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カール・スティーヴンズ(チャック・セイグル)のロッキン・オーケストラ
 
まだ、前回までつづけてきたエキゾティカ・シリーズにケリがついていないのですが、日々、聴くものは変化していき、今日はエキゾティカとまったく無関係ではないものの、分類するならばインストゥルメンタル、あるいはラウンジ、あるいはオーケストラ・ミュージックと呼べる(ただし、横断的なサウンド)盤を聴いていました。

ごちゃごちゃいうまえに、ユーチューブに一曲だけ、そのアルバムのトラックがあったので、貼り付けておきます。はっきりいって、ベスト・トラックでないどころか、ワーストに近いほうなのですが……。

カール・スティーヴンズ&ヒズ・オーケストラ Tea for Two


なにがよくないかというと、ドラムがフィルインでミスっていて、そのミスのありようが気に入らないのです。ストップ・タイムでドラムだけになったときのフレーズはきれいにやってくれないと……。

話はいきなりわき道に入り込みますが、このお馬鹿なTea for Twoを聴いて、もうひとつ似たようなアレンジがあるのを思い出しました。クリップがないので、以前、「ニック・デカロのItalian Graffitiのオリジナル3 Tea for Two後編」という記事のときにアップした自前サンプルを再度貼り付けます。

サンプル Nino Tempo & April Stevens "Tea for Two"

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このアレンジ、サウンドは、わたしのゲテ嗜好を満足させるところがあり、Tea for Twoの好きなヴァージョンのひとつです。

まじめな話、ニーノ・テンポの声は大好きですし(フラットする欠点はあるが。いや、それもチャーム・ポイントになりうるのがポップ・ミュージックというものだが)、アール・パーマーと推測できるドラムのプレイも好みです。

また、いつもはウェル・メイドな方向に向かってしまうハリウッドなのに、ニーノが意図したのか、かなりラフなミキシングで、それも好ましく感じます。

話をカール・スティーヴンズに戻します。このHigh Society Twistというアルバムは、ツイストといえるかどうかはひとまずおき、人口に膾炙した曲をレヴ・アップする、という方針でつくられています。オーケストラと称しているし、管が活躍する曲もあるのですが、ギターが主役のトラックもあります。

サンプル Carl Stevens & His Orchestra "Yellow Roses of Texas"

カール・スティーヴンズというのは、ちょっと面白いキャリアの持ち主で、プロとしてのスタートはシカゴ、50年代終わりにNYに移り、さらに、おそらく1962年にハリウッドに移住して、リプリーズ・レコードのA&Rになっています。

裏方としてのディスコグラフィーは見つかりませんでしたが、マーキュリー・レコードのA&Rの時代にデル・ヴァイキングスのアルバムでコンダクターとしてクレジットされている(ということはすなわち、たいていの場合、アレンジもしたことを意味する)のと、リプリーズで、サミー・デイヴィス・ジュニアのAt The Cocoanut Groveなど、いくつかの盤にアレンジャー、コンダクターとしてクレジットされている(別名のチャック・セイグルで)例がありました。

このHigh Society Twistは、1962年のリリースのようなので、ハリウッド録音かと考えたくなりますが、レーベルはマーキュリー、すなわちチェック・セイグル=カール・スティーヴンズのシカゴ、NY時代の勤め先なので、NY録音と考えられます。

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データからもそういえるのですが、感覚的にも、このドラマーたちはハリウッドのエースたちより一段落ちるタイムで、ひとりはかなり困ったプレイヤーなので、ハリウッドではなく、NYの音に感じられます。そのNY的な欠点が露呈してしまったのがTea for Twoです。

しかし、サンプルにしたYellow Roses of Texasをはじめ、ギターについては、それなりに楽しめるトラックがあります。NY録音であるという仮定に立って、危なっかしい推測をするなら、トニー・モトーラ、アル・カイオラといった、NYの旧世代セッション・ギター・プレイヤーたちの仕事ではないかと思います。とくに、アル・カイオラのサウンドに近縁性を感じます。

Al Caiola - Magnificient Seven


カール・スティーヴンズ(チャック・セイグル)はほかにもアルバムがあり、ギターは活躍しませんが、それなりに面白いサウンドで、ちょっと集めたくなりました。

べつに嫌がらせをするわけではないのですが、カール・スティーヴンズのアルバムを取り上げようと思った最大の動機は、このヴァージョンの存在です。

サンプル Tommy Tedesco "Tea for Two"

トミー・テデスコのアルバムだから、当然ハリウッド録音、こちらのドラマーはアール・パーマーです。しかも、リリースはカール・スティーヴンズの盤と同じ1962年。ハリウッドがNYに打っちゃりを食らわすのは、セールスの面では1963年以降だということですが、サウンドのレベルとしては、すでに1962年にこれだけの差が付いていたことが、この二種のヴァージョンにあらわれています。グルーヴがNYの敗因だったのはまちがいないでしょう。

なお、トミー・テデスコのTea for Twoを含むアルバム、Twangin' 12 Great Hitsは、右側のサイド・バーにリンクがあるAdd More Musicの「レア・インスト」ページでサンプル音源をダウンロードすることができます。No. 18がTwangin' 12 Great Hitsです。なかなか楽しいアルバムなので、Tea for Twoがお気に召した方は、AMMをご訪問なさるといいでしょう。


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ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs
by songsf4s | 2011-05-17 23:51
One Monkey Don't Stop No Show その4
 
おはようございます。3月23日朝刊です。陽射しが出たり引っ込んだり、永井荷風が日記で「陰晴定まらず」と書いていた、例のあれです。

二日間雨が降りつづいたので、近隣ではどこも洗濯中でしょう。いつもなら平和の象徴みたいなものですが、布を放射線被曝させる行為、と思えば、平和どころではありません。

べつに意味もコンテクストもなく、ただなんとなく聴きたくなったゾンビーズでキックオフ、Tell Her No



とりあえずここまでにして、朝のいろいろな用事を片付けてきます。暫時休憩。

朝飯前の一仕事、お隣さんぐらいの近さにある西友で買物をしてきました。さすがに三日間買物をせず、そのリカヴァリーだから買うものが多く、買い占め婆みたいで嫌だなあ、と思い、二回に分けました。そのくせ、間が抜けているから、お一人様一点のものを最初の買物で忘れて、結局、ウォーキングのランチにするよぶんなパンを確保できたという利益があっただけ。

近いのだから、もっとこまめに買物をすればいいのに。紺屋の白袴、医者の不養生、ちゃうなあ、適切な言い回しはないのでしょうか、遠くて近きは男女の仲、近くて遠きは田舎の道、あれ? 田舎だったのか。

はっぴいえんど、田舎道、駄洒落ですらない、ただの「まんま」じゃんか→俺



あちこちの商店、商業施設が節電するのは当然なのでしょうが、営業しているのだかどうだかも、入ってみないとわからないような、地下酒場(スピーキージー、と読んでほしいのだ)のような怪しい雰囲気は、非常時気分をあおり、買い占めを促進するような気がするのですがねえ。

どさくさまぎれの値上げも多いのですが、これで経済浮揚になるならそれも我慢か、と思いました。考えてみると、物があふれ、値段が下がりはじめたら、物流の危機が終わったサインであると同時に、経済低迷のサインで、これまた地震、原発、情報隠蔽につづく打撃になってしまいます。

ラリー・ウィリアムズ&ジョニー・ギター・ワトソン、Two for the Price of One、よくこの曲を思い出した、エライ>俺!



毎晩、ブログを完了するとき、明日はアッパラパーのノーテンキにしよう、と思うのです。ところが、起きてみると、いろいろあって、馬鹿音楽をかけて、どうでもいい不要不急の薀蓄なんか垂れていられないようなことが起きているのですよ。

でも、いいたいことなんか、ほんのひとにぎりしかありません。そのひとつは、これは千載一遇のチャンス、太平洋戦争敗戦以来の大掃除をしよう、そして、積極的に商売し、じゃんじゃん稼いで、どんどん遊ぼう、みんなのり平になって、「社長、今夜はひとつパアーッと」と浮かれ騒ごう、ということです。いまこれをやらないと、二度と遊べなくなりますよ。「自粛」でメシが食える人間がいるならお目にかかりたい!

グレン・キャンベル・シングス・ジミー・ウェブ・ソング、Where's the Playground, Susie?



あたくしの知り合いに、斯界の権威への階段の途中にいらっしゃるデザイナーがいて、この人が先週、銀座に飲みに行ったことをツイートしていました。3万か、と思ったら、1万だった、店が弱気、なんてね。

被災地でこれを読んだら腹を立てる人がいるかもしれませんが、わたしは、さすがは巨匠、ふつうの人がしないことをする、と拍手しました。自粛なんかしてなんになる、稼いだ分を使うのが「いまわたしたちにできること」だろう、そんな簡単なこともわからないのか、という「批評行為」にちがいありません。そうじゃなければ、ツイートなんかしないで、黙っているでしょう。

探している曲が見つからず、かわりに引っかかった曲、ジョー・ベネット、Live Now, Pay Later、こんな新しい曲をかけていいのだろうか……



こういうところで、社用族なんか駄目だということがよくわかります。ものごとの本質が見えず、根性も坐っていないから、すぐ自粛なんかするのでしょう。「景気」の本質は「気分」です。パアーッといこう、と気が乗れば、景気は浮揚します。鬼畜東電、自粛は敵だ、欲しがります、勝つまでは、これですよ。

ザ・突撃ズ、ちゃう、ザ・ラウターズ、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ、トミー・テデスコ・オン・ギター、Let's Go (Pony)


by songsf4s | 2011-03-23 08:47
One Monkey Don't Stop No Show その3
 
おはようございます。3月22日朝刊です。

いつまでこれをつづけるのかなあ、とさすがに今日は考えました。原発が一応の安全圏に入るまでの数日間、具体的には三日と予想を立ててはじめたことなのですがねえ。

今朝のツイッター急ぎ読みで目にした曲、ドゥエイン・エディー、40 Miles of Bad Road



このクリップ、3月14日アップ、わたしが二人目のヴューワー! こういうのに当たることもあるんですねえ。宝くじは当たったことがありませんが。

東北地方は天災にやられ、関東地方は東電と政府の人災にやられたので、関東大人災と馬鹿をいっていましたが、正確には、東北地方は二重にやられたわけで、憤りもひととおりではないでしょう。ブラック・レインの降るなか、避難を強いられた地域に住んでいたら、赫怒し、そして、後日のために、いったん怒りを沈潜させたことでしょう。

裏の意味はあとで書くとして、とりあえず音だけ、マーケッツ、Surfer's Stomp



土曜に横浜に行き、関内周辺を歩いたことはすでに書きました。大桟橋の手前、税関のあたりは、かつては波止場で、荷揚げ用のヤードなどの港湾施設があり、その後、空き地になっていました。税関といまの赤レンガ倉庫にはさまれた、県警本部や日本郵船の裏手あたりです。

このあたりを久しぶりに歩いたのですが、すっかりきれいになって、いまやLover's Laneです。かつての貨物船の高架は、線路が取り払われ、見晴らしにいい散歩道に変身していました。

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正面奥の白い高層ビルは県警本部、その右に見える塔は横浜税関。この裏手、右側が海になっている。シルク・センター前から撮影。

きたない港湾施設の、錆びが浮き、朽ちたトタンの上屋のようなものにもおおいなる魅力を感じますが、公平にいって、このあたりの整備は、横浜にもうひとつ、都市資産を加えたと思います。もう日活アクションの舞台には使えませんがね!

これは最近、べつの文脈でかけた曲ながら、もう一度、今度は別の意味で、ロネッツ、You Baby



大昔のゲーム的探偵小説なら、ここで作者からの挑戦、手がかりはすべて書きました、犯人は誰でしょう、と書くところです。以上の三曲には共通点があり、tonieさんに対する返信として、今朝はツイッターでそんなことを書きました。

横浜の話に戻ります。この海沿いにつくられた広場のような、遊歩道のようなところを歩いたら、まだできてまもないのに、舗装タイルのあちこちに長いひび割れができていて、あらら、でした。

激震のときにここにいた人たちは、怖い思いをしたことでしょう。目の前で地面に割れ目が入るなんてね。激震のとき、わたしはがらんとした駐車場にいたので、アスファルトが割れないか、じっと下を見ていました。ディザースター映画では、よく人が落ちるじゃないですか!

それではこれまでのクイズ3曲の解答篇。大滝詠一、レイク・サイド・ストーリー



昨日の大滝詠一特集、わたしはまったく聴きませんでした。予想のつく範囲に限定され、なおかつ嫌いな曲がかかるというのは苦痛です。予想していないときに好きな曲を耳にするのがラジオを聴く快感なのであって、中途半端に予想できるのは不快です。

しかし、友人がラジオをかけながら仕事をしていて、ときおりツイッターでコメントするので、その反応として、レイク・サイド・ストーリーは、You Babyそのまますぎるところがちょっと、てなことを書きました。

それに対して、tonieさんは、ドゥエイン・エディーの40 Miles of Bad Roadがアレンジのベースだと思っていた、と反応されました。たしかに、そういわれれば、そのようにも思えます。大滝詠一は、何度も、これはこの曲が元だろうという人が多いが、そんな単純なものではない、ひととおりで考えるな、と書いています。過去のさまざまな音楽が流れ込んでいるので、源流は複数ある、ということです。

これは大滝詠一にかぎった話ではなく、彼が血肉としたアメリカ音楽のなかでも、つねにおこなわれていることです。だから、もう一曲、というので、マーケッツのBalboa Blueをわたしはあげました。あとで、ちがった、そのまえのシングル、Surfer's Stompですでに同じイントロを使っていた、と訂正しましたが。

ザ・マーケッツ、骨までしゃぶるジョー・サラシーノの二番煎じ攻撃、Balboa Blue



いま、すでにあげたマーケッツのSurfer's Stompのクリップを差し替えました。新しいものがベストの音質です。で、ちらっと説明を読んだら、このクリップをアップしたのは、マーケッツのマイケル・ゴードン自身のようです。マーケッツの成り立ちについて、「彼のヴァージョン」を簡略に書いています。

メンバーの視点からはそういうことなのでしょうね。サラシーノがでっちあげた「架空のバンド」ではない、俺は幽霊ではない、というところでしょうか。ただし、マーケッツが誕生したのは、最初のヒットの「あと」だとはっきり書いています。Surfer's Stompがヒットし、実体が必要になったのです。

ジョー・サラシーノがでっちあげたわけではなく、会社がでっちあげそこなったグループの救援にサラシーノが呼ばれて、みごと再生に成功した幽霊バンド、Tボーンズ、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ、トミー・テデスコ・オン・ギター、No Matter What Shape Your Stomach Is In



この曲、アルカセルツァーのCMだったという知識はあっても、元を知らなかったのですが、ちゃんとアップされていました。



なるほどねえ。なにか賞をとりそうな出来ですな。It's the best on any stomachときましたか。たしかに、あのシュワーはききそうな気がします。って、べつにアルカセルツァーから一銭ももらっているわけじゃありませんよ。原発幇間学者じゃないんですから。「気がする」といっているだけですし。

それで思いだした、もう一曲のCM由来大ヒット曲。いや、CMのほうから先に行きます。TAA、"Fly The Friendly Way"



ジミー・ウェブのこの曲をもとに、ボーンズ・ハウがみごとにサウンドスケープを組み上げたシングル、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ、トミー・テデスコ・オン・ギター、ジョー・オズボーン・オン・ベース、フィフス・ディメンション、Up Up and Away



今朝から、ずっと貼り付けようと思って開きっぱなしのページがあるので、唐突ですが、以下にリンクをメモして、閉じようと思います。

電力の使用状況グラフ

これ東電のページなので、眉につばつけてご覧あれ。ただのグラフであって、実体ではないのですから。またしても詐術である可能性はおおいにあります。でも、なにもいわなければわからないのに、嘘をついたばかりに綻びができる、ということはあるので、いちおう、要監視。

もうひとつ。これは私にはあまり重要ではないのですが。

東北関東大震災・非公式・放射性物質モニタリングポストMAP

市内には8カ所のモニタリング・ポストがあり(横須賀にはグローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパンという会社があり、核燃料を扱っているため)、そのリードアウトは神奈川県のページで公表されています。でも、そういうものがない場合は、上記の地図を参照して、お近くの状況をご覧になられるといいでしょう。

いや、数値はそうとう上下するので、むしろ見ないほうがいいかもしれません。とてつもない上昇だけが危険だと、わたしは考えています。雨による増加などで身構えたりするのはやめましょう。鈍感であってはいけませんが、過敏なのも有害無益です。

わたしたちにいまできることは、などという義捐金の呼びかけがありますが、そんなことをやっていないで、送りたいならひとりで送れ、と思いました。週末、当地の駅前で民主党が募金の呼びかけをしていて、馬鹿がこじれるとはこのことだと呆れました。偽善もはなはだしい。発想が金集めに直結するところが民主党らしいのですが、ほんとうになにかしたいなら、くだらないことはやめ、被災地へ行って汗を流してこい、です。

いまわれわれにできることは、経済の沈滞による被害を少しでも軽くすることです。つまり、日常業務に励み、ふつうの消費活動をすることです。具体的には、買い占め対象になっていない商品をふつうに買うこと。散髪、理容、美容、整体、占い(!)、なんでもいいのですが、いつもなら利用しているサービスもお忘れなく。

これで一休みします。15:20から東電にボディー・ブロウを喰らう予定になっているので、再開は夜になるでしょう。


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by songsf4s | 2011-03-22 08:56
アル・クーパーのR&Bカヴァーとオリジナル その4 Easy Does It篇

アル・クーパーの3枚目、Easy Does Itはあまり得意なアルバムではありません。よくないわけではなく、そこそこなのですが、それ以上ではありません。あのアルバムはこの曲、という突出したものがなく、70点のどんぐりの背比べなのです。

悪い癖で、いや、ひょっとしたら好ましいことなのかもしれませんが、アル・クーパーはむやみに録音場所を移動します。記憶しているかぎりでも、NY、ナッシュヴィル、ハリウッド、ロンドン、アトランタ、すくなくともこれだけは移動しています。

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さらに悪いことに、同じアルバムのなかであちこちに移動するので、サウンドもプレイも凸凹になってしまいます。「変化に富んだ音」という言い方もできるのですが、プレイと録音に関しては、やはり「出来不出来の差が大きい」という印象です。前作のYou Never Know Who Your Friends Areの出来が非常によかったのは、NYの音で統一したからでもあると思います(わたしの観点からは、ダメなドラマーがいなかったというのも非常に大きいが)。

Easy Does Itは、ソロとしてはおそらくはじめてのハリウッド録音のトラックを収録しています(Super SessionはハリウッドのCBSでの録音だったと思う)。プレイヤーの選択にミスはないのですが、惜しいかな、スタジオの鳴りがあまりよくありません。おそらくCBSを使ったのでしょう。

アーティストは独立スタジオを使いたがり、会社は自社スタジオを使わせたがることになっていて、CBSの重役でもあったアル・クーパーとしては独立スタジオは使いにくかったのでしょう。ユナイティッド・ウェスタンあたりで録音したら、いい音になっただろうと思います。

ハリウッドでは二度のセッションをしたらしく、メンバーの異なるものがあります。ジョー・オズボーンがプレイしたのが一曲、アール・パーマー、ライル・リッツ、トミー・テデスコ、ルイ・シェルトン、ラリー・ネクテルなどがプレイしたのが二曲です。トミー・テデスコ・ファンなら、She Gets Me Where I Liveは楽しめます。

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1974年、ボトム・ラインにおけるマイケル・ブルームフィールドとアル・クーパーの共演。こんなのがあるとは知らなかった。ただし、続Live Adventuresという雰囲気ではなく、ブルームフィールドとよく知らないヴォーカルのライヴに、アル・クーパーとバリー・ゴールドバーグがゲストでプレイしている、というあたり。しかし、好不調の波がひどいブルームフィールドとしてはかなりいい日といえる。ラジオ・トランスクリプションなので、音質はまずまず。

◆ I've Got a Woman ◆◆
Easy Does Itはダブル・アルバムですが、R&Bカヴァーは1曲、I've Got a Womanのみです。

サンプル Al Kooper "I've Got a Woman"

このトラックについてなにかいうには、オリジナルや他のヴァージョンがどうなっているかを知っていただかないとぐあいが悪いので、そちらをどうぞ。オリジナルはレイ・チャールズです。

レイ・チャールズ I've Got a Woman


ジミー・マグリフはオルガン・プレイヤーなので、つぎのクリップはインストです。他のクリップがすべて超ビッグネームなのに、そこにマグリフを滑り込ませたのは、もちろん、面白いからです。

ジミー・マグリフ I've Got a Woman


エルヴィスのI've Got a Womanはいくつか種類がありますが、以下のクリップは50年代のサン・セッションのものです。

エルヴィス・プレスリー I've Got a Woman


ビートルズ(with John Lennon on lead) I've Got a Woman


まだいくらでもヴァージョンはあるのですが(クリフ・リチャード、ブッカー・T&ザ・MG's、ジョニー・リヴァーズほか)、ここにあげた4種類のように、ふつう、この曲はミディアム・アップまたはアップでやります。わが家にあるものを聴くかぎり、すべてそういうテンポでやっていて、例外はアル・クーパーのみなのです。

昔は歌が下手だとか、声が悪いだとか、いろいろいわれましたし、オルガンはともかくとして、ピアノはゲーリー・ブルッカーよりはうまいけれど、ぐらいの腕でしかなく、そっちが本職だというギターも、とくにすごいわけではなく、BS&Tを追い出されたのも、まったく理解不能とはいえません。

しかし、アル・クーパーが抜けたあとのBS&Tがゾンビのように思考力を失って、つまらないことばかりした事実が端的に示しているように、アルは目に見えないところで仕事をするタイプのミュージシャンで、ただやりました、というノータリンなトラックはありません。失敗成功はどうであれ、つねに頭を使っているのです。それがI've Got a Womanの特異なアレンジにストレートにあらわれたと思います。

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だれでも知っているといってよい曲をカヴァーするにあたって(しかも置き場所はディスク1のA-2、「アップテンポのオープナーを受ける、返しのバラッド」という重要な位置)、他のヴァージョンとは異なる方向を探ったのでしょう。あるいは逆に、アレンジのアイディアが浮かんだからカヴァーする気になったのかもしれません。

ダブル・アルバムで値段が高く、高校生は迷って先送りし、Easy Does Itを買ったのはリリースから2、3年後だったと思います。そのときにはすでにレイ・チャールズのヴァージョンを知っていたので、アル・クーパーのカヴァーを聴いたときは、ちょっと驚きました。出来の善し悪しということになると微妙になってしまいますが、他のヴァージョンにはまったく似ていないという一点は賞美できます。

しかし、いま聴き直して思うのは、やはり「眼高手低」か、ということです。意図はよくわかるものの、現実にできあがったものには不満があります。まず(またしても)リック・マロッタのドラミングが不出来です。スネアもタムタムもベタベタとヘッドに鳥もちをまぶしてあるような音がして、ガムを踏んづけたようなイヤな気分になります。しかもタイムも悪くて、ピンのあまい写真のようなビートです。

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ストゥー・ウッズは、ほかのトラックではまずまずのプレイをしているものがあるのですが、I've Got a Womanは、わたしにはいいプレイには思えません。ソロも退屈です。まあ、ベース・ソロなんて、だれがやっても退屈なものですが。

プレイヤーの選択を誤ったために、I've Got a Womanのアレンジのアイディアは十全なる実現には至らなかった、というあたりが当方の結論です。とはいえ、BS&Tのフレッド・リプシャスのテナー・ソロはまずまずです。

譜面は(たしかめずに書くが)またチャーリー・カレーロでしょうが、弦はさておき、ホーン・ラインは、「お、ここはいいな」と感じる瞬間が何度かあります。

◆ Baby Please Don't Go ◆◆
もう一曲、これはR&Bではなく、ブルーズなのですが、Baby Please Don't Goにもいちおうふれておきます。といっても、12分半の長尺で256でも23MBというサイズ、サンプルは略させていただきます。

いえ、いいものなら長さもサイズも気にしませんが、それほどのものでもないのです。ただし、I've Got a Woman同様、よくあるパターンに寄りかかるつもりはない、という気組みは伝わってくるアレンジです。

ストゥー・ウッズのプレイもこちらは楽しめます。むろん、リック・マロッタはやっぱり勘弁ですが。それでも、ハイハットだけなんていうところは、鳥もちベタベタのスネアが聞こえないので一息つけます。

この曲は、われわれの世代の場合、アニマルズのカヴァーで知った方が多いのではないでしょうか。

アニマルズ Baby Please Don't Go


イギリスではゼムのヴァージョンがヒットしていて、現在では、ヴァン・モリソンご幼少のみぎりの代表作という扱いですが、アニマルズ盤によく似ているので、クリップはやめておきます。

元をたどると、ジョー・ウィリアムズあたりに行き着くらしく、1930年代のフォーク・ブルーズですから、要するに、よくあるチューニングもピッチも狂ったモノトーンな語りのような代物です。戦前のフォーク・ブルーズが怖くてアメリカ音楽が聴けるか、覚悟はできている、なんていうお申し出があれば、サンプルをアップしますが、まあ、ふつうの方には御用のないものでしょう。

最後にすこしだけI've Got a Womanの補足をしておきます。プレイヤーに載せたものをぐるっと三周ばかり聴いて、強く印象に残ったのはクリフ・リチャード&ザ・シャドウズの1962年のライヴ盤です。

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録音もよく、シャドウズもクリフ・リチャードも好調で、おおいに楽しめます。クリップを探してみたのですが、64年のベルギーでの音の悪いものがあっただけなので貼りつけませんでした(64年なのにバーンズ。64年からとは知らなかった)。

朝の紅顔も夕べには白骨となる、明日の命はわからないのだから、ケチケチせずにサンプルをいっちゃいます。

サンプル Cliff Richard & the Shadows "I've Got a Woman" (live, 1962)

イギリスというのは、アメリカはいうまでもなく、日本にくらべても遅れていて、60年代後半に入ってもモノーラル盤がいっぱいあるのですが、これは62年録音(リリースは2000年)、しかもライヴだというのにステレオ、低音部もちゃんと聞こえて、突然変異のような録音です。シャドウズ・ファンなら聴いて損はありません。


このシリーズは2、3回やって、思いきりお客さんが引いたら、うやむやにしてしまうつもりでしたが、これまでのところカウンターは微増なので、次回はさらにNew York Cityへと進みます。


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アル・クーパー Easy Does It
Easy Does It
Easy Does It


Al Kooper - I Stand Alone/You Never Know Who Your Friends Are (ボーナスとしてEasy Does Itから数曲が収録されている)
I Stand Alone & You Never Know Who Your Friends
I Stand Alone & You Never Know Who Your Friends

Al Kooper Rare & Well-Done(ベスト盤とレア・テイク盤の二枚組)
レア&ウェルダン:アル・クーパーの軌跡1964-2001
レア&ウェルダン:アル・クーパーの軌跡1964-2001


Ray Charles - Genius & Soul: The 50th Anniversary Collection (5CD box, Rhino)
Genius & Soul: The 50th Anniversary Collection


Ray Charles - Best of the Atlantic Years
Best of the Atlantic Years

クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ ライヴ
Live at ABC Kingston 1962
Live at ABC Kingston 1962


ジミー・マグリフ I've Got a Woman
I've Got a Woman
I've Got a Woman


by songsf4s | 2010-11-17 23:56
玉木宏樹「ストラディヴァリは本当に名器?」(『猛毒!クラシック入門』より)

前回の記事をアップしてから、改めてため息をつきました。結局、『野良猫ロック 暴走集団'71』の音楽は一日で録音してしまったのだな、と。

f0147840_23394922.jpgアール・パーマーの伝記の写真キャプションに、「Album a day, man」つまり「一日でアルバム一枚だぜ」というものがありました。ハリウッドの音楽スタジオは、午前、午後、夜間のそれぞれに一回ずつ、3時間単位のセットで仕事をするルールになっていました。セットとセットのあいだには90分ないしはそれ以上の空きがあり、その時間に食事と移動とセットアップをすることになっていました

(ハル・ブレインは移動とセットアップの綱渡りを回避するために、三つのドラム・セットを用意して、専任セットアップ・マンを雇い、その日に予定されている仕事に合わせて各スタジオに先乗りさせ、セットアップとチューニングを完了させておいた。前の仕事が延びて、スタジオ入りがギリギリになっても大丈夫だったのである)。

この3時間のセットで4曲を録音するのが標準的なやり方で、これを午前、午後、夜間とつづけてやれば合計12曲、LPのAB面が完成します。60年代に入ったあたりから、歌は別個にヴォーカル・オーヴァーダブ・セッションで録音するようになっていきますが、それ以前なら、9時間で歌まで入ったLP一枚を完成するペースで仕事をしていたのです。

もちろん、それ以前に選曲または作曲、アレンジ、写譜、シンガーのリハーサルなどの準備があるのですが、それにしても、いざ本番になれば、9時間で作業を終える慣行でした(ミュージシャン・ユニオンと会社のあいだでそういう取り決めがあった、つまり明文化されたルールだったとしている談話もあるが、裏をとれず。仮にルールだったとしたら、過重労働を回避するためだったのだろうから、昔はもっとたくさん録音したこともあったのかもしれない)。

それ以上時間をかけられるのは、予算の潤沢な特別の仕事だけでした。たとえば、フィル・スペクターはシングルA面のために、リハーサル一日、録音一日などというペースで仕事をしたようですし、ブライアン・ウィルソンもときにとてつもないコストをかけています。ただし、一日ぶっつづけで同じ仕事というのではなく、3つのセットを別々の日にやることのほうが多かったように、残された記録からは読み取れます。

ブライアン・ウィルソンのYou Still Believe in Meセッション


フィル・スペクター伝パート1(ラリー・レヴィンの動いているところはめずらしい。デタラメ伝記の作者マーク・リボウスキーなど見ても腹が立つだけだが!)


昔のハリウッドの場合、インフラストラクチャーが整っていたので、工業製品を製造するように音楽を生み出すことも不可能ではなかったのですが(絶体絶命なら、豊富にあるライブラリー音源も利用できた)、家内工業的に一日で映画一本分の曲を作って録音まで終えたという玉木宏樹の日活での仕事は、すごいものだと思います。

もうひとつ、むつひろしが『八月の濡れた砂』で変奏曲を多用したのは、やはり時間と予算が極端に切りつめられていたからだと納得がいきました。アーティスティックな理由で決まることなどほんの一握り、たいていはスケデュールと予算がものごとを決めていくのです。

◆ 「名器」という「了解事項」 ◆◆
映画スコアの話題ばかりでなく、『猛毒!クラシック入門』には面白いことが書かれています。わたしは「定説」というのが嫌いなので、定説の内容を検証したうえで(ここが重要)、否を唱える話にはおおいに関心があります。たとえば、ストラディヴァリはほんとうにいい音なのか、です。

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ということで、玉木宏樹はきわめて否定的な見解を述べています。さらに『猛毒!クラシック入門』に引用されている佐々木庸一『ヴァイオリンの魅力と謎』には、つぎのように書かれているそうです。

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このように、専門家もストラディヴァリの音をブラインドで聞き分けることができなかったということは、ストラディヴァリの価値はフィクション、神話のたぐいであるという見方に大いなる追い風となります。そもそも、音楽ですからね、それぞれの好みに大きく左右されるにちがいなく、絶対的な価値などというものがあったら、そのほうがよほど驚きます。

卑近すぎる例で恐縮ですが、サイケデリック以降の一時期、ジャズマスターの音を古くさいと思ったけれど、いまではバーンズと並んでとくに好きなギターです。あるいは、コードを弾くならギブソンのアコースティック(たとえばJ-160E)のほうが好きですが、シングル・ノートで弾くならマーティンのほうが向いていると思います。楽器というのは、そういうもののはずです。ユニヴァーサルなものなどないでしょう。

玉木宏樹はあるとき、それなりに値の張るヴァイオリンと、十代のときに16万で買ったヴァイオリンをもってスタジオに行き、両方を弾いて、ディレクターとミキサー(アメリカ式にいえばプロデューサーとエンジニア)に、どちらを使うかを決めてもらったそうです。結果は、なんの留保もなく安いヴァイオリンのほうだったそうです。

f0147840_2348583.jpgトミー・テデスコの自伝、Confessions of a Guitar Playerに、『結婚しない族』という映画のスコアの録音が出てきます。プレイバックを聴いていた音楽監督のミシェル・ルグランがトミーに、ピックで弾いたのか、指で弾いたのか、とたずねました。ファンならだれでも知っているように、トミー・テデスコはフラット・ピッキングによるフラメンコ・ギターの名手です。ぜったいに指では弾きません。しかし、ルグランは、指で弾いてくれ、とトミーに注文し、トミーは了解しました。

教則ヴィデオでやや誇張して実演していますが、トミーは指では満足なプレイ(つまり、目にもとまらぬ超高速ラン)ができないので、このときも譜面台で右手を隠し、ピックを使ってリテイクしました。テイクのあとで全員がブースでプレイバックを聴き、ルグランがいいました。

「トム、素晴らしいプレイだったな。やっぱり指で弾いたほうがずっといい音じゃないか」「そうだね、ミシェル。こっちのほうがずっといい」

いえ、トミー・テデスコはミシェル・ルグランを最高の映画音楽作曲家のひとりと絶賛しています。ただ、われわれの認識能力には限界があり、われわれの感覚器官の精度は低く、じつに簡単にごまかされてしまう、ということをいっているにすぎません。

トミー・テデスコのフラット・ピッキングによるフラメンコ・ギター・プレイ


つまるところ、「価値」というのは、多くの場合、実体などあるものではないのだから、ストラディヴァリの価値が神話であっても、べつになんの不思議もありません。

「価値」とは「人びとの思いこみ」ないしは「暗黙の了解」にほかなりません。一万円札そのものにはなんの価値もなく、「この紙を一万円として流通させる」という黙契こそが「価値」なのです。

だから、ストラディヴァリもまた、「最高の音が出る」という「暗黙の了解」のほうに価値があるのであって、楽器そのものの価値など、どれほどのものでもないでしょう。「はてなの茶碗」が描いたように、茶碗そのものには価値がなくても、天皇の箱書きには高い値が付くのです。

例によって、毎度変わらぬいつもの教訓です。他人の意見などなんの意味もありはせず、自分がいいと思うものだけがいいのであり、「価値」があるのです。


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Tommy Tedesco: Confessions of a Guitar Player : An Autobiography
Tommy Tedesco: Confessions of a Guitar Player : An Autobiography
by songsf4s | 2010-05-24 23:32 | 映画・TV音楽
クリスマス映画6A Pocketful of Miracles (映画『ポケット一杯の幸福』より その1)
タイトル
Pocketful of Miracles
アーティスト
OST
ライター
Sammy Cahn, Jimmy Van Heusen
収録アルバム
N/A
リリース年
1961年
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『レモン・ドロップ・キッド』の原作者であるデイモン・ラニアンの作品はみな短編で、初出は「サタデイ・イヴニング・ポスト」「コスモポリタン」「コリアー」などの雑誌だから、季節感を盛り込んだのだと思われますが、クリスマス・ストーリーがずいぶんあります。

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クリスマス・ストーリーのアンゾロジーにもっとも頻繁に採られているのは、『ダンシング・ダンのクリスマス』(Dancing Dan's Christmas)と『三人の賢者』(The Three Wise Guys)でしょう。クリスマス・ストーリーか否かということにはかかわりなく、『三人の賢者』はラニアンの代表作といえるもので、こちらは妥当な選択だと思います。

The Three Wise Guysは1936年に一度、そして2005年にも映像化されている(後者はテレビドラマらしい)ことが、このリストでわかります。同じくらいに有名な『ダンシング・ダンのクリスマス』が映画化されていないのは、プロットがシンプルで、時間的スパンもクリスマス・イヴの数時間にすぎず、話をふくらませて本編に仕立てるのがむずかしいからでしょう。昔の「ヒチコック劇場」のような30分ドラマの枠なら、ちょうどいいような話です。

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『ダンシング・ダンのクリスマス』は、グッド・タイム・チャーリー・バーンスティーンの酒場で、客に出すのではない、主人がプライヴェートで飲むためにとってあったラム酒(禁酒法時代なのでしばしば酒の質について注釈が入る。客には悪い酒を出す!)で泥酔したダンが、サンタ・クロースの扮装をして町を歩いていて、家族連れにまとわりつかれ、父親と口論になって殴り飛ばしてしまい(なんせブロードウェイ界隈ではちょっと知られた暴れ者だから)、子どもたちが悪者サンタに呆然とする、というくだりは好きですが、それ以外は、ラニアンとしてはとくにすぐれた小説とはいいかねます。練達の話術で読ませるにすぎず、プロットは脆弱といって悪ければ、一直線のシンプル&ストレートフォーワードです。

f0147840_0104850.jpgいっぽう『三人の賢者』(もちろん「東方の三博士」Three Kings of Orientを下敷きにしている。したがって、キリストの誕生にまつわる物語を知らないと笑えない話)は、またしても語り手が、グッド・タイム・チャーリー・バーンスティーンの酒場で、クリスマス・イヴに飲んだくれていると(ラム酒ではなく、氷砂糖を入れた甘いライ・ウィスキー)、またしてもワルがワルを呼び、またしても語り手は悪党どもの悪事の現場に立ち会うことになります。

後年のマイケル・チミノの映画『サンダーボルト』に似た設定で、三人の男たちのひとりが、以前、「仕事」のあとで警察に追われ、ニューヨークからずいぶん離れたある町の厩に隠した金を、警官に撃たれた傷も治ったからと取り出しに行くことになります。しかし、そこで意外な障碍にぶつかって、話は変身をしはじめ(ここがキー・ポイントなので、これからお読みになる人のために伏せておく)、いつのまにか厩の出産に化けているのです。

男たち三人は、「賢明にも」金をあきらめたおかげで警察の不審尋問もパスし、やれやれといって夜中に町を去ろうとすると、町境の看板に「ベスレヘム、ペンシルヴェニア」と書いてあったという西洋落とし噺。「パリス、テキサス」だなんていう野暮な監督の野暮な映画とは月とスッポンですな。

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いやはや、サゲまで書いてしまい、こちらも野暮の骨頂でしたが、ラニアンの話は落語に通じるところがあって、ちがった形で紹介されていれば、オー・ヘンリーのようにファンがついただろうと思います。まあ、オー・ヘンリーよりスタイルがハイ・ブロウ(犯罪者たちが大量に出てくるという意味ではロウ・ブロウ!)で、ちょっと敷居が高いところが魅力にもなっているのですがね。落語ファンはぜひラニアンをお読みあれ。

◆ ハリウッドのエースたち ◆◆
原作はクリスマス・ストーリーではない『レモン・ドロップ・キッド』まで、クリスマスものとして映画化されたのは、デイモン・ラニアンといえばクリスマス・ストーリーという印象が強いためでしょう。

本日の『ポケット一杯の幸福』も、やはりデイモン・ラニアンの非クリスマス・ストーリーに、クリスマスをからませて映画化したものです。「クリスマス・ストーリー」と言い切るほどのオーセンティシティーはありませんが、導入部はクリスマス、クライマクスも、それと明示はされませんが、セット・デコレーションはクリスマス風ですし、時期は十二月なのだということがグレン・フォードの台詞でわかります。もっとも、登場人物たちは、一言もクリスマスらしいことはいいませんが。

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また、一昨年のクリスマス・スペシャルにおける、Pocketful of Miracles その1 by Harpers BizarrePocketful of Miracles その2 by Frank Sinatraに書いたとおり、この映画のテーマ曲は、オーセンティックなクリスマス・ソングではないものの、いつもクリスマス気分という歌詞で、考えようによっては、Let It SnowI've Got My Love to Keep Me Warmなどより、クリスマス・ソングらしさがあります。なんたって、Let It SnowやI've Got My Love to Keep Me Warmはただ寒い時期のことを歌っているだけなのに対して、Pocketful of Miraclesは、はっきりとI hear sleigh bells ringingといっているのですから。

サンプル Pocketful of Miracles by Harpers Bizarre

サンプル Pocketful of Miracles by Frank Sinatra

これほどの好勝負はめったにありません。しかも、めずらしいことに一騎打ち、ほかにはいいも悪いもヴァージョンというものがないのです。いや、もちろんOSTはありますよ。でも、あれは盤としてリリースするようにはつくっていないし、リリースするだけの価値はないでしょう。

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ヴォーカルで勝負、というなら、まあ、多くの人はシナトラに投票するでしょう。ハーパーズはスタジオ・シンガーがやってもわからないほど無個性なハーモニーで、あれこれいうほどのものではありません。

でも、わたしの関心はつねに背後のサウンドにあります。これが両方ともおみごと。それも当然、ハリウッドのジャズ系セッションのエースたちと、同じハリウッドのポップ/ロック系のエースの対決なのです。

しかも、舞台は両方ともハリウッドのユナイティッド・ウェスタン・レコーダー、エンジニアは、シナトラのほうは不明ですが、ハーパーズはリー・ハーシュバーグです。これ以上のエンジニアはいないというぐらいの名手。シナトラのこの時期のエンジニアとしては、ユナイティッドのオーナーであるビル・パトナム(シナトラのセッションでかならず卓に坐るという契約を交わしていた時期があった)かリー・ハーシュバーグが考えられます。エディー・ブラケットはまだこの1961年には入社していないか、アシスタントだったのではないでしょうか。

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結局、1961年のハリウッドのエースたちと、1968年のハリウッドのエースたちの対決、旧世代対新世代のサウンド対決なのです。機材はちがっても環境はほぼ同じ、どちらもじつにいい音。これこそが世界を征服したハリウッドのサウンドです。

ネルソン・リドルのアレンジは、この曲に関してはストリングスのラインが流麗であると書こうとして、一昨年の記事を見たら、そう書いてありました。録音のこと以外は、一昨年に書いたとおりで、とくに修正すべきことも補足するべきこともありません。なにしろ同一人物なので、それほど意見が割れないのです!

結局、どっちが好きなのだ、といえば、やはり、ハル・ブレイン、キャロル・ケイ、トミー・テデスコたちがプレイしたハーパーズ・ビザール盤の音が好ましい、ということも変わっていません。キャロル・ケイの、シンプルなだけに、グルーヴのよさが際だつプレイが特筆に値します。

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なぜこれほど好ましい曲にほとんどカヴァーがないのか、と疑問を感じます。歌詞が子どもっぽい、というか、子どもの口調を利用している点が障碍になっている、ということぐらいしかわたしには思いつきません。陰影というものがゼロで、ただただ明るいだけの歌詞というのは、歌いにくいのでしょうね。

もっとデイモン・ラニアンとフランク・キャプラのこと、そしてこの映画自体のことを書くつもりだったのですが、例によってタイム・イズ・タイト、これからスクリーン・キャプチャーもしなければいけないので、本日はここまで。残りは次回以降に持ち越しとさせていただきます。


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by songsf4s | 2009-12-15 23:56
トミー・テデスコのThe Guitars of Tom Tedesco

馬齢を重ね、背中に鱗やらコケやらが生えはじめるようになっても、毎年毎年、へえ、そういうものがあったのか、といってしまうもので、先日もまた、こんなにいいものがあったとはねえ、と溜息をつく盤がありました。トミー・テデスコの"The Guitars of Tom Tedesco"というLPです。

以前、トミー・テデスコのディスコグラフィーを見たときに、まだ聴いていない盤が数枚あることに気づいたのですが、すぐに忘れてしまう人間なので、そのことを思いだしたのは、現物を聴いてからでした。

オオノさんのブログ、「YxxTxxxを聴く」に、3回にわたって数曲のサンプルがアップされていますので、ギター好きの方はぜひご一聴あれ。
by songsf4s | 2009-09-11 01:41 | Guitar Instro
The Green Leaves of Summer (OST 『アラモ』より その1)
タイトル
The Green Leaves of Summer
アーティスト
OST
ライター
Dimitri Tiomkin, Paul Webster
収録アルバム
The Alamo (OST)
リリース年
1960年
他のヴァージョン
The Brothers Four, the Ventures, the 50 Guitars, Nelson Riddle, Herb Alpert & The Tijuana Brass, Johnny Smith, Patti Page, Frankie Laine, Frankie Avalon, Mantovani
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前々回申し上げたように、今回は『リオ・ブラヴォー』から連想される映画の一本、ジョン・ウェイン監督・主演の『アラモ』(1960年)です。

記憶がややあいまいなのですが、わたしがこの映画を見たのは、公開時ではなく、1960年代後半のリヴァイヴァル上映の際でした。硫黄島かアッツ島か、という玉砕の物語で、心弾むものではないため、子どもとしてはあまり気に入らず、その印象が尾を引いて、再見することもありませんでした。

よけいなことですが、アッツ島につづいて玉砕の運命にあったキスカ島守備隊の脱出を描いた東宝映画『キスカ』は、中学生のときに一度見たきりですが、強く印象に残りました。『キスカ』は「戦闘場面のない戦争映画」で、こういう方法もあったのか、と感銘を受けました。ぜったいに戦いは避け、一目散随徳寺、ただただ逃げるだけ、無事に逃げ切れるかどうか、というサスペンスをドライヴ・メカニズムにした映画でした。映画はアイディアとシナリオで勝負の半分は決まることを証明したといえます。ああいうアイディアがどんどん出てくれば、日本映画もこうまで衰退はしなかったでしょうに。

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キスカ島に翻る日章旗、だとか。

検索すると、YouTubeに予告編があるというので開いてみましたが、もうありませんでした。無料の宣伝を拒否するとはまた太っ腹な。儲かりすぎで、これ以上ブログやYouTubeで宣伝なんかされ、DVDが売れたりするのは迷惑なのでしょう。ともあれ、子どものころに見た東宝の戦争映画のなかで、『独立愚連隊』『青島要塞爆撃命令』『日本のいちばん長い日』などと並んで『キスカ』は気に入っていました。どれもあれきりで、見直していないのですが。

◆ Can't Remember the Alamo ◆◆
アイディアの善し悪しという面では『アラモ』は凡庸で、たんに歴史上の有名な出来事を正面から描いただけの映画です。しかも、われわれにはなじみのない「テキサス革命」(ないしは「テキサス独立戦争」)の転回点となった、アラモ砦(というか、元は「ミッション」=布教拠点の僧院だが)の戦いを題材にしています。いちおう、以下に辞書の記述をペーストしておきます。

「アラモ砦 テキサス独立戦争に際し,テキサス人の小部隊がたてこもったサン・アントニオ(現、アメリカ合衆国テキサス州南部)の僧院。これを包囲したサンタ・アナの率いる約3000のメキシコ軍を相手に、1836年2月23日から3月6日まで戦い、指揮官トラビスWilliam B. Travis、デービー・クロケット、ブーイJames Bowieを含む187名が戦死した。なお非戦闘員約30名はメキシコ軍によって放免された。〈アラモを忘れるな Remember the Alamo!〉は、以後テキサス軍の合言葉となった」(『世界大百科』)

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なんだ、太平洋戦争のときは、「アラモ」を×印で消し、その下に「真珠湾」と殴り書きしただけか、スローガンというのはみんなくだらないな、という感想はさておき、まあ、そのような状況を描いたお話で、内容的には、中学生のわたしは退屈しましたし、今回の再見でも、うーん、まじめにつくっているんだけど、でもなあ……でした。現代の編集者の手にかかったら、正味45分に短縮されてしまうのではないでしょうか。昔の映画はテンポが遅いものなので、それ自体はかまわないのですが、遅さが気にならない映画(典型は小津作品。独特の方法論によるきわめてリズミカルなフィルムのつなぎを土台に、「表面にあらわれない内的グルーヴ」とでもいうべきものによって語っていく)と、遅いなあ、と意識してしまう映画があります。『アラモ』は後者です。

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ただ、『アラモ』の題材が、インディアンないしはアメリカ先住民との戦いではないことは、おおいなる救いです。古い西部劇の最大の欠点は、インディアンを殺すことは正義であるとして疑わない無神経さです。いや、その反省に立った映画というのも、それはそれでうっとうしく、デッド・シリアスになってしまう欠点があり、あまり好きではありません。イタロ・ウェスタンの美点は先住民が出てこないことですし、『リオ・ブラヴォー』も白人どうしの戦いであることが後口をよくしています。

さらにいうと、アラモ砦を攻めるメキシコの将軍サンタ・アナが、たとえば『ワイルド・バンチ』に登場したような、軍人とは名ばかりのならず者、昔の中国の軍閥に似た、育ちすぎの盗賊の親玉タイプではなく(いやまあ、そういう「バナナ共和国」の大統領みたいな「軍人」もじっさいに少なからずいたのだろうが)、名誉を重んじる人間として描かれていることは好感が持てます。

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◆ OSTヴァージョン ◆◆
映画の出来はさておき、肝心なのは音楽です。この映画からはThe Green Leaves of Summerが生まれています。むしろ、音楽のほうが有名になり、映画は忘れられたといってもいいくらいでしょう。

子どものころ、ブラザーズ・フォアのヴァージョンでこの曲をイヤというほどきかされたので、その印象が強く残っていますが、OSTはもっとずっとゆったりしたテンポで、ほとんど葬送曲のような味わいです。こういう「昔のハリウッド映画に特有の」といいたくなる、大人数の混声合唱は好みなので、OSTヴァージョンにはおおいに惹かれます。



いま勘定してみたところ、映画のなかでこの曲が流れるのは四回、うち三回はこのヴォーカル・ヴァージョンではなく、インストゥルメンタルです。ヴォーカル・ヴァージョンが流れるのは、決戦前夜(というより玉砕前夜)、司令官のトラヴィスが最後まで砦に残った妻と子どもを、比較的安全な一室に移すシークェンスを中心に、明日はもう命はないだろうと覚悟した男たちの思いを描く場面に使われています。

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脇道ですが、「玉砕」というのは和製漢熟語で、「玉」が天皇のことだとすると、外国のことには使えないだろうと不安になって辞書を引きました。セーフでした。「[北斉書元景安伝「大丈夫寧可玉砕不能瓦全」] 玉が美しく砕けるように、名誉や忠義を重んじて、いさぎよく死ぬこと」とあって、出典は中国でした。

対語があるというので、ついでにそちらも見てみました。「瓦全ガゼン つまらないかわらとなって安全に残る。何も役にたたないでむだに生きのびること。〈類義語〉甎全センゼン」いやあ、きびしいお言葉ですが、われわれ凡人はみなこの「瓦全」ですからねえ。英雄となって玉砕するよりは、むしろ瓦全となって生き延びん、であります。

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最初にThe Green Leaves of Summerが流れるのは、ジョン・ウェイン扮するデイヴィー・クロケットとメキシコ女性フラーカの散策と対話の場面でのこと。心惹かれる女性に向かって演説してしまうのだからかなり不思議な人物だが、二人で大木を見上げるショットは、郷土への愛というテーマの愚直な表現なのだろう。

◆ 50ギターズ ◆◆
この曲は、コード進行だけを取り出しても、複雑ではないものの、シンプルななかにも独特の美があり、そうなるとギターの出番ということになります。コード進行の遷移にビルトインされた美をもっともよく引き出すのが、ギターという楽器の最大の長所だからです。

f0147840_0123365.jpgまずは「またかよ」の50ギターズです。なんたって、Six Flags Over Texasというタイトルのテキサスもの(?)企画盤があるのだから、この曲が入っていないはずがないってくらいなのです。もちろん、Add More MusicでLPリップを入手することができるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。

そのAMMの50ギターズ・ページでキムラさんがこの盤についておっしゃっているように、いつもとはだいぶ楽器編成が異なっていて(The Green Leaves of Summerについていえばハープシコードなんぞではじまったりする)、ちょっとチェンジアップがほしくてジタバタしはじめたというあたりかもしれません。もちろんリード楽器はギターで、そこは楽しめます(オリジナルよりキーを半音下げているのは、オープン・コードを使えるようにするため?)。

アルバム・フロントに描かれた旗がそれぞれなにをあらわすかはセンセが説明なさっていますが、The Lone Star Stateの意味が視覚的に説明されてもいます。一つ星は『アラモ』に描かれたようなテキサスの歴史に由来するわけで、それはいいのですが、州都オースティン、州最大の都市ヒューストン、ともにテキサス共和国の国務長官と大統領の名前に由来するとは知りませんでした。ダラスはもちろん、『我が輩はカモである』でチコが説明していたように、dollars, taxesに由来します(嘘だってば!)。

◆ その他のギターもの ◆◆
つぎはStranger in Paradise以来のジョニー・スミス。しかし、これは1962年、コロラド・スプリングスでの「ギター・ワークショップ」での録音とあり、バンドなし、スミスがひとりで弾いています。うーん、ギターは好きなのですが、なによりも複数の音が重なった音が好きな人間なので、せめてアップライト・ベースでもいてくれたら、と思います。もちろん、うまいのですが、プロのギタリストはみなうまいものなので、それだけでは不足なのです。

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ヴェンチャーズも、うーん、です。この時期のスタジオにおける基本メンバーは、ドラムス=ハル・ブレイン、ベース=レイ・ポールマン、セカンド・ギター=キャロル・ケイ、リード・ギター=ビリー・ストレンジといったところで、メンツとしては申し分ないのですが、この曲のV盤は昔からあまり好きではなく、ほかのものと並べて比較しても、それまで気づかなかった美点が浮かび上がった、などということはやはりありませんでした。

ビリー・ストレンジという人は、ピッチャーでいえば非常に球持ちのいいタイプで、遅いテンポに適応できる、というか、ハリウッドの強力ギター陣のなかでも、遅いテンポをもっとも得意としたプレイヤーといっていいほどです。だから、このThe Green Leaves of Summerも、悪いところはどこにもないのですが、どういうわけか、メロディーの美しさより、怠さが先に立ってしまいます。アレンジ、テンポの問題かもしれません。

◆ その他のインスト ◆◆
インストのなかでもっともいいのではないかと思われるのが、ネルソン・リドルのヴァージョンです。まあ、なんにでも反面はあるので、よくまとまっていて流れが自然、といえるいっぽうで、どこにも意外性がないクリシェの塊のようにも聞こえてしまうのですが。ともあれ、ハーモニカをリード楽器に選んだのは正解だと思います。



また、リドル盤はキーがOSTと同じFmだし、終始一貫、アコースティック・ギターのストロークが入っているので、コードをとるのにも最適のヴァージョンでしょう。いや、猫に引っかかれた親指がまだ完治していないので、わたしはコピーをネグりましたが、冒頭は、Fm-C7-Fm-Eb7-Ab-Bbm-G-C7なんてあたりだと思います。セヴンスが非ブルーズ的かつ大量に使われているのが、この曲のコード進行の面白いところです。

f0147840_0192156.jpgハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス(これまた、いかにもこの曲をカヴァーしそうなプロジェクト)ヴァージョンは、もちろん、トランペットが主役ですが、アコースティック・ギターもフィーチャーされています。妥当な楽器編成によるアレンジといっていいでしょう。このときのトランペットはやはりオリー・ミッチェルなのでしょうか。いま聴き直していて、うまいなあ、と感心してしまいました。しかし、この時期のTJBはセールスが低迷したといいますが、なるほどな、とも思います。The Lonely Bullは当たったものの、アレンジ、サウンドを定式化できずにいたことがうかがわれます。A Taste of Honeyまでは模索がつづいたのでしょう。

◆ 歌ものカヴァー ◆◆
f0147840_024633.jpgトップ40には届かなかったとはいえ、いちおうナショナル・ヒットになったブラザーズ・フォアのカヴァーは、OSTのあとだと、テンポが速すぎてひどいライト級に聞こえますが、あの時代のモダン・フォーク・ミュージック(いまになると「商業フォーク」と呼ぶべきだと思うが)の典型的なアレンジで、そういう意味では懐かしくはあります。しかし、懐かしさ以上のなにかを感じるかというと、とくになにもありません。コード進行の面白さもこのヴァージョンでは稀薄にしか感じられず、わたしの好みとはいえません。

f0147840_0242768.jpgThe Green Leaves of Summerはヴォーカルには向かない曲のようで、まあ、そこそこかな、と思うのはパティー・ペイジ盤ぐらいです。しかし、このヴァージョンにも、コードの面白さがなくて、どうしてなのだろうと首をひねってしまいます。ヴォーカルになると、なんだかクリシェばかりのひどく凡庸な曲に聞こえてしまいます。

フランキー・レイン、フランキー・アヴァロン(フェイビアンなら、映画のほうに出ていたからわかるのだが、アヴァロンは「なんで?」と思う)のヴァージョンもありますが、それぞれのシンガーのファンには面白いかもしれない、といったあたりではないかと思います。

The Green Leaves of Summerについては、これ以上とくに書くべきことはないのですが、『アラモ』の他の挿入曲にもふれたいので、次回、もう一回だけこの映画をつづけます。
by songsf4s | 2009-05-08 23:58 | 映画・TV音楽
El Deguello (OST 『リオ・ブラボー』より その2)
タイトル
El Deguello
アーティスト
OST
ライター
Dimitri Tiomkin
収録アルバム
N/A (OST)
リリース年
1959年
他のヴァージョン
The 50 Guitars, Nelson Riddle, Billy Vaugn
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本日も引きつづき『リオ・ブラヴォー』です。

今回検索して見つけたもので、興味を惹かれ、全体を読んでみたのは、ピーター・ボグダノヴィッチのディーン・マーティン・スケッチです。英語を読むのが苦にならない方はもとをお読みください。ディノやハワード・ホークスに関心のある方には興味深い話です。以下はダイジェストです。

f0147840_23424238.jpgホークスは以前からディノが気に入っていたそうで、彼のマネージャーから、こんどの映画の酔いどれ副保安官の役をディノにもらえないだろうか、といわれ、「じゃあ、明日の朝九時半に彼と話そう」といったそうです。われわれの仕事ですら、こんな早い時間の打ち合わせなど考えられません。まして、ハリウッド映画界ですから、当然、マネージャーも「そんなに朝早くでは間に合わないかもしれない」といったものの、ホークスは、九時半に会うか、ぜんぜん会わないかのどちらかだ、と突っぱねました。

翌朝、ホークスの前にあらわれたディノは、「いやあ、ちょっとした騒ぎでしたよ。昨日は真夜中までヴェガスでショウをやってましてね。で、今朝は早起きし、飛行機をチャーターしてこっちに飛んできたんです。そのあとも、渋滞のなか、ここまでくるのがまたひと騒ぎでね」といいました。ちょっと話すと、ホークスは「衣裳を合わせたらどうだ?」といいました。「どういう意味です?」とディノがきくと、ホークスは「役はきみのものだ。衣裳合わせをしてこいというのさ」とこたえました。

ホークスは、こんな時間でも会いに来るなら、役にも必死で取り組むだろうと考えた、といっています。たしかに、ほかの映画とは、『リオ・ブラヴォー』のディノはまったく印象が異なります。ストレートに立ち戻るか、グズグズのズブズブになって、アルコールの靄のなかで死んでいくか、という人生のマッチ・ポイントに挑む男の姿を、人が変わったように必死で演じているのです。ディノがこんなにくそ真面目に演技をしたのは、あとにもさきにも、このときだけではないでしょうか。

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わたしはこういうホークスやディノの考え方に全面的に賛成するわけではありませんが、ディノだってやるときはやるんだ、ということを、西部劇史上に残る秀作に記録しておいたのは、やはりよかったと思います。いや、もちろん、柄だけで楽しげにやっているディノもわたしは好きです。『オーシャンと11人の仲間』での登場シーンなんか見ると、町で実物にすれちがったみたいで、おー、スターはちがうねえ、と感服します。そういう「まんま」の姿に力があったのが、この人のいいところでした。

◆ 皆殺しの歌 ◆◆
人間はいろいろなことをどんどん忘れていきます。今回、20年ぶりにこの映画を再々見して、うへえ、とひっくり返りそうになった曲がありました。英語ではないので、複数のタイトルのうち、どれが正しい書き方なのかわかりませんが、De GuelloまたはDeGuelloまたはDeguelloなどと書かれる曲です。

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どこでひっくり返りそうになったかというと、ほとんどマカロニ・ウェスタンのテーマだからです。そうか、エンニオ・モリコーネはこれを聴いたのか、と膝を叩いてから、「あれ? 俺はこの映画を見るのは3回目だぞ」とズルッとなりました。20年前の再見のときには、そういうぐあいに比較しても不思議はなく、当然、今回と同じことを思ったにちがいありません。それでも、そのときはブログなどないから、ただ「あ、そういうことかよ」と思っただけで、翌日にはきれいさっぱり忘れてしまったのでしょう。

記憶など、その程度のものだから仕方がないとはいいながら、なんとも頼りないかぎりで、なにか思っては忘れ、思っては忘れ、たまに思いだしたことを書いているだけかよ、とボヤきが出ます。

肝心の『リオ・ブラヴォー』でこの曲が流れるシーンのクリップは発見できなかったので、かわりにネルソン・リドルのヴァージョンはどうでしょうか。



いかにもハリウッドのオーケストラらしく、きれいなバランシングですし、トランペットは名のある人にちがいありません。

エンニオ・モリコーネのカヴァーもあります。



ゴングが入ると、よりイタロ・ウェスタン的味わいになるんだよ、といっているかのようです。やはり、モリコーネは『荒野の用心棒』のスコアを書くときに、この曲を意識していたか、または、セルジオ・レオーネから「こういう雰囲気で」と注文をされたとみなしていいのでしょう。

f0147840_23503999.jpgわたしはイタロ・ウェスタンの特徴のひとつは、マイナー・コードを効果的に使ったパセティックなテーマ曲だと思っていましたが、その特性のよってきたるところは、アメリカ製西部劇、それも代表的な作品とみなされているハワード・ホークスの『リオ・ブラヴォー』だったというのだから、力が抜けてしまいます。いやはや、なにごとも早計は禁物、という教訓と受け取るしかありません。

ただし、ティオムキンがいつもこういうイタロ・ウェスタン的な曲を書いているわけではなく、むしろ、このEl Deguelloは例外的な作品だということは忘れるべきではないでしょう。これはティオムキンの特徴でもなければ、アメリカ製西部劇のテーマの特徴でもなく、たんに「ティオムキンは典型的なアメリカ製西部劇のために、マイナー・コードのパセティックな曲を書いたことがあり、それがセルジオ・レオーネないしはエンニオ・モリコーネにインスピレーションをあたえた」というあたりの穏当な、限定的なところに収めておくべきでしょう。

◆ カヴァー ◆◆
モリコーネのカヴァーにふれたので、ほかのものもひととおり見ておきます。

リック・ネルソン名義のRio Bravoというアルバムには、スコアは収録されていません。El Deguelloは収録されているのですが、OSTではなく、既述のネルソン・リドルのものです。これがうちにあるもののなかではもっとも品があって、いかにもネルソン・リドルらしいサウンドです。

f0147840_23531949.jpg50ギターズのヴァージョンは、Down Mexico Wayという、まだAdd More Musicでは公開されていないアルバムに収録されていますが、それほど長く待つことなくアップされるのではないでしょうか。

「国境の南サウンド」の50ギターズだから、こういう曲はカヴァーして当然というところでしょう。いつものサウンドよりややパセティックではありますが、これはこれでこの企画に合った楽曲で、やはり悪くありません。当たり前ですが、トランペットはオブリガートにまわり、ギター中心のアレンジです。50ギターズのトラックでは、かならずしもトミー・テデスコが活躍するとはかぎらないのですが、この曲は大丈夫、いつもの高速ランと強いヴィブラートによる、いかにもトミー・テデスコというプレイをしています。

ビリー・ヴォーン・オーケストラ盤は、一カ所、ミスがありますが、トランペッターはたいしたものです。ピッチが安定していて、力強い音が出ています。ビリー・ヴォーンはたいていの場合、ハリウッド録音でしょうから、あのへんのだれかである可能性が高いでしょう(多くのオーケストラにはツアー・バンドがあるが、スタジオ録音はスタジオ・プレイヤーでおこなうか、そこにツアー・メンバーの一部が加わったパーソネルということが多い)。

50ギターズは楽器編成そのものがノーマルなオーケストラと異なりますが、ふつうのオーケストラは、どこもおおむねオリジナルに近いアレンジで、YouTubeで聴いたエンニオ・モリコーネやネッド・ナッシュまでふくめ、頓狂なものはありませんでした。あまりいじりようがない曲だということでしょう。

スコアと挿入歌がそれぞれ1曲ずつ残ってしまったので、もう一回、『リオ・ブラヴォー』を延長することにします。

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by songsf4s | 2009-05-04 23:57 | 映画・TV音楽
The Good, the Bad and the Ugly(OST 『続・夕陽のガンマン』より)
タイトル
The Good, the Bad and the Ugly
アーティスト
Ennio Morricone (OST)
ライター
Ennio Morricone
収録アルバム
The Good, the Bad and the Ugly (OST)
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy Strange, Hugo Montengro, the 50 Guitars, Henry Mancini, Enoch Light, Leroy Holmes, Hank Marvin, the Ventures
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さすがに春到来ともなると花々はすごいことになるもので、今日の散歩で見たのは、連翹、オキザリス、桃(早い!)、庭梅、 灯台躑躅(まだ蕾)、馬酔木、白木蓮(なかば散ってしまった)、雪柳、花韮、辛夷、木瓜、姫踊子草などなど。花ではありませんが、大葉紅柏という、新芽が真っ赤な低木も芽を出しはじめています。わが家では鈴蘭水仙が開花しました。やや寂しげではあるものの、なかなか可憐な花です。

肝心の染井吉野は、やはり開花にブレーキがかかったのか、一昨日みたときとたいしたちがいはないようで、この週末はまだ見ごろには遠く、週なかばから来週末にかけてがピークになりそうな気配です。早めに開花した株はだいぶ葉が出てしまったものが多く、なんとも味気ないありさまになっています。

◆ セヴンスの導入 ◆◆
前回に引きつづき、「名無しのガンマン」シリーズ、今回は第三作にして、シリーズのどん詰まり、『続・夕陽のガンマン』です。前回、ご説明したような輸入会社の愚行がなければ、『新・荒野の用心棒』というタイトルが付いたであろう作品ですが、まあ、すでに黒澤の『用心棒』とはおよそ関係ないところにたどり着いているので、どちらにしろ、それはどうでもいいことですが。



第一作がひとり、第二作がふたりと、シリーズがつづくにつれてガンマンが増えつづけ、今回は三人の対決になりますが、テーマ曲のほうも、このThe Good, the Bad and the Uglyが、ギター曲としてはもっとも弾きにくく感じます。そのこととまんざら無関係でもないのですが、だれもがテーマだと勘違いした『荒野の用心棒』挿入曲Titoliから『夕陽のガンマン』、そしてこの『続・夕陽のガンマン』と、「哀愁度」は右肩下がりで低下しています。

The Good, the Bad and the Uglyまでくると、演歌がまったくわからないアメリカ人にも了解できる音楽といえるでしょう。そもそも、ストレートなマイナー・スケールではなく、セヴンスの音が入っているため、マイナーの味わいは薄くなっています。たんに変化を求めてそうなっただけかもしれませんが、アメリカ市場を意識した結果なのかもしれないと感じます。

◆ レッキング・クルーによるカヴァー ◆◆
たぶん、そうした変化がもたらしたものでしょうが、この曲はイタロ・ウェスタンのテーマとしてははじめてビルボードにチャートインします。OSTではなく、ヒューゴー・モンテネグロのカヴァーです。この時期のモンテネグロのものはみなレッキング・クルーの仕事で、ドラムはハル・ブレイン、ベースはキャロル・ケイでしょう。



どこといって停滞するところのない、いたってスムーズなアレンジ、レンディションで、まずは文句のないところです。二本のギターを重ねたところが、いかにもクルーらしいところ。

クルーがらみのカヴァーを先に見てしまいます。ビリー・ストレンジは、『夕陽のガンマン』同様、Great Western Themesでカヴァーしています。なんだかむやみにテンポが速く、どういうわけか、ハル・ブレインがむちゃくちゃに叩きまくっています。わたしの好みとしては、ここまで叩くのはどうだろうかという感じで、それほど好きではありません。

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50ギターズもやはりアルバムEl Hombreでカヴァーしています。OSTではなにか笛のたぐいでやっているラレラレラという5音のリックは、ものすごくシンプルなだけに、強弱のつけかたがひどくむずかしく、アタックの強い楽器でやると、おそろしくぎくしゃくしたプレイになってしまいます。50ギターズはこのリックを、最初はギターで、後半はトランペットでやっていますが、とちらもアクセントに違和感があり、いい出来とはいえません。

ヘンリー・マンシーニは、このリックを笛のたぐい(オカリナらしい)でやっていて、そこは違和感がないのですが、うーん、どうでしょうかねえ。マンシーニにしてはめずらしいことですが、どこにもいいところのない完璧な失敗だと感じます。The Big Latin Bandというアルバムに収録されているので、リズム・アレンジはチャチャチャ風なのですが、大編成のホーンはマーチング・バンド風、というのがどうも水と油です。

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◆ その他のカヴァー ◆◆
クルーと無関係なカヴァーとしては、まずはイーノック・ライトのものがあります。これも納得の出来とはいいかねます。どうもスムーズではなくて、もうちょっとなんとかなるんじゃないのかなあ、とイライラします。マンシーニもそうですが、この威勢のいいホーンが邪魔で邪魔で癇に障ります。アメリカ製西部劇の常識に近づけようとしたのでしょうかねえ。ド演歌はアメリカでは毛嫌いされるというのは理解できますが、こんなに元気いっぱいの大西部爆走サウンドにしてまで、マイナーの臭みを取り去る必要があるのでしょうか。ここまでやるのだったら、はじめからマイナーの曲はやらないほうがいいでしょう。

f0147840_025834.jpgハンク・マーヴィンは、ギターについては、さすがは、というプレイなのですが、バックのサウンド、とくにドラムはわたしには悪い冗談にしか聞こえません。80年代以降、音楽に興味を失ったのはドラムのせいでした。

ヴェンチャーズはただ笑うしかない出来です。君たち、そこに正座しなさい、いいかい、よく聴きなさいよ、そもそもグルーヴっていうものはね、なんてんで、思わずお説教を垂れたくなってきますぜ。

こうしてみると、The Good, the Bad and the Uglyというのはよほどの難曲なのか、はたまたアメリカ人はこういう曲のアレンジがとことん苦手なのか、どちらかと考えるしかないようです。ヘンリー・マンシーニがこれほどぎくしゃくしたアレンジをするなんて、まずありえませんからねえ。まったく不得手なタイプで、どうしていいかわからなくて途方に暮れたのでしょう。

結局、まともな音楽に聞こえるのは、モリコーネのOSTと、ヒットしたヒューゴー・モンテネグロ盤だけです。まったく予想外の結果で、こんなにひどいヴァージョンばかりだとは思ってもみませんでした。やっぱり、聞き比べというのはやってみるものです。

◆ パワーアップの果て ◆◆
シリーズものの宿命なのかもしれませんが、登場人物を増やし、複雑化路線をとってきた「名無しのガンマン」シリーズも、『続・夕陽のガンマン』でくるところまできたようで、予算はどっと増えたけれど、味は薄くなったという、シリーズものの末路のひとつの典型を示しています。

リー・ヴァン・クリーフの役柄は、前作とは似て非なる血も涙もない悪漢で、bad度99パーセントの濃厚なビター・チョコレート、この「改善」はおおいにけっこうでした。イーライ・ウォラック演じる「イヤな奴」も、現代でいえばジョー・ペシかダニー・デヴィートあたりが演じる役柄ですが(ついでに昔の日本映画でいうと佐藤允向き)、ウォラックのほうがずっとugly度が高く、イヤな奴率90パーセント、愛嬌者率10パーセントぐらいの比率で、絶妙のミクスチャーです。

クリント・イーストウッド演じる名無しのガンマンは、ここではThe Goodとなっていますが、たんに他のふたりほど悪いことをしないだけで、善人などではありません。要するに、三人とも、それぞれ別種のタイプの悪党であって、このキャラクター設定は、子どものときもおおいに気に入りましたし、いまも肯定できます。

しかし、その結果できた全体のプロットはどうでしょうかねえ。前半、「いい奴」と「イヤな奴」がコンビになって、賞金稼ぎをするところは笑えます。「いい奴」が「イヤな奴」を官憲に突きだし、賞金を受け取る。いざ縛り首という段になって、「いい奴」がライフルで縄を撃って「イヤな奴」を逃がし、あとで賞金を山分けする、という商売をはじめるのです。賞金の二重どり三重どりで、徹底的に儲けようという発想は、いかにもこのシリーズにふさわしいものでした。



ふたりの関係がこじれて、敵対することになってからの中盤のやりとりも、まあ、それなりに楽しめます。西部劇としては自然な展開です。問題はそのあとで、ふたりが南北両軍の戦いに巻き込まれたあたりからテンポが遅くなり、しまいには反戦映画のようになってしまうところが、いまになると違和感があります。ヴェトナム戦争が悪化した時期につくられたからなのでしょうが、観客はそういうソーシャル・コメントをイタリア製西部劇に求めていたかどうか……。



第一作にくらべれば天と地というぐらいに予算が潤沢になったことは、この南北両軍の戦いにあらわれていて、これまでのような低予算映画ではないことははっきりと伝わってきますが、それがよかったかというと、プロットの求心力が弱まっただけにしか思えません。楽しいシーンがたくさんあり、イーライ・ウォラックの演技も楽しめましたが、結局、大満足とはいかず、時がたつにつれて、もっとも印象の薄いイタロ・ウェスタン作品へと後退していきました。

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予算増大のおかげで派手な爆発シーンになったが、派手すぎて、スタントマンやキャメラの近くにまで石が飛散し、あやうく大事故。

このあたりでわたしはイタリア製西部劇への興味を失いましたが、それはわたしだけのことではなかっただろうと思います。イーストウッドはこの三作のヒットでハリウッドに返り咲き、主演作品を成功させることで、第一級のスターになり、二度と「都落ち」することはなくなります。

それにしても、今回、シリーズの全作を見直して、おや? と思ったことがあります。インディアンが登場しないことです。すでにこのころから、先住民の扱いがむずかしくなっていたのでしょうか。わたしは中学生だったので、そのへんの記憶がなく、少々考え込んでいます。

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by songsf4s | 2009-03-27 23:58 | 映画・TV音楽