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Exhost by Martial Solal(ジャン・ベッケル監督『黄金の男』より その2)

手遅れになってから思ったのですが、学校の授業はやはりまじめにやっておくものです。数学だって、物理だって、化学だって、「日常生活に関係ない」なんてことはないのです。深く関係しているのに、知識がないから、それが理解できないだけです。

大学ではフランス語を第二外国語にしたのですが、ミシェル・ポルナレフなんか女が聴く音楽じゃネエか、とか、もうゴダールは見ないもんね、とか、いろいろ弁解をして、「ギャルソン」の七面倒な発音から逃げ出しました。

おかげで、シェイラのことを調べるのにも苦労してしまったりします。悪いことに、フランス語は辞書の引き方もヘンテコリンのチンプンカンプンで、目的の単語に行き着くだけでも一大事業になったりします。

しかし、いまやグーグルというものがあるので、引越のときに白水社仏和辞典を捨ててしまっても、ぜんぜんノープロブレムと英語で開き直れます。やれやれ、たかが原題の意味を云うだけなのに、いったい何文字タイプしたのやら。

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さて『黄金の男』の原題、Echappement Libreとはいかなる意味か? 「backfire」または「open exhaust」だそうです。後者は、つまり、暴走族のお子様が好む、マフラーをはずして、「オープン」にしたエキゾーストです。どちらの意味なのか? どちらかというと両方かもしれません。英語のbackfireには「裏目」「逆目」「当てはずれ」の意味もあるそうですから。

『黄金の男』では、主役はジャン=ポール・ベルモンドなんだか、車なんだかわからないほど、黄金製トライアンフTR4が活躍しますし、オープニング・クレジットのアニメーションで、Echappement Libreというタイトルは、エキゾーストを吐き出し、車輪がついて左手に走り去っていきます。

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じっさい、この映画のトライアンフの捉え方はなかなか魅力的です。車の動きを追う画面のリズムも子どもには楽しかったのだな、トライアンフという車の名前とディテールを記憶したのもこの映画でのことだった、なんて思ってから、ああ、こういう画面はあのころよく見ていたから、この映画にも無条件で親しみを感じたのだな、と思いいたりました。

◆ 日活版『黄金の男』、なんて ◆◆
どういう映画を連想したかというと、もちろん、日活アクションです。

たとえば、当家で過去に取り上げた映画なら、鈴木清順監督、宍戸錠主演の『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』や、山崎徳次郎監督、赤木圭一郎主演『霧笛が俺を呼んでいる』がそうなのですが、日活アクションではむやみに車が走りまわったものです。スポーツカーが疾駆するショットは、ジェイムズ・ボンド映画ばかりでなく、日活好みでもありました(とりわけMGが好まれたのはなぜ?)。

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以上三葉は『霧笛が俺を呼んでいる』より、赤木圭一郎と芦川いづみが城ヶ島に向かうシークェンス。

当時はそんなことはまったく意識しませんでしたが、再見してみると、『黄金の男』はそのまま日活で再映画化できるほど、日活アクション的なニュアンスの豊富な映画です(フランスの映画人は日本映画をよく見ていたので、冗談ではなく、ほんとうにジャン・ベッケルが日活アクションを見ていた可能性もゼロではない、といいたくなるほど強い近縁性がある)。人物配置と背景の、いわゆる「世界」の作り方、プロットの展開、ショットのデザイン、いずれもそのまま日活にもっていけます。

まあ、日活が、ヨーロッパ各地を転々とする映画を撮る可能性はきわめて低いのですが、女と見れば見境なく声をかけるような、ちょっと考えの足りないお調子者が、組織の裏をかいて、金塊を奪取してやろうと一攫千金の夢を見、スポーツカーでそこら中走りまわる、という設定だけでも、かなり日活的です。

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以上三葉は『霧笛が俺を呼んでいる』より、赤木圭一郎が吉永小百合とともに横浜中央病院を出発するシークェンス。

『黄金の男』を再見しながら、日活キャストを考えはじめました。主人公のお調子者は、石原裕次郎や小林旭には合いません。宍戸錠か渡哲也(舛田利雄の『紅の流れ星』では『勝手にしやがれ』のベルモンドを参考にして演じた)あたりでしょう。なんなら川地民夫というのもありかもしれません。

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以上三葉は『紅の流れ星』オープニング。暗殺者・渡哲也。

ジーン・セバーグが演じた女は、セクシーでクラッシーで突っ張っているという、日活にいないタイプのキャラクターで、うーん、楠侑子か、なんて実現性の薄い無理矢理なキャスティングをしそうになりますが、やはり『紅の流れ星』からの連想で、浅丘ルリ子しかいないだろうと思います。他社からのゲストがオーケイなら、若尾文子か岩下志麻あたり、いや、加賀まりこもいいかもしれません。加賀まりこが池部良と共演した篠田正浩の『乾いた花』もスポーツカーのシーンの多い映画でした。

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『紅の流れ星』より浅丘ルリ子と渡哲也

ゲルト・フレーベが演じた組織の「コントロール」は、当然、二本柳寛か芦田伸介あたりでしょう。ベルモンドから金塊を買い取ろうとして、組織に殺されてしまう歯医者は大坂志郎、ベルモンドを密航させる船長は山田禅二、ベルモンドに金の買い手を紹介する気のいいホテルのフロントは藤村有弘または小沢昭一、そのガールフレンドは星ナオミ、ほら、すらすら配役が決まります。

いや、『黄金の男』を見ていない方には面白くもなんともないので、もうキャスティングやめておきます。肝心なのは、さまざまなショットが日活映画を思い起こさせる、ということだけです。当時は意識していませんでしたが、これが意識下のレベルで作用し、初見でおおいに親近感を抱き、親の目を盗んで再見した動機のひとつになったような気がします。

◆ 疾走する4ビート ◆◆
タイトルがオープン・エキゾーストまたはバックファイアというぐらいだから、ほんとうに車の走るシーンが多く、マルシャル・ソラルのスコアも、そういうシーンでのものが冴えています。『黄金の男』のOST盤は、『勝手にしやがれ』など、他のマルシャル・ソラルの映画音楽と入れ込みなので、トラック数が少なく、いずれもミドルなどの遅めのテンポです。

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しかし、面白いと感じるのは、スピード感のあるシーンに使われたトラックなので、いくつか映画から切り出してみました。タイトルはすべて、例によってわたしが適当につけたもので、映画からなのでモノーラルです。

サンプル Martial Solal "Driving 1"
サンプル Martial Solal "Exhaust 1"

Driving 1と名づけたトラックできかれるダイアログは、ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグのものです。

甲乙つけがたい出来で、じつにけっこうなグルーヴです。軽快に疾駆するトライアンフの絵と、マルシャル・ソラルのスコアがみごとに呼応して、『黄金の男』という映画は、幼いわたしの感性に訴えたのだと、いまにしてよく理解できました。スクリーン・プロセスによる合成をあまり使わず、ほとんど実写だということも、リアルな疾走感を生むのに大きく寄与したと思います。

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この映画の話題もまた、切れ場の多い噺と同じで、いつ終えてもかまわないのですが、切り出したトラックはまだあるので、もう一回だけつづけようと思います。ジーン・セバーグのことをまだ書いていませんし。


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by songsf4s | 2010-08-21 23:56 | 映画・TV音楽
Generique by Martial Solal (ジャン・ベッケル監督『黄金の男』より)

もうご記憶されている方はほとんどいらっしゃらないでしょうが、ずっと以前、『黄金の男』という映画のテーマ曲をお持ちの方がいらしたら、お聴かせ願えないだろうかと、当ブログで呼びかけたことがあります。

そのときは反応がなく、やっぱりダメかと思ったのですが、あとから、当家のご常連さん方ならご存知「三河のOさん」からメールをいただき、めでたくも、子どものときに好きだったテーマ曲をふたたび聴くことができました。

f0147840_004868.jpg『黄金の男』というのは、ジャン=ポール・ベルモンド主演、ジーン・セバーグ共演のフランス映画で、日本では1965年に公開されました(製作は前年)。小学校のとき、つづけて同じ映画を見たのは、記憶するかぎりでは『眠れる森の美女』『史上最大の作戦』、そしてこの『黄金の男』の三本だけです。

『黄金の男』のときは中学受験を目前に控えていたので、初見、再見、ともに親に黙って、塾をサボって見ました。いや、ジャン=ポール・ベルモンドも、ジーン・セバーグも知っていたわけではなく(小学生がゴダールの『勝手にしやがれ』を見るはずがない)、偶然に見たにすぎないのですが、ひどく気に入って、ぜひもう一度見たいと思い、たしか66年の正月、受験を目前にして再見したと記憶しています。

その数年後、一度だけテレビで見た記憶はありますが、あとはもうまったくチャンスなし、今日まで来てしまいました。いまだに日本語版DVDはリリースされていないようで、仕方ないから、フランス語版、英語字幕で見ました。

◆ お子様趣味をあと知恵ではかれば ◆◆
ウェブ、とくにブログというのはインフレ世界のようです。「傑作」「最高」「お薦め」ばかりがゴロゴロしていて、そういうのを見ると、死んでも「お薦め」なんかするものか、と思います。

だいたい、知らない人になにかを薦めるなんて、正気じゃありません。人間の好みは千差万別、蓼食う虫も好きずき、他人の好みなんかわかるはずがありません。長年つきあってきた友人になにかを薦めるときだって、気に入る確率は50パーセント以下だと思っています。

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なによりもバカげているのは、「自分は好きだ」という卑小なことを云っているだけなのに、それがユニヴァーサルな真理であるかのように、「傑作」「お薦め」という言葉を使うことです。自分は好きだ=世界中の人間すべても好む、なんて等式が成り立つと思っている知性の欠如と無神経にはゾッとします。

これから、お客さん方のほとんどどなたも見たことがないであろう映画のことを書きますが、「傑作」である気遣いなど、爪の先ほどもないので、そのつもりでお読みください。小学生が面白いと思った映画を、いまのわたしが見てどう思うか、というささやかなことを書くだけです。

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結論からいえば、失望はしませんでしたし、子どものころの俺の趣味はひどいものだ、とも思いませんでした。子どものときに気に入った点は、今回もやはり面白いと感じました。ただし、公開当時に見れば楽しめたかもしれないものの、いまでは古びてしまった箇所もあり、逆に、いまになって価値が増した部分もあると感じます。そうしたことを、以下、あれこれうがってみようと思います。

◆ 『続・勝手にしやがれ』かなあ…… ◆◆
ジャン=ポール・ベルモンドは密輸品の運び屋をやっています。一仕事やったその依頼主から、つづいておいしそうな話が持ち込まれるのですが、相棒は、結婚するのでもう危ない仕事はしたくないと乗ってきません。ひとりでいいか、と先方にきくと、べつの相棒を紹介する、といわれます。

仕事はレバノンまで金塊を運ぶというもので、そのための車、トライアンフTR4をあずけられ、相棒のジーン・セバーグを紹介され、船に乗ります。ベルモンドはライター、セバーグはカメラマンで、旅の本を書くためにレバノンを訪問する、というカヴァーです。

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このままおとなしく金塊を運んでいては映画になりません。ベルモンドはしきりにジーン・セバーグをたらし込もうとし(このあたり、『勝手にしやがれ』を想起させる)、みごと成功します(そうじゃないと映画にならない!)。

ここでベルモンドは野心を起こします。いま金塊を押さえているのは俺だ、というんで、組織と連絡を取ろうとしたジーン・セバーグを騙して、金塊トライアンフ(車体そのものが金でできている。ゴールドフィンガー好みの仕掛け)を持ち逃げします。

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ジーン・セバーグは組織の恐ろしさを知っているので、なんとか穏便にことを収めようとするいっぽう、ジャン=ポール・ベルモンドのほうは、金塊を売りさばこうとして、そのたびに組織に邪魔され、三〇〇キロの金があるだけで、現金なしになって、ジーン・セバーグとも別れ、ギリシャ、イタリア、ドイツを転々とします。

◆ フレンチ・ポップ風テーマ曲 ◆◆
以上でプロットはいいでしょう。あとはエンディングを残すばかりというところまで書きました。

子どものとき、無理に時間を作って再見した理由は明快です。またテーマ曲が聴きたかったことと、ジーン・セバーグをもう一回見たかったことです。

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まず、今回の数十年ぶりの再見で、音楽はどうだったか。これについては、映画を再見する以前に、三河のOさんのご厚意でファイルをいただき、記憶していたとおり、じつに楽しい音だと思いました。あの時代には目立たなかったかもしれないサウンドで、むしろ、いまのほうが歓迎されるだろうと思います。

サンプル Martial Solal "Generique"

小学校六年生のテイストもバカにならんと思いましたよ。小なりといえども、やっぱり俺は俺だ、いまと好みは同じ、なんて感心しちゃいました。女声スキャットとコンボ・オルガンのコンビネーションがいかにも60年代らしい味わいで、「お薦め」なんかしませんが、たとえば『黄金の七人』のテーマがお好きな方なら、あるいは楽しめるかもしれません。あの時代のヨーロッパでしかつくられなかったタイプのポップ・チューンで、その後、こういうサウンドは地球上から姿を消しました。

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左からゲルト・フレーベ、ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ

このGeneriqueというタイトルはどういう意味かと思って調べ、ズルッとなりました。映画テレビ用語で、creditsのことだそうです! つまり、オープニング・クレジットの背景で流れる曲、ということであり、タイトルなんてもんじゃなかったのです。たぶん、日本でもよくあるように、OST盤をリリースする予定がなく、ずっと後年リリースするときに、たんなる記号としてつけられたタイトルなのだと思います。

映画を再見してみて思ったのは、テーマ曲ばかりでなく、ほとんどすべて4ビートで埋め尽くされたスコアもおおいに楽しめる、ということです。楽しいトラックがたくさんあるのですが、今日はすでに時間切れ、まだスクリーン・キャプチャーすら手をつけていないありさまなので、そのあたりは、次回、サンプルをあげつつ検討することにします。


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by songsf4s | 2010-08-20 23:32 | 映画・TV音楽
In My Life――アンドルー・ゴールドとトッド・ラングレンの完コピごっこ
タイトル
In My Life
アーティスト
Andrew Gold
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
Copy Cat
リリース年
2009年
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つぎの映画を見終わっていないので、久しぶりに軽く音楽の話題をいってみます。

このあいだ、アンドルー・ゴールドが去年リリースしたアルバムを聴きました。Copy Catというタイトルを見て、ひょっとしたらと思い、トラック・リスティングを確認したら、これはまちがいないという曲が並んでいたからです。

Lady Madonna
Lonely Boy
All I've Got to Do
Little Deuce Coupe
Lucy in the Sky With Diamonds
Bridge to Your Heart
Good Riddance (Time of Your Life)
I Get Around
Never Let Her Slip Away
Strawberry Fields Forever
Got To Get You Into My Life
Norweigan Wood (This Bird Has Flown)
In My Life
Here There and Everywhere
Rocky Raccoon
Thank You For Being A Friend
Catch a Wave
Mad About You (The Final Frontier)
Your Song
Let It Be

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コピーキャットとは「物真似屋」という意味です。そういう言葉をタイトルにしていて、上記のような楽曲が並んでいれば、トッド・ラングレンのFaithfulと同じ、完全コピーをやってみました、という趣向だと想像がつきます。

ただし、ふつうはcopycatと一語で書くのですが、アンドルー・ゴールドは二語に切っています。cat単体だと「クールなプレイヤー」ぐらいの意味があるので(ラヴィン・スプーンフルのNashville Catsがこの語義でのcatの典型的な用例)、二語に切ることで、そういうニュアンスを強めようとしたのだろうと想像します。

アマチュアはコピーするものだし、わが国の場合ならヴェンチャーズ・コピー・バンドというのが山ほどあって、ライヴ・ジョイントに出演してそれなりにギャラをもらっていたりするのは、皆様ご存知のとおり。ヨーロッパだと、ヴェンチャーズではなく、シャドウズをコピーするようですが。もちろん、ビートルズ・コピー・バンドというのがたくさんあることも日本ばかりの現象ではありません。

しかし、プロが他人の音をnote by noteでコピーして、それを盤にしたというのは、わたしはトッド・ラングレンのFaithful(「忠実」というタイトルが笑わせる)しか知りませんでした。アンドルー・ゴールドのCopy Catは二例目です。

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さて、出来はいかがでありましょうか? って、たかがコピーなんで、身がまえるようなことではなく、ただの座興、お座敷芸にすぎません。まずは、かなりうまくいった例。

サンプル Andrew Gold "In My Life"

このトラックの美点は、むやみにピッチの高い、デイヴ・クラークも裸足で逃げ出しそうなスネアのサウンドを、かなりいいところまで再現していることです。

全体に、ビートルズの曲はどれも水準以上の出来ですが、ビーチボーイズはあまりうまくいっていません。そのなかで、これはまずまずの出来と云えます。

サンプル Andrew Gold "Catch a Wave"

再生環境に左右されることですが、ベースのサウンドというのは似せるのがむずかしいように思われます。All I've Got to Doなどはなかなか出来がいいのですが、ビートルズのヴァージョンではポールのベースがすごく目立つのに、アンドルー・ゴールドのコピーにはそういうムードがないのです。

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しかし、なんだか考えてしまいます。おー、似てる、似てる、と笑ったあとで、ふっと力が抜けますもんね。遊びなんだから、ゴチャゴチャいわずにおこうや、と自制しながらも、やはり、それでなんなの、という言葉が喉元まで迫り上がってきます。

たとえば、歌舞伎かなんかで、元の芸をやった人がすでに鬼籍に入っている、なんてことになると、それを写した芸には、偽物であっても、それなりの価値があるかもしれません(古今亭志ん朝の「火焔太鼓」は、親父のもののコピーではなかったが、さすがは息子、ほかの噺家とはちがう、と感じ入った)。でも、記録された音楽は鬼籍に入ったりしませんからね。いくらでも複製できるし、ジョン・レノンが死んでいても、ぜんぜん関係なく生きつづけてしまうわけで、じゃあ、ホンモノがひとつあればいいだろう、という気分は打ち消せません。

いやまあ、それをいっちゃあおしまいよ、なので、ここは深く考えずにおきましょう。ひとつだけいえるのは、自分でなにか芸事をするというのは、基本的にはだれかの型を写すことなので、音楽の基礎にもこのような「完コピ」の魂が厳としてある、ということです。問題は、そのままでは、ふつう、金を取れる芸とはみなされないという点でしょう。

いや、もちろん、古川ロッパが創始した「声帯模写」という芸もあって、このへんはじつに微妙なのですが。ロッパの声帯模写、聴いてみますか? いや、今日はやめておきましょう。正月以来やっていない「寄席」を近々復活させ、「猛暑退散祈願! 納涼名人寄席」なんて番組を組んでみます。そのときのひざがわりに、ロッパをもってきましょう。トリはやっぱり志ん生か文楽。「佃祭」あたりを聴いてみたい気分です。

◆ 家元トッド・ラングレン ◆◆
そもそも、完コピを盤にしちゃうというのは、トッド・ラングレンが創始したことなので、その「オリジナル・コピー」をちらっと聴いてみましょう。

トッド・ラングレン Strawberry Fields Forever


トッド・ラングレン Good Vibrations


うーむ。いまになってみると、ドラムはもうちょっとまじめにコピーしてちょうだい、ですね。サウンドが似ないのはやむをえないとして、譜面レベルのことはもうすこし神経質にコピーしたほうがいいと思います。ハル・ブレインの譜面とは、タムタムの使い方がだいぶちがいます。

◆ さらにひねるとタダのパスティーシュ ◆◆
ソロではなく、ユートピアの名義でですが、トッド・ラングレンはビートルズの楽曲を使わずに、The History of the Beatlesとでもいった雰囲気のアルバム、Deface the Musicもリリースしています。

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つまり、楽曲は自分のものなのだけれど、アレンジとサウンドはビートルズ風になっているのです。しかも、これが初期からはじまって、だんだん変化し、最後はペパーズあたりの音で終わっているという趣向です。なんだかバカげた遊びのようですが、でもまあ、音楽は本質的に遊びですからね。

初期サウンド風にやっている2曲をサンプルにしました。I Just Want to Touch Youは、タイトルは「抱きしめたい」を思わせるものの、サウンドのベースになっているのはFrom Me to Youでしょう。2曲目のThat's Not RightはFor Saleぐらいの時期なので、Eight Days a Weekのつもりだと思います。

サンプル Utopia "I Just Want to Touch You"

サンプル Utopia "That's Not Right"

しかし、考えてみれば、完コピを盤にするのは異常なことですが、この種のパスティーシュはいくらでも例があります。そもそも、ジョージ・ハリソンのAll Those Years AgoやそのB面のWhen We Was Fabなんか、ホンモノによるパスティーシュだと感じました。

I always looked up to you (yeah, indeed!)


ウーム、涙腺直撃歌詞、涙なくしては聴けません。

俺たちがファブだったころ


そして、ビートルズ自身によるFree As a BirdやReal Loveだって、「ホンモノによるパスティーシュ」とでもいうべきものだったと思います。あれをauthenticかつgenuineなビートルズのトラックと呼ぶのは無理があるでしょう。





どちらもそれほどたいした曲ではないのですが、こんなんでも大ヒットさせてしまうところが、ファブ・フォーの魔力というヤツで、もう半世紀近くたつのに、依然としてわれわれが彼らに魅入られたまま、正気に立ち戻れずにいることに驚きを禁じえません。たいていの魔法は、時がたてば解けるものなのですがね。

トッド・ラングレンやアンドルー・ゴールドのように、正真正銘のビルボード・ヒットのある人たちが、高校生みたいに本気でコピーをしたあげく、盤にして他人にも聴かせたいだなんて愚かしいことを考え、また、われわれのほうも、つい、どれどれ、どれくらい似たかな、なんて、世にもくだらないことをたしかめてしまうのも、やはり「魔法」のせいかもしれません。


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トッド・ラングレン Faithful(なんだこの邦題は!)
誓いの明日(K2HD/紙ジャケット仕様)
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ユートピア Deface the Music
Deface the Music
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ジョージ・ハリソン Somewhere in England
Somewhere in England
Somewhere in England
by songsf4s | 2010-08-19 23:58 | その他
『ゴールドフィンガー』と『チキ・チキ・バン・バン』と『太陽の下の10万ドル』

前回の「『パリは燃えているか?』とゲルト・フレーベ」という記事で、『トリプル・クロス』という映画でのフレーベのショットをキャプチャーしましたが、ついでに、へえと思ったショットがありました。

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プロコール・ハルムを聴く方は、これを見ると、A Salty Dogを思い浮かべるにちがいありません。

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『トリプル・クロス』のこのショットを見て、そういえばA Salty Dogのジャケットは煙草のパッケージ・デザインが元になっているというのを、どこかで読んだな、と思いました。

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「ジョン・プレイヤー・スペシャル」は日本でも見かけますが、同じプレイヤーズの煙草でも、こちらはNavy Cutというブランドで、わたしは実物を見たことがありませんでした。イアン・フレミングが『サンダーボール』のなかで、この煙草について蘊蓄を傾けているそうなので、ご興味のある方はどうぞ。

◆ 悪役の檜舞台 ◆◆
さて、今日はあざといぐらいに枕から本文にきれいにつながって、ジェイムズ・ボンドへと進みます。『史上最大の作戦』にはショーン・コネリーも出ていました。

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なんてことはどうでもよくて、前回の続きで、ゲルト・フレーベのことです。前回の記事をご覧になった方は、「おいおい、『パリは燃えているか?』だの『史上最大の作戦』だのといっている場合じゃないぞ。この俳優はあれじゃないか」とお思いになったかもしれません。ゲルト・フレーベはあの映画のいっぽうの主役だったわけですから。

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ゴールドフィンガーという悪玉は、妙にセコいところがあって、最初の登場シーンからしてプールサイドでのいかさまポーカーです。セコいところが、妙にフレーベの風貌に合っていました。

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ボンドと最初に顔を合わせるのはゴルフ・リンクでのことで、ボンドとかけゴルフをし、ここでもまた、ボディーガードのグレート・トーゴーにセコいインチキをさせます。

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結末は書かないほうがいいかもしれませんが、いまさら伏せるまでもない大有名映画だから、気にせずにスクリーン・ショットをいっちゃいます。

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リアジェットのなかでボンドと格闘になり、銃弾が窓を破砕して、そこから吸い出されてしまうという哀れな最期を遂げるのですが、ここでもまた、太った体躯がシーンにはまっていました、じゃなくて、窓にはまっていました。太っているおかげで、これは窓を抜けないかな、と思わせて、結局、シャンペンの栓が抜けるようにスポンと吸い出されるところがけっこうでした。

◆ ときには歌って踊り ◆◆
長年、再見していないせいもあるのですが、うかつにも、この映画に出ていたとは気づいていませんでした。

チキ・チキ・バン・バン


ヒゲや王冠のせいばかりでなく、やることなすことすべてが『パリは燃えているか?』や『ゴールドフィンガー』とはまったく異なるので、いわれなければ、これがゲルト・フレーベとはわからないのではないでしょうか。歌って踊っちゃいますからね、驚きます、というか、いい役者はそれくらいのことはできて当たり前というべきかもしれません。わが国でいえば、岸井明あたりのイメージでしょうか、って、もうご存知ない方のほうが多いでしょうかね。

『銀座カンカン娘』(1949年)


岸井明は冒頭と、中間に登場するだけで、歌って踊るところはこのクリップにはありません。あしからず。たしか、高峰秀子が主題歌をうたうところで、その相手役を務めた思うのですが、記憶曖昧なり。

灰田勝彦が殴られるシーンの背後の映画看板は、1948年製作、1949年日本公開の『鉄のカーテン』。また、この映画にはおそろしく痩せていて、別人にしか思えない古今亭志ん生も出演して、十八番「替わり目」の惚気を女房にきかれてしまうくだりを長々と演じます。志ん生が噺をやっている映像は稀なので、志ん生ファンならだれでも知っているショットですが。

以下のクリップには、噺はしないものの、志ん生も登場します。



まだ人気が爆発する前で、「志ん生師匠若き日のしゃれこうべ」という感じですな(「火焔太鼓」などの枕で、志ん生がときおり使っていたくすぐりがある。昔、頼朝公のしゃれこうべという見せ物があった。見物衆が「源頼朝は大頭だったてえ話だが、このしゃれこうべは小せえな」というと、勧進元曰く「頼朝公ご幼少のみぎりのしゃれこうべであるぞよ」)。人間、太っているほうが愛嬌があって、人に好かれるものだと、痩せた志ん生を見ると思います。いや、病後の高座の写真なんか見ると、やっぱりずいぶん痩せていますがね。

◆ 『太陽の下の10万ドル』 ◆◆
切れ場の多い噺、たとえば「山号寺号」みたいなもので、この話題はいつやめてもかまわないのですが、もう一本、ゲルト・フレーベ出演作品のスクリーン・キャプチャーをご覧いただきましょうか。

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この『太陽の下の10万ドル』という映画は、リノ・ヴァンチュラとジャン=ポール・ベルモンドの共演というだけでも食指が動くのですが、脇役のゲルト・フレーベがまた、他の映画とはまったく異なるキャラクターを演じているようで、おおいにそそられます。

カール=オットー・アルベルティーは、どの映画でもそれほど印象が変わらず、「柄」を求められ、タイプ・キャストされる役者なのでしょうが、ゲルト・フレーベは芸が一段上で、いろいろなキャラクターを演じられることが、『パリは燃えているか?』『史上最大の作戦』『ゴールドフィンガー』『チキ・チキ・バン・バン』『太陽の下の10万ドル』を見るとわかります。

すぐに気が変わるので当てになりませんが、つぎの映画はゲルト・フレーベが出演したものにしようかと思っています。


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by songsf4s | 2010-08-18 23:55 | 映画
『パリは燃えているか?』とゲルト・フレーベ


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◆ 勝利は一種類ではない ◆◆

『日本のいちばん長い日』その7で、『バルジ大作戦』を取り上げようと考えたきっかけを書いたのに、前回はその点にふれるのを失念してしまいました。

『バルジ大作戦』では、ロバート・ショウ(だれでもそういうが『ロシアより愛をこめて』はきわめて印象的だったし、『ジョーズ』の漁師もはまり役)扮するヘスラー大佐がドイツ側の主役で、指揮官を務めています。このヘスラー大佐にはコンラート(劇中、ドイツ兵も英語をしゃべるので、コンラートも英語式に「コンラッド」と発音されるが)という老従卒がついています。映画の終盤で、ヘスラーはコンラートと対話します。

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ヘスラー大佐「やったぞ、コンラート!」
コンラート伍長「では、わたしが間違いで、われわれが勝ったのですか?」
ヘ「いや」
コ「では、負けたということですか?」
ヘ「いいや」
コ「勝ちもしなければ負けもしないとは、どういうことですか?」
ヘ「最上の結果を得た。つまり、このまま戦争は継続されるということだ」
コ「いつまでですか?」
ヘ「永遠にだ。いつまでもずっと、ずっとつづくのだ」
コ「でも、終わりというものがあるのでは?」
ヘ「おまえはなにもわかっていないな、コンラート。知性のある人間ならだれでも、1941年の時点で、ドイツが勝つはずのないことを知っていた」
コ「それでは大佐、われわれは三年ものあいだ、勝利の望みがないままにずっと戦い続けてきたのでありますか?」
ヘ「勝利というものは一種類ではないのだよ。われわれの軍隊が生き延び、われわれがこの軍服を着続けられること――それこそがわれわれにとっては勝利なのだ」

狂ってる、といいたくなりますが、よくよく考えると、日本の軍人がこのヘスラー大佐より正気だったとも言い切れません。いや、もちろん、じっさいの戦闘をもとにしたとはいえ、所詮、架空の物語、アメリカ製娯楽映画であり、アメリカの脚本家がつくりあげた、かつての敵国ドイツの軍人の肖像にすぎないのですが、妙にリアリティーのある述懐でした。

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◆ ベルリンからの使者 ◆◆
さて、前回のつづき、カール=オットー・アルベルティーの『パリは燃えているか?』出演シーンです。

『パリは燃えているか?』は、ドミニーク・ラピエールとラリー・コリンズの同題のノンフィクションにもとづく映画で、ドイツのパリ占領末期の数日間を描いています。戦闘場面も少なく、外国のオールスター・キャスト大作戦争映画のなかで、『日本のいちばん長い日』にもっとも近い映画です。

ヒトラーは、撤退するときはパリを火の海にしろとフォン・コルティッツ将軍に命じるのですが、将軍はその命令が気に入らず、なんとかおだやかにパリ占領の幕を引きたいと考えています。したがって、本国からの使者を嫌がっているのですが、そこに、SS(親衛隊)の将校が面会をもとめて待っていると知らされ、不機嫌な顔で執務室に入っていきます。

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で、このSSの将校のひとりが、前回の主役カール=オットー・アルベルティーなのです。SSのふたりは、ヒトラーの催促を伝えに来たのではないかと思い、このパリ司政官は渋い顔をしていたのですが、彼らの用件は、なんとルーヴルにある美術品をベルリンに運ぶ命令を受けていて、その作業の許可を得たいというものだったのです。

将軍は内心ズルッとなりながらも、それは顔に出さず、勝手にしろ、ただし、ルーヴルはレジスタンスに占領されている、と嫌味をいいます。

カール=オットー・アルベルティーもいつも気になるのですが、この将軍を演じたゲルト・フレーベがまた第二次大戦を扱った戦争映画の常連で、やはりものすごく気になる人なのです。

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◆ ロバに乗った軍曹 ◆◆
最初に見たゲルト・フレーベの映画は『史上最大の作戦』でした。東京のロードショウ館で見てから、さらに二番館に落ちてまた再見したほど小学校のときに好きだった映画で、とくに気に入っていたシーンがいくつかあります。たとえば、夜間行軍中にドイツ部隊とアメリカ部隊がすれちがって気づかないところ、それからもちろん、以前、この映画のテーマ曲を取り上げた記事でおおいに賞揚したウイストルハム村のシーンもそうでした。

そして、このシーンも、子どもの大のお気に入りでした。

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デブのおっさんがのろまなロバにまたがって、牛の乳搾りでもするためなのか、大小雑多な金属容器をカランカラン鳴り響かせて、よたよたやってくる、というじつにのんびりしたショットなのです。そして、海に目をやると、なんだか様子が変で、いぶかしげな顔をします。

と思うや、大音響がして、それこそ史上最大規模の大艦砲射撃がはじまり、雨あられと砲弾が飛んできます。

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この日を一日千秋の思いで待っていたフランス人は、命の危険もものかは、狂喜乱舞し、ドイツの兵隊は、ロバから降りて右往左往あわてふためきます。

まず日本映画ではお目にかかれないだろうというド派手な爆発シーンで、それまでの変なオッサンのコメディー・リリーフから、一転して地獄の様相を呈するところが、子どもには驚きでした。

こういうシーンに登場した人ですからね、忘れるわけがないのです。

◆ 第三の男ハンス・クリスチャン・ブレヒ ◆◆
ちょっと脇道に入りますが、『史上最大の作戦』の艦砲射撃のシーンでは、もうひとり、やっぱりいたか、という俳優が登場します。

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この記事の冒頭に登場させた、『バルジ大作戦』の従卒も演じた、ハンス・クリスチャン・ブレヒという俳優です。ドイツ人俳優は、ハリウッド映画に出るときは、やはりナチス軍人が多いのでしょう。『バルジ大作戦』では伍長でしたが、『史上最大の作戦』では少佐で、砲兵隊の指揮官です。ただし、とんでもない艦砲射撃で危うく命を落としそうになる役です。

◆ 佐官もある ◆◆
さて再び、ゲルト・フレーベです。フレーベの出世はすごいものです。『史上最大の作戦』では軍曹だったのが、『パリは燃えているか?』では将軍ですからね。全編出ずっぱりで、最後のドイツ軍パリ司政官の苦悩を演じています。

本国での作品は知りませんが、外国映画に出演したものとしては、『パリは燃えているか?』はフレーベの代表作のひとつといえるでしょう。ただし、映画全体としては、残念ながら、いま見るとひどく間延びしていて、サスペンスが薄く、『日本のいちばん長い日』より数段落ちる作品だと思いますが。

『パリは燃えているか?』と同じ1966年に公開された『トリプル・クロス』でも、フレーベはナチス軍人に扮しています。こちらの階級は大佐で、階級は同じなのに、なぜかユル・ブリナー大佐にこき使われます。

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妙にきれいな絵だと思ったら、撮影監督はアンリ・アルカンだった。

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手前にフレーベ、奥はユル・ブリナー。この暖炉が巨大で、天井まで装飾がつづいている。ナチスらしさを出すための誇張?

なかなかドイツ機甲師団のブリッツクリークのようなわけにはいかず、歩みが遅いため、もう一回だけ、戦争映画で活躍したドイツ人俳優の話をつづけたいと思います。


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by songsf4s | 2010-08-17 23:57 | 映画
『バルジ大作戦』とカール・オットー・アルベルティー
 
大作戦争映画は、しばしば広い戦闘地域を扱うことになります。『史上最大の作戦』がそうですし、『遠すぎた橋』や『パットン戦車軍団』もそうです。

いずれも、これでもか、これでもか、という物量作戦ですし、スターも大量動員されています。imdbなどでキャストをごらんあれ。

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東映正月映画の場合は、ただ豪華絢爛にして客を呼ぼうという魂胆しかなかったでしょうが、いまになって、大作戦争映画がオールスター・キャストになっていることには、ちょっとした副次効果があることに気づきました。

大作戦争映画で困るのは、いま、どこでなにをしているのかがわからなくなることです。ひとつの部隊だけを追いかける大作戦争映画というのはあまりなく(例外は『プライベート・ライアン』)、たいていの場合、あちこちの戦闘地域の出来事を、多元的に描写します。

たとえば、『史上最大の作戦』でいえば、オマハ・ビーチだの、ジュノー・ビーチだの、ユタ・ビーチだのといくつも上陸地点があるうえに、第82および第101空挺師団による降下作戦もあれば、グライダー部隊もあるし、もちろん、ドイツ軍の描写もあるしで、ちょっと気を抜くと、シャッフルされたショットがどうつながるのかわからなくなってしまいます。

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こういうときに助けになるのがスターの存在で、ジョン・ウェインやヘンリー・フォンダやピーター・ローフォードの顔を頼りに、細切れになったショットを頭のなかで接続し、それぞれの部隊の一貫性を保持することになります。

◆ 遠すぎた橋の多すぎた部隊 ◆◆
そうはいっても、『史上最大の作戦』と同じコーネリアス・ライアンの本を映画化した『遠すぎた橋』(マーケット・ガーデン作戦を題材にしている)のように、スターはたくさん出ているのに、それでもやっぱり、どこにどういう部隊がいて、いまなにをしているかという連続性を頭のなかで組み立てるのが困難な映画もあります。

これが本ならば、関係図などがあるので、わからなくなったら、だれの部隊がどう移動していったかをさかのぼって確認することもできますが、映画ではそうはいきません。多元描写の迷路のなかで観客が迷子にならないようにする責任は、作り手が負わなければならないのです。大作戦争映画の成功不成功の鍵は、いかに人物関係をわかりやすく提示するかにあるとすら思います。『遠すぎた橋』は、この種の映画の代表的な失敗例です。

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そういう意味で、前回までながながと検討した、『日本のいちばん長い日』は、外国の同種の映画と比較してものも、もっとも成功したオールスター・キャスト大作戦争映画の一本といえます。もちろん、舞台が宮城とその周辺という狭い地域にかぎられていることも幸いしているのですが、キャスティングや、シナリオと編集の工夫なくしては、こういう錯綜したストーリーラインをうまく捌くことはできないでしょう。

しばしば場所と部隊と人物を文字で明示することも、ひとつまちがえば野暮になりますが、この映画では効果を上げたと思います。もちろん、われわれにとって、西洋人より日本人のほうがずっと区別しやすいということもあるし、端役にいたるまで顔なじみの俳優で埋め尽くされているので、単純に外国映画と比較するわけにはいかない面もありますが……。

◆ 戦争も映画も物量で勝つ ◆◆
『バルジ大作戦』は、他の大作戦争映画にくらべればスターの数は少ないのですが(その分、戦車の数のすごいこと!)、おおいに脚色を加えて、ドイツ部隊の展開を現実よりシンプルにし、守勢にまわったアメリカ側も現実とはちがって広い地域に展開していないため、ここはどこ? 前線はどっち? なんてことは起きず、最後まで迷子にならずに見られます。『遠すぎた橋』もこれくらい思いきって簡略化すれば、映画として面白いものになったのではないでしょうか。

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『日本のいちばん長い日』は、日本映画としては大きな製作費をかけたのだろうと思いますが、そもそも、戦闘シーンのほとんどないめずらしい戦争映画で、大作戦争映画とはいいながら、外国製とはだいぶ味わいが異なります。

『太平洋の翼』のように、戦闘シーンのあるものをつくっても、結局、円谷プロのミニチュアが頼りで、実寸大の飛行機、戦車を大量投入する外国映画にはとうていかなわないという認識から生まれたのだろうな、なんてことを考えてしまうほど、『バルジ大作戦』は無数のタイガー戦車がアルデンヌの森狭しと疾駆します。

じっさいのアルデンヌの戦いでは、あれほど多くのタイガーIIは投入されなかったようですが、装甲が厚いおかげか、砲塔の設計のおかげか、パットン戦車の砲弾が、カンと跳ね返されてしまうところは、まるで落語の「ヤカン」そのまま、思わず笑ってしまいます。

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ただし、タイガーIIはパットンの実物で代用したので(おかしいと思って記事をアップしたあとで調べ、8月17日に修正。やはり、記憶にあったとおり、IIはIを土台にさらに厚着をしたようなごついデザインだった)、一目で米独の区別がつかないため、映画的効果を妨げています。

『バルジ大作戦』の面白いところは、奇襲が功を奏し、また、タイガーIIの厚い装甲のおかげもあって、戦闘においては勝っていたドイツ機甲師団が、最後は燃料切れで身動きがとれなくなって負けてしまう、という点です。連合軍の補給基地を襲って、燃料を奪取するというのは、はじめから作戦に組み込まれていたというのだから、泣けてきます。

もちろん、大東亞戦争も、もとはといえば油飢餓からはじまったこと、パレンバン奇襲作戦なんか、油田をとりにいったわけで、ドイツ機甲師団の油ぎれ敗戦はよそ事ではありません。日本だって、戦争末期には、船はあっても動かす油がなく、連合艦隊は飾り物になってしまったのだから、バルジの戦いは身につまされます。

パレンバン奇襲作戦


周囲の情勢でやむをえず、という形ではなく、日本が再び主体的に戦争をするとしたら、やはり食料とエネルギーしか理由は考えられないでしょう。食料またはエネルギー危機が起きたら、熱くならずに、交渉で解決するよう、国民が後押ししないと、大東亞戦争の轍を踏むこと請け合いです。戦記本は読んだほうがいいし、戦争映画も見たほうがいいのです。たいていの戦争は「生のまま」では実利をもたらさない、「調理」が必要だということがよく理解できるようになります。

亡父につきあって、ときおり「水戸黄門」を見ていました。時代考証もハチの頭もあったものではなく、呆れかえったドラマだと思いますが、一点だけ、頷けることがありました。「とりあえず戦ったうえで、話し合いに持ち込む」ということです。

水戸黄門が先に印籠を出さず、まずチャンバラをやり、武力の優劣がある程度見えたところで、「静まれい!」とやるのは、戦争のエッセンスを五七五に詠んだような、あざやかな抽出です。そう考えれば、なぜ大東亞戦争が悲惨な結果を招いたかは火を見るよりも明らかです。明確なゴール設定をせず、負けと判断する基準もなく、手仕舞いすることなど考えていなかったためです。

◆ ナチスの軍服を着て生まれてきた役者 ◆◆
戦争のことなど棚に上げて、サスペンス映画として『日本のいちばん長い日』を見る、といったくせに、結局、戦争の問題に足を取られて、七面倒なことも考えざるを得なくなりましたが、今回も、細部で楽しもうと思っただけなのに、つい戦争と人間の問題にしがみつかれてしまいました。

『バルジ大作戦』を見ていて、アッハッハ、と笑ったので、そのことを書こうと思ったのです。どこで笑ったか?

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カール=オットー・アルベルティーという俳優です。榎木兵衛を膨らませたような異相で、いつもすごく気になる脇役です。この映画も、なんだかあいつが出てきそうだと思っていたら、ちゃんとロバート・ショウの部下で出てきたので、べつにコミカルな演技をするわけでもないのに、思わず笑ってしまいました。

カール=オットー・アルベルティーという人の顔を記憶したのはこの映画。

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この『戦略大作戦』でも、『バルジ大作戦』と同じく。タイガー戦車の戦車長、ただし、旧型のタイガーIのほうです。

あちらのほうの記事でも書きましたが、『戦略大作戦』では、銀行から金塊を奪取しようとするクリント・イーストウッド、テリー・サヴァラス、ドナルド・サザーランドらの連合軍ならず者部隊が、銀行前に居座った、たった1台のタイガー戦車に手を焼く、というシーンで、その戦車長としてカール=オットー・アルベルティーが登場します。

この役者は、ほかの映画ではあまり表情を変えず、それが売りもののようなところがあるのですが、『戦略大作戦』では、金塊の分け前をもらって「戦線」を離脱するときに、ニッコリ笑うのがなんとも印象的でした。本国ではもっと大きな役をやっているのでしょうが、ハリウッド映画のなかでは、『戦略大作戦』がアルベルティーの代表作だと思います。

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フィルモグラフィーを見ると、ハリウッド映画初出演は『大脱走』だったようです。子どものころに見たきりなので、カール=オットー・アルベルティーがどんな演技をしたのか、まったく記憶にありませんが、第二次大戦の捕虜収容所を舞台にした映画ですから、やはりドイツ軍兵士に扮したのでしょう。

八月にはなにか戦争映画を取り上げようと思って、ウェブが使えなかったあいだに数本の戦争映画を見たのですが、そのなかの一本がこれ。やっぱりカール=オットー・アルベルティーが出ていました。

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やはりナチス将校の役ですが、この『パリは燃えているか?』では、SS(ナチス親衛隊)の将校に扮します。これがこの映画のなかでは唯一といっていいくらいの笑えるシーンなのですが、そのへんは次回に書きます。



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by songsf4s | 2010-08-16 23:56 | 映画
岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』 その7

時期が時期なので、夕食でテレビをつけるたびに、珍妙な戦争番組が目に入ります。まあ、なにを見ても「そんなこと知ってるよ」なんてゲストがいうようでは、番組にならないからでしょうが、それにしても、よくまあ、これほどものを知らない若者ばかり集めたものだと感心してしまいます。それとも、あれは演技なのでしょうか。

若いからものを知らないというのは一面で正しいのですが、それにしても、義務教育なんか受けなかったし、本などさわったこともない、とでもいわんばかりの極端に無知な連中に、世代を代表された形になってしまった若者たちは可哀想です。いまだって、歴史の基本知識を持っている若者はたくさんいるでしょう。

いやはや、ひどい代物をつくったものです。モノクロ写真では臨場感がないから、色をつけてみよう、などというのは過去にもたくさん例のあることです。その代表が、観光みやげの着色絵はがきです。戦争に色をつけたら、もっと悲惨になるだろう、というのは、土産物屋のオヤジの発想でしょうに。バカもいい加減になさいな。

いや、江戸川乱歩の小説に描かれているような、昔の靖国神社の見せ物ならそれでいいのですよ。グラン・ギニョールじみた見せ物をやっておいて、「戦争の真実」はないでしょうに。この暑いのに、テレビ屋風情に説教なぞされるのはこのうえなく迷惑、そろそろ十年一日の偽善はやめたがよろしかろうと愚考します。

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◆ 男たちの戦記――東宝戦記映画音楽集 ◆◆
長々とつづいた終わりなき『日本のいちばん長い日』も今回が最終回なので、サンプルをアップしました。例によって、当初はOST盤のリリース予定がなかったためでしょう、ただの作品番号にすぎず、タイトルといえるようなものではないのですが、これはエンド・タイトルに流れるトラックで、いわばテーマです。

サンプル 佐藤勝「M25-T2」

オーソドクスなオーケストラ曲で、佐藤勝のこのタイプのもののなかでも、代表作といえるだろうと思います。終盤の転調が効果的です。なお、毎度ながら、このトラックも「三河のOさん」のご喜捨によるものであることを謝して記します。

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◆ 東部軍乗り出す ◆◆
人間、頭に血がのぼった状態でできることは、やはりかぎられているのではないでしょうか。叛乱将校たちは、それなりに頭を働かせて行動しているのですが、ものごとはグレハマになっていきます。

そもそも、思い起こしてみれば、近衛師団長を殺害し、師団長印を使って偽命令をつくり、近衛第二連隊を動かして、宮城を武力制圧するということからして、計画したことではなく、激情が生んだ結果を弥縫するものにすぎなかったのだから、その繕いがまたほころびるのは時間の問題だということは、渦中にいない人間には岡目八目、土台、無理な目論見だと、すぐにわかります。

1945年8月15日の夜が明けるとともに、叛乱将校たちの夢はしぼみはじめ、事態は沈静化に向かいはじめます。

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田中東部軍司令官は直接、宮内省や近衛連隊の詰め所を訪れ、昨夜の近衛師団長名の命令が偽物だったことを告げ、以後、死亡した森師団長に代わって、自分の指揮にしたがうように命じます。

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ここまでくれば、叛乱将校たちも抵抗のしようがありません。遣り場のない憤怒に駆られて、椎崎中佐が外に駈けだし、気合いをこめて軍刀で松の枝を切り払うところは印象的です。子どものころも、大人になってからも、こういう激情にはあまりシンパシーがわかなかったのですが、年をとったら、どういうわけか、椎崎中佐のやるせなさが親しいものに感じられました。再見してみるものです。

◆ お人好しのクーデター ◆◆
畑中少佐は、椎崎中佐の提案にしたがって放送局に行き(当時のJOAKは内幸町にあった。日比谷公会堂の向かいあたり)、ラジオを通じて継戦を訴えようとします。しかし、マイクの前に坐ったJOAKのアナウンサー、館野守男(加山雄三)は、「空襲警報が出ているあいだは、東部軍管区の許可がないかぎり、いっさいの放送ができません」と、少佐の要求を拒否します。

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この時代の加山雄三は東宝の虎の子、客を呼べるスターのひとりだったので、じつにいいタイミングで、いい役での登場です。ただし、畑中少佐が拳銃を突きつけても、「ここで加山雄三が頭を吹き飛ばされて死ぬはずがないよな」と、当時の観客はだれでも見抜いたはずで、黒沢年男渾身の演技も虚しく、このシーンのサスペンスはおおいに減じられてしまいました。

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結局、部隊から電話がかかってきて、東部軍が近衛師団を掌握したことを知らされ、畑中少佐は放送を断念します。

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人生、思ったとおりにいくことのほうが少ないのはわれわれが日常よく知るところでして、横浜警備隊の佐々木大尉も、人のよさが災いして幻滅の悲哀を味わうことになります。

官邸の警備兵に、首相は今夜は私邸でおやすみですといわれて、どうもありがとうと円山町に行ってみたら、もぬけの殻、女中(新珠三千代)がひとりいるだけという、お引けのあとの女郎屋のような寂しさ。

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わたしだったら、こんな美女が、女中ですなんていったら、ウソをつけ! てえんで折檻しちゃいますが、佐々木大尉はきまじめな武人なので、いたって紳士的です。で、どう見ても妾にしか思えない怪しい美人の女中がいうには、官邸のほうから叛乱兵がそちらに向かったという連絡があったので、みなさん避難なさいました、どこへいらしたかはわたしは存じません、なのです。

人間、ことを起こすときには、非情にならなければ失敗するのです。首相だけ斃せばいい、ほかのものは傷つけるな、なんていいっていると、計画は尻抜けになって、このざまです。つぎにクーデターをやるときには、「強くなければ生き残れない。でも、ときにはやさしくなれないのでは生きていても意味がないじゃないか」("If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive")というフィリップ・マーロウの箴言はドブに捨てましょうね>佐々木大尉殿。クーデターを起こすには、あなたはgentleすぎたのでしょう。

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◆ 嗚呼、腹切り ◆◆
いまふりかえれば、たぶん、黒澤明『椿三十郎』のラストにおける、あの三船敏郎対仲代達矢の決闘あたりが起源なのだろうと思いますが、1960年代というのは、映画に血しぶき、スプラッターが導入されていった時代です。師団長室での首がゴロンも驚きましたが、もっと強く印象に残ったのは、阿南大将の自決シーンです。

だいたい、切腹ということからしてわたしはいまだに意味を理解していないのですが、ともあれ、江戸時代には、切腹の困難の度合いを減じる措置が執られました。短刀で腹を切らなくても、腹に刃を当てるしぐさをするだけで、介錯をしてもらえるようになり(なんて、首を斬られるのに、ありがたそうに書くことはないか!)、やがて、短刀すらなくなり、三宝に扇子を載せておくようになったそうです。腹切りは形式だけになり、実体は首斬りへと変じたのです。

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ご存知のように、腹を切っても人間は即死しません。失血死するまでにはひどく時間がかかるそうです。だから、介錯するのであり、武家でも、婦女子は腹を切らず、首を斬ります。

ところがですね、阿南陸軍大臣は、ほんとうに腹を切るだけでなく、介錯を、と叫ぶ義弟を退け、みずから首を切ってとどめを刺すのです。いやもう、中学生のわたしは血の気が引きましたよ。まったくもって凄絶な切腹シーンで、モノクロでよかった、と感謝したくなったほどです(小学生のとき、市川雷蔵が切腹する映画を見た記憶があるが、血の気の引くようなものではなかったと思う)。

お盆のさなかの書き入れ時に公開される映画で、老若男女の観客を想定していただろうに、このありあまる血潮は、やはり、「そういう時代だったのだ」というしかありません。『椿三十郎』や小林正樹の『切腹』よりあとに生まれた映画だということです。たしか同じ年に、『情け無用のジャンゴ』という、とんでもない残虐イタロ・ウェスタンもありました。

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映画としての表現はどうであれ、阿南惟幾という人は、軍人として筋を通したと思います。敗戦の責任を負って、天皇に謝罪したという形ですが、それよりも、もっと大きななにものか、民族の魂とでもいうものを鎮める役割を果たしたと感じます。阿南陸相の自決がなければ、いまだにわたしたちは、あの終戦はなんだったのかと、割り切れない気持になるでしょう。本土決戦で死ぬつもりだった人びとの魂が迷わずにすんだのは、陸相の自決のおかげだと思います。

◆ 「国体」というもの ◆◆
『日本のいちばん長い日』に登場する軍人たちは、陸軍大臣も若手士官も、みなこぞって「国体の護持」をいいつのります。この「国体」というのが、わかったような、わからないような、こんにゃく問答的概念で、まじめに考えると混迷に陥ること請け合いです。

畑中少佐らは、ポツダム宣言など受け入れて「国体の護持」ができるのか、と腹を立てて行動を起こすのですが、それでまずやったことが、宮城の武力制圧なのだから、奇妙な話です。天皇を政府から遮断することが「国体の護持」だと信じていたのでしょうが、事件が長引いて、天皇が、二・二六のときと同じように、蹶起した将校たちを叛乱兵とみなしたら、どうするつもりだったのでしょうか。

結局、彼らがこの危急のときに叫んだ「国体」とは、彼らの外側に存在する、天皇を中心とした「神国」のありようなどではないのだろうと思います。それは、彼らの心の中に存する「自我」それ自体の謂いにほかなりません。

ポツダム宣言受諾、武装解除となれば、帝国陸海軍は消滅します(じっさい、その後、そうなったのは、われわれのよく知るところ)。彼らは軍に所属するだけでなく、軍は彼らの存在を証明するものでした。軍がなくなれば、彼らの存在はあやふやになり、自我は崩壊します。決定的なゲシュタルト崩壊を起こす前に、彼らはそれぞれおのれの自我を救わんとして蹶起したのです。

「国体の護持」とは、この場合、「自我の防御」と考えればいいのではないでしょうか。だからこそ、近衛師団長を殺害したり、宮城に乱入して(当時の感覚では、これ以上の「不敬」はないだろう)、武力制圧し、天皇を外部から遮断するなどということもできたのです。

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中学のときは、そうした彼らの心理には思いがおよばず、まったく共感できませんでした。しかし、年をとってみると、彼らの魂のもだえもわかるような気がしてきました。いや、むしろ、もうダメだ、今日を限りとして戦争はやめよう、などという「大人」の考え方のほうに、かすかな違和すら感じます。ここでやめるなら、そもそも、なぜこんな戦争をはじめたのだと、わたしもあの場にいたら叫んだかもしれません。

ナチス・ドイツの軍人も、同じようなメンタリティーをもっていたことをうかがわせる場面が、『バルジ大作戦』に出てくるのですが、次回、この映画を軽く取り上げる予定なので、そのときに書くことにします。

橋本忍のシナリオのことをはじめ、まだいろいろ書くつもりだったのですが、腰は張る、背中は固まる、脚は痛いという懲罰房症候群にかかったので、とりあえず『日本のいちばん長い日』はこれにて完といたします。なにか思いだしたことがあれば、『バルジ大作戦』とともに次回にでも補足することにします。

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by songsf4s | 2010-08-14 23:54 | 映画・TV音楽
岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』 その6

とくになにごとかが起きるわけではないので、これまで省いてきましたが、すべての公務を終え、陸相官邸に帰った阿南陸軍大臣(三船敏郎)のすがたも、ハイ・テンションの事件の推移と対比されるかたちで、カットバックで何度も登場します。

深夜、義弟の竹下少佐が訪ねてくる、陸相官邸の最初のシーンで、すでに阿南大将は、脇に短刀をおき、文机に向かって辞世の歌を書いているところで、この先、なにが起こるかはハッキリわかるように描かれています。

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『日本のいちばん長い日』の原作には略図がついています。それによると、陸相官邸は、国会議事堂前の西洋庭園か、または隣接する憲政記念館の敷地にあったようです。どちらも夕方五時までなら自由に見学できるので、お近くにお寄りの際には往時をしのんでみては如何でしょうか。

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国会議事堂前西洋庭園のなかには、「日本水準原点標庫」(標高を測るための原点標をしまってある)というものもあります。ミニチュアのギリシャ神殿のような格好をしているのですが、これがなんと辰野金吾設計なのです。国会議事堂を設計することを念願とし、長年、妻木頼黄(日本橋を設計した)と鍔迫り合いを演じた辰野博士の小さな設計物が、いまも(怨みを飲んで?)議事堂を見上げているわけで、考えてみるとちょっと怖いのですが。

◆ われわれに刃向かうものは賊軍だ ◆◆
東部軍の蹶起を促すために、井田中佐は水谷近衛師団参謀長をともなって、お濠端の第一生命館を訪れますが、ことは中佐が望んだようには運びません。事件のショックでうろがまわった水谷参謀長が、森師団長の殺害まで、すべて話してしまうのです。

これで、師団長殺害は伏せておこうというもくろみはあっさり崩れてしまい、呼応蹶起するどころか、激怒した田中東部軍司令官は、みずから宮城に行き、叛乱軍鎮圧の指揮を執るといきりたち、部下に諫められます。二・二六のときにもいわれた「皇軍相撃つの悲劇を避ける」というあたりでしょうか。とりあえず、不破参謀たちが事実をたしかめに近衛師団司令部に向かうことになります。

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宮内省では、畑中少佐たち叛乱軍将校が、JOAK職員に録音の経過と録音盤のありかについて尋問し、侍従の方にあずけた、名前は知らないという返答を得ます。この時点では、録音盤が宮内省内にあることを確認して、椎崎中佐は満足します。自分たちが宮城を押さえているかぎり、放送はできないからです。

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三時ごろ、井田中佐が戻り、畑中少佐、椎崎中佐らに、東部軍が起たなかったことを伝え、万事休す、夜明けまでに兵を引けと諭し、阿南大臣に経過を報告するといって去ります。客観的には、このあたりで、大きく見れば、もう事態は収束に向かうことが読めます。しかし、個々の人びとの運命はまだ決せず、揺れ動きつづけます。

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井田中佐が去ると、椎崎中佐は「天皇を擁しているのはわれわれのほうだ、われわれに刃向かうものはみな賊軍だ」と、意気阻喪しかけた仲間を叱咤し、こうなると録音盤の存在が邪魔だ、早く探しだそうと、再度、JOAKの矢部国内局長(加東大介)を尋問し、兵たちを動員して宮内省の大捜索に取りかかります。

◆ 目標、首相官邸! ◆◆
いっぽう、不破参謀らは近衛師団司令部に駈けつけ、石原少佐と衝突しそうになりますが、少佐は、国家の興廃の際に立ち上がれない腑抜けが最後にどうなるか、東部軍の腰抜け参謀殿にとくと見てもらおう、といって通し、東部軍の二人は、血の海になった師団長室で、森中将の死を確認します。

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宮内省での録音盤の捜索は難航し、椎崎中佐は、さらに人員を投入しますが、発見には至りません。JOAK職員も、侍従にあずけたとはいいますが、名前は知らないと主張します。

横浜警備隊は多摩川を越え、佐々木大尉は「目標、首相官邸!」と叫びます。鈴木貫太郎首相は、二・二六のときにも安藤大尉の率いる一隊に襲撃を受け、三発も撃たれて、瀕死の重傷を負いながら生き残ったのに、またしても叛乱軍につけ狙われることになるのだから、よくよく運のない人というか、いや、二・二六を生き延びたのだから、運のいい人というか、よくわかりません。こういう巡り合わせになってしまう人というのが、世の中にはときおりいるものなのでしょう。

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時刻は午前4時。夜もどん詰まり、いちばん暗い時刻です。依然、録音盤は発見できず、焦燥する畑中少佐、椎崎中佐らは、芳賀連隊長に、陸軍大臣をお連れするという約束はどうなったのだ、と詰め寄られます。芳賀大佐も、命令で動いたものの、なにやら様子がおかしいと気づきはじめたようです。

◆ 一死を以て大罪を謝し奉る ◆◆
夜明けごろ、首相官邸に到着した横浜警備隊の叛乱兵は、トラックを降りるとそのまま配備につき、「撃てえ!」の命令一下、いきなり外から首相官邸を撃ちはじめるのだから、じつにもって乱暴な話です。なかにいた迫水書記官が、窓から顔を出して、撃たれそうになります。

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ここで警備の警官(小川安三)が出てきて、首相はここにはいらっしゃいません、私邸のほうにお帰りです、わたしはあなた方に賛成です、がんばってください、なんていわれて、そうか、といって握手なんかして、なかも調べずに去ってしまうのだから、佐々木大尉というのは、案外、人がいいのかもしれません!

録音盤が見つからず、くじけそうになる畑中少佐に、椎崎中佐は、まだ手はある、いまから放送局に行け、そして夜明けとともに、抗戦を訴える放送をするのだ、と説得します。畑中少佐は直情径行、猪突猛進、椎崎中佐は粘液質で忍耐強い策謀家、という性格分けで、黒沢年男、中丸忠雄、ともに熱演です。

陸相官邸では、「一死を以て大罪を謝し奉る」という遺言も書き終わり、阿南陸軍大臣が、義弟の竹下少佐および井田中佐と酒を酌み交わし、日本の将来について話をしています。準備は終わったのです。

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思ったよりずっと長くなってしまった『日本のいちばん長い日』ですが、「国体の護持」のことなどを考えつつ、あと一回で終えるつもりです。


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by songsf4s | 2010-08-13 23:55 | 映画
岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』 その5

とりたててきっかけなどないのですが、なんだか妙にゴジラ映画が見たくなりました。考えてみると、夏になるとかならず見ていたのは東宝戦争映画ばかりでなく、東宝特撮映画も公開されていたはずです。戦争もの、特撮もの、若大将シリーズ、駅前シリーズ、このあたりはみな夏休み中にやっていたと思います。

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炎上する東京。1954年の『ゴジラ』第一作より。

そんな1960年代前半の記憶が、なんとなくゴジラを思いだした原因でしょうが、もうひとつの道筋もあります。「戦争映画」の連想です。オリジナルの『ゴジラ』二作目の『ゴジラの逆襲』の記事で書いたように、初期のゴジラ映画は、戦争、とりわけ太平洋戦争のメタファーがちりばめられていました。ゴジラがひどく擬人化して、フレンドリーになってからは、戦争のメタファーなどどこかにすっ飛んでしまったのですが、後年のゴジラでは、また戦争が意識されるようになっていくわけで、そういう側面からもう一度ゴジラを見直してみるのも一興かもしれません。

◆ 「聖杯」の出現 ◆◆
『日本のいちばん長い日』も今回で5回目、猛暑のなか、自転車で市ヶ谷台、北の丸、お濠端と走りまわる畑中少佐のように、必死で更新しているのですが、映画のなかの時計を見ると午後九時、15日正午と決まった天皇の放送まで、まだ15時間もあります。ここからは風雲急を告げるので、まじめにメモをとりながら見ました。

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14日午後9時過ぎ、蹶起の際の動員計画を作成していた畑中少佐、椎崎中佐、古賀中佐、石原少佐は、ラジオで、明日正午、重大放送があるという予告をきき、もはや猶予なしとまなじりを決します。

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午後10時前後、首相官邸で鈴木総理大臣以下、閣僚が詔書への副署をしているころ、畑中少佐や椎崎中佐は、近衛連隊に宮城を占拠させる工作にとりかかります。

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詔書への副署が終わり、待機していた松本外務次官に連絡が行き、ポツダム宣言受諾の外交電報が打たれることになります。

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同時に、詔書ができあがったので、宮内省では、天皇の録音がはじまります。戦争中のことですから、当然、ラッカー盤のダイレクト・カッティングです。

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ここでも天皇の顔は見えない。画面奥、マイクの前で読み上げる原稿を受け取っている。

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右上の白いものはブラシ。

なんでブラシが必要かといえば、ダイレクト・カットというのは原盤作成と同じだから、まだ表面の滑らかなブランク・ディスクに、強い針圧をかけて盤を削っていくため、カンナっくずのように、削りカスが出るので、それが録音をさまたげないように、掃除しているのです。

戦争中、アメリカでは針金をメディアに利用した軍用の磁気録音(たしか潜水艦の乗組員の訓練用だったと思う。スクリュー音を録音したのだったような……)がすでにおこなわれていたし、ドイツにいたっては、戦後、アメリカに持ち込まれ、アンペクスの最初の民生用テープ・マシンの原型となる、テープ(紙ベースに磁気塗料をぬったものだったと記憶している)による磁気録音がすでに実用化されていました。日本が技術開発で後れをとったのはレーダーばかりではなかったのです。

とにかく録音は無事に終わり(これほど緊張する録音はなかったにちがいない)、正副2枚の録音盤を15日正午の放送まで宮内省に保管することになり、小林桂樹扮する徳川侍従があずかります。

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かくしてマルタの鷹、こけ猿の壺、忍法秘伝書、柳生武芸帖、なんだっていいのですが、とにかく守護するべき、あるいは敵対者から見れば奪取すべき聖杯が誕生し、物語に導入され、サスペンスを生むことになります。時計の針は午前1時をまわり、運命の8月15日に一歩踏み出しました。

◆ 叛乱 ◆◆
宮城に入れず、賊軍となった二・二六の叛乱将校の失敗に鑑みれば、クーデターを成功させるには宮城(つまりは天皇ということだが)を押さえなければなりません。それにはまず近衛師団を掌握しなければならないというので、畑中少佐たちは、芳賀近衛第二連隊長(警護のために夕刻から宮城内に入っていた)の説得に向かい、同時に、井田中佐に森近衛師団長(北の丸の師団司令部にいた)の説得を依頼します。

井田中佐(高橋悦史)は椎崎中佐をともなって近衛師団本部に森師団長を訪れ、近衛師団の蹶起を訴えます。森師団長は、話はよくわかった、率直にいって感銘を受けた、わたしはこれから明治神宮に参拝する、といいます。

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関係者から明確な証言がとれなかったらしく、このあたりはあいまいで、「明治神宮に参拝する」が本心からの言葉なのか、時間稼ぎにいったことなのか、どちらとも判断がつかないような描き方になっています。ふつうに考えると、いくら迷ったからといって、夜中に明治天皇の霊にお伺いをたてに行くというのは、やや不自然に感じます。

午前1時過ぎ、井田中佐が水谷参謀長と話そうと師団長室を出てきたところに、畑中少佐が黒田大尉(原作では、畑中少佐、窪田少佐、上原大尉の三人となっている。黒田大尉は架空の人物。窪田少佐は戦後も存命だったので、殺害犯をあいまいにしたのだと推測される)という士官をともなってやってきます。井田中佐と入れ替わりに畑中少佐は黒田大尉とともに師団長室に入ります。

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このあとなにが起きたかは類推のようですが、映画では、畑中少佐らの不遜な態度に森師団長が不快感を示し、それに反応して、畑中少佐は「明治神宮に参拝するなどというのはウソだ!」と激昂し、森師団長の脇に控えていた白石中佐が危険を感じて抜刀しかかったところに、黒田大尉が斬りつけ、二太刀目で中佐の首を飛ばします。

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子どものときもこのショットは驚きましたが、大人になって見ても、やはりギョッとします。チャンバラ映画ではないのだから、人死に対する心の準備ができていないところに、いきなり首がゴロンですからね。ギョッとしますよ。ただし、原作には首を斬ったとは書いてありません。いや、原作のほうは、そういうことは不必要だからと、あいまいにしただけで、事実、首を飛ばしたのかもしれませんが。

つづいて畑中少佐が拳銃で師団長を撃ち、黒田大尉が袈裟懸けに斬ってとどめを刺します。銃声に驚いた井田中佐と水谷参謀長が駈けつけたときにはすべては終わっていました。

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このあと、黒田大尉が、自分の硬直した手から刀をもぎとろうと、柄を机に叩きつけるところは非常に印象的です。時代劇でも、こういうリアリズムを採用したものを見てみたいと、つねづね思っているのですが。

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黒田大尉は自分の手を思いきり壁に叩きつけるが、硬直は解けず、刀は落ちない。

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黒田大尉を演じるのは中谷一郎。同じく岡本喜八監督の『戦国野郎』のコミカルな演技もけっこうだし、石原裕次郎の兄貴分で、浅丘ルリ子を情婦にしているというヤクザを演じた『夕陽の丘』も忘れがたい。しかし、ふつうは「水戸黄門」のほうで有名らしいが。

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こんどは柄の尻を机に思いきり叩きつける。

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やっと黒田大尉の手から離れて机の上に倒れた刀と、それを呆然と見つめる椎崎中佐(中丸忠雄)。

上官を殺害したのだから、これはもう明らかに叛乱であり、引き返しようがありません。はじめから強い信念で動いている畑中少佐や椎崎中佐ばかりでなく、ペシミスティックな井田中佐も、どちらとも旗色のハッキリしなかった水谷参謀長も、否応なく叛乱に加わって走りはじめることになります。

◆ 師団奪取 ◆◆
宮内省では、徳川侍従があずかった録音盤の保管場所をさがしています。結局、手提げ金庫に入れて戸棚の奥にしまい、その上に書類などを載せておくことにします。

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畑中少佐らは、森師団長と白石中佐の遺体の脇で、師団長印を使って偽の命令書を作成します。宮城を占拠し、通信を遮断せよ、という師団長命令です。

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これを受けて近衛第二連隊の芳賀大佐は宮城を確保せよと兵に命じます。二・二六事件もそうだったようですが、兵というのはやはり、一見、理不尽とも思えるものでも、上官の命令とあれば、迷わずに遂行するのだなあ、と溜息が出ます。天皇を警護する近衛師団の兵が、天皇に侍する人たちを捕らえて監禁し、宮城を武力制圧してしまうのですからねえ。

いくら「敵の謀略」を打ち砕くためと名目をいわれても、一歩引いて考えると、ひどく矛盾していることに気づくだろうと思うのですが、反論すれば抗命罪に問われるので、その場ではとりあえず命令通りに動いてしまうものなのでしょう。

自分が下士官かなにかで、その場にいたらどうだろう、と想像してみましたが、おかしいと感じても、上官に異議をとなえる勇気はないだろうと思います。まあ、このまずい状況から安全に脱出する方法はないかと、ない知恵を振り絞るでしょうけれどね。だって、二・二六のときに、上官の命令通りに動いて叛乱に加わった兵は、あとでみな危険な前線に送られたわけで、いくら上官の命令だからといっても、ことがすんでから、おおいにまずいことになる恐れがあると考えるのが自然でしょう。

のちに「宮城事件」と呼ばれることになる、この叛乱に加わった兵士にとっては幸いなことに、この先にはもう、帝国陸軍の軍事法廷もなければ、死ねとばかりに送り込まれる危険な前線もなくなるのですが。

◆ 宮城乱入 ◆◆
ここから先は事態は緊迫し、ショットのつなぎも早くなっていきます。

佐々木大尉率いる横浜警備隊の軍人と民間人(学生?)はトラックに分乗して、東京を目指し、子安の警備隊を出発します。べつに畑中少佐らと打ち合わせができているわけではなく、こちらはこちらで単独で動いているのです(そのほうが天本英世が演じるにふさわしい。なにかが乗り移ってしまったようなこの大尉のふるまいはなかなか怖い。いや、怖いように演じているのだが)。

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宮城に乱入した近衛連隊の兵は、まず宮城の各門を確保すると、皇宮警察の警察官を拘引して武装解除し、交換機を破壊し、電話線を切断することで、外部と通信できないようにします。

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録音に立ち会ったのち、宮内省内で休憩していた下村情報局総裁は、川本秘書官とともに車で首相官邸の閣議にもどろうとして、坂下門の立哨に捕まり、拘束されてしまいます。近衛師団長を殺害し、天皇を手元に押さえようとするほどの連中だから、閣僚の拘束などなんでもないのでしょう。

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近衛師団を偽命令で動かしているあいだに、東部軍にも呼応、蹶起してもらわねばどこにも行き着かないというのが、青年将校たちの一致した考えで、ここでもまた井田中佐を説得役に担ぎ出します。

畑中少佐たちの懇請もだしがたく、やむをえず井田中佐は東部軍管区司令部のある第一生命館へと向かいます。はたして東部軍は起つのか? 紙芝居じみてきましたが、このつづきは次回のお楽しみ。


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決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)
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by songsf4s | 2010-08-11 23:56 | 映画
岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』 その4

『日本のいちばん長い日』は、要所要所で言葉をめぐる問題で紛糾します。

まず、ポツダム宣言にある、天皇および日本国民は連合国にsubject toする、という表現に陸軍が抵抗します。be subject toとは「隷属する」ということではないか、と硬化してしまうのです。それに対して外務省は、このbe subject toは「その制限のもとにおかれる」という意味だと主張します。

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この状況では、こうでもしないことには陸軍の抵抗を排除できないというのは理解できます。しかし、be subject toは、「隷」という強い文字を避けたとしても、「服従する」の意味です。「制限の下におかれる」は、やはり詭弁、言い逃れ、小手先のごまかしでしょう。

現今でも、国際条約の報道を目にして、この原文はどうなっているのだろうと思うことがあります。いまでも「制限の下におかれる」式の詭弁、二枚舌を弄している危惧を感じます。外交というのは本質的にそういう側面があるのではないでしょうか。内と外に異なった顔をしてみせる、ということです。

てなことをいいつつ、自分の言葉遣いにも、自分で疑義を呈してしまいます。『日本のいちばん長い日』の記事では、戦争中の言葉遣いに寄り添うほうがふさわしいような気がして、「皇居」は避け、「宮城」と書いています。だとするなら、「太平洋戦争」も不可で、「大東亞戦争」とするべきなのですが、この言葉を使うのはいくぶんか抵抗があり、つい「太平洋戦争」としてしまいます。

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藤田進(芳賀豊次郎陸軍大佐、近衛師団第二連隊長) 東宝戦争映画にぜったい欠かせない俳優!

しかし、映画のなかで、陸軍士官、それも近衛師団の少壮参謀たちが、乱暴に「天皇」を連発するのも、ずいぶんと耳立ちます。クーデターをたくらむ連中はそんなものだったのかもしれませんが、あの時代にはやはり「陛下」というのがふつうではないでしょうか。軍隊式に見れば天皇は最高指揮官、「大元帥閣下」という呼び方もあります。

1945年までの日本は立憲君主国なのだから、戦後民主主義的感覚で「天皇」を連発されると、「その場にいる」気分が醒めます。いえ、政治信条をいっているのではありません。そうではなく、物語はいかにしてリアリティーを獲得するか、という技術論をいっているのです。

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橋本忍による『日本のいちばん長い日』のシナリオは、外国の同種の大作戦争映画と比較しても、非常に出来のよいものですが(その点についてはいずれきちんと書く)、「天皇」連発だけは、オーケストラのなかのチューニングが狂ったヴァイオリンのように、イヤな音でわたしの神経を逆撫でします。

◆ 戦局好転せず ◆◆
終戦をめぐる閣議は何度も暗礁に乗り上げますが、最後に大きな障碍となって降伏への道に立ちふさがった言葉は「戦勢日に非にして」です。現代語でいえば「戦況は日々悪化し」ぐらいのところでしょうか、この終戦の詔書案の一節を、阿南陸軍大臣は拒否します。「戦局好転せず」と書き換えてもらいたい、というのです。しかし、米内海軍大臣は、なにをいまさら取り繕うのか、と阿南案を拒否し、閣議は頓挫してしまいます。

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阿南、米内の両大臣は、それぞれ陸軍省、海軍省への用事のためにしばしば中座する必要に迫られ、これも閣議を空転させる要因になるのですが、皮肉なことに、最後の土壇場に来て、この中座が合意へのスプリングボードになります。海軍省からまた首相官邸にもどってきた米内海相は、阿南案の「戦局好転せず」を受け入れるというのです(後刻、さらに「戦局必ずしも好転せず」と補訂される)。海軍省にもどって叛乱の噂をきき、阿南陸相の苦衷をわがものとして理解したからだろうという解釈が提示されます。

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海軍省から首相官邸に戻った米内海軍大臣は、閣議に向かう前に洗面所に立ち寄る。

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よけいなことだが、このセットは例のライト風首相官邸のトイレをきちんとコピーした「ピックアップ」なのだろう。アーチのあるトイレとはまた珍しい! テラコッタなのだろうか、この細工がまたむやみに細かいとくる!

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小用というわけではなく、考えをまとめるためだけだったようで、迷いを吹っ切った表情になる。

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同じことを容赦なく断じるか、婉曲にやわらかく云うかというちがいにすぎず、些末といえば些末ですが、詰まるところ人間は言葉の動物、とくにこのような緊迫した状況では、ささやかな表現のちがいに過敏に反応するのも事実です。

広大な地域に展開して戦っている前線の数百万の将兵に、言葉ひとつで、すみやかに、滞りなく干戈を収めさせようというのだから、陸相が字句の細部に固執するのは当然のことであり、そんなことは本質ではないと考えた海相は、デリカシーと人間心理への洞察に欠ける朴念仁というべきでしょう。

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ともあれ、これで詔書案ができあがり、清書へとまわされることになります。これが14日午後7時ごろのことです。「清書」といっても、なにしろ天皇の詔書です。御名御璽が入るものなので、神経は使うし、手間のかかるものだったようです。

戦争がはじまるときも、文字の問題、すなわち、タイピングの遅れで、真珠湾攻撃のあとで宣戦布告文書を届けるという大失敗をしますが、戦争が終わるときも、また時計をにらみながら文字を書いているわけで、そういうものなのでしょうね。

◆ いつ死ねば得なのか? ◆◆
歴史的事実に即したストーリーなので仕方ありませんが、このあたりからの数時間はやや静かで、映画は周辺的な動きを追います。蹶起を叫ぶ佐々木武雄大尉(天本英世)率いる横浜警備隊の動きや、埼玉県の児玉基地の第二十七飛行団の出撃前の様子です。

天本英世は何度も狂的人物を演じていますが、この佐々木大尉の演技は彼のキャリアのなかでもとりわけ印象の深いものです。いや、「活躍する」のはもっとあとのことですが。

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天本英世(佐々木武雄大尉、横浜警備隊長)

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町の人たちが食べ物をもって集まり、兵士と交流する児玉基地の様子は、どう見ても特攻隊の出撃前という雰囲気ですが、原作にはそうとは明示されていませんし、映画も特攻を暗示するにとどめています。

閣議ではもう降伏が決まり、あとはいつ発表するかという話し合いをしているときに、まさに出撃しようとしている若者たちがいる、という状況の残酷さを、映画は描こうとしているのでしょう。

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伊藤雄之助(野中俊雄大佐、児玉基地司令)

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もちろん、悲劇的ではあります。しかし、終戦の数時間前に死ぬことと、数日前に死ぬことと、そして数カ月前に死ぬことのあいだに、どれだけの違いがあるのでしょうか。たしかに、もう一日早く閣議がまとまれば、彼らは助かったかもしれません。しかし、それをいうなら、もう十日早ければ、広島と長崎の原爆投下はなかったことになります。

あるいは、むしろ戦争が終わってからのほうがきびしい「戦い」になった、大陸や半島に取り残された人びともいます。さらにいえば、終戦を知らずに戦っていたのは、児玉基地の若者だけでなく、北支から南方にいたる前線の将兵たちも同じです。

終戦を知らずに死んでいったのは悲惨ですが、しかし、戦争による死に軽重はつけられないでしょう。この児玉基地の出来事の扱いは、『日本のいちばん長い日』という秀作の瑕瑾のひとつに感じます。戦争による死に軽重をつけられる無思慮な人たちの感傷に訴えようという、品のなさが感じられるのです。

歴史は夜つくられる、というのは意味がちがいますが、『日本のいちばん長い日』も、宵闇が深まるにつれて緊迫していきます。次回はいよいよ生死を賭けた人びとの動きを追うことになります。


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by songsf4s | 2010-08-08 23:52 | 映画