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カテゴリ:夏の歌( 35 )
Disney Girls その2 (by Bruce Johnston)
タイトル
Disney Girls
アーティスト
Bruce Johnston
ライター
Bruce Johnston
収録アルバム
Going Public
リリース年
1971年
他のヴァージョン
The Beach Boys, Cass Elliot, Papa Do Run Run
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「Disney Girls その1」よりつづく)

◆ 食卓の光景 ◆◆
つぎはセカンド・ヴァースの後半です。

Country shade and lemonade
Guess I'm slowing down
It's a turned back world
With a local girl in a smaller town

この1行目も好きなラインです。shadeとlemonadeの響きもいいのですが、この2つの単語で思いだすことがあるのもここが好きな理由です。ずっと昔の初夏、日本では見たことのないような巨木の日陰で、アメリカの田舎町のお母さんがつくったレモネードを飲んだのです。あんなにうまいレモネードは、後にも先にも知りません。田舎とレモネードが並べられている理由はわかりませんが、わたしはこのラインを聴くたびに、あの巨木の日陰で飲んだレモネードを思いだします。

そして、そこから「そろそろスロウ・ダウンしようかな、小さな町での地元の女の子との後ろ向きの世界へ」とつづくわけで、われわれもリラックスして、いい気分になってきます。

セカンド・コーラスは略して、ブリッジに。

Love...hi Rick and Dave, hi pop, good morning mom
Love...get up guess what
I'm in love with a girl I found
She's really swell
Cause she likes church bingo chances and old time dances

この1行目も好きです。言葉のリズムと音のリズムがきれいに合っているということがひとつ。もうひとつは、朝の食卓の光景が眼前に彷彿としてくることです。都会の朝の食卓ではありません。自分のことを考えてみても、70年代にはもう、朝、家族がそろって食事できるような生活ではありませんでした。アメリカだって、都会ではそうでしょう。これは田舎町の朝の光景なのです。

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Disney Girlsが収録されたブルース・ジョンストンのGoing Publicのジャケット裏

朝の挨拶を並べただけで、明瞭なイメージを提示しているこのラインはすばらしいと思います。ほかは簡単に「ハイ」ですませているのに、お母さんにだけは「お早う」といっているのは、たんなるシラブル合わせかもしれませんが、「あ、ここでお母さんの頬にキスしているんだな、そうしないと機嫌の悪いお母さんなんだ」なんて勝手に想像をふくらませてしまいます。説明ではなく、描写を心がけなければいけないというのは、映画や小説ばかりでなく、歌詞にもいえます。

しかし、ここまでで終わりにしておけばよかったのではないでしょうか。これ以降のサード・ヴァースとサード・コーラスは蛇足のように思えます。このブリッジで「ねえねえ、なにがあったと思う? 女の子を見つけちゃったんだよ!」といっている、その女の子との、現実だか夢想だかわからないことが、最後のヴァースとコーラスで描かれていますが、ここまでは過去のゆったりとした生活の描写だったのが、ここからは凡庸なラヴ・ソングに堕していく感じで、やや興醒めです。ただし、

I got my love to give and a place to live, guess I'm gonna stay

というラインには、遠くOld Cape Codが木霊しています。この曲は、ブルース・ジョンストン版Old Cape Codなのだと思います。

◆ 各ヴァージョン ◆◆
アート・ガーファンクルなどのヴァージョンもあるようですが、ここではわが家にある4種のみを比較します。

最初のビーチボーイズ盤は、これしかなかったとしても、好きな曲に数え上げていたであろう出来にはなっています。

しかし、もっともよく聴いたのは、77年にリリースされたブルース・ジョンストンの久しぶりのソロ・アルバムGoing Publicに収録されたセルフ・カヴァー盤です。ビーチボーイズ盤が、ドラムとベース、マンドリン、複数のギター、ピアノ、そしてハーモニーで飾られていたのに対し、ブルース・ジョンストン盤は、大部分はピアノ2台とベースのみをバックにしています。

聴きやすいのはビーチボーイズ盤でしょうが、歌詞が心に響くのはブルース・ジョンストン盤のほうです。ヴォーカルに強いイフェクトをかけているところに違和感を覚えなければ、そして、ビーチボーイズ盤でこの曲にすでになじみになっていれば、こちらのヴァージョンがお気に召す方もいらっしゃるでしょう。

Surf's UpとGoing Publicの中間、1975年に、ブルース・ジョンストンは、パパ・ドゥ・ラン・ランというグループの名義でこの曲をやっています。アナログ起こしのCDで、音質はよくないのですが、ブルースの歌い方は、このヴァージョンがもっとも素直で、好ましい感じもします。よけいなイフェクトをかけていないところも好きです。

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パパ・ドゥ・ラン・ランのDisney Girlsを含むThe Complete Collection of California Music。アート・ディレクションはフィル・スペクター研究家の大嶽好徳さん。大嶽さんの「The Wall of Hound」には右のリンクからどうぞ。


◆ キャス・エリオットと失われたチャンス ◆◆
純粋なカヴァー盤としては、“ママ”・キャス・エリオットのものがあります。ビーチボーイズ盤を踏襲したアレンジですが、ストリングスも加えられていて、ステージを念頭においた録音ではないかと感じます。テレビやラス・ヴェガスで活躍した人ですから。

ブルース・ジョンストンの訥々たる歌いっぷりの対極にある、ショウマンシップ、ではない、ショウウーマンシップに富んだシンガーだったので(早世しなければ、ベット・ミドラーのライヴァルになっていたでしょう)、この盤がもっとも聴きやすいと感じるリスナーもいらっしゃるでしょう。

f0147840_213623.jpgでも、個人的には、この曲はやっぱり男の歌だと感じます。女性シンガーが歌うなら、方法はひとつしかありません。いうまでもなく、パティー・ペイジ・スタイルの完全コピーです。もちろん、ヴォーカルはダブル・トラック。

こういうことは、シンガーではなく、プロデューサーが考えなくていけないことです。ルイス・メレンスティーン。聞いたこともない名前ですが、ダメなプロデューサーの代表として記憶することにします。この人がボウッとしていたか、音楽のことに無知だったか、想像力または芝居っけに欠けていたせいで、キャスにパティー・ペイジをやらせるという、考えるだけでも楽しくなるシャレを実現するチャンスは永遠に失われました。

とはいえ、わたしはママズ&パパズのときからキャスの声が好きですし、彼女の「ゆるい」キャラクターはこの曲には合っていて、悪くないヴァージョンではあります。

どのヴァージョンもそれぞれに悪くない出来で、結局、楽曲の「素性がよい」ということなのでしょう。夏の昼下がりに「スロウ・ダウン」するには恰好の歌でしょう。
by songsf4s | 2007-07-14 21:49 | 夏の歌
Disney Girls その1 (by the Beach Boys)
タイトル
Disney Girls
アーティスト
The Beach Boys
ライター
Bruce Johnston
収録アルバム
Surf's Up
リリース年
1971年
他のヴァージョン
Cass Elliot, Bruce Johnston, Papa Do Run Run
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◆ ノスタルジーの入れ子構造 ◆◆
ブルース&テリーのSummer Means Funパティー・ペイジのOld Cape Codとくれば、多くの方が連想するように、必然的にDisney Girlsへと進みます。パティー・ペイジからの連想の糸はふたまたに分かれるのですが、まずは、後年、Old Cape Codを引用したというか、たぶん、この曲の直接の子どもとして生まれたのであろう歌を聴きましょう。

テレビドラマというものを見ない人間なので(「CSI」だけはべつですが)、なにがきっかけでそうなったのかわからないのですが、ここでとりあげるDisney Girlsは、一度もヒットしたことなどないのに、一時期、むやみにテレビから流れてきました。タイトルを知らなくても、音を聴けば、ああ、あれか、と思いだす方も多いのではないでしょうか。

1968年から73年までは、ビーチボーイズの暗黒時代といっていいのではないかと思いますが(音楽的にいいものがないといっているのではないので、誤解なきよう。キャリアのうえでのことです)、この曲はその最中、1971年にリリースされたアルバムSurf's Upに収録されました。暗緑色の陰鬱なジャケット・イラストレーションは、意味がわかりません。この絵ではSurf's Upが「波立ちぬ」とは解釈できず、どちらかというと「俺たちの負けだ、サーフィンは終わった」といっているように思えたものです。

f0147840_22232267.jpgそれだけに、74年夏の2枚組編集盤Endless Summerの大ヒットによる復活は印象的でした。60年代には、わたしはビーチボーイズの熱心なファンではなかったので、かえってよくわかるのですが、Endless Summerのヒットは、嵐の時代をくぐり抜け、平穏で退屈になったときの「あっ、そうだ、ビーチボーイズがいたじゃん!」という「底流としての気分」を掘り起こしたからにちがいありません。

Disney Girlsは、そうしたこととパラレルになっているというか、入れ子構造のようになっていると感じます。ブルース・ジョンストンがこの曲で描こうとしたのは、「ビーチボーイズの時代」よりもさらに以前の時代です。ビーチボーイズそのものがノスタルジックな存在になったとき、この曲は、売れなかったLPのたんなるアルバム・トラックという位置から、大きく浮上していきました。

◆ トゥッツィー・ロール ◆◆
恒例によって歌詞を検討します。ブルース・ジョンストンの後年のセルフ・カヴァー盤では、一部歌詞を変えていますが、ここではオリジナルのビーチボーイズ盤を使います。最初は4行1連かと思ったのですが、それではおかしいので、8行1連のヴァース/コーラス/ヴァース/コーラス/ブリッジ/ヴァース/コーラスという構成とみなします。

あまり面白みはないし、意味も不明瞭ですが、飛ばすわけにもいかないので、まずファースト・ヴァースの前半。

Clearing skies and drying eyes
Now I see your smile
Darkness goes and softness shows
A changing style

空は晴れ、涙は乾き、きみの笑顔が見える、暗闇は去り、穏やかさが変わりゆくスタイルを示す。わたしの駄訳も意味不明ですが、元も意味明瞭とはいいかねます。Clearing skiesという歌い出しは印象的ですが、作詞家がどこにいこうとしているかはまだ見えません。

ファースト・ヴァース後半でもストーリーは見えませんが、最後の行は耳を惹きます。

With kisses and a Tootsie Roll


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欧米の菓子類はあまり好まないので、食べたことがありませんが、トゥッツィー・ロールは「チョコレート味のキャンディー」なのだそうです。トゥッツィー・ロール社のウェブ・サイトによると、19世紀末からあったものだそうで、キャンディー版コカコーラとでもいうべき、きわめてアメリカ的存在のようです。わたしの世代の日本人でいうと、たとえば「マーブル・チョコレート」という言葉で思いだすようなことがらを連想させようとして、このキャンディーがファースト・ヴァースの末尾にポンとおかれたわけです。この曲がどこへ向かうかを示す最初の兆候です。

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1955年の「ナショナル・コミック」誌掲載の広告だそうです(部分)。ブルースもこういうイメージを喚起しようとしたのかもしれません。

◆ 同時代否定、過去への回帰 ◆◆
つづくファースト・コーラスで、これがなんの曲なのかということが、一気に、直接的に表現されます。

Oh reality, it's not for me
And it makes me laugh
Fantasy world and Disney girls
I'm coming back


「現実なんて興味がないし、笑っちゃうよ、ファンタシーの世界、ディズニー・ガールズにもどるんだ」というわけで、現実否定、同時代否定の歌なのです。ディズニー・ガールズというのは、タイトルになっているのだから、重要にちがいないのですが、これについては研究不足です。アネットのことが念頭にあるのでしょうか。「マウスケティアーズ」でしたっけ? われこそはと思う方、助け船をどうぞ。

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ブラザー・レコード時代のビーチボーイズのベスト盤Ten Years of Harmony。Disney Girlsも収録されている。

going backではなく、coming backとしたことにも意味があると思うのですが、深く考える能力も時間もないので、棚上げにします。しいていうと、「Iターン」ではなく、「Uターン」のニュアンスをもたせたというあたりでしょうか。

◆ パティー・ペイジというアイコン ◆◆
さて、いよいよ佳境です。パティー・ペイジのOld Cape Codは夏の歌なのだと言い切ってしまった(Old Cape Cod by Patti Pageの記事)根拠のひとつは、このセカンド・ヴァース前半にあります。

Patti Page and summer days
On old Cape Cod
Happy times making wine
In my garage


「パティー・ペイジと懐かしいコッド岬の夏の日々、ガレージでワインをつくった幸せな時代」とあります。パティー・ペイジのもっているイメージを借りて、自分が描こうとしているものを端的に表現したわけで、ある種の本歌取りといえるでしょう。

じっさい、曲調は、なんならパティー・ペイジが歌ってもかまわないようなものになっています。パティー・ペイジのOld Cape Codをイメージしながらつくったのでしょう。同時に、パティー・ペイジというアイコンによって、50年代の生活を思いださせようとしているのは、もちろんのことです。同じ50年代でも、エルヴィスとJailhouse Rockでは、この場合はぐあいが悪いのはいうまでもありません。ついでにいえば、ハル・ブレインはパティー・ペイジのことを「生粋のカントリー・ガール」といっています。

(以下、「Disney Girls その2」につづく)
by songsf4s | 2007-07-13 22:40 | 夏の歌
Old Cape Cod by Patti Page
タイトル
Old Cape Cod
アーティスト
Patti Page with Vic Schoen & His Orchestra
ライター
Claire Rothrock, Milt Yakus, Allan Jeffrey
収録アルバム
A Golden Celebration
リリース年
1957年
 
 
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以前、友人に、フィルコの電蓄でパティー・ペイジのTennessee Waltzを聴かせてもらったことがあります。衝撃を受けました。LPとはまったくちがう音で鳴っていたのです。こういうものは、CDはおろか、LPで聴いてもダメだ、蓄音機か電蓄で、SP盤を聴かなければいけないのだ、と思いました。SPに閉じこめられていた「音の手ざわり」が、真空管アンプならではのやわらかさで宙に解放された一瞬の感動は忘れがたいものです。

しかし、わが家には蓄音機も電蓄もないので、わたしは、ときおりCDを引っ張り出して、(あろうことかBOSEのスピーカーで)パティー・ペイジを聴きます。前言を翻すようですが、CDでもやっぱり、ほかでは味わえない雰囲気が感じられます。もちろん、SPで聴ければ申し分ないのですが、CDでも、独特な音の手ざわりがそこにあります。パティー・ペイジというのは、はじめからそういうシンガー、リアルタイムで聴いても懐かしい人だったのではないでしょうか。パティーの懐かしさは、Tennessee Waltzよりも、むしろこの曲に凝縮されていると思います。

◆ タラの岬にて ◆◆
このOld Cape Codという曲には季節は明示されていません。なぜ夏の歌にくりこんだかはあとで説明するとして、とりあえず、ファースト・ヴァースを見てみましょう。

If you're fond of sand dunes and salty air
Quaint little villages here and there
You're sure to fall in love with old Cape Cod

砂丘と潮風が好きなら、そして、ここかしこに古風な可愛い村がある風景がお好みなら、きっと懐かしいコッド岬に惚れ込んでしまうでしょう、って、なんだか不動産屋の手先みたいな歌詞です。じっさい、わたしは不動産屋のサイトをたくさん見てきました。コッド岬は「アメリカン・ドリーム・ハウス」がたくさんあることで有名だからです。

リーダーズ英和辞典を見てみましょう。
Cape Cod
_n. ケープコッド, コッド岬 《Massachusetts 州の砂地の半島》

ファースト・ラインに砂丘が出てきた意味がこれでおわかりですね。地理のサイトまでは見なかったので、なぜ砂地の岬が形成されたかは知りません。いえ、まだ辞書を閉じないでください。つぎのエントリーも重要です。
Cape Cod cottage
_n. ケープコッドコテージ 《一階[一階半]建ての木造小型住宅で傾斜の急な切妻屋根と中央の大きな煙突を特徴とする》

建築史では、この「ケープ・コッド・コテージ様式」というのは、りっぱな一人前の術語です。アメリカ人が「あんな家に住めたらなあ」と夢想するスタイルなのです。いったことはないので、講釈師の張り扇にすぎないのですが、コッド岬にはまだこの様式の古いコテージが数多くあるのです。

どういえばいいんでしょうねえ、京都郊外の古い一郭、たとえば嵯峨野あたりを、伊豆半島の先端にもっていって、軽井沢みたいにした、という感じでしょうか。いや、伊豆は温暖だから、もっと北ですね。北海道のどこか、としておきましょう。そのような土地です(って、どのような土地?)。講釈師の張り扇が破れかかっているので、この話題はうやむやにして逃げます。

◆ 歴史的建築様式 ◆◆
ついでだし、歌の内容にもまんざら無関係ではないので、建築も見ておきましょう。

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これは新しいものかもしれませんが、チムニーが幅をきかせているところが独特

f0147840_204497.jpg壁面と屋根のテクスチャーを整えてあるのですが、その調和のさせ方に独特の味を感じます。ドーマー・ウィンドウがまた独特。壁面は煉瓦なのに、ここは下見板を使うこのセンス。味わいがあります。

f0147840_20434449.jpgこれもなかなか。下見板がよいのですが、最初のものを見ても、これを見ても、どうもふつうの下見板とは印象がちがいます。板幅に独特の標準があるのかもしれません。

f0147840_20431853.jpgこれは実在のものではなく、開発業者が典型化した様式。傾斜の強い切妻、大きなチムニー、あまりにも紋切り型ですが、お客は、いかにもこれこそケープ・コッドだ、と納得でしょう。

写真を見て、チムニーが特徴だと辞書にあるとおりだ、なんて納得してはいけません。チムニーのあるものを選んだのです。情報操作の初歩です。じっさいにはチムニーのないものもかなりありました。写真を見て思ったのは、屋根は天然スレートかもしれない、ということです。もうちょっと研究したくなりました。

と、引っ張り回されて、混乱したところで、2行目を見直してください。いや、わたしがコピーして進ぜます。

Quaint little villages here and there

建築のお勉強をしたので、この行の意味はおわかりいただけましたね。以上のような様式の可愛らしい建物がぽつりぽつりと建つ村々の風景をいっているのです。quaintは、「古風」と解釈するより、「風変わり」という語義を採用したほうがいいかもしれません。

◆ あざといセールストーク ◆◆
セカンド・ヴァースにいきます。

If you like the taste of a lobster stew
Served by a window with an ocean view,
You're sure to fall in love with old Cape Cod

こんどはレストランの宣伝です(って、ちがうだろーが)。コッド岬の名物はロブスターのシチューなのでしょう。よけいなお節介かもしれませんが、キングコングのように巨大なロブスターが屋根で暴れている、いまどきのわが国の郊外レストランは思い浮かべないほうがいいと思います。コッド岬は古風な土地ですから。

以下はブリッジ。

Winding roads that seem to beckon you
Miles of green beneath the skies of blue
Church bells chiming on a Sunday morn
Remind you of the town where you were born

こんどは教会の宣伝、ではないでしょうね。「曲がりくねった道はまるであなたに手招きするよう 青空の下には何マイルもつづく緑の森 日曜の朝ともなれば教会の鐘が響き 生まれ故郷のことを思いだす」と、あざといといえば、宅地開発業者の豪華カラーパンフレットの「ご挨拶」みたいにあざといのですが、あざとくない作詞家は、あざとくないコピーライター同様、まず成功の見込みはありません。

これを聴いていると、なんとなく里心がついてしまいます。望郷の念に駆られるといいますか。いえ、わたしは生まれ故郷に住んでいるので、望郷の念なんてないんですが、そこはそれ、「エスキモーに北極を売りつける」辣腕不動産業者の技というべきでしょう。いえ、作詞家ではなく、パティー・ペイジの歌い方のことですが。ホントに、わたしの故郷はコッド岬かもしれないと思いこみそうになります。

f0147840_20422031.jpgフロリダのパティー・ペイジ。ドラマーはハル・ブレイン。パティー・ペイジの夫君、チャールズ・オカーランの推薦で、ハルはエルヴィス・プレスリーの映画挿入歌の録音に参加し、ついでに映画そのものにも出演しました。不世出の大スタジオ・エースが、その仕事場をステージからスタジオへとかえる直前の姿。

mornという見かけない単語は、morningの詩語です。本朝でいうと、たとえば、里俗では「幼い」というところを、雅語では「いとけなき」とする、とまあ、そのようなニュアンスです。そのほうがよければ、落語の「たらちね」を思いだしてくださってもけっこう。あの千代女だったかなんだかは、やたらと雅語や漢語を振りまわして、亭主を混迷に陥らせていたでしょう? 要は、古風な海辺の村を表現するために、morningのかわりに、mornという古風な単語を使ったのです。

わが国にも、このmornに対応するような「朝」の雅語はあります。同じ字ですが、「あした」と読むと、雅語になります。わたしは浄土真宗なので、「あした」というと、「朝(あした)の紅顔も夕べには白骨となり」という「法語」の一節を思いだしてしまうのですが、雅語では、夕方といわずに、「ゆうべ」というということもわかったりします。えーと、なんの話でしたっけ?

◆ 避暑地の歌 ◆◆
サード(ラスト)・ヴァースにたどり着きました。

If you spend an evening, you'll want to stay
Watching the moonlight on Cape Cod Bay
You're sure to fall in love with old Cape Cod

こんどは、差詰め、パンフレットの最後のページの写真というところ。夜の湾にきらきら輝く月、とくれば、ふつう、抵抗できないでしょう。どこまでもあざとく、途中でいらぬ反省などせずに押し通してくれました。

以上、ヴァース/ヴァース/ブリッジ/ヴァース、すべての歌詞を並べました。

「あれ? どこが夏なんだ」とお思いかもしれません。しかし、不動産業者にきけばわかりますが、コッド岬はヴァケーションをすごす土地らしいのです。最初に「軽井沢みたい」といったのは、そういうことです。わたしはウェブで、コッド岬の貸コテージの広告をたくさん見ました。

たとえそういう土地だとしても、避暑地とはかぎらない、避寒地じゃないのか、という疑い深いあなた、コッド岬のあるマサチューセッツ州の緯度を地図でご覧ください。冬にはあまりいきたくないところです。まあ、北海道観光は冬が最高という方もいらっしゃいますが、もう一度、ファースト・ラインを見てください。いえ、わたしがここにペーストします。

If you're fond of sand dunes and salty air

砂丘と潮風が好きならばって、これが冬のイメージですか? 北島三郎や森進一なら冬のイメージかもしれませんが、パティー・ペイジですよ。わたしは断じて夏の歌だと主張します。そういっているのはわたしだけではありません。この曲が夏の歌だいうことを当然の前提として踏まえ、べつの曲をつくった人がいるのです。でも、それはまたの機会に。

◆ Patti Page with Patti Page ◆◆
レス・ポールにいわせると、パティー・ペイジが史上初のダブル・トラックをやったのではない、わたしのほうが先だ、ということになるのですが、大ヒット曲と泣く子と地頭には勝てないのでありまして、レス・ポールのほうが先だなんてことを知っている人、覚えている人は、ほとんどいません。いまここで、史上初の多重録音はレス・ポールが実現したと記憶することをお奨めしておきます。

この開発競争については、べつのところの記事をどうぞ。彼女の最初のダブル・トラックのエンジニアはビル・パトナム(「Summer Means Funその2」を参照)だったようです。レス・ポールとパティー・ペイジの競争というより、レス・ポールとビル・パトナムという、レコーディング技術の大先覚者の対決だったわけです。レス・ポールはインストゥルメンタルでやったので、ヴォーカルものとしてはパティー・ペイジのWith My Eyes Wide Open I'm Dreamingが最初なのでしょう。そして、1950年のTennessee Waltzの爆発的ヒットのおかげで、パティー・ペイジとダブル・トラックは、永遠のセットになったのでした。

f0147840_2041418.jpgOld Cape Codを収録したライノのアンソロジーSentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol.4 (1954-1959) ライノだから信頼できる編集で、われわれロックンロール・キッドのなれの果てには、老後の指針、もとい、1940年代、50年代の音楽への扉を開くキーになってくれます。

じっさい、このダブル・トラックのヴォーカルの心地よさは、たとうべきものなし、というしかありません。ダブル・トラックの曲は星の数ほどありますが、つねにパティー・ペイジがダブル・トラックの女王でありつづけたのは、この摩訶不思議な声のブレンドが世にもまれなる響きをもっているからでしょう。

コッド岬の不動産屋は、この曲を聴いた瞬間、あちこちの放送局に電話をかけて、この曲をリクエストしたことでしょう。これを聴いたら、だれだってコッド岬にいきたい、できればひと夏を過ごしたい、と思うにちがいありません。それだけで、トップ40入りは保証されたようなものです。いや、ビルボード・ピーク・ポジションは3位。大ヒットしたのです。

これほど説得力のある宣伝はめったにあるものではありません。わたしにそれだけの金があれば、いますぐ手金を打って、ケイプ・コッド湾を見下ろす家を手に入れます。もちろん、大きなチムニーのある下見板の家を。
by songsf4s | 2007-07-12 20:59 | 夏の歌
It Might As Well Rain Until September by Carol King
タイトル
It Might As Well Rain Until September
アーティスト
Carol King
ライター
Gerry Goffin, Carol King
収録アルバム
The Colpix Dimension Story, The Dimension Dolls
リリース年
1962年
他のヴァージョン
Bobby Vee
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◆ ソングライターは透明人間か ◆◆
See You in Septemberにつづき、もう一曲、夏の歌なのに、タイトルには「九月」とあるものを取り上げます。

キャロル・キングは、1971年のシングルIt's Too Lateと、それをフィーチャーしたアルバムTapestryのメガ・ヒット(それまでの「ゴールド・ディスク」の尺度では収まらなくなり、RIAAは、このときに「プラチナ・ディスク」をつくったということを読んだ記憶があります)によって、一躍スターダムにのぼりますが、It Might As Well Rain Until Septemberがヒットした1962年には、あくまでもソングライターが仕事であり、歌は余技にすぎず(じっさい、余技以外のなにものでもない歌唱力!)、この曲が初ヒットでした。

夫で作詞家のジェリー・ゴーフィンは1939年2月生まれ(土地はブルックリン)なので、このとき二十三歳、夫の歌詞にメロディーをつけていたキングは1942年2月の生まれなので、ちょうど二十歳という勘定になります。まだ非常に若かったのですが、ソングライター・チームとしてすでに大活躍していて、62年には注文が殺到する状態だったのはご承知のとおりです(1955年以降、ビルボード・チャートに楽曲を送りこんだ回数で比較すると、ずば抜けたナンバーワンであるレノン=マッカトニーについで、ゴーフィン=キングは2位につけているそうです)。いずれにしても、これくらいの年齢でなんらかの実績があって当たり前の業界なのですが。

よけいなことですが、書籍でジェリー・ゴーフィンのことを調べようとすると、「キャロル・キングを見よ」などと書いてある無礼千万なもの(腹が立つので、名指しします。ローリング・ストーンの『Encyclopedia of Rock』。なんたる不見識!)にぶつかり、ウェブで「gerry goffin bio」というキーワードで検索すると、キャロル・キングのバイオにばかりぶつかってしまい、ムッとなります。

いや、ジェンダーとは無関係に腹を立てているので、誤解なきよう。キャロル・キングはパフォーマーとして有名になったから立項されているのであり、ジェリー・ゴーフィンは、2枚のアルバムをリリースしただけで、パフォーマーとしては無名も同然だから、不見識で無礼なローリング・ストーンの辞典は、この大作詞家を、パフォーマーである元夫人のたんなる付録にしてしまったのです。ここで腹を立てなければ、わたしもローリング・ストーンなみの不見識な愚者ということになってしまいます。

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キャロル・キングとジェリー・ゴーフィン

そもそも、歌詞サイトはソングライターのおかげで成り立っているくせに、どこでも、ソングライターではなく、パフォーマーで曲を分類していて、ここでも青筋を立てています。Hound DogやJailhouse Rockを歌ったのはエルヴィス・プレスリーだということはだれでも知っていますが、作者がジェリー・リーバーとマイク・ストーラーだということは、ほとんどのリスナーは知らないわけで、そういうことが、こうした歌詞サイトの構成の仕方に反映されているのでしょう。

たとえ世界中がソングライターを相手にしなくても、わたしだけはがんばるぞ、このアンフェアな世界をほんのすこしでもフェアにしよう、なんてんで、肩に力が入ってしまいます。

◆ 雨よ降れ、九月までずっと ◆◆
閑話休題。いや、重要話題休題。この曲は、冒頭に短い前付けの独唱部(これも「ヴァース」といいますが、ポピュラー・ソングで通常いう「ヴァース」=「連」のことではありません)があり、彼女はボーイフレンドに手紙を書いていることがわかります。したがって、ファースト・ヴァース以下の本体も、その手紙の内容になっています。以下はその独唱部とファースト・ヴァース。

What should I write?
What can I say?
How can I tell you how much I miss you?

The weather here has been as nice as it can be
Although it doesn't really matter much to me
For all the fun I'll have while you're so far away
It might as well rain until September

こっちの天気は最高だけど、そんなのカンケーない、だって、あなたがいないんだもん、いっそ、九月までずっと雨が降ればいいのに、というぐあいで、彼女、かなり荒れています。九月までというのはいいとして、何月からという起点が書かれていませんが、わたしのように枝葉末節、重箱の隅が気になる人間のために、ジェリー・ゴーフィンはセカンド・ヴァースのあとのブリッジで、以下の描写を加えています。

My friends look forward to their picnics on the beach
Yes everybody loves the summertime
But you know darling while your arms are out of reach
The summer isn't any friend of mine

友だちはみんなビーチへのピクニックを楽しみにしている、でも、夏なんか大ッキライと、すねまくっています。ここから読み取れることは、まだ盛夏ではないということです。みんなが盛り上がるのはまだ先のことだからです(ただし、この曲のビルボード・チャート初登場は8月25日付です。このように、歌詞が設定した季節とリリースないしはヒットの時期がズレるのもまれなことではありません)。九月になれば解決するらしいので、See You in Septemberと同じく、二人は学生で、夏休みが障碍になっている、と見ていいようです。

できあがったものだけを見るとわからないことというのはいっぱいありますが、この4行を眺めると、ゴーフィンはいくつかの障碍をうまくクリアしたのだろうと想像します。「夏なんか大ッキライ」という意味のことをいうにしても、歌ではシラブル数が問題になります。I hate the summerではシラブルが足りず、(あの時代の)若い女性が口にするには強すぎます。The summer isn't any friend of mine=夏なんて友だちでもなんでもない、という風にやわらかい表現にし、シラブルも合わせる、これがソングライターの仕事というものです。

2行目の末尾summertimeと、4行目の末尾mineというのは、ジミー・ウェブの本に出てくる、false rhyme(=「疑似韻」?)というものかもしれないと思うのですが、この点はまだ泥縄の勉強中なので、ジミー・ウェブの曲をとりあげるころにはなにか書ける程度の知識を仕込んでおくことにして、ここでは口をつぐみます。

つづくサード・ヴァースの冒頭は、

It doesn't matter whether skies are grey or blue
It's raining in my heart 'cause I can't be with you

「空が曇っていても晴れていても関係ない、あなたがいないんだから、わたしの心のなかはいつも雨」となって、また、「九月までずっと雨が降ればいいのに」と締めくくられます。

f0147840_2175240.jpgディメンションのガール・シンガー/グループを集めたこのような編集盤もある。キャロル・キングがディメンションからリリースした曲はわずかで、オリジナル・アルバムは存在しないため、アルバムとしてはこのような編集盤しかない。

アイディアの核はひとつだけで、恋人に会えないのなら、夏なんか楽しくない、いっそ雨が降ったほうがいいくらい、というものです。あとは、この設定から考えられる派生的ことがらを、いつものジェリー・ゴーフィンらしく、ていねいに展開しているだけです。この「ていねいに展開」できるか否かが、トップ・レベルのソングライターになれるかどうかの分かれ目です。この曲は、彼の代表作とはいえないかもしれませんが、スムーズな展開はいつものゴーフィンで、間然とするところがありません。

◆ デモ盤のリリース?  ◆◆
たんなる譜面より、音になっているほうが、楽曲の買い手としてもイメージをつかみやすいものです。楽曲出版社は、デモ・テープまたはデモ盤をつくって、顧客に曲を売り込みました(もちろん、日本でよくあるように、顧客のほうからオーダーがくることもありました)。ゴーフィン=キングの場合、しばしばキングの歌とピアノでデモをつくっていたようです。このIt Might As Well Rain Until Septemberもそのようにつくられた、ボビー・ヴィー向けのデモだったそうです。

しかし、彼らの楽曲出版社オールドン・ミュージックの社長であるドン・カーシュナーは、このデモがひどく気に入り、ボビー・ヴィーのレコーディングを待たずに、レーベルを設立してこの曲をリリースしたのだそうです。結局、ボビー・ヴィーのほうは、アルバム・トラックとしてこの曲をリリースしただけで、シングル・カットはせず、キャロル・キング盤がヒットしただけで終わりました。

The Colpix-Dimension Storyのライナーにそう書いてあるから、いちおう真に受けて、デモだと考えておきますが、そうかなあ、という気もします。デモをそのままリリースしたために、どの盤でもこの曲の音質は劣悪である、なんてことを書いているサイトがありますが、簡単にそういっていいかどうか。

音質はよくもありませんが、とくに悪くもありません。デモだからといって、とくに音質が悪くなる理由は技術的には存在しません。金をかけずに、3リズム程度のシンプルなバッキングで、安いプレイヤーを使い、短時間で録音するのはデモの常識ですが、ちゃんとしたスタジオを使うことも多いので、デモであることと劣悪な音質とは一直線ではつながらないのです。

できあがったものを聴いて感じることは以下の三点。キャロル・キングのピッチの悪さをごまかすためか、ダブル・トラッキングどころか、最低でもトリプルでヴォーカルが重ねられていること(カーペンターズが機械的にやったことを「マニュアルで」やっている)、ストリングスや女声コーラスも入っていること、ドラムが安定していて、プレイヤーは二流ではないこと(ゲーリー・チェスターではないでしょうか)です。

デモにこんな大金をかけるようなお人好しは、音楽業界ではぜったいに成功しません。まして勧進元はやり手で有名なドン・カーシュナーです。こんな「デモ」をつくるようなことは考えられません。正規リリース盤としての要件を満たした編成なんですからね。

音質の最大の敵はオーヴァーダビングです。ヴォーカルを三回重ねれば音質は劣化します。これはひとつのチャンネルに集中することも可能なので、バックトラックは「隔離」できなくもありません。しかし、ベーシック・リズムのみを先に録音し、あとからストリングスをオーヴァーダブするという方法が当時は広くおこなわれていました。これはベーシック、とくにドラムのプレゼンスを劣化させます。

以上から導き出されるシナリオ。ほんとうにデモだったとしても、ベーシック・リズムとヴォーカルのみの1~3トラックのテープのはずです。これをリリースしようと考えた段階で、大々的なオーヴァーダビングが必要になったはずで、3トラックだとしても、いわゆる「ピンポン」を何度も繰り返す必要が生じ、それが音質をいくぶん劣化させたのだと思います。おそらくはドン・カーシュナーがリリースのときにしゃべっただけに過ぎないであろう、デモがあまりにもすばらしいのでリリースすることにした、などという話は、あまり真に受ける気にはなれませんが、デモではないという証拠があるわけでもないので、以上のような結論にしておきます。

でも、ご用心。音楽業界は「ハイプ」の巣です。とりわけ、ドン・カーシュナーのようなやり手の商売人のいうことは、すべてが自分の利益を考慮したうえでの発言ですから、われわれもつねに懐疑的でなければいけません。自分の耳で聴き、自分の頭で考えないと、商売人の思う壺にはまります。

◆ ボビー・ヴィー盤  ◆◆
さて、ボビー・ヴィー盤を聴くと、あっはっは、たしかに、こっちはステレオだし、録音もいいや、と笑ってしまいます。いや、そのことはあとまわしにしましょう。

歌詞を考えると、ヴィーがこの曲をシングルにしなかったのも無理はないと感じます。若い女性がこの曲を歌えば、夏に恋人に会えないことで、すねて、だだをこね、八つ当たりするのも、可愛げがありますが、男が同じことをいっても、しっくりきません。

ドン・カーシュナーが、キャロル・キングの「デモ」を自分の手でリリースしようと決めたのも慧眼だと思いますし、ボビー・ヴィーがこの曲をシングルにしなかったのもまた、いかにも彼らしい選曲眼だと思います。ヴィーではなく、彼のプロデューサーだったスナッフ・ギャレットの選曲眼だろうという意見もあるでしょうが、わたしは、ヴィー自身、かなりいい耳をしていたと考えています。

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ボビー・ヴィーのIt Might As Well Rain Until Septemberを収録した編集盤、The Essential and the Collectable

さて、音質というか、トラックの件。ヴィーのレギュラー・アレンジャーは、フランク・シナトラのStrangers in the Nightのアレンジで知られるアーニー・フリーマンです。ピアノとストリングスの連携の仕方にフリーマンらしさを感じるので、クレジットはありませんが、わたしはフリーマンであろうと考えています。いいストリング・アレンジです。

スタジオとエンジニアは主としてユナイティッド・ウェスタン、主としてボーンズ・ハウだったそうです。この曲もこの組み合わせではないでしょうか。わたしの好きなスタジオと贔屓のエンジニアです。いや、ジャン&ディーンのジャン・ベリーをはじめ、この組み合わせが好きだった人は山ほどいたのですが。

プレイヤーはいろいろですが、ドラムはアール・パーマー、ハル・ブレイン、ジェリー・アリソンの名前があがっています。この曲はアール・パーマーのプレイに聞こえます。時期的にも、ハル・ブレインがアール・パーマーからストゥールを奪うのは、もうすこしあとになります。

ギターについてはハワード・ロバーツ、ベースについてはレッド・カレンダー(超大物!)の名前があがっていますが、このトラックについてはなんともいえません。そもそも、右チャンネルのアップライト・ベースだけでなく、左チャンネルからはダノ(ダンエレクトロ6弦ベース)らしきクリック音が聞こえてきます。当時、ダノを弾いたので知られる人は、ビル・ピットマン、ルネ・ホール、すこし時期が下るかもしれませんが、キャロル・ケイなどです。また、フリーマンがアレンジしたときは、彼がピアノを弾きながらオーケストラをコンダクトしたそうです(バート・バカラックも同じやり方だったとか)。

当時のハリウッドではめずらしいことではないのですが、頭のてっぺんから尻尾の先まであんこがぎっしり詰まったすごいスタッフで、これでは、ダメなトラックをつくるのはきわめて困難で、たとえプロデューサーが居眠りしていても、けっこうなトラックができてしまうはずです。いい音です。

◆ 蛇足: 却下されるであろうお節介な対案 ◆◆
ふと、わたしのなかの素人ソングライターが鎌首をもたげました。この曲は、たんに恋人が遠くにいて、いっしょに夏を過ごせない、というだけの設定ですが、もっとずっときびしい設定に変えてみたらどうでしょう? これから二人で楽しい夏を、と思っていた矢先に、ふられてしまった、という設定です。

そういう設定でも、この歌詞はほぼそのまま流用できます。たんに、響きがより切実になるだけです。元の恋人が、新しい相手と夏を楽しんでいると思うと、いても立ってもいられなくなり、九月までずっと雨が降って、二人が夏を楽しめなくなればいいのに、と呪ってしまうわけです。

悪くないように思うのですが、当時の中庸をよしとするチャートから考えると、ややはみ出した設定かもしれません。ジェリー・ゴーフィン自身、ほぼ同じ時期に、フィル・スペクターとクリスタルズのために、He Hit Meというはみ出した曲を書いて大失敗をしています。やはり、わたしがあの場にいて、「いっそ失恋の歌にしたら?」などとアイディアを出しても、却下されたでしょう。
by songsf4s | 2007-07-05 21:23 | 夏の歌
See You in September by The Happenings
タイトル
See You in September
アーティスト
The Happenings
ライター
Sherman Edwards, Syd Wayne
収録アルバム
The Best of the Happenings
リリース年
1966年
他のヴァージョン
The Tempos, Mike Curb Congregation
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◆ 夏の歌の傾向と対策 ◆◆
統計をとったわけではありませんが、夏休みとクリスマスはレコード会社がもっとも販売に力を入れる時季でしょう。60年代のビルボード・チャートをながめていると、トップ・アーティストはかならずこの時期に新作――最低でもシングル、たいていの場合はアルバムもリリースしています。

したがって、夏をあつかった歌は汗牛充棟ですが、その無数の歌にもそれなりに傾向があるように思えます。初夏と盛夏はハッピーな歌、晩夏になるとメランコリックな歌、またはもうすこし進んで、悲しい歌が主流になるようです。人間心理のおもむくところを素直に反映しています。

それならば、というわけで、その傾向の裏をいったものを取り上げます。夏のはじめの悲しい歌です。いや、ほんとうに悲しいのか、悲しいといってのろけているのか、よくわからないのですが、ともかく、設定としては半ひねりが加えてあります。

◆ 九月というタイトルの夏の歌 ◆◆
無数のラヴ・ソングが証明していますが、恋人たちの99パーセントは、夏の到来をいまかいまかと待ち望んでいます。しかし、まれに夏の到来を望んでいないカップルもあります。そういう、一般的な夏休みのイメージとは逆の状況設定に挑戦し、成功した楽曲もまたいくつかあります。その代表的な例がこのSee You in Septemberです。

タイトルには「九月」とありますが、この曲の「現在」は、夏休みの直前か入ったばかりと考えられます。See You in Septemberには前付けの独唱部(混乱するのですが、以前にも書いたように、これもヴァースと呼びます)がありますが、それにつづくファースト・ヴァースは以下のようになっています。

See you in September
See you when the summer's through
Here we are saying goodbye at the station
Summer vacation is taking you away

これで状況は明快に了解できます。この語り手の恋人は、おそらくは家族そろってのヴァケーションで遠くに行ってしまうため、二人は九月まで会えないのです。「九月に会おう」というタイトルと、このファースト・ヴァースがあれば、「流行歌」としてはもう十分、あとはリスナーが勝手にイメージをふくらませてくれます。作詞家はリスナーのイマジネーションのスウィッチを入れるだけでいいのです。

最後の行は直接的な説明に堕していますが、お芸術ではないので、低いレベルでの成功もりっぱな成功です(売れなければゼロ、売れればすべては正当化される世界だということをお忘れなく)。最初のヴァースですべてを了解させようと急ぎすぎたあまりの一行、と同情的に見ておきますが、つぎのヴァースまでサスペンドするという選択肢もあったでしょう。

◆ 会えないことの不満と不安 ◆◆
ファースト・ヴァースでこの曲の「勝負」は終わっています。しかし、ヴァースひとつだけというわけにはいきませんし、セカンド・ヴァースでなにも変化が起こらないのでは、作詞家の沽券にかかわるので、この曲もちょっとひねりを入れてきます。

Have a good time but remember
There is danger in the summer moon above
Will I see you in September
Or lose you to a summer love?

楽しんできなよ、といっている口の下から、「夏の月夜は危ないからなあ」と正直に不安を口にしています。そういうあなたは大丈夫、と彼女から切り返されたことでしょう。じゃれている恋人たちなんかには、バカバカしくてつきあっていられない感じもしますが、リスナーの多くは、ここでおおいに共感したことでしょう。

恋人たちが時間が自由にならないこと、会えないことを不満に思うのはあたりまえですが、その裏側にはつねに、相手を失うのではないかという不安があります。まして、恋の季節に、自分の恋人が恋の背景としては理想的な土地にいこうとしている、という状況では、心穏やかでなくなっても当然のことです。ファースト・ヴァースでうなずいたリスナーなら、セカンド・ヴァースでは、いっそう深くうなずくでしょう。

とりわけインスピレーショナルなところがある歌詞ではありませんが、多くの人が共感できる状況と感情を提示したことで、これはこれで成功しています。夏休みの直前というのは、気分が昂揚する時季で、そういう歌もたくさんありますが、同時に、別れの季節でもあります。アメリカの場合、卒業シーズンだからです。その共通の了解を、この歌は間接的に利用しているのではないでしょうか。

◆ ハプニングス盤 ◆◆
この曲のオリジナルはテンポズというヴォーカル・グループのようですが、手元にはなく、また、ウェブで試聴することもできなかったので、カヴァー・ヒットであるハプニングス盤を先に立てました。めだった特徴のあるグループでもないし、インスピレーショナルなヴォーカル・アレンジをしているわけでもありませんが、楽曲のよさを聴かせることに徹したヴァージョンで、66年にビルボード3位の大ヒットになりました。当時は買おうとは思いませんでしたが、ちゃんと記憶していたのは、キャッチーなメロディー・ラインのおかげでしょう。

管のアレンジも気に入らないし、ドラムは微妙にタイムの早い人で、グッド・グルーヴとはいえませんが(とくにタムタムのフィルインの突っ込み方は気に入りません)、大人のリスナーには、当時の基準からいってもちょっと古くさい楽曲(オリジナルは1959年だから、当然ですが)、ちょっと古くさいサウンドだからこそ好まれたのでしょう。古くさいとは、言い換えれば、懐かしいということですから。

フォー・シーズンズと比較されたり、間違われたりしたということですが、シーズンズがコンテンポラリーなサウンドだったのに対し、ハプニングスのサウンドにはそういう響きはありません(まあ、当時としては、これでもアップデイトしたつもりだったのだろうと想像しますが、子どものわたしも、年老いたわたしも、カビの生えた鈍くさい音だと、意見の一致をみています)。間違えるほうがどうかしています。ただ、ボブ・クルーとのつながりで、無名時代にシーズンズやミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ(!)のセッションに参加したことがあるそうです。ミッチ・ライダーの盤のどこにいるのか、こんど、時間のあるときに確かめてみたいと思っています。

ヴォーカル・グループというものをあまり好まないので、わたしは関心がないのですが、ハプニングス盤はトーケンズ(トークンズ)がプロデュースしているということで注目する人もいるでしょう。個人的には、すぐれた手腕のあるプロデューサー・チームとはどうしても思えませんが(しいていうと、時代の先端を避け、意図的に鈍くさい音を選択したのだとしたら、それもまた「手腕」のうちといえるかもしれません)、ヒットすれば勝ちです。

ハプニングス盤は、66年7月9日にチャートインし(適切な時季です)、8月27日に最高位に到達しています。ラヴィン・スプーンフルのSummer in the Cityとボビー・ヘブのSunnyに押さえ込まれ、3位どまりでしたが、相手のほうが強力すぎたのだから、大健闘です。やはり、季節の歌は適切な時季にリリースしないといけません。

◆ マイク・"コストダウン"・カーブ盤 ◆◆
もうひとつのヴァージョンとしてあげたマイク・カーブ・コングリゲーションのマイク・カーブも、すぐれた手腕は持ち合わせていませんでした。それどころか、ピンからキリまでいるプロデューサーのなかでも、この人はキリの下です。カーブは「リスナーの最大公約数」を、とてつもなく低いレベルに設定していたにちがいありません。

マイク・カーブ盤See You in Septemberのドラマーはハル・ブレインです。こういうサウンドにするのなら、ハル・ブレインでなくてもいっこうにかまわないほど、ダレたヴァージョンです。つねに全力を心がけたハル・ブレインですら、そこそこのプレイしかしていないのだから、あとのスタッフはダレきっています。

f0147840_22472923.jpgでもまあ、オクトプラス・セットのハイ・ピッチのタムを使ったイントロのドラム・リックなどは、やはりうれしくなるのですが、きちんと録音できていませんし、オフにミックスされ、ほとんど聞こえないので、腹立たしくも感じます。もっとアレンジと録音に手間をかければ、ちゃんとしたヴァージョンになったでしょうが、手抜きが身上で、そのおかげでそれなりの成功をしたマイク・カーブだから(彼の会社Curb Recordsの手抜きリイシューCDには怒りました)、短時間で録音することしか考えていなかったのでしょう。コストダウンの犠牲となったヴァージョンです。

ハル・ブレインが叩いている可能性が高かったからマイク・カーブの盤を買いましたが、人柱としてリポートするなら、ハル・ブレイン・ファンにとっても、この盤は無意味です。しいて肯定的にいうと、ピンとキリの両方を知れば、ピンの人たちの才能と気構えがよりいっそう明瞭になるわけで、最低とはこういうものかという洞察をもたらしてくれるという意味で、マイク・カーブにも存在価値はあります。ハプニングスのプロデューサーであるトーケンズが、それなりに仕事をしたことが、そして、トーケンズはすくなくともリスナーを見下してはいなかったことがよくわかります。

付記:

友人から、この記事について私信をもらいました。ファースト・ヴァースの最終行、

Summer vacation is taking you away

についてです。この行は、ヴァケーションで遠くに行くのではなく、たとえば、この二人が遠い土地から同じ大学にきていて、夏休み(summer vacation)で帰省するために、九月まで会えなくなるといっているのではないか、という趣旨です。

いやまったく、ごもっとも。明解な解釈です。そういう設定のほうがはるかに自然だし、リスナーも共感しやすいというものです。チョンボ、早とちり、陳謝。こういうことはよくあるでしょうから、どんどん突っ込みを入れください>皆様。
by songsf4s | 2007-07-03 22:53 | 夏の歌