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Santa Claus Is Coming to Town その1 by the Crystals
タイトル
Santa Claus Is Coming to Town
アーティスト
The Crystals
ライター
Fred Coots, Haven Gillespie
収録アルバム
A Christmas Gift for You from Phil Spector
リリース年
1963年
他のヴァージョン
別掲
f0147840_0171727.jpg

あんまり馬鹿馬鹿しいので、模様のようなものと思って眺めていただきたいのですが、この曲を検索したところ、わが家には以下のヴァージョンがあるという結果が出ました。

The Beach Boys
Jimmy McGriff
The Crystals
The Ramsey Lewis Trio
Lena Horne
Ray Conniff
The Three Suns
Bing Crosby with the Andrews Sisters
Frank Sinatra
Frank Sinatra [Alternate Take]
Nat King Cole
The 4 Seasons
Alvin & the Chipmunks
The Partridge Family
The Pointer Sisters
Frank Sinatra with Cyndi Lauper
Burl Ives
The Carpenters
Domenico Savino & His Orchestra
Ella Fitzgerald
Bugs Bunny & Taz
Jackie Gleason
The Jackson 5
Louis Armstrong & Friends
Paul Anka
Perry Como
Ray Charles
John Klein
The Hollyridge Strings
Esquivel
Rubber Band
Smokey Robinson & the Miracles
The Temptations
Bobby Vinton
Brenda Lee
The Ventures
Eddie Cole
Willie Nelson
Supremes
Booker T. & the MG's
Lynyrd Skynyrd

50種には届いていないのですが、出来がひどすぎるため、存在しないことにして、検索対象外のフォルダーに移動してしまったものが数種ありますし、同じヴァージョンでも、出所が異なり、マスタリングもちがうものは、いちおうすべて聴いたので、延べ55曲、70種ばかりを聴きました。いや、これだけあれば、どちらにしろ玉石混淆、くそみそいっしょ、呉越同舟、南船北馬(関係ないのが紛れ込んだ)、どうとでもしてくれ、です。

看板はクリスタルズのヴァージョンにしました。もちろん、フィル・スペクターのクリスマス・アルバムに収録されたものです。スペクターのクリスマス・アルバムは、あらゆるクリスマス・アルバムのなかのキング、大看板、大真打ちですから、二十日をすぎたら登場させるつもりでした。しかし、昨日書いたような事情で、重要曲を前倒しにすることにしたので、本日の登場となりました。

クリスタルズ・ヴァージョンだけあれば、わたしとしてはほかのものはいらないようなものなのですが、クリスマス・アルバムを買えば、五分五分以上の確率で入っている曲ですから、こういう長いリストになってしまうのは、もういかんともしがたいのでして、うぬ、やんぬるかな、無念だあ、であります。

◆ 子どもをあやす歌 ◆◆
ほとんどのシンガーが略していますが、この曲には前付けのヴァースがあり、クリスタルズは略していないので、まずはそこから。ここでは各部分ごとにばらばらにしますが、需要の多い曲なので、最後にひとまとめにしますから、歌う必要がある方は、この記事の末尾に飛んで、そちらをコピーなさってください。

Jimmy, I just came back from a lovely trip along the Milky Way
I stopped off at the North Pole to spend the holyday
I called on old dear Santa Claus to see what I could see
He took me to his workshop and told his plans to me
Now Santa is a busy man, he has no time for play
He's got millions of stockings to fill come Christmas day
You better write your letter now and mail it right away
Because he's getting ready, his reindeers and his sleigh

「ジミー、たったいま、天の川めぐりの楽しい旅行から帰ってきたところなの。途中、北極で休日を過ごしたので、懐かしいサンタクロースの様子を見に訪ねてみたわ。サンタはわたしを仕事場につれていき、プランを話してくれたのよ、サンタは忙しい人で、遊んでいるひまはないの、クリスマスがきたら、とてつもない数の靴下をいっぱいにしなければならないのだもの、あなたもいますぐ手紙を送ったほうがいいわよ、もうサンタはトナカイや橇の準備をはじめているんだから」

どこからどこまでがヴァースで、どこがコーラスなのか、わたしにはよくわからないのですが、繰り返しのところだけがコーラスとみなすことにして、以下はファースト・ヴァースとコーラス。

You'd better watch out, you'd better not cry
You'd better not pout, I'm telling you why
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town

「注意していなさい、泣くんじゃないの、ふくれっ面はやめなさい、理由を教えてあげる、サンタクロースがもうじきやってくるの」

ここまでくればだいたいおわかりのように、語り手が話しかけている相手は子どもです。この曲の成り立ちをちゃんと調べたわけではありませんが、エディー・カンター(だったと思います)のラジオ番組で歌われたものだそうで、子どものための歌だったのじゃないでしょうか。「サンタクロースがやってくる」を繰り返すところだけがコーラスなのだろうと思うのですが、よくわかりません。

以下は(たぶん)セカンド・ヴァース。

He's making a list, he's checkin' it twice
He's gonna find out whose naughty or nice
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town

「サンタはリストをつくり、二度チェックをする、サンタはだれが悪い子で、だれがよい子かちゃんと調べ出す」

厖大なリストなので、チェックはぜったいに必要でしょう。どこかの役所は、毎日クリスマスということにして、これを流しておけばよかったかもしれません。もう手遅れですが。日本国民の数なんて、サンタがつくらなければならないリストにくらべれば、ミソッかすの木っ端ぐらいの短いもののはずですが。

つぎはブリッジだと思うのですが、よくわかりません。とにかく、ここまでとはコードもメロディーも異なるパート。

He sees when you are sleeping
He knows when you're awake
He knows if you've been bad or good
So be good for goodness sake

「サンタはあなた寝ていればわかるし、目を覚ましていればちゃんとわかる、あなたが悪い子だったか、いい子だったかを知っているの、だから、ちゃんといい子にしていてね」

以下、ファースト・ヴァースやコーラスの繰り返しとなっています。

◆ フィル・スペクターの夢見た音 ◆◆
クリスタルズ盤Santa Claus Is Coming to Townはすさまじいサウンドで、この音をイメージし、じっさいにつくりだしたフィル・スペクターという人間が、どれほど卑劣であろうと、たとえ殺人者であろうと、そんなことはどうでもよくなります。

1963年はフィル・スペクターのクリエイティヴィティーとイマジネーションがピークに達した年です。このクリスマス・アルバムの直前にはロネッツのBe My Babyを生みだし、この曲がチャートを駆け上がっている最中に、クリスマス・アルバムの録音に入っています。

ほんとうに、この男はどこから想を得て、こんな音をつくりだそうとイメージしたのか、そこからして、わたしにはよくわかりません。とてつもないものが生まれる際の「空白の一瞬」が、あの跳躍がスペクターにも起きたのでしょうか。

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ゴールド・スター・スタジオのブースにて。左からラリー・レヴィン、フィル・スペクター、ニーノ・テンポ。コンソールはビル・パトナムのユニヴァーサル・オーディオ製。

よくわからない誕生の一瞬のことはさておき、この曲でもっとも目立っているのは、ハル・ブレインの圧倒的なプレイです。1963年は、アール・パーマーからハルがセッション・ドラマーの王座を奪った年です。ここからの数年、彼はハリウッド音楽を、ひいてはアメリカ音楽を支えつづけることになります。威厳と自信を得たドラマーが、そのキャリアの最初のピークで、彼の技の全スペクトルのうち、ハードなほうの最外縁にあたる、フルスロットルのプレイを展開するのを聴けるのが、このSanta Claus Is Coming to Townです。

昔、友人のアルテックA7で、この曲を鳴らしてみたことがありますが、いやもう、ハルの雷鳴のようなスネアに、友人と二人で床にひれ伏しそうになりました。この音の手ざわり(なんて表現ですむ柔なものではありませんが)は、もちろん、ドラマーひとりに生み出せるものではありません。ゴールド・スター・スタジオの音響特性、4連のEMI製プレート・エコー、そして、エンジニアのラリー・レヴィンの反対を押し切って、そのエコーを限界まで使うことを要求したスペクターの強い意志がなければ、いくらドラマーのキングが全力で叩きまくっても、これほどの衝撃力をもちえようはずがありません。

◆ フェイドアウトの「ショウ」 ◆◆
クリスタルズの1962年のチャート・トッパー、He's a Rebelで出会って以来、フィル・スペクター、ラリー・レヴィン、そしてハル・ブレインは、明日のドラム・サウンド、明日のドラマー像を追求してきました。

f0147840_118334.jpgドラマーというのは、本来はタイム・キーパーであり、バンドのメトロノームであることを期待されていました。しかし、フィル・スペクターは、彼のサウンドのなかに、ドラマーには特別の場所をあたえました。シンガーと並ぶ、バンドのスターという地位です。

ハル・ブレインのプレイに惚れこみ、その潜在能力の大きさを感じとったフィル・スペクターは、ハルに「前に出る」ように促し、いっぽうで、エンジニアのラリー・レヴィンと協力して、ドラム・サウンドをテープに定着する新しい手法を生みだしました。その新しい方向性がヒット曲として結実したのが、クリスタルズのDa Doo Ron Ronであり、そして、ロネッツのBe My Babyでした。

Be My Babyからあまり日をおかずにはじまった、このクリスマス・アルバムのプロジェクトでは、ハルはまさにバンドのスターとして光り輝いています。バックビートのひとつひとつに、フィルインのひとつひとつに、大スターだけがもつ自信と輝きがあります。

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最初のフィルイン、2小節をフルに使った、スネアからフロアタムまで流すパラディドルの完成度の高さには目を見張ります。ふつうのドラマーは、全力でパラディドルをやれば、どれかのビートのアクセントを乱すものです。どんなに強く叩いても、ハル・ブレインは左右の強弱のバランスを崩すことがありません。つねに安定したタイムで、バランスのよい、スムーズな流れのフィルインを叩くことができるのです。音を聴くだけで、彼の手首がきわめて柔軟なことは、握手をしなくてもハッキリとわかります。

このSanta Claus Is Coming to Townには、彼の四分三連のプレイが満載されていますが、とくに聴くべきは、やはり、「ハルの時間」だった、エンディングでの「ショウ」でしょう。いやもう、すごいのなんの。写譜が困難なタイプの細かいプレイではなく、強く、美しいビートで、クッキリした輪郭の、しかも、そのビートのパターンのコンビネーションに独創性のある、素晴らしいプレイです。

f0147840_1191293.jpg通常、このようなシャッフル・ビートの曲では、三連符によるフィルインを使います。そのほうが自然に響くからです。だから、ハルも歌が終わるまでは、ふつうに、ただし、きわめて美しい流れの四分三連のプレイで押し通しています。しかし、歌が終わり、エンディングに入った瞬間、「ハルのショウ」がはじまります。

いきなり、彼らの術語でいえばstraight sixteenths against shuffle、すなわち「シャッフルに逆らった16分音符の連打」で、まずリスナーを驚かせます。ハル・ブレインとアール・パーマーが、シャッフルにおける16分のパラディドルを「発明する」まで、こんなことはドラミングの常識にはないことでした。

ここからは、ハルはあらゆるパターンを自在に、かつウィッティーに組み合わせ、後年、彼のトレードマークといわれるようになる、二分三連の強い、とてつもなく強いキックの踏み込みも披露して、フェイドアウトにもちこみます。クリスタルズのSanta Claus Is Coming to Townは、まちがいなく、ハル・ブレインの初期の代表作であり、彼がドラマーのキングの座についたことを、アメリカ音楽界に周知徹底する布告状でした。

◆ ビング、アンドルーズ、シマリス……ん、シマリス? ◆◆
f0147840_139499.jpgハル・ブレインの最高のプレイを聴いたあとだと、ほかのものがみな気が抜けて聞こえます。いや、じっさいに気が抜けているのだと思いますが、気が入ったものばかりがいいとはかぎらないので、のんびりしたヴァージョンのなかから、のどかさに味があるものを探すと、まず、ビング・クロスビーとアンドルーズ・シスターズの共演盤でしょうか。

大スター同士の共演ですが、どちらかがもう一方を圧倒するようなことはなく、双方がそれぞれの味を発揮し、理想的な共演になっています。とくに、最後のヴァースにおけるメロディーの改変が魅力的です。シンプルな曲なので、ヴァースひとつで飽きがくることが多いのですが、ビングとアンドルーズは最後まで飽きさせません。

f0147840_1401685.jpg大歌手たちを押しのけて、こういうものを上席に置くのは畏れ多いのですが、つぎに好きなのは、アニメのキャラクター、チップマンクスのものです。ご存知の方には説明の要がありませんが、チップマンクスの音楽は、アニメ同様、低速回転で録音したものを正常回転で再生した、異常にピッチの高い声で歌われています。

この声でハモるところが、チップマンクスの魅力なのですが、当然、それが合うものと合わないものがあります。Santa Claus Is Coming to Townは、ドンピシャ、じつにいい響きのハーモニーになっています。また、「悪い子」役のアルヴィンというシマリスが、なにかいたずらまたは暴走をして騒動が起こり、それをいかに収拾するかがアニメの基本的なストーリーなので、この曲の歌詞と、マンクスたちのキャラクターはピッタリ重なります。チップマンクス盤Santa Claus Is Coming to Townは、大幅に歌詞を増補改訂していますが、それは略させていただきます。

f0147840_1415784.jpgナット・キング・コールは、わが家にあるもののなかで最速まちがいなしの、ものすごく速いテンポでやっています。ナット・コールの歌自体は、「当社比」というか「本人比」では、それほどいい部類ではないでしょうが、サウンドは楽しめます。こういうホットなスウィング・バンド・スタイルは大の好みです。録音の悪さも気にならないというか、むしろ幸いしているような気もします。

一日の仕事としてはこのへんが限界のようなので、残るヴァージョンは明日に持ち越しとさせていただきます。嗚呼、また明日もこの曲を聴きつづけるのか……。

◆ 歌詞のまとめ ◆◆
コピー用に上記の歌詞を以下にまとめました。

Jimmy, I just came back from a lovely trip along the Milky Way
I stopped off at the North Pole to spend the holyday
I called on old dear Santa Claus to see what I could see
He took me to his workshop and told his plans to me
Now Santa is a busy man, he has no time for play
He's got millions of stockings to fill come Christmas day
You better write your letter now and mail it right away
Because he's getting ready, his reindeers and his sleigh

You'd better watch out, you'd better not cry
You'd better not pout, I'm telling you why
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town

He's making a list, he's checkin' it twice
He's gonna find out whose naughty or nice
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town

He sees when you are sleeping
He knows when you're awake
He knows if you've been bad or good
So be good for goodness sake

You'd better watch out, you'd better not cry
You'd better not pout, I'm telling you why
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town
Santa Claus is coming to town

by songsf4s | 2007-12-13 00:18 | クリスマス・ソング
Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow! by Dean Martin
タイトル
Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!
アーティスト
Dean Martin
ライター
Sammy Cahn, Jule Styne
収録アルバム
Christmas with Dino
リリース年
1959年
他のヴァージョン
Dean Martin (alternate take), Frank Sinatra, Aaron Neville, Andy Williams, Vaughn Monroe, Wayne Newton, Smokey Robinson & the Miracles, the Temptations, Johnny Mathis, Connie Boswell, Doris Day, Bette Midler with Johnny Mathis, Ella Fitzgerald, Marie Osmond, the Ray Charles Singers, Chet Atkins, Herb Alpert & the Tijuana Brass, the Three Suns
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クリスマス・ソングの特集なんてものをやれば、クライマクスに向けて、浅いところにどういう曲をおくか、深いところにどういう曲を配すか、イヴはこの曲、クリスマス当日はこの曲、というように、ある程度は計画を立てることになります。

ところが、当てごととなんとかは向こうから外れるで、逆の並べ方のほうがよかったのかもしれないと、このごろは思っています。これからやる予定の曲をキーワードにして、歌詞を探しにきていらっしゃる方が相当数にのぼるのです。その種の曲はほとんど深いところに配してあるので、このままいくと、需要期が終わったころに登場することになります。

そこで、計画をすこし変えて、深いところに出すつもりだった重要曲にそろそろ手をつけようと思います。そのトップが、もっとずっと深いところに出すはずだった、Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!、または短縮してたんにLet It Snow!といわれている曲です。以下、短いタイトルを使います。

◆ ポップコーンと笑い声弾ける吹雪の夜 ◆◆
ファースト・ヴァース。

Oh, the weather outside is frightful
But the fire is so delightful
And since we've no place to go
Let it snow, let it snow, let it snow

「外はひどい天気だけれど、暖炉のそばはすごく気持ちがいい、どちらにしろ行くところなんかないのだから、雪よ降れ、雪よ降れ、雪よ降れさ」

とくに面倒ごとのない箇所なので、つづけてセカンド・ヴァース。

It doesn't show signs of stopping
And I brought some corn for popping
The lights are turned way down low
Let it snow, let it snow, let it snow

「降りやむ気配はまったくないし、ちゃんとポップするためのコーンももってきたし、灯もずっと落としたから、雪よ降れ、雪よ降れ、雪よ降れさ」

f0147840_1364119.jpgポップコーンは、for poppingとなっているので、まだできていないもの、これから炒めるようになったものです(ディノ盤では、I brought me some cornに聞こえる。brought with meという意味だろう)。たしかに、二人でキャッキャッいいながら、フライパンで弾けさせるから楽しいわけで、ただ袋をやぶってパクパクでは、二人だけのクリスマス・パーティーの演出にはなりませんな。いや、あなたの失敗演出のことをいったわけじゃないですがね。

個人的には、マシュマロを焼いたり、エビセンベイを揚げて膨らませたりするのも、お子さんのいらっしゃるご家庭向きだと思いますよ。食べ物が膨らむのを見ると、だれでも思わずニコッとなるようです。でも、ヤケドにはくれぐれもご注意を。中華エビセンベイは油を使いますし、マシュマロはあわてて食べると、中のほうが猛烈に熱くてフギャッと叫びます。

◆ 吹雪も味方につけて ◆◆
閑話休題。以下はブリッジ。

When we finally kiss good-night
How I'll hate going out in the storm
But if you really hold me tight
All the way home I'll be warm

「別れのキスをするときがきたら、吹雪のなか、外に出るのはイヤだろうなあ、でも、きみが強く抱きしめてくれれば、うちに帰り着くまでずっと暖かいだろうね」

f0147840_1382268.jpgその場にあるものをなんでも武器にして戦うストリート・ファイターの流儀のようなもので、雪が降れば、それを最大限に利用して、できるだけ多くのものを彼女から引き出そうとするのが、この語り手の考え方のようで、仕事ではやり手なのでしょう。この雪なんだから、最後のキスもひとつ熱々のを頼むよ、というわけでありますな。最後といったくせに、ぜんぜん最後じゃなくて、あとを引くようにもっていってしまう戦術なのでしょう。

しかし、わたしはこのブリッジでちょっと驚きます。だって、帰るんですからね。いまだったら、ふつうは泊まるんじゃないでしょうか。今昔の男女関係のちがいが、思わぬところにニョキッと顔を出して、ギョッとしました。まあ、まだ知り合ってそれほどたたない、ほんとうに「親密」になる一歩手前のカップル、という設定なのでしょうが。

最後のヴァース。

The fire is slowly dying
And, my dear, we're still goodbye-ing
But as long as you love me so
Let it snow, let it snow, let it snow

「暖炉の火は消えかけているけれど、ぼくらはまだ別れをいっている最中、でも、きみがぼくのことを愛してくれているかぎりは、雪よ降れ、雪よ降れ、雪よ降れ、という気分さ」

we're still goodbye-ingがじつにうまいですねえ。「そろそろ帰ろうかな」「まだいいじゃないの、もうすこししたら雪も小やみになるかもしれないわよ」「うん、そうだな」と繰り返すだけで、いっこうに腰が持ち上がらない、別れがたい恋人たちの気分がよく出ています。

もちろん、goodbyeはあくまでも名詞であり、動詞はないので、これは文法的にイレギュラーな用法で、そこに作詞家の工夫があるのです。60年代派の諸兄姉は、ナンシー・シナトラのThese Boots Are Made for Walkin'における、イレギュラーな-ingの連発を思い起こされよ。truth-ingとかですな。

◆ ラットパック組の二人 ◆◆
まずは看板に立てたディーン・マーティン盤から。このアレンジ、レンディションのいいところは、まず第一にテンポの選択です。ちょっと速めで軽快なこのテンポは、ディノのキャラクターにも合っていますし、この曲のムードにも合っていると感じます。ディノのLet It Snow!には、もうすこし遅いべつのテイクがあるのですが、それと比較しても、やはり、この一般に出まわっているヴァージョンのテンポがいいと感じます。

f0147840_1563519.jpgなんといっても、俳優としてのディノのキャラクター・イメージにぴったりくる仕上がりだから、素晴らしいと感じるのだと思います。シャンペンを片手に、ポップコーンをそっとジャケットのポケットに忍ばせて、今日知り合ったばかりの女性のところに、にこやかに押しかけてくる伊達男が、彼の映画の一場面のように眼前に彷彿とします。彼のお気楽そうなプレイボーイぶりに、この軽快な、それでいながら、速すぎないテンポはほんとうにふさわしいと思います。

f0147840_1572452.jpgディノ盤にくらべると、兄貴分のフランク・シナトラ盤は、かなり速いテンポで、これはちょっと速すぎると感じます。この吹雪だ、どうせ行くところなんかありゃしないじゃないか、腰を落ち着けてシャンペンを飲もうぜ、という、ディノの余裕綽々たるプレイボーイぶり、明日は明日の風が吹くさ、というノンシャランぶりにくらべると、シナトラというのは、じつは、すごくまじめな人なのだ、という印象を受けるから、歌というのは不思議なものです。

並べて聴いて思いましたが、ディーン・マーティン盤の軽快さを演出している隠れた要素は、フェンダー・ベースの使用ではないかという気がしてきました。いや、ただフェンダー・ベースを使っただけではダメで、プレイヤーしだいなのですが、それにしても、シナトラ盤は、テンポが速いわりには、微妙な重さを感じます。それはスタンダップ・ベースのせいではないでしょうか。

◆ 他の男性シンガー陣1 ◆◆
f0147840_1822422.jpgここに並んだシンガーのなかで、つぎに好きなのはエアロン・ネヴィルです。ネヴィル盤もシナトラ並みの速いテンポでやっています。声が薄くて軽い人なので、このテンポは合っています。ハモンドのオブリガートもけっこう。なかなかいい盤です。気に入らないのは、ベースの根性が悪いことと、うまくもないテナー・サックス・ソロです。

キャロル・ケイというベーシストの凄味をもっとも感じたのは、4分だけの素晴らしいグルーヴで押し通したトラックを聴いたときでした。この曲は4分音符だけでいこうと決めたら、つまらないシンコペーションなど入れないのです。子どもや半チクなリスナーに下手くそだと思われても、まったく気にしないプロ魂をもっています。

それにくらべると、このエアロン・ネヴィル盤のベースは、プロじゃありません。4ビートで、4分のランニング・ラインで押し通せばいいのに、ちょこちょこと飾りのシンコペーションを入れて、流れを壊しているのです。俺はうまいんだ、といいたいのでしょうね。下手じゃないかもしれませんが、馬鹿です。ドラムと並ぶグルーヴのだいじな担い手が、グルーヴを壊してどうするんです?

f0147840_252395.jpg大昔のヒット・ヴァージョン、ヴォーン・モンロー盤は、さすが、という出来。歌詞のことを忘れれば、このヴァージョンを看板に立てたかもしれません。音としては非常にいい出来だと感じますが、ディノの千両役者ぶりのまえでは、やはり、一段落ちると感じます。しかし、バックの女性コーラスのアレンジなんか、気持ちいいですよ。

アンディー・ウィリアムズ盤もなかなかけっこうな出来です。昔はこの人のことを馬鹿にしていましたが、最近はおおいに見直しています。とにかく、サウンドがいいのです。フランク・シナトラや美空ひばりが、全体のサウンドの出来に「責任をとった」例を考えれば、アンディー・ウィリアムズのさまざまな曲のサウンドのよさは、歌い手の意思のあらわれととっていいような気がします。

◆ 他の男性シンガー陣2 ◆◆
f0147840_274642.jpgスモーキー・ロビンソンは大好きなシンガーだし、途中で家庭に入ってしまった彼の奥さんの声も好みです。ミラクルズ盤は、奥さんが主としてリードをとっていますが、そういうことと関係なく、サウンドが鈍重で、まったくいただけません。とくにベースの鈍くささは特筆に値します。ハリウッド録音なんかであるはずがなく、デトロイト製にちがいありません。ジェイムズ・ジェマーソンというのは、じつはこの程度の人じゃないかと目を開かれました。

ついこのあいだ、Rudolph the Red-Nosed Reindeerのときに、テンプテーションズのコード改変を賞賛しましたが、この曲でもメロディー・ラインを変えています。でも、これはペケ。この曲から、歌うと思わず浮き浮きするメロディー・ラインをとって、なにをつくるつもりだったのか、理解に苦しみます。黒人シンガーのバラッドというのは、基本的に好かないのですが、これは悪い典型例。シンガーがひとりで入りこんで陶酔しているのを眺めるほど馬鹿馬鹿しいことはありません。勝手にやってろ、です。

f0147840_2101153.jpgジョニー・マティスは、いわば「ロマンティック・バラッド」の人ですから、女性のなかにはこういうのをお好みの方もいらっしゃるのでしょう。もうすこし重心を上にもっていって、軽く歌ってくれないと、男としては、おいおい、です。露骨な口説きの歌へと堕落しています。

その点、薄さっぺらさと軽さが身上のウェイン・ニュートンには、そういういやらしさはありませんが、だからといって、とくにいいヴァージョンということもありません。毒にも薬にもならない中性的な歌声が、この人に生きる場所をあたえたとつねづね思っていますが、いい年をして、ラス・ヴェガスでまだこれをやっているのかと思うと、ちょっと怖いものがあります。芸能人というのは、因果な商売です。

◆ 女性シンガー、そしてふたたびディノ ◆◆
f0147840_214193.jpgドリス・デイは遅すぎてべたつき、ベット・ミドラーは騒々しくてしらけ(好きなシンガーですが、向いていない曲を選んだと感じます)、エラ・フィッツジェラルドは歌のうまさ以外になにも売るものがない極貧ぶりに寒気を感じ、マリー・オズモンドはシンガー以前なので、はじめから論ずるに足らず、女性の盤にはどれもうんざりです。コニー・ボズウェル(なんて人はわたしは知らなかったのですが)だけは、サウンドも歌もまずまずです。間奏のマヌケなストリングスも管もいただけませんが。

この曲は歌い手のキャラクターを峻別するので、女性シンガーにははじめから無理だと感じます。過度の感情移入はどんな場合も禁物ですが、Let It Snow!は、感情移入の仕方によって、全体の味わいがまったく変わってしまう不思議な曲です。性的な暗示があるのだから、それをどう表現するか、いや、正確には、それをいかに表現「しない」かが重要だと感じます。

f0147840_2172825.jpgディノのヴァージョンが飛び抜けてよいと感じるのは、彼がプレイボーイのキャラクターを演じつづけてきたおかげではないでしょうか。プレイボーイには性的魅力が必須ですが、それは生なものではなく、抽象化されたものだから、プレイボーイたりうるのです。生だったら、ジゴロ、ホストです。この抽象化と隠し味のユーモアが、ディノのLet It Snow!を気持ちのよい、そして、思わずニヤッと笑ってしまうヴァージョンにしていると感じます。

女性が歌うと、性的な暗示がほどよく表現されず、ベット・ミドラーのように、じゃあ帰れば、といわんばかりの味気なさになったり、ドリス・デイのように、まとわりついてくる印象になるのではないでしょうか。歌うとなんとも気持ちがよく、ジャンプやスラーのような難所もなく、カラオケ向きだと思うのですが、歌えばあなたのキャラクターが白日のもとに露呈されるので、お気をつけになったほうがいいでしょう。あ、いかん、もう歌っているところを聴かれてしまった!

◆ インスト盤 ◆◆
インスト盤はあまりいいものがありません。コードがシンプルすぎて、オーケストラ・リーダーたちに嫌われたのかもしれません。わが家には、不思議なことに、オーケストラものがないのです。

f0147840_2201953.jpgチェット・アトキンズは、もう貫禄のプレイで、ギターについてはいうことがありません。この盤の欠点はバックのサウンドがチープなことなのです。レス・ポールもエイリアンですが、チェットも異星人と地球人のあいだに生まれたハーフぐらいに感じます。

ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラス盤は、テンポを落として、しっとりとしたムードでやっていますが、いつものTJBサウンドにしたほうがよかったのではないかと感じます。はじめて聴いたとき、いつハルがバシーンとスネアをハード・ヒットして、テンポ・チェンジを宣言し、いつものTJBスタイルになるのかと待ちかまえたのに、最後まで同じテンポだったので、ありゃ、とコケました。

スリー・サンズ盤は、毎度毎度申し上げるように、わけのわからないアレンジで、コミック・ソングかよ、です。ひょっとして、スリー・サンズのクリスマス・アルバムは、スタン・フリーバーグあたりの線を狙ったのかもしれません。だとしたらあと一歩で成功、ちょっと惜しかった、という感じです。だって、コミックなのかどうなのか、考えこんでしまうのだから、コミック盤としても十分な成功とはいえないじゃないですか。

◆ 存在を否定したいヴァージョン、存在を祈るヴァージョン ◆◆
じつは、ほかにも数ヴァージョンあるのですが、どこといって語るべき特長がなかったり、罵倒する以外には取り上げようのないものだったりして、書くのが面倒なだけなので、リストから外しました。以前言及したシカゴやアメリカのクリスマス・アルバムには、ほとほと呆れ果てたので、もうもっていないことにして、以後言及しません。あれがあるじゃないかなんて、わたしをつっつくと、額に青筋を立てて、いかにダメなヴァージョンかと滔滔と論じ立てることになるから、刺激しないでください。シカゴとアメリカのクリスマス・アルバムはわが家にはありません。よろしいですね?

f0147840_2235284.jpgいらないものを山ほど抱えて思うのは、ぜひこの曲を歌ってほしかった人たちの顔です。まずジョニー・マーサー。彼の声とキャラクターとシンギング・スタイルに、この曲はドンピシャだと思います。つぎにキング・シスターズ。彼女たちなら、いやらしくならず、「まだいいじゃない、もうすこし飲みましょうよ」という、軽やかで和やかな雰囲気が出せたでしょう。

いや、わが家にないだけですよ。わたしがこんなに聴いてみたいと思うのだから、どこかに存在しているのじゃないでしょうか。存在していなかったら、頭のなかでつくっちゃうから、やっぱり「存在」しているのです。

それにしても、ほんの20種類ほど聴いただけで、疲労困憊しました。もっとヴァージョンの多い曲(あるんですよ、まだ何曲も!)を3曲もやれば、25日を迎える前に、棺桶に頭から突っ込んでいるもしれません!
by songsf4s | 2007-12-12 00:13 | クリスマス・ソング
Grandma Got Run Over by a Reindeer by Elmo & Patsy
タイトル
Grandma Got Run Over by a Reindeer
アーティスト
Elmo & Patsy
ライター
Randy Brooks
収録アルバム
Billboard's Greatest Christmas Hits
リリース年
1979年
f0147840_0112337.jpg

本日は色物ではなく、ふつうのクリスマス・ソングをいこうと思っていたのですが、時間の都合がつかず、カヴァーのないもの、音楽的にあれこれ検討すべき奥行きがないこと、歌詞がストレートであること、という条件で、登場予定曲のリストを見ると、この曲が浮上してきました。色物つづきで恐縮ですが、ノヴェルティー・クリスマス・ソングの古典をもう一曲どうぞ。

Elmo & Patsy - Grandma Got Run Over By A Reindeer


◆ サンタクロースとトナカイの「犯罪」 ◆◆
この曲がいまもクリスマスの定番として生き残っている理由は、馬鹿馬鹿しい歌詞にしかないと思われます。盤ではコーラスから入っているので、ここでもまずコーラスから。

Grandma got run over by a reindeer
Walking home from our house Christmas Eve
You can say there's no such thing as Santa
But as for me and Grandpa, we believe

「クリスマス・イヴにぼくらのうちから自分のうちに歩いて帰る途中、おばあちゃんがトナカイに轢かれた、サンタクロースなんかいるもんか、なんていうのは勝手だけれど、ぼくとおじいちゃんは、ほんとうにいると信じている」

見てのとおりなので、つづいてファースト・ヴァース。

She'd been drinking too much eggnog
And we begged her not to go
But she forgot her medication
And she staggered out the door into the snow

「おばあちゃんはエッグノッグを飲み過ぎたので、ぼくらはうちに泊まっていくようにといったんだ、でも、おあばちゃんは薬をもってくるのを忘れちゃったので、雪の降るなか、千鳥足で出て行ってしまった」

f0147840_0491086.jpgわたしはエッグノッグを飲んだことがないのですが、わたしだけでなく、日本ではあまり飲まないのではないでしょうか。辞書には「砂糖とかきまぜた鶏卵にミルクを入れ、しばしばラムやブランデーなどを加えて、温めるか冷やすかして飲む」とあります。わたし個人としてはあまり飲みたくありませんが、冬の飲み物として好む人もいるようです。

セカンド・ヴァース。

When we found her Christmas morning
At the scene of the attack
She had hoof prints on her forehead
And incriminating Claus marks on her back

「クリスマスの朝、事件の現場で発見したとき、おばあちゃんの額にはひづめのあとがあり、背中にはサンタの仕業だと立証する証拠があった」

f0147840_0443899.jpgこれだけでは、トナカイに轢かれたと断定する十分な証拠とはいえず、公判を維持できないような気がするのですが、まあ、ノヴェルティー・ソングなので、深く追求せずにおきます。でも、司法解剖はぜったいに必要でしょう。

incriminating Claus marksというのはよくわかりません。状況から考えて、橇の跡だと思いますが、なぜこのようにもってまわった言い方をするのか。(Santa) Clausと、法律の条文という意味のclauseをかけているのかもしれません。発音は同じです。

◆ 不幸に負けない健気なおじいちゃん ◆◆
コーラスをはさんでつぎのヴァースへ。まだ先は長いので、ここではサードとフォースをひとまとめに。

Now we're all so proud of Grandpa
He's been takin' this so well
See him in there watchin' football
Drinkin' beer and playin' cards with Cousin Nell

It's not Christmas without Grandma
All the family's dressed in black
And we just can't help but wonder
Should we open up her gifts or send them back?
SEND THEM BACK!

「うちじゅうみんな、おじいちゃんは立派だと思っている、こんなことがあってもとりみだしたりせず、テレビでフットボールを見たり、ビールを飲んだり、いとこのネルとカードをやったりしている、おばあちゃんのいないクリスマスはクリスマスとはいえない、うちじゅうみんな喪服を着て、おばあちゃんのプレゼントを開けたものか、送り返したものか、迷っているんだ(送り返せ!)」

最初にサゲであるコーラスを歌っちゃっているので、この曲でいちばん笑えるのは、このヴァースです。

またコーラスがあって、つぎのふたつのヴァースへ。これで最後です。

Now the goose is on the table
And the pudding made of fig (ahhhhhh)
And a blue and silver candle
That would just have matched the hair in Grandma's wig

I've warned all my friends and neighbours
Better watch out for yourselves
They should never give a license
To a man who drives a sleigh and plays with elves

「さて、ガチョウとイチジクのプリン(オエ!)も食卓に出たし、おばあちゃんのかつらの色に合わせた青と銀のキャンドルもつけた、友だちや近所のだれかれにいったんだ、気をつけたほうがいいよって、橇を運転し、いたずらっ子と遊ぶような男に免許証をやっちゃいけなかったんだ」

おばあちゃんが死んでも、まったく動じていないらしいおじいちゃんも困ったものだと思ったのですが、奇怪なコンビネーション・カラーのかつらをかぶっているおばあちゃんじゃあ、おじいちゃんが平穏を得て、人生を楽しみはじめたらしいのも、まあ、無理もないかと思い直します。

◆ シンガー/起業家の根性と投資が生んだヒット ◆◆
音としては、要するに、調子っぱずれに歌ったカントリー・ソングで、歌詞に見合ったヴォーカル・レンディションだとは思いますが、音楽的にすぐれているかといわれれば、まさかね、です。

f0147840_043633.jpgこれを歌ったドクター・エルモことエルモ・シュロップシャイアは獣医で、趣味でブルーグラス・バンドをやっていました。でも、エルモが歌うと、みな笑うので、しまいには、客に受ける方向に転じる、つまり、コミカルな歌をうたうようになりました。そして、タホー湖で知り合った他のバンドのプレイヤー、ランディー・ブルックスが、エルモのシンガーとしてのキャラクターを見込んで、自分がつくった曲を歌ってみないかと勧めたのが、この「おばあちゃんが橇に轢かれちゃった」だったのだそうです。

しかし、この曲がクリスマス・クラシックになるまでには、紆余曲折があったようです。最初は自主制作盤で、わずか500枚プレスしただけ。自分やバンド仲間がクリスマス・プレゼントして送るためにつくったものでした。その仲間のひとりが、友人や親戚ではなく、サンフランシスコのラジオ局にこれを送り、かなり大きな反響があったのですが、これを流通ルートに載せようというレコード会社はあらわれず、しばらくのあいだは、どこの州のラジオ局も、サンフランシスコのラジオ局にテープを送ってもらってすませてしまいました。

f0147840_050333.jpg1983年、エルモは、こんどは3万ドルを投じた自主制作ヴィデオをMTVに送りました。ちょうどMTVが盛りあがったときだったのをご記憶の方も多いでしょう。これがMTVの取り上げるところとなり、独立系流通業者の手で盤の供給もスムーズにおこなわれるようになって、このあたりから、クラシック化がはじまりました。

クリスマス・ソングのありがたいところは、毎年シーズンになると、ヒット曲には再ヒットのチャンスが、ノンヒットには大ヒットのチャンスがめぐってくることで、Grandma Got Run Over by a Reindeerは、それから数年のあいだにしだいに人気を高め、クリスマス・ノヴェルティーとしては最大のヒットといわれるほどになったとか。めでたし、めでたし。

◆ またしても訴訟話 ◆◆
以下はウェブで拾ったこぼれ話。

エルモ&パッツィーと、デュオの名義にはなっていますが、パッツィー、すなわち当時のエルモ・シュロップシャイア夫人は、このレコーディングにはまったく参加していないそうです。すくなくとも、女声が聞こえないのはたしかです。

2000年にはテレビ・アニメになり、エルモはおじいちゃんの声で出演したそうです。これは現在ではDVDになっています。

f0147840_0514328.jpgこのアニメのおかげもあって、Grandma Got Run Over by a Reindeerを使用したキャラクター商品は多数にのぼり、エルモ・シュロップシャイアに大きな利益をもたらしたようです。自分の才能に投資した人が経済的に報われるのは、めでたいことだと思います。

しかし、ヒットすれば、当然、ダウン・サイドもあります。エルモからキャラクター使用権をあたえられたと主張し、エルモがその権利を行使させなかったとして、契約不履行で訴訟を起こした企業があるそうです。これまでにも何度か見てきたことで、大ヒット作品にはこの種のことはつきものですから、もはや、どうとも思いませんが。

わたしが奇妙に感じたのは、シンガーにすぎなかったエルモ・シュロップシャイアの名前しか、この種の話題に登場しないことです。第一の権利をもっているはずの、ソングライターのランディー・ブルックスはどうなってしまったのでしょう? なんとなく妙なものを感じます。法律的に問題はなくても、道義的に問題のある、アンフェアな契約、権利の移動があったのではないかと勘繰ってしまいます。音楽業界には、その種の話が山ほどありますからね。


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Grandma Got Run Over By a Reindeer
Grandma Got Run Over By a Reindeer
by songsf4s | 2007-12-11 00:11 | クリスマス・ソング
Jingle Bells by the Singing Dog
タイトル
Jingle Bells
アーティスト
The Singing Dog
ライター
収録アルバム
The Ultimate Christmas Album Vol 3
リリース年
1955年
他のヴァージョン
無数
f0147840_08448.jpg

◆ ドッグ・バークス ◆◆
猫のSilent Nightを取り上げておいて、犬を無視しては、片手落ちのそしりをまぬかれないでしょう。昨日の猫たちのコーラスにつづいて、本日は犬の歌。なぜか、動物園化に驀進中です。

f0147840_0182037.jpgジングル・キャッツは1993年の誕生だそうで、エンターテイナーとしてはまだペエペエです。それに対して、シンギング・ドッグは、猫たちをさかのぼること40年近い1955年の誕生。「歌う尼さん」による1963年のチャート・トッパー、Dominiqueより8年も早いのです(関係ないか)。

このシンギング・ドッグのJingle Bellsは、最近のことはいざ知らず、わたしがまだFENのリスナーだった70年代には、クリスマス・シーズンになると、かならず何回かは聴いた、ホリデイ・クラシックです。そういってはなんですが、フィル・スペクターのクリスマス・アルバム収録曲などより、はるかによく耳にしました。スペクターのものがクリスマス・クラシックとなったのは、80年代後半のことで、それまでは無視されていたという印象があります。

f0147840_0295116.jpgいや、フィル・スペクターではなく、シンギング・ドッグの話でした。1955年というと、あなた、これはもうたいへんな昔です。とくにテクノロジーの世界では、古代も古代、先史時代といっていいほどです。この盤をどうやってつくったのかと考えるだけで気が遠くなるほど、遠い遠いはるか昔のことです。

もちろん、PCなんてものはござんせん。まさかENIACの時代じゃありませんが、IBMのシステム360も生まれていないんだから、ENIACに毛が生えた程度、すなわち、真空管コンピューターの時代です。仮に1000本の真空管を使っていて、真空管の平均寿命が1年だとすると、確率的に、一日に3本は真空管が飛んで、システムを停止しなければならないのだから、えらい時代です(まあ、一日3回以上落ちるMS製OSとどこがちがうのだ、というご意見もありましょうが)。サンプルなんてものはありませんし、ディジタル・オーディオ技術の普及も未来の話です(レス・ポールはディジタル録音のアイディアをすでにもっていたそうですが、あの人は地球人じゃなくて、エイリアンですから)。

じゃあ、どうするって、あなた、これはもう、テープ・マシンとオシレーターとハサミとスプライシング・テープを主たるツールとする、正調アナログ技術でやるしかありません。それしかなかったのだから、制作者に大きな不満はなかったかもしれませんが、手間はかかったにちがいありません。

◆ ノンPCサウンド・プロセシング ◆◆
いつも同じことをいっていますが、ものごとというのはなんでも調べてみるものです。シンギング・ドッグの生みの親であるカール・ワイスマンは、犬の鳴き声を目の敵にしていたのだそうです。なぜならば、彼はコペンハーゲンのラジオ局のために、鳥の啼き声を録音をしていたので、その日常業務の最大の障碍が、鳥の啼き声を邪魔する犬の鳴き声だったからです。これはもう、典型的な犬猿の仲です。

したがって、フィールドで録音した「ワイルド・トラック」から、不要な犬の声を除去する作業が、ワイスマンのポスト・プロダクション・ワークの中心となったわけですね。お年を召した方なら、専門家でなくても、リール・トゥ・リール・テープ・マシンでの編集作業というのが、いかに面倒かをご存知でしょう(mstsswtrさん、お時間のあるときに、解説を願えれば幸いです)。

f0147840_042245.jpg不要な箇所をハサミで切り取り、残った有用な箇所だけを「スプライシング・テープ」という接着テープでつないでいく、という作業をするわけです。わたしのような、専門家でもなければ、大人ですらなかった人間にはなかなかやっかいな作業で、たまにやると、癇癪を起こしそうになったものです。

映画フィルムの「ムヴィオラ」編集機のような、録音テープ編集専用のカッティング・デスクというものがあるそうで、ワイスマンのようなエンジニアは、当然、そうした道具で作業を効率化していたのでしょうが、それにしても、PCやサンプラーでちょいちょいとやるようなわけにはいきません。

疲れるので、これ以上、技術的細部には立ち入りませんが、そのようにして、ラジオ放送用の鳥の啼き声を集めたテープがつくられたわけです。そして、放送には使わなかったゴミのテープ、すなわち、犬の鳴き声のテープが山ほど残りました。

ワイスマンはこれを捨てるつもりでしたが、そのとき、このテープのピッチを整え、Jingle Bellsをつくれば、子ども番組にもってこいのものができるだろう、というアイディアを得たのだそうです。かくしてシンギング・ドッグのJingle Bellsが誕生し、45回転盤や78回転盤やEPとして、いくつかの国でリリースされるにいたったのでした。

f0147840_0444486.jpg

このJingle Bellsがクリスマス・クラシックになったのは、調べてみると、意外にも1970年代のことなのだそうです。そういわれてみると、よくFENを聴いていたわりには、60年代にこのヴァージョンを聴いた記憶はなく、70年代に、夕方の番組Kantoh Sceneなどでかかっていたという記憶があります。これはNYのあるラジオ局のDJが、1970年に、ヘヴィー・ローテーションでこの曲を流したおかげなのだとか。かくして、誕生から15年もたって、シンギング・ドッグはホリデイ・シーズンの常連スターとなったのでした。

◆ アナログ時代のエンジニア魂の記念碑 ◆◆
切り離した犬の鳴き声のテープのピッチを整え、これをつないだり、テープ・トゥ・テープ・コピーをすることを考えると、偏頭痛が起きそうになります。だから、こういうものをつくりあげた人をそしるつもりはまったくないのですが、時代が変わり、サンプラーやPCによって編集されたジングル・キャッツの闊達自在な歌声を聴くと、かつてはスターだったシンギング・ドッグも、もう引退の時期だな、と残念ながら思います。

なにしろ、ジングル・キャッツとちがって、「ソロ・シンガー」状態ですから、それほど変化がなく、一回聴けば、たいていの人が、もう十分、というであろうほど、単調な仕上がりなのです。

ふと、ジョー・ミークがさまざまな電子音を組み合わせた、トーネイドーズのTelstarのイントロとアウトロを思いました。ああいうものは、ディジタル技術を駆使すれば、いまなら簡単にできてしまいます。でも、ミークのTelstarには、アナログ技術だけがもつ、不思議な「たくましさ」が感じられます。

f0147840_0465483.jpgジングル・キャッツがあるなら、ディジタル時代のシンギング・ドッグスもちゃんとあります。ジングル・キャッツのアルバム自体にも、犬の鳴き声がつかわれていますし、ジングル・キャッツの生みの親は、犬のコーラス・グループの盤もつくっています。また、ビートル・バーカーズという、犬の鳴き声によるビートルズ・ソングブックもあります。

f0147840_0475430.jpgビートル・バーカーズを試聴して思ったのですが、犬の鳴き声は短く、スタカートなので、「歌」にはあまり向いていません。かといって、長く伸ばした鳴き声は、要するにただの遠吠えですから、音楽的ではありません。したがって、メロディーの根幹部は、PC上で加工した、つまり、タイムをディジタル技術で引き延ばした鳴き声にならざるをえず、犬の鳴き声というより、スクラッチに聞こえてしまいます。

そう考えると、過剰な加工のできないアナログ時代の産物、シンギング・ドッグのJingle Bellsは、やはりよくできていますし、なにやら古典の風格すらもっているような気さえしてきます。悪い意味ではなく、シンギング・ドッグは「博物館入り」の「古典」となったといっていいでしょう。

◆ またしてもチョンボ ◆◆
12月に入ってからは、年内無休のデパート営業方式を志したために、このところ、日々の更新に追われ、ミスばかりやっています。

昨日取り上げたジングル・キャッツのSilent Nightで、PCのサウンド・エディターでつくったのだろうということを書きましたが、時期的に考えて、まだサウンド・エディターの普及には早すぎるようです。サンプラー(後年の主流であるPC上のソフトウェア・サンプラーではなく、ハードウェア・サンプラーという意味ですが)を使ったのだろうと考え直しました。PCを使ったとしても、ポスト・プロダクション、あるいは、マスタリングの段階でのことでしょう。そう考えるほうが、コスト面でも、操作性の面でも合理的です。あの時代のPCは泥亀なみのスピードでしたから。

昨日も同じようなことをいいましたが、本年のクリスマス特集でのJingle Bellsは、これでおしまいというわけではありません。後日、人間が歌ったJingle Bellsも、ちゃんと取り上げる予定です。


by songsf4s | 2007-12-10 00:08 | クリスマス・ソング
Silent Night by Jingle Cats
タイトル
Silent Night
アーティスト
Jingle Cats
ライター
Tradittional
収録アルバム
Meowy Christmas
リリース年
1993年
他のヴァージョン
無数
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◆ キャッツ・スキャッツ ◆◆
ジングル・キャッツなどというグループはご存知ない方のほうが多いのではないでしょうか(いや、すぐに続篇も出たヒット作なので、案外、ファンが多いかも知れませんが)。クレイジー・キャッツは人間でしたが、ジングル・キャッツは正真正銘、猫の「ヴォーカル・グループ」です。

f0147840_0294527.jpgという風に書いただけでも、「彼ら」の盤を聴いたことがなくても、どういうものか、想像がつく方もいらっしゃるでしょう。そう、サンプルした猫の鳴き声を、人間がプレイしたトラックに載せていったのです。

はい、おっしゃるとおり、馬鹿馬鹿しい代物です。でも、世の中には、馬鹿馬鹿しいものも必要ですし、馬鹿馬鹿しさにもいろいろ種類があります。楽しいんだから、いいじゃないですか。

え、なんですか? このブログではいつも歌詞の解釈をするだろうって? まあ、やってみてもいいんですが、なんせ、あなた方のような人類には理解できない高度にして難解な言語で歌われているので、チンプンカンプンのマンボジャンボだと思いますよ。え? それでもやってみろって? 彼らは文字の文化をもたないので、不可能なんですが、ま、いいか。では、ファースト・ヴァース、いや超難解なので、ファースト・ラインだけ。

Ou mew mou, Ou mew mou, meow mewgrrr ou

「Silent night, holy night, round your virgin mother and child」

これだけ解読するのに三日もかかってしまいました。これ以上は、わたし程度の猫語理解力では不可能なので、ひらにご容赦を。

Jingle Cats - Silent Night


◆ PCサウンド・プロセシング ◆◆
昔、ある友人に、アイディアなんてものは二束三文だ、といったら、そうかな、アイディアのない人間のほうが圧倒的多数派だと思うけれど、と反論されました。わたしはいまだに、アイディアなんて一山いくらだと思っています。なにごとも、実現できて、はじめて意味をもつからです。

猫の鳴き声をサンプルして、サウンド・エディターのトランスポーズ機能を使えば、ピッチを修正して、歌のようなものをつくれる、というところまでは、だれでもわかることです。それなのに、だれもやらなかったのは、考えるだけでも死ぬほど面倒だからです。そもそも、1993年では、まだサウンド・エディター自体がめずらしかったし、いまとはPCのパワーそのものがまったくちがうので、すごく面倒だっただろうと思います。

f0147840_030402.jpg93年には、まだMP3なんてものは普及していませんでしたが、96、7年だったか、最初にCDを1枚まるごとMP3で圧縮したときには、ビットレートは128Kbpsだったのに、一晩かかりました。それくらいのCPUパワーしかなかったのです。それより数年前にこんなことをやったのだから、たいしたものです。

人を楽しませるには、ただ音程が合っていて、歌に聞こえる、というだけではダメです。それでは、1曲聴くだけで、もう十分、といわれてしまいます。ジングル・キャッツの生みの親、マイク・スパーラは、じつに忍耐強いだけでなく、なかなかユーモアのセンスもあります。

まず、猫の鳴き声を録った、映画の録音エンジニアがいうところの、未加工の「ワイルド・トラック」があるわけですよね。これに名前をつけて分類しなければなりません(ニャーとか、グルーとか、ミャといった鳴き声のタイプと、だいたいのピッチをファイル名にするだろうと推測できます)。つぎに、トランスポーズ機能でピッチを整えます。ブランクになっている音程(当然、そういうものがあるでしょう。スケールをすべて「歌って」くれる猫がいるはずがありません)も、トランスポーズでつくらなければなりません。

f0147840_031439.jpgつぎに当然、選曲とトラックの録音をやります。これはふつうに盤をつくるのと同じ作業だから、問題ありません。できあがったトラックに、こんどは猫の声のファイルをメロディーにしたがって並べていくわけですな。いまなら、CPUパワーがあがったので、かなり手早くできますが、昔はたいへんだっただろうと思います。HDDのシーク速度も現在の3分の1ぐらいですし、まだブロック転送などという手法もなかったか、せいぜい発展途上だったので、その面でもストレスは大きかったはずです。

プロデューサーの手腕は、この段階で発揮されることになります。ただピッチが合っているだけでは面白くないので、「演出」をしなければいけないからです。このSilent Nightでいえば、どこでハーモニーをつけるか、どこでちょっと変わった声を使うか、そういう演出です。ハーモニーが可愛いんですよ。ミャという声がハモるんですからね。これに対抗できるのは、キング・シスターズぐらいでしょう。

◆ 動画時代のジングル・キャッツ ◆◆
しょーもないことを書くのはこれくらいにしておきます。これはかなりのヒット作で、いまどきの半チクなシンガーのクリスマス・アルバムなどよりよほど売れたようですから、みなさんも耳にするチャンスがあるでしょう。White ChristmasAuld Lang Syneを映像化したものもあります。

こういうものを聴くと、音楽とはなんだろう、娯楽とはなんだろう、人間の能力とはなんだろうと、まじめなことを考えちゃったりもしますが、まあ、笑って楽しくホリデイ・シーズンを過ごせばいいのです。人間にマタタビかもしれませんが、わたしはこのアルバムは好きです。

あ、そうだ。人間が歌ったSilent Nightは改めて取り上げます。これでSilent Nightはおしまいかよ、と心配なさった方がいらっしゃるかもしれないので、念のため。でも、ジングル・キャッツに勝てる人間のシンガーがいるかどうか……ひょっとしたら、ほかの動物のほうがまだしも勝ち味があるかも。

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by songsf4s | 2007-12-09 00:19 | クリスマス・ソング
Merry Christmas Baby by Otis Redding
タイトル
Merry Cristmas Baby
アーティスト
Otis Redding
ライター
Lou Baxter, Johnny Moore
収録アルバム
Otis Redding Story
リリース年
1968年
他のヴァージョン
James Brown, Louis Armstrong & Friends, Chuck Berry, Booker T. & The MG's, Elvis Presley, the Ramsey Lewis Trio, Dion
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すごく当たり前のタイトルなので、この曲には同題異曲がいくつかあります。わが家にあるものでは、ビーチボーイズとドディー・スティーヴンズのものは、それぞれちがう曲です。

ここで取り上げるのは、ブルーズのスタンダードのほうのMerry Cristmas Babyです。ただし、看板に立てたオーティス・レディング盤は、コード・チェンジを改変して、ブルーズではやっていません。

この曲を知ったのは、オーティス・レディング盤でのことなので、チャック・ベリー盤を聴いて、なんだ、ただの退屈なブルーズじゃん、と驚きました。まったく異なる曲に改変してしまった(と知ったのは後年のことですが)オーティス盤はすばらしいのです。

◆ Diamonds are a man's best friend? ◆◆
ブルーズの歌詞というのは、わたしにはおおむね退屈で、曲(と呼べるようなものがあるとは思えないのですが!)同様、好きではないのですが、そういうフォーマットになってしまったので、中身を見てみましょう。ブルーズですから、人によって歌詞はまちまちです。ここではもちろん、オーティス・レディング盤に依拠します。

Merry Christmas baby
Sure did treat me nice
Merry Christmas baby
Sure did treat me nice
Bought me a diamond ring for Christmas
I feel like I'm in paradise

「メリー・クリスマス、ベイビー、おまえはまったくよくしてくれるよ、クリスマスにダイアモンドの指輪を買ってくれるなんて、天国にいる気分さ」

f0147840_0221364.jpgなんか変だ、と感じます。まるでジゴロかホスト。でも、わが家には女性シンガーによるこの曲はないのです。オリジナルがだれかは知りませんが、女性シンガーだったのじゃないでしょうか。

うーん、でも、女性シンガーが歌ったところを想像すると、たんに「ダイアモンドをくれてありがとう」という歌になってしまいますね。意外性がないだけでなく、嫌味です。Diamonds Are a Girl's Best Friendのようなウィットがありません。やっぱり、男が歌うから面白いのだ、ということにしておきましょう。

◆ 話は古代にさかのぼり…… ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。と呼んでいいのかどうか。コーラスやブリッジのあるブルーズなんてないですからね。みんなヴァース。

I feel mighty fine, y'all
I've got music on my radio
Feel mighty fine, girl
I've got music on my radio, oh, oh, oh
I feel like I'm gonna kiss you
Standing beneath that mistletoe

「むちゃくちゃにいい気分だ、ラジオの音楽もあるし、すごくご機嫌さ、あのヤドリギの下でおまえにキスしたい気分だよ」

f0147840_0263930.jpg「あのヤドリギ」といっても、いま、語り手が外にいるとはかぎりません。セイヨウヤドリギはクリスマスの飾りに用いるからです。世界大百科には「欧米では、セイヨウヤドリギ V. album L.(英名common mistletoe、European mistletoe)がクリスマスの飾りに珍重され、その枝の下では女性にキスすることが許される習慣がある。しかし、祭礼での使用の起りはキリスト教以前の神話にもとづくもので、ヤドリギは古くから神聖な植物とされていた」とあります。したがって、「I feel like I'm gonna kiss you」は、そうした習慣を前提としたラインだということになります。

わが愛読書『花の文化史』の著者、湯浅浩史は、「ニッポニカ」百科事典のヤドリギのエントリーに、以下のように書いています。

落葉した木に着生し常緑を保つヤドリギは、古代の人々にとって驚きであったとみえ、ヨーロッパ各国でセイヨウヤドリギの土着信仰が生じ、儀式に使われた。その諸例はフレーザーの『金枝篇』で取り上げられている。古代ケルト人のドルイド教では年初の月齢6日の夜、ヨーロッパナラに着生したセイヨウヤドリギを切り落とす神事があった。北欧では冬至の火祭りに光の神バルデルの人形とセイヨウヤドリギを火のなかに投げ、光の新生を願った。常緑のヤドリギを春の女神や光の精の象徴として室内に飾る風習は、クリスマスと結び付き、現代に残る。

オーティス・レディングから、『金枝篇』だの、ドルイド教だのにジャンプするとは思いませんでした。

さて、最後のヴァース。いや、オーティス盤ではちょっと変更して、ストップ・タイムも使い、ブリッジのように扱っています。

Santa came down the chimney
Half past three, y'all
Left all them good ole presents
For my baby and for me, ha, ha, ha

「三時半になると、サンタが煙突を降りてきて、ベイビーと俺のために、すごいプレゼントをおいていってくれる」

ほら、たいした意味のある歌詞じゃないといったでしょう? まあ、当たり前のことを書けば、歌詞になることもある、ということを示していますが、それにしても、もうすこし作詞家には仕事をしてもらいたいと思います。

◆ 華やかなサウンド ◆◆
歌詞はどうでもいい代物ですが、オーティス・レディング盤Merry Cristmas Babyの音は、なかなかグッド・グルーヴです。ほかのヴァージョンは、みなかったるいテンポで、かったるくやっていますが、オーティス盤は軽快で、クリスマス・ソングらしい華やかな雰囲気があります。

f0147840_028544.jpgコード・チェンジも改変しています。セヴンスではなく、ふつうのメイジャー・コードにして、しかも、Bbだけでことがすむのに、Bb-Ebという形にしています。Ebは飾りのコードです。もちろん、3度あがってEbにいくと、Eb-Abというパターンになるわけですが。

華やかな雰囲気を演出しているのは、主としてブッカー・T・ジョーンズのオルガンのサウンドとフレージングですが、スティーヴ・クロッパーの変てこりんなギター・アルペジオも、いつものように魅力的です。なんにもいわれなくても、あ、スティーヴ・クロッパーだ、と3秒でわかっちゃう、独特のラインの取り方です。5、4弦の使い方に特長があり、この曲もそのパターンでやっています。

f0147840_03019100.jpgキーがBbであることからわかるように、ホーン・セクションも重要な役割を果たしています(ただし、途中で半音転調して、Bになっちゃいます。ホーン・セクションとしては、いらんことせんといてえな、でしょうが)。昔読んだインタヴューで、スティーヴ・クロッパーが、オーティス・レディングのホーン・アレンジにふれていました。ホーンはいつもオーティスが自分でアレンジしたそうで、それも「口移し」だったのだとか。つまり、たとえばまずバリトンに、おまえはこうやれ、と口笛でやってみせ、つぎにテナーに、おまえはこう、という風に、譜面なしで各パートにラインを伝えたというのです。

いかにもシンガーらしいやり方で、ほとんどコーラス・グループのアレンジ手法(というほどの大げさなものではないですが)です。ブライアン・ウィルソンのアレンジ・スタイルと同じですね。頭のなかでは、ちゃんとハーモニックに音が鳴っているけれど、それを伝える譜面という手段をもたない、「たたき上げ」の現場の人間のやり方です。

Indian Summerのときに、デューク・エリントン・バンドのメンバーの多くが、サイト・リーディングが不得手だったということを書きましたが、案外、そういうプレイヤーは多かったのかもしれません。それなら、各パートを口笛でやってみせるオーティスの方法は、むしろ理にかなったやり方というべきでしょう。スティーヴ・クロッパーは、ホーン・アレンジについては、すべてオーティスから学んだといっていました。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
さて、他のヴァージョンですが、うーむ、今日ははやっかいです。ブルーズ嫌いを臨時に棚上げして、できるだけ無心に聴くと、ひどい、というものはありません。そりゃそうですよね。ビッグ・ネームばかり、ずらっと顔をそろえているのですから。これだけの「名代役者顔見せ興行ソング」はそうあるものではありません。

f0147840_0363059.jpgしかし、「無心」などというものがあるはずもないので、できるだけブルーズのうっとうしさがない、「色気」のあるものを選ぶとすると……まずは、ジェイムズ・ブラウン盤でしょうか。管のアレンジに色気があります。またいつかと同じことをいいますが、日活映画サントラ風の管です。ジェイムズ・ブラウンの歌い方も脂っこいものではなく、好みです。弦を入れたところもいいですねえ。

f0147840_0365868.jpgつぎはルイ・アームストロング盤でしょうか。アレンジとサウンドの比較をやっているだけなんですがね。サッチモ盤もやはり管のアレンジがグッド・フィーリンです。イントロから、お、かっこいいホーンだな、と感じます。サッチモ・ファンからは、当たり前だろ、と怒られるでしょうけれど。ヴァイブラフォーンの間奏もまたけっこう毛だらけ。

f0147840_0372251.jpgあとは、あまり面白いものがありません。エルヴィス盤は、なんだかスティーヴ・クロッパー風のギターが入っています。セッショノグラフィーを見ると、71年5月にナッシュヴィルのRCAで録音されています。ギターは3人で、ジェイムズ・バートン、チップ・ヤング、チャーリー・ホッジ。当然、この曲のリードはジェイムズ・バートンです。エルヴィスが、ソロの前に、Take it Jamesとかなんとかいっています。スティーヴ・クロッパー風だと感じたのは、二人ともテレキャスター・プレイヤーだからです。

エルヴィス盤については、面白いと感じるのはギターだけです。ドラムは好かないなあ、と思ったら、ケニー・バトリーの名前がありました。どうりで。この時期のエルヴィスのツアー・バンドは強力なのですが、そのメンバーからはバートンしか参加していなくて、あとはナッシュヴィルのプレイヤーばかりのようです。バトリーじゃなくて、ロン・タットだったらもっといいグルーヴになっていたでしょう。

f0147840_0375642.jpgチャック・ベリーは、ときおりやるのですが、チャック・ベリー風のアレンジではなく、ただのスロウ・ブルーズです。こういう文脈では、彼のギターはあまり面白いものではありませんし、ヴォーカルも、ちょっとなあ、です。

f0147840_0383077.jpgMG'sとラムジー・ルイスの2種のインストも、とくに工夫したわけではなく、ふつうにブルーズをやっています。歌詞がないと、ただのブルーズだから、どんなタイトルをつけてもかまわないと思うのですが? ラムジー・ルイス・トリオのドラマーは、だれだか知りませんが、あまりうまくありません。ロールを使っているのですが、ハル・ブレイン、ジム・ゴードン、B・J・ウィルソンといった、美しいロールをやるプレイヤーを聴き慣れていると、こういうぞんざいなロールにはムッとなります。できないなら、やるんじゃない、です。

f0147840_0391499.jpgスティーヴ・クロッパーは、ソロをとったときよりも、バッキングのほうで冴えを見せるので、この曲はそれほど面白くありません。このメンバーでオーティス盤のバッキングをしているのですが、MG's盤は、オーティスのようなコードの改変はしていません。ただのブルーズ。

こうしてみると、どこといって特長のないブルーズを、クリスマス・ソングらしい華やかなものにしてみせたオーティス・レディングは、やはりたいしたものだと思います。ただ歌っていたわけではないなく、サウンド作りに関しても、ちゃんと考えていたのだと、改めて感じました。
by songsf4s | 2007-12-08 00:06 | クリスマス・ソング
Winter's Here by Robin Ward
タイトル
Winter's Here
アーティスト
Robin Ward
ライター
Gil Garfield, Perry Botkin Jr.
収録アルバム
Wonderful Summer (bonus for the reissue of the album)
リリース年
1964年
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デイモン・ラニアンに関係のある、もう1曲のクリスマス・ソングをすぐにでも取り上げるようなことを書いたのですが、検索してみたら、またしても30種ばかりのヴァージョンがずらっと並んでしまい、そうは問屋が卸さないことがわかりました。

以前から、このヴァージョンがベスト、と思っているものがあればともかく、決定盤またはきわめて異色のアレンジによるヴァージョンというものが見あたらず、看板に立てるものが決められないことも、すぐに取りかかれない理由のひとつです。引っぱるつもりはなかったのですが、来週あたりに取り上げることにします。

f0147840_0452378.jpgデイモン・ラニアンで思いだしましたが、「Guy and Dolls 歌詞」というキーワードで何度か当ブログにいらしている方に申し上げます。この曲の、とくにサミー・デイヴィス・ジュニアのヴァージョンはわたしも大好きです。この曲で検索していらしたということは、リクエスト同然なので、なんとかこじつけの理由を見つけるつもりですから、ときおり検索をかけていただければと思います。いっそ、「リクエスト」をジャンルにして、特集の端境期にでもやりますか。

さて、上述のようなしだいで、今日もクリスマス・ソングは一休みして、昨日のCalifornia Dreamin'に引きつづき、もう1曲、初冬の歌を取り上げます。

ロビン・ウォードの曲は、すでにWonderful Summerを取り上げていますので、彼女のキャリアについてはそちらをご覧ください。Winter's Hereは、Wonderful Summerのストレートな続篇というわけではありませんが、明らかに前作のヒットを意識したものになっています。

◆ いつも青空(ホントに?) ◆◆
それではファースト・ヴァース。

Winter's here
And the rain is falling down
And it's such a lonely town
Now thet winter's here

「冬がやってきた、そして雨が降っている、町はすっかり寂しくなってしまった、冬が来たのだから」

見てのとおりで、なにも付け加えることはありません。基本的に、このヴァースは導入のみで、本体ではありません。つづいてセカンド・ヴァース。

Summer's gone
And the joys that we knew then
Hope to live them once again
Now thet winter's here

「夏が去るのといっしょに、わたしたちのあのころの喜びも去ってしまった、こうして冬になってみると、あの時をもう一度生きたいと思う」

というわけで、これが本体です。この曲がWonderful Summerの続篇だとするなら、彼女、まだあのときのことを引きずっていることになります!

つづいてブリッジ。

I never thoght I'd find a love so true
A summer love to last the whole winter through

「すばらしい愛、冬までずっとつづくような夏の恋にめぐりあうなんて思わなかった」

ここはちょっと「あれ?」となるのですが、現実につづいているといっているわけではなく、はじめからそんなことがあるなんて思っていたわけではない、だから、しかたがないのだ、といっているのです。

最後のヴァース。

Winter's here
But sky is always blue
Every time I think of you
Now that winter's here

「冬がきた、でも、あなたのことを考えればいつも青空、冬がやってきた」

Wonderful Summerを思わせるような、顔で笑って心で泣いて、といった、空元気、痩せ我慢のヴァースと感じます。

◆ ヒットとミスの微妙なあわい ◆◆
サウンドはヒット曲Wonderful Summerをほぼ踏襲していますし、楽曲の出来そのものも悪くはありませんが、Winter's Hereのほうは、バブリング・アンダー・チャート(100位以下)に一週のみ顔を見せただけで終わっています。いま、バブリング・アンダー・チャートを見て、ジャッキー・ウォードという人が78年にA Lover's Question(クライド・マクファーターのヒットのカヴァーでしょう)という曲をやっているのに気づきました。ロビン・ウォードの本名はジャッキー・ウォードなのですが、同一人物でしょうか?

f0147840_0485717.jpgよけいなところに入りこみましたが、Wonderful Summerがトップ40入りし、Winter's Hereがバブリング・アンダーで沈むという、寒暖計の水銀柱の高さに比例する結果になったのは、やむをえないというか、相応のところだと感じます。同じダウナーな歌詞でも、夏ものには甘みが感じられるのですが、冬ものは冷え冷えとした印象になります。テンポもWinter's Hereのほうは遅めですし、なによりも、わたしの好みからいうと、バックコーラスにWonderful Summerのような圧倒的魅力がありません。いや、かなり魅力的なんですよ。でも、Wonderful Summerほどすごくはないのです。

とはいえ、フィル・スペクターの手法を応用し、同じゴールド・スター・スタジオで録ったと思われるサウンドは、Winter's Hereでも失われていません。冬のムードをつくることにも成功しています。結局、問題は、こういうムードは夏の終わりのムードほど歓迎されないということと、どうしても、Wonderful Summerと比較してしまうことにあるでしょう。Wonderful Summerが非常にうまくいっているために、この曲は割を食っています。

このところ、毎度毎度うるさくて恐縮ですが、この曲のドラムもまた、まちがいなくハル・ブレインです。ブリッジの終わりに出てくる、タムタム1打、それにつづく、ストリングスのスタカートを補強する8分音符のアクセント、その直後のライド・ベル、そしてそのまた直後、「ハル・ブレイン署名入り」の得意技、伝家の宝刀「ストップ・タイムからの戻り」のキックとスネアのコンビネーションによるシンコペートした8分の3打、この流れには惚れ惚れします。この一連のプレイだけでも、この曲を聴く価値があるほどです。

◆ バッタもののような正規盤 ◆◆
たまに、インチキくさいリイシュー・レーベルの再発LPなどに、ソングライター・クレジットもなければ、ジャケットの記載とじっさいの曲順(はなはだしい場合は収録曲自体)が異なっているものがあります。

f0147840_051931.jpgわが家にあるロビン・ウォードのWonderful SummerのリイシューCDは、そのようなバッタものではなく、曲数のわりには馬鹿高い国内正規盤なのですが、ソングライター・クレジットがどこにも記載されていません。音楽だけでなく、データにも金を払っているつもりなのに、こういう詐欺同然のインチキ商品を売りつけられると、ムッとなります。ウェブで調べたかぎりでは、Wonderful Summer同様、このWinter's Hereも、ペリー・ボトキン・ジュニアとギル・ガーフィールドの共作のようなので、そのように記載しました。

ついでに検索に引っかかったのですが、You TubeでWinter's Hereを聴くことができます。映像は45回転盤が廻っているだけのものですが!

ついでに、かつてハリウッドで活躍したギタリストである、ペリー・ボトキン・ジュニアのお父さん、ペリー・ボトキン・シニア(当たり前のことを書いて申し訳なし)のプレイを聴くことができました。レス・ポール風で、なかなかけっこうなプレイです。アルバムを聴きたくなりました。
by songsf4s | 2007-12-07 00:02 | 冬の歌
California Dreamin' by the Mamas & the Papas
タイトル
California Dreamin'
アーティスト
The Mamas & the Papas
ライター
John Phillips
収録アルバム
If You Can Believe Your Eyes and Ears
リリース年
1965年
他のヴァージョン
live version of the same artist (Monterey International Pop Festival). Jose Feliciano, Wes Montgomery, 101 Strings, the Beach Boys, the Ventures, the Brass Ring
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クリスマス・ソングにもすこし食傷してきたし、なによりも、この世のものとは思えない、エンドレスに長い検索結果リストを見るのにへこたれたので(Jingle BellとWhite Christmasの検索結果をお見せしたいですなあ!)、ちょっと目先を変えて、ここらでやっておかないとまずい、初冬の歌をいくつか取り上げようと思います。

まずは、60年代の冬の歌からスタンダードをあげるとしたら、この曲しかないだろうという、きわめつけ、ご本尊、名代、大統領、その他なんでもいいのですが、とにかく、だれでも知っている曲であります。タイトルに「カリフォルニア」とあるのはフェイントみたいなもので、これは寒いときの歌なのです。ご存知ない? じゃ、歌詞を見てみましょう。

◆ ファースト・ラインの技 ◆◆
当ブログへいらっしゃる方なら、どなたでも聞き覚えがあるはずのファースト・ヴァース。

All the leaves are brown and the sky is grey
I've been for a walk on a Winter's day
I'd be safe and warm if I was in L.A.
California dreamin' on such a Winter's day

「葉はすっかり枯れ、空はにび色、冬の日に散歩に出かけてみた、LAにいれば無事で、暖かくしていられたのに、そんな冬の日に見るカリフォルニアの夢」

この曲のいいところは、このファースト・ラインです。カリフォルニア・ドリーミンというタイトルから、だれしも暖かさを思うのに、いきなり枯葉ですからね。なるほど、カリフォルニアは、この語り手にとって、いまは現実ではなく、夢なのだと納得し、すっと曲の中に入っていけます。音羽屋、じゃなくて、パパ・ジョン屋、と大向こうから声がかかるきわめつけの一行。

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ところで、ここから有名な曲を連想しませんか? わたしはアーヴィング・バーリンのあの曲を連想します。今年のクリスマス・ソング特集で、当然取り上げる予定の曲なので、クイズにしておきます。おそろしく簡単なクイズで、ナメるな、と大向こうからミカンの皮が飛んできそうですが。

つづけてセカンドにしてラスト・ヴァース。短くて、うれし涙が出ます。

Stopped into a church I passed along the way
Well, I got down on my knees
And I pretend to pray
You know the preacher liked the cold
He knows I'm gonna stay
California dreamin' on such a Winter's day

「散歩の途中で見かけた教会に入ってみた、とにかく、ひざまずいて、祈るようなふりをした、牧師というのは寒さを歓迎するんだ、参拝者が居坐るからね、そんな冬の日に見るカリフォルニアの夢」

だれだったか、セカンド・ヴァースを気にする人間なんかいやしない(だから、適当なことを書いておけばいい、という意味ですが)といったソングライターがいましたが、これくらいの曲になると、ちゃんと覚えているものです。でも、意味を考えてみたことはありませんでした、散歩の途中で教会に入ったのね、ぐらいの認識です。なんでしょうね、このヴァースは? 要するに、寒くてうんざりだ、といっているだけのように思えるのですが。

詰まるところ、わたしは、この曲はファースト・ラインに尽きる、と思っています。

◆ 深化したハル・ブレインの表現手法 ◆◆
ママズ&パパズのレギュラーは、ドラムズ=ハル・ブレイン、ベース=ジョー・オズボーン、ギター=トミー・テデスコ、キーボード=ラリー・ネクテル、ということがわかっています。また、ジョン・フィリップス自身がリードを弾いたトラックもあるようです。

ママズ&パパズについては、ハル・ブレインがその回想記のなかで一章を割いています。思い出深いのでしょう(ジョン・フィリップスと口論になったことがあるとか)。じっさい、ハルは彼らのほとんどの盤でプレイし、それぞれがソロになったあとも、キャスやジョン・フィリップスの盤で、それから、たしかデニー・ドーハティーのソロでも叩いています。

f0147840_1284849.jpg最近やっとわかってきたのですが、人間というのは年をとってからも、まだ年をとるのですね。もう十分に年をとった、と一時は思ったのですが、それからさらに年をとったという実感があります。ほんの十数年のあいだに、わたしのテイストから若さがさらに失われ、地味なプレイへと傾斜していったのです。ウソつけ、という声が聞こえますなあ。たしかに、いまだって派手好みではあるのです。地味なもののよさに、以前より注意が向くようになった、と言い換えておきましょう。

ハル・ブレインの研究にとりかかったとき、このCalifornia Dreamin'の重要性は、ハルがプレイした40曲におよぶビルボード・チャート・トッパーのひとつ、というだけのものでした。しかし、齢を重ねるうちに、この曲でのハルの控えめなプレイは、わたしのプライオリティー・リストをどんどん駆け上がっていき、いまやトップ10入り間近というところまできています。

f0147840_13132.jpgスーパー・プレイ、ファイン・プレイは、もちろん大好きです。でも、詰まるところ、われわれが聴いている、いや、躰で感じているのは、トータルなサウンドであり、そしてなによりもグルーヴです。グッド・グルーヴ、グッド・フィーリンが最優先であり、スーパー・プレイはボーナスにすぎないのです。

この曲でのハルのプレイを分析しはじめると、終わらなくなるのですが、重要ポイントだけをあげておきます。まず、キック・ドラムのプレイです。もともと、彼はキックに抑揚をつけるプレイヤーでしたが、この曲では、そのスタイルが完成したと感じます。リズム・パターンの変化と強弱の変化の両方によって、曲のドラマの流れをコントロールしているのです。また、ときおりキックで強いアクセントをつけるのも、ジョー・オズボーンのベースとあいまって、なかなかいい味があります。

タイムの微妙な変化も感じます。63、4年までのハル・ブレインは、ときおり突っ込むことがありました。いや、バーズのMr. Tambourine Manや、このCalifornia Dreamin'といった、65年録音の、タイムがそれまでより微妙に遅くなったトラックを聴いて、ああ、以前はほんのちょっと突っ込んでいたのだな、と思うわけで、同時代の他のドラマーにくらべれば安定していたのですが、63年、64年、65年と、ハルは徐々に、そして微妙に、タイムをlateにしていったと感じます。

音楽用語ではなく、一般的な言い方であると同時にハルがよく使う言葉でいえば、「リラックスした」グルーヴへと変化しているのです。このリラックスしたグルーヴが、California Dreamin'を支配しています。

われわれの耳は、いや、意識の表層はヴォーカル・ハーモニーを聴きながら、躰は、すなわち意識の深層は、ハル・ブレインとジョー・オズボーンのコンビが生みだす、リラックスしたグルーヴを感じとり、ややダウナーな歌詞とは無関係に、いい気分になるのです。いまごろ、カリフォルニアは暖かくて気持ちがいいだろうなあ、という気分です。

ハル・ブレインがジョー・オズボーンとともにつくりだした、このグッド・フィーリンがなければ、この曲がクラシックになることはもちろん、チャート・ヒットすらおぼつかなかったでしょう。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
f0147840_1315330.jpgあまりいいヴァージョンがないのですが、とにかく、わが家にあるものをひととおり見ておきます。しいてどれかをあげるなら、ホセ・フェリシアーノ盤がまずまずの出来といえるでしょう。しかし、ほとんど完璧ともいえるママズ&パパズのオリジナルにくらべれば、当然ながら数段落ちます。フェリシアーノのグルーヴと、バックのグルーヴが合っていないように感じるところがあり、そこが引っかかります。どっちが悪いというのではなく、体質的にちがうグルーヴが出合ってしまった、という印象。

f0147840_1323467.jpgウェス・モンゴメリー盤は、ギター・プレイについては、もちろん申し分ないのですが、ドラムがフィルインのたびに突っ込むので、額に青筋が立ちます。わたしがベースで、このドラマー(たしかグレイディー・テイト。調べる手間をかける気も起きない)とやっていたら、怒髪天をつき、テイクの合間に拳銃を取り出して、今度のテイクでもフィルインで拍を食ったら、おまえの頭をぶち抜いてやるから、そのつもりで叩け、と脅迫します。ひどいプレイです。フィルインになると、1小節ではなく、0.95小節になっています。

ヴェンチャーズ盤は、やはりよろしくない出来です。だいたいこのころのヴェンチャーズはあまりいいグルーヴの曲がなく、メル・テイラーが叩いているのではないかという気がします。下手。ギターはだれだかわかりませんが。

f0147840_1415718.jpgジョニー・リヴァーズは、ママズ&パパズの「すぐとなり」にいたため(プロデューサーはママズ&パパズと同じルー・アドラー、スタジオ・プレイヤーも同じ、スタジオもたぶん同じユナイティッド・ウェスタン)、それが彼のCalifornia Dreamin'をスポイルしたと感じます。ストレートにカヴァーすると、基本的にママズ&パパズと同じものができてしまうから、無理やりまったくちがうアレンジ(リズム・セクションなし、ストリングスのみのバッキング。「Elenor Rigbyアレンジ」といえばおわかりか?)にしたのでしょうが、成功しているとはいいかねます。

そもそも、リヴァーズはあまりうまいシンガーではないので、こういうことにははじめから向いていないのですが、当人はついにそのことに気づかなかった節があります。まあ、このアレンジで、たとえばエラ・フィッツジェラルドかなんかが、「どうだ、うまいだろ」みたいに歌ったら、それこそ大惨事で、リヴァーズがうまくないおかげで、そこそこの被害で収まっているともいえるのですが。

f0147840_1514489.jpgブラス・リング盤は、まじめにスピーカーの前に坐って聴いてもらうことを目的にしているわけではなく、ショッピング・モールの空間を埋めるとか、ラジオのジングルに使うとか、そういった「実用」を目指したものなので、ああだこうだというようなつくりにはなっていません。「便利」な出来です。

f0147840_1524759.jpg101ストリングスは、弦の厚みが売りものですから、その意味においてはCalifornia Dreamin'のカヴァーも悪くはありません。ブラス・リングにくらべれば、人数が圧倒的に多いのだから、ちょっとしたサウンドではあります。リズム・セクションはハリウッドの雰囲気が濃厚で、ベースはキャロル・ケイの可能性があると感じます。ドラムは活躍せず、オフミックスでよく聞こえず、判断の材料があまりないのですが、ハル・ブレインではないという否定的な材料もありません。ブラス・リングより、こちらのほうがショッピング・モール向きかもしれません。

f0147840_1571863.jpgビーチボーイズ盤は、いわぬが華、聴かぬが華。懐メロ・バンド度が95パーセントぐらいまで進行した末期症状を呈しています。コーラス・グループというものが、どこまで腐ることが可能か、その興味でつないでいます。わたしより向こうが長生きしたら、死ぬ前に、どこまで腐ったか、確認してみたいと思います。

さて、最後に残った、モンタレーでのママズ&パパズのライヴ・ヴァージョン。このライヴ録音のほかの曲にくらべれば、さすがにがんばっているとは思うのですが、じゃあ、いいか、とか、好きか、といわれたら、ぜんぜん、と答えます。

f0147840_1595829.jpgもともと、コーラス・グループとして卓越した能力があるわけではなく、ライヴではきわめてきびしいと感じます。リードのデニー・ドーハティーもはずしているところがありますし、もっとも安定している(はずの)キャスですら、はずしています。頼りにならないジョンとミシェールのフィリップス夫妻は、いるのかいないのかもわからないほどです。ま、むしろそのほうが幸いで、ときたま聞こえてくると、ジョンはかならずはずしています。このときのベースはたしかジョー・オズボーンだったはずですが、ドラムが叩きすぎで、いくらやりっぱなしでかまわないライヴでも、それはないだろうという箇所が散見します。キャスのしゃべりのほうがよっぽど面白い!

◆ ふたたびハル・ブレイン ◆◆
世の中には、カヴァーしてはいけない曲、カヴァーしても無駄な曲、というのがあります。オリジナル録音がほぼ完璧に、その楽曲がもつポテンシャルを引き出してしまったものです。たとえば、ラスカルズのGroovin'、ビーチボーイズのGod Only Knows、ロネッツのBe My Babyなどが代表でしょう。このCalifornia Dreamin'も、そういう曲だと感じます。これほど素晴らしいヴァージョンがあるのに、どうやってこれを乗り越えるつもりなんだ、といいたくなります。みな失敗しているのも当然です。はじめから勝てないとわかっている相手に戦いを挑んでいるのですから。

★  ★  ★  ★  ★  ★
f0147840_231163.jpgハル・ブレインは、ディーン・マーティンのEverybody Loves Somebodyあたりから、メインストリームでのプレイを意識するようになったのではないでしょうか。サーフ・ミュージックやフィル・スペクターのトラックで見せたような、軽快で、派手で、華やかで、豪快なプレイで売り出し、そこから徐々に、かつてやっていたような(たとえばパティー・ペイジのバンドの時代とか)、軽いラウンジでのプレイを思いだし、ロック的プレイに、そうしたスタイルを融合させることを思いついた、と感じます。

それがバーズのMr. Tambourine Manと、このCalifornia Dreamin'という2曲のチャート・トッパーでの、極度に地味なのに、うまさがにじみ出るプレイに結実し、さらには、1966年の彼の快進撃、前人未踏の圧倒的なヒット連発、そしてとりわけ、フランク・シナトラのStrangers in the Nightに代表される、「派手なことはいっさいしなくても、そのまんまでグッド・フィーリン」というプレイを生んだと感じます。アメリカの音楽をリードしたプロのなかのプロが、ドラミングの、そしてグルーヴの核心を把握し、「悟り」を開いたのが、このCalifornia Dreamin'だった、といいたくなります。
by songsf4s | 2007-12-06 00:29 | 冬の歌
Pocketful of Miracles その2 by Frank Sinatra
タイトル
Pocketful of Miracles
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Jimmy Van Heusen, Sammy Cahn
収録アルバム
Sinatra's Sinatra
リリース年
1961年
他のヴァージョン
Harpers Bizarre, original soundtrack for a Frank Capra picture "Pocketful of Miracles"(邦題『ポケット一杯の幸福』)
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◆ シナトラ=リドルの黄金コンビ ◆◆
f0147840_028525.jpgこの曲は、映画『ポケット一杯の幸福』のために書かれたオリジナル曲なのだと思いますが(いま調べたら、アカデミー・ベスト主題歌賞にノミネートされているので、やはり映画用に書かれたもの)、それにしては、フランク・シナトラのヴァージョンは映画と同じ1961年の11月に録音されていて、じつに素早いカヴァーです。シナトラがその作品をたくさん歌った作者たち、ジミー・ヴァン・ヒューゼンとサミー・カーンから、直接にアプローチを受けたのかもしれません。

あれほど集めたシナトラの曲のなかにこれは入っていなくて、じたばたしてみた結果、昨日になって、シナトラ・ヴァージョンをようやく聴くことができ、おおいに満足しています。その勢いで、よし、すぐに書いちゃおう、と決めてしまったのです。まだ十数回聴いただけですが、ハーパーズ・ビザールの看板は下ろし、シナトラのほうを立てようかと思ったほどです。

結局、ハーパーズ・ビザールを先に立てたのは、ただひとつ、ハル・ブレイン、キャロル・ケイ、トミー・テデスコというハーパーズ盤のメンバーが、「わたしのリズム・セクション」だからにすぎません。シナトラ盤のグルーヴもけっして悪くはないのですが、小さいころからから親しみ、年をとってからは、金と時間と情熱をかけて、その仕事ぶりを深く研究した人たちがもっているグルーヴは、もはや「わたしのもの」でもあり、なにものにも替えがたいのです。

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『ポケット一杯の幸福』スティル。左からピーター・フォーク、グレン・フォード。フォークはこの映画でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。

でも、シナトラ盤も気持ちのよい、晴れやかな仕上がりです。いつも思うのですが、シナトラはミディアムからアップで、バンドのグルーヴに乗ってスウィングするときが素晴らしく、わたしの好みからいうと、テンポのゆるいバラッド、とくにリプリーズ時代のものは「歌いすぎ」に感じます。この曲はミディアム・シャッフル(ブリッジではベースだけ4ビートに変化する)で、シナトラも軽くグルーヴに乗って歌っていて、さすがにうまいレンディションだと感じます。

f0147840_0363243.jpgこの曲のアレンジャーはネルソン・リドルで、セッショノグラフィーのマスター番号から判断すると、同じセッションで、さきにCome Rain or ShineとNight and Dayという重要曲を録音しています。Pocketful of Miraclesで、声がすこししわがれているのは、大物をうたったあとだからでしょうか。それはそれで、味になっていると感じます。

ネルソン・リドルのアレンジメントについていえば、この曲に関しては、ストリングスのラインがなかなか美しいと感じます。また、ブリッジでフルート部隊とグロッケンシュピールに同じフレーズをプレイさせていますが、なるほど、こういうのがオーケストラ・アレンジの要諦なんだな、と思います。

そう考えると、フィル・スペクターやブライアン・ウィルソンのやったこと、つまり、ブライアンのいう「第三の音」を生みだすことも、ある意味でこういう伝統的アレンジ手法を、ロックンロールの文脈にパラフレーズしたにすぎなかったことがわかります。Pet Sounds Sessionsのライナーでだったか、キャロル・ケイが、ブライアンは映画音楽の世界に進むべきだったといっていましたが、いまになって、彼女のいわんとしたことがよくわかりました。ブライアン・ウィルソンは、正規の教育を受けたわけではないのに、ネルソン・リドルのようなアレンジャーたちが使っている、伝統的編曲手法の根幹を自然に理解していたことを、彼女は身近にいて感じたのでしょう。

◆ もはや記憶喪失 ◆◆
もう自分には記憶力があると思ってはいけない、なにごとも調べて確認しないと、間違いを大量生産してしまうことになると自覚、自戒しているのですが、どうやら昨日のPocketful of Miracles その1 by Harpers Bizarreでも、いくつか間違いを生産してしまったようです。

f0147840_0391963.jpg昨夜、泥縄でデイモン・ラニアンの「マダム・ラ・ギンプ」、すなわち、フランク・キャプラの映画『一日だけの淑女』と『ポケット一杯の幸福』の原作を読み返していて、「あれ?」と思いました。クリスマス・ストーリーではなかったのです。

デイモン・ラニアンという人は、「三人の賢者」や「ダンシング・ダンのクリスマス」ここここでも読める。ラジオ・ドラマのMP3もある)やPalm Beach Santa Clausなど、作品数が少ないわりには、多くのクリスマス・ストーリーを書いています。

f0147840_0411088.jpg映画『ポケット一杯の幸福』で、「デイヴ・ザ・デュード」が「マダム・ラ・ギンプ」からリンゴを買うシーンでは雪が降っていたし(いや、これもヴィデオを見返せば、記憶違いだったことがわかるかもしれない!)、テーマ・ソングも「五月のど真ん中なのに、ジングル・ベルが聞こえる」といっているし、もうひとつ、キャプラの代表作『素晴らしき哉、人生!』が、これはもう正真正銘、ガチガチのクリスマス・ストーリーだということもあり、そういうあれこれのせいで、てっきりクリスマス・ストーリーだと思いこんでしまったようです。平伏陳謝。ついでにいうと、映画は確認していませんが、『野郎どもと女たち』も、すくなくとも原作はクリスマス・ストーリーではないし、「ザ・スカイ」が惚れる女性も救世軍の尼さんではありませんでした。もう一度平伏陳謝。

f0147840_0422466.jpgなんだか、食品会社の経営者か政治家か大学高校の運動部のコーチにでもなった気分です。ああいうのをやると、頭ばかり下げることになるな、なんて思っていましたが、どうしてどうして、ブログひとつやっただけでこのていたらくです。

記憶違いの連打に驚いて、あれこれ調べているうちに、デイモン・ラニアンがもう一曲、これは正真正銘折り紙付きのクリスマス・ソング、うちにも10種類以上のヴァージョンがあるはずの有名曲と関係があることがわかりました。犬も歩けば棒に当たる、猫も鳴けば餌をもらえる(これは記憶違いではなく、いま捏造した)、なんでも調べてみるものです。どのクリスマス・ソングかは、その曲を取り上げるときに明かすことにします。明日にでもやります。

◆ あらすじを少々……音楽ブログになんでや? ◆◆
デイモン・ラニアンの短編小説の多くは、禁酒法時代のブロードウェイ界隈を舞台にしています。登場人物も、同じ人物がときに主役になったり、脇役になったりする連作短編スタイルで、『一日だけの淑女』『ポケット一杯の幸福』の主役のひとり、デイヴ・ザ・デュードも、いくつかの短編に顔を出す(二つ名が示すように)ギャングのボスです。

f0147840_04438100.jpg小津安二郎の戦後映画を「母のいない父子家庭の嫁ぎ遅れた娘を、父親、友人、親戚が心配し、父の老後を案じて結婚を渋る娘を説得し、または騙し、どうにかこうにか結婚させる物語」と単純化することができるならば、ラニアンの短編は「世にも酷薄な行為で人を傷つけ、官憲および世間を敵にまわしてきた悪党(たち)が、思わぬ契機によって、はからずも善行をなしてしまう物語」と単純化することができるでしょう。

もちろん、ファンタシーです。現実のギャングはギャング、現実の娼婦は娼婦、現実の博奕打ちは博奕打ち、ラニアンが描いたようなお人好しのはずがありません。しかし、ファンタシーであるがゆえに、ラニアンの作品群の永続性は保証されてもいます。リアリズム手法全盛の現代には、もうこういう作家はあらわれないでしょう。

『一日だけの淑女』『ポケット一杯の幸福』の原作である「マダム・ラ・ギンプ」はこんな話です。「マダム・ラ・ギンプ」はびっこ(gimp)の老婆で、ブロードウェイ界隈でリンゴを売り歩いて、かろうじて暮らしています。ギャングのボス、デイヴ・ザ・デュードは、ラ・ギンプのリンゴは幸運のお守り(いえ、幸運といっても、博奕のツキのことですが)だといって、彼女を見かければ、いつもリンゴを買ってやっています。

f0147840_0512820.jpgところがある日、デイヴはラ・ギンプがたいへんな苦境に陥っていることを知ります。彼女には娘がいたのですが、物心つかないうちに、スペインに住む妹にあずけていました。その子どもが成長し、スペインのさる伯爵の息子と婚約して、相手の一家に母親を紹介するために、アメリカに里帰りすることになったというのです。

問題は、娘は母親のラ・ギンプが落ちぶれたリンゴ売りだとは知らず、立派な、暮らし向きのよい人間だと思いこんでいることです。ラ・ギンプは格式高いホテルの便箋と封筒をくすね、それで娘に手紙を書き、返信は、ホテルのクラークに頼んで、脇からわたしてもらっていたのです(このあたり、映画では拡大したエピソードが加えられている)。さらに問題なのは、伯爵は、跡取り息子の嫁は立派な家の出でなければならないと考え、この旅で嫁の母親を見定め、結婚を許すかどうかを決めるつもりだ、ということです。

f0147840_154824.jpgここで悪党デイヴは、ボスらしい侠気を発揮し、ラ・ギンプのために一肌脱ぐことに決めます。デイヴは嫁さん(といっても、もちろん素っ堅気ではなく、元ダンサーなんですがね。当然、色っぽい女性でしょう)にラ・ギンプをあずけ、またたくうちに貴婦人に変身させてしまいます。

そのうえで、さる判事(といっても、それはたんなる綽名で、じっさいの稼業は賭けビリヤードをはじめ、各種のきわめてクリエイティヴなイカサマ博奕や、その他の雑多な悪事なんですがね)をつれてきて、これまた貫禄たっぷりの紳士に変身させ、ラ・ギンプの亭主としてキャスティングします。

かくして、この即席の夫婦は港で娘と婚約者の一家を出迎え、「かつてアメリカが沈めたスペインの軍艦を全部浮かべられるほど」の涙が流れることになります。米西戦争のときに、マニラで沈められちゃったスペイン艦隊のことですな。ヴェンチャーズの曲にそういうの(たしかArmadaというタイトル)がありましたっけ。あれはだれがオリジナルだったか。

f0147840_1113222.jpgいやま、それはともかく、このへんで芝居に幕を下ろせば無事だったのですが、デイヴ・ザ・デュードは、各界の名士を招いて盛大な歓迎パーティーを開くことにします。といってもギャングのボスですから、「名士」とはそのじつ、ギャング、密輸業者、泥棒、博奕打ち、ダンサー、お尋ね者、新聞記者、その他の偽物ばかり。

これが騒動のもとで、小説でもちょっとしたトラブルになりますが、映画では、ニューヨークじゅうの悪党たちが、変装して(といっても、タキシードで「正装」しているのですがね)集合しているというので、凶器準備集合罪(かどうかは知りませんが)の疑いをかけられ、警官隊に包囲されるという大騒動になってしまいます。

映画は、この窮境をいかに(キャプラらしい)心温まる結末にもっていくかがクライマクスとなりますが、小説のほうは、そういうゴタゴタはなく、もっとささやかなエンディングになっています。ラニアンが『一日だけの淑女』を見て、ストーリーの改変をおおいに賞賛したのは、このあたりの見せ場の作り方のせいでしょう。自分が『一日だけの淑女』の「著者」と書かれているのを見て、ラニアンはわざわざ「今後は、わたしと『一日だけの淑女』をむすびつけるのはやめてもらいたい、あの映画の出来はほぼ全面的に監督と脚本家の手腕に負っている」とコメントしたと伝えられています。

f0147840_0553688.jpgラニアンは、ストーリーなんか気にしないといっていたそうです。読者はストーリーなんか忘れてしまう、記憶するのはキャラクターだ、というのです。たしかに、印象的な人物ばかりが登場しますが、そのキャラクターを際だたせるのは、世に言う「ラニアン語」による、比喩を駆使した描写でしょう。たしかに、ストーリーは忘れてしまいますが、「いいか、いつもだれかの金に躰をこすりつけているんだ、そうすれば、いつかは金のかけらがこっちにくっつくからな」といった、いかにもラニアンらしい「金言」もまた、けっして忘れられるものではありません。

ウェブで調べていて、レイモンド・チャンドラーのスタイルは、真似すればそれなりにうまくいくこともあるだろう、だが、ラニアンのスタイルを模しても、馬鹿に見えるだけだ、と書いている評を読みました。いや、まったく。ラニアンのスタイルはラニアンにしかできません。「小説とはスタイルである」とするなら、ラニアンほど純粋な小説家はまずいないでしょう。

◆ 謝辞、および、よしなしごと ◆◆
わが家にはフランク・シナトラのPocketful of Miraclesがなく、今回の特集でぜひこの曲を取り上げたいと思い、仲間内に「回状」をまわして、ご喜捨を願ったところ、さっそく「靴下」にそっと入れていってくれた方がいました。どうもありがとうございます>O旦那。おかげで、当ブログが目指している、「楽曲の立体的な肖像の提示」が、このオールタイム・フェイヴァリットについてもでき……いや、すくなくとも試みることができました。

f0147840_1162487.jpgもつべきものは友とはよくいったもので、高校時代にテレビで見たきりで、その後、まったくお目にかかれなかった『ポケット一杯の幸福』を、つい先年、ようやく再見することができたのも、仕事で知り合った友人がエアチェックしたものをダビングしてくれたおかげ、かつて、ふとラニアンを原文で読みたいと思ったら、さっそくペンギン・ブック版のGuys and Dollsを送ってくれたのも中学高校の後輩、なんだ、自分で買ったのはハーパーズのPocketful of Miraclesと、『一日だけの淑女』だけじゃん、でありました。

ところで、今回発見した過去の勘違い記事は、時間の余裕ができしだい修正します。わたしのチョンボの証拠を押さえておきたい意地悪な方は、すぐに証拠保全にとりかかったほうがいいでしょう。

おっと、またしても、忘却とは忘れ去ることなりby菊田一夫をやっちゃいました。『ポケット一杯の幸福』では、アン=マーグレットがデビューしています。いやもう、後年のお色気なんかまるっきりなくて、清楚が清楚の羽織を着て清楚の披露目にやってきたみたいな美少女ぶりで、ぶったまげました。シンガーとしての彼女も好きなのですが(Let Me Entertain Youなんか、じつにけっこうな曲ですぜ)、『ポケット一杯の幸福』を見て惚れ直しました。
by songsf4s | 2007-12-05 00:08 | クリスマス・ソング
Pocketful of Miracles その1 by Harpers Bizarre
タイトル
Pocketful of Miracles
アーティスト
Harpers Bizarre
ライター
Jimmy Van Heusen, Sammy Cahn
収録アルバム
Anything Goes
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Frank Sinatra, original soundtrack for a Frank Capra picture "Pocketful of Miracles"(邦題『ポケット一杯の幸福』)
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Pocketful of Miraclesも、先日取り上げたトレイドウィンズのNew York's a Lonely Town同様、クリスマス・ソングといっていいかどうか微妙な曲です。いや、冬の歌ですらなく、どちらかというと春の歌かもしれません。

f0147840_437534.jpgしかし、この曲をテーマとしたフランク・キャプラの映画『ポケット一杯の幸福』は、どこからどう見ても、まじりっけなしのクリスマス映画です。なにしろ、「クリスマスのキャプラ」といっていいくらいの人(いや、そんなことをいったら映画史家とキャプラ・ファンに怒られるでしょうが)ですから、クリスマス映画のお手本といっていいほどオーセンティックなつくりになっています。

開巻いきなり、クリスマスの買い物客が忙しく行き交うニューヨークの街頭風景が映り、混声コーラスによるこの曲が流れます。と、こう書くだけの裏づけを得るのに、最初にこの映画を見た高校時代から、じつに35年の歳月がかかったのですが、そういうあれこれはあとまわしにして、まずは歌詞から。

◆ はずむ心の表現 ◆◆
それではファースト・ヴァース。ちょっと変則的な歌詞で、それを文字でどう表現するかは意見が分かれるところでしょうが、とりあえずご覧あれ。

P-racticality D-oesn't interest me
Love's the life that I lead
I've got a pocketful of miracles
And with a pocketful of miracles
One little miracle a day is all I need

「現実なんて興味がない、ぼくの生きている人生は愛そのもの、ポケットのなかには奇蹟がいっぱい詰まっているのだから、あとは一日にひとつ、ささやかな奇蹟があれば、それで十分さ」

冒頭のpracticalityを「ピーラクティカリティー」、doesn'tを「ディーアズント」というように発音しています。そういう趣向の歌詞なのです。ふつうの発音をせず、子どもの言葉遊びのように発音することで、語り手の浮き浮きした気分、子どもっぽいともいえる高揚感、多幸感を表現しています。

じっさい、これほど豪快に幸福感を表現した歌詞はそうはないでしょう。なんたって、ひとつやふたつじゃなくて、ポケット一杯に奇蹟を詰め込んでいるのだから、すでにして完璧に無敵状態なのに、あとは一日にひとつだけ奇蹟があれば十分、だなんて、奇蹟なんてものは、そこらのドラッグストアにいけば、いくらでも買えるサプリメントぐらいにあつかっちゃっているんだから、こりゃたまらん、です。こういう人間のそばには近づかないほうが安全でしょう。怖いものなしなんだから、いつなんどき、天下無敵のトラブルメーカーに変身するかわかったものじゃありません。

バック・コーラスは、I've got a pocketful of miraclesのところでは、no downs、すなわち、悪いことはゼロ、One little miracle a day is all I needのところでは、all ups、すなわち、すべていいことばかり、と幸福感の念押しをしています。いや、どうもごちそうさまで。

◆ トラブルの日もある、とはいうものの…… ◆◆
セカンド・ヴァース。

T-roubles more or less B-other me, I guess
When the sun doesn't shine
But there's that pocketful of miracles
And with a pocketful of miracles
The world's a bright and shiny apple that's mine, all mine

「トラブルにまったく悩まされないってわけじゃないさ、たとえば太陽が顔を出さないとかね、でも、あのポケット一杯の奇蹟があるんだから、この世界はぼくの手のひらに載ったピカピカのリンゴみたいなもの、すべてぼくのものさ」

ファースト・ヴァースだけで終わると思ったら大間違いで、セカンド・ヴァースは多幸感全開のフルスロットル爆走状態です。なんたって、トラブルのように感じるのは天候ぐらいだっていうんだから、恐れ入ります。最後のI guessがまたくやしい。トラブルとはいってみたけれど、それほどのものかどうか確信がなくてね、という念押しです。植木等がさんざん自慢話を吹いたあげく、「いやま、諸君もがんばりたまえ、イッヒッヒヒヒヒ」と高笑いして去っていくシーンそのままです。

ここも、troubleは「ティーラブル」、botherは「ビーアザー」という風に発音しています。

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ハーパーズはヴィジュアル素材があまりないので、1974年にワーナー・ブラザーズがリリースした、めずらしい(かもしれない)彼らのベストLPのジャケットをどうぞ。右肩の黒いステッカーは、一部のトラックがリアル・ステレオではなく、リプロセスト・ステレオであったというお詫び。このLPには、じつはPocketful of Miraclesは収録されていない!
"The Best of Harpers Bizarre" LP, front and back, Warner Brothers K 56044, 1974.

以下はブリッジ。

I hear sleigh bells ringing smack in the middle of May
I go around like there's snow around
I feel so good, it's Christmas every day

「五月のさなかにジングルベルが鳴るのが聞こえる、まるであたりに雪が積もっているようにそこらを歩きまわってしまう、ほんとうに気分がいい、毎日がクリスマスさ」

f0147840_4413713.jpgというわけで、クリスマス・ソングに繰り込んでもかまわないだろうという理由はここにありますが、同時に、「五月のさなか」と、いまが春であるらしいこともわかって、当ブログとしては、痛し痒しのブリッジです。

歌詞にしたがって、たぶん、ひまになるだろう五月にまわしてもよかったのですが、この年になってくると、おいしいものは最後までとっておく、という考え方には縁がなくなるのです。どちらかというと、明日があると思ったら大間違い、let's live for todayという気分なので、こじつけでもなんでも、ささやかな理由があれば、大好きな曲はできるだけ早くやっておこうと考えたしだいです。

◆ どこにでもいる薩摩守タダ乗り ◆◆
サード・ヴァース。

L-ife's a carousel F-ar as I can tell
And I'm ridin' for free
So, if you're down and out of miracles
I've got a pocketful of miracles
And there'll be miracles enough for you and me

「ぼくの見るには、人生は回転木馬みたいなもの、ぼくはそれにタダ乗りしているんだ、だから、きみが落ち込んで、奇蹟をひとつももっていないのならいってくれ、ぼくのところにはポケット一杯に奇蹟が詰まっているんだから、二人の分としては余裕たっぷりさ」

いやもうかたじけない、じっさい、二つ三つ、いや五つ六つ、いや、できれば十ばかり、奇蹟のお裾分けにあずかりたいものですなあ。lifeは「リーアイフ」、farは「フィーア」と発音しています。

最初のとほとんどかわらないブリッジへ。

I hear sleigh bells ringing
..........
I go around like there's snow around
I feel so good, it's Christmas every day

意味は最初のと同じですが、ここではsmack in the middle of mayが省略され、かわりにバンドがジングルベルのフレーズを演奏します。

最後のヴァースもサード・ヴァースに似ていますが、エンディングなので後半が異なっています。

L-ife's a carousel F-ar as I can tell
And I'm ridin' for free
I've got a pocketful of miracles
But if I had to pick a miracle
My favorite miracle of all is you and me

「ぼくの見るには、人生は回転木馬みたいなもの、ぼくはそれにタダ乗りしているんだ、ポケット一杯に奇蹟が詰まっているけれど、ひとつだけ選ぶなら、あらゆる奇蹟のなかでいちばん気に入っているのは、『きみとぼく』という奇蹟さ」

奇蹟にもいろいろ種類があるなんてえ話は寡聞にして知りませんでしたが、思うに、この語り手は、気に入らない、とまではいわなくても、「それほど好きでもない奇蹟」というものまでポケットに詰め込んでいるのですね。

しかしまあ、このヴァースで、語り手の信じがたい多幸感のよって来たるところが恋だとわかり、まあ、それしかねえよな、と納得するのでありました。人間というものの「打たれ強さ」の秘密が提示されているわけですな。好きな異性のひと言で、あらゆる苦痛、屈辱、悲哀、憤怒をすべて流し去り、なろうことなら、この幸福感を見ず知らずの他人にも分け与えたいという、ひどくお節介な気分になるのだから、よくできているというか、神は人間を殺さないようにつくりたもうたというか、詐欺みたいシステムだというか、ほとんど「キャッチ22」じゃんか、なんてよけいなことを思いました。

◆ 「ハーパーズはわたしたちです」 ◆◆
語り手がおそろしく脳天気なものだから、ちょっと意地の悪いことをいいましたが、わたしは昔からこの曲が大好きなのです。

f0147840_4433168.jpgシナトラのヴァージョンはあとにして、長年親しんできたハーパーズ・ビザール盤からいきましょう。ハーパーズの録音メンバーについて、その昔、キャロル・ケイに訊ねたことがあります。ドラムがハル・ブレインに聞こえたからです。彼女の回答は簡単明瞭で、「ハーパーズはわたしたちです」というものでした。ドラムはハル、ベースはキャロル・ケイ、ギターはトミー・テデスコというのが、ハーパーズの録音のレギュラー・メンバーだったそうです。

このメンバーがハーパーズのサウンドを決定したといっても過言ではありません。この曲のもっとも好ましいところは、歌詞に見合った、ハッピーで心地よいグルーヴだからです。歌詞の内容からいって、幸せで幸せでどうにも自分を抑えられない、という気分、思わず軽やかな足取りになってしまう気分を、音してと表現することができれば、この曲は成功します。そして、ハル、キャロル、トミーの三人は、いとも軽々とそのグルーヴを実現しています。

f0147840_4443452.jpgキャロル・ケイは、この程度の仕事になにか重要性があるとは考えていませんでした。わたしが問い合わせるまで、彼女のオフィシャル・サイトのディスコグラフィーには、ハーパーズの名前すらなかったのです。ヒット曲でもなければ、有名なアーティストでもないのだから当然ですが、それよりもなによりも、彼女としては、とくに苦労もせず、ふつうにやった仕事だから、思い出らしいものもなかったのでしょう。

この点については、彼女のほとんど無関心ともいえる態度のほうが正しいと感じます。彼らはこういう気持ちのよいグルーヴをつくることを、日々の当然の仕事としていたわけですし、それができなければ、依頼はこなかったのです。

しかし、彼らがごく当たり前にやった、だれもファイン・プレイだの、スーパー・プレイだのとはいわないであろう、いたって地味なプレイにも、わたしの耳はぐいと引っぱられます。この曲でいえば、ブリッジのI hear sleigh bell ringin' smack in the middle of Mayのあと、ヴォーカルが消えたところでの、シンコペートしたベースのグルーヴの気持ちよさは、彼女がハリウッドのナンバーワン・ベーシストだったことを雄弁に語っています。

◆ コード・ストロークのグルーヴ ◆◆
この曲では、いやハーパーズのすべての曲にいえることですが、ギタリストが活躍する場面はまったくありません。この曲についていえば、ただずっとコードをストロークしているだけです。

しかし、もはやギンギラギンのギタリストにあこがれた中学生ではないわたしは、やはりコード・ストロークのグルーヴに耳を引っぱられます。上述のブリッジのヴォーカルが消えた箇所では、ギターのストロークも耳に入ってきます。ハル、キャロル、そして(おそらくは)トミーの3人が体内にもっている、精密な、同時にきわめて人間的な時計の針が重なって、なんとも気持ちのよい一瞬が生みだされているのです。

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セッション・ギタリストたち 左からハワード・ロバーツ、トミー・テデスコ、レイ・ポールマン

スタジオ・プレイヤーというのは、スーパー・プレイができるから仕事をもらうのだと思っている人たちがいるようですが、そんなことはありません。もちろん、求められれば、世に「ギターヒーロー」などもてはやされている素人衆がやるようなプレイなど、あっさりやってのけますが、そんなことは「業務」のごく一部、たまにやってくれといわれる隠し芸みたいなものにすぎません。彼らのもっともだいじな能力は、楽曲、プロデューサー、アレンジャー、シンガー、そしてだれよりもリスナーが求める、心地よいサウンドをごく自然に生みだす能力です(さらにいえば、制限時間内に、つまり予算の範囲内でそれを実現することもまた重要ですが)。

ハリウッドの、いや、当時のアメリカ音楽をリードしたエース・プレイヤーたちが、いたって「賭け金の低い」ところで、まったく気負わず、ごく当たり前のように、ひょいとやってみせた、非常にナチュラルなグルーヴがPocketful of Miraclesにはあります。それが歌詞の内容とよくマッチしたために、わたしには忘れがたい曲となったのです。

★  ★  ★  ★  ★
そんな予定ではなかったのですが、フランク・シナトラ盤Pocketful of Miracles、フランク・キャプラの映画『ポケット一杯の幸福』、およびそのオリジナルである『一日だけの淑女』、そして、この二作の原作であるデイモン・ラニアンの短編「マダム・ラ・ギンプ」にふれる余裕がなくなってしまったので、残りは明日に持ち越しとします。この曲、この映画、そしてこの原作は、いずれも長年のフェイヴァリットなので、話はどんどん長くなっていくのです。

それから、明日も忘れてしまう恐れがあるので、いま、ここに押し込んでおきますが、ハーパーズ盤Pocketful of Miraclesのアレンジャーはペリー・ボトキン・ジュニアです。

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The LP label of Harpers Bizarre's 2nd album "Anything Goes", Warner Brothers WS 1716.

by songsf4s | 2007-12-04 01:04 | クリスマス・ソング