父の事業が順調で、わが家には金がある、これで戦争がなければどんなに幸せだろうかと思ったのだそうです。なんぞ知らん、父の事業が順調だったのは戦争のおかげであり、敗戦とともに一文なしの借金生活になってしまいます。

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作者のサントリー宣伝部での同僚、柳原良平の絵を元にしたアニメーションが挿入される。

しかし、日本そのものがそうであったように、昭和24年に起きた朝鮮戦争の「特需」のおかげで父は再び成功し、そしてまた失敗します。江分利満氏は、父と同じように、また戦争が起きないかと期待している人間をたくさん知っている、でも、もう勘弁してくれ、自分の息子を戦争にやるくらいなら死んだほうがマシだ、と断言します。

ここもまた、なるほどと思ったくだりでした。あれだけの惨禍を生むのに、なぜ戦争が絶えないかといえば、ひとつには人間の欲望のせいなのであり、そういうことは、論文ではなく、このような日常的な事柄を書いた本や映画でいってこそ意味をもちます。

「だれも戦争など望んではいない」などという偽善では、歴史は説明できません(こういうことをいう人の多くは女性であり、女性なら当然のことだが、「自分はこう思う」といわずに「だれだってこう思う」と、まったく自覚なしに、平然とすり替えてしまう)。「多くの人間が戦争を望む」からこそ起きるのです。この点を肝に銘じておかないかぎり、戦争を防ぐことなどできるはずがありません。

◆ 陰鬱なるVaya con Dios ◆◆
『江分利満氏の優雅な生活』が直木賞を受賞し、会社の仲間が内輪の祝賀をするところがこの映画のクライマクス、というとちょっとちがうかもしれませんが、エンディングとなります。

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直木賞受賞の記者会見を酒場でやるところが可笑しい!

二次会、三次会と飲み歩き、江分利満氏は酔いがまわるにつれて舌もまわりだし、滔々と昔話を弁じたて、しだいに会社の仲間たちはすがたを消していきます。わたしが勤め人をしていたら、こうなったのだろうなあ、と意気阻喪する場面です!

そのなかで昔のヒット曲にもふれるのですが、これがVaya Con DiosとChanging Partnersなので、へえ、と思いました。

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最後に小川正三(左)と二瓶正也(右)が割を食って、朝まで江分利満氏につきあうハメになる。

江分利満氏は、「Vaya con Diosの女声コーラスを聴くと、なんかこう、陰鬱な気分になる」、だから流行ったのはたぶん昭和29年のはじめのことだろう、あのころ、勤めていた会社がつぶれて、移った会社がまたつぶれたんだ、同じころにChanging Partnersも流行った、と述懐します。

アメリカでは、Vaya Con Diosはレス・ポール&メアリー・フォードのヴァージョンが1953年に大ヒットしています。



日本のローカル盤はだれのものがヒットしたのか知りません。陳謝。江利チエミの録音があるそうですし、当家ではナンシー梅木のヴァージョンをとりあげました。ナンシー梅木のVaya con Diosは昭和29年はじめにリリースされているので、江分利満氏の記憶とぴったり符合しますが、江利チエミ盤やその他のものも同時期にリリースされた可能性が高いでしょう。

江分利満氏は、あるいは江利チエミの録音のことを思い起こしているのかもしれませんが、手元にあるローカル盤はナンシー梅木のものだけなので、あの時代の日本のローカル・カヴァーのムードを知っていただくという意味で、いちおうサンプルにしました。

サンプル ナンシー梅木"Vaya con Dios"

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わがHDDを検索してみて、意外だったのは、トニー・オーランド&ドーンのヴァージョンがあったことです。ちょっとStand by Meを意識したアレンジで、テンポが速めなこともあり、あまりVaya con Diosを聴いている気分にならないヴァージョンです!



もう一曲のChangin Partnersは、アメリカではパティー・ペイジが1953(昭和28)年に大ヒットさせています。



日本のローカル盤はどなたのものがあったのかこれまた知らず、不調法、まことに相済みません。

◆ 前回の訂正 ◆◆
なにか小林桂樹の演技について書き、まとめのようなことをしようかと思ったのですが、その任ではないし、利いた風な口をきくのも今日はもう十分だから、やめておきます。

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江分利家の下宿人役でジェリー伊藤が出演している。原作者山口瞳の妹はジェリー伊藤夫人で、二人は義理の兄弟なのだとか。

『江分利満氏の優雅な生活』の項は今回でおしまいですが、いずれにしても、もう一、二本、小林桂樹出演作品を取り上げるつもりなので、まだまとめるのは早すぎるのです。

いま思いだしたので、ひとつ、前回の訂正をしておきます。テレビのほうはわからないが、小林桂樹の本編のほうの遺作は2007年の『転校生』らしい、と書きました。これはわたしの参照したものがまずかったようで、Moviewalkerでは、2009年の『星の国から孫ふたり』となっていました。

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by songsf4s | 2010-09-20 23:55 | 映画
岡本喜八監督『江分利満氏の優雅な生活』(1963年、東宝映画) その1

前回のBlue Moon その3 by Julie Londonは、ジュリー・ロンドンばかりでなく、パーシー・フェイスのものもサンプルのアクセスが多いのですが、前回も書いたように、小林桂樹追悼ということで、今日はBlue Moon棚卸しを一休みして、昨日の今日でじつに拙速ではあるものの、小林桂樹主演の映画を見ることにします。

いくつか候補はあったのですが、ちょうど途中まで見ていたということもあって、まずは岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』を取り上げることにします。余裕があれば、あと一、二本、小林桂樹の出演した映画を見てみるつもりです。

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◆ 軽にして快、明にして朗 ◆◆
映画の冒頭、主人公の江分利満氏(小林桂樹)が、会社帰りに飲みに行きたいのだけれど、だれも目を合わせてくれないところが描かれます。絵描きの柳原(良平=天本英世)だけは、そんな江分利満氏の気持を読んで声をかけますが、今夜は都合が悪い、といいます。どうやら主人公は話がしつこく、飲むと荒れることがあって、周囲から煙たがられているようです。

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小林桂樹扮する江分利満氏は、酔うと、それからそれへといろいろなことを思いだし、微に入り細にわたり、くどくどと話すクセのあることが、映画の終盤で詳細に描かれますが、なんだかひとごとには思えませんでした。クドクドと長い当家の記事も、江分利満氏がくだを巻くのと似たようなものだと思ったのです。

おかげで昔話はひどく書きづらくなってしまいましたが、中学一年のときだったか、二年のときだったか、現代国語の課題で山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』を読みました。中学生向きの本ではないと思うのですが、それでも、とにかく面白く読了しました。

その記憶があったので、いつか、岡本喜八がこの映画になりにくそうな本をどのように映像化したのかたしかめたいと思っていたのですが、たまたま機会があって映画を見はじめたとたんに、小林桂樹の訃報があったというしだいです。

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これは劇中、江分利満氏の女房(新珠三千代)が指摘しますが、『江分利満氏の優雅な生活』という本は、小説ということになってはいる(だから直木賞の対象となった)ものの、エッセイ、身辺雑記に分類されるべきのようにも感じます。まあ、わが国には「私小説」というものの伝統があり、その重厚陰鬱さを完全に脱色し、軽快明朗にしたもの、と見ればいいのかもしれません。

◆ 物語はいかにしてはじまるかを物がたる物語 ◆◆
これは語り手が物語そのものの成り立ちを語るメタな構造をとった映画で、開巻まもないところで、原作である本が書かれるにいたった経緯が語られます。最前記した、だれもつきあってくれず、江分利満氏がひとりで飲みに行った夜、泥酔して意気投合した(主人公はいっさい記憶していない)ふたりの人物(中丸忠雄と横山道代)が、翌日、会社(サントリーと実名が出る)にあらわれ、昨夜の約束を確認に来た、というのです。

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どういう約束かというと、中丸忠雄と横山道代が編集している雑誌に江分利満氏は小説を書く、というのです。なぜいきなりそんな話になったかというと、以前から酒場で一緒になるたびに、酔っておだをあげている江分利満氏が面白くて、そのまま書けばいい読み物になると考えていたというのです。

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いや、現実には、山口瞳自身が編集者として出発し、出版関係にも知人は大勢いたのだから、こんな唐突な話ではなかったでしょうが、映画(そしてたぶん原作)のなかでは、そのように説明されます。

分類するならばコメディーであって、深刻な文芸映画ではないのですが、構造としては、じつはかなりアヴァンギャルドなのです。この物語がなぜ生まれることになったか、語り手自身が説明するのですから。

◆ やさしくも穏やかなサウンド ◆◆
で、鉛筆を一ダースばかり並べて、いざ書かん、と原稿用紙に向かう場面で流れる曲をサンプルにしてみました。『佐藤勝作品集』の第12巻岡本喜八篇にこの映画の曲が収録されているようですが、残念ながらこの巻はもっていないので、映画から切り出しました。もちろん、例によってタイトルはわたしが恣意的につけたものですし、モノーラル・エンコーディングです。

サンプル 佐藤勝「なにをか書かんや」

冒頭のノイズは鉛筆を束にしてつかんだ音です。音楽と重なっているのでカットできませんでした。後半のダイアローグは新珠三千代と小林桂樹によるものです。

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佐藤勝は、映画音楽の作曲家のなかでもきわだってヴァーサタイルな能力をもった人で、あらゆるタイプの音楽を書きましたが、わたしがもっとも好ましく感じる佐藤勝の作品は、叙情的なオーケストラ音楽です。そういうタイプでイの一番にあげるのは『陽のあたる坂道』のテーマですが、この『江分利満氏の優雅な生活』になんどか形を変えて登場する曲(メイン・テーマと呼んでかまわないと思う)も、じつに穏やかな、やさしくも好ましいサウンドで、healerといっていいほどです。

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わたしのようなオールドタイマーは、こういう音楽が当然だった時代に育ったので、なんの抵抗もなくすっと聴いてしまいますが、考えてみると、このようなタイプのサウンドが映画やテレビのテーマになりえた時代は、ずっと昔に終わってしまったのかもしれません。日本ではいざ知らず、現代のハリウッド映画では、もうこういうタイプの音楽は聴けません。ハンス・ジマーがこんな音楽をつくるはずがないじゃないですか!

◆ 金星人の逆襲 ◆◆
江分利満氏の子どもは昭和二五年生まれとされています。兄とわたしの中間の年回りですが、江分利満氏自身も、わが亡父よりわずかに年下です。つまり、劇中の生活は、むやみに「覚えのある」ものなのです。

いよいよ執筆をはじめ、それがそのまま映像として表現されるようになってからの最初のシークェンスは、江分利満氏の息子が十円玉を握りしめて貸本屋に行くところです。

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原作を読んだとき、中学生のわたしがもっとも強く反応したのは、この貸本屋のくだりでした。そこに描かれていた少年の生活は、まさしくわたしがかつて経験したものだったのです。

貸本屋。そんな「メカニズム」をじっさいに経験した最後の世代がわたしらなのではないかなんて思います。まあ、二十歳をすぎても、鎌倉の小町通りには貸本屋があって、そこで本を買った(多くの貸本屋は回転の悪くなったものを古書として販売した)ことがあるので、もうすこし下の世代の方でもご存知かもしれません。

「少年」は十円玉一個をもって貸本屋に行き、漫画(武藤勝之介著『長編宇宙漫画 金星人の逆襲』と紹介されるが、実在のものではないのでは?)を借りてきます。三〇分もすると、彼はまた十円玉一個をもって貸本屋に行き、べつの漫画を借りてきます。それを日に十回も繰り返すというのです。一度に複数の本を借りずに、何度も往復するのはどういうことなのだ、という江分利満氏の疑問でこの「章」は終わります。

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なぜなんでしょうかねえ。理由はよくわかりませんが、わたしもまとめて借りたりはせず、二ブロック向こうにある貸本屋まで一日に何回か足を運びました。たぶん、借りるものを選ぶ時間も楽しみのうちだったからではないでしょうか(貸本屋でよく借りたものとしては杉浦茂のものを覚えている。後年、つげ義春も貸本漫画をたくさん書いたことを知ったが、残念ながら記憶はない)。

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こんな場面を、映画で見るならともかく、音だけで聴きたいと思う方はいらっしゃらないかもしれませんが、原作でもっとも身近に感じられた章なので、小林桂樹の「朗読」として、その部分を切り出してみました。もちろん、佐藤勝の音楽付きです。

サンプル 「江分利満氏の息子」

身辺雑記的な話で、首尾のあるストーリーではないので、なんとも書きづらく、逆にいえば、どこで終わってもかまわないのですが、とくにどうという理由もなく、もう一回だけ『江分利満氏の優雅な生活』をつづけようと思います。


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江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫)
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by songsf4s | 2010-09-19 23:51 | 映画