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木村威夫追悼 鈴木清順監督『刺青一代』その2
 
以前、ハチドリはあの小さい体で、どうやってメキシコ湾を横断して渡りをするのかという話を読んだのですが、いま確認しようとしたら、ふだんよく開いているその本が見あたりませんでした。このところの整理のために、どこかに一時的に避難しただけなのですが、それがどこだったか……。

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今日は一気に『刺青一代』のクライマクスにいきたいのですが、これがメキシコ湾並みに巨大で、一気に渡れるかどうか心許ないのです。二度に分けるのはシャクだけれど、結局、そうなるかもしれません。

毎度のことですが、今回も話は全部書いてしまうことになるでしょう。ストーリー重視で、なおかつ、この映画をご覧になる予定がある方は、お読みにならないほうがいいと思います。

いや、鈴木清順映画においては、プロットのプライオリティーは極端に低いのです。カラー映画ならまずなによりも色彩、つぎに画角などのショットのデザイン、編集でのつなぎ方、こうしたもののほうに重要性があります。そして、『刺青一代』のクライマクスは、まさに色彩最優先の映像なのです。

◆ 後半のプロット ◆◆
小松方正に騙されて金を失った高橋英樹と花ノ本寿の兄弟は、鉱山の採掘をしている山内明経営の土建会社に雇われることになります。

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トラックに便乗してきた高橋英樹と花ノ本寿の兄弟

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キャメラは荷台の下から動かず、頭の高品格と仕事をさせてくれと頼む高橋英樹のやり取りをそのまま捉える。

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それはいいのだが、その間にもどんどん荷台から丸太が投げ落とされ、ものすごい音をたてて転がっていくのがなんとも可笑しい。不思議な演出をする監督である。

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ここでプロットを錯綜させる要素がいくつかあります。花ノ本寿が山内明の妻である伊藤弘子に惚れ込み、彼女の暗黙の了解のもとに、入浴中にデッサンし、それをもとに仏像を彫り、それをきっかけにこの恋が周囲に知られてしまうのが第一点。

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花ノ本寿は通りかかった伊藤弘子に惹かれ、あとを追ってしまう。

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駅で小松方正が車輌を降りてきて、入れ替わりに伊藤弘子と和泉雅子が乗り込む。

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小松方正は、前日、騙して金を巻き上げた花ノ本寿が向こうから来たので、しまった、と思うが、花ノ本寿のほうは小松方正などまったく眼中になく、伊藤弘子だけを見ている。花ノ本寿の心理を強調するうまい小技で、いかにも細部の工夫で見せた監督らしい演出である。

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花ノ本寿があからさまに伊藤弘子を見つめるので、和泉雅子がその様子に気づき、ははあ、と覚って微笑む。

山内明は、自分の組はヤクザではない、土建会社である、という剛直な人間で、鉱山の仕事をとりたいヤクザの組と敵対することになる、というのが第二点。

高橋英樹と花ノ本寿の兄弟は、殺人を犯したので、もちろん警察からも追われているのですが、高橋英樹を抹殺しようとした彼の組からも、当然ながらつけ狙われています。組から三人の刺客がやってきて、山内明を邪魔者とみなす組にわらじを預けます。これが第三点。

以上がクライマクスで収斂します。

山内明の土建会社で事務を執っている小高雄二(和泉雅子をわがものにしようとしているので高橋英樹を目の敵にしている)が、敵である河津清三郎に内通し、高橋英樹と花ノ本寿に疑いがおよぶように偽の証拠を残して坑道を爆破し、さらに山内明を狙撃します(というか、わざと外したのだから脅迫が目的だが)。

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小高雄二。こういう役はお手のもの。いかにも陰険で卑怯そうに見える!

同時に花ノ本寿と伊藤弘子の危うい関係も表面化して、花ノ本寿はどこかに逃げ、山内明は高橋英樹を妨害工作の容疑者として監禁します。伊藤弘子は仕事以外のことに興味のない夫をなじりますが、この措置には、高橋英樹を保護する意味もあったことがあとで明らかになります。

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高橋英樹をつけ狙う元の組の刺客が、地元の組の人間に伴われ、山内明のところにやってきて、高橋英樹を渡してほしい、といいますが、山内明は、彼らは犯罪者だから警察に引き渡す、といって取り合いません。

いったんは飯場を逃げ出した花ノ本寿が戻ってきて、兄と一緒に逃げようとしますが、そこへ山内明があらわれ、おまえたちのような犯罪者がいると迷惑する、金をやるから新潟へ行け、そこにこれこれの船があり、その船長は俺と旧知だから、満州に連れて行ってくれるだろう、といいます。

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二人はいったん港町のほうに行きますが、花ノ本寿はどうしてももう一度だけ伊藤弘子に会いたいといい、兄は仕方なくそれを許し(刺客のひとりが近くにいることを弟に気づかせないようにするところが面白い)、松尾嘉代のカフェで待つことにします。

カフェの二階の部屋から外を見る高橋英樹と、鏡台の前に坐った松尾嘉代の描写から、二人が閨をともにしたことがうかがわれるのですが、ここでの松尾嘉代の満ち足りた表情がじつに色っぽくていいのです。

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花ノ本寿は電車に乗ろうとして、小松方正に見つけられ、ヤクザ者たちに捕らえられてしまいます(ここで伊藤弘子を追って花ノ本寿が小松方正がすれちがった以前のシークェンスが生きる)。

いっぽう、山内明は土建業者の会合のために、神戸組の河津清三郎の屋敷に行きますが、談合はまとまらず、破談になってしまいます。そこへ騙されて伊藤弘子がやってきて、庭に暴行を受けた花ノ本寿が倒れているのをみとめ、抱き起こします。

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伊藤弘子は山内明とともに捕らえられ、花ノ本寿は、高橋英樹の居所を云えといわれて、おまえたちの組の者を殺したのは兄ではない、自分だ、と明かして、刺客たちに斬られてしまいます。

高橋英樹がカフェで待っているところに、高品格をはじめとする鉱山の仲間が瀕死の花ノ本寿を運んできます。「親方と奥さんが神戸組に……」という弟の言葉に、俺が助けに行くと請け合います。

◆ 橋を渡って向こう側へ ◆◆
ここから先は、ほとんどセリフがありません。東映任侠映画同様、敵対する組に殴り込みをかけるわけですが、ほとんど正反対といってもいいほどニュアンスが異なります。駈けだす高橋英樹の背中に「組」という荷物はありません。自分を裏切り、自分の愛する者に害をなす連中を討ち果たすことだけが目的であり、なにも背負っていないのです。

いや、そんなことはどうでもいいのです。肝心なのは、『花と怒涛』の新潟の景と同じように、ここからは「この世の出来事」ではなくなる、ということです。『花と怒涛』より明快に、芝居がかりで転換するので、鈴木清順映画に馴れていない人でも、はっきりと「異界」に入ったことがわかるでしょう。

どこで異界に入ったか? じっさいにご覧になればすぐにわかりますが、河津清三郎の屋敷で花ノ本寿が斬りつけられたところからです。斬られた直後に、画面左から赤くなっていくのですが、そんなことが現実にあるはずがなく、リアリズム描写ではないことはわかりますし、清順ファンなら「はじまったな」と思うところであり、かつての池袋文芸座での回顧上映なら、客からかけ声がかかり、拍手が起こるところです。

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斬殺シーンの赤は、つぎのショットにも引き継がれ、高橋英樹が弟を思って見つめる空は真っ赤に染まる。

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松尾嘉代がもったレコードがパリンと割れる。「不吉な予感」という名前のクリシェだが、ここはクリシェを使うべき場面。映像表現はだれにでも了解できるものではないが、論理はすべて了解可能な形で描かれているのである。

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このあとの、カフェで待つ高橋英樹と松尾嘉代の描写も「あの世」に入っていますが、カフェに運ばれてきて花ノ本寿が息を引き取ったところからは、文字どおりあの世で、常識に囚われていては、ここから先のシークェンスは理解不能です。

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高橋英樹に松尾嘉代が傘を渡すところからは完全に芝居がかりで、ここで映画はさらに「あの世」に入りこみます。

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ついで、橋の手前で、向こうから橋を渡ってくる日野道夫との殺陣(敵ではないのだからここは理屈が通らないのだが、例によって、ただ出てくるだけではつまらない、という調子で、たんに観客に対する目くらましとして演出された場面かもしれない)があり、刀を受け取って、高橋英樹は橋を渡ります。これはまさしく橋懸かり、橋の向こうは「あの世」の本舞台です。

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やはりクライマクスの核心にはたどり着けず、入口どまりでした。もう一回『刺青一代』をつづけることにします。



刺青一代 VHS中古
刺青一代 [VHS]
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by songsf4s | 2010-05-07 23:56 | 映画
ギター・オン・ギター2 ジョニー・スミスのWalk Don't RunとStranger in Paradise

今年はいったいどういう気候なんですか。わが住む土地は都の南、海辺なのでマシかもしれませんが、それにしても、この数日、ひどい暑さです。ほんの一週間前には寒い寒い、まるで真冬だ、とボヤいていたら、いまや暑い暑い、まるで真夏だ、です。

べつに気候のせいというわけではないのですが、連休中は毎日更新のつもりだったのに、こと志に反して、結局、隔日よりちょっとマシ程度になってしまいました。

さて、休日明け(まだそうなっていない人もなかにはいらっしゃるでしょうが)、ドンといきたいところですが、今日はあれこれあって、やはり鈴木清順と木村威夫を相手に格闘するだけの余裕がありません。そういうときは例によって、音楽ブログの地を出すことになっています。

◆ Walk, Don't Run ◆◆
先日の「ギター・オン・ギター」はまずまずの好評だったようで、サンプルのアクセスはかなりのものです。Gabor Szaboとボビー・ウォマックに人気が集まり、ハーブ・エリス&レモ・パーミア(パルミエなんていう、なにかの下品な言葉の略称かと思うような表記もあるようだが、固有名詞英語発音辞典の発音にしたがっておいた)のほうは不人気、などと書きましたが、その後、彼らの二曲もアクセスが増えています。

気温が上がると、管楽器の音は聴きたくなくなります。いっぽう、エレクトリック・ギターはどんなシーズンでもつねに好ましいのですが、暑いときはいよいよ素晴らしいサウンドに感じられます。いや、まあ、暑いときはあまり聴きたくないタイプのギターサウンドというのももちろんありますが! あとはハモンドとヴァイブラフォーンでしょうかね、暑いときに好ましい楽器というと。

ということで、安易が安易の羽織を着て安易の披露目をやります。本日は「ヒット作」の安易な続篇、「ギター・オン・ギター2」と参ります。といっても、8ビートの世界ではギター・オン・ギターは当たり前、今日も4ビートです。

あれから、4ビートのギター・デュオとしては、ほかになにがあったっけ、と考えていたのです。すぐに思いあたったのが、これです。

Johnny Smith - 02 Walk Don't Run (HQ)

(2016年9月追記: 自前のユーチューブ・クリップに差し替えた関係で、サンプル音源へのリンクは削除しました。)

ブッキッシュには、ヴェンチャーズのWalk Don't Runのオリジナルはジョニー・スミスのヴァージョンだということはずっと以前から知っていました。でも、じっさいに聴いたのは一昨年のことです。聴いてみれば、いたってノーマルな4ビートの曲で、「あの曲のオリジナル」という意味では、さしたる感懐はありませんでした。

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ジョニー・スミスのセッショノグラフィー

それより、このサウンドは気持いいなあ、と思ったのです。年をとるにしたがって、だんだん強い音から遠ざかり、弱い音の世界に入りこみつつあるようで、そういう気持の変化にぴったりのサウンドだったのですが、もうひとつ重要なのは、ギターでコードを入れていることです。前回も書いたように、やっぱりリード・ギターの隣にはリズム・ギターのコードがある、というのがいちばん落ち着きのいい音なのです。

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ジョニー・スミス・カルテットのリズム・ギター、ペリー・ロペス

Walk Don't Runにはもちろん山ほどカヴァーがあるのですが、ぜひともご紹介したいというほどのものはないし、数が多すぎるので、今日はよけて通らせてもらいます。

◆ Stranger in Paradise ◆◆
たんなる偶然であって、なんの意味もないのかもしれませんが、ジョニー・スミスは、後年ヴェンチャーズがTen Seconds to Heavenのタイトルでカヴァーする、Stranger in Paradiseもやっています。メンバーはWalk Don't Runと同じです。

Johnny Smith Quartet - Stranger in Paradise


Ventures - Ten Seconds to Heaven (Stranger in Paradise)


この曲については、すでに昨年詳述しています。といっても、ひどく忙しない書き方で、駆け足で各ヴァージョンにふれているだけですが。ほかにYouTubeにあるものとしては、パーシー・フェイス盤なんかいいのではないでしょうか。

Percy Faith Orchestra - Stranger in Paradise


バードコールつきのマーティン・デニー盤もそれなりに楽しめます。でも、バードコールをとってしまうと凡庸かも。

Martin Denny - Stranger in Paradise


歌もののいいクリップがないので、この曲のオーソドクスからは外れますが、タイムズのヴァージョンを自前でアップしました。

サンプル The Tymes "Stranger in Paradise"

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知名度の低さが心配なので、よけいなことを書いておきます。So Much in Loveのもっとも有名なヴァージョンはタイムズのものです。


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ジョニー・スミス Walk Don't Run
Walk, Don't Run!
Walk, Don't Run!


パーシー・フェイス
Music of Brazil!/Shangri-La!
Music of Brazil!/Shangri-La!

ベンチャーズ・ジャパニーズ・シングル・コレクション
ベンチャーズ・ジャパニーズ・シングル・コレクション


マーティン・デニー
Quiet Village: The Exotic Sounds of Martin Denny
Quiet Village: The Exotic Sounds of Martin Denny



by songsf4s | 2010-05-06 23:54 | Guitar Instro
木村威夫追悼 鈴木清順監督『刺青一代』その1
 
(枕の6パラグラフを削除しました。あしからず)

◆ 「ただあるだけ」のプロット ◆◆
さて、鈴木清順=木村威夫シリーズ、今回の『刺青一代』は三本目です。三本やれば追悼の形はととのうというものです。

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今回も重要なセットは二杯だけで、簡単にいきそうな気がするのですが、それは前回の『花と怒涛』も同じだったのに、五回におよんでしまったのだから、さっとやる、といっても、われながら信用できません!

ざっとプロットを書いておきます。例によって、話はあまり重要ではありません。なにを語るかよりも、どう語るかのほうにアクセントがあります。

時は昭和の初め、渡世人の高橋英樹は敵対する組の組長を殺しますが、直後に、自分の組に抹殺されそうになったところを、美学生の弟に救われます。弟も殺人者になってしまったため、高橋英樹は自首するという考えを捨て、満州に逃げることにします。

『花と怒涛』のシノプシスとまちがえているのではないか、ですって? いえ、ほぼ同じなだけです。『花と怒涛』では潮来から東京に逃げ、それから満州に渡るために新潟に行きますが、『刺青一代』では出発点が東京なので、新潟にたどり着く前の、どことも明示されぬ日本海側の港町と、その近くの鉱山が舞台になります(ロケは主として銚子でおこなわれたらしい)。

高橋英樹と弟の花ノ本寿(「はなのもと・ことぶき」と読む)はこの港町で、小松方正に満州に密航させてやると騙されて金を奪われ、働き口を求めて近くの鉱山に行きます。ここで採掘をしている組の親方が山内明、その妻が伊藤弘子、妹が和泉雅子、人足頭が高品格、という配置で、美学生である花ノ本寿は伊藤弘子に惚れて、話を面倒にします。和泉雅子のほうは高橋英樹が好きになってしまいますが、高橋のほうは自分はヤクザ者だからと相手にならず、酒場女の松尾嘉代に親しんだりします。

とりあえず、このへんまででよろしいでしょうかね。いずれにしろ、プロットはそれほど重要ではなく、この話をどのような映像で見せたかのほうに意味があります。

◆ 小さな工夫の連打 ◆◆
おかしなもので、あとからふりかえると、どうしてこの監督が日活時代にあれほど不遇だったのか理解に苦しみます。しいていえば、「すべてが」大多数の観客の了解の範囲に収まるべきプログラム・ピクチャーにおいて、その枠外のことを山ほどやったために、娯楽派、芸術派、どちらの陣営の目にも美点が見えなかった、というあたりでしょうか。セクショナリズムといっては適切ではないかもしれませんが、客というのはみずからをジャンルに閉じこめてしまうものなのでしょう。

『刺青一代』という映画は、話自体はどうということもないのですが、その映像たるや、冒頭からもう、うへえ、の連発です。

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ただ男の裸が並ぶだけでも尋常ではないのに、立っている人間を、90度キャメラを傾けて横長の画面に収めるというのは、おいおい、です。

まあ、こういう「威し」は二面的な結果を伴うので、とりあえず深入りせず、最初に見たときは驚いた、とだけ書いておきます。

話に入って最初のシークェンスは、高橋英樹が対立する組の嵯峨善兵組長を襲うところです。

川縁に傘を差して向こうむきにしゃがんでいた高橋英樹が、人力車の音に振り返って立ち上がります。高橋英樹の傘に書いてある組の名前と、人力車の提灯に書いてある組の名前がちがうため、これからなにが起こるかは、たいていの客に伝わります。

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画面左から高橋英樹の傘がフレームイン、画面右からフレームインしてきた車夫の笠が高橋英樹の傘に押されて後退する、という表現を見ただけで、なぜこの人が不遇だったのだ、と首をかしげます。

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まあ、会社の上層部が認めないのはやむをえないとして(でも、同じ時期に今村昌平には好き勝手につくることを許しているのはなぜなのだ?)、映画評論家はこういう映像表現を見ないのか、といいたくなりますが、そこで、当時の評論家の大多数は、日活のプログラム・ピクチャーなど見なかったのだということを思いだします。でも、しつこく食い下がってしまいますが、加藤泰を賞賛した人たちも、鈴木清順は見なかったのでしょうかね?

どうしてもそのへんがわかりません。プログラム・ピクチャーはすべて評価の外、というのならやむをえませんが、東映については、すでにプログラム・ピクチャーを評価する機運があったのに、日活はそうではなかったという矛盾が、あの時代には子どもだった人間には、いまだに理解できません。東映任侠映画は左翼方面に受けたから厚遇されたのではないか、なんて嫌味をいいたくなります。

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人間万事塞翁が馬、なにが災いし、なにが幸いするかわからないので、運不運のことをいっても意味はありませんが、この時期の鈴木清順の映画を多くの人が見ていれば、『殺しの烙印』と『ツィゴイネルワイゼン』のあいだにポッカリ口を開けた十年のブランクはなかっただろうと、残念でなりません。

◆ 「木村キャバレー」に比肩する「木村カフェ」 ◆◆
『刺青一代』第一のセットは、高橋英樹の弟、美術を学んでいる花ノ本寿の下宿の部屋です。襖や障子をただそこに置くということをしない木村威夫です、ここもデッサンを襖にして、画学生らしい部屋をつくっています。

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弟は留守で、高橋英樹は持参した金を下宿のおかみさんに託して、迎えに来た長弘にともなわれて人力車に乗りますが、理不尽にも、自分の組の長弘に殺されそうになり、争っているところに、帰宅途中の弟が来合わせ、兄を助けようとした弟は、長弘を殺してしまいます。

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清順映画にかぎらず、日活映画にはしばしば弟を異常なまでに可愛がる兄が登場しますが、なかでもこの『刺青一代』の高橋英樹が演じる兄ほど、弟を思う人物はないでしょう。脚本の段階では弟の比重は小さかったそうですが、できあがった映画では、彼の前後をわきまえない一途さが話を前に進める(または話をこじれさせる)エンジンの役割を果たしています。

満州へ逃げようとした兄弟は、日本海側のどこかの港町にたどり着き、密航を助けてくれるはずの人物がいるというカフェを訪れます。

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それほど凝っているわけではないし、木村威夫にしてはわりにノーマルなデザインですが、わたしはこのセットが大好きです。美術監督自身、うまくいったと自賛していましたが、やはり、そういうグッド・フィーリンの問題なのでしょう。「こういう店があったら行きたいな」と思いますものね。

映画の見方はさまざまですし、わたし自身、ひとつの見方しかしないわけではありません。しかし、子どものころから映画館へと自分を向かわせた最大の要素は「そこにいる感覚」または「そこへ行きたいという憧憬」だったのだと思います。

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高橋英樹と花ノ本寿はいったん店を出かかるが、警官と私服刑事と鉢合わせしそうになり、店に舞い戻る。刑事はバーカウンターまできて、松尾嘉世に不審者を見かけないかときく。バーカウンターが緑色にぬられているのは、もちろん、たまたまそうなったわけではなく、ふつうにやるのが嫌いな木村威夫美術監督の好み!

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警官たちが去ると、小上がり(カフェに小上がりがあるのだ!)から降りてきた小松方正が、松尾嘉世に「塩をまいておけ」というと、間髪を入れず松尾嘉世がイヤな客である小松に塩を投げつけるのがじつに楽しい!

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古い日本映画を見ているときは、とくにそれを思います。『乳母車』と鎌倉駅のことを書いたのは、そのような、映画がもたらす「あそこにいたい」という感覚のことをいいたかったからです。

まだほんの冒頭だけですが、本日はここまでとさせていただきます。つぎはなんとか、この映画でもっとも重要なセットにたどり着きたいと思っていますが、そうはいかないかもしれません!



刺青一代 VHS中古
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by songsf4s | 2010-05-04 23:58 | 映画
ギター・オン・ギター ハーブ・エリス、ボビー・ウォマックほか

土曜は更新をした日にしてはやや少なめ、日曜は目立って少なくなり、やはり連休、お出かけのお客さんも多いようです。

わたしはといえば、連休らしいことはなにもなく、野暮用が少々あるだけなので、お出かけにならないお客さんのために、できるだけ頻繁に更新しようと思っていたにもかかわらず、昨日は睡魔に襲われて、なにか書くどころではなく、そのうえ、スクリーン・キャプチャーを加工するときに、前の『花と怒涛』の設定のまま変更し忘れ、まずい位置で写真をトリミングしたことに気づかず、元ファイルを削除するというミスまでやって、ついに更新できませんでした。

早寝早起きで、5時に目が覚めたときはちょっと肌寒く、カーディガンを羽織ったのです。そのままPCに向かって作業をしていて、気づいたら汗ばんでいました。午後は初夏の気温になるのかもしれません。

このテキストは、つぎの鈴木清順=木村威夫映画の記事として書きはじめたのですが、例によって枕が長くなったので、独立させ、しかも、夜まで待たずにアップすることにしました。昨夜の早寝の埋め合わせです。余裕があれば、一日二回更新というのをやってみようと思います。

◆ ボビー・ウォマックのギター ◆◆
わたしは4ビートは聴かない人間ですが、それは管楽器やピアノの話、ギターだけはそれなりに聴いています。もちろん、ギター・インストとして聴いているのですけれどね。

ギターをリード楽器に使っているものは、世間的なジャンルとは無関係に、すべて「ギター・インスト」というのがわたしの姿勢です。ヴェンチャーズとバーニー・ケッセルは同じジャンルの音楽です。

ただ、4ビートのギター・インストに共通する不満があります。リズム・ギターの欠如です。「ギターをリード楽器にした音楽」がギター・インストである、という定義をしましたが、ほんとうは「ギターを主役とした音楽」というべきであり、その定義ならば、コードを弾く楽器もピアノではダメです。ギター・コードが狭義の「ギター・インスト」の重要なイングリージェントだからです。

Gabor SzaboのアルバムHigh Contrastの最大の魅力は、いうまでもなくジム・ケルトナーのすばらしいドラミングですが、もうひとつ見逃せないのは、ボビー・ウォマックのリズム・ギターです。サボーのリード・ギターは退屈ですが、ウォマックのカッティング、ストローク、オブリガートはじつに味があります。ウォマックの歌はあまり興味ありませんが、ギターはしばしば「面白いなあ」と感じ入ってしまいます。

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High Contrastから一曲いってみましょうか。

サンプル Gabor Szabo with Bobby Womack "Breezin'"

Gabor Szabo (g, el-g); Bobby Womack (rhythm g); Phil Upchurch (el-b); Jim Keltner (d); Felix (Flaco) Falcon (cga); "The Shadow" (Tommy LiPuma) (tamb, gourd); with strings arranged by Rene Hall.

この曲については、すでに詳述しているので、そちらをご覧あれ。

いま、ギターに意識を集中して聴いていたら、すごいドラム・フィルがあり、だれだよ、このドラム、メチャクチャうまいじゃん、なんて馬鹿なことを思ってしまいました。アホか、ジム・ケルトナーを聴くために手に入れたアルバムじゃないか、でした!

ボビー・ウォマックのギターをもう一曲いってみましょう。これまた、過去に取り上げたにもかかわらず、そのときはサンプルをつけなかったFly Me to the Moonです。

サンプル Bobby Womack "Fly Me to the Moon"

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Fly Me to the Moonなんか聴きたくもない、という方も多いでしょうが、このヴァージョンだけは別格です。管のアレンジは好みではありませんが、ギターとオルガンはじつにけっこうなプレイですし、弦もところどころに好ましいラインがあります。

ステレオのほうがいいだろうと、サンプルにはアルバム・ヴァージョンをアップしたのですが、いま、ライノのモノ・シングル・エディットを聴いていて、こっちのほうがいいなあ、と思いました。ほかに二種類あるので、全部比較検討して、あとでファイルを差し替えるかもしれません。

◆ ギター・サウンドの魅力 ◆◆
今日、なにを書こうとしていたかといえば、Gabor Szaboでもなければ、ボビー・ウォマックでもなく、このところよく聴いているアルバムのことです。

サンプル Herb Ellis & Remo Palmier "Triste"

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Herb Ellis & Remo Palmier "Windflower"

リードがギターというだけでは不十分、コードもギターで入れないとダメ、というのは、このアルバムの話だったのです。これはもう聴いた瞬間、気持のいいサウンドだ! と思いましたが、その主たる理由はギター・デュオだということです。どういうプレイをしているかは問題ではなく、ギター・オン・ギター・サウンドが好きなのです。こういう気持のよさは、ピアノには実現できません。ギターならではのコード・サウンドなのです。

ギター・インストで育った人間としては、4ビートのギター・アルバムの多くが安易にピアノを入れてコードを弾かせるのが気に入らず、どうしてギターだけのサウンドをつくらないのだと思います。ギターともっとも相性がいい楽器はギターです。そんなこと、当たり前の話で、ミュージシャンともあろうものが、そんなことすらわからないのか、と腹が立ちます。ごく稀にギター・デュオのアルバムがあり(いま思いだしたが、ハーブ・エリスはジョー・パスともデュオ・アルバムをつくっている)、そういうのを聴くと、やっぱりギター・インストはこうでなくちゃな、ギター・アルバムにピアノ・コードは邪道だ、と思います。

同じアルバムからもう一曲。

サンプル Herb Ellis & Remo Palmier "Close Your Eyes"

どっちのギターがだれ、なんてことはまったくわかりません。いや、よく知っているビリー・ストレンジ&トミー・テデスコのギター・デュオだって、どちらがどちらなのか(ビリー御大ご本人まで含めて)わからないのだから、考えてみてもはじまりません。ギター・デュオのサウンドの心地よい手ざわりを楽しめばいいだけです。

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左からチャーリー・バード、ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル



by songsf4s | 2010-05-03 13:36 | Guitar Instro
獅子文六『やっさもっさ』に描かれた占領時代の馬車道通り

めったにそんなことはしないのですが、ごくたまに、IEで当ブログを表示することがあります。いやもう驚いてしまいますよ。最近のIEは使っていないのですが、古いヴァージョンだと、CSSの解釈が独特で(「ひどい」「デタラメ」の婉曲表現)、弱視者用設定かと思うようなドカーンという文字に、スカーンという字間行間になって、笑ってしまいます。

もともと、わたしと同年代の方々の視力減退に配慮して、文字が小さいと読みにくいからと、OperaやFirefoxでの表示を大きめにしてあるのです。それを、IEはさらに拡大してしまうから、メチャクチャなことになっているわけです。IEユーザーのなかには、ここはなんでこんなにドカーンの文字にスカーンの字間行間なのかと思われている方がいらっしゃるかもしれませんが、そういう事情なのでどうかあしからず。

しかし、世の中、文字はみな拡大傾向にあるわけで、IEのドカーン、スカーンは今の主流なのかもしれません。わたしも、Operaの「0」キー(表示を拡大)は頻繁に使っています。海外のニュース・サイトなんか、蚊の大群みたいで、さっぱり文字に見えないところがありますからね。

◆ 視力に依存しないOperaの新ページ内検索機能 ◆◆
最近、Operaは劇的に改善されました。Firefoxは使わなくなってしまったほどです。速度面でもFirefoxより数段速くなったのですが、もっとも劇的なイノヴェイションは、ページ内検索機能です(わたしはIEは6のまま放置しているので、よそでも実現されている機能のことを、そうではないかのように思っているかもしれないが)。

さて、Operaのページ内検索機能です。たとえば「ドン・マクリーン」ぐらいの長さの言葉を検索するのなら、旧式のページ内検索でも、それほど困りはしません。

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右側のメニューにカーソルが入っています。

では、「19」はどうでしょうか?

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よくわからないでしょうが、中心のあたりの「リリース年」の下にカーソルが入って、ハイライト表示になっています。これは、すくなくとも老眼の人にはきついはずです。同じことをOperaでやると、

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このように、検索された文字以外の部分を暗くするので、目的の文字列がハイライト表示になり、瞬時にしてどこにあるかがわかるようになりました。

こんな簡単なことで解決できたわけで、むしろ、いままで実現されていなかったことのほうが不思議に思えてきます。グーグルで検索して、どこかのサイトに飛び込み、目的のキーワードを検索する、という、いたって日常的な作業で、これほど便利なものはなく、Operaだけしか使わなくなった所以です。

まあ、いずれ他のブラウザーもこの機能を実装すると思いますが、天下を取ったように見えたときが最大の危機だということを、IEの愚昧とFirefoxの怠惰は教えてくれます。

◆ 獅子文六『やっさもっさ』の記憶ちがい訂正 ◆◆
年をとると視力も衰えますが、記憶力もめだって衰えます。記憶でものを書くのは非常に危険なのですが、ブログでは忙しくて、つい、それをやってしまいます。

先日、「横浜映画」という記事のなかで、「『やっさもっさ』(渋谷実監督、淡島千景・小沢栄太郎主演、1953年、松竹)は未見ですが、たしかに獅子文六の原作は終始一貫横浜を舞台にしています。開巻いきなり、GIの町だったころの馬車道通りの描写があり、ほほう、と思いました」なんてことを書きました。

そう書いたあとで、就寝前に獅子文六全集を引っ張り出し、『やっさもっさ』の冒頭を読んだら、これが品川の御殿山にある元宮様の邸宅における慈善バザーの様子、では、つぎの場面かと先を読むと、これが横浜根岸にある孤児院の描写、馬車道のバの字も出てきませんでした。

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やむをえず、翌晩、つづきを読むと40ページをすぎたところで、ようやく主人公が根岸の家を出てバスに乗り、めでたく本町4丁目で下車、馬車道通りを歩きはじめ、安堵しました。

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しかし、食いしんぼの獅子文六も、ハンバーガーのような下賤なものには興味がなかったのか、馬車道交叉点の珈琲屋のハンバーガーにはふれていません。この店が小説に登場するのは矢作俊彦の『真夜中へもう一歩』まで待たなくてはいけないのでしょう(じつは、店内の様子を描写したこういう物語もある。事情を知っている友人たちはここで嗤うだろうが!)。

◆ 「ビルドゥング・ロマン」だろうか? ◆◆
『やっさもっさ』は、処女長編『金色青春譜』以来、獅子文六が得意としたビルドゥング・ロマンのヴァリエーションで、主人公たちが若い世代ではなく、中年だということがかつての諸作とは異なっています。しかし、これはビルドゥング・ロマンといってはいけないのかもしれません。

辞書の定義を見ます。

「主人公が幼年期の幸福な眠りからしだいしだいに自我に目覚め、友情や恋愛を経験し、社会の現実と闘って傷つきながら、自己形成をしていく過程を描いた長編小説」

この定義からすると、やはり主人公は若年者でなければいけないのですが、文六描く『やっさもっさ』の夫婦は、まるで現代の中高年の幼稚化を見越していたかのように、いい年をして「友情や恋愛を経験し、社会の現実と闘って傷つきながら、自己形成をしていく」のです。

そう考えると、以前書いた、中高年のラヴ・ストーリーより、中高年のビルドゥング・ロマンのほうが、現代に合っているかもしれません。いや、石坂洋次郎の中高年たちも「友情や恋愛を経験し、社会の現実と闘って傷つきながら、自己形成をしていく」ので、行き着くところは同じでしょうけれど。

横浜は進駐軍の接収がひどく、あとから読むと呆然とするようなことがたくさん起きました。なんたって、山下公園が日本ではなく、あそこにかまぼこ兵舎が並んでいたというのには唖然としてしまいます。子どものころ、大人たちが「山下公園」という言葉にこめていたニュアンスを思いだし、あのかまぼこ兵舎の写真を見ると、なるほど、そういう意味だったのか、と思います。やっとの思いで取り戻した宝物だったのでしょう。

自分が見聞きした範囲でいうと、やはり本牧から根岸にかけての一帯がひどく異国的だったことが印象に残っています。本牧デポは再開発されて久しいのですが、根岸はいまもところどころに「根岸ハイツ」の痕跡があります(いや、この数年行っていないので、当てにならないが)。このあたりを小説に書き残しておいてくれたのも矢作俊彦で、『マイク・ハマーへ伝言』を読めば、かつての雰囲気が眼前に彷彿としてきます。

『やっさもっさ』に描かれた横浜の変貌で、もっとも目を惹くのは、繁華の中心が野毛に移ったという点です。伊勢佐木町の主要な建物や劇場が米軍に接収されてしまった結果だそうですが、関東大震災で下町が壊滅し、一時的に神楽坂が非常に繁華な町になったのによく似ています。

◆ フィーリクス・スラトキン補足 ◆◆
昨日の「ラウンジ春宵二刻」では、フィーリクス・スラトキンのものを二曲サンプルにするつもりで、うっかりひとつを忘れてしまいました。

サンプル Felix Slatkin "On the Street Where You Live"

この曲は、ボブ・トンプソンのヴァージョンですでに取り上げています。

Bob Thompson "On the Street Where You Live"

スラトキンと、彼のアレンジャーだったボブ・トンプソンのヴァージョン、両方並べてみて、どちらが面白いか、いや、それは書かずにおきます。
by songsf4s | 2010-05-02 00:05 | 書物
ラウンジ春宵二刻――Lullaby of Broadway by the Fantastic Strings of Felix Slatkin
タイトル
Lullaby of Broadway
アーティスト
The Fantastic Strings of Felix Slatkin
ライター
Harry Warren, Al Dubin
アルバム
Street Scene
リリース年
1961年
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今日は野暮用も野暮用、(専業ではない)家業のために朝から外出しました。四月のひどい寒さのおかげで、いろいろなものが先送りになっていたらしく、藤ばかりでなく、花水木や木蓮も一斉に満開になっていました。満開の八重桜がたくさんあったのは、ちょっと驚きです。

ただし、いつも楽しみにしている近所の墓地の山藤は今年はまったくダメでした。神経質な株で、まったく咲かない年があるのです。かわりに足もとで菫が群れ咲いていました。

ヒナが孵る時期なので、燕のすがたもあちこちで見かけました。昨夜は青葉ずくの声を今年はじめてききました。「青葉ずく」とはよくも命名したもので、ほんとうに青葉とともにやってきます。こんな町中に残された狭い緑地で大丈夫なのかと思いましたが、去年ははっきりとステレオで啼いているのをきいたので、ペアリングできたようです。ウェブもないのに、ここに手つかずの緑地があるぞ、という情報がどうやって伝わるのでしょうかね。

青葉ずくが飛来した数年前、気になって調べたら、ホーホーと啼くのはずくの仲間で、梟ではない、ということを読んで、のけぞってしまいました。いつも同じことをいっていますが、なんでも調べてみるものです。

ことしは冬の終わりが二度あったみたいで、考えようによっては、一粒で二度おいしかったのかもしれません。いや、寒さを主体に考えれば、一粒で二度まずかったのかもしれませんが!

◆ フィーリクス・スラトキン ◆◆
今年二度目のいかにも春らしい陽気の日に合わせて、またしてもラウンジ・サンプラーをやってみます。

まずはフィーリクス・スラトキン。当家では過去に何度か取り上げています。本職は伝統音楽のヴァイオリニストで、そちらのほうの仕事としては、ハリウッド・ストリング・カルテットというのが有名なようです。あちらの世界では「弦楽四重奏団」とはいうのが慣例ですかね。

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コンダクトするフィーリクス・スラトキン。本業ではないのだが、スラトキンのコンダクトは本格的だったらしい。ネルソン・リドルはスラトキンにコンダクトを学んだという。彼の息子のレナードも指揮者だが、伝統音楽は守備範囲外なので、聴いたことはないし、評判も知らず。

で、あちらのことはよくわからないので、「こちら」の話としては、まずなによりも、20世紀フォックス音楽部のコンサート・マスターだった人で、昔のフォックス映画のどこかにかならずいたはずです。がしかし、そういうのはどれがどれやらわかりませんし、フランク・シナトラのコンサート・マスターやコンダクターとしての仕事も、つまるところ「他人の仕事」です。

わたしがこの人の名前を覚えたのは、The Fantastic Percussion of Felix Slatkin名義によるI Get a Kick Out of Youでのことでした。ティンパニーでI got a kick...out of youのところのメロディーをやってしまったのにはひっくり返りました。



このI Get a Kick Out of Youが収録されたアルバムのアレンジャーはボブ・トンプソンとわかって、こんどはトンプソンに注目して、少し集めてみたりもしましたが、今日はトンプソンのほうには入りこみません。

最近、The Fantastic Strings of Felix Slatkin名義のアルバム、Street Sceneを聴き、さすがは、と思いました。今日はまず、この「道」に関係のあるタイトルの曲ばかりを集めたアルバムから、「ブロードウェイの子守唄」Lullaby of Broadwayをサンプルにしました。

The Fantastic Strings of Felix Slatkin "Lullaby of Broadway"

途中、ストリングスが4分3連になる強引なアレンジにニヤニヤします。スラトキンのドラマーはシェリー・マンが多いのですが、このアルバム、というか、少なくともこのLullaby of Broadwayは彼ではないと思います。アール・パーマーでしょう。スネアのプレイにアールの特徴があります。リリースは61年、レーベルはリバティー、アール・パーマーがいても不思議はない状況、というか、この時期のリバティーは、アールがいなかったことのほうがめずらしいほどです。ドラマーが交代すると、同じアーティストの盤でも大きく手ざわりが変わるものです。

◆ ビリー・ミュア ◆◆
もうひとり、ついこのあいだ、はじめて聴いたNYのギタリストを数曲サンプルにしました。

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サンプル Billy Mure "Our Day Will Come"

ビリー・ミュアはセッション・ワークもあり、ボビー・ダーリンのSplish Splashやボビー・フリーマンのDo You Wanna Danceなどがミュアのプレイだと書いているところがありました。

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ハリウッドのトミー・テデスコやビリー・ストレンジ、あるいは同じNYでもアル・カイオラやトニー・モトーラのような洗練されたプレイではなく、うまいけれど、微妙にラフ・エッジの残存するところがこのプレイヤーの特徴と感じます。Our Day Will Comeが収録されたTeen Bossa Novaというアルバムはウェル・メイドで、ギター・イージー寄りのスタイルですが、初期のSupersonic Guitarsなどは、ギター・インスト・アルバムとしてはワイルドなサウンドです。

寄る年波、ワイルドなものにはあまり用がないので、さらに軟弱なトラックをふたつ。

サンプル Billy Mure "Days of Wine and Roses"

トレモロ・ピッキングのせいで、ちょっと50ギターズを連想してしまいます。いや、トミー・テデスコのような超高速の電光石火ランはやりませんが。

サンプル Billy Mure "Surfin' USA"

ちょっと珍が入っているところが面白いので、このSurfin' USAはそのつもりでお聴きください。50年代の微妙にワイルドだった時期ならぴったりだったかもしれませんが、このヴァージョンには、素材と解釈のズレの面白みがあります。
by songsf4s | 2010-05-01 00:00 | Instrumental