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Summertime by ANYBODY! その1
タイトル
Summertime
アーティスト
Anybody!
ライター
lyrics by Ira Gershwin and Du Bose Heyward, music by George Gershwin
収録アルバム
Any Album
リリース年
1933年初演
他のヴァージョン
EVERYBODY!!!
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◆ Whole lotta Summertime ◆◆
夏の歌でもっともヴァージョンが豊富なのはこの曲でしょう。なぜだれもがこの曲を歌うのか、わたしにはさっぱり理解できないのですが、世間ではそういうことになっているので、ざっと聴き直してみました。

Summertimeがどれほどたくさんあるか、わが家のHDDを検索した結果が以下の一覧です。

Billy Stewart
Booker T & the MG's
The Righteous Brothers
Rick Nelson
Sam Cooke
The Ventures
The Zombies
Sharon Marie
Big Brother & the Holding Company
The Buckinghams
Dave 'Baby' Cortez
The Marcels
The String Alongs
Janis Joplin(ウッドストックのライヴ)

こんなにたくさんもっていなければならない曲には思えませんが、どういうわけか、だれもが、まだこの曲に新しい光を当てられると思っているか、または、たんにカヴァー曲を吟味するのを面倒がっているようです。

◆ ああ、悲しき夏太り ◆◆
歌詞はなんのことかよくわからないのですが、まあ、とにかく見てみましょう。これはオペラ『ポーギーとベス』の冒頭で歌われる子守唄だそうです。そうとわかっても、やはり不可解なものです。省略法がちがっていたり、mammyというところをmaといったり、そういう細部に関しては各ヴァージョンで微妙に異なりますが、つくられてから70年以上もたち、無数のアーティストにカヴァーされたわりには、あまり変形はされていないように思われます。まずはファースト・ヴァース。

Summertime and the livin' is easy
Fish are jumpin' and the cotton is high

「夏痩せ」という言葉がありますが、人体のメカニズムからいうと、そういうことは起こりにくいはずで、ほんとうはたいていの人が「夏太り」するはずです。痩せてしまう人は、水分をとりすぎて、身になるものを食べられなくなるだけでしょう。

Summertimeのなかでわたしに理解できるのは、このファースト・ラインだけです。夏は「生活が楽」なのか、「生きるのが楽」なのかよくわかりませんが、すくなくとも、原理的に生きるのは確実に楽になります。われわれが摂取するカロリーの大部分が体温維持に消費されるそうですが、夏になると気温が体温に近くなるので、体温維持に必要なカロリーがおおいに減少します。よって、生きるのはすごく楽になるわけです。夏やせとか、夏バテという妄想にとりつかれた不幸な人たちは、もっともカロリー摂取量を減らしていい時期に、ふだんよりカロリーをとりすぎて、夏太りをしてしまうのです。夏やせの心配はやめて、夏太りの心配をしましょう。

アイラ・ガーシュウィンとその共作者が、1933(昭和8)年に、このような人体のメカニズムを知っていたとは思えないので、このラインは要するに、のびのびと毎日を過ごせるといっているだけなのでしょう。

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ジョージ・ガーシュウィン(手前)とアイラ・ガーシュウィン(中央)

2行目は意味不明。「魚は飛び跳ね、棉の木は高くのびる」というのですが、たんなる夏の描写なのでしょうか。魚が夏になるとむやみにジャンプするようになるかどうかは知りませんし、魚によって事情は異なるでしょう。わが家の近くの海では、夏になると彦鰯がむやみに飛び跳ねていますが、この曲には関係ないですねえ。

棉の木は夏の終わりから秋のはじめに収穫期を迎えるそうなので、このcottonが草本の棉のことをいっているのなら(木本もあるそうで、その場合はとくに夏に背が伸びるかどうかは微妙)、季節は合っていることになります。

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The cotton is high

ちなみに、「綿」という文字は原材料化したものや製品に使い、植物としては「棉」を使うべきであると、昔、怖い校閲者に注意されたことがあります。木偏か糸偏かというちがいなので、一度覚えたら、いやでも間違えなくなります。いやはや、意味がわからないものだから、歌に関係ない話ばかりしているなんてことは、指摘されなくても、ちゃんと自覚しておりますよ。

◆ 死ぬ日がくるまでは生きるであろう ◆◆
セカンド・ヴァースで、やっと子守唄らしくなります。

Your daddy's rich
And your mamma's good lookin'
So hush little baby
Don't you cry

「おまえの父親は金持ちで、母親は美人なのだから、さあ、もう黙って、泣くのをおやめ」というあたりでしょうが、前半と後半がつながっているようには思えず、なんだよこれは、です。わからないときは、映画ならつぎのセリフ、歌ならつぎのラインを待ちましょう。

One of these mornings
You're going to rise up singing
Then you'll spread your wings
And you'll take to the sky

「いつの日かの朝、おまえは立ち上がって歌い、翼を広げて天に昇るだろう」とくるのだから、いよいよ出でて不可解なり。つまり、いつかの日か、おまえは死ぬことになる、といっているわけで、人間みないつの日か死ぬというのは真実だけれど、そんなことを子守唄でいうかよ、であります。

なぜそんなことをいうのか、つぎのヴァースで説明されるかというと……

But till that morning
There's a'nothing can harm you
With daddy and mamma standing by

f0147840_23371092.jpg「でも、その朝がくるまでは、父親と母親が守ってくれるから、なにものもおまえを傷つけることはできないだろう」というわけで、つまりは、死ぬ日がくるまでは安全に生きるだろうから、安心しなさいということのようですが、そんなことをいわれて安心できる人間は、赤ん坊だろうが、成人だろうが、老人だろうが、いないんじゃないのー、といいたくなります。だれだって、死ぬ日がくるまでは生きることになっているわけでして……。

この不可解な歌詞は、ここまでサスペンドして、一気にリリースするような構造になっているかというと、まったくそうはなっていません。なんたって、この先はファーストおよびセカンド・ヴァースをくり返すだけなのですから。

『ポーギーとベス』を見れば、この不可解さは解消されるのかもしれませんが、まあ、知ったこっちゃないので、不可解なまま放り出します。なんにせよ、まともな子守唄には思えません。

◆ なにはともあれジャニス ◆◆
これだけいろいろなヴァージョンがあるのだから、多少は個別検討をしないと義理が悪いでしょう。

f0147840_0252397.jpgわれわれの世代の場合、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーというか、要するにジャニス・ジョプリンのヴァージョンは非常に有名です。モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルの映画では、ジャニスが歌うのを、キャス・エリオットがポカンと口を開けて見ている、非常に印象的なショットが挿入されていました。

しかし、わたしはジャニスのファンではないし、うしろの持株会社バンドにいたっては脳溢血を起こしそうなほど嫌いです。いちおう聴き直してみましたが、サンフランシスコのバンドの悪いところが凝縮されていると改めて思いました。下手なくせに、自己陶酔できる恐ろしいプレイヤーたちです。

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ソウル・ブラザーとソウル・シスター、デッドのロン・“ピグペン”・マカーナンとジャニス。いったい、この二人はなにをしているのやら。大酒飲みで知られた二人なので、酔っぱらっているのでしょう。

ジャニスがうまいことは、もちろん認めています。でも、ポップ・ミュージックにおいては、歌のうまさはプライオリティーの高い要素ではありません。うまいことが重要なら、オペラでも聴きます。下手だけれど魅力的、下手だからこそ魅力的、というケースがおおいにあるのが、ポップ・ミュージックというものなのです。歌のうまさは、しばしばリスナーの気分を壊しますし、サウンドの邪魔になります。わたしは「熱唱」とやらが嫌いで、軽く歌ってくれる人(ジュリー・ロンドン!)を好むため、ジャニスは好みではありません。

◆ でも、やっぱりサム・クック ◆◆
サム・クックもうまい人ですが、「それゆえに」ではなく「それにもかかわらず」おおいに贔屓にしています。わたしの場合、涼しげな声の人が好きで、暑苦しい声はダメという大原則があり、サム・クックは、じつになんともいえない、ポップ史上稀なるクール・ヴォイスの持ち主なのです。

f0147840_23472733.jpgご存知のように、サム・クックはゴスペル・シンガーとしてスタートしましたが、たいていの人が食うために、さらには、よりよい生活のためにパフォームしているわけで、ゴスペルなどという小さな小さな芥子粒のお山の大将では、手に入る金と女もたかが知れているので(クックはとてつもないレイディー・キラーとして知られ、モーテルで射殺されたときには、女房が雇った殺し屋にやられたのだという噂が立ったほどです。根拠のない誹謗をしているわけではないので、そのへんはよろしく)、大いなる名声と金銭のために、メインストリーム転向を試み、転向後初のシングル、You Send Meで大成功を収めました。

f0147840_23493753.jpgその転向を助けたのが、彼のプロデューサーのバンプス・ブラックウェルです。クックが所属していたスペシャルティー・レコードの社長、アート・ループとケンカして、首になっても、クックの売り出しに力を尽くした偉い人です。といっても、もちろん、どっちが儲かるか計算したというか、博打をやったわけで、この業界はみなそうです。そのへんのくわしいストーリーはすでによそに書いたのですが、ひとつだけくり返しておきます。

このブログにはなんども登場した、60年代を代表するベーシスト、キャロル・ケイは、クラブでギターをプレイしているとき、来あわせたバンプス・ブラックウェルにスカウトされてスタジオ・ワークをはじめました。最初のセッションは、ほかならぬSummertimeだったそうです。といっても、サム・クックのSummertimeには2種類のヴァージョンがあり、彼女がプレイしたのは、リメイク・セッションのほうだったようです。

バンプスは、サム・クックのメインストリーム・シンガーとしてのデビュー曲に、このSummertimeを予定していたそうですが、結局、クック自身が書いた名曲You Send Meでデビューすることになり(キャロル・ケイがスカウトされる前に録音を終わっていた)、圧倒的な成功を収めました。

ひとつまちがえば、陰鬱なSummertimeでデビューしていたわけで、人生はどこに陥穽があるかわかりません。Summertimeでは、あの大勝利はありえなかったでしょう。いくらサム・クックでも、こういうタイプの曲はやっぱりダウナー・フィールになってしまいます。しかし、ほかの歌手のつぎに出てくると、やっぱりいい声をしているなあ、と感じ入ります。

まだ2つのヴァージョンにふれただけですが、先は長いので、残りは明日以降に。
by songsf4s | 2007-08-21 23:53 | 夏の歌
When Snowflakes Fall in the Summer by Julie London
タイトル
When Snowflakes Fall in the Summer
アーティスト
Julie London
ライター
Barry Mann, Cynthia Weil
収録アルバム
The Wonderful World of Julie London
リリース年
1963年
他のヴァージョン
The Everly Brothers
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おかしなもので、四季折々の歌という枠組みをはめただけなのに、じつにいろいろな偏りが起きています。ブラック・アーティストが極端にすくない、すごく好きなライターなのにまだ登場しない人がいる、十代のころからずっと好きだったジム・ゴードンの叩いたトラックもいまだに出てこない、といった現象です。ただ、やみくもに好きなアーティスト、好きな楽曲、好きなプレイをあげていけば、こんなことはぜったいに起こらないのですが、この不自由さも、それなりに面白くもないことはありません。

今回は、ようやくにしてバリー・マンとシンシア・ワイル夫妻の曲を取り上げることができます。タイトルに夏とあるものの、実態としては夏の歌かどうかは微妙といわざるをえないし、とくに出来のよい曲ですらないのですが、ほかならぬマン=ワイル作品だし、歌い手もほかならぬジュリー・ロンドンだから、えーい、かまうもんか、であります。

◆ 分類学上の問題点 ◆◆
このところ、歌詞の検討をサボっていましたが、今回はメロディーと同じほどに歌詞にもウェイトがかかった曲ですし、内容的に面倒なことはなにもないので、細かく見ていくことにします。ポイントは、「夏に雪が降るならば」というタイトルがどのように説明されるか、という一点だけです。それではファースト・ヴァース。

When roses bloom in December
When pears grow on an apple tree
When snowflakes fall in the summer
You'll be true to me

いきなり、「十二月に薔薇が咲くならば」というファースト・ラインで、この曲が夏の歌ではないことがバレバレです。男性のなかには植物にまったく関心のない方がいるので、あえて念押しすると、多くの薔薇は晩春から初夏にかけて咲きます。どこかの薔薇園に出かけるのなら、だれもがこの季節を選ぶはずで、ふつうの薔薇は十二月に咲いたりはしません。

f0147840_23384288.jpg2行目は「林檎の木に梨が生るならば」とあります。もちろん、そんなことはありえない、という含意なのですが、じつは、林檎と梨は、果物としては見間違えることはまずないものの、分類としては近縁種です。梅、桜、桃、杏などと同様、梨と林檎もバラ科の落葉小高木で、仲間なのです。林檎の木に梨を接ぎ木することも不可能ではないだろうと思います。まあ、林檎の木に接ぎ木された梨の木は、どちらの木なのだと問えば、もちろん梨の木なので、林檎の木に梨が生るのではなく、梨の木に梨が生るだけですが!

いや、なにか植物を林檎の木に生らせるのなら、たとえば、葡萄のように、林檎とはまったく近縁ではない、バラ科の落葉小高木ではないものにしてくれれば、分類学的な落ち着きの悪さを回避できたのに、と植物にはこだわりのあるわたしとしては思うわけです。そう感じた園芸家はほかにもいることでしょう。シンシア・ワイルの植物知識は平均以下ということがこの一行でわかるわけですが、しかし、この曲を書いたころ、彼女は二十歳かそこらのはずで、自分の二十代をふりかえれば、五十歩百歩の知識しかもっていなかったのだから、あまり偉そうなことはいえません。若いうちというのは、植物に対する意識が低いものだから、まあ、しかたないでしょう。

そして3行目「夏に雪が降るならば」ときます。地球のどこかには夏に雪が降るところもあるでしょうが、これはアメリカの話なので、この行については突っ込みは控えます。「そんなことはありえない」ということです。

以上、3行にわたって、ありえないことを三つ並べ、4行目で「You'll be true to me」すなわち意訳するならば、「あなたの浮気もやむだろう」とくるわけです。つまり、彼女の恋人いうのは、手がつけられない遊び人であることをいうために、あれこれとありえないことを並べたわけで、典型的な羅列・並列型の歌詞です。この曲は明らかに、並列型歌詞の親玉ともいうべき、有名な大ヒット曲をベースにしていますが、それについてはあとでふれます。

◆ 不完全な異化 ◆◆
セカンド・ヴァースでもとくに変化はなく、さらに羅列がつづきます。

When moonbeams shine in the morning
When sparrows don't know how to fly
When snowflakes fall in the summer
You won't make me cry

f0147840_23402491.jpg「月が朝輝くなら、燕が飛び方を知らないならば、夏に雪が降るならば、あなたがわたしを悲しませることもなくなるだろう」というわけで、ファース・ヴァースの同工異曲です。朝、ボンヤリと月が見えることもありますが、「Shine」はしないから、まあ、よしとしておきましょう。飛翔技術に関するかぎり、カラスがチャーリー・ワッツなら、ツバメはさしづめハル・ブレインかジム・ゴードンというところで、技術のレベルも精度もまったくちがうことはだれでも承知のことなので、このラインについてはまったく異存はありません。

以下はブリッジ。

You'll never change I just know it
And there never be summer snow
Darling it' s just as impossible
For me to ever let you go

「わたしにはわかっている、あなたはけっして変わらない、夏に雪が降るなんてありえないように、わたしがあなたを放すこともぜったいにないでしょう」と、さすがにブリッジでは、ここまでの延長線上の羅列はしていません。しかし、とくに変化があるわけではなく、言い方を変えただけです。「シンシア、ここは書き直したほうがよくないかい? わたしがドン・カーシュナーだったら、この4行は不可だね。これではブリッジになっていないよ」と独り言。

そして最後のヴァース。

And when spring rain comes in the autumn
When lemons taste like honeydew
When snowflakes fall in the summer
I'll stop loving you

「春雨が秋に降るならば、レモンが蜜の味ならば、夏に雪が降るならば、わたしはあなたを愛さなくなるでしょう」と、まあ、予想されたとおり、にっちもさっちもいかない関係にまったく曙光が射さないまま、この歌は終わっています。

◆ ボール紙キャラクターに息吹をあたえる ◆◆
メロディーについていえば、When Snowflkaes Fall in the Summerは、バリー・マンの曲のなかでとくに出来のいいほうではなく、まあ悪くはないといった程度の出来です。歌詞についていえば、羅列型はみなそういうものとはいえ、ちょっと変化がなさすぎで、とりわけ、アイスクリームにおけるウェファース、お汁粉における紫蘇漬け、すなわちチェンジアップであるべきブリッジに工夫が足りず、シンシア・ワイルとしては、とくに自慢できるようなものではないでしょう。

f0147840_2342125.jpgくさしたついでにもうひとついうと、春雨が秋に降るならば、というラインもいただけません。対比による異化が不完全で、面白くもなんともありません。春分の日が秋にあるならば、夏至が冬にあるならば、というのと同じじゃないか、馬鹿馬鹿しいよ、と思います。シンシア・ワイル、いまだ修行中というところでしょう。

映画の場合、馬鹿馬鹿しい脚本に有無をいわせず強引なリアリティーをあたえるのが大スターの役割です。この場合、近ごろのチンピラ俳優ではなく、ジョン・ウェインか、せめてフランク・シナトラあたりを想起してくれないと困ります。こういう嫌も応もないパワーをもった俳優は、クリント・イーストウッドを最後に絶滅することになるでしょう。

いや、音楽の話でした。単独では倒れてしまいそうな脆弱な楽曲に、太い支柱をあたえて直立させるのが、シンガーとプレイヤー、とくに前者の最大の役割です。そういう意味で、このダブル・トラックされたジュリー・ロンドンの声は、ちょっと冷静になればとうてい納得のいかないこの曲に、リアリティーがあるかのようにむりやりに錯覚させるだけの力をもっています。

シンシア・ワイルがこの歌詞をうまく書けなかったのは、ひょっとしたら、これが大人の男と女の歌で、彼女がまだ子どもだったせいかもしれません。そうとしか思えないでしょう? こういう前進も後退もまったく不可能という関係は、ありうるとしたら、肉体関係のある大人の男女のあいだだけのことで、どう考えてもティーネイジャーが歌える曲ではありません。見ようによっては、これは我慢のならないほど腐りきった男女で、思い起こすのは成瀬己喜男の『浮雲』における森雅之と高峰秀子の関係、『女が階段を上る時』の高峰秀子のバーのマダムとその家族の関係で、それくらい救いがなく、腹立たしいものです。いや、そういう暗さを中和するのも俳優/シンガーの役目なのですが。

◆ 本家・羅列型歌詞 ◆◆
この曲は、明らかにThe End of the Worldをベースにしています。と書いてから、あわててスキーター・デイヴィスのThe End of the Worldのヒットの時期を確認しました。63年2月にピーク・ポジションなので、リリースは62年でしょう。ということで、順序としても、When Snowflakes Fall in the SummerはThe End of the Worldをベースにしたという想定に問題はありません。

なぜそう思うかというと、まずは曲調が似ているということですが、歌詞の構造もよく似ているからです。試みにThe End of the Worldのファースト・ヴァースを見ると……

Why does the sun go on shining
Why does the sea rush to shore
Don't they know it's the end of the world
'Cause you don't love me any more

あなたがもうわたしのことを愛していないのだから、世界は終わってしまったのに、なぜ太陽は輝きつづけ、どうして岸辺に波が打ち寄せつづけるのだろうか(そんなことはありえないことなのに)、と、これまた冷静に聴けば馬鹿馬鹿しくてやっていられないようなことが、えんえんと4ヴァース+ブリッジを使って、同じような調子でつづられています。

馬鹿馬鹿しい設定ではありますが、流行歌というのはこういうものなので、その範囲において、The End of the Worldはやはり秀作といえるでしょう。その秀作の尻馬に乗ろうとして、When Snowflakes Fall in the Summerは、微妙な細部での失策に足を取られて、失速したといったあたりではないでしょうか。

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ちなみに、アメリカでは、The End of the Worldはスキーター・デイヴィス盤がヒットしていますが、わたしが子どものころ、日本のラジオからよく流れてきたのは、ジュリー・ロンドンのヴァージョンでした。これは正しい選択だったと思います。スキーター・デイヴィスはひどいガラッパチのカントリー・ガールで、「もののあわれ」とはもっとも遠いところにあるシンガーなので、プロデューサーは、「もっといまにも死にそうなくらい悲しげな歌い方で」と、何度もダメ出しをしなければならなかっただろうと想像します。

それに対して、ジュリー・ロンドンの声はあれですからね、スキーター・デイヴィスのカントリー姐ちゃん丸出しとは180度反対で、じつにもってけっこうな仕上がりなわけですよ、当然ながら。山ほどあるの百万倍ぐらいあるこの曲のカヴァーのなかで、聴くべきはジュリー・ロンドン盤であります。

◆ 真夏に雪が降れば涼しいだろうに ◆◆
このブログを初期からご覧になっている方、あるいは、あとからバック・イシューまでこまめにご覧になった方は、べつの曲を連想したかもしれません。ペトゥラ・クラークのThe Thirty First of Juneです。あの曲も、6月31日という、ありえない日付をタイトルにしていましたし、内容的に、というか、歌詞の技法的に近似したところもあります。

f0147840_23522913.jpgつまり、このように、まず、なにかありえないことを思いついたら、それを増殖させるだけで歌詞が書けるということを示していて、基本的な発想法のひとつだということでしょう。みなさんもお試しになってはいかがでしょうか。1曲当たれば、遊蕩児として後半生を送れるかもしれません。そうすれば、また歌詞のネタを仕入れられることでしょう!

書き忘れるところでしたが、エヴァリーズもこの曲をやっているようです。残念ながらうちにはありませんし、ウェブに落ちているのを拾うこともできませんでした。しかし、わたしはドンとフィルの大ファンですが、たとえ性差別主義者といわれようと、この曲は男女リヴァーシブルの歌詞にはとうてい思えないので(1963年の曲だということをお忘れなく。「フェミニズム」が、男が女を保護することを意味した時代です)、聴くまでもないヴァージョンでしょう。

ジュリー・ロンドンの抵抗しがたい魅力について、とうとうと書きつらねるつもりでしたが、彼女の出番はまだまだありそうなので、つぎの機会に譲ることにします。子どものときから彼女の声は好きでしたが、年をとるにつれて、いよいよ慕わしく感じられるようになってきた、とだけ申し上げておきます。曲の出来は一歩及ばなかった感じですが、彼女のパフォーマンスはそれを補ってあまりある出来で、この夏は、何度もこの曲を聴きました。涼しくて涼しくて、今日のような記録的な猛暑の日にはふさわしいトラックです。
by songsf4s | 2007-08-16 23:52 | 夏の歌
Ice Candy by ナンシー梅木
タイトル
Ice Candy
アーティスト
ナンシー梅木
ライター
三木鶏郎
収録アルバム
トリロー・コレクション(5CD Box)
リリース年
1994年(録音は1951年)
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ナンシー梅木が活躍したのは、わたしが生まれる以前、および、音楽などろくに聴いていなかった幼年期のことなので、さかしらなことは申しません。なにも知らないも同然なのです。ウェブで検索すれば、(どうひいき目に見ても、きわめて啓発的とはいいがたい)記事に山ほどぶち当たるでしょう。

わたしにわかるのは、この三木鶏郎作のIce Candyというのは、じつになんとも味のある曲であり、ナンシー梅木という人は、この曲を歌うにはもっともふさわしい歌手であったということだけです。

三木鶏郎資料館というオフィシャル・サイトにも同様のものが掲載されていますが、この曲が収録されたボックス・セットのライナーによれば、これは1951年の作品で、ラジオ番組「日曜娯楽版」のためにつくられ、放送されたものだそうです。のちにLPボックス、さらに後年、CDボックスに収録されただけで、シングル盤というか、SP盤としてリリースされたことはないようです。なんとも、もったいないことをしたものです。ヒット・ポテンシャルはあったのではないかと、わたしには感じられます。

◆ 三色の人工着色料 ◆◆
短いものなので、以下にヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァースという構成のすべての歌詞を書き写します。

Ice candy, ice candy
真夏の海の色、懐かしいこの色、青いice candy

Ice candy, ice candy
すべるヨットの影に、あの帆を夢見た、赤いice candy

(bridge)
波も揺らぐ浜辺、風のそよぐ森に、
月は淡く照らす、二人の影

Ice candy, ice candy
寄り添う君の肌、チョコレート色した、甘いice candy


f0147840_23441998.jpgとくにすぐれた歌詞ではありませんが、曲調とナンシー梅木の声が相まって、なんとも懐かしい雰囲気のある曲です。自分が生まれる以前の曲だからノスタルジックに感じるのではなく、はじめからノスタルジーを表現しようとした曲であることは、ファースト・ヴァースから明らかです。

青、赤、チョコレート色と三色のアイス・キャンディーが登場しますが、淡い色を思い浮かべるべきではなく、いまでもかき氷のシロップに使われているような色を思い浮かべるべきでしょう。赤は氷イチゴ、青は「ブルー・ハワイ」(なんていうフラッペは一般性はないのでしょうか?)の色にちがいありません。

◆ トリロー伝棚上げの弁 ◆◆
わたしは三木鶏郎の自伝も読みましたし、CDもそこそこ集めているので、したり顔でなにかいってもいいのかもしれませんが、所詮、「日曜娯楽版」という番組をリアルタイムで聴いたわけではなく、あとからテープと文字で知っただけですから、わざわざここでなにかいうほどのこともありません。

ただ、毎週の番組で流されるだけの曲を、つぎつぎに書いていき、このIce Candyのような隠れた佳曲や、大ヒット曲も生んだ「腕力」は、当時を知らない人間であっても、感心するしかありません。ソングライターというのはそういう過酷な職業なのでしょうが、苦しい状況のなかでのトリローの高打率は、さすがは一世を風靡しただけのことはあると思います。

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日曜娯楽版公開放送風景 つねにライヴ放送だったのだから、昔の人たちは偉いものです。中央は三木のり平、マイク前右端は千葉信男、その左が丹下キヨ子、左端は河井坊茶か。肝心のトリローが見えないが、右端、白いスーツのコンダクターらしき人物があるいはそうかもしれません。

三木鶏郎の楽曲は、放送のために書かれたというのがおもな理由なのでしょうが、季節をあつかったものが多く、今後も何度か取り上げることになると思いますので、ここではトリローの人となりには踏み込みません。ひとつだけいえることは、わたしにとって、もっとも興味深い昭和の日本人のひとりであり、今後もなにかが発掘されれば、手に入れずにはいられないであろう重要人物であるということです。

◆ 180度ねじれたエキゾティカ ◆◆
三木鶏郎ボックスではじめて聴いた曲のなかで、聴いた瞬間に、これは素晴らしいと感嘆したのは、このIce Candyであり、ナンシー梅木の歌でした。いま聴き直しても、バラッドとしては、トリローが書いたもっともすぐれた曲のひとつだと思いますし、ナンシー梅木の歌い方も申し分がありません。わたしのもっとも好きなタイプの声です。

ナンシー梅木同様、進駐軍廻りでスタートした江利チエミ、ペギー葉山、雪村いづみといった女性歌手群というのは、子どものころから聴いていて、ゴメンナサイしてしまうような歌が多く、いい印象はもっていません。江利チエミについては、後年、若いときの歌を聴いて、なるほどスターになったのもそれほど不思議ではないか、ぐらいのことは思ったのですが、いずれにしても、みな古くさいと思っていました。

しかし、ナンシー梅木は、この同世代の歌手群といっしょにするわけにはいかないことが、このIce Candyをほんの数小節聴いただけでわかりました。要するに、一目惚れというヤツです。みごとな声、みごとな歌いっぷりで、子どものころに感じていた日本人歌手への不満はまったく感じませんでした。あまりにもこの曲の出来がいいので、その印象を壊すのがイヤさに、ほかの盤にはいまだに手を出していないほどです。

ナンシー梅木というと、自動的に「フラワー・ドラム・ソング」という言葉が頭のなかで返ってきたので、調べてみると、このミュージカルのブロードウェイ版に、梅木美代志として出演したのだそうです(アメリカではナンシーの名前を捨てたのは見識だと思います)。このあいだ、新聞で井原高忠が、アメリカに渡ったナンシー梅木が、考えられないほど高いピッチで歌わされた、というエピソードを語っていたのは、このときのことのようです。

f0147840_2353447.jpg彼女のナチュラルな歌い方は、女性としてはかなり低音、ややハスキーで、高いピッチで歌ったときの声は想像できません。ピッチを上げられたのは、劇場での声の通りを配慮してのことだそうですが、西洋人というものをまったく信用していないわたしは(いや、それをいうなら日本人もまったく信用していませんが!)、昔のハリウッド映画で見た、とんでもないキンキン声で歌う中国人女性のことを思い浮かべました。キンキン声ではない東洋人は、アメリカの無知な大衆には、東洋人らしく見えなかったのではないか、と疑念を感じています。

梅木美代志は、日本人としては唯一のオスカー女優だそうですが、そのオスカーを得た『サヨナラ』(1957年)を見ずに乱暴なことをいうと、彼女がアメリカで活躍したのは、マーティン・デニー、レス・バクスター、アーサー・ライマンらのエキゾティカ・ブームの時期と一致することを思い起こします。他の呆れかえった映画にくらべれば、この映画で描かれた日本は噴飯ものというほどではないそうですが、原作がジェイムズ・ミッチェナーというだけで、もうダメだと観念するしかありません。

そもそも、近年の『ラスト・サムライ』ですら、爆笑するような明治時代が描かれていたくらいで(まあ、それをいうなら、日本人が描いたって、大河ドラマを筆頭に、時代劇というのは、その発生のときから、まともな常識をもつ人間が笑い死にするような歴史理解の上に成り立っているのですが)、1950年代後半のハリウッドから見た日本が、エキゾティカのレベルを出ていたとはとうてい思えません。

「エキゾティカの延長線上にいるアメリカの日本人歌手兼女優」というのは、その存在自体、すでにきわめてクリティカルで、じつに興味深く、とてつもなくイマジネーションを刺激するのですが、上述のように、一目惚れの印象を壊すのがイヤで、彼女がアメリカで録音した盤はいまだに聴いていません。

◆ 架空シングル盤の捏造 ◆◆
わたしは音楽に関するかぎり極楽トンボなので、この曲はジム・ゴードンが叩くべきだったとか、ハル・ブレインが叩くべきだった、と思うと、ちゃんとハルやジム・ゴードンのドラミングによって、タイムとフィルインを修正されたヴァージョンが頭のなかで鳴り響くという、幸せな才能をもっています。

この異能をもってすれば、理想の音楽を出現させるなどというのはわけもないことで、レス・バクスター・オーケストラをバックに歌う、梅木美代志のエキゾティカ(手はじめに、「夜来香」と「Yellow Bird」というカップリングのシングルはどうでしょうか)が頭のなかでフェイドインしてきます。うーん、すばらしい。われながらいい企画だと思うのですが、提出が半世紀ばかり遅かったようです。

検索をかければわかることですが、梅木美代志は、引退どころではなく、遁世してしまったようで、現在はいっさいの取材に応じないだけでなく、アメリカのどこかに住んでいるということぐらいしかわからないそうです。原節子もそうですが、やはり、スターには遁世してもらいたいもので、あの1951年の歌声同様、晩節もきれいさっぱりしていて、ナンシー梅木という歌手がいっそうゆかしく思えてきます。どこかの日本人女優がオスカーを取り損なったくらいの、三日たてばだれも覚えていないような些事のたんなる付録あつかいで、この素晴らしいシンガーの静かな生活を乱す必要など毫もありません。

ゲスなマスコミに発見されないよう、そして、またどこかの日本人女優がオスカーにノミネートされたりして、梅木美代志のことをマスコミが思いださないよう、影ながらお祈りしています。
by songsf4s | 2007-08-15 23:55 | 夏の歌
All You Need Is Love by the Beatles
タイトル
All You Need Is Love
アーティスト
The Beatles
ライター
John Lennon, Paul McCartney
収録アルバム
Magical Mystery Tour
リリース年
1967年
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f0147840_22282713.jpgサマー・オヴ・ラヴの流れからいうと、Somebody to Loveのつぎにくるべき曲は、と予想をたてた方もいらっしゃるかもしれません。候補は4、5曲に絞られたはずです。おなじエアプレインのラリパッパなトップ10ヒットWhite Rabbit、ドアーズの真夏のチャート・トッパーLight My Fire、サマー・オヴ・ラヴの大トリ、「締めの曲」だったプロコール・ハルムのA Whiter Shade of Pale、このあたりが素直な線です。

ちょっとはずして、ボビー・ジェントリーのモンスター・ヒットOde to Billie Joe、穴狙いでラスカルズのGroovin'、大穴でモンキーズのPleasant Valley Sunday、もうひとつの大穴、ハル・ブレインが叩いたアソシエイションのWindy、こうした曲も間接的にサマー・オヴ・ラヴとむすびついているようにわたしには思えます。

いずれをとりあげてもよかったのですが、まあ、やはりはずすわけにはいかないので、ビートルズをとりあげるしだいです。この曲があっては、わたしの意思ではどうにもならないじゃないですか!

◆ 同時代との同期 ◆◆
ビートルズは、イギリスという世界音楽の首都から遠く離れた片田舎の、さらに中心からはずれた地方都市で生まれ育ったので、1964年にアメリカに渡るまでは、井戸の蛙でした。たんにとほうもない才能があった点が、ほかの無数の井戸の蛙といくぶん異なっていただけです。

彼らが愛していたアメリカ音楽は、どう見てもカビの生えた50年代の売れ残りで、アメリカの最先端の「気分」については無知でした。1964年の時点では、なぜジャン&ディーンやビーチボーイズが、アメリカ土着音楽として最先端の波をシュートしているのか、彼らが理解していた気配はありません。たんに、そのすぐとなりにあったフィル・スペクターの音楽のすごさを知っていただけでしょう。

カビの生えた売れ残り音楽ではありましたが、古い革袋に新しい酒を盛ることにかけては、ファブ・フォーは空前絶後の才能をもっていたので、われわれはそれがきわめて斬新な響きをもっているかのような錯覚をおこしました。そこに彼らの人を惹きつけて放さない「集合的キャラクター」があいまって、人類の歴史で後にも先にもない、いま思い返しても、ほんとうにあったこととは思えない、地球規模(ということはすなわち、共産圏をのぞく文明国ということですが)のマス・ヒステリー現象を招来したことはご存知のとおり。ビートルズは、地球規模のアイドルとしての最初の2年間を、生まれたまんまの才能のみを使って、ジョージ・マーティンの介助により、50年代音楽の現代的再生をするだけで泳ぎ渡ったのです。

しかし、なんどもアメリカをツアーしていれば、時代の最先端にシンクロしはじめて当たり前ですし、そもそも、それだけの感度がなければ、最初のブレイク・スルーだって起きたはずがないのです。時代にシンクロしはじめたことを示す最初の兆候が、Help!のアルバム・カットであるYou've Got to Hide Your Love Awayでした。

f0147840_22302242.jpgこの路線を延ばした向こうになにがあるか、などともったいぶったことをいわなくても、Rubber Soulにきまっています。ここでファブ・フォーはやっと50年代に永遠のさよならをいって、「同時代の現実」に追いついたのです。ここからは、同時代のアーティストたち、というよりは、むしろ「時代の気分」とのフィードバックによる雪だるま現象がはじまります。ビートルズの音が時代に響き、そのエコーにビートルズが影響を受け、なにかが生まれ、また時代がそれをビートルズにエコーしかえす、という、ハウリングが起こるのです。

そんな道筋で捉えているわけですが、ここまではよろしいでしょうか。ちょっと端折りすぎかもしれないのですが、ビートルズ同時代史論をくだくだしく書くわけにもいかんのですよ。

時代の側についていえば、サーフ・ミュージックがフォーク・ロックを生み、フォーク・ロックがサイケデリック・ミュージックを生みました。あなたが好きなジャンルはこの三つのうちのひとつだけであっても、そういうファン心理とはまったく無関係に、こういう流れが厳然としてあり、この三つは一連のものとして聴かなければ、音楽史は一貫性を失い、理解不能となります。

以上、ファビュラスな4人組は、サーフ・ミュージックに対する理解を決定的に欠いたまま、途中から同時代のアメリカ音楽にシンクロしはじめた、というのが、ここまで駆け足で述べてきたことの目的地です。

お温習いするならば、アメリカではフォーク・ロックというものが最先端だということに気づき、真似したといって悪ければ、俺たちならもっとうまくやると主張したのがRubber Soul、ヤードバーズあたりのややダーティーなグループに影響を受けた、後年「ガレージ」としてくくられた連中が蜘蛛の子のように全米にうごめいていることを覚って、その「気分」にぶつけたのがRevolver、その路線を洗練し、自分たちこそが「ヒップ」の最先端をいっていることを証明しようとしたのがSgt. Pepper'sです。

◆ 「細かいことは抜き」にする技 ◆◆
f0147840_22554410.jpgペパーズほど、リリースされた時点で聴けば無茶苦茶に面白く、後年になるとまったく面白くもなんともない、という極端な落差をもったアルバムはほかにないでしょう。それほど時代にピッタリと寄り添った音楽でしたし、同時代のトップ・アーティストであれを無視できた人は皆無と思えるほどの、メガ・ハリケーン級影響力をもっていました。アメリカ音楽の中心地はシカゴだと思いこんでいたほどで、あまりのことにほめたくなるほど遅れた時代感覚をもっていたストーンズですら、それまでの路線を丸ごとドブに投げ捨て、悪魔の要請がどうしたとかいう血迷ったアルバムを泥縄ででっち上げたほどです。

それだけのアルバムをつくったファブズがつぎにやった仕事が、アニメ映画『イエロー・サブマリン』のための(ドブに捨ててよい)新曲の録音だったというのだから、歴史というのは皮肉なものです。そして、その最中に衛星回線によってテレビの世界同時中継が可能になったことを記念する番組への出演が決まったのだから、またまたtwist of fateであります。

そのときの報道では、ジョンは、Oh God, is it that close? I suppose we've got to write something「そんなに時間がないんじゃヤバいじゃん、なんか書かなきゃだな」といったと伝えられています。かくして、いつも以上にノンシャランにknock offされたのが、サマー・オヴ・ラヴ讃歌の大真打ちAll You Need Is Loveです。

この時期のジョン・レノンは、歌詞ではなく詩を書くようになっていたので、細かく検討するのは愚の骨頂です。こういうものはほうっておくにしくはありません。受験生ならば、こういう二重否定の繰り返しなどの言葉遊びを、数式を解くようにではなく、感覚としてすっと理解できるようになれば、英語に関するかぎり、どこの大学でも大丈夫なだけではなく、アメリカ留学に逃げるのも可能だと保証できるような代物で、試験問題に出たら、否定の否定は肯定だ、だとか、否定の否定の否定は否定だとか、いちいちチェックしないと安心できないような、ひとをおちょくったような歌詞です。

受験生ではないたんなるリスナーにとって、この曲の歌詞で重要なのはただ一点、時代の気分を「All you need is love」という一行のスローガンにまとめてみせた、ということだけで、あとは無視しても、まったく差し支えありません。

大衆というのはつねに、「細かいことは抜きにして」ひと言でいってくれないとわからないものなので、ちょっと考えればあまりにも粗雑な、この一行の「総括」はみごとに時代を象徴しました。こんな世迷い言をユニヴァーサルな箴言かなにかのように受け取った人、そして、まだそのように思いこんでいる人も散見しますが、そういう大勘違いのおっちょこちょいはいつの時代にもなくならないわけで、嗤って見逃してやりましょう。たんに、あの夏の気分をうまくすくいとった、才能豊かなコピーライターの手になるコマーシャル・ソングといった程度のものです。よくできたコピーにだまされ、宣伝に踊らされて行動する人はいつの時代にも無数にいるから、コマーシャル・ソングという音楽も、コピーライターという職業がなくならないわけでして、ウィルスやスパムがなくならないのと同じ原理です。

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いや、ジョン・レノンというのは、ほんとうにたいした人だと思います。時代の気分をひと言にまとめてみせる、なんていったって、それができる人はごく稀ですし、ヴァースの無意味な羅列にしても、all you need is loveというひと言を導き出す露払いとしては十分な役割を果たしていますし、しかも、たぶん、ほんの短時間で書いたはずで、これだけのことができる人はやはり、同時代を見渡してほかにいなかったと感じます。同系統のImagineの吐き気を催すような偽善性にくらべれば、こちらのスローガンのほうが、具体性を欠いているところがまだしもましで、懐疑的なわたしとしても「総論賛成、各論反対」ぐらいのところに落とし込むことができます。

これだけみごとな「総括」の言葉が出てしまっては、もはや「運動」の停止はやむをえません。名づけ得ぬモンスターであるからこそエネルギーをもつのであり、名前がつけられた瞬間、それはぴったりそのサイズに収まって飼い慣らされてしまうものです。サマー・オヴ・ラヴは、プルコール・ハルムのA Whiter Shade of Paleという不気味なコーダとともにフェイドアウトします。この曲のシングルを手にしたときには、日本ではそろそろセーターがほしい時季になっていました。

◆ 破壊の翌朝 ◆◆
あの夏はなんだったのかなどということは、なにかの映画とそのコマーシャルにでもまかせておくことにして、個人的には音楽に恋した夏でした。音楽が人生のすべてだった唯一の夏でした。

「あの気分」がのこした遺産は、サンフランシスコ市の財政悪化(とほうもない流入人口でインフラストラクチャーが打撃を受けた)と、ポップ・ミュージックにルールはない、という新しいルールです。悪くいえばお芸術家気取りなのですが、だれしもが背伸びしてなにかをつくらなければならない時期が、この幼い分野には必要だったのだと、いまは思います。

あの時期を通過し、あとで顔から火の出るほど恥ずかしい思いをしたおかげで、ストーンズだって、It's Only Rock'n'Rollだと自信をもっていえるようになったわけですし(悪魔の要請のなんとかだの、わたしたちはあなたたちを愛しているとかなんとかいうこっ恥ずかしい曲をリリースして、ジョン・レノンに真似しっ子と嘲笑されたことを同世代の人はまさかお忘れではありますまい)、FZだって「俺たちは金のためにやってるだけだ」というアルバムをつくることができたのです。これが学習というものです。

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サンフランシスコを訪問したジョージ・ハリソン夫妻とデレク・テイラー

建設活動とはすなわち際限のない破壊活動であることは、すべての日本人が理解していることです。サマー・オヴ・ラヴは、一面できわめて生産的でしたが、ということはつまり、きわめて破壊的な「運動」でもありました。世界音楽中心としてのハリウッドが息の根を止められるのはもうすこし先のことになりますが、やがて命取りとなる宿痾の病を得たのは1967年のことです。

子どもたちが会社のいいなりに音楽をつくる(ようなふりをする)時代は終わろうとしていました。聴くに堪えないほど下手でも、「自分たちの」音楽を「自分たちで」つくることが時代の気分となり、モンキーズが自分たちでやった悲惨なトラックが生まれたりしたわけです。プロフェッショナルの力を借りないのが立派なこととなり、アメリカのメイジャーなバンドの平均レベルはこの時点で一気に下落しました。ドアーズのように、セカンド・アルバムで突然、ド下手になったバンドを、皆さんもまさかお忘れじゃないでしょう?

しかし、これは「通過儀礼」というもので、大人になるにはそういう屈辱に耐えなければならないのでしょう。スタジオ・プレイヤーが商売として成り立ちにくい時代がすぐそこまできていました。まもなく、全体の演奏レベルは旧に近いところにまで快復し、すぐれたプレイヤーたちも誕生することになります。そのころには、音楽そのものが内面で崩壊を起こし、意味を失いはじめるのは、またべつのコンテクストに属する話なので、ここではそこまで立ち入りません。

◆ うたげ果てて…… ◆◆
祭りの後始末というのはじつに味気ないもので、いまさらAll You Need Is Loveなどという曲は取り上げなければよかったかもしれません。ビートルズもまた、このあたりが「社会的なピーク」で、ここから先は、彼らの存在自体が音楽という小さな枠組みのなかに閉じこめられていきます(もちろん、それがノーマルなのですが)。

十代の子どもも、新しい潮流に気を奪われ、ビートルズがなにか出しても、あわててレコード屋に駆け込んだりはしなくなります。個人的には、Magical Mystery Tourまでは「社会的イヴェント」への参加の気分で買いましたが、いわゆるWhite Albumは、オブラディ・オブラダとかいう我慢のならない曲がヒットしたせいもあって、まったく興味をもちませんでした。

スティーヴ・ウィンウッドとマイケル・ブルームフィールドとジミ・ヘンドリックスとプロコール・ハルムとキンクスとグレイトフル・デッドと、その他あれやこれや山ほどあって、ビートルズの面倒までは見きれなくなったのです。

そう、ちょうど、ビートルズを聴きはじめたころ、エルヴィス・プレスリーに対してもっていた「ちょっと昔の時代遅れの人」という感覚を、もうファビュラスではなくなった4人組にももちはじめたのです。いつ解散しても関係ないという気分だったのですが、さすがに映画Let It Beは、学校をサボって、いまはなき京橋のテアトル東京まで見にいった……なんてことはずっと先の話で、いまはとりあえずどうでもいいのですが。

あの「気分」は翌年の夏ぐらいまでは残響し、じつに楽しい時代をすごすことができました。All Summer Long×2と、残りの人生を交換する価値があるかどうかは微妙ですが、時代はそういう風に推移したのだから、われわれにはどうすることもできません。

もっともよい時期に、もっともよい年齢で遭遇したわれわれの世代が、以後の音楽を、付け足りの余生みたいな気分で、聴くでもなく、聴かぬでもなく、ぼんやりとパスしたのは、まあ、しかたのない運命、払わなければならない税金だったと思っています。たとえ余生ではあっても、ときには、ジム・ゴードンのライド・シンバルの素晴らしさを発見するといった、輝かしい一瞬もあったことですし、さして不満があるわけではありません。

さて、これをもってサマー・オヴ・ラヴへの短い寄り道を終わり、つぎからはノーマルな(かどうかは、その場になってみないとわかりませんが)夏の曲に戻る予定です。
by songsf4s | 2007-08-14 22:58 | 「愛の夏」の歌
announcement 2 体調不良にて休養

なにも更新がなくても来てくださる方がいらっしゃるので、ほったらかしにもできず、また言い訳です。

持病が再発して、寝込んでおります。多少は回復しましたが、あと何日かは更新できないだろうと考えています。過去の記事のあら探しというのも楽しいのではないかと思いますが(われながら、いくつか変なことを書いていると思います)、しばらくは新しいものはでてきませんので、どうかご容赦を。

わたしはクラシックなIBMのメカニカル・キーボードを使っています。メカニカル・キーボードというのは、非常にタッチがよくて、一度使ったら手放せないものですが、パーカッションになるのじゃないかというほど派手な音をたてます。いまこうしていても、キーボードの音が耳に突き刺さるようです。ということは、しばらくは音楽など聴けないということでして、少々お時間をください。

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体調不良にて休養中のジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスのメンバーたち

by songsf4s | 2007-08-06 02:32 | backstage news
Somebody to Love by Jefferson Airplane
タイトル
Somebody to Love
アーティスト
Jefferson Airplane
ライター
Grace Slick
収録アルバム
Surrealistic Pillow
リリース年
1967年
他のヴァージョン
live versions of the same artist
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◆ 長めの前史 ◆◆

本日も、商売人たちが仕組んだ、お調子者のためのサマー・オヴ・ラヴ40周年便乗のそのまた便乗をつづけます。いちおう、それらしい曲を看板に立てましたが、あくまでも看板で、周辺のことも書きます。

ビートルズのRevolver(66年)のときから、なにか変な感じがしていました。同じころに大ヒットしたビーチボーイズのGood Vibrationsも、そのまえの(という時間感覚で記憶していますが)Sloop John B.とはだいぶようすの違う曲に聞こえました。

f0147840_23524297.jpg当たり前じゃんか、というのはリアルタイムでご存知ない方です。たとえいまは古典の地位を獲得した曲であっても、同時代にあってはヒット・チャートをにぎわしている「流行歌」なのです。同じ流行歌だけれど、それぞれスタイルがちがうにすぎません。まえのSloop John B.は、わたしはキングストン・トリオのヴァージョンでもっていたので、「そういう曲」と理解していましたが(両者とも、ストライプのボタンダウンのシャツを着たパブ・ショットが有名で、ある意味で「同じくくり」にできなくはなかった)、そこから考えると、Good Vibrationsは、まったく異なるカテゴリーの曲でした。

f0147840_2354303.jpgあ、それ以前にもう1曲、ちょっと引っかかったものがありました。ヤードバーズのHeart Full of Soulです。クラプトンのヤードバーズではなく、先鋭化したジェフ・ベック時代のヤードバーズです。あのとき、リアルタイムでHappening Ten Years Time Agoを聴いていれば、ギターの扱いにもっと驚いていたと思うのですが、幸か不幸か、Heart Full of Soulしか知らなかったので、なんか変な曲だ、と思っただけでした。

そのつぎに引っかかったのは、ラジオで2、3回聴いただけの、エレクトリック・プルーンズI Had Too Much to Dream (Last Night)です。これはHeart Full of Soulどころではなく、イントロのギター(というかサウンド・イフェクト)からして、すごく変だ、と思いました。

f0147840_2356239.jpg「ミュージック・ライフ」には、マーシャルのアンプを数台、直列につなげてギターの音をつくった、といった紹介があり(つまり、フィードバックさせたといいたいのかもしれません)、このころはまだハイプをまともに信じる子どもだったので、すごいなあと、マーシャルのアンプがどんなものかも知らないのに感心しちゃいました。マーシャルはたぶんジミヘンが有名にしたのであって、それ以前は、ギターアンプの最高峰はフェンダー・トゥイン・リヴァーブでした。いまでも、そっちのほうがいいという人は、わたしを含めていっぱいいることでしょう。大きな会場での出力の問題もあって、マーシャルが増えていったのではないでしょうか。えーと、どこからここに迷い込んだのだったか……。

プルーンズの「今夜は眠れない」(原題は「昨夜は夢ばかり見てよく眠れなかった」という意味だから、きっと今夜も眠れないだろう、なんだ、考えオチかよ、という邦題です)は、いろいろなイフェクトが入っていて、8分でリズムを刻むといったような常識的なギターではなく、なんだよ、これは、と思いました。

今夜はこの曲を取り上げようかな、と思ったのですが、セッション・プレイヤーが多数混入または百パーセント混入の疑いが強くて、「またか」といわれるのも業腹なので、これはリンボーの闇に転送しました。ひとつだけいっておくと、あのプロフェッショナルたちが、先鋭的なガレージ・バンドみたいな音をつくったことに、いちだんと尊敬の念を深めます。恐るべきプレイヤー集団です。

◆ さらに長めの前史 ◆◆
66年から67年はじめにかけて登場した、こうした一連の「変な曲」「変なアルバム」のおかげで、もっと変なものが出てきても、驚くというよりは、納得できる状況ができあがりました。真打ちは、プルーンズと同じ時期に登場したStrawberry Fields Foreverです。

この曲の歴史的評価はどうであれ、あの時代にあっては、もっとも先鋭的なサウンドをもつ流行歌でした。それまでの、たとえば、She Loves You的な流行歌の基準からいえば、考えられないほどアヴァンギャルドで、それがチャートを駆け上がっていき、ラジオからガンガン流れてきたのが、67年はじめという時期でした。

ビートルズが、Rovolverの路線をさらに先鋭化した方向へと傾斜しはじめたことが明らかになったのだから、いまふりかえれば、ほかのアーティストが、その方向でヒットを生む機は熟していたことになります。

f0147840_23573256.jpg反論したくてウズウズしている人もいるかもしれないので、急いで付け加えておきます。ビートルズが単独で「その方向」を開拓したのではありません。どちらかというと、彼らは、すでに伏在していた「気分」をすくいあげて、白日の世界に提示しただけというべきでしょう。ああいうものが受け入れられる素地は、すでに十分にできていたのです。そういう地下というか、表皮のすぐ下にうじゃうじゃと、「その方向」のバンドが英米の各地に簇生していたことが、PebblesやNuggetsといったコレクションに結実した考古学的研究の結果、いまでは明らかになっています。

これで、本題に入る準備がようやく整いました。極東の中学生の場合も、変な方向に飛び込んでいく下地はすっかりできていたのです。

◆ ライトショウ ◆◆
あれはいつのことだったのか、もう記憶があいまいなのですが、67年のたぶん初夏のことでしょう。いつものように、朝の番組「ヤング720」を見ていたら、とんでもないものが飛び込んできました。こんな雰囲気の絵です。

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ジェファーソン・エアプレインのSomebody to Loveという曲で、ステージではこういう幻想的な演出をしているとかなんとか紹介されました。たしか、すでにライトショウのことは雑誌で読んでいたと思います。これがライトショウというものか、と中学生は興奮しつつ(いまではべつにどうということのない演出ですが、あの時代にあってはちょっとした驚きでした)、カッコいい曲だなあ、と思ったのでありました。リード・シンガーもなかなか美人のようでしたし!

長々しい前史を書いたのは、エアプレインのサウンドとライトショウが、まったくのエイリアンではなく、どちらかというと、無意識のうちに待望されていたものが、現実として目の前にあらわれたという、当時の子どもの印象をわかっていただくためでした。

f0147840_00161.jpg最初の雨粒の大部分が、地表に届く前に蒸発してしまうように、66年のあいだは、こうした伏在する気分はなかなか表面には出てこなかったのですが、素地ができあがり、そこに乗るすぐれた楽曲がでてきたことによって、ここからは、サマー・オヴ・ラヴ的な曲が続々と登場します。いや、「続々」というのは、それを望んでいる子どもの印象にすぎないかもしれませんが、ほぼ同じころにビートルズが一年ぶりのアルバム(本来は半年に1枚のスケデュールだったので、解散説がかまびすしくなるほどの遅れだった)であるSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandをリリースしたところで、その気分は爆発といえるほどまでに昂まっていったのです。

◆ 尋常な歌詞 ◆◆
せっかくだから、いつものようにSomebody to Loveの歌詞を検討しますが、どうこういうようなものにも思えません。プルーンズの「昨夜は眠れなかった」にも同じことがいえます。いや、そもそも、曲自体はあちらはプロのソングライターが書いたもので、とくに時代を反映したものではなく、ただただサウンド作りが先鋭的だったにすぎません。

When the truth is found to be lies
And all the joy within you dies

ファースト・ヴァースはたったこれだけです。中身より、この尋常でない構成のほうに特徴があるといっていいほどです。「真実と思ったものが偽りとわかったとき、あらゆる喜びが死ぬ」と、これでわずか8小節。すぐにコーラスに突入します。

Don't you want somebody to love
Don't you need somebody to love
Wouldn't you love somebody to love
You better find somebody to love

あまり意味があるとはいえないし、シンプルなので、日本語なんかにはしませんが、これまた8小節で、短いギター・ブレイクがあり、すぐにヴァースに戻ります。子どもとしては、曲がはじまったとたんといっていいほど「浅い」ところに出てくるギター・ブレイクが気になりました。

When the garden's flowers, baby, are dead, yes
And your mind, your mind is so full of red

f0147840_045741.jpgセカンド・ヴァースでやっと、サイケデリックっぽいというか、歌の世界では当たり前とはいえない表現が出てきます。庭の花が枯れれば(「死ねば」といっていますが)、あなたの心は赤でいっぱいになる、って、なんのことかわかりませんが、わからない詩はそのままにしておくにかぎります。まあ、ジョン・レノン自身の解説で、Strawberry Fields Foreverの「It must be high or low」の意味がわかったりすることもあるわけで、書いている当人は、明確な意図を持っていたのかもしれません。とりあえず、「花」と「死」と「赤」は「縁語」のようなものにわたしには思える、とだけいっておきます。

どうせ短いので、最後のヴァースも写しておきます。

Tears are running, they're all running down your breast
And your friends, baby, they treat you like a guest

文脈からいうと収まりが悪いのですが、「涙は胸を伝って流れ落ちる」というのは、それ自体、意味がわからないということはありません。なぜ、ここにそういうラインが出てくるのかがわからないだけです。「友人たちはあなたをゲストのようにあしらうだろう」というのもわかりません。guestという語に悪い意味はないはずだが、と思って辞書を引くと、「《廃》 他国者, 異国人」という使われなくなった語義がありました。このことをいっているのでしょう。唐突にでてくるところがわかりませんが、このライン単独での意味は、「よそ者のように冷たくあしらう」で通じます。

◆ 尋常ではないサウンド ◆◆
ヒットしていた当時も、その後も、この曲の歌詞のことを検討したことなどありませんでした。わかったような、わからないような歌詞であるいっぽうで、三度くり返されるコーラスはおそろしく単純で、だれにでも了解できるものです。たいていの人の印象に残るのは、このコーラスの繰り返しとサウンドだけであって、ヴァースはだれの注意も惹かなかったのではないでしょうか。

f0147840_07411.jpgもちろん、日本人の中学生も、歌詞などまったく気にしませんでした。歌詞だけ見ているとわかりませんが、この曲の構成は、正確には、ヴァース/コーラス/ギター・ブレイク/ヴァース/コーラス/ギター・ブレイク/ヴァース/コーラス/長めのギター・アウトロ、と表現するべきです。コーラス同様に、何度も短いギター・ブレイクが登場する構成が、きわめてunusualでした。中学生は、全体のサウンドの雰囲気と、ヴォーカルとギターを同列においたこの構成に強く惹かれたのです。

また、忘れてはならないのが、ジャック・キャサディーのベースです。この最初のヒット曲からして、彼のプレイが全体を支配しているといっていいほどで、この人がいたおかげで、サンフランシスコのバンド全体のレベルがあがったとまで考えています。デッドのフィル・レッシュに強い影響をあたえただけでも、彼はアメリカ音楽史に大きな貢献をしたといっていいでしょう。中学生のわたしはキャサディーの大ファンになりました。

◆ デイヴ・ハーシンガー ◆◆
その盤が録音されたのはどこのスタジオか、などということを気にするのは、健康な音楽ファンのやることではないでしょうが、ジャケットをひっくり返して、裏側の文字を読んでいると、ときに、ささやかな洞察に至ることがあります。

まずは、Somebody to Loveが収録されたジェファーソン・エアプレインのセカンド・アルバム、Surrealistic Pillowの裏ジャケをどうぞ。

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ジョーマ・コーコネンの左肩には「RECORDED IN RCA VICTOR'S MUSIC CENTER OF THE WORLD, HOLLYWOOD, CALIFORNIA」とあります。ひどく大げさな名前ですが、これはハリウッドのRCAスタジオのことです。エルヴィスも使ったことがあるし、モンキーズもここで録音していました。もちろん、ほかのアーティストも多数。

コーコネンの頭の上には「RECORDING ENGINEER: DAVE HASSINGER」と書かれています。ハーシンガーは、ストーンズのハリウッド・セッションのエンジニアを務めた人です。

つぎは、グレイトフル・デッドのワーナーからのデビュー盤のクレジット。

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ご覧のとおり、プロデューサーはデイヴ・ハーシンガーとあります。

つまり、サンフランシスコのバンドの先陣を切ってメイジャーと契約をむすび、のちのちまでサンフランシスコ・サウンドの代表といわれる二つのグループは、ハリウッドで録音していたということです(デッドはまもなく本拠地のウォーリー・ハイダーのスタジオを使うようになる)。

彼らがエレクトリック・プルーンズのように、スタジオ・ミュージシャンを使ったといいたいのではありません。デッドは百パーセント自前、エアプレインは、ひょっとしたら、セッション・ギタリストの助けをいくらか借りたかもしれない、といった程度です。キャシディーはうまいし、ドラムのスペンサー・ドライデンもまずまずの腕です。

そもそも、ドライデンはジャズ・ドラマーで、デビュー時のエアプレインのドラマー、スキップ・スペンスが抜けて(ギタリストしてモビー・グレイプをつくる)困っていた彼らのマネージャーに相談を受けたアール・パーマー(やっぱり「関係者」が出てきました)が推薦したのだそうで、要はスタジオ・プレイヤーと似たような立場でエアプレインの録音とライヴで叩いたのです。スタジオ・ドラマーになるほどの腕はないが、ツアーならば十分にやっていける、という意味でアールは彼を推薦したのでしょう。そうじゃなければ、スタジオ・ドラマーとして推薦します。ハル・ブレインはアール・パーマーの推薦のおかげでスタジオに入ったのであり、ジム・ゴードンはハル・ブレインの推薦でスタジオの仕事を得たのです。

よけいなところに入り込んでしまいましたが、あの「サウンド」は、いま思えば、エアプレインがつくったのではなく、ハーシンガーがつくったにちがいありません。

ちょっとアンフェアなのですが、いままでカードを一枚伏せていました。じつは、エレクトリック・プルーンズのプロデューサー/エンジニアもハーシンガーだったのです。わたしは、いまでは単純に考えています。I Had Too Much to Dream (Last Night)と、Somebody to Loveという、中学生のわたしの耳をグイと引っぱったunusualなサウンドは、プルーンズやエアプレインがつくったのではなく、デイヴ・ハーシンガーがという風変わりなエンジニア/プロデューサーが構想した音だったのだ、というように。

サンフランシスコで生まれたと考えられている「サイケデリック・サウンド」は、じつはハリウッドの職人が、時代の要請するところをうまく読んでつくりあげた、緻密なものだったのだと思います。

◆ 各ヴァージョン ◆◆
f0147840_0125085.jpg今回は、比較対象はすべて同じアーティストです。うちにあるSomebody to Loveの他のヴァージョンは、エアプレインのモンタレーでのライヴと、ライヴ・アルバム、Bless It's Pointed Little Headに収録されたライヴ・ヴァージョンだけです。

モンタレーのライヴは、録音も悪く、プレイも、テンポが異常に速くて、間合いというものがなく、出来がいいとはいいかねます。

それに対して、Bless It's Pointed Little Head収録ヴァージョンは、キャサディーとドライデンがいいグルーヴをつくっているし、グレイス・スリックの歌い方も、モンタレーのときよりずっとシンコペーションの使い方がうまくなっていて、なかなか好ましいヴァージョンです。
by songsf4s | 2007-08-04 23:57 | 「愛の夏」の歌
San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair) by Scott McKenzie
タイトル
San Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)
アーティスト
Scott McKenzie
ライター
John Phillips
収録アルバム
The Voice of Scott McKenzie
リリース年
1967年
他のヴァージョン
live version of the same artist, Petula Clark
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◆ It was 40 years ago today ◆◆
ご存知でしたか? 今年の夏はThe Summer of Loveの40周年記念なんだそうです。たしかに、あれは1967年、今年は2007年、だれでもわかる計算です。ポール・マッカトニーがIt was twenty years ago todayと歌ってから、さらに40年たったわけで、われわれの世代も、あとは消えゆくのみですなあ、ご同輩。Will you still need me, will you still feed me, when I'm sixty-fourも、現実のスケデュールにのる地点まできちゃいましたねえ。いや、まったく。

f0147840_23511235.jpg説明抜きにThe Summer of Loveといっておわかりになるのは同世代ばかりで、以後の世代の非アメリカ人はご存知ないでしょうが、そろそろ辞書にも載ろうかという熟語です。たとえば、グレイトフル・デッドは、「サマー・オヴ・ラヴの精神を残す唯一のバンド」などと評されたりします。いや、宣伝文句みたいなものだから、本気にしてはいけませんが、そういう風にメディアなんかで、説明抜きで使ってよい言葉なのです。

1967年夏になにが起きたかは追々説明するとして(あるいは面倒だから省くか端折るかするとして)、あれがアメリカ人の若者にとっての東京オリンピックだったとしたら、三波春夫の「東京五輪音頭」にあたる曲が、今回とりあげるスコット・マケンジーのSan Francisco (Be Sure to Wear Some Flowers in Your Hair)という、ブロガー泣かせの長いタイトルの曲です。

f0147840_0351666.jpgこの曲と東京五輪音頭を結びつけたのは、わたしが史上初の人間だと思いますが、あの年のことを覚えている方は、はたと膝を叩いたでしょう? このブログをはじめてひと月半、やっと出た場外ホームラン級の卓見だと自負しています。

40周年と騒いで、またカビの生えた音楽を売ろうという企業の赤坂な考え(志ん生はいつも浅はかとはいわないのです)にくみするわけではないのですが、これに乗ると、得なことがひとつだけあるのです。このブログのコンテクストではもちだしようのない曲をもちだせるのです。

今日は東京五輪音頭程度の曲ですませておきますが、ジミヘン、デッド、フー、エアプレイン、ドアーズ、バッファロー・スプリングフィールド、バーズ、オーティス・レディング、なんならスタンデルズ、チョコレート・ウォッチバンド、サーティーンス・フロア・エレヴェーター、シャーラタンズ、アーサー・リー&ラヴ、クリア・ライト(どさくさまぎれに、だれも知らないバンドまでもちだしている)、その他、なんでもありの世界に突入するための布石でありまして、この方面が苦手の方は覚悟のほどを。いや、冗談冗談。あんまりぶっ飛んだものをとりあげると、わたしのほうが奇天烈な歌詞で大汗をかくことになってしまいます。

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ライヴ・デッド

いや、すでにけっこう目が回っています。だって、ついさっきまでは、今日はジャン&ディーンでもやるか、と思っていたのでありまして、急遽、方向転換し、がさがさとHDDを検索して、「そっち」関係をプレイヤーにドラッグしたので、忙しいのなんの。いや、ドラッグぐらいやりますが、音がちがいすぎる……いや、たいしてちがわないか。

◆ ラヴ&ピース ◆◆
では、三波春夫の東京五輪音頭、もとい、スコット・マケンジーの「花のサンフランシスコ」(という邦題でした)であります。作者はジョン・フィリップス、あの「花のカリフォルニア・ドリーミン」(ウソ邦題にご注意)の作者であります。いつものように、サウンドの検討はあとまわしにし、歌詞から見ていきます。

If you're going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair
If you're going to San Francisco
You're gonna meet some gentle people there

たいしたことはいっていませんね。サンフランシスコにいくのなら、かならず髪に花を挿そう、サンフランシスコにいけば、おだやかな人々に会えるだろう、といったところ。「ハア~、ちょいと桑港にゆくのなら、忘れちゃダメだよ、髪に花」とやれば、今年のお盆のダンス・ミュージックに変換可能……なわけないでしょ。

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サンフランシスコのヘイト・ストリートでのグレイトフル・デッドのフリー・コンサート。1966年か。見渡すかぎりずっと向こうまで人、人、人。200ワット程度のアンプなので、聞こえるはずがないのだが……。右端のレス・ポール・プレイヤーはジェリー・ガルシア、ドラムはビル・クルーズマン、左端のベースはフィル・レッシュ。

花が出てくるのは、われわれの世代にとってはあたりまえのことで、なんの説明もいらないのですが、この時期、ヒッピーのことを「フラワー・チルドレン」(ひとりなら、もちろん「フラワー・チャイルド」です)と呼んでいたほどで、ヒッピー・ムーヴメント、平和の象徴であったわけです。「ラヴ&ピース」の時代です。だから「おだやかな人々」が登場するのです。

ほんとうに髪に花を挿したヒッピーが、モンタレー・ポップ・フェスティヴァルの会場にでもいたのだろうかと思い、ちょっと本をひっくり返してみましたが、見あたりませんでした。あのときの写真で中学生の心に強く焼きついたのは、花ではなく、ボディー・ペインティングでした。いまじゃあどこの国のサッカー場でもあたりまえのようですが、あの時代には、ただただ驚きでした。半年ほどのあいだ、「ミュージック・ライフ」から切り取った、モンタレー・ポップの会場の写真を勉強机の前に貼りつけて眺めていたものです。

◆ またしてもアイコンの羅列 ◆◆
以下はセカンド・ヴァース。

All those who come to San Francisco
Summertime will be a love-in there
In the street of San Francisco
Gentle people with flowers in their hair


f0147840_0145936.jpg「ラヴ・イン」がハイフンで結ばれて一語になっています。辞書には「《俗》 ラヴイン 《ヒッピーなどの愛の集会》」とあります。わかったような、わからないような、ですが、そういうことがサンフランシスコあたりではあったのですね。「部族集会」tribal gatheringなんていうのと似たようなものでしょう。明日までにネタを仕込んでおくかもしれませんが、ここは「ヒッピーの集会」ということにして通りすぎましょう。夏になると、サンフランシスコでは「ラヴ・イン」があるのだよ、といっているだけです。

つぎはブリッジです。

All across the nation
Such a strange vibration
People in motion
There's a whole generation with a new explanation
People in motion, people in motion

f0147840_0423131.jpgそろそろ、こういう曲でも、サーフ・ミュージックと同じように、対象となる世界のアイコンを並べるということがおわかりでしょう。ここではvibrationがヒッピー文化特有のアイコンとして利用されています。ブライアン・ウィルソンのGood Vibrationsは1966年秋のナンバーワン・ヒットでした。feelingと意味は同じとみなしてよいでしょう。いまではべつにふつうの意味ですが、当時のいい年をした大人は、vibrationといわれても、振動を思い浮かべたのに対して、tuned-inした若者はすぐにfeelingのことだと理解できたわけです。そのへんの事情は、いまでも同じでしょう。若者は大人には理解できない言葉の用法を発明したがるものです。

3行目のexplanationは「説明」ではなく、「新しい考え方をする世代が存在する」といったあたりに見ておくのが無難かと思います。

◆ モンタレー・ポップのコマーシャル・ソング ◆◆
サウンド的には、このあと、もう一工夫がされているのですが、歌詞としては、セカンド・ヴァースをくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

東京五輪音頭だといった意味がおわかりでしょうか。サマー・オヴ・ラヴなのよ、ラヴ&ピースなのよ、というムードを「All across the nation」で盛り上げようという意図のもとにつくられた、史上初のロック・フェスティヴァルである「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァル」のコマーシャル・ソングなのです。

f0147840_0102553.jpg燃えろ、燃えろ、燃えろ、モンタレーのステージでストラトキャスターを燃やすジミヘン。これはジッポのライター・オイルのコマーシャル?

なんだ、コマーシャル・ソングかよ、とガッカリなさるかもしれませんが、このフェスティヴァルの主催者のひとりであったジョン・フィリップスとしては、半分ぐらいは「時代精神」をまともに信じていたのだろうと思います(三波春夫さんも、東京五輪がもたらす精神の昂揚を信じていらしたのではないでしょうか)。そういうナイーヴな時代、ナイーヴな夏だったのです。

この曲は、1967年7月1日にビルボード4位にまで到達しました。ビートルズのAll You Need Is Loveの世界中継放送の直後にあたります。モンタレー・ポップ・フェスティヴァルもたしか6月下旬だったと思います。われわれ極東の子どもたちも、このころになると、よくわからないなにかがアメリカで起きていることをぼんやりと感じはじめていました。そのあたりのことは、明日以降に書きます。

◆ 出ると思っていたでしょうが…… ◆◆
スコット・マケンジーは、かつてママズ&パパズの連中といっしょにやっていたこともあるフォーキーなので(ジャーニーメンというグループを組んでいた)、パパ・ジョン・フィリップスの助けでスターダムを目指すことになったわけです。みごと、その年を象徴する大ヒットを得たわけですが、あとがつづきませんでした。そこそこ歌える人ですが、それ以上のなにかがあるとは思えないので、リスナーは妥当な判断を下したと思います。

わたしの耳はそこそこ歌えるヴォーカルなどに気をとられたりはしません。当然、ドラムとベースを聴きます。ベースはまちがいなくジョー・オズボーン、ドラムはハル・ブレイン。当然、グッド・グルーヴです。

ママ・パパの録音ではジョン・フィリップス自身もたいていの場合、ギターを弾いていたようで、深夜のセッションで酔っぱらってタイム・キーピングができなくなり、ハル・ブレインと大げんかになったこともあるそうです。ハルは、仕事ではもちろん、ふだんからアルコールは一滴も口にしないそうです。プロなのであります。

しかし、ママ・パパの場合でもトミー・テデスコも加わっていたくらいで、この曲では、フィリップスはルー・アドラーと共同プロデューサーになっているのだから、たぶん、ギターは弾かなかったのじゃないでしょうか。いま、マケンジーのインタヴューを見たら、グレン・キャンベルの名前をあげていました。ほかにラリー・ネクテル。といっても、この曲ではどこにいるのかわかりませんが。

ほかにシタールが聞こえますが、だれでしょうか。ハリウッドのスタジオでシタールものを一手に引き受けていたのはマイク・デイシーだそうですが、弾くのではなく、ミョーンと効果音的に使うのなら、あんなもの、だれだってできますから、だれであっても、ちがいはありません。

◆ オズボーンのストレート・フォース ◆◆
ついでにうと、イントロのヒッピー・ベルは、ママ・ミシェール・フィリップスのプレイです。ハルが、ミシェールにこれを振ってみな、と手渡したのだそうです。さすがは、『ブルー・ハワイ』のセッションにハリウッド中のパーカッションをかき集めて持ち込んだといわれるハルだけあって、パーカッションで「それらしさ」を演出するすべをよく知っています。

f0147840_0464619.jpgとにかく、このトラックは、いや、このトラックも、ハル・ブレインとジョー・オズボーンのグルーヴが決定的に重要な役割を果たしています。あとは付け足りです。エンディング前のストップで、オズボーンにスポットが当たるストレート・フォースのグルーヴなんて、やっぱりすごいものです。こういうシンプルなプレイでこそ、グルーヴのよしあしが露呈します。キャロル・ケイもめちゃくちゃにきれいなストレート・フォースを弾く人でした。

マケンジーは、オズボーンがフェンダー・ベースのフラット・ピッキング・スタイルを発明した、などといっていますが、歌手は歌っていればいいのであって、プレイ・スタイルの歴史なんか知ったことじゃないでしょうに。わたしだったら、だれが発明したなんてことを軽々に断言するような馬鹿なことはぜったいにしません。このころのハリウッドの特徴的なベース・サウンドは、キャロル・ケイ、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルらのフラット・ピッキング・スタイルによってつくられたものである、ぐらいにとどめておくのが賢明です。

オズボーンはリック・ネルソン・バンドにスカウトされた1960年ごろから、ずっとフラット・ピッキング・スタイルだったので、かなり初期のフラット・ピッカーではあります。オズボーンに関心があるなら、リック・ネルソンのカタログは避けて通れません。ぜひ一聴を。ジェイムズ・バートンのギター・ソロまでついているのだから、これほどお買い得なカタログないといっていいほどです。ま、ドラムは、アール・パーマーの時はいいとして、リッチー・フロストはどうということはなくて、そこが困るんですがね。

ハリウッド産のいわゆる「ポップ・サイケデリック」、さらには世間一般では「オーセンティック」とみなされているサイケデリック・ミュージックとの、ハリウッドのバリバリのプロフェッショナルの関わりについては、明日以降にもう一度検討します。まあ、サーフ・ミュージックと同じ構図だと考えておいてください。出来のいいのはプロがつくった偽物、出来の悪いのは素人がやった本物、いつもこれです。

◆ 他のヴァージョン ◆◆
ペトゥラ・クラークは、合っていません。なにかの気の迷いでやってしまったのでしょう。マケンジーがモンタレーで歌ったライヴ・ヴァージョンもありますが、ドラムが下手で、死にそうになります。ベースはオズボーンでしょう。それ以上、とくにいうことべきことはないように思います。
by songsf4s | 2007-08-03 23:54 | 「愛の夏」の歌
announcement 1 ハウス・キーピング・ナイト


このところ、日刊化してしまったので、今夜もそのつもりで訪れる方がいらっしゃるといけないと考え、ご挨拶するだけのために、瞬時に書ける駄文でお茶を濁します。今夜は音楽は休ませていただきます。どうかあしからず。かわりに、たまには、What's Newみたいなことでも書いてみます。新しいことはなにもないのですが。

もうひとつのブログがほったらかしなので、そちらの更新をしたいのと、So Nice (Summer Samba)のヴォーカル盤があまり面白くなく、かといって、ほかの曲を考える時間もないというのが、今夜のおやすみの理由です。落語の「皿屋敷」をご存知の方は、あのサゲを思いだしてください。あのお菊さんのセリフを拝借したいところです。

音楽はなしのつもりでしたが、せっかく時間をかけてスキャンしたり、拾ってきたりしたので、So Nice (Summer Samba)を収録したアルバムのジャケ写を並べます。

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アストラッド・ジルベルト盤がいちばん涼しい音です。コニー・フランシスは、ボックスを買ってみて、おおいに認識を改めたのですが、この人をとりあげるなら、べつの曲にしようと思います。トニー・ハッチがやったものをはじめ、ヒットが出なくなってからのほうが好ましい歌い方、好ましいサウンドになります。ヴィッキー・カーはハリウッド録音で、ハル・ブレインのお得意さんですが、この人の声と歌い方自体はどうにもなじめず、なにもいうべきことを思いつきません。

なお、インデクス・ページはこのところまったく更新していません。夏のあいだはむやみにやるべき曲が多く、8月は310日あってもまったくオーケイなくらいですが、秋になると、月に2曲というあたりまで激減するはずなので(したがって、去りゆく夏を惜しむ歌は、今月末ではなく、暇で暇でしかたのない来月にまわす予定です。ロニー&ザ・デイトナズ・ファン、ロビン・ウォード・ファンの方はそのつもりでいてください)、たとえば10月あたりなど、ほとんどとりあげる曲のない「秋枯れ」の時期にでも更新しようと思っています。どうかあしからず。

右のリンクの「名刺」というのがちょっと気色が悪くて、個人的なことはなにも書かなかったのですが、毎日、数人の方がクリックされているようで、申し訳ありません。いつか気が向いたら、そして、曲に取り組むのが面倒な夜があったら、そんなことを書いてみるかもしれませんが、まあ、アノニマスであったほうがいいだろうと思います。明かすほどの中身ではありませんし。

それでは、明日にはレギュラーのページにもどる予定です。お休みなさい。
by songsf4s | 2007-08-02 22:15 | backstage news
Summer Samba (So Nice) by Walter Wanderley
タイトル
Summer Samba (So Nice)
アーティスト
Walter Wanderley
ライター
Marcos Valle, Paul Sergio Valle, Norman Gimbel(英語詞追加)
収録アルバム
Rain Forrest
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy May, Astrud Gilbert with Walter Wanderley, Connie Francis, Vicky Carr
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今日はインストゥルメンタルでもあるし、手早くいきます。歌詞は、同じ曲の歌ものヴァージョンを扱う明日以降に検討します。といっても、どうという歌詞ではないのですが。

この曲のタイトルにはいろいろなヴァリエーションがあります。オリジナル・タイトルは"Samba de Verao"というそうで、deはofまたはinあたり、varaoはきっとsummerなのでしょう(当てずっぽう)。歌ものの場合は、"So Nice (Summer Samba)"と、ワルター・ワンダレイ盤とは逆にすることが多いようですし、"Summer Samba (Samba de Verao)"としているものもあります。

みな同じ曲なので、HDDに取り込んだ圧縮ファイルを検索するときには、高機能の検索ソフトを使うか、キーワードの工夫が必要になります。みなさんも盤をゴチャゴチャひっくり返さないですむように、ポータブルやHDDに取り込んでいらっしゃるでしょうが、これからはリッピングだの圧縮だのといった当たり前のことより、多元的に圧縮ファイルのタグ(わたしはMP3ではなく、Ogg Vorbisで圧縮していますが)を検索できるソフトウェアのほうが問題になるでしょう。急いでいるくせに、寄り道が多くて困ったものです。

◆ B-3はどこへいった? ◆◆
この曲も、パーシー・フェイスのThe Theme from a Summer Place同様、わたしが子どものころは典型的な「喫茶店音楽」で、あちこちでむやみに流れていました。三十代半ばまでは買おうなどという気はチラとも起きなかったのですが、買おうと思い立ったときには、いまとちがってCDリイシューでなんでもあるという時代ではなく、新品を手に入れることができず、中古LPを買うハメになりました(ただ同然の値段で買えましたが)。なんでもすぐに手に入るのはありがたいことですが、いっぽうで、ありがたみが薄くなったとも感じます。

なんで買う気になったかといえば、80年代なかごろになって、世の中がシンセサイザーで埋め尽くされたとき、ふと、マシュー・フィッシャーのソロ・アルバムを聴いていて、この地上からハモンド・オルガン、正確にはレズリー・スピーカー付きの(これがないと、ハモンドというのはどうしようもなく野暮な音なのです)ハモンドB-3の音が消えたことに気づいたからです。

f0147840_0345871.jpgそこに気づくと、もうハモンドはつぶれたとか、いや、つぶれてはいないけれど、B-3はつくっていないから、生き残ったハモンド・プレイヤーは、中古のB-3を買い集め、パーツをとって修理しているとか、ウソかほんとうかわからない話(たぶんデマでしょう)が聞こえてきて、そんな馬鹿なことがあっていいのか、と憤慨しました。シンセサイザーにはどうやってもあの音は出せません。本家のハモンドが発売したMIDI音源だって、なんだかチープな音で、とても買う気にはなれませんでした。

昔、お茶の水の楽器屋に中古のハモンドB-3がおいてありました。ほしいなあ、と思いながらボンヤリ見ていたら、電源ランプがついていることに気づき、「手を触れないでください」とも書いていないので、どうせレズリーはつなげてないだろう、と思いながら、キーを押したら、ノイジーでワイルドなレズリーのすさまじい音がドカーンと来て、仰天したことがあります。いい楽器というのは、鳴らした瞬間、魂が宙に飛ぶことがあるわけですが、あの店頭で聴いたレズリー付きハモンドB-3の「ド」の音は、一生忘れないでしょう。

◆ ドロウバー・セッティングに命をかける ◆◆
わたしが音を出してみたB-3は、しいていうと、フィルモアのライヴのときのスティーヴ・ウィンウッドみたいな、トレブルの強い、きつい音でした。しかし、レズリー付きハモンドの音は、ドロウバー・セッティングによって千変万化します。マシュー・フィッシャーは青い影のときはB-3ではなく、C-3か、なにかほかのモデルを使ったそうですが、いずれにしても、オルガン・プレイヤーの命はドロウバー・セッティングです。魅力ある自分の音色をつくれたプレイヤーが名を残すのです。

子どものころはいやっというほど聴いた、ワルター・ワンダレイのSummer Sambaの音は、20年後に、ものすごく貴重なものになっていました。ワンダレイの音色は、スティーヴ・ウィンウッドやブッカー・Tのような系統ではなく、ジミー・スミスやマシュー・フィッシャーの系統(後者はワンダレイよりずっとあとにデビューするわけですが)のクールなサウンドです。

曲がヒットするかどうかは、もちろん曲の出来ということが第一でしょうが、毎度申し上げるように、サウンドの手ざわりも同じように重要です。ワンダレイの成功の鍵もやはりドロウバー・セッティングにあったのではないかと思います。タイトル通り、夏に聴くには最適のクールなサウンドになっています。もっとも、リリースが遅かったのか、この曲がビルボード・チャートでピークに達したのは十月下旬のことだったのですが。

f0147840_0422287.jpgワンダレイはブラジルの出身で、そちらですでに名を成してからアメリカにきて、この曲を含むアルバムRain Forrestが、最初のアメリカ録音だったそうです。録音はニュージャージーのヴァン・ゲルダー・スタジオ、エンジニアは当然、ルディー・ヴァン・ゲルダー、プロデューサーはクリード・テイラー、ま、そのへんはどうでもいいといえばどうでもいいのですが、この曲がシングル・カットされたのは、メンバーの強い反対があったにもかかわらず、「わたしは諸君よりこの市場のことをよく知っている」とテイラーが押し切ったおかげだったそうです。プロデューサーが「ちゃんと仕事をした」というべきでしょう。

このアルバムのドラムとパーカッションはボビー・ローゼンガーデンです。この人が東部に引っ越したおかげで、パティー・ペイジ・ショウのドラマーが不在になり、ジャック・エリオットの仲介で、ハル・ブレインがあと引き継ぐことになりました。以前にもちょっとふれましたが、パティーの夫君、チャールズ・オカーランはパラマウント映画の振付師で、彼がエルヴィスの『ブルー・ハワイ』の振り付けをすることになり、挿入曲のドラマーとしてハルを推薦したことから、ハル・ブレインの運も開けていきました。

◆ ビリー・メイ盤 ◆◆
この曲のカヴァーで、インストものとしては、あとはビリー・メイのヴァージョンをもっています。オーケストラ・リーダーであり、フランク・シナトラのアレンジャーをつとめた人です。しかし、彼の全盛期は40年代、50年代だったようで、この曲のカヴァーは、かつてのビリー・メイ・オーケストラのゴージャスなサウンドではなく、(もちろん曲調のせいもあったのでしょうが)ほぼワンダレイ盤を踏襲したもので、コピーといわれても反論はできないようなものです。

f0147840_058946.jpgただし、並べて聴くと、だれがプレイしたか知りませんが、ドロウバー・セッティングに工夫が感じられます。音色だけでいうなら、わたしはワンダレイよりこちらのほうが好みです。録音・リリース・デイトが不明なのですが、ワンダレイよりあと、それほど遅くない時期のはずで、60年代終わりではないでしょうか。ビリー・メイはハリウッドの人ですから、知っているプレイヤーがやっているかもしれないと思うものの、音からは判断できませんでした。
by songsf4s | 2007-08-01 23:54 | 夏の歌