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Makin' Whoopee その1 by Nilsson
タイトル
Makin' Whoopee
アーティスト
Nilsson
ライター
Gus Kahn, Walter Donaldson
収録アルバム
A Little Touch of Schmilsson in the Night
リリース年
1973年
他のヴァージョン
Frank Sinatra, Nat 'King' Cole, Eddie Cantor, Ray Charles, Jesse Belvin, Billy May, Nelson Riddle, Mel Torme, Bobby Troup, Doris Day, Julie London, Dinah Washington, Nancy Wilson, Esther Phillips
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月夜に釜を抜かれる、というぐらいで、ロマンティックな夜景に油断して、あるいはそれを利用して、セレナーディングなんかして浮かれていると、あとできっちり請求書が届き、それでも無視していると、きびしく取り立てられることは、古今東西、まったく変わりません。

今日は、先日のMoonlight Serenadeにうたわれたような、あとさき考えない月夜のセレナーディングがもたらす、現実的結果のほうに移りたいと思います。となると、結婚式の歌、ハニムーンの歌、なんていうのが考えられるし、じっさい、そういう歌もそれなりの数が存在するのですが、急いで取り上げなければならないほど出来のいいものはないので、そういうのはここでは無視します。だって、あなた、新婚カップルのいちゃつきなんか、犬も食わないってぐらいで(毎度毎度の慣用句の誤用なり)、そんな歌、馬鹿馬鹿しくてやっていられないじゃないですか。

結婚生活に関するコメントといえば、Makin' Whoopeeしかないでしょう。大古典ですからね。スタンダード曲というのはうんざりするような歌詞が多いのですが、甘ったるい歌詞がいまよりももっとずっと嫌いだった若いころだって、Makin' Whoopeeには、うんうん、とうなずいちゃいったほどで、昔から好きな曲です。

◆ ロアリング・トウェンティーズの流行語 ◆◆
それでは、聞くも苦笑、語るも苦笑の歌詞を見てみます。女性シンガーのものも山ほどありますが、そういうのはみな邪道ないしは嫌がらせだと断じます。Makin' Whoopeeは、男がボヤくための曲です。よってジェンダーはオス。歌詞にはさまざまなヴァリエーションがありますが、ここでは看板に立てたニルソン盤にしたがいます。

Another bride, another June
Another sunny honeymoon
Another season, another reason
For makin' whoopee

「またしても花嫁、またしても六月、またしても快晴のハニムーン、またふたたびナニにふさわしい季節がめぐり、またしてもべつの理由をつける」

大人の曲と申し上げたとおり、タイトルからしてそのまんま、アレのことです。身も蓋もないたあ、このことですが、しかし、まあ、いちおう婉曲な言いまわしではあります。日本語でもナニのことを「お祭り」などといいますが、それに近い表現です。

ロアリング・トウェンティーズに流行したいいまわしだそうで、辞書には「make whoopie ばか騒ぎ[お祭り騒ぎ]する、浮かれ騒ぐ; 浮かれ出る; セックスにふける; 楽しくやる」とあります。この訳語の羅列からどれを選ぶべきかといえば、迷う余裕もあらばこそ、てなもんでありましてな、男と女の「馬鹿騒ぎ」といえば、アレしかないのです。

以上、ファースト・ヴァースは前ふり。つづいて本題。

A lot of shoes
A lot of rice
The groom is nervous
He answers twice
It's really killing
That he's so willing
To make whoopee

「参列者があふれ、米もたっぷり、花婿は落ち着きがなく、誓いの言葉を重ねて言ってしまう、花婿がナニをしたくてウズウズしているのは、死ぬほど笑えるじゃないか」

このヴァースをうたわないヴァージョンもありますし、うたっても部分的に異なっていたり、いろいろです。「靴」が出てくるのはニルソン盤だけのような気がしますが、ヴァージョンが多すぎて、確認の余裕がありません。靴また靴の大盛会という意味だと解しておきました。ご存知でしょうが、米が出てくるのは、結婚式で振りまく習慣があるからです。

それにしても、花婿がちゃんとものをいえないだけで、「おまえ、そんなにやりたいのか」といわれちゃうのだから、結婚式というのはじつにもってしんどいもので、わたしは花婿に同情します。「こんなところで韻を踏むなよ>作詞家」といいたくなるでしょう。が、しかし、この花婿、じつはそれほどウブでもないのです。いや、ウブ「だった」のだけれど、というべきか、そのへんはよくわかりませんが……。

◆ セレナーディングの収支決算 ◆◆
ブリッジ。

Picture a little love nest
Down where the roses cling
Picture that same sweet love nest
Think what a year can bring

「薔薇なんぞがまとわりついた、ささやかな愛の巣を思い描いていただきましょう、そして、そのささやかな愛の巣の一年後の姿を考えると、どんな絵がうかぶことやら」

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ラッセル劇場という、ハリウッドの映画館の内部を描いた絵。この劇場は1930年暮れ、エディー・キャンター主演のWhoopee!をこけら落としにしたのだとか。バルコニー席とその周囲のデザインはMakin' Whoopeeの歌詞からとったものだろう。

サード・ヴァース。

He's washing dishes and baby clothes
He's so ambitious he even sews
So don't forget folks
That's what you get, folks
For makin' whoopee

「彼は皿も洗えば、オムツも洗う、それどころか、針仕事にまで挑戦する、だから諸兄よ、ゆめゆめ油断召さるるなかれ、ナニをすると、こうなってしまうわけでしてな」

そうなっちゃうんですよね。タダほど高いものはないといいますが、つまり、世の中にタダのものなんかないということです。みんな値札がついているのです。それがちゃんと見えるところに貼り付いている明朗会計か、「アンディー」の裏側に隠してあるぶったくりバーかというちがいなのです。

岸田秀は、短期スポット売買契約か、長期独占契約かのちがいにすぎない、どちらも有料である、といっていましたが、そういうことですな。「どちらも」って、なにとなにのことだ、なんて、あなた、トボけちゃいけませんぜ。あれとあれのことに決まっているじゃないですか。

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作詞のガス・カーンと作曲のウォルター・ドナルドソン。ドナルドソンはMy Blue Heavenの作者でもある。

◆ 非現実的収入と非現実的判決 ◆◆
フォース・ヴァース。

Another year, or maybe less
What's this I hear?
Well, can't you guess?
She feels neglected
And he's suspected of makin' whoopee

「また一年たつと、いや、一年もしないうちに、妙な話をきくことになる、おわかりでしょうに、彼女はほったらかしにされていると感じ、彼は浮気を疑われているというしだい」

光陰矢のごとし、というか、君子豹変す、というか、いや、この際、ほとんど無関係な慣用句の助けを借りなくても同じことですが、式の参列者に笑われるほど、嫁さんとのナニへの意欲にみなぎっていた花婿、皿でもオムツでもなんでも洗い、縫い物までした優等生亭主も、浮気を疑われるまでに「成長」しちゃったのであります。人間、そんなもんですって。

She sits alone most every night
He doesn't phone her, he doesn't write
She says he's busy, then she says, is he?
He's makin' whoopee

「ほとんど毎晩、彼女はひとりポツンとしている、彼は電話をするでもなければ、手紙を寄越すでもない、彼女は、彼は忙しいのよね、といったあとで、忙しいなんてことがある? と思い直す、あの人はナニをしているだけなのよ!」

She says he's busyではなく、He says he's busyとしているヴァージョンが大部分で、She saysとしているのは、ひょっとしたら、ニルソン盤だけかもしれません。しかし、ここはsheのほうがずっといいと感じます。「彼がそう主張している」では、当たり前じゃん、言い訳なんだもん、ですが、sheにすると、亭主を疑いながら、それでもなんとか、信じようとする妻のいじらしい姿が浮かんできます。たんに盲目なだけ、ともいえますが!

手紙を書くの書かないのって、そりゃいったいどういう浮気だよ、と思いますが、1920年代のアメリカの事情などはよくわからないので、通過することにします。そんなに長いあいだ家をあけたら、もはや浮気じゃないと思うのですが……。

セカンド・ブリッジ。

He doesn't make much money
Only five thousand per
And some judge who thinks he's funny
Says you pay six to her

「彼はたいして稼ぐわけではない、年にたったの五千ドルだ、どこかの判事殿は、面白い冗談をいう被告だと考えるようで、そのうち六千ドルを彼女に支払うこと、と命じる」

以前から疑問に思っているのですが、収入をいう場合は、ふつうは週給か年収だと思います。五千というのは、週給としては非現実的なまでに多額だし、時代を考えると、年収としても、少ないとはいえないでしょう。

昔はもっと額が小さかったのかと思いましたが、1928年のエディー・キャンター盤でも五千ドルとうたっています。1928年の五千ドルというのは、多額な収入です。「いえ、たいした収入ではありません、たったの五千ドルです」なんていうものだから、判事は、笑わせてくれるじゃないか、と感じたのでしょう。収入をうわまわる六千ドルの養育費という非現実的な判決になってしまうのは、そういう筋道と読めばいいのだと思います。ちがうかなあ……。

よけいなことですが、仮に五千ドルが冗談でもなんでもないとしたら、この亭主は酒類の密輸をしているギャングか、ムーン・シャイナーかなんかではないでしょうか。この歌が書かれたのは1928年、禁酒法時代です。

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最後のヴァース。

And he says, "Judge, suppose I fail?"
The judge says, "Budge right into jail
You better keep her
I think it's cheaper
Than makin' whoopee"

「彼はいった、『でも、判事、もしも払えなかったらどうなります?』、判事の仰せになるには、『刑務所に行くだけさ、別れないほうが賢明だね、そのほうがナニをするより安上がりじゃないかね』」

budgeをmoveのかわりに使うのがノーマルかどうか知りません。韻を踏むために無理矢理にもってきたような感じもするのですが……。しかし、keep herとcheaperの脚韻には恐れ入ります。この曲でいちばん笑えるラインです。話はあとさきしますが、failとjailの韻もすごいですねえ。被告にとっては、笑いごとじゃないでしょうが!

◆ またしてもRCAのスタジオA ◆◆
Makin' Whoopeeを収録した、ニルソンのスタンダード・アルバム、A Little Touch of Schmilsson in the Nightがすぐれたアルバムだということは、いうまでもありません。スタンダードというと、わたしの頭のなかでは、このアルバムが基準(シャレのつもりはない)になってしまうので、50年代のスタンダード・アルバムには、どれも強い不満を感じるほどです。

小さなことがらからあげていくと、まず録音です。ヘンリー・マンシーニと同じ、ハリウッドのRCAのスタジオAです。いくらハリウッドでも、純粋な音楽スタジオで、これだけの人数のオーケストラを録れるところはそうはなかったようですし(テレビや映画の大きなサウンド・ステージを録音スタジオとして流用した例はある)、鳴りもすばらしかったことは、さまざまな盤からわかります。ここで録られたクラシックの盤なんかまったく聴かなくても、そう思います。

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そもそも、これだけの大オーケストラを使ったポップ・アルバム(いわゆるスタンダード・アルバムも含む)というもの自体、存在することがむずかしいのです。コストの問題があるからです。ざっと見渡して、ほかにシナトラぐらいしか、これだけのコストを正当化できるアーティストはいないでしょう。もののたとえでもなんでもなく、大編成のフルオーケストラです。記憶で書きますが、49人編成だったと思います。

エピソードを思いだしました。ニルソンの契約更改に、なぜかジョン・レノンがついていったのだそうです(つまり、ジョンのいわゆる「失われた週末」、LAでハリーやキース・ムーンとヤサグレていた時期、つまり、ニルソンのPussycatを録音したころのことだろう)。で、ジョン・レノンが、ニルソンの契約額を吊り上げるために、RCAの首脳陣にいったセリフ。「RCAにほかにだれがいる? エルヴィスだろう? そして、ハリーだ、それだけじゃないか」

◆ ニルソン=ジェンキンズの乾坤一擲 ◆◆
1973年といえば、ニルソンの絶頂期です。賢明な人だったのでしょう。絶頂期にしか不可能な、とんでもないコストのかかるアルバムをつくったのです。落ち目になってから、目先を変えるために、デュエット・アルバムやスタンダード・アルバムをつくるというのが近ごろの業界の慣行ですが、そんな有象無象の愚行のことはぜんぶ忘れてかまいません。

ニルソンのスタンダード・アルバムは、そういう小手先でかわす柔な変化球ではないのです。絶頂期のピッチャーが投げたど真ん中の剛速球です。ほかのゴミ同然のスタンダード・アルバムとは、まったく成立の事情がちがいます。傑出したシンガーが、会社を黙らせられるだけの実績を上げていたその絶頂期に、全力を投入してつくったアルバムです。そこのところをお間違えなきように。

選んだアレンジャーがまた大正解でした。わたしはこのアルバムでゴードン・ジェンキンズというアレンジャーを知り、途方もなく凝りに凝ったアレンジメントにビックリ仰天して、ほかにもいくつか聴いてみたほどです。しかし、ジェンキンズといえども、ここまで冴えに冴えた、奔放かつ細心なアレンジをした例は、すくなくともわたしはほかに知りません。A Little Touch of Schmilsson in the Nightは、ゴードン・ジェンキンズにとっても代表作なのです。

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ゴードン・ジェンキンズとハリー・ニルソン

予算が潤沢で、大編成のオーケストラが使えたことと、キャリアの終盤にさしかかり、それまでに培った知識と技術をすべて注ぎこんで、アレンジャー人生の総仕上げ、集大成アルバムにしようとしたのだと感じます。まるで、生きたポップ・オーケストレーション大百科事典とでもいうべき、サウンド・アイディアの一大伽藍のような譜面です。

当ブログでは、シナトラのアルバムにおけるネルソン・リドルのアレンジメントをしばしばほめていますが、それでもなお、ゴードン・ジェンキンズのほうがはるかに偉大だとわたしは考えています。それは、ほかならぬ、A Little Touch of Schmilsson in the Nightでの、圧倒的なアレンジを知っているからです。この一枚があれば、シナトラのアルバムを何枚積み重ねても、ネルソン・リドルはついにゴードン・ジェンキンズを凌駕することはできません。ゴードン・ジェンキンズ死して、金城鉄壁のアルバムを一枚残したのです。

Makin' Whoopeeに関しても、ほかの曲同様、ジェンキンズ以外にはできない、そして、低予算のプロジェクトでは不可能な、じつにぜいたくなオーケストレーションが施されています。楽器の数は多いは、それにもましてオブリガートの数は多いはで、なにを書けばいいのかわからないのですが、なによりも印象に残るのは、フレンチ・ホルンの使い方です。

しかし、驚くのは、同じパターンが出てこない、いや、そもそも、パターンなどというものは、はなから存在しないことです。数小節ごとに、異なった楽器による、異なったフレーズのオブリガートが入れ替わり立ち替わり登場するのです。これ一曲だけで、優に十曲分のアイディアが投入されています。ジェンキンズがいつもそんなことをしているのかというと、そんなことはありません。だから、彼のアレンジャー人生の集大成だというのです。

そして、ご本尊のニルソンです。もともと歌のうまい人ですし、Pussycatのときに、プロデューサーのジョン・レノンが、「ハリー、もう終わった、完成したんだ、もううたわなくていい」と説得して、やっとうたいやめたというくらいの完全主義者です。そういうシンガーが、これはわたしの想像ですが、絶頂期の自分の姿をテープに定着しようと、細心の注意を払って、一曲一曲をていねいにうたったアルバムです。大傑作ができる可能性はあっても、悪いものができる可能性はゼロ以下です。

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褒め言葉の大安売りはこれくらいにしておきましょう。このアルバムでのニルソンのヴォーカル・レンディションについては、すでに昨秋のLullaby in Ragtimeのときに書いてしまったので、じつは、もうこれ以上いうことがないのです。

残りの各ヴァージョンについては明日以降に書かせていただきます。できれば、歌詞のヴァリアントもすこし見てみたいと思っています。
by songsf4s | 2008-06-10 23:45 | Moons & Junes
Stormy Weather その2 by Django Reinhardt
タイトル
Stormy Weather
アーティスト
Django Reinhardt
ライター
Harold Arlen, Ted Koehler
収録アルバム
Django In Rome 1949-1950
リリース年
未詳
他のヴァージョン
Lena Horne, Frank Sinatra, Jackie Wilson, Joni Mitchell, Gladys Knight, Diana Ross, Earl Grant
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◆ 「知り合い」のお父さん ◆◆
リーナ・ホーンのStormy Weatherは、1941年12月15日録音と記録されています。1941年は昭和16年です。太平洋戦争の開戦は、日本側の日付では、この年の12月8日。開戦から一週間後に、この曲は録音されたことになります。

以前から予定されていたことで、戦争と無関係なのかもしれませんが、わたしにはどうも関係があるように思えます。戦意昂揚にはつながらず、どちらかといえば厭戦気分を助長するような曲ですが、制作者の頭のなかには、真珠湾の被害、そして、東南アジア戦線での連合国側の連戦連敗があったのではないかという気がしてしかたありません。

その当否を判定する材料は見つからないので、かわりにパーソネルでもご覧ください。じつは、ハリウッド録音なのです。さすがにこの時代のものは、サウンドを聴いても、録音場所を判断することはできません!

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この時代には、「知り合い」なんかいやしないと思ったのですが、これが左にあらず、ちゃんと知っている人がいました。ギターのペリー・ボトキンです。この人がもちろん、ペリー・ボトキン・ジュニアのお父さん。Wonderful Summerで宿題として棚上げにしたことをやっと片づけることができました。

マニー・クラインというトランペッターは、リーナのヴォーカルに対して、コール&レスポンスのような形で、ミュートでなかなかいいオブリガートをつけています。

◆ 他のヴォーカル盤 ◆◆
残りのヴァージョンを見ていきます。まず、ヴォーカルものから。

f0147840_23591664.jpgどれも文句なしとはいかず、いろいろ不満があるのですが、しいていうと、ジャッキー・ウィルソン盤が好みです。弦の使い方がなんだか青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」みたいで、ここでもまた、日本的な「ブルース」を連想してしまいます。リトル・ウィリー・ジョンのFeverも似たようなストリングス・アレンジで、ほかにもまだ類似のものがあったと思います。「伊勢佐木町ブルース」のアレンジは、きわめて日本的なもの、歌謡曲的なものと思っていましたが、案外、アメリカの曲を下敷きにしているのかもしれません。

f0147840_024985.jpgつぎはやはりフランク・シナトラでしょうか。この曲でのシナトラの歌そのものはあまり好みではありませんが(スロウな曲でのシナトラは概して苦手)、ゴードン・ジェンキンズのアレンジにはうなります。ファースト・ラインのDon't know whyにくっついて出てくるストリングス(および、ごく薄い管、おそらくはフルート)のオブリガートだけで、すぐにそれとわかっちゃうほど、ジェンキンズ印がそこらじゅうにペタペタ押してあります。いやはや、弦の裏に薄く管を重ねる技には感心します。予算潤沢じゃなければ、こういう羽織の裏に凝るようなことはできないでしょうから、シナトラならではのサウンドともいえるわけですが。

f0147840_042776.jpg女性陣は、レベルの低いところでドングリの背比べとくるから困ったものです。しいていうと、オーケストラの豪華さでジョニ・ミッチェル盤でしょうか。ジョニのヴォーカル自体は、彼女も「マリアンヌ・フェイスフル症候群」に罹患したことがよくわかるおばあさん声で、十年後には魔女だろうなあ、とガッカリしてしまいます。ジョニ・ミッチェルという金看板があるから手をもらえるだけのことであって、これが素人のど自慢だったら、だれも拍手なんかしないでしょう。

f0147840_092694.jpgしかし、オーケストラはすごいものです。もともとはAT&Tが顧客に配るためにつくった盤に収録されたものだそうです。さまざまな女性歌手を一堂に集めておこなわれたコンサートでのライヴ録音で、なるほど、巨大企業が金に糸目をつけずにやったわけね、と納得しました。そうじゃなければ、こんな大オーケストラの費用は正当化できないでしょう。これで利益を出そうとしたら、オーケストラのサイズは半分以下に縮小するしかありません。フロントの女性シンガーたちの顔ぶれはじつにつまらないのですが(彼女らのせいではなく、こちらが年寄りなので、みんなつい最近「スター」になったお子様歌手に見えるだけです)、シンガー抜きなら、このライヴ盤の録音会場にいて、オーケストラを聴きたかったと思います。さぞかし強烈なサウンドだったことでしょう。

f0147840_0113132.jpgグラディス・ナイトは、まあ、年を取ったら、そういう方向しかないよね、と同情はできます。サウンドも、そこそこのものです(ブースのメンツはトミー・リピューマ、フィル・ラモーン、アル・シュミットと、タイム・マシーンに乗って70年代に飛んでしまったようなぐあい)。でも、アルバムを通して聴くと、思いきりダレます。まあ、こういう音楽はそもそもダレるのが目的なのだろうから、それでいいのでしょうが、わたしのようなジャズ嫌いは、すこしはシャキッとせんかい、と星野仙一となってしまうのでありました。

こういうラウンジ風味のジャズ・ヴォーカルというのは、そこらの半チクなおネエちゃんが、あたしも大人になったよねえ、とかいって一杯やりつつ、しみじみするするための音楽であって、一人前の大人、大の男が聴くものじゃないでしょう。オレは八十になっても、こういうだらけきった退廃的音楽を聴くような堕落のしかただけはしないぞ、と誓っちゃいました。グッド・ロッキン・エイティーズを目指して生き抜くぞ。

f0147840_0132895.jpg年を取らなくてもすでにたっぷり腐っていたのがダイアナ・ロス。下手なくせに、ジャズ・シンガーっぽくやってみたかったのでしょう。所詮、器ではないし、そもそも、前提がおおいなる勘違いで、みなこうして、ババアになってパアになって腐って終わっていくわけだな、とうんざりさせられました。そもそも、好きでもないシンガーの、ろくでもない盤を、オレはなんだって買ったのか、と昔の自分の馬鹿さかげんに腹を立てています。

◆ インスト盤2種 ◆◆
f0147840_016088.jpgジャンゴ・ラインハルト盤はイケます。わたしは、アコースティックでのプレイはあまり好きではないのですが、腐ったおばあさんたちを立てつづけに聴いたあとに出てきたら、こりゃやっぱりいいなあ、と思いました。買っただけで、ろくに聴いていなかった盤なのですが、ダイアナ・ロスの腐りきった歌のおかげで、買っておいてよかったと感じました。弦や胴のせいではなく、弾き方のせいだと思うのですが、ジャンゴ・ラインハルトという人は、アコースティックなのに、独特のトーンをもっています。なぜそうなるのかは、わたしには謎なんですが。

f0147840_0184011.jpgアール・グラントは、At the End of a Rainbowのヒットが有名ですが、歌は余技で、本職はピアニスト、オルガニストでありまして、Stormy Weatherでは、タイトルに合わせて、イントロではちょっとワイルドなオルガンのプレイ(キース・エマーソンはグラントの物真似だったのね、なんてことはないですが)を聴かせてくれています。パーソネルの記述はないのですが、ピアノも味のあるプレイをしています。グラント自身のオーヴァーダブでしょうか。

歌もの、とくに女性陣はめげるものばかりでしたが、この2つのインスト盤はどちらも出来がよく、ホッとします。ガッツのあるサウンドはやっぱりけっこうですねえ。音楽は年齢じゃないと思うのですが、女性たちはみな最後は年齢にしてやられるようです。年を取って味が出るのは男ばかり哉。ああ、秋風が身に染みる。

◆ アーレン=ケーラー・コンビ ◆◆
Stormy Weatherの作曲者、ハロルド・アーレンの曲は、当ブログでもすでにIt's Only a Paper Moonをとりあげています。あのときは、時間がなくて、ネグってしまいましたが、今回はそうもいかないので、すこしは作者と背景について書いてみます。

f0147840_0225862.jpgアーレンはジュディー・ガーランドの『オズの魔法使い』のスコアを書いたのだそうです。ということは当然、あの映画の主題歌である、Over the Rainbowも書いたことになります。ほら、偉い人が出てくるからスタンダードはイヤだっていったとおりでしょう? アーレンのオフィシャル・サイトのMusicページで代表作を聴けるようですので、よろしかったらどうぞ。わたしはReal Audioはいっさい聴かない主義なので、聴いていませんが、けっこうな数の曲が並んでいます。このサイトでは、経歴を読ませていただき、アーレンとStormy Weatherの作詞家テッド・ケーラーの2ショット写真をいただいてきました。

ハロルド・アーレンは、ニューヨーク州バッファロー生まれ(たしか、トミー・テデスコも同郷です)のジュウィッシュで、音楽教師になってほしいという母親の希望でピアノを習い、その希望とは裏腹に、ポピュラー・ミュージックにとりつかれ、十代なかばからバンド・リーダーとして活躍するようになりました。

f0147840_0261244.jpg彼の夢はつねにシンガーだったのですが、アレンジと作曲の才能を認められ、(たぶん)ティン・パン・アリーの楽曲出版社と契約し、作詞家のテッド・ケーラーと組んで最初に生まれたヒットが、1929年のGet Happyだそうです(うちにもシナトラをはじめ、4種のヴァージョンがあります。「ハッピー・ソング特集」なんていうのをやりましょうかね)。十代のアーレンはラグタイムのシンコペーションが好きだったそうですが、それが反映されたにぎやかな曲です。この曲で、アーレン=ケーラーは、「ブルージー・リズム・ナンバー」のチームとみなされるようになったとか。

20年代終わりから30年代はじめにかけて、アーレン=ケーラーは、かのコットン・クラブのショウのために曲を書くようになり、ここから多くのヒット曲が生まれました。1933年のStormy Weatherも、コットン・クラブのキャブ・キャロウェイが歌うことを念頭に書かれたものの、結局、エセル・ウォーターズが第21回の「コットン・クラブ・パレード」ショウで歌うことになったそうです。この曲のレオ・レイズマン・オーケストラ盤が評判を喚んで、コットン・クラブもおおいににぎわったと書かれているので、オリジナル・ヒットはレオ・レイズマン盤ということになるようです。

まだハロルド・アーレンのサクセス・ストーリーははじまったばかりですが、目的の曲にたどり着いたところで、切り上げさせていただきます。It's Only a Paper Moonまではいきたかったのですがねえ。
by songsf4s | 2007-10-15 23:55 | 嵐の歌
Lullaby in Ragtime by Nilsson
タイトル
Lullaby in Ragtime
アーティスト
Nilsson
ライター
Sylvia Fine
収録アルバム
A Little Touch of Schmilsson in the Night
リリース年
1973年
他のヴァージョン
Danny Kaye
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ニルソンのNilsson Sings Newmanは、わたしの「棺桶に入れたい13枚」の1枚ですが、Harryや、このLullaby in Ragtimeが収録されたA Little Touch of Schmilsson in the Nightも、棺桶が「付き馬」のような「頭抜け大一番」サイズで、130枚入るならば、やはり入れてもらいたいアルバムです。

そして、Lullaby in Ragtimeは、わたしの鼻歌ベスト・テンの1位に、この20年間ぐらいずっと居坐りつづけているほど好きな歌です。そのわりには歌詞の意味を気にしたことがなかったのですが、それはたぶん、たいした意味はないからだと思います。でも、念のために、細かく見ていくことにしましょう。

◆ サンドマンふたたび ◆◆
以下はファースト・ヴァース、というか、構成がよくわからないのですが、とにかく、はじめに歌われる部分です。

Won't you play the music so the cradle can rock
To a lullaby in ragtime
Sleepy hands are creeping to the end of the clock
Play a lullaby in ragtime
You can tell the sandman is on his way
By the way that they play
As still, as the trill, of a thrush, in a twilight high

わたしの鼻歌オールタイム・ナンバーワンになるくらいだから、音韻がいいのは当然ですが、こうして改めてみると、記憶があいまいでナンセンス・シラブルに置き換えて歌っていた箇所は、ちょっと意味がとりにくくもあります。

「ラグタイムの子守唄で揺り籠が揺れるような音楽をやってくれないかな、時計の端に眠気をもよおした手がそっと忍び寄るように、ラグタイムで子守唄をやってくれ、黄昏時のツグミのさえずりのように静かなプレイのしかたで、サンドマンがもうじきやってくることがわかるよ」

いやはや、日本語のリズムがガタガタなのはご容赦を。By the way that they playなんて表現は、日本語がもっとも苦手とするもので、わたしのせいというより、日本語の性質のせいなのです。byとwayとplay、theとthatとtheyという組み合わせのおかげで、ここは音韻的に非常に面白く、また、歌って気持ちのいいところなのですが、音を取り去って、意味だけ書いては話になりません。

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アウトテイクを集めたCD、A Touch More Schmilsson in the Night。It's Only a Paper MoonやI'm Always Chasing Rainbowsなど、A Little Touch of Schmilsson in the Nightから外された曲がはじめて陽の目を見た。Lullaby in Ragtimeのオルタネート・テイクも収録されている。

twilight highというのも響きのいい言葉の並びです。ツグミ(にかぎらず、たいていの鳴鳥がそうですが)は朝夕に啼くので、気分がハイになって、という意味でtwilight highといっているのでしょう。

「サンドマン」すなわち眠り男(E・Th・A・ホフマンの短編に「砂男」というのがありましたが)については、ボビー・ジェントリーのMorning Gloryのところでふれました。

◆ 銀色の月ならぬ、銀の音色 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァースまたはヴァースとコーラスの一体化したもの。

So you can hear the rhythm of the ripples
On the side of the boat
As you sail away to dreamland
High above the moon you hear a silvery note
As the sandman takes your hand
So rock-a-by my baby
Don't you cry my baby
Sleepy-time is nigh
Won't you rock me to a ragtime lullaby

「夢の国に向かうボートの舷側に寄せくるさざ波のリズムが聞こえるだろう、サンドマンが手をとると、月よりも高くに銀の鈴のような音色が聞こえるだろう、だからお眠り、わたしのベイビー、泣くんじゃないよ、わたしのベイビー、おねむの時はもうすぐだから、ラグタイムの子守唄に合わせてわたしを揺すってくれないか」

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オリジナルのA Little Touch of Schmilsson in the Nightに、アウトテイク集の曲を加えて集大成したCD、As Time Goes By。いまはこれがとってかわってしまったが、やはりオリジナルの選曲のほうがよかったと感じる。

どちらかというと、このヴァースのほうが好みですが、最後に、ベイビーではなく、自分を揺すってくれといっているのを、何度も歌いながら、気づいていませんでした。子どもを寝かしつけようとして、大人のほうが寝てしまうというのは、川柳や落語のネタなので、そういうようなことなのだろうと、笑って自分のうかつさも見逃すことにします。

あとは弦の間奏があり、So rock-a-by my baby以下をくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

◆ 伝統の底力 ◆◆
このアルバムはリリース時点では買わず、数年後に聴いたのですが、それがかえってよかったように思います。十代では、ゴードン・ジェンキンズのアレンジを聴く気分にはこちらがなっていませんし、また、聴いても、古くさいオーケストラ音楽と思っただけで終わったと思います。

f0147840_183160.jpgじっさい、リリースから数年後にはじめて聴いたとき、このアルバムのオーケストレーションには、ベッドから転がり落ちるほどの衝撃を受けました。ロックンロールがポピュラー・ミュージックの世界から吹き飛ばしてしまった「伝統」の力に驚いたのです。70年代にこれだけのアレンジとアンサンブルが実現できたというのは、ほとんど奇蹟ではないかと思います。ゴードン・ジェンキンズが健在だったことと、ハリウッドがつねにこうしたタイプの音楽を必要としていたために、伝統が保持された結果だろうと思います。

わたしのようなほとんど純粋培養のロックンロール小僧が、大人になってこうした音楽にストレートに反応したのは、たぶん、子どものころに見たハリウッド製ミュージカル映画とディズニーのアニメーション映画のおかげでしょう。ジェンキンズのアレンジは、そういう時代の匂いを濃厚に伝えながら、古くささのない、新鮮な響きを生み出すことに成功しています。

ディジタル・シンセサイザーというのは、音楽をつくる道具としてはあまりにも雑駁ですが、音楽を分析する道具としてはこれ以上のものはないと思います。かつてMIDIで、ジャック・ニーチーのThe Lonely Surferや、ジョン・バリーのGold Fingerのオーケストレーションをコピーしてみたのですが、わずかな曲をやっただけでも、じつにいろいろなことがわかりました。

なによりも啓発的だったのは、フレンチ・ホルンという楽器は、ピッチによっては沈んでしまう、ということがわかった点でした。友人にきいたところ、クラシックではそれは常識で、たとえば、フレンチ・ホルンの1オクターブ上に薄くフルートを重ねるなどの処理によって輪郭をつくり、沈むのを防ぐのだそうです(ハリウッドのスタジオのやり方を連想された方もいるでしょう。そう、フィル・スペクターやブライアン・ウィルソンがやったことに通じるのです)。

オーケストレーションというのは、こういう小さな知識を経験とセンスによって組み合わせ、目的の効果を上げることなのだと思います。ゴードン・ジェンキンズは、生涯、そういうことをやってきた人ですから、クラシックではなく、わたしが小さいころから親しんできた映画スコアのイディオムを、ニルソンのこの盤で集大成したという印象で、それで、はじめて聴いたときに衝撃を受けたのだと思います。

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左からビリー・メイ、フランク・シナトラ、ドン・コスタ、ゴードン・ジェンキンズ。ニルソンがこのアルバムをつくるにあたって、シナトラを意識しなかったはずがない。

もう、こうした音楽が顧みられなくなっていた時代ですから(73年になにを聴いていたか思いだしてください、ゼップとかディープ・パープルとかだったりするんじゃないですか? わたしはカムバックしたビーチボーイズを徹底的に聴いていました)、ゴードン・ジェンキンズは、これを遺作にしようというくらいの気組みでアレンジしたのではないかと、わたしは考えています。けっして力みは感じませんが、隅々にまで神経がゆきとどいた、じつに気持ちのよいオーケストレーションです。

プレイヤーもみなうまくて、これまた伝統の力を感じます。ギターはアコースティックですが、いわゆるフォーク・ギターではなく、ピックアップを通さないフルアコースティックのジャズ・ギターの生音です。このサウンドがまた、当時のわたしには新鮮に響きました。かつてラリー・コリエルが、他人のソロのバックでよく使っていたのを思いだしたのですが、このニルソン盤のギタリストは、コリエルのような若造ではないでしょう。ジェンキンズがシナトラの録音でも起用したプレイヤーじゃないでしょうか。ドラムもシナトラの盤と同じタイムのように感じます。

◆ 60年代的ヴォイス・コントロールの集成 ◆◆
ニルソンという人はじつに歌がうまいのですが、「わたしの時代」のシンガーなので、「歌いあげる」ことはめったにしません(Without Youのシャウトは例外中の例外)。とりわけ、戦前の曲をカヴァーしたこの盤では、歌いあげたりすると、一直線で古代にジャンプしてしまうので、注意深く、じつに注意深く抑揚をコントロールしています。

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ゴードン・ジェンキンズとハリー・ニルソン。49人編成のオーケストラだったというのだから、ハル・ブレインが「飛行機の格納庫のようにだだっ広い」と表現した、ハリウッドのRCAのAスタジオだろう。「クラシックのRCA」を支えたスタジオである。

ソングライターとしてスタートした人なので、彼の盤を聴くこちらも、ふつうはまず楽曲の出来を気にするのですが、このアルバムはすべてカヴァー曲ですから、ニルソンがいかにスタンダードを歌うかに興味の焦点がきます。彼は十分にそのことを意識して、最初の発声の強さから、語尾の延ばし方と「呑み込み方」にいたるまで、慎重に計算して歌っています。

となると、どうしてもシナトラを連想するわけですが(じっさいニルソンは、ジェンキンズが書き、シナトラも歌ったAll I Askもこの盤でカヴァーしている)、やはり、ニルソンは「わたしの時代」のシンガーだと感じます。その時代がどういう時代だったかという知識と想像力を駆使しなくても、彼がやろうとしていることはすんなり耳に収まるのです。

シナトラを聴くときは、この時代はこうだったのだろうから、ここをこう歌うのは、たぶんこういう意図なのだろう、などと考えるときがあるのですが、ニルソンについては、まったくそういう努力がいらないのです。ただただ、うんうん、そうだ、ハリー、その調子だ、俺たちはそういう風に歌うのが正しいとされる時代に育ったよな、とうなずくだけなのです。涙が出るような経験なのですよ、ニルソンが真剣に昔の曲を歌うのを聴くのは。

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ハープの弦越しのハリー。このアルバムでは、全曲、オーケストラといっしょに「ライヴ」で歌ったという。これまたシナトラのやり方、伝統的な録音方法である。

アルバム全体を聴き直していると、これも墓場までもっていく13枚に入れるべきのような気がしてきました。わたしが知っているアメリカ音楽のよさが、最後の光芒を放った一枚ではないでしょうか。

◆ ラグタイムの子守唄? ◆◆
ラグタイムというのは、わたしが理解しているかぎりでは、テンポが速めで、どちらかというとにぎやかな音楽スタイルのはずですが、ニルソン盤はスロウ・シャッフルのアレンジです。にぎやかな子守唄というのが、そもそも矛盾しているように思うので、いかにも子守唄らしい、ゆるいグルーヴのニルソン盤の解釈は正しいのではないかと思います。

f0147840_1341816.jpgLullaby in Ragtimeのオリジナルは、映画『五つの銅貨』でのダニー・ケイの歌で、ライターはケイの夫人だったシルヴィア・ファインです。この映画を見ているのに、この曲についてはまったく記憶がありません。記憶がないということは、わたしの好みではなかったということなのだと考えておけばいいわけで、ニルソン盤がなければ、この曲に注目することはなかったでしょう。

ただ、この曲のコード・チェンジはなかなか面白いところもあって、かなり腕のあるソングライターなのだろうと感じます。盤はもっていないにしても、『五つの銅貨』のVCRはどこかにあるはずなのですが、見つからなかったので、オリジナルの検討は、いつかべつの日に。シルヴィア・ファインの他の曲を検討する機会もあるのではないかと思います。
by songsf4s | 2007-09-17 23:56 | Harvest Moonの歌