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For a Few Dollars More by Ennio Morricone(OST 『夕陽のガンマン』より)
タイトル
For a Few Dollars More
アーティスト
Ennio Morricone (OST)
ライター
Ennio Morricone
収録アルバム
A Fistfull Of Dollars & A Few Dollars More (OST)
リリース年
1965年
他のヴァージョン
Billy Strange, Hugo Montengro, the 50 Guitars
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このところ暖かかった当地も昨日今日は半歩後退の肌寒さで、桜の開花にもブレーキがかかったかもしれません。いや、ブレーキがかかっても、元の蕾に戻るわけではないので、とりあえずは目に見えませんけれどね。近所の桜並木は全体としては三分ぐらいでしょうが、株によってはもう七分ぐらいというのが相当数あって、開花はどんどん進行中に思えます。

桜の前に満開になっているのは雪柳で、近所のあちこちでその名前の由来となった小さな白い花を無数につけているのを見られます。なんという名前かわからないのですが、春、芽吹くときに真っ赤になる楓があり、これもだいぶ葉が出てきて、鮮烈な色になりはじめています。この楓は秋にはくすんで枯れていくだけですが、春の赤はルビーのようなめざましい色合いです。

◆ 「前借り」があだになった邦題 ◆◆
のんびりしたミュージカルと、派手なドンパチで人が大量に死んでいく映画を交互にやってきて、今回はドンパチの回に当たるので、第一作より人死にが増えた「名無しのガンマン」シリーズの第二作、『夕陽のガンマン』とまいります。第一作の『荒野の用心棒』は、昨年、すでにとりあげています。

ふつう、ヒット作の続篇の邦題は、昔なら「続なんとか」、いまなら「なんとかかんとか2」とか「あれやこれや3」というように命名するのが大原則です。ヒット作の続篇であることを明示しなければ、客にアピールしないのだから、当然です。

f0147840_1144948.jpg『荒野の用心棒』も大ヒット作なので、この「名無しのガンマン」シリーズ第二作も当然、『続・荒野の用心棒』というタイトルでなければいけないのに、なぜそうならなかったのか? 輸入会社があさましい大ボケかまして、天下に赤っ恥を曝したのです。シリーズとはまったく無関係な、フランコ・ネロ主演のDjangoという映画に『続・荒野の用心棒』というタイトルを使ってしまったために、ほんとうの続篇にこのタイトルを使えなかったのです。愚行の大展覧会ともいえる映画邦題の歴史にあっても、これほどの超絶大愚行は後にも先にもなく、いやはや、呆れけえったもんだぜ、ご隠居さん。

フランコ・ネロなんかだれも知らないから、なんとか稼ぎたいという焦りからやってしまったフライングでしょうが、大ヒットした名無しのガンマンものの続篇がつくられる可能性をまったく考えなかったうかつさには呆れるしかありません。邦題なんかやめちまえ、という意見が出て当然でしょう。

だから、いまどきの原題まっすぐカタカナ邦題にはおおいなる問題があるにしても、わたしはこのほうがずっとマシだと考えています。たとえば『エイリアン』なんていう映画が60年代にあったとしたら、こんな素っ気ないままではすまなかったでしょう。『哀愁のエイリアン』とか『愛と青春のエイリアン』とか『荒野のエイリアン』とか『大宇宙のエイリアン』とか『明日なきエイリアン』とか『さすらいのエイリアン』とか、なにかそういう無意味な属性を付与せずにはいらない愚劣さが、われわれの心にはビルトインされているのではないでしょうか。この馬鹿げた衝動に対して、原題即カタカナという大方針は、別種の愚劣さを内包しつつも、きわめて有効な抑止策の役割を果たしていると思います。

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第一作がA Fistful of Dollars=『一握りの金のために』、そして、この第二作がFor a Few Dollars More『さらに一握りの金のために』というので、原題は平仄が合っているのですが、しかし、いまこの二作が封切られたとしても、原題即カタカナの原則を当てはめられないタイプでしょうね。いまなら、輸入会社はどういう邦題をつけるか、想像するとちょっと興味深いところです。

◆ 複雑化したテーマ曲 ◆◆
『エイリアン』が続篇ではAliensと複数形になったように(うようよ涌いて出てきたときには戦慄しましたなあ。しかも、あんなに素速く動けるとは!)、「名無しのガンマン」シリーズも、シリーズ化の大原則にしたがってスケール・アップし、ガンマンも複数になります。

いや、そういうことはどうでもよくて、肝心なのは音楽のほうでした。エンニオ・モリコーネが意識していたのかどうかは知りませんが、音楽のほうも続篇らしい仕上がりになっています。たいていの観客がテーマと誤解し、本邦ではヒットまでしてしまった第一作の挿入曲Titoliは、それこそ演歌的なメロディー・ラインで、良くも悪くも予定調和的な仕上がりでした。ギターをもってDmのスケールから外れないように弾くだけで、短時間でコピーできたのです。第二作では微妙な変化が見られます。

そこのところをお聴きいただこうと思ったのですが、適切な動画は見あたらず、以下のようなものしかありませんでした。

スパニッシュ・イントロ


なんだかむやみに画面が暗いのが難ですが、文字がスペイン語表記になっていること以外は、おおむねオリジナルと同じで、ずいぶん凝ったローカル版をつくったものだと呆れます。オリジナルでも、これと同じように文字が揺れてあらわれ、拳銃の発射音とともに一部が潰れたり、消えたり、はじかれたりします。日本では、こういうローカル化はまずしないでしょう。オリジナルのままで、下のほうにスーパーインポーズで主要なキャストとスタッフのカタカナを出すというところでしょうか。テレビで『スター・ウォーズ』の例の口上が日本語になってスクロールしたのを見たような気もしますが……。

(後日発見したクリップを追加)
『夕陽のガンマン』英語版オープニング・クレジット

いやまあ、画面はどうでもいいのです。テーマ曲は、Titoliよりやや複雑になったという印象です。口笛をリード楽器にし、そこにギターがからむという基本路線は同じですが、どちらが主役かというと、For a Few Dollars Moreはギターのほうでしょう。

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悪漢の親玉を演じたジャン=マリア・ヴォロンテもよかったが、もうひとり忘れられない悪漢がクラウス・キンスキー。あの美女の父親とは思えない病的悪人ぶりだった。左はリー・ヴァン・クリーフ。

複雑になったといっても、Titoliよりギターのラインが弾きにくいと感じるだけで、たんなる偶然の結果なのかもしれません。ギターが多用されるわりには、モリコーネの音楽にはギター的なラインは出てこず、ピアノなどのべつの楽器でつくったのだと感じます。ギターを弾いていて、ナチュラルだと感じるラインはなく、きわめて非ギター的な、自明ではないラインばかりです。そういうラインをギターでやるところが、この時期のモリコーネのウェスタン・テーマがもつ最大の魅力といえるでしょう。

◆ カヴァー三種 ◆◆
そういうところに惹かれたのか、うちにあるこの曲の三種のカヴァーは、いずれもギターものです。

まずはビリー・ストレンジ盤。これはMr. Guitar、Secret Agent Fileと並ぶボスの秀作、Great Western Themesに収録されたもので、なかなかけっこうなグルーヴです。アップテンポのアレンジで、哀愁路線ではなく、管のアレンジのせいもあって、どちらかというと威勢のいいサウンドです。このヴァージョンは、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで、LPリップを頂戴できるので、皆様もぜひどうぞ。

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ビリー・ザ・ボス自身が、あのアルバムは気に入っているとおっしゃるだけあって、どのトラックもハイ・レベルな仕上がりです。うかつにもいままで知りませんでしたが、これは2005年にCD化されたそうです。LPのジャケットもなんだかなあでしたが、CDのデザインもいいとはいいかねます。もっと愛情をもってつくってほしいのですがねえ。

f0147840_1244175.jpgつづいて、ヒューゴー・モンテネグロ盤。こちらはオーケストラ・リーダーですが、それほど大編成ではありませんし、メンバーもビリー・ストレンジ盤とかなり重なるのではないでしょうか。そもそも、リードギターはわたしにはビリー・ストレンジに聞こえます。ドラムはもちろんハル・ブレイン、ベースもキャロル・ケイでしょう。これもまた好みです。ハルのドラミングも楽しめます。

最後は久しぶりに登場の50ギターズ。これもAdd More MusicでLPリップを入手することができます。この曲が収録されたEl Hombreは、つい最近、AMMの木村センセのおかげではじめて聴くことができたのですが、センセが褒めていらっしゃるように、しばらくセカンド・ゴロがつづいていた50ギターズとしては、久しぶりの(ちょっと詰まってはいるが)ライト前ヒットという感じです。

このアルバムにはマカロニ・ウェスタンのテーマがいくつか収録されていますが、どちらかというと、For a Few Dollars Moreより、前作の『荒野の用心棒』の挿入曲、Titoli(盤にはTheme from "A Fistful of Dollars"と書かれているが、これは間違い。このタイトルの曲はべつにある。多くの人がタイトルバックに流れる挿入曲のTitoliをテーマだと思いこんでいる)のほうが楽しい仕上がりに感じられます。しかし、なんといっても秀逸なのは、ペレス・プラードのPatriciaのカヴァー。最初に聴いたときは思わず笑ってしまいました。この曲をこういう風にやるかよー、です。

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それにしても、録音もみごとだし(ギャレットだから、ユナイティッド・ウェスタンで録音か)、木村センセのクリーニングも行き届いていて、こういうのを聴くと、LPのほうがずっとよかったのになあ、と思います。

以上、どういうわけか、三種ともレッキング・クルーがらみのカヴァーでした。

◆ ピカロの物語 ◆◆
イタリア製西部劇の大きな魅力は音楽でしたが、それをいうなら、アメリカにだってなかなかけっこうな西部劇テーマ曲がありました。後年、そういうものが当たり前になってしまったので、いまになると不明瞭なのですが、ドラマとしての大きな魅力は、正義の物語ではなかった、ということだろうと思います。

「ピカロ」(悪漢)という言葉があり、「ピカレスク・ロマン」(悪漢小説)という言葉もあるように、このときに突然創始されたわけではありませんが、すくなくとも正義に疑問をもつようになった思春期の子どもの目には、こういう悪党じみた主人公はおおいに新鮮で、肯定できるキャラクターでした。

クリント・イーストウッド扮する名無しのガンマンは、けっして積極的な悪党ではないのですが、賞金にしか興味がないので、当然ながら、善をなすことにも無関心です。悪人ばらを片端から撃ち殺すのは、あくまでも「賞品」としてであって、彼らの悪を憎んだがゆえではない、そこのところに子どもは強く惹かれました。善か悪かなど彼にはどうでもいいことで、だいじなのは「いくら稼いだか」だけでした。そして、この設定から生じるユーモアの、シック・ジョークに傾斜したところにも、観客はおおいに惹かれ、シリーズの大ヒットにつながったのでしょう。

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賞金のかかった悪人をすべて馬車の荷台に積んだつもりが、どうも勘定が合わないと首をかしげる名無しのガンマン。

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足りなかったひとりがまだ生きているとわかって、振り向きざま抜き撃ちで斃す。

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先に帰路についたモーティマー大佐が銃声で振り返り、「大丈夫か、小僧っ子?」(Any trouble, boy?)ときく。

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「なあに、なんでもないさ、じいさん。足し算を間違えたのかと思ったけれど、もう解決したよ」(No, old man. Thought I was having trouble with my adding. It's alright now.)と答える名無しのガンマン。

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勘定が合ったところで、狙った獲物をすべて積んで、ついでにボーナスの金ももって馬車で去る名無しのガンマン。

イタリア製西部劇の出発点は、黒澤明の『用心棒』でしたが、三船敏郎演じる用心棒が「悪党気取り」にすぎず、究極のところで正義の人であったのとは異なり、セルジオ・レオーネは第一作『荒野の用心棒』では半歩だけ踏み出した「悪党の物語」への道を、この第二作ではさらにもう半歩、こんどはよりたしかな足取りで歩んだと感じます。

ただし、リー・ヴァン・クリーフ演じるモーティマー大佐が、タフな身振りとは裏腹に、じつは正義を希求するキャラクターだったのは、社会のある階層に対するエクスキューズだったのでしょうが、この悪党たちの物語をいくぶんか水で薄める結果になったように感じます。次作はそこを修正して捲土重来のつもりだったのではないでしょうか。

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by songsf4s | 2009-03-25 12:25 | 映画・TV音楽
The Wrecking Crew Videos

今月になって更新を再開して以来、お客さんの数は減少の一途をたどり――なんて、まさかそんなことはないのですが、更新をさぼっていたころとほぼ同数で、ちょっと意気阻喪しかけていました。でも、ようやく「俺は背中」(I'm backを翻訳ソフト風に直訳してみた)がおわかりになったのか、この一週間は上向きで、胸を撫で下ろしています。

がしかし、それに気をよくしてどんどん更新、とはいかないのです。このところずっと、つぎの更新の材料にしようと思って見ている映画があるのですが、毎日使える時間は昼食の10分から15分程度、この映画は長尺の大作で2時間50分近くあり、しかも、内容が重かったり、ところどころ腹が立ったりで、昼食後も画面を原稿に切り替えずに、仕事をさぼって見つづけたいとは思わず、じつにもって捗らないことおびただしいのです。でも、あと30分まで来たので、次回の更新はこの映画のテーマ曲を取り上げられるでしょう。

それまでのつなぎとして、仕事の調べもののためにYouTubeで検索したものから、「レッキング・クルー」関係のクリップを拾ってみました。レッキング・クルーのストーリーは映画化されたので、これまた映画に無関係ではないのです。

◆ キャロル・ケイ・ヴィデオ ◆◆



f0147840_135744100.jpgFirst Lady of Bassというのは、キャロル・ケイのCDのタイトルでもあります(いや、いまたしかめたら、CDはofではなくonだった)。冒頭でいきなり、「なぜバンドのメンバーが自分で録音しなかったのですか」ときかれたペリー・ボトキン・ジュニアが"Coz they ain't play any good"「連中はまともに楽器なんかできなかったんだよ。たいていはまるっきり弾けなかったのさ。それだけの単純なことだよ」と、キャロル・ケイをはじめとするプロフェッショナルが影武者を務めなければならなかった理由を簡潔に、むくつけに、身も蓋もなく説明しています。これはそのまま引用させてもらうかな、とスケベ根性が動きました。そのとおり、満足に楽器が弾ける若造なんかいはしなかったのだよ、わかってるのかよ、おい>デイヴィッド・クロスビーおよびマイケル・クラーク。

そのあとのシークェンスは、大たばにまとめると、ペリー・ボトキン・ジュニアが説明したように、アレンジャーはコードしか書いてこなかったりすることもあるから(自分もアレンジャーじゃないか>ボトキン!)、プレイヤーは自分でアレンジした(譜面を書いた)ということで、ハルなどもいっているように、レッキング・クルーは、たんなるプレイヤー集団ではなく、それぞれがアレンジャーだったという話です。まあ、ロック・エラにおいては、リズム・セクションはアレンジャーの領分ではないのですが。

f0147840_1359598.jpg途中に、いまよりずっと若いキャロル・ケイが登場しますが(リッケンバッカー・ベースのシーン)、あれは教則ヴィデオからの映像です。いまもすごいものだと思いますが、あのころのCKさんはプレイがとんがっていて、とんでもありませんでした。教則ヴィデオでは、彼女の弾くベースやギターしか聞こえないのだから、レコードとは凄みが三段階ぐらいちがいます。圧倒されました。

モータウンについて、ドン・ピーク(60年代後半に活躍しはじめる、やや世代が下のギター・プレイヤー)が、「ウェブサイトなどで、キャロル・ケイはほんとうにモータウン・セッションをやったのか、ときかれる」といって、カメラに向き直り、「イエス!」と大声でいうところが笑えます。

最近の彼女のプレイは(本音をいうけれど、彼女に告げ口しないでね!)、ベースは鋭角的なところが消えてしまい、お年を召したなあ、と感じますが、ギターについては、それがいいほうに出て、やわらかい、気持ちのいいプレイとサウンドになったと思います。やっぱり、彼女にとって生涯の楽器はギターだったのかもしれません。そろそろ、California Creamin'以来、半世紀ぶりのギター・アルバムを録音する時期じゃないでしょうか。きっといいものができると思いますよ。高齢化社会の鑑になるちがいありません!

◆ 映画『レッキング・クルー』プロモーション ◆◆

The Wrecking Crew Film


映画「レッキング・クルー」のダイジェスト版のようです。ブライアン・ウィルソン、ハーブ・アルパート、ナンシー・シナトラ(おばあちゃんじゃなくて安心した!)、ジミー・ウェブ、シェール、ミーキー・ドレンズ、ディック・クラークといった錚々たる音楽人が、クルーの偉大さを説いています。

「What was nice about...the unit is that they played together a lot. And so they were an established groove machine.」というハーブ・アルパートの言葉は、「いただき」でした。こういう短い一言はうれしいですねえ。「完成されたグルーヴ・マシン」ですよ。「グルーヴ・マシン」、これをいただかなかったら、わたしは言葉の力を知らないボンクラになってしまいます。まさにレッキング・クルーは「完成されたグルーヴ・マシン」でした。アルパートがすこしためらってから、「ユニット」という言葉を選んだのは、「レッキング・クルー」などという名前はなかった、あれはハルがあとからでっち上げたものだ、と怒っているCKさんに配慮したのでしょう。

昔、編集をやっているころ、インタヴュー記事の原稿を読むときは、内容なんかそっちのけで、見出しに使える言葉を血眼になって探したものです。某有名CM監督の「いきなり足の指のあいだを舐めちゃうみたいなさ、そういうのがいいよね」というのにはゲラゲラ笑いつつ、「タイトルはこれかな。編集長は反対するかもしれないけれど」と思いました。もちろん、これでいいんだと突っ張り、この記事は「いきなり足の指のあいだを舐める」というタイトルで印刷されました。あっはっは。

f0147840_1421170.jpgわたしの頭のなかにあったのは、高校のときに見た『You...』(原題Getting Straight)という映画での、エリオット・グールドとキャンディス・バーゲンの不思議なベッド・シーンでした(文字どおり、いきなり足の指を舐める!)。あのCM監督も同じ映画を見ていて、それでこんな表現を思いついたのかもしれません。

あれっきり、二度と見ていないのですが、Getting Straightは面白い映画でした。同じ時期の、ある意味で相通じるテーマをあつかった『いちご白書』が、どうしようもないほど幼稚な観念に貫かれた救いがたいメロドラマだったのに対し、Getting Straightはもっとずっとリアルで、あの時代の多くの若者が苦しんでいたことを、苦いままに描いていた、と記憶しています。

『マッシュ』といい、『ロング・グッドバイ』といい、エリオット・グールドは非常に魅力的な俳優だったのに、なにがあったのか、その後何十年も干されてしまい、残念なことをしました。Ocean's Elevenの余裕もウィットもない不出来なリメイクで、久しぶりにグールドを見られたのですが、まったくわからないほど面変わりしていて、深いため息をつきました。えーと、なんの話でしたっけね?

The Wrecking Crew in Nashville Film Festival


レッキング・クルー映画がナッシュヴィル映画祭に参加したときの模様を伝えています。立ったままインタヴューを受けているのはトミー・テデスコの息子で、この映画のプロデューサー。アル・クーパーがキーボードを弾く不思議なバンド(レッキング・クルーっていわれても……)が、クルーがかつてプレイした大ヒット曲をライヴでやっているのが、なんというか、言葉に窮します。やっぱり、あの「バンド」のかなめはハル・ブレインのバックビートだったなあ、と思うのみ。

◆ The Live and Real Wrecking Crewmen ◆◆
偽装表示のレッキング・クルーのあとなので、本物のクルーのクリップを2種どうぞ。

Wild Tedesco


トミー・テデスコの、冗談か本気かわからない荒っぽいプレイ。80年代の収録でしょう。ときおり、電光石火のランが飛び出すのはトミーらしいところですが、ほんとうはピッキングも運指も、もっとずっと高速かつ正確です。トミーも教則ヴィデオを出していますが、ガットのプレイなんか、そこでちゃんとトミーが弾いてみせているのに、ほんとうに弾いているのかなあ、と疑ってしまうほどの信じられない高速ランが出てきます。指板を押さえている感じではなく、たださっと瞬間的にひと撫でするというぐあいで、ほんとうに速い、うまい、すごい。

Jan & Dean with Hal


これをアップした人は、当家にときおりコメントをお寄せくださるオオノさんだろうと思うのですが、全盛期のハル・ブレインのライヴが見られるめずらしい画像です。60年代のハルのライヴ・フッテージというのはほとんどなく(いつもスタジオにいたから、ライヴ自体をやっていない)、オオノさんがこれを発見なさったときは、ついに見られた! と感慨がありました。説明にあるように、右側の二人のギタリストのうち、客席から見て左側のプレイヤーはトミー・テデスコです。コンダクターはジョージ・ティプトン。

いま思ったのですが、ハルは、スタジオからぜんぜん出なかった時期でも、ナンシー・シナトラのラス・ヴェガスのショウは断れなかった、といっていました。ずいぶん評判になったショウだったようなので、映像が残っている可能性があるようにも思うのですが、しかし、問題がありますな。そういう華麗な演出をしたショウの場合、バンドはオーケストラ・ピットに入ってしまうので、たとえフィルムが残っていても、ハルの姿は見えない可能性が高いでしょう。

このほか、ハル・ブレインが出演した映画を2本(エルヴィスの『ガールズ・ガールズ・ガールズ』とスティーヴ・マクウィーンの『Baby, the Rain Must Fall』)見ましたが、当然ながら、プレスコの音に合わせてプレイのふりをするだけのものですし、きちんと音に合わせる努力すらしていません。顔だけ見てもなあ、でした。

Girls, Girls, Girls


これもオオノさんがアップされたのでしょう。ピアノがジャック・ニーチー、サックスがスティーヴ・ダグラスというスペクター・アーミーの面々で、AFMのみならず俳優ギルドにも所属していたハル(ハリウッドでは組合員でないとなにもできない!)が「ちょっと小遣い稼ぎするか?」と誘ったのでしょうね。ギターとベースが不明なのですが、これはミュージシャンではなく、ふつうの俳優かもしれません。それにしても、よく見ると、ジャック・ニーチーは石橋エータローみたいな味があって、つづければ脇役として成功したのじゃないかという気がしますな!

最近は、まじめな傑作というのはぜんぜん見たくなくなり、子どものころに見た大馬鹿なビーチ・ムーヴィーとか、エルヴィスの「また同じストーリーかよ映画」とか、なんの意味もない、ただむやみに楽天的な映画のほうが楽しめるようになりました。このあいだ取り上げた『巴里のアメリカ人』の、まったく根拠のないあの楽天性は、いまではだれも持ち合わせていないものでしょう。ああいう味わいのある映画は地を払ってしまいました。

どうせ生きるなら、毎日をすこしでも楽しく、楽天的に、軽くグルーヴにのって、I got music, I got rhythmなどと口ずさみながら生き、笑いながら死んでいきたいものです。昔のハリウッド映画にはそういうものがたくさんありました。ああした楽天的なハッピーエンド映画を、リアルでないと斬り捨てた精神をこそ斬り捨てるべき時代が来たと思います。人生は十分すぎるほどリアルなのだから、映画はファンタスティックであるべきでしょう。

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by songsf4s | 2009-02-21 13:34 | その他
The Chart Data of The 50 Guitars(50ギターズのチャート・アクション)

今日は通常の更新ではなく、いわば連絡メモのようなものです。右のリンクにあるAdd More MusicのBBSで、50ギターズについて質問したところ、チャート・データの話になったため、それではというので、Top Pop Albums 1955-1985という本の50 Guitarsの項をスキャンしてみました。

当家では50ギターズを何度も取り上げている(末尾のリストを参照)ので、みなさんのなかにもこのプロジェクトの名前をご記憶の方は多いでしょうし、Add More MusicでアルバムのLPリップをダウンロードなさった方も相当数いらっしゃることでしょう。だから、連絡メモであっても、ほかにもご興味をお持ちの方がいるかもしれないと考えた次第です。

データの意味は、左から、チャートイン日付(ピーク・ポジション到達日ではなく、チャート・デビュー日なので、ご注意を)、最高位、チャートイン週数、タイトル、レーベル、マトリクスです。タイトルの末尾にある記号は、[I]はインストゥルメンタル、[G]はgreatest hits compilationを意味します。クリックすると画像が拡大され、表示が切れてしまった部分も見ることができます。

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ただのデータですが、なるほどと思ったことがあります。デビュー盤のセールスは好調だったけれど、その後は低迷し、チャートにかすりもせず、50ギターズ研究のトップランナーであるAMMの木村センセが賞賛なさっていたアルバム、Maria Elenaでチャートに再登場したことになります。出来のよいアルバムだから、セールスもよかったのでしょう。また、たしかこのアルバムからリードがトミー・テデスコになったのだったと思います。

もうひとつ、12月のチャートインが2回、11月が1回、ということから、年2回ないしは3回のリリースのうち、1回はクリスマスの贈答用だったことがわかります。アメリカの場合、本(とくに豪華写真集)やアルバムにはそういう目的も含まれていたことを再認識しました。

2009年2月16日追記

もうひとつ気づいたことがあります。Add More Musicの50ギターズ・ページを見ると、50 Guitars Go Italianoが先で、Maria Elenaがあとのリリースになっているのです。マトリクスを確認すると、50 Guitars Go Italianoのほうが若いので、これでいいように思うのですが、上記のチャート記録では、順番が逆になっています。

マトリクスを割り当ててもリリースしないこともあるので、いったんは棚上げにしたものを、なにかの都合であとからリリースするということもありえないことではありません。なにかイレギュラーなことがあり、この二者のリリース順が入れ替わったのではないでしょうか。


50ギターズの記事一覧

Beyond the Reef
Moon of Manakoora
Santa Claus Is Coming to Town
White Christmas
Cherry Pink and Apple Blossom White
The Breeze and I
El Paso
Magic Is the Moonlight
Quiet Village
Pearly Shells
Fly Me to the Moon

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by songsf4s | 2009-02-15 21:26 | その他
The Best of Earl Palmer その22 最終回

◆ またしてもファイアフォックス・ダウン ◆◆
そろそろいいか、と思ってFirefoxを3にしてみましたが、やっぱり問題外の重さで、即刻消しました。Firefoxでなにか開こうとするたびに、音楽が止まってしまのです。わが家では、音楽と共存できないということは「まったく使えない」ことを意味します。

そろそろべつのものにメイン・ブラウザーを移行する時期でしょうね。IEキラーとしての意味があったから、ことあるごとにFirefoxを使おうと叫んできましたが、すでにIEは大きく後退し、消滅もスケデュールに入れていいくらいですから、Firefoxもその役目を終えたことになります。毒をもって毒を制したから、こんどこそ、明るい新天地を切り開こう、という気分です。

そもそも、日本語の約物をボロボロのデコボコにして表示する欠陥も無性に腹が立ちます。一国の言語文化を破壊するとは何様のつもりか、です。たとえば、以下の部分がどう表示されるか、Firefoxと他のブラウザーで比較してみてくだされば、わたしのいうことはおわかりでしょう。これはこのアール・パーマー特集のその2で使った、簡略自家製譜面の一部です。

○●○●
△△▲△△△▲△
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以上は、本来ならほぼ同じサイズで表示されなければいけないもので、たとえば、IEやOperaでは正しく表示されますが、Firefoxはこれをガタガタにしてしまいます。Firefoxは日本語に対して悪意をもっています。

さらに不快なのは、三点リーダーの表示方法です。三点リーダーとは、「…」という記号で、これは通常、二倍三点リーダーとして「……」のように使います。IEやOperaでは、これは正しく、天地センター(縦組印刷物の場合は左右センター)に表示されますが、Firefoxだけは、下付きで、「...」と同じように表示されます。

これは日本語文化への積極的破壊行為、テロ、レイプです。MSもひどいものをたくさんつくりましたが、あれはただの無知の産物にすぎず、ここまでの悪意はもっていませんでした。ブラウザーなんて、IEを捨ててFirefoxに代えたように、これからだって、いくらでもべつのものに変更できます。そろそろこの日本文化破壊ブラウザーを積極的に排斥する時期が来たと感じています。

◆ Brenda Holloway - You've Made Me So Very Happy ◆◆
あの当時、この曲はブラッド・スウェット&ティアーズ盤しか知りませんでした。ちょうど、BS&Tヴァージョンが大ヒットしているときにアメリカを旅行したので、日本に帰るころには、心底ウンザリしていました。

アメリカを旅行した音楽ファンはご存知でしょうが、heavy rotationというのは、ほんとうにハンパじゃなくて、1時間のあいだに、同じ曲が3回も4回も登場するのです。BS&Tのリードシンガーの声とスタイルたるや、虫酸が走るほど嫌いで、それがひっきりなしにラジオから流れてくるのだから、もう拷問同然でした(あの旅のあいだ、ディランのLay Lady Layとメアリー・ホプキンのGoodbyeも、同じようにヘヴィー・ローテーションで流れていたが、この2曲はいまでも好きなのだから、要するに、デイヴィッド・クレイトン・トーマスの声が心底大嫌いだったのだ)。このあとのHi-De-Hoなんていう、ヨイトマケの唄みたいなものも、このバンドの印象をさらに悪くするものでした。

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そういう曲だったので、ずっと後年、ブレンダ・ハロウェイのオリジナルを聴いたときは、ドッヒャー、とのけぞりました。最初の印象は、ドラムがすごい、とくに高速四分三連はとんでもない、というものでしたが、聴き込むうちに、ベースも、ラインはシンプルながら効果的だし、グルーヴは一級品だと思うようになりました。

そして、それからさらに十数年がたち、ウェブの時代が訪れました。いまからちょうど十年ほど前、ネットにフックアップした直後に、たまたまキャロル・ケイという人と知り合いました。彼女と頻繁にメールのやりとりをした数週間というのは、忘れがたいもので、いろいろ話題になった曲がありましたが、なかでも印象に残ったのは、このブレンダ・ハロウェイのYou've Made Me So Very Happyのオリジナルです。なるほど、わたしが話している相手は、こういうベースを弾く人か、と納得がいきました。一言でいうなら、「バリバリにマッチョなこわもての女性プレイヤー」です。

f0147840_23552516.jpg彼女は、この曲のドラムについては記憶があいまいで、アール・パーマーかポール・ハンフリーのどちらか、といっていました。ブラインドで聴き分けられるほどポール・ハンフリーのことを知らなかったので(それをいうなら、あのころはアール・パーマーのプレイもよくわかっていなかった)、ドラムがアールだと確定できたのは、伝記のディスコグラフィーのおかげです。

こういう曲は、文字であれこれしても無意味です。ぜひ「現物」を手に入れ、最初の一音からみなぎっている「いきと張り」をお楽しみいただけたらと思います。キャロル・ケイ、アール・パーマー、そしてアレンジをしたアーニー・フリーマンという、関係者三人のそれぞれにとっての代表作です(惜しいことに、アールはひとつミスをしている。後半のストップで、ほんのわずかにだが、遅れているのである)。

アーニー・フリーマンという人は、弦のアレンジを得意としていると思いこんでいましたが、このトラックでの管を聴くと、ホーン・アレンジもうまいことがわかります。イントロなんか、膝を叩きますぜ。ボビー・ヴィーのトラックで痛感しますが、ブライアン・ウィルソンと同じように、複数の楽器に同じフレーズを弾かせるところでの楽器、サウンドの重ね方に彼のアレンジの特徴があります。ボビー・ヴィーではピアノと弦の組み合わせを楽しむことができます。

◆ Jackie Wilson with Count Basie - Even When You Cry ◆◆
f0147840_2357279.jpgジャッキー・ウィルソンを聴くのなら、50年代終わりから60年代はじめのほうがいいと思いますが、バック・トラックを聴くなら、このカウント・ベイシーとの共演盤はおおいに楽しめます。Sinatra and Swingin' Brass同様、アルバム全体がいい出来で(LPを発見し、CD-Rに焼いてくださったオオノさんに感謝!)、どの曲をとるかおおいに迷いました。

アールのプレイは、そのシナトラのセッションと、Twistin't the Night AwayやShakeといった、サム・クックのホットなアップテンポ・チューンの中間ぐらいの感じで、イントロ・リックが冴えているということも、シナトラやサム・クックのトラックと共通しています。昔から高速四分三連を得意としているのですが、この曲のイントロは彼のもっともすぐれた四分三連のひとつです。いや、すごい。

◆ Michael Nesmith - You Just May Be the One ◆◆
ハル・ブレインの回想記でくわしく描写された大セッションで録音されたトラックのひとつです。回想記から、このセッションに関する部分を抜き出してみましょう。これは、売れ口が決まりかけたときにつくった縦組書籍用の入稿原稿なので、数字の扱いなどは縦組用のままです。


(略)マイケルは電話で、「スーパーセッション」のプランを話してくれた。ハリウッドでかつてなかったようなセッションをしようというのだ。しかも土日、ミュージシャン・ユニオンの組合員が「ゴールデン・タイム」と呼んでいる週末にだ〔特別料金がもらえる〕。チェイスンズ・シルヴァー・ケイタリングの仕出しと、集まったミュージシャンの信じられない豪華さで、このセッションは忘れられない。アレンジはショーティー・ロジャーズが担当し、プレイヤーの数ときたらとんでもなかった。トランペット、トロンボーン、サックスがそれぞれ一〇人ずつ、パーカッションが五人、ドラマーが二人、ピアノが四人、ギターが七人、フェンダー・ベースが四人、アップライト・ベースも四人、さらにまだまだおおぜいのミュージシャンがきたのだ。第三次世界大戦でもはじまるのかという騒ぎだ。じっさい、ネスミスはこのプロジェクトをそう呼ぶつもりだったが、やがて『ザ・パシフック・オーシャン』と変わり、最終的には『ザ・ウィチタ・トレイン・ウィスル・シングズ』に落ち着いた。

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このセッションのウワサで、町中がハチの巣を突ついたような騒ぎになった。こんな巨大なセッションがほんとうにテープに録音できると信じる人間など、ひとりとしていなかった。わたしはありとあらゆる大物コントラクターたちの羨望の的になり、その多くがわたしに電話をかけてきて、この仕事をゆずってほしいと、なかなか魅力的な条件を提示した。だれもがこのセッションに参加したがっていたのだ。

そして、その日がやってきた。一九六七年十一月十八日、そして十九日の両日だ。ショーティーはしゃかりきになって、すばらしいアレンジメントを書いてきた。アール・パーマーとわたしは、天にものぼる気分だった。こんな巨大なバンドのケツを蹴り上げるのは、まさにドラマーの夢だからだ。レコーディングの最中にもしばしば休憩をとって、われわれは豪華な食事をたっぷり詰めこんだ。サックス/オーボエのジーン・チープリアーノは、リードにキャヴィアを塗りたくっていた。みんな、キャンディー・ストアに入った子どもみたいなものだった。レッキング・クルーのふたりのトランペッターは、ほんとうに破裂しそうになるまで食べまくっていた。

最後に、わたしはマイケルに、なんだってこんな金のかかるセッションをやったのかときいた。政府が彼のポケットから五万ドルをもっていこうとしているので、税金を払うかわりに、この騒々しい帳尻合わせをすることに決めたのだ、というのが彼の説明だった。これで彼は国税庁とケンカをしないですみ、われわれの年金プランもちょっとしたカンフル剤を打ちこまれ、八方が丸くおさまったのだった。

ネスミス・セッションは、とどこおりなく完了した。これほど豪勢なパーティーに招待されたことは、あとにもさきにもない。二日間ずっとチェイスンズの仕出しを食べつづけ、一生かかってもできないほど、たっぷりと音楽を演ったのだ。はじめからおしまいまで、楽しいゲームだった。最後の音が鳴り終わると、トミー・テデースコはじぶんのギターを一〇メートルあまりも放りあげ、それが床に落ちて、ばらばらに壊れるまで、全員が凍りついたように突っ立ったまま見つめていた。彼はこの破片を集めたものを額におさめ、いまにいたるまで、お気に入りのポーカー・チェアの上にかかげている。これを見るたびに、モンキーズとすごしたワイルドな日々を思いださずにはいられない。


トミー・テデスコのフェンダー・テレキャスターが床に落ち、みなが笑っている様子も盤に記録されています。チェイスンズと、注釈なしで登場する店は、ハリウッドの有名なレストランです。仕出しといっても、パーティーなどの注文を受けるもので、「ロケ弁」とは文字どおりケタ違いの値段のようです。リードに塗るほどたっぷりキャヴィアがあるわけですから。

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以上のような性質のアルバムなので、なかば冗談のようなセッションですから、トラックの出来にはばらつきがあります。多少のミスには目をつぶってしまったようなのです。しかし、みんな気分よくプレイしているので、自然なすばらしいグルーヴが楽しめる一瞬もあります。

3曲ほど、これはいいと思うものがありますが、アールとハルの二人だけなのに、大ブラスバンドが通過していくような迫力がある、このYou Just May Be the Oneがなんといっても秀逸です。こういうのを聴くと、子どものころ、もっとまじめにブラバンをやればよかったと反省しちゃいます! ジャン&ディーン以来のアール・パーマーとハル・ブレインの「一心同体プレイ」はここにめでたく完成した、といっていいでしょう。

ちなみに、この曲の冒頭近くのストップでテレキャスターを弾いているのはトミー・テデスコにちがいありません。あのテレキャスも、このときは、まさか、まもなく楽器としての自分の命が終わり、室内装飾に転生することになるとは思わなかったでしょうねえ!

◆ Screamin' Jay Hawkins - Constipation Blues ◆◆
世の中には、パアなものやことに情熱を燃やす不思議な人間というのがいます。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズもそのひとりです。そして、その曲を面白いと思うわたしもまた同類かもしれません。constipationとは便秘のことで、すなわちこれは「便秘のブルーズ」なのです。

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この曲については、Deep Purple その3 by Screamin' Jay Hawkinsのときにもふれているので、ここでは簡略に。いや、splashとかlet it goとかいう歌詞も、そのあいだにはさまるさまざまな擬音も、じつにもって尾籠きわまりなく、文字にするわけにはいかないので、詳細になんかはじめから書けないのです。要するに、トイレからの実況中継みたいな歌なのだから、たまったもんじゃありません!

アール・パーマーのプレイは、ベストに入れるほどすごいわけではありませんが、なんだと思ってプレイしていたのだろう、と思うと、笑うべきか、ボヤくべきか、なんだかよくわからない不思議な気分になるので、そういう「メタ」な意味でベストに繰り込んでおきました。こういうセッションに呼ばれちゃったら、腹を立てても損だから、ったく、この野郎ときたら、とんでもないドアホだな、と笑いながら仕事をするしかないでしょう!

◆ Al Kooper - She Gets Me Where I Live ◆◆
便秘のブルーズで、この長大な特集に幕、というのでは、いくらなんでも悪戯がすぎるような気がして、コーダのつもりでもう一曲入れることにしました。

アル・クーパーという人は、セッション・プレイヤーのヴァラエティーということに関心をもっていたフシがあり、各地の有名プレイヤーをつまみ食いするようなことをしています。この曲が収録されたEasy Does Itというアルバムのメイン・ドラマーはリック・マロータなのですが、1曲だけ、アール・パーマーが叩いています(べつの曲だが、1曲だけ、ジョー・オズボーンもプレイしている)。まあ、アルバム全体が同じ絵の具で塗られるのを嫌い、多様性をもたせたかったのかもしれません。

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この曲の他のプレイヤーは、ベースがライル・リッツ(いいプレイ。ただし、フェンダーである。リッツという人はスタンダップしか弾かないと思っていたが、そんなことはなかったらしい。まあ、スタンダップが弾ければフェンダーが弾けるのは当然だが)、ギターがルイ・シェルトンとトミー・テデスコ、ピアノがラリー・ネクテルで、ハリウッドの一流どころが顔をそろえています。このアルバムの他の曲ではナッシュヴィルの有名どころが顔をそろえていたりするわけで、見本市みたいなことになっています。また、このあとのNew York City (You're a Woman)では、すでにポップ・セッションをしなくなりつつあったキャロル・ケイともやっています。やはり、ミュージシャンに対する関心のしからしむるところではないでしょうか。

この曲でのプレイを聴いていると、ニューオーリンズ時代がはるか昔になった1970年にあっても、アール・パーマーはやはりパワーの人だな、と感じます。ヴァースの冒頭ではドラムは休みになるのですが、そこから入ってくるときのフィルインなど、やはり昔のままの力強さです。

◆ 尾っぽは短めに ◆◆
伝記に付されたディスコグラフィーは、このあたりで終了しています。彼のキャリアが終わったわけではないので、もう少しつづけてほしかったと思いますが、事情があったのでしょう。流行り廃りがはげしいポップ・セッションは減り、映画やテレビ、それにツアーの仕事が増えてもいます。わが家にはパーシー・フェイス・オーケストラで来日したときのライヴ盤がありますし、ほかにも少数ながら70年代以降の録音があります。

しかし、アール・パーマーが「歴史を作った」時期は、どんなに長めに見ても60年代いっぱい、じっさいには60年代半ばで終わっているといっていいでしょう。あとは、残念ながら「余生」です。いや、70年代に入って、彼のプレイが悪くなったわけではありません。時代が彼をおいていってしまっただけです。そういう世界だからしかたありません。

この特集に取りかかった段階では、映画音楽にもふれるつもりでしたが、いつも道草ばかりで、じつになんとも山鳥のしだれ尾の長々しになってしまい、力尽きてしまいました。いずれにしても、次回から、かつてやっていた映画テレビ音楽を再開するので、そのなかでいくつか、アールのサントラにおけるプレイに言及することになるでしょう。


by songsf4s | 2008-12-05 22:58 | ドラマー特集
Batman Theme by the Marketts
タイトル
Batman Theme
アーティスト
The Marketts
ライター
Neal Hefti
収録アルバム
The Batman Theme
リリース年
1966年
他のヴァージョン
TV OST, Neal Hefti, Nelson Riddle, Billy May, Ray Martin, Al Hirt, the Ventures, David McCallum, the Astronauts
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今日の曲、Batman Themeに関するキャロル・ケイのメモが見つからなくて、昨日は図らざるも休みとせざるをなくなりました。おかげで、とんでもない勘違いをしていたことに気づき、Out of Limitsからつづく、このマーケッツ2連打は、なかったことにしてしまったほうがいいことがわかったのですが、一度、公表した記事を削除するのも穏やかではないので、綻びを適当に縫い合わせて書きつなぐことにします。

ともあれ、一日の休業も辞さずに、家中ひっくり返して、ようやく発見した「CKファイル」のこの曲に関するくだりを、まずはご覧いただきましょう。

他に忘れられないセッションとしては、まず(ユナイティッド・レコーダー、スタジオAにおける)マーケッツのBatman Themeがある。この曲のときは、朝の4時にたたき起こされ、スタジオに駆けつけて、この“ホット”なシングルを録音するハメになった。われわれのヴァージョンは、録音したその日の朝10時ごろには、LAじゅうの局で流されていた(わたしはバックアップ・エレクトリックで、あのダブルストップのラインを弾いた。リードはトミー・テデスコだった)。テレビ・ショウのテーマの優位に対抗し、リードを奪うために、とてつもないスピードでリリースしなければならなかったのだが、その作戦は功を奏し、このシングルはおおいに売れたのだった。

録音の数時間後に放送されたヴァージョンは、もちろん製品ではなく、ラフ・ミックスのアセテート盤でしょう。しかし、ここで重要なのは、いちばん最初に電波にのったヴァージョン、という実績です。

具体的に、この「早さの勝負」はどういう経過をたどったかというと、マーケッツ盤Batman Themeは、1966年2月5日付けでビルボードにチャートインします(85位赤丸)。それに対して、作曲者のニール・ヘフティーによるヴァージョン(OSTではなく、レコード・リリース用のリレコーディング・ヴァージョン)は、1週間遅れて、2月12日にチャートインします(86位赤丸)。

この2月12日の時点でマーケッツ盤はどうなっているかというと、69位赤丸です。結局、この差は縮まることなく、マーケッツ盤Batman Themeが最終的に3月19日付けで17位に到達したとき、ニール・ヘフティー盤は35位、両者ともこれがピークで、あとはいっしょに降下していきました。いつもそうだとはいえませんが、Batman Themeに関するかぎり「早い者勝ち」だったのです。

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◆ 名前の所有権 ◆◆
さて、わたしがなにを勘違いしていたかというと、マーケッツ盤Batman Themeのプロデューサーは、いつものようにジョー・サラシーノだとばかり思っていたということです。じっさいには、ディック・グラーサーだそうです。これだけで「サラシーノのキャリアとテレビドラマのテーマ」というわたしのシナリオは崩れてしまったのです。

でも、この勘違いは、弁解じみますが、起こって当然の勘違いで、グラーサーとはどういう意味だよ、説明しろ、説明を、とまだ腹を立てています。なぜかといえば、マーケッツというのは実在しないバンドであり、どこかに存在しているとしたら、それはジョー・サラシーノの頭のなかだけなのです。

サラシーノがバルボアのボールルームで聴いたビートをもとに、Surfer's Stompという曲を書き、こいつで一稼ぎしようとスタジオに入ったときに、マーケッツは誕生しました。このときの録音メンバーは、エドワード・“シャーキー”・ホール=ドラムズ、プラズ・ジョンソン=テナー・サックス、ルネ・ホール=ギターなどで、みなスタジオのプロ、その日だけの「マーケッツ」にすぎません。

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Surfer's Stomp誕生の地、バルボア岬のランデヴー・ボールルーム。

マーケッツによるつぎの大ヒットがOut of Limitsで、ここでもサラシーノのクレヴァーな商売人ぶりが成功の鍵になっています。このときのメンバーは、Surfer's Stompのときとはまったく異なります。ハル・ブレイン、トミー・テデスコ、ジミー・ボンド、リオン・ラッセル、スティーヴ・ダグラスなどのメンバーだと考えられます。

サラシーノは、ライヴのマーケッツは、「その日、プレイできる人間」だったといっています。つまり、寄せ集めのバンドをプロモーション用に放送局やクラブなどに送り出したということです。

ここから読み取れることはなにか? それは、「ザ・マーケッツ」というアーティスト名の法律的所有者は、創造者であるジョー・サラシーノだということです。だから、彼の判断で適宜、マーケッツの名前を使用できたのだ、と考えたのですが、Batman Themeはディック・グラーサーがプロデュースしていることから、この想定は怪しくなりました。マーケッツの所有権は、サラシーノの所属会社にあるか、または、ワーナー・ブラザーズに移っていたのかもしれません。このへんに関する証言は見あたらないのですが、うちにあるもので見るかぎり、Batman Theme以降のマーケッツの盤はすべて(といっても、Tarzanなど、ほんの一握りだが)グラーサーのプロデュースなのです。

ハリウッド音楽界を見渡して、機を見るに敏といって、サラシーノほどうまく立ちまわった人間はいない、という話をするはずだったのですが、なんたることか、Batman Themeのプロデュースはディック・グラーサーだったために、前提が崩れてしまい、その話はTボーンズやラウターズ(ともにサラシーノの創造物)やヴェンチャーズ(一部のアルバムをサラシーノがプロデュースした)とともに雲散霧消してしまったのでした。

◆ 単純化の行き着いたぎりぎりいっぱいの断崖絶壁 ◆◆
すっかり気が抜けてしまい、他のヴァージョンを聴く気も失せました。そもそも、Batman Themeという曲自体、それほど「いい曲」というわけでもありません。ただ、いろいろな意味で重要性はあります。

まずなによりも、その究極のシンプリシティーは特筆に値します。コードは三つ、リフの音も三つ(マーケッツ盤の場合、G-G-F#-F#-F-F-F#-F#をストレートな8分でプレイするのが1小節分、一巡で、これをときおり3度、5度に移動するだけ)、これ以上単純な曲を書くのはむずかしいでしょう(いま思いつくのはMemphis UndergroundとLouie Louieの2曲だが、どれがいちばんシンプルとはいえず、いずれが菖蒲か杜若という実力伯仲の勝負。コード・チェンジがない、ということでMemphis Undergroundがハナの差で勝利か?)。

思いだすのは、ヘンリー・マンシーニのPeter Gunn Themeです。Peter Gunn Themeは、リフ・オリエンティッドなスパイ/クライム・ミュージックの嚆矢となりましたが、この方向を継承したのがJames Bond Themeであり、Secret Agentmanでした。Batman Themeは、この路線を究極まで推し進め、到達したエクストリームといえるでしょう。ここから先はもうないのです。

当然、ギターを手にした中学一年生のわたしは、Secret Agentman同様、この曲のリフも(1音ずらしてオープンAからはじめたが)弾いてみました。世の中には思ったより簡単に弾ける曲もあるのだと思いましたねえ。あの時代の世界中の子どもが、たとえばSatisfactionのリフと同じように、Batman ThemeやSecret Agentmanを弾いたにちがいありません。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
この分野のオリジネーターとなったPeter Gunnが、ジャズ系の作曲家、アレンジャーだったヘンリー・マンシーニの作だというのもやや皮肉なことでしたが、その方向を極限まで押し進め、アナーキーなまでに単純な、ほとんど幼児向け音楽のようなものをつくったのもまた、ジャズの作曲家、アレンジャーだったニール・ヘフティーだったのだから、世の中、よくわかりません。

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まあ、「ロック系作曲家」なんていうのはいなかったのだから仕方ないといえばいえますが、つまるところ、テレビや映画の音楽を依頼されるのは、ジャズ系の作曲家だったから、ということでしょう。ゴーフィン=キングとかマン=ワイルとか、そっちの系統の作曲家は、映画テレビの製作者の眼中になかったのだとしか解釈しようがありません(いや、待てしばし、1966年はバットマンの年でもあったけれど、あの番組の年でもあったじゃないか、という意見がございましょうなあ。あれを取り上げるかどうかは、今晩、よーく考えてみます)。

ニール・ヘフティー盤Batman Themeのドラマーはアール・パーマーです。ということは、ほかのメンバーも、いわゆるレッキング・クルーのプレイヤーである可能性が高いということを意味します。これが、「早い者勝ち」のひとつの理由なのです。同じようなプレイヤーの演奏を、同じスタジオで、同じエンジニアが録音する、なんてことになるのだから、上手い下手、録音の善し悪しで差がつく可能性は低く、勝負は早い者勝ちになってしまうのです。だから、マーケッツ・ベンチは「朝まで待てない」と、夜中に強行録音し、数時間後にはLAのDJたちにアセテート盤の配布を終わっていたのです。

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Hefty in Gotham Ciry タイトルからして当然、これもニール・ヘフティーによるバットマン関係盤なのだが、Batman Theme自体は収録されていない。

こういうことはそれほどめずらしいわけではないのですが、各ヴァージョンを眺めると、ハリウッド録音ばかりなことに気づきます。ビリー・メイ、ネルソン・リドル、ニール・ヘフティーというシナトラのアレンジャーたちは、いうまでもなくハリウッド・ベースです。ジャン&ディーン、デイヴィッド・マッカラム、ヴェンチャーズなどもハリウッド、アストロノウツだけは、公式にはアリゾナ録音ということになっています(あまり信用できない。すくなくとも後年になるとまちがいなくハリウッド録音)。

がんばってひととおり聴いてみたのですが、そりゃまあ、ちがうヴァージョンなのだから、ちがうのですが、やっぱり、同じ曲だから同じ、ともいえる、といったあたりで、どれがいいの悪いのとあげつらうほどのちがいはありません。

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曲調からいって、テンポを落とすわけにはいかず、「うちはスロウ・バラッドでやってみました」なんていう頓狂なヴァージョンもありません。みなアップテンポで、どの程度速いかというちがいしかありません。ネルソン・リドル盤だけは、途中で4ビートを入れているのが目立ちますが、とくにすぐれたアイディアというわけではなく、むしろ、陳腐なアイディアというべきで、他との比較で変わり種であるとはいえるけれど、すぐれているとはいいかねます。

グルーヴのちがいでもあれば話が単純化できるのですが、アール・パーマーが3種類、ハル・ブレインもおなじぐらい、という感じで、上手い人たちがやっているので、とくにひどいものもありません。

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で、結局、「早い者勝ちだ!」というマーケッツ・ベンチの判断は正しかった、ということが証明されたと感じます。実力のちがいでもあればまだしも、しばしばメンバーはダブっていて、ちがいがないのだから、しかたありません!

いま、検索結果を眺め直して思ったのですが、この際、ディッキー・グッドマンのBatman and His Grandmotherなんていうのを聴いてみるのはどうでしょうかね。これがいちばん変わり種のBatmanであることは間違いありません。去年から、なんとかディッキー・グッドマンを取り上げようとしているのですが、チャンスがないまま、ここまできてしまったので、もう理由も必然性もなく、ただやりたいからやるということで取り上げちゃおうかと思わなくもありません。

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by songsf4s | 2008-08-08 23:54 | 映画・TV音楽
Out of Limits by the Marketts
タイトル
Out of Limits
アーティスト
The Marketts
ライター
Michael Z. Gordon
収録アルバム
Out of Limits
リリース年
1963年
他のヴァージョン
The Ventures, the Challengers, the Pyramids
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本日の曲、Out of Limitsついては、すでにTwilight Zoneの記事で簡単にふれています。ということはつまり、その時点ではこの曲を改めて取り上げるつもりはなかったのです。しかし、よくよく考えると、この曲にある程度の重要性があることは認めざるをえず、明日の記事への「経過音」として、取り上げておくべきだという気がしてきました。したがって、今日の記事は、Twilight Zoneの記事とやや重なることをあらかじめお断りしておきます。

◆ まぎらわしい出自 ◆◆
最初に聴いたこの曲のヴァージョンは、ヴェンチャーズ盤、それもThe Ventures in Space収録のスタジオ録音ではなく、Ventures in Japan Vol.2(定冠詞が抜けているのはわたしの責任ではない。盤にそう書いてあるのだ!)収録のライヴ録音です。そのあとでIn Space収録のスタジオ盤を聴き、ずっと後年、マーケッツのオリジナルを手に入れる、という順序でした。

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Ventures in Japan Vol.2 CDでは「イン・ジャパン」は1枚に統合されてしまったので、このジャケット・デザインも打ち捨てられた。ついでに、再生速度もノーマルに戻したほうがよかったのではないか?

この順序になにか意味があるわけではありません。意味があるのは、1965年に聴いた、ということです。このとき、なにを思ったかというと、1)曲はTwilight Zone(邦題「ミステリー・ゾーン」)のテーマに似ている、2)タイトルはドラマの「アウター・リミッツ」に似ている、3)ドラマの「ミステリー・ゾーン」と「アウター・リミッツ」はよく似ている、4)こうしたもろもろの近縁関係はどういうことなのだ? たんなる偶然なのか、それとも意味があるのか? といったことでした。

Twilight Zoneのときに書きましたが、ドラマのほうは、「アウター・リミッツ」のほうが後発で、1965年にはまだ放送中だったと思います。同じファンタスティックな話柄のドラマ・シリーズですが、「アウター・リミッツ」のほうがSF寄りで、しかも、下品というか、直截でした。いまでも覚えているエピソードに、宇宙からやってきた岩石型の生物が人を襲うというものがありましたが、こういうのが典型的な「アウター・リミッツ」的話柄で、ファンタシー寄りの「ミステリー・ゾーン」は取り上げないタイプのものです。

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いや、そんなことはどうでもいいのです。小学生のわたしは、Out of Limitsという曲が、Twilight Zoneのテーマのリフを利用しているのに、Twilight Zoneというタイトルではなく、Out of Limitsというタイトルになっているのが、なんともまぎらわしく、どうなっているのだろうかと、すごく気になりました。

◆ 商機ここにあり ◆◆
いまにして思えば、マーケッツのベンチ、すなわちジョー・サラシーノの思惑は、まさにそこにあったのだろうと思います。Twilight Zoneのテーマはだれでも知っているが、首尾一貫した「楽曲」とはいえず、シングル・カットのしようがなかった、Outer Limitsは、ドラマはヒットしているのに、テーマはほとんどアヴァンギャルドで、メロディーらしいメロディーもなく、だれにも覚えられない……ここに掘るべき金脈があるではないか、というわけです。

結果として、Twilight Zoneに似た曲と、Outer Limitsというタイトルをそのままいただいた、だれもが、なんとなく、ふたつの大ヒット・ドラマの「両方の」テーマと誤認識するのを妨げる意図をまったく持たないシングルができあがったのでしょう。つまり、誤認識大歓迎、まちがえて買ってね、勘違いして聴いてね、という無茶苦茶な企画なのです。

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左からOut of Limitsの作曲者マイク・ゴードン、ハル・ブレイン、そして、プロデューサーのジョー・サラシーノ

Outer Limitsを放送していたABCから訴訟も辞さずと威されたとかで、Outer Limitsというタイトルは、Out of Limitsに変更せざるをえなくなりましたが(Ventures in Japan Vol.2では、MCはThe Outer Limitsとまちがったタイトルで紹介している)、サラシーノとしては、それくらいは想定の範囲内だったのでしょう。どうであれ、ビルボード3位にまでのぼる大ヒットになったのだから、タイトル変更はなんの害も及ぼさなかったにちがいありません。

ジョー・サラシーノは、いわば「便乗の帝王」です。ニッチを見つけ、金のにおいを嗅ぎわける鼻のよさは、じつにもって天晴れ、見上げたものだよカエルのなんとかです。ふたつのよく似たヒット・ドラマのテーマ曲が、どちらも親しみにくく、ヒットを金に結びつけるのに失敗している、この二つの「両方に同時に」便乗してやれ、なんて、ふつうは思いつきませんよ。ここまでくれば、便乗も芸術、いや、そこまでいかなくても、「技」といっていいでしょう。

◆ 各ヴァージョン ◆◆
ジョー・サラシーノの商売のうまさについては、つぎに予定している曲にも関係があるので、今日はそちらには踏み込まずにおきます。

オリジナルのマーケッツ盤のドラムはもちろんハル・ブレイン、リードギターはおそらくトミー・テデスコでしょう。トミーは譜面どおりに弾いただけで、どうというプレイではありませんが、ハルは派手に叩いています。でも、マーケッツ盤Out of Limitsのもっとも魅力的なところはフレンチ・ホルンだと感じます。

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チャレンジャーズ盤Out of Limitsも、ドラムはハル・ブレインですが、アレンジにとりたてて工夫がなく、あまり面白いカヴァーではありません。

Penetrationで知られるピラミッズのヴァージョンは、意外に悪くない出来です。かなりパンクなバンドで、タイムなんかクソ食らえという、ひどい出来のトラックがたくさんあるのですが、Out of Limitsは、そこそこまとまっているのです。ドラムがばたつかないのがじつにもって意外千万。キックがやや遅れ気味ですが、けっして突っ込まないのは賞美に値します。

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ヴェンチャーズは、例のE-G-Ab-Gというリフをやっている楽器(オンディオリン?)のトーンが面白く、そこがいちばん印象に残ります。ライヴ・ヴァージョンについては、とくにいうべきことはありません。

Out of Limitsは、Twilight Zoneのテーマでもなければ、Outer Limitsのテーマでもなく、どんなテレビドラマのテーマでもありませんでしたが、つぎは、ジョー・サラシーノがこんどはまちがいなくあるドラマのテーマ曲で成功する話へと進む予定です。

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こちらは、ドミニク・フロンティアによるホンモノのThe Outer LimitsのOST。まちがってもヒットしたりはしないが、これはこれでなかなか興味深い音楽である。音楽のほうはややハイブロウで、ジャケットとマッチしていないといいたくなるが、ドラマのほうはこういう感じだったのだからやむをえない。

by songsf4s | 2008-08-06 23:58 | Guitar Instro
Makin' Whoopee その2 by Eddie Cantor
タイトル
Makin' Whoopee
アーティスト
Eddie Cantor
ライター
Gus Kahn, Walter Donaldson
収録アルバム
N.A. (78 realese)
リリース年
1928年
他のヴァージョン
Nilsson, Frank Sinatra, Nat 'King' Cole, Ray Charles, Jesse Belvin, Billy May, Nelson Riddle, Mel Torme, Bobby Troup, Doris Day, Julie London, Dinah Washington, Nancy Wilson, Esther Phillips
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昨日に引きつづき、今日はMakin' Whoopeeの残りのヴァージョンを見ていきます。

看板にはオリジナルのエディー・キャンター盤を立てました。この曲は1928年のブロードウェイ・ミュージカルWhoopee!の挿入曲として書かれたものだそうです。わたしのもっているこの曲のエディー・キャンター盤は1928年リリースとなっていますが、正確かどうかはわかりません。1928年暮れに舞台にかかったミュージカルの挿入曲が、舞台がヒットかどうかもまだ見極めがつかない年内に、盤としてリリースされたかどうか……。

f0147840_2234435.jpg2年後の1930年には、やはりエディー・キャンター主演で映画化されています。こちらは舞台がヒットした結果なのはまちがいないでしょう。資料を見ると、2色カラーという不思議なことが書いてあります。どんな風に見えるのか、見当もつきませんが。

エディー・キャンターのMakin' Whoopeeには2種類のヴァージョンがありますが、リメイクのほうの年代はわかりません。1928年版を聴いていて気づいたのは、すでにA lot of shoesがあることです。いや、だからといってニルソン盤がオリジナルに忠実な歌詞だったわけでもありません。たとえば、セカンド・ヴァースにあるはずのラインが、1行だけファースト・ヴァースに飛んでいるといった、シャッフル状態なのです。

これくらいの時期の盤を聴くと毎度思うのですが、アメリカの録音はすごいものです。昭和初年の日本の録音、たとえば、藤原義江の「出船の港」と、エディー・キャンターのMakin' Whoopeeを比較すれば、大人と子どもです。どうして、こんな国に戦争をしかけて勝てると思ったのか、不思議でなりません。音楽を聴いても、映画を見ても、技術レベルは比較するのも馬鹿馬鹿しいほどかけ離れていて、兵器産業にいたっては、なにをかいわんやです。

昨日も申し上げましたが、エディー・キャンターのオリジナルから、収入は五千ドルになっています。キャンター盤では、five thousand perではなく、five thousand dollars perとうたっていて、五千ドルであることを保証しています。収入の謎は映画を見ればわかるのかもしれません。

◆ レッキング・クルー関係 ◆◆
f0147840_2240485.jpgこの曲は百パーセント男の歌で、女がうたうべきではないのですが、ナンシー・ウィルソン盤のドラムはハル・ブレインなのです。それだけで、ほかの古めかしいMakin' Whoopeeとは大きく異なるムードになっています。ちょっと、サム・クックのAnother Saturday Nightや、フィル・スペクターのDr. Kaplan's Officeを思いださせるようなプレイで(ただし、タムタムの使い方はあそこまでアブノーマルではない)、なかなか好みです。

ハル・ブレインがいるということは、他のプレイヤーもおなじみの人たちである可能性が高いでしょう。ベースはキャロル・ケイにちがいありません。ギターはカッティングをしているだけなので、推測の手がかりゼロ。ピアノはうまい人ですが、さてだれでしょうかねえ。やっぱり、ハルの独壇場という感じで、控えめながら手数は多く、ヴァラエティーに富んだタムタムのプレイを楽しむことができます。

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左からナンシー・ウィルソン、キャロル・ケイ、プラズ・ジョンソン

パーソネルの面で面白いものとしては、ほかにメル・トーメ&ザ・メルトーンズ盤があります。

Marty Paich……Conductor, Arranger, Piano, Organ, Celeste
Jack Sheldon……Trumpet
Art Pepper……Alto Saxophone, Tenor Saxophone
Victor Feldman……Vibes
Tommy Tedesco……Guitar
Bobby Gibbons……Guitar
Tony Rizzi……Guitar
Bill Pittman……Guitar
Barney Kessel……Guitar
Joe Mondragon……Bass
Mel Lewis……Drums

f0147840_22464381.jpgこのギターの多さはなに? といいたくなります。ちゃんとこれだけの数が聞こえるならまだしも、3本ぐらいにしか聞こえないのです。同じリックを複数のギターが弾くといい響きになるので、それを利用したオブリガートがときおり聞こえてきますが、それだけです。

ただ、メンバーとしては興味深くはあります。トミー・テデスコは、やっとスタジオに入りこんだばかりといったあたりじゃないでしょうか。弾けもしないのに、アコーディオンを子どもに教えて生活費を稼ぐなんていう時代が、やっと終わったというところでしょう。

50年代に活躍したリズム・セクションのプレイヤーの多くが、60年代に起きた変化の結果、仕事を失っていくのですが、ビル・ピットマンは例外のひとりで、50年代に多くの録音を残しているにもかかわらず、60年代のロック/ポップ系セッションでも活躍をつづけます。

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髭を生やしたトミー・テデスコとキャロル・ケイ

しかし、これだけギターを集めたのなら、もっと活躍させろ、とマーティー・ペイチに一言文句を云いたくなります。活躍するのはアート・ペパーのテナーだけです。メル・ルイスとジョー・モンドラゴンのグルーヴはなかなかけっこうなんですが、アレンジには不満が残ります。メル・トーメのことにはなにもふれませんでしたが、どこにいるのかもわかりません。名義はどうであれ、これはメルトーンズのアルバムで、この曲ではソロ・ヴォーカルは出てこないのです。

◆ ダニー・トーマスほか ◆◆
レイ・チャールズ盤はチャートインしています。といっても、46位というマイナー・ヒットですが、ロックンロール時代にチャートインしたMakin' Whoopeeは、このヴァージョンだけです。わたしとしては、このドラムはまったく気に入らないので、とくに好きなヴァージョンというわけではありません。ライヴだから、二流のドラマーだったのでしょう。

f0147840_22572266.jpgレイ・チャールズのヴォーカル・レンディションも、べつにどうということはありません。面白いのはオーディエンスの反応のほうです。これだけみごとに、「細かく」ウケた様子を記録した盤というのはほかに知りません。細かい、というところが肝心です。歌詞の細部に反応しているのです。クラブならこういうこともあろうかと思いますが、どう聴いてもホールです。

落語の場合も、客の反応が鈍かったり、たいして可笑しくもないところでウケたりすると聴く気が失せ、逆に反応がよいと噺が引き立ちますが、レイ・チャールズのMakin' Whoopeeはそれに近いところがあり、客の力でそこそこ聴けるヴァージョンになっています。というか、客の反応がなければ、あまり聴く気にならないヴァージョンです。軽くうたうほうがいい曲だし、べつの方向なら、ニルソンのように極限まで繊細にうたうべきであって、レイ・チャールズのレンディションはニルソンにはくらべるべくもありません。

f0147840_22585872.jpg軽さを追求したのは、ドリス・デイとダニー・トーマスのデュエット盤。女性シンガーにはよくあることですが、若いころはすごくいい声だったのに、という人がいます。ドリス・デイも、初期のものを聴くと、いいなあ、と思います。逆にいうと、いや、それはいわないほうがいいですね。

ドリス・デイとダニー・トーマスのデュエットによるMakin' Whoopeeは、1951年の録音ですから、いい声の時期です。しかし、ドリス・デイひとりでは、それほど面白いものにはなからなかったでしょう。ダニー・トーマスの合いの手がいいのです。The judge says you pay 6 to herの直後に、Ouch!と当たり前のことを云うのですが、それでも可笑しいのは、タイミングと抑揚がいいということです。テレビの人気者だったそうですが、このタイミングならさもあらんと感じます。

f0147840_230191.jpg女性シンガー向きではないといいつつ、また女性シンガーですが、ジュリー・ロンドン・ヴァージョンは、これはこれでいいかもしれないと感じます。声がいいは七難隠すと申しましてな(いわないってば)、ジュリーの声は、いつ聴いても、どんな曲を聴いても、やっぱりいいのです。このヴァージョンを聴いていると、こんないい女を家に置いて、外で遊びまわる馬鹿もいないだろうに、と思っちゃって、リアリティーからいえば、失敗ヴァージョンということになってしまいますが、声がいいから、ほかのことはどうでもいいんです。

ジュリー・ロンドン盤Makin' Whoopeeのアレンジはアンドレ・プレヴィンです。プレヴィンのピアノはともかく、彼のアレンジというのはあまり聴いたことがないのですが、なかなか面白いところもあって、ちょっと聴いてみようかという気になります。この曲のピアノも、当然、プレヴィン自身のプレイなのでしょう。

◆ ジョー・ペシ盤なんぞはいかが? ◆◆
読んでいるみなさんにはわからないことだから、こんなことは書かなくてもいいのですが、前の段落を書いてから、長考に入ってしまい、さて困ったな、と手をこまねいていました。

男性シンガーでは、あとはフランク・シナトラ、ナット・コール、ジェシー・ベルヴィン、ドクター・ジョンのものがあります。どれも悪くはありません。シナトラはいつものシナトラだし、ナット・コールはわたしがもっとも好きなトリオの時代のものだし、ジェシー・ベルヴィンはいい声をしているし、ドクター・ジョンのピアノはさすがです。でも、だからどうだというほどでもないような気がします。

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じゃあ、だれのヴァージョンなら聴きたいかなあ、というので長考に入ってしまったのです。シンガーではないのですが、たとえば、ダニー・デヴィートみたいなキャラクターが「演じる」べき曲だと思うのですよ。ジョー・ペシなんかでもいいですねえ。

コメディアンのタイムをもった、ハンサムでない、というか、チンチクリンな俳優がうたうと、すごく味わいがあるのではないかという気がします。おまえ、浮気って柄かあ、みたいな男が「まあ、聴いてくれよ」と、ヌケヌケと美人の女房を裏切った噺をして、挙げ句の果てに、「なんだって、こんなひどい目に遭わなきゃなんないんだ、俺がなにをした? 女たちが俺を放っておかないのは俺の罪じゃない」といって肩をすくめる、というしだい。そんな曲なのだと思うのですよ。

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ジョー・ペシ

ニルソンは、そういうイメージの正反対のレンディションですが、あそこまで完璧にやれば、文句も出ず、なるほど、この曲のメランコリックなレンディションというのもありだな、と納得するから、それでいいのです。でも、あとのシンガーは中途半端な色男ぶりで、ちがうんじゃないかなあ、と感じます。シンガーが悪いというより、曲とシンガーのマッチングに味がないのです。

結局、ニルソン以外では、エディー・キャンターがいいな、となるのは、そのへんなのです。キャンターのレンディションは、わたしがイメージする、ジョー・ペシ・ヴァージョンに近いのです。もっとすっトボけてくれたほうがいいのですが、他のヴァージョンにくらべれば、飄逸味があります。しいてほかに同系統をあげると、ドリス・デイの相方をやったダニー・トーマスでしょう。あのムードで、うたうというより、小咄を語るようなレンディションが正解だろうという気がします。

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ダニー・トーマス

◆ 蛇足、蛇足、蛇足 ◆◆
歌詞が魅力的な曲であり、音楽というより、ストーリーというべきものなので、インスト・ヴァージョンは原理的にそれほど面白いものにならないのは、どれひとつとして聴かなくても、はなから想像がついてしまいます。

ものすごく有名な曲だから、だれでもどういうストーリーか知っている、ということを前提にしてアレンジするしか方法がないんです。これは大きな弱点です。ひとりで立っていられないトラックだということですから。ネルソン・リドルも、ビリー・メイも、そういう前提でアレンジしていると感じます。なんとかユーモラスな味を出そうとしているのですが、はなからヴォーカル・ヴァージョンを聴けばそれですむ話じゃないか、と思ってしまいます。

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ジュリー・ロンドンの旦那、ボビー・トゥループのピアノ・トリオ・ヴァージョンも退屈です。まあ、わたしがピアノ・トリオを毛嫌いしているというだけのことかもしれませんが、でも、やっぱり、そういう曲じゃないでしょう。シンガーでもあるのだから、うたえばいいのに。

f0147840_23162969.jpg『LAコンフィデンシャル』のサントラに入っていただけですが、ジェリー・マリガン&チェット・ベイカー盤もあります。これはアンサンブルの面白味がまったくありません。まあ、ジョニー・キャッシュとボブ・ディランのデュエットみたいな味がなくもない、とはいえますが、ということはつまり、相手の存在を気にかけないデュエットだということです。そもそも、どのシーンで出てきたんだっけ、というくらいで、まったく記憶がありません。記憶がないということは、映画のなかでの使い方も、べつに感心するようなものではなかったということです。

エスター・フィリップス、ダイナ・ワシントンという女性シンガーも、まったくお呼びじゃありません。女がうたうと、愉快なはずの歌詞が、いきなり不愉快になります。たんに浮気男を懲らしめているだけの歌になってしまうのです。ジュリー・ロンドン・ヴァージョンはそこをうまく避けていますし、声がいいから許すという感じで、ナンシー・ウィルソンは、ハル・ブレインとキャロル・ケイのグルーヴがよく、とりわけ、ハルのタムタムが楽しいから、まあいいか、というだけです。

じつは難曲なんだなあ、とため息が出ます。曲がシンガーをきびしく振り落としてしまうのです。満足できるヴァージョンは、わたしの場合、ニルソン盤のみ、まあいいか、というのが、エディー・キャンター盤、ドリス・デイ&ダニー・トーマスのデュエット盤というところです。

現実のヴァージョンが退屈なため、今日はつねにdistractされたままで、そこにあるヴァージョンを聴いても、ありえたかもしれないヴァージョンのことばかり考えてしまいました。日本ではだれかなあ、ということも考えました。パッと思い浮かんだのはトニー谷。つぎに思い浮かんだのは、尻取りをしているわけじゃないのですが、谷啓。谷啓ならまだまにあうのに、と思ったのですが、この歌詞の味わいを日本語に移せるか、と考えたところで、やっぱり幻だ、と納得しました。

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Makin' Whoopee: Capitol Sings Broadway このアルバムには、エディー・キャンターのリメイク盤Makin' Whoopeeが収録されている。

by songsf4s | 2008-06-11 23:44 | Moons & Junes
Fly Me to the Moon その3 by the 50 Guitars
タイトル
Fly Me to the Moon (a.k.a. "In Other Words")
アーティスト
The 50 Guitars
ライター
Bart Howard
収録アルバム
In a Brazilian Mood
リリース年
1967年
他のヴァージョン
別掲
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昨日、当家では、ことのついでのように、バディー・リッチにふれたのですが、右のリンクからいける、オオノさんの「Yxx Txxxを聴こう」でも、リッチが取り上げられていました。こいつは奇遇、というほどでもありませんが、しからばというので、You Tubeの画像を見てみました。

久しぶりにリッチのドラミングを見ましたが、いや、やっぱりすごいものです。ちゃんとシンバル両面打ちもやっていて、いよ、待ってました、でした。いやはや、ドラム・ソロなんてものは、それほど面白くないものと相場は決まっているのですが、バディー・リッチとジム・ゴードンはべつです。

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この異様に低くセットされたシンバルが両面打ちを喰らう。バディー・リッチのセットはスリンガーランドだと思っていたが、これはラディック。晩年はセットを替えたのか、たんなる宣伝用ショットなのか。

リッチのタイムのよさというのは、生来のものかもしれませんが、ビッグバンドでプレイしてきたことも、やはり影響しているのではないでしょうか。ジャズに関しては、スウィング時代のほうが、いいドラマーが多いと感じます。モダン・ジャズの時代になると、有名なドラマーでも、タイムの悪い人が多く、額に青筋が立ちます。マックス・ローチなんてのをはじめて聴いたときは、うっそー、とひっくり返りました。ぜったいにバックビートは叩けないタイプで、どんなロック・バンドのオーディションにもパスしないでしょう。

これは個々のドラマーの責任というより、時代の、いや、正確にはモダン・ジャズという狭いゲットーのパラダイムだったのだと考えています。

クラシックのピアニストなんか、タイムがどうこうなどという尺度を当てはめることができません。ソロの場合、自分の感覚だけでプレイしているので、タイムは揺れに揺れまくります。一定のタイムでプレイするようには、はなからできていないのです。

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ハイハットも異様に低くセットされている。8分を刻むのが目的ではなく、装飾音に使っていることがセッティングにも如実にあらわれている。

モダン・ジャズもやはり、タイムを重視しない音楽だったのでしょう。そうじゃなければ、あんなタイムのひどいドラマーがうじゃうじゃ湧いて出たことの説明がつきません。タイムの面では、スウィング時代より大きく後退してしまったのです。モダン・ジャズはダンス音楽ではなかったのだから、スウィング時代よりタイムが悪くなったのは、考えてみれば当たり前の現象なのかもしれません。

そう考えると、ダンスも馬鹿になりません。わたしは踊るのを好んだことは一度もありませんが、つまるところ、音楽を聴けば、つねに頭のなかでは踊っているのでしょう。だから、その頭のなかのステップが踏みにくいグルーヴがいちいち疳に障り、このバッド・グルーヴの責任者、出てきて謝れ、てえんで、クレジットをにらみつけちゃったりするのです。馬鹿ですな。今年の盤ならともかく、半世紀昔の盤をつかまえて怒っても、しようがないでしょうに!

◆ 50ギターズ ◆◆
馬鹿の反省はほどほどにして、今日はFly Me to the Moonのインスト・ヴァージョンをできるだけたくさん聴いて、この曲の棚卸しを終えます。

看板には50ギターズを立てました。いつも50ギターズなので、今日はべつのものにしようと思って、けっこうしつこく聴いたのですが、どれかひとつとなると、やっぱりトミー・テデスコを差し置くほどのものはありません。

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ガットを弾くトミー・テデスコ。こんなにブームが長いのには相応の理由があるのだろうが……。

そう、Fly Me to the Moonにかぎっていえば、50ギターズというアンサンブルではなく、トミー・テデスコの個人プレイの魅力なのです。トレードマークの超高速ランを駆使しちゃっていますからねえ。トミー・テデスコここにあり、というプレイです。

50ギターズ盤Fly Me to the Moonのテンポは、ほかのインストものにくらべて遅めです。50ギターズでは、ソリスト以外のギタリストは、ほぼつねにトレモロ・ピッキングをしているからではないでしょうか。テンポが速すぎると、トレモロがきれいに聞こえないだろうと思います。それと同時に、この曲の場合、テデスコの高速ランに合わせたテンポだとも感じます。

ガットを弾いているときのトミー・テデスコは、クレジットがなくてもすぐにわかります。高速ランが出てこなくてもわかるのです。ヴィブラートでわかるのです。言葉でいうと、ただ非常に強いヴィブラートとしかいいようがないようですが、明確に理由を分析できていないだけで、じっさいには、それだけのことではないのかもしれません。とにかく、トミーのガットが流れれば、これはトミーにちがいないと感じます。

たとえば、エルヴィスのMemoriesをお持ちの方は、お聴きになってみてください。あのガットギターはトミーのプレイです。あのプレイを何度か聴いて、トミーのムードが理解できれば、もうそれだけで、他のトラックでトミーがガットを弾いているのを聴いても、すぐにわかるようになるでしょう。それくらい明確な特徴のあるプレイなのです。

50ギターズは、アンサンブルも面白いのですが、やはり、トミーのプレイの魅力も大きく、それがあるので、つぎつぎと聴きたくなってしまうのです。

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50ギターズのプロデューサーとソリスト。スナッフ・ギャレット(手前)とトミー・テデスコ。

◆ ローリンド・アルメイダ ◆◆
50ギターズの最初の2枚でリードをとった、ローリンド・アルメイダのFly Me to the Moonもあります。トミー・テデスコとちがって、高速ランなどという派手なことはまったくしないギタリストで、子どもが聴いても、どこが面白いのかまったくわからないというタイプです。

トム・ジョビンがアメリカにくるや、たちまち受け容れられた素地は、アルメイダがつくったのだと書いているものを読んだ記憶があります。アルメイダがハリウッドにいたおかげで、すでにボサノヴァというものが知られていたからだというのです。

f0147840_23544586.jpg当然、ローリンド・アルメイダのFly Me to the Moonは、ストレートなボサノヴァ・アレンジです。冒頭のコードワークなんか聴いていると、うまい人だなあ、と感じるのですが、ソロというのをしないので、ギターを聴きたい人間としては、ちょっと戸惑います。よほど目立つことが嫌いだったのだとしか思えません。

たいした数を聴いたわけではありませんが、わたしが知るかぎり、だれが聴いてもすぐにうまいとわかるようなプレイはまったくなくて、じつに渋い、あまりにも渋すぎるプレイばかりです。そのぶんだけ、アンサンブルを重んじていたのだろうと思います。たしかに、気分よく聴けるヴァージョンですが、あまりにもBGM的すぎて、盤としてゆっくり聴くという感じにはならないところが、わたしには物足りなく感じられます。

◆ ギターもの3種 ◆◆
ほかにもギターものがいくつかあります。まず、ニューヨーク版エレクトリック50ギターズといったおもむきのプロジェクトである、テン・タフ・ギターズのヴァージョン。このアルバム全体についていえることですが、Fly Me to the Moonも、面白いような、物足りないような、なんとも微妙な出来です。

f0147840_23575491.jpg数多くのエレクトリックギターを並べて、そのアンサンブルで盤をつくろうというアイディアそのものは、ギター・アンサンブル・ファンとしては、そういうのはぜひやってちょうだい、という大歓迎企画です。しかし、その実現となると、やはり楽じゃないですねえ。アレンジが完璧にうまくいったと感じるトラックはないのです。もうすこし楽しめるアレンジができたのではないかと、隔靴掻痒の思いをさせられます。

ただし、このドラマーはおおいに好みです。ほかの曲もかなりいいプレイをしていますが、Fly Me to the Moonは、テンポがちょうどよかったのか、とりわけいいプレイです。

f0147840_05341.jpgまたハリウッドに戻ると、TボーンズのFly Me to the Moonもあります。リードギターはたぶんトミー・テデスコだろうと思うのですが、Tボーンズでのトミーは、いや、テレキャスターのときのトミーは、じつに不精というか、譜面のとおりに弾くだけで、インプロヴなんかめったにやりません。ドラムはハル・ブレインでしょうが、これまた、芸を見せてくれているとはいいかねます。ベースはなにをするというわけでもありませんが、非常にいいグルーヴです。CKさんかもしれません。

ギターものFly Me to the Moonはもうひとつ、ウェス・モンゴメリー盤があります。いわゆるイージー・リスニングにシフトしてからのウェスの盤は、痛し痒しです。毎度、ドラムがヘナチョコで、なんだよこれは、と例によって額に青筋なのです。

f0147840_095317.jpgいや、本日の長い枕で書いたように、いわゆるモダン・ジャズのものなら、タイムは気にしていないのだろうと、ほうっておきます(すくなくとも、こちらも気にしないように「努力」する)。でもねえ、これはもうジャズではないでしょう。ポップです。ポップでは、こんなプレイをしちゃダメです。フィルがみな、舌足らずの横着プレイで、ちゃんと叩けよ、なんのためにスティックをもっているんだと、ぶんむくれになります。正しくないビートを、小手先でゴチャゴチャやって誤魔化すドラミングほど腹の立つものはありません。

こういうのは生活習慣病なのです。ジャズの世界で甘やかされて、正確なビートを叩く努力をせず、周囲も精度を要求しなかったから、小手先で誤魔化す習慣が身に付いてしまったのです。ポップの世界では、いい加減な仕事をすると、翌日から食えなくなるので、こういうプレイヤーは生き残れません。

晩年にいくにしたがって、ウェスのオクターヴ奏法はすごみを加えていきます。トーンが澄んでいくのです。だから、ギタープレイとしては非常に面白いのですが、サウンドとしては、もう耐え難いまでに田舎臭くて、ハリウッドの洗練されたサウンドとプレイに馴染んでいる人間としては、なにが悲しくてこんなダサいバンドを聴かなければならないのだ、ブログなんかはじめなければよかった、とまで思います。

痛し痒しだというのはそこなのです。ウェスはいいけれど、ベンチがアホで、サウンドとしてはまるで形ができていません。ポップをナメたらいかんよ。商売というのは、お芸術なんかよりはるかにきびしいのだよ>ウェス・ベンチ。

◆ イーノック・ライトとアル・ハート ◆◆
f0147840_0154018.jpgギターもの以外で面白いインストというと、まずイーノック・ライト盤でしょう。ボサノヴァのようにはじまりながら、じつは速いチャチャチャみたいなところもあり、マンボのようになってしまうところもありで、「ラテン闇鍋」とでもいうようなアレンジです。こういうゴチャゴチャとにぎやかな飾りつけのアレンジは、エスクィヴァルと共通しています。プレイヤーも共通しているのではないでしょうか。

イーノック・ライトの盤は、彼自身がつくったコマンドというレーベルから出ています。ライトはエンジニアリングに一家言があり、コマンドも機材に金をかけたそうですが、なるほど、いま聴いても手ざわりのいいサウンドです。ポップ・オーケストラというのは、録音が悪いと興趣半減なのです。

アル・ハート盤もちょっとしたものです。いつもはここまでパセティックではないのですが、Fly Me to the Moonは、アル・ハートにニニ・ロッソが取り憑いたみたいなプレイをしています。ここまで派手にやってくれれば、もはや確信犯、文句も出なくなります。

f0147840_0204822.jpgそれにしても、アル・ハートという人はじつにうまいですなあ。わたしはトランペットという楽器が好きではないのですが、その理由のひとつは、ピッチの悪いプレイヤーが多いことです。どうして、高音にいったときに、多くのトランペッターがフラットするのか、不思議でしかたありません。やっぱり、肺活量の限界とか、そういうことでしょうかね。ブラスバンドにいたとき、よその楽器にちょっかいを出したのですが、トランペットは音を出すのが面倒なのにへこたれて、ピッチがどうこうなどという、高度なむずかしさを知るところまではいきませんでした。

どうであれ、アル・ハートを聴いていると、フラットするプレイヤーが多いのは、やはりプレイヤー自身の責任なのだということがわかります。アル・ハートはどんなに高いところにいっても、きっちりしたピッチでやっています。

お芸術のつもりかなんか知りませんが、フラットしちゃあ、芸術もハチの頭もないでしょう。ちゃんとプレイできて、はじめてアーティスティックなところに入りこんでいく切符が手に入るわけで、アル・ハートのビシッとしたプレイは、そこのところをよく考えろよと、くちばしの黄色い(そしてフラットする)ジャズ・トランペッターにいっているように、わたしには聞こえます。ジャズでは「スタイル」などといって誤魔化せても、ポップは誤魔化しのきかない、その場で現金払いの世界です。うまいか下手か、それだけの区別しかありません。

どんな楽器でも、それがもつ音の可能性の限界をきわめた人は、やはり、芸術家なんかよりずっと偉いのです。アル・ハートを聴いていると、トランペットというのは、じつはこういう楽器だったのか、と目を開かれます。これだけ気持のよい音が出せるのは、芸術なんかよりずっと価値のあることです。

◆ ジョー・ハーネル ◆◆
まだ言及すべきレベルに達しているヴァージョンが残っているのですが、そろそろ梅の収穫時期となり、去年つけた梅酒のことを思いだして、試し酒をしたら、これがなかなかけっこうな出来で、つい盃を重ねてしまい、気持よくなってきたので、あとはテキトーにやらせていただきます。いっときますが、いつもしらふで書いているんですよ。今日は例外です。

昨日の「その2」のジュリー・ロンドンのところでちょっとふれましたが、ジョー・ハーネルのFly Me to the Moonは、ヒットしただけあって、なかなかよくできています。ジョー・ハーネルなんていう人は、もっていることすら知らなかったほどで(オムニバスに入っていただけ)、どういうキャリアか調べてみました。ピアニストだったんですね(おいおい、大丈夫か)。しかし、あまり面白いピアノとは思えません。ピート・ジョリーかリオン・ラッセルでも聴いていたほうがずっといいと思います。

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Joe Harnell "Fly Me to the Moon" このデザインはおおいに好み。

このヴァージョンの魅力はピアノ・プレイではなく、オーケストレーションのほうにあります。のちに交通事故に遭ってからは、ハーネルの仕事の中心はアレンジに移ったそうですが(そしてハリウッドに移り、テレビの仕事をするようになり、「バイオニック・ジェニー」の音楽を書く!)、アレンジャーとして十分にやっていける力量があることは、このFly Me to the Moonを聴いただけでもわかります。全体の構成については、かならずしも感心できないところがありますが、弦のラインは非常に面白い箇所があります。

◆ スタンリー・ブラック ◆◆
スタンリー・ブラック盤は、いいところもあるんだけどなあ、と口ごもる出来です。音だけ聴いていると、1961年か62年ぐらいかと思ったのですが、確認すると66年。うーん、イギリスの環境は劣悪だったのだなあ、66年でこの録音はまずいだろう、と感じます。

f0147840_0305838.jpgいや、ロックンロールなら、この程度でもいいだろうと思いますが、アメリカのラウンジ・ミュージックの場合、録音を非常に重視します。スタンリー・ブラック盤Fly Me to the Moonは、1959年、すなわちステレオ・ブームのど真ん中にあったアメリカにもっていっても、通用しなかっただろうと思います(ちなみに、日本でステレオ・ブームが起きたのは1963、4年というところ)。

ジョージ・マーティンが、毎年、アメリカに視察にいっていたことを書いていて、そのくだりで録音機材、とくにテープ・マシンのトラック数にふれ、アメリカに追いつくのに苦労したといっています。

そういう環境のちがいというのは、このブログをはじめて以来、しばしば感じています。それだけが理由ではもちろんないのですが、ビートルズが登場するまで、ごく一握りをのぞけば(たとえばトーネイドーズのTelstar)、イギリスの音楽がアメリカ市場では受け容れられなかったのは、録音の面からも当然だと感じます。

まだ2種のヴァージョンが残っていますが、刀折れ、矢弾尽きた感じなので、ここいらで店仕舞いにしようと思います。テッド・ヒース盤なんて、素晴らしい録音なのですが、やっぱり録音だけよくてもねえ、という感じなのです。

いや、プレイもけっこうなのですが、こういう曲をムーディーにやられても、困惑するのみなのです。わたしは「深夜のバー・カウンター」タイプの人間ではないものでしてね。そんなタイプだったら、ブログなどやらずに、いまごろバーにいるでしょうに!
by songsf4s | 2008-06-03 23:58 | Moons & Junes
El Paso その2 by Grateful Dead
タイトル
El Paso
アーティスト
Grateful Dead
ライター
Marty Robbins
収録アルバム
Rockin' the Rhein with the Grateful Dead
リリース年
2004(録音は1972)年
他のヴァージョン
Marty Robbins, the 50 Guitars
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マーティー・ロビンズのことを調べていて、ニアミスをやっていたことに気づきました。Hickory Wind その2のときに、グランド・オール・オプリーが放送されるのはライマン・オーディトリアムからだとを書きました。まちがってはいなかったのですが、1972年からは、オプリーランドのグランド・オール・オプリー・ハウスから放送されるようになったそうで、危ないところでした。確認せずに、大丈夫だろうと見切って書くと、毎度、あとで冷や汗をかきます。

この事実に行き着いたのは、オプリーランドのこけら落としは、マーティー・ロビンズだったという記述を読んだからです。それはいつのことだ、と調べてみて、危なくバーズをありえない時空に送りこむところだったことに気づいたというしだい。調べてみると、ロビンズはオプリーにとってもっとも重要なシンガーのひとりだったようです。

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ライマン・オーディトリアム(上)とオプリー・ハウス

いやはや、それにしても、自分のカントリー・ミュージックに関する知識がいかに頼りないかを再認識するミスとの接近遭遇でした。ハリウッドのことなら、いちいち確認しなくても記憶していることは多いのですが、カントリー・ミュージックを扱うときは慎重に、と改めて思いました。

そもそも、われわれの世代の多くがカントリーと接するようになったのは、たとえば、フライング・ブリトー・ブラザーズ、グレイトフル・デッド、バーズ、ボブ・ディラン、グラム・パーソンズといった非カントリー系アーティストが、60年代終わりから70年代はじめにかけてカントリーへの傾斜を強めた結果でしょう。

ポコ、イーグルズのあたりでカントリーへの傾斜は一般化しますが、わたしの場合、だれよりもまずバーズ、ブリトーズを含むグラム・パーソンズに導かれていきました(したがって、イーグルズ、ポコあたりは、「原因」ではなく、「結果」ないしは「副産物」に見えた。「原因」はあくまでもグラム・パーソンズ)。

f0147840_23282457.jpgつぎに大きかったのは、やはりデッドです。じっさい、たとえば、はじめて聴いたマール・ハガードの曲は、デッドがカヴァーしたMama Triedです。グラム・パーソンズとグレイトフル・デッドの両者がカヴァーした人なので、ひところは、もっとも偉大なコンテンポラリー・カントリー・シンガーはマール・ハガードなのだと思いこんでいました。そして、El Pasoという曲を知ったのも、マーティー・ロビンズというシンガーのことを知ったのも、グレイトフル・デッドを通じてのことでした。

◆ ヴァージョン一覧 ◆◆
例によって、El Pasoの各ヴァージョンの録音日と収録アルバムを一覧しておきます。この曲のデッドによるスタジオ録音はありません。すべてライヴです。

1971.04.28……Ladies And Gentlemen...The Grateful Dead
1971.08.07……Dick's Picks Vol 35
1972.03.28……Dick's Picks Vol 30
1972.04.24……Rockin' The Rhein
1972.09.17……Dick's Picks Vol 23
1972.09.21……Dick's Picks Vol 36
1972.09.27……Dick's Picks Vol 11
1973.02.28……Dick's Picks Vol 28
1973.10.19……Dick's Picks Vol 19
1974.10.19……Steal Your Face
1976.10.10……Dick's Picks Vol 33
1977.05.19……Dick's Picks Vol 29
1977.10.14……Road Trips Volume 1, Number 2
1980.10.13……Reckoning (remastered CD)

もちろん、わたしがもっていないヴァージョンもたくさんありますし、まだリリースされていないものにいたっては、気が遠くなるほど膨大な量があります。自分で数えたわけではないので、話半分にきいておいていただきたいのですが、一説によると、デッドはEl Pasoを370回ほどステージでやったそうです。アーカイヴ・テープがすべてリリースされたら、とんでもないことになります。

Dick's Pick'sシリーズはどうやら終了らしく、最近はアーカイヴ・テープのリリースは配信に移行しています。フィル・レッシュ&フレンズのリリース状況を見ていると、いずれ、すべてのテープがリリースされる恐れもゼロとはしません。じっさい、そうなる予定だといっているソースもあります。

だれが聴いているのかと思いますが、こんな時代がくるはるか以前から、テーパーたちはライヴ・テープ・トレード雑誌を発行し(それも数種類!)、パーフェクト・コレクションを目指して日夜邁進していたのだから、やはり、相当数のリスナーがいるのでしょう。

ただし、配信をめぐって、ヘッズのボイコット運動があったそうで(デッドの会社がウェブでのファイル交換を禁じた)、どうなることやら。これまでの経緯からいって、デッド(およびiTune)側に非があると感じます。法律を盾にとれば、ヘッズはいよいよ激昂するでしょう。アップルのどん欲さのおかげで、あれは金になることがわかった、だから、タダで配るのはやめろなんて、そりゃ聞けませんよ。「シャンペンとポルシェのライフスタイルのため」とそしられて当たり前です。

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1971年のアルバムGrateful Dead(通称Skull & Roses)の見開きに書かれたファンへの呼びかけ。これを見て、わたしもデッド・オフィスに手紙を送った。デッドヘッズの公式の歴史はここからはじまっている。

◆ 71年と72年のヴァージョン ◆◆
デッドの曲は、同じ楽曲を比較すると、後年にいくにしたがってランニング・タイムが長くなる傾向があります。どの曲もインプロヴが長くなっていくのです。そのなかでEl Pasoは稀な例外です。はじめのころが長く、後年になると、短めになるのです。理由は簡単、最初はテンポが遅かったのです。

f0147840_23563032.jpg盤としてリリースされた最古のEl Pasoである、Ladies And Gentlemen...The Grateful Dead収録の71年4月28日ヴァージョンは、6:36です。マーティー・ロビンズ盤よりはるかに遅い、いかにもワルツというテンポなので、フル・ヴァースをうたえば、これくらいの長さになって当然でしょう。長いあいだ、テンポの速い後年のヴァージョンに馴染んできたので、71年4月28日ヴァージョンは違和感がありますが、虚心坦懐に聴くと、これはこれで悪くないかもしれないと思います。まあ、いかにも、まだ「手に入っていない」というヴァージョンですが。

同じ年の8月7日ヴァージョンでも、まだテンポは遅いままです。4月28日にくらべると、こちらはテンポの遅さがそのまま「ダレ」に聞こえ、やや落ちるパフォーマンスです。これくらいの時期のフィル・レッシュとビル・クルーズマンのプレイがもっともよかったので、それが救いになっていますが、レッシュのプレイの面でも4月28日のほうが面白いと感じます。

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72年3月28日ヴァージョンになると、だいぶテンポアップして、後年の形に近づいたと感じます。じっさい、このヴァージョンは最上のひとつでしょう。ここまでは、ノーマルなワルツでもなければ、ワルツを意識しないほど速いわけでもなく、中途半端なテンポで、クルーズマンがやや叩きにくそうにしていると感じますが、このヴァージョンではリラックスしたいいプレイになっています。わたしは、72年にキース・ゴッドショーが加わってから数年間のデッドがいちばん好きなので、いよいよ黄金時代に突入だ、とワクワクします。

Rockin' The Rheinというアルバムは、トリプル・ライヴ・アルバムEurope '72のアウトテイク集のようなものですが、もっともすぐれたデッドのライヴ・アルバムを生むことになったツアーなので、アウトテイクもいいものがあります。

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Rockin' The Rhein収録の72年4月24日ヴァージョンは、プレイに関するかぎり、やはりもっともいい時期のものだと感じます。冒頭、ボブ・ウィアの声がちょっとかすれているのが難点ですが、もともとヴォーカルで聴かせるバンドというわけでもないので、無視できる瑕瑾にすぎません。

このテイクからは、いよいよゴッドショーがデッドに馴染んできた感じで、彼らしいプレイが聴けるようになります。この72年のヨーロッパ・ツアーを通じてずっとそうなのですが、スネアのチューニングがすばらしく、クルーズマンのプレイを聴いているだけでも楽しくなります。ベストEl Pasoのひとつ。

Dick's Picks Vol.23収録の1972年9月17日ヴァージョンは、テンポをすこし落とし、初期の2ヴァージョンに近くなっています。このテンポはやめたほうがいいと思うんですがねえ、って、いまになってそんなことをいってもはじまりませんが。そもそも、初期ヴァージョンのテンポが遅いのは、ウィアが、速いテンポでスムーズにうたえる自信を持てなかったからだと思うのですが。またしてもデッドの「アレンジ彷徨癖」が出たか、というヴァージョン。

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Dick's Picks Vol.36収録の1972年9月21日ヴァージョンは、日付から明らかなように、Dick's Picks Vol.23と同じツアーの録音です。El Pasoについては、出来不出来の大きな差はなく、どの日もアヴェレージ以上になっています。そのせいで、だんだん、なにがいいんだか悪いんだかわからなくなってきます。耳が馬鹿になるというか。これは良くも悪くも特長のない、アヴェレージ・ヴァージョン。

さらにもうひとつ、同じツアーを記録したDick's Picks Vol 11収録の1972年9月27日ヴァージョンもあります。やっとのんびりテンポを脱して、速くなりました。やっぱり、これくらい速いほうがいいのではないでしょうか。毎日のようにやっていた曲なので、そろそろ気分を変えたくなった、という雰囲気。

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◆ Steal You FaceとReckoning ◆◆
この曲は、どれもみな、そこそこ以上のヴァージョンがそろっていて、書くことがなくなったので、ヴァージョン検討は打ち切りにさせていただきます。さすがは400回近くやっただけのことはあります。「手に入った」曲というべきでしょう。

ざっと聴き直したかぎりでは、やはりRockin' The Rhein収録ヴァージョンが、もっとも好ましく感じます。あなたが多くのデッドヘッズと同じく、Europe '72をすぐれた盤だと考えているなら、Rockin' The Rheinも気に入るだろうと思います。この時期のデッドはほんとうによかったと、しみじみしてしまいます。

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最初に聴いたデッドのEl Pasoは、Steal Your Faceヴァージョンでした。当時、リリースされていたEl Pasoはこれしかなく、あの時点では、悪い出来とは思っていませんでした。この曲が気に入り、作者のマーティー・ロビンズのことも気になったくらいです。しかし、その後、各種ヴァージョンが出そろってみると、もっといいものがたくさんある、という認識にいたりました。

ひとつだけ変わり種ヴァージョンがあります。アルバムReckoningのリマスター盤にボーナスとして収録された、1980年の復活アコースティック・セットでの録音です。この15周年ツアーを記録した、2つのダブル・アルバムから、キース・ゴッドショーが抜け、基本的にわたしの好まないデッドになってしまうので、せっかく復活したアコースティック・セットも、リリース当時は乗れませんでした。選曲も地味で、あまりお楽しみがありませんでした。

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しかし、リマスター拡大版になり、アウトテイクが出てきてみると、そちらのほうにいいトラックが多く、すこしだけ印象が変わりました。もちろん、ブレント・ミドランドが好きにはなりませんが、曲によってはまだ出しゃばっていなくて、ミドランドの声が聞こえないものもあるのです。Reckoning拡大版収録のEl Pasoも出来のいいヴァージョンです。はたと思いましたねえ。80年代、デッドを聴かなくなったのは、デッドがダメになったわけではなく、ブレント・ミドランドがダメだっただけなのだと。

◆ 驚きの94年ヴァージョン ◆◆
昨日もご紹介した、You Tubeにある1994年6月26日ヴァージョンを聴くと、いよいよその感が深まります。90年代のデッドというのは、うちにはあまりなく、ほとんど聴いたことがなかったのですが、意外にいいので驚きました。

f0147840_1104419.jpgもちろん、みんな年をとったなあ、という「落ち着きのある音」ですが、まず第一に、最晩年のジェリー・ガルシアの状態が、想像したよりずっといいことに驚きました。もちろん、声はもう出なくなっていますが(いまでは翌年に没することがわかっているので、声が出ないのは当然と感じてしまう)、ギター・プレイにはそれほど衰えを感じません。60年代終わりから70年代はじめにかけての絶頂期とくらべるわけにはいきませんし、何カ所かミスタッチはありますが、それでも大きな魅力があり、El Pasoでのプレイにかぎるなら、この日のガルシアのギターはベストのひとつです。

ボブ・ウィアがアコースティックを弾いているのにも驚きました。エレクトリック・セットでは、昔はアコースティックを弾くことはありませんでした。Reckoningヴァージョンを聴いても思いますが、El Pasoはアコースティックでやったほうがいいかもしれません。

f0147840_1115854.jpgそして、それよりも驚いたのは、ヴィンス・ウェルニックのピアノです。ウェルニック在籍時(1990-95年)の録音は、うちにはほんの一握りしかなくて、気づいていなかったのですが(お粗末!)、El Pasoでのプレイを聴いて、この人、キース・ゴッドショーよりいいかもしれないと思いました。わたしはピアノを聴かない人間ですが、こういうタイプのピアノは大好きです。

all in all、よし、90年代のデッドも集めるぞ、と興奮した94年ヴァージョンでした。まあ、たいていの人は、ガルシアがハーモニーを外しているのが気になって、落ち着かない気分になったでしょうがね! デッドヘッズというのは、特殊な人種なのです。

◆ 巨大なレパートリーの維持 ◆◆
世間では「セットリスト」というのを事前につくって、その曲をリハーサルしてからツアーに出るのが常識ですが、デッドはちょっとちがいます。いや、リハーサルについては、すくなくとも60年代にはハードにやったそうですが(11拍子のElevenのような曲を、4/4の曲のようにスムーズにやるには、リハーサルを繰り返すしかなかったのだという。これがその後の年月を支える財産になった。ジャイアンツの「地獄の伊東キャンプ」のようなもの)、世間でいうような「セットリスト」は存在しないのです。大ざっぱに決めてはいたようですが、予定になかった曲をやることも多かったそうです。

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これは、ふつうに考えられるように簡単なことではありません。コード進行や構成といったことは、しばらくやっていなくても大丈夫かもしれませんが(デッドはインプロヴが長いので、構成については事前の打ち合わせが役に立たないことが多い)、歌詞はそうはいきません。とくにEl Pasoのように長い曲で、しかも前後の入れ替えがきかないものはきびしいでしょう。

わたしは舞台を見たわけではないのですが、藤山寛美がリクエスト祭とかいうものを何度かやったことがあるそうです。もちろん、寛美の過去のレパートリーに限定するのですが、客がリクエストした演目を、その場でやってみせるという驚天動地の企画です。台詞だけだって、当然、どエラいことですが、衣裳、大道具、小道具を勘定に入れれば、どう考えても不可能にしか思えません。

バンドの場合、芝居よりはずっと楽ですが、それでも、台詞ならぬ歌詞の問題は、努力なしには乗り越えられません。ふつうの歌詞じゃないんですよ。太平洋戦争の宣戦布告文の外交無電のように、おそろしく長い暗号みたいなロバート・ハンターの歌詞ですからね。記憶の助けになってくれるような、ストーリーの流れなんてものはほとんどないのです。

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デッドは、長いジャムの途中で、だれかが「こっちへいこう」とリードしはじめたら(その曲のアイデンティファイアとなるフレーズを繰り返し弾く)、たいていは、そっちへいきます(ひとつだけ、ガルシアががんとしてべつの曲への移行を拒否したことが感じとれる録音があった)。その結果、歌に戻ったときには、予定になかった曲になっていたりするわけで、「いかん、歌詞を忘れた」というわけにはいかないのです。

デッドのライヴは融通無碍なことで知られています。いたってフリーフォームで、その日の気分まかせ、風に吹かれて漂うように、リラックスした、ルースといってもいいムードのステージが愛され、1965年以来、数千回におよぶライヴをおこない、ガルシア没後には、中規模の企業並みの売上げを記録したことさえありました(つまり、むくつけにいえば、世界のどんなバンドより大きな年商があった)。

しかし、懐手ではそんなことは実現できません。厖大なレパートリーのかなりの部分を、つねにステージにあげられる状態にしていたわけで、その裏側には全員の努力があったにちがいありません。ラリパッパで知られたバンドには、じつに不似合いなことですが、どう考えても、ロバート・ハンターの曲をあれだけたくさん覚えるには、努力なしというわけにはいかないはずなのです。

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噺家だって、しばらくやっていなかった噺を高座にあげるときは、おさらいをします。志ん生だって、ぞろっぺえのように見えるけれど、家でちゃんとさらっていたと、息子の志ん朝が証言しています(それでも、あれほどふにゃふにゃに崩れてしまうところが、志ん生の偉大さなのだが!)。志ん生同様、デッドもひどくぞろっぺえのように見えますが、とくにガルシアとウィアはつねに歌詞を忘れないようにする努力をしていたはずです。

El Pasoを聴いていて、ロバート・ハンターの作だけでもひどく覚えにくく、長ったらしい歌詞ばかりなのに、よくまあ、カヴァー曲まで、あんなに面倒な歌詞の曲を選んだものだと呆れ、そして、感心してしまいました。

◆ 50ギターズ盤 ◆◆
わが家にはもうひとつEl Pasoがあります。50ギターズ盤です。毎度同じことを繰り返して恐縮ですが、50ギターズについては、目下、Add More Music(右のメニューにあるリンクからいける)で、順次、ファイルが公開されているところです。El Pasoを収録したBorder Town Bandidoというアルバムも、すでに公開済みで、どなたでもお聴きになることができますので、よろしかったらダウンロードをしてみてください。

f0147840_0334971.jpg50ギターズといえば、「国境の南サウンド」ということになっているわけで(いや、わたしは、AMMのオーナーであるキムラセンセが「これはちょっと」とおっしゃる、ハワイアン・アルバムもそこそこ好きですが)、El Pasoはこのプロジェクトにピッタリの曲です(エル・パソは「国境の北」ですが、まあ、堅いことは抜きにして)。

このアルバムのアレンジャーはアーニー・フリーマン、リード・ギターはトミー・テデスコで、布陣として文句ありません。じっさい、これほどボーダータウンの雰囲気がよく出ているEl Pasoはないのじゃないかと思うほどです。ブラスを加えてさらにメキシコ(いや、エル・パソはアメリカだが!)の雰囲気を強調することなんか不要だと思うほど、ギターサウンドだけで十分にそれらしく感じます。ひょっとしたら、これがもっともオーセンティックなEl Pasoではないかとさえ思います。

わたしが、グレイディー・マーティンより、トミー・テデスコのプレイに馴染んでいるせいもあるでしょうが、やっぱりトミーはいいなあ、と感じます。なんだって弾けた人ですが、ガットがいちばん似合います。そう、ガットを使っていることも、50ギターズ・ヴァージョンがオーセンティックだと感じる理由のひとつでしょう。ムードのあるヴァージョンです。『ワイルド・バンチ』に使ってほしかったほど。

ところで、拝啓、キムラセンセ、グーグルで画像検索をかけたところ、目下、Border Town Bandidoのジャケット写真を公開しているサイトは世界でただひとつ、AMMだけのようです。50ギターズを取り上げるたびに感じるのですが、もうすこし大きな写真を公開なさってはどうでしょうか? きわめていい状態で貴重な盤を聴かせていただいていることには、深甚な感謝をしております。しかし、あの企画の唯一の瑕瑾はジャケット写真ではないでしょうか。稀少性に鑑みて、伏してご一考をお願いするしだいです。当家のアクセス状況を見るかぎりでは、近ごろは画像検索経由でいらっしゃる方も多く(その多くは海外からのお客さんでしょうが)、画像の面でも貢献なさってはいかがかと愚考するしだいです。

というわけで、本日も、AMMからいただいてきたジャケット写真を使用させていただきました。

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by songsf4s | 2008-05-20 23:56 | 風の歌
Cast Your Fate to the Wind その1 by the Sandpipers
タイトル
Cast Your Fate to the Wind
アーティスト
The Sandpipers
ライター
Vince Guaraldi, Carl Werber
収録アルバム
Guantanamera
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy Strange & The Challengers, David Axelrod, Johnny Rivers, Vince Guaraldi Trio, Sounds Orchestral, Quincy Jones, Martin Denny, We Five, Ramsey Lewis
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本日のCast Your Fate to the Windは、風の歌としては、先日取り上げたThe Breeze and Iと並ぶ代表的なスタンダードといえるでしょう。当然、うんざりするほど多数のヴァージョンがあります。

The Breeze and Iと同じように、この曲もインストゥルメンタル曲という印象が強いのですが、やっぱりちゃんと歌詞があり、わが家にもヴォーカル・ヴァージョンがあります。

検索結果リストを眺めていて思ったのですが、風の歌にはインスト曲が多数あります。あれこれ考えてみると、どうやら、これはたんなる偶然ではなく、ささやかなりとはいえ必然性があるように思えてきました。しかし、その点については、後日をゆっくり考察してみることにします。

◆ 軽風から雄風まで ◆◆
それでは歌詞を見ることにしますが、看板に立てたサンドパイパーズ盤は、ヴァースをひとつ省略しているので、歌詞はジョニー・リヴァーズ盤にしたがっておきます。ファースト・ヴァース。

A month of nights, a year of days
Octobers drifting into Mays
I set my sail when the tide comes in
And I just cast my fate to the wind

「ひと月分の夜、一年分の日々、十月はゆるゆると漂って五月にたどりつく、潮が満ちたら帆をかかげ、おのれの運命を風にあずけよう」

いちおう、現在形をとりましたが、あとにいくと、時間が経過したことがわかります。じっさいには過去のことをいっていると思われるので、現在形なのは形式だけ、実体は過去形だと思っていただいたほうがいいでしょう。

クモのなかには、成虫になると、風の強い晴天の日を選んで、長く糸を吐きだし、風に乗って遠いところに飛んでいく種類が数多くあるそうです。高度8000メートルで捕獲された例もあるし、周囲数百キロにまったく陸地のないところで、船に舞い降りたものもあるそうで、このクモの無銭旅行はちょっとしたものなのです。Cast Your Fate to the Windというタイトルから、わたしはこのクモのことを連想します。運まかせ、風まかせ、なかなかリリカルなイメージです。

セカンド・ヴァース。

I shift my course along the breeze
Won't sail upwind on memories
The empty sky is my best friend
And I just cast my fate to the wind

「弱風に合わせて針路をとる、記憶の向かい風に逆らうことはしない、からっぽの空だけを友とし、おのれの運命を風にあずける」

The Breeze and Iのときはその必要性を感じなかったので省きましたが、breezeという言葉は、文脈によっては気象用語、つまり、厳密に定義できる言葉として見る必要があります。以前、ヴァン・モリソンのFull Force Galeのときに、ビューフォート風力階級のチャートをご覧いただきましたが、ここにもう一度かかげることにします。

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ビューフォート風力階級 ジェリー・デニス『カエルや魚が降ってくる! 気象と自然の博物誌』(新潮社)より。挿画・大矢正和。

このチャートには原語が書かれていませんが、英語ではつぎのようになっています(breezeのみ。単位はマイル/時)。

No.2 light breeze(軽風 4-7)
No.3 gentle breeze(軟風 8-12)
No.4 moderate breeze(和風 13-18)
No.5 fresh breeze(疾風 19-24)
No.6 strong breeze(雄風 25-31)

日本的な表現にすると、風速1.6メートルの洗濯物がなかなか乾かないかすかな風から、13.8メートルの洗濯物が吹き飛ばされてしまう強風まで含まれるので、あまり意味がありませんが、breezeという言葉をあいまいに使うと、こうなってしまうのです。

もちろん、歌詞に厳密な表現を求めるわけにはいきませんが、わたしはこういうところが気になるたちなのです。帆をかかげるといっているのだから、船舶と海洋気象に関する知識があるという前提で解釈せざるをえません。帆船にとって、風は死命を制するのだから、厳密に定義するべきものです。細かいことをいえば、breezeには「海陸風」(日中は海から陸へ、夜は陸から海へ吹く風。この風の方位の逆転にともなう無風状態が「朝凪」「夕凪」)という意味まであります。

松本隆が「渚を滑るディンギーで」と書いたとき、ヨットとディンギーはまったくサイズが異なる、ヨット(機帆船)のように外洋航行用の図体の大きな船は「渚」に近寄ることすらできず、まして「滑る」ことなどありえない、「滑る」ならディンギー(帆のあるなしにかかわらず、要するに「小舟」)しかないという、船舶知識が彼にはあったのです。

ものを書くというのは、たとえ流行小唄の歌詞であっても、そうでなければいけないのです。だから、このヴァースのbreezeの使い方は気に入りません。船がどれくらいの速度で走っているのか、まったくイメージできません。歌詞は、いや言葉は、聴き手の脳裏にイメージをつくってこそ、役割を果たすことができます。

◆ どっちつかずのあいまいさ ◆◆
ブリッジ。

Time has a way of changing
A man throughout the years
And now I'm rearranging my life through all my tears
Alone, alone

「時は長いあいだに人を変えることができる、わたしは涙を流すことで人生を立て直そうとしている、たったひとりで」

サード・ヴァース。

And that never was, there couldn't be
A place in time for men like me
Who'd drink the dark and laugh the day
And let their wildest dreams blow away

「そんなことは起こらなかった、夜は飲み、昼間は笑い、ものすごく大きな夢を吹き飛ばしてしまうわたしのような人間には、時のなかに居場所などないのだ」

なにをいっているのかさっぱりわかりません。自嘲のヴァースらしいと思うだけです。「暗闇を飲む」を「夜は飲み」とするのはいくぶん強引かもしれませんが、dayとの対比から考えて、そういう意味だろうと思います。陰鬱な酒というのも考えられますが。

最初のthatはなにを受けているのでしょう。ブリッジでいっている、時間は人を変化させるということでしょうか。よくわかりません。

ふたたびブリッジをはさんで最後のヴァースへ。

Now I'm old I'm wise and smart
I'm just a man with half a heart
I wonder how it might have been
Had I not cast my fate to the wind

「いまではわたしも年をとり、賢くなった、わたしはただ心ここにないまま生きているにすぎない、もしも風に運命をあずけなかったら、どうなっていたのだろうかと思う」

ここもわかりません。ファースト・ヴァースでは、風に運命をあずけることを肯定的に捉えているように見えましたが、ここまでくると、そうとも思えなくなってきます。もっとマシな生き方ができたのではないか、という後悔を語っているように見えます。しかし、それすらもがあいまいで、このヴァースも肯定的に捉えようと思えばできないことはありません。

意味がどうであれ、ひとつだけハッキリとわかることがあります。この曲はもともとインストゥルメンタルとして書かれたにちがいない、ということです。歌詞はあとからとってつけたちぐはぐなものにしか思えません。

◆ サンドパイパーズ盤 ◆◆
まずは歌ものからいきます。最初は看板に立てたサンドパイパーズ盤です。いま、サンドパイパーズと書くつもりが、パイドパイパーズと書いてしまったくらいで、じつは、このグループのことは調べたこともなければ、気にしたこともありません。子どものころ、Guantanameraがヒットしたことは記憶していますが、それだけのことにすぎず、とくにいいと思ったこともなければ、ダメだと思ったこともなく、基本的に無縁と思っていました。

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無縁でなくなったのは、ハル・ブレインの回想記を読んでからのことです。この回想記に付されたトップテン・ディスコグラフィーに、Guantanameraがあげられていたのです。セッションは通常4曲単位なので、同じアルバムのなかでもメンバーが異なることがしばしばありますが、アルバムGuantanameraに収録されたサンドパイパーズのCast Your Fate to the Windは、明らかにハル・ブレインのプレイであり、それが大きな魅力になっています。いや、正確にいえば、以前にも書いたように、1960年代のハリウッドという環境が生みだすサウンドが魅力的なのであって、ハル・ブレインはその一部にすぎません。

f0147840_0142545.jpgプレイヤーのみならず、アレンジャー、スタジオ、エンジニアといった要素もそろわないと、こういうサウンドをコンスタントに生みだすことはできません。Cast Your Fate to the Windでいえば、ハル・ブレインのプレイもすぐれていますが、それが魅力的に聞こえるようにするには、スタジオの鳴りとエンジニアの技術が不可欠です。さらにいえば、ドラマーだけではグルーヴを決定することはできず、すぐれたベース・プレイヤーの協力も必要です。

左チャンネルのドラムとベースは、ハル・ブレインとチャック・バーグホーファーという、ティファナ・ブラスのコンビではないでしょうか。Cast Your Fate to the Windのベースはアップライトです。バーグホーファーはTJBではフェンダーをプレイしていますが、もともとはアップライトのプレイヤーですし、タイム、グルーヴというのは、アップライトでもフェンダーでも大きく変化したりはしません。このヴァージョンが心地よい最大の理由は、このドラムとベースのコンビでしょう。

ハル・ブレインの音の響きもかなりいい部類です。タムタムだか低いティンバレスだか判断のできない音が鳴っていますが、このサウンドが非常に印象的で、エンジニアの腕のよさがうかがえます(A&Mのエンジニア部のボスだったラリー・レヴィンの仕事か?)。

f0147840_0152322.jpgしかし、タムタムはタムタムでちゃんとわかるので(じつに美しい!)、やはりこのティンバレスのような音の正体が気になります。ハル・ブレインの最初のモンスター・セットは、特注のタムではなく、出来合のティンバレスをラックに載せたものだということをなにかで読みました。ひょっとしたら、タムタムのほかに、ティンバレスをラックに載せ、場面場面で使い分けていたのではないかと思わせるのが、この曲のボーナス的な面白さです。まあ、ドラム・クレイジー以外には関係のないことですが。べつのプレイヤーがティンバレスを叩いた可能性は低いでしょう。一カ所、ティンバレスが鳴っているあいだだけシンバルが消えているところがあるので、ハルがプレイしたと推定できます。

ひとつ笑ったことがあります。サンドパイパーズの代表作であるGuantanameraは、典型的なTwist & Shout=La Bamba=Louie Louieタイプの3コードです。Cast Your Fate to the Windも、一部、素直でない使い方もしていますが、基本的には同じタイプの3コードなのです。サンドパイパーズ自身またはプロデューサーが、Guantanameraのフォーマットにこだわったにちがいありません。じっさい、アルバムGuantanameraには、La BambaもLouie Louieも入っているのです!

◆ ジョニー・リヴァーズ盤 ◆◆
ジョニー・リヴァーズのCast Your Fate to the Windのドラマーもハル・ブレインです。これは盤にクレジットがあるので書き写しておきます。

Hal Blaine……drums
Joe Osborn……bass
Larry Knechtel……keyboards
Johnny Rivers……guitar
Tommy Tedesco……guitar
Bud Shank……flute & sax
Jules Chaikin……french horn
Gary Coleman……vibes

Lou Adler……producer
Marty Paich……brass & string arrange and conduct
Bones Howe……recording

管をのぞけば、ドラマーからエンジニアにいたるまで、ジョニー・リヴァーズの全盛期のレギュラー・スタッフです。スタジオは明記されていませんが、当然、ハリウッドのユナイティッド・ウェスタンにちがいありません。ジョニー・リヴァーズはユナイティッドしか使わなかったといわれています。

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つまり、くどくなりますが、これがインフラストラクチャーというものなのです。ハリウッドでは、「上もの」がどう入れ替わろうと、環境が一定の品質を保証するようになっているのです。この環境は、フランク・シナトラが来ようが、フランク・ザッパが来ようが、モンキーズが来ようが、なにが来たって、まったくビクともしないほど堅牢です。じっさい、ダメな音をつくるほうがむずかしいでしょう。仮にプロデューサーのルー・アドラーが、スタジオに入ったとたん心臓麻痺でバッタリ倒れたとしても、セッションはつつがなく完了したはずです。それくらいの経験と技量をもつスタッフです。

サンドパイパーズを看板に立てて、ジョニー・リヴァーズを次点にしたのは、唯一、ハル・ブレインのタムの響きが理由です。サンドパイパーズ盤では、じつにきれいな音で録れているのです。

残念ながら時間切れとなってしまったので、残る各ヴァージョンについては、明日以降に持ち越しとさせていただきます。
by songsf4s | 2008-05-09 23:57 | 風の歌