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浅丘ルリ子の夜はふけて その1 共演・小林旭篇
 
芦川いづみの千社札ペタペタをやっておいて、浅丘ルリ子はなしというのではひどい片手落ち、やっぱりルリ子千社札も並べてみます。

1959年から60年という時期では、わたしはあまり日活には行っていないので、「渡り鳥」シリーズには間に合いませんでした。それなのに、なぜか、浅丘ルリ子の記憶は渡り鳥からはじまっています。

シリーズに入れるかどうかは微妙ですが、いずれにしても、渡り鳥シリーズへのステッピング・ストーンとなったのはまちがいない、と先達たちが口をそろえる映画から。

斎藤武市監督『南国土佐を後にして』


タイトルで流れる曲が「ギターを持った渡り鳥」ではないし、敵役のエースのジョーもまだいないとあって、とりあえず心拍数はあがりませんが、中身は、半分ぐらいは渡り鳥の雰囲気でした。

小林旭はまだカウボーイ・スタイルではなく、堅気のような格好をしていますが、職業(ちがうか)は不世出の壺ふり、すなわちギャンブラーです。三回のトライでサイコロを全部縦に積み上げた、というのは、この映画でのことではなかったかと思います。

そりゃ、警察はいろいろいうでしょうし、会社としては、なにかしないわけにはいかないでしょうが、小林旭が「俺がヤクザと飲んで誰に迷惑がかかるんだ」というのも、やはり当然でしょう。

俳優や芸人というのは堅気ではありません。われわれか、あちらの方たちか、どちらに近いのか、といえば、むろん、あちらのほうに近い、というか、ほとんど同業といっていいわけで、だから、「不世出の壺ふり」の役をやって、わずか三ショットで五つのサイコロを積み上げるなんて離れ業だってできたのです。くだらんご清潔病で、芸の世界をつまらなくしないでほしいものです。

閑話休題。浅丘ルリ子の話でした。『南国土佐を後にして』では、まだ垢抜けない感じですが、女性の二十歳前後というのは、どんどん変化していきます。

渡り鳥シリーズ「正式の」第一作である『ギターを持った渡り鳥』は、劇場で撮影したすごい代物しかないので、ちょっと画質がよろしくないものの、シリーズ第二作を。

斉藤武市監督『口笛が流れる港町』


こんどはしっかり西部劇していますし、小林旭の役名も滝伸次です。なぜか宍戸錠の役名は、ファースト・ネームなしのただの「太刀岡」ですが!

浅丘ルリ子は、依然として美少女の延長線上、まだ「女優」への変貌途上というぐあいですが、なにか書かなければならないから、くだらないことをいっているだけで、いやまったく、お美しいことで、と思っています。

斉藤武市監督『大草原の渡り鳥』予告編


再び北海道にもどって、滝伸二は摩周湖のあたりをさまよっています。記憶では、この映画がもっとも完璧に西部劇していて、ジャパノ・ウェスタンの代表作といっていいと思います。

ほかに、日本製西部劇なんかないだろう、という方もいらっしゃるかもしれませんが、それは勘違い、深作欣二監督、千葉真一主演の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』なんて、タイトルからして西部劇、中身も西部劇でした。

この『大草原の渡り鳥』でしたかねえ、いつもならキャバレーで踊っているはずの白木マリが、なぜか堅気で、牧場で働いているという設定だったのは。

おかしいなあ、と思っていると、どこかで会ったはずだと考え込んでいた宍戸錠が「そうだ、あの女だ!」と思いだし、回想シーンになって、やっぱりキャバレーで踊っちゃうというのは。

しかし、浅丘ルリ子と小林旭のコンビも忙しいことで、渡り鳥シリーズのかたわら、「流れ者」シリーズという、ほとんど渡り鳥そっくり、たんにカウボーイ・スタイルではないだけ、というのをつくっています(最後に西部劇シーンありだが)。

山崎徳次郎監督『海から来た流れ者』


舞台は大島、浅丘ルリ子はバスガイド、ヘア・スタイルやメイクのせいでしょうが、こちらのほうが大人っぽく、色気があります。

つづいてシリーズ第二作のエンディングのあたり。

山崎徳次郎監督『海を渡る波止場の風』


日活アクションのヒーローは、ヒロインと結ばれることはまずないので、エンディングは、ほとんどつねにヒーローがヒロインに背を向けて去っていくシーン、どう去らせるかで、脚本家と監督はあれこれ工夫しました。

わたしは古い建築が好きで、写真を撮って歩いたりしましたが、古い映画にはしばしばすでにない建物が映っているもので、そういうのが見えるたびに、ポーズ・ボタンに手が伸びます。

しかし、考えてみると、鉄道の好きな方たちにとっても、映画はめずらしい車輌の宝庫にちがいありません。

小津安二郎のキャメラマン、厚田雄春は鉄道が好きで、そういうシーンを入れようと何度か小津をせっついたそうです。たしかに『晩春』には長い長い横須賀線のシーンがありますし、『東京物語』のエンディングも原節子と彼女を乗せた汽車でした。

小津安二郎『東京物語』予告編


小津安二郎『晩春』パート1(10:30あたりで鎌倉駅、その後横須賀線)


あるいは、野村芳太郎の『張込み』の冒頭は横浜駅から宮口精二と大木実が列車に乗るところで、その後、延々と佐賀までの道中が描写されます。

野村芳太郎監督『張込み』オープニング


日活アクションにも、たとえば『錆びたナイフ』をはじめ、鉄道のシーンがたくさんあり、列車というのは画面に躍動感を与えるものなので、監督、撮影監督はみな工夫を凝らしたにちがいありません。

それにしても、この『海を渡る波止場の風』のエンディングは、一発でOKがでないと、列車は戻さなければいけない、浅丘ルリ子はまた走らなければいけないで、えらいことだったでしょうねえ。

この「野村浩次」を主人公とした流れ者シリーズで、いちばん印象が強いのは第三作です。

山崎徳次郎監督『南海の狼火』


「ギターを持った渡り鳥」ほど好きではないのですが、「さすらい」もけっこうな曲で、結局、歌手・小林旭の未来はこの曲で定まったと感じます。

この映画での宍戸錠の役名は「坊主の政」、その名の通り、数珠をもって登場には大笑いです。こういうところが好きで、子どものころから、親に隠れて日活に宍戸錠を見に行ったのであります。

浅丘ルリ子の登場までにちょっと時間がかかりますが、これまた渡り鳥のときより大人びたメイクで、けっこうな美女ぶりです。

旭「で、踊り子の名前は?」
ル「たしか、ジェニー・ハルミといったはず」

なんていう台詞が出れば、日活ファンは、そら来た、てえんで、白木マリ登場に備えます。

渡り鳥シリーズにしても、流れ者シリーズにしても、脚本家のひとりは、当時の衆院議長である原健三郎となっていて、堀久作社長の影の面がほの見えます。暴力団は駄目で、政治家はOKって、それはないと思うのですがね。

浅丘ルリ子と小林旭は、この時期に、さらにもうひとつ、「銀座旋風児」シリーズでも共演しています。こちらは映画のクリップはないので、せめて主題歌だけでも。これが好きなんですわ。

小林旭 - 銀座旋風児


歌詞カードには「旋風児」のところに「マイトガイ」とルビがふってあります。「生まれたときから旋風児[マイトガイ]」なのです。小林旭の映画的ペルソナをこれほど端的にあらわした歌詞はありませんぜ。一度歌ってご覧なさいな。メロディーも歌詞も脳裏にこびりついて、逃げることができなくなること請け合いです。

小林信彦の「オヨヨ大統領」シリーズのどれか、たしか、『大統領の晩餐』で、鮎川哲也の「丹那刑事」をモデルにした「旦那刑事」が突然、俺は旋風児なのだ、と叫ぶのは笑いました。いや、日活ファンにしかわからないジョークですが。

矢作俊彦監督の日活名場面集『アゲイン』で見たときから、これはいつかちゃんとみないとな、と思っただけで、まだ実現していない映画。舛田利雄監督『女を忘れろ』、と思ったら、エンベッド不可というケチくさいクリップでした。気になる方はご自分で検索なさってみてください。

かわりに、こちらは大昔にテレビで見た石坂洋次郎原作もの『丘は花ざかり』の浅丘ルリ子歌う主題歌を。共演は二谷英明だなんてことはすっかり忘れていましたが。

浅丘ルリ子 - 丘は花ざかり


手をつけたときから、一回では無理かなあ、と思っていましたが、なんのことはない、1959年と60年の映画だけで終わってしまいました。これは二つか三つに割るしかないようで、つぎもたぶんルリ子の夜をやります。


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by songsf4s | 2011-11-30 23:55 | 映画
To Ryan Seとは俺のことかと「通りゃんせ」いい──ポール・マークのエキゾティカ・ジャポネ
 
今夜も散歩ブログを更新しました。外題は、

もみじは青葉より麗し

といっても、自分のデスクトップ用に加工した写真をただ並べただけです。それも、めずらしいものではなく、ふつうの楓、しかも、紅葉すらしていない、新緑の楓です。いや、それでも十分に美しいから、写真をアップしたのですが。

◆ Oedo Mehon Bashi? ◆◆
わたしは音楽的に中庸のサウンドを好むほうで(とーんでもない! という声が空耳した)、極端なものは聴かないのですが、ただし、nobody's perfect、思いだしたように、ときおりゲテに手を出してしまう悪癖があります。

とくにエキゾティカ系に弱点があり、その方面の、すくなくとも東洋人には奇妙に見える欧米人の東洋趣味が濃厚にあらわれたものには、ころりとやられてしまいます。

今夜、聴いていたのは、こんなジャケットの代物。

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もうジャケットからして高純度のバッド・テイストが横溢し、これを聴かずにいたら、これまでの人生が無駄になってしまうという焦燥感に駆られました!

そのような衝動を共有する方がいらっしゃるかどうかは知りませんが、ここはわたしのブログ、勝手にやらせていただきます。

サンプル Paul Mark & His Orchestra "Aizu Ban Dai San"(会津磐梯山)

いやあ、この曲のこういうアレンジというのは、日本人の発想にはありませんなあ。いや、われわれ日本人だって、手をこまねいて見ていたわけではないのですがねえ。たとえば、こういう試みがあります。

小林旭「アキラの会津磐梯山」


女声コーラスが風変わりでありながらキュートで、えもいわれぬ魅力があります。

ポール・マーク・オーケストラのEast to Westというアルバムは、ソング・リスティングまでヘンテコリンで、二度おいしいアルバムです。

Hietsuki Bushi
Kokoni Sachiare
Oedo Mehon Bashi
Children's Medley
Ringo O Iwake
Akai Rampu No Shu Resha
Itsuki Komori Uta
Chakkiari Bushi
Hana Kota Ba No Uta
Aizu Ban Dai San
To Ryan Se
Hana Gasa Dochi
Wakare No Isochidori
Sakura Fantasy Medley

Oedo Mehon Bashiはもちろんお江戸日本橋、りんご追分=Ringo O Iwakeの語の切り方が変ですし、Hana Kota Ba No Utaも同断。Aizu Ban Dai Sanだって、こんなに細かく切ることはないでしょうに。

もう一曲ぐらいいこうかと思ったのですが、ポール・マークのキャリアを調べているうちに時間がなくなってしまったので、べつの機会に。


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ポール・マーク&ヒズ・オーケストラ(MP3)
East To West
East To West


小林旭
小林旭マイトガイトラックス VOL.1
小林旭マイトガイトラックス VOL.1
by songsf4s | 2011-05-12 00:05 | Exotica
ギターを持った渡り鳥 by 小林旭
タイトル
ギターを持った渡り鳥
アーティスト
小林旭
ライター
西沢爽、狛林正一
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1959年
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今月の風の歌特集では、日本の曲をどうするか、はじめたときからずっと悩んでいます。悩みに悩んで、とうとうあと一週間になってしまったので、ど真ん中のストレートにしました。

いや、ど真ん中のストレートは、当家の場合、はっぴいえんどだろうというご意見もございましょうが、わたしの頭のなかでは、やはり上座にデンと坐っているのはアキラなのです。なんといえばいいんでしょうねえ……。いい音楽というのは、それが流れた瞬間、その場の色を染め上げてしまうものだと思います。たとえば、映画のなかで、フランク・シナトラのNew York New Yorkが流れると、「そういうムード」になるでしょう? あれです。

はっぴいえんどの風の歌も、何度かCMに使われ、「そういうムード」をもっていることが証明されています。でもねえ、「ギターを持った渡り鳥」の「そういうムード」パワーたるや、「風をあつめて」どころじゃないですよ。いや、反論はしかと承る覚悟ですが(「しかと」が「シカト」と変換されてしまった。気が向けばユーザー皮肉るFEPかな)、でも、小林旭とはっぴいえんど、どっちが偉いか、と子どものケンカをすれば、これはもう、アキラというしかないでしょう。反論されても、子どものケンカだから、拳固で決着つけるしかありませんぜ。「拳をね、こう、隠しもってるんだね、貯蓄拳固……なんて」と志ん生もいっています。

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◆ 風がそよぐよ 別れ波止場 ◆◆
今日は歌詞とコードをいっしょにご覧いただきましょう。たんにタイプの手間をはぶきたいだけですが。

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かすれている文字はDm7です。じっさいのキーはEbなので、盤に合わせて弾きたい、あるいは小林旭と高音比べをしたい場合は、転調してください。

このコード譜に問題があるとしたら、「夜にまぎれて」のAでしょう。ここはペダルポイント的にDmのルートを半音ずつ下げるほうが合うと思います。コードでいうと、Dm-Aaug-Dm7というあたりです。コードネームにすると変なところにいくように見えますが、指板上では1本の弦を半音ずつ下げるだけ、キーボードならさらに楽です。

もう一カ所、「どこへゆく」のDm7とCのあいだに、G7をはさむほうがいいでしょう。IVから直接にIにもどるのではなく、一度VにいってからIにもどるというノーマルな手続きを踏んでいます。これがあると、「解決」した感覚、一巡した感覚になりますから。

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『ギターを持った渡り鳥』 小林旭と浅丘ルリ子。背後は函館の市街。

いきなりコードの話になってしまったので、先にその点からいきます。ポップ・ミュージック的にいうと、2行目までがヴァース、3行目から5行目までがコーラスになっています。ヴァースのコード進行はいたってノーマルです。

この曲の勝負は、アキラが例の脳天に突き抜けるハイ・ノートをヒットする、パセティックな味わいのコーラスのほうにあります。コードはおおむねノーマルに動きますが、メロディー・ラインは、半音ずつ上げたり下げたりするところが出てきて、ピッチの悪い歌い手(たとえば、かくいうわたし)がうたうと、気持ち悪く聞こえるくだりです。よほど自信のある方以外は、カラオケでは歌わないほうがいいでしょう。もっときびしい難所のある裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」同様、a must to avoidです。

うっかり、「脳天に突き抜ける」などと書いてしまいましたが、「ギターを持った渡り鳥」の最高音は「ファ」です。「ファ」ぐらい、わたしだって若いときは出ました(この年ではもう無理。ヴォイス・トレーニングを受けているキムラセンセにお任せします)。

なぜ、「ファ」ぐらいで「脳天に突き抜ける」と感じるかといえば、それはもう、これこそがアキラの武器だったからです(過去形で書かなければならないのは残念)。グラム・パーソンズがあの低音のクラッキングでリスナーをノックアウトしたように、アキラはハイ・ノートで聴き手の「魂をもっていく」のです。「フランク永井は低音の魅力」「漫談の牧伸次は低脳の魅力」なら、「小林旭は高音の魅力」なのです。

作曲の狛林正一は、そういうアキラの特長を生かすために、「ギターを持った渡り鳥」のコーラスに半音進行を使ったのでしょう。「これぞアキラ節」という、オーセンティシティーを確立する曲だったと感じます。

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『大草原の渡り鳥』 小林旭と宍戸錠。

◆ 「不良」の見る映画 ◆◆
1959年といえば、わたしはまだ小学校にも上がっていなくて、残念ながら、「渡り鳥シリーズ」は、リアルタイムでは、最後のほうのぐずぐずに崩れたものを見たボンヤリとした記憶があるだけです。

小学校に上がるまえからひとりで映画館に行っていましたが(幼稚園が休みのときは、託児所代わりに、お隣といっていいほど近くの大映東映併映館に「あずけられ」ていた。昼食後、映画館に連れていかれ、夕食前になると母親が「ごはんですよ」と迎えにきた。テレビ普及以前のお話)、日活だけは、ひとりでいくのを禁じられていたのです。

しかし、裕次郎と吉永小百合の映画はかなり古いものでもリアルタイムで見ています。裕次郎は母親のお供、吉永小百合は兄のお供なので、見られたのです。でも、父親がアキラのファンというぐあいには話がトントンと運ばず、だれも連れていってくれませんでした。ほかの映画館はぜんぶひとりでいっていたのに、日活だけは不可。これが当時の日活の価値だったといっていいでしょう。昔の表現でいうと、「不良の見る映画」です。

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『口笛の流れる港町』 小林旭と宍戸錠。

山田風太郎が、戦争直前の旧制中学時代、映画館に入ると退学だったということを書いていましたが、小林信彦のエッセイによると、戦後なのに、日活映画を見るのを禁じていた学校があったそうです。わたしが通った小学校では、そんなことはありませんでしたが、両親に禁じられたということは、あの時代、世間では「日活は不良の温床」というのは常識だったのでしょう。「不良」なんて言葉もいまでは懐かしいですがね。

じっさいには、大部分は禁じなければならないようなものではなく、穏当な映画ばかりです。とくに「渡り鳥」は、アウトロウと見られがちな流れ者が主人公ではあるものの、簡単にいえば、各地の地上げ屋(たいていが金子信雄)との終わりなき戦いの物語で、いたってモラリスティックです。

小学校高学年になると、親には東宝か洋画館にいくようなことをいって、日活にもぐりこんでいましたが、ロビーに怖い中学生や高校生がとぐろを巻いていて、通りかかる小心な小学生から小銭を巻き上げる、なんて気配もありませんでした。ほかの映画館といっしょです。ゲーム・センターのほうがよほど危険だったでしょう(もちろん、そちらのほうは、学校がきびしく立入禁止を言い渡していた。自動車模型のレーシングが流行していたころ、何度か兄に連れていってもらったことしかない)。だいたい、映画館に入ったら、映画を見るだけで忙しく、ほかのことなんかやれるはずもないのです。

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『渡り鳥いつまた帰る』 アキラとジョー。

◆ ♪あかーい、夕陽よー ◆◆
フラン・オブライエンの『第三の警官』に登場するド・セルビー教授が、「旅の記憶は一枚の写真のようなものになってしまう」という趣旨のことをいっていましたが、あらゆる記憶は、最終的には、スティルへと縮小していくような気がします。

映画館を託児所としていた時代に見た無数の東映時代劇の記憶は、結局、万事が解決し、旅に出ることにした主人公が、日本晴れの富士山に向かって歩いていく光景にまで縮小してしまいました(茶屋でだんごを食べていた子分の三下が、主人公がいなくなったのに気づき、あわてて「旦那、だんなー、待ってくださいよ~」と、これまた富士山に向かって手を振りながら走っていく、というシーンも追加される)。

では、「渡り鳥」はどこに圧縮されたかというと、アヴァン・タイトルで、小林旭が馬に乗って峠にあらわれ、眼下の風景を見下ろす、真っ赤な文字のタイトルが、起きあがってくるように、バーンと表示され、「あかーい、夕陽よー」で「小林旭 浅丘ルリ子」と併記で名前が出る、というシーンです。

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『大草原の渡り鳥』

なんでしょうねえ、あの晴れやかな気分は。いい年した大人としては、馬鹿馬鹿しいと思うのですよ。でも、「あかーい、夕陽よー」が出てきたら、もうそれ一色に世界が染め上げられてしまいます。このパワーはなんなのか?

まず第一に、やはりこのテーマ曲がじつによくできているということでしょう。並べて比較したわけではありませんが、映画ごとに新たに録音していたのだと考えています。いくつか、「あれ?」と感じたものがありました。もともと、かすかにそういう要素が組み込まれているのですが、カントリー&ウェスタン的なアレンジのものもありました。なかには、違和感があって、乗れないなあ、と感じた作品もありました。ということはつまり、このテーマ曲が、映画を見る気分を決定づける要素になっているということです。

当たり前です。プロットは似たり寄ったりで、意外性はなく、想像したとおりに運んで、想像したとおりに終わるようにできています。それがプログラム・ピクチャーというものです。すべては「パッケージ」されているだから、「同じ」テーマ曲が流れるのは死活的に重要なのです(東宝はこの点を理解していなかった。ゴジラが「シェー」をやったり、トゥイストを踊ったりすることに、子どもはどれほど失望したことか! 小林旭がテスコのギターを背負い、グヤのアンプを馬腹に提げて登場したら、だれだって失笑するはずで、それと同類の間違いを犯したゴジラ映画は当然、衰微した。え? そういう問題じゃないって? 問題はギターの種類ではなく、つねにギターを背負っているのからして変だ? いや、それをいうと映画が成立しなくなるので、いいっこなし)。

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『渡り鳥いつまた帰る』 アキラとジョー。はじめは敵役の悪党だったジョーは、いつのまにか滝伸次の相棒のようになっていた。

ノスタルジーにいくぶんか目を曇らされているのかもしれませんが、ああいう、晴れやかな気分になるシーンというのは、洋邦問わず、70年代以降の映画では出くわしたことがありません。やはり、楽天的な時代が生んだものではないかという気がします。

昭和30年代が、戦後日本の黄金時代であったかのようにいう気は毛頭ありません。あの時代は貧しすぎます。飢餓線上の極貧の生活をしている人がいても、べつに不思議とも思わなかった社会を、時間がたったからといって肯定するほど、わたしは度胸の据わった嘘つきではありません(「小心な嘘つき」ではある!)。現に、「渡り鳥シリーズ」は昭和30年代の日本の悪と闘う物語でした。あそこに描かれていたのは、現今とまったく同じ、もっている金額の多寡がなによりも重要な社会です。そんなものを肯定できるはずがありません。

でも、それでもなお、「あかーいー、夕陽よー」とアキラの声が流れたとたん、ほんの一瞬だけ、あれはいい時代だった、という錯覚に陥ります。当時の日本がよかったわけではなく、それが歌の力であり、小林旭という稀有のシンガーの力だということです。

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西沢爽『雑学 東京行進曲』 「ギターを持った渡り鳥」の作詞家は、いつのまにか音楽史家になっていた。すばらしい戦前期流行歌研究書で、おおいに感銘を受けた。

by songsf4s | 2008-05-24 23:55 | 風の歌