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トッド・ラングレンのひとり2パート・ハーモニー その2
 
トッド・ラングレンのいま出回っている盤を眺めていて、アマゾンの記述は不正確だと思ったものがある。

これは間違えても不思議はないのだが、トッドのソロの1枚目と2枚目のタイトルは、

Runt 1970

Runt: Ballad of Todd Rundgren 1971

である。これが目下2ファーとして1枚になっている。だから、表記としては、

Runt/Runt: Ballad of Todd Rundgren

が正しいのだが、じっさいにはRunt/Ballad of Todd Rundgrenと、Runtがひとつ足りず、セカンド・アルバムのタイトルが半欠けになっている。

f0147840_22591187.jpg

以前、「Only a Game by Matthew Fisher」という記事で、Mathew Fisherというタイトルのアルバムと、Strange Daysというタイトルの2枚を合わせた2ファーCDなのに、たいていの人が、マシュー・フィッシャーというシンガーのStrange Daysという1枚のアルバムであるかのように誤解していると書いたが、それと似たような現象といえる。

トッドの最初の2枚がなんでこんなややこしいことになったのか、昔、友人に理由を縷々説明されたのだが、忘れてしまった。

たしか、セイルズ兄弟とトッドの3人で、「ラント」というグループを組んだつもりだった、というような話だったと思う。

それが実現せず、その名残として、トッド・ラングレンのアルバムというより、ラントというバンドのアルバムのような形式にした、とかいったことじゃなかっただろうか。まあ、どうでもいいようなことだが!

さて、今回は1972年にリリースされたサード・アルバム、Something/Anything?の2番目に収録されたこの曲のハーモニーを検討する。

このダブルLPは、最後のD面を除く、A、B、C面の全曲のソングライティング、演奏、ヴォーカルをトッド・ラングレンがひとりでやっている。この曲もそのひとり多重録音。

Todd Rundgren - It Wouldn't Have Made Any Difference


かなり変なハーモニーだということは、一聴、たちどころにおわかりかと思う。どこにどのようにハーモニーを入れるか(あるいは入れないか)という、ひとつ上のレベルのメタな部分も問題なのだが、とりあえず、どんなラインをつくっているかを見る。

まず、ファースト・コーラスの後半。When itまでは単独で、Wouldn'tから上にハーモニーが入ってくる。

以下の譜面がわりの「半採譜」では、例によって上段が歌詞、中段がメロディー、下段がハーモニー。You just didn't love meのところはハーモニーが消えるので、略した。

When it wouldn't really
Db-D-E-E-E-E
    A-A-A-A
make any difference
E-Db-B-B-A-Db
A-F#-E-D-E-E
If you really loved me
B-B-B-A-B-Db
E-E-E-D-E-F#

メロディーからしてすでに動きの小さいお経ラインなので、ハーモニーもお経になるのは当然の結果なのだが、それにしてもやはり、ピーター&ゴードンやデイヴ・クラーク5のスタイルを連想させる。

こうして眺めると、ラインそれ自体はそれほど強引とはいえず、たんに、ハーモニーが入ってくる時の高いAの音のように、その音域でハーモニーを入れるのは、ふつうは避けるのではないかというところでハーモニーを入れるので、それが無理矢理な感触を生み、耳を引っ張られるらしい。

loved meのところのハーモニーがF#にあがるのも気になるのだが、ここのコードはF#mなので、F#は主音だから、外れているわけではない。トッドの声がひっくり返るか返らないかの微妙な出方をしていて、ピッチが揺れるので耳を引っ張られるのかもしれない。

ここがこの曲のヴォーカル・アレンジの複雑なところなのだが、ファースト・ヴァースにはハーモニーはなかったのだが、セカンドの冒頭には入っている。いちおうコピーしてみたが、後半の尻尾(I could be)はよく聞こえず、まったく自信なし。

I know of hundreds
B-A-E-B-A
D-Db-A-D-Db
Of times I could be
Ab-Ab-Ab-Ab-Ab-F#
B-B-B-B-B-A

メロディーがI know ofのofでEまでジャンプするので、いきおい、ハーモニーも上へと押し上げられるわけだが、それにしてもAまでジャンプすることはないのに、と(笑いながら)思う。しかし、そこでハッとするのだから、効果的といえるのだが。

このofのところだけ上は歌わず、I know -- hundredsと歌っても、まったく問題ないはずなのに、かなり無理のあるジャンプをやってしまうのが、いかにもトッド・ラングレンだと思う。

ここは、大滝詠一の「それは僕ぢゃないよ」に出てくる、「ただの風さ」の「さ」で上のCまでジャンプするところを想起させる(「大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その14」という記事で詳細に検討した)。

いや、ここは最初の音からして、すんなり収まらない。ここのコードはIのところはE、knowのところでAに行く。E-Aという進行だ。

したがって、当たり前ながら、メロディーはコードの構成音であるB-Aと動いているのだが、ハーモニーはD-Dbという遷移になっている。DbはAメイジャーの構成音だが、DはEメイジャーの構成音ではない。

この部分のハーモニーがイレギュラーに響くのは、このDの音のせいだと思う。DはEに対してセヴンスの音なので、コードがEメイジャーのところでDを歌うと、合わせてE7コードということになってしまう。

視点を変える。Dの音はAメイジャー・コードではサスペンディッド4th(以下sus4)を形成する。sus4は長くつづけないほうがいいコードで、すぐにメイジャーに戻す必要があるが、I knowのコードがAsus4→Aの遷移だとみなすと、この変則ハーモニーはちょうどその規則にしたがって音が動いたことになる。

いや、話が逆だった。D-Dbという動きのせいで、ここのコードがAsus4→Aと動いたかのような印象を与えるのだろう。それで、「なんとなく変だ」というところに留まり、「合ってないんじゃないか」とは感じないのだと思う。

こんなことを計算してやったとは思えないのだが、まあ、とにかく、結果的にAsus4の響きになって、この変なハーモニーは、変は変なりにかろうじて落ち着いたような気がする。呵々。

だいぶ離れたので、もう一度、同じクリップを貼り付ける。

Todd Rundgren - It Wouldn't Have Made Any Difference


個々のラインではなく、ハーモニーの「出し入れ」についてもすこし見ておく。これが凝っているのだ。

この曲はVerse/Chorus/Verse/Chorus/
Bridge/Verse/Chorusという、典型的な構成をとっている。しかし、ハーモニーの使い方は、各ブロックごとにすべて異なり、同じパターンを繰り返すことはない。

最初は、ハーモニーが入るのはコーラスの後半のみ(バックグラウンドのウーアー・コーラスは勘定に入れない)。

セカンド・ヴァースは、ヴァース冒頭と、コーラスの大部分にハーモニーがある。

サード・ヴァースは、コーラス前半の後半分とコーラス後半(ややこしい書き方で申し訳ない。コーラスを4つの部分に分けると、2番目と3番目と4番目)にハーモニーがある。

さらにややこしいことに、コーラスのハーモニーがないところには、メロディーをダブル・トラックにしてユニゾンで歌っていたりするし、ハーモニーのチャンネルを移動させたり、じつに目が回るような細かい操作をしている。

すべてが計算されたわけではなく、ヴォーカルを7回も8回も重ねているうちに、あっちのチャンネル、こっちのチャンネルと動かしてしまい、そのままミックスしただけなのかもしれないが、分析する方は「神経衰弱じゃないんだからさあ、トッド」とボヤきが出る。

32トラック初体験だったのか、ヴォーカル・アレンジの実験をやっているとしか思えない。いや、変なハーモニー・ラインとは直接に関係のあることではないのだが、どちらも、オーヴァーダブの時点であれこれ考えたことの結果なのだと思う。

これはトッド・ラングレンのソロではなく、彼のバンド、ユートピアの曲だが、参考にクリップをおく。ビートルズ・ファンは、冒頭の数小節でトッドの意図がわかって笑いだすにちがいない。

Utopia - I Just Want to Touch You


これはDeface The Musicという1980年のアルバムのオープナーで、LP全体がビートルズのパスティーシュになっている。

しかも、曲調やアレンジは徐々に後年のビートルズのスタイルへと変化していき、彼らの歴史をたどるような構成になっている。遊びはまじめにやらないと面白くないわけで、やるなら凝らないといけない。

ただし、最後は68年ごろの音で、つまり、最後の2枚には模作するほどの面白味はないということを示唆している(と偏見)。

f0147840_22595023.jpg

いや、話はそこではなかった。ハーモニーの問題である。

サンプル Utopia - Where Does the World Go to Hide

最初のI Just Want to Touch Youにしても、この曲にしても、ハーモニーはやっているのだが、ノーマルで、とくに耳を引っ張られる箇所はない。

ここがよくわからない。ビートルズのパスティーシュなのだから、トッドらしい変則ハーモニーが飛び出しそうなものだが、アルバム全体を通して、とくにそういう曲はない。

いちおう、拡大版のフル・アルバムをおいておく。ビートルズのどの曲がベースになっているか考えながらお聴きあれ。簡単な曲もあれば、悩む曲もある。

Utopia - Deface the Music extended edition full album


結局、バンドとしてやるには、あの変則ハーモニーはあまりにも面倒なのかもしれない。ライヴでやると外しやすい難所になってしまうということもあるだろう。

トッドがダリル・ホールとやったライヴでも、スタジオ録音のコピーのような2パートはわずかな箇所のみで、おおむねウーアー・コーラスで逃げた。

では、最後にそのライヴ、It Wouldn't Have Made Any Differenceの近年の姿を。




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Todd Rundgren
Runt/Ballad of Todd Rundgren
Runt/Ballad of Todd Rundgren

Something/Anything
Something/Anything

RuntおよびFaithfulを収録
Todd Rundgren (Original Album Classics)
Todd Rundgren (Original Album Classics)

Utopia
Adventures in Utopia & Deface the Music/Swing to T
Adventures in Utopia & Deface the Music/Swing to T
by songsf4s | 2014-02-02 23:03 | ハーモニー
トッド・ラングレンのひとり2パート・ハーモニー その1
 
つい先日の「大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その15」という記事で、大滝詠一の変則ハーモニーには、同じころに聴いたトッド・ラングレンのハーモニーと共通のものを感じると書いた。

その時は、ほかに書くべきことがあって、トッド・ラングレンのことはあっさり片づけてしまったが、あれは長年気になっていた曲で、簡単に通り過ぎるのは本意ではなかった。今回は改めて、トッドのハーモニーを検討してみたい。

前回の「ボビー・ヴィーのひとり2パート・ハーモニー」のように、一回で、などと思ったのだが、ボビー・ヴィーだって簡単ではなかったわけで、ヴィーの倍はあろうかというトッド・ラングレンの盤は聴くだけでも手間がかかり、今日はコピーまではたどりつけなかった。

したがって、今回は助走、トッドのマルチトラッキングによるハーモニーのサンプルをすこし並べるだけに留める。

まずはソロ・デビュー盤、1970年のRuntから、やや長い組曲を。

Todd Rundgren - Baby Let's Swing/The Last Thing You Said/Don't Tie My Hands


デビュー盤の多くは、トニー&ハントのセイルズ兄弟のベースとドラム、あとはほとんどすべてトッド・ラングレンのプレイと歌というパーソネルで、Baby Let's Swingもこのトリオでやっている。

なにはともあれ、とりあえず、よくまあ重ねまくったな、である。楽器だけでも面倒なのに、ヴォーカルのオーヴァーダブも数限りなく、その根性だけでも十分に頭が下がる。

最初のBaby Let's Swingは、たとえば短いsuch A LONG LONG TIMEのラインが2パートになっているが、そういうのは一瞬にすぎない。いや、好ましいヴォーカル・アレンジで、さすがはトッド、栴檀は双葉より芳しと思う。

なお、歌詞に登場するローラとは、ローラ・ニーロのことだとか。どうでもいいといえば、どうでもいいのだが。

2曲目のThe Last Thing You Saidは、概ね、リード+2声のバックグラウンドという、ビートルズをはじめ、ロック・グループにはよくあるパターンの多重録音版である。2パートはあるが、デュオではない。いや、その部分のハーモニーも好きだが。

Everyone's heard of how you left me again
Everyone's heard about my so-called friend
They tell me I'm a fool, but I don't hear a word
'Cause the last thing you said was the last thing I heard

とくに上記4行のあたりのフォールセットによるバックグラウンド・ヴォーカルには、トッドのハーモニーの魅力がよく出ている。

最後のDon't Tie My Handsはアップテンポのロッカーで、構成は少し簡略化されるが、この曲自体が複数の曲の合成のような組み立てで、一筋縄ではいかない。

おおむねリード・パートは左チャンネルに配された2パート・ハーモニーなのだが、1声のみのバックグラウンドが加えられたりしていて、「どうだ、こういう3声の組み方はめずらしいだろ」とトッドの声が聞こえてきそうだ。

No one I wanted more
I wanted to love, to be mine
Now it turns out I have to say goodbye
And I don't see why

とくに上記のクワイアット・パートの(たぶん)2声、3声、4声と変化していくハーモニーはすばらしい。

聴けば聴くほど、ブライアン・ウィルソンのGood Vibrationsのように奥の深い構成で、手に負えない感じがしてくる。この曲だけで終わるわけにはいかないので、浅いところで切り上げ、つぎの曲へ。

こんどは72年のダブル・アルバム、Something/Anything?からカットされた、トッドの数少ないシングル・ヒットで、ラジオから流れてきた時はキャロル・キングかと思った。すべての楽器とヴォーカルがトッド自身。

Todd Rundgren - I Saw the Light


2パート、1+2、2+2などをさまざまな組み合わせを自在に織り交ぜた、これまたみごとなヴォーカル・アレンジ。

なんとまあ、よくこれだけのものを組み立てて、ひとりで録音していったものだ、と感心するが、あるいは、ひとりだからこそ、自由に組み立てられたのかもしれない。

つぎはアルバムFaithfulのオリジナル・サイドから。この曲は以前、「ギター・オン・ギター」シリーズのひとつとして、「ギター・オン・ギター5 トッド・ラングレンのLove of the Common Man」という記事で、ギター・プレイについては検討した。

Todd Rundgren - Love of the Common Man


ひとりで数本重ねていったギターのアンサンブルもみごとだが、それに呼応するように、例によってヴォーカルもきっちり重ねて、間然とするところがない。

ほかの曲と同じように、この曲もヴォーカルは何パートとはいいにくく、さまざまな組み合わせが使われているが、たとえば、We all know what comes aroundの部分のように、2パートもあって、おお、やっているな、とニッコリする。

この曲は、可能なら、そして、それがふさわしいなら、つねにハーモニックな構造を厚くしたいという、トッド・ラングレンの根源的衝動が噴出したみたいだと、愉快な気持になる。

以上、たった三曲しかあげられなかったが、次回は、トッド・ラングレンの奇妙なハーモニック・センスがもっとも濃厚にあらわれた曲を、コピーを交えて分析したい。


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Todd Rundgren
RuntおよびRunt/Ballad of Todd Rundgren
Runt/Ballad of Todd Rundgren

Something/Anything
Something/Anything

Faithful
Faithful

RuntおよびFaithfulを収録
Todd Rundgren (Original Album Classics)
Todd Rundgren (Original Album Classics)
by songsf4s | 2014-01-30 23:01 | ハーモニー
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その19 続はっぴいえんど
 
大滝詠一が没して、早すぎるなあ、もう歌う気はなかったのだろうけれど、音楽史研究家としてはまだ山ほどやることがあったのに……初期の2パート・ハーモニーが好きだったなあ、あれはどこから引っ張ってきたのだろう、ブリティッシュ・ビートか、それともエヴァリー・ブラザーズか……

なんて思っていたところに、こんどは、そのエヴァリー兄弟の弟のほう、ハイ・パートを歌っていたフィル・エヴァリーの訃報が届いて、ええええええ! それはまた、なんとむごい偶然、と絶句した。

というのは嘘で、絶句どころか、大滝詠一のあれやこれやと、エヴェリー・ブラザーズの箱をプレイヤーにドラッグし、歌詞を覚えている曲をいっしょに歌いまくった。

大滝詠一「楽しい夜更かし」


「♪開けて広いワニの口」!!

そのうち、長年ぼんやりと考えていた、大滝詠一の2パートは、エヴァリーズから来たのか、それとも、ビートルズ、ピーター&ゴードン、DC5、サーチャーズらのブリティッシュ・ビート経由なのか、ということが、なんだか、ひどく気になってきて、長いあいだ、開店休業状態だったブログを再開する気になった。

明白にして、決定的な証拠は発見できなかったが、わたし自身は、ハーモニーをコピーし、いっしょに歌ってみて、やっぱりこれはピーター&ゴードンだよ、と納得したので、とりあえずハッピー・エンドである。

ただ、エヴァリーズの問題はよくわからなかった。昨年の放送で、大瀧詠一は「エヴァリー・ブラザーズとバディー・ホリーでイギリスはわかる」といった趣旨のことをいっている。

わたしとしては、ここにジーン・ヴィンセントだのエディー・コクランだのの名前も付け加えたくなったりするが、エッセンスを取り出し、旗にして掲げるなら「ブリティッシュ・ビートはバディー・ホリーとエヴァリー・ブラザーズの子供だ」となるだろう。

Buddy Holly - Peggy Sue

(クリップには1950とあるが、大間違い。58年ぐらいか)

ピアノやサックスはなし、4ピースのギター・コンボが、コードでドライヴする、というスタイルはビートルズをはじめさまざまなグループが踏襲する。ジョン・レノンはヴォーカル・スタイルも、エルヴィスより、バディー・ホリーに範をとった。

バディー・ホリーに足りないものはハーモニーだけだった。

The Everly Brothers - This Little Girl Of Mine


この両者のアマルガムが、初期ブリティッシュ・ビートである、という大瀧詠一説は、御説ごもっとも、異存はまったくない。スキッフルがどうこうなどという重要でない要素を(暗に)退けてくれたのもうれしい。

そこまで云ったのなら、ついでに、エルヴィスとビートルズで大滝詠一は説明が付くとか、そういうことも云って欲しかったが!

なぜエヴァリーズのストレートなハーモニーが、たとえばピーター&ゴードンのように、イレギュラーに変形されたのか、ここは、状況証拠からの推論ぐらいしかできず、変化のメカニズムを明瞭にたどることはできなかった。

ソングライター・クレジットはレノン=マッカートニーだが、実質的には、当時ピーター・エイシャーの妹(姉?)とデイトしていたポールの単独作。

Peter & Gordon - A World Without Love


いちばん有名な曲だから、このシリーズでは貼り付けなかったのだが、改めてヴォーカル・アレンジを聴くと、ほう、と思う。

明らかにエヴァリーズが透けて見えるのだが、いっぽうで、ゴードン・ウォーラーが歌う下のハーモニー・ラインは、かなりイレギュラーな感覚がある。たとえば、I won't stay in a world without loveのあたりだ。

考えてみると、この曲をシング・アロングする時は、いつもゴードン・ウォーラーのパートをいっしょに歌っていた。とくに、2度目のDon't allow the dayのところが、歌って楽しいくだりだ。

いまコピーする余裕はないが、なぜこうなったのだろうか。作曲家の先生であるポール・マッカートニーの指示か(バッドフィンガーには、俺のデモをコピーしろと命じた鬼先生だったが)、はたまた、ピーター・エイシャーとゴードン・ウォーラーのもともとのスタイルだったのか。

楽曲のせいだったのか、イギリスの若者の、エヴァリーズは好きだけれど、ワサビが欲しい、という「気分」が作用したのか、どうであれ、1964年のイギリスにあっては、このようにイレギュラーな響きのある2パート・ハーモニーは、ごく当たり前のものになっていた。

そして、大瀧詠一はこれを聴いた。聴いたどころではない。ご本人がラジオで語ったように、「あのころはピーター&ゴードンが大好きでねえ」だったのだ。

大瀧詠一は自分でラジオを組み立て、FENを聴いていたそうなので、推測がむずかしくなるのだが、この時代、日本ではエヴァリーズのレコードが数多くリリースされていたとは思えない。彼が当時エヴァリーズを聴いたとしても、主としてラジオでだっただろう。

それに対して、ピーター&ゴードンはさまざまな国内盤が出ていた。1965年からはわたしもリアルタイムなので、子供だったとはいえ、多少は状況を記憶している。

前回も書いたように、たぶん、大瀧詠一は、自分に強い影響を与えた初期ブリティッシュ・ビート・グループが「エヴァリーズの子供たち」だったことに、あとで気づいたのだろう。

このまま大滝詠一がデビューすれば、初期ブリティッシュ・ビートの影響がストレートに反映されただろう。しかし、彼が盤デビューしたのは1970年だった。1964年と70年のあいだに起きたすったもんだの大騒動たるや、本が何冊も書けるほどだ。

同じようにブリティッシュ・ビートにあこがれたこの人も、間に合わなかった少年だった。作者トッド・ラングレンはギターとハーモニー・ヴォーカル、およびブリッジのリード・ヴォーカル。

Nazz - Open My Eyes


トッドは、俺たちは4パートで、あの時のビートルズを超えていた、などとつまらないことを云っているが、時代に合わせたヘヴィーなギター・サウンドの向こう側に、初期ブリティッシュ・ビートのシルエットが透けて見える。

大滝詠一とトッド・ラングレンは、あるいははっぴいえんどとナズは、べつに似てなどいない。しかし、置かれた位置とたどった軌跡は相似して見える。

大瀧詠一は、ブリティッシュ・ビート以降、大荒れに荒れ、あっちに揺れ、こっちに揺り返す米英音楽のシュトゥルム・ウント・ドランク時代を目撃した。

そして1970年にはっぴいえんどがデビューした時、彼も、他のメンバーも、ハードロックでもなければ、フォークでもない、「新しい音楽」をやろうとしていた。目標は、プロコール・ハルムであり、バッファロー・スプリングフィールドであり、モビー・グレイプだった。

だから、初期ブリティッシュ・ビートは、表面にはあらわれず、サウンドに反映されることはなかった。「もっと深く響くなにか」でなければならなかったからだ。

もしもポップなものを目指し、ブリティッシュ・ビートの経験がストレートにあらわれたら、こんな音になっていたかもしれない。

伊藤銀次「幸せにさようなら」


これにモノトーンなハーモニーをつければ、完璧に初期ブリティッシュ・ビートなのだが。75年ごろだっただろうか、すでに60年代蒐集をしようという気分になっていたわたしは、ナイアガラ・トライアングルでこの曲を聴いて、ギョッとした。

いや、はっぴいえんどがデビューしたとき、時代はそういうムードではなかった。繰り返すが、「もっと深く響くなにか」が必要だったのだ。

彼らはもっとずっとシリアスな音をつくろうとしていた。しかし、たぶんバッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプがしばしばハーモニーを使っていたことに刺激されたのだろう、はっぴいえんども、何曲かでハーモニーを試みた。

そして、やってみたら、古い大脳皮質が自己主張した。ハーモニーというものの面白味をはじめて知った、あの時代のハーモニー感覚が、新しい方向性のサウンドの殻を突き破って、表に出てしまったのだ。

そのことを意識していたのだろうかなあ、といぶかるが、ハーモニー・ラインをつくっていて、無自覚ということはないと思う。大滝詠一は自分の歌っているラインがどこから出現したか、わかっていたと思う。

Bobby Vee - Rubber Ball

テキストを書き終わってから、突然、この曲を思いだした。ボビー・ヴィーは「ひとりでハモるバディー・ホリー」じゃなかったのだろうか? いずれ、この人の研究もしてみたい。

以上、ここまで来れば終わっていいように思うのだが、完全に環を閉じることはできず、オープン・エンドとなった。

どこがオープンかというと、「あの2パートはどこに消えたのか」なのである。

大滝詠一も、ハーモニーをやめるわけではないが、あのイレギュラーな2パートはソロ・デビューまで。

トッド・ラングレンも、It Wouldn't Have Made Any Differenceで、大滝詠一とどっちがすごいかというイレギュラーなハーモニーをやりながら、すぐに、ふつうのハーモニーへと移行してしまう。

これはどういうことなんだ、と思うことは思うのだが、それについては、まだなにもわからない。

ひょっとしたら、つぎはその解明か、なんてチラッと思うが、さて、どうなりますやら。ピーター&ゴードン解剖またはトッド・ラングレンと時代の風とか、そういうのも考えられるような。

大滝詠一とフィル・エヴァリーの死にがっかりして、長いあいだ休んでいたブログを一時的に再開したつもりだったが、はじめてみると、いろいろ書くべきことを思いつき、数日の時間をおき、こんどは週に二回ぐらいのペースで更新しようかという気になった。

なにをやるかは未定だが、またお越しあれ。

♪はっぴいえんど、はっぴいえんなら、いいさーあー。

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by songsf4s | 2014-01-24 23:14 | 60年代
大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その15
 
(承前)
「それは僕ぢゃないよ」はやや変わった構成で、ヴァースAーコーラスーヴァースBという固まりを、インストゥルメンタル・ブレイクをはさんで2回繰り返すようになっている。

ヴァースAとBというのは便宜的に名付けただけで、いま、ジム・ウェブの本ではこういう構成をなんと呼んでいたかと記憶をたぐってみたが、思いだせない。

仮にAとBとした2種類のヴァースのように聞こえる部分は、お互いによく似ているのだが、メロディーもコードも部分的に変えてある。

大滝詠一「それは僕ぢゃないよ」

LPヴァージョンのクリップは削除されたので、かわりにシングル・ヴァージョンを貼り付けた。こちらは歌詞が異なるし、メロディーやハーモニーも異なっている箇所があると思う。しかし、記事本文を書き換えるのは手間がかかるので、「半採譜」はLPヴァージョンのままにしておく。どうかあしからず。

以下は、そのヴァースB、コーラスのあと、インストゥルメンタル・ブレイクの前におかれたパート。前回同様、上段がメロディー、下段がハーモニー。

ぼくはきみのむねのなかに
A-C-C-C-C-C-C-D-C-A-G-F
C-F-F-F-F-F-E-F-F-F-D-C
かおをうずめて
Bb-Bb-Bb-F-D-D-C
D-D-D-Bb-Bb-Bb-A
あさのものおとに
C-C-E-D-D-C-C-Bb
E-D-G-G-G-F-F-E
みみをすませている
Bb-A-G-Bb-Bb-A-G-A
E- D-C-D- D- C-C-C

いやはや、メロディーがみごとにお経なので、いきおい、ハーモニーも必然的にお経状態、ただし、「むね」の「む」のところだけ、Eに下がっているように思えたので、そう書いてみたが、空耳のたぐいかもしれない。

このパートでも、やはりBbにジャンプするところ(「うずめ」)が印象的で、自分で歌う時も、ここを失敗すると元も子もない、キメるぞ、と思う。呵々。

以上、「それは僕ぢゃないよ」のハーモニーの特長は、

1 メロディーのせいでもあるが、シングル・ノートに近い「お経ライン」が多い
2 ハーモニーをつけるのがむずかしいところでも、強引につけた部分がある
3 ときおり豪快にハイ・ノートに跳び上がる。

お経のように音程の動きの小さい、そして、しばしば8分などの連続で音長の変化もないハーモニー・ラインというのは、このシリーズの第一回で取り上げた、ピーター&ゴードン、デイヴ・クラーク5、サーチャーズといった、初期ブリティッシュ・ビート・グループのスタイルに近似している。

いや、以前からそのような道筋で捉えていたからこそ、このシリーズを書きはじめたわけで、こうならなかったら、方針を立て直さなければならず、すごく困るのだが!

もう一曲、大滝詠一のソロ・デビューからのものを。

大滝詠一「水彩画の町」


たまたま、「おもい」「それは僕ぢゃないよ」、そしてこの「水彩画の町」と、かつてフォーキーであった時代を回顧したような曲が並んだが、作者にそういう意図があったのかどうかは知らない。

この曲では、2パート・ハーモニーは一カ所だけなので、話は長引かない。

といって、泥縄でテキトーにコードをとって歌ってみた。以下のコードは忘れないように書くにすぎず、合っているという保証はないので、よろしく。

そんなにすますなよ
Am      Dm7
打って欲しいんだから
Em      A
相槌ぐらいは
Bm  Em F

ハーモニーがあるのは、この「相槌ぐらいは」のところだけである。

          あいづちぐらいは
メロディー(下) B-B-B-C-B-B-B-C
ハーモニー(上) E-E-E-G-E-E-E-F

人それぞれ異なる印象を持つと思うが、メロディーとハーモニーと書きはしたものの、実体は逆ではないかと感じる。

たんに、それまでメロディーを歌っていたチャンネルの声がそのラインを歌っているので、メロディーと書いただけで、じつは、ここで下のハーモニーに下がったのだと思う。

なぜ、ここだけハーモニーが加えられているかというと、メロディー・ラインを別のトラックに引き継がせるための処理だと思う。

それまでメロディーを歌っていた声をフォールセットにして、そのままメロディーを歌わせればいいのに、なぜ変則的な処理をしたか。

ひとつは、地声とフォールセットの切り替えが、この曲の場合は、うまくいかなかったから、という理由が考えられる。地声との行き来は、面白い効果を生むこともあるが、たんにミスのようにしか聞こえないこともある。

もうひとつの理由は、こちらのほうが重要だが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーのパートの入れ替えの記憶だろう。この箇所がうまく歌えなくて迷った時に、ビートルズがしじゅうやっていた、ジョンがいきなり「下に潜る」処理を思いだしたのではないかと想像する。

典型的な「ジョンの潜り込み」を示す。

The Beatles - No Reply


コーラス部、「ノー・リプライ!」とシャウトするところは、それまでメロディーを歌っていたジョン・レノンが下のハーモニーになり、ポール・マッカートニーがハイ・ノートのメロディーを引き継ぐ。これが典型的なビートルズ前期のスタイルである。

大滝詠一というのは、このように、ハーモニーによって、「おや」とか「あれ?」と思わせる聴かせどころをたくさんつくって、楽しませてくれる人だった。

当時、聴きながら、このハーモニーはDC5スタイル、こっちはビートルズ・スタイル、などと意識したわけではない。ただ、かつてよく知っていた、楽しい音楽のぼんやりした記憶を刺激されただけだ。

このシリーズは、そのぼんやりしたものの正体を突き止め、それを採譜によって実証しようと考えて書きはじめたものである。

いちおうある曲のクリップのurlをコピーしておいたので、以下におまけとして置く。大滝詠一ソロ・デビューとちょうど同じごろにリリースされた、トッド・ラングレンのアルバム、Something/Anythingから。

Todd Rundgren - It Wouldn't Have Made Any Difference


これも、変なハーモニー・ラインだなあと、思いきり耳を引っ張られた。コーラス部のBut it wouldn'n have made any differenceの上のハーモニーだ。こんなラインでやろうと思うシンガーは、世界にあとひとり、大滝詠一ぐらいしかいなかっただろう。

トッド・ラングレンは、彼の最初のバンド、ナズを聴けばわかるが、「遅れて来た国籍違いのブリティッシュ・ビート野郎」だった。

大滝詠一と同じく、彼も初期ブリティッシュ・ビートをいやと云うほど聴いた結果、こういうイレギュラーなハーモニーをやってしまったのだろう。

本日はここまで。そろそろ終わりは近い。あと一回か、二回で「えんど」となるだろう。


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by songsf4s | 2014-01-20 22:00 | 60年代
A Night with Felix Cavaliere フィーリクス・カヴァリーア・ナイト
 
今日は、最近、再見した映画のことを書こうと思っていたのですが、どう書くかで、ああでもないこうでもないとこねくりまわしているうちに、時間は飛び去ってしまいました。

ふと、ラスカルズのボックスのことを思いだし、難波のセンセに質問していて、そちらのほうが気になってきました。そこでラスカルズをやる、なんていっても、そう簡単にはいかないので、ちょっとずらして、ラスカルズが壊れて以後のFelix Cavaliereの曲を、いくつか聴いてみます。

後追いの方たちは違う見方をしているでしょうが、昔からのラスカルズ・ファン(といってもわたしの周囲にはそれほど多くないのだが)のあいだでは、ソロ・デビューだけが好まれ、あとは、よくいって「我慢できる」、悪くすると「ゴミ」「割ったろうかと思った」という盤が多いのですが、まあ、割りたいような盤でも、悪くない曲がないわけでもないのでありまして、愛ゆえの憎しみみたいなものなのです。あはは。

では、ボロボロ、ガタガタのラスカルズ末期より、ずっといいじゃないかと、当時は大歓迎した、ソロ・デビューからまず一曲。

Felix Cavaliere - Everlasting Love


カヴァリーアのソロ・デビュー盤は、彼自身とトッド・ラングレンの共同プロデュースで、トッドのレーベルでもあったベアズヴィルからリリースされました。つぎの曲は、トッドのヴォーカルが載っていても不思議はないタイプのサウンドです。

Felix Cavaliere - A High Price to Pay


もう一曲、Everlasting Love同様、ラテン・フィールのある曲を。ただし、ドラマーはこちらのほうがマシです。

Felix Cavaliere - Summer in El Barrio


この曲については、かつて「Summer In El Barrio by Felix Cavaliere」という記事で、歌詞まで含めて詳細に書いたので、ファーザー・リーディングをお望みの方はそちらをどうぞ。

セカンド・アルバムのDesitinyは失望でした。デビュー盤ほど楽曲にいいものがなく、サウンドもかなりファンクが入ってきて、好みではありませんでした。

いかにもカヴァリーアらしいと感じるのはこの曲ぐらいでしょう。ご当人および会社もそう思ったのではないでしょうか。これはシングル・カットされました。

Felix Cavaliere - Never Felt Love Before


Destinyは、いかにも最後のアルバムになるデスティニーを背負って生まれたような雰囲気がありますが、フィーリクスのことは忘れたまま長い時間が過ぎ、いつのまにか80年代に入っていました。

そして、惰性でつけっぱなしにしていたFENから、よく知っている声が流れてきました。

Felix Cavaliere - Only a Lonely Heart See


わたしは、懐かしい声だなあ、と思ったのですが、ラスカルズ仲間の友人に会ったとき、このアルバムの話になり、割ったろうかと思わなかった? といわれて、ああ、そういいたくなる気持ちもわかるな、と思いました。

なにがいけないかといえば、サウンドです。時期はずれのディスコ・サウンドのトラックがアホらしく、マヌケな狸の腹鼓のようなシンドラムのタムタムに、證誠寺じゃねえぞ、バカヤローと、わたしもムッとなったからです。

しかし、サウンドさえまともなら、楽曲としては粒がそろっていて、なんでちゃんとつくらなかったんだ、ドアホ、というフラストレーションが生まれ、それが友だちに「割りたくなったろ?」といわせたのです。

クリップがないので、サンプルをアップしました。楽曲は粒ぞろい、サウンドはむかっ腹が立ったアルバム、Castle in the Airの、我慢できるサウンドのオープナー。

サンプル Felix Cavaliere "Good to Have Love Back"

楽曲としては、いかにもフィーリクスらしいもので、おおいに好みですが、サウンドは、ベースが不愉快で、なんでカヴァリーアがこんなプレイヤーと、と思いました。時代に合わせて変わろうとして、それがはずれて大コケにコケる、というのがフィーリクス・カヴァリーアのソロ・キャリアだった、といっていいでしょう。

ソロ・シンガーとしてのフィーリクス・カヴァリーアはふたたび忘却の彼方へと消え、ラスカルズしか聴かなくなったころになって、またアルバムが出ました。クリップはゼロのようです。かといって、あえてアップするほどのものでもないのですが、まあ、いちおうどんな雰囲気かだけ伝える意味で、一曲だけ。

サンプル Felix Cavaliere "If Not for You"

楽曲もあまりみるべきものがなく、サウンドもどうでもいい代物で、もううんざりだ、と思いました。こういうドラムのバランシングが嫌いで、同時代の音を聴かなくなったわけで、上にだれの声が載っていようが、やはり不快なものは不快です。

いま、ずっとこのアルバムを聴いていて、一曲、当時、それなりに好きだった曲があったのを思いだしたのですが、今夜はbox.netへのアップロードが異常に遅くて、間に合わないので、あとで交換することにします。

やっとアップできたので、Dreams in Motionで唯一気に入ったその曲を。

サンプル Felix Cavaliere "Look Who's Alone Tonight"

以上、駆け足のFelix Cavaliere Nightでした。

(追記 いま、Castle in the Airをさらに聴いていて、おや、と思いました。記憶にあるより、シンドラムの混入率は高くないのです。目立つのはDancing the Night Awayぐらいでしょうか。シンドラムに腹を立てたのもたしかですが、それよりも、たんにタムタムのチューニングとサウンドが気に入らなかっただけのようです。)


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フィーリクス・カヴァリーア
フェリックス・キャヴァリエ+1(K2HD/紙ジャケット仕様)
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フィーリクス・カヴァリーア
デスティニー(K2HD/紙ジャケット仕様)
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by songsf4s | 2012-01-23 23:54 | その他
カーティス・メイフィールド・ソングブック3 I'm So Proud

I'm So Proudは話が枝分かれしてしまう面倒な曲なのですが、早くやってしまわないと、あとで苦労しそうなので、腹をくくって挑戦します。

まずはオリジナルのインプレッションズ・ヴァージョン。

インプレッションズ


ストレートなバラッドで、あまりいじりようがなかったのだろうと想像します。インプレッションズのアレンジが単調になってしまうのは、ひょっとしたら、カーティス・メイフィールドがそういうタイプの曲を書くからなのか、なんてことをいいたくなります。

仮にそうだとしても、このトランペットはなんなの、いらないでしょ、ということだけはいっておきます。どうしてこういうマヌケな譜面を書き、マヌケなプレイをするのでしょうか。トランペットが出てくるたびにコケます。

◆ 主たる材料 ◆◆
大物にいくまえに、中間のところを片づけます。

メイン・イングリーディエント


メインになるイングリーディエントは砂糖だったのね、というアレンジで、ここまで甘いと、甘味処に入り、汁粉を注文しておいて、いまさら、甘すぎる、とクレームをつけるわけにもいかねーか、というあきらめの心境です。でも、管と弦はなし、リズム・セクションだけで甘くしてあったら、好みだったかもしれません。オーボエだけは、なんとかしてくれ、と泣きが入りますが。

以上、地ならし終わり。ここからが八甲田山死の彷徨です。

◆ トッド・ラングレンの4段変速R&Bメドレー ◆◆
わたしがこの曲を知ったのは、トッド・ラングレンのカヴァーによります。

トッド・ラングレン I'm So Proud~Ooh Baby Baby~La La Means I Love Youライヴ


ほんとうは、このあとにさらにトッド自身のI Saw the Lightも接続されているのですが、このクリップでは聴けません。

どちらがいいかは微妙なところですが、とにかく、同じメドレーのスタジオ・ヴァージョンをサンプルにします。4曲をメドレーにし、どの曲もたぶんフル・ヴァース歌っているので、ランニング・タイムは10:36です。お聴きになるなら覚悟してからどうぞ。

ただし、I'm So Proudは最初にやっているので、そこだけ聴く、という手もありますが、そうすると、あとの展開がわからなくなるので、お時間と根気があれば、全曲通しで聴いておいていただければ好都合と愚考仕り候。いずれもトッドがハンド・ピッキングした佳曲です。

サンプル Todd Rundgren "Medley: I'm So Proud/Ooh Baby Baby/La La Means I Love You/Cool Jerk"

これが収録されたA Wizard, A True Starというアルバムは、トッド・ラングレンの諸作のなかでも群を抜く退屈さで、オリジナル曲はほぼ全滅といっていいと思います。このR&Bメドレーをのぞくと、ベスト・テープをつくったときに入れたのは、大マケにマケてJust One Victoryだけでした。

しかし、オリジナル曲の壊滅状態をおぎなうかのように、このカヴァー4曲のメドレーは魅力的でした。こういうのは、やはりやってみたくなるものなのでしょう。

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◆ 「リズム・セクション」はdrum'n'bassならず ◆◆
イントロのテナー(スタジオ、ライヴ、ともにトッド自身がプレイしたのだったと思う)をのぞけば、リズム・セクションだけの編成ですが、あ、そのまえにちょっと脇道。このあいだ、英語と日本語の両方で、立てつづけに「リズム・セクション」という言葉の非伝統的な用法を見たので、注釈しておきます。

最近のお子様のなかには、日米ともに、ドラムとベース「だけ」を「リズム・セクション」と呼ぶのだと考えている新派がいらっしゃるようです。伝統的なこの語の用法は違います。

「管楽器や弦楽器をのぞくパート」です。具体的には、ドラムとベースはもちろん、ギター、ピアノ、オルガン、パーカッションといった楽器のプレイヤーが構成するのが「リズム・セクション」です。ジャズのほうでいいはじめたことでしょう。

こういう定義じゃないと、「4リズム+4管の8人編成」といった決まり切った言い回しが理解できなくなるでしょう。ドラムとベースだけで4人ということはふつうはありません。4リズムの内訳は、多くの場合、ドラム、ベース、ピアノ、ギター、4管は、たとえばテナー、アルト、トロンボーン、トランペットなどという編成が考えられます。

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しかし、これでは語として不都合なことがあり、もっとも重要なロックンロール楽器である、ドラムとベースだけをまとめていうときは、われわれはしばしば「リズム隊」という用語を使っています。これで、注釈がなくても、かつてのAMM-BBSでは通用しました。「この盤はハルとジョーのリズム隊です」なんて、よく書いたものです。しかし、これに相当する英語は知りません。drum'n'bassという言葉はニュアンス、意味、用法が違いますからね。それでアメリカのお子様も、rhythm sectionという伝統的な熟語を誤用したのかもしれません。

話を戻します。トッド・ラングレンのI'm So Proudが成功したのは、やはりアレンジのセンスのおかげです。イントロはべつとして、あとはリズム・セクションだけの編成ですが、シンセを薄く入れて甘みを加え、苦みとのバランスをうまくとっています。お呼びでないトランペットがないだけでも安心して聴けます!

そう書いてあるのを読んだことがないので、ほかの人はあまり感じないのかもしれませんが、わたしはトッドのヴォーカル・アレンジも好きです。この曲もトッドらしいアレンジで、それも魅力のひとつになっています。まあ、しばしば自分で全パートを歌うので、アレンジ譜の問題というより、声の質の問題のほうが大きいかもしれませんが。

◆ さらに脇道をさぐって ◆◆
「カーティス・メイフィールド・ソングブック」という文脈のなかでは、話はこれで終わりといえば終わりです。しかし、メドレーの残りの曲を無視できないのが悪い癖で、いちおう出所を書いておきます。なお、今日のサンプルはトッド・ラングレンのメドレーのみで、ここから下はクリップだけです。

2曲目のOoh Baby Babyは、いわずと知れたスモーキー・ロビンソンの代表作。

スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ Ooh Baby Baby


スモーキー・ロビンソンのレンディションは圧倒的で、オリジナルにここまでやられてしまうと、カヴァーは苦戦を強いられます。それでもカヴァーしたくなるだけの魅力のある歌で、リンダ・ロンシュタット盤でこの曲を知った方もいらっしゃるでしょう。トッドのカヴァーもなかなか魅力的で、ならぬカヴァーするがカヴァー(ん?)といった無理矢理な印象はありません。

3曲目のLa La Means I Love Youは、フィリー・ソウル初期の立役者、デルフォニックスがオリジナルです。作者はトム・ベルとウィリアム・ハート。ベルにとってもまた初期のヒット。

デルフォニックス La La Means I Love You


最初にこれを聴いたときは、遅いなあ、と思いましたが、慣れると、悪くないヴァージョンと考えるようになりました。左チャンネルを占領しているいかにもフィリーというストリングスがポイントなのですが、わたしは、日によって、いいと思ったり、ショボイと思ったりします。人数僅少を面白いと感じたり、貧乏たらしいと感じたり、自分の精神状態が反映してしまうのでしょう。

わたしの判定は、4.5:5.5でトッドの勝ちです。テンポはトッドの判断が正しいと感じます。速くしたおかげで、過度の甘さに辟易することがなく、ロッカ・バラッドのさわやかさを獲得しています。まあ、フィリーの好きな方というのは、深夜のスケコマシ的ムードをよしとするのでしょうけれど。

締めのレヴ・アップ、Cool Jerkはキャピトルズのヒットです。といっても、このグループの曲はこれしかもっていませんが。

キャピトルズ Cool Jerk


本来、ジャークというステップのためのダンス・チューンなので、テンポはこれくらいが適当でしょう。いえ、ダンス・チューンか否かとは関係なく、トッドのヴァージョンは速すぎて面白みがありません。メドレーで、徐々に速くしていくというアレンジにしたため、最後は失敗してしまったというあたりです。まあ、シャレだから、それでいいのですが。

すでにロス・タイムに入っているのですが、さらにオマケで、Cool Jerkを2ヴァージョン。

ゴーゴーズ Cool Jerk


1990年のリリースだそうで、このあたりの音楽などまったく知りませんが、なかなかけっこうなヴァージョンで、ひょっとしたらキャピトルズよりいいかもしれません。

クリエイション Cool Jerk


いかにもブリティッシュ・ビート・グループらしいサウンド。どうせなら、スモール・フェイシーズあたりがやったら、もっと面白かったのではないでしょうか。スティーヴ・マリオットの歌でこの曲が聴きたくなりました。

これ以上枝分かれして八幡の藪知らずになるまえに、今日はこれにておしまい。


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Impressions/the Never Ending Impressions
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カーティス・メイフィールド/インプレッションズ
Anthology
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トッド・ラングレン(スタジオ)
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トッド・ラングレン(ライヴ)
バック・トゥ・ザ・バーズ(未来への回帰・ライヴ)(K2HD/紙ジャケット仕様)
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スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ
Going to Go-Go / Away We Go-Go
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Definitive Collection
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キャピトルズ
Dance the Cool Jerk: We Got a Thing That's in the
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メイン・イングリーディエント
Tasteful Soul/Bitter Sweet
Tasteful Soul/Bitter Sweet


by songsf4s | 2010-12-03 23:30
ギター・オン・ギター5 トッド・ラングレンのLove of the Common Man
タイトル
Love of the Common Man
アーティスト
Todd Rundgren
ライター
Todd Rundgren
収録アルバム
Faithful
リリース年
1976年
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時系列でいえば、これ以前に、へえ、と思ったギター・アンサンブルはあるのですが、ちょっとジャンプして1976年のトッド・ラングレンのトラックに進みます。

時系列順序にしたがって取り上げた、前回のモビー・グレイプのRounderが、「ギター・オン・ギター」サウンドとしては中途半端というか、不完全燃焼気味で、今回はこれ以上のものはヴェンチャーズのLolita Ya Yaしかないという、歌伴のギター・オン・ギターとしては最高峰、ほとんど完璧な出来のトラックを取り上げたくなったのです。

先日のアンドルー・ゴールドのIn My Lifeの記事で、トッド・ラングレンの完コピ・アルバムであるFaithfulにも言及しましたが、そういうトラックはLPのA面に集めてあり、B面はふつうの曲になっています。そのFaithfulの、べつに面白くもないB面における鶏群の一鶴、一曲だけ目立っていたのがLove of the Common Manです。

サンプル Todd Rungdren "Love of the Common Man"

2本のエレクトリックによるハーモニクスを使ったイントロ・ギター・リックも、派手ではないものの、さすがはトッドというアイディアで、これはまじめにつくった、いいトラックかもしれないと、瞬時にリスナーを身がまえさせます。

アコースティック・リズムを使ったヴァースのコードもけっこうです。そして、ヴァースの最後、Too late tomorrow/And everyoneのところで、左右に配した複数(右2、左1か?)のエレクトリックによるオブリガートが入ってくるところで、これだ、この音だ、と思います。

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LPを手放してしまったので、記憶で書く。たしか、デザインはこのように90度傾いていた。盤の取り出し口がそういう位置にあったのである。Faithfulの古いアメリカ盤LPをお持ちの方がいらしたら、確認してご連絡をいただけたらと思う。また、最近は文字の比率を大きくしたCDがあるようだが、LPはこれくらいの比率だったと思う。ゲーリー・バートンのDusterもそうだが、文字サイズの比率だけいじるようなこそくなデザイン変更は醜悪だ。そんなことをするなら、デザインを一新するほうがいい。まあ、まもなく盤自体が消えるのだろうから、どうでもいいが。

こういう展開できたのだから、間奏も当然、複数のギターによるもの以外にはありえません。きちんとデザインしたうえで、きれいに重ねた、お手本のようなギター・オン・ギター・サウンドです。ヴェンチャーズのLolita Ya Yaにまったく引けをとりません。まあ、あちらは全編がギター・オン・ギター、こちらはオブリガートと間奏だけなので、技術難度も、かけた手間もちがいますが、音の手ざわりは同質のすばらしさです。

◆ マルチ・トラック・レコーディングの血 ◆◆
トッド・ラングレンは、初期に、Runt: Ballad of Todd RundgrenとSomething/Anything?という二作で、多くのトラックをほとんどひとりで録音しています(前者ではベースをトニー・セイルズがプレイし、ダブル・アルバムSomething/ Anything?のD面をのぞく3面のトラックをすべてひとりで録音している)。

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エミット・ローズがすべてひとりでやったアルバムを1970年にリリースしていますが、なんだか精気のない寂しいサウンドで、わたしはあまり好きではありませんでした。トッドは、エミット・ローズよりずっと豊かで、にぎやかなサウンドをつくっています。キャラクターのちがいに由来するのかもしれませんが、音楽的に見るならば、楽器を重ねることに対する考え方のちがいが生んだ結果といえるのではないでしょうか。

Runt: The Ballad of Todd Rundgrenには、目立ったギター・アレンジはなかったと思いますが、Something/Anything?には、すでにLove of the Common Manの萌芽があります。

トッド・ラングレン I Saw the Light(スタジオ録音)


YouTubeの音ではわかりにくいかもしれませんが、キャロル・キングのパスティーシュのようなこのI Saw the Lightのギターによる間奏も、やはり一本ではなく、二本のギターで同じフレーズを弾いています。

ひとりで多重録音をしていれば、いやでも音の重ね方ということを深く考えざるを得なくなり、神経がとぎすまされていったのだろうと思います。トッド・ラングレンはすぐにひとり多重録音をやめてしまいますが、このときの経験はのちのプロデューシングに生かされたと感じます。その結実がLove of the Common Manですが、彼がプロデュースしたグランド・ファンク・レイルロードLocommotionのヴォーカルの厚みにも、そうした嗜好が仄見えます。

もう一曲、1972年のSomething/Anything?から、C面収録のトラックをひとつ。ギター・オン・ギター的観点からはイントロにすべてがあります。

サンプル Todd Rundgren "Couldn't I Just Tell You"

こちらは複数のアコースティック・ギターで同じリックをプレイし、そこにさらに、途中からエレクトリックも重ねて(こちらも複数だと思われる)、豊かなギター・サウンドをつくっています。とくに面白い曲ではないのですが、ギターのコンビネーションだけで十分にグッド・フィーリンを実現しています。

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トッド・ラングレンの面白さは、ギターにかぎらず、「音をいかに重ねるか」にあります。ギター・オン・ギターという文脈で持ちだしたので、ギターの重ね方に興趣のあるトラックを選びましたが、もっと広い意味でいえば「サウンド・オン・サウンド」ということをつねに強く意識して盤をつくったミュージシャンのひとりといえます。

表面的な音は異なるのですが、音に対する考え方の本質において、トッド・ラングレンは、、サウンド・オン・サウンドの始祖レス・ポール、その完全なる完成者フィル・スペクター、そして、それをべつの文脈にパラフレーズし、洗練を加えたブライアン・ウィルソンといった人びとの系譜につらなっているのは明らかです。たまたま、ギターを弾くことの多いプレイヤーだったので、いくつか典型的な「ギター・オン・ギター」サウンドのトラックを残しましたが、それ以前に、もっと大きな意味で、つねに「サウンド・オン・サウンド」を追求したミュージシャンだったといえるでしょう。

ここまでくるともう極北、あとは薄味にならざるをえないのですが、まだ興味深いギター・オン・ギターの例が70年代にはあるので、もうすこしこのシリーズをつづけることにします。


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Something/Anything
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Faithful
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by songsf4s | 2010-08-25 23:52 | Guitar Instro