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大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その4
 
ポップ、ロックの世界で、3コードや4コードの循環コードが多用されるのは、ブルースやヒルビリーが基礎になっているからだ、という説明を読んだことがある。これは説明になっているようで、なっていない。

「では、なぜブルースのコード進行はみなああいう風になっているのか?」という、さらなる疑問を引き出すだけでしかないからだ。

3コードの循環、たとえばCキーでのI-IV-V循環、じっさいのコードに置き換えると、C-F-Gの循環(FはしばしばDm7で代替される)には、ドレミファソラシドのCメイジャー・スケールの音がすべて含まれている。

これが、ポピュラーソングで、この三つのコードによる循環コードが多用される理由なのだ、という説明もある。このほうが納得がいく。C-Am-F-Gという4コードの循環コードも、C-F-Gと同じことだと考えていいらしい。

この説明に説得力があると感じるかどうかは人それぞれだろうが、ケイデンス時代のエヴァリー・ブラザーズのヒット曲の大部分を書いたブードロー&フェリス・ブライアントは、史上まれに見るほど徹底した「循環コード使い」のソングライター・チームだった。

前回とりあげた曲はいずれもブライアント夫妻の作で、みなシンプルな循環コードを利用した、不自然なところのまったくない、スムーズなメロディーラインをもつものばかりだった。

今日の一曲目もブードロー&フェリス・ブライアント作。クリップがないのだが、ないのならしかたない、ではすまされない重要な曲なので、box.netにサンプル音源をアップした。

Bob Dylan - Take a Message to Mary (サンプル)

The Everly Brothers - Take a Message to Mary


ブライアント夫妻がエヴァリーズに提供したもののなかでも、もっともコードが複雑な部類だと思うが、それでも、E、B7、C#m、G#m、F#、A、の6コード、メイジャー、マイナー、セヴンスしか使っていないし、キーがEなら、当然出てくるであろうコードばかりで、おやおや、そんなところに行くのか、という意外なものはない。

メロディー・ライン、ハーモニー・ラインともに、どちらがどちらなのかわからないほどスムーズで、じつは、わたしには、シャレでもなんでもなく、いまだにどちらがどっちなのか判断できない! たぶん、フィルが歌っている上の方がメロディーなのだと思うが、確信はない。

You can say she better not wait for meのラインの、B7→E→G#m→A→Eという早いコード・チェンジのところは、ブライアント夫妻の曲としては、やや強引な流れに感じられる。

しかし、そこがむしろこの曲の魅力のひとつになっていて、say she betterのフィルが歌う上のパートが、ちょっとだけジャンプする(最高音はミだが)ところに耳を引っ張られる。

ここはじつに面白い箇所で、フィルのパートは高くて明瞭に聴き取れ、これはまちがいなくハーモニー・ラインだと、一瞬は思う。

しかし、落ち着いて同じところのドンのラインを聴くと、こちらもメロディーではなく、ハーモニー・パートに聞こえて、見当識喪失に陥る。いや、失ったのは見当識ではなく、メロディーだ。メロディー・ラインはどこに消えた?

ボブ・ディランのカヴァーは、70年リリースのアルバム Self Portrait に収録された。ディラン・ショーヴィニストが蛇蝎のごとく嫌い、ディランのカタログから抹消したいとまで願っている盤だが、以前にも書いたように、ディランのアルバムのなかでは、Nashville Skylineと並ぶ四十数年来のわがフェイヴで、いまもしばしばプレイヤーにドラッグしている。最近のリマスターで一段と音がよくなり、慶賀に堪えない。

Self Portraitはカヴァーの多いアルバムで、そこに面白味もあるのだが、グレイトフル・デッドのWake Up Little Susie同様、ディランもまた、ふだん見せている顔に似合わず、十代の時にエヴァリーズをコピーしたことが、この選曲にあらわれたのだと考えている。

ディランはまた、同じSelf Portraitで、ブライアント夫妻の作でもないし、エヴァリーズがオリジナルでもないのだが、彼らのヴァージョンがもっともヒットした、ジルベール・ベコー作のLet It Be Meもカヴァーしている。

64年にはベティー・エヴァレット&ジェリー・バトラーのヴァージョンもヒットしているが、さして根拠のない山勘にすぎないものの、ディランはエヴァリーズを念頭にしてLet It Be Meをカヴァーしたのだと思う。

The Beach Boys - Devoted to You


大滝詠一&山下達郎 - Devoted to You


The Everly Brothers - Devoted to You


ビーチボーイズのDevoted to Youは、Pet Soundsの準備中で多忙なブライアン・ウィルソンが、リリース・スケジュールに追われ、苦しまぎれの時間稼ぎに考え出した、いわばやっつけのアルバム、スタジオ・ライヴのようなThe Beach Boys Party!に収録されたもの。

しかし、人間、冴えているときは怖いものなしの無敵、このときのブライアン・ウィルソンはまさにその状態で、時間稼ぎの誤魔化しだったアルバムは、ヒットしたばかりでなく、リラックスしたビーチボーイズの心地よいハーモニーを記録した好ましい盤になった。

ドンのパート(下)はブライアン・ウィルソン、フィルのパート(上)はカール・ウィルソンだろうか。ウィルソン兄弟も、エヴァリー兄弟に勝るとも劣らぬ、きれいにミックスした美しいハーモニーを聴かせてくれる。ま、当然だが!

この記事の主役のひとりである大滝詠一のものは、盤としてリリースしたものではなく、ラジオ番組でのライヴで、じつはこの曲ばかりではなく、All I Have to Do Is Dreamをはじめ、ベスト・オヴ・エヴァリーズかというくらいたくさん歌っているのだが、この曲は特別だからおいてみた。

しかし、これはフィル・エヴァリーのパートを歌っている人(呵々)がちょっと苦しそうで(じつは音域が狭いのか、それとも、苦しそうにみせるのがスタイルなのか)、大滝詠一だけが気持よさそうに歌っている。いや、この際、それでかまわないのだが。

エヴァリーズのオリジナルは文句なし、彼らのバラッド系の代表作である。フィル・エヴァリーの死を悼むにふさわしい。

つぎは、ブライアント夫妻ではなく、ほかならぬフィル・エヴァリー自身が書いた曲。エヴァリーズのビート系の曲では、これがもっとも好ましい。

Linda Ronstadt - When Will I Be Loved


The Everly Brothers - When Will I Be Loved


リンダ・ロンスタットのカヴァーは、だれだか知らないがドラムのタイムが悪くて、四分三連のフィルはひどいし、グルーヴも嫌いだが、間奏のギター・アンサンブルは、おそらくアンドルー・ゴールドの多重録音で、わたしのような、ギター・オン・ギターが好きな人間にはエクスタシーものである。ここだけはすごいと思う。

リンダ・ロンスタットは好きでも嫌いでもなく、フィル・エヴァリーのために印税をたくさん稼いでくれてありがとう、と思うのみ。こういう風にカヴァーがヒットしないと、昔の人は忘れられてしまうことがあるので、その点でもありがたい。いや、どうも相済まぬ。>リンダ・ロンスタット・ファン諸兄姉。

エヴァリーズのオリジナルは、これまた云うことなし、すばらしい。ナッシュヴィル時代の彼らのサウンドはおおむねシンプルで、ヴォーカルに耳が集中するようにつくられているのだが、ドラムのバディー・ハーマンをはじめ、上手い人ばかりなので、派手なことをしなくても、気持のよいトラックが多い。

しかし、この曲は、ハーマンのフロアタムが、エルヴィスの時のような音で、おお、と思うし、アップライト・ベースの下降ラインも気持がいい。WB時代のゴージャスなサウンドの予告編といった趣である。

つぎはまた、ブードロー&フェリス・ブライアントの曲に戻る。

Gram Parsons & Emmylou Harris - Sleepless Nights


The Everly Brothers - Sleepless Nights


これはシングル曲ではない。よくまあグラム・パーソンズは自分にぴったりの曲を見つけだしたものだと思う。むろん、この曲に関しては、出来は伯仲、というか、感傷の深さにおいて、GPとエミールーのデュエットの勝ちではないかと思う。はじめて聴いたときは、なぜこれがお蔵入りしたのだと驚いた。おそらく、自作の曲を優先したためであって、出来に不満足だったわけではないだろう。

エヴァリーズのオリジナルも悪いわけではない。いい出来である。たんに、グラム・パーソンズがすごかったにすぎない。

今回はこれでおしまい。冒頭でふれたブライアント夫妻のソングライティング・スタイル、そしてTake a Message to Maryの、ドンとフィルのどちらもハーモニー・ラインを歌っているように聞こえる部分、これがエヴァリーズ、ブリティッシュ・ビート、大滝詠一を結ぶ隠れた糸なのだが、それは大滝詠一の曲に戻る次回に再検討する。


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by songsf4s | 2014-01-08 22:43 | 60年代
回想のビリー・ストレンジ、その音楽と時代 その8 ビーチボーイズ、フィル・スペクター、サム・クック
 
今回は1963年のセッション・ワークです。ビリー・ストレンジのキャリアということではなく、ハリウッド音楽界自体がおおいなる隆盛を迎えのは、この年からと考えています。ビリー・ストレンジの仕事も、メイジャー・アーティストの大ヒット曲がどっと登場します。

まずは典型的なカリフォルニアの音から。

The Beach Boys - Surfin' USA


スーパー・プレイではないのですが、ビリー・ストレンジの艶やかなギターのサウンドがこの曲の印象を決定しているので、やはり代表作のひとつといっていいでしょう。きちんとしたクレジットがないので、頭痛の種でしたが、ボス自身がコンファームしてくれて助かりました。

1963年を境にして、ハリウッドはアメリカ最大の音楽都市へと成長しますが、その最大の原動力は、フィル・スペクターだったといっていいでしょう。

62年のHe's a Rebelで、フィレーズとしては最初のビルボード・チャート・トッパーを得て以来、スペクターは活動の中心をハリウッドに移し、その結果、後年いうところの「レッキング・クルー」が形成されることになります。

ビリー・ストレンジ・ディスコグラフィーにも、1963年からフィル・スペクターの曲が登場しはじめます。フィル・スペクターは滅多にギター・ソロは使わないですが、これは例外。

Bob B.Soxx & The Blue Jeans - Zip-A-Dee-Doo-Dah


エンジニアのラリー・レヴィンが回想していました。ミックスのとき、スペクターの要求にしたがって、あっちを上げ、こっちを上げているうちに、こうなってしまった、と。レヴィンが「でも、フィル、これではビリーのギターが聞こえないじゃないか」といったら、スペクターは「いいんだ、これで完璧だ」といったそうです。

その結果、ビリー・ストレンジのファズ・リードは、他のチャンネルにリークした音だけになり、このような「遠いギター」の効果が生まれたというしだい。

サム・クックのセッションでビリー・ストレンジがプレイした曲は多くないと思いますが、これは、いわれて、そういえば、と頭を掻きました。

Sam Cooke - Sugar Dumpling


これまたオフ・ミックスなのですが、ときおり聞こえるギターは、なるほど、いかにもビリー・ストレンジの音だと納得します。

ここまではよく知られたヒット曲ばかりですが、当然ながら、まったく知られていないであろうスタジオ・プロジェクトもあります。

Calvin Cool & the Surf Knobs - El Tecolote


さすがはビリー・ストレンジ、というプレイ。ぜんぜん知らない名前がいまだにどんどん出てきてしまうサーフ&ドラッグ・スタジオ・プロジェクトの世界は魔界です!


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by songsf4s | 2012-03-13 23:46 | 60年代
I'll Think of Summer by Ronny & the Daytonas
タイトル
I'll Think of Summer
アーティスト
Ronny & the Daytonas
ライター
John Wilkin, Buz Cason
収録アルバム
Sandy
リリース年
1966年
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◆ 代表作というアイロニー ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズというと、ふつうはG.T.O.が代表作ということになっていて、これはサーフ/ドラッグ系の編集盤に採られたことも何度かあります。しかし、それはいわば「表向き」でしょう。G.T.O.はすでに「期限切れ」の曲で、わたしはまったく好みません(間奏がアコースティックギターだというところが、ナッシュヴィルっぽくって、ほほえましく感じられますが)。そもそも、楽曲自体、どうということのないもので、なにかの勘違い、「時代の気分」でヒットしただけにしか思えません。

f0147840_127416.jpgこういう、「なにかの拍子ヒット」が代表作になったアーティストというのもけっこういるもので、たとえば、トミー・ジェイムズ&ザ・ションデルズなども、いちばん有名なHanky Pankyはゴミ箱いきです。Mony Monyなんて、思いだせば、ああ、あっちのほうがよかった、と思うでしょ? わたしなんか、即座に、Yeah she come down Mony, Monyと歌っちゃいますもん。ヒットしているときはダサいと思っていたCrimson and Cloverだって、Hanky Pankyよりずっとマシ、たいしたヒットではなかったCrystal Blue Persuasionだって、まだしも聴く気になります。一般にストレート・ロッカーが看板になりがちなもので、たとえば、スウィンギング・ブルー・ジーンズといえばHippy Hippy Shakeですが、ああいうスタイルではない、ロッカ・バラッド(Promise, You Tell Her)のほうに佳作があります。

その最たるものが、ビーチボーイズだと思います。Surfin' U.S.A.って、いい曲なんでしょうか? 歴史的意義はあると思いますが、そういうことを抜きにすると、楽曲(なんたっておおむね3コードだから小学生でもすぐに弾けるし、そもそも、ブライアンの曲ですらない)も、プレイも、パフォーマンスも、かろうじて及第点といった程度にしか思えません。

ちょっと彼らの盤を聴くと、ブライアン・ウィルソン(フルネームを書くのは検索エンジンへの配慮にすぎないので、気にしないでね)のプライヴェート&インティミットなバラッドのほうに強く惹かれていくものではないでしょうか。いまは、呆れたことに、Pet Sounds一辺倒の時代なので、話がさらにねじ曲がり、わかりにくくなっていますが、ちょっと前のこと、Pet Sounds Sessionsが出て、猫も杓子もメタル・キッズ(!)でさえもPet Soundsを聴くようになるまえのことを思いだしていただきたいのです。

f0147840_1273468.jpgたとえば、Todayなんて、アップテンポもバラッドも佳作がそろっていて、Pet Soundsに疲れたときなどは、これくらいの複雑さのほうがよかったかもしれない、なんて、Pet Sounds推進運動ウン十年の人間が口にしてはいけないことを思うのですが、Please Let Me WonderやShe Knows Me Too Wellで、「痛切にしんみり」(微妙な形容矛盾失礼)しちゃったときは、もうどうにもならないのですよ。

ブライアンのバラッドには、つねにそういう雰囲気がありますが、この2曲には「夏の終わりの夜の浜辺」といったムードが濃厚にあると感じます。アップテンポの曲は「なにはさておき商売商売、お子様、もとい、お客様は神様です」と愛想笑いを浮かべていますが、しばしばそうしたシングルのB面になったバラッドは、誠実で正直な、だれも聴かなくても俺はこれを歌う、という気持ちが感じられます。

いや、まあ、そんなしちくどいことをいわなくても、夏の終わりになると、やっぱり、いくつかファイルを見つくろってプレイヤーにドラッグしたくなる力が、ブライアンのバラッドにはあるというだけのことです。こういうのを読むと、そうだ、今夜はPlease Let Me Wonderを聴こう、なんて思うんじゃないですか、と暗示をかけておきます。

◆ 真似をするなら裏表 ◆◆
ロニー&ザ・デイトナズのG.T.O.は、ブライアン・ウィルソンのドラッグカー・ソングにあやかったわけで、サーフィンのできないナッシュヴィルのサーフ&ドラッグ・グループとしては、そのハンディキャップをうまく回避したと思います。ここまでなら、ああ、そういう曲もあったね、にすぎず、有象無象ゴミクズカス詰め合わせサーフ&ドラッグ編集盤で手に入れれば十分、もしくは、ぜんぜん手に入れなくてもまったく差し支えなし、です。

デイトナズの面白いところは、「ブライアンのB面」まで真似して、しかも、それをかなりうまくこなしたことです。いや、デイトナズはB面ではなく、A面でやったのですが、それをいうなら、ブライアンだってSurfer GirlやDon't Worry BabyはA面にしたわけで、「ブライアンのB面」というのは言葉のあやです。

というしだいで、デイトナズも、ベスト盤などを買うと、forgettableなG.T.O.のことはすっかりどこかに飛んでしまい、夏の終わりにSandyを聴いてしんみりしたりするようになるのが、多くの人がたどる道のようです。

f0147840_013222.jpg今夜とりあげるI'll Think of Summerは、Sandyにつづく彼らのバラッドですが、Sandyほど強力ではないものの、このブログの都合に合わせてくれたような歌詞で、取り上げずに通りすぎては申し訳ないのです(いや、知らなかったほうがよかったような気もしないでもないのですが)。Sandyは来年の盛夏にでもやることにしますので、一握りのSandyファンの方は、首を長ーくしてお待ちあれ。

◆ See You in Septemberのネガ ◆◆
それではファースト・ヴァース。あくまでも「流行歌」の歌詞なので、そのへんのことはご承知のうえで、ということに願います。音抜きだとちょっと甘すぎるので、よけいな先回りをしておきました。

Summer's gone, but I'll remember
That day we fell in love
The night we cried
And when the cold wind blows
You'll be gone I know
But I'll think of summer
And be warm inside

「夏ももうおしまいだね、でも、ぼくらが恋に落ちた日のことは忘れないよ、ぼくらは泣いた夜のことは、そして冷たい風が吹けばきみはいってしまう、でも、夏のことを考えれば、きっと心は暖かいままだよ」

いや、汗をかくほど甘いですわ、参りました。こういう日本語を書くのも、やっぱり年寄りの冷や水のたぐいでしょう。皮肉屋の年寄りは、ここでハプニングスのSee You Septemberを思いだして、この男の彼女は、こんどは「九月に会おう」といっていた男のもとに帰るのだろうな、なんて、性格の悪さ丸出しの想像をして、ニヤニヤしたりするわけです。年をとると、ほんとうに人生が立体的に見えて楽しくてしかたがありません。これだけの知恵が二十歳のときにあればな、という悔しさもちょっと混じりますがね。このままセカンド・ヴァースに入ると、舌に甘さが残ってくどいので、口直しにちょっとわさび漬けを差し上げたしだいでして、どうかあしからず。

You were mine all through the summer
We shared the golden sun
And the stars at night
So when we say good-bye
I know I will cry
I'll just think of summer
And I'll be alright

「夏のあいだずっと、きみはぼくのものだった、あの黄金の太陽と夜の星々を僕らはいっしょに見た、だから別れをいうときにはきっと泣いてしまうにちがいない、夏のことを想ってなんとかやっていくよ」

いやもうなにも申しません。そういう歌なんです。

◆ セリフ!? ◆◆
でも、これくらいで汗をかいていては、サード・ヴァースにいくまえにあえなくノックアウトです。そのまえに恐るべき焦熱地獄が立ちはだかっているのです。このブログはじまって以来の大ピンチといってもいいほどで、ここから先に進むか、このへんで切り上げて、話をそらすか、いま考慮しているのですが……。結論。日本語は勘弁してもらって、英語だけ投げ出すことにします。なんたって、あなた、セリフなんですよ、そんなもの、日本語にできるなら、あなたがやってみなさいってくらいです。

You know, it seems like just the other day. It was June. I looked in your eyes, I knew all at once my dreams had come true. Oh I guess I thought the summer would last forever. Now you say you're going back to school and we'll have to say good-bye. Well, it's not just good-bye that makes me sad, it's that empty feeling deep down inside that tells me we may never see each other again. So, if I never see you again I won't be blue, I just think of summer and remember you.

f0147840_1291392.jpgポイントとしてはですね、この語り手も、夏が永遠につづくと思っていた、というあたりがあげられます。そこまで非現実的夢想を信じ込めれば、うらやましいようなものです。ふつう、どんなに恋したって、八月の終わりになればさわやかな風が吹き、結局、お正月はコタツで過ごすことになるぐらいのことは承知しているものです。だいたい、夏が適当なときに終わらないと、年寄りはひと夏でみな死んでしまって、社保庁のぐうたらどもを喜ばせるだけじゃないですか。

それから、ここで彼女が行かなければならない理由は、学校がはじまるからと説明されています。やっぱり、See You in Septemberのあいだにはさまっているサイドストーリーだったのですね。忠臣蔵のあいだに四谷怪談がはさまっているみたいな仕掛けです。ちがうって? いや、きっとそうです。そうにちがいありません、ソングライターたちは大南北へのオマージュとして、この曲を書いたのです。

◆ 来年の夏……ふーむ、そりゃどうかなあ ◆◆

So kiss me once more
And say you love me
Then tell me once again
That you'll be true
And it won't break my heart
When we're far apart
"Cause I'll think of summer
And remember you

「だから、もう一度キスしてくれないか、そして、愛しているといってくれ、そしてもう一度、ぼくを裏切らないといってくれないか、そうすれば、遠く離れるつらさにも耐えられるさ、夏のことを考え、きみのことを思いだすから」

なんか、むなしいあがきをしているなあ、と感じるのは、こちらが年をとったせいでしょうか。約束なんていくらでも反故にできるし、約束を守らなかったなどと、すでに赤の他人になった人間を責めたところで、なにも手に入るわけではないのですが、恋する人間というのは、藁にもすがりたくなるということでしょう。藁なんかにすがったってどうにもなるもんかよ、というのは、冷静な第三者の妥当な意見にすぎません。

f0147840_1302029.jpgここまできて、I'll think of summerのwillが気になりだしました。いや、現時点より未来でそのようにするであろう、という意味にすぎませんが、でも、「どの夏」のことを考えるのかは限定されていないということが気になるのです。タイトルもI'll Think of Summerであり、I'll Remember Summerではないのだからして、これはやはり「来年の夏」のことと考えるべきでしょう。夏が永遠につづくと信じたほどの無敵ポジティヴ・シンキングの語り手だから、「つぎの夏」があると信じているのですね。なんぞ知らん、時は過ぎ去り、人の心は移ろい、てえんで、また一曲書けるでしょう。Summer Liesなんてタイトルはいかが? あ、これはダメ、4プレップスの盗作でした。

というわけで、彼女はひと夏のサイド・キックにすぎない暇つぶしを終え、See You in Septemberの世界をリジュームするために、都会の大学へ帰っていきました。どちらかと結婚するとしたら、大学の同級生でしょうね、この避暑地または地元のボーイフレンドには残念なことですが。それから20年後、叔母の遺産を受け取りに故郷に帰った彼女は……くだらないからやめておきます。この馬鹿のつづきは、また、続篇みたいな歌が見つかったときに。

◆ ナッシュヴィルも例外ならず ◆◆
デイトナズの中心人物であり、この曲の共作者であるジョン・バック・ウィルキンは、ナッシュヴィル育ちで、母親はソングライターだったそうです。はっきりしたことはわからないのですが、この曲もナッシュヴィル録音と思われます。

f0147840_01466.jpgこれは、ニック・ヴェネー、例のビーチボーイズをキャピトルに契約させ、しばらく彼らのプロデューサーをやっていた人物が、テレビドラマ『ミスター・ノバック』(ボンヤリ覚えていますが、殺しの起きないドラマは眠ってしまう子どもだったので、ろくに見ませんでした)のサントラ・アルバムにと、ウィルキンたちに依頼したのだそうです。これはインストだったもの(タイトルはSummer Memories)を、のちに歌詞をつけてシングルにしたというしだい。Sandyのようなヒットにはなりませんでしたが、いわゆる「捨てがたい隠れた佳曲」です。

録音メンバーはいろいろとしかいいようがなく、一定したものではなかったそうです。ウィルキンをのぞくツアーバンドのメンバーは録音メンバーとはまったく別個だとか。ナッシュヴィルもやっぱりそうか、と納得しました。

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岩国基地にやってきたデイトナズ。このときのプレイヤーも、センター・マイクロフォンのまえのバック・ウィルキン以外は、録音メンバーとはまったく無関係だとか。昔は、こういう風にアジアの基地をまわるだけのツアーというのがあった。つまり、一般公開のライヴはなし、あくまでも米軍関係者向けのツアー。70年代にもまだそういうものがあり、わたしは横須賀基地のグラス・ルーツのフリーコンサートに行ったことがあるが、雨で機材が濡れるからと、あえなく中止。タダだから、金返せとゴネることすらできず、むなしく帰った。

60年代中期までのハリウッドのグループは、スタジオではプレイしていませんが、いや、言い方が逆ですね、スタジオで働いている人たちは忙しいので、ツアーなんかにはいかず、すべて「代理人」が地方および外国巡業をしましたが、イギリスにもチラッとそういう気配があったり、ニューヨークにもそういう例が見つかったりして(ついでにいうと日本でも)、これは文明世界の常識かもしれないと考えるようになってきたのですが、ナッシュヴィルにもそういう例があると知って、いよいよ確信を深めつつあります。

◆ モノはモノ ◆◆
近ごろの人は、なんでもかんでもステレオ、ステレオといういうようですが、わたしはいつもそういう考え方には反対しています。たしかに2ないし3トラック程度のテープは残されているのですが、当時、モノ・ミックスでリリースされたのはなぜかといえば、はじめからモノにするつもりで録音されたからです。

なぜはじめからモノと決めているかといえば、ベーシック・トラックを録音し、ここにヴォーカルと、たとえばストリングス、ギターなどのオブリガート、パーカッション類などをオーヴァーダブすると、バランスのとれたステレオ・ミックスをすることは不可能だからです。左右のどちらかに音が偏ってしまうのです。

疑問をお持ちの方がいらっしゃるなら、後日、具体的な録音手順を示しながら説明してもいいのですが、とにかく、当時の技術からいえば、バランスのよいステレオ・ミックスをしたいなら、まず3チャンネル以上のテープ・マシンを用意し、すくなくともバック・トラックを一発録りして、この段階でステレオ定位をきっちりおこない、残った1トラックにヴォーカルをオーヴァーダブし、これをミックス・ダウンのときにセンターに定位する、これが3トラックでステレオ盤をつくる方法です。わたしがいっているのではなく、ジョージ・マーティンがいっているのだから、信用なさいな。

f0147840_0392836.jpgサンデイズドによるロニー&ザ・デイトナズのベスト盤には、I'll Think of Summerのステレオ・ミックスが収録されていますが、これも失格ステレオ定位です。大部分は左チャンネルに偏り(こちらを最初の段階で録音した)、ぽっかりガラ空きになった右チャンネルでパーカッション(こちらはあとからのオーヴァーダブ)だけがむなしく鳴っています。こうなるから、ステレオで聴きたいというプレッシャーをかけてはいけないのです。

わが家にあるファンタスティック・バギーズのエドセルによるベスト盤もまったく同じで、あんまりひどいものだから、自分でモノ・ミックス・ダウンしたヴァージョンを聴いています。モノとしてリリースするつもりで録音したトラックは、ちゃんとモノで聴く、これくらいの良識はほしいものです。あとからステレオ・ミックスにしてきれいにバランスがとれるのは、あくまでもモノにこだわったブライアン・ウィルソンのトラックのようなタイプで、こういうのは例外だから、それをすべてに適用してはいけないのです。

またしても寄り道が長くなり、もうひとりの作者、バズ・ケイソンのハリウッド時代のエピソードなどを書く余裕がなくなりました。来年の夏、Sandyをとりあげるときにでも書くことにしましょう。あっ、いかん、他人のことを、来年の夏があると思っているポジティヴ・シンキングのお目出度いヤツ、だなんていうんじゃなかった!
by songsf4s | 2007-09-05 23:57 | 去りゆく夏を惜しむ歌