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石井輝男監督『セクシー地帯〔セクシー・ライン〕』(1961年、新東宝) その2
 
かつて日活で活躍した女優にして深作欣二監督の未亡人、中原早苗さんの訃報を読みました。

当家で過去にとりあげた映画では『乳母車』に出演していますが、この映画では、芦川いづみの同級生として、冒頭のプールのシーンに登場するだけにすぎず、記事では言及しませんでした。

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田坂具隆監督『乳母車』の中原早苗。右は青山恭二。

いますぐにというわけにはいきませんが、できれば、近日中に彼女が活躍した映画をなにか取り上げようと思います。『あじさいの歌』の島村のり子役も印象深いものでしたが、おそらく、鈴木清順監督の『関東無宿』になるでしょう。

◆ 赤、青、黒、白、黄、線といっても色色ありまして ◆◆
石井輝男が新東宝時代に数本とった「地帯〔ライン〕シリーズ」というのは、おそらく「赤線区域」略して「赤線」から来ているのだろうと思います。

赤線というのは「売春を目的とした特殊飲食店街の別称。警察がこの地域を地図に赤線で囲って示したところから」(ニッポニカ)だそうで、江戸時代にはじまって1945年の敗戦まであった公娼制度と、進駐軍のアメリカ式公娼否定の考え方が出合って、無理につくられた私生児のような制度といっていいでしょう。

また、青線というものもあって、「飲食店の営業許可だけで酌婦がひそかに売春をしたり、あるいは旅館を装って街娼を出入りさせる裏口売春街は、フランスの例に倣って特別地区として地図に青線で囲った」(同上)のだそうです。

石井輝男は、赤線も青線もつくっていませんが、『白線秘密地帯』(1958)『黄線地帯』(1960)『黒線地帯』(1960)という、いずれも売春組織をあつかった映画を撮っていて、この一連の(ただし、プロットも登場人物も相互に連絡はない)ものを「ライン・シリーズ」といっています。

憶測するなら、赤線でも青線でもない、社会の表にはあらわれない売春という意味で、白線だの黒線だのといった名前をつけたのでしょう。最初の『白線秘密地帯』は、赤線が廃止された年につくられています。今回取り上げる『セクシー地帯』は、色名を使っていませんが、このシリーズにつらなる最後の映画です。

◆ スケッチ・クラブ! ◆◆
貿易会社に勤める吉岡博司(吉田輝男)は、ある夜、尾張町交叉点で、見知らぬ女・真弓(三原葉子)に突然、腕をとられ、地下鉄出入口へと引っ張り込まれます。

あなた、いい男ね、などとしなだれかかかったと思ったら、女は、じゃあまたね、と、あっというまに去り、直後に、吉岡は二人の男にとらえられ、署まで来てもらおうといわれます。女は掏摸とった札入れを吉岡のポケットに落とし、同時に、吉岡がもっていた紙入れをすっていたのでした。

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翌日になって容疑がはれ、吉岡は会社に行きますが、上司から、しばらく大阪支社にいっていろと命じられます。吉岡が女にすられた紙入れはこの上司から預かったものだったのです(なぜそんな妙な預かりものをしたかの説明はない!)。

ひそかに売春をしていた吉岡の恋人、滝川玲子(三条魔子)は、吉岡の転勤の話を聞き、わたしが部長に話しておくので、もう一度部長に会って、左遷命令を撤回してもらえと説得します。

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吉田輝男と三条魔子のデート・シーン。背後に見える「東京松竹劇場」とは東劇のことか。たぶん三十間堀なのだろう。銀座でボート遊びとはまた!

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玲子はすぐに客ないしは情人である部長を呼び出し、吉岡の左遷を撤回させ、ついでに手切れ金をせしめます。

彼女がその足で向かったのが「クロッキー・クラブ」という、まるで美術学校のように、ヌードの女性を男たちがスケッチするクラブ。ここで女性を観察して、指名してどこぞへと連れ出すという仕組みの売春組織の本拠とわかります。

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玲子は、この組織のボスに、自分はもうこの仕事が嫌になったので、やめさせてほしいといいますが、ボスのほうは、当然ながら、そんな勝手は許さないといい、玲子のほうは、それなら組織のことを暴露すると開き直ります。なんと愚かな言動かと思いますが、このあたり、脚本は説明も弁解もなしに、強引に押し通ります。呵々。

いっぽう吉岡は、部長のマンションに訪れたものの、部長には会えず(玲子と会っていたのだから当然!)、玲子のアパートに行きますが、やはり会えません。ふたたび部長のマンションの受付に行き、ラジオのニュースで玲子が自分のアパートで絞殺死体となっていたことを知ります。

死体発見の直前にアパートを訪ねた若い男がいたこと、また玲子の上司の部長が、玲子の婚約者が仕事上の失敗で悩んでいたと証言したとも報じられ、自分が容疑者となったことがわかって、吉岡は夜の町にさまよい出ます。

吉岡は先夜の掏摸の女・真弓にばったり出会い、女を責めますが、女のほうは平気の平左で、逆に吉岡が警官を避けたのを不審に思い、逃げる吉岡を捕まえて事情を聞き出します。そのあたりで流れる音楽をサンプルにしました。

サンプル 平岡精二「ラジオ・ニュース」

真弓は「バッカス」というバーに入り、吉岡から掏摸とった紙入れを返しますが、それはなにかのクラブの会員証のようなものが入っているだけで、部長からあずかっただけの吉岡もそれを見て、自分はこれしきのものを盗まれただけで左遷されるのかと、首をかしげます。

そこへボーイが飲み物をもってきて、吉岡のもつ会員証を見て態度を改め、場所と時間のご希望は、と尋ねます。なんだかわからずに戸惑う吉岡を尻目に、真弓はすかさずホテルの名前と時刻を告げます。

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かくして、女掏摸とその被害者がタッグを組んで、殺人事件の謎を解き、売春組織を相手に冒険をするというのが『セクシー地帯』のストーリーです。

昔の映画ではあるし、新東宝は財政的に苦しかったこともあって、いや、石井輝男の考え方もおおいに関係あるのでしょうが、以上のプロットをご覧になっただけでも、脚本は穴だらけであることは一目瞭然でしょう。強引な偶然が多すぎますし、時間的順序にも無理があったりします。

しかし、この映画の魅力はそういうところにはない、というか、論理性を重要なポイントと考えてしまうと、とうてい最後まで見られなくなってしまいます。

『セクシー地帯』が魅惑的なのは、ろくに撮影許可もとらなかったのではないかと思わせる、荒っぽい、しかし、生彩ある、ほとんどが手持ちで撮影された、1960年代初めの東京の、いや、銀座、築地、新橋、有楽町、浅草の肖像です。

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やれヌーヴェル・バーグの、やれシネマ・ヴェリテのといった流行りごとを石井輝男が意識していたかどうかは知りませんが、ゴダールがなんぼのものじゃ、というほど自由な、そしてインプロヴィゼーショナルなショットが積み重ねられ、われわれは吉田輝男や三原葉子や池内淳子(コールガール役!)とともに、東京アンダーワールドを彷徨う愉しみをたっぷり味わうことになります。

手持ちを多用し、その場の光だけで撮影したショットばかりなのは、たぶん、シネマ・ヴェリテの線を狙うといったアーティスティックな意図があったわけではなく、コストの関係で早撮りに徹した(石井輝男は助監督として渡辺邦男につき、早撮りの技を学んだという。「本家の血筋」なのだ!)結果なのでしょう。

しかし、そのおかげで、同時期の邦画、たとえば日活アクションとはまったく異なった味が生まれ、独特のスピード感とリアリティーが形作られています。

平岡精二(子どものころ、昼のワイドショウにレギュラーとして出演し、毎日、にこやかにプレイしていた姿が目に浮かぶ)のスコアは、すべて彼のクインテット(ドラム、ベース、ピアノ、ギター、平岡自身がプレイするヴァイブラフォンという、管なし、リズム・セクションのみの編成で、非常に好ましい)による演奏のみで、これまたコストの要求したものでしょうが、よけいなものがなく、結果的に成功しています。暑苦しい金管も木管も完全に排除、という涼やかなサウンドも成功の一因でしょう。

またサンプルを。吉岡は「クロッキー・クラブ」というプレートを貼った店を求めて銀座裏(?)を歩きまわり、「ル・フランセス」という喫茶店を見つけます。開店前にこの店のプレートをはぎ取り、その結果、店がどう動くかを見て、手がかりを得ようとします。

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吉岡が店に入って注意していると、支配人が秋子という女(池内淳子!)になにか指示し、秋子は店を出ます。吉岡はその行き先を突き止めようと秋子を追って銀座裏を歩きはじめます。そのシークェンスに流れる曲を。

サンプル 平岡精二「女を尾行けろ」

アンプがよくないだけかもしれませんが、澄んだトーンではなく、微妙に歪んだギターの音がじつに好ましく、また、モダーンに響きます。もはや50年代ではない、というタッチ。

ゆったりとした4ビートの音楽と、手持ちキャメラによる都市の肖像、というのが『セクシー地帯』の魅惑です。物語はさておき、次回もまた、吉田輝男や三原葉子や池内淳子とともに、平岡精二のサウンドに乗って東京を彷徨する予定です。


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by songsf4s | 2012-05-18 23:52 | 映画
石井輝男監督『セクシー地帯〔セクシー・ライン〕』(1961年、新東宝) その1
 
ずいぶん以前からずっと、なにか石井輝男の映画を取り上げようと思っていたのですが、なかなか重い腰が持ち上がりませんでした。

新東宝映画や石井輝男については、それなりの紹介(いくぶんか「弁解」のニュアンスもある!)をしたほうがいいようにも思うのですが、今日はスクリーン・ショットとサウンドトラックの切り出しにおおいに時間をとられ、テキストを書く時間はあまり残されていないので、そうしたあれこれは略して、さっそく映画へ。

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石井輝男は、上品なもの、きちんと整理されたものを好まず、多くの人が軽侮するもの、たとえばエログロと表現されるような下品なものを、あえてつくる露悪趣味ないしは低徊指向のようなものの持ち主だったようです。

キャリアのはじめに、成瀬巳喜男や清水宏に助監督としてつき、成瀬風の企画をたくさん提出したものの、いずれも会社に却下されてしまったといわれていて、あるいは、そのへんでなにか、強くエモーションを刺激することを経験し、「非成瀬的」な映画人生を歩む決意をしたのかもしれないと想像します。

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今回見る、新東宝末期の『セクシー地帯』も、タイトルが暗示するように、ちょっとエロの入った、上品ではない映画です。しかし、東京アンダーワールドをあつかったフィルム・ノワール・ジャポネであり、じつに魅力的な絵と音のコンビネーションにあふれていて、わが嗜好のど真ん中をいく映画なのです。

といっているそばから時間は飛び去り、本日は予告篇程度で終わらざるをえないようです。せめてタイトルだけでもご覧いただきましょう。これがまたじつに好ましいグラフィック・タイトルなのです。

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このタイトル・バックに流れる音楽も、ストレートな4ビートで、絵柄にきちんとマッチしていて、おおいに好むところです。このトラックをサンプルにしました。映画から切り出したもので、音質はあまりよくありません。タイトルはわたしが恣意的につけたものです。

サンプル 平岡精二「メイン・タイトル セクシー地帯」

では次回、もうすこし映画の中身を見てみます。

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by songsf4s | 2012-05-17 23:44 | 映画
日活映画『乳母車』補足 芦川いづみの部屋と鎌倉・光明寺の裏山
 
最後の更新が三月二十五日なので、一月半の長い中断になってしまいました。何度か、軽い記事でご機嫌伺いをしようと思ったのですが、ちょっと疲れていることもあり、また、2007年以来、丸五年近く、千件以上の記事を書いてきた反動で、気分的に倦んでしまったこともあって、なかなか更新できませんでした。

長く休むたびに、毎度驚くのですが、思いのほかお客さんの減少というのは小さいもので、しばらく新しい記事なしでも、おおぜいの方がいらしてくださいます。まあ、原稿用紙にすれば数千枚の記事を書いてきたので、検索でヒットするものもたくさんあるからでしょうが、なんだか菅公の「主なくとも」みたいな妙な気分です。

人間、明日も生きているという保証などまったくありません。今回のように、ふと休んだら、再開できなくなっただけ、というのではなく、ほんとうに重い病に伏したり、ふいにあの世に引っ越したりすることもおおいにありえます。それでも、しばらくのあいだは、このブログは生き続け、毎日数百人のお客さん方が訪れていらっしゃるでしょう。なんだか変なものだなあ、と思います。

どうであれ、意味のあるなしにかかわらず、数年のあいだ、倦まずたゆまず記事を書いてきた報酬なのだろうと、訪れていらっしゃるお客さん方に感謝しております。

◆ 芦川いづみの部屋から見えるもの ◆◆
このところ、過去の記事をチェックし、文字の間違いなどを修正していて、いくつか宿題を思い出しました。いや、たくさんありすぎるほどなのですが、ひとつだけ、仮の、といわざるをえませんが、決着をつけられそうなものがありました。

連休中の一日、逗子から鎌倉へといつものコースを歩き、材木座の光明寺で一休みしました。この古刹は、当ブログでは、「狂った果実 その3」という記事で、ロケ地のひとつとして言及したことがあります。

そしてもうひとつ、「『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その2」という記事の最後、鎌倉にあると設定されている、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみの親子が住む邸宅の場所として想定されているのは、光明寺の裏山あたりではないかということも書きました。

その根拠としたショットを。

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これは鎌倉にある邸宅の二階、芦川いづみの部屋のショットです。窓外の景色は書き割りではなく、スクリーン・プロセスによる合成です。人影が動き、波が打ち寄せています。

これが鎌倉の海を撮ったものなら、このように見える場所は光明寺の裏山あたりだろう、とかつての記事には書きました。しかし、光明寺にはよく行くものの、裏山に登ったことはなく、連休中に光明寺に行ったときに、『乳母車』のことを思い出して、登ってみました。

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正面に見える岬は稲村ヶ崎。切り通しのところで先端が切れているように見える。そのさらに左側に、もやで霞んでほとんど視認できないが、江ノ島がかすかに見える。

高い場所からは海が見にくかったので、坂を下って、ポイントを探しました。

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上の写真を拡大して、映画に近くなるようにトリミングした。

このショットが、映画のショットにいちばん近いのではないでしょうか。

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上掲のショットの窓の部分を拡大した。

このあたりは、光明寺団地というものになっていますが、海が見える場所には家はなく、上掲の写真を撮影したのも、材木座の道と団地をつなぐ坂道の途中です。『乳母車』の撮影された1950年代なかばに、ここがどういう状態だったのかは知りませんが、すでに道ができていたか、または山の斜面だったのだろうと想像します。

画角と解像度の問題もあり、また滑川の河口にもいくぶんの変化があったようで、どこからどう見ても間違いない、とはいきませんが、肉眼で見たときは、『乳母車』のあのショットはここで撮影されたのだろうと納得しました。

長い休みが終わったので、これからは以前のように頻繁に更新する、というようにはならず、まだしばらくは休みがちで、たまに更新するという状態がつづくだろうという気がします。ときおり思い出して、来訪してくだされば幸甚です。


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by songsf4s | 2012-05-13 23:36 | 映画
ロマン・ポランスキー監督『The Ninth Gate』(ザ・ナインス・ゲイト)と隠秘への衝動
 
年初に、今年は映画のほうに力を入れようと思ったのですが、やはり音楽よりずっと手間がかかり、また、予定外の出来事もあって、そちらの記事を書いたりと、なかなか思うようにいきません。

それでも、見る本数は増えていて、これから取り上げるつもりの映画のリストだけはどんどん長くなっています。それを消化するために、またいっぽうで、いつも映画の記事がとてつもなく長くなるのをなんとかしたくもあって、今年は一本の映画に割く紙数(ウェブ上では「バイト数」とでもいっておくのが妥当だろうが)も減らしたいと思っています。具体的には、記事を割らずに、一回で書き終わることが目標です。

週末、ふと、ロマン・ポランスキーの『ザ・ナインス・ゲイト』(配給会社の表記は「ナインスゲート」だが、まったく気にくわない。一単語ではないのだから、区切り記号をつけるべきである。どうせ邦題はアイデンティファイアではない、つまりほんとうの意味でのタイトルではないので、ここでは無視する。正確なタイトルはThe Ninth Gateである)を再見したくなりました。

『ザ・ナインス・ゲイト』予告編


ロマン・ポランスキー、ジョニー・デップ、フランク・ランジェラのコメント


はじめにお断りしておきますが、オカルティズム、なかでもとくにサタニズムを題材とした映画ですし、人はたくさん死にますが、ホラー映画ではないので、流血はごく微量、近年のアクション映画の百分の一にもならないでしょう。むろん、首が転がったり、はらわたが流れ出たりすることもありません。

稀覯書専門のせどり業者、ディーン・コルソー(ジョニー・デップ)は、出版社経営者にして名高い収書家のボリス・ボールカン(フランク・ランジェラ)に呼ばれ、一冊の本を示されます。

コルソーは表紙を一瞥するや、アリスティード・トルキア著「影の王国の九つの門」(The Nine Gates of the Kingdom of Shadows)、1666年(こういうゾロ目というのはしばしば邪悪なものであると考えられている)ヴェニスで刊、異端審問で焚書となり、もはや三冊しか現存しない、現在の所有者はファーガス、ケスラー、テルファーの三人、と即座にいいます。

ボールカンは、そのうち一冊だけが本物だと主張します。そして、彼の手元にあるものはテルファーが所有していた巻で、彼の家族が売ってくれた、そして、テルファーはその翌日に自殺した(アヴァン・タイトルでその自殺が描かれている)といいます。

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ボールカンは「デロメラニコン」(Delomelanicon)という書物を知っているか、と尋ねます。悪魔が書いたと云われる本だろう、伝説にすぎない、というコルソーに、ボールカンは、いや、実在した、トルキアは「デロメラニコン」をもっていた、そして彼の「影の王国の九つの門」に収録された挿絵版画は、「デロメラニコン」から引用したものだ、といいます。

ボールカンは、自分が所有している巻が真正だと信じているが、ポルトガルとフランスに行って、他の二種と厳密に比較し、もしも他の巻が真正だとわかったら、なにがなんでもそれを手に入れて欲しい、とコルソーに依頼します。

かくして、コルソーは探索の旅に出発し、謎と部分的解決と殺人とミステリアスな女に遭遇します。

なにを語るかが重要な映画もありますが、ロマン・ポランスキーはスタイルの人なので、上掲のインタヴューで「雰囲気がなにより重要だ」といっているとおり、この映画の最大の美点は、開巻からエンディングまであるムードで貫かれ、それが終始崩れないことです。

長いので、頭の四分ほどをご覧になっていただければ十分ですが、ポランスキーのいうアトモスフィアとはどういうものかを実例で。英語版クリップは埋め込み不可なので、ドイツ語吹き替えクリップを貼りつけます。

The Ninth Gateドイツ語版パート9


これは、コルソーがパリに行き、ケスラー男爵夫人(バーバラ・ジェフォード)の所有する三冊目の「影の王国の九つの門」を調査するシーンです。

隣の部屋にいる男爵夫人の姿を横移動で捉えるショットと、そのあと、ふたたび同じような横移動で、こんどは男爵夫人の不在を捉えるところは、微妙なキャメラの動かし方に感銘を受けました。

そして、気絶したコルソーが意識を取り戻すと、モーターとなにかがぶつかる音が聞こえ、電動車椅子に坐った男爵夫人のうしろ姿が見え、車椅子の引っかかりがはずれると、一気に燃え上がる隣の部屋に突っ込んでいくところなど、じつにうまい演出で、やっぱり一流の人はちがう、と思わせます。

このシークェンスにかぎらず、『ザ・ナインス・ゲイト』は、全体を通して、セット、色調、撮影、編集、音楽、演技、あらゆるピースがきちんと目的にかなっていて、間然とするところがありません。

とりわけ好きなのは色調とキャメラの動かし方です。上掲クリップでは、ゆっくりとした、かすかな横移動が印象的ですが、映画全体としては、ポイント、ポイントで登場する前方への移動が効果的で、それが雰囲気を決定しているとすら感じます。

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『ザ・ナインス・ゲイト』は、古書にまつわる謎を探求する旅の物語です。キャメラも、前へと、そして、細部へとゆるやかに近づきます。それがわれわれ観客の視線と意識を前方の暗がりへと運んでいきます。

古書を求めてヨーロッパを旅する物語にふさわしく、全体の色調も、革装の古書のように赤茶けているし、音楽もそれにマッチしたサウンドで、ロマン・ポランスキー監督がいう「観客が映画館にいることを忘れるような雰囲気を醸成する」という意図は百パーセント実現されています。

そのサウンドトラックから一曲。ジョニー・デップ演じるディーン・コルソーが、移動している場面などで何度か流れるものです。

The Ninth Gate - 3. Corso


これがもっともポップな曲といっていいでしょう。あとはほとんど古典の風合いの強いオーケストラ曲で、そちらのタイプの曲も、当然ながらキャメラ・ワークや色調、そしてナラティヴ総体によくマッチしています。

ジョニー・デップは、善でもなければ、悪でもなく、この世のノーマルなルールの埒外にあるキャラクターを自然に演じられる俳優ですが(その意味で『パイレーツ・オヴ・カリビアン』の海賊役はよかった)、この映画のディーン・コルソーは、まさしくそのような、正義の味方でもなければ、邪悪な人間でもなく、われわれと同じように欲の皮を突っ張らせながら、同時に、ものごとを探求する心ももち、しかもそのいっぽうで、ルールの埒外にあるキャラクターで、デップの持ち味によく合っています。

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オカルティズムは日本語では「隠秘学」という語をあてます。occultという語の本来の意味が「秘し隠す」だからです。隠されたものを追い求め、明るみに出したい、あるいは密かに実態にふれたいという衝動は、濃度の違いはあっても、われわれのだれもがもっているものでしょう。

『ザ・ナインス・ゲイト』は、サタニズムに関する稀覯書をひとつひとつ調べていくうちに、手がかりが浮かび、そのたびに謎が深まり、人が死に、そして書物が失われてきます。

ジョニー・デップ扮する稀覯書ブローカーが、ビジネスとしてとりかかったはずの探求に、やがて取り憑かれていくように、われわれ観客もゆっくりと対象に近づくキャメラに導かれて、隠秘された謎の深く暗く狭い穴を覗きこむことになります。

そのようにして、われわれを探求という空間に幽閉する、ロマン・ポランスキーの手腕には感銘を受けました。たぶん、隠されたものを暴きたいという欲求は、われわれの心の奥深くから湧きあがるものであり、それが知識の集積としての書物を生んだのでしょう。

書物は「隠蔽」と「暴露」という、一対になった、あるいは相反する概念を同時に体現する「装置」です。そして、映画もまた、なんらかの意味で謎解きです。

映画という謎のなかに、書物という謎を埋め込んだ『ザ・ナインス・ゲイト』は、「隠秘されたもの」を暴露したいというわれわれの本然的欲求についての物語であり、同時に、その暴露欲求がわれわれの心に深く根ざしていることを観客に強く意識させる、じつにミステリアスで魅力的な映画です。


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OST CD
The Ninth Gate
The Ninth Gate
by songsf4s | 2012-01-25 00:01 | 映画
内田吐夢監督『血槍富士』(東映)と小杉太一郎のシンフォニック・ジャズ・スコア その2
 
(1月15日午前11時付記 以下はスクリーン・ショットとサンプルを含め、修正と補足を終えたものです。未完成のものをご覧になった方にはお詫びを申し上げます。)

前々々回の「その1」は、『血槍富士』のプロットまではたどり着けず、設定を説明しただけで終わってしまいました。

人物紹介的な小さなことではなく、もっと明白な、プロットの展開に関係する最初の出来事は、前回紹介した人々が、渡し舟に乗ろうとしたところ、船着場に役人が出張っていて、改めを受けることです。

巡礼(進藤英太郎)と役人のやり取りから、なにやらいう大泥棒がどこかで大金を盗んで、このあたりに逃げ込んだらしい、ということがわかります。

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正体不明の藤三郎(月形龍之介)という男は、御上のご用聞きも兼ねる小間物商の伝次(加賀邦男)のおかげで、宿屋改めをやりすごすことができます。しかし、伝次に大金をもっているのを見られ、その金はなんだと尋ねられて、金山での刻苦精励で得た金だが、あたしのような者がこういう金を持っていると疑いを受けるので、役人を避けたのだと弁明します。

道中、三人の殿様(渡辺篤、坊屋三郎、杉狂児という三人のコメディアンが演じる)が、富士の見えるところで野点をはじめたために旅人たちは足止めを喰らい、そこに大雨が重なって、大井川が川止めになり、旅程をともにする人々全員が、旅籠の大部屋に詰め込まれることになります(かくして、正調グランド・ホテル形式に移行する)。

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そのおかげで、おたね(田代百合子)と与茂作(横山運平)の親子は、女衒と落ち合うことになっていて、おたねは三十両で身売りすることがわかり、相部屋の人々の同情を買います。

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酒匂小十郎(島田照夫)は翌朝、まだみなが寝ているあいだに、天九郎勝長の名槍をたずさえて刀剣商を訪れます。それまでの小十郎のそぶりから、これはおたねを救うための金を得ようとしてのことだと、観客はすぐに察します。

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いっぽう、旅籠では人々が出立の支度をはじめますが、前日、巡礼(進藤英太郎)が金を盗んだところを見ていた孤児の次郎が、この巡礼が部屋にいるのを見て、泥棒だと大騒ぎし、巡礼は逃げようとします。

逃げる巡礼の背に子どもが飛びつき、あとから追ってきた中間(加東大介)やあんま(小川虎之助)やお伊勢詣りの三人組が飛びかかっていく立ち回りは、手際のよいコレオグラフィー、演出、編集で、このあたりの歯切れの良さはおおいに気に入りました。

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追いつめられた巡礼=大泥棒がくぐりから出ていこうとすると、向こうから槍の穂先が突き出され、進藤英太郎はじりじりと後退します。

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槍をもってあらわれたのは槍持ちの権八(片岡千恵蔵)。槍がなくなったのは泥棒の仕業かと思って刀剣商に行き、図らずも主人に会った、という思い入れなのでしょう(このあたりはショットのつなぎで暗示するだけで、いちいち説明しない演出ぶりも好ましい)

権八は、さあ、旦那様、といって、粗忽にも抜き身の穂先を家に突き入れる格好になっただけ。振り返ると、旅籠の土間では、みなが口々に、そいつは泥棒だといっているので、権八は改めて泥棒に槍を擬して追いつめます。

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持ち運ぶときに鞘をはずしていたり、穂先から槍を戸の向こうに入れたり、槍持ちが主人より先に潜り戸を通ったり、いずれもありえないことですが、歯切れのよいショットのつなぎなので、あまり気になりません。あとになって、江戸時代の常識を思いだすだけです。

かくして泥棒を捕まえた功に対して、奉行(天領での出来事という設定らしいが、何奉行なのか不明。まあ、そこらへんはテキトーなのものと相場は決まっているので、気にせずに通過)から、酒匂小十郎に感状が与えられます。

小十郎は、家来のしたことなのに、自分がもらうのはおかしいといいますが、家来の手柄は主人の手柄であると、奉行は取り合いません。いずれにしても、たんなる感状、一片の紙っきれにすぎませんが。

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小十郎は、自分の働きでもないことに対して感状をあたえられたこと、そして、関ヶ原の戦功によって、神君家康公から先祖に与えられた天九郎勝長の槍を売ろうとしたら、贋物だといわれ、おたねの父が必要とする三十両はおろか、十両にもならぬ鈍物とわかったことを自嘲します(現実には、そんな家宝を売り飛ばして、あとでそれがわかったら、むろん切腹、売れなくて幸いだったことになるが!)。

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こうして泥棒一件は片づき、つづいて、おたねの運命です。女衒が宿屋にやってきて、おたねを連れ出そうとするシークェンスと並行して、藤三郎が女郎屋にいき、娘を取り返そうとするシークェンスが描かれます。

これで、藤三郎が大金をもっていた理由がわかります。小間物屋に説明したとおり、金山で働いて貯めた金であり、それは娘を取り返すためだったのです。

与茂作とおたねの父娘、女衒(吉田義夫。いかにも女衒のたたずまい。こういうタイプキャスティングは嬉しい)、藤三郎、小間物屋の運命が交錯し、この件もきれいに片づきます。そのディテールは未見の方のお楽しみとして、ここでは伏せます。

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万事、めでたく片づいたかに見えますが、これでまだ90分の映画の70分になったところ。ここから先にまだ話があり、『血槍富士』のタイトルの意味も腑に落ちることになります。

時代考証はさておき、大小のエピソードとエピソードを有機的につなげ、話をきれいに展開する脚本、人物を手際よくさばいて、とんとんと気持よく話を運んでいく演出、全編に漂う穏やかなユーモア、さすがは内田吐夢、うまいものだ、と感心しました。

ただし、二段構えのエンディングについては、アンビバレントな感懐をおぼえました。以下、未見の方は読まないほうがよいことを書くので、ご注意を。

ふつうの時代劇なら、万事めでたく片づき、登場人物がみなニコニコして、富士山に「終」の文字が重ねられて大団円、というようなシークェンスをつくっておきながら、その先にまだ話がつづく、という構造自体は、意外性があって、面白いと思います。

ただし、小十郎と源太(加東大介)が殺され、権八(片岡千恵蔵)が、その仇をとるという大詰めが、それまでの話と有機的につながっているわけではないところは瑕瑾と感じます。

もっとも、ゴダールの『軽蔑』も、ああいうエンディングである必然性などまったくなく、ただ唐突に交通事故が起こり、主人公が死んでいくところが面白かったわけで、やれ、不幸な娘が救われてよかった、とニコニコしているところに、唐突に騒ぎが起こって、気がついたら死んでいた、というのは、ある意味で、きわめて現代的な展開なのかもしれません。

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さはさりながら、結局のところ、見終わったときに残るのは、話の運びのうまさ、演出の手際の良さであって、二段構えのエンディングも、見ているときは、違和を感じませんでした。

総じて気持ちよく話が運んでいく映画で、すでにこの時点で、戦後の内田吐夢の活躍を予見させるものになっています。久しぶりに宮本武蔵を再見したくなりました。

本文中には置き場所をつくれなかったので、最後に小杉太一郎のスコアのサンプルを二種並べます。ひとつは短いもので、伝次が藤三郎を見失い、街道を走るシーンで流れるもの。もうひとつはエンド・タイトルです。後者は台詞で結末がわかるので、ご注意を。

サンプル 小杉太一郎「血槍富士 追跡」

サンプル 小杉太一郎「血槍富士 エンド・タイトル」

というように、セヴンス・コードを使ったブルースで、時代劇にセヴンスかよ、とニヤニヤしてしまいました。やはり、ガーシュウィンを意識してのことにちがいありません。

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血槍富士 [DVD]
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by songsf4s | 2012-01-14 23:40 | 映画
内田吐夢監督『血槍富士』(東映)と小杉太一郎のシンフォニック・ジャズ・スコア その1
 
年末年始は、忠臣蔵関係を中心に時代劇を数本見ました。いずれも一定ラインより上の出来でしたが、とりわけ二本、感銘を受けたものがありました。その二本とも、片岡千恵蔵主演、というのが、なんだか妙な感じです。

片岡千恵蔵が大スターだった時代を知っているのは、わたしの世代が最後ぐらいでしょう。そういう俳優の主演した映画を取り上げるのは、やや気が引けますが、そのうちの一本『血槍富士』を見てみることにします。内田吐夢の戦後第一作にして代表作のひとつ、という点で、いまも「現役」の映画といっていいだろうと思います。

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『血槍富士』(1955年)は道中もの、ロード・ムーヴィーに分類できるでしょう。ただし、道中でつぎつぎといろいろな人物や事件に出合う、というより、「グランド・ホテル」形式に近いタイプです。

同じ道筋を旅するさまざまな人々の人生を輪切りにしてみせる話で、ホテルなどの閉じられた場所に居合わせた人々の人生模様を描く「グランド・ホテル」形式を、ロード・ムーヴィーに変換した、といっていいだろうと思います。

旅をするのは、江戸に名代の茶碗かなにかをもっていく武士(島田照夫)とその槍持ち(片岡千恵蔵)および供の小者(加東大介)というのが第一。

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この三人連れと旅路をともにするのは、江戸に出て侍になるというみなし子、旅芸人の母と娘、巡礼(進藤英太郎)、あんま(小川虎之助)、挙動不審の男(月形龍之介)、御上のご用聞きもつとめる小間物屋(という設定はかなり苦しい。いや、そういう人物設定自体はかまわないが、どこのだれに使われているかが問題。その地元でしか活動できないはず)、父と年頃の娘などです。こうした人々の運命が、旅をつづけるうちに互いに絡まり合って話が展開していきます。

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プロットを追う前に、スコアのことを少々。それが目当てで見たわけではないのですが、タイトル・ロールがはじまってみたら、音楽が面白くて、ほほう、でした。

サンプル 小杉太一郎「血槍富士メイン・タイトル」

昔の時代劇としてはノーマルに感じられる入り方をするのですが、途中からシンフォニック・ジャズが混入してくるところで、こりゃいいや、と手を叩きました。メイジャーに転調するところや、フレンチ・ホルンの使い方なども、おおいに好みです。

こういうのは微妙なので、当方の勝手な思いこみ、または、たんなる偶然かもしれず、小杉太一郎がシンフォニック・ジャズを意図したかどうか、タイトル・ロールの段階では判断を留保したのですが、話に入ったところ(上掲のサンプルで、台詞が出てくる少し前)で、シンフォニック・ジャズを意図したのだとはっきりわかりました。

これは、開巻直後、片岡千恵蔵扮する槍持ちが、足にまめができて歩けなくなり、心配した主人が膏薬を渡して、あとからくればよい、というところで、この侍が情け深い人間であることを印象づけるシークェンスです。

ベニー・カーターがプレイしたといわれる、『パリのアメリカ人』を思い起こさせるアルト・サックスの使い方に、はっきりとアメリカ映画のスコアの影響があらわれています。

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露骨な4ビートではないにせよ、時代劇にシンフォニック・ジャズ的なスコアをつけることには、いろいろな立場があるでしょうが、わたしは、とくに違和を感じず、なかなかいいじゃないか、と思って見ました。

いずれにしても、仔細に検討すれば、純粋に邦楽ないしは邦楽的テイストの音楽だけで貫かれた時代劇など、まずないはずです。他の映画ジャンルと同じように、時代劇のスコアもまた、きわめて雑食的なものなのです。

今日は時間があまりとれなかったので、プロットについては、後半の音楽と合わせて次回送りにさせていただきます。


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血槍富士 [DVD]
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by songsf4s | 2012-01-10 23:54 | 映画
森一生『薄桜記』、舛田利雄『影狩り』、市川崑『幸福』、佐藤純彌『君よ憤怒の河を渉れ』ほか
 
ツイッターにはチラチラと書いているのですが、このところ、できたらブログで取り上げようと思い、数本の映画を見ました。

石原裕次郎の、たぶん、最後から三番目と二番目の映画である舛田利雄監督の『影狩り』および『影狩り ほえろ大砲』、市川崑監督『幸福』、犬童一心監督『死に花』、サム・ペキンパー監督『キラー・エリート』、佐藤純彌監督『君よ憤怒の河を渉れ』などです。

『キラー・エリート』をのぞいて、残念ながら、どれも気に入らないか、悪いとはいえないが、ぐらいの出来で、書く気にはなりませんでした。公開当時、忍者が出てくるというので、勘弁しろよ、と敬遠した『キラー・エリート』も、思ったよりはずっとマシではあったものの、書こうと思うほどの出来でもありませんでした。

◆ 無抵抗忍者虐殺物語『影狩り』 ◆◆
いま、時計を見て、今夜、本題に入るのは無理に思えてきたので、以上の映画について、脈絡なしに、思ったことを並べます。

『影狩り』シリーズの二本は、シナリオが問題外、演出も強引というか、雑というか、もう少し手順を踏んでくださいな、と溜息が出ました。

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『影狩り』というのは、劇画が原作ですが、そちらのほうは読んだことがありません。時代劇のほとんどは、考証もへったくれもないのですが、それにしてもなあ、という設定で、わたしはいきなりコケました。

幕末になると、財政破綻した徳川家は、各地に隠密(これをこの映画は「影」と呼んでいる)を送り込み、なにか落ち度を見つけては国を潰して、その富を収奪した、というのです。

幕府が落ち度を見つけたら、どんどん国替えや絶家(改易)をおこなったのは事実ですが、べつに幕末になってはじめたことではなく、初期から一貫してそういう政策ををとっていました。

福島正則や加藤清正といった関ヶ原の合戦の功労者の家も、すぐに取りつぶされてしまった(福島家は正則存命中、加藤家は清正没後)のは有名な話ですし、将軍家の別家自体がたくさんやられています。そのへんは鎌倉幕府の再現といってもいいほどです。

というように、大前提そのものでコケたのですが、展開もまた感心せず、伏線を張らず、細部の筋も通さない強引な演出も、舛田利雄の悪い面だけが出たと感じます。

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石原裕次郎は、ハンス・オットー・マイスナーの『アラスカ戦線』を映画化したいといっていたそうで、それを読んだときは、いいところに目をつけた、と思いました。

でも、『太平洋ひとりぼっち』や『影狩り』といった企画を見ると、クリント・イーストウッドのように一貫して目の付けどころがいいわけではないと考えざるを得ません。

しかし、シナリオや演出が駄目でも、かつては裕次郎が映画を救っていました。それができなくなったところに、俳優・石原裕次郎の落日を感じます。いや、まあ、それを確認するために、自らを叱咤してこの二本を見たのですが。

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「影」という、お庭番、忍者の群も、つまらない存在で、それも大きな欠陥でした。ただ跳ねまわって、ただバタバタと斬られるだけじゃあ、蠅の群と懸隔がありません。背中を見せて逃げまわる忍者たちは、深江章喜親方に「かかれ!」といわれた瞬間、さっさとトンヅラすればよかったのに、と思います。

同じ舛田利雄監督の『嵐の勇者たち』(1969年日活)あたりのアンサンブルの面白みを狙って、内田良平と成田三樹夫を配したのだろうと思います。意図はわかるのですが、その面でも成功したとはいいかねます。

◆ 客のほうが憤怒する『君よ憤怒の河を渉れ』 ◆◆
『君よ憤怒の河を渉れ』はひどさもひどし、これ以上ひどい映画は滅多にないでしょう。ここまでひどいと、どれほどひどいかをたしかめるために見るべきだ、といいたくなるほどです!

高倉健扮する検事が、身に覚えのない窃盗と強盗と強姦で告発され、その疑いをはらすという物語ですが、論理的に考えると、この映画の事件は、はじまった瞬間に解決していたはずです。

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高倉健は、いきなり町で、この人、強盗よー、といわれ、警邏警官に取り押さえられてしまいます。このあたりの乱暴な捜査は、まあ、映画的ウソとして我慢しました。

しかし、高倉健のマンションにいったら、盗難にあったと届出られたカメラが、これ見よがしに棚に鎮座していた、というところで、まともな捜査官なら、たちまち冤罪の可能性を嗅ぎ取るだろうに、と馬鹿馬鹿しくなりました。

鈍感で馬鹿な捜査官であっても、二人の告発者が、じつは夫婦であり、告発の直後に姿をくらましたことがわかった時点で、高倉健の容疑ははれ、釈放です。

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検察官が自分の弁護をできないのも驚愕しますし、容疑者としての権利をいっさい主張しないのも信じがたく、池部良検事も、原田芳雄警部も、こんなものは立件できないに決まっているのに、ごり押しで捜査を進めるので、てっきりこの二人がグルになって、高倉健検事を罠に落としたのだと信じましたよ!

西村寿行の原作もいけないのでしょう。でも、その原作で映画を撮らねばならないと決まったら、なんとか、立件できそうな事件に変更するのが脚本家と監督の仕事でしょうに。盗んだカメラを居間に飾っておく検事だなんて、馬鹿もいい加減にしなさいな。

同じ高倉健と佐藤純彌の組み合わせの『新幹線大爆破』はまずまずの出来だったのですが、あちらは、なにか幸運な偶然のおかげでうまくいっただけだと納得しました。

着ぐるみの熊なんか、恐くもなんともありませんが、鈍感な脚本と演出は映画を即死させます。

以上、やはり、本題にたどりつくにはいたらず、市川雷蔵と勝新太郎の映画は次回見ることにします。


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君よ憤怒の河を渉れ [DVD]
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薄桜記 [DVD]
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by songsf4s | 2011-12-26 23:59 | 映画
ローランド・エメリッヒ監督『ゴジラ』はほんとうにダメな映画か?
 
べつに、なにかきっかけがあったとか、意図があるわけではなく、ただたんに、ふと再見したくなったので、ローランド・エメリッヒのハリウッド版『ゴジラ』を見てみました。

現在のところ、最後のゴジラ映画となっている、2004年の『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』に、こんなシークェンスがありました。

ゴジラ対ジラ


ゴジラの尻尾パンチと破壊光線のコンビネーション攻撃で、イチコロでやられてしまい、北村一輝扮するX星人に「やっぱマグロ食ってるようなのはダメだな」と切り捨てられてしまった、この「ジラ」というのはなにかというと、ファンはもちろん承知、1998年のアメリカ版『ゴジラ』のことです。

ここでは、あれをゴジラと呼んだのは、アメリカ人の勘違い、じつは「ジラ」という亜種である、ということにされています。ゴジラ・ファンの多数派意見に配慮し、ちょっとした楽屋落ちとして、あの寄り道に決着をつけておいた、というあたりでしょう。

では、ハリウッド版『ゴジラ』はそんなにひどい映画だったのでしょうか?

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート1


スペクタクル映画の演出というか、むしろ化物映画の、というべきかもしれませんが、すくなくとも冒頭は脅かし方の本道を行く演出で、多くの東宝版ゴジラ映画よりすぐれていると感じます。

すくなくとも、あの咆吼を一発かまして、いよう、毎度おなじみの俺だぜ、みたいな、気安気安な登場の仕方ではないのは好感が持てます。

モンスター映画では、モンスターをいかに出現させるかは非常に重要で、うまく出せれば、見ているほうは乗れます。このハリウッド版ゴジラの、日本漁船のくだりは、出自への言及と、1954年のオリジナルへの「うなずき」でしょうから、ひとまずおきます。

しかし、同じ1954年版への言及ではあるものの、マシュー・ブロデリック扮する科学者がチェルノブイリから連れ去られて置かれた場所が、おおきな穴ぼこ、というのはじつにけっこうで、わたしは盛り上がりました。

むろん、これは、1954年版で、志村喬扮する科学者が足跡を調査するシーンへのオマージュでしょう。ただし、数倍にスケール・アップしたオマージュです。

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そのシークェンスのつづきを以下に。

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート2


このクリップでは、漁船の引っかいたような痕が笑えます。引っかき疵のようにしか見えないのですが、サイズが尋常ではありません。

さらに、トロール漁船団のショット(東宝版への「うなずき」が必要なければ、こちらから入るべきだった)へとつながりますが、ここはローランド・エメリッヒの得意技というぐあいで、興趣あるシークェンスになっています。

モンスターの恐るべきパワーは、モンスターそれ自体ではなく、パワーの行使の間接的な描写によって表現するべきであり、その意味でここはじつにうまくやっています。1954年版の精神を汲んだ、というところでしょうか。

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート3


こんどは桟橋と魚河岸のシークェンス。ゴジラが釣りの餌を飲み込むとは思えないし、のみこんだからといって、釣り針が引っかかったり、糸が切れないのもおかしな話ですが、まあ、笑えるのでいいでしょう。桟橋がものすごい勢いでまっぷたつになっていくのも楽しいショットです。

このへんまでなら、ハリウッド製『ゴジラ』はかなりいけるのではないかという気がします。

つぎのクリップはあまり面白いところはありませんが、まあ、おくだけおいておきます。

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート4


この、魚を餌にゴジラをおびき寄せるというせこいくだりのせいで、『ゴジラ・ファイナル・ウォーズ』で「マグロ食ってるようなのはダメだな」といわれてしまったのです。日本版ゴジラは、原子力など、エネルギーを直接摂取するものとして描かれていることが多いと記憶しています。

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート5


地下からゴジラが半身をあらわしたところで、わたしは、ちょっと文句をつけたくなりましたが、まあ、最後まで見てから、なんて思いとどまりました。

でも、今回見直しても、やはり、肩から胸にかけての正面のデザインは違和感があります。大アマゾンの半魚人でしょ、これじゃあ。Size does matterの売り文句が泣きますよ。

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飛んできたミサイルを、ひょいと頭を下げて避けるのも気に入りませんでした。ゴジラともあろうものが、ミサイルごときを怖がるはずがないのですがねえ。

ここまでは、それなりにうまくスケール感を出してきたのですが、このあたりで卑小化がはじまるように感じます。陸軍の警戒線に突進してきて、走り去るゴジラの耐えられない軽さよ!

抜けているパートもあるし、面白くないのもあるので、パート9にジャンプします。

『ゴジラ』(1998年)ドイツ語版パート9


このクリップは、いきなり、それはないじゃん、と思ったシーンからはじまります。危険を感じたゴジラが逃げまどって、ハドソン川に飛び込むのです。それなりに重量感の表現をやっていますが、こんな身軽に飛ばれても……。

そろそろスポイラー警報発令です。ここから先は肝心なところに入っていくので、やっぱり見てみようかと思った方は、もう読むのをおやめになったほうがいいでしょう。

ゴジラが妊娠している、その巣を襲って退治なければ、という展開は、まあ、いいとしましょうかねえ。やっぱり、ダメですかねえ。焦点がボケる、という問題はあるかもしれません。

しかし、もっと気に入らないのは、卵でいっぱいの巣に入っていくところが、『エイリアン2』そっくりだということです。と書いていて、なぜ、『ゴジラ』のフランス特殊部隊は火炎放射器をもっていなかったのか、とちょっと不思議に思いました。ミサイルを怖がる弱々しいゴジラが産んだものなら、燃せば燃えるでしょうに。

そのあと、卵が孵り、主人公たちを追いかけまわすのは『ジュラシック・パーク』シリーズ、とりわけ一本目にそっくりで、ここでもまた索然としました。

以下、結末を書くのでご注意。

最後の駄目押し、決定的にこの映画の印象を悪くしたのは、ゴジラの死に様です。

魚雷でやられたかと思ったゴジラは、じつは生きていて、子どもたちを殺戮されたのに怒り狂い、NYを疾駆して、主人公たちの乗った車を追いかけます。

最後は、ブルックリン・ブリッジに誘い込まれ、吊り橋のワイアで身動きできなくなった(そんな弱いヤツだったのか!)ところを、ミサイルを四発撃ち込まれ、どうと倒れ伏します。

そんな簡単なモンスターだったのですか。自衛隊がいつも失敗ばかりしているのは、火力が足りなかったから、なのでしょうか。

こんな、ただデカいだけの、育ちすぎのトカゲなら、どうということはありません。殺す方法なんか山ほどあります。このエンディングは、アメリカ軍が正面から戦って勝てない相手はない、という、馬鹿げたプロパガンダに見えました。

結局、わたしの観点からは、1998年版『ゴジラ』の欠点は以下の通り。

・上半身の正面が人間みたいで気持わるい
・猫背は卑小
・身軽すぎてキング・オヴ・モンスターの貫禄がない
・他の映画にあまりにも類似した箇所が多い
・ミサイルごときで死ぬものはモンスターとはいえない、たんなるデカい動物

といったあたりです。

それでもなお、最初の三分の一ぐらいの、ゴジラの出し方、間接的な脅し方には見るべきものが多く、初見のときは、「やっぱりハリウッド製はリアリティーあるなあ」と感心しかかりました。

来年か、再来年か、つぎの『ゴジラ』が登場するのだそうです。こんどは、98年版の失敗をよく検証して、やっぱり現代の技術でつくると、すごいものだ、と感心させてほしいものです。

新ゴジラ予告編のようなもの


なんだか、デザインがエイリアンみたいで、ちょっと心配になりますが……。


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1998年版『ゴジラ』DVD
GODZILLA ゴジラ [DVD]
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ゴジラ FINAL WARS スペシャル・エディション [DVD]
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by songsf4s | 2011-12-12 23:51 | 映画
ロバート・ゼメキス監督『抱きしめたい』に描かれた1964年のビートル・クレイズ その3
 
ロバート・ゼメキスの『抱きしめたい』、前回途中になってしまったパート6から。

『抱きしめたい』パート6


警備の警官に捕まったロージーとリチャードは、幸い放免になって、リチャードのビートルズ・コレクションの話をしていると、グレイスとラリーが通りかかり、リチャードがビートルズが寝たシーツを売っているというネタを仕込みます。

楽屋から忍び込むために50ドルを必要とするグレイスは、リチャードのアイディアを拝借して、ニセモノのビートルズ・シーツを売って一儲けします。

ジャニスとピーターは警官に追われ、エド・サリヴァン劇場の外で追いつめられますが、群衆の女の子たちが騒いで、警官にジェリービーンズをぶつけ、おかげでこれまた放免されます。

なぜジェリービーンズが投げつけられるかというと、昔のファンなら誰でも知っているように、ジョージはジェリービーンズが好物だという話が広まった結果、ビートルズのライヴではジェリービーンズが飛び交うことになっていたので、みな持参していたからです。いやはや!

ジャニスは、この光景を見て、ビートルズとビートルマニアへの見方を変えます。ビートルズのレコードばかり売っている父親に「どうしてもっとボブ・ディランやジョーン・バエズを売らないの」と迫ったリベラリストなので、「民衆」(というか、たんに劇場の前に並んでいるビートルズ・ファン)が、「権力」(というか、たんなる劇場警備の警官隊)に抵抗するのを見て、感動してしまったのです!

『抱きしめたい』パート7


足を踏んづけられた女の子がキャーと叫ぶと、ほかの女の子もわけもわからず叫び出すという、小さなギャグも笑えます。

シーツがニセモノだということを見抜かれたグレイスは、金儲けの道を失い、たまたまレストランの臨席の男がコールガールの手配を頼んでいるのを耳にし、なにやら決心し、ラリーを置いてきぼりにします。

パムはついに発見され、ハーポ・マルクスのように、コートのなかにため込んだ記念品のあれこれをすべて吐き出すハメになります。

セクシーなかっこうになったグレイスがエレヴェーターから出てくるところの音楽がMoney (That's What I Want)というのが、そのまんまで笑えます。

あきらめてどこかでエド・サリヴァン・ショウをテレビで見ようと思ったロージーは、まだホテルの鍵をもっていたことに気づき、ホテルの部屋に忍び込もうとします。

そこでまたラジオのクイズ。「ビートルズのメンバーで、youngestであり、同時にoldestなのは誰?」

リチャードが前のクイズでリンゴと答えたのは、リンゴが最後にビートルズに加わったので、youngestなのだという見方のせいだということを知っていたロージーは、今度のoldestであると同時にyoungestなビートル、というクイズの答えを知っているので、手近な部屋に突進して、ついにエド・サリヴァン・ショウのチケット獲得します。

じつに有機的にきれいにつなげてある脚本のなかで、ここは瑕瑾だと思いますが、やったー、と喜んで劇場に向かおうとしたロージーは、リチャードが運転するエレヴェーターに乗ってしまい、閉じこめられるはめになります。

リチャードがここにいること、そしてエレヴェーターが故障することに関して、ひとつ伏線を入れておいてほしかったと思いますが、それはほとんど完璧な脚本だから、惜しい、と思うにすぎません。

いずれにしても、ウェンディー・ジョー・スパーバーの熱演のおかげで、この脚本の瑕瑾はそれほど気になりません。いかにも、ロージーにとっては「もーあたしの人生メチャメチャ!」と絶叫したくなる状況でしょう。

パムはパブリシティーに協力することを条件に、マネージメント・スタッフ(ニール・アスピナルがモデルか?)に、エド・サリヴァン・ショウのチケットを呈上しようといわれます。

劇場の外の女の子たちがしばしばうたっている曲を貼りつけておきます。

The Carefrees - We Love You Beatles


このド下手なところが、このシテュエイションでは、かえってはまっているような気がします。

そろそろ話は大詰め、ちゃんと見たいと思う方はもう切り上げたほうがいいでしょう。どうせ日本語版DVDはないし、まあいいか、という方、このままどうぞ。

『抱きしめたい』パート8


売春に失敗したグレイスは男の部屋から出られなくなり、ロージーもエレヴェーターに閉じこめられたまま、記者会見を終わってチケットをもらったパムは、迎えに来た婚約者に叱られます。まあ、指輪をパンプスにしまって踏んづけていたのでは、婚約者が怒るのも無理はありませんが!

ジャニスは、トニーをそそのかして、ピーターの父親からチケットをスリとらせようとしますが、財布にはチケットはなく、これまた失敗してしまいます。

ピーターが父親に連れて行かれただだっ広い床屋が無人なのに、思わず笑ってしまいました。まるで落語の「無精床」、世界でいちばん床屋が流行らない場所でしょう。

ストーリーラインを追うのはこれくらいにしておきます。以下、結末にふれるので、これから見てみようという方は読まないでいただきたいと思います。

とにかく、頭から尻尾まで、手抜きなしのみごとな脚本で、何度見直しても、感心します。全体の流れも、ささやかなディテールの描き方も、いちいちうなずいてしまいます。まったく滞留することなく、伏線が伏線を導き出し、話はきれいに進んでいきます。

今回見直して思ったのは、これはじつは、女性の通過儀礼、少女が女になることを描いた話ではないか、ということです。

せっかくチケットをプレゼントされたのに、彼女を連れ帰ろうと車に押し込み、車中で退屈な未来の話をする婚約者に失望したパムが、わたしはあなたとは結婚できない、ビートルズを見たい、といって車から飛び出すシーンを見ていて、そう思いました。

パムが象徴するのは、女性という総体なのですが、同時に、1964年という時代のアメリカの女性という、よりスペシフィックな集合体を描いていると感じます。

日本の女性がそうであったように、アメリカの女性もまた、あの時代には、おおむね男の従属物だったのではないでしょうか。ビートルズに狂った少女たちは、そういう男の独り決めを真っ向から否定し、自分たちには自分たちの考えがあることを、はっきりと社会に宣言した、とロバート・ゼメキスはいいたいのかもしれません。

フランク・シナトラに熱狂した少女たちもいたし、エルヴィスに狂った少女たちもいました。ビートルズに突進した少女たちは、たまたま公民権運動の時代であったために、はからずも、アメリカ社会を大きく変革していった、というのが、このコメディーの隠れたテーマだったように思います。

それにしても、きれいなつくりの映画です。

一方通行逆走で警官に捕まりそうになったラリーのために、裏口から劇場に入るために必死につかみとったなけなしの50ドルを、賄賂として差しだしてしまったグレイスは、結局、ラリーとともに劇場の裏にリムジンを停め、悄然とすることになります。

でも、グレイスもまた、この24時間の経験でいろいろなことを学んだことがわかります。ラリーがいかにいい奴かということに、やっと気づくからです。

しかし、ゼメキスは、劇場には入れなかったグレイスとラリーのために、涙が出るようなやさしい結末を用意しています。

最初のショットから、最後のショットまで、これほどぎちぎちにあんこが詰まった映画は滅多にないでしょう。


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by songsf4s | 2011-12-10 23:59 | 映画
ロバート・ゼメキス監督『抱きしめたい』に描かれた1964年のビートル・クレイズ その2
 
なにはともあれ、さっそく前回のつづきのクリップを。

『抱きしめたい』パート5


ホテルの人間に見つけられそうになってサービスワゴンに隠れたら、それがビートルズの部屋に行くものだったため、パムは偶然、彼らの部屋に入り込んでしまいます。

ワゴンから出てみたら、そこはビートルズの部屋だったと気づいて、陶然となったパムのショットから、このクリップははじまっています。

パムはもう完璧に性的興奮状態で、腰が抜けてしまい、というか、ベッドで男ににじり寄る要領で、ポールのカール・ヘフナーに迫るところが爆笑です。

わたしは男なので、こういう経験はありませんが、考えてみると、ギターだのベースだのというのは、ファリック・シンボルそのもので、女性ファンにとっては、男のファンとは別な意味での象徴性をもったものだったのでしょう。

いっぽう、ホテルの前では、トニーがビートルズ・カットの少年ピーター(クリスチャン・ジャトナー)を捕まえて、髪の毛を剪ってやると脅すと、ピーターはエド・サリヴァン・ショウのチケットをあげるから許してくれといいます。

それを見たグレイスが、なにを思ったか、あいだに入って、ピーターを救い出します。ビートルズは嫌いだけれど、友だちのためにチケットを手に入れようと思ったのでしょうか。

ロージーは、ビートルズの部屋の前の廊下で知り合ったビートルズ・オタクのリチャード(エディー・ディーゼン)の部屋に行き、ビートルズ話で盛り上がっています。

リチャードがベッドの下から引っ張り出した芝生の切れっ端は、ポールが踏んだものだ、というのまではいいとして、「どの葉っぱかまではわからない、でも、たしかにこのあたりをポールが踏んだんだ」には笑いました。

またクイズの時間になり、「ビートルズでいちばん若いのは誰だ」という問題。こんどはうまいこと電話がつながって、もうこっちのものだとロージーが思った瞬間、わきからリチャードが「リンゴ!」と叫んだために、チケットを逃してしまいます。しかし、これはあとで、伏線だったことがわかります。

グレイスはエド・サリヴァン劇場に忍び込み、ステージの写真を撮ろうとしますが、警備員に見つかってしまい、あとで50ドルもってきたら、そっと裏口から入れてやるといわれます。

トニーはカフェテリアで軽くコマシをやってみます。女の子にポールにちょっと似ているといわれて、ポール・ニューマンだと思っちゃうトンチキなので、このコマシは大失敗に終わります。

『抱きしめたい』と同じく、パートナーのボブ・ゲイルと共作した『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本も、教科書のような出来でしたが、このクリップに出てくるシーンは、偶然、後半および結末への伏線ばかりで、見直してみて、演出のみならず、脚本も見事だと感嘆しました。

『抱きしめたい』パート6


パムは依然としてビートルズの部屋を陶然とさまよっています。ヘアーブラシから髪の毛をとって顔にこすりつけるフェティシズムが爆笑です。ほとんど変態下着泥棒!

ベッドにもぐりこんで深呼吸したところで、ファブ4がもどってきた気配がします。いきなりビーチボーイズのSurfin' USAをうたっているのが、また爆笑!

「エドが曲をささげてくれっていってるジョニー・カーソンて、何者なんだ?」
「野球選手かなんかじゃないの」
「いや、市長だろう」

というところでまた笑いました。

だれかビートルズに顔の似た俳優をキャストするなどということはせず、後ろ姿や足下だけを映し、あとは会話で表現するという方針もうまいものだと思います。

ジョージなのか(声だけで明解に判断できないのが残念)、ズボン(パンツなどとはいわない。トラウザーズといっている)を洗濯に出したい、といって、パムの隠れているベッドに坐り、ジッパーの音がした瞬間、パムが失神するというのは、この爆笑のシーンのとどめの一撃でした。

まだパート6の途中ですが、今日は力尽きてしまったので、ここまでとして、次回もこの映画の話をつづけます。


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by songsf4s | 2011-12-09 23:54 | 映画