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ロバート・ゼメキス監督『抱きしめたい』に描かれた1964年のビートル・クレイズ その1
 
ビートルズが来日したとき、チケットは郵便で申し込み、抽選という仕組みだったと記憶しています。

わたしは中学一年で、たとえ抽選にあたったとしても、夜間の外出はできない環境にいました。だから悔しくないかというと、そんなことはなく、やはり行きたかったと思います。

ロバート・ゼメキスの処女作『抱きしめたい』(I Want to Hold Your Hand, 1978)は、時期と場所はちがうものの、やはり、なにがなんでもビートルズを見たい女の子たちの奮闘を描いた物語で、ビートルズ・ファンにはたまらなく可笑しく、たまらなく胸を締めつけられる映画でした。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で嘖嘖たる名声を得る以前から、ロバート・ゼメキスは冴えた演出を見せていました(例のUCLA映画学科の出身ではなかったか?)。もうオープニングから、1ショット、1ショットがツボをついてくるのです。

前回の「胸の熱くなるビートルズ――Live in Washington D.C., Feb 1964」という記事でご紹介したように、1964年2月のビートルズの初訪米は、主としてエド・サリヴァン・ショウに出演するためでした。

映画は、アヴァン・タイトルで、明日はその当日、ショウの準備が進むエド・サリヴァン劇場からはじまります。

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スタッフ・ミーティングにあらわれたエド・サリヴァンが、じつによくて、いきなり笑えます。

「きみたちが、リヴァプールからやってきたこのビートルズを名乗る若者たちは、いったい何者なんだといぶかっているのは承知している」

とエド・サリヴァンは云います。

「数年前、われわれはエルヴィス・プレスリーと名乗る若い歌い手をこのステージに迎えた。彼は、君たちの何人かは覚えているはずだが、彼を見た、このスタジオの若者たちは、ちょっとした大騒ぎを巻き起こした」

「さて、明日の夜、同じこのステージに、われわれは四人分のエルヴィスを迎えることになる!」

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「よって、諸君には、途方もない絶叫、ヒステリー、過呼吸、失神、卒倒、感情激発、ひきつけ、さらには自殺企図といったものを覚悟してほしい。そんなのは当たり前のことなのだ」

「明晩、アメリカとカナダ合わせて9000万人の視聴者にライヴで番組を届ける。だから、断じて何者にもわれわれの『リアリー・ビッグ・シュー』を邪魔させてはならない」

といった瞬間、I Want to Hold Your Handのイントロが流れ、ビートルズのアメリカ到着のニュース・リールへと画面は切り替わります。この間のよさ! これで一気に乗らないビートルズ・ファンはいないでしょう。

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そして、そのI Want to Hold Your Handのダイナミック・レンジが狭くなると、レコード・ショップの店内に流れているのだとわかります。このあたりの処理もじつにきれいで、うまいなあ、と思います。

ここで登場人物たちが紹介されます。

ポール命、という熱烈なビートルズ・ファンのロージー(ウェンディー・ジョー・スパーバー)、明日には結婚するのだからビートルズどころじゃないというパム(ナンシー・アレン)、レコード・ショップ経営者の娘なのに、「ビートルズをボイコットしよう」などというジャニス(スーザン・ケンダル・ニューマン)、写真家志望でなにがなんでもビートルズを撮ると決意しているグレイス(テレサ・サルダーナ)。

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ニュージャージーに住むこの四人が、それぞれに思いを抱えて、ニューヨークへと、エド・サリヴァン・ショウへと突進する冒険物語がロバート・ゼメキスの『抱きしめたい』です。

ここからはクリップがあります。

『抱きしめたい』パート2


ホテルにもぐりこむのにリムジンが必要だ、あそこにいるラリー(マーク・マクルーア)は葬儀屋の息子だ、リムジンをいっぱいもっている、というわけで、哀れ、気弱なラリーはたぶらかされて、父親のリムジンを持ち出して、馬鹿騒ぎの片棒をかつぐハメになります。

ロージーはずっとラジオをきいていて、ときおり、クイズ(エド・サリヴァン・ショウのチケットがあたる)があるたびに、手近な電話に突進するというのは、繰り返しギャグになります。このへんの処理もルーキーとは思えない堂々たるものです。

上掲のクリップの最後、朝になって車がNYに着き、Twist and Shoutが流れる、ヒロインたちが、ホテルを見つける、群衆と警官隊のショット、Twist and Shoutが大きくなる、この流れのうまいこと!

ゼメキス自身、相当なビートルズ・ファンなのでしょう。そうじゃなければ、いくら演出の才能があっても、ここまでみごとにツボを押さえられるとは思えません。

記憶を喚起しておきますが、このとき、アメリカでヒットしていたのはI Want to Hold Your Hand、イギリスのカタログで考えると、With the Beatles、つまりセカンド・アルバムまでしかありません。

その制約のなかで、ロバート・ゼメキスは、うまく曲を並べたと思います(音楽監督のクレジットはないので、ゼメキス自身が選曲したと想像される)。

『抱きしめたい』パート3


リムジン乗りつけ作戦は失敗しますが、少女たちのうち三人は、混乱に乗じてホテル潜入に成功します。しかし、単純な作戦はみな失敗し、彼女らは追い払われます。

今日、結婚するというパムだけは、指輪を落として探しているうちに置いていかれ、これが幸いすることになります。

『抱きしめたい』パート4


ファブ4の後ろ姿を見ただけで、「タッパーウェアとか現実的なものを買わなければいけない身」のはずのパムが、失神しそうになるところが秀抜です。

ビートルズ訪米で重要な役割を果たしたDJ、マリー・ザ・Kのインタヴューで、トニーが「フォー・シーズンズはどうなったんだよ」と抗議するのも笑えます。大丈夫、フォー・シーズンズはビートルズ旋風に耐えました。

ちょっとした成り行きで、ビートルズの部屋に潜入することになったパムは……そのあたりはまた次回ということに。


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by songsf4s | 2011-12-08 23:07 | 映画
浅丘ルリ子の夜はふけて その2 共演・石原裕次郎篇
 
本題に入る前に、前回の記事のときには発見できなかったのですが、今日、たまたま見かけたので、『ギターを持った渡り鳥』のクリップを補足しておきます。

斉藤武市監督『ギターを持った渡り鳥』


ツイッターに書いてしまったのですが、このヴァージョンはやはりなかなかけっこうだったと思います。オーケストラの人数もこのときがいちばん多かったのかもしれません。

しかし、ふと思いましたが、黒澤明『用心棒』のオープニングに似ているような気がしてきました。『ギターを持った渡り鳥』は1959年、『用心棒』は1961年です。両者とも、なにか西部劇でも下敷きにしたのでしょうかね。

前回をお読みの方の大部分が今回のテーマを予想されたでしょうが、ナックル・ボールはなし、素直に石原裕次郎篇です。

裕次郎=ルリ子といえば、いわゆる「ムード・アクション」、ムード・アクションといえば『赤いハンカチ』と、まあ、昔からいわれていることを繰り返しておきます。自分の好みをいっているだけ、でもありますが。

無知にして裕次郎=ルリ子のスタートを知りませんが、強く印象に残ったのはこの映画。アクションはあまりないのですが、でもプリ・ムード・アクションといえるでしょう。

蔵原惟繕監督『銀座の恋の物語』


主題歌が有名になりすぎて、映画の位置が相対的に低くなってしまったような気がするのですが、これはいい映画です。子どものときも面白いと思ったし、テレビで見て、さらに裕次郎没後のニュープリントでの上映でも見て、いつ見ても満足しました。

夜明けの銀座を、人力車を引いて疾駆する裕次郎、というオープニングからしてけっこうでしたし、このあと、彼がジェリー藤尾と住んでいるアパートというか、屋根裏みたいなところのデザインがまたすばらしいのです。なにかフランス映画からもってきたのだろうと思いますが。

以前、「映画のトポロジー」という記事を書きましたが、『銀座の恋の物語』はその側面で非常に興味深く、石原裕次郎とジェリー藤尾のアパートからは、浅丘ルリ子(と和泉雅子)が働いている店が、中庭のような不思議な空間を挟んで見えるという、なかなか魅力的なセットデザイン(ないしはロケーション)でした。

ついでにいうと、深江章喜が、いつもの暴力的悪党ではなく、ちょび髭をはやした、おフランス帰りみたいな、嫌みでキザな詐欺師に扮していて、これがまたじつに楽しいのです。冗談ではなく、赤塚不二夫の「イヤミ」がモデルじゃないでしょうか!

フィルモグラフィーをながめて、ああ、あいだにこれを入れないといけないのか、と思った映画。ほとんどなにも映らず、予告編にすらなっていませんが、ほかにはクリップがないようなので。

蔵原惟繕監督『憎いあンちくしょう』


渡辺武信『日活アクションの華麗な世界』でも賞賛されていましたし、近ごろはまたこの映画の評判はとみに高まっているようですが、わたしはどうも肌に合いませんでした。

60年代的メディア・ヒーローを登場させた気持はよくわかるのですが、その人物像が図式的すぎて、裕次郎のキャラクターと衝突しているように感じました。この主人公の性格づけから思い起こす現実の人物は青島幸夫ですからね。

ただし、ランジェリー姿の浅丘ルリ子には、おお、と思いました。いや、そういう描き方にもっとも端的にあらわれているように、ここでの浅丘ルリ子は、彼女に背を向けて去っていく滝伸次に涙を流す可憐な少女ではないのです。ここで、はっきりとギア・チェンジがおこなわれたと思います。

肌に合わなかったとはいえ、これはきちんと取り上げて、検討してみようかな、と、今後の記事の候補に入れてあります。

つぎに目立つのは『夜霧のブルース』ですが、これはクリップを発見できませんでした。

小林正樹監督『切腹』の翻案だといわれて、ああ、なるほど、と思いましたが、裕次郎が港湾荷役の会社に乗り込んでいき、長々とストーリーを話し、最後は「斬り死に」する映画でした。死んだことのなかった裕次郎は、じつに楽しい撮影だったといっていたそうです。これもちょっと再見してみたい映画です。

『憎いあンちくしょう』で大人の女として成熟する方向へ舵を切った浅丘ルリ子は、64年のこの映画、ムード・アクションの代表作で大輪の花を咲かせます。

舛田利雄監督『赤いハンカチ』


『赤いハンカチ』については、当家ではかつて長々と記事を書いたので、ご興味がおありの方はこのページの下の方にある特集一覧の右側の列、中頃のリンクをクリックなさってみてください。

このあとのルリ子=裕次郎ものは、だいたい路線がかたまって、一定の幅のなかで動いていく感じですが、印象深い映画が数本ありました。

松尾昭典監督『二人の世界』


これはなかなか凝ったストーリーで、フェリーノ・ヴァルガと名乗る石原裕次郎扮するヒーローは、昔、おしかぶせられて逃亡するハメになった事件の時効寸前に日本に戻って、冤をはらそうとしますが、これがなかなか思うようにいかず、けっこう意外な展開でした。しかも、浅丘ルリ子が、○×するし、そこに深江章喜の一徹なヤクザがからんで、最後までダレませんでした。

ただ、そこで我に返りますが、いわゆる「ムード・アクション」のパセティックな甘みというのは、こういう波瀾万丈すぎるプロットでは薄くなってしまい、そちらを期待するとちょっとうっちゃりを食った感じになります。

未見の方はこの段落を読まないでいただきたいのですが、浅丘ルリ子の愛ゆえの裏切りをどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題の提出はなかなか興味深く、日活アクションの定型にはまらない展開の作品です。

あれ、あの映画はなんといったっけ、というのがあって、逆戻りします。

松尾昭典監督『夕陽の丘』


石原裕次郎の兄貴分が中谷一郎、その情婦が浅丘ルリ子という設定で、あれ、となり、でも、これはただではすまないなあ、と設定自体に緊張させられる映画でした。

いま、キャストを見て、そうか、浅丘ルリ子は姉と妹の両方をやったのだったな、と思いだしました。美少女の延長線上と、大人の女の両面をひとつの映画のなかで描いてみようという、けっこういいところをついた企画だったことになります。

それほどよかったという印象はないのですが、中谷一郎が好きなので、それなりに楽しく見てしまった記憶があります。

つぎに印象深い映画は江崎実生監督の『帰らざる波止場』なのですが、これはクリップがありません。

これまた浅丘ルリ子が「かならずしもモラリスティックではない」女を演じていて、おおいに好みの映画です。横浜港の遊覧船に乗った浅丘ルリ子が、そっと指輪をはずして海に捨てる、というオープニングが好きでして、あのへんにいくたびに、そのことを思いだします。

それから、記憶で書きますが、音楽はほとんど軽いボサノヴァで(渡哲也と共演した『紅の流れ星』に近い)、そのあたりもおおいに好ましい味わいでした。

ここでもまた、浅丘ルリ子の暗い過去を、裕次郎扮する冤罪をはらすために帰ってきた男がどう受け止めるか、という「愛のモラル」の問題が提出されます。いい映画でした。

ルリ子=裕次郎のムード・アクション、掉尾を飾る大花火は、やはりこれでしょう。

松尾昭典監督『夜霧よ今夜も有難う』


あまりにも露骨な『カサブランカ』で、昔は見ていて尻がむずむずしたのですが、年をとると、まあいいか、という気分です。今度再見するときには、頭から尻尾まで楽しんでしまいそうな予感がします。

赤木圭一郎や渡哲也との共演、さらには植木等との共演など、いろいろ考えられるのですが、ほんとうにそういうのをやるか、これでおしまいにするか、まだ決めていません。



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by songsf4s | 2011-12-03 23:53 | 映画
浅丘ルリ子の夜はふけて その1 共演・小林旭篇
 
芦川いづみの千社札ペタペタをやっておいて、浅丘ルリ子はなしというのではひどい片手落ち、やっぱりルリ子千社札も並べてみます。

1959年から60年という時期では、わたしはあまり日活には行っていないので、「渡り鳥」シリーズには間に合いませんでした。それなのに、なぜか、浅丘ルリ子の記憶は渡り鳥からはじまっています。

シリーズに入れるかどうかは微妙ですが、いずれにしても、渡り鳥シリーズへのステッピング・ストーンとなったのはまちがいない、と先達たちが口をそろえる映画から。

斎藤武市監督『南国土佐を後にして』


タイトルで流れる曲が「ギターを持った渡り鳥」ではないし、敵役のエースのジョーもまだいないとあって、とりあえず心拍数はあがりませんが、中身は、半分ぐらいは渡り鳥の雰囲気でした。

小林旭はまだカウボーイ・スタイルではなく、堅気のような格好をしていますが、職業(ちがうか)は不世出の壺ふり、すなわちギャンブラーです。三回のトライでサイコロを全部縦に積み上げた、というのは、この映画でのことではなかったかと思います。

そりゃ、警察はいろいろいうでしょうし、会社としては、なにかしないわけにはいかないでしょうが、小林旭が「俺がヤクザと飲んで誰に迷惑がかかるんだ」というのも、やはり当然でしょう。

俳優や芸人というのは堅気ではありません。われわれか、あちらの方たちか、どちらに近いのか、といえば、むろん、あちらのほうに近い、というか、ほとんど同業といっていいわけで、だから、「不世出の壺ふり」の役をやって、わずか三ショットで五つのサイコロを積み上げるなんて離れ業だってできたのです。くだらんご清潔病で、芸の世界をつまらなくしないでほしいものです。

閑話休題。浅丘ルリ子の話でした。『南国土佐を後にして』では、まだ垢抜けない感じですが、女性の二十歳前後というのは、どんどん変化していきます。

渡り鳥シリーズ「正式の」第一作である『ギターを持った渡り鳥』は、劇場で撮影したすごい代物しかないので、ちょっと画質がよろしくないものの、シリーズ第二作を。

斉藤武市監督『口笛が流れる港町』


こんどはしっかり西部劇していますし、小林旭の役名も滝伸次です。なぜか宍戸錠の役名は、ファースト・ネームなしのただの「太刀岡」ですが!

浅丘ルリ子は、依然として美少女の延長線上、まだ「女優」への変貌途上というぐあいですが、なにか書かなければならないから、くだらないことをいっているだけで、いやまったく、お美しいことで、と思っています。

斉藤武市監督『大草原の渡り鳥』予告編


再び北海道にもどって、滝伸二は摩周湖のあたりをさまよっています。記憶では、この映画がもっとも完璧に西部劇していて、ジャパノ・ウェスタンの代表作といっていいと思います。

ほかに、日本製西部劇なんかないだろう、という方もいらっしゃるかもしれませんが、それは勘違い、深作欣二監督、千葉真一主演の『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』なんて、タイトルからして西部劇、中身も西部劇でした。

この『大草原の渡り鳥』でしたかねえ、いつもならキャバレーで踊っているはずの白木マリが、なぜか堅気で、牧場で働いているという設定だったのは。

おかしいなあ、と思っていると、どこかで会ったはずだと考え込んでいた宍戸錠が「そうだ、あの女だ!」と思いだし、回想シーンになって、やっぱりキャバレーで踊っちゃうというのは。

しかし、浅丘ルリ子と小林旭のコンビも忙しいことで、渡り鳥シリーズのかたわら、「流れ者」シリーズという、ほとんど渡り鳥そっくり、たんにカウボーイ・スタイルではないだけ、というのをつくっています(最後に西部劇シーンありだが)。

山崎徳次郎監督『海から来た流れ者』


舞台は大島、浅丘ルリ子はバスガイド、ヘア・スタイルやメイクのせいでしょうが、こちらのほうが大人っぽく、色気があります。

つづいてシリーズ第二作のエンディングのあたり。

山崎徳次郎監督『海を渡る波止場の風』


日活アクションのヒーローは、ヒロインと結ばれることはまずないので、エンディングは、ほとんどつねにヒーローがヒロインに背を向けて去っていくシーン、どう去らせるかで、脚本家と監督はあれこれ工夫しました。

わたしは古い建築が好きで、写真を撮って歩いたりしましたが、古い映画にはしばしばすでにない建物が映っているもので、そういうのが見えるたびに、ポーズ・ボタンに手が伸びます。

しかし、考えてみると、鉄道の好きな方たちにとっても、映画はめずらしい車輌の宝庫にちがいありません。

小津安二郎のキャメラマン、厚田雄春は鉄道が好きで、そういうシーンを入れようと何度か小津をせっついたそうです。たしかに『晩春』には長い長い横須賀線のシーンがありますし、『東京物語』のエンディングも原節子と彼女を乗せた汽車でした。

小津安二郎『東京物語』予告編


小津安二郎『晩春』パート1(10:30あたりで鎌倉駅、その後横須賀線)


あるいは、野村芳太郎の『張込み』の冒頭は横浜駅から宮口精二と大木実が列車に乗るところで、その後、延々と佐賀までの道中が描写されます。

野村芳太郎監督『張込み』オープニング


日活アクションにも、たとえば『錆びたナイフ』をはじめ、鉄道のシーンがたくさんあり、列車というのは画面に躍動感を与えるものなので、監督、撮影監督はみな工夫を凝らしたにちがいありません。

それにしても、この『海を渡る波止場の風』のエンディングは、一発でOKがでないと、列車は戻さなければいけない、浅丘ルリ子はまた走らなければいけないで、えらいことだったでしょうねえ。

この「野村浩次」を主人公とした流れ者シリーズで、いちばん印象が強いのは第三作です。

山崎徳次郎監督『南海の狼火』


「ギターを持った渡り鳥」ほど好きではないのですが、「さすらい」もけっこうな曲で、結局、歌手・小林旭の未来はこの曲で定まったと感じます。

この映画での宍戸錠の役名は「坊主の政」、その名の通り、数珠をもって登場には大笑いです。こういうところが好きで、子どものころから、親に隠れて日活に宍戸錠を見に行ったのであります。

浅丘ルリ子の登場までにちょっと時間がかかりますが、これまた渡り鳥のときより大人びたメイクで、けっこうな美女ぶりです。

旭「で、踊り子の名前は?」
ル「たしか、ジェニー・ハルミといったはず」

なんていう台詞が出れば、日活ファンは、そら来た、てえんで、白木マリ登場に備えます。

渡り鳥シリーズにしても、流れ者シリーズにしても、脚本家のひとりは、当時の衆院議長である原健三郎となっていて、堀久作社長の影の面がほの見えます。暴力団は駄目で、政治家はOKって、それはないと思うのですがね。

浅丘ルリ子と小林旭は、この時期に、さらにもうひとつ、「銀座旋風児」シリーズでも共演しています。こちらは映画のクリップはないので、せめて主題歌だけでも。これが好きなんですわ。

小林旭 - 銀座旋風児


歌詞カードには「旋風児」のところに「マイトガイ」とルビがふってあります。「生まれたときから旋風児[マイトガイ]」なのです。小林旭の映画的ペルソナをこれほど端的にあらわした歌詞はありませんぜ。一度歌ってご覧なさいな。メロディーも歌詞も脳裏にこびりついて、逃げることができなくなること請け合いです。

小林信彦の「オヨヨ大統領」シリーズのどれか、たしか、『大統領の晩餐』で、鮎川哲也の「丹那刑事」をモデルにした「旦那刑事」が突然、俺は旋風児なのだ、と叫ぶのは笑いました。いや、日活ファンにしかわからないジョークですが。

矢作俊彦監督の日活名場面集『アゲイン』で見たときから、これはいつかちゃんとみないとな、と思っただけで、まだ実現していない映画。舛田利雄監督『女を忘れろ』、と思ったら、エンベッド不可というケチくさいクリップでした。気になる方はご自分で検索なさってみてください。

かわりに、こちらは大昔にテレビで見た石坂洋次郎原作もの『丘は花ざかり』の浅丘ルリ子歌う主題歌を。共演は二谷英明だなんてことはすっかり忘れていましたが。

浅丘ルリ子 - 丘は花ざかり


手をつけたときから、一回では無理かなあ、と思っていましたが、なんのことはない、1959年と60年の映画だけで終わってしまいました。これは二つか三つに割るしかないようで、つぎもたぶんルリ子の夜をやります。


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by songsf4s | 2011-11-30 23:55 | 映画
芦川いづみデイの日は暮れて
 
特段の理由はないのです。たんに、つい、うかうかと芦川いづみのクリップをたぐってしまい、本日、手元にあるのはこの話題だけとなってしまったのでした。

いやはや、ひとたび見はじめると止まらないもので、至福の時となってしまいます。まず、美男美女ばかりぞろぞろ出てきて、いい加減にしろよ、といいそうになるクリップから。長いのでクリックするならそのおつもりで。

西川克巳監督『東京の人』 - 芦川いづみ、月丘夢路、新珠三千代


男優のほうは滝沢修、葉山良二、青山恭二を確認できます。月丘夢路と葉山良二が会う場面の背景はいったいどこなんでしょうか。イタリア・ロケ、なんていわれたら信じてしまいそうな建築。

月丘夢路というのはちょっと妖艶というイメージだったのですが、大人になってから小津安二郎の『晩春』を見過ぎて、印象が変わってしまいました。しかし、こういう映画を見ると、やはり年増女の魅力を発散していて、ほほう、です。『鷲と鷹』のときより、こちらのほうがずっといいのではないでしょうか。

いちおう、テーマ曲(らしい)のほうも貼りつけておきます。やはり映画からのショットが使われています。

三浦洸一 - 東京の人


『東京の人』は未見ですが、こちらは再見したくて、かつてVHSを買いました。

中平康監督『あした晴れるか』


冒頭にやっちゃ場が出てきて、石原裕次郎がカメラマン、担当編集者が芦川いづみという映画はどれだっけ、なんてことをチラッと思ったことがあったので買ったのですが、明朗闊達単純明快、楽しい映画でした。

ご存知ない方のために注釈しておくと、やっちゃ場というのは東京青果市場のことで、かつて秋葉原駅のすぐまえにありました。いまや高層ビルが建ち並ぶ馬鹿馬鹿しさ。東京でもっともイヤな場所のひとつに変じました。

裕次郎扮するカメラマンが「東京探検」というテーマで写真を撮るという展開なので、あの時代の東京風景をたっぷり見られます。時がたつにつれて、その面でも価値が高まった映画です。

酔っぱらった芦川いづみが、「こんどは血まみれメリーちょうだい」といい、裕次郎に「血まみれ?」といわれ、「ブランデー飲むと回虫わかないの」というのに笑いました。いまや、「回虫ってなによ」という人も多いのでしょうが。

西河克己監督『青年の椅子』


藤村有弘が芦川いづみの婚約者という設定は無理無理で、観客は即座に、これは破談になるな、と卦を立ててしまいますなあ。

浅丘ルリ子は沈鬱な表情の多い役がずいぶんありましたが、芦川いづみは「明るく朗らかに」を絵に描いたような役柄が多かったような記憶があります。

石坂洋次郎原作ものからくる印象なのでしょうが、「わたし、これからの女というものは、これこれこういうことが大事なのではないかと思います。男女のことも、いままでのようなじめついた日陰のものとしてではなく、明るい太陽の下で考えるべきなのではないでしょうか」などといった意見を正面から述べたり、ポンポンと男をやりこめるような役も似合いました。石坂洋次郎的な戦後民主主義を具現した存在と、すくなくともわたしは見ていました。

そういう民主主義という抽象観念の肉体化の極北は、この映画での役かもしれません。やはり石坂洋次郎原作。

中平康監督『あいつと私』


60年安保を(あまり目立たない)背景にした、裕福な家庭の子女が通う私立大学の学生たちの話ですから、自然と女の自立といったテーマが忍び込んで、芦川いづみはしきりに政治観、人生観、社会観を一人称で(!)陳述します。まあ、彼女がやると、角が立たず、そういう女性像も魅力的に見えます。

脈絡もなく、いま目についてしまったので、貼りつけます。アクションの日活としては、やけくそみたいに異質な映画でした。

森永健次郎監督『若草物語』


大昔、テレビで見たときは、芦川いづみが長女で、その下が浅丘ルリ子、という設定がちょっと意外でした。まあ、微妙なところですが、どちらかというと、浅丘ルリ子は長女的と感じます。

結局、石原裕次郎や小林旭でまわしていくことが苦しくなり、松竹かよ、という日活にはありえないような女性映画が生まれることになったのでしょう。

美女たちが妍を競うのは麗しいのですが、しかし、なんだか物足りない映画でした。キャスティングがまわらなくて、苦肉の策としてこういう映画をつくるのはやはり賢明ではないのでしょう。男優の粒が小さくて、女優の豪華さが生かされていませんでした。

それにしても、いつもの文脈から脱出したはずだった吉永小百合は、またここにも浜田光夫が待っていて、なーんだ、だったのでしょうねえ!

もう一本。これまた、ポンポンまくしたてる戦後的女性を演じています。

牛原陽一監督『堂堂たる人生』


日活はタイプ・キャスティングというか、そんなことをする余裕すらなく、主演ははじめから決まっていて、それに合わせて話を選んだり、つくったりしていたわけで、『若草物語』のように不安定なキャスティングは例外中の例外、この『堂堂たる人生』も、いつもの安定したキャスティングです。

とはいいながら、桂小金冶がまた寿司屋のオヤジというのは笑ってしまいます。この人はほかの役ができる気がしません!

わたしのもっとも好きな芦川いづみ出演作品は『あじさいの歌』ですが、これは残念ながらクリップがありませんでした。以前はあったのですけれどねえ。もっとユーチューブを活用してくれるといいのですが。

それにしても、なぜ、昭和30年代の日活映画を見ていると、こうも幸せな気分になるのでしょうか。わがことながら、じつに不可解千万です。


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by songsf4s | 2011-11-29 23:44 | 映画
そして、メル・テイラーもいなかった+鈴木清順、宍戸錠語る
 
本日は休日にしては、ツイッターのタイムラインが静かで、「日活100年」アカウントから流れてきた、先日の鈴木清順監督と宍戸錠の対談というか、舞台挨拶のようなものを読んで、ふむふむ、がっはっは、などとやっていました。

日活サイトの「『鈴木清順 再起動!』 トークショーは立ち見ファンでいっぱい!」

いくつか面白い話が出てきましたが、このくだりが、モスト・フムフムでした。

宍戸錠「今年は日活のプレ100年祭で、先日NYのリンカーン・センターへ行って挨拶したんですよ。通訳をつけるから日本語で大丈夫と言われたので、『絶対に英語でやってやる!』と思ってね。英語なんか喋れないんだけど、そういう時は喋っちゃうんだよね。
舞台に出たら『ピストル持った格好をして下さい!』と言われて、写真を撮られたんだけど、リンカーン・センターにはポラロイド写真が貼ってあってね。最初に貼ってある人がクリント・イーストウッドで、その次の俳優がちょっとわからなくて、その次の俳優が……俺なんだよ! ヤッター! と思いましたね。日活でも石原裕次郎がいて、小林旭がいて、三番目に宍戸錠がいた。だから、『ああ、俺はいつも3番手なんだなあ』と思いながら、それでも3番目に自分が写っている写真を見た時には感謝感激で涙が出るくらい嬉しかったです。その写真が 『Gate of Flesh』、つまり鈴木先生の 『肉体の門』 なんですよ。あれはニューヨークでも、ものすごくウケているんです!」

日活には「ダイアモンド・ライン」なんていうのがあって、これは石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、和田浩二という顔ぶれでした。むろん、宣伝用に会社が考えたもので、つまり「会社が売りたい順」です。

しかし、赤木圭一郎の早逝で、こんな売り文句は吹き飛んでしまいます。裕次郎の骨折が重なって、主演男優不足に悩んだ会社は、エースのジョーを主役に起用します。あれこれ考え合わせると、「三番目」というエースのジョーの認識は、日活の歴史全体で捉えれば、そのとおりかもしれない、と思ったのでした。

ピストルをもつ格好をしてください、とはまた、NYのプレスも日本とノリはいっしょ! こういうとき、照れずにさっとやってくれるのがエースのジョーのすばらしさです。

談志の死にショックを受けて、いや、そのまえから、仕事も一段落だから飲むぞ、というツイートをしていた人が、だいぶ聞こし召され、エースのジョーについてあれこれツイートされていました。

おまえ、俺より抜き撃ちが早くなったら、二代目を継がせてやるといったくせに、いざ勝ったら、お前は早いだけだ、殺しの美学がない、といって継がせてくれなかった、なんておっしゃっていて、ニヤニヤしてしまいました。

いや、つまり宍戸錠という人は、照れるも照れないも、抜き撃ちの早さをおおいに誇りにしているのでして、そういうところが、やはりたまらなくエライと思うのであります。

ふつうじゃないというのは、偉大です。たしか、昔、銃刀法違反で取り調べられたりしたことがおありだったと記憶しています(呵呵)。けっこう、映画を地で行く人なのでしょう!

もうひとつ。

宍戸錠「ある撮影の時、『今日は屠殺場で牛を殺してもらうから、眉間に完璧にバカーンッと入れろ』と言われたので、『堪忍して下さい。牛肉はステーキにしないと食えなくなります。殺すのは無理です』とお願いしたことがありました。それが『肉体の門』 という作品で、英語で言うと『Gate of Flesh』 と言います。understand?」

ちょっと意味不明のところもありますが、むろん、牛を殺せといった人は鈴木清順監督です。映画監督というのは、こういう無慈悲なところがあるからなあ、と笑いました。

『肉体の門』予告編(ちょっと露骨な描写があるので、プレイする前にご一考を)


いや、いまは動物愛護団体がうるさいので、ほんとうに殺したりするとまずいことになります。なら、牛肉食うなよ、と思うのですが、まあ、みなさん、菜食主義者なのでありましょう。

いや、馬が倒れたりすると、無事であってくれよ、と思いますけれどね。骨折したらおしまいですから。

足立正生監督が、処女作で、ほんものの××を使ったという話を聞いて、うひゃあ、とのけぞったことがあります。いや、この話はやめておきます。映画の世界はとんでもない、というか、足立監督がとんでもないだけかもしれませんが。

談志の死を悲しみ、ふと、エースのジョーが死んだら、悲しいではすまないぞ、と狼狽した方のツイートを読んでいて、わたしも、ジョーが健在で、いまも、拳銃を撃つ格好をしてくれ、という注文に嬉々として応じている、というのは、なんともありがたいことだと思いました。それがリンカーン・センターでの出来事だというのだから、なおさらです!

今回の鈴木清順シネマテーク「鈴木清順 再起動!」は12月16日までつづくそうです。

わたしは今回は行かないだろうと思いますが、高校のときに池袋文芸座地下のシネマテークで見たきりになっている『密航0ライン』がちょっと気になります。伊勢佐木町と元町でロケをしていた記憶があり、そのあたりをもう一度見てみたいのです。

◆ Just another instrumental project from L.A. ◆◆
静かな休日は、立川談志没の未確認情報が流れたあたりから、だんだん騒然としてきて、談志師匠とは無関係なことでも、おや、ほう、というツイートが流れはじめ、昼下がりから忙しいことになってきました。

当家にもときおりコメントをお寄せくださる、われらが「長老」(いつのまにやらお互い「アラカン」となり、洒落にならなくなってきた!)キムラセンセが、つぎのようなことをつぶやいて、談志に気を取られていたわたしは、虚をつかれてしまいました。センセ、外交電報送りましたが、開戦に間に合わず、結果的に事後承諾とさせていただきますので、どうかあしからず。

「本を読みながら、Media Monkeyにシャッフルさせて音楽を流していたら、Mel Taylor & The MagicsのThe In Crowdが流れてきた。途中から流れるギターに驚いた。グレン・キャンベル80%、ビリー親分20%の確率。もうけた気分。」

このツイートのときは、ほう、それはありそうな話、と思っただけなのですが、そのつぎで、ええ、となりました。

「気になったので、アルバムを聴き直している。Bullseyeのギターは間違いなくビリー親分。というか、そもそもこのアルバムのドラムはメルなのか?違うんじゃないか。プロデューサーがディック・グラッサーだし。違うという方にぜんざい1杯賭けとこう。」

あたしなんか、すぐに、首をかけるの、腹を切るのと、軽々しくいっちゃうのですが、さすがにセンセはぜんざい一杯、穏当というか、腹が据わっていないというか、命を大事にするというか。

いや、そんなことはどうでもよくて、メル・テイラーのアルバムなのに、メル・テイラーが叩いていないのかよ、まあ、サンディー・ネルソンの盤で叩いているのがアール・パーマーだったという例もあるからな、と思ったのです。

ともあれ、ユーチューブにあったメル・テイラー名義のトラックを貼りつけます。

Mel Taylor & the Magics - The "In" Crowd


おお、かっこいいギター、だれなのか5秒以内に札を張れ、といわれたら、目をつぶってビリー・ストレンジへと。しかし、センセがこちらだと主張するグレン・キャンベルも、トミー・テデスコもありそうで、悩ましいところです。

センセがあげられているBullseyeはクリップがないので、サンプルをアップしました。アナログ・リップ、低音質です。

サンプル Mel Taylor & the Magics "Bullseye"

こちらのリードギターはストレートなトーンなので、The "In" Crowdより明解にビリー・ストレンジじゃん、といえます。ビリー御大は、あまりワイルドなプレイをしませんが、たまにやると、The "In" Crowdみたいな感じなのです。でも、グレン・キャンベルといわれると、たしかに、グレンはよくこういうプレイをしているな、とも思います。今日は歯切れが悪いなあ>俺。

いや、もう時間切れで、この話題をまとめる余裕がなくて、焦っているのです。

さきほど引用したツイートのつぎに、キムラセンセからは追って書きが届きました。

「あとから、日本盤に付いている山下達郎のライナーを読むと、『メルテイラー・本人が演奏メンバーや選曲の経緯などに関して全く記憶が無いと再三コメントしている(何か彼にとって不快な要因があったのかもしれない)』とあります。キック踏ませてもらえなかったのが…。」

これには大笑いでした。やはり、ご当人とは関係ないところで企画が進み、名前と引き替えに金をもらっただけ、というパターンだったようです。いくつか、メル・テイラー風のドラムもあるのですが、ぜんぜんちがうじゃん、というトラック(たとえばWatermelon ManやA Taste of Honey)もあります。

もうひとつクリップを。

Mel Taylor and the Magics - Skokiaan


メル・テイラーではないとして、ではだれだ、といわれると、わたしにはなんともいいかねます。アール・パーマーとハル・ブレインの線はまずないでしょう。

すでにジム・ゴードンは活躍しはじめていますが、あまりジミーのような雰囲気もありません。ジム・ケルトナーの線もゼロ。もうちょっとクラスの落ちる人ではないでしょうか。ジョン・グェランのように突っ込んではいませんが、おみごと、というプレイもありません。

メル・テイラーのソロだなんて、あの突っ込むドラムを聴かされるのはかなわんなあ、と思っていたのですが、まじめに聴いてみれば、とくにタイムが早すぎて気分が悪くなるようなトラックはなく、タイムは訓練で改善されるのだな、と納得したのでした。ん? ちがうか。

本文の趣旨とはかけ離れた、とってつけたような結論をとってつけてしまい、どうも失礼しました。今日は談志没と、粋人、もとい、酔人の宍戸錠談義で消耗してしまったのでした。


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メル・テイラー
イン・アクション
イン・アクション
by songsf4s | 2011-11-23 23:52 | 映画
蔵原惟繕監督『俺は待ってるぜ』補足 ロケ地へ
 
Midnight Eyeという、日本映画を扱っている英文のサイトがあって、ときおり見ているのですが、今日は、エースのジョーと舛田利雄監督のインタヴューを読みました。イタリアのウディネという町での映画祭をお二方が訪れた際のものだそうです。

とくに突っ込んだ話はないのですが、舛田利雄監督の東映任侠映画と日活のやくざ映画との違いの定義は、簡潔明快で、なるほどと思いました。

「東映任侠映画、たとえば高倉健を主役にしたものと、日活アクション映画はまったく異なるものだった。日活は基本的には若者をめぐるヒューマン・ストーリー、つまり「青春映画」の会社であり、それがときにやくざのキャラクターやその世界を背景にすることがあったというだけだ。それに対して東映は、本物のやくざの映画をつくった。東映の俊藤浩滋プロデューサーはやくざといってよい人物だった。だから、彼らはやくざの現実とその美学を映画にしようとした。したがって観客もまったく異なった。東映の観客はやくざ映画を好んだが、日活の観客はドラマを見るために映画館へ行った」

東映映画を語るというより、日活映画を語ったわけですが、日活は青春映画の会社だというのは、当事者の共通の認識だったようです。以前、ご紹介しましたが、鈴木清順監督も、『野獣の青春』はなぜあんなタイトルになったのだときかれて、さあねえ、と笑いながら「まあ、日活は若者のための映画をつくっていたから」と答えていました。

大人のための映画をつくっていた、とは云えないし、よその会社のように、夏休みの子ども向け映画などもなかったようで、たしかに日活は「若者のための映画」をつくっていました。

でも、「青春映画」といわれると、それは吉永小百合と浜田光夫の担当であって(舟木一夫主演の映画もいくつか見た記憶があるが)、といいそうになり、いやまあ、大きく見れば、日活アクションもまた「青春映画」だったのか、と考え直したりしました。

さらに考えると、つまり、アクションも青春映画も均等にやった石原裕次郎は、日活映画の全スペクトルをカヴァーした、というか、つまり、裕次郎こそが日活だったのか、という落着でいいような気がしてきました。

今村昌平のような芸術映画の監督と、アクション映画の監督の関係、といった興味深い話題がほかにもありますが、それはまたいずれということに。

◆ ロケ地再訪 ◆◆
連休中に、『俺は待ってるぜ』のロケ地に行き、少し写真を撮りました。しかし、以前書いたように、レストラン「リーフ」のセットが組まれた場所はいまでは観光地になっていて、そういう場所に連休中などというタイミングでいったものだから、写真を撮るどころではなく、這々の体のヒット&ランになりました。

しかし、せっかく撮ったものを使わないのも癪だ、というケチくさい根性が頭をもたげ、また、つぎになにをやるかが決まらないため、観光地の混雑を写しただけの写真を並べることにしました。

写真を撮ったのは二カ所(ロケ地を特定できたのは二カ所だけだから当然だが)で、新港のほかに、裕次郎が証人を捜して歩きまわるシーンに出てきた花咲町の通りも行って来ました。

まずは、新港のロケ地から。どこにセットが建てられたかは、以前の記事で明らかにしていますが、もう一度、同じ地図を貼りつけます。真ん中やや上の青い丸がセットの位置です。

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それではロケ地、というより、観光地の写真というべきものへ。

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鉄橋の上から赤煉瓦倉庫を臨む。この方向のショットはラスト・シーンにしか登場しない。

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映画では桟橋があった「リーフ」のわきの斜面。左手に見える大型客船は飛鳥II、そのむこうのあたりに大桟橋がある。

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こういうアングルで撮りたかったのだが、あれこれ障害物はあるし、人通りも多く、そうはいかなかった。

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このように、かつては大小二種類のトラスがあったのだが、現在では左側に見える小さいほうしか残っていない。

つづいて花咲町の写真を。もうすこし庇が残っていると思ったのですが、いまや一カ所だけしかありませんでした。

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JR桜木町駅のプラットフォーム。昔とはだいぶ様子が異なる。

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逆方向に切り返し、JR桜木町駅を背にして京急日ノ出町駅方向にむかって撮影。庇はここしか残っていない。

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以上、たった二カ所のロケ地再訪でした。町は変わるようで変わらず、変わらないようで変わってしまう、というような気分です。まあ、丸ごと残っていたら、かえって興趣が薄いでしょうけれど……。


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DVD
俺は待ってるぜ [DVD]
俺は待ってるぜ [DVD]
by songsf4s | 2011-09-30 21:44 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その6
 
お客さん方にはあまり意味のないことですが、これは、当家の999本目の記事です。

体調不良でしばらく休みます、といったお知らせまで含めた本数ですが、5本の10本のといったオーダーならいざ知らず、ここまでくれば、そういったものまで含めてしまっても、かまわないでしょう。

よくまあ、飽きもせずに(いや、じっさいには何度も飽きて投げ出しそうになったのだが)、999本も書いたものです。あたくしという人間は、ちょっとどこかが足りないか、あまっているかするのでしょう。

「シェヘラザードも楽ではなかっただろうなあ」なんて大束なことをいえる資格を得たような気分なのですが、1000本目になにか特別企画を用意しているわけではありません。1000本記念総額一千万円大懸賞なんていうのはないので、期待しないでください。

◆ 日活キャバレー創生期 ◆◆
かつて、日活だけを他のスタジオと区別して特別扱いしたのは、大映、東映、東宝、松竹がスクェアだったのに対し、日活だけは、今風にいえばkewlだったからです。

その特異性は、むろん、人物設定、世界、プロットに表現されるのですが、当然ながら、ロケーション、セット・デザイン、衣裳といった視覚的な面でも、音楽や効果音といった聴覚的な面でも表現されました。

人物設定やストーリーから意味を読みとって、映画を云々するのがオーソドクシーなのでしょうが、根がオーソドクスではないもので、当家の映画記事はつねに、視覚的ディテールや音楽へと傾斜していきます。映画というのは、意味である以前に、テクスチャーなのだと考えているからです。

とまあ、よけいなゴタクを書きましたが、今回はまだふれていないセットのデザインを見ます。敵役である柴田(二谷英明)が経営し、ヒロイン・早枝子がつとめるキャバレー「地中海」のデザインです。

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「地中海」という店なので、アルジェだチュニスだといった文字が見える。

というぐあいで、のちの日活アクションの酒場、たとえば、木村威夫デザインの二つのナイトクラブ(『霧笛が俺を呼んでいる』『東京流れ者』)にくらべると、だいぶスケールが小さいのですが、しかし、ディテールには日活らしさがすでに濃厚にあらわれています。

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ステージの背後にのぞき窓があり、フロアを見渡せるようになっている。

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のぞき窓の向こうは事務所で、マンサード屋根の片側であるかのように壁面が斜めになっている。このような設定とデザインもいい。

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昼間、同じ場所でのショット。

このように事務所からクラブのフロアを見えるようにする構造は、日活アクションではおなじみで、たとえば、前述の『霧笛が俺を呼んでいる』ではさらに凝った構造で登場しますし、鈴木清順の『野獣の青春』では、『霧笛』のミクロコスモス化とは反対方向へとスケールアップしています。

このような視覚の多重化については、一度まじめに考えなければいけないとは思っているのですが、そういう理論化はじつにもって不得手というか、生来ものぐさなので、いつか、いい思案が浮かんだときにやろう、と先送りにしています。清順映画の解読には不可欠の道具なのですが。

◆ 家伝の対位法 ◆◆
今回で『俺は待ってるぜ』はおしまいなので、残った音楽の棚浚えをします。

まず、柴田が経営するクラブ「地中海」で、早枝子が歌う曲と、そのあとの4ビートのインストゥルメンタル曲を切らずにつづけていきます。北原三枝のスタンドインで歌っているのはマーサ三宅であると、佐藤勝作品集のライナーにあります。

サンプル 佐藤勝「地中海」(唄・マーサ三宅)

このマーサ三宅が歌う曲だけは佐藤勝作品集にも収録されているのですが、とくにタイトルはつけられていません。むろん、その後の4ビートの曲も同じで、「地中海」というのはわたしがつけた仮題です。

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いや、それにしても、当時の流行だったとはいえ、しっかりウェスト・コースト・ジャズしているところに、改めて感心しました。同時代性というのは恐ろしいものです。いや、それらしくになっているというだけでなく、ハイ・レベルでいいプレイなのです。

あまり話の底を割りたくないので、ちょっと人物関係を曖昧にします。つぎの曲は、いかさま博打でもめて、殺人に発展する無言劇で流れるものです。

サンプル 佐藤勝「Beat to Death」

佐藤勝の師匠、早坂文雄と黒澤明は対位法のことを繰り返しいっています。この曲もまさに対位法の実践で、陰鬱な殺人の場面に、明るく軽快なラテン・スタイルのサウンドをはめ込んでいます。

『俺は待ってるぜ』を収録した『佐藤勝作品集 第8集』のライナーには、蔵原惟繕の佐藤勝回想が収録されています。そこから引用します。ちょっとまわりくどい文章ですが、短いので。文中、「27歳」といっているのは、『俺は待ってるぜ』製作時の年齢です。

「勝さんの音楽的深みは27歳と云う若さを越えたものであったことに驚いた事を今鮮明に憶い出す。多分、それは、映画音楽の師、早坂文雄氏の晩年の仕事ぶりを間近に共にしていた事が大きかったのではなかろうかと思う。喀血しながら作曲を続けた師の後ろで、血の始末や、汚れを取り替え、写符を続けながら学んだことにある様な気がする」

早坂文雄が結核だったことは知っていましたが、その現実というのは考えてみたことがありませんでした。いや、弟子としてどう働いたとか、そのような「修行」がどうだといったことを思うわけではありません。たんに、佐藤勝というのは「そういう人物」だったと理解しただけです。そのキャラクターは彼がつくった音楽の力強い雑食性にそのまま反映されていると思います。

最後の一曲は、日活映画恒例、主役が歌うエンディング・テーマです。その直前のスコアからつなげてあります。

サンプル 佐藤勝「End Title」(唄・石原裕次郎)

◆ 日活的世界 ◆◆
『俺は待ってるぜ』がつくられたのは、石原裕次郎の人気が爆発しようとしていたときであり、『嵐を呼ぶ男』と『陽のあたる坂道』で地位が確立される直前のことです。

したがって、まだ「日活無国籍アクション」はパターン化していません。しかし、港町、エキゾティズム、流れ者(ないしは根無し草)のヒーロー、その「自己回復」の物語、暗黒街の住人たちといった主要な要素は、この映画でほぼ出揃い、のちのパターン化の準備が整えられています。

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日活は製作再開から数年に及ぶ苦闘の時期を脱し、石原裕次郎によっておおいに潤う時代を迎えるのですが、それと同時に、こうすれば客が入る、というヒット・レシピを見つけたことも、裕次郎と同様に重要だったでしょう。

自我の挫折とその回復、ないしは、個の確立といった渡辺武信のいうような、物語にこめられたものにも、もちろん相応の重要性がありましたが、わたしにとっては、視覚的、聴覚的な非日本性のほうがつねにプライオリティーが高く、その意味で『俺は待ってるぜ』はおおいなる愉楽をあたえてくれる映画であり、いま見ても、日活映画の頂点にある作品のひとつと感じます。


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DVD
俺は待ってるぜ [DVD]
俺は待ってるぜ [DVD]
by songsf4s | 2011-09-22 23:54 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その5
 
前回のつづきで、今回も50年代横浜散歩です。

警察で当時の事情をたしかめたところ、ケンカで兄を殺したテツという男はすでに死んでいたことがわかり、島木は、そのテツを殺した「川上一家の竹田」という男(草薙幸二郎)に当たってみようと、まず竹田が根城にしているという「花咲町の白雪という寿司屋」に向かいます。

花咲町というのは、JR根岸線桜木町駅を指呼の間に見る場所で、したがって、みなとみらい地区(この時代にはまだそうは呼ばれていないが)にも近く、当然、レストラン「リーフ」のある新港からもそれほど遠くありません。

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真ん中上のピンクの部分が桜木町駅。この地図では見えないが、さらに上、すなわち北がみなとみらい地区。右側を流れるのは大岡川。南が上流、北が下流でまもなく海にそそぐ。

また、厳密には野毛町ではないのですが、「野毛の飲み屋街」といったときに、花咲町まで含めて思い浮かべる人のほうが多いでしょう。

野毛坂から都橋、吉田橋に至る野毛本通りと、それと直交する平戸桜木道路という二本の表通りから、中通りにいたるまで、飲食店が櫛比し、昼間よりも夜のほうがにぎやかな、猥雑な雰囲気のある界隈です。

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島木が寿司屋にいくと、川上一家の若い者(柳瀬志郎と黒田剛。ギャングのメンツはそろいつつある!)がいて、竹田は近ごろ寄りつかない、といわれますが、店の女の子に、ビリヤード屋へ行ってみたらと教えられます。

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最初に寿司屋に行く。左は柳瀬志郎。

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ここは現在「平戸桜木道路」といっている、桜木町駅から野毛坂下のほうにつづく道の、桜木町駅に近い場所だということが、あとのショットで確認できる。いまでもこのショットのような雰囲気が残っている。変わらない町というのもあるらしい。

いっぽうで、竹田が危険な存在だと感じた柴田も、手下たちに、竹田を見つけて連れてこい、と命じ、島木と鉢合わせしそうな動きで、彼らのほうも竹田を追いはじめます。

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竹田を追う柴田の子分たち。杉浦直樹(中)と青木富夫(右)。「銀座マーケット」といわれても、もはやわからない。中通りか。

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島木がビリヤード屋から出てきたのと入れ違いに、柴田の配下がやってくる。向こうに桜木町駅のプラットフォームが見えるので、ここはピンポイントで場所を特定できる。駅のほうに行ってはなにもないので、島木はすぐに右に曲がることになるだろう。

はじめのうちは島木が先行しているのですが、行きつけのバーの発見が遅れて、先を越されてしまいます。

まだ竹田追跡行はつづきますが、ここで、このモンタージュを生彩あるものにしている、佐藤勝のサウンド・コラージュをお聴きいただきましょう。長いシークェンスですが、丸ごと切り出しました。

サンプル 佐藤勝「Searchin'」

絵の出来がいいと自然に音のほうも出来がよくなるもので、テンポの速いモンタージュに合わせて、どのようにサウンド・コラージュをつくればよいかという、教科書といえるようなものになっています。

2分すぎに登場するハワイアンは、かつて佐藤勝が石原裕次郎のために書いた「狂った果実」のインストゥルメンタル・ヴァージョンでしょう。時間の節約のために再利用したのかもしれませんが、楽しい楽屋落ちになっています。

それでは竹田探索行をつづけます。

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雀荘

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竹田追跡隊。左から榎木兵衛、杉浦直樹、深江章喜、杉浦の背後に隠れているのは青木富夫。

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島木より先に、柴田の配下は竹田の女がつとめるバーにたどりつく。四人がカウンターにさっと腰を下ろすと、間髪を入れずにグラスが並ぶ。ギャングたちも、すぐに移動しなければならないと承知しているので、寸暇を惜しんで素早くタダ酒を飲みはじめるのがじつに可笑しい。日活ギャングたちもこういうときはおおいに乗って演じたのだろう。いやまったく、日活映画はこういうところが楽しい。

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竹田探しがはじまったときはまだ明るかったが、すっかり日が落ちて、ついにギャングたちは武田のすぐ背後に迫った。

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ホテル内部。なかなか雰囲気があるが、ほんの3、4ショットのためにセットをつくるとは思えず、ロケか、他の映画のセットの借用ではないだろうか。

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飛んで火に入る夏の虫、追っ手がきょろきょろしているところに、ことを終わった竹田(草薙幸二郎)が階段を降りてきた。

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ちょっと顔を貸してもらおうじゃないか、というルーティン。ホテル玄関付近も雰囲気があるが、これはロケ地に看板を持ち込んで飾りつけるパターンではないだろうか。

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遅かりし由良之助、そのころ島木は、やっと竹田の女がつとめるバー「キール」にたどり着いた。この酒場も海の縁語で命名されている。

柴田一味につかまった竹田の運命やいかに、と紙芝居じみてしまいますが、そこは書かずにおかないと、差しさわりがありそうです。

このモンタージュは非常に狭い範囲で動いているのですが、編集も手際がよく、場所に合わせて歌謡曲、ハワイアン、ラテン、ジャズと切り替わる音楽も楽しく、この映画のひとつの見せ場になっています。

ひょっとしたら、蔵原惟繕も、高村倉太郎も、そして佐藤勝も、黒澤明の『野良犬』を意識していたのかもしれません。とりわけ佐藤勝は、師匠・早坂文雄が『野良犬』のモンタージュをどう処理したかを意識して、このサウンド・コラージュをつくりあげたのだろうと推測します。

ディゾルヴやオーヴァーラップなどは使わず、「ドライに」カットをつないでいますが(一箇所だけ、島木が駅方向にむかうところでワイプが使われている)、それがこの映画のトーンに合った、きびきびとしたリズムをつくっていて、その面でも非常に好ましいシークェンスです。

次回、いくつかセットを見、あと二曲ほどサンプルを並べて、『俺は待ってるぜ』を完了する予定です。


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by songsf4s | 2011-09-21 23:57 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その4
 
いやはや、いろいろなミスをやるもので、前回の記事をアップしている最中、『赤いハンカチ』の記事から写真のアドレスをコピーしているうちに、その記事を消してしまいました。

そちらの記事の復元に手間取った関係で、新しい記事のほうに手がまわらず、ろくに文字校もしないまま、キャプションも抜けた状態で公開することになってしまいました。

いちおう格好がついたのは今日の午後なので、それ以前にいらしてしまい、スクリーン・ショットの意味がわからず、気になるという方は、公開から半日後にできた現在の版をごらんいただけたらと思います。

◆ 中盤のプロット ◆◆
『俺は待ってるぜ』には、二度、横浜の町の長いモンタージュが登場します。ひとつは、前々回のプロットですでに書いた、石原裕次郎と北原三枝が町に遊ぶシーンです。

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もうひとつのモンタージュに行く前にプロットの残りを書いてしまいます。どこまで書くかはまだ決めていませんが、ここから先はミステリー的要素が入ってきて、それが主眼ではないにしても、形式上は謎解きになるので、近々ぜひ見てみたいなどと思っている方は、読まないほうがよろしいでしょう。スクリーン・ショットを片目でチラッと見る程度にしておかれるように警告します。

早枝子(北原三枝)に襲いかかって逆に花瓶で殴られた柴田(波多野憲)は、町で島木と歩く早枝子を見かけて連れ戻そうとしますが、島木に軽くあしらわれてしまいます。柴田は再び島木を見かけたときに、子分にあとをつけさせ、レストラン「リーフ」を突き止めます。

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日本交通公社すなわち現在のJTBの関内周辺の支店というと、尾上町一丁目にあるようだが、1957年にも同じ場所に店舗があったかどうかは不明。

前々回に書いたように、島木には兄がいて、先にブラジルに渡り、準備ができしだい弟を呼び寄せる手はずになっていました。しかし、ブラジルの兄からは一向に連絡がなく、いっぽう、島木が兄に送った手紙はみな宛先人不明で送り返されてきます。

ある日、島木が外出から帰ると、柴田の兄(二谷英明、このときは若くて顔に険があり、ギャングのボスがさまになっている)以下、弟や子分たちが店を占領していて、まだ契約が残っているので早枝子を返してもらおうと島木に迫ります。ちょっと小競り合いになりますが、そこに早枝子が帰ってきて、クラブに戻ることを承知し、その場は収まります。

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左から杉浦直樹、石原裕次郎、榎木兵衛、深江章喜、波多野憲、二谷英明(背中を向けている)の面々。日活らしいアンサンブルがすでに形成されつつある。みな若い!

しかし、島木は、この小競り合いのときに、柴田の子分(青木富夫。この映画は日活ギャングの中核が揃いはじめていたことを示している!)がもっていたメダルが気になります。

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島木は、兄が土地を買う約束をしていた売主に問い合わせの手紙を送ったところ、約束の日になっても兄上はやってこず、その後、連絡もない、という返事を受け取り、愕然とします。

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入国管理事務所に行って調べてみると、兄が日本を出た形跡のないことがわかります。しかし、荷物は乗る予定だった船にそのまま積まれて南米まで行き、送り返されていました。そして、警察で、兄が出発するはずだった前の晩に酒場のケンカで死んだ人間がいることがわかり、その現場写真によって、兄が死んだことが判明し、正当防衛ということで相手はお咎めなしと、すでに事件は片付いていたことを島木は知ります。

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その酒場は「地中海」と名前が変わったものの、じつは早枝子がつとめる、柴田の兄が経営する店だったことがわかり、島木は早枝子に、柴田の子分が持っているメダルの刻印を確かめてくれないかと依頼します。それは、彼がボクシングの新人王になったときのメダルで、出発前に兄に渡したものに思えたのです。

早枝子の助けで、それが兄に渡したメダルであったことを確認した島木は、それをもっていた柴田の子分(青木富夫)をしめあげて、どこでどう手に入れたかをいわせます。

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早枝子は青木富夫をだましてナイフを借り、口紅を使ってその飾りになっていたメダルの拓本をとる。

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裕次郎が青木富夫を待ち伏せするのは、ひょっとしたら海岸通3丁目の日本郵船の付近か。

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青木富夫にメダルをやった男はケンカで兄を殴り殺した男だったのですが、彼はすでに死んでいたことがわかり、こんどはその男を殺した相手(草薙幸二郎)に当たってみようと、裕次郎が町を歩きまわる、というところで、また長い横浜のモンタージュになります。

◆ 50年代横浜散歩 ◆◆
ということで、蔵原惟繕と高村倉太郎が、どのように1957年の横浜の町を捉えたかをすこし見ていきます。まず、序盤のデイト・シークェンスから。

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デイト・シークェンスのファースト・ショットからして場所がわからない。「横浜会館」という文字が見えるのだが、ウェブの検索ではそのようなビルは発見できなかった。あてずっぽうをいうと、羽衣町(伊勢佐木町のとなりの筋にあたる大通り)あたりではないだろうか。

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平和堂薬局という文字が見えるが、現在の関内周辺にはそういう名前の薬局は見つからない。伊勢佐木町通ではないだろうか。昔はアーケイドがあった。

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このように角を切ったところというと、長者町五丁目の交叉点が思い浮かぶ。伊勢佐木町四丁目の交叉点のとなりにあたる。古い横浜日活には入った記憶がないが、あの建物からなら、長者町五丁目の交叉点がこのように俯瞰できた可能性がある。

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Acme Dry Goods Companyというのがテキサスにあったらしい。その横浜支店だったのだろうか? といっても、それがどこにあったのか、調べがつかなかったのだが。

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以上は映画館内部。撮影の都合から、伊勢佐木町の横浜日活を使った可能性が高い。窓に味がある。

べつのシークェンスも見るつもりだったのですが、デイトのみで時間切れとなりました。以下、次回へ。


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俺は待ってるぜ [DVD]
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by songsf4s | 2011-09-20 21:36 | 映画
蔵原惟繕監督、佐藤勝音楽監督『俺は待ってるぜ』(日活) その3
 
ほかのスタジオの映画もそうですが、とりわけ日活アクションには、しばしば引込線が登場しました。すでに取り上げた映画でいうと、舛田利雄の『赤いハンカチ』は横浜の貨物駅のシークェンスで幕を開けます。

ギャングの取引には好都合な場所だからということなのかもしれませんし、車輌の動きや足元が見えてしまう遮蔽物としての面白さ、そして凶器になりうることなどから、映画的効果を生みやすいということもあるのでしょう。

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以上三葉は『赤いハンカチ』冒頭の、石原裕次郎、二谷英明が榎木兵衛を追う貨物駅のシークェンスより。

前回の記事のコメント欄に書いたのですが、子どものころから引込線が好きでした。そのことは散歩ブログの「神奈川臨海鉄道本牧線の旅、とはいかなかったが──続・日活アクション的横浜インダストリアル散歩」という記事にも書きました。

映画をつくる側としては、いろいろ好都合なことがあって引込線を使うのでしょうが、見る側が引込線に魅力を感じるのはなぜなのだろうと思いました。最初に思いついた答えは、非日常性です。

子どものとき、引込線の線路の上を歩いていたときに感じたのは、非日常の喜びだったのだといま振り返って思います。「これはふつうならできない遊びだ」と感じていました。旅客を運んでいる鉄道の線路を歩くなど、まずできないことですから。

また、旅客を運ばない、いわば「プライヴェートな鉄道」であることも、子どもにはひどく面白く感じられました。言い換えると、ちょっと大げさですが、「この世の埒外にあるもの」としての深い魅力をたたえていたから、子どものとき、引込線のそばにいくたびに、その上を歩かずにはいられなかったのだろうと思います。

蔵原惟繕が、『俺は待ってるぜ』で、レストランのセットを「横浜市中区新港町埠頭構内」などという、無番地の奇妙な場所においただけでなく、線路の「砂かぶり」とでもいうべき近さに引込線があるという設定にしたのは、たんなる視覚的な面白さだけでなく、二重三重に主人公をこの世の外、といって大げさなら、「日本の日常の外」におきたかったからではないか、と想像しました。

◆ 外部の異界と内部の異界 ◆◆
『俺は待ってるぜ』のレストランのセットが置かれた位置については、前回、くどくどと書いたので、今回はセットそのもののことを少々書きます。

レストラン「リーフ」は、全体に西部劇の酒場のようなムードでデザインされています。とくにファサードを横から見たショットでは、ポーチのせいで西部劇のセットそのものに見えます。

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二、三段の階段を上がってポーチの上に立つと、ドアがあります。このドアも内部の床面より高いところにあり、二、三段の短い階段を降りて内部に入るようになっています。つまり、ポーチの階段を上がり、ドアをくぐると、こんどは階段を降りるという、考えようによっては無駄な構造になっているのです。

このような構造にした意味は、ひとつには視覚的効果の問題でしょう。いくつか、じっさいにそのようなショットがあるのですが、室内から見て、店に入ってきた人間を「奥」に配置しながら、なおかつ、その存在を強調することができるのです。

ドアから入ってきた人物は、やや高いところに立つことになるので、ちょうどステージに上がったように、室内の人間や調度のなかに沈まないのです。

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また、人物が水平移動するのは、見るものの視覚運動が小さいのですが、垂直方向に移動すると、目玉の運動量が増大し、映像に躍動感が生まれます。そのあたりの効果も狙ってのものでしょう。

もうひとつは、視覚的な意味ではなく、「界」と「界」の境を越える動作を強調し、レストラン「リーフ」の内部を「異界化」するためでしょう。リーフの位置自体が「異界」だということはすでに書きましたが、いわばその念押しとして、二重の異界化を、この松山崇のデザインになるセットはおこなっているのだと考えます。

ドアをくぐって店内に入ると、左手に長めのコントワールがあります。昼間はコーヒーや紅茶が、夜は酒が供されるのでしょう。このカウンターの両端には大型のコーヒーミルとラジオが見えます。正面奥の左側は調理場で、短めのカウンターがあり、できあがった料理がおかれます。

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開巻直後、石原裕次郎に誘われ、北原三枝がレストラン「リーフ」にやってきて、ドアのところに立ったたきの、彼女の「見た目」のショット。ドアが高いところにあるので、左手のコントワールの向こうにいる裕次郎を見下ろす格好になる。

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調理場内部からドアのほうを見たショット。右側にはコントワールの端が見え、その上にコーヒーミルが置かれている。

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こちらは逆方向からのショット。石原裕次郎の頭の向こうに調理場がある。そのむかって右はプライヴェート・スペースで、北原三枝がそこから出てきたところ。

調理場のむかって右にはドアがあり、その向こうには店主の私室があります。松山崇は、ここでも部屋と部屋の境に段差をつけました。私室には、店から二段ほどの階段を降りて入るようになっているのです。

この場合も、店の入口の階段と同じ視覚的効果を狙ってのデザインでしょう。部屋の奥からドアを狙ったたショットでは、手前のベッドに腰掛ける人物と、ドアから入ってきた人物に重みの差をつけずに、均等に見せることができます。

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そして、メタフィジカルなレベルにおいては、このプライヴェートな「奥の院」は、日本から遠くへ、遠くへと進むこのセット・デザインにおいて、最遠の地であり、もっとも異界性が強い場所として設計されています。

主人公がこの部屋のベッドに寝転がって、タバコを吸いながら思うのは、兄から手紙が届き、この日本を、心だけでなく、肉体としても離れ、ブラジルに渡るときのことにちがいありません。「ここではないどこか」で「自分ではない誰か」として生きる夢です。

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その想念のささやかな道具立てとして、壁には南米の地図が張られています。ここには日本を思わせるものはなにもなく、「異界性」は極限に達しています。

二十歳ぐらいのときにこの映画を再見して感じたのは、日本からの解放でした。いま改めてセットがおかれた場所と内部デザインを検討して思うのも、やはりそのことです。

1957年ほどには、あるいは、わたしがこの映画を再見した1970年代半ばほどには、いまは日本脱出願望というのは大きくありません。経済状態の好転とともに、むしろ日本肯定の気分が広がっていったのを、わたしは他人事のような遠さで見ていました。

しかし、大震災とその後の政治、経済、メディアを見ていて、1957年となにも変わっていない、あるいはさらに悪化したのではないかと思えてきました。

われわれはやはり、荒涼たる土地のはずれに小屋掛けし、その奥まった狭い一室に追い詰められ、いつか、この日本ではないどこかで、我慢のならない日本的政治風土から遠く離れ、それまでの自分とは異なる人間として暮らす夢を見ているような気がします。

今回は横浜の町のショットも検討すると予告したのですが、それは次回にさせていただき、本日はここまで。


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by songsf4s | 2011-09-19 23:33 | 映画