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Deep Purple その2 by the Shadows
タイトル
Deep Purple
アーティスト
The Shadows
ライター
Mitchell Parish, Peter De Rose
収録アルバム
The Sound of the Shadows
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, Screaming Jay Hawkins, Bea Wain
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◆ 半、半、半、半、半音進行! ◆◆
忘れないうちに書いておきますが、昨日、Deep Purpleのような構造の曲はほかにはないだろうといってしまいました。しかし、シャドウズを聴いているうちに、ひとつだけほかにも例があることを思いだしました。ディミトリー・ティオムキンのThe High and the Mighty、すなわち「紅の翼」のテーマです。ティオムキンのほうがずっと複雑ですが、大胆さにおいてDeep Purpleと近縁関係にあると感じます。

どこが大胆かというと、「てめえなんざあ昨日の天ぷらだ」という、「上げっぱなし」「下げっぱなし」の利用です。The High and the Mightyは、上下両方を使っていますが、Deep Purpleは「下げっぱなし」、それも、半音ずつズルズルと下げっぱなしにするという、とんでもないシークェンスがあるのです。

f0147840_23565819.jpg今日はDeep Purpleの話なので、The High and the Mightyのことはとりあえず棚上げにします。で、Deep Purpleの「In the mist of a memory」のラインのメロディーは、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤の場合、F(low)-G-F(high)-E-Eb-D-Db-Bbとなっています。FからDbまで半音で下げてくるこのシークェンスが、強い印象を残し、一聴三嘆、脳裏を去らずとなるわけです。

しかし、この程度で驚いていると、シャドウズ・ヴァージョンは心停止ものです。同じシークェンスをハンク・マーヴィンがどう弾いているかというと、キーが異なるのですが、転調の手間を省いてそのまま書くと、C(low)-D-C(high)-B-Bb-A-Ab-Gと弾いているのです。

これだけでも冗談みたいですが、この直後も、G-F#-F-E-Eb-Dと、やはり、ただ半音ずつ下げていくだけなのです。さらにこの直後も、D-Db-Cとやっています。なんのことはない、1オクターヴのあいだにある音をまったく省略せず、すべての音をたどって半音ずつ下がってきただけなのです。

このようにやっているのは、うちにあるDeep Purpleのなかでは、シャドウズ・ヴァージョンだけです。おそらく、ハンク・マーヴィンのアイディアでしょう。どうせ半音進行なら、徹底的にやってみよう、てえんで、高いCから低いCに下げていってみたら、なんと、コードと矛盾しなかった、ラッキー、てなものではないでしょうか。

◆ ふたたびニーノ&エイプリル ◆◆
話の都合で、ニーノ&エイプリル盤とシャドウズ盤が入れ込みになってしまいましたが、Deep Purpleに関しては、わたしはこの2種がいちばん好きで、両方ともよく聴きましたし、シャドウズ盤は何度もプレイ・アロングしました。

f0147840_23594839.jpgニーノもエイプリルも、ピッチのいいほうではありません。そういうデュオが、こういう半音進行のある曲をうたうと、なかなかもって、妙なぐあいになります。でも、ピッチの善し悪しというのは、コンテクストしだいのところがあって、この曲の場合は、二人のピッチの不正確さが、かえってフックになり、チャート・トッパーになるひとつの原動力となったと感じます。

ニーノの回想によれば、この曲はセッションの最後に、その場の思いつきでやったのだそうです。まあ、こういう手柄話というのは、尾鰭とまではいわないまでも、多少は色がついていたりするものです。最後の15分で録音したというのは、そのまま受け取るわけにはいきません。でも、たいした手間をかけていない、ほんの1、2テイクでやったというのなら、そうだろうと感じます。非常にシンプルだけど、グッドフィーリンのあるトラックになっています。ドラムはアール・パーマーで、活躍はしませんが、リラックスしたグルーヴをつくっています。

わたしの耳を捉えたのは、半音進行の箇所、in the mist of a memory, you wonder back to meの、尋常ならざる響きでしたが、ニーノの特徴ある鼻にかかった声と、そういってはなんですが、ピッチの悪さも寄与した、不思議な浮遊感があります。ナンバーワンになったのも、わたしと同じように感じたリスナーが大勢いたからでしょう。

◆ インスト・バンドの工夫 ◆◆
シャドウズ盤Deep Purpleが収録されたThe Sound of the Shadowsは、Dance with the Shadowsと並ぶ、彼らの代表作といっていいでしょう(たまたま、両方ともフェンダーではなく、バーンズを使っていた時代の録音)。Deep Purpleのほかにも、かのBossa Rooが入っていますし、Santa AnaやWindjammer、そして、Brazilなどもよくプレイ・アロングしました。

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ハンク・マーヴィンとバーンズ

シャドウズというか、ハンク・マーヴィンのプレイには、ひとつの型があります。よくやるアレンジ・スタイルは、低音弦ではじめて、つぎのヴァースはオクターヴ上げ、最後は元のキーに戻る、というものです。

Deep Purpleは、このパターンのヴァリアントになっています。4ヴァースやるのですが、まず最初は恒例によって低音弦でやります。そして、上述のように、ストレートに上のCから5弦のCまで半音ずつ降下します。

つぎのヴァースも低音弦でのスタートは変わりません。しかし、途中はパターンを変えています。上のCから降下してきてきたラインを途中で遮り、オクターヴ上げてからまた降下させているのです。曲の構造から導きだされたアイディアでしょうが、さすがはハンク・マーヴィン、と唸っちゃいます。こういうインスピレーションをもっていないと、インスト・バンドのギタリストを長年つづけることはできません。

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1967年のシャドウズ。全員がバーンズだった。日本に来たのもこの年だったが、やはりバーンズを使っていた。アコースティックはたしか、6弦も12弦もギブソン・ハミングバード。

つぎのヴァースへ移行する直前に、全音転調をします。インスト・バンドにとって、転調は変化をつけるための必須の道具です。しかし、ここでは、「オクターヴ上げて高音弦に移動」というパターンと、転調というふたつのパターンを重ねて使うことで、さらにこのチェンジ・オヴ・ペース感覚を強めています。プレイ・アロングするほうとしても、運指が大きく異なるので、最初のヴァースで記憶した指の動きは、ここでチャラにしなくてはなりません。このあたりが、プレイ・アロングしていて楽しいところです。シャドウズの曲に共通する楽しさです。

このサード・ヴァースのプレイは、またファーストと同じパターンに戻り、ストレートに1オクターヴの階段を、半音ずつ一段一段降下していきます。たんに、ファースト・ヴァースより1オクターヴと1音分高いところで弾くだけです。ただし、こんどは主として12フレットに人差し指をおいてのプレイなので、運指パターンはまったく異なりますが。

最後のヴァースは、サード・ヴァースより1オクターヴ下で弾きます。ただし、こんどはストレートな降下は使わず、セカンド・ヴァースと同じように、降下を途中で打ち切って、いったんオクターヴ上げてから、また再降下するというパターンです。

というようにして、メロディーが変わるわけではないのに、4つのヴァースすべてが異なる、変化に富んだプレイになっているのです。インスト・バンドのチェンジアップ手法にはさまざまなパターンがありますが、そういうことをだれかが学校で教えるなら、教科書にぜひとも採用するべき曲が、シャドウズのDeep Purpleです。

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Dance with the Shadows これまたThe Sounds of the Shadows同様、プレイ・アロングして楽しいアルバムで、やはりバーンズ独特の中音域の響きを楽しむこともできる。

◆ ビリー・ストレンジ盤 ◆◆
アルバムMr. Guitarに収録されたビリー・ストレンジ・ヴァージョンもなかなか楽しい出来です。これまたビリー御大の代表作といえるアルバムで、ほかにも楽しい曲が入っているのですが、まあ、それはべつの話。

ビリー・ストレンジのアルバムには、しばしば管が使われ、「ビッグバンド・ギターインスト」とでもいいたくなるようなアレンジが施されているのですが、Deep Purpleはコンボによるものです。ドラム(ハル・ブレイン。きれいなサイドスティックをやっている)、アップライト・ベース、アコースティックとエレクトリックのリズム・ギター、ピアノ、そして御大のフェンダーによるリードというシンプルな編成です。

f0147840_017434.jpgドラム、ベース、アコースティック・リズムのつくりだすグルーヴが軽快でグッド・フィーリンがあるのが、ビリー・ストレンジ盤Deep Purpleのなによりの美点といえます。アップライト・ベースを使ったことがみごとにはまったと感じます。

御大のプレイがまたすばらしいのです。いや、高速ランなどまったく登場しません。その正反対といっていいでしょう。いかに「きれいに遅く」弾くかの勝負なのです。細部での遅らせ方、日本的にいえば「間の取り方」でどれほど豊かなニュアンスを生むか、なのです。

ビリー・ストレンジより速く弾けるプレイヤーは、多士済々のハリウッド・ギタリスト陣には、トミー・テデスコを筆頭に、いくらでもいました。しかし、タイミングのコントロールによって、音に豊かな表情をもたせることにかけては、ビリー・ザ・ボスの右に出るプレイヤーはいませんでした。わたしは、シャドウズ盤のみならず、ビリー・ストレンジ盤も何度もプレイ・アロングしていますが、どうしても待ちきれず、打者でいえば躰が「泳いだ」状態になり、ボスの「球もちのよさ」を何度も痛感させられました。

残りのヴァージョンは明日以降に。
by songsf4s | 2008-06-28 00:06 | Moons & Junes
I Only Have Eyes for You その2 by Mary Wells
タイトル
I Only Have Eyes for You
アーティスト
Mary Wells
ライター
Harry Warren, Al Dubin
収録アルバム
Sings My Guy
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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◆ メアリー・ウェルズとモータウンLA ◆◆
今日は、昨日ふれられなかった、I Only Have Eyes for Youの他のヴァージョンです。I Only Have Eyes for Youは、わたしの頭のなかではつねにフラミンゴーズの曲であり、それ以外のヴァージョンは、文字通り「その他」でしかないので、看板をどれにするかむずかしかったのですが、テンポが速く、もっとも軽いメアリー・ウェルズ盤にしておきました。

これもまた「その他」なので、たいした意味はありません。シナトラはしょっちゅう看板に立てているから、できれば避けたい、といって、ほかにシナトラに匹敵するほどのものはない、では、当ブログではつねにマイノリティーの地位にある属性、「黒人」「女性」という条件にかなったシンガーを、という選択です。

フラミンゴーズのI Only Have Eyes for Youも、過去のヴァージョンに訣別するアレンジでしたが、メアリー・ウェルズ盤はさらにスタンダードから遠ざかったものになっています。ミディアム・シャッフルでやっているI Only Have Eyes for Youなんて、わが家にはこのヴァージョンしかありません。

メアリー・ウェルズのI Only Have Eyes for Youは、1964年のアルバム、Sings My Guyに収録されたトラックです。多少ともモータウンを聴かれる方なら、タイトル・トラックのMy Guyはご存知でしょう。確認せずに記憶だけで書いてしまいますが、これはモータウンにとって、最初のビルボード・チャート・トッパーです。R&Bチャートではありません、ポップ・チャートのナンバーワンです。

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地方都市の小さな独立レーベルにとって、これは決定的な意味をもちました。この曲がハリウッドで録音されたものだったからです。わたしは、モータウンがハリウッド録音に主力を移す決断をつけた大きな理由は、My Guyがチャート・トッパーになったことだとつねづね考えています。ハリウッドのサウンドは売れるという、たしかな感触を得たのです。そして、同じ年に、それまでなかなか芽が出なかったスプリームズが、ハリウッドで録音されたBaby Loveで、やはりナンバーワン・ヒットを得たことで、この方向は引き返しようのないほど決定的になったのです。

My Guyのセッションは、キャロル・ケイ自身にとって、最初期のモータウンの仕事だったそうです。まだ、彼女がギターばかりプレイしていた時代の仕事です(この直後ぐらいからベースも弾きはじめる)。My Guyでも、彼女はギターをプレイし、ベースはアーサー・ライトがプレイしたといっています(ただし、これは彼女の記憶ちがいではないかと最近は考えている。ジミー・ボンドあたりではないか)。ドラムはアール・パーマーでしょう。

タイトル・カットがハリウッドで録音されたからといって、自動的にアルバム・トラック全体がハリウッド録音ということにはなりませんが、わたしの感触では、I Only Have Eyes for Youもハリウッド録音です。同じグルーヴが感じられるので、My Guyと同じメンバーではないかと考えます。デトロイトの泥臭い音とは異なる、ハリウッドらしい軽快な味のあるトラックです。

50年代までのスロウ・バラッドとしてのI Only Have Eyes for Youに馴染んでいる方には、メアリー・ウェルズ盤は違和感があるでしょうが、ほとんど赤の他人みたいな曲になっているので、わたしは、これはこれで楽しいヴァージョンだと思います。

◆ アート・ガーファンクル盤 ◆◆
ソロになってからのアート・ガーファンクルのキャリアを眺めると、ちょっと息苦しくなってきます。ポール・サイモンという座付きソングライターを失い、楽曲選択が迷走するからです。新作で出来がいいのは、極論すると、ジミー・ウェブのAll I Knowだけといえるのではないでしょうか。

結局、ろくな楽曲が手に入らず、When a Man Loves a Woman(パーシー・スレッジ)とか、What a Wonderful World(サム・クック)といった、古い曲のカヴァーに活路を見いだすところへと「追い込まれた」のだと考えています。積極的な選択ではなかった、ということです。

わたしは1960年代に育った人間なので、古い曲をうたうというのはあくまでも特例であり、それを習慣にすることには否定的考えをもっています。ニルソンのように、古い曲だけを集めた盤を録音しても、それはそれだけのことであり、つぎからはまた自分の作品を録音していくというのが「正しい」あり方だと思います。ポップ/ロックはアクチュアルでなければいけないのです。古い曲に過度に依存するのは「退行」でしかありません(その延長線上で、現代のシンガーが「わたしの時代」の曲をうたうのも大嫌い。いまのシンガーはいまの曲をうたっていればいいのである。わたしの時代に属す曲はほうっておいてほしい!)。

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アート・ガーファンクルのI Only Have Eyes for Youは、明らかにフラミンゴーズ盤を下敷きにしたものです。イントロのギター・コードからして、フラミンゴーズ盤からもってきたものです。こういうカヴァーの仕方は、あまり褒められるものではありません。「インスパイア」などという詐欺的婉曲表現を使わないで、はっきり言えば、たんなるコピーです。

ただし、ギターには魅力があります。フラミンゴーズ盤のギター(ライノのベスト盤のライナーによると、フラミンゴーズのメンバー自身によるプレイらしい)の方向性を受け継ぎながら、それをさらに発展させたプレイです。わが家にあるこの曲はベスト盤収録で、プレイヤーの名前がわからないのですが、サウンド、トーンはディーン・パークスを想起させるものです。パークスのサウンドは非常に独特のものなので、たぶん、この推測は当たっているのではないかと思います。

ドラムも、Angel Clare同様、ジム・ゴードンである可能性があるでしょう。ただし、とくに注目するほどのプレイではなく、ジム・ゴードンでなくても、ほかのドラマーでもできるようなプレイです。

◆ フランク・シナトラ盤2種 ◆◆
セッショノグラフィーによると、フランク・シナトラはI Only Have Eyes for Youを3回録音しています。1943年、1945年、1962年です。このうち、わが家にあるのは、45年と62年のものです。どちらも魅力があります。

45年盤についていえば、これはもうシナトラの声の魅力に尽きます。この時期のシナトラは、歌い方がどうこうなんていう前に、声だけで圧倒されてしまいます。アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダール。

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62年ヴァージョンは、カウント・ベイシー・オーケストラとの最初の共演盤です。この特集のトップ・バッターにしたFly Me to the Moonもカウント・ベイシー・オーケストラとの共演ですが、あちらは1964年の録音、二度目の共演です。

しかし、グルーヴは共通しています。ベースが同じプレイヤーなのだろうと想像します。毎度おなじことをいっていますが、フランク・シナトラはミディアムからアップで、軽快にグルーヴに乗ってうたっているときがすばらしく、62年盤I Only Have Eyes for Youもそのタイプなので、おおいに楽しめます。

そんなことをいったら、シナトラとそのファンに張り倒されるかもしれませんが、45年盤と62年盤を並べて聴くと、やはり年をとると、歌がすごくうまくなるんだな、と感じます。45年のシナトラには、62年のようなグルーヴはありません。やっぱり、シンガーもグルーヴなのだと、改めて実感しました。

62年盤のアレンジはニール・ヘフティー。プレイヤーのクレジットはありませんが、ベースのみならず、途中から活躍するドラマーもなかなか好みです。

◆ スパイク・ジョーンズ盤 ◆◆
変わり種もあります。まずはスパイク・ジョーンズ盤。ジョーンズのI Only Have Eyes for Youは2種類あります。ひとつは1946年録音のもので、これはまっとうなスタイルのオーケストラもので、シティー・スリッカーズのコミカルなサウンドではありません(名義もSpike Jones & His Orchestraとなっている)。

もうひとつは、これもシティー・スリッカーズ時代ではないのですが、プリではなく、ポスト・スリッカーズで、1959年のリリースです。Spike Jones In Hi Fi: A Spooktacular in Screaming Soundというタイトルにもあらわれていますし、ジャケットをご覧になればはっきりしますが、これはホラー・ミュージックのパロディーです。テレミンの使用も、その点を強調するのに役立っています。

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I Only Have Eyes for Youは、ドラキュラ伯爵と女吸血鬼ヴァンパイラとのデュエットという趣向です。ゲスト・シンガー(というかゲスト俳優)は、ポール・フリーズとルーリー・ジーン・ノーマンという人だそうですが、寡聞にして知りません。

当然、歌詞も替え歌になっています。ファースト・ラインからして、Are the stars bright tonightではなく、Are the bats out tonight=今夜はコウモリが飛んでいるのか、となっています。Maybe millions of people passing byのくだりは、Maybe millions of zombies go byとなり、最後は、ドラキュラが'Cause I just want a neckといって、ヴァンパイラから血を吸う効果音が入り(ここだけシティー・スリッカーズを思いださせる)、つぎにヴァンパイラも同じラインをうたい、お返しにドラキュラの血を吸う、とまあ、そんな展開です。

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アメリカでは1950年代終わりにステレオ・ブームがあったことは何度か書いていますが、タイトルがIn Hi-Fiとなっていることでわかるように、この盤もステレオ・ブームに当て込んだものです。最初のうちは、ドラキュラは左、ヴァンパイラは右に配されているのですが、最後に足音(のつもりの効果音)が左から右に動き、ドラキュラがヴァンパイラに噛みつくという趣向です。古くさいといえばそのとおりですが、ステレオが珍奇なガジェットだった時代が忍べて、ちょっと楽しくもあります。

◆ モーリン・オハーラとドリス・デイ ◆◆
スパイク・ジョーンズ盤は妙な効果を発揮します。これを聴いたあとだと、みんなホラー音楽のつづきのような気がしてくるのです。モーリン・オハーラなんて人の歌も、なかなかお見事なうたいっぷりなのですが、どうもヴァンパイラのような気がしてしかたありません。

わたしは女性ジャズ・シンガーというのはあまり好かないので、こういう盤は理論的に無関係なのですが、でも、この盤のアレンジャーはボブ・トンプソンなのです。となると、やっぱり聴いてみたくなるわけで、そういう狙いは大失敗に終わるときもあるのですが、モーリン・オハーラについては正解でした。やはり、トンプソンという人はもっと評価されてしかるべきではないかと、この盤を聴くと感じます。

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ドリス・デイ盤は1950年のリリースで、アレンジとコンダクトはアクスル・ストーダールです。わたしはヴォーカルよりインストゥルメンタルのほうに強い興味があるので、どうしても、上ものではなく、スタッフのほうで盤を選んでしまい、当然、聴き方も、ヴォーカルより、サウンドが中心になります。アクスル・ストーダールのアレンジはごく控えめで、女性シンガーに合わせた甘いストリングスを楽しめるかどうか、というところでしょう。まあ悪くはないと思うのですが、とくにすぐれているともいえません。

若いころのドリス・デイはいい声をしているので、I Only Have Eyes for Youにおける彼女のヴォーカル・レンディションも悪くないと思います。

◆ レターメンとレイ・コニフ ◆◆
今日は順番がメチャクチャになってしまいましたが、つぎはレターメン盤。毎度申し上げているように、わたしはコーラス・グループというのを大の苦手にしています。同様に子どものころに嫌いだったオーケストラ・ミュージックは、年とともに面白く感じられるようになってきたのですが、コーラス・グループはいまだに不得手です。とりわけレターメンは、昔から、なんだかなあ、でした。

ビルボード・トップ40ヒッツ完全蒐集を目指した80年代に、レターメンもいちおうベスト盤を買い、そのなかにこのI Only Have Eyes for Youも入っていました。でも、とくに面白いと思ったわけではありません。以前、わたしが参加している小さなMLで、I Only Have Eyes for Youを特集したときも、このヴァージョンは褒めなかったような気がします。

しかし、古いものまで十把一絡げに並べて聴いてみると、やっぱり、ハル・ブレインのドラミングがいちだんと引き立って聞こえ、今回の聞き比べで、このヴァージョンの順位はかなり上に移動しました。いや、レターメンなんか、まるっきり聴いちゃいませんよ。嫌いなんだから、当たり前じゃないですか。ハル・ブレインのドラミングはつねに魅力的だといいたいだけです。

やや判断しづらいのですが、ベースもたぶんキャロル・ケイでしょう。ストリング・アレンジも好みです。盤にはアレンジャー・クレジットがあったような気がするのですが、探している時間がないので略します。

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わが家にあるもっとも「新しい」(といってもかなり古い)I Only Have Eyes for Youは、1975年のレイ・コニフ盤です。いやはや、これがなんとも、呆れた代物で、The Hustleとのメドレーなのです。あの「ドゥー・ザ・ハッスル」ですよ。

しかし、こういうのをメドレーというのは、ちょっとちがうでしょうね。まあ、とにかくThe Hustleではじまります。で、途中からI Only Have Eyes for Youになるのですが、男声コーラスがI Only Have Eyes for Youをうたうのに対して、女声コーラスの合いの手はThe Hustleなのです。だから、「Are the stars bright tonight」という男声ラインに対して、女声コーラスは「Do the hustle」とレスポンスするのでありますよ、これが。だから、メドレーというより、ハイブリッドというべきでしょう。

さあて、こういうのはなんといえばいいのかわからず、困惑します。まあ、ちょっとは笑えます。しかし、「可笑しいから座布団一枚」ではなく、「おもしれえや、座布団全部とっちまえ」というタイプでしょうね。

◆ エスクィヴァル、ポール・ウェストン、エトセトラ ◆◆
もう残り時間僅少なのに、まだふれていないヴァージョンの数はかなりあって、ありゃあ、です。エスクィヴァルは、いつもほど珍なところはありません。だいたい、このOther Worlds Other Soundsというアルバムは、タイトルとカヴァーからは、珍なものを想像するのですが、音のほうはかなりストレートです。ただし、後半、ストリングスが盛りあがるところは、たしかにOther Worldsという感じがします。

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ポール・ウェストンは、例によって、ストレートなラウンジ・ミュージックというか、オーケストラ・ミュージックです。この人のアレンジは、歌伴のときのほうが面白いような気がします。自己名義のインストは直球が多すぎて、あまりハッとさせられません。

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ダイナー・ショア盤を試聴してみましたが、なかなかけっこうな出来だと思います。サウンドに奥行きもあり、アレンジも好みなのですが、クレジットが見あたりませんでした。

うちにある最古のI Only Have Eyes for Youは、ルー・シャーウッドという人の1934年のヴァージョンですが、この人についてはなにも知らず、いま調べている時間もありません。だいたい、これくらいの時期になると、わたしには、いいも悪いもつかないのです。昔風の味わいは感じますが(昔の録音なんだから当たり前!)、それ以上の感想はありません。

ひとつだけいえることは、この段階では、50年代の各ヴァージョンのように、テンポを遅くして、しっとりとなんかうたっていないということです。この大甘の歌詞からいって、軽く歌ってバランスをとるほうが、わたしには正解に思えます。

50年代のスタンダード・アルバムを聴いていて疲れるのは、スロウで情緒纏綿たるレンディションが圧倒的多数派だからです。60年代育ちとしては、感情移入は控えめに、さらっとあっさりうたってくれたほうが、尻がむずむずせず、安心できます。だから、われわれの世代は、50年代は飛ばして、30年代や40年代を聴くほうがいいのではないか、とおもうこともしばしばです。子どものころは、昔の音楽はスロウでだるい、と思っていましたが、いまでは、それは間違いで、そういう現象は50年代の特殊なものだったのではないかと考えています。
by songsf4s | 2008-06-20 23:55 | Moons & Junes
Makin' Whoopee その2 by Eddie Cantor
タイトル
Makin' Whoopee
アーティスト
Eddie Cantor
ライター
Gus Kahn, Walter Donaldson
収録アルバム
N.A. (78 realese)
リリース年
1928年
他のヴァージョン
Nilsson, Frank Sinatra, Nat 'King' Cole, Ray Charles, Jesse Belvin, Billy May, Nelson Riddle, Mel Torme, Bobby Troup, Doris Day, Julie London, Dinah Washington, Nancy Wilson, Esther Phillips
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昨日に引きつづき、今日はMakin' Whoopeeの残りのヴァージョンを見ていきます。

看板にはオリジナルのエディー・キャンター盤を立てました。この曲は1928年のブロードウェイ・ミュージカルWhoopee!の挿入曲として書かれたものだそうです。わたしのもっているこの曲のエディー・キャンター盤は1928年リリースとなっていますが、正確かどうかはわかりません。1928年暮れに舞台にかかったミュージカルの挿入曲が、舞台がヒットかどうかもまだ見極めがつかない年内に、盤としてリリースされたかどうか……。

f0147840_2234435.jpg2年後の1930年には、やはりエディー・キャンター主演で映画化されています。こちらは舞台がヒットした結果なのはまちがいないでしょう。資料を見ると、2色カラーという不思議なことが書いてあります。どんな風に見えるのか、見当もつきませんが。

エディー・キャンターのMakin' Whoopeeには2種類のヴァージョンがありますが、リメイクのほうの年代はわかりません。1928年版を聴いていて気づいたのは、すでにA lot of shoesがあることです。いや、だからといってニルソン盤がオリジナルに忠実な歌詞だったわけでもありません。たとえば、セカンド・ヴァースにあるはずのラインが、1行だけファースト・ヴァースに飛んでいるといった、シャッフル状態なのです。

これくらいの時期の盤を聴くと毎度思うのですが、アメリカの録音はすごいものです。昭和初年の日本の録音、たとえば、藤原義江の「出船の港」と、エディー・キャンターのMakin' Whoopeeを比較すれば、大人と子どもです。どうして、こんな国に戦争をしかけて勝てると思ったのか、不思議でなりません。音楽を聴いても、映画を見ても、技術レベルは比較するのも馬鹿馬鹿しいほどかけ離れていて、兵器産業にいたっては、なにをかいわんやです。

昨日も申し上げましたが、エディー・キャンターのオリジナルから、収入は五千ドルになっています。キャンター盤では、five thousand perではなく、five thousand dollars perとうたっていて、五千ドルであることを保証しています。収入の謎は映画を見ればわかるのかもしれません。

◆ レッキング・クルー関係 ◆◆
f0147840_2240485.jpgこの曲は百パーセント男の歌で、女がうたうべきではないのですが、ナンシー・ウィルソン盤のドラムはハル・ブレインなのです。それだけで、ほかの古めかしいMakin' Whoopeeとは大きく異なるムードになっています。ちょっと、サム・クックのAnother Saturday Nightや、フィル・スペクターのDr. Kaplan's Officeを思いださせるようなプレイで(ただし、タムタムの使い方はあそこまでアブノーマルではない)、なかなか好みです。

ハル・ブレインがいるということは、他のプレイヤーもおなじみの人たちである可能性が高いでしょう。ベースはキャロル・ケイにちがいありません。ギターはカッティングをしているだけなので、推測の手がかりゼロ。ピアノはうまい人ですが、さてだれでしょうかねえ。やっぱり、ハルの独壇場という感じで、控えめながら手数は多く、ヴァラエティーに富んだタムタムのプレイを楽しむことができます。

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左からナンシー・ウィルソン、キャロル・ケイ、プラズ・ジョンソン

パーソネルの面で面白いものとしては、ほかにメル・トーメ&ザ・メルトーンズ盤があります。

Marty Paich……Conductor, Arranger, Piano, Organ, Celeste
Jack Sheldon……Trumpet
Art Pepper……Alto Saxophone, Tenor Saxophone
Victor Feldman……Vibes
Tommy Tedesco……Guitar
Bobby Gibbons……Guitar
Tony Rizzi……Guitar
Bill Pittman……Guitar
Barney Kessel……Guitar
Joe Mondragon……Bass
Mel Lewis……Drums

f0147840_22464381.jpgこのギターの多さはなに? といいたくなります。ちゃんとこれだけの数が聞こえるならまだしも、3本ぐらいにしか聞こえないのです。同じリックを複数のギターが弾くといい響きになるので、それを利用したオブリガートがときおり聞こえてきますが、それだけです。

ただ、メンバーとしては興味深くはあります。トミー・テデスコは、やっとスタジオに入りこんだばかりといったあたりじゃないでしょうか。弾けもしないのに、アコーディオンを子どもに教えて生活費を稼ぐなんていう時代が、やっと終わったというところでしょう。

50年代に活躍したリズム・セクションのプレイヤーの多くが、60年代に起きた変化の結果、仕事を失っていくのですが、ビル・ピットマンは例外のひとりで、50年代に多くの録音を残しているにもかかわらず、60年代のロック/ポップ系セッションでも活躍をつづけます。

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髭を生やしたトミー・テデスコとキャロル・ケイ

しかし、これだけギターを集めたのなら、もっと活躍させろ、とマーティー・ペイチに一言文句を云いたくなります。活躍するのはアート・ペパーのテナーだけです。メル・ルイスとジョー・モンドラゴンのグルーヴはなかなかけっこうなんですが、アレンジには不満が残ります。メル・トーメのことにはなにもふれませんでしたが、どこにいるのかもわかりません。名義はどうであれ、これはメルトーンズのアルバムで、この曲ではソロ・ヴォーカルは出てこないのです。

◆ ダニー・トーマスほか ◆◆
レイ・チャールズ盤はチャートインしています。といっても、46位というマイナー・ヒットですが、ロックンロール時代にチャートインしたMakin' Whoopeeは、このヴァージョンだけです。わたしとしては、このドラムはまったく気に入らないので、とくに好きなヴァージョンというわけではありません。ライヴだから、二流のドラマーだったのでしょう。

f0147840_22572266.jpgレイ・チャールズのヴォーカル・レンディションも、べつにどうということはありません。面白いのはオーディエンスの反応のほうです。これだけみごとに、「細かく」ウケた様子を記録した盤というのはほかに知りません。細かい、というところが肝心です。歌詞の細部に反応しているのです。クラブならこういうこともあろうかと思いますが、どう聴いてもホールです。

落語の場合も、客の反応が鈍かったり、たいして可笑しくもないところでウケたりすると聴く気が失せ、逆に反応がよいと噺が引き立ちますが、レイ・チャールズのMakin' Whoopeeはそれに近いところがあり、客の力でそこそこ聴けるヴァージョンになっています。というか、客の反応がなければ、あまり聴く気にならないヴァージョンです。軽くうたうほうがいい曲だし、べつの方向なら、ニルソンのように極限まで繊細にうたうべきであって、レイ・チャールズのレンディションはニルソンにはくらべるべくもありません。

f0147840_22585872.jpg軽さを追求したのは、ドリス・デイとダニー・トーマスのデュエット盤。女性シンガーにはよくあることですが、若いころはすごくいい声だったのに、という人がいます。ドリス・デイも、初期のものを聴くと、いいなあ、と思います。逆にいうと、いや、それはいわないほうがいいですね。

ドリス・デイとダニー・トーマスのデュエットによるMakin' Whoopeeは、1951年の録音ですから、いい声の時期です。しかし、ドリス・デイひとりでは、それほど面白いものにはなからなかったでしょう。ダニー・トーマスの合いの手がいいのです。The judge says you pay 6 to herの直後に、Ouch!と当たり前のことを云うのですが、それでも可笑しいのは、タイミングと抑揚がいいということです。テレビの人気者だったそうですが、このタイミングならさもあらんと感じます。

f0147840_230191.jpg女性シンガー向きではないといいつつ、また女性シンガーですが、ジュリー・ロンドン・ヴァージョンは、これはこれでいいかもしれないと感じます。声がいいは七難隠すと申しましてな(いわないってば)、ジュリーの声は、いつ聴いても、どんな曲を聴いても、やっぱりいいのです。このヴァージョンを聴いていると、こんないい女を家に置いて、外で遊びまわる馬鹿もいないだろうに、と思っちゃって、リアリティーからいえば、失敗ヴァージョンということになってしまいますが、声がいいから、ほかのことはどうでもいいんです。

ジュリー・ロンドン盤Makin' Whoopeeのアレンジはアンドレ・プレヴィンです。プレヴィンのピアノはともかく、彼のアレンジというのはあまり聴いたことがないのですが、なかなか面白いところもあって、ちょっと聴いてみようかという気になります。この曲のピアノも、当然、プレヴィン自身のプレイなのでしょう。

◆ ジョー・ペシ盤なんぞはいかが? ◆◆
読んでいるみなさんにはわからないことだから、こんなことは書かなくてもいいのですが、前の段落を書いてから、長考に入ってしまい、さて困ったな、と手をこまねいていました。

男性シンガーでは、あとはフランク・シナトラ、ナット・コール、ジェシー・ベルヴィン、ドクター・ジョンのものがあります。どれも悪くはありません。シナトラはいつものシナトラだし、ナット・コールはわたしがもっとも好きなトリオの時代のものだし、ジェシー・ベルヴィンはいい声をしているし、ドクター・ジョンのピアノはさすがです。でも、だからどうだというほどでもないような気がします。

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じゃあ、だれのヴァージョンなら聴きたいかなあ、というので長考に入ってしまったのです。シンガーではないのですが、たとえば、ダニー・デヴィートみたいなキャラクターが「演じる」べき曲だと思うのですよ。ジョー・ペシなんかでもいいですねえ。

コメディアンのタイムをもった、ハンサムでない、というか、チンチクリンな俳優がうたうと、すごく味わいがあるのではないかという気がします。おまえ、浮気って柄かあ、みたいな男が「まあ、聴いてくれよ」と、ヌケヌケと美人の女房を裏切った噺をして、挙げ句の果てに、「なんだって、こんなひどい目に遭わなきゃなんないんだ、俺がなにをした? 女たちが俺を放っておかないのは俺の罪じゃない」といって肩をすくめる、というしだい。そんな曲なのだと思うのですよ。

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ジョー・ペシ

ニルソンは、そういうイメージの正反対のレンディションですが、あそこまで完璧にやれば、文句も出ず、なるほど、この曲のメランコリックなレンディションというのもありだな、と納得するから、それでいいのです。でも、あとのシンガーは中途半端な色男ぶりで、ちがうんじゃないかなあ、と感じます。シンガーが悪いというより、曲とシンガーのマッチングに味がないのです。

結局、ニルソン以外では、エディー・キャンターがいいな、となるのは、そのへんなのです。キャンターのレンディションは、わたしがイメージする、ジョー・ペシ・ヴァージョンに近いのです。もっとすっトボけてくれたほうがいいのですが、他のヴァージョンにくらべれば、飄逸味があります。しいてほかに同系統をあげると、ドリス・デイの相方をやったダニー・トーマスでしょう。あのムードで、うたうというより、小咄を語るようなレンディションが正解だろうという気がします。

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ダニー・トーマス

◆ 蛇足、蛇足、蛇足 ◆◆
歌詞が魅力的な曲であり、音楽というより、ストーリーというべきものなので、インスト・ヴァージョンは原理的にそれほど面白いものにならないのは、どれひとつとして聴かなくても、はなから想像がついてしまいます。

ものすごく有名な曲だから、だれでもどういうストーリーか知っている、ということを前提にしてアレンジするしか方法がないんです。これは大きな弱点です。ひとりで立っていられないトラックだということですから。ネルソン・リドルも、ビリー・メイも、そういう前提でアレンジしていると感じます。なんとかユーモラスな味を出そうとしているのですが、はなからヴォーカル・ヴァージョンを聴けばそれですむ話じゃないか、と思ってしまいます。

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ジュリー・ロンドンの旦那、ボビー・トゥループのピアノ・トリオ・ヴァージョンも退屈です。まあ、わたしがピアノ・トリオを毛嫌いしているというだけのことかもしれませんが、でも、やっぱり、そういう曲じゃないでしょう。シンガーでもあるのだから、うたえばいいのに。

f0147840_23162969.jpg『LAコンフィデンシャル』のサントラに入っていただけですが、ジェリー・マリガン&チェット・ベイカー盤もあります。これはアンサンブルの面白味がまったくありません。まあ、ジョニー・キャッシュとボブ・ディランのデュエットみたいな味がなくもない、とはいえますが、ということはつまり、相手の存在を気にかけないデュエットだということです。そもそも、どのシーンで出てきたんだっけ、というくらいで、まったく記憶がありません。記憶がないということは、映画のなかでの使い方も、べつに感心するようなものではなかったということです。

エスター・フィリップス、ダイナ・ワシントンという女性シンガーも、まったくお呼びじゃありません。女がうたうと、愉快なはずの歌詞が、いきなり不愉快になります。たんに浮気男を懲らしめているだけの歌になってしまうのです。ジュリー・ロンドン・ヴァージョンはそこをうまく避けていますし、声がいいから許すという感じで、ナンシー・ウィルソンは、ハル・ブレインとキャロル・ケイのグルーヴがよく、とりわけ、ハルのタムタムが楽しいから、まあいいか、というだけです。

じつは難曲なんだなあ、とため息が出ます。曲がシンガーをきびしく振り落としてしまうのです。満足できるヴァージョンは、わたしの場合、ニルソン盤のみ、まあいいか、というのが、エディー・キャンター盤、ドリス・デイ&ダニー・トーマスのデュエット盤というところです。

現実のヴァージョンが退屈なため、今日はつねにdistractされたままで、そこにあるヴァージョンを聴いても、ありえたかもしれないヴァージョンのことばかり考えてしまいました。日本ではだれかなあ、ということも考えました。パッと思い浮かんだのはトニー谷。つぎに思い浮かんだのは、尻取りをしているわけじゃないのですが、谷啓。谷啓ならまだまにあうのに、と思ったのですが、この歌詞の味わいを日本語に移せるか、と考えたところで、やっぱり幻だ、と納得しました。

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Makin' Whoopee: Capitol Sings Broadway このアルバムには、エディー・キャンターのリメイク盤Makin' Whoopeeが収録されている。

by songsf4s | 2008-06-11 23:44 | Moons & Junes
Fly Me to the Moon その2 by Frank Sinatra
タイトル
Fly Me to the Moon (a.k.a. "In Other Words")
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Bart Howard
収録アルバム
It Might As Well Be Spring
リリース年
1964年
他のヴァージョン
別掲
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各ヴァージョンの検討に入るまえに、昨日ふれたコードのことから。ほかのヴァージョンをちゃんととる時間の余裕はなかったのですが、たとえば、

Fly me to the moon
Am7          Dm7
And let me sing among the stars
G7                     C

というような始まり方が、シンプルなコードワークとしては一般的ではないかと思います(コードネームのあいだには全角スペースをおいただけなので、環境によってコードの位置がずれることがある)。ボビー・ウォマック盤の冒頭をこのキーに合わせると、Am7-F-G7-Cだから、ほぼ同じ、代用コードのヴァリエーションの範囲内です。印象はずいぶん異なるのに、意外なこともあるものです。

ひとつだけいえるのは、じっさいのアレンジでは、上記の一般化したコードほど単純ではないことが多く、しばしばテンションをつけたり、飾りのコードが追加されたりするのに対して、ボビー・ウォマックは、正真正銘、シンプルにやっているというちがいがあることです。

問題は、このあとだというご意見もありましょうが、残念ながら、時間がとれませんでした。どうかあしからず。

◆ フランク・シナトラ盤 ◆◆
f0147840_23582785.jpgクリント・イーストウッドが監督・主演し、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェイムズ・ガーナーらと共演した『スペース・カウボーイ』というのは、なかなか楽しい映画でした。設定にいくぶん無理があるのですが、そういう綻びを隠すのが俳優の役目ときまっているわけで、そういうことはお手のものという老練な男優がずらっと勢揃いしたおかげで、ゴチャゴチャ難癖をつける隙をあたえませんでした。

冒頭、トミー・リー・ジョーンズの役の若いときの俳優(ほかにいい書き方がないものかと思うが、思いつかず。ご老体たちの若いころのシーンはみな若い俳優が演じている)が、X-15のような実験機を成層圏近くまでぶっ飛ばしながら、Fly Me to the Moonをうたうところがなかなか印象的でした。もっとも、この直後に墜落してしまうのですが!

このFly Me to the Moonは、じつは伏線だったことが最後にわかります。エンド・タイトルに移るまえに、チッチ、チッチ、チッチとハイハットだか、ベースの弦をスラップする音だか、ミュートしたアコースティック・ギターだかがビートを刻みはじめると、おお、あれじゃないか、となります。シナトラのFly Me to the Moonだぞ、と思うのです。

前後がないので、なんのことかわからない画像ですが、いちおうYou Tubeに、そのシーンがあります。たしかに、こういう脚本だったら、最後はシナトラをもってくるしかないな、と思います。エンド・タイトルにシナトラが流れると、映画を見た満足感が増すように、いつも感じます。

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フランク・シナトラとジョン・F・ケネディー。時期から考えて、Fly Me to the Moonは宇宙開発に刺激されて生まれ、有人宇宙飛行計画の進展とともに親しまれるようになった曲なのかもしれない。

フランク・シナトラのFly Me to the Moonの最初のヴァージョンは、1964年6月9日に録音されています。アレンジとコンダクトはクウィンシー・ジョーンズ、パーソネルは不明ですが、カウント・ベイシー・オーケストラとの共演となっています。アレンジは可もなし不可もなしですが、プレイは非常にけっこうで、乗れます。

だいたいが、わたしはビッグバンド・ドラミングが好きなのですが、こういうドラマーなら文句ありません。ジャズ・コンボのドラマーにはよろしくない人がたくさんいますが、ビッグバンドでは、コンボとちがって、ドラマーが重要な位置にある、というか、タイム・キーピングは死活的に重要なので、ひどいドラマーというのはいません。いや、しばしば、名前を知りたくなるドラミングにぶつかります。

シナトラのヴォーカルも、いつものようにけっこうなものです。こういうのを聴くと、やっぱり、ミディアムからアップで、グルーヴに乗ってうたっているときのシナトラがいちばんいいと思います。

f0147840_012272.jpgシナトラのFly Me to the Moonにはライヴがいくつかあるようですが、うちにあるのは94年の福岡ドームでの録音です。もう最晩年の録音なので、声はぜんぜん出ていませんが、それはそれでいいか、と思います。ただ、冒頭で、クウィンシー・ジョーンズの曲といって、オーケストレーターと言い直しているのが、ああ、やっぱり記憶がねえ、と哀しくなります(この年になると、ひとごとではない)。ソングライターの名前はついに思いださなかったのか、イントロが終わってしまっただけなのか……。

◆ ジュリー・ロンドン盤 ◆◆
歌もので、すげえなあ、と感動するのがジュリー・ロンドン・ヴァージョン。この人の声が好きな方なら、Fly Me to the Moonは必聴でしょう。あまりいい音質ではなく、ジュリーの声の魅力が十全に伝わるとはいえませんが、You Tubeにこのスタジオ録音があります。

f0147840_0134346.jpgいつだってジュリー・ロンドンの声はけっこうなものですが、Fly Me to the Moonはいちだんと素晴らしいうたいっぷりです。チキン・スキン・ヴォイスですぜ。いろいろな編集盤に収録されているのも当然の出来だと思います。アップテンポが得意なシンガーだとは思わないのですが、こういうのを聴くと、不得手というわけでもないのだな、と認識を改めます。

ジュリーの歌ばかりでなく、アレンジ、プレイ、そして録音も素晴らしく(残念ながらYou Tubeのクリップはモノだが、ほんとうはステレオ)、ほぼ完璧な出来のトラックです。すげえな、アレンジャーはだれだよ、と確認すれば、アーニー・フリーマン。じゃあ、これくらいは当たり前だ、なんていいそうになります。でも、アーニー・フリーマンですからね、やっぱり当然の出来というべきでしょう。

f0147840_0171853.jpgアーニー・フリーマンのいいところは、甘いだけではない、軽く苦味をきかせた弦のアンサンブルをつくれることです。ハリウッドにはクールな管のアレンジができる人は、ビリー・メイ、ショーティー・ロジャーズ、ニール・ヘフティーをはじめ、たくさんいましたが、ただ甘いだけではない弦のアレンジをできる人は多くなかったと感じます。

60年代中期にフリーマンが大活躍することになった大きな理由は、この弦のアレンジではないかと考えています。いや、たんに弦のアレンジで抜きんでていたというだけで、管のアレンジが下手だというわけではないので、誤解なきよう。ブレンダ・ハロウェイのYou've Made Me So Very Happy(こちらがオリジナル)でのフリーマンのアレンジはむちゃくちゃにカッコよくて、あれを聴くと、BS&Tのカヴァーなんか子どものいたずらに思えます。

Fly Me to the Moonのイントロの弦のピジカートによるリックは、ヒット・ヴァージョンであるジョー・ハーネル盤(後述)からの借り物でしょうが、ハーネル盤とは比較にならないほどスケール・アップしています。アイディアをたっぷり詰め込んだ、冴えに冴えたストリング・アレンジメントです。ピアノとドラムとベースのリズム・セクションがまたうまくて、じつに気分よく聴けます。毎度いっていますが、これがハリウッドというインフラストラクチャーの地力です。

てなこといって、うやむやにせず、久しぶりに「体を張った推測」をすると、ドラマーはアール・パーマーです。タイムとフロアタムのサウンドからいって、確率90パーセント以上。だって、プロデューサーはスナッフ・ギャレットですからね。ギャレット=フリーマンとくれば、ボビー・ヴィーのコンビです。プレイヤーも同じだと考えてよい、というか、推測の基本原則からいって、明白な否定材料となる音が聞こえないかぎり、時期が同じならメンバーも同じだと考える「べき」なのです。となると、ベースはレッド・カレンダーあたりが有力。いいグルーヴです。

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左から、アーニー・フリーマン、スナッフ・ギャレット、アール・パーマー。壁面の吸音材の形状から考えて、場所はユナイティッド・ウェスタン・レコーダーと思われる。

そこまではいいとして、ピアノもほかのセッションと同じように、フリーマン自身のプレイなのでしょうか。だとしたら、やっぱり、アレンジャーとしてばかりでなく、プレイヤーとしてもたいしたものだったのだなあ、と見直しちゃいます。目の覚めるようなプレイです。

ギャレット=フリーマンのコンビから、もうひとつ推測できることがあります。スタジオはユナイティッド・ウェスタンだということです。この弦の鳴りから考えて、確率98パーセントぐらい。すべての条件が、ほうっておいてもいい音になってしまうように整っているのです。だからいつもいっているでしょ、これがハリウッドというインフラストラクチャーのすごいところなのです。

ノーマルな歌もののFly Me to the Moonとしては、このジュリー・ロンドン・ヴァージョンがいちばんいいと思います。

◆ クリス・モンテイズ盤 ◆◆
f0147840_0272775.jpgテンポのゆるいものは概して苦手なので、そういうものはオミットさせていただき、速めのものとしては、ほかにクリス・モンテイズ(ご本人の発音にしたがってカタカナ表記した)盤があります。この時期のクリス・モンテイズのバンドは、ハル・ブレインをはじめ、手練れがそろっていて面白いのですが、この曲は、大満足とまではいきません。小満足ぐらいです。

クリス・モンテイズの盤で面白いのは、ハル以外では、ピアノが非常にいいことです。主としてピート・ジョリーが弾いていたようですが、ハル・ブレインの回想記によると、バディー・グレコが来ていたこともあったそうです(テレビ番組だけのワンショットだろうが、バディー・リッチとグレコが共演したトラックがあって、これがすごいのなんの! いや、リッチ、グレコの両方ともが、ということ)。

Fly Me to the Moonのピアノがどちらかはわかりませんが、いずれにしても、いいプレイヤーです。しかし、こういう曲で、こういうテンポでは、あまり活躍の余地がありません。活躍の余地がないといえば、ハル・ブレインも同じです。このテンポでフィルインを入れると、どうしてもせわしない印象になるのを否めません。いや、ちょっとだけタムを入れてくれたので、まちがいなくハルと確認できたのですが、でも、このフィルはないほうがいいだろうと思います。

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ピート・ジョリー(左)とバディー・グレコ

ということで、いくらなんでもテンポが速すぎるかな、と感じますが、その点をのぞけば、悪くないトラックです。ただ、このアルバムは、ほかにすごくいい出来のトラック(タイトル・カットのThe More I See YouやCall Me)があるので、相対的に印象が薄いのです。

◆ エイプリル・スティーヴンズほか ◆◆
ほかに気になる歌ものFly Me to the Moonとしては、エイプリル・スティーヴンズのものがあります。うまいとはいいかねるのですが、目立つ声をしているし、あまりスムーズとはいえない、変わった歌い方をするので、なんとなく気になるシンガーです。こういう風に、同じ曲のヴァージョンくらべをやるときには、得な人だと思います。まあ、うまくないところが目立ってしまって損だ、と逆のこともいえるかもしれませんが。

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エイプリル・スティーヴンズは、前付けのヴァースをうたっています。前付けヴァースまでうたっているのは、うちにはほかにイーディー・ゴーメ、ジャック・ジョーンズ、トニー・ベネットのものしかないようです。この前付けヴァースは、メロディー・ラインが平板で、しかも永遠につづくかと思うほど長いので、わたしのように短気な人間は、もう能書きはよくわかったから、さっさと本題に入れ、とイライラしてしまいます。切ったほうが正解。

f0147840_0373852.jpgアストラッド・ジルベルトはいつもの調子です。彼女の歌が好きならば、Fly Me to the Moonも楽しめるでしょう。わたしは、彼女のピッチの悪さに大きな違和を感じるときがあるので、このヴァージョンはそれほど好きでもありませんが。Fly Me to the Moonのように、音程がジャンプする箇所がある曲は合わないような気がします。語りに近い曲のほうがいいのではないでしょうか。

クリフ・リチャードのFly Me to the Moonは2種類ありますが、リメイクはスロウ・バラッド・アレンジで、まったく好みではありません。アップテンポ・ヴァージョンは、ファースト・ヴァースとコーラスはなかなか悪くないな、と思うのですが、そのあと、ドラム(ブライアン・ベネットでしょう)が入ってきて、思いきり派手にバックビートを叩き、うるさくキックを入れ、それとともに、全体が騒々しくなるのが好みではありません。ドラマーの責任ではなく、プロデューサー、アレンジャーの仕事ぶりが気に入らないということですが。

f0147840_0385889.jpgサンドパイパーズは、スペイン語(たぶん)でうたっています。このグループに向いている曲だと思うのですが、Fly Me to the Moonはぎくしゃくしたところがあって、あまり気持よくありません。もっと流れるようにスムーズにうたえばよかったような……。

まだ歌ものが残っていますが、もうバテバテなので、ここらで打ち切りとさせていただきます。インスト・ヴァージョンにはまったく手が着けられなかったので、もう一回延長して、明日以降にそちらのほうの棚卸しをします。
by songsf4s | 2008-06-02 23:56 | Moons & Junes
Blowin' in the Wind その1 by Cliff Richard
タイトル
Blowin' in the Wind
アーティスト
Cliff Richard
ライター
Bob Dylan
収録アルバム
Kinda Latin
リリース年
1966年
他のヴァージョン
The 4 Seasons, Trini Lopez, the Hollies, Johnny Rivers, Cher, Billy Strange, Hugo Montenegro, the Searchers, the Sidewalk Swingers, Marianne Faithful, Stevie Wonder, the Kingston Trio, PPM, Bob Dylan
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今月の風の歌特集は、じつは昨日までで終わりなのです。とくにアイディアもないので、月の残りは寝ていようかとも思ったのですが、四日も寝るわけにはいかないので、アンコールみたいに、だれでもご存知の軽い曲をいきます。といっても、この曲はあんまりだよなー、と書いている当人も感じています。

当ブログは、ブログであるからして当然ですが、世の中がどうなっているかなんてことはまったく気にしていません。得手勝手に、好きな曲を選択しています。近ごろは、ふつうのブログの顔をしながら、宣伝をやって金を取っているなんていう器用なブログがあちこちにあるそうですが、不幸にも、残念にも、無念にも、当家にはそんなおいしい話の噂すらなく、開設以来、だれも一銭もくれたことがありません。

口をはさむスポンサーがいないので、楽曲の選択はおおむね気随気ままにやっていますが、ときおり、「客観」というモーローとした、あら怪しやなあ、の概念がどこからか勃然とわき起こり、わが脳裏を徘徊しはじめ、世間体を気にしたりすることもあります。

昨夏、べつにいい曲とも思っていないSummertimeを取り上げちゃったりしたのが、その典型です。気随気ままのつもりでいながら、このていたらくなんだから、「世間体」というのはおそろしいパワーを持っているものです。あんまり力の行使をしないでほしいものだと思います。世間が迷惑します。

わたしは勝手気まま、夜郎自大を絵に描いたような人間のつもりでいるのですが、やっぱり、どこか世間体を気にしていて、風の歌特集なんていうと、世間で重要と思われている曲も、いちおう、念のために、プレイヤーにドラッグしちゃったりするのです。ものすごくたくさんあっても、やっぱり、こまめにドラッグしちゃうのです。あまりの数の多さに、それ自体が面白くなってしまうのです。守銭奴の心境ですな。数を数えることそれ自体が目的と化すのです。

で、深夜、ひとり秘かに、チャリン、チャリンと怪しい音をたてながら、Blowin' in the Windを数えてみました。ん? 意外に少ないものですな。「金にきれいな」人生を送ってきた余禄というべきでしょう。クリスマス・ソングだと、もっと圧倒的な物量作戦でくるのがありましたもんね。しかも、LPとCDとか、LPのオリジナル盤とベスト盤、CDのオリジナル・リイシューとベスト盤とボックス、なんていうダブりもあり(ホリーズのBlowin' in the Windが8種類もあるのは正気の沙汰ではないが)、圧縮すればごく一握り。じゃあ楽勝だ、と決めつけて、気楽にあぐらをかいて書きます。

◆ 人は何本のバラを踏みつぶさなければならないだろうか? ん? ちがうか ◆◆
いまさら、この曲の歌詞がどうなっているかなんてことを知りたい方はいらっしゃらないと決めつけ、でも、切り捨てる度胸はないので、全ヴァースまとめて以下にペーストします。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannonballs fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

How many years can a mountain exist
Before it's washed to the sea?
Yes, 'n' how many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
Yes, 'n' how many times can a man turn his head
And Pretend that he just doesn't see?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

YES, 'N' how many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

日本語に移すこともしません。当家のような重箱の隅をせせるブログにいらっしゃるぐらいの方なら、この曲の「訳詞」とやらぐらい、一度は目になさっているでしょう。なにをいまさら、ちゃんちゃらおかしい、仮名で書けば「ちやんちやら」だ、ですよ。

◆ クリフ・リチャード盤 ◆◆
こういう曲は妙にシリアスなところが困ります。子どものころは、いちおう、かしこまって聴いちゃったりしましたが(しかし、冒頭はhow many roseなのだと思った。文法上、rosesでなければならないから、そう聴き取るのは無理、ということも理解していなかった)、この年になると、そんな馬鹿はやりたくてもできません。

で、思考が短絡しました。馬鹿をやるなら、徹底しなければ意味がありません。中途半端は馬鹿も利口も等しくダメ。馬鹿路線でいこうと思ったとたん、思考が三段跳びをやめ、棒高跳びで結論に達しました。もっとも馬鹿っぽいカヴァーがいちばん偉い、つぎに馬鹿っぽいのが二番目に偉い、こういう基準で評価しよう、と。

反論はございましょうが、「なにをいまさらちやんちやらおかしい」の曲を取り上げるんだから、なにも曲がないというわけにはいきません。どうしたって趣向が必要です。本日の趣向は「馬鹿くらべ」と決めたので、もう手遅れです。文句あるかよ、あるはざない、と神君植木等公の御遺訓にもあります。

で、栄えある馬鹿Blowin' in the Windレースのナンバーワンは、二位とは鼻の差ですが、クリフ・リチャード盤に決定。こんな馬鹿なBlowin' in the Windはありません。すごいものです。もうイントロからしてボンゴがチャカポコして、ラテンですからね。ラテンですぜ、ちゃんと読んでくれましたか? ラテンのBlowin' in the Wind。アルバム・タイトルだって、Kinda Latinなのだから、(たぶん)まちがいありません。

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ここまでやってくれると、もうアナーキズム、テロリズム、カーリー女神ですよ。これほど原曲の深刻さを笑い飛ばせばリッパ! ザッパのまじめな批評(Anyway the Winds Blowって曲をつくった)なんか、これにくらべれば、ディランへのお追従同然じゃん、と思います。それくらい破壊的。

で、このヴァージョンのもうひとつ偉いところは、これだけのアホ馬鹿アレンジをしながら、ああだこうだを忘れて(とくに眉間に皺の寄った歌詞を忘れて)無心に聴くと、これっていい曲じゃん、と思わせるところです。

ホント、いい曲なんですよ。ヒットしそうなほどです。ヒットしなかったんでしょうかねえ。なら、シングル・カットしなかった会社がアホだったか、リスナーがツンボだったかのどちらかです。いまディスコグラフィーを調べたら、45はなくて、ただのアルバム・カット。馬鹿ですねえ。どっからどう見ても、正真正銘のヒット曲です。現にうちではヘヴィー・ローテーションでプレイされ、シンコペートした管のイントロ・リック入りで鼻歌になるほどの大ヒット中です。

◆ 4シーズンズ、トリニ・ロペス ◆◆
二位はフォー・シーズンズ。これもアホに年季が入っています。なんたって、アルバム・タイトルがThe Four Seasons Sing Big Hits by Burt Bacharach, Hal David, and Bob Dylanっていうんですからね。バカラック=デイヴィッドとボブ・ディランは同じ平面上にあると宣言しているのです。一瞬、すげえアナーキズム、と思ったのですが、これはわたしの心得違い。彼らのほうが正しいのです。歌は歌にすぎない、それ以上でもそれ以下でもない、というのが評論家以外のまっとうな生活人の考え方でしょう。

f0147840_00999.jpgイントロのピアノはこないだやったばかりのCast Your Fate to the Windのいただきのように聞こえます。あとはいつものフォー・シーズンズ・スタイルで、数小節のあいだは、ShellyとBlowin' in the Windがいっしょはまずいだろ、という気がチラッとしたりもするのですが、すぐに忘れちゃいます。いっしょでいいんです。しかし、このドラム、下手です。いや、バックビートは安定していますが、いくつかフィルで拍を食って、バックビートに戻るときに辻褄を合わせるという、非常によろしくないことをしています。ゲーリー・チェスターではなく、べつのドラマーではないでしょうか。

三着は、トリニ・ロペス盤。これもかなりのパアでんねん。いつものあの調子ですよ。世にいう「パーティー・サウンド」ってやつです。ご存知ない? じゃあ、ジョニー・リヴァーズの「ゴーゴー・サウンド」はどうです? あれの原型、三歳上ぐらいのお兄さんて見当です。それもご存知ない? じゃあ、忘れてください。

f0147840_03448.jpgBlowin' in the Windも、いつものトリニ・ロペスです。あのサウンドがなぜスタイルになったかといえば、なんでも飲み込める合切袋、ドラヱもんのどこでもドアだからです。どんな曲だろうと、その気になれば、パーティー・サウンドになります。ひとたび、「パーティー・サウンドのトリニ・ロペス」という名が確立してしまえば、あとは鯛焼きをつくるみたいなもので、鉄板の型に小麦粉を溶いたのとあんこを流し込んでいくだけです。

クリフ・リチャード同様、トリニ・ロペスもまた、歌詞がなにをいっても馬耳東風、おネエちゃんたちを侍らせて、楽しく、あくまでも脳天気にBlowin' in the Windをうたっています。音楽だから、こうでなくちゃね、というお気楽ぶりで、頭が下がります。実るほどこうべを垂れる稲穂かな。あ、これは誤用、すなわち慣用句の不適切な適用。

この時期(1965年)のトリニ・ロペスはハル・ブレインの可能性が高いのですが、この曲のドラマーは判断できませんでした。ずっとライドとサイドスティックだけで、フィルインといえるようなものは皆無なのです。サイドスティックだけじゃあねえ。でも、タイムの正確なうまいドラマーです。アコースティック12弦のリードも、これはうまい人だ、とひしひしと感じますが、残念ながら活躍しません。きっとおなじみのだれかさんでしょう。

◆ ホリーズ、ディランをうたい、ナッシュ、ディランをうたわず ◆◆
うれしくなるほどお馬鹿なヴァージョンは、残念ながら以上で売り切れです。以下は、そこそこお馬鹿なヴァージョンばかり。

着外、払戻金ゼロのそこそこお馬鹿Blowin' in the Windの代表は、ホリーズ盤。でも、馬鹿をやるつもりはなく、結果的に馬鹿に聞こえただけ、というところが弱いですなあ。こういうのを聴くと、馬鹿をやるというのは、知的操作なのである、と思いますね。だから、ホンモノの馬鹿には、面白い馬鹿はやれないのです。いくぶんかの知性が馬鹿を面白くするのです。

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いっときますが、わたしはホリーズの大ファンです。68年の渋谷公会堂も見にいき、大いなる感銘を受けて帰り、あんまり感銘を受けすぎた結果、自分のバンドで、ホリーズをやろうぜ、と大騒ぎし、できるわけないじゃんと、いつにもましてバンドメイトに迷惑がられたほどです。じつにはなはだしい迷惑だったようで、いまだに、ホリーズの話になるたびに、あのときのことを持ち出されます。On a Carouselはダメだったろう、つぎがDear Eloiseで、これもちょっとやってギヴアップ、なんて、水子供養をされてしまうのです。象は忘れないといいますが、幼友達の記憶力たるや、象が裸足で逃げますぜ、って、靴を履いてから逃げる象はいませんな。座敷に上がるまえから裸足でしょう。いや、象は座敷に上がりませんが。

で、このBlowin' in the Windを収録したアルバム、The Hollies Sing Dylanには曰く因縁怪談話怨霊譚がついています。当時は有名だった話です。曰く、この盤の企画が持ち上がったとき、グレアム・ナッシュが、ホリーズにディランが歌えるわけないだろ、といって辞め、CS&Nが生まれることになったというのです。

まあ、なんです、たしかに、The Hollies Sing Dylanの出来はよくありません。この失敗が祟って、このまま消えても不思議はなかったほどのきわだった失敗作でしょう。でも、だからといって、グレアム・ナッシュが正しかったのだ、なんてチラとも思いません。どっちも平等に馬鹿だっただけです。馬鹿だったけれどナッシュは結果オーライ、馬鹿だったのでホリーズは結果ナット・オーライだったにすぎません。

f0147840_064316.jpgホリーズにディランが歌えるわけがないとは、なんて言いぐさだよ、です。幼すぎます。青すぎます。クリフ・リチャードを見なさい、トリニ・ロペスを見なさい、フォー・シーズンズを見なさい、リッパにディランの曲をうたっているじゃないですか。ホリーズにできないはずがないでしょうに。

ディランの曲はほかとはちがう、という呆れた事大主義的勘違いを、ナッシュも、他のホリーズの面々もやらかしてしまったのです。結果ナット・オーライと、結果オーライは、同じ勘違いがもたらした結果の表と裏にすぎません。いや、ナッシュのゴタクは、たんなる理屈付け、「性格の不一致」みたいな、適当かついい加減なな理由にすぎなかったのでしょう。要は、もうホリーズにいたくなかっただけだろうと思います。

では、ホリーズはどうすればよかったのか? 答は風になんか舞っていません。ディランの商売道具なんかに騙されちゃいけませんよ。あれはシリアス馬鹿評論家どもをケムに巻く方便です。ウォーホールの缶詰のコマーシャルといっしょ。あの二人は血を分けた兄弟としか思えませんよ。評論家を愚弄する手つきがまったく同じです。

答はそこにデンと坐っています。ほかの曲と同じように、お気楽にうたえば成功したのです。じっさい、もうすこしでそうなるところだったのに、惜しいなあ、と思います。ボビー・エリオットとバーン・カールヴァートは、たんに、なにも考えていなかったのか、あるいは、なあにがディランだ、くだらねえ、と思っていただけか、いつものようにふつうにやっています。

ドラマーやベーシストといった地道な生活人は、ウォーホールやディランの目くらましには引っかからないのです。缶詰を描いた絵を見たら「缶詰の絵だねえ」と思うだけで、よけいな霊感など受け取りません。いや、ウォーホールが嫌いだといっているのではありません。世間を完璧にたばかったスーパー詐欺師として心から尊敬しています。

まあ、とにかく、ボビーとバーニーのごくまっとうな生活人ぶりを評価して、ホリーズ盤Blowin' in the Windは4位としましょうや。やっぱり、ボビーはいいなあ、と思うから、それでいいのです。

◆ ジョニー・リヴァーズとシェール ◆◆
お馬鹿サウンドの元祖総本家勧進元大問屋であるハリウッドで製造されたBlowin' in the Windは、トリニ・ロペス盤ばかりではありません。

トリニ・ロペスのパーティー・スタイルをいただいて、ゴーゴー・サウンドで売り出したジョニー・リヴァーズのBlowin' in the Windも、当然、ほぼ、いつものようなサウンドでやっています。でも、トリニ・ロペスほど脳天気度が高くないのが欠点です。「ほぼ」であって、「完全に」いつもどおりでないところが弱点です。

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これくらいの時期からジョニー・リヴァーズのドラマーはハル・ブレインになるのですが、この曲はちがうでしょう。タイムがやや早く、ちょっと突っ込んでいます。ベースはジョー・オズボーンなのでけっこうなプレイですがね。まあ、こういうサウンドの場合、遅いよりは早いほうがずっとマシに聞こえるので、ミッキー・ジョーンズだか誰だか知りませんが、こういうドラミングは次善ではあります。

サウンドはそこそこですが、問題はジョニー・リヴァーズのほうにあります。Where Have All the Flowers Goneなんか、これでもか、といわんばかりに脳天気にやったくせに、ディランの曲となると、ミスター・ゴーゴーでも、いくぶんか、かまえてしまうのだから、くそまじめ馬鹿評論家のプロパガンダも馬鹿になりません。

なんだっていってみるものですな。世の中には騙されやすい人間がたくさんいるのです。ウォーホールが成功したのなら、その戦略を忠実に音楽界に翻訳したディランが成功しても不思議はありません。俺の作品がわからない奴は脳みそが足りない、と暗示してやるのです。脳みそが足りないシリアス馬鹿評論家にかぎって、そうは思われたくないものだから、わかるわかる、などとわかったようなことをいうのです。

こういうくそまじめにお高くとまった曲は、爆破粉砕するしかないのですよ。それ以外にカヴァーする方法があったら、教えてもらいたいですね。クリフ・リチャードは、無意識馬鹿が意図的自覚的馬鹿に勝っただけという、結果オーライにすぎないかもしれませんが、みごとにくそまじめ曲を粉砕しています。ただの曲じゃネエか、ただの曲としてうたやいいんだ、答なんかどこにあろうと知ったことか、王様は裸だ、です。

で、やっぱりなにも考えていなかったふしのあるシェール盤も、もうすこしだったのに、惜しいなあ、という出来。これはハル・ブレインでオーケイでしょう。とくにいいプレイではありませんがね。一カ所、フィルインで拍を食ったところがあるのが気に入りません。ハル・ブレインだってミスをするのですが、そういうのはプロデューサーが聞き逃さず、リテイクしてもらいたいのです。

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ソニー・ボノの戦術というのはじつに単純で、簡単にいうと、「低予算サルにもわかるスケール・ダウン通俗スペクター・サウンド」です。シェールの初期の盤のすべてに、この定義を当てはめられます。ソニー&シェール名義のものも同様。もちろん、彼女のBlowin' in the Windもこの定義のど真ん中です。

シェールのAll I Really Want to Doがヒットし、競作となったバーズ盤が完敗した、というのはなかなか愉快な現象です。ここから読み取れることは、ディランだろうがなんだろうが、ヒットチャートに登場する曲は、本質的に「ヒット曲」なのだ、ということです。つまり、流行歌だということ。シリアスだろうがなんだろうが、そんなことはリスナーの知ったことじゃないのです。

バーズとしては、自分たちのシリアスなヴァージョンが、シェールの脳天気なヴァージョンに負けたのは心外だったかもしれませんが(じっさいには、とくにシリアスなヴァージョンというわけでもないんですがね)、出来をくらべれば、当然の結果です。シェールのAll I Really Want to Doは「いい曲」に聞こえ、ラジオで流れればいい気分になるでしょうが、バーズ盤はダメです。バッド・ヴァイブレーション。グッド・フィーリンのほうがヒットしたのは当たり前です。

ひるがえって、こういう結論になります。バーズのMr. Tambourine Manは、ディランの楽曲としてヒットしたわけではない、たんに流行歌としてよくできていただけである、と。

よけいなことばかり書いていたら、いつのまにか文字数制限の崖っぷちに立っていました。残りは明日に持ち越させていただきます。
by songsf4s | 2008-05-28 23:59 | 風の歌
The Windmills of Your Mind その2 by Dusty Springfield
タイトル
The Windmills of Your Mind
アーティスト
Dusty Springfield
ライター
Michel Legrand, Alan and Marilyn Bergman
収録アルバム
Dusty in Memphis
リリース年
1969年
他のヴァージョン
Noel Harrison, Petula Clark, Vanilla Fudge, Henry Mancini, Paul Mauriat, Percy Faith, Jose Feliciano, Michel Legrand (instrumental theme from the OST), David Grisman (as Clinch Mountain Windmill), the Sandpipers, Art Farmer with the Great Jazz Trio
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プレイヤーの表示をつらつら眺めてみると、Windmills of Your Mindではなく、The Windmills of Your Mindと定冠詞をつけるほうが多数派でした。盤を取り出して確認したところ、オリジナルのThe Thomas Crown Affairサントラ盤も定冠詞をつけていたため、昨日の記事にまでさかのぼって修正しました。

◆ キャロル・ケイとミシェル・ルグラン ◆◆
昨日の記事で、同じThe Thomas Crown Affairで使われているThe Boston Stranglerという曲も、ついでに聴いてみてくださいと申し上げました。その理由は、冒頭でベースだけが単独で聞こえるからです。ファンの方はすぐにお気づきになったはずですが、このプレイヤーはキャロル・ケイです。

馴れた耳なら、だれにいわれなくてもわかるほどハッキリ特長が出ていますが、これはご本人も確認していることなので、まちがいありません。そもそも、わたしがThe Thomas Crown Affairのサントラを買ったのは、CKさんとメールを交換していて、あの映画でプレイしたということをお聞きし、卒然と、あれはいい映画だった、と記憶がよみがえった結果なのです。

サントラCDに収録されている曲のなかにはスタンダップ・ベースが使われている曲もあり、そうしたトラックはもちろん別人のプレイですが、フェンダー・ベースはすべてキャロル・ケイのプレイだろうと思います。CKさんは、ミシェル・ルグランをきわめて高く評価していて、この映画でのプレイはご自分でも気に入っているようです。

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ついでにいうと、ベースだけでなく、The Boston Stranglerのドラムも聞き覚えがあるとお感じになる方が多いのではないでしょうか。ガチガチに大丈夫というわけなく、確率は80パーセントぐらいですが、ハル・ブレインのプレイだろうと思います。ハルは映画の世界ではエース・ドラマーではありませんでしたが、やはり相当数のサントラで叩いているようです。

ノエル・ハリソンのThe Windmills of Your Mindのベースも、CK印がペタッと押してあるプレイになっています。ドラムは非常に控えめなので、だれともつきませんが、ハルではないと感じるプレイもしていません。

テンポがゆるくなったり、元にもどったりするので、見えないところで技術が求められる曲ですが、当然ながら、ハリウッドのクルーはそういうときにこそ力を発揮することになっていて、きわめてスムーズなサウンドをつくっています。

◆ ノエル・ハリソンとミシェル・ルグラン ◆◆
ノエル・ハリソンは、結局、「レックス・ハリソンの息子」という「枕詞」がとれなかった人で、華々しいキャリアがなく、The Windmills of Your Mindで記憶されることになるのではないでしょうか。ほかのヴァージョンとくらべてみて、やっと認識できたのですが、存在感の稀薄な、ノエル・ハリソンのふわふわとした声は、この曲にはふさわしいと感じます。

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ノエル・ハリソン。「アンクルの女」より。

映画では、テーマソングの変奏曲というのがしばしば使われ、サントラのThe Windmills of Your Mindにもインスト・ヴァージョンがあります。ミシェル・ルグラン名義になっているこのヴァリアントは、トラックはノエル・ハリソン盤と同一のもので、ヴォーカルのパートをハープシコードのプレイに差し替えただけではないかと思います。このヴァージョンが映画のどこで流れるのかは記憶していませんが、リード楽器としてハープシコードを選択したのは正解だと感じます。

ライナーによると、The Thomas Crown Affairの音楽は、奇妙な形で制作されたそうです。ミシェル・ルグランはノーマン・ジュイソンに、「監督は二カ月ばかりヴァケーションをとってください」といったそうです。つまり、口を出すな、ということです。

f0147840_2337892.jpgフィルムをみながら、秒刻みのスコアを書くという通常の方法もとりませんでした。一度だけラッシュを見て、その印象をもとに、90分のシンフォニーを書く、もしも結果が気に入らなかったら、新しいスコアをノーギャラで書くといったのだそうです。映画に使われたのは、もちろん、ルグランがフリーハンドで書いたスコアです(ジョン・カーペンターも、Halloweenのスコアは、フィルムを参照せずに書いたといっている。まあ、カーペンターの場合、自分が監督したのだから、明確に記憶していただろうが)。

よくあることですが、The Windmills of Your Mindも、ヴァージョンによってずいぶんコードが異なっています。ノエル・ハリソン盤は、途中、自信のないところがありますが、ファースト・ヴァースとセカンド・ヴァースはEbm-Bb7-Ebm-Eb7-Abm7-Db7-F#-Abm7-Db7-Bb7-Adim-Bb7-Ebmというあたりだろうと思います(サード・ヴァースはかなり異なっているが、まだとれていない)。

ポイントは、EbmからEb7への移行と、Adimです。聴いていると、この二カ所が非常に耳に立ちます。こういうのは、ロック・グループの曲にはあまり見かけないパターンでしょう。

ちなみに、ライヴなので、OSTヴァージョンとは大きく異なりますが、ミシェル・ルグラン自身の歌によるThe Windmills of Your MindがYou Tubeにあるので、ご興味のある方はどうぞ。やっぱりシャンソンになっちゃうねー、でした。

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◆ 歌ものカヴァー ◆◆
キャロル・ケイとハル・ブレインの話が出たついでに、もうひとつ、このコンビのプレイに聞こえるヴァージョンをあげておきます。ペトゥラ・クラーク盤です。The Windmills of Your Mindが収録されたPortrait of Petule/Happy Heartの大部分のトラックは、Arranged and Conducted by Ernie Freemanとクレジットされています。つまり、ハリウッド録音だということです。

f0147840_23431476.jpgペット・クラークのハリウッド録音のアルバムでは、ハルは皆勤賞ではないかとおもうほどしばしばプレイしています。キャロル・ケイもペットのトラックはたくさんやったといっています。まあ、この時期にハリウッドで録音すると、ハル・ブレイン以外のドラマーに当たる確率のほうが低いといっていっていいくらいなのですが!

ペットのWindmills of Your Mind(盤の記載では定冠詞がない)は、いかにも彼女にふさわしいアレンジになっています。さすがはアーニー・フリーマンというべきでしょう。プレイも歌もアヴェレージ以上の出来です。ただ、この曲については、わたしはもっともテンポが速いほうがいいのではないかと感じます。ペットらしさという意味では、このテンポがいいのでしょうが。

f0147840_2345084.jpgもうひとつ、ハル・ブレインがプレイしたThe Windmills of Your Mindがあります。サンドパイパーズ盤です。ああいうグループなので、どの曲も、すごいというほどよくもなければ、腹が立つほどダメということもなく、いろいろな意味でほどほどの、BGM的な音ですが、そのかぎりにおいては、サンドパイパーズのThe Windmills of Your Mindも、それなりに楽しめる出来です。ハル・ブレインも、ほどほどに活躍しています。

世にいわれるほど、ダスティー・スプリングフィールドのDusty in Memphisがすぐれた盤だとは思いませんが(メンフィスのプレイヤーのグルーヴはポップ系の曲には合わない。メンフィスのよさを感じるのはSon of a Preacher Manなど、一握りのトラックだけ。ランディー・ニューマンのJust One Smileなどはまったくいただけない)、このアルバムに収められたThe Windmills of Your Mindは、オリジナル以外ではもっともすぐれたものと感じます。これだけがトップ40にチャートインしたのも当然でしょう。You Tubeには動画はありませんが、音だけならダスティーのThe Windmills of Your Mindも聴くことができます。

f0147840_23533564.jpgなにがいいかというと、The Windmills of Your Mindでは、ダスティーの声が彼女のほかのどんな盤よりもすばらしく聞こえることです(といっても、数枚しか聴いたことがないのだが)。じっさい、このアルバムのほかの曲を聴いても、これほどいい感じで声がしゃがれて、テクスチャーのでているトラックはありません。キーもちょうどよかったのでしょう。低いところにいって、声がクラックする瞬間がじつに魅力的です。

メンフィスのリズム・セクションでポップ系の曲をやる意外性、というベンチの狙いはまったくの机上の空論、下手な考え休むに似たりだと思います(レジー・ヤングが下手に聞こえるのは、不向きな曲が多いからだろう)。しかし、ほかのことはどうあれ、ダスティーのすばらしい瞬間を記録できたのだから、まんざら無駄な遠出でもなかったといえるでしょう。

◆ オーケストラものカヴァー ◆◆
オーケストラものには、あまりいいと感じるものはありません。パラドキシカルな言い方になってしまいますが、本来がオーケストラ向きの曲だからだろうと思います。対比の魅力がなく、いずれもクリシェに堕していると感じます。

f0147840_23552052.jpg長いあいだ、ヘンリー・マンシーニにささやかな偏見をもっていました。子どものときに、ヘンリー・マンシーニがカヴァーしたLove Theme from Romeo and Julietが大ヒットしたのですが、これが大嫌いだったのです。ヘンリー・マンシーニのThe Windmills of Your Mindを聴くと、そのLove Theme from Romeo and Julietを思いだします。

双方ともピアノをリード楽器にしているから、ということだけでなく、楽曲自体がちょっと似たところがあると感じます。その後、好みも変わって、いまではポップ・オーケストラをよく聴くようになっていますし、なかでもヘンリー・マンシーニはスーパーAクラスだと思いますが、それでもやはり、Love Theme from Romeo and Juliet(ドラムはハル・ブレインだが)はあまり好きではなく、そして、それに似た雰囲気をもつ、マンシーニ盤The Windmills of Your Mindも、やはり気に入りません。

パーシー・フェイスは、この曲をアルバム・タイトルにしたほどで、力が入っているのですが、どうでしょうかねえ。OST収録のヴァリアントと同じように、ハープシコードをリード楽器に使っていますが、その分だけOST収録のインスト・ヴァージョンに似てしまったと感じます。テンポを遅くしてしっとりとやるヴァージョンが多いのに、パーシー・フェイスはOSTに近い速めのテンポでやっていること自体はけっこうですが、それも特長を出せなかった一因で、やや皮肉な結果になっています。

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ポール・モーリアはイントロのストリングスのフレージングが、どこからどう見てもポール・モーリア以外の何者でもなく、思わず笑ってしまいます。こういうムードで売った人だからなあ、と思います。ポール・モーリア・ファンには十分に楽しめる出来でしょう。

◆ 変わり種ヴァージョン ◆◆
f0147840_0122183.jpgスタジオ録音とは異なるものですが、You Tubeにはホセ・フェリシアーノのThe Windmills of Your Mindもあります。わたしの好みからいうと、ややパセティックすぎますが、フェリシアーノというのはそういう人なのだから、そんなことをいってもはじまりません。この曲は演歌的にやったほうがいいと感じる方にとっては、あるいはこれがベスト・レンディションかもしれません。スタジオ盤は悪くない出来です(ヴィデオを見て、やっぱりいろいろよぶんなテンションをつけているなあ、と思った。ギタリストとしては当然だが)。

さて、残ったのは変わり種がふたつ。ひとつは、いわずと知れたヴァニラ・ファッジ盤です。もう、ヴァニラだとしかいいようのないアレンジでやっています。この年になると、こういうのはいいんだか悪いんだか、さっぱりわかりません。

f0147840_0124696.jpgヴァニラ・ファッジのThe Windmills of Your Mindは、先日取り上げたSeason of the Witchに近いアレンジといっていいでしょう。ヴァニラのアレンジのひとつのパターンがこれでした。思いきりテンポを落とし、大仰に、おどろおどろしくやるのです。十代の子どもはこういう音が好きなので、わたしもそれなりに聴いていましたが、この曲が収録されたアルバム、Rock & Rollのころには、怪獣映画に飽きた小学生のように、もうヴァニラ・ファッジはたくさんだと思っていました。

年をとってみると、こういう音にかすかなノスタルジーを感じますし、子ども(この場合はわたしのことではなく、ヴァニラのこと)というのは可愛いなあ、とも感じます。こういう風にやるのがアーティスティックだと思いこんでいたのでしょうねえ。大人には思いつかないことです。まあ、それだけのことで、いまとなっては60年代のスーヴェニアの意味しかないでしょう。

f0147840_013322.jpgどん尻に控えしは、デイヴィッド・グリスマンのブルーグラス・ヴァージョン。タイトルもClinch Mountain Windmillsとなっているので、同じ曲といっていいかどうかも微妙ですが、しかし、The Windmills of Your Mindのメロディーをテーマにした一種のジャム、という表現ならかまわないでしょう。使用楽器はフラット・マンドリンとバンジョーのみで、おおむね、グリスマンのマンドリンを聴かせるためのトラックといえます。

グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアは、晩年、しばしばデイヴィッド・グリスマンといっしょにサイド・プロジェクトをやっていて、そこに、ハル・ブレインがパーカッションで加わることもあり、グリスマンという人はなかなか気になる存在です。Clinch Mountain Windmillsが収録されたDawg Duosというアルバムには、ハル・ブレインも参加していますが、前述のように、マンドリンとバンジョーのデュオ曲なので、Clinch Mountain Windmillsではハルはプレイしていません。

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類は友を呼ぶ。ジェリー・ガルシア(左)とデイヴィッド・グリスマン。

◆ その他の寿限無寿限無 ◆◆
これで終わりかと思ったら、まだアート・ファーマー盤がありました。わたしは日活映画を浴びるほど見たので、こういうフリューゲルホーンを聴くと、なんだか日活みたいだなあ、と思います。『銀座の恋の物語』の開巻まもなく、物干しでトランペットを吹いていた、あの遠景の人物はアート・ファーマー? 無理矢理こじつけてみると、あのころの日活映画の音楽には、ジャズ・プレイヤーがたくさん参加していたので、ある種のシンクロニシティーがあって当然なのでしょう。

余談はさておき、アート・ファーマー盤も出来は悪くありません。ジャズというより、ジャズ・ミュージシャンによるポップ・オーケストラ・アルバムというおもむきで、ジャズのほうからも、ポップのほうからも、あまり相手にされないアルバムでしょうけれどね。まじめに聴き直してみて、ベースは非常にうまいと感じました。グッド・グルーヴの持主です。面倒がらずに名前を確認したら、エディー・ゴメスという人だそうです。

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それにしても、You Tubeで検索をかけると、じつにもって呆れかえるほど多数のThe Windmills of Your Mindがありますなあ。バーバラ・ルイス・ヴァージョンなんてのがあったので、思わず聴いちゃいましたが、ひどいバッド・グルーヴで辟易しました。わたしは彼女のファンなのですが、出来のいいのはほんの一握りだと思います。You Tubeにアップしただれかさんは、ライノのベスト盤のジャケットを使っていますが、この盤にはThe Windmills of Your Mindは収録されていません。

さらにいくつか聴いてみましたが、いいものというのは、そうそうゴロゴロしているものではないということがよくわかっただけでした。しいていうと、意外にもマット・モンローのものが好ましい出来に感じました。だいたい、この曲は大仰にアレンジしたくなるところがあるので、そこをぐっとこらえて、軽くやるとうまくいくのです。そういう意味でマット・モンロー盤のアレンジとレンディションは正解でしょう(ただし、サブリミナルみたいなスライド・ショーは見ないほう身のため!)。
by songsf4s | 2008-05-18 23:55 | 風の歌
Cast Your Fate to the Wind その2 by Billy Strange & the Challengers
タイトル
Cast Your Fate to the Wind
アーティスト
Billy Strange & the Challengers
ライター
Vince Guaraldi, Carl Werber
収録アルバム
Billy Strange & the Challengers
リリース年
1967年
他のヴァージョン
The Sandpipers, David Axelrod, Johnny Rivers, Vince Guaraldi Trio, Sounds Orchestral, Quincy Jones, Martin Denny, We Five, Ramsey Lewis
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昨日は曖昧模糊とした歌詞の解釈に難渋して、いろいろなことを書き忘れ、挙げ句の果てに、ジョニー・リヴァーズのジャケット写真の表を入れるつもりが、裏を入れてしまい、あとで気づいてビックリ仰天する騒ぎでした。

忘れたことのうち、もっともまずいのはライター名。これは忘れたというより、昨日の段階ではよくわからなかったのです。いまはCarl Werberという名前を入れていますが、これも確定ではありません。Weberとしている盤もあるのです。また、なんとかLoweだったか、べつの名前を書いているものもあれば、Werberと併記されているものもあります。

ライター・クレジットの混乱は思いのほか多いものです。厳密にいえば、これは作者名ではなく、著作権者名であり、たんに作者と著作権者が同一であるケースが多いにすぎません。著作権が譲渡されることはしばしばあります。また著作権をめぐる裁判の結果、ライター・クレジットが変更されることもあります。この曲の歌詞には、なにかそういう裏の事情があり、その結果、盤によってクレジットが異なっているのではないでしょうか。

◆ ボス・ギター・アンサンブル ◆◆
今日の看板には、ビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズを立てました。これはビリー・ストレンジとそのバンドということではなく、ビリー・ストレンジ・ウィズ・ザ・チャレンジャーズとしたほうがいいもので、ビリー・ザ・ボスとチャレンジャーズという、GNPクレシェンドのレーベル・メイトの共演という企画です。

しかし、そんなことは表向きのことにすぎません。実体は、ハリウッドのエース・プレイヤーたちのスタジオ・プロジェクトです。チャレンジャーズというグループは実在しましたが、スタジオではメンバーの一部がプレイした可能性はあっても、ドラムやリードといったキー・プレイヤーはみなスタジオ・ミュージシャンです。

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チャレンジャーズのベスト盤に付されたクレジット。なるほど、Additional Guest Musiciansとは、ものはいいようである。しかし、じっさいにはこんなものですむはずがない。これはごく一部にすぎないだろう。ただし、メンバー自身のプレイとしか思えないトラックもあるので、うっかりアウトテイク集なんか買ってしまうと、わたしのように泣きを見ることになる。

しかし、建前にいくぶんかは忠実であろうとした結果、この盤はなかなか楽しい仕上がりになりました。チャレンジャーズにビリー・ストレンジが加わったという建前なので、いつもよりギターの数が多いのです。ギター・アンサンブル・マニアとしては、これほどうれしいことはありません。

ビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズのCast Your Fate to the Windは、まず、左チャンネルのダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)がリードをとります。そのうしろでコード・ストロークをしているギターはおそらく二人、ダノにすこしかぶるようにもう一本のギターが左に入ってきて、これが短いソロというかメロディー・ラインを弾きます。

そして、いよいよ御大ビリー・ザ・ボス・ストレンジが、看板役者のように花道から、いや、いままで空いていた右チャンネルに登場します。ボスはニュアンスたっぷりのソフトなプレイを得意としていますが、ここではめったにやらないワイルドなインプロヴをやっています。

ビリー・ザ・ボスの16小節が終わって、ストップ・タイムをはさんだあとはやや複雑になります。ボスはそのまま残ってオブリガートにまわり、たぶん2本のギターがメロディーを弾き、その下にはダノが加わっているように聞こえます(最初に出てきた左チャンネルのダノはヴァースだけで消える)。

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ダノ・プレイヤーでもあったキャロル・ケイは、ダノはベースではなく、1オクターヴ低いギター、すなわち「ベース・ギター」である、といっています。「ローカル47」(アメリカ音楽家組合LA支部)の支払伝票では、ダノをプレイした場合、そのプレイヤーの楽器は「ギター」と記載されます。「ベース」と記載されるのはアップライトまたはフェンダーを弾いた場合のみ。これも、キャロル・ケイが組合に訂正を申し入れた結果なのだとか。彼女にいわせると、フェンダー・ベースを「ベース・ギター」というのは間違いで、この言葉は本来ダノを指すのだそうです。

で、CK説にしたがい、ダノをギターに繰り入れて(じっさいこの曲では、ベースのパートはフェンダー・ベースがプレイしていて、ダノはギターのパートを弾いている)勘定すると、この曲に登場するギターは、同じフレーズを弾いているギターがあるので、断定は困難ですが、おそらく左4人、右4人で、左右合わせて8人ということになりそうです。

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Danelectro Longhorn model 6 string bass guitar これは1966年製で、もとの持ち主はフーのジョン・エントウィスルだとか。

しかしですねえ、いくら60年代のハリウッドではオーヴァーダブは避けるといっても、8人が雁首そろえて弾いたとは思えません。ベーシック・トラックの段階ではコードのストロークやカッティングをしたプレイヤーが、二度目にはリードにまわったのではないでしょうか。きちんと計画を立てれば、4人×2パスで完了するはずです。これなら、ベーシック・トラッキングのあとに、ヴォーカル・オーヴァーダブをするのと同じ程度のジェネレーション・ロスですみます(ただし、プレイヤーは、というか、組合は、ひとりの人間が2種類の仕事をしたら、ふたり分の料金を請求するので、コスト・ダウン効果は小さい)。

書き忘れましたが、このヴァージョンもドラムはまちがいなくハル・ブレインです。インストでは歌手の邪魔をする心配はないので、ハルはいつも派手に叩きます。この曲でも、楽しそうに叩きまくっています。

なんせ、年端もいかぬころにサーフ・ブームに遭遇した世代なので、ちゃんとやってくれているかぎりは、こういうタイプのサウンドを、わたしはほぼ無条件で歓迎します。この盤は、ドラムがハル・ブレイン、ギターはビリー・ストレンジという好条件がそろっているし、しかも、アレンジされたギター・アンサンブルなのだから、これは極楽というものです。ギター・インスト・ファン、サーフ・インスト・ファンには、このレアLPを強くお奨めします。まだCDになっていない楽しい盤が山ほどあるのです。

◆ ピアノもの2種 ◆◆
興味のおもむくままにハル・ブレイン関連盤を先に出しましたが、Cast Your Fate to the Windのもっとも有名なヴァージョンは、オリジナルのヴィンス・グァーラルディー盤と、カヴァー・ヒットのサウンズ・オーケストラル盤です。

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この2種はひとつにまとめてしまっていいでしょう。サウンズ・オーケストラル盤は、ヴィンス・グァーラルディー盤のコピーだからです。法律的には問題ないのかもしれませんが、わたしがサウンズ・オーケストラル盤のピアニストだったら、こんな屈辱的な贋造は断じてしない、「それはぼくのやり方ではない」なんてフィリップ・マーロウのようなことをいって、プロデューサーに食ってかかるでしょう。

2種のどこがちがうかというと、オリジナルはピアノ・トリオのプレイなのに対して、模造品はそこにオーケストラをかぶせているという点です。それくらいのことはしないと寝覚めが悪いでしょう。リズム・セクションに関しては、オリジナルをそのままありがたくいただいただけのもので、なんの工夫もしていません。

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オリジナルは、イントロではベースが弓弾きでルート(Eb)をドローンのようにずっと鳴らしています。これがなかなか効果的なのですが、サウンズ・オーケストラル盤では、これを3オクターヴ上げ、ヴァイオリンでEbを鳴らしています。こういうのをアイディアと呼ぶ人もいるかもしれませんが、わたしなら「盗み方がセコい」といいます。

オリジナルが市場のことを考えずに、気ままにやっているのに対し、贋作は、売ろうという姿勢が明確で、聴きやすいサウンドになっています。だからヒットしたのでしょう。ヒットのためならなんでもやる、ということ自体はけっこうだと思います。しかし、その「なんでも」とは、なんらかの「工夫」でなくてはなりません。たとえば、バックビートが弱いと見れば、自転車のチェーンでスタジオの床をぶっ叩く(マーサ&ザ・ヴァンデラーズのDancin' in the Street)といったたぐいのことです。「なんでも」のなかには、盗みは含まれないのです。

以前、ペレス・プラードのCherry Pink and Apple Blossom Whiteを取り上げたときも、イギリス製模造品を聴いてイヤな気分になりましたが、そういう国民性なのかもしれません。われわれも同じような国民性をもっているような気がする、ということもそのときに書きました(自分で自分をコピーしてばかりで、近ごろめげている)。

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Vince Guaraldi

「法律が、警察が裁けないのなら、俺が裁く」なんて裕次郎にいわれるまえに、仮にも職業として音楽をつくる人間なら、コピーなんかアマチュアのやること、というプライドぐらいは持てといいたくなります。あっ、裕次郎の台詞自体がミッキー・スピレインの盗作か!

◆ エキゾティカの行き着いた場所 ◆◆
気分を変えるために、変わり種をいきましょう。変わり種とくれば、マーティン・デニー盤です。いや、いつものマーティン・デニーではありません。Exotic Moogというアルバム・タイトルが示すように、多数のムーグが右から左に、左から右に、ビュンビュン飛びかっちゃうのです。

ひところ、ムーグの音なんか聴きたくもなかったのですが、これだけ時間がたつと、アナログ・シンセの太いサウンドが、また魅力的に感じられるようになりました。ディジタル・シンセには、逆立ちしたってこんな音は出せません。アナログ・シンセが消えたのは、音が悪かったからではなく、パッチの設定が悪夢のように手間がかかったにすぎないわけで、プログラミングせずに、ただ懐手で聴いているぶんには、アナログのほうがはるかに音楽的な音だと感じます。

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Martin Denny "Exotic Moog" Quiet Village、The Enchanted Sea、Yellow Birdなどのエキゾティカ・クラシックのムーグ・ヴァージョンも入っている。ジャケットは二つ折りですらなく、ただのペラ一枚、そのくせ限定1000部だなんてくだらないことが書いてある。シリアル・ナンバーもないのに、限定もハチの頭もない。2オン1で、抱き合わせはLes Baxter "Moog Rock"だから、まあ、色彩は統一されている。

エキゾティカのすぐ隣に、どうやらささやかなハモンド・ブームがあったように思われますし、スペース・サウンドの流行もエキゾティカの文脈にありました。つまり、エキゾティカとは特定のサウンドのことではなく、異質な音を求める「気分」それ自体のことである、と定義するべきなのでしょう。

その気分が、ときには南洋ムードに、ときにはジャングル・ムードに、さらには宇宙ムードに、というように、刹那の像を結ぶということでしょう。そう捉えれば、最後に登場したエキゾティカの像が、シンセ・サウンドだったことは不思議でもなんでもないことになります。たまたま、これは細野晴臣が『泰安洋行』からYMOへとたどった道と重なります。

ハリウッド録音はまだつづきます。デイヴィッド・アクスルロッドもまたハリウッドの裏方のひとりです。イレクトリック・プルーンズのMass in F Minorは、じつはプルーンズとは関係なく、アクスルロッドがつくったものだそうで、このへんがいかにもハリウッドらしいところです(現在ではアクスルロッド名義で、The Warner/Reprise Recordings: Electric Prunes And Sessionsというタイトルの盤が出ていて、これはすでに公然の事実。ただし、いまだにプルーンズがプレイしたと考えられている初期のものについても、当然、疑いはおよぶことになる)。

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左上から、David Axelrod "Heavy Axe" The Electric Prunes "Mass in F Minor" David Axelrod "Warner/Reprise Sessions" David Axelrod "Earth Rot"

しかし、Cast Your Fate to the Windを収録したHeavy Axeという盤は1975年のものです。つまり、残念ながら、ハリウッドのインフラストラクチャーが半壊したあとの録音なのです。まだ瓦礫の山にはなっていませんが、取り壊しが決まって、住人の多数が転出してしまったあとのさびしい集合住宅状態。

こうなると、個々のプレイヤーの技量だけではどうにもなりません。うまくいくときもあれば、惨憺たる仕上がりになるときもあります。デイヴィッド・アクスルロッドのCast Your Fate to the Windは、どちらでもありません。つまり、とくに面白くもなければ、腹が立つようなものでもないのです。アクスルロッドの盤としては、1970年のEarth Rotのほうが、わたしには面白く感じられます。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
f0147840_0225781.jpgクリスマス・ソング特集のときに、ラムジー・ルイスの盤をけなした記憶がありますが、Cast Your Fate to the Windは、なかなか好ましい出来です。ピアノとコンガを前に出し、ブラスとストリングスをうしろに下げた立体的なバランシングがけっこう。

ピアニストなのに、いや、ピアニストだからというべきかもしれませんが、ヴィンス・グァーラルディーとはまったく似ていないアレンジにしたのも、本来、当然のことながら、サウンズ・オーケストラルの模造品を聴いたあとだと、こうでなくちゃいけない、と思います。いや、くどいようですが、アレンジは変えなくては「いけない」ものです。そういう手間をかけないコピー品がたくさんあるからといって、それが正しいということにはなりません。

f0147840_0232052.jpg泥縄で2ヴァージョン、試聴してみました。ひとつはクウィンシー・ジョーンズ盤。ドラムとベースはけっこうなグルーヴです。しかし、おおむねフュージョンの雰囲気で、その手が嫌いなわたしとしては、好みではありません。レスリー・ゴアのときのクウィンシー・ジョーンズの仕事ぶりにはおおいに感銘を受けましたが、こういう盤を聴くと、あれはやっぱり、アレンジャーがクラウス・オーゲルマンだったことが大きかったのかもしれない、という気がしてきます。

ウィー・ファイヴ盤は、サウンドがどうこうという前に、なんでこんな風にうたうのかな、という出だしで、そこでいったん聴く気が萎えます。リード・ヴォーカルの女性、名前を調べたこともありませんが、もともと彼女の声とシンギング・スタイルは好みではなく、縁がないものと思い、Make Someone Happyという盤を買ったはいいけれど、つまらん、とほったらかしにしていました。

f0147840_0234528.jpgCast Your Fate to the Windについては、最初のへんてこりんな歌いまわしの難所を通過できれば、あとはそれほど奇天烈ではありません。このリード・シンガー、高い声は疳に障りますが(いや、ハイ・パートにいったときの「歌い方」が疳に障るのであって、声質の問題ではないかもしれない)、中音域ではそれほど悪くありません。

まだやっているらしく、オフィシャル・サイトがあったので、ちょっとバイオを読んでみました。それで、コーラス・グループ的なノリ、フォーク・グループ的なノリの尻尾が、尾てい骨に退化しないまま、尻尾としてそのまま残っているのだとわかり、気に入らなかった理由が得心できました。

わが家のプレイヤーでの順番は、いちばんつまらないサウンズ・オーケストラル盤を先頭にし、最後にサンドパイパーズ盤を置いています。やっぱり、サンドパイパーズ盤がいちばん気持のいいグルーヴです。つぎがビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズ、そのつぎが微妙ですが、ドラスティックに変貌を遂げているマーティン・デニー盤でしょうか。
by songsf4s | 2008-05-10 23:57 | 風の歌
Cast Your Fate to the Wind その1 by the Sandpipers
タイトル
Cast Your Fate to the Wind
アーティスト
The Sandpipers
ライター
Vince Guaraldi, Carl Werber
収録アルバム
Guantanamera
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy Strange & The Challengers, David Axelrod, Johnny Rivers, Vince Guaraldi Trio, Sounds Orchestral, Quincy Jones, Martin Denny, We Five, Ramsey Lewis
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本日のCast Your Fate to the Windは、風の歌としては、先日取り上げたThe Breeze and Iと並ぶ代表的なスタンダードといえるでしょう。当然、うんざりするほど多数のヴァージョンがあります。

The Breeze and Iと同じように、この曲もインストゥルメンタル曲という印象が強いのですが、やっぱりちゃんと歌詞があり、わが家にもヴォーカル・ヴァージョンがあります。

検索結果リストを眺めていて思ったのですが、風の歌にはインスト曲が多数あります。あれこれ考えてみると、どうやら、これはたんなる偶然ではなく、ささやかなりとはいえ必然性があるように思えてきました。しかし、その点については、後日をゆっくり考察してみることにします。

◆ 軽風から雄風まで ◆◆
それでは歌詞を見ることにしますが、看板に立てたサンドパイパーズ盤は、ヴァースをひとつ省略しているので、歌詞はジョニー・リヴァーズ盤にしたがっておきます。ファースト・ヴァース。

A month of nights, a year of days
Octobers drifting into Mays
I set my sail when the tide comes in
And I just cast my fate to the wind

「ひと月分の夜、一年分の日々、十月はゆるゆると漂って五月にたどりつく、潮が満ちたら帆をかかげ、おのれの運命を風にあずけよう」

いちおう、現在形をとりましたが、あとにいくと、時間が経過したことがわかります。じっさいには過去のことをいっていると思われるので、現在形なのは形式だけ、実体は過去形だと思っていただいたほうがいいでしょう。

クモのなかには、成虫になると、風の強い晴天の日を選んで、長く糸を吐きだし、風に乗って遠いところに飛んでいく種類が数多くあるそうです。高度8000メートルで捕獲された例もあるし、周囲数百キロにまったく陸地のないところで、船に舞い降りたものもあるそうで、このクモの無銭旅行はちょっとしたものなのです。Cast Your Fate to the Windというタイトルから、わたしはこのクモのことを連想します。運まかせ、風まかせ、なかなかリリカルなイメージです。

セカンド・ヴァース。

I shift my course along the breeze
Won't sail upwind on memories
The empty sky is my best friend
And I just cast my fate to the wind

「弱風に合わせて針路をとる、記憶の向かい風に逆らうことはしない、からっぽの空だけを友とし、おのれの運命を風にあずける」

The Breeze and Iのときはその必要性を感じなかったので省きましたが、breezeという言葉は、文脈によっては気象用語、つまり、厳密に定義できる言葉として見る必要があります。以前、ヴァン・モリソンのFull Force Galeのときに、ビューフォート風力階級のチャートをご覧いただきましたが、ここにもう一度かかげることにします。

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ビューフォート風力階級 ジェリー・デニス『カエルや魚が降ってくる! 気象と自然の博物誌』(新潮社)より。挿画・大矢正和。

このチャートには原語が書かれていませんが、英語ではつぎのようになっています(breezeのみ。単位はマイル/時)。

No.2 light breeze(軽風 4-7)
No.3 gentle breeze(軟風 8-12)
No.4 moderate breeze(和風 13-18)
No.5 fresh breeze(疾風 19-24)
No.6 strong breeze(雄風 25-31)

日本的な表現にすると、風速1.6メートルの洗濯物がなかなか乾かないかすかな風から、13.8メートルの洗濯物が吹き飛ばされてしまう強風まで含まれるので、あまり意味がありませんが、breezeという言葉をあいまいに使うと、こうなってしまうのです。

もちろん、歌詞に厳密な表現を求めるわけにはいきませんが、わたしはこういうところが気になるたちなのです。帆をかかげるといっているのだから、船舶と海洋気象に関する知識があるという前提で解釈せざるをえません。帆船にとって、風は死命を制するのだから、厳密に定義するべきものです。細かいことをいえば、breezeには「海陸風」(日中は海から陸へ、夜は陸から海へ吹く風。この風の方位の逆転にともなう無風状態が「朝凪」「夕凪」)という意味まであります。

松本隆が「渚を滑るディンギーで」と書いたとき、ヨットとディンギーはまったくサイズが異なる、ヨット(機帆船)のように外洋航行用の図体の大きな船は「渚」に近寄ることすらできず、まして「滑る」ことなどありえない、「滑る」ならディンギー(帆のあるなしにかかわらず、要するに「小舟」)しかないという、船舶知識が彼にはあったのです。

ものを書くというのは、たとえ流行小唄の歌詞であっても、そうでなければいけないのです。だから、このヴァースのbreezeの使い方は気に入りません。船がどれくらいの速度で走っているのか、まったくイメージできません。歌詞は、いや言葉は、聴き手の脳裏にイメージをつくってこそ、役割を果たすことができます。

◆ どっちつかずのあいまいさ ◆◆
ブリッジ。

Time has a way of changing
A man throughout the years
And now I'm rearranging my life through all my tears
Alone, alone

「時は長いあいだに人を変えることができる、わたしは涙を流すことで人生を立て直そうとしている、たったひとりで」

サード・ヴァース。

And that never was, there couldn't be
A place in time for men like me
Who'd drink the dark and laugh the day
And let their wildest dreams blow away

「そんなことは起こらなかった、夜は飲み、昼間は笑い、ものすごく大きな夢を吹き飛ばしてしまうわたしのような人間には、時のなかに居場所などないのだ」

なにをいっているのかさっぱりわかりません。自嘲のヴァースらしいと思うだけです。「暗闇を飲む」を「夜は飲み」とするのはいくぶん強引かもしれませんが、dayとの対比から考えて、そういう意味だろうと思います。陰鬱な酒というのも考えられますが。

最初のthatはなにを受けているのでしょう。ブリッジでいっている、時間は人を変化させるということでしょうか。よくわかりません。

ふたたびブリッジをはさんで最後のヴァースへ。

Now I'm old I'm wise and smart
I'm just a man with half a heart
I wonder how it might have been
Had I not cast my fate to the wind

「いまではわたしも年をとり、賢くなった、わたしはただ心ここにないまま生きているにすぎない、もしも風に運命をあずけなかったら、どうなっていたのだろうかと思う」

ここもわかりません。ファースト・ヴァースでは、風に運命をあずけることを肯定的に捉えているように見えましたが、ここまでくると、そうとも思えなくなってきます。もっとマシな生き方ができたのではないか、という後悔を語っているように見えます。しかし、それすらもがあいまいで、このヴァースも肯定的に捉えようと思えばできないことはありません。

意味がどうであれ、ひとつだけハッキリとわかることがあります。この曲はもともとインストゥルメンタルとして書かれたにちがいない、ということです。歌詞はあとからとってつけたちぐはぐなものにしか思えません。

◆ サンドパイパーズ盤 ◆◆
まずは歌ものからいきます。最初は看板に立てたサンドパイパーズ盤です。いま、サンドパイパーズと書くつもりが、パイドパイパーズと書いてしまったくらいで、じつは、このグループのことは調べたこともなければ、気にしたこともありません。子どものころ、Guantanameraがヒットしたことは記憶していますが、それだけのことにすぎず、とくにいいと思ったこともなければ、ダメだと思ったこともなく、基本的に無縁と思っていました。

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無縁でなくなったのは、ハル・ブレインの回想記を読んでからのことです。この回想記に付されたトップテン・ディスコグラフィーに、Guantanameraがあげられていたのです。セッションは通常4曲単位なので、同じアルバムのなかでもメンバーが異なることがしばしばありますが、アルバムGuantanameraに収録されたサンドパイパーズのCast Your Fate to the Windは、明らかにハル・ブレインのプレイであり、それが大きな魅力になっています。いや、正確にいえば、以前にも書いたように、1960年代のハリウッドという環境が生みだすサウンドが魅力的なのであって、ハル・ブレインはその一部にすぎません。

f0147840_0142545.jpgプレイヤーのみならず、アレンジャー、スタジオ、エンジニアといった要素もそろわないと、こういうサウンドをコンスタントに生みだすことはできません。Cast Your Fate to the Windでいえば、ハル・ブレインのプレイもすぐれていますが、それが魅力的に聞こえるようにするには、スタジオの鳴りとエンジニアの技術が不可欠です。さらにいえば、ドラマーだけではグルーヴを決定することはできず、すぐれたベース・プレイヤーの協力も必要です。

左チャンネルのドラムとベースは、ハル・ブレインとチャック・バーグホーファーという、ティファナ・ブラスのコンビではないでしょうか。Cast Your Fate to the Windのベースはアップライトです。バーグホーファーはTJBではフェンダーをプレイしていますが、もともとはアップライトのプレイヤーですし、タイム、グルーヴというのは、アップライトでもフェンダーでも大きく変化したりはしません。このヴァージョンが心地よい最大の理由は、このドラムとベースのコンビでしょう。

ハル・ブレインの音の響きもかなりいい部類です。タムタムだか低いティンバレスだか判断のできない音が鳴っていますが、このサウンドが非常に印象的で、エンジニアの腕のよさがうかがえます(A&Mのエンジニア部のボスだったラリー・レヴィンの仕事か?)。

f0147840_0152322.jpgしかし、タムタムはタムタムでちゃんとわかるので(じつに美しい!)、やはりこのティンバレスのような音の正体が気になります。ハル・ブレインの最初のモンスター・セットは、特注のタムではなく、出来合のティンバレスをラックに載せたものだということをなにかで読みました。ひょっとしたら、タムタムのほかに、ティンバレスをラックに載せ、場面場面で使い分けていたのではないかと思わせるのが、この曲のボーナス的な面白さです。まあ、ドラム・クレイジー以外には関係のないことですが。べつのプレイヤーがティンバレスを叩いた可能性は低いでしょう。一カ所、ティンバレスが鳴っているあいだだけシンバルが消えているところがあるので、ハルがプレイしたと推定できます。

ひとつ笑ったことがあります。サンドパイパーズの代表作であるGuantanameraは、典型的なTwist & Shout=La Bamba=Louie Louieタイプの3コードです。Cast Your Fate to the Windも、一部、素直でない使い方もしていますが、基本的には同じタイプの3コードなのです。サンドパイパーズ自身またはプロデューサーが、Guantanameraのフォーマットにこだわったにちがいありません。じっさい、アルバムGuantanameraには、La BambaもLouie Louieも入っているのです!

◆ ジョニー・リヴァーズ盤 ◆◆
ジョニー・リヴァーズのCast Your Fate to the Windのドラマーもハル・ブレインです。これは盤にクレジットがあるので書き写しておきます。

Hal Blaine……drums
Joe Osborn……bass
Larry Knechtel……keyboards
Johnny Rivers……guitar
Tommy Tedesco……guitar
Bud Shank……flute & sax
Jules Chaikin……french horn
Gary Coleman……vibes

Lou Adler……producer
Marty Paich……brass & string arrange and conduct
Bones Howe……recording

管をのぞけば、ドラマーからエンジニアにいたるまで、ジョニー・リヴァーズの全盛期のレギュラー・スタッフです。スタジオは明記されていませんが、当然、ハリウッドのユナイティッド・ウェスタンにちがいありません。ジョニー・リヴァーズはユナイティッドしか使わなかったといわれています。

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つまり、くどくなりますが、これがインフラストラクチャーというものなのです。ハリウッドでは、「上もの」がどう入れ替わろうと、環境が一定の品質を保証するようになっているのです。この環境は、フランク・シナトラが来ようが、フランク・ザッパが来ようが、モンキーズが来ようが、なにが来たって、まったくビクともしないほど堅牢です。じっさい、ダメな音をつくるほうがむずかしいでしょう。仮にプロデューサーのルー・アドラーが、スタジオに入ったとたん心臓麻痺でバッタリ倒れたとしても、セッションはつつがなく完了したはずです。それくらいの経験と技量をもつスタッフです。

サンドパイパーズを看板に立てて、ジョニー・リヴァーズを次点にしたのは、唯一、ハル・ブレインのタムの響きが理由です。サンドパイパーズ盤では、じつにきれいな音で録れているのです。

残念ながら時間切れとなってしまったので、残る各ヴァージョンについては、明日以降に持ち越しとさせていただきます。
by songsf4s | 2008-05-09 23:57 | 風の歌
Why Do Fools Fall in Love by the Beach Boys その2
タイトル
Why Do Fools Fall in Love
アーティスト
The Beach Boys
ライター
Franky Lymon, Morris Levy
収録アルバム
Good Vibrations: Thirty Years of the Beach Boys
リリース年
1964年
他のヴァージョン
Frankie Lymon & the Teenagers, the Happenings, Benn Zeppa & the Four Jacks, the Diamonds, Linda Scott, the Four Seasons, Gale Storm, the Teeners, Joni Mitchell, California Music
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昨日に引きつづきのWhy Do Fools Fall in Love、後半の今日はビーチボーイズ盤についてです。というか、このトラックでのハル・ブレインのプレイが中心になりますので、ドラミングにはご興味がないであろう大多数のお客さんは、一気に最後の小見出しにジャンプしていただくほうがいいでしょう。

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ハル・ブレインが譜面の肩に押したスタンプ

◆ ハル・ブレイン・ストライクス・アゲイン ◆◆
ハル・ブレインがなぜあれほどのプレイヤーになり、空前絶後の4万曲という記録を残せたかは、いまではよくわかっています。箇条書きにすることだってできます。

1 どこまでも明るく華やかなビート
2 正確なタイム
3 独創性
4 アレンジ能力
5 献身
6 気配り
7 腕力、脚力、体力

もっとも重要なのはタイムだろうと思われがちですが、わたしはそうではないと考えています。彼とキャリアが重なるドラマーでも、たとえばジム・ゴードンのように、タイムのうえではハルより正確なプレイヤーもいますし、時代が下るにつれて、クリック・トラック(電子的メトロノームのようなもの)の助けもあって、全般にドラマーのタイムはよくなっていきます。

しかし、ほかのドラマーが逆立ちしても真似できないのが、あの華やかなビートです。おそらく、タイム、手首の使い方、機材、チューニング、録音などが総合されて生まれるものなのでしょうが、ハル・ブレインのビートには、ほかのだれともまったく異なる、華やかさ、明るさがありました。それが南カリフォルニアという土地と、1960年代という時代が要請するものとピッタリ重なった結果が、前人未踏の大活躍につながったと思います。

独創性とアレンジ能力については説明不要でしょう。ハル・ブレインはいまではロック・ドラミングの一般的ヴォキャブラリーとみなされているものを、もっとも多く開発したプレイヤーです。また、アレンジャーはリズム・セクションの譜面を書かず、コード譜しかわたさないことが多いので、ドラミングの設計はプレイヤーの仕事でした。楽曲が解釈できなければ、プレイはできないのです。

献身も重要です。なにしろ、朝8時半からはじまって(午前中は映画の仕事が中心だそうな)、ふつうの一日は3時間のセットを3回やれば終わるはずなのですが、フランク・シナトラのように夕食後にスタジオに入る習慣の人もいますし、ほかにも深夜から未明にかけてのセッションは多く、眠れるのは明け方ごろ、それもベッドではなく、スタジオの床ということもしばしばだったというのだから、ワーカホリックでなければ務まりません。

f0147840_23223823.jpgThe Pet Sounds Sessionsを聴いていて、ハッとした一瞬があります。テイクがはじまったとたんにブライアンがホールドして、もっとテンポを速くと、喋りながら、フィンガースナップで自分が望んでいるテンポをやってみせると、即座にハルがブライアンの指に合わせてスティックを叩きはじめます。ブライアンが、じゃあもう一度、というと、それまで叩いていたスティックの4分にのせて、間髪入れずにハルがカウントインし、あっというまにテイクにもどっていたのです。このみごとなセッション・リーダーぶりを聴いて、さてこそ、と思いました。こういう人がいれば、セッションは遅滞なくスムーズに運びます。

ハル・ブレインは、ただ派手なフィルインでドラマーのキングになったわけではないのです。手足よりも、むしろ頭とハートで天下を取ったというべきでしょう。

◆ ヴァースのプレイ ◆◆
さて、Why Do Fools Fall in Loveでのハル・ブレインのプレイです。上記の彼の特質のうち、献身や気配りは盤にはあらわれませんが、それ以外はすべてこの曲から読み取ることができます。

ヴァースでは、ハルは2&4の前半は叩かず、4のみをヒットしているのですが、どの4も同じかというと、お立ち会い、そんな工夫のないことはしないのです。基本的にはフラムを使っているといっていいのですが、よく聴けば、4のパターンは2種類を使い分けています。

フラムというのは、左右のスティックを、ほんのわずかにタイミングをずらしてヒットするプレイをいいます。Why Do Fools Fall in Loveのヴァースにおける4の第一パターンは、スネアによるフラムです。

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スネアでフラムを叩くときのかまえ。ここではスタンダード・グリップ(レギュラー・グリップ)でやっている。モデルはハル・ブレイン自身。Hal Blaine "Have Fun!!! Play Drums!!!"より。

もうひとつのパターンは、左手でスネア、右手でタムタムないしはフロアタムを同時にヒットするプレイです。これは、フィル・スペクターの録音では頻繁に使ったプレイだと、アール・パーマーがマックス・ウェインバーグに語っています。

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スネアとフロアタムを同時にヒットするプレイ。ここでもグリップはスタンダードだが、ケースによってはハルもモダーンを使ったらしい。

この2パターンを、小節ごとに交互に使っているのです。なぜそんな面倒なことをするかというと、ビートに表情をもたせるためです。ビートのパターンは、しばしばサウンド全体の色合いを(ときには大きく)変化させます。まったくの推測ですが、派手な変化はヴォーカルの邪魔になる、でも変化はもたせたい、という相反する要求を満足させようとした結果が、ボンヤリしていると聞き落としそうなこの地味なパターン変化でしょう。

生地の色は同じまま、織り方だけを、平織りではなく、畝織りか綾織りにするといった、微妙なテクスチャーの変化です。こういう小さな工夫こそ、ハル・ブレインをハル・ブレインたらしめた最大の要素だと、わたしは考えています。

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この逆手のパターンは、フィルインで使うもので、バックビートではこの叩き方はしないだろう。

◆ ブリッジと間奏のプレイ ◆◆
ブリッジでは、当然ながら、リズム・パターンを変えています。もっとも目立つちがいは、2&4のバックビートを両方とも叩くパターンを使っていることです。

8小節のブリッジのちょうど真ん中、5小節目の最初の拍(スネアのビートに対しては裏)で、キックによる8分の2打を入れているのも、ヴァースとはちがうところです。ここでキックが聞こえるということは、ほかではキックは使っていないということかもしれません。エコーがすごくて(スタジオはおそらくゴールド・スター)、深海状態のため、明白にはわからないのですが。

ブリッジのあと、またヴァースを繰り返してから、サックスのアンサンブルによる間奏に突入します。邪魔なヴォーカルが消えるので、ここはドラムを聴くチャンスです。ブリッジ同様、2&4の両方を叩くパターンですが、いきなり1小節目の4で、ものすごく深い響きがしているので、右手でフロアタムをヒットしながら、左手はスネアというプレイであることがはっきりわかります。

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面白いのは、間奏の尻尾です。カウントしてみてわかったのですが、この間奏、サックスのプレイは6小節なものの、そのあとにヴォーカルだけになるストップ・タイムがあり、ここまで入れると、合計11小節という変な長さなのです。最後の5小節分がストップ・タイムで、ここはヴァースにもどる手続きとして、イントロのヴォーカル・リックを繰り返すため、変則的な長さになったのです。

ヴォーカルが入っているリリース盤ではわからなくなりますが、トラッキング・セッションの段階では、ガイド・ヴォーカルがないかぎり、この5小節は完全な無音部です。5小節というと、音楽の時間にあってはかなり長いので、ふつう、これだけ休むと、戻りのタイミングがむずかしくなります。戻りを正確にそろえるには、全員がカウントしなければなりませんが、プロといえども、これはかなり困難です。

えー、お客さんの多くが、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのA Taste of Honeyという曲をご存知だろうと思います。おもちなら、ちょっとお聴きになってみてくださると、以後の話がわかりやすくなります。

f0147840_23503147.jpgA Taste of Honeyの冒頭、ギター、ベース、管、マリンバなどによる短い、そしてテンポの遅いイントロのあと、ハル・ブレインは4分でキックを強く踏み込んでいます。これはこの曲のフックラインになっていますが、ハル・ブレインは回想記で、なぜこんなアレンジにしたかという裏話をしています。

長いストップ・タイムのあとで全員が入ってくるのですが、リハーサルでどうしてもきれいにそろわず、業を煮やしたハルが、ここで入れ、という合図のために、キックで四分をやったところ、プロデューサーのハーブ・アルパートが、アレンジの一部として、そのプレイを採用したというのです。

Why Do Fools Fall in Loveの5小節にわたるストップ・タイムでも、ハル・ブレインは同じような処理をしています。スティックどうしを叩き合わせて、2&4をやっているのです。やはり5小節のストップというのは無理で、タイミング出しをしたほうがきれいに戻れるという判断もあったのでしょうし、もうひとつは、ヴォーカル・オーヴァーダブへの配慮でしょう。ヴォーカルだって、バックが無音でタイミングを取るよりは、メトロノームのように拍を刻むハルのスティックが聞こえるほうが、はるかに楽に決まっています。

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◆ サード・ヴァースとエンディング ◆◆
間奏後のヴァースでは、ハルはまたパターンを変えています。こんどはヴァースでも2&4の両方を、左手はスネア、右手はフロアタムで叩くパターンにしています。スネアのみのフラムはしなくなります。

そして、エンディングの繰り返しに入ると、長短のフィルインもあちこちに織り込み、だれもがハル・ブレインのトレードマークだと思っている、派手なプレイの連発になります。もうファイナル・ストレッチなので、ヴォーカルを邪魔する心配より、サウンド全体を盛り上げることのほうを優先しているのです。

ハル・ブレインというと、シャッフル・ビートという印象があるのですが、じっさいに勘定してみると、それほどたくさんはありません。そういう印象をもったのは、おそらく、このWhy Do Fools Fall in Loveや、フィル・スペクターのクリスマス・アルバムでの、シャッフルのプレイが強く印象に残っているためでしょう。

シャッフル・ビートの場合、ほうっておくと、フィルインは自然に3連系になります。具体的には、ストレートな4分3連、4分3連と8分、16分などとのコンビネーション、そして、ハル・ブレインのトレード・マーク、キックも連動させた2分3連です。

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自然に出てくるのは以上のようなパターンのフィルインなのですが、べつの系統もあります。これはハル・ブレインとアール・パーマーが広めたものですが、straight 16th against shuffle=「シャッフルに逆らう16分のパラディドル」という荒技があるのです。これはシャッフルのグルーヴの流れに棹さすもので、ナチュラルな響きではなく、かなり強引なプレイなのですが、それゆえに耳に立ち、チェンジアップとして大きな効果を発揮します。

Why Do Fools Fall in Loveのフェイドアウト直前に連発されるさまざまなフィルインの多くは3連系、それもストレートな4分3連です。ただ、一カ所だけ、マイクが当たっていないためにほとんど聴き取れないのですが、タムタムからフロアタムにかけて、straight 16th against shuffleを使っています。「ハル・ブレイン参上」のサインです。

f0147840_08582.jpgドラム馬鹿だけが興味をもつそうした細部はさておき、どのフィルインも正確にしてかつ派手で、いうにいわれぬ華やかさがあり、まったく申し分ありません。何度目のテイクでここにたどり着いたか知りませんが、これほどまでに大量のフィルインを叩いて、まったく乱れのないプレイは、ハル・ブレインといえども、そう多くはないでしょう。

バックビートよし、フィルイン完璧、元気いっぱいでどこまでも力強く、これ以上はないほど華やか、いたるところに張りめぐらせられた小さな工夫の数々、ストップ・タイムでの気配り、いずれをとっても、ハル・ブレインらしさ、そして、彼もその誕生に一役買った「いかにもカリフォルニアらしい明るさ」に充ち満ちた素晴らしいプレイです。

◆ ギターのグルーヴ ◆◆
サウンドは音の集合体です。グルーヴはドラマーだけがつくるものではありません。ふつう、グルーヴのもういっぽうの主役はベースなのですが、このWhy Do Fools Fall in Loveに関しては、アコースティックとエレクトリックという、2本のギターのほうが気になります。

まずアコースティック。ハッキリ聞こえないのですが、ストロークのリズムは8-8-4-8-8-4というパターンのようで、これがシャッフル・フィールの最大の担い手になっていると感じます。

エレクトリックのほうはもっと聴き取りにくく、聞こえてくるのもほんのたまのことなのですが、どうやら、x-8-x-8-x-8-x-8(xは休符)というパターン、または、8分のストロークの表拍(ダウン)をミュートし、裏拍(アップ)だけが聞こえるようにするパターン、またはそのヴァリエーションに思われます。

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ハル・ブレインとブライアン・ウィルソン

この2種類のギターのストロークないしはカッティングが、ハル・ブレインのうるわしいビートと相まって、じつにいいグルーヴを形成しています。エレクトリックなんか、ほとんど聞こえないから、なくてもいいといえなくもないのに、このように「羽織の裏地」に凝るようになったのは、ブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターの音作りを意識しはじめた証拠かもしれません(いや、じっさいには、ほかの曲に必要なプレイヤーだから、帰られては困る、というだけでしょうけれど!)。

60年代のビーチボーイズのベースは、当初は主としてレイ・ポールマンが、そして、途中からキャロル・ケイが多く弾くようになります。キャロル・ケイは、ベースになる以前から、ビーチボーイズのセッションではしばしばリズム・ギターをプレイしたそうです。エレクトリックだけでなく、アコースティック・リズムでも彼女は引っ張りだこで、ソニー・ボノは、彼女のアコースティック抜きでは録音しなかったそうです。ということは、あのI Got You Babeのアコースティックはキャロル・ケイということになります。

f0147840_0143779.jpg以前にも書きましたが、キャロル・ケイのアコースティックとは、いわゆるフォーク・ギターではなく、エピフォン・エンペラーという、フルアコースティックのジャズ・ギターによるものです。エンペラーのコード・サウンドのおかげで、ずいぶんたくさん仕事がきた、といっていました。

Why Do Fools Fall in Loveのメンバーを推測すると、ビーチボーイズ初期の多くのトラックと同じように、ハル・ブレイン=ドラムズ、レイ・ポールマン=フェンダー・ベース、キャロル・ケイ=リズム・ギター(アコースティック)、ビリー・ストレンジ=リード・ギター(ただし、この曲ではエレクトリックのカッティング)ではないでしょうか。ほかにパーカッションとサックス(候補としてはスティーヴ・ダグラスとプラズ・ジョンソン)がいますが、そちらについては推測の材料がありません。

しかし、このメンバー、おかしなことに、初期ヴェンチャーズそのまま。当時のハリウッドの精鋭だから、当たり前といえば当たり前なのですが、なんだか、妙な感じがします。いや、仕事先の都合に合わせて、プレイもサウンドもみごとに変貌させていく、彼らのとてつもない適応力と創意に脱帽しておけばいいだけでしょうね。

ハル・ブレイン以外は、だれもスポットライトを浴びるようなプレイはしていませんが、うまい人ばかりが集まり、ピタッとはまったときは、なんともいいグルーヴが生まれるものだと思います。ブライアン・ウィルソンにとっては、これは本線の仕事ではなく、フィル・スペクターのサウンドを研究するための実験だったのかもしれませんが、シングル・カットするべきだったと惜しまれます。

ブライアンのヴォーカルについて、なにもふれていなかったことに気づきました。他人の曲なので、代表作にあげられているのは見たことがありませんが、わたしは、ブライアンのあらゆるヴォーカルのなかで、このWhy Do Fools Fall in Loveがもっともいい出来だと思っています。

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Hal Blaine "Psychedelic Percussion" ドラマーのリーダー・アルバムというのはたいていが退屈なものだが、このアルバムはとりわけお薦め「できない」。このCDは2オン1で、片割れはエミール・リチャーズのStones。

by songsf4s | 2008-04-21 23:57 | 愚者の船
MacArthur Park by Richard Harris その2
タイトル
MacArthur Park
アーティスト
Richard Harris
ライター
Jim Webb
収録アルバム
The Webb Sessions 1968-1969
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Glen Campbell (live), Hugo Montenegro, Percy Faith, Andy Williams, the Four Tops
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この記事をもって、わたしの「つなぎ」を終え、つぎからはTonieさんによる「日本の雪の歌」特集の後半に入る予定です。

本日は昨日に引きつづき、MacArthur Parkの後半ですが、本題に入る前に、ひとつだけ昨日の記事の訂正を。クライアントの自動車会社からジミー・ウェブのところに届けられた車は1台のようなことを書きましたが、ハル・ブレインの回想記を読みなおすと、コーヴェット(CMの依頼はこちらのほうらしい)と、シェヴィーのステーション・ワゴンという2台が届けられた、と書いてありました。

◆ クレジット ◆◆
さて、歌詞のほうは、わけがわからないまま、とにかく検討をすませたので、残るは音楽面です。

昨日は調べものを省略してしまったのですが、どうやらMacArthur Parkは「三部作」と呼ばれているらしいので、昨日、「第2部」と仮に呼んだだけだったパートは、そういう呼称のまま訂正しないでいいようです。そして、そのあとにくる長いインストゥルメンタル・ブレイクは、間奏ではなく「第3部」とされているらしいことが、ヒューゴー・モンテネグロのカヴァーでわかりました。モンテネグロ盤はヴォーカル・パートを省略し、インストゥルメンタル・パートだけやっているのですが、ジャケットにはMacArthur Park Part IIIと記載されているのです。

その第3部にいたっておおいに活躍するプレイヤーたちの名前をまずあげておきましょう。

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JPEGでは読みにくいだけでなく、クレジットには名前があるだけでパートがないので、この曲でもそうだったという保証はないものの、通常の彼らの楽器ないしは役割を以下に書きます。

ハル・ブレイン……ドラムズ
ラリー・ネクテル……キーボード(MacArthur Parkではおそらくハープシコード)
マイク・デイシー(「ディージー」とは読まない)……ギター
ジョー・オズボーン……フェンダーベース
シド・シャープ……ストリング・セクション・リーダー
ジュールズ・チェイキン……トランペット
ジム・ホーン……木管
トミー・テデスコ……ギター

最後にあるアーミン・スタイナーはプレイヤーではなく、エンジニア、プロデューサーですが、このセッションのプロデューサーはジミー・ウェブ自身なので、エンジニアリングを担当したのでしょう。いまだに公然とは認められていない、60年代のモータウンLAの録音も多くはアーミン・スタイナーの仕事で、録音場所は彼の自宅でもあったTTGスタジオだったと、キャロル・ケイが証言しています。

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最近のアーミン・スタイナー。いまだ現役らしい。上掲クレジットのスペルはまちがっていて、正しくはArmin Steiner。

◆ ジミー・ウェブ ◆◆
MacArthur Parkは、実験の時代という空気のなかで生まれた実験的な曲だった、とジミー・ウェブが回想しています。たしかに、1968年はそれこそ「なんでもあり」の時代で、どんなに変なものが出てきても驚きませんでした。

しかし、ジミー・ウェブは「変なもの」タイプのソングライターではなく、「なんでも」のなかでも、「野心的な作品」を指向しました。あのころは、野心的ではないものは「作品」の員数に入らない、という空気があったので、この言葉ではなにもいっていないも同然なのですが、傾向としては「トータル・アルバム」「組曲」「シンフォニック」なんてあたりが、いちおう「野心的」といわれていました。

f0147840_22213431.jpgジミー・ウェブは伝統音楽の作曲家としてスタートしたわけではないので、当然、それまでは、verse、chorus、bridgeという術語で表現できる枠組みのなかで曲を書いていたのですが、ここで、大作、組曲、シンフォニックな方向へと、自分自身の地平を広げようと志したのでしょう。

彼は1946年生まれだそうですから、このとき二十一二歳。比較のために書いておくと、ブライアン・ウィルソンがPet Soundsをつくったのが二十三歳のとき、フィル・スペクターがA Christmas Gift for You from Phil Spectorをつくったのも二十三歳のときです。二十代前半というのは、「野心の年齢」「実験の年齢」なのかもしれません。あるいは、ギリギリめいっぱいのところ、掛け値なしで、自分にはどれだけの能力があるのか知りたい年齢、といえるような気もします(顧みて、そこが彼らのピークだったことは、なんともやるせない歴史的事実なのですが)。

どうであれ、時代の空気と彼の野心が合体した結果は、ブライアン・ウィルソンやフィル・スペクターの野心的傑作に比肩できるほど圧倒的なものには結実しませんでしたが(そして、残念ながら、By the Time I Get to Phoenix、Wichita Lineman、Up Up and Awayといった彼自身の過去の秀作ほど印象深くもない)、彼の名声を一段高める出来にはなったし、彼のエゴも満足させたでしょう。

傑作になりそこなった理由は、作り手のエゴ、俗にいう「自己満足」を優先したためだと考えています。メロディーの印象はほとんどかわらないのに(ピッチ、スケールは変化する)、仮にヴァースと呼んだ部分とコーラスと呼んだ部分では、コードがまったくちがうのです(前者はマイナー、後者はメイジャー)。

f0147840_22243713.jpgこの差異は、ボンヤリ聴いているとまったく意識しないほどで、この手法に注目したのは、ミュージシャンだけだったでしょう。結果的にヒットしたからいいようなものの、ミスだったら、若き天才ヒットメイカーという彼の名声は地に墜ちていた可能性すらあります。実験的作品までヒットさせるのも才能のうちだし、時代も時代だから、たとえ、MacArthur Parkを録音するときに、危険な賭けだという自覚が彼にあったとしても、やはり挑戦しただろうと思いますが。

この曲は、当初、アソシエイションが録音することになっていたそうです。彼らのプロデューサーであるボーンズ・ハウがジミー・ウェブにほれこみ、MacArthur Parkをうたわせようとしたのだけれど、アソシエイションのほうはまったく無関心で、ボーンズは腹を立て、「この曲がトップテンに入った日に、わたしは君たちのプロデューサーを辞める」という電報を送った、とジミー・ウェブがいっています(そして、じっさいにその宣言どおりになった)。

ヒット曲を逃したアソシエイションは馬鹿者の集まりに見えますが、これはどちらの側も正しかったのではないでしょうか。アソシエイションは良くも悪くもポップ・グループで、「野心」といっても、せいぜいサイケデリック・ジャケットどまり(それも、流行にしたがったまでのこと)、客が離れるのを怖れても、しかたがありません。子どもみたいなソングライターの試験管やビーカーになんかなりたくなかったのでしょう。そして、その判断は正しかったと思います。MacArthur Parkは、アソシエイションにうたえるタイプの曲ではないからです。パーソナルかつインティミットな表現のできる歌い手を必要とする曲であり、アソシエイションにはその能力はありませんでした。

◆ リチャード・ハリス ◆◆
f0147840_2229403.jpgリチャード・ハリスの名前を見て、音楽を思い浮かべる方は少ないでしょう。わたしの場合、『ナバロンの要塞』を思いだしますし、最後に見た彼の映画『許されざる者』もまだ印象に残っています。いま、フィルモグラフィーを見て、そういえば『テレマークの要塞』もあったな、『ロビンとマリアン』もいい映画だった、『戦艦バウンティ』も見た、という調子で、ふつうは映画俳優としてのリチャード・ハリスに馴染みがあるでしょう(舞台のほうでも有名ですが、そちらはぜんぜん存知あげず)。

MacArthur Parkは、リチャード・ハリスに当てて書かれたものではなかったにもかかわらず、アソシエイションが拒否し、たまたま彼がうたうことになった(ウェブにこの曲を聴かされたとき、ハリスはWe must do itといったそうですが)のは、まさしく僥倖でした。MacArthur Parkは、アソシエイションがかけらも持ち合わせていないもの、演劇的表現力を必要とするタイプの曲だからです。

f0147840_22305610.jpgほかのシンガーのヴァージョンを聴くといっそう明瞭になるのですが、リチャード・ハリスの、うたうというよりは語るような調子は、過度にパセティックになるのを防いでいて、やはりたいしたものだと思います。メロディーがそうなっているのでしかたないのですが、音吐朗々とうたいあげたくなるタイプの曲で、そして、そうやったら、クラブ歌手の凡庸なバラッド、堕落したMy Wayのようになってしまうのです。

リチャード・ハリスについては、ハル・ブレインがその回想記で人物像を活写しているので、ご興味のある方はそちらをご覧あれ。なかなか豪快な人物で、まだ若かったジミー・ウェブが、ハリスのことを兄か保護者のように思っていたというのも、さもありなん、です。

◆ ハル・ブレイン ◆◆
リチャード・ハリスのレンディションはさすがだとは思うものの、この曲でほんとうに好きなのは、第3部のインストゥルメンタル・パートです。といっても、フルオーケストラなので、派手なギターソロがあるわけではなく、魅力はハル・ブレインのプレイに尽きるのですが。

先に、第1部と第2部のプレイに簡単に触れておきます。「野心的作品」にはありがちなことですが、MacArthur Parkもまた変拍子を使っています。それも、ちょっと嫌らしいタイプの変拍子です。イントロ冒頭の4小節は4/4-4/4-4/4-2/4、そのつぎのひとまわりは4/4-4/4-5/4なのです(ちゃんと繰り返しカウントしたから大丈夫だと思うのですがね!)。これだけでも、「プロが必要な仕事」だということがわかるわけで、二流のドラマーを呼んだら悲惨なことになります(たとえ結果的にいいものができても、リテイクで時間を食って予算を超過すれば、それも「目に見えない」悲惨な事態)。

こういう変拍子およびテンポ・チェンジを多用した曲をスムーズに聴かせるのは「クルー」の得意とするところで、彼らならなんの心配もありません。第3部は、移行過程抜きで、いきなり速いほうへとテンポ・チェンジして突入する構成ですが、ここもなんの遅滞も違和感もなく、きれいにつないでいます。ここまでのハルのプレイも、例によってよく練られたデザインになっていますが、本領を発揮するのはここからです。

だれしもいい日悪い日はあるもので、ハル・ブレインといえども、すごくいい日、悪くない日、ちょっと不調の日というのがあります。MacArthur Parkは、すぐくいい日の録音です。ひとつひとつのビートが、早過ぎもしなければ、遅すぎもせず、「ここしかない」というポイントにきているのです。これほどいい日は、ハルの全キャリアのなかでもそうたくさんはないでしょう。

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ジミー・ウェブ(左)とハル・ブレイン

そういうコンディションで、第3部では、アップテンポになり、複雑なビートを叩くのだから、そりゃもう、ドラマー自身にとっても天国でしょうが、ドラム・クレイジーにとっても、天国にもっとも近い場所です。ひとりでやりたいことをやれるタイプの曲ではなく、オーケストラとの緊密な連携を必要とされるプレイなのですが(インプロヴはゼロ、すべて自分でアレンジして、譜面に起こし、それに厳密にしたがってプレイしたにちがいない)、その制約すらもが魅力のひとつになっています。

こういうプレイをなんと名づければいいのか? 「MacArthur Parkでハルがやったプレイ」という言葉しか出てきません。ということは、いままで気づいていませんでしたが、これまたきわめてオリジナルなプレイ・デザインだったことになります。

あえて説明すれば、オーケストラがプレイするラインのアクセントに合わせて、その補強としてのビートを叩きつつ、同時に、ドラム本来のフィルインも入れ、曲の流れをリードしつつ、いっぽうで装飾を加える、という八面六臂縦横無尽の大活躍プレイというところでしょうか。

f0147840_22521623.jpg楽曲の構造、このパートのムードとしてはシンフォニックなのですが、シンフォニーでは、打楽器はこういうプレイをしません。では、ビッグバンド的かというと(ハル自身のルーツはビッグバンドで、そちらも非常に得意としていた)、そういうタイプでもありません。ビッグバンドなら、もっとタイムキーピングを重んじるはずです。もちろん、ロック的なところもなく(ハルがもっていたロック的ニュアンス、強さは明白に出ているが)、じっさい、ロックドラマーにはこのプレイはできないでしょう。

しいていうと、いやもう、ほんとうに無理矢理に考えてみただけですが、In Held 'Twas in Iにおける、バリー・J・ウィルソンのプレイが近いでしょう。しかし、あちらはテープ編集も使っているし、BJのタイムは、かなりいいほうではあるものの、ハルほど正確ではありませんし、オーケストラとの緊密な連携もできるとは思えません。それに、BJなら、譜面は使わず、インプロヴでやるでしょう。

必要に迫られて生みだしたデザインでありスタイルなのでしょうが、改めて考えると、わたしの自前データベースをいくら検索しても、似ているプレイというのが出てこなくて、またしても、「ロック・ドラミングを発明した男」のすごみ、懐の深さを思い知った気分です。

たんなる景物として書きますが、回想記のなかで、この曲についてハルがなにをいっているかというと、リハーサルでオーケストラを指揮させてもらったのが楽しかった、だそうです。ドラミングのほうは、彼の観点からいえば、「いつものお仕事」にすぎなかったのでしょう!

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ハルのドラミングのことを書けば、MacArthur Parkを取り上げた目的は果たしたようなもので、気が抜けてしまいました。

f0147840_238281.jpgあまりいいカヴァーはないのですが、しいていうとフォー・トップスでしょうか。リーヴァイ・スタブスの声が好きだというだけなんですがね。それにしても、なにもトップスがこの曲をやることもないなあ、という感じもします。モータウン末期の彼らは、どうも干されていたような印象で、「Aチーム」の曲がもらえず、白人アーティストのカヴァーばかりやっています(最悪はWalk Away Renee)。

トップス盤MacArthur Parkは、モータウンにしてはビッグ・プロダクションで、トラッキングはもちろんハリウッドでしょう。この時期になると、モータウンLAのドラマーも錯綜してきて、明快な判定はできませんが、アール・パーマーやハル・ブレインではないので、第一候補はポール・ハンフリー。悪くないタイムですが、やはり、何カ所か気になるミスがあります。まあ、おかげで、ハルがどれほどいい仕事をしたかがいっそうよくわかるのですが。第3部は非常に短くまとめていて、賢明にもボロがでないうちに手じまいしたという印象です。ドラムは必要なことをやっているだけで、華々しさはありません。

f0147840_2393148.jpgしかし、ハル・ブレインがやれば、どれもすごくなるかというと、そうでもないことが、アンディー・ウィリアムズ盤とヒューゴー・モンテネグロ盤でわかります。どちらもハルのプレイと考えられますが、やはり、コンダクター、プロデューサーの姿勢というか、どこを目指すかという志の高低は、プレイにも反映されてしまうのです。

アンディー・ウィリアムズ盤は、トップス盤とちがって、第3部にもそこそこの長さをあてているのですが、ハルのプレイは残念ながらクリシェになっています。自分の書いた譜面の縮小再生産なのです。しかも、ドラムは休みの箇所がたくさんあり、見せ場のいくつかは消去されています。

f0147840_23103535.jpgヒューゴー・モンテネグロ盤は、第3部だけをダイジェストしたインストゥルメンタルですが、ちょっとテンポが速すぎて、ハルはやるべきことをきちんとやっただけ、という印象です。これまたクリシェといわざるを得ず、「あるパターン」に収まったプレイで、オリジナルの「名づけえぬすごみ」にはほど遠いものです。

f0147840_23112020.jpgパーシー・フェイスももちろんインストですが、ヒューゴー・モンテネグロとは正反対の方向性で、ジミー・ウェブのメロディーをより美しく、甘く、ストリングスによって表現したものといえます。パーシー・フェイスのものとしてはシンプルなアレンジで、もうすこし複雑なほうがいいのに、と思います。ドラムは活躍しないので判断できませんが、これまたハル・ブレインであってもおかしくありません。ベースはキャロル・ケイではないでしょうか。

f0147840_23123340.jpgグレン・キャンベルはライヴでやっています。ちゃんとフルオーケストラ付きで、この大作をライヴで、全曲通しでやった挙たるや壮とするべきでしょう。バンドもがんばっていて、違和感はないのですが、だからといって、すごいなあ、と感心もしません。そして、グレンのヴォーカルについても、シンプル&ストレートフォーワードな曲のほうが合っていると感じます。でも、たまにはこういう曲もやってみたくなるのでしょう。気持ちだけはわかります。だれだか知りませんが、ドラマーは、第3部における「危険箇所」を注意深く取り除き、プレイを単純化して、ミスを最小限に抑えた(一度、スティックどうしを軽く衝突させている)のは賢明でした。できないことはしない、できることに最善を尽くす、が鉄則。

◆ 「スージー組曲」 ◆◆
ハル・ブレインは無名のときからジミー・ウェブを知っていて、個人的に親しくしていたそうです。なんともはや、と思う情景があります。ジミー・ウェブは、若くして大物になり、無数のハリウッド人種が彼を金の生る木と見ていました。ユニヴァーサル映画は、彼にスタジオ・ロットにあるバンガローをあたえ、いつでも好きなときに、好きなだけ録音していいといったそうです。ユニヴァーサルは、できればジミー・ウェブの自伝映画を作りたいと思っていたのだとか!

そのユニヴァーサルのバンガローに、ハルは何度か遊びに行きました。ジミーは模型作りが好きで、ハルもいっしょになって飛行機や船を組み立てたそうです。その間にも、依頼の電話は引きも切らず、そのたびにジミーは、フランク・シナトラからだ、とか、バーバラ・ストライザンドからだ、といったそうです。そして、二人はまた子どものように模型作りにいそしみ……。

もうすこし音楽的な話題を拾っておきましょう。ハルがはじめてジミー・ウェブと録音したのは、ジミーが面倒を見ていた女の子のヴォーカル・グループの仕事でした。そのグループにスージーという子がいて、ひと目で、ハルはジミーがスージーに恋していることがわかったのだとか。ハルは、この当時のジミーの曲、そして、その後しばらくのあいだに書かれたものも、みなスージーについてうたったのだろう、といっています。MacArthur Parkもまた、「スージー組曲」の一部なのかもしれません。

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by songsf4s | 2008-03-11 23:52 | 春の歌