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追悼 ジョニー・オーティスとR&Bの誕生
 
今朝、起きる早々、ジョニー・オーティスの訃報を読みました。R&Bが誕生した場所は一カ所に限定することはできませんが、LAのR&B、現在ではセントラル・アヴェニューR&Bといわれているものに関するかぎり、ジョニー・オーティスは生みの親のひとりといっていいでしょう。

以前、オーティスのキャリアをまとめたことがあるので、それをここに貼りつけるつもりですが、そのまえにすこし音を聴きます。まずは、もっとも人口に膾炙したジョニー・オーティス作の曲から。

The Johnny Otis Show - Willie and the Hand Jive


3コードでグルーヴのほうに眼目があるという、いかにもドラマーが書きそうな曲です。典型的なボー・ディドリー・ビートで、当然ながら、ご本尊のボー・ディドリーもカヴァーしています。

でも、そちらは当たり前すぎて面白くないので、べつのカヴァーを。このバンドについてはなにも知りません。検索で遭遇しただけです。

Moongooners - Willie and the Hand Jive


うちのHDDを検索すると、ヤングブラッズ、クリフ・リチャード&ザ・シャドウズ、グレイトフル・デッド、ニュー・ライダーズ、ジョニー・リヴァーズほかのヴァージョンがあります。

以下にペーストするのは、以前、某書肆の求めに応じて書いた、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』と題した、ハリウッド音楽史の草稿の、ジョニー・オーティスの節です。

その後、先方の事情が変わって、いまだ上梓には至っていません。したがって、再利用ではありますが、未発表のテキストです。

それでは、『音楽都市ハリウッドの黄金時代――ヒット曲はいかに「製造」されたか』の「第一章の4 セントラル・アヴェニューに帰る」より。


▽ジョニー・オーティス――ジャズからR&Bへ
 一九四〇年代、五〇年代にあっては、ジャズとリズム&ブルースの境界は後年ほど明確ではないし、プレイヤーも両分野を横断して活動していることが多い。コード・チェンジを無視するので使いものにならなかったらしいが、オーネット・コールマンですらR&Bバンドでツアーをしたという。
 セントラル・アヴェニューはカリフォルニアのジャズの揺籃だっただけでなく、R&B誕生の地とされることもあるほどで、ここでもジャズとR&Bは深く交叉していた。リズム&ブルースというのは「ビートを強調した都市のブルース」であると同時に、「リズム・パターンとコードを単純化したジャズ」と見ることもできるのだ。
 ジャズ・プレイヤーとして出発しながら、R&Bの分野で活躍した人は、たとえばビッグ・ジェイ・マクニーリー、ジョー・リギンズ、ロイ・ミルトン、ジュウェル・グラント、ジョニー・オーティスなどをはじめ、枚挙にいとまがない。ジャズ・プレイヤーの側から見ると、R&B(そしてポップ)は「できるか否か」ではなく、「やるつもりがあるか否か」の問題だった。その気さえあれば、技術的には問題なくプレイできたのである。ただし、オーネット・コールマンはこのかぎりにあらず、だが!
 セントラル・アヴェニューR&Bの興隆を側面から促したのは、戦中戦後につぎつぎと生まれた、アラディン、モダン、スペシャルティー、インペリアルといったLAの独立レーベルである。こうしたレーベルはロイ・ミルトン、ジョー・リギンズ、エイモス・ミルバーン、リトル・エスター・フィリップス(のちに「リトル」がとれて、ジャズに転ずる)などなどのアーティストを発掘し、ヒット曲を生み出した。
 独立レーベルがR&Bに群がったのは、単純な理由による。クラシックはもちろん、白人のポピュラー音楽も、昔から大手レーベルが押さえていた。しかし、「レイス・ミュージック」と見下されていた黒人の音楽は、「小銭稼ぎ」にしかならないと考えられ、また「レイス」という言葉が示すように、人種差別もあったため、大手がまだ買いあさっていなかったのである。だから、新興独立レーベルがこの「食べ残し」に集まったのだ。
 残念ながら、エルヴィス・プレスリーの登場が巻き起こしたロックンロール・ブームの時期に、この分野の大スターが輩出しなかったため、LAがR&Bの中心地であったことは見過ごされがちだが、この時代に胚胎した芽は、のちに大きく開花することになる。四〇年代、五〇年代のセントラル・アヴェニューR&Bが、六〇年代ハリウッド・ポップの苗床のひとつであったことはまちがいないのである。
 ドラマー、ヴァイブラフォン奏者、クラブ・オーナー、DJ、プロモーターとして活躍し(さらにいえば、近年は画家であり、クック・ブックを出版した料理人でもある)、〈ウィリー&ザ・ハンド・ジャイヴ〉(Willie & The Hand Jive)のライターとして知られるバンドリーダーのジョニー・オーティスは、第二次大戦中のビッグ・バンドの時代にキャリアをスタートし、スタン・ケントン、イリノイ・ジャクェー、レスター・ヤングなどのバンドでドラムを叩き、やがて独立して自分のバンドをもった。
 戦後、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなると(カウント・ベイシーやデューク・エリントンですら苦しくなったという)、4リズムに、トランペット1、サックス2、トロンボーン1という小編成のバンドに組み直した。現代のわれわれにはいたってノーマルな編成に思えるが、オーティスにとっては、これは「押しつぶされたビッグ・バンド」であり、コードにテンションをつけられる最低限の編成だった。
 オーティスはいち早くR&Bへとシフトして、この時期に〈ハーレム・ノクターン〉Harlem Nocturnのヒットを得た(このスロウ・ダウンしたオーティス・ヴァージョンが世界中のストリッパーに利用されることになる)。このときのメンバーにはカーティス・カウンスやビル・ドゲットがいた。


Johnny Otis - Harlem Nocturne


 オーティスは、R&B興隆の理由を、ビッグ・バンドが経済的に立ちいかなくなったことにあるとしている。四管編成では、ビッグ・バンドの豊かなアンサンブルに敵するはずもなく、いきおい、ひとつひとつの楽器の音を大きくせざるをえなくなり、それまではコードを弾くだけだったギターもソロをとるようになって、自然にワイルドな音に向かっていったのだという。
 一九四八年、オーティスはセントラルに接するワッツ地区に、「バレル・ハウス」というクラブを開いた。このクラブの出演者を選び、アマチュア・ナイトを開くうちに、オーティスはタレント・スカウトとしての才能を発揮するようになり、リトル・エスター・フィリップス、ハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ、ジャッキー・ウィルソンなどを見いだして、レコーディング契約をとり、独立プロデューサーとして録音をおこなった。


同じ章のべつの節から引用します。


 一九五二年、ジョニー・オーティスは、若いソングライター・チーム、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーに、彼がプロデュースしていたウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのために曲を書くように依頼した。そして生まれたのが、〈ハウンド・ドッグ〉Hound Dogだった。この曲が永遠の命を獲得するのは、五六年にエルヴィスがカヴァーしてナンバー1ヒットになったおかげだが、ビッグ・ママのオリジナルも、五三年にR&Bチャート・トッパーになっている。
(中略)
 リーバーとストーラーは、ビッグ・ママの〈ハウンド・ドッグ〉セッションで、はじめてプロデュースの真似事をした。ジョニー・オーティス・バンドのドラマーが気に入らず、二人がドラマーでもあるオーティスにストゥールに坐るように頼み、かわってリーバーがブースから指示を出すことになったのである。史上初めて、盤にプロデューサー・クレジットを明記されたといわれるチームの、A&Rとしての初仕事だった。


ということで、そのウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントンのクリップを。

Willie Mae Big Mama Thornton - Hound Dog


史上初めて盤にProduced byというクレジットを入れたといわれるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーのプロデューサー・チームが、はじめて事実上のプロデュースをおこなった盤であり、ジョニー・オーティスがドラム・ストゥールに坐った、というオマケもつき、最後に、エルヴィス・プレスリーのビルボード・チャート・トッパーというとどめがあるのだから、なんともはや、じつににぎやかなことです。

エルヴィスのカヴァーだって、クリーンとはいえず、ナスティーであったのがヒットの理由のひとつでしょうが、オリジナルになると、一段とナスティー度が高く、すげえな、と思います。まあ、日本ではあまり好まれないタイプのサウンドですが。

ジョニー・オーティスの歴史的重要性は、彼自身のバンドのパフォーマンスより、上述のように、セントラル・アヴェニューにバレルハウス・クラブを開き、多くの才能を見いだしたこと、また、週末のダンス・ナイトで彼らに活躍の場を与え、R&Bの勃興をうながしたことにあります。

それを確認、強調しておいたうえで、さらにいくつか音を並べます。

Johnny Otis - Ain't Nuthin' Shakin'


この時期のジョニー・オーティスのシンガーはだれかわかりませんが、さすがはセントラルにこの人ありといわれた伯楽、なかなかけっこうなレンディションです。むろん、バンドのパフォーマンスも味があります。

ギターが非常に魅力的なプレイをしていますが、調べてみると、知らないプレイヤーでした。jazzdisco.orgのサヴォイ・レコード・ディスコグラフィーの該当項目をコピーします。

Johnny Otis And His Orchestra
Lee Graves, Don Johnson (tp -2/5) George Washington (tb -2/5) Lorenzo Holden, James Von Streeter (ts -2/5) Walter Henry (bars) Devonia Williams (p) Gene Phillips (Hawaiian g -2/5) Pete Lewis (g) two unknown (g -1) Mario Delagarde (b) Leard Bell (d) Little Esther, Redd Lyte, Junior Ryder (vo -2/5) The Robins: Ty Terrell (tenor vo) Roy Richards, Billy Richards (baritone vo) Bobby Nunn (lead bass vo) (vocal group -2/5) Johnny Otis (dir -1, vib, d -2/5)
Los Angeles, CA, November 10, 19491. SLA4443 Boogie Guitar Savoy SJL 2230
2. SLA4444-3 Ain't Nothin' Shakin' Savoy 731
3. SLA4445 There's Rain In My Eyes Savoy 752, SJL 2230
4. SLA4446-1 Hangover Blues Savoy 787; Regent 1036; Savoy SJL 2230
5. SLA4447-2 Get Together Blues Savoy 824

ということは、この曲のヴォーカルはジュニア・ライダー、ギターはピーター・ルイス(といっても、むろん、モビー・グレイプのピーター・ルイスではない。あちらはこの曲が録音された1949年にはまだ四歳!)ということのようです。

ジョニー・オーティスのプロデューサーとしての代表作はこれではないでしょうか。エタ・ジェイムズもオーティスが世に送り出したシンガーのひとりです。ジョニー・オーティス、ハンク・バラード、エタ・ジェイムズの共作。

Etta James - Wallflower (Roll with Me Henry)


あたしと転がろうよ、ヘンリー、というタイトルが示すように、セックスの暗示が強すぎて問題になった曲ですが、続編やらアンサー・ソングやら、いろいろなものが生まれて、R&B勃興記を代表する楽曲のひとつとなりました。

1950年代後半、ジョニー・オーティスはキャピトルと契約します。白いものばかりつくっていたキャピトルが、黒っぽい方面の音がほしくなり、少なくともバンド・リーダーは黒人ではないジョニー・オーティス・ショウは、このレーベルに好都合だったからではないでしょうか。

キャピトル時代のジョニー・オーティスの録音では、しばしばアール・パーマーがドラム・ストゥールに坐りました。ギターがジミー・ノーランであったり、サックスがジャッキー・ケルソーであったりと、なかなか興味深い名前が並んでいます。

Johnny Otis - Good Golly


大丈夫、これはアール・パーマーのプレイにちがいありません。ジョニー・オーティスはドラマーとして出発しますが、のちにはしばしばヴァイブラフォーンをプレイしています。この曲にはヴァイブが入っているので、オーティスはそちらをプレイしたのでしょう。

人生、いろいろあるので、赤の他人に簡単にまとめられたくはないでしょうが、回想記も読んだ人間としては、結局、死の床で、面白かったなあ、もうちょっと遊びたかったなあ、とつぶやいたのではないか、と想像します。精一杯、楽しむだけ楽しんだ九十の大往生だった、と傍目には思えます。

ジョニー・オーティスに合掌。


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ジョニー・オーティス
Midnight at the Barrelhouse: 1945-57
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ジョニー・オーティス
The Greatest Johnny Otis Show
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ジョニー・オーティス
The Capitol Years
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ウィリー・メー・“ビッグ・ママ”・ソーントン
Ball N' Chain
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エタ・ジェイムズ
Complete Modern & Kent Recordings
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書籍
Midnight at the Barrelhouse: The Johnny Otis Story
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by songsf4s | 2012-01-20 23:57 | 追悼