- タイトル
- James Bond Theme
- アーティスト
- Glen Campbell
- ライター
- Monty Norman
- 収録アルバム
- The Big Bad Rock Guitar of Glen Campbell
- リリース年
- 1965年
- 他のヴァージョン
- Billy Strange, John Barry & Orchestra, the Exotic Guitars, The James Bond Sextet, Johnny & the Hurricanes, Roland Shaw & His Orchstra, The Mantovani Orchestra, Count Basie, Si Zentner

ハリウッドの音楽界ではちょっと名の売れたスタンダップ・ベース・プレイヤーがいた。1933年1月に、彼の両親が可愛い息子にジェイムズという洗礼名をあたえたとき、イギリスにイアン・フレミングという人間がいて、第二次大戦中は英国情報部に籍をおき、退役ののちに作家に転じて、その物語の主人公にどういう名前をつけることになるかなど、神ならぬ身のこと、知りえようもなかった。
毎朝8時半までに、ハリウッド内外に点在するスタジオのどれかに入るのが彼の日常だった。その日はサンセット6050番地だった。いつものように、棺桶のように扱いにくい自分の楽器を運んで、スタジオ1に入っていく。悪童どもの何人かはすでにスタジオ入りしていて、ドアの脇で笑い興じていた。またいつものように、だれかが、昨夜、どこかで仕込んだ下品なジョークを披露したところだろう。

United Western Recorder, Studio A.
様子がおかしい。「ハイ、ガイズ」という彼の挨拶に、だれも応じないのだ。みな、見知らぬ人間を見るような目で、彼に軽くうなずくだけだった。
気分はよくなかったが、彼はただ肩をすくめて、ブースとは反対の壁のほうに向かった。自分が今日どこに「置かれる」か、彼にはわかっていた。すでにマイクが仮決め位置に立っている。アップライト・ベース用のマイクはひと目でわかる。弦の上に置かれる右手の高さになっているからだ。また移動させられるかもしれないが、とりあえずはそこに立て、ということだ。
彼がマイクの脇にケースを寝かせると、連中がうちそろって、ぞろぞろとやってきた。
「なんだ、なんなんだ? どこで暴動があったって、俺の知ったことじゃないぜ」
「暴動? まさか」
おそろしく背が高いうえに、いつもカウボーイ・ブーツを履いているので、アップライト・ベース・プレイヤーのように見える、いや、どちらかというと、カウボーイそのものに見える白人の大男が、驚いたような顔をしてみせた。
「じゃあ、これはいったいなんなんだ。俺がなにをしたっていうんだ、ビリー」
彼は自分がこの場にいる唯一の黒人であることを意識した。仕事場ではめったにないことだった。
「いや、今日はあなたといっしょに仕事をすることになったようだから、自己紹介をするべきだと思いましてね、ミスター……?」
「おい、怒るぞ。なんの騒ぎだ。今日は俺の誕生日じゃない! サープライズならお門違いだ」
その場の全員を彼はよく知っていた。何度も、イヤになるくらい何度も仕事をした仲間だ。
テキサス生まれのカウボーイは、心外なことをいわないでほしい、という顔をしてから、ニヤッと笑った。
「はじめまして、わたしはストレンジ、ビリー・ストレンジ。ギターを弾きます。そして、こちらが、ハル・ブレイン、グレン・キャンベル、ドン・ランディーの諸君、みないい腕をしていますよ、えーと、ミスター?」
といってビリーは、右手を彼のほうに差し出した。握手を求めているのだ!
彼はビリーの右手をガラガラヘビでも見るような目つきでにらみつけた。そして、四人の白人の顔をつぎつぎと見た。みな、にこやかな笑顔だ。ほんとうにルーキーを迎えるような顔つきだった。

スタジオのコメディアンたち ビリー・ストレンジ(左)、ハル・ブレイン(右)、ドン・ランディー(向こうむき)、コントを演じるの景。
だが、これはなにかの罠にちがいなかった。ルーキー歓迎の罠ではないが、でも、罠以外のなにかであるはずがない。彼はこの四人のことはよく知っていた。馬鹿げたジョークが大好きなのだ。いま自分が、ジョークのネタにされつつあるのがわかった。そして、ここから逃げる道はないことも知っていた。
「お見かけするところ、ベースをお弾きになるようですな、ミスター?」
ハルがそういって、ニヤッと笑った。
彼は肩をすくめた。今日の趣向を理解したのだ。こうなったら、さっさと罠に飛び込んで、そのまま向こう側に通り抜ける以外、脱出する道はない。猟師たちは彼を完全に包囲していた。
「ボンドだよ、ジェイムズ・ボンド。それがなんだっていうんだ、くそったれどもが!」
四人の男たちは爆笑した。笑い転げた。いつまでも笑い転げた。
◆ ビッグ・バッド・グルーヴ ◆◆
一年ぶりに、物語仕立てをやってみました。全部嘘っぱちです。ただし、彼らの日常とキャラクターに関する知識にもとづく嘘っぱちです。でも、じっさいに似たようなことはあったにちがいありません。ジェイムズ・ボンドは、のちにジミー・ボンドを名乗るようになるからです。
ジェイムズ・ボンドは腕のいいプレイヤーでした。スタジオのプロとして赫々たるキャリアを誇っています。わたしの研究分野はポップ/ロック系のセッションなので、よそから、ボンドのジャズ系セッションに関する記述を拾ってくると、彼がいっしょにやったプレイヤーは、チェット・ベイカー、スタン・ケントン、ジェリー・マリガン、チャーリー・パーカー、シンガーではジュリー・ロンドン、ペギー・リー、トニー・ベネット、エトセトラ、エトセトラ。
ポップ系でも永遠につづくリストがありますが、そんなことを書いてもキリがありません。ハリウッドのファースト・コール・プレイヤーで、50年代から60年代にかけて、コンスタントにスタジオ・ワークをつづければ、だれでもアメリカ音楽名鑑みたいなものを抱え込むことになるのです。ただし、その「だれでも」になるのはものすごくむずかしく、「だれでも」の人数はつねに一握りでしかありません。そして、その一握りになってしまえば、フランク・シナトラからフランク・ザッパまで、フィル・スペクターからモンキーズまで、よりどりみどりなのです。

記憶に染みついているボンドのプレイは、スプリームズの1967年のチャート・トッパー、Love Is Here and Now You're Goneです。キャロル・ケイの話によると、この曲では、彼女がフェンダー、ボンドがアップライトで、二人が完全なユニゾンでプレイしたそうです。フェンダーでもタフだろうなと感じるフレージングですが(なによりも、難所が途切れずにずっとつづき、楽をできるところがないのがつらい)、アップライトのプレイヤーにとっては悪夢のラインだったそうで、二人とも大汗をかいたのだとか。
彼女はいっています。ジミーが最後までミスなしに弾きおおせたことに、ほんとうにビックリしたと。リリース・テイクを聴いても、楽じゃなかったであろうことはよくわかりますが、スプリームズのボックスには、別テイクが収録されていて、こちらのほうがベースがよく聞こえます。お持ちの方はご一聴あれ。フェンダーとアップライト、ハリウッドを代表するベース・プレイヤーが、二人とも必死になってプレイしたという伝説の曲です。いや、キャロル・ケイは、これが最悪だったとはいっていません。もっとも困難だった仕事は、『続・猿の惑星』だそうです。
ボンドが不運にもジェイムズというファースト・ネームだったせいで起きたことは、かならずしも悪いことばかりではありませんでした。もうひとりのジェイムズの『ゴールドフィンガー』が巻き起こしたセンセーションのさなか、ジミーのところに、アルバムを出さないか、という話が持ち込まれたのです。そして生まれたのが、ジェイムズ・ボンド・セクステットのJames Bond Songbookです。彼がギタリストであったり、ドラマーであったり、ピアニストであったりすれば、十年前には当然持ち込まれたであろう、リーダーアルバムの話が、名前のおかげで遅まきながら舞い込んだのです。

長年、ハリウッド音楽史を研究してきた人間としては、ジミーのはじめてのリーダーアルバムは褒めたいのです。もう完全に褒める体勢になっているのです。でも、褒められません。ドラムがわたしの嫌いなジョン・グェランだからです。いや、グェランだって、粗が目立たないものもあるし、だれの名前がついているにせよ、いいプレイなら褒めますが、James Bond Themeでもグェランはなっちゃいません。タイムが悪い人というのは、若いときも、年をとってからも、程度の差こそあれ、いつもタイムが悪いのです。
ほかのメンバーは、バディー・コレット(彼の回想記、Jazz on Central Avenueは、黎明期のLAシーンに光を当てた貴重な参考書だった)、ボビー・ブライアントなどで、グェラン以外にはリトル・リーグと感じるプレイヤーはいません。だから、よけいに、惜しいなあ、と思います。これがアール・パーマー、シェリー・マン、メル・ルイスなどだったら、楽しめるアルバムになったでしょうに、グェラン、それも、駆け出しの時期では話にもなにもなりません。名前を見る前から、音を聴いただけで、いったいだれだ、このド下手のコンコンチキ野郎は、と思いましたが、名前を見たら、やっぱりな、でした。
◆ ナタリアス「互換サウンド」オヴ・ハリウッド ◆◆
めずらしいジミー・ボンドのリーダー・アルバムがあり、彼にスポットライトを当てるチャンスはこれが最初で最後だろうと、好きでもない盤を先頭に立てましたが、ここからは好みでいきます。
看板にはグレン・キャンベル盤を立てました。こちらのドラマーはハル・ブレインです。グェランの無惨なプレイを聴いたあとだと、それだけで安心しちゃいます。クレジットはないのですが、ハルのほかに、ビリー・ストレンジがアレンジをしたこともわかっています。グレンもラジオ・インタヴューでそういっていますし、かつて、このThe Big Bad Rock Guitar of Glen Cambellの収録曲について、ビリー・ストレンジに質問したこともあります。それについては、
Spring Mistの記事に書いたので、ご興味があれば、そちらをご覧あれ。

Hal Blaine and Glen Campbell.
その記事にも書いたのですが、このへんの盤というのは、ほとんど同じようなメンバーで録音されているので、ときおり、なにがなんだかわからなくなります。仮に、この曲にビリー・ストレンジというアーティスト名が書いてあったら、わたしはのまま信じてしまうでしょう。なにしろ、アレンジャーがビリー・ザ・ボス自身なのだから、ボスのアルバムに雰囲気の似たホーン・アレンジなのです。
グレン・キャンベルは、この曲では12弦を弾いていますが、なじみのあるサウンドではないので、リッケンバッカーなどではなく、グレンが使ったことがわかっている
3種類の12弦のいずれかでしょう。可能性のもっとも高いのはオベイジョン。どうであれ、やっぱりハルがいると、背筋がピンと伸びたいいグルーヴになる、ジョン・グェランとはリーグが三つぐらいちがう、と感じるトラックです。

ビリー・ストレンジ盤は、グレン・キャンベル盤とメンバーの多くが重なるので、かなり近似したサウンドで、グレン盤と甲乙つけがたい出来です。もっとも大きなちがいは、ビリー・ストレンジ盤では、ハルがオーヴァーダブによる分身の術で、両チャンネルからタムタムやスネアの連打の十字砲火を繰り出していることです。もちろん、たとえば、アール・パーマーなどを呼んで、二人いっしょにプレイすることもありましたが(たとえば、ジャン&ディーンのシングル)、これは左右ともに、ハルのタイムに聞こえます。同一人物ならではの、みごとにタイムが一致したきれいなダブルドラムです。いや、タイムの悪い人の「みごとに」タイムが一致したダブルドラムなんか、まちがっても聴きたくありませんがね!
じつは、グレン・キャンベル盤より、ビリー・ストレンジ盤のほうがいいと思います。しかし、ついこのあいだのThe Man from U.N.C.L.E.でも、ボスのヴァージョンを看板に立てたので、今回は遠慮したのです。
◆ エキゾティック・ギターズ ◆◆

イタロ・カルヴィーノは『非在の騎士』を書きましたが、ハル・ブレインは「偏在の鼓士」、あの時代の音楽空間のあらゆる地点にあまねく存在しました。エキゾティック・ギターズ盤James Bond Themeのドラムもハルでしょう。がしかし、ハルを聴くなら、ビリー・ストレンジ盤のほうがはるかに楽しい出来で、こちらはべつのお楽しみを追求するべきです。
グレン・キャンベル盤と自分自身の盤でのビリー・ストレンジのアレンジは、ホットな方向、OSTに近いものを、もっとずっとタイトなリズム・セクションで、バリバリに強面なサウンドにしたのですが、エキゾティック・ギターズはそういう性質のプロジェクトではありません。ギターによるイージー・リスニングです。したがって、クールなサウンドで統一されています。
エキゾティック・ギターズ・プロジェクトのリードギターはアル・“サムシン・ステューピッド”・ケイシーです。いや、この曲の場合は、アル・“サーフィン・フーテナニー”・ケイシーです。あの曲では、アストロノウツも三舎を避ける派手なリヴァーブをかけてバリバリやっていましたが、James Bond Themeでのアルは、チラッとそれを思いださせます。

Surfin' Hootenannyのようなホットなサウンドではありませんが、ビリー・ストレンジやグレン・キャンベルのプレイと並べて聴くと、エキゾティック・ギターズ盤James Bond Themeのギターはリヴァーブが強めで、スパイっぽい雰囲気がより濃く出ています。オルガンやフルートの使用も適切ですし、さらなるお楽しみは、ベース(百パーセントの自信はないが、キャロル・ケイに聞こえる)が、ときおり動きまわってくれることです。
ギターによるイージー・リスニングという、このプロジェクトのコンテクストのなかでJames Bond Themeを聴くと、「あれ?」と感じるのですが、そこから切り離して、他のハリウッド録音のギターものJames Bond Themeと並べてみると、これはこれでいいじゃないか、と感じます。こういうことがあるから、縦軸ばかりではなく、ときおり、横軸で並べなおして聴いてみるべきなのです。
◆ ビートルズのJames Bond Theme? ◆◆
以上で今日の目的はだいたい果たしたので、あとは「ロス・タイム」です。

ビートルズのJames Bond Themeというのをご記憶でしょうか? たまたま、わたしは、66年3月に、『サンダーボール作戦』を見たその足で、『ヘルプ!』と『ア・ハード・デイズ・ナイト』の二本立てを見たので(小学生はタフだ、と初老のわたしは思う。一日に映画を三本も見るなど、考えただけで腰が痛くなってくる)、記憶に焼きついています。
もちろん、「ビートルズのJames Bond Theme」といってはまずいわけで、映画『ヘルプ!』のスコアの一部として使われたJames Bond Theme風のインスト、といわなくてはなりません。そっくりだけど、ちがう曲だし、ビートルズのだれひとりとしてプレイしたわけでもないのです。盤の記載もただ「(instrumental)」とあるだけで、名前すらつけられていないトラックです。

で、これがほんの15秒ほどの短い断片なのですが、なかなか楽しいのです。オーケストラのサイズからくる力強さもありますし、シタールがチラッと顔を出したりするところも笑えるし、録音もよくて、本家の映画にも使わせてあげたくなるような出来です。

Red River Rockで知られるジョニー&ザ・ハリケーンズのヴァージョンは、すごくいい出来というわけではないものの、ちょっと楽しいところもあります。ドラムのタイムもスタイルもいただきかねますが、ギターのサウンドはなかなか面白く(リッケンバッカーの6弦か? ヒルトン・ヴァレンタインを想起させる)、細部で楽しませてくれます。
◆ オーケストラもの ◆◆
オーケストラもののなかでは、ローランド・ショウ&ヒズ・オーケストラのヴァージョンが面白いと感じます。イントロの広がりのあるサウンドを聴いただけで、あ、まじめにやっているな、と感じます。なんか、失礼な言い方に見えるでしょうが、なにかが大ヒットすれば、便乗企画が大量に生まれる業界なので、まじめにやっていないものがたくさんあるのです。


なぜイントロだけで、「これはいい」と感じるのかというと、まずなによりも、ドラムとアップライト・ベースがうまいのです。このドラマー、非常に好きなタイムとスタイルです。それと、OSTがホーンでやっているあのB-C-Db-Cのラインをストリングスでやっているのも面白いと感じる要因のひとつです。そして、音の空間配置がいいので、イントロが流れた瞬間、ムムッと身構える、というわけです。
ショウについては、ロンドン・レコードのインハウス・アレンジャーで、テッド・ヒースやフランク・チャックフィールドとの仕事がある、といった程度のことしかわかりません。このJames Bond Themeを収めたThemes from James Bond Thrillers(1966)をはじめ、More Bond Themes、Music for Secret Agentsなどといったアルバムを自身の名義で数枚出しているようです。

マントヴァーニも悪くありません。007 Suiteという総タイトルで、From Russia with Love、Never Say Never Againなどとのメドレーに仕立てています。だれが考えてもマントヴァーニが得意なのはRussiaのようなタイプの曲に決まっているのですが、James Bond Themeも破綻がなく、マントヴァーニらしい大きなサウンド(ときに、大きすぎて笑ってしまうのだが)でやっています。
◆ ボンド、ジミー・ボンド ◆◆
レグ・ゲスト・シンディケートなど、まだいくつか言及するに足るヴァージョンがありますが、こちらの体力、集中力の限界がきたので、このへんで切り上げることにします。
ベース・プレイヤーのジェイムズ・ボンドの名前は、ずっと「ジミー・ボンド」なのだと思っていました。クレジットではたいていこの名前だからです。たしか、キャロル・ケイが書いていたのだと思いますが、007のせいで、ジェイムズと名乗るのをやめ、ジミーに変えたのだそうです。ボンドなんて、難読奇姓というわけではないし、ジェイムズにいたってはアメリカでもイギリスでも、雑踏する町に立って、そこらを見渡して目に入る男のうち、何割かはこの名前だろうというくらいだから、同じように迷惑した人がたくさんいたことでしょう。
名前で思いだしました。小林信彦の『大統領の晩餐』だか『大統領の密使』だか、どちらかに登場する人物。ジェイムズ・ボンドが『二度死ぬ』のときに日本にやってきて、そのときにキャシー鈴木とのあれやこれやの結果、子どもが生まれたというのです。その名も鈴木ボンド! まあ、講談や芝居でお馴染みの鈴木主水(もんど)を知らないと笑えないのですが、わたしは同じころに、ちょうど久生十蘭の「鈴木主水」を読んでいたので、大笑いしました。いや、「鈴木主水」は十蘭の代表作で、いたってまじめな短編ですよ。そこのところを混同なさらないように!

小林信彦『大統領の密使』表紙(上)とp.62本文。昭和46年早川書房刊。