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カテゴリ:ドラマー特集( 79 )
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その9 続(きっと)Bobbie Gentryと(たぶん)Julie London
 
前回、ボビー・ジェントリーの三枚目まで書いて、そのあとは、グレン・キャンベルとのデュエット盤にふれただけ、あとのアルバムには言及せずに終えてしまいました。

主観的にはこれで問題ないのですが、やはり説明が必要のような気もします。四枚目のTouch'em with Loveはナッシュヴィル録音なので、ハル・ブレインは無関係です。

ボビー・ジェントリーの魅力のひとつは、極端なオンマイクで録音することだったのですが、このアルバムはごくノーマルなマイキングで、リリース当時、ひどく落胆し、以後のアルバムは手を出しませんでした。いまになって、べつに悪くはないと気を取り直してはいますが、でも、ボビー・ジェントリーである必要もないサウンドです。

ボビー・ジェントリー Seasons Come, Seasons Go


こんな感じで、べつに悪くはないのですが、ボビー・ジェントリーというより、だれか別人の歌を聴いているような気分です。

五枚目のFancyは、当時は買わず、あとから聴いたのですが、なんだかなあ、と思っただけで、ほとんど記憶に残っていません。メンフィスのフェイム・スタジオまでいってリック・ホールのプロデュースでやっていますが、ぜんぜん合わなかったのでしょう。

ただし、一部ハリウッド録音があって、これはかなり考え込みます。ベースはジョー・オズボーンに聞こえるので、ハルがいてもおかしくないのです。でも、確信はもてませんでした。ジム・ゴードンの可能性も否定できないのです。

一曲だけクリップがあったのですが、リップ・シンクながら、場内に流した音を拾い直したようなボケ方で、ドラムのニュアンスなどはわからないでしょう。

ボビー・ジェントリー Raindrops Keep Fallin' on My Head


この状態でも、慣れた方ならジョー・オズボーンはわかるでしょう。丸出しのプレイです。

最後のPatchworkはハリウッドに戻っての録音で、気になるプレイがいくつかありますが、これまた確信をもつにはいたりませんでした。複数のドラマーがプレイしていて、いいプレイもありますが、タイムが寸詰まりになったジョン・グェランみたいなトラックや、垢抜けなくて鈍くさいラス・カンケルのようなプレイもあります。

そんな事情で、三枚目までで終わりにしてしまったのでした。

◆ 時代は変わる ◆◆
さて、今日こそはジュリー・ロンドンのトラックからハル・ブレインを発見します。

わたしはジュリー・ロンドンが好きなのですが、よく聴いていたのはおおむね50年代のものでした。

盤によってパーソネルは異なりますが、デビューのあたりは、バーニー・ケッセルのギターとレイ・レザーウッドのベースだけ、あるいは、ギターがアル・ヴィオラ(いつのだったか、シナトラがライヴで、めったにツアーに出ないミスター・ヴィオラが一緒にきてくれたことに感謝している、と紹介していた)といった名前が見えます。

すこしあとのJulie Is Her Nameでは、ハワード・ロバーツとレッド・ミッチェルでやっていたりして、これまたけっこうでした。その続編はまたギターがバーニー・ケッセル。

60年代に入ると、リバティー・レコードの隆盛にもっとも貢献した、スナッフ・ギャレットがジュリー・ロンドンもプロデュースするようになり、当然、その手駒である、アーニー・フリーマンやアール・パーマーを率いて卓につきます。

ジュリー・ロンドン The End of the World (produced by Snuff Garrett, arranged by Ernie Freeman)


ここから微妙になるのですが、たぶん、ギャレットのときもドラマーはアールで、ハルはないと思います。64年ごろから、ギャレットのアレンジャーはリオン・ラッセルに交代し、それと同時に、ドラマーもハル・ブレインになるのですが、その時期、ギャレットはジュリー・ロンドンのアルバムはやっていないようです。

なんだかゴタクばかりで音がないので、ちょっと話を端折って1969年、ジュリー・ロンドンのリバティーにおける最後のアルバム、Yummy Yummy Yummyに飛びます。まずは、順序がめちゃくちゃですが、最後のアルバムの最後の曲から。

ジュリー・ロンドン Louie Louie


60年代のジュリー・ロンドンはあまり聴いたことがなく、とくに60年代後半は知りませんでした。ハル・ブレインはこのアルバムの曲をリストアップしたわけではありませんし、それほど明確なわけではありませんが、このアルバムのほとんど、あるいはすべてのトラックでハル・ブレインがプレイしていると感じます。

ジュリー・ロンドン Like to Get to Know You


この曲はつい先日、このハル・ブレイン・シリーズで取り上げたばかりで、そのときはスパンキー&アワー・ギャングの(たぶん)オリジナル・ヴァージョンでした。ハル・ブレインの場合、ある曲のオリジナルとカヴァーの両方をやるなんていうのは、日常茶飯のことでした。さがせば十種類以上のカヴァーをやった曲が見つかるだろうと思います。

ジュリー・ロンドン Stoned Soul Picnic


Stoned Soul Picnicのオリジナルはローラ・ニーロ、ヒット・ヴァージョンであるフィフス・ディメンション盤ではハル・ブレインがドラムをプレイしました。ベースはキャロル・ケイ、ガット・ギターはトミー・テデスコに聞こえます。

ジュリー・ロンドンの他の盤とは、このYummy Yummy Yummyというアルバムは、選曲、サウンド、歌い方が大きく異なりますが、この風邪声みたいなのも、これはこれで悪くないと感じます。

ジュリー・ロンドン Light My Fire


選曲はだれなのでしょうか。候補としてはプロデューサー、アレンジャーとしてクレジットされているトミー・オリヴァーですが、おおむね成功していると思うものの、つぎの曲は微妙でしょう。ボブ・ディラン作、ヒット・ヴァージョンは、ポール・ジョーンズが抜け、リード・ヴォーカルがマイク・ダボになってからのマンフレッド・マン。

ジュリー・ロンドン Mighty Quinn


こういう曲をジュリー・ロンドン自身が歌いたがるとは思えないのですがねえ。

ジュリー・ロンドンという人は、ヴァーサティリティーというものがなく、いかにもジュリー・ロンドン好みの曲を、ジュリー・ロンドンのスタイルで歌う以外のことはできませんでした。そこが最大の美点だったと思います。

この最後のアルバムは、これで契約が切れるということがわかっていたからか、ジュリー・ロンドン向きではない曲を、ジュリー・ロンドン風に改変して、なんとか時代との折り合いをつけようとした、というように感じます。

残念ながら、当時は退勢挽回とはいかなかったのでしょう。これをもって彼女のレコーディング・アーティスト時代は終わり、女優およびステージ・アクトとして生きることになります。

冷たいいい方をするなら、レッキング・クルーで録音するなら、もっと早い段階、最悪でも1967年にやるべきだったと思います。ディーン・マーティンは1964年に、フランク・シナトラも同じ年にハル・ブレインをドラム・ストゥールに迎えて、久しぶりのシングル・ヒットを得ています。

レッキング・クルーにはそれくらいの神通力がかつてはありました。どうにも時代からずれてしまった人たちと、時代のあいだをとりもって、両者の中間に落ち着き場所を見つけることができたのです。しかし、1969年では、レッキング・クルー自体が、時代から乖離しはじめていました。そういわなければならないのは、残念なんですがね。

しかし、長い時間がたって、コンテクストから切り離され、あの時代にはちょっと古めかしく感じられたであろう音が、それなりに落ち着いた音に聞こえるようになりました。

ジュリー・ロンドン Yummy Yummy Yummy


ハル・ブレインの場合、ストップ・タイムからの戻りは、強い音を使うのがつねですが、さすがに、「ほんのちょっとの声しかない」と自認するシンガーの録音なので、少し遠慮気味で、ファンとしては、微笑んでしまいます。

このトラックは、そこはかとなくボビー・ジェントリー的で、ひょっとしたら、ボビーの成功を参考にして、ジュリー・ロンドンを再生しようという意図があったのかもしれません。

今日、あまり聴いていなかった60年代の盤、The End of the World、Feeling Good、With Body & Soulの三枚を聴いてみましたが、ハル・ブレインらしきプレイはありませんでした。

また折を見て、まとめて聴いてみようと思っていますが、いまのところ、ハル・ブレインがプレイしたと断じられるのは、Yummy Yummy Yummyだけのようです。



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ジュリー・ロンドン
ヤミー・ヤミー・ヤミー(紙ジャケット仕様)
ヤミー・ヤミー・ヤミー(紙ジャケット仕様)


ボビー・ジェントリー
Ode to Billie Joe / Touch Em With Love (2-For-1)
Ode to Billie Joe / Touch Em With Love (2-For-1)


ボビー・ジェントリー
Patchwork / Fancy (Reis)
Patchwork / Fancy (Reis)
by songsf4s | 2011-07-23 23:57 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その8 (きっと)Bobbie Gentryと(たぶん)Julie London
 
このところちょっと鬱です。

有名な音楽評論家が亡くなったのだそうです。わたしはこの二十年ほど音楽評論というものを読んでいないので(そのかわり、録音データやインタヴューは鯨がプランクトンを食べるような調子で馬鹿読みする)、はあ、そうですか、という感想しかありません。

黙っていようと思ったのですが、あんまり賞賛ツイートがうるさいので、つい、音楽は読むものじゃない、自分の耳で聴くものだ、などといってしまいました。

音楽は大いに賞賛なさいな、でも、その影でしかない評論は、ただの参考にすぎません。評論を読むのは、スポーツ紙で昨日のゲームの結果を反芻するのと懸隔のないものです。

といいつつ、こういうブログをやっているのは大矛盾です。でも、ブログも本質的にスポーツ紙だとわたしは思っています。昨日のゲーム結果を書いて、勝ちゲームだった方には反芻の快感を味わっていただき、負け試合だった方には、クソー、七回のチャンスに一本出ていればなあ、などと悔しがっていただけばいいのです。

音を聴くのはあなた自身であって、わたしがあなたのかわりに聴くことはできません。どうか、そのことをお忘れなく。いや、半分は自分に向かっていっているのですが。他人の耳で聴くようなことだけは断じてしたくありません。

◆ そういわれても…… ◆◆
今回はちょっと無理矢理ながら、ジュリー・ロンドンとボビー・ジェントリーです。
どちらもシングル・ヒットは一握りです。したがって、ビルボード・トップ・テン・ヒットしかリストアップしない、Hal Blaine & the Wrecking Crew所載のディスコグラフィーには、二人の曲はありませんでした。

しかし、聴いていると、これはハルだなあ、とやはり思うのです。だから、今回のディスコグラフィー増補では、なにか出てくるのではないかと思いました。

出てきました。だけど、両方とも一曲ずつ、しかも、なにそれ、そんな曲、やってないじゃん、だったのです。

わたしの狭い知識では、ハル・ブレインがジュリー・ロンドンの曲としてあげた、Am I Losing Youのジュリー・ロンドンのヴァージョンというのは存在しないと思います。

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また、1967年、ボビー・ジェントリーのデビューの年に、ハルがプレイしたというAngel Eyesという曲も、ボビーがリリースした形跡を発見できません。

なぜ、こういう不可解なことが起きるのか?

ハルのサイトでは毎度そうなのですが、どういうデータにもとづくものか、などということは書いてありません。それは、Hal Blaine and the Wreckingに付されたトップ・テン・ヒット・ディスコグラフィーについても同じです。

キャロル・ケイさんの場合は、オフィシャル・サイトにあげているディスコグラフィーは、かつてのノートにもとづいているそうです。後日、組合から支払われる小切手とつきあわせるために、いつ、どこで、何時間、だれの仕事をしたかを記録したというのです。

ハル・ブレインの場合も、おそらく同じようなノートをとっていたのだろうと推測できます。アール・パーマーがインタヴューで、俺もハルみたいにくわしいノートをとっておけばよかった、といっていたので、そういうものが存在するのは間違いありません。

厳密にいえば、彼らの備忘録には、録音時点のデータが記録されているだけで、その後、それがどうなったかは記録されていないはずです。したがって、リリースされなかったものもあるでしょう。

混乱をもたらす要素は、ほかにもあります。映画の主題歌を録音した場合、それが映画用のものか、盤リリース用のものかなどといったことは、ハル・ブレインは区別していないと思われます。

たとえば、Hal Blaine and the Wrecking Crewのディスコグラフィーには、バーブラ・ストライザンドのThe Way We Wereがあげられていますが、キャロル・ケイさんは、シングル・リリース用の録音では、彼女がベース、ドラムはポール・ハンフリーだった、ハルは映画用のトラックでプレイしたのだろう、とおっしゃっていました。大いにありうる話です。

バーブラ・ストライザンド The Way We Were


たしかに、いかにもハル・ブレインというサウンドでもないし、彼のシグネチャー・プレイも出てきません。この曲に関しては、わたしはキャロル・ケイさんの証言を信用します。

もっとプリミティヴな要因もあります。ハル・ブレインはしばしばパーカッションもプレイしましたが、ディスコグラフィーでは、トラップ・ドラムなのか、パーカッションなのかという区別はしていないのです。

たとえば、これはハル自身がラジオ出演したときにいっていましたが、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスのThe Lonely Bullでは、アール・パーマーがトラップに坐り、ハルはティンパニーをプレイしました。

ハーブ・アルパート&ザ・TJB The Lonely Bull


◆ ローカル・ジェントルマン、いや、ジェントリー ◆◆
ほかにも、間違いが入り込む要因はありますが、長くなったので、能書きはこれくらいにし、そろそろじっさいのトラックを聴こうと思います。

いや、ひとついい忘れたことがありました。グレン・キャンベルとのデュエット盤の最近のエディションには、クレジットが書かれていて、ドラムズはハル・ブレインとされているようです。

わたしがもっていた昔の米盤LPには、パーソネルは書かれていなかったと思います。CDリイシューで明らかにされたのではないでしょうか、このアルバムについては後述します。

ボビーのデビュー盤、Ode to Billie Joeは、アルバム全体がドラムレスだったと思います。キャロル・ケイさんが、ばったりレッド・ミッチェルに会ったときに、ミッチェル本人が、Ode to Billie Joeのベースは俺がプレイした、といっていたそうです。彼女は自分はlater albumsでプレイしたと書いていました。

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セカンドのDelta Sweeteは、セールスは悪かったものの、楽曲とサウンドはデビュー盤をはるかに上まわるもので、わたしはボビーの代表作と考えています、どの曲だったか、記憶が薄れてしまいましたが、このアルバムのいずれかのトラック(たぶん、Okolona River Bottom Band)が、アール・パーマーのディスコグラフィーにリストアップされていました。

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ここらでハルの匂いがチラチラしはじめるのですが、いまだに確信のもてるものはありません。可能性はある、というだけにとどめておきます。

サード・アルバムLocal Gentryは、セカンドほどオリジナル曲に冴えがありませんが、そのぶん、サウンドのほうは大変なことになっています。ミドル・ティーンだったわたしは、ロックバンドなんか目じゃないギターやベースのうまさにギョッとしました。

そして、ここではじめて、これはハルにちがいない、というトラックが登場します。

ボビー・ジェントリー Casket Vignette


Add More Musicのボビー・ジェントリー特集で、キムラさんがつとに指摘されていますが、この曲(にかぎらないが)は歌詞も面白いので、そういうことに関心がある方は歌詞サイトなどを検索してみてください。ボビーのストーリー・テラーとしての側面がよく出た曲です。

こちらはそれほど確信があるわけではありませんが、ハル・ブレインであると措定して矛盾は感じません。シグネチャー・プレイやスーパー・プレイがないだけです。

ボビー・ジェントリー Come Away Melinda


だれでしょうね、このベースは。やっぱりCKさんでしょうか。子どものとき、なんなのこのベースは、とひっくり返りました。ギターも、派手なことはやっていませんが、きれいなアルペジオで惚れ惚れします。

もう一曲はクリップがないので、サンプルを。

サンプル Bobbie Gentry "Peaceful"

これも、ハル・ブレインと確信がもてるわけではないのですが、たぶん大丈夫でしょう。これまたベースとギターにうなります。

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このアルバムは、ロンドン録音ということになっていますが、レスリー・ゴアのハリウッド録音がNYのベル・サウンドでの録音とされているように、ヴォーカル・オーヴァーダブをした場所をレコーディング・ロケーションとしただけでしょう。ボビーのツアーの都合で、ハリウッドでつくったトラックをもって、プロデューサーがロンドンに行き、ヴォーカル・ダビングをしたと推測しています。

サウンドはハリウッドの匂いが濃厚で、ロンドン録音とは思えませんし、アレンジャーも、クレジットされているのは、ショーティー・ロジャーズとペリー・ボトキンというハリウッドの二人、プロデューサーもいつものケリー・ゴードンです。

◆ グレン・キャンベルとのデュエット ◆◆
さて、前述した、ハルが自己申告するまでもなく、最近は盤にパーソネルが書かれているらしい、グレン・キャンベルとのデュエット盤について少々。ちょうどグレン・キャンベルが昇竜の勢いになったときにリリースされたおかげで、大ヒットしたアルバムです。

まず、ハル・ブレインは活躍しないものの、シングル・カットされて、ヒットした曲から。

ボビー・ジェントリー&グレン・キャンベル All I Have To Do Is Dream


エヴァリーズといえばAll I Have To Do Is Dreamというぐらいの代表作ですが、こちらのヴァージョンのアレンジもなかなかけっこうです。この盤は、基本的にはグレン・キャンベルのスタッフでつくられているので、アレンジャーはアル・ディローリーです。

しかし、ハル・ブレインのプレイとして面白いのは、このアルバムのアウトテイクというか、デモないしはリハーサルと思われるトラックです。いい忘れていましたが、こうしたトラックは、前述のAMMのAn Ode to Bobbieなるボビー・ジェントリー特集ページで聴くことができます。

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この特集を組んだときに、Wall of Houndの大嶽さんのご協力で、ボーナスとして数曲を加えることができました。そのうちの一曲。

サンプル Bobbie Gentry with Glen Campbell "Peaceful" (demo)

AMMのキムラセンセも、このハル・ブレインはすごいとお書きになっていますが、わたしも感動しました。ハルのドラムとグレンのギターだけ、ベースなしですからね。うまい人が二人いれば、こんなゴージャスな音ができてしまうのだから、感服しました。

もうひとつ、盤として仕上げたものではなく、ハルのプレイがちょっとラフで、その分だけいっそう、「そこにいる」臨場感があり、裸のハル・ブレインのサウンドを聴いているような気分になるのも、このトラックのすばらしさです。ガチガチに譜面を固める以前のハルは、いつもこういう豪快なドラミングをしていたのかもしれません。

おっと。ジュリー・ロンドンのトラックにふれる余裕がなくなってしまいました。いまから冒頭に戻って、ジュリー・ロンドンに関する部分を書き直していると時間がかかってしまうので、このままでアップすることにします。

次回、たぶん、ジュリー・ロンドンを書けると思いますが、ネグッてしまうかもしれません。


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ボビー・ジェントリー(2オン1)
Delta Sweete: Local Gentry
Delta Sweete: Local Gentry


ボビー・ジェントリー
Best of Bobbie Gentry: The Capitol Years
Best of Bobbie Gentry: The Capitol Years


ボビー・ジェントリー&グレン・キャンベル(MP3ダウンロード)
Bobbie Gentry And Glen Campbell
Bobbie Gentry And Glen Campbell
by songsf4s | 2011-07-22 23:35 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その6 The Defranco FamilyとThe Partridge Family
 
アール・パーマーやジム・ゴードンのベスト・トラックを選んだり、ゲーリー・チェスターのディスコグラフィー検討をなどということをしたのに、なぜいままで、もっとも重要なハル・ブレインの特集をしなかったかといえば、疲れるからです。

CMやジングルや映画音楽まで含めると、4万曲ともいわれるハル・ブレインのキャリアから上澄みを選ぶのは、それなりに面白い作業で、昔、カセットをつくったことがありますが、自分で楽しむならいざ知らず、それを公開するとなると、あれこれ手続きが必要で、考えるだけでげんなりしてしまいます。

◆ デフランコ・ファミリー ◆◆
重要なアーティストだとひどく手間がかかるので、今回はごく軽いものを選びました。

デフランコ・ファミリー・フィーチャリング・トニー・デフランコ Heartbeat It's a Love Beat


変な絵柄ですが、ほかのものはすべて音が悪いため、これを選ぶハメになりました。あなたがかつてトニー・デフランコにキャーといった覚えのある元少女なら、関連動画でテレビ出演時のクリップをご覧になるといいでしょう。

デフランコ・ファミリーは、ベスト盤を買って一曲目を聴いた瞬間、ハルじゃん、と思ったのですが、回想記に付されたビルボード・トップ10ヒッツ・ディスコグラフィーにはHeartbeat, It's a Love Beatはリストアップされていませんでした。

こんなにわかりやすい曲を間違えるとは思えなかったので、ハルのほうがリストアップし忘れたものとみなし、かつてオオノさんのサイトで公開していた、わたしが増補したディスコグラフィーには、脚注として入れておきました。

デフランコ・ファミリーは、カナダ出身の家族コーラス・グループで、ごく短いあいだでしたが(子どもだからいいのであって、大人になってしまうと面白くない)、数曲をヒットさせています。

◆ パートリッジ・ファミリー ◆◆
デフランコ・ファミリーのロール・モデルになったのは、たぶんこのグループでしょう。

パートリッジ・ファミリー I Think I Love You


どなたもすでに先読みしていらっしゃるでしょうが、パートリッジ・ファミリーのドラマーもやはりハル・ブレインでした。パートリッジ・ファミリーはくだらないかもしれませんが、ハルはいいバックビートを叩いていて、おおいに楽しめる曲です。

いま、「カリフォルニア」といったとき、われわれが、燦燦たる陽光、青い空、ビキニ・ガールにサーファー・ボーイ、フリーウェイに車、といったものを想起するのは、ブライアン・ウィルソンのせいだ、ということをデイヴィッド・リーフが書いていました。

それはそうかもしれないなあ、と思ういっぽうで、ひょっとしたら、ハル・ブレインがいなければ、ブライアン・ウィルソンの力をもってしても、独力で「カリフォルニアを発明する」ことはできなかったのではないかとも思います。

ハル・ブレインよりうまいドラマーはいるでしょうが、彼ほど底抜けに明るいグルーヴをもったドラマーはいません。63年から68年にかけて、ハル・ブレインがプレイした曲がビルボード・チャートを埋め尽くしたのは、たぶん、うまさのせいというより、ビートの明るさの賜物だったのではないか、と考えています。

パートリッジ・ファミリーやデフランコ・ファミリーのような、親が安心できるアイドル・グループの、明朗なるグルーヴをつくるのは、ハル・ブレインの天職だったといっていいでしょう。

◆ さらにファミリー・グループ ◆◆
ハル・ブレインは関係なくなりますが、逆尻取りというか「頭取り」をつづけます。パートリッジ・ファミリーはドラマのなかの架空の家族でしたが、ドラマのなかの架空のバンド、モンキーズが、実在のバンド、ビートルズをモデルにしたように、架空のパートリッジのモデルとなったのは、この実在の家族コーラス・グループだったのでしょう。

カウシルズ The Rain, the Park and Other Things


このクリップを見ると「ビートポップス」を思い出します。あのころはプロモーション・フィルムというのは少なかったので、強く印象に残りました。

これはハル・ブレインではないのですが、軽いヒットのスネアのサウンドも気持よく、じつに好ましいドラミングです。もちろん、子どもにこんなドラミングができるはずもなく、べつのアルバムでは、たしか、ハリウッドのプレイヤーの関与を裏付けるデータが出てきたはずですが、ハルはかすっていないようです。うーん、とすると、他の町のプレイヤーか、それともなければジム・ゴードンでしょうか?

ファミリー・コーラス・グループということでは、もうひとつ、大物がありますが、どうしますかね。まあ、ここまでやったのだから、あと一曲だけ。

ジャクソン5 ABC


これはハリウッド録音で、ドラムはエド・グリーンといわれていますが、べつのパーソネルを見たこともあります。ヒットしているときは、やはりドラミングに耳を引っ張られました。

しかし、ジャクソン5はファミリー・コーラス・グループの系譜に置くべきなのか否か、ちょっと微妙なところだなあ、と思いました。形式上は当てはまるのですが、サウンドの色合いはかけ離れていますから。

◆ 三歩前に出て師の影を踏もう ◆◆
いまでもよくあるのですが、「ハル探し」に夢中になっていたころ、しばしばジム・ゴードンのプレイをハルと取り違えました。

師匠と弟子などという関係ではないのですが、ジミーがハリウッド音楽界に居場所をつくれたのは、ハル・ブレインの推薦のおかげだといわれています。そして、「筋目」をいうなら、アール・パーマー→ハル・ブレイン→ジム・ゴードンおよびジム・ケルトナーという順序でハリウッド・ドラマー・キングの王冠が継承されました。

ジム・ケルトナーがいっていましたが、あの時代、というのは60年代なかば、彼がハリウッドのスタジオで仕事をはじめたころのことでしょうが、ハル・ブレインのようなサウンドをつくれれば、あまった仕事がまわってきたので、必死にハルのチューニングをコピーしたのだそうです。

そういうわりには、ジム・ケルトナーのサウンドはそれほどハルに似ていません。しかし、ジム・ゴードンは、ハルが行けないセッションに、ハルの代理として送り込まれることでハリウッド音楽界に地歩を築いたので、じつによく似たサウンドをつくっていました。

ハルのセットはラディック、ジム・ゴードンはキャムコで、ぜんぜんメーカーが違うのに、スネアなんかハルそっくりですし、タムタムだってどっちだろうと考え込むこともしばしばです。サウンドが似ているだけならともかく、タイムもかなり近いので、ハルかジムか、で七転八倒したことは数知れません。

デフランコ・ファミリーはハルにちがいない、と卦を立てて、幸い、今回のディスコグラフィー補足でコンファームされたからいいようなものの、大間違いのコンコンチキだったことがわかった曲もあります。

いまだに納得がいかず、ハルじゃないのかなあ、と未練がましくいっているのはこの曲。

ゲーリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップ Woman Woman


しかし、これはどうやらジム・ゴードンだったようで、ハルのトップ・テン・ヒッツには登場せず、今回の増補でも出てきませんでした。ハルが叩いたユニオン・ギャップのヒット曲はこちらのほうです。

ゲーリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップ Young Girl


そりゃそうだろう、これがハルじゃなければ、天地がひっくり返るぜ、というプレイです。それにしても、Woman Womanのジミーのプレイは、完璧な贋作ハル・ブレインで、あそこまで似せるのは凡夫のよくなすところではなく、やはり名人の境地というべきでしょう。

いまだにどちらなのかわからない曲というのもあります。

アルバート・ハモンド It Never Rains in Southern California


この曲のドラムは悩みました。これはハル・ブレインのトップ・テン・ヒッツにリストアップされているのですが、ジム・ゴードンのプレイであるというデータもあるようなのです。

いつまでもぐずぐずしているのも癪なので、結論を出します。ジミーのプレイでしょう。1)フロアタムがいつものハルより低く重い、2)間奏でライドベルを使っている(ジミーがしばしばやった)、という二点でそう思います。ハルほどの軽みがなく、やや重厚です。

この曲のフロアタムのサウンドがリファレンスになるでしょう。

カーリー・サイモン You're So Vain (featuring Jim Gordon on drums)


最初にスタジオ・ドラマーの凄みを教えてくれたのはジミーなので、この曲がヒットしたころは彼のプレイを探しまわっていました。カーリー・サイモンには取り立てて興味はないのですが、ジム・ゴードンはやはり只者ではない、とおおいなる感銘を受けた曲です。

こういうことがあるので、ハル・ブレインには今後もデータをアップしつづけて欲しいと思いますし、ジム・ゴードンには早く出所してもらって、オフィシャル・サイトをつくり、栄光の時代を回顧してもらいたいと願っています。ジミーが自伝を書いたら売れるでしょうねえ。The Killing Beatとかいって!


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It's a Heartbeat, LovebeatおよびIt Never Rains in Southern Californiaを収録
Vol. 10-Have a Nice Day!
Vol. 10-Have a Nice Day!


パートリッジ・ファミリー
Come on Get Happy: Very Best of Partridge Family
Come on Get Happy: Very Best of Partridge Family


ゲーリー・パケット&ザ・ユニオン・ギャップ
A Golden Classics Edition
A Golden Classics Edition


アルバート・ハモンド
Greatest Hits
Greatest Hits


カーリー・サイモン
No Secrets
No Secrets


カウシルズ
Best of the Cowsills
Best of the Cowsills


ジャクソン5
Ultimate Collection
Ultimate Collection
by songsf4s | 2011-07-20 23:55 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その5 John Lennon
 
ハル・ブレインがジョン・レノンのRock'n'Rollセッションに参加したことは、盤のクレジットや、ハルの回想記ですでにわかっていたことです。

しかし、Rock'N'Rollにはアルバム全体のパーソネルが記載されているだけで、どのトラックでハル・ブレインがプレイしたかという詳細は不明でした。少なくとも、自分のものや友人のものなど、昔の各種エディションのクレジットを見るかぎりではわかりませんでした。その後のエディションにはトラック・バイ・トラック・データが書かれたのかもしれませんが。

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Rock'n'Rollのメイン・ドラマーはジム・ケルトナーです。ハルはいわば「ゲスト」でした。そのあたりの経緯は明らかにされていませんが、こんな空想をします。

ジム・ケルトナーほどダブル・ドラムの経験があるドラマーはそうはいないでしょう。ジョー・コッカーのMad Dogs and English Menツアーでジム・ゴードンと組んで以来、じつにさまざまなドラマーとダブルをやっています。

ケルトナーは、スペクターとバックビートのことを話していて、ダブルをやってはどうか、と提案したのではないでしょうか。あるいは、ジム・ゴードンとのダブルがいかにすばらしい経験だったかをスペクターに話したのかもしれません。

では、ダブルをやってみようか、ということになり、たとえばジム・ゴードンに連絡をとったけれど、ツアーで不在、アールもつかまらない、では、ハル・ブレインはどうだ、となったけれど、かつての経緯があるので、スペクターは難色を示し、ハルと親しかったケルトナーが、ではこの件は自分に一任してくれと提案した、なんて道筋はどうでしょう。ハル・ブレインは、ジム・ケルトナーを通じて依頼されたといっています。

◆ オフィシャル・リリース ◆◆
どうであれ、かつての「フィル・スペクターのドラマー」は、1964年のライチャウス・ブラザーズのセッションを断って、スペクターの不興を買って以来、十年ぶりにスペクターのセッションでプレイすることになります。エモーショナルな場面もあったのではないかと思いますが、ハルは、スペクターとの再会についてはなにもいっていません。

今回の増補ディスコグラフィーで、ハル・ブレインがプレイしたトラック(の少なくとも一部)が明らかになりました。まずは一曲。ファッツ・ドミノ・クラシック。

ジョン・レノン Ain't That a Shame


すべてジム・ケルトナーとのダブルのはずですが、左右に分離するといったミキシングではないので、ほんとうにダブルかどうかも確信が持てないほどです。まして、どのプレイがだれ、なんてことはまったくわかりません。

Ain't That a Shameは、ハルがいるといないとに拘わらず、このアルバムのなかでドラミングが好きな曲でした。フェイドアウト直前のストップタイムのプレイは盛り上がります。とくにタムタム一打のアクセントが最高。

どちらもマスターフルなプレイヤーですが、ハル・ブレインのファンだったジム・ケルトナーは、いにしえのフィル・スペクター・シングルの売り物だった「ハルのフェイドアウト」を聴きたがったのではないでしょうか。わたしは、フェイドアウトのフィルインはハルがプレイしたと想像しています。

どうせ当たるも八卦当たらぬも八卦をやったのだから、行きがけの駄賃にもうひとつギャンブルをやります。この曲のすばらしいピアノはリオン・ラッセルのプレイでしょう。

つづいて、どうしてジョンがこの人の曲を好んでカヴァーしたのか、いまだに不可解というしかないラリー・ウィリアムズのヒット。

ジョン・レノン Bony Moronie


こちらは、フィルインのプレイで、一人ではないことがわかります。ハル・ブレインはかならず譜面を書いたそうです。プレイ方針が固まったら、細かいフィルインにいたるまで譜面で固定し、以後、何テイクとろうと、同じプレイをしたというのです。

ジャン&ディーンのトラックでは、しばしばアール・パーマーとユニゾンで叩きましたが、そういうケースでは、もちろん、譜面がなくては正確に合わせることはできなかったでしょう。このトラックでも譜面を書いたのだろうと想像します。ジム・ゴードンとのダブルでは、ケルトナーは譜面なしでやったはずで、これは彼にとっては新しい経験だったかもしれません。

◆ ハル・ブレイン、ジョン・レノンと対話す ◆◆
以前、ハル・ブレインの回想記を訳し、いくつかの書肆に持ち込んでみました。ある版元で出版が具体化したのですが、その後に不可解なことが起こり、この話は立ち消えとなってしまいました。アメリカの版元からイエスの返事も、ノーの返事もこなかったのです。

こんな馬鹿な話はあとにも先にも、このとき一回だけ。ノーならわかりますが(いや、このレベルの本なら、たいていは二つ返事でOKになる)、ノー・リプライとはあきれ果てます。結局、その原稿は宙に浮き、いまもHDDに眠っています。

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ということで、ここで再利用というか、正確には「初利用」ですが、その原稿から、ジョン・レノンに関する部分を以下にコピーします。

(この直前に、フィル・スペクターがプロデュースしたレナード・コーエンのセッションに関する記述がある。しかし、これはおそらくハルの記憶違いで、コーエンのセッションはジョン・レノンのセッションよりずっとあとの77年か78年と考えられる)これはさらなる大物につながるきっかけとなった。ジョン・レノンのプロジェクトだ。

ある日、ジム・ケルトナーが電話してきて、フィルがプロデュースするジョン・レノンのセッションで、彼とダブル・ドラムを組んでくれないかといってきたのだ。これはジョンがニューヨークにもどって最後の仕事をするまえのことで、ウェストコーストでのプロジェクトだった。もちろん、ぜひやりたい、と返事をした。

そして、A&Mスタジオで、ふたたび新しいウォール・オヴ・サウンドがつくられることになった。われわれは大きなスタジオに集まり、おおぜいの人間がジョン・レノンという名前をひそひそいいかわしていた。われわれはそこで一週間ほど働き、それからレコード・プラントに移って、さらに二、三晩、レコーディングをつづけた。全員がこのプロジェクトに没頭した。これはフィル・スペクターの最高の仕事だった。素材とバンドがじつにみごとにからみあわされたのである。

ジョン・レノンは、ちょっとシャイで、気どらない人間だった。わたしはじぶんのドラムのセットアップをチェックするために、たいてい早めにスタジオに顔を出したが、いつもジョンがさきにきていて、ギターをチューニングし、歌のおさらいをしていた。わたしたちは、ゆっくりと楽しいおしゃべりをした。音楽業界の話や、そして彼のキャリアの土台を形づくることになったさまざまなレコードのことだ。彼はわたしに、いっしょに仕事をしてくれてありがとうと礼をいい、そして、彼の好きなレコードのほとんどは、若いころに聴いた「あなたの」ウェストコースト録音のレコードだ、と打ち明けてくれた。

ジョンにとって、このころはつらい時期だった。ヨーコと別居していたために、みじめな状態で酒ばかり飲んでいた。彼のそばにはジュリアンがついていた。わたしも息子のデイヴィッドといっしょに暮らしていて、ふたりとも似たり寄ったりの状態だった。ジュリアンはたしか十二か十三で、ドラムを叩きたがっていた。ある日、われわれ四人はハリウッドで昼食をともにし、ふた組の父と息子だけの楽しいひとときをすごした。

フィルとジョンとの最後のセッション以後、どちらにも再会することはなかった。ジョンはニューヨークにもどり、あのすばらしいカムバックをやってのけた。その後の悲劇は、いまもわれわれみなの胸にある。ドナはいまでもときおり電話をくれて、フィルがよろしくいっている、と伝えてくる。われわれはフィルに、隠遁をやめて、オールスター・フィル・スペクター・リヴューをやろうと頼んだ。もし彼が、われわれ全員をまた集めたら、あらゆるショウの息の根を止める、ショウのなかのショウになるだろう。フィルはぜったいにケチなことはやらなかったのだから。


ハル・ブレインという人は、他人の悪口はいわないし(例外はバーズとタートルズ。両方とも「嘘つき」と斬って捨てた)、ひどい音楽だ、などといったネガティヴなこともいいません。

ジョン・レノンのRock'n'Rollは、ジョンにとっても、フィル・スペクターにとっても、代表作とはいいがたいし、スペクターはケッセル兄弟(バーニーの息子たち)をボディーガードにし、銃を携行してスタジオにあらわれ、一度、発砲したことまであったといわれています。

最後はマスターテープをもって姿をくらまし、ジョン・レノンは苦労してテープを取り返し、残ったトラックを自分でプロデュースしてリリースにこぎつけたと伝えられています。

そういう状況の劣悪さを考えれば、できあがったアルバムは悪くないとはいえるでしょう。いくつかはいかにもジョン・レノンらしいレンディションで、ソロのジョン・レノンが大嫌いだったわたしのような人間にとっては、唯一、腹の立たないジョン・レノンのソロ・アルバムでした。

まあ、その程度のものであり、ハルの誉め方はいくらなんでも行き過ぎだと思いますが、要するに、ハル・ブレインというのはそういう人間なのだ、ということでしょう。

◆ アウト・テイクス ◆◆
ジョン・レノンとフィル・スペクターにとってはどん底の時期だったこともあり、また、Come Togetherをめぐる訴訟問題の解決手段(Youn Can't Catch Meを録音する義務があった)でもあったので、Rock'n'Rollセッションは、かつてのLet It Beセッションのように、巨大なゴミの山を残しました。

そうしたトラックは、後年、CD化の際のボーナスやら、寄せ集め盤の埋め草やら、ボックスのトラックなどとしてリリースされることになったのはご存知の通り。ハル・ブレインがプレイしたトラックは、そのようなアウトテイクのなかにも撒き散らされています。

ジョン・レノン Angel Baby


オリジナルは、かのロージー&ディ・オリジナルズです。ジョンもポールも、ロージー&ディ・オリジナルズこそが、ロックンロールという雑駁な音楽形態の魅力を体現しているのだ、と強調していました。つまり、下手こそよかれ、の精神であり、ナンセンスな遊び、わけのわからないデタラメな曲こそがロックンロールなのだ、という立場です。一言でいうなら、absurdityこそがロックンロールの本質である、ということです。それを実践したのが、You Know My Nameなのだとポールはいっていました。

ビートルズ You Know My Name


もうabsurdityは十分に堪能なさったかもしれませんが、Anthologyに入っていたこれなんかも、同系統の「ロージーの息子」といえるでしょう。

ビートルズ Los Paranoias


どうせ化けるなら、サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドなんて大仰なものではなく、ロス・パラノイアスに化けるほうがずっとよかったのではないかと思います。わたしは二曲とも好きです。

閑話休題。さらにアウトテイクはつづきます。あ、いや、ロージー&ディ・オリジナルズのオリジナル・ヴァージョンを聴きますか。なんたってジョンとポールが絶賛した曲ですからね。下手くそも下手くそ、チューニングすら合っていなくて、一聴、忘れがたい印象を残します。

ロージー&ディ・オリジナルズ


ギター、サックス、ヴォーカル、よくまあ、そろいもそろってみごとに音をはずせるものです。グレイト!

で、もう一度、閑話休題。Rock'n'Rollセッションのアウトテイクをつづけます。没後リリースのMenlove Avenueで陽の目を見た、Rock'n'Rollセッション唯一のオリジナル曲、それもジョン・レノン、フィル・スペクターの共作、なんていっても、期待すると打っちゃりを喰らう、Here We Go Again。



なんというか、隔靴掻痒というか、あとちょっと、どこかをどうにかできていたら、それなりの仕上がりになったのじゃないかと、焦れてしまうような出来です。やっぱり、精神状態、健康状態の悪さがこういうところに出てしまったような気がします。

ドラミングは、地味ながら、随所に興味深いフレーズがあり、60年代のキングと70年代のキングが、あれこれ相談しながらプレイをつくりあげていった様子がうかがわれて、どちらも大好きなわたしとしては、その場で二人のプレイを見られたら天国だっただろうと思います。

最後は、フィル・スペクターとハル・ブレインに永遠に結びつけて語られるであろう曲を。やはり、ハル・ブレインがいるから選ばれたのでしょう。

ジョン・レノン Be My Baby


うーむ。こういうときは何もいわないほうがいいのでしょう。ジョン・レノンの精神状態をまざまざと見る思いです。楽しいと同時に、肩のこるセッションだったとハル・ブレインがいっているのは、こういうところなのだと思います。

いやはや、こちらも肩がこってしまう回でした。フィル・スペクター、ジョン・レノン、ハル・ブレイン、ジム・ケルトナーと役者がそろいすぎて、結局、どこへたどり着いたのかよくわかりませんでした。


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ジョン・レノン
Rock N Roll
Rock N Roll


ジョン・レノン
Menlove Avenue
Menlove Avenue


ジョン・レノン
Anthology
Anthology


ビートルズ
Past Masters
Past Masters


ビートルズ
Anthology 3
Anthology 3
by songsf4s | 2011-07-19 23:46 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その4 The Righteous BrothersおよびThe Fleetwoods
 
前回のニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ篇で、ライチャウス・ブラザーズ・スタイルのAll Strung Outから入ったのは、最後はライチャウスにつなげる予定だったからです。

例によって、あちこちで道草を食い、時間を浪費したために、前回は予定した展開にはならず、ニーノ&エイプリルの話題だけで終わってしまいました。

前回書いたように、ハル・ブレインがYou've Lost That Lovin' Feelin'やJust Once in My Lifeといったライチャウス・ブラザーズのヒット曲でプレイしなかったのは、フィル・スペクターがハルに腹を立てたからです。

You've Lost That Lovin' Feelin'でのアール・パーマーのプレイは卓越しています。それを否定するものではありませんが、では、ハル・ブレインにああいうスタイルのプレイができなかったか、といえば、そんなこともありません。むしろ、あれはハルがもっとも得意とした方面で、彼がやっていたら、アール・パーマーとはまた異なった味の凄絶なドラミングをしただろうと空想します。

ライチャウス・ブラザーズ You've Lost That Lovin' Feelin' (with Earl Palmer on drums)


マックス・ワインバーグのインタヴューで、エンディングにかけてのプレイはインプロヴなのか、と聞かれて、アール・パーマーは、もちろん、そうだ、と答えています。また、スペクターが重いバックビートが欲しいというので、タムタムとスネアをユニゾンで叩いたとも語っていました。

もっとも興味深いのは、ファースト・コーラスの最後、Woh, oh wohのあとで、ギター、ベース、ピアノなどがユニゾンないしはオクターヴで降下ラインを弾くところで、スペクターは、タイムは変化させずに、スロウ・ダウンした感覚をつくれ、と注文し、なかなか満足せず、テイクを積み重ねることになった、と語っている点です。

改めて聴きなおすと、じっさいにはタイムを変化させています。カウントすればはっきりしますが、ものすごく大きな遅れをつくっているのです。ただし、トータルでこの2小節をとらえるなら、遅れが目立たないように、最後のところ、セカンド・ヴァース冒頭に戻る直前で辻褄合わせをしています。スペクターの無理な注文に、プレイヤーたちが相談しながら、強引な弥縫策をつくっていったありさまが目に浮かびます! アール・パーマーの記憶に残るほど、めんどうな録音だったのでしょう。

さて、ハル・ブレインならこの曲をどうプレイしたでしょうか? わたしはこの曲を聴くたびに、アールだけでなく、ハルがプレイしたのも聴きたかったと、ないものねだりの空想をします。そのひとつの回答が、前回ご紹介したニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズのAll Strung Outだったのです。



わたしはこの曲のドラム・チェアに坐ったのはハルだと考えています。こんどのディスコグラフィー補足でこれがリストアップされることを期待したのですが、前回書いたように、残念ながら、ニーノ&エイプリルについてはべつのトラックがあげられました。

ところが、それを補うかのように、ひょっとしたら、と考えていた、ライチャウス・ブラザーズのトラックがリストアップされました。でも、タイトルを見ても、そんな曲あったっけ、というようなものなのです。クリップがあったことに驚いたほどです。

ライチャウス・ブラザーズ Country Boy


うーむ、なんと申しましょうか、地味、の一言ですな。つぎの曲のほうがまだしもハル・ブレインらしさがちらちら見えます。

ライチャウス・ブラザーズ All the Way


というように、エンディングにかけて、いかにもビッグバンド出身のドラマーらしい盛り上げをやっています。

しかし、二曲とも記憶になくて、検索してもっていることを知ったほどです。よく聴いたのは、フィレーズからの3枚のアルバムで、ヴァーヴのアルバムというのはあまり聴いたことがなく、ハルのプレイした上記二曲はヴァーヴ時代の録音です。

当然です。フィル・スペクターの勘気に触れたのだから、フィレーズの録音では、たとえビル・メドリー・プロデュースのアルバム・トラックであっても、ハルは呼ばれなかったにちがいありません。

なんだか、今回も羊頭狗肉でした。ハルもライチャウスのトラックでプレイしたことがあったのではないか、と想像したのは、当然ながら、Lovin' Feelin'のようなタイプのプレイをハルがやったらどうなるかという興味の故でした。それが、じっさいに出てきてみたら、White Cliffs of Doverのようなタイプの、ドラマーにはあまり腕の見せどころのないトラックだったのだから、がっかりです。

◆ 恋の使用前使用後(誤訳哉) ◆◆
これだけではあんまりのような気がするので、もうすこしハル・ブレインらしい曲をオマケとして追加します。今回の増補ではじめてハル・ブレインのリストに登場したアーティストです。

フリートウッズ Before and After


いかにもハル・ブレインらしい、ノーマルではないフレーズが多用されていて、例によってニヤニヤするだけではなく、声を出して笑いそうになるフレーズもあります。Before and afterとlosing youの合間に、これでもか、これでもかと、だめ押しのタムタムを繰り出すあたりは、ワッハッハです。

Yes, whispering and saying when they doのあたりでは、めったに使わないライド・ベル(ライド・シンバルの中心のベル状に盛り上がった部分を叩く)をやっていて、これがまた、やっぱりハルというあざやかさで、惚れ惚れします。後半はタムタムに切り替える演出も「小さな工夫、大きな親切のハル」らしいこまやかさです。

こういうウィットとガッツがハル・ブレインらしさの源泉です。ふつうの人なら途中で引き返してしまうところでも、一歩も二歩も踏み込んでいくガッツによって、この人が不世出のドラマーになったことに、改めて思いを致します。

失敗フレーズもたくさんありますが、失敗の屍の上に成功フレーズが築かれるのだから、失敗を恐れる人間はけっしてイノヴェイティヴにはなれません。失敗フレーズの山は、ハル・ブレインが60年代を通じてドラミングを改革し、前進させつづけたことを証明する勲章です。

フリートウッズは、Come Softly to MeやMr. Blueの大ヒットで知られる、女性二人と男性ひとりのコーラス・グループで、ボニー・ギターがつくったシアトルのレーベル、ドールトン傘下のアーティストです。

ドールトンはヴェンチャーズのレーベルでもあるので、そういう意味でも、フリートウッズがどこで録音していたかには、かつて強い関心がありました。アール・パーマーの伝記に彼らの曲がリストアップされ、やはりハリウッド録音だったことがはっきりしたので、その点はもうそれほど意味がなく、今回のハルのディスコグラフィーへの登場は、だめ押しにすぎません。

ヴァン・マコーイ作のBefre and Afterのオリジナル・ヒット・ヴァージョンは、チャド&ジェレミーによるものです。



これはNY録音と思われます。やや鈍重なグルーヴですが、音のテクスチャーとしては、ディテールも相応の厚みもあって、まずまずの出来です。NYだってやればできるじゃないか、です。チャド&ジェレミーのNY録音のドラマーはゲーリー・チェスターの可能性が高いのですが、ハルのドラミングと比較するのはなかなか興味深いものがあります。

人それぞれ見方は異なるでしょうが、わたしは、ハル・ブレインの特異性が、Before and Afterのドラミングには明瞭にあらわれていると思います。


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ライチャウス・ブラザーズ
Unchained Melody: Very Best Of The Righteous Brothers
Unchained Melody: Very Best Of The Righteous Brothers


フリートウッズ
Very Best of
Very Best of
by songsf4s | 2011-07-18 23:56 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その3 Nino Tempo & April Stevens
 
海辺だからなのでしょうが、梅雨明け以来、朝晩はつねに風が強く、昨年の夏よりはずっとマシな毎日を過ごしています。

カメラが壊れて、散歩ブログのほうは更新できなくなりましたが、昨日も横浜をぶらぶらしてきました。本来はダレた人間なのですが、歩くことにかけてはスパルタなので、暑い盛りには、自分でブレーキをかけないと、死のロードになりそうです。

昨日の午後はしばらく野毛山動物園で過ごしました。ハヤブサとコンドルの檻の前に坐って、かき氷を食べていたら、救急車のサイレンが聞こえて、どうしたのだろうと思ったら、下のほうから園の人が若い女性を背負ってあらわれました。たしかめたわけではありませんが、熱中症にかかった可能性が高いでしょう。三時ごろで、いかにもそういう時間帯でした。

熱中症は、二、三の注意を怠らなければ防ぐことができるいっぽう、罹ってしまうと最悪の場合は死亡、そこまでいかなくても、ひどい後遺症に悩まされることもしばしばです。自戒を込めて申し上げますが、水分、塩分をきちんととり、体を動かすときは、頻繁に休憩するように、くれぐれもお気をつけください。よそごとと油断していると、あっさり命を取られます。

◆ 当てごととなんとかは向こうから外れる ◆◆
これは今回の増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィーにリストアップされたものではないのですが、まずは一曲、お聴きあれ。ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ、All Strung Out。



この曲をフィーチャーした同題のアルバムの最初のCD化はブートでした。ライナーなし、一枚もの裏白のジャケ写表のみ、そのくせ3000円もしたので、いまだに恨み骨髄です。その後、サンデイズドから正規のリイシューがあって、それも買ったのだから、二重に腹が立ちました。

サウンドとしては、どこからどう見ても、フィル・スペクター風というか、ライチャウス・ブラザーズ風というか、音の手ざわりも、アレンジも、このままライチャウスのヴォーカルを載せても大丈夫です。

ライチャウスのコピーをやってみた、という見方もあるかもしれませんが、ひょっとしたら、ニーノ・テンポはライチャウスのためにこの曲を書いたのだけれど、彼らがターン・ダウンしたので、自分たちで歌った、なんて可能性もなきにしもあらずです。

ニーノは、一時期、フィル・スペクターのアシスタントのような立場にあったので、スペクターの音のつくり方はよく知っていたはずです。

話は脇に入り込みますが、スペクターのもとで働いた連中は、遅かれ早かれ、スペクター・サウンドの模作を試みます。たとえばソニー・ボノは、スペクターにさんざん馬鹿にされたそうですが、やがてみごとに敵をとります。

ソニー&シェール


ドラムはハル・ブレイン、キャロル・ケイさんにうかがったところでは、彼女はこの曲ではアコースティック・ギターをプレイしたそうです。ソニー・ボノは彼女のアンプを通さないエピフォン・ジャズ・ギターの音が大好きで、かならずといっていいほど、彼女にアコースティック・コードを弾かせたのだそうです。

べつのアシスタントたちも、スペクターの手法をうまく応用してビルボード・チャート・ヒットを得ます。セントラル・パークから見ればパサディーナは無限の彼方、ザ・トレイドウィンズ、ニューヨークはつまらない町だぜ。



アンダースとポンシーアにこのシングルを聴かされたスペクターは、無言だったそうです。よほど腹が立ったのでしょうな。

アシスタントだったわけではなく、スペクターのアーティストでありながら、スペクターと対立したライチャウス・ブラザーズは、ヴァーヴ・レコードに払い下げとなり、ビル・メドリーは、名匠フィル・スペクターが鍛えた斬れすぎる妖刀を奪いとり、スペクターその人を真っ向唐竹割にして、ふくれにふくれた鬱憤をはらします。

1966年、ライチャウス独立後の最初のシングルにして、ビルボード・チャート・トッパー、You're My Soul and Inspiration



スペクターのスタジオで、スペクターのスタッフを使って、スペクターのアーティストが歌ったんだから、そりゃ似るでしょうよ。予備知識なし、ブラインドでこれを聴かされて、この曲はスペクターのプロデュースにしてはコクがない、別人の仕事であろう、なんてわかっちゃう人は、フィル・スペクターご本尊以外にはいないんじゃないでしょうかね。あの時代に、これがスペクターの新しいシングル、といわれたら、100万人中99万9999人は、そのまま信じるでしょう。

いやはや、イノヴェーションは遠からず陳腐化して、価値を失うという原則を地で行くようです。ハル・ブレインのBe My Babyリックなんて、いったい何万回コピーされたことか。

話をニーノ&エイプリルのAll Strung Outに戻します。ハル・ブレインはライチャウスのフィレーズ移籍後最初の録音に呼ばれたとき、先約をかかえていました。そんなものはキャンセルしてしまえ、というスペクターにさからって、ハルは先約を優先しました。プロとして当然のことです。

しかし、エゴが肥大化したフィル・スペクターは、ハルが自分を特別扱いしなかったことに腹を立て、以後、彼をセッションに呼ばなくなります。ハル・ブレインがスペクターと再び組むのは、十年後のジョン・レノンのRock'n'Rollセッションでのことになります。すでに時代は変わって、このときはジム・ケルトナーがスペクターのレギュラー・ドラマー、ハルはケルトナーの相方をつとめることになります。

いや、話をもう一度元に戻します。新しいハル・ブレインのディスコグラフィーを見ながら、ニーノ・テンポとエリプリル・スティーヴンズのトラックが出てくるのではないかなあ、と思ったのですが、そのとき頭にあったのは、もちろん、先述のAll Strung Outです。しかし、じっさいにリストアップされたのは、予想していなかった曲でした。

サンプル Nino Tempo & April Stevens "Begin the Beguine"

Begin the Beguineはむろん、コール・ポーターの代表作で、よく知られたスタンダードです。最初の録音のときだったか、余ったスタジオ・タイムで、予定になかったDeep Purpleをその場のヘッド・アレンジで録音し、それがビルボード・チャート・トッパーになっために、ニーノとエイプリルの姉弟デュオは、しばらくスタンダード曲ナックルボール・アレンジ路線をつづけます。

ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ Deep Purple


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ Wispering


ほかに、Tea for Two、Stardustなどもやっていますが、Begin the Beguineはこの路線に連なるものです。そして、ナックルボール化スタンダード曲の第一弾であるDeep Purpleのドラマーはアール・パーマーでした。

先入観を忘れろ、白紙の心で聴け、と旗印を掲げてはいるんですがねえ。それでも、こういう推測というのは、データベースを組み上げ、そのデータにもとづいて確度を高めていくわけで、まったくのゼロで聴くことは、やはり無理なのです。

かくして、ニーノ&エイプリルの初期はアール・パーマー、ハルが登場するのはだいぶあと、という自分で作り出した先入観に足を取られ、Begin the Beguineの段階ですでにハル・ブレインがストゥールに坐っていた、ということに長いあいだ気づいていなかったのでした。

あらためて聴き直したのですが、スタンダード路線でハルの気配を感じるのは、ほかにはTea for Twoぐらいで、あとのSweet and Lovely、Wispering、Stardustなどはやはりアール・パーマーではないかと感じます。いや、Sweet and Lovelyは微妙かなあ。ま、いずれ、白黒はっきりするでしょう。Whisperingは大丈夫。アールです。くどい。

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最後に、依然としてハル・ブレインの関与の裏付けがとれない、アルバムAll Strung Outから、もう一曲、オープナーをご紹介します。これを聴いても、やはりこのアルバムはハルだと思うのですが。

サンプル Nino Tempo & April Stevens "You'll Be Needing Me"

書き忘れていましたが、わたしはニーノ・テンポもエイプリル・スティーヴンズも好きです。エイプリルのソロだって悪くないと思います。しかし、とりわけ、ニーノ・テンポの声が好きで、ちょっとぐらい(いや、ときにはちょっとどころではないが)フラットしたからってなんだ、声のよさは、歌のうまさなんかより百万倍も大事だ、と思います。

ついでにいうと、Deep Purpleのときはキーの合うハーモニカがなくて、ああいうへんてこりんなサウンドができあがり、それが大ヒットの一因になりました。リーバーとストーラーが、ドリフターズのThere Goes My Babyのときに、チューニングの狂ったティンパニーを使ってしまったミスによく似ています。

いや、チューニングが合っていない方がいい、といっているわけではありません。稀に、それがフックになる場合がある、といっているだけです。やっぱりチューニングは合わせてくれないと!


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ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
Hey Baby! Nino Tempo & April Stevens Anthology
Hey Baby! Nino Tempo & April Stevens Anthology


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
Deep Purple / Sing the Great Songs
Deep Purple / Sing the Great Songs


ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ
All Strung Out
All Strung Out


ソニー&シェール
The Beat Goes On: The Best of Sonny & Cher
Beat Goes On: Best of Sonny & Cher


トレイドウィンズ
Excursions
Excursions


ライチャウス・ブラザーズ
Unchained Melody: The Very Best Of The Righteous Brothers
Unchained Melody: Very Best Of The Righteous Brothers
by songsf4s | 2011-07-17 23:40 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その2 The Everly Brothers
 
ハル・ブレインがエヴァリー・ブラザーズのトラックでプレイしたことは、あちこちに書かれていて、その事実だけはわたしもずっと以前から知っていました。

そして、ベア・ファミリーの巨大ボックスなどにはパーソネルも書かれているようで、そういうものをお持ちの方は、どのトラックでハルがプレイしたかご存知なのだろうと思います。

だから、今回の拡張ディスコグラフィーに記載された曲でハルがプレイしたことは周知の事実なのかもしれません。でも、わたしははじめてどの曲でプレイしたかという具体的なことを知りました。

まずは、いわれなくたって、これだけはわかってもおかしくなかったはずだ、という一曲。エヴァリーズ最後のトップ40ヒット(だったと思うが)。

エヴァリー・ブラザーズ Bowling Green


皆様にはまったくどうでもいいことですが、かつてビルボード・トップ40完全コレクションをやっていたころ、エヴァリーズはこの曲だけなかなか手に入らず、長いあいだイライラの種だったことは、忘れられません。

だから、まじめに聴いた(大量に買っていると、針飛びがないことを確認するだけで、それきり忘れてしまう盤が多いのは皆様の多くもご存知でしょう)のですが、百パーセント全開のハル・ブレインというわけでもなく、ハルがやったエヴァリーズのトラックのひとつがこれだと、あらかじめ予見していたわけではありませんでした。

しかし、云われてみると、これは推測していてしかるべきだったと思います。ちゃんとヒントがあったのです。Bowling Greenのパターンは、以下の曲で使ったパターンのヴァリエーションだったからです。

サム・クック Another Saturday Night


ハル・ブレインがいかに独創的で風変わりなドラマーだったかが如実にあらわれた曲です。この曲でのハルは、多くのフィルインの尻尾で、ヒットではなく、ロールを使っています。パンと強くヒットして一打で止めるのではなく、手首でスティックの跳ね返りを押さえ込んで(ほとんどは)タムタムのヘッドの上でスティックのティップを「転がし」ているのです。

音質が最悪で、フィルインの尻尾が聴き取れませんが、つぎの曲でも何度か同じパターンを使っています。

ボビー・ソックス&ザ・ブルージーンズ Dr. Kaplan's Office


どちらもよく知っている曲ではあるし、こんな奇妙なことをやったドラマーはハル・ブレインしかいないのだから、エヴァリーズのどこにハルがいるのだろうと思ったとき、このパターンを手がかりに、推測できていても不思議はなかったと思います。まあ、わからないときはわからない、ということです。

わたしはエヴァリーズのファンなのですが、WB移籍後の彼らの盤は納得のいかないものが多く、後追いのリスナーとしては、やっぱり時代の変化に押し流されたのだなと思います。Bowling Greenもそれなりにいい曲ですし、ハル・ブレインやクルーもグッド・フィーリンをつくりだしていますが、エヴァリーズを特別な存在にしていたなにものかはすでに失われていたことを痛感します。腐っても鯛の底力、巨大な人気の惰性だけでチャートをよじのぼり、力尽きてしまったのでしょう。

ハル・ブレインは今回の拡張ではエヴァリーズのトラックをたくさんリストアップしているので、もう少し並べてみます。

エヴァリーズ A Voice Within


うーむ。いや、これだってエヴァリーズじゃないと思えば悪くないトラックだと思います。でもやはり、なんだって、エヴァリーズがフォー・トップスみたいなコーラスを使うんだよ、とがっかりしてしまいます。

ハルは暴れませんし、楽曲としてエヴァリーズがシングル・カットできるようなタイプではありませんが、ドンとフィルの声には、やはりこういうもののほうがいいのではないでしょうか。エヴァリーズ、Born to Lose



エヴァリーズの最大の魅力はドンとフィルの声のブレンドがすばらしいことで、いっしょに歌ってナンボなのに、別々に歌っては、価値半減です。

いや、ビートルズについても同じことを感じたのですけれどね。ご存知のように、ビートルズとはつまり「ジョン&ポール・エヴァリー兄弟」だったわけで、二人がいっしょに歌ってナンボだったのに、Revolverあたりから家庭内離婚状態になってしまったのが、結局、音楽的な命取りになったと思います。

閑話休題。Born to Loseはエディー・アーノルドの曲ですが、彼のヴァージョンはクリップが見つかりませんでした。ジョニー・キャッシュ、マーティー・ロビンズ、レイ・チャールズ、ジーン・ピットニーなどのヴァージョンがありましたが、ここでは割愛します。

◆ ハル・ブレイン、エヴァリーズを語る ◆◆
数多くの曲が並び、それなりにコメントが付されているのですが、拾っておくべき事実はそれほどたくさんありません。

まず、エヴァリーズのハリウッド・セッションでは、多くの場合、ビリー・ストレンジがアレンジをした、と云っています。ビリー・ストレンジのルーツはカントリーなので、エヴァリーズのアレンジャーとしては適任だったでしょう。

また、スタジオはサンタモニカ・ブルヴァードにあった、レイディオ・レコーダーだったそうです。ハルは「エルヴィスのレコーディングをしたスタジオ」といっていますが、リック・ネルソンのホームグラウンドでもありました。

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レイディオ・レコーダーのエルヴィス・プレスリー

のちにエヴァリーズは分裂して、ドンとフィルのそれぞれがソロ・シンガーになるわけですが、ハルは、スタジオで兄弟が大喧嘩をしたのを何度か目撃したといっています。兄弟がうまくやるのはふつうでもむずかしいのに、協力して同じ仕事をするというのは、はじめから強いストレスのかかる状況です。エヴァリーズはよくもったほうでしょう。そう考えると、マイク・ラヴという共通の敵がいたことは、ウィルソン兄弟にとってはいいことだったような気がしてきました。

ビリー・ストレンジのアレンジの基本方針は、装飾は控えめにし、ドンとフィルの声を生かす、ということだったのでしょうが、なかにはいかにもハリウッドらしいトラック、ナッシュヴィルにはぜったいに聴こえないものもあります。

サンプル The Everly Brothers "Just One Time"

これまた、ハル・ブレインしかやり手がいないだろうという、変なパターンのドラミングです。ハルを聴いていると、思わず頬がゆるんだり、あるいは、大笑いすることがあるのですが、これも笑ってしまいます。

この曲はギターもうまくて、おお、です。ひとりじゃなくて、複数のギタリストが攻め込んでくるところが、いかにもハリウッドらしいところです。だれでしょうねえ。ビリー・ストレンジ御大みずからリードをとった? いや、グレン・キャンベルかジョー・メイフィスあたりかもしれません。

最後にもう一曲、エヴァリーズらしいメランコリックなカントリー・チューンを。

エヴァリーズ (Why Am I) Chained to a Memory



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エヴァリー・ブラザーズ(Born To Lose、Just One Time、I'm So Lonesome I Could Cry収録)
Sing Great Country Hits / Gone Gone Gone
Sing Great Country Hits / Gone Gone Gone


エヴァリー・ブラザーズ(Bowling Green、A Voice Withinを収録)
Sing
Sing


エヴァリー・ブラザーズ(2CD WB Best) Bowling Green収録
Walk Right Back: The Everly Brothers On Warner Brothers, 1960-1969
Walk Right Back: The Everly Brothers On Warner Brothers, 1960-1969
by songsf4s | 2011-07-15 23:50 | ドラマー特集
増補ハル・ブレイン・ディスコグラフィー読解 その1 The BuckinghamsとSpanky & Our Gang
 
ラロ・シフリン・フィルモグラフィーをたった二本で終える気は毛頭ないのですが、いかんせん、つぎの映画を見る時間(ないしは気力)がないため、やむをえず前回もべつのことを書き、本日もまたちょっとだけ耳を使えばすむ話題でつなぐことにします。

◆ スパンキー&アワー・ギャング ◆◆
先日、オフィシャル・ハル・ブレイン・ウェブサイトの新しいディスコグラフィーにふれました。いずれ、詳細に検討したいと思いますが、ラロ・シフリンの準備ができるまで、何曲か、新たにリストアップされた曲を聴いてみることにします。

まずはスパンキー&アワー・ギャングです。どういうコンテクストで出てきたのか忘れてしまったのですが、たしかTonieさんが、どこかでハルのクレジットを見つけたのではなかったでしたっけ? どういう経緯であったにしても、まえまえから疑っていたスパンキー&アワー・ギャングでもハルがプレイしたということは、いちおうすでに確認済みでしたが、今回、ハル自身の側から具体的にトラック名が出てきて、推測はコンファームされました。

スパンキー&アワー・ギャング I'd Like to Get to Know You


なかなか涼しげなサウンドで、いまの季節にはとくによろしいようで。スパンキー&アワー・ギャングは、当初、NYで録音していたのではないかと推測しています。デビュー・アルバムのプロデューサーがジェリー・ロスで、ロスはNYベースで仕事をしていたからです。

ハルは、自分がプレイしたのはロッカーばかりだったので、ブラシを使う機会は多くなかった、そのなかで、この曲でのブラシのプレイはすごく楽しかった、とコメントしています(ブラシとスティックの両方の音がしているが、ハル自身によるダブルなのだろう)。いや、ハルはブラシのプレイでも天性のイノヴェイターぶりを発揮したとわたしは考えていますが、ご本尊としては、もっとブラシのプレイをしたかったのでしょう。

データなしでスパンキー&アワー・ギャングのベスト盤の音だけを聴いていると、ハルに聴こえるものがいくつかあり、途中からはハリウッド録音なのだろうと考えていました。新しい拡張ディスコグラフィーでは、ハルはセカンド・アルバムの曲をあげているし、前回、ハル=アワー・ギャングの検討をしたときも、セカンドからではないかと推測したので、これでなんの疑いもなく百パーセントの確定です。

今回のリストにはありませんが、以前の検討で、ここからはハルだろうと考えた曲。

スパンキー&アワー・ギャング Sunday Mornin'


どちらのクリップもあまり音質がよくないので、ドラマーの聞き分けをするには不都合です(最初にあげたI'd Like to Get to Know Youでは、ブラシの音がただのホワイトノイズのように聞こえてしまう)。お持ちの方はご自分の盤をお聴きになっていただければと思います。ドラムを聴く場合、たとえば、スティックの尖端がスネアのヘッドをヒットする瞬間の微妙なタイミングは、音質が悪いと把握できません。

いや、むろん、ハル・ブレインかジム・ゴードンかが判断しにくくなる、といったレベルのことであって、ハル・ブレインとチャーリー・ワッツを間違えるなどということは、低音質でも起こりませんが!

ハル・ブレインが自分のディスコグラフィーにあげているのに、なぜ聞き分けだなどというかというと、ハルのメモや記憶にもときおりミスがあるので、いちおうの検証は必要だからです。また、パーカッションをプレイしたものもリストアップされるので、トラップがハルなのかどうかを確認する必要もあります。

ハル・ブレインはもう一曲、スパンキー&アワー・ギャングの曲を上げています。ハルのプレイは文句なし、楽曲の出来もよいので、これはサンプルにしました。LPリップですが、ノイジーではないのでご安心を。

サンプル Spanky & Our Gang "Medley: Anything You Choose/And She's Mine"

メドレーの後半、And She's Mineのベースは、キャロル・ケイやジョー・オズボーンのような感じがしません。ひょっとしたら「第三の男」(といっても赤木圭一郎ではない)、ラリー・ネクテル?

◆ ビーチボーイズのコントラクターたち ◆◆
つぎは以前からハル・ブレインの参加がわかっていたものですが、今回の拡張ディスコグラフィーでは、コメントに興味深いことが書かれていたので、クリップを貼り付けます。

ビーチボーイズ Barbara Ann


この一連のPartyセッションでは、ジョー・オズボーンがフェンダー・ベースを、ハル・ブレインがパーカッションをプレイしたことは以前からわかっていました。この曲ではタンバリンでしょうから、ハルのプレイがどうのこうのというトラックではありません(他の曲ではボンゴをやっていて、これは「さすがはハル・ブレイン」と瞠目するが)。

ほう、と思ったのは、この曲のことではなく、そこに付されたハルのコメントのほうです。

「(The Beach Boys were) usually contracted by Steve Douglas and later Hal Blaine and later Dianne Revell」

「ビーチボーイズに関しては、多くの場合、スティーヴ・ダグラスがコントラクターをつとめたが、のちにはハル・ブレインが、さらに後年になると、ダイアン・ラヴェルがおこなった」(Revellではなく、正しくはRovell)

ひどく専門的話題で恐縮ですが、ビーチボーイズのコントラクトをしていたのはだれか、なんてことを明らかにした記述ははじめて見ました。わたしはスターには関心がなく、プレイとサウンドとそれを支えたシステムの研究をしています。わたしのような人間にとっては、こういう事実を押さえておくことがなによりも重要なのです(あるセッションのメンバーは、プロデューサーの注文に配慮しつつ、コントラクターが決める)。あのダイアンがコントラクターをやっていたなんてはじめて知りました。

つぎの曲はダイアン・ラヴェルのことを歌ったものといわれています。いや、真偽のほどはなんともいえませんが。

ビーチボーイズ My Diane


このころになると、ハル・ブレインはあまりビーチボーイズの仕事はしなくなっていたと思っていましたが、この曲はハルかもしれないと感じます。

◆ バッキンガムズ ◆◆
1998年だったと思うのですが、メールでキャロル・ケイさんにいろいろなお話を伺いました。モータウンの話題が多かったのですが、わたしが彼女にメールを送ったのは、ハル・ブレインの回想記のディスコグラフィーで言及された以外に、クルーが影武者をやったバンドとしてはどういうものがあったのかを知りたかったからです。

ハーパーズ・ビザールはスタジオではプレイしなかったのではないか、というわたしの疑いは、彼女によって全面的にコンファームされました。ドラムはハル・ブレイン、ベースはキャロル・ケイ、ギターはトミー・テデスコというのがレギュラーだった、というのです。

つぎに質問したのは、たしか、このバンドのことだったと思います。

バッキンガムズ Don't You Care


彼女からは、セカンド以後、ほとんどのシングルでわたしがベースをプレイした、という回答がとどきました。セカンド・シングルとは、すなわち、上記のDon't You Careです。

ベースがキャロル・ケイなら、では、ドラムはハル・ブレインか、というと、わたしにはそうは聴こえませんでした。ハルにしては、タイムが少し早すぎると感じますし、そもそもこの曲がハルのプレイだったら、回想記のトップテン・ヒッツ・ディスコグラフィーにあげられていてしかるべきです(もっとも、あのディスコグラフィーから抜け落ちた曲をいくつか確認しているが)。彼女もドラマーがだれだったかまでは記憶していなくて、この件はそこで行き止まりとなりました。

ただし、当時も、この曲は他のシングルでプレイしたタイムがすこし早いドラマーより微妙に遅いので、ハル・ブレインの可能性が高いと考えていました。

バッキンガムズ Mercy, Mercy, Mercy


いま聴きなおしても、これが丁半博打なら、やはりハル・ブレインであるというほうに札を張ります。

そして、今回の拡張ディスコグラフィーでは、ついにハル・ブレインの側から、バッキンガムズの名前があがりました。

バッキンガムズ Just Because I've Fallen Down/Any Place In Here/Any Place In Here-Reprise


細かいことをいうと、ハルが言及しているのは、Any Place In Hereだけで、このクリップでつながって出てくる他のトラックには言及していません。Just Because I've Fallen Downは、最初はハルのような気もしましたが、だんだん違うような気がしてきて、これについてはとりあえず判断保留です。ハルのことを離れても、ストップタイムのギター・アンサンブルがすごくチャーミングです。パーソネルを知りたいものです。

この曲が収録されたバッキンガムズのPortraitsというアルバムは、時代を反映した、いわゆる「ペパーズの息子」で、ちょっとばかりビートルズの真似事をしています。サウンド・イフェクトの多用もペパーズの息子の特徴のひとつでした。

バッキンガムズのプロデューサーは、ジェイムズ・ウィリアム・グェルシーオです。グェルシーオの名が最初に歴史に記録されるのは、チャド&ジェレミーのツアー・バンドにベース・プレイヤーとして加わったときのことで、つぎにチャド&ジェレミーのためにこの曲を書いたことで名前が残ることになります。

チャド&ジェレミー Distant Shores


たまたまというか、必然的に、というか、この曲のドラマーもハル・ブレインです。確証はありませんが、ベースはキャロル・ケイとわたしは考えています。タイムといい、ルートから離れるときのラインの作り方といい、いかにもCKスタイルと感じます。

バッキンガムズについては、ハルはとんでもない勘違いをしていて、要するに、ほとんど記憶に残らない程度のかかわりでしかなかったのだろうと思います。したがって、Don't You Careなどでプレイした微妙にタイムの早いドラマーは依然、未詳と考えています。

夏の夜、涼しい風が吹いたりすると、無性に昔の歌が聴きたくなるものですが、今夜はビーチボーイズをあれこれ聴きたくなりました。次回はただなんとなくビーチボーイズのトラックを並べるなんていうのをやってみましょうか。


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スパンキー&アワー・ギャング(ボックス)
Complete Mercury Recordings
Complete Mercury Recordings


ビーチボーイズ(Barbara Annを収録)
Party / Stack-O-Tracks
Party / Stack-O-Tracks


ビーチボーイズ(My Dianeを収録)
M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)
M.I.U.アルバム(紙ジャケット仕様)


バッキンガムズ(Mercy, Mercy, MercyおよびDon't You Careを収録)
Mercy Mercy Mercy: A Collection
Mercy Mercy Mercy: A Collection


チャド&ジェレミー
Very Best of Chad & Jeremy
Very Best of Chad & Jeremy
by songsf4s | 2011-07-14 23:25 | ドラマー特集
祝 オフィシャル・ゲーリー・チェスター・ウェブサイト誕生 その12 ジョン・デンヴァーとジム・クロウチ
 
ゲーリー・チェスターにドラムを学んだボブ・シアンチという人の本に、たしか、70年代に入ってチェスターは、セッション・ワークが少なくなり、ドラム教師のほうに重心を移したと書かれていました。

管ではプラズ・ジョンソン、ギターではトミー・テデスコのように、数十年にわたって第一線で活躍したプレイヤーがいますが、ドラムは時代の流れに足をとられる楽器で、どれほどすごいプレイヤーでも、ファースト・コールでいられる期間は十数年というところではないでしょうか。

階段を上ってスタジオに場所を得、長いツアーから解放されたのもつかの間、スタジオ・エースの座を若いプレイヤーに奪われたドラマーは、ふたたびツアーに出ることになります。アール・パーマーもハル・ブレインも、エースではなくなってからツアーで日本を訪れています。

トミー・テデスコは、自作の歌(!)で、何人かのプレイヤーの実名をあげ、俺は生き残ったといっていましたが、その曲(I Used to Be a Kingというようなタイトルだったと思う)のなかで「ハワード・ロバーツはギター教師になった」といっていました。つまり、第一線から退いたのだというニュアンスです。テデスコとしては、スタジオにいてこそ、という思いが強かったのでしょう。

ゲーリー・チェスターも、ハワード・ロバーツ同様、スタジオ・プレイヤーとしての仕事が減っていき、結局、教師になる道を選んだのでしょう。今日は、彼のプレイヤーとしての晩年の仕事を少々聴きます。

ハル・ブレインに引導を渡し、スタジオからツアー人生へと逆戻りさせた張本人であるジョン・デンヴァーは、初期はNYでゲーリー・チェスターのドラムで歌っていました。Sunshine on My ShoulderやCountry RoadやRocky Mountain Highといったヒット曲は、チェスターの時期に録音されていますが、ドラムは入っていないので、べつの曲をどうぞ。

ジョン・デンヴァー The Prisoners


いくらアコースティックな曲であっても、そこはやはり70年代の録音、50年代終わりや60年代はじめの「叩かせてもらえない」状態とはずいぶんちがいます。こういうタイプの曲でもスネアのハードヒットが当たり前になったことに、時代の違いが如実にあらわれています。

もうひとつ、アルバム・トラックを。

ジョン・デンヴァー Season Suite: Spring


ジョン・デンヴァーという人は、思いのほか、ドラマーを意識していたのかもしれません。ハリウッドに行って録音することにした動機の一部はハル・ブレインではないかという気がします。ざっとディスコグラフィーを見たかぎりでは、全盛期には、ダメなドラマーのアルバムはありません。

Annie's Songのアルバムから、ハル・ブレインやジム・ゴードンが参加し、やがて高いギャランティーを払ってハルをスタジオから引きずり出します。トラップにはすでにハーブ・ラヴェルがいたので、当初、ハルはパーカッションをプレイしました。じつにぜいたくなバンドです。

こういうツアー・バンドを組み、やがて、ロン・タットのいたエルヴィスのバンドを居抜きで継承するのだから、ドラマーの趣味が一貫しています。そういう人のアルバムは聴いていて飽きないものです。いえ、わたしはジョン・デンヴァーのファンではないので、知りはしません。聴いてみようかな、と思っただけです。

◆ Badder than bad bad Leroy Brown ◆◆
同じ時期に、いくぶんかサウンドに近似するものがあった(といっても、アコースティック・ギターを多用したところが似ているだけだが)ジム・クロウチも、しばしばゲーリー・チェスターをストゥールに迎えています。

ジム・クロウチ Bad Bad Leroy Brown


イントロから文句なしのグルーヴで、トラックに関するかぎり、間然とするところのない出来です。ジョン・デンヴァーは買ったことがありませんでしたが、この曲が収録されたジム・クロウチのアルバム、Life and Timesはリリース当時、以前、詳しく書いたことがある、1973年の「LP大密輸作戦」で買いました。

なんせ密輸品なので、邦貨にしてわずか750円程度と安いものだから、あまり面白くない数枚は友だちにあげてしまいました。その一枚がこれでした。いま聴いても、バンドには問題がなく、要するに歌が気に入らなかったのです。もっとスペシフィックにいえば、ジム・クロウチの発声スタイルが、じつに非ツボにはまり、これはあかんと思ったのでした。

とくに、Leroy Brownのときの発声は好みません。バンドはいいのに! チェスターも文句ありませんが、このベース(三人が併記されていて、だれだかわからないが)は、彼が組んだプレイヤーのなかでもっともタイムがいいのではないかと思います。ピアノもうまくて、ほんとうにみごとなバッキング・トラックです。

つぎの曲のほうが、チェスターはあまり聞かせどころがありませんが、歌い方としては容認できます。

ジム・クロウチ Operator


ギターがめっぽううまくて、惚れます。ドイツ系なのでしょうか、読めないのですが、Maury Muehleisenという人がリードのようです。このOperatorが収録されたサード・アルバム、You Don't Mess Around with Jimは、幸いにしてベースはひとりしか名前が挙がっていません。このトミー・ウェストというベースもけっこうなタイムです。

ちょうどこのころから、ラス・カンケルやジョン・グェランといったタイムの悪いドラマーがハリウッドのスタジオを闊歩するようになり、質の悪い音楽をたくさん生み出すようになりますが、いっぽうでNYではルネサンスがはじまっていたのだなと、今にして思います。

ジム・クロウチの5枚目のアルバムでは、リック・マロッタもプレイしていて、ハリウッドよりずっとマシです。まあ、スティーヴ・ガッドなんかラス・カンケルとおっつかっつで不快きわまりありませんが、マロッタのタイムは精確です。この時期、ジム・ゴードンかジム・ケルトナーを呼べなかったら、次善はマロッタでしょう。わたしだったら、この三人以外のドラマーではスタジオに入りません。

ドラムは、極論するならテクニックなどどうでもいい楽器です。だいじなのはグルーヴだけです。むろん、しばしばいいグルーヴとテクニックが同居することは、ジム・ゴードンやジム・ケルトナーを見れば明らかですが、でも、純理論的には、テクニックはなくてもオーケイ、グルーヴがダメならテクニックなどまったくの無意味なのです。タイムの悪いドラマーがめったやたらにスティックを振り回せる運動能力をもっているというのは、最悪の人格結合というべきでしょう。

ジャズのほうに多いのですが、小手先のテクニックにだけ着目して、名ドラマーなどというから、話がわからなくなるのであって、ドラムの根幹はリズムの表現にあります。チェスターはめったにテクニックを披瀝することはありませんが、スタジオ・エースになるためのもっとも重要な条件である、すぐれたタイムをもっていることが、ジョン・デンヴァーやジム・クロウチのトラックに刻み込まれています。

当時は、この曲がいちばん嫌な感じがしませんでした(変な表現で申し訳ないが、つまり、どれも好きではないなかで、これはあまり不快ではなかったにすぎないということ)。

ジム・クロウチ One Less Set of Footsteps


この曲もギターとベースがうまくて、ううむ、です。録音もけっこうで、やはり、NYが長い低迷から脱したことがひしひしと感じられます。あたくしは、あのころ、NY産の音楽にはあまり興味がなかったのですが。

ジム・クロウチ I'll Have to Say I Love You in a Song


この曲も、喉の奥で声がつぶれた瞬間の発声がやはり苦手ですが、でも、トラックはすばらしいの一言。年をとって、こういうドラム・サウンドとプレイが好きになりました。子どものころならそんなことは考えませんでしたが、いまなら、スネアはこういう風に鳴らしたいと思います。

ベースのタイムとチェスターのキックのタイムも、きれいなマッチングで、こういう風にプレイできたら楽しいだろうと思います。羽織の裏地に凝るような、地味なうまさにうなりました。こういう風に感じるのは年をとったおかげだなあ、とがっかりしつつ、今回はおしまい。


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ジョン・デンヴァー
Rocky Mountain High
Rocky Mountain High


ジム・クロウチ
Bad, Bad Leroy Brown -The Definitive Collection
Bad, Bad Leroy Brown -The Definitive Collection
by songsf4s | 2011-06-29 23:25 | ドラマー特集
祝 オフィシャル・ゲーリー・チェスター・ウェブサイト誕生 その11 ドゥーワップ篇
 
まずは、前回のインストゥルメンタル篇に入れておくべきだったトラックを補足しておきます。

ウィリー・ボボ Hip Monkey


ウィリー・ボボはパーカッション・プレイヤーなので、チェスターはトラップのみをプレイしているのでしょう。チェスターのドラミングはなかなかけっこうなのですが、全体のサウンドとしては味が足りない、不満の残るトラックです。

同じアルバムからもうひとつクリップがあがっていたのでそれも貼り付けておきます。

ウィリー・ボボ Tell Like It Is


◆ ブラック・ドゥーワップ ◆◆
このゲーリー・チェスター・シリーズの7回目、ガール・グループの巻で、ガール・グループはチェスターの主たる仕事場のひとつだと書きましたが、ガール・グループが勃興する以前の彼の主たるフィールドは、ドゥーワップだったといっていいでしょう。

まずは、ドゥーワップ・アンソロジーにはかならずといっていいほど採られる大ヒットにしてスタンダード。ただし、ドラムはメトロノーム状態ですが。

クレスツ Sixteen Candles


つぎもまた大ヒットですが、またしてもドラムはタイム・キーピングをするだけといったプレイです。

ファイヴ・サテンズ In the Still of the Night


こういうミディアム・スロウの曲というのは、ほかにやりようがないのでしょう。

つぎはヒット曲ではありませんんが、ドラムを聴くならやっぱりアップテンポでなくては、といいたくなります。

エドセルズ Shake Shake Sherry


◆ ライフタイム・ベスト・トラック ◆◆
ドゥーワップというのは、通常、コーラス・グループによるものですが、次の曲なんぞは、ソロ・シンガーによるホワイト・ドゥーワップといっていいのではないでしょうか。子供のとき、大好きだった曲です。

ジョニー・シンバル Mr. Bass Man


ベースを歌っているのはロニー・ブライトというシンガーです。いくつかのドゥーワップ・グループで歌い、60年代終わりにはコースターズに加わったということです。

この曲がヒットした1963年、わたしは小学校四年生でしたが、いかにもそれくらいの年齢の子どもが好みそうな曲だと、久しぶりに聴いて思いました。

あとになって、子どものときに好きだった曲のドラマーは、ハル・ブレインだったり(サム・クックのAnother Saturday Night)、アール・パーマーだった(ボビー・ヴィーのRubber Ball)ことがわかって、なんだ、まったく進歩していないのか、と呆れます。だから、Mr. Bass Manのドラムがチェスターであっても、これはもう神の摂理、やっぱりな、です。

しかし、今回、多数のトラックを再聴しましたが、これはチェスターのライフタイム・ベストといっていいのではないでしょうか。三つの次元ですばらしいプレイだと思います。

第一の次元はグルーヴ。子どもが聴いても年寄りが聴いても、じつに気分が昂揚するノリで文句がありません。フラム(左右のスティックを微妙にずらして、ほぼ同時にヒットするプレイ)によってグルーヴを作っていると感じます。

そういうプリミティヴなレベルより一段上のメタなレベル、ドラミング設計については、このシリーズで聴いたトラックのなかでもっとも複雑で、譜面として非常にすぐれています。

チェスターは、うまいだけでは十分ではない、創造的でなければだめだ、といっていたそうですが、それを完璧に実践したのはハル・ブレインのほうです。ハルが生み出したドラム・イディオムは無数にあり、将来、歴史的跡づけが精緻になれば、彼がオリジネイターだったことが証明されるリックが山ほどあるでしょう。プレイよりもドラム譜作曲者としての才能を評価される可能性が高いと思います。彼よりうまいドラマーはその後たくさん出現したけれど、これほど多くのドラム・イディオムを創造した変革者は空前絶後だということです。

それに対して、おそらくNYのプロデューサーが保守的だったからでしょうが、チェスターはメトロノームのようにシンプルなプレイばかりやらされています。ハル・ブレインのようなリック創造者の側面は感じません。

そのなかで、唯一、このMr. Bass Manは、譜面だけでも面白いと感じます。むろん、ヴァースの空の小節のプレイではありません。何度も出てくるストップ・タイムでのスネアとタムタムのコンビネーション・プレイのことです。

ハル・ブレインはじつに無数のパターンを考案していますが、こういうものはハルもやっていません。ヴォーカルのリズムに合わせた結果でしょうが、たぶん、チューニングの異なる二つのタムタムを使ったフラムが非常にいい響きですし(ハル・ブレインはこれを「ドップラー効果」といった)、プレイもきっちりやっていて、響きの面白さを十全に生かしています。

最後に、すでに述べたも同然ですが、チューニング、サウンドについても、文句がありません。ドラムにかぎらず、下手な人は音の出が悪いものです。うまいドラマーはチューニングがよく、かてて加えて、スティックワークがいいので、きれいな音が出るものなのです。

置き場所がなくなってしまったのですが、せっかくリストアップしておいたので、ディオン抜きのベルモンツのトラックを、コーダとして貼りつけておきます。

ベルモンツ Diddle Dee Dum (What Happens When Your Love Has Gone)



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ウィリー・ボボ Let's Go Bobo
レッツ・ゴー・ボボ
レッツ・ゴー・ボボ


ジョニー・シンバル(MP3ダウンロード)
Mr. Bassman (Alternate)
Mr. Bassman (Alternate)


ジョニー・マエストロ&ザ・クレスツ
Johnny Maestro & The Crests For Collectors Only
Johnny Maestro & The Crests For Collectors Only


ファイヴ・サテンズ
Five Satins Sing Their Greatest Hits
Five Satins Sing Their Greatest Hits


ライノ・ドゥーワップ・ボックス
Doo Wop Box
Doo Wop Box
by songsf4s | 2011-06-28 23:48 | ドラマー特集