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MacArthur Park by Richard Harris その1
タイトル
MacArthur Park
アーティスト
Richard Harris
ライター
Jim Webb
収録アルバム
A Tramp Shining
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Glen Campbell (live), Hugo Montenegro, Percy Faith, Andy Williams, the Four Tops
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真打ちがまだ楽屋入りしていない、ちょいとつないでくれ、といわれて高座に上がり、軽く「千早振る」か「禁酒番屋」でもやって下りるつもりだったのが、あにはからんや、「真景累ヶ淵」を通しでやるみたいなことになってしまいました。

どうやらTonieさんによる「日本の雪の歌」特集も再開のめどが立ったので、わたしの長ったらしいつなぎも、これを最後とし、今週なかばにはTonieさんに再登場願えそうです。「日本の雪の歌」特集のあいだに、アメリカの春の歌がはさまるというのは、べつに南北の『四谷怪談』に範をとった趣向などではないのですが、結果的に、行きつ戻りつの早春の景を模したものになった、と受け取っていただければ幸いです。

◆ 「ホームグラウンド」もまた茨の道 ◆◆
さて、ロックンロールというのは季節感のない音楽で、これしもまた、このジャンルがティーネイジャーのものであったことを証明する一要素です。わたしは、小姑のように因循姑息無知蒙昧グルーヴ音痴時代遅れのジャズ・ファン(とくに「団塊の世代」)に小突かれ、ののしられ、馬鹿にされ、あろうことか、髪の毛の長さにまで文句をつけられながら、十代を送りました。

よって、バックビートのない音楽というのは「年寄りが聴く惰弱卑猥退廃的音楽」と思って育ちました。自分が年老いたいまでも、釈然としない思いが残り、スタンダード・ジャズなんていうものは、所詮、年寄りが骨董品でも撫でるようないやらしい手つきで聴く、惰弱退廃音楽だと思っているところがいくぶんあり、たとえ季節感に溢れていようと、できればスタンダードは避けたいのです。

スタンダードはことのついでの刺身のつまにしたいが、残念ながらロックンロールは夏と冬の二季しか扱わない、という矛盾相克には秋以来ずっと悩まされているのですが、春もまた苦しいのです。ほら、ちょっと考えただけでも、有名なスタンダードの春の曲がすぐに三つ、四つ出てきちゃうでしょう? 有名だということは、ヴァージョンが山ほどあるということで、もう、検索結果を見るだけでゲンナリし、聴くなどということは思いもよらず、ファイルをプレイヤーにドラッグするのでさえ、明日にしようや、と思っちゃうのですね。

それで、なんとか「敵地」に乗り込まずに、「ホームグラウンド」の曲をやろうとするのですが、こちらの橋にもちゃんと悪魔は待ちかまえています。どういう悪魔かというと、歌詞が面倒、コードが面倒、とくにいい曲とはいえない、その他もろもろ。で、今日の悪魔はトリプル、歌詞が長いし中身もわかりにくい、構成が複雑、ヴァージョンが多い、です。しかし、この三匹の悪魔に立ち向かおうという気が起きるほど、この曲には大きな美点があるのです。

じつは、面倒だなあ、長いなあ、と思っているうちに時機を逸して、ちょっと手遅れになりかかっています。内容から分類するとしたら、このMacArthur Parkは「冬の歌」かもしれないのです。でも、まあ、大負けに負けて、なんとか「春の歌」にすべりこませることにします。

◆ 雨ざらしのケーキ ◆◆
ポップ・ソングとしては異例なほど長く、しかもやや複雑な構成なので、単純に「ヴァース」といっていいかどうか迷うところですが、以下はたぶんファースト・ヴァースと呼べる部分。いや、いま泥縄でジミー・ウェブの回想を読んだのですが、verse/chorus/verse/chorus/bridge/verse/chorusといった、ポップ・ソングの伝統的枠組みから抜けだそうと思って書いたといっているので、あくまでも便宜的に「ヴァース」と呼んでおくだけです。

Spring was never waiting for us, girl
It ran one step ahead
As we followed in the dance
Between the parted pages and were pressed
In love's hot, fevered iron
Like a striped pair of pants

「春がぼくらを待ってくれたことなど一度もなかったんだよ、ぼくらが開いたページのあいだでダンスをしながら、ストライプのパンツのようにあつく熱した愛のアイロンでプレスされているあいだに、春はいつも一歩先に行っていたんだ」

長い詩なので、冒頭だけで脈絡をつかもうとするのは愚の骨頂、と牽制しておきますが、それにしても意味不明。詩というものは、結局のところ、自分で考えろ、自分で感じ取れ、というものだから、詩人は受け取り手の解釈には容喙しないのが鉄則でして、その詩人に倣い、わたしもあれこれいわずにつぎへ進みます。

以下はヴァースではなく、コーラスのように思われます。でも、あとで繰り返されることと、タイトルが出てくるというだけでそう思っているのであって、音からはコーラスに入った感じはしません。

MacArthur's Park is melting in the dark
All the sweet, green icing flowing down
Someone left the cake out in the rain
I don't think that I can take it
'Cause it took so long to bake it
And I'll never have that recipe again
Oh, no!

「マカーサー公園は宵闇に溶け、甘い緑のアイシングはみな流れ落ちる、だれかが雨の中にケーキをおいていったけれど、あれを取れそうには思えない、ひどく手間をかけて焼いたものなのだから、ぼくはあのレシピをふたたび手にすることはないだろう」

f0147840_033016.jpgいよいよ混迷を深めていますが、そういう歌なのだから仕方ありません。「アイシング」といっても、アイスホッケーでパックが敵陣に「無人で」流れることではなく、ケーキにかける砂糖の衣のことです。そこまではいいとして、雨ざらしになったケーキというのは、どうにも落ち着かない気分になるイメージです。まあ、この際、大負けに負けて、そこまでもよしとしますが、あれを取るの取らないの、レシピがどうのにいたって、わたしは投げましたね。

「だれか」という他人のケーキと、そのレシピをかつて知っていたことが、どうつながるのかは、とりあえず、まったく不明。あとのほうにいくと、失った恋人について語っていることがわかってくるので、「ケーキ」も「レシピ」も「焼く」も、そのあたりに関係しているのかもしれません。

こういうときは成句を思い浮かべるべきですが、さて、この場面にふさわしいものかどうか。いちおうコピーしておくと、「take the cake [iron.] 一番[第一位]になる、きわだっている; ひどくずうずうしい、最低だ」というものがあります。となると、I don't think that I can take itは「そんな図々しいことはできそうにもない」と解釈することもできます。といっても、全体としての解釈のめどはさっぱり立ちませんが。

マカーサー公園というのは、LAのマカーサー公園のことでしょう。ジミー・ウェブはこの時期、LAに住み、ハリウッドで録音していたからです。地図で見ると、それほど規模の大きな公園ではなく、付近のドジャースタジアムと比較してみると、球場よりひとまわり大きいぐらいです。日比谷公園と似たようなものでしょうか。なお、歌には無関係ですが、正式名称は「ダグラス・マカーサー将軍公園」だそうです。もちろん、かの日本占領軍司令官。やあ、将軍、これはまたお濠端以来の奇遇、なんとも妙なところでお会いしますなあ。

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中央左(西)寄りの赤い「A」がマカーサー公園。右(東)寄りの道路網密集地帯がLAの中心部。右上の円形の灰色はドジャースタジアムとそれを囲む巨大駐車場。

グーグル・マップでは、「ストリート・ビュー」というものを見られるのですが、公園を突っ切るウィルシャー・ブールヴァードに立って、ぐるっと四囲を見渡すと、大きな池があり、ところどころに高い椰子の木が見えます。

なんだか、フラン・オブライエンの『第三の警官』の登場人物、ド・セルビー教授のいうとおりになっちゃったな、という気分になる経験です。わたしは年寄りなので、オルダス・ハクスリーのいうような意味での「すばらしき新世界」のような気も、チラッとします。ご興味のある方は、「すばらしきウェブ新世界」をご自分で体験あれ。いったことのない土地を見るのが、せめてもの正気の証拠、自分が暮らす町を見たりするのは不健康な精神の原因または結果でしょうから、やめておくにしくはありません。幸い、ストリート・ビューとやらが見られるのは、まだ一部の土地だけのようです。

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ウィルシャー・ブールヴァードに両断されたマカーサー公園。ケーキはどこにあった?

ここでまたヴァースになると思うのですが、確信なし。

I recall the yellow cotton dress
Foaming like a wave
On the ground around your knees
The birds, like tender babies in your hands
And the old men playing checkers by the trees

「ぼくは思いだす、地面の上で波打つように、きみの膝のまわりでふくらんだ黄色いコットン・ドレスのことを、きみの手のなかでやわらかい赤ん坊のようにしていた鳥を、そして、木のそばでチェッカーをしていた老人を」

やっと、わかりやすい情景描写になってくれました。タイトルどおり、公園での出来事をうたっているのでしょう。ウェブで調べると、最近はストリート・ギャングがいなくなり、安全になったといっているので、まっとうな人間が散策する場所ではない時期もあったのでしょうが、60年代には安全だったのだと、この詩からは考えられます。

ここでコーラスのようなパートがふたたび登場し、短めのインストゥルメンタル・ブレイクが入ります。

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むこうに見えるのは湯島のラヴホテル街、というのは大嘘。しかし、この写真だと、トロピカルに飾り立てた不忍池というおもむき。貸ボートは1時間7ドルだそうな。

◆ 「第2楽章」? ◆◆
ここから変奏曲に入った感じで、何番目のヴァースというより、第二楽章とでもいうべきパートで、音楽的にはテンポを落とし、バッキングのニュアンスを変えているだけですが、べつの部分に入った感覚が明白にありますし、歌詞の内容からいっても、べつのパートに入ったことが歴然としています。ということで、以下のパートをなんと呼べばいいのかわかりませんが、ニュアンスとしては第2部のファースト・ヴァースといったあたり。

There will be another song for me
For I will sing it
There will be another dream for me
Someone will bring it
I will drink the wine while it is warm
And never let you catch me looking at the sun
And after all the loves of my life
After all the loves of my life
You'll still be the one

「ぼくのためにべつの歌があるにちがいない、ぼくにはそれをうたう気があるのだから、だれかがもたらしてくれるべつの夢があるにちがいない、まだあたたかいうちにワインを飲もう、太陽を見つめているぼくのすがたをきみに見せたりはけっしてしない、人生で出合った愛のなかで、結局、きみがホンモノなのだということは変わらないだろう」

わかるような気がする部分なので、そういう場合、ほんとうは深く考えないほうがいいのです。ここではっきりするのは、これは追想の歌であり、また、ハッピー・ソングではないということです。

For I will sing itはよくわかりません。形からいって、前置詞ではなく、理由を示す接続詞でしょうが、心理的にどうつながるのか?

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昔の着色絵はがき。むこうに見えるのは湯島のラヴホテル街ではなく、エルクス・クラブという現在もある(歴史の浅いLAにしては)古い建物で、パーク・プラザ・ホテルになっているとか。

ふつう、ワインは冷やして飲むものなので、while it is warmのitは、気候、気温のほうでしょうか。それとも、わざと「衝突」させているのでしょうか。だからなんだという結論はないのですが、こういうラインは、「楽しめるうちに人生を楽しめ」という例のアメリカ的考え方から出てくるといつも思っています。

let you catchのcatchは、目撃する、といった意味で、never let youだから、「目撃させない」となりますが、「太陽を見つめている」というフレーズがなにを意味するのかよくわかりません。「明日を見つめる」のか、「手の届かないものを見つめている」のか、「見てはいけないものを見ている」のか、はたまた、「失意」の表現なのか。要するに、そのすべてなのかもしれません。

◆ 「輝かしい」未来への正確にして無惨な展望 ◆◆
つづいて、「第2部」の「セカンド・ヴァース」とでもいうべき部分。

I will take my life into my hands and I will use it
I will win the worship in their eyes and I will lose it
I will have the things that I desire
And my passion flow like rivers through the sky
And after all the loves of my life
After all the loves of my life
I'll be thinking of you
And wondering why

「ぼくは自分の人生をこの手に握り、それを使うだろう、人々の尊敬のまなざしを勝ちとり、それを失うだろう、望んだことを手に入れ、ぼくの情熱は大空の川のようにあふれるだろう、そして、結局、この人生で出合ったさまざまな愛にもかかわらず、きみのことを考えつづけ、そして、なぜだ、と後悔しつづけるだろう」

面倒になったので、ちょい意訳が入りました。あしからず。このあとは、もう新しい言葉は出てきません。ハル・ブレインがそのもてる技術を駆使して、大車輪で叩きまくる、長い長いインストゥルメンタル・ブレイクをはさんで、仮に「コーラス」と呼んだ部分にもどり、プロコール・ハルムのIn Held 'Twas in Iのような、グランド・フィナーレになだれ込みます。

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パーク・プラザ・ホテル。1920年代、30年代の建築を愛する人間としては、かなり食指をそそられる、あの時代らしい折衷的デザイン。しいて日本で近いものをあげるなら、駿河台の山の上ホテルだが、こちらのほうが規模が大きく、しかも、妙な彫像付きのところが、いかにもカリフォルニアらしく、ブラウンストーンの古色蒼然たる建物が象徴するNYの古建築群とは対照的。

このヴァースがこの曲の肝心要なのだと感じます。思いだすのはジョン・レノンのIn My Lifeですが、あれはハッピー・ソング、こちらは、ディランのI Threw It All Awayタイプというか、バーズのYou Don't Miss Your Waterタイプというか、そういう開墾の歌(カントリーだからって耕すなよ>ATOK)、もとい、悔恨の歌なのでしょう。

ジミー・ウェブの天才少年ぶり、というか、正確には若き大物ぶりでしょうが、そういうものもこのヴァースにあらわれています。カントリー・ソングにおける悔恨の歌は、特別な人間の思いをうたうわけではなく、ふつうの人、あなたやわたしに起きたことをうたうのですが、MacArthur Parkは、あくまでも「天才少年ジミー・ウェブの悔恨の歌」です。彼は人びとのthe worship in their eyesをすでに勝ち得ていたわけで、その後、失ったかどうかは意見が分かれるにせよ、ポップ・ソングの世界では何十年もトップにいるというのは原則としてありえないので、「予想どおりになるはず」の「既定の針路」ではあったでしょう。

ジミー・ウェブというのはほんとうに「時代の寵児」で、ハル・ブレインが書いていましたが、どこかの自動車会社にCMを依頼されて、その会社が作っているある車種が好きだといったら、翌日には現物が一台届いてしまったというのですからねえ。しかも、そういうふうにむやみに車をもらうので、ほとんど友だちにやっちゃったというのだから、I will have the things that I desireどころか、ほしくないものまで山のように手に入れていたのです。

この歌を書いた時点で、もうそういう状態だったはずです。Up Up and Awayのヒットで一躍、売れっ子ソングライターになった直後ですがね。いかにUp Up and Awayが一大センセーションだったかわかろうというものです(ご存知ない方のために付言しておくと、Up Up and Awayはどこかの航空会社のCMソングでした。どこの会社も、あれにあやかりたかったにちがいありません)。

◆ 知らぬこととはいえ ◆◆
ふと、エディターの行数表示を見ると、もはや文字数制限到達は目睫の間なり、とく立ち去りたまえ、といっているので、音楽的検討は明日以降にさせていただきます。

付記 さきほどテレビをつけたら、かつてその著書を熟読熟視した石川光陽と東京大空襲の番組をやっていて、あ、いかん、3月10日だった、とあわてました。今日、マカーサーの名前がタイトルにある曲を取り上げたのは、まったくの偶然にすぎず、なんの意図もないことをお断りしておきます。カーティス・ルメイとあのじつに馬鹿げた勲章のことを思うと、歴史は冷静に見ること、と自制しつつも、やはり、はらわたが煮えくりかえります。

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MacArthur's Park is melting in the dark...夜景もやっぱり不忍池

by songsf4s | 2008-03-10 23:50 | 春の歌
Spring Mist by Glen Campbell
タイトル
Spring Mist
アーティスト
Glen Campbell
ライター
Glen Campbell
収録アルバム
The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbell
リリース年
1965年
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本日も、ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集に割り込んで、レギュラープログラムをお送りします。Tonieさんからはつぎの記事が届いているのですが、Tonieさんの記事とわたしの記事を交互に掲載するというのは避けたいので、もうすこし記事がそろうのを待とうと考えています。特集の再開を待ち望んでいる方には恐縮ですが、もう数日、お待ち願えればと思います。遅くとも週末ぐらいには再開したいと考えています。

◆ スター誕生以前 ◆◆
さて、本日はインストゥルメンタルなので、歌詞はありません。今日取り上げたグレン・キャンベルのSpring Mistを収録したアルバム、The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbellは、ときおりご紹介しているキムラセンセのサイト、Add More MusicでLPリップのMP3を試聴することができます。ご興味のある方は、右のリンクからAMMのほうにいらして、「Rare Inst. LP's」というページを開き、5番目のジャケットをクリックしてください。

グレン・キャンベルには、By the Time I Get to Phoenixでスターになる以前に、長いキャリアがあります。主としてスタジオ・ギタリストとしてすごしてきたのですが、同時に、ヴォーカル、インスト、両方のアルバムを数枚リリースしています。ブライアン・ウィルソンがプロデュースしたGuess I'm Dumbなんてシングルも、一部方面では有名でしょう。Spring Mistも、そうした雌伏時代に録音されました。

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ハル・ブレインだか、キャロル・ケイだか忘れてしまいましたが、スタジオ仕事の最中にも、ダレた時間帯に、グレンは突然立ち上がって、大声でなにかを歌ったりした、後から考えたら、はじめからシンガーになろうという気があったのだろう、といっていました。

もちろん、シンガーとしてのグレン・キャンベルにも魅力がありますし、いくつか好きな曲もあるのですが、そのへんはいつか折りを見て、強引にこじつけてでも取り上げるつもりでいるWichita Linemanのときにでも書くことにして、今日はあくまでもギタリストとしてのグレン・キャンベルの話です。

◆ グレン・キャンベル・ア・ラ・ビリー・ストレンジ ◆◆
グレン・キャンベルの名前を知ったのは、もちろんBy the Time I Get to Phoenixがヒットして以後のことです。したがって、当時は、グレンがエース・スタジオ・ギタリストだったことなど知りませんでした。

f0147840_2257781.jpgギタリストとしてのグレンのキャリアに注目するようになって以来、仲間内では発掘調査がはじまり、ずいぶんといろいろなアルバムを出していたことがわかってきました。その成果のお裾分けのなかで、このThe Big Bad Rock Guitar of Glen Campbellは、なかなか印象的なアルバムでした。グレンのプレイとしては、バンディッツというスタジオ・グループの名義でリリースされた盤などもなかなかけっこうですが(このLPもAMMで試聴できる)、アルバムとしての仕上がりは、The Big Bad Rock Guitarがいちばんまとまっているように思います。

The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbellのプロデューサーはスティーヴ・ダグラス、アレンジとコンダクトはビリー・ストレンジです。当然、プレイヤーたちもいわゆるレッキング・クルーの面々で、もちろんドラムはハル・ブレイン。

アルバム・タイトルが示すように、概してロッカーの多い盤ですが、チェンジアップとして、バラッドも少々入っています。その1曲がグレン自身の作によるSpring Mistです。「春霞」なんてものがアメリカにもあるとは思いませんでしたねえ。グレンの故郷であるアーカンソーでは、春になると日本のように湿度が上がって、ほかの季節には見られない、特有の靄がかかるのでしょうか。ひょっとしてspringは春のことではなく、「温泉の靄」という意味だったりしたら赤っ恥ですが、とりあえず、春のことではないという証明は、グレン本人を含め、だれにもできないはずだと見切っておきます。

グレン・キャンベルの12弦ギター各種
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Hamer

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Mosrite

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Ovasion Viper

グレン・キャンベルは譜面が読めなかったそうで、たとえば、サイト・リーディングにかけては右に出るものがなかったというトミー・テデスコが、わきから譜面を読んでやったりしたことがあったということですが、それはイントロ・リックとか、そういうものの場合で、いつもいつもそうしていたわけではないでしょう。

グレンの仕事は「ワイルドなソロ」だったとハル・ブレインがいっています。つまり、勝負はインプロヴなのだから、たいていの場合は譜面が読めないことは問題にならなかったにちがいありません。60年代中期からは、そういうギター・プレイがさまざまな場面で必要とされるようになったので、譜面が読めないというマイナス・ポイントは、相対的に重要ではなくなっていったと考えています。

f0147840_23274135.jpgとまあ、グレン・キャンベルというスタジオ・プレイヤーをそのように捉えていたのですが、それがまちがっていたとはいわないまでも、Spring Mistは、そのイメージを裏切る曲であり、プレイです。

ビリー・ストレンジの盤に収録されていてもおかしくない曲調ですし、なによりも、ていねいに、かつ、ジェントルにメロディー・ラインを奏でるだけ、というところが、なんともビリー・ストレンジ風なのです。このアルバムのアレンジャーは、ほかならぬビリー・ストレンジその人なのだから、それも当然といえなくもありません。でも、じつは、そのせいばかりでもないと考えています。

◆ いずれがアヤメかカキツバタか ◆◆
The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbellには、ビリー・ストレンジ作のSassyという曲が入っています。スタジオにおけるヴェンチャーズの真のギタリストを発見しようとする過程で(わたしにはいまだ特定できないのだが、グレンもヴェンチャーズの相当数のトラックでプレイしたものと考えられる)ビリー・ストレンジと知り合ったとき、彼のアルバムと、ヴェンチャーズのアルバムを、神経をとぎすませて聴いていたので、たまたまグレンのCDに収録されたSassyをかけたら、なんだかビリー・ストレンジのプレイのように聞こえました。

f0147840_23304274.jpgたまたま、ビリー御大との対話の真っ最中だったので、「Sassyは、グレンというより、あなたのプレイに聞こえる、スタイルもサウンドもそっくりだ」と書き送ったら、「Sassyのギターはわたしだ、グレンはあの曲では12弦を弾いた」という回答が届きました。

これはちょうど、そういうことがおこなわれていた可能性も排除できない、と考えはじめた時期でした。「そういうこと」というのは、スタジオ・プレイヤーのリーダー・アルバムでも、かならずしもそのネーム・プレイヤーが弾いているとはかぎらない、ということです。たとえば、ビリー・ストレンジのアルバムを聴いていて、このパートのギターは、ビリー・ストレンジではなく、トミー・テデスコのプレイではないか、と感じたことがあります。

あなたはあの曲ではギターをプレイしなかったのではないか、などとむくつけに尋ねるのもなんなので、遠回しな質問をしてみました。「複数のリード・ギターがからむトラックがあるが、そういう場合、あなた自身がオーヴァーダブしたのか、それとも、トミーやグレンといった他のプレイヤーといっしょに、一回で録ったのか」とうかがってみたのです。回答は、ケース・バイ・ケースである、とのことでした。

それはそうだろうなという、当然の回答です。要は、時間と予算の制約のなかで、最善の結果を得ることが最終目標なのだから、必要とあれば、ビリー・ストレンジ名義の盤であっても、他のギタリストがリードをとるのは、まったく不思議でもなんでもないのです。

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ディーン・マーティンのセッションでのグレン・キャンベル(右端)

だから、グレンのアルバムでも、ビリー・ストレンジがリードをとり、グレンがオブリガートにまわる、ということもあったのでしょう。ビリー・ストレンジ自身がセッションにきていたのだから、彼がつくった曲は、彼自身が弾いたほうが手っ取り早い、というように、いたって合理的、実際的判断を下しただけだと感じます。

とはいうものの、Spring Mistでも、グレンにかわって、ビリー・ストレンジがリードをとったと考えているわけではありません。いや、その可能性もゼロといえないところが苦しいのですが(ライター・クレジットは証拠にならない。楽曲の権利譲渡はしばしばおこなわれていた)、いまのところは、グレンも、ときには穏やかなプレイをやってみることがあったのだ、と考えています。

それにしても、だれが弾いたかを確定するのは、結局のところ、きわめて困難なのだ、という前提でこのアルバムを聴くと、キムラセンセが「レア・インスト」のレヴューに書いていたように、だんだん、なにがなんだかわからなくなり、足下の地面が溶け出したような気がしてくるトラックがあるのも事実です。

こういう「なにが起こるかわかったものではない」という気分のせいで、かつて、50年代から60年代にかけてのハリウッド研究に血道をあげることになってしまったのを、グレンのSpring Mistは思いださせてくれます。

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テネシー・アーニー・フォードとの共演盤"Ernie Sings & Glen Picks" これは70年代のもので、スタジオ・プレイヤーとしての仕事ではなく、新旧カントリー・スターの共演という企画盤。タイトルどおり、歌はフォードにまかせ、グレンはもっぱらギターを弾いている。すべてアコースティックだが、やっぱりすごいな、と感じ入る、みごとなプレイが詰め込まれている。

by songsf4s | 2008-03-03 23:43 | 春の歌
Snow Queen その2 by Roger Nichols & the Small Circle of Friends
タイトル
Snow Queen
アーティスト
Roger Nichols & the Small Circle of Friends
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
Roger Nichols & the Small Circle of Friends
リリース年
1967年
他のヴァージョン
The City, the Association
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昨日はジェリー・ゴーフィンの歌詞を霞ませてしまったものがあるといいながら、それがなにかを説明するところまでたどり着けませんでした。さっそく、そのことから。

◆ デモーニッシュなプレイ ◆◆
歌詞も歌も、そのほかあらゆることを吹き飛ばし、シティー盤Snow Queenを支配しているのは、ジム・ゴードンのドラミングです。いやもう、すげえのなんの、ジム・ゴードンはすごいと百も承知していて、それでもやっぱり、すげえなあ、と何度もため息が出る、強力なドラミングです。ピッチも悪ければ、いつもグルーヴに乗りそこなうキャロル・キングのヴォーカルなんか、ひとたまりもなくこなごなに吹き飛ばされています。

f0147840_00532.jpgハル・ブレインとジム・ゴードン、この二人の大きな違いは、ハルがおおむね安定して力を発揮するのに対し、ジム・ゴードンは調子の波が大きいことです。もともと気分にムラがあったのかもしれません。あるいは、薬物依存の結果だったのかもしれません。いずれにせよ、ジム・ゴードンというドラマーは二人います。ひとりは、この世のものとは思えないビートを叩くデーモン、もうひとりは、ごくまっとうな生業に精を出しているような、律儀で安定したビートを叩くふつうの人間です。

ジム・ゴードンがデーモンになった日にあたったプレイヤーたちは、美しいビートに涙を流しもしたでしょうが、同時に、自分がいてもいなくてもいい塵芥に成り下がったことも痛感し、彼のプレイを愛し、同時に憎んだことでしょう。

キャロル・キング、ダニー・クーチ、チャールズ・ラーキーというシティーのメンバーたちは、幸運であり、同時に不運でした。ジム・ゴードンがこれほど気分よくプレイしている日はそう多くないのです。ほかの三人は、ジム・ゴードンの光り輝く圧倒的なプレイのまえに、ジェリー・ゴーフィンの歌詞とともに、ヌルの世界に送りこまれてしまいました。I only have eyes for youではなく、I only have ears for you, Jimmyです。

だれだったか、歌舞伎役者が、歌舞伎の見得というのは、いわばズームのようなもので、観客の目をぐーっと惹きつけるためのものだといっていました。たしかに、そういうことというのは起こるようです。ジミーがデーモンになった日には、わたしにはほかの音は聞こえなくなります。

◆ ワルツ・タイム、ジミーズ・タイム ◆◆
このNow That Everything's Been Saidというアルバム全体を通して、ジム・ゴードンは好調を維持しています。しかし、つぎつぎに霊感にうたれたフレーズを、正確かつデモーニッシュに表現しているこのSnow Queenは、とりわけ抜きんでています。これほど独創的なワルツ・タイムのプレイを、わたしはほかに知りません。

f0147840_022492.jpgジム・ゴードンは、ワルツ系を好んだ形跡があります。たとえば、バーズのGet to You(The Notorious Byrd Brothers収録)でのプレイ。Get to Youはヴァースが5拍子、コーラスがワルツ・タイムという変則的な曲ですが、5拍子というのは、3+2に分解できるので、ワルツ・タイムの変形とみなすことができます。変拍子もなんのその、ジム・ゴードンはGet to Youでも、4/4の曲のようにフィルインを叩きまくっていますが、とくにコーラスでのワルツ・タイムのプレイが際だっています。

しかし、このSnow Queenでのワルツ・タイムのプレイのまえでは、Get to Youでの名演も、いささか霞んでしまうほどです。イントロからして、もう千両役者が登場したことをひしひしと感じます。なにしろ、この地球でかつてスティックを握った人間のなかで、もっともタイムがよいと目されるドラマーですし、これは彼がふつうの人間の日ではなく、デーモンに変身した日の録音なので、1小節で十分にデーモンの出現を感じとれます。すごいドラマーというのは、最初の一打からすごいのです。

f0147840_034819.jpgそして、歌が出てくる直前、開幕のベルのようなロールの美しいこと! 当ブログでは、何度かジャズ・ドラマーをボロクソにこき下ろし、できもしないくせに、汚いロールなんかやるんじゃない、と罵倒したことがありますが、その正反対の霊、じゃなくて、例がここにあります。こういうロールを聴いて育ったドラム・クレイジーが、タイムの悪い半チクなジャズ・ドラマーの子供だましプレイなんかを聴いていられるかどうか、つもってもみなさいというのですよ。

タイム・キーピング以外のことはなにもしない「空の小節」でも、うまいドラマーは聴いていて楽しいものです。「デーモンの日」のジム・ゴードンはその最右翼で、デレク&ドミノーズのLet It Rainなんか、ライド・シンバルとバックビートを聴いていれば、あっというまに時間が過ぎていきます。

f0147840_045781.jpgこのSnow Queenのようなドラミングに出合うと、微細にプレイを分析したくなるのですが、そういうことは、すでにアカウントをとってあるもうひとつのブログ、「ドラム・クレイジー」(暇になるであろう五月には店開きしたいと思っている)でやるべきことのようなので、ここではできるだけ簡単に、とくに印象的なところだけかいつまんでみます。

ファースト・ヴァースからファースト・コーラスへのつなぎ目のところ(0:55あたり)に出てくる、シンコペートしたフロア・タムの一打からスネア、そしてシンバルへというフィルインが、最初のハイライトでしょう。何度か出てくるロールは、一カ所をのぞいてどれもみごと(3:10あたりのものはちょっとミスっている)。「空の小節」と同じパターンのスネアでも、強弱を変えてアクセントをつけるプレイもすばらしく、とくに1:25あたりからはじまる、強いアクセントの左手だけによる2打からロールへという一連のプレイは、惚れ惚れします。

このアルバムから、ドラミングだけあれば、ほかのものはいらないと感じるレベルの曲をあげておくと、Why Are You Leaving(ボビー・ウィットロックのSong for Paulaを思い起こさせるタムタムからフロア・タムへのフィルがみごと)、I Don't Believe It(ジム・ゴードンのシャッフルはハル・ブレインほどいいとは思わないが、これはかなりいい部類)の2曲。

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左からChris Wood, Rick Grech, Jim Gordn, Reebop

◆ 他のヴァージョン ◆◆
この曲の代表的なヴァージョンというと、やはりシティーではなく、ロジャー・ニコルズ盤をあげるべきでしょう。ヴォーカルもアレンジもこちらのほうが上です。ドラムはハル・ブレインの可能性を感じますが、ロジャー・ニコルズ自身は後年のインタヴューで、このトラックにかぎったことではなく、アルバム全体のプレイヤーとしてのことながら、チラとも聞いたこともない名前をあげていました。

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サイドスティックのプレイなので、プレイヤーの特定は困難ですが、タイムもプレイ・スタイルも端正で、無名の人には思えません。そういうことはおいておくとしても、ヴォーカルの声(こういうことは録音の仕方にも左右される。エンジニアはラリー・レヴィン)とアレンジに雰囲気があり、総体としては、キャロル・キング盤よりこちらのほうが、上ものは楽しめます。シティー盤のほうがすぐれている点は、ジム・ゴードンのドラミングだけです。

このRoger Nichols & the Small Circle of Friendsというアルバムは、アレンジャー陣が目を惹きます。ニック・デカロ、マーティー・ペイチ、ボブ・トンプソン、モート・ガーソンと、最初の3人は、当ブログでもなんらかのかたちで取り上げた人たちです。Snow Queenのアレンジはニック・デカロによるもので、アヴェレージの出来ですが、悪くありません。

f0147840_0202417.jpgもうひとつ、アソシエイションのヴァージョンがあります。Waterbeds In Trinidadという、もうヒットが出なくなった時期の、だれも買わなかったようなアルバムに収録されたものですが、これはこれで悪くない出来です。もともと、いいとか悪いとかいったグループではなく、バックトラックはスタジオ・プレイヤー、ヴォーカルはハーモニーばかりなので、スタジオ・シンガーがかわりにやってもわからないようなもので、勝敗の分かれ目は、アーティストの状態ではなく、楽曲の出来、アレンジ、プロダクションにあります。腐った時期でも、ある程度のレベルは維持できるということです。

このヴァージョンも、シティー盤同様、やはりドラムに尽きます。こちらのドラマーはハル・ブレインと推定して問題ないでしょう。上ものが弱いときには、自分が前に出て、場をさらうことをつねとしているハルですから、ピッチの高い追加タムも駆使しつつ(時期的に、すでにオクトプラス・セットのコンサート・タムは実戦配備済み)、フィルを叩きまくっています。デーモンに変身した絶好調日のジム・ゴードンのプレイより先に出すわけにはいきませんでしたが、こちらも十分に楽しめます。
by songsf4s | 2008-01-25 23:39 | 冬の歌
Canadian Sunset by Marty Paich Piano Quartet
タイトル
Canadian Sunset
アーティスト
Marty Paich Piano Quartet
ライター
Eddie Heywood, Norman Gimbel
収録アルバム
Lush Latin & Cool
リリース年
1960年
他のヴァージョン
Avalanches, Hugo Winterhalter & His Orchestra with Eddie Heywood, Earl Grant, the Three Suns, Andy Williams, Dean Martin, Jimmy McGriff, Johnny Hodges with the Lawrence Welk Orchestra
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ちょっと尻取りめいてきましたが、昨日のショーティー・ロジャーズのSnowballにつづいて、同じくジャズ出身のハリウッドを代表するアレンジャーが、プレイヤーとしてつくったアルバムからの曲です。

マーティー・ペイチのヴァージョンはインストゥルメンタルで、今日も歌詞がなくて楽勝、といきたいところなのですが、ご存知のように、この曲にはちゃんと歌詞があります。しかも、うちにもヴォーカル盤が複数あるので、無視するわけにはいかないのでした。

◆ 日の出から日没まで ◆◆
うちにあるこの曲のヴォーカル盤はディーン・マーティンとアンディー・ウィリアムズのもので、両者のあいだに大きな異同はありませんが、ここではディーン・マーティン盤に依拠します。ではファースト・ヴァース。

Once I was alone
So lonely and then
You came out of nowhere
Like the sun up from the hills

「以前はひとりで、ひどくさみしかった、そこにきみがどこからともなくあらわれた、丘の向こうに陽が昇るように」

「カナダの夕暮れ」というタイトルなのに、なんだって陽が昇るのだ、という疑問をお持ちでしょうが、映画や小説同様、そういう疑問はしばらく口にせず、ラグビー式にいえば「アドヴァンティジを見る」のがルールです。映画や小説同様、作者の意図は「サスペンド」、つまり「気をもたせる」ことにあるわけですから。

Cold, cold was the wind
Warm, warm were your lips
Out there, on that ski trail
Where your kiss filled me with thrills

「風はどこまでも冷たく、きみの唇はどこまでも暖かい、あのスキー・コースで、きみの口づけはわたしを夢中にさせた」

冷たい風と暖かい唇の対比とはまた恐れ入ります。あんまり記憶にない技です。スキー場に出ていたのなら、どちらの唇も悪魔の尻と同じぐらい冷えているだろう、なんていいたくなるのですが。

つづいてブリッジ。

A weekend in Canada, a change of scene
Was the most I bargained for
And then I discovered you and in your eyes
I found the love that I couldn't ignore

「気分転換にカナダで週末を過ごすことをなによりも楽しみにしていた、そしてきみに出逢い、きみの目に無視しようのない愛を見いだした」

サードにして最後のヴァース。

Down, down came the sun
Fast, fast, fast, beat my heart
I knew when the sun set
From that day, we'd never ever part

「どんどん太陽が沈むにつれて、わたしの心は高鳴りゆく、あの日、太陽が沈んだとき、わたしたちが別れることがないのはわかっていた」

というわけで、日の出のようにはじまった恋が、日没とともにどう進展するかを想像させるというだけのことでした。

◆ マーティー・ペイチ・ピアノ・カルテット盤 ◆◆
まず、看板に立てたマーティー・ペイチ・ピアノ・カルテット盤から見ていきます。ショーティー・ロジャーズ同様、ペイチもプレイヤーとしてのキャリアに見切りをつけ、60年代にはポップ・フィールドまで含む広い分野で活躍した、ハリウッドを代表するアレンジャーのひとりです。

f0147840_0482098.jpg右からマーティー・ペイチ、ショーティー・ロジャーズ

70年代以降に音楽を聴くようになった世代には、トトのなんとかペイチのお父さんといったほうがわかりやすいかもしれませんが、わたしはスティーヴ・ルカサーは虫酸が走るほど嫌いで、彼のギター・ソロはすべて早送りしますし、ペイチ同様、スタジオ・ミュージシャン二世であるトトのドラマー、ジェフ・ポーカロはタイムが悪いし(ラス・カンケルやジョン・グェランよりはいくぶんマシ)、あまりといえばあまりな、露骨なジム・ゴードン・コピー・キャットぶりも、ジム・ゴードンの熱烈なファンとしては大不快なので、無視します。ペイチといえば、わたしの場合、父親のほうしか存在しません。

マーティー・ペイチ・ピアノ・カルテットという名義なので、これだけ見ると、ピアノのほかに、ドラム、ギター、ベースという4ピース・コンボを想像なさるでしょうが、それはまったくの早計。じつは4人のピアニストの共演なのです。このトラックのプレイヤーを以下にペーストしておきます。

Marty Paich……Piano
Pete Jolly……Piano
Jimmy Rowles……Piano
John Williams……Piano
Bill Pitman……Guitar
Joe Mondragon……Bass
Carlos Mejia……Conga
Ray Rivera……Percussion
Manuel Lopez……Percussion
Pat Rodriguez……Percussion

ピート・ジョリーやジョー・モンドラゴンのように、昨日取り上げたショーティー・ロジャーズのSnowballと重なる人たちもいます。同じハリウッドで、ロジャーズは59年に、ペイチは60年に録音しているのだから、べつに不思議はありません。他の曲では、ロジャーズのThe Swingin' Nutcracker同様、メル・ルイス、アート・ペパー、バド・シャンクもプレイしています。

ギターのビル・ピットマンはポップ・セッションでもおなじみの人です。フィル・スペクターのシングルB面に、Tedesco and Pitmanというインスト曲がありますが、Tedescoはもちろんトミー・テデスコ、そしてPitmanとはビル・ピットマンのことです。つまり、フィル・スペクター・セッションのレギュラーだったということです。

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Tommy Tedesco and Bill Pitman。「こういうささやかな昼寝が利くんだ」とキャプションにある! トミー・テデスコ自伝の写真キャプションはみなこの調子。そういうキャラクターだったのだとキャロル・ケイがいっている。トミーが手にしているのは、ギターではなく、バンジョー。

マーティー・ペイチ・ピアノ・カルテット盤Canadian Sunsetは、ドラムレスで、コンガのみならず、パーカッションが3人もクレジットされていることから想像がつくように、ラテン・アレンジです。ピアノをどういう風に使っているかというと、ひとりは、この曲と一体化しているとも思われる、F#-Eb-Db-Eb-Db-Eb-Db(キーをCに移調すると、C-A-G-A-G-A-G)というパターンのリックを弾いているだけに聞こえます。左右両方で、メロディーを弾いているピアニストが二人いることまではわかりますが、あとひとりはどこでなにをしているのかわかりません。ときおり、左チャンネルでメロディーを重ねているのかもしれません。

f0147840_123157.jpg後半、ソロのやりとりになりますが、「火を噴くインプロヴ」などというタイプのプレイではなく、細かく小節を割っているので、基本的にはメロディーのヴァリエーションです。つまり、わたしが好まない、得手勝手なモダン・ジャズ的プレイではなく、アレンジ、サウンド、アンサンブルを重視するラウンジ・ミュージックの行き方で、なかなかグッド・フィーリンです。

4人のピアニストというので、ギタリストの人数で勝負したものを連想したというわけではないのですが、使用楽器は異なるものの、サウンドの方向性としては、50ギターズに近いものがあります。インプロヴは最小限にとどめた「国境の南」的サウンド、という共通点があるのです。

◆ アヴァランシェーズ盤ほか ◆◆
f0147840_141983.jpg例によって、わがアヴァランシェーズもこの曲をやっています。ヴァースはピアノのアル・ディローリーが弾き(好ましいプレイ)、最初のブリッジはウェイン・バーディックのペダル・スティールが弾くというアレンジで、ここまでは比較的ノーマルな、たんにグッド・フィーリンのインストという展開です。しかし、二度目のブリッジが、トレモロ・ピッキングのディストーション・ギターで、これはちょっと血湧き肉躍るサウンドであり、プレイです。とくに入口のグリサンド風のプレイは、子どもの心がよみがえるようなエキサイトメントがあります。

トミー・テデスコとビリー・ストレンジのどちらがこのプレイをやったのか? わたしは持ち金の3分の2ぐらいなら、ビリー・ストレンジのほうに張ります。

ハル・ブレインは、このアルバムでは気分よく叩きまくっていて、Canadian Sunsetはとりわけハルのプレイが楽しいトラックです。非常に調子のいい日だったのだろうと感じます。また、スネアのチューニングのよさにも改めて惚れます。

f0147840_161071.jpgジミー・マグリフ盤も、同じ系統のロック的なサウンドです。こちらは60年代終わりの録音なので、ギターはワウをかけているし、ドラムとベースのプレイにもちょっとファンク味が混入しています。ドラムのプレイは嫌いではないといった程度ですが、スネアのチューニングがデイヴ・クラークのようにパンパンに高くて好みです。この時期にはもうスネアのチューニングを落とし、ミュートするのが流行になりつつあったので、こういうサウンドは少数派だったでしょう。世にあらまほしきはパシーンとウルトラ・ドライなサウンドのスネア哉。あなかしこ。

f0147840_18337.jpgIndian Summerの記事で絶賛したジョニー・ホッジズのヴァージョンは、ローレンス・ウェルク・オーケストラとの共演です。このヴァージョンは、上述のC-A-G-A-G-A-Gというリックを使わず、ギターと弦のピジカートで、On Broadwayのようなリックをやっています。あのリックがないとCanadian Sunsetを聴いている気分にならないのですが、ホッジズのプレイ自体はこのトラックでも悪くありません。シナトラのIndian Summerのプレイのように、大絶賛とはいきませんが。

f0147840_192536.jpg順番からいうと、最初に言及するべきは、フーゴー・ヴィンターハールター(固有名詞発音辞典の発音記号をもとにした表記。Hugo Winterhalterなので、英語読みするなら「ヒューゴー・ウィンターホールター」あたりか。アクセントは第一シラブル)とエディー・ヘイウッドのヴァージョンだったかもしれません。これは1956年にビルボード・チャート2位までいく大ヒットで、Canadian Sunsetの代表的ヴァージョンだからです。人数にまかせたスケール感のあるイントロが印象的。C-A-G-A-G-A-Gというリックは、頭のほうをシンコペートさせていますが、この(たぶんオリジナル)ヴァージョンからあるので、淵源はここなのでしょう。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_1103475.jpgヴォーカル盤を見ておきます。アンディー・ウィリアムズ盤は、ヴィンターハールター/エディー・ヘイウッド盤にほんのわずかに遅れ、同じ1956年にビルボード7位にまでのぼる大ヒットになっています。ウィリアムズにとって、最初のトップテン・ヒットのようです。時期が早いので、後年のアンディー・ウィリアムズとはずいぶん雰囲気が異なり、ダブル・トラックどころか、たぶん3回のオーヴァーダブをやっています。明るく、軽快で晴れやかなサウンドで、ヒットも当然だと感じます。C-A-G-A-G-A-Gリック(すこしパターンを変えているので、この並びとはちがう)は管でやっています。

f0147840_1105374.jpgディーン・マーティン盤は、いつものディノ節です。こういう曲はもう「合っている」としかいいようがありません。C-A-G-A-G-A-Gリックは、クラリネットが担当し、同時に、ベースのパターンのなかにとけ込んでいるところは、ちょっとシック。ディノ・ファンには十分に満足のいく仕上がりです。こういうラヴ・ソングはディノがもっとも得意とするところですから。後半、4ビートに移行するのも悪くありません。

f0147840_111463.jpgまたインストゥルメンタルに戻りますが、アール・グラント盤は、うちにあるもののなかでもっともスロウにやっています。途中からテンポを変えないまま、ディノ盤同様、4ビートになりますが、ドラムがバタバタするところが興醒めです。ドラムがおとなしくしている部分に関しては、これはこれでいいかもしれない、ぐらいの出来なのですが。

スリー・サンズは、どうしても珍が入ってしまうグループで、スムーズにいきません。毎度、彼らのトラックを聴くたびに、なにが原因で、あちこちに刈り残しがあるボサボサ頭のような出来になるのか考えるのですが、いまだに原因を究明できず。ドラムに責任の一半があるのはたしかなのですが。

◆ Canadian SunsetとMy Guy ◆◆
こぼれ話をひとつ。キャロル・ケイは、長年にわたって、モータウンが初期からハリウッドでトラックを録音していたと主張しています。モータウン問題の詳細については、かつてわたしが、木村センセのAdd More Musicに書いた『モータウン・ミステリー』という記事を参照していただいたほうがよいので、それは略します。

f0147840_1173357.jpgここでいいたいのは、Canadian Sunsetに関わることだけです。彼女は、モータウンの初期のハリウッド録音の例として、メアリー・ウェルズのMy Guyをあげています。彼女はこのトラックではギターをプレイしたそうですが(リリース盤ではギターはよく聞こえないが、カラオケ・ヴァージョンというか、たんなるトラック・オンリーがリリースされていて、これを聴くと、じつに味なプレイをしていたことがわかる)、その録音の様子にふれ、モータウンの仕事で譜面があったことはまれで、ほどんどは現場でのヘッド・アレンジだったとし、My Guyのイントロは、彼女の提案で、Canadian Sunsetのリックを変形したものを使った、といっています。

わたしが、しつこくC-A-G-A-G-A-Gパターンのリックにこだわった理由はこれです。フーゴー・ヴィンターハールター盤Canadian Sunsetと、メアリー・ウェルズのMy Guyの両方をお持ちの方は、比較してみてください。
by songsf4s | 2008-01-15 23:55 | 冬の歌
Snowball by Shorty Rogers
タイトル
Snowball
アーティスト
Shorty Rogers
ライター
Peter Ilyich Tchaikovsky (?)
収録アルバム
The Swingin' Nutcracker
リリース年
1959年
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当ブログにいらっしゃるお客さんは、スタンダードを好む方か、60年代アメリカのポップ・ミュージックを好む方なのだろうと想像しています。キンクスやグレイトフル・デッドに肩入れするのは、純粋に当方の趣味にすぎず、お客さん方には申し訳ないことと思いながらやっています。

しかし、最近はデッドやキンクスを取り上げた日でも、とりたててお客さんが減る様子はなく、昨日今日、すなわち、2回にわたるStella Blueのあとは、むしろふだんよりやや多めで、ひょっとしたら、そちらの方面の方もいらっしゃるようになったのかもしれないという解釈に傾いています。

当方の関心の方面は、世間的にいえばちょっとバラけているので、お客さんが分裂するのも仕方のないことなのかもしれません。いや、当人の頭のなかでは、けっして分裂などしていなくて、同じ平面でちゃんと連関を保っているのでありまして、キンクスからフランク・シナトラに飛んで、ディーン・マーティンからデッドに飛んでも、「飛んだ」などとはまったく思っていないんですがね!

本日は、ちょいと野暮用なぞがあったりして時間がとれず、例によって、休むかわりに、簡単に書ける「雨傘用インスト盤」を取り上げようと思います。デッド、キンクスでいらっしゃったお客さんは、申し訳ありませんが「一回休み」です。すぐにデッドに「飛ぶ」予定ですが、デッドのトラックをやるには、つねに相応の準備が必要なので、いましばらくお待ちください。

◆ 40年代、50年代のハリウッド音楽の遺産 ◆◆
f0147840_0595817.jpgというわけで、本日の冬の曲は、ショーティー・ロジャーズのSnowballです。チャイコフスキーの『クルミ割り人形』を素材にした、ビッグバンド・アルバムに収録されています。といっても、このSnowballのメロディーが、チャイコフスキーのどの曲をもとにしたものなのか、わたしにはさっぱりわかりません。クラシックにお詳しい方に、ぜひツッコミを入れていただきたいところです。

しかし、それはそれとして、これはじつに軽快でノリのいいトラックでして、さすがはショーティー・ロジャーズ、すごいものだと感じ入ります。プレイヤーのレベルも非常に高いのですが、それとは切り離して、バッキングのホーン・セクションのアレンジ(やがてこれがロジャーズの「本職」となる)が、ワクワク、ドキドキするラインになっているのです。スタン・ケントンに重用されたとか、マイルズ・デイヴィスのBirth of Coolに影響をあたえたなどといったロジャーズにまつわる「伝説」も、それほど大ハズレではないかもしれないと思えてきます。

このSnowballについてのspecificなものではなく、アルバム全体に対するものですが、いちおう参加プレイヤーを列挙しておきます。

Joe Mondragon………Bass (Acoustic)
George Roberts…… Trombone
Frank Rosolino…… Trombone
Kenny Shroyer………Trombone
Ray Triscari……… Trumpet
Jimmy Zito………… Trumpet
John Tynan………… Liner Notes
Shorty Rogers……… Trumpet, Flugelhorn, Main Performer, Arranger
John Audino…………Trumpet
Harry Betts…………Trombone
Bill Hood……………Sax (Baritone)
Conte Candoli………Trumpet
Frank Capp………… Drums
Jimmy Giuffre………Clarinet
Bill Holman…………Sax (Baritone), Sax (Tenor)
Richie Kamuca………Sax (Tenor)
Harold Land…………Sax (Tenor)
Mel Lewis……………Drums
Art Pepper………… Sax (Alto)
Bill Perkins……… Sax (Tenor)
Bud Shank……………Sax (Alto)
Pete Jolly………… Piano
Lou Levy…………… Bass (Acoustic)

f0147840_111462.jpgこのメンバーで気になるのは、まずメル・ルイスとフランク・キャップという二人のドラマーです。先日もコメントに書きましたが、ジャズ出身で、ハリウッド音楽、主としてビッグバンド、オーケストラ・ミュージック、映画音楽の世界で活躍したことが記録されているこのあたりのドラマーは、今年の研究テーマのひとつです。

フランク・キャップについては、ビーチボーイズをはじめ、ポップ・セッションでもおなじみですが(たとえばPet Soundsのパーカッション。Pet Sounds Sessions Boxをお持ちの方は、ブライアンがフランク・キャップに「Franky, not so drrrrrr!」とかなんとか、大声で指示を出しているのをご記憶でしょう)、メル・ルイスはポップ系にはほとんど参加していないと思われます。

このSnowballではどちらが叩いているのか。それはなんともいえません。それがいえるようになることを今年の課題としているのですから! しかし、山勘でいうなら、メル・ルイスのほうではないでしょうか。

f0147840_115990.jpgジョー・モンドラゴンも多数のポップ・セッションをやっているので、以前からちょっと気にしている人です。しかし、ピアノのピート・ジョリーはさらに気になります。最初にこの人のプレイで感心したのは、クリス・モンテイズのA&Mのトラックでのことです。つぎに、友人のオオノさん(右のFtiendsリンクからいける「You Tubeを聴こう」のオーナー)が、A&M時代の彼のソロ・アルバムを発掘し、それを聴かせてもらったら、じつにグッド・フィーリンの盤で、すっかり気に入り、しばらくはよく聴いていました。最近、ちょっとだけジョリーのアルバムを入手したのですが、そのへんはまたべつの機会に。

ホーン・セクションで知っているのは、バド・シャンク、アート・ペッパーですが、Snowballでは、テナー・サックスのソロはあるものの、アルト・ソロはないので、活躍していません。

f0147840_14228.jpgショーティー・ロジャーズがプレイをやめて、裏方仕事に専念するのは1962、3年のことだそうで、このSnowballは1959年リリースですから、このトラックでミューティッド・トランペット(あるいはフリューゲルホルンか?)のソロをとっているのは、ロジャーズ自身でしょう。ピッチもよく(ピッチがどうこうなんて、失礼なことをいうものじゃないという方もいらっしゃるでしょうが、以前にもいったように、ピッチの悪いトランペッターというのは、ジャズ・コンボしかやっていない人のなかには、イヤになるほどたくさんいます)、スタイルも上品で、プレイをやめたのは惜しいと感じます。

◆ 「第三次世界大戦セッション」 ◆◆
f0147840_153590.jpgショーティー・ロジャーズのことを気にしはじめたきっかけはなんだったのか、もう忘れてしまいましたが、わたしはジャズには興味がないので、あくまでもポップ・アレンジャーとしてロジャーズが入口でした。たぶん、ハル・ブレインの回想記、Hal Blaine & the Wrecking Crewで言及されていたことから、名前を覚えたのでしょう。

どこで登場するかというと、モンキーズのマイケル・ネスミスのソロ・アルバム、Wichita Train Whistle Singsのアレンジャーとしてです。これはとんでもないセッションで、仲間内では、かつては、ぜひ発掘しなければならないアルバムの一枚でした。現在ではCD化されているようです。

どうとんでもないかというと、わたしが説明するのは面倒なので、かわりにハル・ブレインの本から、このセッションに関わる部分を引用します。一度はこの本の翻訳出版に挑戦しかけた編集者の方が、今年、再挑戦するとおっしゃっているので、その景気づけとして、かつて出版のために用意した原稿を、以下にそのままペーストします。

マイケルは電話で、「スーパーセッション」のプランを話してくれた。ハリウッドでかつてなかったようなセッションをしようというのだ。しかも、土日――ミュージシャン・ユニオンの組合員が「ゴールデン・タイム」と呼んでいる週末にだ〔特別料金がもらえる〕。チェイスンズ〔ハリウッドの高級レストラン〕のシルヴァー・サーヴィスと、集まったミュージシャンの信じられない豪華さで、このセッションは忘れられない。アレンジはショーティー・ロジャーズが担当し、プレイヤーの数ときたらとんでもなかった。トランペット、トロンボーン、サックスがそれぞれ一〇人ずつ、パーカッションが五人、ドラマーが二人、ピアノが四人、ギターが七人、フェンダー・ベースが四人、アップライト・ベースも四人、さらにまだまだおおぜいのミュージシャンがきたのだ。第三次世界大戦でもはじまるのかという騒ぎだった。じっさい、ネスミスはこのプロジェクトをそう呼ぶつもりだったが、やがて『ザ・パシフック・オーシャン』と変わり、最終的には『ザ・ウィチタ・トレイン・ホイッスル・シングス』に落ち着いた。

f0147840_162513.jpgこのセッションのウワサで、町中がハチの巣を突ついたような騒ぎになった。こんな巨大なセッションがほんとうにテープに録音できると信じる人間など、ひとりとしていなかった。わたしはありとあらゆる大物コントラクターたちの羨望の的になり、その多くが電話をかけてきて、この仕事をゆずってほしいと、なかなか魅力的な条件を提示した。だれもがこのセッションに参加したがっていたのだ。

そして、その日がやってきた。一九六七年十一月十八、十九の両日だ。ショーティーはしゃかりきになって、すばらしいアレンジメントを書いてきた。アール・パーマーとわたしは、天にものぼる気分だった。こういう巨大なバンドのケツを蹴り上げるのは、まさにドラマーの夢だからだ。レコーディングの最中にもしばしば休憩をとって、われわれは豪華な食事をたっぷり詰めこんだ。サックス/オーボエのジーン・チープリアーノは、リードが詰まるのではないかというほどキャヴィアを食べていた。みんな、キャンディー・ストアに入った子どもみたいなものだった。レッキング・クルーのふたりのトランペッターは、ほんとうに破裂しそうになるまで食べまくっていた。

最後に、わたしはマイケルに、なんだってこんな金のかかるセッションをやったのかときいた。政府が彼のポケットから五万ドルをもっていこうとしているので、税金を払うかわりに、この騒々しい帳尻合わせをすることに決めたのだ、というのが彼の説明だった。これで彼は国税庁とケンカしないですみ、われわれの年金プランもちょっとしたカンフル剤を打ちこまれて、八方が丸くおさまったのだった。

とまあ、そういう馬鹿騒ぎのパーティーだったのであります。このセッションが終わったとき、トミー・テデスコがフェンダー・テレキャスターを天井に向かって投げ上げ、それが床に激突する音も盤に記録されています。さらにトミーは、壊れたテレキャスターを額縁に収め、自宅に飾っていたことも、ハリウッド音楽ファンにはよく知られている逸話です。

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◆ 善意の人 ◆◆
そのようにして、ショーティー・ロジャーズに対するわたしの関心ははじまり、ときおり盤を買ったりしていましたが、そろそろ時間切れになってきたので、あとはすこしエピソードを加えるだけにとどめ、本日はこのへんでおしまいということにさせていただき、彼のさまざまな仕事については、またの機会に譲ることにさせていただきます。

f0147840_116332.jpgロジャーズは、ボビー・ジェントリーのデビュー盤、Ode to Billie Joe(1967年)のアレンジによって、ジミー・ハスケルとともにグラミーを得ています。また、フランク・シナトラがジャンキーのドラマーに扮した映画『黄金の腕の男』では、じっさいの音はロジャーズのバンドが担当し、どうやらロジャーズはスクリーンにも登場したようです。

つぎは、ヘンリー・マンシーニが自伝に書いたエピソード。すでにマンシーニの記事に書いていますが、ロジャーズのエピソードとして繰り返しておきます。

f0147840_11410100.jpgユニヴァーサル映画から馘首されたマンシーニは、旧知のブレイク・エドワーズのすすめで、彼が監督をすることになっていたテレビ・ドラマ、Peter Gunnの音楽を担当することになります。この音楽が評判を喚び、マンシーニにアルバム化の話が持ち込まれました。会社は、アーティストとしてはショーティー・ロジャーズがいいだろうという意見で、マンシーニはロジャーズに会うことになりました。マンシーニの話を聞いたロジャーズは、やってもいいけれど、これはきみのベイビーなのだから、きみ自身の名前で盤をつくるべきじゃないかと、マンシーニにすすめたのだそうです。

結局、マンシーニ名義でリリースされたPete Gunnのサントラは、グラミー賞発足初年度のAlbum of the Yearを受賞し、マンシーニは名声への第一歩を踏みだすことになります。自伝のなかで、当然ながら、マンシーニはロジャーズに深く感謝しています。ハリウッドを代表するセッション・シンガーであるトム・ベイラーも、パートリッジ・ファミリーの仕事で知り合ったロジャーズについて、very sweet、すごく付き合いやすい人物だったと褒めちぎっています。この話からも、ロジャーズの人柄のよさがうかがえます。

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by songsf4s | 2008-01-14 23:56
Snowfall by Henry Mancini
タイトル
Snowfall
アーティスト
Henry Mancini
ライター
Claude Thornhill, Ruth Thornhill
収録アルバム
The Mancini Touch
リリース年
1959年
他のヴァージョン
Avalanches, Claude Thornhill, Doris Day, Bill May (retitled as "Snowfall Cha-Cha"), Billy May with George Shearing, Steve Allen, Jackie Gleason, Esquivel, the Soulful Strings, Malcolm Lockyer, Pete Rugolo, Dick Hyman
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以前にもいいましたが、冬の曲はつねに「危機」にさらされています。すきあらばクリスマス・ソングに取り込もうと、虎視眈々と狙っているレコーディング・アーティストやクリスマス・アルバム編集者が山ほどいるからです。

じつは本日の曲、Snowfallに関していえば、もうクリスマス・ソング側の強奪を阻止するには手遅れなのです。うちにあるこの曲の半数以上がクリスマス・アルバム収録のものだからです。でもまあ、略奪にあったようなものだから、こっちが勝手に、再度、冬の曲に奪取しても、べつに問題なかろうと考えます。

ちゃんと調べたわけではないのですが、Snowfallはたぶん、もともとはインストゥルメンタル曲で、歌詞はあとからつけられたものではないでしょうか。ここにあげたものは、ほとんどがインストです。

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◆ ひらり、ひらりと舞い落ちる単語 ◆◆
ウェブでドリス・デイ盤を見つけてしまったので聴いてみました。聴いちゃった以上、なかったことにするのもなんなので、いちおう歌詞を聴き取ってみました。わたしの聴き取りだけで、他に参照するものがなかったのですが、まあ、大丈夫でしょう。ドリス・デイのディクションはいいし、ただの単語の羅列ですから。

Snowfall, snowfall, glistening snowfall
Snowflakes falling, winter calling

Frozen lace, every place, down they come
Twirling, tumbling, lightening, brightening, lovely snowfall

Lightly, brightly, lovely snowfall
Lovely snowfall

以上、ヴァース、ブリッジ、ヴァース、すべてを書きました。やりにくいので、日本語に移すのはやめておきます。glistenは「輝く」という意味で、White Christmasにも出てきます。twirlは、「バトン・トワリング」でわかるように、くるくる廻ること。この場合は、旋回する、あたりでしょうか。つぎのtumblingと合わせて、真っ直ぐ降らずに、あちこちへ揺れ動きながら降ることをいっているだけです。

f0147840_0215225.jpgほかには面倒なことはないように思いますが、もうすこし見ておきますか。frozen laceは「凍りついたレース」、もちろん競争のことではなく、編み物のレース。down they comeは、they come downの倒置による詩的表現です。

作詞家は、こんな曲に詞をつけろといわれて苦しんだと思います。苦しんだ結果、お互いのあいだの距離を大きく開けて、ものすごくまばらに単語をぽつぽつと点綴するという表現形式を選んだのでしょう。意図したものかどうかはわかりませんが、豪雪や吹雪ではなく、降りはじめの雪のように、ときおり、ひらひらと単語が降ってくるあたり、悪くない仕事だと感じます。

ウェブでみたところでは、つぎのようなヴァリアントもあるようです。だれのヴァージョンかはわかりません。

Snowfall softly, gently drift down
Snowflakes whisper 'neath my window
Covering trees misty white
Velvet breeze 'round my doorstep
Gently, softly, silent snowfall

◆ ヘンリー・マンシーニ盤 ◆◆
さて、まだ看板を決めずに書いているのですが、だれのものがいいでしょうかね。

f0147840_239034.jpgいちばんよく聴いたのはヘンリー・マンシーニ盤です。ほかのものと比較すると明瞭になるのですが、ヘンリー・マンシーニのアレンジというのは、つねにハイパー・スムーズです。作曲家として有名な人ですし、じっさい、いい曲を山ほど書いているので、忘れそうになりますが、アレンジャーとしても第一級の腕をもっています。そうじゃなければ、映画スコアは書けないのだから、当たり前ですが。

もちろん、譜面だけでは音楽にはなりません。レコーディッド・ミュージックの歴史とは、すなわち、音の感触の変化の歴史です。スタジオとマイクとミキシング・コンソールで、どういう音のテクスチャーをつくるかが勝負なのです。

マンシーニのアルバムというのは、いわばあの時代、すなわち全盛時である50年代終わりから60年代にかけてのハリウッド音楽の精粋です。プレイヤーもエースばかり、スタジオもエンジニアも第一級、アレンジとコンダクトは当代一の映画音楽作曲家にして、一流アレンジャー、そして、人気者のバンド・リーダーなのですから、どうまちがっても、ひどいものができてしまうはずがないのです。当然、Snowfallもいつものマンシーニのトラックの水準を維持したものになっています。

◆ アヴァランシェーズ盤 ◆◆
f0147840_23125533.jpgわがアヴァランシェーズもSnowfallをやっています。ビリー・ストレンジとトミー・テデスコという、ハリウッドのギター・プレイヤーを代表する両巨頭の共演盤ではありますし、ドラムはハル・ブレインなので、この三人の活躍が目立つのですが、アルバムを通して聴くと、意外にも、キーボードのアル・ディローリーの上品な味わいのプレイが印象に残ります。

この曲では、ギターは2拍目および半拍遅れた3拍目だけを弾くコード・カッティング(彼らはこういうプレイをchinkと呼ぶ。chinkとは「チリン」「カチン」といったオノマトペ。われわれが「チャッと弾く」というのと同じ)なので、活躍しません。主役はあくまでもアル・ディローリーのピアノです。

f0147840_23135540.jpg作者のクロード・ソーンヒルはピアニストですから、もともとがピアノのための曲のように思えます。アル・ディローリーは、クロード・ソーンヒルよりも装飾音を増やしたプレイをしていて(といっても、いずれにせよストイックなプレイなのですが)、このメロディーのキラキラと輝くような雰囲気をいっそう強めています。

ハル・ブレインという人は、しばしば奇手を繰り出すところがあって、そのへんもまた大きな魅力なのですが、この曲でも、彼しかしないような変なことをやっています。スネアはギターのチンクにピッタリ合わせて、2拍目と半拍遅らせた3拍目を叩いているのですが(いや、2&4、すなわちバックビートの観点からいえば、4を早くしたとみなすこともできる)、そのあと、半拍遅らせた4拍目を、タムタムで叩いているのです。しかも、ふつうのヒットではなく、フラムを使っているのです。

フラム(昔のブラスバンドの教育では「フラ打ち」と呼んでいた)とは、左右両方のスティックで「ほぼ」同時にヒットすることをいいます。ここでだいじなのは「ほぼ」というところで、ほんのかすかに左右のヒットの瞬間をずらさなくてはいけないのです。このズレの効果に主眼があるプレイだからです。

よけいな蘊蓄になりますが、ロック・バンドはいざ知らず、ブラスバンドの世界では、フラムにもちゃんと左右の区別があります。右のスティックから先に行くか、左のスティックから先に行くかで区別するのです。子どものころ、左右交互にフラムで四分音符を叩く練習をイヤというほどやらされ、ネを上げたことがあります。しばらくのあいだはいいのですが、長時間やっていると、脚の動きを意識して階段を上るような状態になり、「踏みまちがえ」をやってしまうのです。いまでは、もうできないでしょう。

f0147840_23145779.jpgロック・バンドでは、好きなほうを使えばいいのであって、左右を区別しません。ハル・ブレインも、左右どちらかは知らず(右利きなら、たぶん右のスティックを先に下ろす)、片方のフラムしか使っていないでしょう。それでも、これは変なプレイです。たぶん、ギターのチンクのあとのほう、半拍遅れた三拍目に対するカウンターとしての効果を狙ったものですが、だれでもこういう演出を考えつくと思ったら大まちがいで、「小さな工夫、大きな親切」の人、ハル・ブレインだからこそ考えついた、ささやかな、しかし、目立つプレイです。

ハル・ブレインがフラムを大々的に使った曲としては、ほかに、サム・クックのAnother Saturday Night、フィル・スペクター(ボビー・ソックス&ザ・ブルージーンズ名義)のDr. Kaplan's Officeがあります。どちらもvery unusualなプレイで、ファンは必聴です。

◆ ビリー・メイ盤 ◆◆
ハリウッドを代表するアレンジャーにして、オーケストラ・リーダーであるビリー・メイのSnowfallは2種類あります。Snowfall-Cha-Chaと改題してあることでわかるように、チャチャチャ・アレンジです。でも、そういわれなければ、これがチャチャチャだと思う人は多くないのじゃないでしょうか。テンポはゆるめで、チャチャチャを思わせるのは、コンガとボンゴだけだからです。4拍目にアクセントを置くこともチャチャチャのスタイルなのかもしれませんが。

f0147840_23163311.jpgSnowfallのアレンジには、「フワフワ」系統と、「キラキラ」系統の2種類があります。ピアノをリード楽器にしないとキラキラ感は出ません。ビリー・メイは管(主としてフルートとクラリネット)のアンサンブルでやっているので、「フワフワ」系です。これはこれでなかなかけっこうな出来だと思います。

もうひとつ、ビリー・メイとジョージ・シアリングが共演したヴァージョンもあります。こちらのタイトルは、Snowfall-Snowfall Cha-Chaとなっていて、前半は弦のアンサンブルとジョージ・シアリングのピアノによるオーソドクスな「キラキラ」系、後半はパーカッションが加わったチャチャチャになる趣向です。こちらもなかなかけっこうな出来かと思います。ビリー・メイのアレンジはどれも面白くて、ちょっと集めたくなる人です。さすがは、シナトラのアレンジャー、ただ者ではありません。

◆ 他のヴァージョン1 ◆◆
f0147840_2333391.jpgドリス・デイのファンではないのですが、彼女のSnowfallも、なかなかけっこうなアレンジです。フレンチ・ホルンを中心にした管のアレンジにも、ドラムやギターの扱いにも、ゴードン・ジェンキンズの雰囲気があります。ジェンキンズ本人のアレンジならいいのですが、そうでなかった場合、つまり、こういうジェンキンズ・スタイルを継承した人がいるのなら、だれなのか知りたいものです。

f0147840_2333558.jpg作者であるクロード・ソーンヒルのヴァージョンは、管のアンサンブルとピアノによるものですが、フォルテシモで入ってくる管には、フワフワ感もキラキラ感もなく、わたしとしてはちょっと違和を覚えます。テーマをちょっとやると、すぐにインプロヴが混入したりするところも好みではありません。アル・ディローリーのように、あくまでもストイックにメロディーを弾くほうが好みです。毎度いいますが、インプロヴといえば聞こえはいいものの、要するに「その場の思いつき」にすぎません。練りに練り上げたメロディーとはくらべようがないのです。

f0147840_2338316.jpgスティーヴ・アレンというのは、ヴォードヴィリアン/司会者/ノヴェルティー・シンガーだと思っていたのですが、彼のSnowfallはストレートなオーケストラ・ミュージックです。アレンジャーがだれなのかわかりませんが、オーソドクスなキラキラ系Snowfallで、そのかぎりにおいては悪くないのですが、クロード・ソーンヒル同様、デカい音の管のオブリガートが不法侵入してくるところが、気分を壊します。

f0147840_23355484.jpgエスクィヴァルのクリスマス・アルバムにもSnowfallは収録されています。エスクィヴァルはいろいろ変なことをやる珍芸派ですが、Snowfallのアレンジは、あまり珍なところのない、比較的素直なキラキラ系アレンジです。ディテールが豊富で、さすがにたいしたものだと思います。こういう風に、ちょっとした細部だけにいろいろ異なった楽器を使うと、コストがかかります。その負担をいとわなかったことが、この人がいまでも一部で根強い人気を誇っている理由でしょう。

同じプレイヤーに楽器を持ち替えてもらったら、コストはかからないだろうって? 残念でした。アメリカ音楽家組合(AFM)のミュージシャンを雇った場合、楽器を持ち替えたら、2人分の料金を請求されるのです。たとえば、ハル・ブレインにドラムをプレイしてもらったあとで、マラカスのオーヴァーダブをやってもらい、トミー・テデスコにギターを弾いてもらったあとで、マンドリンのオーヴァーダブをやってもらったとしますね。これで楽器は4種類、4人のプレイヤーを雇ったのと同じ料金がかかり、ハルとトミーは一度のセッションで、通常の倍の料金を手にします。

こういうおいしい仕事の競争、つまり、一度のセッションで何倍の料金を得られるかという競争を、トミー・テデスコとやったことがあると、ハル・ブレインがいっています。やらずぶったくりのように見えますが、さまざまな楽器をプレイできるというのは、その人の能力と努力の問題なので、当然の技術料です。トミー・テデスコがいつも車に山ほど楽器を積んでいたのは、シャレでもなければ伊達でもなく、いつなんどき、なにを要求されても、即座に対応できるようにし、稼ぎを倍増、三倍増するチャンスを逃さないようにするという、プロとしての心がけなのです。

◆ 他のヴァージョン2 ◆◆
f0147840_2343435.jpgレイ・チャールズ・シンガーズ、といっても、「あのレイ・チャールズ」とはなんの関係もありません。「あのレイ・チャールズ」のバックグラウンド・シンガー・グループは、「レイレッツ」という名前なので、混同なさらないように。レイ・チャールズ・シンガーズは、要するに大人数のコーラス・グループです。こういうのが流行った時代もあったようですが、子どものころ、もっとも苦手としたタイプの音楽で、いまもって、あまりなじめません。ドリス・デイ盤のライター・クレジットは、クロード・ソーンヒルとレイ・チャールズとなっているので、よけいなお世話の歌詞を書いたのは、(「あのレイ・チャールズ」ではないのほうの)「このレイ・チャールズ」なのでしょう。

f0147840_23445550.jpgソウルフル・ストリングス盤なんていうのもあります。Space Age Pop Musicによると、チェス・レコードのサブ・レーベルであるキャデットが、リチャード・エヴァンズなるリーダーにやらせたスタジオ・プロジェクトだそうです。シカゴなんかで、こんなオーケストラを録っていたのだろうか、なんて思っちゃいますが、シカゴにはシンフォニー・オーケストラもあることですから、そのへんの人たちを雇えば、なんとかなるのでしょう。ポップ・オーケストラ・ミュージックの本場はあくまでもハリウッドですが、シカゴも健闘しています。パーカッションの扱いから考えて、ビリー・メイ盤を参照したと感じます。ちょっとチャチャチャ風味。

マルカム・ロキャ(Lockyerというスペルなのに、「マルコム・ロックヤー」なんていう、ありえない赤の他人表記をしているところがあるので、固有名詞発音辞典で確認した。アクセントは第一シラブルなので、「ローキャ」も可)なんていうひとのヴァージョンもあります。映画音楽もやったオーケストラ・リーダーのようです。他のヴァージョンにくらべてスロウで、「キラキラ」系と「フワフワ」系を融合したハイブリッド型。どちらかというと、フワフワ寄りですが。

f0147840_2346323.jpgまだあるな、まいったなあ、ですが、つぎはジャッキー・グリーソン。ジャッキー・グリーソンだから、Snowfallも当然テンポはスロウで、フワフワ・ドリーミー・アレンジです。薄いミックスながら、ヴァースではなんだかロシア民謡のような男性コーラスが聞こえ、ちょっと珍。またしても、女性ソプラノだか、テレミンだか判別のむずかしい音がしています。こちらはたぶんテレミン。ハリウッドのオーケストラ・リーダーはこの楽器を好んだ節があります。

ディック・ハイマン盤は、ピアノだけのキラキラ系アレンジ。左手のアルペジオと右手のメロディーだけのところはけっこうですが、ちょっと腕を見せようと、ハイテクニックを弄し、フォルテになったりするところは、キラキラ感、ドリーミー感をおおいに損なっていて、もっとストイックにやってほしいと感じます。アヴァランシェーズ盤のアル・ディローリーのような、リスナーが感じる気分に対する配慮がありません。

f0147840_23491840.jpgまあ、アル・ディローリーはたんなる一介のピアニストではなく、ヒットを連発したキャピトル・レコードの敏腕プロデューサーでもあるので、そういう人に負けても恥じではありませんが、でも、こういうところで、盤の作り方を熟知している人、「サウンド」というものの重要性のわかっている人と、ただプレイをすることしか知らない人との大きな落差を感じます。わたしが尊敬し、愛しているのは、すぐれたサウンド・メイカーのほうです。

いやあ、久しぶりにドカーンとヴァージョンがあって、疲れました。インストだから楽勝だと思ってとりかかったのです。古今亭志ん生いうところの「赤坂な」考えでした。
by songsf4s | 2008-01-11 23:54 | 冬の歌
Ski Surfin' by Avalanches
タイトル
Ski Surfin'
アーティスト
Avalanches
ライター
Wayne Shanklin
収録アルバム
Ski Surfin'
リリース年
1964年
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正月休みはいかがお過ごしでしたでしょうか。わが家では、初詣のあと、七福神巡りでもしようかと思ったのですが、福禄寿、恵比寿の二福であえなく挫折しました。なにしろ、肝心の弁天さんがいらっしゃるのが鶴岡八幡宮と江ノ島というのだから、混雑でとうていたどり着けなかったのです。恵比寿堂のある本覚寺は、境内にたくさん屋台も出て、ほどよいにぎわいが心地よいものでした。

落語「七福神」では、「おいおい、船屋さん、うちには七福あるといったが、それではまだ二福じゃないか」と旦那がいうと、船屋は「いえ、二福でいいんです。旦那が大黒様、お嬢様が弁天様、お宅は呉服屋さん、しめて七福です」というサゲになっています。わが家は呉服屋ではないので、残念ながら、まだ五福足りないままです。

◆ ヴェンチャーズ・セッションのレギュラーたちによるワン・ショット・プロジェクト ◆◆
本日はクリスマス・ソング特集ですでに何度も取り上げた、アヴァランシェーズの登場です。しかし、クリスマス・ソング特集で小出しにした彼らの曲は、いわば露払い、アルバム・タイトルになっていることでもわかるように、今日のSki Surfin'が、楽曲といい、軽快なアレンジといい、豪快なプレイといい、冬の曲にはめずらしい明るさといい、際だってすぐれたトラックなのです。

冬の歌にも明るく楽しいものがないわけではありませんが、なんたって寒いので、気分はしぼみがち、ダウナーな曲へと向かう傾向があるようです。ふと思ったのですが、その根本原因はクリスマスではないでしょうか。

どういうことかというと、明るく楽しい冬の曲は、どんどんクリスマス・ソングに吸収されてしまうように思われるのです。Let It Snow!しかり、Baby It's Cold Outsideしかり、I've Got My Love to Keep Me Warmしかり、Warm Decemberしかり、みな、たんなる冬の曲でしかないものが、クリスマス・ソングとして扱われるようになったものです。かくして、ダウナーな冬の曲だけが取り残されることになるというしだい。

あまりアップテンポが似合わない季節のようですが、わが家にある冬の曲でアップテンポのものというと、なんといってもこのSki Surfin'なのです。これがクリスマス・ソングにとりこまれずに残っていたのは、アヴァランシェーズが無名だからに過ぎないのではないでしょうか。Ski Surfin'が仮にヴェンチャーズ名義だったら、とうの昔にクリスマス・アルバムにじゃんじゃん収録されるようになっていて、冬の歌のほうに繰り込むことは不可能になっていたでしょう。

しかし、アヴァランシェーズというワン・ショットのスタジオ・プロジェクトに参加したメンバーは、初期ヴェンチャーズ・セッションのレギュラーたちです。ビリー・ストレンジ、トミー・テデスコというハリウッドを代表するエース・ギタリスト、ドラムのハル・ブレインの3人は、初期ヴェンチャーズを支えたプレイヤーたちですし、ベースのデイヴィッド・ゲイツも、上記3人ほどではないにしても、ヴェンチャーズの録音に(および、ときにはツアーにも)参加したプレイヤーです。

このメンバーを見ただけで、音を聴かなくても予想がつくのですが、じっさいのサウンドもじつにすばらしいものです。アルバム全体を見ても、捨てるところのない充実した出来ですが、とりわけSki Surfin'は、軽快なグルーヴ、予想外のところに飛ぶコード(Eではじまった曲が、最後はAb7になる。このヴァースとブリッジの対照がじつによろしい)と、半音が入る奇妙なスケールのメロディー・ラインが相まって、60年代ギター・インストゥルメンタルのなかでも、白眉といえるトラックになっています。

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ビリー・ストレンジとトミー・テデスコという組み合わせだと、両方とも大エース・ギタリストなので、格によって自動的にリードが決まるというわけにはいきません。はじめて聴いたとき、どちらがどのパートをプレイしているのか、わたしには判断できませんでした。そこで、ビリー御大と知り合ったころ、Ski Surfin'では、どちらがヴァースを弾き、どちらがブリッジを弾いているのかとお伺いをたててみました。御大の回答は「あのころ、トミーとはリックを交換し合っていたから、いまとなっては、わたしにもどちらがどちらなのかわからない」というものでした!

トミー・テデスコすでに没し、ビリー・ストレンジ親分にはもはや判断がつけられないとなれば、われわれが好きに想像していいことになります。わたしの判断は、ヴァースでメロディーを弾くだけのプレイはビリー、ブリッジの暴れるプレイはトミー、というものです。いや、自信はありません。ビリー・ストレンジというプレイヤーは、メロディー・ラインを美しく弾くことにかけては、ハリウッドのエースのなかでも抜きんでていた、という事実だけを頼りにしての判断です。

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トミー・テデスコ。弦の張ってあるものならなんでもござれ。

◆ 文句なしのナンバーワン ◆◆
f0147840_23561149.jpgアヴァランシェーズのSki Surfin'は、かつてはサーフ&ロッド・アンソロジーに一度収録されたことがあるだけで、全体を聴くには、中古LPを手に入れなければなりませんでしたが、近年、ようやくCD化されたので、いまではその気になれば、いつでも聴くことができます。

ビリー・ストレンジ氏にヴェンチャーズ・セッションについて問い合わせをしたとき、当時、仲間内で評判になっていたアヴァランシェーズについて、そういう名義で盤をつくったのをご記憶ですか、とたずねてみました(ハリウッドのスタジオ・エースたちは、たいていが万単位の曲を録音しているので、記憶していないものも数知れずある)。御大は、よく覚えている、聴いてみたいが、手もとに盤がない、とおっしゃっていました。すぐにレッキング・クルーMLのオオノさんがLPを発掘し、それをディジタル化して、ビリー御大にプレゼントできたのは、われわれの喜びとするところでした。

f0147840_23545276.jpgプレイしたご当人もぜひ聴いてみたいとおっしゃるほどの盤です。これが埋もれてしまったのは、たんなる不運にすぎず、「実力」のしからしむるところではありません。ヴェンチャーズ名義だったら、代表作のひとつに数えられていたことでしょう。好みだけでいえば、60年代のギター・インスト・アルバムのナンバーワンです。ご興味のある方は、とりあえず、右のFriendsリンクからAdd More Musicに飛び、「Rare Inst. LP」ページで、LPリップをお聴きになってみてください。

Ski Surfin'というタイトルのアルバムなので、クリスマス・ソング特集ですでに取り上げたSleigh RideBaby It's Cold OutsideI've Got My Love to Keep Me Warmのみならず、ほかにも冬の曲が満載されています。残りのトラックについては、これから二月いっぱいくらいで、おいおい取り上げることになるでしょう。なにしろ、わたしにとってのナンバーワン・インスト・アルバムなので、3曲や4曲取り上げたくらいで終わらせるつもりはないのです。
by songsf4s | 2008-01-05 23:55 | 冬の歌
Christmas (Baby Please Come Home) by Darlene Love
タイトル
Christmas (Baby Please Come Home)
アーティスト
Darlene Love
ライター
Phil Spector, Ellie Greenwich, Jeff Barry
収録アルバム
A Christmas Gift for You from Phil Spector
リリース年
1963年
他のヴァージョン
Darlene Love (retitled as "Johnny (Please Come Home)," a non-Christmas song with altnernative lyrics)
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以前にも書きましたが、世の中にはカヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、アンタッチャブルの傑作というものがあります。このフィル・スペクター/ダーリーン・ラヴのChristmas (Baby Please Come Home)はまさに、だれもカヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、イントロからフェイドアウトまで、どこにも瑕瑾のない完璧な傑作です。

◆ And all the fun we had last year ◆◆
それでは恒例により歌詞を見ていきます。じっさい、わたしはこの曲については、何年も前に書き尽くしてしまったので、あとは歌詞の解釈ぐらいしか書くことがないのです。

The snow's coming down
I'm watching it fall
Lots of people around
Baby please come home

「雪が降っている、わたしはそれを見ている、あたりにはおおぜいの人がいる、ベイビー、お願いだから家に帰ってきて」

雪のつぎにおおぜいの人が出てくるのは、たぶん、雪が降ってきて、近所の人がおもてに出、雪だ、雪だ、といっている、ということなのではないでしょうか。そのつぎに、帰ってきて、となるのは、なんとなくわかるような感じはします。みんないる、足りないのはあなただけ、というあたりでは?

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セカンド・ヴァース。

The church bells in town
All singing in song
Full of happy sounds
Baby please come home

「町じゅうの教会の鐘が和して歌うように鳴っている、幸せな音があたりに満ちている、ベイビー、お願いだから帰ってきて」

つづいてブリッジ。ヴァースとはコード進行をわずかに変え、ストップ・タイムを使った、せつない、せつないブリッジです。

They're singing "Deck The Halls"
But it's not like Christmas at all
'Cause I remember when you were here
And all the fun we had last year

「みんなは『Deck the Halls』を歌っている、でも、クリスマスらしさなんかまったく感じない、あなたがここにいて、いっしょに楽しく過ごした去年のことを覚えているから」

曲を聴きながら書いているのですが、ここは涙なくしては聴けない8小節です。どこへいってもにぎやかにクリスマス・ソングが流れている、行き交う人はみな、恋人や家族といっしょにいる、ひとり歩く人はクリスマス・プレゼントの包みをもって楽しげに家路を急いでいる、どの顔も笑顔、笑顔、笑顔なのだから、ひとりぼっちなのは世界で自分ひとり、という気分でしょう。惻々と胸をうつ、いいブリッジです。

サード・ヴァース。

Pretty lights on the tree
I'm watching them shine
You should be here with me
Baby please come home

「トゥリーにはきれいな灯をつけた、わたしはそれが光るのを見つめている、あなたもここにいて、これをいっしょに見なくてどうするの、ベイビー、お願いだから帰ってきて」

このクリスマス・トゥリーがどこにあるのかは明示されていないので、lights on the treeは、自分でつけたのか、あるいは、公共の場のトゥリーで、たんに「そこにある」というニュートラルな表現かはわかりません。でも、自分の家のクリスマス・トゥリーだと受け取ったほうがいいでしょう。さらにいえば、いま飾りつけをしていて、去年のことを思いだし、たまらなくなった、と見るのが適当と感じます。

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スティーヴ・ダグラスのテナー・サックスによる間奏、そして、もう一度ブリッジを繰り返し、最後のヴァースへ。

If there was a way
I'd hold back this tear
But it's Christmas day
Please
Please
Please
Please
Baby please come home

「なにか方法があるのなら、この涙を止めるわよ、でも、今日はクリスマスなのよ、お願いだから、お願いだから、お願いだから、お願いだからベイビー、家に帰ってきて」

◆ Christmas (Baby Please Come Home) の「位置」 ◆◆
この曲については、とくに書くべきことはあまり残っていないようです。史上最高のクリスマス・アルバムのなかで、もっとも重要な場所に配置された、もっとも重要な曲、この曲を聴かせるために、この傑作アルバムはつくられ、曲順が決められたと考えています。

このクリスマス・アルバムの最後に配置されたSilent Nightは、歌というより、音楽をバックにしたフィル・スペクターの挨拶で、いわばあとがきのようなもの、本編ではありません。その前のHere Comes Santa Clausは、軽い仕上げになっていて、これはカーテン・コールのようなものです。

このアルバムのほんとうのエンディング、クライマクスは、さらにそのまえの曲、このChristmas (Baby Please Come Home)であることは明らかです。それは、この曲が、このアルバムのなかで、唯一の新曲、オリジナル曲であることからもわかります。そしてなによりも、完璧に仕上げられたトラックの出来に、それがあらわれています。

四分三連のフィルインをはじめ、この曲でハル・ブレインがどういうプレイをし、それはどのような考えから適用されたかという点については、数年前に長い論考を書いたので、ご興味のある方は、そちらをごらんいただければと思います。

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Christmas (Baby Please Come Home)は、シングル・カットされましたが、ヒットにはいたりませんでした。フィル・スペクターはこの曲に思いを残したようで、のちに同じダーリーン・ラヴのヴォーカルで、Johnny (Baby Please Come Home)と改題、改作して、クリスマス・ソングではない、ふつうの曲として(ただし、オリジナル・トラックを流用し)再録音しています。しかし、クリスマスの浮き立つような華やかさのなかでの孤独というテーマが、いかに切実なものだったかを改めて感じさせるような出来に終わっています。

◆ And all the fun we'll have next year ◆◆
このアルバムは、フィル・スペクターのおおいなる意気込みに反して、ヒットしませんでした。絶頂期にあったスペクターの、この不可解な失敗の原因は、昔からしばしば、その直前のケネディー暗殺事件によって、アメリカ国民がクリスマス気分ではなくなったため、というように説明されています。

「馬鹿が凝り固まっちゃったよ、この人は」と古今亭志ん生が墓の下で笑うでしょう。明治大帝崩御、歌舞音曲停止じゃあるまいし、そんなゴミみたいな説明が、あたりまえのように出版物やライナーに書かれているのを見るたびに、わたしは憤っています。

アホらしいほど初歩的な「初動捜査」手順があります。こういう質問を発してみればいいだけです。じゃあ、ほかのクリスマス・アルバムもみな失敗したのか? ノーです。売れたクリスマス・アルバムはあります(チップマンクス、ナット・コール、ロバート・グーレ、ベルト・ケンプフェルト、マントヴァーニ、ジョニー・マティス、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ、アンディー・ウィリアムズのアルバムは、ビルボード・クリスマス・チャートに入っている)。ケネディー暗殺など、まったく無関係であることは、「事件」の端緒のときから明々白々のことでした。

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羊が一匹、気まぐれにふらふらしながら、草を食べていきました。つぎにきた羊は、前の羊が食べていった跡にしたがって、また草を食べながら歩いていきました。つぎの羊もまた前の羊の歩いたとおりにたどりました。やがて踏み固められ、それは道になりました。ただし、ひどく曲がりくねった、遠まわりな道に。

「定説」というのは、おおむね、こういうものだとわたしは考えています。曲がりくねった不自然な「定説」を見るたびに、わたしは疑いをもちます。前に通った羊のことなど、まったく信用しません。ただのぼんやりした気まぐれな羊である可能性のほうが、鋭敏で思慮深い羊である可能性より、はるかに高いのです。

なぜこのアルバムが失敗したかについて、いまのわたしに明快な説明がつけられるわけではありません。今の段階でいえることは、愚にもつかない「定説」はドブに捨てよう、そして、もう一度、あの時代の音楽とフィル・スペクターの音楽の関係を考え直してみよう、ということだけです。

このアルバムの失敗の向こう側には、ちゃんとした音楽的な理由があります。わたしにはそれが「わかって」います。フィル・スペクターがつくろうとした音と、人々が聴きたがっていた音とのあいだに横たわっていた溝を覗きこみ、微細な証拠を採取しましょう。音を聴き、音を考えなければ、音楽のことはわかりません。新聞記事やテレビニュースで、音楽史上の事件を解決しようとする愚は、そろそろやめるべきときがきています。はじめからしてはいけないことをしてしまったのは、明らかではないですか。音楽のことは音楽にきけ、です。

この問題を突き詰めていけば、かならず、60年代の音楽の本質に突きあたるはずです。いまの段階でも、発してみるべき質問がいくつかあります。正しい質問は、解答への扉です。来年のクリスマス特集には、なにか仮説を提出できるでしょう。季節が一巡りするあいだだけやろう、と考えてはじめたこのブログが、一年後にもまだ存在していれば、の話ですが。
by songsf4s | 2007-12-24 00:32 | クリスマス・ソング
Frosty the Snowman by Bing Crosby
タイトル
Frosty the Snowman
アーティスト
Bing Crosby
ライター
Bob Thompson, Jack Halloran, Peter Matz
収録アルバム
Christmas Cocktails Part 3 (Ultra Lounge Series)
リリース年
1962年
他のヴァージョン
The Ronettes, the Chipmunks, Gene Autry, Willie Nelson, Fats Domino, the Ventures, Esquivel, Nat "King" Cole, Jan & Dean, the Beach Boys, Brenda Lee, Jimmy Durante with Jackie Vernon and June Foray, Ray Conniff, the Partridge Family, Jackson 5, Disney
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またまたヴァージョンの多い曲の登場です。しかし、ひととおり聴き直してみた結果、飛び抜けて出来がいいのは2種類のみだから、時間がなくなったら、残りはオミットすればいいので、楽勝です(なんて、いま言い切ってしまうと、あとで泣くかもしれませんが)。

しかし、問題があります。出来のよい二つのヴァージョン、ロネッツ盤とビング・クロスビー盤、どちらを先に立てるか決められないのです。いまはまだどちらでいくか決めていません。最後の5分間まで決まらないような気がします。心が決まるまでの時間、歌詞でも見てみましょう。

◆ トウモロコシの穂、ボタン、石炭 ◆◆
本日も子ども向けの歌詞です。子どもにとっては一年でいちばん楽しい時期だから、そういう歌が多いのは当然ですけれどね。子どもに話してきかせるお伽噺仕立ての曲なので、細かく割らずに、まず前半をひとまとめに。もちろん、さまざまなヴァリアントがありますが、以下の歌詞が一般的でしょう。

Frosty the snowman was a jolly happy soul
With a corncob pipe and a button nose and two eyes made out of coal
Frosty the snowman is a fairy tale, they say
He was made of snow but the children know that he came to life one day
There must have been some magic in that old silk hat they found
For when they placed it on his head he began to dance around
Frosty the snowman was alive as he could be
And the children say he could laugh and play just the same as you and me
Thumpetty thump thump thumpety thump thump
Look at Frosty go
Thumpetty thump thump thumpety thump thump
Over the hills of snow

「雪だるまのフロスティーは楽しい愉快なひと、トウモロコシの穂のパイプをくわえ、鼻はボタン、二つの目は石炭でできている、雪だるまのフロスティーなんてお伽噺だとみんなはいう、フロスティーは雪でできているけれど、子どもたちは知っている、彼がいつの日か命をもつことを、だれかが見つけたあの古ぼけたシルク・ハットには、なにか魔法が隠れていたにちがいない、あれをかぶったとたん、フロスティーが踊りだしちゃったのだから、雪だるまのフロスティーはどう見ても生きていた、子どもたちがいうには、彼はだれもと同じように、笑い、遊ぶのだそうな、バシャ、ドス、ドス、ドス、見てごらん、フロスティーが行く、バシャ、ドス、ドス、ドス、雪の積もった丘を越えて」

f0147840_0495948.jpgちょい意訳、すなわち不正確な解釈が入りましたが、だいたいにおいて合っているはずです。二つの異なる言語間の厳密に正確な互換性などありえないわけでしてね。とはいいながら、soulは少々問題ありです。ここでは霊魂、妖精などの意味で使っていると考えられますが、それでは落ち着きが悪いので、「ひと」としました。学齢前のお子さんにお話ししてやるなら、そういう言葉のほうがいいでしょう。

つづいて後半。これですべてです。いや、いろいろな演出法があり(たとえば、お話を聞く子どもとの対話をはさんだりする)、ヴァリアントが多数あるようですが、以下のような歌詞が平均的です。

Frosty the snowman knew the sun was hot that day
So he said, "Let's run and we'll have some fun now before I melt away"
Down to the village, with a broomstick in his hand
Running here and there all around the square, saying "Catch me if you can"
He led them down the streets of town right to the traffic cop
And he only paused a moment when he heard him holler "Stop!"
For Frosty the snow man had to hurry on his way
But he waved goodbye saying "Don't you cry. I'll be back again some day"

f0147840_051899.jpg「雪だるまのフロスティーは、その日は陽射しが強いとわかっていた、だから彼は、『溶けてしまう前に、走りまわって楽しく遊ぼうじゃないか』といった、箒を手に村に行き、『捕まえられるものなら、捕まえてごらん』と広場のあちこちを走りまわった、フロスティーはみんなを引き連れて通りを下り、交通整理のおまわりさんのところまで行った、立ち止まると、すぐにおまわりさんが「止まれ!」とさけぶ声が聞こえた、雪だるまのフロスティーは帰り道を急いでいたから、でも彼は『泣くことはないよ、またいつの日か戻ってくるからね』といって別れを告げたのだった」

◆ 大歌手ならではの味 ◆◆
この歌が多くのひとのイマジネーションをとらえた理由はよくわかります。笑わせて泣かせるという、藤山寛美の松竹新喜劇の骨法と同じ構造だからです。陽気さの裏に、まもなく消える「命」だという陰があるので、立体的な奥行きのあるお噺になっているのです。

そう考えれば、この曲の歌い方はひとつしかないことになります。ちょっと悲しい結末が待っているのだから、陽気に歌うしかないのです。スロウ・バラッドにして、しっとり歌っているヴァージョンがありますが、勘違いもはなはだしいというべきでしょう。

たしかに、テンポを落とすと、この曲のメロディー・ラインの美しさが際だちます。でも、それでは、まもなく消える命とわかっていながら、子どもたちとはしゃいでいるという、対比による奥行きが出ません。ただの堕落したお涙ちょうだい物語です。

f0147840_0522593.jpgビング・クロスビーは数多くのクリスマス・ソングを歌っているので、Frosty the Snowmanが、彼のクリスマス・ソングの代表作だなんてことはありません。でも、うちにある15種ほどのヴァージョンのなかで、もっともすぐれているもののひとつだと感じます。ほかのことをしながら流していて、このビング盤のイントロが流れた瞬間、音楽に注意が向きます。

ビング盤は1962年の録音なので、彼の全盛期はすぎていますが、幸いにも(といわざるをえないのですが)ビートルズがアメリカ音楽を大混乱に陥れる以前なので、大スター、大歌手のオーラがまだしっかりと彼を覆っています。ここがおそらくギリギリの時期でしょう。

1962年という時期は、サウンドのほうには好影響を与えています。もう3トラック・テープ・マシンによる、マルチ・トラック録音がはじまっているからです。イントロが流れた瞬間、まだビングの声が出てくる以前に、これはいい、と感じるのは、音の手ざわりに精彩があり、厚みと広がりがあるからです。

f0147840_0531236.jpgこれは、大歌手、売れている歌手の盤に共通する美点です。予算が潤沢で、トップ・クラスのスタッフがまじめにつくっているのです。悪い条件が好結果に結びつくこともあるのが、商業音楽のむずかしいところではあるのですが、クリスマス・ソングとなると、貧相なのは好ましくないに決まっているわけで、大歌手たちがいいクリスマス・アルバムを残しているのは、ある意味で当然なのです。トップ・アーティストの場合、面白くないクリスマス・アルバムができてしまったら、それは百パーセント歌手自身の責任といっていいでしょう。

過去に当ブログで、ビング・クロスビーを看板に立てたことがあるのはただ一度、Headless Horsemanのときだけです。まったくの偶然ですが、あれもまたハロウィーンに子どもに話してやる物語でした。じっさい、このFrosty the Snowmanも、ディクションが非常によく、子どもにも歌の意味がちゃんとわかるように歌われています。こういうところにも、やはり彼が並はずれた大歌手であったことがあらわれているように感じます。

◆ ロネッツ/フィル・スペクター盤 ◆◆
ロネッツのロニー・スペクターは、ビング・クロスビーとはまったく異なるタイプのシンガーですが、イントロが流れた瞬間、たちまちサウンドに引き込まれる点は、ビング盤とまったく同じです。

f0147840_0554971.jpgバンドの人数からいったら、フィル・スペクターがプロデュースした、ロネッツ盤Frosty the Snowmanより多いヴァージョンはいくらでもあります。でも、もっとも厚みと奥行きのある音になっているのはスペクター盤です。

よく、スペクターすなわちエコーのようにいわれます。たしかに、ゴールド・スター・スタジオの4連プレート・エコーがなければ、こんな音はつくれないにちがいありません。でも、それだけのことなら、スペクターでなくとも、同じ時代にゴールド・スター・スタジオをつかった人なら、だれでもつくれることになります。残念ながら、現実には、同時代のゴールド・スターで、深いエコーをかけたからといって、同じような圧倒的サウンドにはならないことは、すでに証明が終わっています。

たとえば、デイヴィッド・ゲイツがプロデュースしたガールフレンズのMy One and Only Jimmy Boyや、ロビン・ウォードのWonderful Summer、そして、ブライアン・ウィルソンがプロデュースしたビーチボーイズのDo You Wanna Danceをお聴きになればいいでしょう。たしかに、ゴールド・スターの4連エコーでなければ、こういうサウンドにはなりません。でも、それだからといって、フィル・スペクターのような圧倒的なものを感じるかといえば、ノーです。

スペクターの音は、エコーの靄に包まれてはいます。でも、それだけではないなにかが、エコーの靄の向こうにあるのが、つねに感じられます。彼のサウンドの中心には、強固な核があるのです。それが、彼と同時代に、ゴールド・スターで深いリヴァーブをかけて録った他の音楽とは決定的に異なる点です。

f0147840_0564528.jpgその核はなんなのか、表面的には2本ないし3本のベースに同じラインを弾かせていることなどがあげられはしますが、それだけのことでないのはいうまでもありません。非論理的な言い方になってしまいますが、常識はずれに長いリハーサル(これを嫌って、リオン・ラッセルはスペクターのセッションにいかなくなったし、長時間、12弦ギターを弾いていてたために手を切ったハワード・ロバーツは、後年、スペクターをきびしく指弾している)のあいだに、土台の地固めをするからだ、なんていいたくなります。

いや、冗談ではなく、スペクターがリハーサルにとほうもない時間をかけたのは、自然に「固まる」のを待っていたからではないかと思います。リヴァーブでぐずぐずに「煮込んで」も、型くずれのしない、強固な核ができるまでは、テイクに入れなかったのじゃないでしょうか。

この曲では、ハル・ブレインはBe My Babyを再演しています。イントロこそ、あのキック・ドラムではありませんが、あとはBe My Babyのビート・パターンをすこしだけスピードアップして、派手に、華やかにプレイしています。アヴァランシェーズのSleigh Ride同様、このフィル・スペクター盤Frosty the Snowmanもヴェンチャーズのクリスマス・アルバムに影響をあたえたにちがいありません。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_0575786.jpgまず、いいな、と思うのは、この曲のオリジナル・ヒット・ヴァージョンと思われるジーン・オートリー盤です。こういうあたたかい味わいのあるシンガーというのは、そうそういるものではなく、とりわけ現代にはどこにも見あたらなくなったものです。子どもに話しかけるFrosty the Snowmanのような曲にはぴったりで、アメリカの親たちは、この曲を子どもに買い与えるなら、いまでもオートリー盤を選ぶのではないかと想像します。そういう歌声です。

チップマンクス盤もいい出来です。この曲を歌うにはぴったりのキャラクターです。親はジーン・オートリー盤を与えたがるけれど、小さな子どもは、こっちがいい、とチップマンクスを選ぶのではないでしょうか。

f0147840_582070.jpgミッキー・マウスを中心とした、ディズニーのキャラクターたちの歌うヴァージョンは、日本の子どもが、声を聴いてそれとわかるわけではないので、あまり意味がないことになります。いまではDVDでしょうね。でも、クリスマス・アルバムはアートワークも非常に重要で、とくに子ども向けのものには、楽しいつくりのものがたくさんあります。子どもではなく、親のほうが幼い時代を懐かしんで、ディズニーのクリスマスLPをほしがるかもしれません。いや、LPとなると、世代的にはいまの親ではなく、その親、おじいちゃん、おばあちゃんですね。

ヴェンチャーズ盤は、子どものころからなじみなので、流れれば、うん、とうなずきはします。しかし、このアルバムの他のトラックにくらべると、それほどいいほうの部類とはいえないでしょう。アレンジはTequilaを借用しています。それも、オリジナルのチャンプス盤ではなく、彼ら自身のカヴァーをベースにしたという印象です。

ファッツ・ドミノのFrosty the Snowmanもわるくありません。お話おじさん的なキャラクターですからね。ファッツのクリスマス・アルバムの欠点は、予算不足が露骨に音の表面に浮き上がっていることです。ファッツ自身は、かつてのような味わいを失っていません。

とくに言及しておかなくてはならないのは、これくらいだと思います。あとは、それぞれのファンのためにやっているという感じで、それ以外の人には無関係という程度の出来でしょう。たとえば、ジャン&ディーンやビーチボーイズのファンは、やはり彼らのヴァージョンがほしいわけで、チップマンクスでもいい、というわけにはいかないでしょう。それだけの意味しかないと思います。

You Tubeにあるアニメは、映像より、音楽がいいと思いました。歌っているコーラス・グループの名前が知りたいところです。

いけない、やっぱり書き落としがありました。ウィリー・ネルソン盤も悪くない出来です。子ども向けの声とも思えないので、これは、クリスマスに子どものころのことを思いだしたい大人たちのためのヴァージョン、というところでしょうか。そうそう、エスクィヴァル盤も、例によって珍が入っていますが、悪くありません。

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by songsf4s | 2007-12-18 00:02 | クリスマス・ソング
White Christmas その2 by Darlene Love
タイトル
White Christmas
アーティスト
Darlene Love
ライター
Irving Berling
収録アルバム
A Christmas Gift for You from Phil Spector
リリース年
1963年
他のヴァージョン
別掲
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◆ お知らせ ◆◆
この記事は、画像アップロードの途中で文字数制限を超過したために、すでにひとつのものとして公開したものを、のちに分割した後半部分です。12月16日午前0時半からの1時間ほどのあいだにいらっしゃった10人ほどの方は、すでに以下のテキストはお読みになっています。

それ以外の方、当ブログでWhite Christmasの記事を読むのははじめてという方は、できれば前半のほうを先にお読みください。以下は、ひとつまえの記事のつづきです。

◆ フィル・スペクター盤: さらなる革命 ◆◆
しかし、最後まで、ドリフターズと看板を争ったのは、ビング・クロスビー盤ではありません。フィル・スペクターのクリスマス・アルバムのオープナー、ダーリーン・ラヴのヴァージョンです。

f0147840_4171535.jpgこういう記事を書くには、どうしたって、これから扱う曲をエンドレスに流しっぱなしにしているわけですが、ところどころに、イントロが流れた瞬間、グイと耳を引っ張られるヴァージョンが出現します。耳を引っ張られるといえば、なんといってもダーリーン・ラヴ盤のイントロです。もう、完璧! すばらしい響きです。このサウンドを得るまでに、フィル・スペクターとラリー・レヴィンがどれほど試行錯誤したかと思うと、なにやらこの世の地獄をかいま見るような気がするほどです。

でも、楽しかったのだろうなあ、と思います。理想の音を追求しているとき、ミュージシャンはやはり天国にいるにちがいありません。たとえ板子一枚下は地獄でも、「これだ!」と叫ぶような音が聞こえたときは、もう死んでもいいと思ったのじゃないでしょうか。いつまでも色褪せない、新鮮な響きがダーリーン・ラヴの、いや、フィル・スペクターのWhite Christmasにはあります。

f0147840_4185264.jpg細かいことをいうと、はじめて聴いたとき、ストップ・タイムのところで、ハッとしました。To hear sleigh bells in the snow, the snowの、あとのほうのthe snowのところです。ほかのヴァージョンにはないコードを使っているのです。キーをCに移調していうと、ここはGにいけばいいだけの箇所です。でも、スペクターはここにオーギュメントを使っているのです。Gなら「解決」した感覚になるのですが、Gaugだと、サスペンドした感じになります。これが新鮮かつチャーミングで、いいフックになっています。

ついでにいうと、ハル・ブレインは借りてきた猫のようにおとなしく叩いています。でも、エンディングでは、ちゃんと二分三連の強いキックの踏み込みをやって、これから繰り広げられる、ドラマーのストンピング・グラウンドの予告編がわりとしています。「まあ、あわてなさんな、まだまだこんなもんじゃない、お楽しみはこれからだぜ」とニヤリとハルが笑っている顔が見えるようです。

◆ オーケストラもの ◆◆
ほかに、イントロが流れた瞬間、いいサウンドだな、と感じるのは、まずヘンリー・マンシーニ盤です。管だけのイントロも、弦が加わってくるところもなかなかいい音です。お得意の混声コーラスも登場しますが、これはいつもよりドライな録音で、もっとウェットにしたほうがよかったような気もします。でも、その裏の管や弦のオブリガートはじつにきれいです。

f0147840_420988.jpg同じ系統でいうと、パーシー・フェイスも、やはりイントロからよくできていて、さすがだなと思います。コーラス(こちらは女声のみ)は、ヘンリー・マンシーニ盤より浮遊感があります。

ついでに、オーケストラをさらにいくと、昨日のJingle Bellsでも登場した、アンドレ・コステラネッツのものも気持ちのよいドリーミーな仕上がりです。トランペットの使い方も、ストリングスもけっこう。この盤はかなりいいのじゃないでしょうか。

ドリーミーといえば、ジャッキー・グリースン盤も例によってその線です。アンドレ・コステラネッツほど変化に富んでいないので、ドリーミーすぎて、ちょっと眠気を催しますけれどね。

みなそれぞれ持ち場が決まっているようなものですから、エスクィヴァル盤はやはり、ちょっと珍が入っています。はっきりキャラクターが出るものですねえ。どうしてこういうアレンジになっちゃうのか。いや、面白いし、好きです。にぎやかなWhite Christmasというのがあってもいいのじゃないでしょうか。

f0147840_421210.jpgポール・モーリアもご存知のようなあのスタイルでやっています。こういう曲でリスナーの期待を裏切るわけにはいかないので、意外性の勝負は避け、予定調和にもっていくのがやはり「大人の判断」なのでしょう。

そしてもちろん、ドメニコ・サヴィーノは穏やかに、平和に、安全に、すこやかにやっています。おやすみなさい、という気分なので、ちょっと昼寝します。

◆ 歌もの、主として男性ヴォーカル ◆◆
f0147840_4222582.jpg昼寝から目覚め、夢のなかで楽曲リストを整理していたことに気づき、愕然としました。

夢のお告げで、ほかのヴォーカルものとしてはこれだ、という卦が出た(ウソ)のは、アンディー・ウィリアムズ盤です。なにやらボビー・ゴールズボロが登場しそうなイントロです。Honeyですな。

f0147840_423311.jpg案外な拾いものはパートリッジ・ファミリー盤。こちらはニルソンのEverybody's Talkin'が出てきそうなイントロです。イントロだけでなく、テンポも、全体のアレンジもEverybody's Talkin'からの借り物でしょう。ヴェンチャーズがすべて借り物ですませたのなら、一曲や二曲、同じことをやってもかまわんだろう、てなあたりじゃないでしょうか。こういう軽快なWhite Christmasも、チェンジアップとして悪くないと思います。まあ、チェンジアップや箸休めが必要になるほど、一気に大量にまとめてWhite Christmasを聴くのは、わたしぐらいしかいないんでしょうけれど! White Christmasの過剰摂取で死ねるかどうか、人体実験中です。

ウィリー・ネルソン盤のイントロは、オルガンがペダル・ポイントを弾くもので(そういうコード進行の曲ですから)、連想ゲームをつづけると、これはスリー・ドッグ・ナイトのOld Fashioned Love Songです。ちょっとLet It Beからいただいたりもしていますが、なかなかけっこうな出来です。ウィリー・ネルソンという人は、パセティックな曲をパセティックに歌っても、自然にざらつきが入るので、過度に感傷的になることのない、安全ネットかサーモスタットが組み込まれているみたいなもので、得なシンガーだと思います。

さらに連想ゲーム。オーティス・レディングは、自分のI've been Loving You Too Longのアレンジでやっています、これはこのあいだ取り上げたMerry Christmas BabyのA面としてリリースされたものですが、個人的にはこちらはB面だろうと思います。ヒット・ポテンシャルはMerry Christmas Babyのほうがあったのではないでしょうか。

ディーン・マーティン盤は、これといった特長があるわけではなく、ストレートにやっているのですが、ファンとしては十分に満足のいく出来です。アルバムChirstmas with Dinoには、2種類のWhite Christmasが収録されていますが、トラック17のオルタネート・テイクと注記されたもののほうが、ディノのヴォーカルはいいと感じます。この人独特のディクションと歌い廻しが、こちらのほうに強く出ています。

◆ ギター・インスト篇 ◆◆
流しっぱなしにしていたら、プレイヤーがインストのかたまりに突入したので、ごちゃごちゃいわずに、プレイヤーの並び順でやります。なんせ、あなた、63ヴァージョンあるのだから、いちいちタイトルを見て選んで、これをやろうなんていっている余裕はないのです。昔は迷い箸をすると、「なんです、お行儀の悪い」と母親に怒られたもので、そういうのはいくつになっても抜けないのですな。

f0147840_4254246.jpgチェット・アトキンズは、うちにある2枚のクリスマス・アルバム、Christmas with Chet AtkinsとEast Tennessee Christmasの両方で、White Christmasをやっています。前者はしばしばご紹介しているAdd More Musicでダウンロードすることができるので、みなさんも、当ブログの右にあるFriendsリンクからあちらに飛んで、「Rare Inst. LPs」というボタンを押し、チェットのすばらしいアルバムをぜひお聴きあれ。

f0147840_427166.jpgふたつのヴァージョンのうち、どちらがいいか、なんて野暮なことをいうのはやめておきます。どちらもけっこうです。わたしはギターが好きで、東に困っている人がいると聞けば飛んでいって試聴してみる宮沢賢治状態なのですが、チェットみたいなギタリストって、チェットしかいませんよね。ウェスみたいな人はけっこういるんですが。

同じかたまりに50ギターズのヴァージョンがありますが、これはこれで、そんなにけなしたものでもないと見直しました。50ギターズの出来のよいアルバムを知っているので、それと比較すると、50ギターズ変じて15ギターズとはまたセコい、量を減らして値上げを回避しましたってか、なんて思ってしまいますが、知らなければ、これはこれで心地よいと感じるだろうと思います。

そういえば、ちょうど本日から、Add More Musicでは、50ギターズのMaria Elenaの配布をはじめました。トミー・テデスコがリードです。これはいいですよ、ホント。ギター好き、トミー・テデスコ・ファンは、この記事はここらで切り上げ(わたしも切り上げたい)、あちらにいって、テデスコの美しいプレイをお聴きになるようにお奨めします。

◆ インスト、コンボ篇 ◆◆
さて、お客さんの大部分はもうお読みになっていないでしょうが、さらなるWhite Christmasめぐりをつづけます。

ギター・インストのWhite Christmasとしては、ヴェンチャーズ盤もあります。ヴェンチャーズのクリスマス・アルバムは、何度も書いているように、過去の有名曲のアレンジおよびイントロの借用によって成り立っていますが、この曲はヴェンチャーズ・ファン以外には出典がわかりません。

White Christmasに借用した曲は、たいしてヒットしたわけではない、彼ら自身のBlue Starです。でも、子どものころ、わたしはBlue Starが大好きだったので、White Christmasも、いいなあ、と思いました。じっさい、Blue Starのアレンジは、タイトルどおり、星がきらめくような音ですから、White Christmasにはよくなじみます。

f0147840_4281391.jpgそれに、リードのコード・プレイが、チェット・アトキンズのようなウルトラ・ハイブロウではなく、真似できそうな気がするので、ついギターに手が伸びる仕組みになっています。今日も(70種類のWhite Christmasを抱えて忙しいのに!)ちょっといっしょに弾いてしまいました。アマチュア・ギタリストがクリスマスにプレイ・アロングしたい曲の筆頭ではないでしょうか。そして、このアルバムのなかでも、とくに出来のよい曲のひとつです。

インストとしては、またまたスリー・サンズ盤もあります。例によって珍ですが、これはこのアルバムのなかでもっとも珍。なんだかやたらににぎやかなWhite Christmasで、Jingle Bellsとまちがえたのかと思います。でもまあ、しっとりと、といえば聞こえがいいけれど、要するに、客なんかおっぽり出して、ひとり自分の世界に入っちゃって、むやみにナルシスティックに歌う女性ヴォーカルなんかより、こちらのほうがよほど気持ちがいい……いや、それほどではないにしても、気色の悪い思いはしないですみます。

◆ 大有名曲の〆はやっぱり大真打ち ◆◆
f0147840_4315410.jpgエルヴィス・プレスリーは、順列組み合わせと衣装替えを繰り返して、何度もクリスマス・アルバムがリリースされています。しかし、わたしの好みの方向のアレンジやレンディションがあまりなくて、ここまでまったく言及できず、エルヴィス・ファンのみなさんには失礼してしまいました。White Christmasはまあまあの出来だと思います。でも、エルヴィスを聴くなら、やはりクリスマス・ソングではないほうがいいような気もチラッとします。

エアロン・ネヴィルは、世にこれほどアップテンポが似合わない人はいないってくらいで、この曲も当然、スロウにやっています。この人の声は大好きなので、まあ、なんとなく聴いてしまいます。でも、White Christmasを聴いて、紙一重だなあ、と思いました。ちょっとズレると、ライオネル・リッチーになっちゃいそうな危うさがあります。そうなれば、わたしにとっては天敵ですから、またしても、割ってやるの、火にくべてやるのと、大騒ぎになっちゃいます。声というのは微妙なものだなあ、と痛感しました。バッキングがメロウすぎて、焼きすぎたマシュマロ状態なのもよくないと思います。メロウな声には、ちょっと対位法的なバッキングをしたほうがいいのです。

その点、ルイ・アームストロングは、いくらメロウなバッキングをしても、マシュマロが溶けて串から落ちてしまうような恐れはありません。間奏なんか、トロトロのストリングスですが、サッチモのヴォーカルがちょいビターなので、大丈夫。悪くない出来です。

f0147840_4324858.jpgわがプレイヤーには、検索結果リストの並び順のいたずらで、つぎにチップマンクス盤がきて、しかも、サッチモ盤と同じでキーがCなので、きれいにつながってしまいました。

でも、このトラックではチップマンクスは歌いません。最初にアルヴィンが登場して、「デイヴ、どうしたの、悲しそうな顔しちゃって」なんていうと、デイヴィッド・セヴィルが、「いや、悲しいわけじゃないんだよ」といって、White Christmasに入ります。ホワイト・クリスマスならいいのになあ、と思っていただけなんだ、というわけです。最後にまたアルヴィンが登場して、「デイヴ、見てみなよ、雪が降ってきたよ」といってエンディングとなります。いやあ、泣けますねえ。わたし、チップマンクスが大好きです。

エラ・フィッツジェラルドとバーバラ・ストライザンドの、どうだ、うまいだろ、といわんばかりの気色の悪いクリスマス・アルバムを中古屋に売り飛ばして、もてなしの心に満ちた、チップマンクスのあたたかくて楽しいクリスマス・アルバムをお買いになるように、強く、強く、衷心よりみなさまにお勧めします。わたしが考える音楽のあるべき姿は、エラ・フィッツジェラルドとは正反対の方向、たとえば、チップマンクスのサービス精神に結晶しています。

大真打ちのアルヴィンとチップマンクスが出てしまえば、あとはみな三文役者。いまや馬鹿馬鹿しいお座敷芸じみてきた、当ブログのクリスマス・ソング一気棚卸し、White Christmas篇も、これにて店じまい。お休みなさい。いや、棚卸しは明日もつづきますよ。またのご来場をお待ちしています。
by songsf4s | 2007-12-16 03:28 | クリスマス・ソング