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See You in September by The Happenings
タイトル
See You in September
アーティスト
The Happenings
ライター
Sherman Edwards, Syd Wayne
収録アルバム
The Best of the Happenings
リリース年
1966年
他のヴァージョン
The Tempos, Mike Curb Congregation
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◆ 夏の歌の傾向と対策 ◆◆
統計をとったわけではありませんが、夏休みとクリスマスはレコード会社がもっとも販売に力を入れる時季でしょう。60年代のビルボード・チャートをながめていると、トップ・アーティストはかならずこの時期に新作――最低でもシングル、たいていの場合はアルバムもリリースしています。

したがって、夏をあつかった歌は汗牛充棟ですが、その無数の歌にもそれなりに傾向があるように思えます。初夏と盛夏はハッピーな歌、晩夏になるとメランコリックな歌、またはもうすこし進んで、悲しい歌が主流になるようです。人間心理のおもむくところを素直に反映しています。

それならば、というわけで、その傾向の裏をいったものを取り上げます。夏のはじめの悲しい歌です。いや、ほんとうに悲しいのか、悲しいといってのろけているのか、よくわからないのですが、ともかく、設定としては半ひねりが加えてあります。

◆ 九月というタイトルの夏の歌 ◆◆
無数のラヴ・ソングが証明していますが、恋人たちの99パーセントは、夏の到来をいまかいまかと待ち望んでいます。しかし、まれに夏の到来を望んでいないカップルもあります。そういう、一般的な夏休みのイメージとは逆の状況設定に挑戦し、成功した楽曲もまたいくつかあります。その代表的な例がこのSee You in Septemberです。

タイトルには「九月」とありますが、この曲の「現在」は、夏休みの直前か入ったばかりと考えられます。See You in Septemberには前付けの独唱部(混乱するのですが、以前にも書いたように、これもヴァースと呼びます)がありますが、それにつづくファースト・ヴァースは以下のようになっています。

See you in September
See you when the summer's through
Here we are saying goodbye at the station
Summer vacation is taking you away

これで状況は明快に了解できます。この語り手の恋人は、おそらくは家族そろってのヴァケーションで遠くに行ってしまうため、二人は九月まで会えないのです。「九月に会おう」というタイトルと、このファースト・ヴァースがあれば、「流行歌」としてはもう十分、あとはリスナーが勝手にイメージをふくらませてくれます。作詞家はリスナーのイマジネーションのスウィッチを入れるだけでいいのです。

最後の行は直接的な説明に堕していますが、お芸術ではないので、低いレベルでの成功もりっぱな成功です(売れなければゼロ、売れればすべては正当化される世界だということをお忘れなく)。最初のヴァースですべてを了解させようと急ぎすぎたあまりの一行、と同情的に見ておきますが、つぎのヴァースまでサスペンドするという選択肢もあったでしょう。

◆ 会えないことの不満と不安 ◆◆
ファースト・ヴァースでこの曲の「勝負」は終わっています。しかし、ヴァースひとつだけというわけにはいきませんし、セカンド・ヴァースでなにも変化が起こらないのでは、作詞家の沽券にかかわるので、この曲もちょっとひねりを入れてきます。

Have a good time but remember
There is danger in the summer moon above
Will I see you in September
Or lose you to a summer love?

楽しんできなよ、といっている口の下から、「夏の月夜は危ないからなあ」と正直に不安を口にしています。そういうあなたは大丈夫、と彼女から切り返されたことでしょう。じゃれている恋人たちなんかには、バカバカしくてつきあっていられない感じもしますが、リスナーの多くは、ここでおおいに共感したことでしょう。

恋人たちが時間が自由にならないこと、会えないことを不満に思うのはあたりまえですが、その裏側にはつねに、相手を失うのではないかという不安があります。まして、恋の季節に、自分の恋人が恋の背景としては理想的な土地にいこうとしている、という状況では、心穏やかでなくなっても当然のことです。ファースト・ヴァースでうなずいたリスナーなら、セカンド・ヴァースでは、いっそう深くうなずくでしょう。

とりわけインスピレーショナルなところがある歌詞ではありませんが、多くの人が共感できる状況と感情を提示したことで、これはこれで成功しています。夏休みの直前というのは、気分が昂揚する時季で、そういう歌もたくさんありますが、同時に、別れの季節でもあります。アメリカの場合、卒業シーズンだからです。その共通の了解を、この歌は間接的に利用しているのではないでしょうか。

◆ ハプニングス盤 ◆◆
この曲のオリジナルはテンポズというヴォーカル・グループのようですが、手元にはなく、また、ウェブで試聴することもできなかったので、カヴァー・ヒットであるハプニングス盤を先に立てました。めだった特徴のあるグループでもないし、インスピレーショナルなヴォーカル・アレンジをしているわけでもありませんが、楽曲のよさを聴かせることに徹したヴァージョンで、66年にビルボード3位の大ヒットになりました。当時は買おうとは思いませんでしたが、ちゃんと記憶していたのは、キャッチーなメロディー・ラインのおかげでしょう。

管のアレンジも気に入らないし、ドラムは微妙にタイムの早い人で、グッド・グルーヴとはいえませんが(とくにタムタムのフィルインの突っ込み方は気に入りません)、大人のリスナーには、当時の基準からいってもちょっと古くさい楽曲(オリジナルは1959年だから、当然ですが)、ちょっと古くさいサウンドだからこそ好まれたのでしょう。古くさいとは、言い換えれば、懐かしいということですから。

フォー・シーズンズと比較されたり、間違われたりしたということですが、シーズンズがコンテンポラリーなサウンドだったのに対し、ハプニングスのサウンドにはそういう響きはありません(まあ、当時としては、これでもアップデイトしたつもりだったのだろうと想像しますが、子どものわたしも、年老いたわたしも、カビの生えた鈍くさい音だと、意見の一致をみています)。間違えるほうがどうかしています。ただ、ボブ・クルーとのつながりで、無名時代にシーズンズやミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ(!)のセッションに参加したことがあるそうです。ミッチ・ライダーの盤のどこにいるのか、こんど、時間のあるときに確かめてみたいと思っています。

ヴォーカル・グループというものをあまり好まないので、わたしは関心がないのですが、ハプニングス盤はトーケンズ(トークンズ)がプロデュースしているということで注目する人もいるでしょう。個人的には、すぐれた手腕のあるプロデューサー・チームとはどうしても思えませんが(しいていうと、時代の先端を避け、意図的に鈍くさい音を選択したのだとしたら、それもまた「手腕」のうちといえるかもしれません)、ヒットすれば勝ちです。

ハプニングス盤は、66年7月9日にチャートインし(適切な時季です)、8月27日に最高位に到達しています。ラヴィン・スプーンフルのSummer in the Cityとボビー・ヘブのSunnyに押さえ込まれ、3位どまりでしたが、相手のほうが強力すぎたのだから、大健闘です。やはり、季節の歌は適切な時季にリリースしないといけません。

◆ マイク・"コストダウン"・カーブ盤 ◆◆
もうひとつのヴァージョンとしてあげたマイク・カーブ・コングリゲーションのマイク・カーブも、すぐれた手腕は持ち合わせていませんでした。それどころか、ピンからキリまでいるプロデューサーのなかでも、この人はキリの下です。カーブは「リスナーの最大公約数」を、とてつもなく低いレベルに設定していたにちがいありません。

マイク・カーブ盤See You in Septemberのドラマーはハル・ブレインです。こういうサウンドにするのなら、ハル・ブレインでなくてもいっこうにかまわないほど、ダレたヴァージョンです。つねに全力を心がけたハル・ブレインですら、そこそこのプレイしかしていないのだから、あとのスタッフはダレきっています。

f0147840_22472923.jpgでもまあ、オクトプラス・セットのハイ・ピッチのタムを使ったイントロのドラム・リックなどは、やはりうれしくなるのですが、きちんと録音できていませんし、オフにミックスされ、ほとんど聞こえないので、腹立たしくも感じます。もっとアレンジと録音に手間をかければ、ちゃんとしたヴァージョンになったでしょうが、手抜きが身上で、そのおかげでそれなりの成功をしたマイク・カーブだから(彼の会社Curb Recordsの手抜きリイシューCDには怒りました)、短時間で録音することしか考えていなかったのでしょう。コストダウンの犠牲となったヴァージョンです。

ハル・ブレインが叩いている可能性が高かったからマイク・カーブの盤を買いましたが、人柱としてリポートするなら、ハル・ブレイン・ファンにとっても、この盤は無意味です。しいて肯定的にいうと、ピンとキリの両方を知れば、ピンの人たちの才能と気構えがよりいっそう明瞭になるわけで、最低とはこういうものかという洞察をもたらしてくれるという意味で、マイク・カーブにも存在価値はあります。ハプニングスのプロデューサーであるトーケンズが、それなりに仕事をしたことが、そして、トーケンズはすくなくともリスナーを見下してはいなかったことがよくわかります。

付記:

友人から、この記事について私信をもらいました。ファースト・ヴァースの最終行、

Summer vacation is taking you away

についてです。この行は、ヴァケーションで遠くに行くのではなく、たとえば、この二人が遠い土地から同じ大学にきていて、夏休み(summer vacation)で帰省するために、九月まで会えなくなるといっているのではないか、という趣旨です。

いやまったく、ごもっとも。明解な解釈です。そういう設定のほうがはるかに自然だし、リスナーも共感しやすいというものです。チョンボ、早とちり、陳謝。こういうことはよくあるでしょうから、どんどん突っ込みを入れください>皆様。
by songsf4s | 2007-07-03 22:53 | 夏の歌
The Thirty First of June by Petula Clark
タイトル
The Thirty First of June
アーティスト
Petula Clark
ライター
Tony Hatch
収録アルバム
My Love, The Pye Anthology vol.2
リリース年
1966年

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ペトゥラ・クラークは、本国のイギリスではもちろん、アメリカでも多くのヒット曲があり、夫君がフランスのプロデューサーなので、一時は本拠をそちらに移したほどで、フランスでのヒット曲、フランス語によるヒット曲もたくさんあるようです。

彼女がアイドルにはほど遠い年齢になってから、Downtownによってはじめてアメリカでヒットを得たのは、考えてみると不思議な現象です。ビートルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、サーチャーズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ピーター&ゴードンなどのブリティッシュ・ビート・グループが地ならししたあとに、Downtownという強力な曲を絶妙のタイミングで発表したおかげ、といった解釈しかできません。しかし、その後も続々とヒットが生み出されたことを考えると、やはり、ひとたびブレイクしたあとは、ヴェテランの大歌手の実力がものをいったと考えるべきかもしれません。

1964年のビートルズのアメリカ上陸のあと、ブリティッシュ・ビート・グループが「大人の歌手」をチャートから一掃してしまい、「メインストリーム・シンガーの真空状態」とでもいうようなものが生まれたように思われます。ペット・クラークは、ビートの時代に適合したサウンドをバックに、新たな装いのメインストリーム・シンガーとして、その真空状態を埋めた、という見方もできるでしょう。

この「6月31日」という曲は、彼女のアメリカでの2曲目のナンバーワン・ヒットであるMy Loveをフィーチャーした同題のアルバムに収録されています。ペットのパイ・レコード時代のアルバムにはずれはあまりないのですが、これはとりわけよくできたアルバムです。プロデューサーのトニー・ハッチがこのアルバムのために書いた曲の出来がいいことと、トラックのサウンド、グルーヴのすばらしさのおかげでしょう。このThe Thirty First of Juneという曲も、シングル・カットはされなかったようですが、楽曲、サウンド、ペットの歌、いずれもシングル曲にそれほどひけをとらないレベルになっています。

◆ 「6月31日」の意味 ◆◆
太陰暦ではいうまでもなく、太陽暦でも、6月は30日までで、31日は存在しないのはご存知のとおりです(そういうわたしは、呆れたことに、最初はそのことに気づかなかったのですが!)。当然、歌詞のポイントはそこにあります。

ペットの歌でいつも感心するのは、ディクションがきわめてよいことです。もちろん、ディクションの悪い大歌手というのはいませんが、女性なので、ピッチが高く、いっそう聴き取りやすく感じます。だから、長い歌詞でも、リスナーが脈絡を失う恐れはほとんどなく、作詞家は安心して彼女に「当てて」歌詞を書けたでしょう。

「6月31日」は3ヴァースとブリッジという構成で(ジミー・ウェブの本によると、こういう場合は順番も示すために、「ヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァース」タイプの曲、といったほうがよいらしいのですが)、ファースト・ヴァースはつぎのようになっています。

Tears roll down my cheeks, can't you see them glisten?
I've tried to talk to you but you just won't listen
And though I wait each day and hope and pray
Your love will come on soon,
It's as far away as the thirty-first of June

だれかよく見かける男性への片想いというテーマであることがわかります。通りや駅などで見かけるのか、職場で見かけるのか、そういうディテールは最後まで明らかにされません。「あなたの愛があらわれるのを毎日待ち、願い、祈っているけれど、それは6月31日のようにはるか彼方のこと」というのは、つまり、存在しない日は永遠にこない、ということの強調表現です。

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セカンド・ヴァース後半はこうなっています。

You're always on my mind and yet I find
I'm reaching for the moon
You're as far away as the thirty-first of June

おやおや、また六月に引きずられて「お月様」が出たか、と思いますが、「reach for the moon」は慣用句で、辞書には「とうてい不可能なことを望む[企てる]」とあります。「いつもあなたのことを思っているけれど、そんなことはまったくムダなことにも思える」というわけです。

もっとも、作者のトニー・ハッチがここで「月」を持ち出したのは、たぶん、「お月様と六月の花嫁」の慣用句を連想し、リスナーの共感を得る小さな仕掛けになると考えたからでしょう。ちゃんと伝統にのっとってmoonと脚韻を踏んでいますし。

以下は、サード・ヴァースの末尾、エンディングのリフレインのところです。

And I'll be waiting here till the thirty-first of June
You're as far away as the thirty-first of June
Yes, you're as far away as the thirty-first of June

わたしは6月31日まで待ちつづける、あなたは6月31日のように遠くにいるけれど、というわけで、存在しない日まで待ちつづける、つまり、永遠に待ちつづける、と締めくくられています。

シングル・カットして、ヒットにいたったかどうかは微妙ですが(ヒットするには、もっとキャッチーで覚えやすいリフレインが必要でしょう)、アルバム・トラックとしてはなかなか魅力的です。こういう曲がおいてあると、アルバムが引き立ちます。The Show Is Overと並ぶ、彼女の隠れた佳曲でしょう。

ところで、なぜ4月31日でもなければ、9月でも、11月でもなく、6月31日なのでしょうか。やはり、トニー・ハッチも「六月の花嫁」を連想し、リスナーにも同じ連想をしてもらおうと考えたのでしょう。六月が女性にとっての幸福の象徴だから、ほかの月ではなく六月を選んだにちがいありません。

◆ ニューヨーク録音? ハリウッド録音? ◆◆
Sequel Recordsによるアルバム「My Love」のリイシューCDのライナーを読んでいて、疑問に感じた点があります。このライナーには、「彼女にとって初めてのニューヨーク・セッションののち、このセットは人気絶頂期に発売された」とありました。ほんとうにそうでしょうか?

NYのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターの教則本「The New Breed」に付された彼のディスコグラフィーには、ペットのDowntownがリストアップされています。この曲および同題のアルバムは1965年リリース、The Thirty First of Juneが収録されたアルバムMy Loveは翌66年のリリースです。チェスターがいつものようにホームグラウンドのNYでペットのトラックを録音したと仮定するなら(ふつう、超一流スタジオ・ドラマーは、そのキャリアのピーク時には、他国はもちろん、よその町にいくことすらめったにありませんでした)、このアルバムは「彼女の初のNYセッション」ではないと考えられます。

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ニューヨークのエース・ドラマー、ゲーリー・チェスターのディスコグラフィーにはDowntownがリストアップされている

さらにいうと、ハリウッド(いや、60年代アメリカの)のエース・ドラマー、ハル・ブレインの回想記「Hal Blaine & the Wrecking Crew」に付された彼のトップ10ヒッツ・ディスコグラフィーには、My Loveがリストアップされています。

ひとたびスタジオを押さえたら、通常は3時間のセッションをおこない、たいていの場合は4曲録音します。ミュージシャン・ユニオン所属のプレイヤーの料金は、3時間が1単位なので、たとえ3分で録音が終わっても、3時間分の料金はかならず払わなければいけないのです。したがって、1曲だけの録音というのは、当時のポップ・セッションではまれでした。My Loveでプレイしたハル・ブレインは、他の複数の曲でもプレイしたと考えられます。

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ハリウッドのドラマー、ハル・ブレインのトップ10ヒッツ・ディスコグラフィーには、My Loveがリストアップされている

たとえば、あるスタジオで収録したバックトラックのテープをもってツアーし、時間を見つけて、べつの町のスタジオでヴォーカル・オーヴァーダブをおこなう、というような場合、ヴォーカル・オーヴァーダブをおこなった土地またはスタジオを「録音場所」としているセッショノグラフィーがあります(たとえば、レスリー・ゴアのボックスに付された録音データ)。My Loveのオリジナル盤にも、そうした意味でNY録音と記されているのかもしれません。

しかし、ヴォーカルはどこで録ってもたいしたちがいはありませんが、トラックは収録した土地によって大きく異なります。プレイヤーもエンジニアもスタジオ特性も機材もちがうのだから、当然です。

ハル・ブレインがリストアップしているMy Loveのみならず、このThe Thirty First of Juneも、典型的なハリウッドのサウンド、典型的なハル・ブレインのプレイに思えます。この曲で聴かれるキック・ドラムの踏み込みによる強調や、左手がスネア、右手がフロアタムで、両手ユニゾンで叩く4分のフィルインとその抑揚のつけ方は、ハルのトレードマークです。

NYで録音したとしたら、それはヴォーカル・オーヴァーダヴのみと考えます。すくなくともトラックはハリウッド録音、ドラマーはハル・ブレインでしょう。Downtownでプレイしたゲーリー・チェスターも、My Loveはリストアップしていません。
by songsf4s | 2007-06-30 17:19 | 六月をテーマにした歌
Both Sides Now by Judy Collins
タイトル
Both Sides Now
アーティスト
Judy Collins
ライター
Joni Mitchell
収録アルバム
Wildflowers, The Best of Judy Collins
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Joni Mitchell, Neil Diamond
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当時、この曲には「青春の光と影」という邦題がつけられ、ヒットの直後に同じタイトルの映画(原題はChangesなのに、この曲が挿入曲になっていたため、配給会社が「気を利かせた」のでしょう)も公開されたので、邦題のほうで思いだす方も多いでしょう。ティム・バックリーのMorning Gloryのほうが強く印象に残る映画でしたが、それはまたべつの話。

ジュディー・コリンズ、ジョニ・ミッチェル、どちらのヴァージョンを先に立てるか迷いましたが、ヒット・ヴァージョンだという理由で、ジュディー・コリンズのほうにしました。オリジナルはコリンズ盤で、ジョニのほうはセルフ・カヴァーだということもあります。

どちらのヴァージョンも印象深く、そして、いくぶん異なったイメージを提示しています。しかし、六月の曲としてこれを取り上げるのは歌詞が理由なので、どちらでも本質的に同じことです。

◆ 少女の夢想の象徴「お月様と六月」 ◆◆
ベティー・エヴァレットのJune Nightで、「お月様と六月の花嫁派」のことを書きましたが、それはこの曲にも登場します。4行1連ではなく、8行1連とみなすと、セカンド・ヴァースにあたる部分の前半4行はこうなっています。

Moons and Junes and Ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As ev'ry fairy tale comes real
I've looked at love that way

「お月様と六月と観覧車、あらゆるおとぎ話が現実になるときのめくるめく感覚、愛とはそういうものだと思いこんでいた」というあたりでしょうか。少女の夢想する非現実的な愛のことをいっているのは伝わってきます。この「六月」にも、「六月の花嫁」の含意がありますが、moonとJuneがつねにセットになっている少女趣味それ自体にアクセントが置かれているように思います。

この歌は、少女と大人の女の世界観の違いをテーマとしているので(だから、Both Sides Nowというタイトルなのです)、このヴァースも、いまではそういう幼稚な世界観はもっていないということを含意しています。

最初のヴァースとコーラスを見れば、そのことがはっきりします。

Rows and flows of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way

I've looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It's cloud illusions I recall
I really don't know clouds at all

以上のヴァースとコーラスの大意。

「すじを描いて流れる天使の髪の毛、空に浮かぶアイスクリームのお城、無限につづく羽毛の峡谷、わたしは雲をそんな風に見ていた」

「でも、いまでは、雲はただ太陽を遮り、人々に雨と雪を降らせるだけのもの、わたしにはもっといろいろなことができたはずなのに、雲に邪魔されてしまった」

「いまでは雲を、上から、下から、両側から見ている、それでもやっぱり、それは雲の幻影かもしれないという気がする、ほんとうは雲のことなんてまるでわかっていないのだろう」

つたない訳ですが、意味は伝わったでしょうか? ここでの「雲」は「人生」の暗喩です。雲のことを両側から見てわかったような気になったけれど、じつはまだ夢想しているのかもしれず、ほんとうはわかっていないのだ、と自省するリフレインの末尾に、彼女の明敏さがあらわれています。

さて、これで、ファースト・ヴァースの「アイスクリームのお城」に対応するものが、セカンド・ヴァースのmoonとJune、「お月様と六月」というセットだということがおわかりでしょう。これがまさしく日本の星菫派に相当することも、これで明瞭になりました。いや、そうとはかぎらないよ、と反論する歌もじつは存在します。キース・リードという詩人の作ですが、それはまたべつの機会に。

◆ ジュディー・コリンズ盤 ◆◆
ジュディー・コリンズはいまや、日本ではAmazing Gracesの歌い手になってしまった感がありますが、かつてはBoth Sides Nowが彼女のもっとも有名な持ち歌でした(個人的には、Someday SoonやCook with Honeyなども好きでしたが)。

声に透明感があるので、どうやってもどぎつくはならず、つねに品があって、聴きやすいのがこの人の美質でしょう。この歌詞には、(若く経験の浅い)男の側からすると、もしも自分の恋人がそんなきびしい世界観をもっていたら、リラックスできないなあ、と感じさせるところがあるのですが、そういうトゲをジュディー・コリンズはうまく抜いていると思います。

彼女がさらりとこの曲を歌うと、男に突きつける短剣が隠されているとは感じられず、繊細で鋭敏な若い女性の成長と自省の物語を、あくまでも控えめに、優しく穏やかに語っているように感じらます。だから、この曲が多くの人に受け入れられてヒットしたのではないでしょうか。

サウンド的には、ベーシック・リズムに特筆するべき点はないものの、ストリング・アレンジは好ましいものです。

◆ ジョニ・ミッチェル盤 ◆◆
わたしは、こちらのほうをよく聴きました。コリンズ盤が匿名的なのに対し、ジョニ・ミッチェル盤は、いかにも彼女らしい、プライヴェートで、リアリティーのある(ときにはありすぎる)ヴァージョンになっています。すぐ目の前に個性的な若い女性がすっくと立ち、腰に両手をあてがって、「わたしはもう馬鹿なティーネイジャーじゃないの」と主張しているのが感じられます。

もちろん、「ウーマン・リブ」(「フェミニズム」のことを当時はこう呼びました)の歌ではないので、男にギラリと光る氷の刃を突きつけているわけではありません。鋭敏な女性が、現実世界に立ち向かおうとしている姿を描いているだけです。

f0147840_23554880.jpgでも、この女性と同年代の男の大部分は、どちらかというとまだ少年のような世界観をもっているわけで、こんな女性が現実に目の前にあらわれ、うっかり恋してしまったら、男は日々むりな成長を強いられ、結果的に破綻するだろうなあ、と想像してしまいます。考えすぎ、といわれれば、赤面するしかありませんが!

ついでだから、もっと考えすぎてみます。じつは、語り手は、「アイスクリームのお城」や「お月様と六月の花嫁」にまだ未練があるのではないかと思います。前半の少女の夢想の描写が生き生きとしているのに対して、後半の大人の女の現実の描写には精彩が感じられません。毅然とした大人の女の向こうに夢見る少女が隠れていることを見抜いた男は、彼女とうまくやっていくことができるかもしれない、と思います。まだジョン・グェランとは出会っていないはずで、この時期のジョニのパートナーは……そんなことは知りません。

この曲は1968年のアルバム、Cloudsの最後に収録されています。夕暮れの雄大な湖の光景をバックにした自画像のダブル・ジャケットは、すでに画家としてのジョニの才能をおおいにデモンストレートしていますが(LPじゃないと、この絵のよさはわかりません)、それは余談。

アルバムのなかで聴くと、この曲はいちだんと印象深くなります。お持ちの方ならよくご存知でしょう。まえの曲は無伴奏のThe Fiddler and the Drumで、正直にいって、聴き通すのはかなりつらいのですが、その曲が終わり、Both Sides Nowのギター・コードのイントロで沈黙が破られる一瞬には、すばらしい解放感があります。音というものがどれほど美しいかを改めて実感できる稀な一瞬です。

◆ ニール・ダイアモンド盤 ◆◆
わが家にはもうひとつ、ニール・ダイアモンド盤(1969年のアルバムTouching You, Touching Me収録)があります。見方にもよるでしょうが、これも聴くに値するヴァージョンだと思います。いかにもハリウッド録音らしいスケール感のあるサウンドになっているところが、他の2ヴァージョンとは大きく異なります。

f0147840_23561618.jpgイントロはコリンズ盤を踏襲して、ハープシコードを使っていますが、それより、右チャンネルに配されたベースが、どこからどう見てもジョー・オズボーンというサウンドで、まずそこに耳がいきます。ファースト・ヴァース後半に入ると、左チャンネルからキック・ドラムとサイドスティックが聞こえてきて、これまた、まごうかたなきハル・ブレインのサウンドとプレイ。コーラスでは、ハルのトレードマーク、キック・ドラムの強い踏み込みも登場します。

ハル・ブレインとジョー・オズボーンがいると、どうしても「あのサウンド」になってしまい、わたしの耳は歌よりも二人のグルーヴを追いかけてしまいます。オーケストラのアレンジとプレイも、ハリウッドだから悪いはずがありません。好ましいサウンドです。

ニール・ダイアモンドがハリウッドで録音するようになったのは、フィフス・ディメンションのアルバムUp, Up and Awayが気に入り、そこにプレイヤーの名前が記されていて、彼らと録音したいと思ったからだそうです。だから、こういうサウンドになったのには満足しているはずですが、たとえ控えめにプレイしても強力な人たちですから、ともすれば歌が負けそうになっています(ニール・ダイアモンドの名誉のためにいえば、エルヴィスですら、Speedwayのように、ハルのグルーヴに圧倒されたことがあるくらいだから、仕方ありません)。

結局、サウンドを楽しむヴァージョンという結論ですが、ひとつだけニール・ダイアモンドの歌について思ったことがあります。ジュディー・コリンズとジョニ・ミッチェルのせいで、この曲は女性が歌うものと決めつけ、男が歌うとおかしいと思っていましたが、思いのほか違和感がありません。歌える自信があったから歌ったのでしょう。

また、ときおり、ハイ・パートの強い発声のところで、声がクラックし、音程もフラットすることがありますが、それがこの人の魅力のひとつなのだと気づきました。とくに好みの人でなくても、ときにはきちんと正座して聴いてみるものだな、と思いました。
by songsf4s | 2007-06-27 23:56 | 六月をテーマにした歌