人気ブログランキング |
<   2009年 11月 ( 23 )   > この月の画像一覧
『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その4

このところ、当家のほうでは、かつてのメインラインだった、1960年代のポップ・ミュージックが登場することはめったになく、ハル・ブレインにすら言及しない日々がつづいています。

そういうのをやめたわけではなく、ご存知の方はご存知のように、黄金光音堂なるブログのほうに舞台を移しています。ほんとうはあちらでは主として映画をあつかうつもりだったのですが、相次ぐ訃報への対応をしているうちに、いつのまにか役割が入れ替わっていました。

これまたご存知の方はご存知のように、猫ブログというのをやっていまして、こちらも最近は「猫音楽」というのをテーマにしています。今日の更新では、ついにあちらでもハル・ブレインが登場しました。われながら、いつ出るか、と思っていたのですがね。

また、黄金光音堂は、今日はエリー・グリニッチ追悼を休んで、自分で自分にクイズを出題しました。これがかなりキツい問題で、この程度の解答しかできないのか、という感じでした。共通一次なら合格すれすれの微妙なところです。

f0147840_23465146.jpg

問題のレベルは高い、と申し上げておきますが、なんで俺はこのブログなんかに来て他人の書いたことを読んでいるのだ、ほんとうは俺が書くべきだ、と自負なさっている方は、ぜひ挑戦してみてください。内蔵データベースの大きさを験されますぜ。まあ、全問正解という方はいらっしゃらないだろうと思いますよ。いえ、答えはまだわたしも知らないので、正解かどうかはこれから検証するのですが!

◆ 川向こうへ ◆◆
のんびり日本シリーズなんか見ていたので、残りあと2時間。今日は枕なんか書いている余裕はないのに、なにをやっているのやら。

さて、「美術監督・木村威夫といっしょに見る『乳母車』」シリーズ、本日は4回目、いよいよ舞台は行く着くところまで行き着きます。宇野重吉の妻、山根壽子が家を出て、それとほぼ時を同じくして、新珠三千代のほうも宇野重吉と別れようと決意し、「『乳母車』の美術 その3」でお見せした奥沢の「妾宅」を引き払って、弟の下宿の空いている部屋に移ります。

新珠三千代の弟の石原裕次郎と、宇野、山根夫妻の娘である芦川いづみは、宇野-新珠のあいだにできた赤ん坊、彼らから見れば、姪、妹の行く末を案じ、なんとかこの三すくみを打開しようと、騙すようにして、関係者を石原裕次郎および新珠三千代の下宿に集めることになります。

まずは、娘に騙されて車に乗せられた山根壽子の様子から。

f0147840_23491441.jpg

f0147840_23493459.jpg

橋を見せるのは、これから川向こう、宇野重吉、山根壽子が、普段なら足を踏み入れない場所に行くことを暗示するためです。大げさにいえば「異界」との境界を越えたという意味です。

f0147840_2350068.jpg

f0147840_23502692.jpg

f0147840_23504835.jpg

車が止まったのも工場らしき建物の前、そこから着飾った二人は狭い路地に入っていきます。

◆ 半プライヴェート空間 ◆◆
芦川いづみがおとなった先は、女性たちが造花作りの内職をしている裏長屋で、思わず、さぞご不快であろう、と山根奥様の心中を案じてしまいます!

f0147840_23553558.jpg

f0147840_23555027.jpg

ここから伊佐山三郎撮影監督は、木村威夫が「道楽でつくった」という二階建てセットをクレーンによるワンショットで見せます。田坂監督が「木村くん、ここはクレーンだね。うん、きみの狙いで撮ってやるよ」といったのだそうな。伊佐山キャメラマンは「ここだけ調子が崩れるんだよなあ、木村くん」とボヤいたとか。

f0147840_23564360.jpg

f0147840_23565258.jpg

f0147840_2357449.jpg

f0147840_23571554.jpg

あとから宇野重吉がやってきて、山根壽子同様、これまた逃げ場を失った恰好で二階に押し上げられ、全員が腰を落ち着けるまでの流れも、クレーン撮影で捉えられています。じっさいに九尺(約二・七メートル)の高さに組んだセットに、四間のクレーンをあげ、ライトもあげ、撮影スタッフも二階に上がるので、画面に映らない部分を入れると倍以上の広さになり、こういうセットは見えないところで金を食うのだと美術監督はいっています。だから「道楽でつくったセット」なのでしょう!

f0147840_23574847.jpg

f0147840_2358734.jpg

◆ 論理の破綻と視覚の防波堤 ◆◆
石坂ディベート小説としては、関係者が一堂に会し、事態の収拾と打開を話し合うこの場面は、物語の山場です。しかし、何度見ても、宇野重吉の父がいったことの意味がわからず、なんだか、うやむやなままに散開した印象が残ります。解決ではなく、謝罪の場に終わっているのです。

f0147840_23583524.jpg

木村威夫によると、宇野重吉は、むずかしい、むずかしい、といっていたそうです。たしかに、なにも実質的なことをいわず、なにか意味のあることをいったように見せかけ、この苦しい場面から、最後に残ったささやかな威厳を失わずに脱出する、という状況なので、むずかしいに決まっています!

このプロットは小説も、映画も、ここで躓いて佳作になり損ねました。でも、「木村くん」が「道楽でつくった」二階建てセットと、せっかく美術監督ががんばったのだから、このセットを十全に生かして撮影しようという、田坂監督と伊佐山撮影監督の愛情のおかけで、映画的興趣は保たれ、それが物語の論理の崩壊から、観客の目をそらす役割を果たしています。

ここが小説と映画の根本的に異なるところです。いえ、小説だって、華麗なレトリックという、映画にない武器を駆使して、破綻を回避することができるわけですがね。

f0147840_03255.jpg

残り30分。写真の加工と貼り付けの時間が必要なので、本日はここまで。次回には『乳母車』を完結させるつもりです。
by songsf4s | 2009-11-03 23:59 | 映画
ハリウッド、日本映画を買う?

今日はあれこれあって、四日連続更新とはいかなかったのですが、かわりに、ささやかな話題を。

日本映画に関するブログやサイトを収めたブックマーク・フォルダーをときおり開くのですが、さっき、そうした巡回で、以下のような記事にぶつかりました。

Hollywood Owns Japanese Cinema?

いたって短いので、英語を読むのが苦痛でない方はご自分でどうぞ。

簡単に要約すると、Goemonという映画(邦題は文字がわからない。アニメ?)を引き合いに出して、この映画の冒頭にワーナー・ブラザーズのロゴが出るのはなぜか、という話をしています。

もちろん、ロゴが出る以上、なんらかの意味で「ワーナーの映画」なのだ、ということです。詳細はわかりませんが、資金の何割かはワーナーが出しているようです。

なるほど、そういうことになったか、なってみれば、やはり当然か、です。もともと、いまや単独で映画を製作できるスタジオは存在していないので、テレビ局などの資本はつねに入っていたのはご存知の通り。それがハリウッドの配給会社になっただけのこと、ともいえます。

この記事で、やっぱりそうなのか、と思ったのは、日本映画ファン(というのはもちろん、海外の、という限定修飾が略されているのだろう)の多くは、ハリウッドを「サタン」とみなし、日本映画をその対極において捉えている、といっている点です(もちろん、この記事の書き手は馬鹿ではないので、それをいうなら、非ハリウッド映画はみなそういう意味合いをもっている、としている)。

わたしのような「ネイティヴ」としては、日本映画がアンチ・ハリウッドだったことは一度もない、たんに貧乏だから、札束で観客をはり倒すような映画を作れなかっただけだ、と思うのですがねえ。

小津安二郎がはっきりいっているじゃないですか。戦争中にシンガポールで『風と共に去りぬ』や『ファンタジア』を見て、こんな映画は日本では作れない、トンカツはトンカツ屋にまかせて、俺は豆腐を作ることにした、とね。

でも、彼らの気分はわかります。エキゾティズムというのはロマネスクなもので、われわれだって外国文化にそういう幻想を抱いているわけで、ささやかなイリュージョンはやはりあったほうがいいのだと思います。

ハリウッドの配給会社と日本映画がどうなっていくか、ちょっと面白いと感じます。悪いことが起きると懸念する向きが、とくに海外の日本映画ファンにはあるのかもしれませんが、これだけ悪いことが起きたあとだと、どんな悪魔も怖くありませんよ。
by songsf4s | 2009-11-02 23:56 | 映画
『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その3

よけいなことばかり書いているから、つい、肝心なことを忘れてしまいます。クリップを見つけておいたのに、過去三回の『乳母車』の記事には埋め込みそこなってしまいました。

しかし、よくしたもので、今日はこのクリップに登場するセットのことです。邦画のクリップはすぐに消されてしまうので、ご興味のある方はお急ぎあれ。まだアップされたばかりだから見られるのであって、そう長生きはできないかもしれません。



◆ 戦後民主主義的妾宅 ◆◆
昨日の記事の最後のほうで、芦川いづみが重大な決心をする、と書きましたが、その結果が上記のクリップです。娘が父親の愛人の家に行くなんていうのは親たちにとっては予想外のことで、このへんが石坂洋次郎式というか、関係者がディベートすることによって打開策を見いだすという、戦後民主主義のプロパガンダのような展開です。

そのへんのことを考えはじめると、ブログがいくつあっても足りなくなるので、ちょっとつま先を湯につけただけでアチッといって引き返します。今回の『乳母車』シリーズは、木村威夫のデザインを見るのが主眼です。

f0147840_0123997.jpg

なんと呼ぶのが適切なのかわからないまま、「愛人」だなんていっていますが、わたしが子どものころには「二号」さんという呼び方があったし、さらに昔は「妾」といったのはご存知の通り。妾宅といえば、芝居のほうから「見越しの松に舟板塀」ということになっています。玄冶店よりも、(現代のではなく)大昔の根岸や向島のほうにありそうな造りですな。

じっさいにそんな造りの妾宅があるかどうかは別として、そういうイメージは厳としてあるのだから、フィクションではそれをどう処理するか、考慮を要します。美術監督がその点について明言していますが、思いきって開放的な造りにしたというのです。

f0147840_013230.jpg

それがもっとも端的に効果を発揮するのが、姉のところに尋ねてきた石原裕次郎が、姉の「旦那」である宇野重吉が来ていることを知って、思わず生け垣のあいだからのぞいてしまうシークェンスです。家のなかの造りも三間続きで、すべて開け放すことができますが、外部に対しても、この「妾宅」は開放的な造りになっているのです。

f0147840_2352499.jpg

石坂洋次郎の話というのは、ものすごく単純化すると、「話せばわかる」という「哲学」を土台にし、その信念を広めるためのものです。芦川いづみも両親、とくに母に対して、きびしい意見をいうし、外に行っても、思ったことをしまっておくことはしません。「話せばわかる」はずだから、どんな場面でも腹蔵なく話し合うのです。先述したように、ディベート・ストーリー、民主主義物語なのです。

f0147840_235377.jpg

ストーリーのベースが「開放」なのだから、この家には、黙阿弥だかだれだか歌舞伎作者がつくった「妾宅」のイメージとは、対極にあるデザインが適用されたのです。だから、宇野重吉は鎌倉の豪邸にいるときとはうってかわって、この「妾宅」では文字どおり「アット・ホーム」な表情で、ママゴトのような「家庭生活」、ふつうの夫、ふつうの父を楽しむのです。

f0147840_23583293.jpg
赤ん坊をあやすのに使っていた紙風船が外に飛び出し、外にいた裕次郎が拾って投げ返す。裕次郎に宇野重吉の人柄を観察させるためのシーンだろうが、開放性を強調する結果にもなっている。

新珠三千代にいわれて、庭のしその葉を摘むという、鎌倉の豪邸ではぜったいにしないであろうことを、あえてここで監督がさせたのも、そういう意図でしょう。見えない仕切りで分断された鎌倉の家の「表」と「奥」の多重構造は、この家にはありません。美術監督・木村威夫がどこまで意識的にやったかはわかりませんが、「閉鎖」と「開放」というキーワードでデザインしたことだけは明白に伝わってきます。

◆ 鎌倉のセット2 ◆◆
今日はべつのセットを見る余裕はないので、前回割愛した部分をお見せします。

状況を説明しておきます。山根壽子が家を出る決心をし、すっかり身支度を調えたところに夫が帰ってきます。山根壽子は、終電に乗るつもりでいるのですが、夫に断りもなしに出て行くわけにはいかないので、書斎で話すことになります。

しかし、呼んであった車がやってきて、若い女中が判断に困り、女中頭にお伺いをたてに、厨房にやってきます。このへん、まったく無言なのですが、状況は明快に伝わってくるという、映画的快感があります。

それはさておき、ここで観客は、「あっ、ちゃんと食堂と厨房もあるんだ」と軽く愕きます。そこからキャメラは女中頭の動きを1カットで追い続けるところで、あ、このセットはひとつながりなのか、ともう一回愕くことになります。一階については、ほとんど丸ごと家を造ってしまったようなセットなのです。

f0147840_2354326.jpg

f0147840_23542139.jpg

f0147840_23543692.jpg

f0147840_23545365.jpg

f0147840_2355248.jpg

f0147840_2358775.jpg
ここは食堂、厨房、食堂、玄関ホールと、ワンショットで撮っている。食堂が見えるのはこのシークェンスだけだが、ちゃんと「プラン」どおりの位置につくったことを示している。予算がない、が木村威夫美術監督の口癖だが、それでも、昔の撮影所がつくる映画は、これくらいのセットを作れるだけの余裕があったのだ。

by songsf4s | 2009-11-01 23:55 | 映画