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嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その4
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
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小林旭の『渡り鳥シリーズ』を何本かご覧になった方は、かならずといっていいほどキャバレーのフロア・ショウがあり、そのダンサーもいつも同じ女性だということに気づかれたはずです。演ずるは白木マリです。

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渡り鳥シリーズのどれだったか、白木マリが牧場で働く(ウェスタンなのだ!)堅気の女になるのがありました。変だな、フロア・ショウはないのかよ、と思ってみていると、回想シーンで、元はダンサーだったことがわかり、ちゃんと踊ってみせます。これには大笑いしました。マンネリ化を自覚し、それを逆手にとったセルフ・パロディーだったのでしょう。

柴田錬三郎がおなじようなことをしています。『江戸群盗伝』で万事めでたく解決し、惚れた女(というか、お姫様)と結ばれた主人公が、『続・江戸群盗伝』の冒頭では、幸せな生活に退屈しきっているというのは笑いました。

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子どもはいざ知らず、大人としては、「その後、二人は幸せに暮らしました」なんていう結末には、ほう、その後って、どれくらいの年月だよ、明確に数字をあげてもらおうじゃないか、と物言いをつけたくなります。

「その後」の耐用年数というのは、平均すると数年じゃないかと思いますよ。たとえ、現実に「その後、二人は幸せに暮らしました」になったカップルがあっても、この「その後」はすぐに終わり、またさらに異なった「その後」があるのが人生というものです。

またしても脇道の脇道に入りこんでしまいました。渡辺武信によると、のちに日活アクションのおきまりの景物となる白木マリのフロア・ショウは、じつは『嵐を呼ぶ男』がお初なのだそうです。知りませんでした!

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白木マリのことが気に入った石原裕次郎は、ちょっとした遊びをしかける。はじめはTaboo風(だからフロア・タムを叩いている)のミディアム・スロウの曲をプレイしていたのだが、いきなりアップにテンポ・チェンジをしてしまうのだ。

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勝手にテンポを変えられて、白木マリは一瞬、ダンスをやめてしまうが、それはカウントのためであって、すぐにテンポを合わせてダンスを再開する。現実にこういうことが起きれば、こんなに長くカウントせずに、すぐにテンポを合わせてしまうだろうが、映画表現としては、説明的に長くなるのはやむをえない。どうであれ、このシーンは、この映画で音楽が有効に利用された稀な場面だった。

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『嵐を呼ぶ男』では、白木マリは石原裕次郎のライヴァルである笈田敏夫扮するドラマーの恋人になったり、マネージメント会社のボス・安部徹(Movie Walkerのデータベースは、この役を市村俊幸が演じたとしている。まさかね! どう見ても「ブーちゃん」のタイプではない。Movie Walkerはキネ旬の古い資料をベースにしているところがいいのだが、古い資料のミスをそのまま引き写した結果が市村俊幸なのだろう)の情婦になったり、それと並行して石原裕次郎にも色目を使ったりで、なかなか忙しい女です。

なぜこれほどさまざまなことをひとつの役に押しつけたのかは不可解で、これもまたシナリオの欠陥に思えるのですが、どうであれ、白木マリは狂言まわしとなって、さまざまな転換点にからんでいきます。

◆ 安直和解 ◆◆
青山恭二のコンサートの会場で、白木マリは北原美枝に話しかけます。わたしのせいで「正ちゃん」(石原裕次郎)は安部徹の配下に痛めつけられることになった、彼はあなたのことを愛しているのに、金子信雄に脅されて身を退いたのだ、と明かします。ついでに、母親につらく当たられるのをすごく悲しんでいるなどとも話します。

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こういう処理は子どものころにたくさん見たので、懐かしくはあります。第三者の証言によって、主人公が甘んじて受け入れた汚名がはれるというのはよくあるエンディングのパターンですし、じっさい、効果を上げるからパターン化したのでしょう。

でもねえ、これを柱の陰で母親がきいて、思わず涙を流し、わたしはひどい母親だったと手のひら返してしまうのはどんなものでしょうか。これしきのことでみずからの非に気づく母親なら、そもそもはじめから、この親子のあいだにはなにも問題は起きなかったにちがいありません。弟のコンサートという派手な場面にからませて、親子の和解をするという、作り手の都合に合わせただけの、なんともはや、おそろしく安にして直な和解案です。

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ただし、公平にいって、『愛染かつら』が大ヒットしたのも、『君の名は』が大ヒットしたのも、そして、見たことがないので友人の言の受け売りですが、『冬のソナタ』が大ヒットしたのも、こういう臆面のない、恥知らずな安直さにあったわけで、客はこの解決を好んだのでしょう。わたしは願い下げですがね。

◆ シンフォニック・ジャズ・スコア! ◆◆
青山恭二がオーケストラをコンダクトするシーンは、アルフレッド・ヒチコックの『知りすぎていた男』のように、オーケストラそのものになにか仕掛けがあるわけではないので、それほど有効なショットにはならず、背景でしかありませんが、周囲の人びとの動きと、ステージをカットバックで見せることで、それなりの緊迫感はつくっています。

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ここで使われる音楽ですが、会場の入口のポスターに「シンホニック・ジャズ」(「ホ」は恐れ入るが!)とあるとおり、ガーシュウィンのRhapsody in Blueを意識したものになっています。ここはやはり、そうあってほしい、というか、この映画の気分からいって、それ以外にはないと感じます。

ただし、大森盛太郎か井上梅次か、はたまたそれ以外のだれかのアイディアかわかりませんが、そうしたディテールが(とりわけ当時の観客に)どの程度理解され、評価されたかは心許ないところです。だから、映画製作者はだれにでもわかる『愛染かつら』式安直さを選択してしまうのであって、そこは理解していますが、でも、やはり賛成はできないのです。

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いえることはただひとつ、作品が腐らないようにするためには、ディテールで手を抜かないことが重要であり、安直さに流れることをつねに戒めていれば、後世の評価を受けるチャンスがめぐってくる、ということだけです。

「後世」を構成するひとりとしていえば、ここになんのひねりもないストレートな伝統音楽ではなく、シンフォニック・ジャズをもってきたことは、この映画の数少ない美点のひとつと感じます。大森盛太郎音楽監督の発案であれ、最終的な判断は監督にあるので、ほかのことはともかく、この点に関しては井上梅次監督にも頭を下げておきます。シナリオは目も当てられない出来ですが、スコアに関するかぎり、『嵐を呼ぶ男』は日本映画史上屈指の秀作なのです。

サンプル1 シンフォニック・フラグメント1(トラック17)

サンプル2 シンフォニック・フラグメント2(トラック18)

サンプル3 シンフォニック・フラグメント3(トラック19)

サンプル4 シンフォニック・フラグメント4(トラック20)

いや、もちろん、当時の日本のオーケストラだから、レベルの高いパフォーマンスとはいいかねます。同じ地面で後年の、あるいは海外のオーケストラと比較できるプレイではありません。でも、音楽監督の意図を頭のなかでイメージし、現実の音を補正して聴くぐらいのことは、音楽ファンならだれだってできることです。

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◆ 『嵐を呼ぶ男』と『陽のあたる坂道』 ◆◆
わたしは日活が大好きだし、石原裕次郎を信奉したりはしないものの、彼があの時代のもっとも魅力的な俳優のひとりであったことには、まったく異論はありません。でも、こういうシナリオには、やはり気分が暗くなります。いや、『嵐を呼ぶ男』が大コケにコケたならいいのですが、爆発的にヒットしたのだから、撮影所の歩みという観点から見ると、やはり禍根を残したと感じます。

「いい映画」「よくできた映画」ではなくても、どこかに突出した魅力があればそれでいい、とは思います。この映画でいえば、石原裕次郎の身のこなしと、スネア・ドラムを中心とした派手で躍動的なスコアの結びつきは、いま見てもきわめて魅力的ですし、当時にあっては、かつて日本映画に存在しなかった「斬新なエクサイトメント」と受け取られたであろうことは容易に想像がつきます。

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だから、大ヒットしたのも、まあ、当然といえます。でも、こういう穴だらけの不出来な映画がヒットするというのは、じつに不幸なアクシデントであり、未来の致命的な蹉跌の序章でもありました。

必要なのはヒットであって、秀作ではない、ヒットさえすればそれでいい、というのは、長いスパンで見れば、みずからの首を絞める観念です。結局、日活はこの罠にはまったのだと考えます。日活にかぎらず、日本映画全体が、というべきでしょうが。

ヒットの理由を明確に分析できるなら、ヒットさえすればそれでいい、という考え方でもやっていけるでしょう。問題は、ヒットの理由というのはつねに分析困難であり、たとえ分析できたとしても、応用はほとんど不能という点にあります。そして、映画にかぎらず、成功はつねに失敗の母です。

『嵐を呼ぶ男』は、細かく検討すると、ほとんどいいところがなく、肯定できるのは、1)題材の選択、2)大森盛太郎のスコア、3)石原裕次郎の圧倒的な魅力ぐらいしかありません。映画作りの根本において、気に入らないことだらけです。それだけに、映画は論理や言葉ではなく、視覚と聴覚なのだということを改めて痛感させられる作品だということもいえますが、でも、要するに、たんなる「まぐれ当たり」にすぎません。

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『日活アクションの華麗なる世界』によると、『嵐を呼ぶ男』はこの年の興行収入ベストテンに入る大ヒットだったものの、トップは同じ石原裕次郎主演でも、田坂具隆監督の『陽のあたる坂道』のほうだったそうです。

『嵐を呼ぶ男』は石原裕次郎が決定的にブレイクした大ヒット作、ということはだれでもいうので、もういいでしょう。たいした意味はありません。『陽のあたる坂道』にはかなわなかったという事実のほうが、重要な意味をもっています。

日活首脳陣は、この年に経営方針を考えるための好材料を二つも手に入れたのに、分析を間違ってしまったのでしょう。井上梅次はさておき、たとえば、舛田利雄のような商業的に安定した成績を上げる職人は貴重な存在ですが、いっぽうで、田坂具隆的な方向性をもつ監督、メイン・ストリートのそのまたど真ん中を行く「作家性」のある監督を生む努力をしていれば、ロマンポルノはなかったにちがいありません。いや、そのまえに、鈴木清順を、よりによって『殺しの烙印』を理由に馘首するような撮影所にはならなかったでしょう。

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by songsf4s | 2009-11-25 23:48 | 映画・TV音楽
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その3
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
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なんだか、『嵐を呼ぶ男』その1でも、その2でも、映画自体はあまり褒めなかったというか、どちらかといえば、けなしっぱなしですが、今回も、結局、シナリオの穴を列挙することになってしまいました。

考えてみると、井上梅次という監督とは相性がよくなくて、見たのはほんの数本ですが、どれもあまり気に入りませんでした。相性はどうにもならないので、井上梅次ファンにはごめんなさいして、シナリオ欠陥探しをつづけます。

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わたしが最終的に強調したいのは、シナリオがどれほどひどくても、それがヒットかミスかに影響を与えないという、偶然ないしは時の勢いというものの恐ろしさのほうなので、どうかあしからず。

あ、もうひとつ、勝因分析を誤るのはよくあることだし、状況は刻々変化することを忘れるのは人間のつねである、ということも日活の歴史は教えてくれます。昨日の真実は今日はもうガラクタなのです。

◆ 愚かさの連鎖 ◆◆
すこしストーリーラインを追います。

石原裕次郎は、音楽業界ゴロである金子信雄が、裕次郎が属すバンドのマネージメントをしている北原美枝に横恋慕しているのを利用し、自分を売り出してくれたら、仲を取り持ってやると約束します。しかし、いっしょに暮らすうちに自分自身が北原美枝に恋してしまい、約束を反故にしてしまいます。

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取引成立、カンパーイ。でも、こういう風にプロットを発展させるのは、主人公のキャラクター設定と矛盾しているように感じる。

裕次郎には音楽学校で作曲を学んでいるまじめな弟・青山恭二がいます。母は音楽家など職業ではない、次男には会社員になって欲しいのに、長男が悪い影響を与えているといいますが、それをいうにはもう遅すぎるでしょう。

音楽学校へ行くのは、ふつうは音楽家になるためであって、サラリーマンになるならべつのコースを選んでいなければいけないのは、だれだってわかることです。文句をいうならコースを選択するときであって、コースを選択し終わったあとでは無意味です。シナリオ・ライターはこういう矛盾に気づかないのでしょうか? それとも、そういう分別すらない愚かな人間として、この母親を描きたかったのでしょうか。不可解。

さて、この弟が非常に優秀で、アメリカの財閥(と解釈した)が新たにはじめる新人作曲家奨励プログラムの第一回に選ばれ、自分の曲を発表するチャンスを与えられます。ここまでは、失速寸前ではあるものの、まあいいとします。

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青山恭二(右手前)

問題は、これをネタに、金子信雄が裕次郎に威しをかけることです。北原美枝をあきらめないと、弟のコンサートを妨害するというのです。金子信雄の役が非常に影響力の強い音楽評論家だということは何度も強調されますが、それにしても、ワン・ショットのコンサートをどうやって妨害するというのか、そのへんの説明がありません。せいぜい、あとで雑誌や放送でボロクソにけなすぐらいのことでしょう。そういう迂遠なことでは、遅かりし由良之助です。

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音楽評論家・金子信雄はテレビのレギュラー番組をもっていて、そこであれこれと綾をつけたりする。アナウンサーは阿井喬子! Jun、クラシカル・エレガンス、といっていたセクシー・ヴォイスのあの人、例の深夜放送のDJである。クレジットには、NTVと出るので、このときは現役のNTVアナウンサーだったようだ。

いろいろ想像をめぐらせてみましたが、わたしにはさっぱりわかりません。あの時代には音楽評論には影響力があったのでしょうか。信じがたいですね。わたしの知っている日本では、そんなことが起きるはずがありません。音楽評論も映画評論も、客の気分やサイフの開閉にはなんの影響も与えなかったし、いまも無関係でしょう。せいぜい、スキャンダルでも暴いて、裏側から追い落とすぐらいのことしかできないだろうと思います。

◆ 批評? そんなものは犬にでもくれてやれ ◆◆
北原美枝と敵対するマネージメント会社のボス、安部徹はダンサーの白木マリを情婦にしています。脅迫のために北原美枝をあきらめた石原裕次郎は、泥酔して白木マリのアパートに泊まります。これを誤解され、安部徹の配下(もちろん高品格を含む!)にリンチにあうシーンでは、石原裕次郎はふたたび金子信雄に、弟に手を出さないと約束するなら、俺も男だ、なにをされても警察沙汰にはしない、などといいます。

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ここもプロットが亜脱臼しています。どうやって妨害するのか、方法をたしかめずに威しに屈するのは納得がいきません。妨害だ? できるものならやってみろ、評論家風情がしゃらくさい、といえば一件落着ですよ。そもそも、そういう台詞のほうが裕次郎らしいでしょう?

この映画は批評を極度に過大評価しています。批評でなにかが成功したり失敗したりなんて、ブロードウェイならいざ知らず、日本では聞いたことがありません。批評になにか力があるとしたら、そもそも日活自体が、石原裕次郎のデビューとともに倒産していたでしょう! 裕次郎が大スターになったことが、すでに批評の無効性を証明しています。映画評論家がなにをいおうと、だれも相手にしなかったからこそ、日活アクションに客が入ったのです。

しかし、またしても、視覚の刺激は論理を蹴散らします。子どものわたしが、この映画で記憶に深く刻みつけたのは、ほかならぬこのリンチ・シーン、とりわけ、コンクリート片で裕次郎の右手をたたきつぶすショットです。『嵐を呼ぶ男』というのは、長いあいだ、わたしにとっては「指をたたきつぶす映画」でした。ほかのことはみな忘れてしまいました。

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さすがは日活アクション、ヴァイオレンス・シーンは生彩がある。廃ビルのセットもムードがあるし、裕次郎の動きもいい。

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暴力を行使する者と、暴力に屈する者のあいだには、あるエロティシズムが介在することを、子どもは鋭敏に感じとったのでしょう。いまのわたしは鈍感な大人なので、そういう微細なところに隠れた真理をたちどころに読み取るセンスは持ち合わせていません。

ともあれ、シナリオ・ライターがこれほど巨大な穴を放置して安閑としていられたのは、結局、金子信雄の役柄が評論家というより業界ゴロであり、安部徹の役がマネージメント・オフィスの社長というより暴力団のボスであり、会社には暴力のプロがゴロゴロしているという設定のおかげでしょう。金子信雄が「妨害」を暗示すると、石原裕次郎も観客も、ペンではなくドスによる妨害をイメージするのです。音楽映画じゃなくて、ヤクザ映画ですな!

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左から笈田敏夫、安部徹、金子信雄の悪の三羽烏。安部徹が善人を演じた映画が少なくとも2本あるらしいが、どちらも見たことがない。ぜひ見てみたいものだ! 金子信雄や二本柳寛の善人は何度か見たが、安部徹は悪役しか見たことがない!

◆ 変なキャラクターの変な言動 ◆◆
話は、弟・青山恭二の晴れ舞台へと収束していきます。裕次郎が甘んじてリンチを受けた結果、ヤクザ者や音楽ゴロとはすべて話がついているので、もうたいしたことは起きそうもないのですが、そこが「母もの映画」、そっちのほうの決着をクライマクスにもってきています。

兄の石原裕次郎が病院から逃げだし、どこかに行ってしまったために、心から兄を信頼していた青山恭二はパニックに陥り、これではオーケストラの指揮などできない、などと子どものようなことをいいます。

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この弟のキャラクターがかなり子どもっぽく設定されているし、青山恭二という俳優の持ち味もまた気弱そうなところにあるので、日活映画を見慣れた人間なら「青山恭二がやりそうな役だ」と思うのですが、それでも、ここはおおいに引っかかりました。そんな馬鹿なことがあるかよ、兄は兄、コンサートはコンサート、まったく次元がちがうだろうが、です。

結局、周囲に説得され、お兄さんはかならず見つけ出すから、といわれて、青山恭二は指揮台にあがるのだから、なんのためにダダをこねたのかもわかりません。ダダをこねたことが、その後の展開にまったくなにも影響を与えないのです。変なシナリオ!

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またしても時間が足りず、もう一回、『嵐を呼ぶ男』を延長させていただきます。次回は間違いなくエンド・マークにたどり着けます。


by songsf4s | 2009-11-23 23:58 | 映画・TV音楽
フィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveと大森盛太郎の「嵐を呼ぶ男メイン・タイトル」など

今日はちょっと体調すぐれず、またしても「親子酒」のように、ぐるぐる回る家に住んでいるような気がしたため、まとまったことを書くだけの時間がとれませんでした。でも、更新がなくてもちらっとのぞいてみる方がたくさんいらっしゃるので、ちょっとだけ四方山話。

まず、ちょっとしたミスで、昨日の記事から漏れてしまった、『嵐を呼ぶ男』のサンプル音源をどうぞ。

サンプル1 メイン・タイトル(大森盛太郎)

サンプル2 スネアのパラディドル1

サンプル3 ハイハット

サンプル4 スネアのパラディドル2


◆ 怒濤の更新中 ◆◆
みなさんは、右のFriendsリンクにある、オオノさんのブログ(「YouTubeを聴く」というタイトルだったが、いまはタイトルなし?)がすごいことになっているのにお気づきでしょうか。

ときおり、LPリップが放出されていることには、過去にも当ブログでふれましたが、最近は、「ときおり」ではなく、「しょっちゅう」さまざまな盤が公開されています。

そして、その選択がまたシブいのです。そこらにあるものなんか一枚もありません。みな、なんらかの意味で貴重なものです。

最新の一枚は、今日11月19日現在ではフィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveです。これについては、当家でも過去に記事にしています。ずっと聴きたかったアルバムなので、ウハウハいいながらファイルをちょうだいしました。これからの季節にはふさわしい音ですし(今日の当地は真冬の寒さ!)、「ハリウッドの洗練」とはどういうものかを知るには恰好の盤です。

お断りしておきますが、フィーリクス・スラトキンのOur Winter Loveはあくまでも「ラウンジ・ミュージック」なので、そのへんを勘違いなさらないように。「ロック」とは無縁です。いや、いまもこれを流しながら書いているのですが、じつに気持ちのいいサウンドです。ドラムはシェリー・マンでしょうかね。スラトキンを聴くたびにそう思います。

ビリー・ストレンジ御大の三枚、Billy Strange and The Challengersde SADE (1969)Bunny O'Hare (1971)も、そんじょそこらで見つかるものではありません。Bunny O'Hareにいたっては、わたしは存在すら知りませんでした。

このシリーズはどこまでつづくのか知りませんが、このところの怒濤の勢いからして、すぐに終わることはないでしょう。まだ何枚かは、オオノさんが蒐集されてきた、レッキング・クルー関係のレアLPが登場するものと思われます。
by songsf4s | 2009-11-19 23:58 | 映画・TV音楽
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) その1
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
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『嵐を呼ぶ男』が大ヒット作であることは前回の『予告篇』で書きましたが、すぐれた作品かというと、ちょっと言葉に詰まります。

こういうときには、よそさんの助けを借りるにかぎります。『日活アクションの華麗な世界』の上巻で、渡辺武信は(やはり出来自体は褒めずに!)以下のように大ヒットの理由を分析しています。

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あの時代の気分をどちらが理解していたかといえば、もちろん、『嵐を呼ぶ男』の公開時に十九歳だったという渡辺武信のほうであって、幼児にすぎなかったわたしではありません。そうお断りしたうえで、まずはわたしなりにヒット要因を考えてみます。

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◆ 母ものプロット ◆◆
渡辺武信は日活アクション初期の、とくに石原裕次郎が演じたヒーローを「孤狼型ヒーロー」と「家庭型ヒーロー」に分け、『嵐を呼ぶ男』を後者に算入しています。そういう二分法でいえば、たしかにそのとおりだろうと思います。

そして、ヒットの理由のひとつは、そこにあるのではないでしょうか。もうすこし細かくいうと、石原裕次郎演じる『嵐を呼ぶ男』のドラマー、国分正一には家庭があり、父はいないものの、母や弟と同居し、自分につらく当たる母を大事に思い、弟の面倒をよく見る人間です。

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兄のことを取りなす次男(青山恭二)と、まったく取り合わない母(小夜福子)、そして、ふれくされる「ヤクザな」長男。

これが大ヒットの最大の要因ではないかと思います。家庭をもたない「孤狼型ヒーロー」(当家で過去に取り上げた日活アクションでいえば、『東京流れ者』『拳銃は俺のパスポート』『霧笛が俺を呼んでいる』などがこのタイプにあたる)の映画は、どれも前回書いたわが家の騒ぎのように、一家総出で見に行くようなものではありません。巨大な鬱屈を抱えた若年層をなだめるタイプの映画です。

例によって、性格づけだの属性だのを洗い流し、骨組みだけを見れば、『嵐を呼ぶ男』は、「瞼の母」に代表される「母もの」のような気がします。目の前にいるのだから、この「新・瞼の母」の主人公は、母を求めて物理的な放浪はしませんが(だが、家にも落ち着けない)、「心理的彷徨」を強いられています。

「彼が求める母」はそこにいないか、あるいは、彼の存在を認めないのだから、いないも同然、したがって、「発見しなければならない母」だということにおいて、『嵐を呼ぶ男』は「瞼の母」と本質的に懸隔がありません。

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裕次郎がなにをしても、母は悪いほうへと解釈する。なんにだって受け取りようというのはあるものだと感心するほど意地が悪い!

もちろん、「瞼の母」だけでヒットするなら、『嵐を呼ぶ男』ではなく、『瞼の母』をつくればいいのであって、石原裕次郎は番場の忠太郎を演じることになってしまいます。だから、骨組みの周りの肉付けも重要で、それが渡辺武信が指摘したような、ドラマーという属性や、芸能界という舞台であり、そこに「瞼の母」を流し込んだことで、大勝利を得たのでしょう。

◆ 異例のスコア ◆◆
『嵐を呼ぶ男』はひどく古めかしいプロットの映画です。当家ですでに取り上げた映画でいえば、『狂った果実』『拳銃は俺のパスポート』『霧笛が俺を呼んでいる』といった作品にくらべると、泥臭いというか野暮ったいというか、土着のにおいが濃厚にある映画です。これより前の石原裕次郎主演作、たとえば『狂った果実』や『俺は待ってるぜ』などとくらべると、『嵐を呼ぶ男』は、時代意識としては後退した映画です。

ただし、その古めかしい「瞼の母」的構造から目をそらす、新しい要素がこの映画にはあります。音楽です。旧来のオーケストラ音楽も使われているし、小編成のストリングスによる叙情的な「キュー」もあるのですが、全編に渡って鳴り響いている支配的サウンドは、スネア・ドラムのパラディドルです。

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これは革命的というか、生涯に見た映画を思いだして、よーく考えてからこのセンテンスを書いているのですが、こんなにスネアのパラディドルばかりが聞こえる映画はほかにありません。そして、このスネア・ドラムの派手な4分3連や16分が、この古めかしい骨組みの映画に斬新な感触を与え、すばらしい躍動感を生み出しています。

とりわけ、演奏シーンではなく、普通のシーンに使われたときに、このスネア・ドラム(およびその付録としてのアップライト・ベース、ピアノ、ヴァイブラフォーン、テナーサックスのサウンド)は、画面を強く突き動かす原動力になっています。わたしが知るかぎり、このように、スネア・ドラムのパラディドルを大黒柱として組み上げられた映画スコアはほかにありません。

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このシーンではキャメラはクレーンに載って動くのだが、背後ではスネア・ドラムのパラディドルが鳴り響いている(隣の部屋で裕次郎が叩いているという設定で、スコアではなく「現実音」だが)。このキャメラの動きとスネアが気持ちよくシンクしているところが、映画ならではのエクサイトメントなのである。

スネア・ドラムを大きくフィーチャーしたスコアとしては、モーリス・ジャールの『史上最大の作戦』がありますが、あれはテンポの遅い、静かなマーチング・ドラムであって、『嵐を呼ぶ男』のような、画面を前へと強く突き動かし、観客をエクサイトさせるタイプのものではありませんでした。

◆ 非音楽的脚本 ◆◆
原作とシナリオは監督の井上梅次ですが、遠慮せずにいえば、プロットは穴だらけだし、音楽映画なのに、音楽の知識があるとは思えない処理が目立ちます。

たとえば、留置所の石原裕次郎を請け出しにいって、彼がそこらの棒きれで鉄格子を叩くのを聴き、北原美枝が「荒削りね」といい、その兄である岡田真澄が「うん、荒削りだ」とこたえます。

嵐を呼ぶ男 冒頭付近ダイジェスト


でも、たかが鉄棒を叩いただけで、荒削りとかそうでないとかいうのは、わたしには奇妙に聞こえます。表現のレベルに達するプレイではないのだから、精確か不精確かのどちらかしかないでしょう。粗いだのなんだのいうのは、トラップに坐って、他のプレイヤーとちゃんと曲をやったときに、全体の構成やフィルインのつくりが下手だとか、そういうときに出てくる言葉ではないでしょうか。ちなみに、この鉄棒を叩く音はじっさいにはライド・シンバルを使っていて、精確なタイムでプレイされています。明らかに一流ドラマーのプレイ。粗くないのです!

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留置所のシーンにはフランキー堺がカメオで出ている。「太鼓なんてのを叩くのは馬鹿だけだ」という台詞が楽屋落ちだということは、当時は常識だっただろうが、いまではもうわかる客のほうが少ないだろう。

しかし、なんといえばいいんでしょうね。ここが映画の摩訶不思議なところなのですが、小説だったらぜったいに見逃されないであろう、プロットや台詞の無数の欠陥が、映画ゆえにどんどん「なかったもの」にされていくのです。なぜチャラになるかといえば、石原裕次郎が暴れ、北原美枝が「凛々しい女」ぶりをふりまき、芦川いづみが可憐だからです。

そして、忘れてはいけないのは、小説ならば「スネア・ドラムの4分3連が派手に鳴り響いた」でしかないものが、映画ではじっさいの音としてわれわれの聴覚を揺さぶることです。ただの文字と、ほんもののスネア・ドラムの4分3連のあいだいには、無限の距離があります。文字ですむものならば、だれがわざわざ音楽を聴くものか!

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◆ フランク・シナトラと石原裕次郎 ◆◆
たしかに、渡辺武信が『日活アクションの華麗な世界』で批判しているように、石原裕次郎やライヴァルのドラマーを演じる笈田敏夫の動きは、音ときちんとシンクしていませんし、二人ともドラマーらしい手首の使い方はしていません。

しかし、これはだれがやってもむずかしいでしょう。俳優が演じることがもっとも困難なミュージシャンはドラマーです。リストを柔らかく使うことだけで訓練(まあ、「慣れ」ぐらいでもいいが)を要しますし、音と矛盾しないように速いパラディドルを叩くのも楽ではありません。まして、スネアからタムタムに流し、スネアに戻して、左手はスネアのまま、1拍目と2拍目の表拍だけ、右手はフロアタムでアクセント、なんてプレイを音と矛盾なくやるなんて、素人には不可能です。

これは日活だからダメとか、井上梅次の演出が手抜きだといったレベルのことではありません。ほぼ同じころ(1955年)、ネルソン・オルグレンの小説を映画化した『黄金の腕』(音楽監督エルマー・バースティーン)で、フランク・シナトラがドラマーを演じましたが、やはり、尻がむずむずするようなスティックの扱いでした。

まあ、『黄金の腕』のほうは演奏シーンが少なく、短いパッセージながら、どれもきちんとシンクさせてはいます。また、「サイド・スティック」(スティックをヘッドの上に寝かせ、ヘッドに一方の端をつけたまま、リムを叩くプレイ)のような、左手首の返しを必要としないものを使うといった細かい気遣いも見せています(シナトラのコーチをつとめたシェリー・マンの進言か)。

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『黄金の腕』のフランク・シナトラ。左手首を使わないサイドスティック・プレイをやらせるというのはグッド・アイディアだった。

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だが、レギュラー・グリップに持ち替えた瞬間、箸をちゃんと持てない俳優を見ているようでガックリする。せめて、もっと先端を余さないと……。

でも、フランク・シナトラは不世出のシンガーであって、不世出のドラマーではないからして当然ですが、左手首の動きが見えた瞬間、これではスネアは叩けないことが一目でわかってしまいます(『すべてをあなたに』でドラマーを演じた俳優は、左手首はコチンコチンに固まっていたが、シンクはほとんど完璧にやっていた。手首が硬いというなら、チャーリー・ワッツのような「プロ」ということになっているドラマーでも信じられないほど硬いので、凡庸なドラマーを演じているのなら、手首の返しの硬軟はどうでもよい)。

俳優には、レギュラー・グリップでの左手首の返しはリアルには演じられません。モダーン・グリップにすればごまかしがききますが、あれはロック・ドラマーのやるもので、すくなくとも昔のジャズ・ドラマーはモダーンは使いませんでした。

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よけいなことだが、『黄金の腕』には、かつてウェスト・コースト・ジャズの全盛期にはフルーゲル・ホルンおよびトランペット・プレイヤーとして大活躍し、のちにハリウッドを代表するアレンジャーとなった、ショーティー・ロジャーズがコンダクター役で出演している。シナトラがヘマをし、スタジオを飛び出しても、なにもなかったように、スタンバイしていたシェリー・マンに、ストゥールに坐るように指示し、平然と録音を続行するところは、なんだか妙にリアル。現実にもあったことなのだろう!

だから、石原裕次郎の「ドラミング」については、とくに批判するようなものではないと思います。俳優にしては左手首をまずまず柔らかく返していて、むしろ感心してしまいます。その点では、『黄金の腕』のフランク・シナトラよりいい出来でした。問題は、演奏シーンが多く、音と動きがシンクしていないことです。

こういうことというのは、井上梅次だとか、石原裕次郎だとか、日活だとか、そういう局所的な問題ではなく、日本映画界全体の、あるいは、ひょっとしたら、われわれ日本人の心性そのものに根ざすものかもしれず、特定の作品の批評にはなじまないような気がします。

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ちょっと前に、記事本文ではなく、ラリー・ネクテルの訃報のコメントに書いたのですが、日本映画で、俳優の手と音のシンクという面で脱帽したのはたった一度、『さらばモスクワ愚連隊』での、加山雄三のピアノだけです。あとはまあ、呆れるほどいい加減で、見ていられないものばかりでした。

これも以前書いたことの繰り返しですが、『アマデウス』の俳優のように、ピアノのレッスンを受けてから撮影に入る(だけでなく、あらゆるシーンが完璧にシンクしていた!)なんてことは、観念としても、コストとしても、日本ではありえないことなのでしょう。

どうも、ややネガティヴな方向に入りこみましたが、次回もさらに『嵐を呼ぶ男』のスコアについて考えをめぐらせてみるつもりです。

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by songsf4s | 2009-11-18 23:58 | 映画・TV音楽
嵐を呼ぶ男 by 石原裕次郎(日活映画『嵐を呼ぶ男』より) 予告篇のみ
タイトル
嵐を呼ぶ男
アーティスト
石原裕次郎
ライター
大森盛太郎、井上梅次
収録アルバム
『嵐を呼ぶ男 日活映画サウンドトラック集』
リリース年
1957年
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あとから考えると、「『霧笛が俺を呼んでいる』その1」で、ずいぶん大束なことを書いてしまったようです。こんなセンテンスです。

「山本直純による『霧笛が俺を呼んでいる』のスコアは、ほぼすべて4ビートです。それ以外の音楽というと、赤木圭一郎が歌うテーマ曲と、クラブ・シンガー役の芦川いづみが歌うシャンソンぐらいでしょう」

その後、細かくシーンを検討していくなかで、「ほぼすべて」はちょっと誇張がすぎたな、と頭をかきました。半分ほどが4ビート、残りはストリングスなどによる叙情的な「キュー」、あるいは4ビートの部分をプレイしたのと同じコンボによる、歌謡曲的なもの(たとえば城ヶ島に向かうシークェンスに流れる、主題歌のインスト・ヴァージョン)などです。

これだって、「4ビートを大々的に利用した映画スコア」であることに変わりはないのです。表現は修正するべきですが、「日活は世界でもまれに見るほど4ビートのスコアを生み出したスタジオである」という考えに変わりはありません。

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◆ 一家総出する評判かな ◆◆
もうこの記事のタイトルはご覧なのだから、ごちゃごちゃいわずにここらで話に入ります。今日から、日活アクションの「非日本的」絵作りよりも、「非日本的スコア」のほうにポイントおいて、『嵐を呼ぶ男』を見ていきます。舞台は東京なので、『霧笛が俺を呼んでいる』のように、ロケ地のことで長広舌をふるうようなことはないでしょうから、せいぜい3回ぐらいで終わる予定です。

当時は知りませんでしたが(なんたって、この映画が公開されたとき、わたしはまだ四歳だった!)、石原裕次郎が国民的スターになったのは、この『嵐を呼ぶ男』の大ヒットのおかげなのだそうです。まあ、そんなことはどこのサイトにも書いてあるから、どうでもいいようなものですが、なるほどね、それでああなったか、と思ったことがあります。

嵐を呼ぶ男 主題歌 動画なし


しばしばネタにしているわが老母に、『嵐を呼ぶ男』があるけれど、見てみるかい、といってみたのです。そうしたら、「あのときは、店に人たちまでみんなつれて、そこの日活にうちじゅうで見に行ったね」といっていました。

なんだか、昭和三〇年代のにおいが濃厚にするでしょう? 昔は夜遅くまで商売していたので、その日はきっと早じまいしたのです。田舎から集団就職でやってきた住み込みの店員、通いの店員、わが家の四人、合わせるとあのころは十人になるかならないかでしょうか。

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きっとみんなで簡単な夕食をかきこんで、ぞろぞろと夜の町に繰り出したのです。目指すは巷で大評判の若者、石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』がかかっている日活直営館です。木造モルタル二階建て、典型的な戦後の映画館でした。

ところが、わたしはそのときのことをぜんぜん記憶していないのです。『嵐を呼ぶ男』を子どものころに見た記憶はあります。しかし、そんな大人数で見に行ったなんて、かけらも覚えていません。たぶん、この映画を記憶したのも、封切りのときではなく、その後の再映を母親と一緒に見たときのことでしょう。

あのころは、しじゅう母親といっしょに日活に裕次郎を見に行っていました。なにしろ、わたしが通う公立小学校では、日活に行ってはいけないことになっていて、ひとりでは裕次郎も宍戸錠も見られなかったのです。

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おかげで、行けるものならなんでも行こうというさもしい根性が生まれ、兄にくっついて、吉永小百合映画までたくさん見ました。子どものころだって、やっぱりアクションのほうがはるかに好きだったので、『若い人』とか『光る海』とか『非行少女』とか『キューポラのある町』とか『潮騒』とか『伊豆の踊子』とか(これはほんの氷山の一角)、そういうのはあまり興味がなかったのですが、同時上映でアクションものを見られることもあったので、兄が連れて行ってやろうかといえば、ぜったいに断りませんでした。

◆ フル・スコアの登場 ◆◆
本題のつもりだったものが、書いてみたらやっぱり枕のようでしたが、こんどこそ本題。ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、最近、『嵐を呼ぶ男』のフル・スコアがCD化されました。オリジナル・テープにもどってのマスタリングなので、びっくりするような音です。

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ただし、石原裕次郎唄う主題歌や冒頭のジャズ喫茶のシーンに出てくる平尾昌章の歌は入っていません。「スコア」のみ、といいたいところですが、音楽映画なので、純粋なスコアともいえず、いわゆる「現実音」、劇中で鳴っている音楽も多数収録されたものです。まあ、今回から数回にわたる『嵐を呼ぶ男』の記事では、純粋なスコアか「現実音」かということには、あまりこだわらないつもりです。

その「スコア」(といってしまいます)を聴いて、何度も見た映画なのに、へえー、こんなだったかねえ、と感心してしまいました。国外では石原裕次郎の知名度が低く、映画自体が字幕付きDVD化の対象になっていないため(それにくらべて宍戸錠の需要の大きいこと! 宍戸錠の新しいDVDがリリースされるというと、大騒ぎになる)、まだ海外からの評判が聞こえてきませんが、いずれアメリカでも、このスコアのすごさが理解されるでしょう。『殺しの烙印』における山本直純のスコア(こちらは海外でも「クールなスコア」として有名)より十年前だということに、ギョッとするはずです。

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1950年代のハリウッド映画のスコアをざっと聴けば、『嵐を呼ぶ男』を世界映画史のどこに位置づけるべきかがわかります。大森盛太郎は、いずれ、アレックス・ノース、ショーティー・ロジャーズ、エルマー・バーンスティーンといった、ハリウッドのジャズ・スコアのパイオニアたちとの比較で理解されることになるでしょう。

以上、今日は野暮用ばかりで時間がとれず、予告篇のみでした。次回からはもうすこしがんばります。

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by songsf4s | 2009-11-16 23:59