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ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」「Mrs. Robinson」とイタリア版トミー・テデスコの高速ガット・プレイ
タイトル
Una lacrima sul viso
アーティスト
Bobby Solo
ライター
Mogol, Lunero (Sattiとクレジットしたものもあり)
収録アルバム
Tutti i sucessi di Bobby Solo
リリース年
1964年
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とくになにかきっかけがあったわけではなく、ふと思いだして、昔、愚兄がもっていたボビー・ソロの「ほほにかかる涙」が懐かしくなり、ベスト盤を聴いてみました。

サン・レモ音楽祭というものがあって(まだあるのか?)、「ほほにかかる涙」はその最優秀曲になったとかなんとか、45回転盤のスリーヴにそんなことが書いてあったような記憶があったのでたしかめました。

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ちょっとハズレ。「入賞曲」でした。ま、ともかく、サン・レモのライヴのクリップを貼りつけますが、これが奇妙なのです。音楽好きの方はどこがおかしいか、ほんの数小節でわかるでしょうが。

ボビー・ソロ ほほにかかる涙(Una lacrima sul viso)


おわかりですね? ライヴじゃねーだろー、盤じゃんか、とケチをつけようとしたら、ちゃんと審査員から46年前に物言いがあり、ライヴ音楽以外はコンテストの対象にならないと、入賞はキャンセルされたそうです。それなら、日本盤の宣伝文句のほうがインチキということになりますが、昔からそういうデタラメな業界だから、いってもしようがありませんな。天網恢々疎にして漏らさず、いま天罰が下っている最中だから、まあ、ここは腹立ちを抑えておきます。

昔の45回転盤の歌詞には、原綴の上にカタカナでルビが振ってあり、イタリア語などなにも知らない小学生でもいっしょに歌えるようになっていました。だから、いまでもこの曲の歌詞はかなり覚えています。ファースト・ラインだけでも記憶しているイタリアの曲は、「ほほにかかる涙」だけですし、ファースト・ラインがそのままタイトルになっているおかげで、この曲だけは原題で書かれていても判別できます(ただし、歌詞はダウナラクリマソルヴィーゾなのに、タイトルにはダはないことを忘れ、まちがって記憶していた)。

久しぶりに「ほほにかかる涙」を聴いて、クラヴィオラインかユニヴォックスかミュージトロンあたりの特殊なキーボードでオブリガートを入れていることに改めて気づきました。同じころによく聴いていた(やはり愚兄の所有物である)デル・シャノンのHats Off to Larry(邦題「花咲く街角」ケッケッケ!)と同じサウンドで、このあたりに範をとったか、またはジョー・ミークの影響かもしれません。いや、音色としてはやはりミュージトロンでしょうね。

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上からクラヴィオライン、そのイギリス版であるユニヴォックスのコンサート・グランド・モデル、そしてミュージトロンとその開発者にしてデル・シャノンの盤でプレイしたマックス・クルックその人。大元はクラヴィオラインで、ユニヴォックスもミュージトロンもそのヴァリエーションという捉え方でいいらしい。

それから、この曲で、このアレンジで、この編成で、間奏がバンジョーというのも意外性があって、楽しめます。ちょっと珍が入っていますが。

◆ マカロニ・ポップ・サイケ ◆◆
一曲だけでサヨナラというのもつれないと思い、ベスト盤の他の曲も聴いてみました。これが、へえ&あっはっはの連発で、なかなか楽しいリスニングだったので、そのあたりをサンプルにしてみました。まずはスコット・マケンジーのサマー・オヴ・ラヴ讃歌のカヴァーから。

サンプル San Francisco (Be Sure to Were Some Flowers in Your Hair)

どこの国も同じで、アメリカの大ヒット曲のローカル盤はつねに需要があったのでしょう。イギリスみたいに、英語のままのカヴァーじゃないのだから、日本同様、ローカル盤にもそれなりの意味があります。でも、これはやっぱり笑ってしまいました。アメリカ人が西城秀樹のYMCAを聴いたら、こんな気分になるのではないでしょうか。あ、あれは日本人でも笑うから、例としては不適切やもしれず。

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どこの国もそうですが、プレイヤーはそれなりのレベルにあるし、きっちりプレイしています。まあ、オリジナルはハル・ブレインとジョー・オズボーンのリズム隊だから、どうしたってカヴァーは見劣りしますが、アコースティック12弦はかなり弾けるプレイヤーです。

しかし、そういう色目で見るからでしょうが、金管とゴングがイタロ・ウェスタン風に響き、ちょっとちがうんじゃないのー、といいたくなります。ま、そこがローカル線各駅停車の旅らしいところ、ということにしておきます。

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もう一曲、こんどはサイモン&ガーファンクルの68年の大ヒット、Mrs. Robinsonのカヴァー。またしてもオリジナルではハル・ブレインがトラップ・ドラムとコンガを叩いている曲です。

いま、オリジナルのほうを聴き直して、ベースがジョー・オズボーンには聞こえず、だれだか判断できず、でも、かなりうまいし、ラインの取り方のハーモニック・センスがすばらしいので、検索してみたら、ラリー・ネクテルとしているソースがありました。なるほど! キャロル・ケイさんの、ラリーはピアノはたいしたことなかったけれど、ベースはうまかった、という言葉そのまま。仲間の評価はお世辞抜き、厳密ですなあ。いや、それはともかく、ボビー・ソロのカヴァーです。

サンプル Bobby Solo "Mrs. Robinson"

思わず笑ってしまうのはわたしだけなのでしょうかねえ。どうしても頬がゆるんでしまいます。ボンジュルノっていわれても困りますぜ。

San Franciscoでもそこそこギターが活躍していますが、こちらは、シンガーを押し退けんばかりに弾きまくっています(左チャンネルのセカンド・ギターも控えめながらうまい)。これがガットをフラット・ピッキングするというトミー・テデスコと同じスタイル。イタリア版トミー・テデスコです、って、テデスコ自身イタリア系なのですが。

おちょくりはまったくなし、大まじめに、このギターはなかなか楽しめます。きっと60年代のイタリアを代表するセッション・ギタリストなのでしょう。わかってみたらハリウッド録音だったなんて、アンチ・クライマクスがあったりするのが怖いところですが。


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by songsf4s | 2010-11-07 23:56 | その他
ラリー・“プリンス・ヴァリアント”・ネクテル死す

ドゥエイン・エディーのレベル・ラウザーズのツアー・メンバーとしてスタートし、60年代にはハリウッドのスタジオ・エースとして、フェンダー・ベースやキーボードで活躍し、70年代以降はブレッドに加わったラリー・ネクテルが没したそうです。

はじめて、ハリウッドのスタジオには「ハウス・バンド」のようなものが存在し、八面六臂の大活躍をしているのだということを明かした、(たしか1969年の)地元紙の記事は、ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルというトリオを写真付きで紹介していました。

だから、「狭義のレッキング・クルー」はこのトリオによるリズム・セクションを指した、と言っていいように思います。もっとも、ハルの定義ではもっとはるかに大所帯で、ホーン・セクションまでふくめたフルスケールのビッグ・バンドなのですがね。

ラリーが没したために、いってみれば、これでオリジナル・レッキング・クルーのリユニオンは物理的にありえなくなったことになります。60年代音楽は現実ではなく、幻想の領域に入りこんだような気すらします。

考えても、書くべき言葉は思いつかないので、このへんにしておきます。

ラリー・ネクテルについては、当家では何度も触れているので、気になる方は右の検索ボックスに「ネクテル」なんていうキーワードを入れてみてください。おそらく、もっともくわしく書いたのは、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreの記事でしょう。

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“プリンス・ヴァリアント”ことラリー・ネクテル。背後のドラマーはハル・ブレイン、楽器はオクトプラス・セット。なぜプリンス・ヴァリアントと呼ばれたかは下の絵をご覧あれ。

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プリンス・ヴァリアントというのは大昔のコミックの主人公。直訳すれば「勇猛王子」あたりだが、小津の突貫小僧に倣って「突貫王子」なんてのもいいかもしれない。いや、よけいな話はともかく、おかっぱの髪がラリーにそっくりで、あだ名の由来は一目瞭然。

◆ 関係ない四方山話 ◆◆
ところで、この記事を書いていた2009年8月26日23時30分ごろ、わたし宛にメールを送った方がいらしたら、恐れ入りますが、再送してください。ちょっとしたミスで、読む前に削除してしまいました。平伏陳謝。

当家のお客さんであるOさんに教えていただいた海外ブログを隔日ぐらいでチェックしているのですが、これがすごく面白いというか、ときおりビックリしています。URLを書けなくて申し訳ないのですが、ほんとうにすごいのですよ。

最近、「へえ」といってしまったのは、どこの国の人か知りませんが、日本人ではなさそうな人が、加山雄三が聴きたいなどといっていらしたことです。そうか、伊福部昭がスコアを書いた映画の同時上映は若大将ものだったな、なんて妙な納得のしかたをしてしまいましたよ。

わたしは『若大将トラックス』という映画から切り出したトラックを集めた盤はもっているものの、ふつうのものはもっていなくて、脇からベスト盤を聴かせて貰ったのですが、ちょっとした感懐がありました。

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子どものころ、いいなあ、と思ったのは、インストではもちろん「ブラック・サンド・ビーチ」、歌ものは「夕日赤く」と「旅人」でした(ビリー・ストレンジがリードをとったのではないかと思われるヴェンチャーズの「夕日赤く」はすばらしい)。

ベスト盤を聴いて「へえ」と思ったのは、タイトルは忘れても、音が流れれば、ほとんどの曲を知っていたことです。ついでにいえば、加山雄三かあ、と思って口をついて出たのは「夜空を仰いで」の「君のいない砂浜はさみしいぜ」のラインでした。嗚呼意外哉!

弾厚作=加山は、コードの使い方のうまい、もっと具体的いえば、アメリカのポップ・ソング的なコード進行を好んだ作曲家であり、それがわれわれ子どもにとってはおおいなる魅力だったのだということを確認しました。小林信彦が加山雄三をボロクソにこき下ろしたのはいいとして、弾厚作の才能は甘く見るべきではなかったと思います。

しかし、記憶のない曲もあります。その代表は「二人だけの海」。これは「わっはっは」でした。Be My Babyなのです。だれでもみんな、一度はフィル・スペクターをやってみたくなるのでしょう。気持はよくわかります。

それから、たいていの曲で、ドラム、ベースがうまいので、安心して聴けます。ブルージーンズの人がプレイした曲があるのでしょうか。ワイルドワンズが映画では共演していましたが、録音ではそれはないんじゃないでしょうかねえ。あのドラマー、安定していましたっけ?

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だんだん、前後のつながりのない箇条書きに落ち込みつつありますが、わたしが『若大将トラックス』を買った目的は明快でした。どの映画だったか、テープに録音したものに合わせて、加山がひとりでハモるというシーン、つまり、ダブル・トラック・レコーディングを映画のなかでやってみせるのを後年見て、ドッヒャーとのけぞったのです。若大将シリーズのごく初期の一本です(どなたか、タイトルがおわかりになるなら、ぜひご教示ください)。ところが、これは盤にはなっていなかったのです。

『若大将トラックス』は映画からのものなので、この前代未聞のダブルトラック実演場面の音楽が入っているだろうと思ったのです、ところが、これが大はずれ、入っていなかったのです。

いまは年をとったから冷静に書いていますが、なんという不見識、若大将シリーズからなにか音楽を切り出すとしたら、あの曲がいの一番ではないか、どこに耳をつけているのだ、ドアホと怒りまくりました。なにしろ安くない盤でしたからねえ。3000円ですよ。金返せ>ファンハウス。いえ、このあいだ、仇をとってやったから(まあ、江戸の仇を長崎でとるのたぐいだが)、もういいのですがね。

最後の箇条書き項目。かつて「夕日赤く」がなにかのいただきではないかと非難されましたが(Red Sails in the Sunsetか?)、いまになると、この曲の魅力が奈辺にあるかは明らかで、くだらねえこというな>芸能誌と、出し遅れ怒りをしています。このトラックのポイントは、リヴァーブの深さ、加山のヴォーカルのダブル・トラック、リードギターのサウンド(モズライトか)という組み合わせにあるわけですよ。

サウンドを無視して、楽曲だけでどうこうというのは、もの知らずというものです。楽曲だけでいいなら、わたしが自分で弾くギターだけをバックに歌ったものでもいいことになってしまいます。スタジオの音楽というのはそういうものではないのです。総合力の勝負なのです。

いつもの話の繰り返しになったところで、本日はおしまいです。小津の続きはどうなったかって? しばしお待ちあれ。週末にはなんとかしようと思っています。
by songsf4s | 2009-08-27 00:38 | 追悼
Everybody's Talkin' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)
タイトル
Everybody's Talkin'
アーティスト
Nilsson (OST)
ライター
Fred Neil
収録アルバム
Aerial Ballet
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Fred Neil, Spanky & Our Gang, the Exotic Guitars, Vincent Bell, Louis Armstrong, Willie Nelson, Harold Melvin & the Blue Notes, Stephen Stills, Crosby Stills & Nash, George Tipton
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読んでから30年以上たったいまも忘れないのですが、シャーリー・ジャクソンの『野蛮人との生活』のなかに、「家じゅうが流感にかかった夜」という愉快な一篇がありました。風邪をひいた子どもたちが両親の寝室にやってきたり、あれこれしているうちにゴチャゴチャして、朝になったら、家じゅうだれひとりとして自分のベッドに寝ていなかったという話です。

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いや、それはどうでもいいのです。「流感」という言葉はどうなったのだろう、と思ったのです。辞書には「【流感】流行性感冒の略」とあり、しからば「流行性感冒」を見ると「りゅうこうせい‐かんぼう【流行性感冒】インフルエンザ・ウイルスによって起る急性伝染病。多くは高熱を発し、四肢疼痛・頭痛・全身倦怠・食欲不振などを呈し、急性肺炎を起しやすい。インフルエンザ。略称、流感」とあります。

なぜこれを使わないのでしょうか? 「インフル」なんて、また馬鹿馬鹿しい経済用語か、と思われそうな、薄みっともない略語よりは、ずっとマシだと思うのですがねえ。相手がインフルだなんていう、いかにも軽そうなものなら、ぜったいに死ぬはずがない、なんて、わたしならナメてかかります。いや、それをいうなら「流感」もぜったいに死にそうもありませんがね。たとえば「エボラ」なんていう語感の、どうだ、爆発して死にそうだろう、という迫力とは桁違いですわ。

英語はどうかというと、日本語よりさらに軽くて、fluと略しますね。ご存知ジョニー・リヴァーズのRockin' Pneumonia-Boogie Woogie Fluですな、なんていうとお里が知れてしまうので、こういうときは、ヒューイ・ピアノ・スミスの、といわないといかんのですが、しかし、ジョニー・リヴァーズ盤が昔から大好きなのです。



ドラムはジム・ゴードン、ベースはジョー・オズボーンです。ピアノはラリー・ネクテルで、すごいとはいいませんが、ラリーといえば馬鹿のひとつ覚えで、だれもがいうBridge Over Troubled Waterの死にそうな退屈さにくらべれば、この曲のピアノはまだしも聴きどころがあります。あんなテキトーな、出来損ないクラシック風プレイを褒めると、それこそお里が知れますぜ。

ちゃんとジミーがトラップに坐ったライヴ・ヴァージョンもあります。ただし、ベースはオズボーンではないし、ピアノもラリーではありません。もっとドラムをオンでミックスしてくれたら、ことのついでにジミーの手だけを写してくれたら、まったく文句なしなんですが!



うーん、こういうのを見ると、とくにうまくないとはいいながら、ラリーのほうがずっといいなあ、と思います。いや、このたぐいのプレイなら、ベストはリオン・ラッセルで、それにくらべると、ラリーのプレイはせいぜい及第点というところでしょう。

◆ ニルソンのヴァリアント ◆◆
さて、Everybody's Talkin'のつづきです。昔はAerial Ballet収録ヴァージョンが映画にも使われたのだと思っていまいたが、今回見直したら、よく似ているけれど、ヴァリアントだとわかりました。先にAerial Balletのリズム・セクションのクレジットをコピーしておきます。

Bass……Larry Knechtel
Bass……Lyle Ritz
Drums……Jim Gordon
Guitar……Dennis Budimir
Guitar……Al Casey
Harpsichord……Michael Melvoin

文句なしですねえ。ハリウッドの黄金時代が偲ばれます。二人いるベースは、もちろん、ラリーがフェンダー、ライル・リッツがアップライトです。Everybody's Talkin'では、わたしの耳にはフェンダーしかないように聞こえるので、ラリーのプレイということになります。ドラムはブラシだけなので、だれとはわかりませんが、気持のいいタイムで、ジミーといわれれば、やっぱりね、と思います(いわれてわかるんじゃダメだっていうの>俺)。

ギターのラインはシンプルなのですが、なんだかひどく弾きにくくて、あせりました。目下練習中。このピッキングがすごくきれいで、この曲の気持よさの半分ぐらいは左チャンネルのギターのタイムのよさに由来すると感じます。ギターがきれいに聞こえるのは映画ヴァージョンのほうです。

両方をしつこく聞いてみて、なんだか、ほぼ同じメンバーじゃないかという気がしてきました。まあ、こういう風に、多少状況が変わっても、つねに一定の品質を保証できるところが、黄金時代のハリウッドのスタジオの特徴なので、メンバーの問題ではなく、インフラストラクチャーの問題というべきでしょうけれど。

Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_19474937.jpgついでといってはなんですが、「幻の主題歌」であるI Guess the Lord Must Be in New York Cityのほうのメンバーも見ておきます。

Bass……Larry Knechtel
Drums……Jim Gordon
Flute……Jim Horn
Guitar……David Cohen
Guitar……Howard Roberts
Piano……Michael Wofford
Piano……Michael Melvoin
Saxophone……Tom Scott

肝心のバンジョーのプレイヤーがわかりませんが、デイヴィッド・コーエンでしょうか。ハワード・ロバーツがニルソンのセッションというのも、へえ、ですが、この人がバンジョーを弾いた例は寡聞にして知りません。このHarryというアルバムには大きなセッションの曲もあるのに、まるでコンボでやったみたいなパーソネルなので、ここにはごく一部しか書かれていないのでしょう。

ともあれ、このアルバムでもやっぱりドラムはジミー。ニルソンはハル・ブレインとほとんどかすっていない(RCA契約以前のものに、ハルがあとでオーヴァーダブしてリリースしたものがある)、めずらしい60年代のハリウッド・ベースのアーティストなのです。ジム・ゴードンの若々しさが好きだったのでしょうかねえ。それにしては、異様なまでに地味なプレイばかりさせていますが!

◆ オリジナルやらカヴァーやら ◆◆
Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_1949397.jpgEverybody's Talkin'のオリジナルは作者のフレッド・ニールによるものです。わたしはフォークを不得手とするので、割り引いてお読みいただきたいのですが、オリジナルのフレッド・ニール盤には、ニルソン盤のような心弾むグルーヴはありません。ブラシでもいいからドラムがあったほうがいいし、1小節に2音でもいいからベースも入れたほうがいいのだということが、フレッド・ニール盤を聴くとよくわかります。好き嫌いの問題は抜きにしても、このグルーヴ(というか、その欠如)では、映画に使うわけにいかないのだけはハッキリしています。こちらのヴァージョンでは、『真夜中のカウボーイ』の冒頭8分あまりの長いシークェンスの躍動感は生まれません。

しかし、リズム・セクションなしでも魅力的なヴァージョンというのもやはりあります。スティーヴ・スティルズのライヴです。ご存知のようにスティルズのアコースティックというのは非常に独特のサウンドで、ちょっとスタイルは異なりますが、ネッド・ドヒーニーのように、非アコースティック的に扱うところがおおいなる魅力です。バッファロー・スプリングフィールドの時代でいえばBlue Bird、CS&Nの時代ならSuite: Judy Blue Eyesが、そうしたスティルズのアコースティックの代表作でしょう。

Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_1950132.jpgなぜそうなるかというと、理由はいくつかあると思います。1)マーティンを使うこと(ギブソンのアコースティックは強い音が出ず、あくまでもコード・ストローク向き)、2)基本的にタイムがすぐれている、3)ブリッジのすぐそばで強くピッキングすること、なんてあたりじゃないでしょうか。Love the One You're Withがヒットしていたころ、友だちがスティルズのライヴを見たそうですが、ステージにはずらっとギターが並べてあったといいます。すぐに弦を切ってしまうので、どんどん「弾きつぶし」、ギターを替えて弾いていくのだそうです。ブリッジのそばで強くピッキングすれば、新品の弦だってひとたまりもありません。Black Queenなんかすごかったそうで、そうだろうなあ、と思います。

スティルズのEverybody's Talkin'は、Black Queenのような強烈なプレイではなく、あっさりしたものです。しかし、スティルズのアコースティックはすばらしいので、あっさり弾いても気持のよいグルーヴになります。

スティルズにはもうひとつEverybody's Talkin'があります。CS&N時代、1970年の未リリース・トラック、リハーサルないしはデモです。わたしはこのグループのファンではないので、グレアム・ナッシュとデイヴィッド・クロスビーのハーモニーはどうでもよくて、やはりギターを聴いてしまいます。こちらのヴァージョンのギターも、おっ、いいな、と思う箇所があります。

◆ その他の歌もの ◆◆
Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_16414774.jpgウィリー・ネルソン盤もギターが悪くありません。ニルソン盤のギターは、うへえ、これは弾けないぜ、と思いますが、こちらならわたしでも大丈夫じゃないかという気がしてきます(えてして、たんに「気がする」だけだったことがあとでわかるが)。ナイロン弦2本でやっているので、キレはありませんが、こののんびりしたところがウィリー・ネルソン盤Everybody's Talkin'の賞味のしどころでしょう。間奏(ネルソン自身のプレイ?)では、オクターヴ奏法なども織り込んで、ちょっと浮いているかな、と思いつつも、楽しく聴けます。

面白いのはスパンキー&アワー・ギャング盤です。イントロのアップライト・ベースが楽しめます。トラックによってはハル・ブレインだったりしたグループだから、当然、このベースもプロでしょう。かなり弾ける人です。しかし、冷静になると、ベース以外はべつに面白くもなんともないヴァージョンですな。ベースがキマッたので、ほかのことは忘れちゃったのでしょう。典型的な「手術は成功した、患者は死んだ」ヴァージョンで、全体としては不出来。

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ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツといえばフィリー・ソウルなのでありまして、彼らのEverybody's Talkin'は、わが家にある唯一のソウル・ヴァージョンです。リズム・アレンジは考え過ぎじゃないかと思います。いや、うまいドラマーなら変なリズム・パターンでもきっちりグルーヴをつくってくるので、このドラマーが下手なだけかもしれませんが、どちらにせよ、うまくいっていません。もっとストレートなグルーヴにしたほうが楽しめたでしょう。



主としてIf You Don't Know Me by Nowの印象によりますが、わたしはこのグループがそこそこ好きなので、ドラムの変なパターンに耳をふさげば、このヴァージョンも悪くはないかもしれないと思います。いや、べつによくもないですが。

ルイ・アームストロング盤は、晩年のものですし、アレンジも現代的すぎて、不向きなサウンドだと思います。ご本人が望んだ録音とは思えません。

◆ インスト ◆◆
インストは2種あります。曲調からいって当然オーケストラものはなく、ギターもののみです。まず、エキゾティック・ギターズ。これは右側のFrindsリンクからいけるAdd More Musicのレア・インスト・ページでLPリップを入手できますので、よろしかったらお試しあれ。No. 30がエキゾティック・ギターズのその名もEverybody's Talkin'というアルバムです。

Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_16513219.jpgさて中身は、なんと申しましょうか、とくにどうということのない、ごくふつうの出来です。メンバーが一流のわりには、だれもファイン・プレイをせず、軽く流した、という印象。このプレイだけではドラムもハルとは判断できませんし、ベースもキャロル・ケイという結論には飛びつけません。

リードはアル・ケイシーだそうで、彼はニルソン・ヴァージョンでもギターを弾いていたのですが、あちらではアコースティック、こちらではエレクトリックのリード。まあ、みなうまい人たちなので、腹が立ったりすることはなく、スーパーで買い物をしているときに流れてきたら、ほう、この手の音楽でもマシなものがあるんだな、ぐらいのことは思うんじゃないでしょうか。

Everybody\'s Talkin\' by Nilsson (OST 『真夜中のカウボーイ』より その2)_f0147840_16523074.jpgヴィンセント・ベルまたはヴィニー・ベルは、60年代から70年代にかけておおいに活躍したNYのセッション・ギタリストです。当家では何度か言及しているので、ご記憶のお客さん方もいらっしゃるでしょう。ベルはなかなか面白いプレイをすることがあるのですが、この曲は、やはり可もなし不可もなしで、とくに面白い箇所はありません。

以上でEverybody's Talkin'はおしまいですが、『真夜中のカウボーイ』はまだつづきます。あと一回か、ひょっとしたら二回、こんどはジョン・バリーのスコアのほうを検討するつもりです。
by songsf4s | 2009-05-24 17:01 | 映画・TV音楽
ドラマーの声

3月13日注記: サンディー・ネルソン・ファンの方々に配慮して、末尾に「追記」をおきました。よろしければご一読ください。

☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆

お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、The Best of Earl Palmer その13という記事について、コメントを寄せられた方がいらっしゃいます。しかし、個人情報が書かれているために、承認して表示するのがためらわれ、保留したままにしています。個人情報を削除したうえで、もう一度投稿をお願いしたのですが、まあ、面倒と思われるお気持ちもわかります。

しかし、逃げたわけではないので、改めてその方が提示された疑問を記事にして、当方の考えを述べさせていただきます。まず、その方のコメントのポイントだけを抜き出します。

「さて、上述の"Let There Be Drums"ですが、曲の33秒目に、注意して聴きますと、クラッシュ・シンバルとともに、私の思うに、"Yeah."と、Sandy Nelsonらしき声が聴こえますが、如何思われますでしょうか」

これを敷衍すると、サンディー・ネルソンの声がするのだから、これはアール・パーマーのプレイであると断じたわたしの意見は根拠を失うのではないか、という意味なのだろうと思います。

まず、声がするかどうかなのですが、いま、ヘッドセットを使えない状態なので、すこし音を大きくして聴きました。しかし、わたしがもっている盤のミックスでは、Let There Be Drumsの33秒前後には聞こえませんでした(タイム表示は多少ずれるが、この付近のクラッシュ・シンバルは一打だけ)。

MP3ではどうかわかりませんが、皆様もいちおうサンプルをどうぞ。それから、つぎの日曜までの限定ということで、かつてアップしたベスト・オヴ・アール・パーマーのリンクを再公開します。コメント欄をご覧あれ。こちらにもLet There Be Drumsは収録してあります。

サンプル

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このジャケットを見た瞬間、猛烈な違和を感じた。アーニー・フリーマンやプラズ・ジョンソンやルネ・ホールがいるなら、アール・パーマーもいたに決まっているのに、なぜアールの名前を落とすのだ、無礼な会社だな、と思ったのである。だが、これがドラマーのアルバムであることを思いだし、納得した。いや、納得してから、もう一度、おかしい、と思った。アールがいそうなら、きっといるにちがいない、ネルソンはものすごい下手くそだったといわれているのに、この盤のドラマーは第一級の腕の持ち主だ、論理的な結論はひとつ。ヴェンチャーズと同じように、ネルソンもプレイしなかったのだ。そして、AFMのコントラクト・シートにも、アールの名前が記録されているという情報をキャロル・ケイにもらって、この「事件」の調査は完了した。

◆ タイムとプレイの質の問題 ◆◆
声がするかどうかよくわからないから、それでおしまい、という意味ではありません。仮に声が聞こえたとして話を進めます。ヴァージョンによっては声が聞こえることがあるかもしれないからです。

でも、わたしはサンディー・ネルソンの声を知らないのです。はっきり聞こえたとしても、それがネルソンのものだと断定する知識はわたしにはありません。そもそも、それをいうなら、アール・パーマーの声もわかりません。つい先日、アールがプレイしたことがわかっているビーチボーイズのPlease Let Me Wonderのセッション・テープを詳細に検討したのですが、カウントしているのは、アールではなく、べつの不明の人物で、いちどだけ、小さく笑った低い声がそうかもしれないと思っただけでした。

ネルソンがどういう声をしているのか、わたしはまったく知りませんが、ここにネルソンの声がはっきり記録されていて、しかも、わたしがネルソンの声を判断できたと仮定しましょう。その場合でも、わたしの考えはやはり変わりません。

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ネルソンはこの曲の録音に立ち会ったとわたしは考えています。彼の盤のプロデューサーはネルソン自身とクレジットされているからです。アーティスト印税とプロデューサー印税の両方を稼げるチャンスをのがすようでは、世知辛いハリウッド音楽界では小銭も稼げません。

ハリウッドのプロはきわめて優秀で、プロデューサーがランチに行っているあいだに盤をつくってくれるから、その場にいる必要もないのですが、「じゃあ、あとはよろしく」などといってスタジオから出て行くのは、会社から給料をもらっているインハウス・プロデューサーだけで、生活がかかっている独立プロデューサーはまじめに仕事をしたようです。だからネルソンも、クレジットに値する仕事はしたのだろうと想像します。つまり、ブースにいて、指示を出したのだろう、ということです。したがって、なにかの加減でネルソンの声が入る可能性はあります。

しかし、こういうのはみな可能性をいっただけのことで、正直にいって、サンディー・ネルソンなどという、プレイが盤としてわずかにしか残っていない(彼自身の名義の盤はアールのプレイ)ひとの声を判定できる方がいらしたことに、心底ビックリ仰天しています。わたしなんか、よく知っているはずのハルの声ですら、ときどき断定できなくなるので、こんなかすかな、聞こえるかどうかもわからない程度のもので、話者を特定できるとは驚きです。ネルソンの声を判断する基準となる録音をなにかお持ちなのでしょうか。

ということで、「どう思うか」というご質問に対するわたしの応えは、「声がするかどうかもわからないのだから、声の持ち主の身元にいたっては思慮の外である。しかし、声が記録されていて、それが仮にネルソンのものであったとしても、このドラマーの正体はだれかというわたしの考えにはまったく影響しない。プレイから判断して、ネルソンではなく、やはりアール・パーマーである」です。

◆ ワン・トゥー、ワン・トゥー・スリー ◆◆
声がわかるということでは、なんといってもハル・ブレインにまさる人はいません。CD時代になってからは、むやみに彼の声が盤に収録されるようになりました。たとえば、ハニーズのベスト盤に収録されたHe's a Dollの冒頭では、ハルはスティックをたたき合わせながらイントロのギター・リックを歌っています。

サンプル1

すんげえプレイですなあ。つねにハルの代表作のひとつと考えています。不動のベスト20の一曲。

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しかし、もっと声がわかりやすいのはセッション・テープです。まずはビーチボーイズ。さすがのクルーもミスを連発した、悪戦苦闘七転八倒八甲田山死の44テイク、かのCalifornia Girlsセッションから、テイク8-12。といっても、すべてイントロでブレイクダウンしているために、ハルのカウントインを何度も聴くだけなのです。

サンプル2

ドラマーの声_f0147840_1604763.jpg途中でブライアンが、「ジェリー、もう一回練習しろよ」といった相手はジェリー・コール。そこで爆笑したのはキャロル・ケイ。ブライアンが頼りないジェリーをからかったのです。思いきり受けてしまったCKさんが、ジェリーをどのように見ていたかは、彼女のエッセイに、ハワード・ロバーツの忘れがたい皮肉(「ジェリー、いいストラップじゃないか」)として記録されています。CKさん同様、HRもジェリー・コールが嫌いだったのです。性格が悪かったうえに「もう一回練習」ですから。

もちろん、拍子や何拍目で入るかといった状況に左右されますが、ハル・ブレインはたいてい、2小節のカウントインをします。最初の小節は、スティックは4分で4回、声は2分音符で「ワン……トゥー」といいます。2小節目は、スティックはそのまま4分、ただし、3拍目まででおしまい、声は4分にして、「ワン・トゥー・スリー」と、これも3拍目までで切ります。

理由は明白です。たいていの場合、リヴァーブやディレイがかかっているので、4拍目までカウントすると、その残響が小節の頭に残ってしまうのです。じっさいに、ヘッドフォンで聴いていて、そういうミスをした曲を見つけたことがあります。ロック・バンドはそういうマヌケなことをやっても許されますが、スタジオのプロがそんなことをやったら、プロデューサーかエンジニアに怒鳴りつけられます。

◆ セッション解析 ◆◆
さて、最後は長尺物、バーズのMr. Tambourine Manのテイク1から14までのハイライト。

サンプル3

登場人物を書いておきます。トークバックで指示するプロデューサーはおそらくテリー・メルチャーです(ライナーはジム・ディクソンとしているが、たぶん勘違い。これはディクソンが指揮したワールド・パシフィックのリハーサルではなく、CBSでの本番のセッション)。プレイヤーは以下の通り。

ドラム=ハル・ブレイン
ベース=ラリー・ネクテル
フェンダー・ピアノ=リオン・ラッセル
6弦ギター=ビル・ピットマンおよびジェリー・コール
12弦ギター=ジム・マギン(ザ・バーズ)

ジム・マギンはのちにロジャー・マギンになりますが、このときはまだジムで、メルチャーももちろんジムと呼びかけています。

ドラマーの声_f0147840_1641848.jpg

リズム・ギターの二人は同じリズムで、高音弦および低音弦のカッティングをしています。低音弦のほうはファイナル・ミックスでは聞こえなくなりますが、トラッキング・セッションでは聞こえています。ジョン・ローガンのバーズ伝がダメだというのはこういうところです。ちゃんと聴けば、二人のリズム・ギターがいることがわかるのに、「ビル・ピットマンもいたと記録されている」などと寝言を書いています。

また、高音弦でのカッティングはコールとするのが定説のようですが、わたしは不賛成です。このただごとでない正確さは、ミスばかりやっていて、そのくせ、なにかというと、「ソロ、ソロ」と騒ぐので、周囲の大人たちから馬鹿にされていた「ストラップだけはキマっているJC」のプレイには思えません。ビル・ピットマン説を主張します。コールはほとんど聞こえない低音弦のカッティングをやったのでしょう。

しゃべっているのはメルチャーとハルばかりで、ほかはほとんど無言。冒頭、「フェイドでリオンは弾くのか弾かないのか、どっちだ?」(You want Leon in or out on fade?)といっているのはハルです。リオンが自分でいえばいいじゃないか、と思うかもしれませんが、ハルがいったほうがいいのです。なぜなら、ハルの目の前にはマイクがありますが(エンジニアや状況に左右されるが、ハイハットとスネアの中間、またはスネアとタムタムの中間に向けて、一本当てるのが当時のスタンダードだった)、リオンのマイクはアンプの前にあるので、プロデューサーには聞こえないのです。ハルばかりしゃべっている理由はこれです。目の前にマイクがないプレイヤーがなにかいいたいことがあると、大声を出さないといけません。Pet Sounds Sessionsにはそういうシーンも記録されています。

ドラマーの声_f0147840_16114715.jpg

どうでもいいようなことばかり書いているみたいですが、細部にいたるまで具体的にスタジオの様子を把握しておかないと、セッション・テープを聴いても、なにが起きているのかイメージできないのです。野球場の形も知らなければ、ルールも知らずに、ラジオで野球中継を聴いても、なんのことかわからないのと同じです。

さて、このトラッキング・セッションを聴いて思うのは、まずなんといっても、ハルのうまさです。テイクとテイクの合間に、マーチング・ドラムを何度か叩いていますが、こういうときに地が出るわけで、いいタイムだなあ、きれいなロールだなあ、と思います。ドラマーは美しいロールを叩けなければ半人前です。いるんですよ、そういうのがうようよ。

このマーチング・ドラムは、つねにMr. Tambourine Manのテンポでやっていることも、むむう、です。じつは、ワールド・パシフィックでのリハーサルと称するMr. Tambourine Manの初期テイクは、マーチング・ドラムでやっているのです。いや、これはハルではなく、クラークのプレイだろうと思います。ジョン・ローガンがインチキ伝記で、なんでマーチング・ドラムなんだ、なんて、およそくだらないことを書いていますが、わたしは、ハルがデモのときにやったアレンジをそのままクラークがコピーしたのだと考えています。ちゃんとテープを聴き、頭を適切に使えば、いろいろなことが解決できるんだぜ>ジョン・“御用作家”・ローガン。

なーるほど、と思ったのは、イントロのドラムの「ピックアップ」フレーズ、すなわち入口のシンコペートした16分2打プラス8分2打は、最初はフロアタムでやっていて、途中でメルチャーが「Hal, do that pickup on the snare, an' do it heavy」と指示した結果、最終的な形になったことがわかります。

また、わたしが編集でミスして削除してしまったようですが、ラリー・ネクテルに対しても、イントロを変えるように指示しています。最初はD-E-lowAだったのを、D-D-highAに変更し、しかもDからhighAへの移行はスライド・アップでやるように変えています。

この二つの決定的な変更で、イントロの最終的な形ができあがりました。こういうことが、プロデューサーの大きな仕事のひとつだと思います。リオン・ラッセルが、メルチャーは予算を気にせず(お坊ちゃんだから!)、完璧に仕上げるタイプのプロデューサーだといっていましたが、このトラッキング・セッションを聴くと、きちんとやるべきことをやっていることがわかります。

えーと、なんの話だったかというと、わたしに聞き取れる声は、ハル・ブレインとキャロル・ケイぐらいだということです。いや、ブライアンもたいていの場合はわかりますが、あとはさっぱりで、大好きなアール・パーマーやジム・ゴードンの声ですらわかりません。だから、サンディー・ネルソンの声は判断できません。どうかあしからず。でも、だれかの声がしているんじゃないか、なんて思いながら聴くのは、なかなか楽しいことだと思います。バーズのHickory Windの小さなノイズは、コード・チャートが譜面台から落ちたのだ、なんて思っています。いやはや、トリヴィアな世界でした。

◎追記
ものごとを遠まわしに、やわらかくいうのが苦手なので、ダメと感じたものは、「それほどよくない」などとはいえず、「ひどい」と書いてしまう傾向があります。その点をすこし反省して、補足します。

わたしがいわんとしたことは、ハリウッドでは、スターとプレイヤーは完全に分離していた、ということです。サンディー・ネルソンにもっとも近い例は、二つあります。ひとつはもちろんヴェンチャーズです。彼らも初期は名前だけで、プレイはすべてプロフェッショナルが代行しました。

もう一例はハーブ・アルパートです。こちらのほうがネルソンとの類似性が明白かもしれません。なぜなら、彼もプレイヤーとして自分の名前を出し、自分でプロデュースもしていますが、スタジオではプレイしなかったといわれているからです。AFMのコントラクト・シートは見たことがなく、キャロル・ケイにきいた話なのですが、アルパートの盤でトランペットをプレイしたのは、オリー・ミッチェルだそうです。

ジャズじゃないから、だれがプレイしたかなんてことは、会社にとってはどうでもいいのです。それがいい音楽で、売れそうなら、それで十分なのです(そういってはなんですが、オリー・ミッチェルより、ハーブ・アルパートのほうがハンサムだということも重要だったかもしれません)。

アルパートのトランペットがどの程度のものかは知りません。しかし、極論するなら、それは関係ないのです。ポール・マッカートニーが、自分の盤を自分でプロデュースするのは、ブースとフロアを行ったり来たりしなければならず、ものすごく疲れる、きわめて不合理なやり方だ、といっていました。主演俳優が監督も兼任すると大変なのと同じです。だから、アルパートはプロデュースするほうをとり、プレイは大エースのミッチェル以下、ハリウッドの信頼できる面々にまかせたのでしょう。

サンディー・ネルソンの盤には彼自身がプロデューサーとしてクレジットされています。わたしがネルソンだったら、ドラムを叩いてはブースに上がり、プレイバックを聴き、ダメだ、リテイクだ、などといってまたフロアにおり、またプレイし、またブースに上がり、なんて愚劣なことはしません。3時間35ドル払えば、アメリカ一のドラマーが来て、影武者をやってくれるのです。これが正しい仕事のやり方です。

だから、企画者、制作者としては、立派な仕事をしたわけで、とくに恥じることではないだろうと思います。ハーブ・アルパートも自分の盤の出来を、いまも誇りに思っているだろうと想像します。いい出来ですからね。


by songsf4s | 2009-03-12 16:13 | ドラマー特集
Nobody Cares about the Railroads Anymore by Nilsson
タイトル
Nobody Cares about the Railroads Anymore
アーティスト
Nilsson
ライター
Harry Nilsson
収録アルバム
Harry
リリース年
1969年
他のヴァージョン
George Tipton
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もう六月もまもなくおしまいで、今月のMoons & Junes特集も、当初から予定していた曲はほぼ消化しました。積み残したと感じるのは、ハニムーンの歌ぐらいです。

しかし、積み残したにはそれだけの理由があって、つまるところ、どれも帯に短したすきに長しだったのです。ビートルズとメアリー・ホプキンがやっているThe Honeymoon Songは歌詞が退屈、テネシー・アーニー・フォードのThe Honeymoon's Overは、なかなか楽しい曲ですが、早口すぎて聴き取れない箇所多数、デビー・レイノルズのAba Daba Honeymoonも愉快な曲ですが、基本的には童謡だし、なによりも、音の面白さに依存する歌詞で、日本語に移しても意味がない、といった調子です。

最後に選択肢として残ったのは、ケニー・ヴァンスのHoneymoon in Cubaと、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreでした。ケニー・ヴァンスは、ほんとうに好きだといえるのはLookin' for an Echoだけ、でも、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreは子どものころからシングアロングしてきた歌なので、迷いなくニルソンということにしました。

◆ 東京と熱海の関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

When we got married back in 1944
We'd board that silver liner below Baltimore
Trip to Virginia on a sunny honeymoon
Nobody cares about the railroads anymore

「ぼくらは1944年に結婚し、あの銀色に輝く列車に乗ってボルティモアから南下したものだ、ヴァージニアへの快晴のハネムーンだったなあ、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

この曲が書かれたのが60年代終わりなので、このヴァースは四半世紀前の新婚旅行について語っていることになります。ボルティモアのあるメリーランド州とヴァージニア州は隣接していて、メリーランドが北、ヴァージニアが南という位置関係になります。

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ニルソンは特定の車輌と、特定の土地を念頭においてこの曲を書いたのだろうと思います。that silver linerだというのだから、新鋭車輌だったのでしょう。残念ながら、路線のアイデンティファイすらできず、したがって、どこを目指して列車に乗ったのかもわかりませんでした。風光明媚な海岸の保養地などというのが適当と思われるので(いまどき熱海のことを考えているのかよ、という声が聞こえる)、あるいはヴァージニア・ビーチが目的地だったのかもしれません。

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セカンド・ヴァース。

We'd tip that porter for a place of our own
Then send a postcard to your Mom and Dad back home
Did somethin' to ya when you'd hear that "All aboard"
Nobody cares about the railroads anymore

「あの赤帽にチップをやって、二人だけになれる席を見つけてもらったね、それから故郷のきみの両親に葉書を送った、あの『ご乗車願います!』の声にはおどろいたじゃないか、でも、いまではだれも鉄道のことなんか気にしちゃいない」

ここは、夫婦の片方がもういっぽうに語りかけているのでしょう。ニルソンは男だから、まあ、ふつうは夫が糟糠の妻に語りかけているシーンを思い浮かべるでしょう。

二人だけの場所、というのだから、当然ながら、コンパートメントになった列車だということになります。まあ、新婚旅行だし、大陸横断をするわけではないにしても、それなりの長旅なので、相応の設備のある列車なのでしょう。

Did somethin' to yaのところは、ひょっとしたら、「感動しなかったかい?」といっているのかもしれません。いずれにしても、大きく感情が動くことを指していると考えられます。

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最後のヴァース。

We had a daughter and you oughta' see her now
She has a boy friend who looks just like "My Gal Sal"
And when they're married they won't need us anymore
They'll board on an aeroplane and fly away from Baltimore

「わたしら夫婦には娘が生まれた、あんたらにぜひ見せたいような娘さ、彼女には『マイ・ギャル・サル』にそっくりの顔をしたボーイフレンドがいる、二人が結婚したら、もうわたしら夫婦は用なしさ、あの子たちは飛行機に乗ってボルティモアから飛び去るだろう」

daughterとoughtaの韻はなかなか印象的。『マイ・ギャル・サル』がなにを指しているか、正確なところはわかりませんが、たぶん、1942年の映画My Gal Salのことではないでしょうか。しかし、ここでいう「サル」は、リタ・ヘイワースの役名であるサリーのことです。ということは、男なのに、リタ・ヘイワースそっくりの顔をしているという意味なのか、あるいは、ヘイワースの相手役だったヴィクター・マチュアのことをいっているのか、判断しにくいところです。いずれにしても、優男を思い浮かべておけばいいのだろうと思います。

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リタ・ヘイワースとヴィクター・マチュア

◆ グッドフィーリンの担い手たち ◆◆
Nobody Cares about the Railroads Anymoreを収録したアルバム、Harryは充実した盤で、Nilsson Sings NewmanやA Little Touch of Scmilsson in the Night(このアルバムからの曲としては、昨秋、Lullaby in Ragtimeを取り上げたし、つい先日もMakin' Whoopeeを取り上げたばかり)と並んで、昔はよくターンテーブルに載せました。とりわけHarryはよく聴いたのか、ジャケットはみごとに壊れています。

このアルバム全体がそうですが、とくにNobody Cares about the Railroads Anymoreは、リラックスしたいいグルーヴで、だれのプレイかものすごく気になります。しかし、国内盤は、かつてのLPも、十数年前に出た最初のCD化でも、クレジットがなくて、だれだかわかりません。ドラムはジム・ゴードンかジム・ケルトナーというところまで可能性を絞り込めましたが、ベースのスタイルは聴き覚えがなく、候補をあげることもできません。かなりうまい人なので、ものすごく気になります。

クレジットがないのではしかたないと思ったのですが、念のために、しばしば調べものでお世話になっている、もっとも充実したニルソン・サイト「Harry Nilsson Web Page」をみてみたところ、ちゃんとパーソネルが書いてありました。国内盤のリリース元が、つねに失礼なリリースの仕方をしていただけだったのです。わたしのように、国内盤しかお持ちでない方のために、クレジットを以下にコピーしておきます。

Bass……Larry Knechtel
Drums……Jim Gordon
Flute……Jim Horn
Guitar……David Cohen
Guitar……Howard Roberts
Piano……Michael Wofford
Piano……Michael Melvoin
Saxophone……Tom Scott

Harry Nilsson……Producer
George Tipton……Arranger

ドラムがジム・ゴードンというのは、そうだろうそうだろう、そうにちがいない、てなもんですが(ゴードンかケルトナーかわかっていなかったくせに、といわれそうだが、これがブログなんかではなく、丁半バクチなら、ジム・ゴードンに張っていた)、ベースがラリー・ネクテルというのは、おっと、でした。

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◆ キャロル・ケイのラリー・ネクテル評 ◆◆
ラリー・ネクテルは、サイモン&ガーファンクルのBridge Over Troubled Waterでピアノを弾いたことで有名なので(わたし自身も、あのアルバムのクレジットで彼の名を記憶した)、ピアニストないしはキーボード・プレイヤーの印象が強いのですが、ベースの仕事もかなりあります。彼のフェンダーベースのプレイでもっとも有名な曲は、バーズのMr. Tambourine Manでしょう。

しかし、60年代中期以降のハリウッドのフェンダーベースといえば、キャロル・ケイとジョー・オズボーンの活躍が圧倒的で、ラリー・ネクテルは鍵盤ができたせいもあって、そちらで活躍するようになります。

キャロル・ケイという人は、プロだから当然でしょうが、プレイの善し悪しについては、妥協のない物言いをします。ちょうど十年ほど前、彼女とさまざまなプレイヤーについて話し合ったときに、たまたまラリー・ネクテルに話がおよびました。そのときの彼女の評価は忘れがたいものです。

「ラリーはピアニストとはいえない。彼のピアノ・プレイは、ドン・ランディーなどのクラスにはとうていおよぶものではない。わたしは、むしろ、彼の才能はフェンダーベースのほうにあったと思う」

あのときは、わたしのほうのテイストが幼かったので、彼女の真意を理解したとはいいかねます。彼女はジャズ・プレイヤーなので、ラリー・ネクテルにかぎらず、ロックンロール系ないしはカントリー系出身のプレイヤーに対する評価は、かなり辛いものばかりです。

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左からドン・ランディー、ハル・ブレイン、デニー・テデスコ(トミー・テデスコの息子)。デニーが製作したレッキング・クルーのドキュメンタリー映画のプロモーションで、最近はかつてのクルーたちがしばしばインタヴューを受けている。

ドン・ランディーはピアノ・トリオでやっていけた人ですが、ラリー・ネクテルはロックンロール・バンドのキーボード・プレイヤー、正規の訓練を受けた一流のピアニストではない、といわれれば、まあ、たしかにそのとおりです。月日がたつにつれて、そして、意識してラリー・ネクテルのピアノを聴いていくうちに、なるほど、ピアニストではなく、「キーボード・プレイヤー」なのだとわかってきました。

そして、バーズのMr. Tambourine Manセッションをテイク1からたどったブートを聴いて、キャロル・ケイがフェンダーベース・プレイヤーとしてのラリーを褒めていたことを思いだしました。たしかに、いいプレイなのです。

Nobody Cares about the Railroads Anymoreを聴いて、キャロル・ケイでもなければ、ジョー・オズボーンでもない、となると、あとはだれだ、チャック・バーグホーファーか、ボブ・ウェストか、はたまた、もっと若い世代か、と悩んでしまいましたが、ラリー・ネクテルといわれば、なるほどそうか、そいつは盲点だった、です。60年代終わりになると、キーボードの仕事が圧倒的に多く、ラリーのフェンダーベースの仕事はほとんどないと思われるのですが、数少ないサンプルが見つかって、得をしたような気になりました。

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フェンダーベースをプレイするラリー・ネクテル。むこうに見えるドラマーはハル・ブレイン。ハルの楽器はすでにオクトプラス・セットになっているので、この写真が撮られたのは1968年以降ということになる。ということは、こちらが認識している以上に、ラリーのフェンダーベースの仕事は多かったのかもしれない。

そういってはなんですが、キャロル・ケイのラリー・ネクテル評は、いまでは、きわめてフェアなものだったと考えています。まあ、そこまではっきり断定しなくてもいいじゃないですか、といいたくなりますが、それはアマチュアの考え方なのでしょう。

ビリー・ストレンジ御大も、やはり、評価をうやむやにはしませんでした。アール・パーマーも好きだ、というわたしに対して、「アールもいいが、彼は二番だ。ナンバーワンはハル・ブレイン、それにベースのナンバーワンはキャロル・ケイ」とはっきりいっていました。ティファナ・ブラスのセッションで知られるオリー・ミッチェルにいたっては、「世界一のトランペッター」と最大級の賛辞を贈っています。

◆ ノスタルジックな木管のアンサンブル ◆◆
LPで聴いていたときも、国内盤CDで聴いても、とくにどうとも感じなかったのに、米盤のベストCDでNobody Cares about the Railroads Anymoreを聴き、おや、と思ったことがあります。

この曲では、右チャンネルに管のアンサンブルが配されています。たぶん複数のサックスの上に複数のクラリネットを載せたものでしょう。国内盤ではなんとも思わなかったのですが、米盤では、この木管のアンサンブルの響きがすごくいいのです。

クラリネットのクレジットがないので、同じ木管であるサックスのトム・スコットとフルートのジム・ホーンが、二人でオーヴァーダブを繰り返したのかもしれません(しかし、Nobody Cares about the Railroads Anymoreにはフィドルも入っているのだが、そのクレジットはまったくないので、ソリスト以外の管と弦のプレイヤーはクレジットされなかっただけかもしれない)。

この曲のグッドフィーリンの最大の源泉は、ニルソンのふわっとしたヴォーカルと、ジム・ゴードンとラリー・ネクテルが生みだすリラックスしたグルーヴですが、米盤を聴くと、右チャンネルの木管のアンサンブルも、大きな貢献をしていることがわかります。かつてのLPのミックスに近いのは、古い国内盤CDですが、そういうことを抜きにして、絶対評価を与えるなら、米盤CDのミックスがいちばん楽しめます。

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by songsf4s | 2008-06-29 23:56 | Moons & Junes
MacArthur Park by Richard Harris その2
タイトル
MacArthur Park
アーティスト
Richard Harris
ライター
Jim Webb
収録アルバム
The Webb Sessions 1968-1969
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Glen Campbell (live), Hugo Montenegro, Percy Faith, Andy Williams, the Four Tops
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この記事をもって、わたしの「つなぎ」を終え、つぎからはTonieさんによる「日本の雪の歌」特集の後半に入る予定です。

本日は昨日に引きつづき、MacArthur Parkの後半ですが、本題に入る前に、ひとつだけ昨日の記事の訂正を。クライアントの自動車会社からジミー・ウェブのところに届けられた車は1台のようなことを書きましたが、ハル・ブレインの回想記を読みなおすと、コーヴェット(CMの依頼はこちらのほうらしい)と、シェヴィーのステーション・ワゴンという2台が届けられた、と書いてありました。

◆ クレジット ◆◆
さて、歌詞のほうは、わけがわからないまま、とにかく検討をすませたので、残るは音楽面です。

昨日は調べものを省略してしまったのですが、どうやらMacArthur Parkは「三部作」と呼ばれているらしいので、昨日、「第2部」と仮に呼んだだけだったパートは、そういう呼称のまま訂正しないでいいようです。そして、そのあとにくる長いインストゥルメンタル・ブレイクは、間奏ではなく「第3部」とされているらしいことが、ヒューゴー・モンテネグロのカヴァーでわかりました。モンテネグロ盤はヴォーカル・パートを省略し、インストゥルメンタル・パートだけやっているのですが、ジャケットにはMacArthur Park Part IIIと記載されているのです。

その第3部にいたっておおいに活躍するプレイヤーたちの名前をまずあげておきましょう。

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JPEGでは読みにくいだけでなく、クレジットには名前があるだけでパートがないので、この曲でもそうだったという保証はないものの、通常の彼らの楽器ないしは役割を以下に書きます。

ハル・ブレイン……ドラムズ
ラリー・ネクテル……キーボード(MacArthur Parkではおそらくハープシコード)
マイク・デイシー(「ディージー」とは読まない)……ギター
ジョー・オズボーン……フェンダーベース
シド・シャープ……ストリング・セクション・リーダー
ジュールズ・チェイキン……トランペット
ジム・ホーン……木管
トミー・テデスコ……ギター

最後にあるアーミン・スタイナーはプレイヤーではなく、エンジニア、プロデューサーですが、このセッションのプロデューサーはジミー・ウェブ自身なので、エンジニアリングを担当したのでしょう。いまだに公然とは認められていない、60年代のモータウンLAの録音も多くはアーミン・スタイナーの仕事で、録音場所は彼の自宅でもあったTTGスタジオだったと、キャロル・ケイが証言しています。

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最近のアーミン・スタイナー。いまだ現役らしい。上掲クレジットのスペルはまちがっていて、正しくはArmin Steiner。

◆ ジミー・ウェブ ◆◆
MacArthur Parkは、実験の時代という空気のなかで生まれた実験的な曲だった、とジミー・ウェブが回想しています。たしかに、1968年はそれこそ「なんでもあり」の時代で、どんなに変なものが出てきても驚きませんでした。

しかし、ジミー・ウェブは「変なもの」タイプのソングライターではなく、「なんでも」のなかでも、「野心的な作品」を指向しました。あのころは、野心的ではないものは「作品」の員数に入らない、という空気があったので、この言葉ではなにもいっていないも同然なのですが、傾向としては「トータル・アルバム」「組曲」「シンフォニック」なんてあたりが、いちおう「野心的」といわれていました。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_22213431.jpgジミー・ウェブは伝統音楽の作曲家としてスタートしたわけではないので、当然、それまでは、verse、chorus、bridgeという術語で表現できる枠組みのなかで曲を書いていたのですが、ここで、大作、組曲、シンフォニックな方向へと、自分自身の地平を広げようと志したのでしょう。

彼は1946年生まれだそうですから、このとき二十一二歳。比較のために書いておくと、ブライアン・ウィルソンがPet Soundsをつくったのが二十三歳のとき、フィル・スペクターがA Christmas Gift for You from Phil Spectorをつくったのも二十三歳のときです。二十代前半というのは、「野心の年齢」「実験の年齢」なのかもしれません。あるいは、ギリギリめいっぱいのところ、掛け値なしで、自分にはどれだけの能力があるのか知りたい年齢、といえるような気もします(顧みて、そこが彼らのピークだったことは、なんともやるせない歴史的事実なのですが)。

どうであれ、時代の空気と彼の野心が合体した結果は、ブライアン・ウィルソンやフィル・スペクターの野心的傑作に比肩できるほど圧倒的なものには結実しませんでしたが(そして、残念ながら、By the Time I Get to Phoenix、Wichita Lineman、Up Up and Awayといった彼自身の過去の秀作ほど印象深くもない)、彼の名声を一段高める出来にはなったし、彼のエゴも満足させたでしょう。

傑作になりそこなった理由は、作り手のエゴ、俗にいう「自己満足」を優先したためだと考えています。メロディーの印象はほとんどかわらないのに(ピッチ、スケールは変化する)、仮にヴァースと呼んだ部分とコーラスと呼んだ部分では、コードがまったくちがうのです(前者はマイナー、後者はメイジャー)。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_22243713.jpgこの差異は、ボンヤリ聴いているとまったく意識しないほどで、この手法に注目したのは、ミュージシャンだけだったでしょう。結果的にヒットしたからいいようなものの、ミスだったら、若き天才ヒットメイカーという彼の名声は地に墜ちていた可能性すらあります。実験的作品までヒットさせるのも才能のうちだし、時代も時代だから、たとえ、MacArthur Parkを録音するときに、危険な賭けだという自覚が彼にあったとしても、やはり挑戦しただろうと思いますが。

この曲は、当初、アソシエイションが録音することになっていたそうです。彼らのプロデューサーであるボーンズ・ハウがジミー・ウェブにほれこみ、MacArthur Parkをうたわせようとしたのだけれど、アソシエイションのほうはまったく無関心で、ボーンズは腹を立て、「この曲がトップテンに入った日に、わたしは君たちのプロデューサーを辞める」という電報を送った、とジミー・ウェブがいっています(そして、じっさいにその宣言どおりになった)。

ヒット曲を逃したアソシエイションは馬鹿者の集まりに見えますが、これはどちらの側も正しかったのではないでしょうか。アソシエイションは良くも悪くもポップ・グループで、「野心」といっても、せいぜいサイケデリック・ジャケットどまり(それも、流行にしたがったまでのこと)、客が離れるのを怖れても、しかたがありません。子どもみたいなソングライターの試験管やビーカーになんかなりたくなかったのでしょう。そして、その判断は正しかったと思います。MacArthur Parkは、アソシエイションにうたえるタイプの曲ではないからです。パーソナルかつインティミットな表現のできる歌い手を必要とする曲であり、アソシエイションにはその能力はありませんでした。

◆ リチャード・ハリス ◆◆
MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_2229403.jpgリチャード・ハリスの名前を見て、音楽を思い浮かべる方は少ないでしょう。わたしの場合、『ナバロンの要塞』を思いだしますし、最後に見た彼の映画『許されざる者』もまだ印象に残っています。いま、フィルモグラフィーを見て、そういえば『テレマークの要塞』もあったな、『ロビンとマリアン』もいい映画だった、『戦艦バウンティ』も見た、という調子で、ふつうは映画俳優としてのリチャード・ハリスに馴染みがあるでしょう(舞台のほうでも有名ですが、そちらはぜんぜん存知あげず)。

MacArthur Parkは、リチャード・ハリスに当てて書かれたものではなかったにもかかわらず、アソシエイションが拒否し、たまたま彼がうたうことになった(ウェブにこの曲を聴かされたとき、ハリスはWe must do itといったそうですが)のは、まさしく僥倖でした。MacArthur Parkは、アソシエイションがかけらも持ち合わせていないもの、演劇的表現力を必要とするタイプの曲だからです。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_22305610.jpgほかのシンガーのヴァージョンを聴くといっそう明瞭になるのですが、リチャード・ハリスの、うたうというよりは語るような調子は、過度にパセティックになるのを防いでいて、やはりたいしたものだと思います。メロディーがそうなっているのでしかたないのですが、音吐朗々とうたいあげたくなるタイプの曲で、そして、そうやったら、クラブ歌手の凡庸なバラッド、堕落したMy Wayのようになってしまうのです。

リチャード・ハリスについては、ハル・ブレインがその回想記で人物像を活写しているので、ご興味のある方はそちらをご覧あれ。なかなか豪快な人物で、まだ若かったジミー・ウェブが、ハリスのことを兄か保護者のように思っていたというのも、さもありなん、です。

◆ ハル・ブレイン ◆◆
リチャード・ハリスのレンディションはさすがだとは思うものの、この曲でほんとうに好きなのは、第3部のインストゥルメンタル・パートです。といっても、フルオーケストラなので、派手なギターソロがあるわけではなく、魅力はハル・ブレインのプレイに尽きるのですが。

先に、第1部と第2部のプレイに簡単に触れておきます。「野心的作品」にはありがちなことですが、MacArthur Parkもまた変拍子を使っています。それも、ちょっと嫌らしいタイプの変拍子です。イントロ冒頭の4小節は4/4-4/4-4/4-2/4、そのつぎのひとまわりは4/4-4/4-5/4なのです(ちゃんと繰り返しカウントしたから大丈夫だと思うのですがね!)。これだけでも、「プロが必要な仕事」だということがわかるわけで、二流のドラマーを呼んだら悲惨なことになります(たとえ結果的にいいものができても、リテイクで時間を食って予算を超過すれば、それも「目に見えない」悲惨な事態)。

こういう変拍子およびテンポ・チェンジを多用した曲をスムーズに聴かせるのは「クルー」の得意とするところで、彼らならなんの心配もありません。第3部は、移行過程抜きで、いきなり速いほうへとテンポ・チェンジして突入する構成ですが、ここもなんの遅滞も違和感もなく、きれいにつないでいます。ここまでのハルのプレイも、例によってよく練られたデザインになっていますが、本領を発揮するのはここからです。

だれしもいい日悪い日はあるもので、ハル・ブレインといえども、すごくいい日、悪くない日、ちょっと不調の日というのがあります。MacArthur Parkは、すぐくいい日の録音です。ひとつひとつのビートが、早過ぎもしなければ、遅すぎもせず、「ここしかない」というポイントにきているのです。これほどいい日は、ハルの全キャリアのなかでもそうたくさんはないでしょう。

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ジミー・ウェブ(左)とハル・ブレイン

そういうコンディションで、第3部では、アップテンポになり、複雑なビートを叩くのだから、そりゃもう、ドラマー自身にとっても天国でしょうが、ドラム・クレイジーにとっても、天国にもっとも近い場所です。ひとりでやりたいことをやれるタイプの曲ではなく、オーケストラとの緊密な連携を必要とされるプレイなのですが(インプロヴはゼロ、すべて自分でアレンジして、譜面に起こし、それに厳密にしたがってプレイしたにちがいない)、その制約すらもが魅力のひとつになっています。

こういうプレイをなんと名づければいいのか? 「MacArthur Parkでハルがやったプレイ」という言葉しか出てきません。ということは、いままで気づいていませんでしたが、これまたきわめてオリジナルなプレイ・デザインだったことになります。

あえて説明すれば、オーケストラがプレイするラインのアクセントに合わせて、その補強としてのビートを叩きつつ、同時に、ドラム本来のフィルインも入れ、曲の流れをリードしつつ、いっぽうで装飾を加える、という八面六臂縦横無尽の大活躍プレイというところでしょうか。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_22521623.jpg楽曲の構造、このパートのムードとしてはシンフォニックなのですが、シンフォニーでは、打楽器はこういうプレイをしません。では、ビッグバンド的かというと(ハル自身のルーツはビッグバンドで、そちらも非常に得意としていた)、そういうタイプでもありません。ビッグバンドなら、もっとタイムキーピングを重んじるはずです。もちろん、ロック的なところもなく(ハルがもっていたロック的ニュアンス、強さは明白に出ているが)、じっさい、ロックドラマーにはこのプレイはできないでしょう。

しいていうと、いやもう、ほんとうに無理矢理に考えてみただけですが、In Held 'Twas in Iにおける、バリー・J・ウィルソンのプレイが近いでしょう。しかし、あちらはテープ編集も使っているし、BJのタイムは、かなりいいほうではあるものの、ハルほど正確ではありませんし、オーケストラとの緊密な連携もできるとは思えません。それに、BJなら、譜面は使わず、インプロヴでやるでしょう。

必要に迫られて生みだしたデザインでありスタイルなのでしょうが、改めて考えると、わたしの自前データベースをいくら検索しても、似ているプレイというのが出てこなくて、またしても、「ロック・ドラミングを発明した男」のすごみ、懐の深さを思い知った気分です。

たんなる景物として書きますが、回想記のなかで、この曲についてハルがなにをいっているかというと、リハーサルでオーケストラを指揮させてもらったのが楽しかった、だそうです。ドラミングのほうは、彼の観点からいえば、「いつものお仕事」にすぎなかったのでしょう!

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ハルのドラミングのことを書けば、MacArthur Parkを取り上げた目的は果たしたようなもので、気が抜けてしまいました。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_238281.jpgあまりいいカヴァーはないのですが、しいていうとフォー・トップスでしょうか。リーヴァイ・スタブスの声が好きだというだけなんですがね。それにしても、なにもトップスがこの曲をやることもないなあ、という感じもします。モータウン末期の彼らは、どうも干されていたような印象で、「Aチーム」の曲がもらえず、白人アーティストのカヴァーばかりやっています(最悪はWalk Away Renee)。

トップス盤MacArthur Parkは、モータウンにしてはビッグ・プロダクションで、トラッキングはもちろんハリウッドでしょう。この時期になると、モータウンLAのドラマーも錯綜してきて、明快な判定はできませんが、アール・パーマーやハル・ブレインではないので、第一候補はポール・ハンフリー。悪くないタイムですが、やはり、何カ所か気になるミスがあります。まあ、おかげで、ハルがどれほどいい仕事をしたかがいっそうよくわかるのですが。第3部は非常に短くまとめていて、賢明にもボロがでないうちに手じまいしたという印象です。ドラムは必要なことをやっているだけで、華々しさはありません。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_2393148.jpgしかし、ハル・ブレインがやれば、どれもすごくなるかというと、そうでもないことが、アンディー・ウィリアムズ盤とヒューゴー・モンテネグロ盤でわかります。どちらもハルのプレイと考えられますが、やはり、コンダクター、プロデューサーの姿勢というか、どこを目指すかという志の高低は、プレイにも反映されてしまうのです。

アンディー・ウィリアムズ盤は、トップス盤とちがって、第3部にもそこそこの長さをあてているのですが、ハルのプレイは残念ながらクリシェになっています。自分の書いた譜面の縮小再生産なのです。しかも、ドラムは休みの箇所がたくさんあり、見せ場のいくつかは消去されています。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_23103535.jpgヒューゴー・モンテネグロ盤は、第3部だけをダイジェストしたインストゥルメンタルですが、ちょっとテンポが速すぎて、ハルはやるべきことをきちんとやっただけ、という印象です。これまたクリシェといわざるを得ず、「あるパターン」に収まったプレイで、オリジナルの「名づけえぬすごみ」にはほど遠いものです。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_23112020.jpgパーシー・フェイスももちろんインストですが、ヒューゴー・モンテネグロとは正反対の方向性で、ジミー・ウェブのメロディーをより美しく、甘く、ストリングスによって表現したものといえます。パーシー・フェイスのものとしてはシンプルなアレンジで、もうすこし複雑なほうがいいのに、と思います。ドラムは活躍しないので判断できませんが、これまたハル・ブレインであってもおかしくありません。ベースはキャロル・ケイではないでしょうか。

MacArthur Park by Richard Harris その2_f0147840_23123340.jpgグレン・キャンベルはライヴでやっています。ちゃんとフルオーケストラ付きで、この大作をライヴで、全曲通しでやった挙たるや壮とするべきでしょう。バンドもがんばっていて、違和感はないのですが、だからといって、すごいなあ、と感心もしません。そして、グレンのヴォーカルについても、シンプル&ストレートフォーワードな曲のほうが合っていると感じます。でも、たまにはこういう曲もやってみたくなるのでしょう。気持ちだけはわかります。だれだか知りませんが、ドラマーは、第3部における「危険箇所」を注意深く取り除き、プレイを単純化して、ミスを最小限に抑えた(一度、スティックどうしを軽く衝突させている)のは賢明でした。できないことはしない、できることに最善を尽くす、が鉄則。

◆ 「スージー組曲」 ◆◆
ハル・ブレインは無名のときからジミー・ウェブを知っていて、個人的に親しくしていたそうです。なんともはや、と思う情景があります。ジミー・ウェブは、若くして大物になり、無数のハリウッド人種が彼を金の生る木と見ていました。ユニヴァーサル映画は、彼にスタジオ・ロットにあるバンガローをあたえ、いつでも好きなときに、好きなだけ録音していいといったそうです。ユニヴァーサルは、できればジミー・ウェブの自伝映画を作りたいと思っていたのだとか!

そのユニヴァーサルのバンガローに、ハルは何度か遊びに行きました。ジミーは模型作りが好きで、ハルもいっしょになって飛行機や船を組み立てたそうです。その間にも、依頼の電話は引きも切らず、そのたびにジミーは、フランク・シナトラからだ、とか、バーバラ・ストライザンドからだ、といったそうです。そして、二人はまた子どものように模型作りにいそしみ……。

もうすこし音楽的な話題を拾っておきましょう。ハルがはじめてジミー・ウェブと録音したのは、ジミーが面倒を見ていた女の子のヴォーカル・グループの仕事でした。そのグループにスージーという子がいて、ひと目で、ハルはジミーがスージーに恋していることがわかったのだとか。ハルは、この当時のジミーの曲、そして、その後しばらくのあいだに書かれたものも、みなスージーについてうたったのだろう、といっています。MacArthur Parkもまた、「スージー組曲」の一部なのかもしれません。

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by songsf4s | 2008-03-11 23:52 | 春の歌
Blowin' Up the Storm by Duane Eddy
タイトル
Blowin' Up the Storm
アーティスト
Duane Eddy
ライター
David Gates
収録アルバム
Twangin' Up a Storm
リリース年
1963年
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◆ 芸能界用語としてのStorm ◆◆
本日は居眠りばかりしていて、目覚めれば、すでに日付が変わるまであとわずか。リストのなかからいちばん楽な、こういうときのためにとってあったインストゥルメンタル曲を選び出しました。

ドゥエイン・エディーは、ご存知の方はご存知、聴いたことのない曲でも説明の要がないほど、ほとんどすべての曲を例の「トワンギン・ギター」スタイルでやっています。この曲も、タイトルに嵐とあるからといって、ジョー・メイフィスのような、すさまじい速度で弾きまくるわけではなく、例によって例の調子、低音弦をブリッジのすぐそばで強引にピッキングしているだけです。

Blowin\' Up the Storm by Duane Eddy_f0147840_0553215.jpgRCA時代のエディーは、ハリウッドとナッシュヴィルで録音していたようですが、このアルバムはハリウッド録音で、アレンジャーはデイヴィッド・ゲイツ、この曲自体もゲイツの作です。プレイヤーのクレジットはありませんが、ドラムは明らかにアール・パーマー。そのおかげで、けっこうなグルーヴになっています。

いや、ミドル・テンポなんです。どこが嵐なのかと思うほど、ゆったりしちゃって、看板に偽りありです。アルバム・タイトルにまで嵐がくっついていますが、アルバム全体を聴いても、とくに嵐の雰囲気があったりするわけではありません。辞書でstormを引いてみると、

blow up a storm
《ジャズ俗》 すばらしい演奏をする; _《俗》 怒り狂う; _《俗》 大騒ぎをひき起こす

という成句が出ています。したがって、歌詞のことを気にしないでよいインストゥルメンタル・プレイヤーおよびバンドの場合、気象とは無関係に、この言葉は好ましいことになり、それだけの理由でつけられたタイトルなのだろうと思います。あちらもこじつけ、こちらもこじつけ、武士は相身互いですわ。

◆ 変わらぬスタイル、変わってゆく時代 ◆◆
60年代に入ると、エディーは徐々にシングル・ヒットを出せなくなっていきます。この曲は、最後のトップ40ヒット、Boss Guitarと同じ年にリリースされていて、まだ元気がよかったころのものです。

Blowin\' Up the Storm by Duane Eddy_f0147840_0574057.jpg考えてみると、いつも同じスタイルなのに、50年代にあれほどヒットを大量生産したことのほうが不思議かもしれません。「トワンギン・ギター」で売ったのだから、下降線に入っても、高音弦での華麗なプレイに転身というわけにもいかなかったのでしょう。自分のスタイルに殉じ、生涯、トワングしつづけたのは、まあ、立派なことといえるように思います。いや、時代に合わせてスタイルを変えていった人はダメ、ということではないのですが、スタイルを変えない頑固な人がいるのも、それはそれでけっこうなことだと思います。

エディーという人は、あまり高音弦を弾かないから、うまいんだか、下手なんだか、よくわかりません。たぶん、とくにうまくはないだろうと思います。それなのに、十数曲のトップ40ヒットがあったのだから、最初につくりだしたスタイル、フォーマットがよかったのだとしか考えようがありません。

ギター・インストというのは、うまいに越したことはないのですが、つまるところ、うまさでは売れないということです。リスナーが聴いているのは、テクニックではなく、楽曲であり、サウンドであり、ムードなのだということでしょう。64年以降、エディーが失速していったのは、時代が変わっただけであって、彼はなにも変わらず、年を取ってからもトワングしていたのはご承知のとおり。やはり、表彰ものでしょう。

◆ 中途半端な裏方 ◆◆
デイヴィッド・ゲイツは、キャリアの初期はよくわからないところがあるのですが、62年ぐらいからヴェンチャーズのレコーディング(および、一時的にはツアーにも)に関わっていき、ギター、ベース、ドラムと、あれこれやったようです。小器用なところがあったのでしょうが、とくにギターがうまいということはないようで、スタジオ・プレイヤーとして大活躍した痕跡はありません。

このBlowin' up the Stormの翌年、1964年にリリースされた、知る人ぞ知る、ギター・インストの秀作アルバム、アヴァランシェーズのSki Surfin'にはベースとして参加していますが、このプレイを聴いて、翌年にリリースされた、ヴェンチャーズのクリスマス・アルバムのベースは、デイヴィッド・ゲイツの仕事だったとわかりました(聴く順番が逆になってしまったが、このアルバム自体が、アヴァランシェーズに触発されたものだったことは、いまになれば明白。いや、ほとんど同じメンバーなのだが、クリスマス・アルバムのときのドラムはハル・ブレインではないし、ダブル・リードではないので、そこで差がつき、軍配はアヴァランシェーズ)。

64年には、マーメイズのPopsicles and Iciclesをプロデュースし(曲もゲイツのものだったと思います)、大ヒットさせたり、ガール・グループ・アンソロジーにはしばしばとられている、ガールフレンズの隠れた佳作My One and Only Jimmy Boyをプロデュースしたりもしています(ノンヒットだが、マーメイズなどよりよほど面白く、いま聴いても腐っていないと感じる。ハル・ブレインがめったにやらないほど派手なプレイをしている)。

Blowin\' Up the Storm by Duane Eddy_f0147840_17662.jpgこう見てくると、どうも落ち着きがなく、どの分野でもそこそこの才能という印象を受けます。たぶん、プレイヤーとして大売れはしなかったことから、ソングライティングとブースの仕事に移ることを考えたのでしょうが、多少のヒットは出たものの、これで一生大丈夫とは、とうてい思えません。ブレッドが成功しなければ、かなりきびしい後半生になったのではないでしょうか。

ブレッドの最初のヒット、Make It with Youのリリースは1970年。わたしのように、特定のアーティストに拘泥することなく、ハリウッド音楽の流れをマクロに追っている人間には、60年代後半のゲイツの動きはわからず、活躍といえるようなものはなかったのでしょう。プレイヤーとして名を成すこともできず、ブースのスタッフとしても、ソングライターとしても大成功することなく、かなり危機的状況の数年間だったのではないでしょうか。

ブレッドが成功しなかったら、まずいことになっていたはずで、運がよかったというべきか、やはり能力があったというべきか、まあ、そのへんは人知をもってしてわかることではないのでしょう。

◆ 時はめぐって ◆◆
Blowin\' Up the Storm by Duane Eddy_f0147840_18259.jpgドゥエイン・エディーという人は、いつも同じプレイなので、それほど興味はないのですが、ハリウッド音楽史を研究する人間としては、彼のバンド、レベル・ラウザーズはなかなか気になる存在です。スティーヴ・ダグラスとラリー・ネクテルという、重要なスタジオ・プレイヤーが輩出しているからです。

70年代に入ると、ハリウッドのスタジオ仕事は減りはじめ、プレイヤーたちはさまざまな方面に散っていくことになりますが、ラリー・ネクテルは、デイヴィッド・ゲイツのブレッドに参加することになります。10年ほどまえ、キャロル・ケイに聞いた話では、依然として一年のかなりの期間はブレッドとツアーに出ているということで、メールにもめったに返信をよこさないほどだということでした。

彼に話を聞きたいのなら、わたしが紹介したといいなさいと、キャロル・ケイはラリー・ネクテルのメール・アドレスを送ってくれたのですが、結局、連絡はとりませんでした。現役の人は悠長な昔話はしたがらないだろうと思ったのです。そもそも、キャロル・ケイにすら返信をしないんだから、わたしがなにか書き送っても、どちらにしろゴミ箱行きだったでしょう。

あ、書こうと思っていたのに、ひとつ忘れていたことがありました。エディーに合わせて、よせばいいのにギターをいじっちゃったのですが、通常のチューニングのギターには出せない低音が出てきて、ちょっと焦りました。6弦のEより1音下のDを使っているのです。

これが彼のふつうのチューニングだったのか、この曲のために、とくにチューニングを下げたのか、そこまではわからないのですが、まだレギュラー・ゲージの時代ですから、こういう手をしょっちゅう使っていた可能性もあるのではないでしょうか。
by songsf4s | 2007-10-14 00:38 | 嵐の歌