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カテゴリ:風の歌( 27 )
Uncle John's Band by Grateful Dead その1
タイトル
Uncle John's Band
アーティスト
Grateful Dead
ライター
Robert Hunter, Jerry Garcia
収録アルバム
Workingman's Dead
リリース年
1970年
他のヴァージョン
various live versions of the same artist, Phil Lesh & Phriends
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これまでにもいろいろ大物を取り上げてきましたが、書きはじめたいまも、ほんとうにこの曲をやるのかよ、と自分自身に確認しています。なんたって、デッドヘッズにとっては「国歌」みたいな曲で、これが流れたら、起立、脱帽、直立不動で斉唱、てなものなんですからね。

先月の馬鹿ソング特集では、当ブログの三役である、グレイトフル・デッド、キンクス、プロコール・ハルムの曲をまったく取り上げませんでした(特集が終わってから、ハルムのHomburgは馬鹿ソングだったことに気づいた)。今月は、ハルムは登場しないものの、キンクスは登場の予定ですし、デッドにいたっては山ほどあり、絞りに絞り込んで、やっと三曲まで減らしましたが、これ以上は無理なので、いまは三曲とも取り上げる気でいます。よって、そろそろとりかからないと、今月下旬は屍累々のデッドだらけになってしまいそうなのです。

この曲には長い年月のあいだに、デッドの歴史とともにいろいろな属性が付与されてきましたが、そうしたことはあとにして、まずは歌詞を見ていくことにします。といっても、今日じゅうに最後までたどり着ける見込みは立たず、ひょっとしたら、歌詞だけで二日がかり、20種におよぶヴァージョンの検討にまた二日、なんてことになるのではないかと心配しています。デッドがやっても短い曲ではなく、時代が下ると10分台に突入しますが、フィル・レッシュ&フレンズのカヴァーにいたっては20分を超えるため、ただ聴くだけだって、ただごとではないのです。

You Tubeに1980年のレイディオ・シティー・ミュージック・ホールでのライヴ・ヴァージョンがありますので、よろしかったらどうぞ。すでにキーボードはブレント・ミドランドなので、わたしの好まない時期のものですが、公平にいって、いいほうの出来です。すくなくとも、いつもは外しまくるボブ・ウィアが比較的まともに歌っているので、デッドに不慣れな方でも大きな違和は感じないだろうと思います。警告しておきますが、デッドの場合、ハーモニーは「外すためにある」ので、ピッチがどうこうという批評は、はじめから無効です。

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◆ バック・ダンサーズ・チョイス ◆◆
ではファースト・ヴァース。例によって、デイヴィッド・ドッドの注釈入りデッド歌詞サイトに掲載されているものをそのまま使います。行の区切り、大文字小文字の使い分け、カンマなど、まったくいじっていません。

Well, the first days are the hardest days,
don't you worry anymore
When life looks like Easy Street
there is danger at your door
Think this through with me
Let me know your mind
Wo-oah, what I want to know
is are you kind?

「最初のうちがいちばんきついものさ、だから心配することはない、生活が楽になったと思ったときこそ、すぐそこに危険が近づいているものだ、いっしょにこのことをよく考えてみよう、きみの気持を教えてくれないか、ぼくが知りたいのは、きみがやさしい心の持主かどうかということだ」

f0147840_2131640.jpg歌詞のいっていることとは逆に、ファースト・ヴァースがいちばん楽です。問題になるのはeasy streetぐらいでしょう。辞書には「《口》 裕福な境遇、金に困らない身の上」とあります。日本語の「生活が楽」「暮らし向きがよい」というニュアンスより、もっと金がある状態でしょう。また、チャップリンの映画にEasy Streetというタイトルのものがあるとも出ています。ロバート・ハンターはしばしばいろいろなものを引用するので、そういうこともつねに念頭に置かなくてはいけないのです。

言葉の表面的な意味はむずかしくないのですが、なにをいわんとしているかとなると、むずかしいヴァースです。この曲は反戦歌として解釈することもできるので、そういう前提で読み直すと、その方向に沿った解釈も可能だとわかりますが、とりあえず、いまは限定せずにおきます。

セカンド・ヴァース。

It's a Buck Dancer's Choice, my friend,
better take my advice
You know all the rules by now
and the fire from the ice
Will you come with me?
Won't you come with me?
Wo-oah, what I want to know,
will you come with me?

「これはバック・ダンサーズ・チョイスなんだ、ぼくのアドヴァイスをきいておくほうがいいと思うよ、もうこれですべてのルールはわかったはずだし、火と氷の区別もつくだろう、さあ、いっしょに来るかい? 頼むから来たまえよ、きみがいっしょに来るかどうか、それが知りたいね」

f0147840_1571249.jpgBuck Dancer's Choiceについては、いろいろな説が入り乱れています。Buck Danceというのは、19世紀終わりに登場したダンスで、シンプルなタップ・ダンスのようなものだそうです。buck-and-wingともいうそうで、このほうの語義は、リーダーズでは「黒人のダンスとアイルランド系のクロッグダンスの入りまじった複雑な速いタップダンス」となっていて、「シンプル」という他の辞書の定義と矛盾します。ともあれ、まずこれが一説。

他の意見としては、Buck Dancer's Choiceというタイトルの曲があり、それを指すというのもあります。これはfiddle tuneだというのだから、フォーク・ダンスのようなものだと思われますが、この曲が演奏されたら、buck=男鹿、つまり、男のほうがパートナーを選べるのだそうです。ほかにもさまざまな意見がありますが、わたしには、これがこのヴァースの文脈に合う、もっとも妥当な解釈のように思えます。

◆ 潮の満ちてくる川の畔 ◆◆
以下は、なんといえばいいのかよくわからない部分。ヴァースではないし、コーラスでもないのです。ということは、消去法でブリッジということになってしまいますが、それにしては位置が奇妙です。でも、現にそこにあるのだから、ああだこうだいってもはじまりません。

Goddamn, well I declare
Have you seen the like?
Their walls are built of cannonballs,
their motto is Don't Tread on Me

「なんてことだ、こいつは驚いた、これに似たものを見たことがあるか? 壁は砲弾でできている、連中のモットーは『俺を踏みつけるな』だ」

はじめからよくわかっていないのですが、ここにきていよいよ脈絡を失った感じです。デイヴィッド・ドッドの注釈では、Don't Tread on Meというのは、アメリカの愛国者、クリストファー・ギャズデンがデザインした「ギャズデン・フラグ」という旗に書かれたモットーなのだそうです。サンプルをいただいてきたので、ご覧あれ。

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つまり、踏みつけてみろ、ただじゃおかないからな、という威嚇なのでしょう。この旗のヘビは、ヤマカガシなんかではなく、ガラガラヘビだそうです。独立戦争のとき、バハマのイギリス基地を襲ったアメリカ海兵隊のドラムにも、このシンボルが描かれていたそうです。以上、砲弾でできた壁と平仄は合っています。

意味はなんだ、といわれると、口ごもらざるをえませんなあ。ひとつだけいえることは、このUncle John's Bandが書かれたとき、アメリカはヴェトナム戦争の泥沼でもがいていた、ということです。「これに似たもの」の「これ」はヴェトナム戦争を指しているのではないでしょうか。この線に沿って解釈すると、theirが指しているのは、アメリカの戦争推進派ではなく、ヴェトナムのことである可能性もあるように思います。アメリカはガラガラヘビを踏んでしまった、と。

つづいてコーラス。ここにコーラスがくるのです。ヴァースのあと、コーラスのまえなんていうところにブリッジがあるはずがない、というので、まえの4行をなんと呼べばいいのかわからなくなったのです。

Come hear Uncle John's Band
by the riverside
Got some things to talk about
here beside the rising tide

「この川の畔に来て、アンクル・ジョンズ・バンドを聴かないか、この満ちてくる潮のそばで話し合いたいことがあるんだ」

川の畔なのに、潮が満ちてくるということは、河口に近いということになります。どこか特定の川を指していたのかどうかはわかりません。ポトマック河だったりして? いや、これはただの思いつき。あの時代、戦争推進派のバンドなんていうのはめったになく、デッドも当然、戦争反対派でした。「話し合うべきこと」とは、戦争のことなのか、それとも、そんなふうに限定しないほうがいいのか、なんともいえません。仮に、あくまでも仮に、ヴェトナム戦争の文脈で捉えるなら、セカンド・ヴァースのwill you come with meという問いかけは、きみは戦争についてどちらの側に立つのだ、と解釈できるような気が、ここまでくるとしてきます。

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◆ 風のごとく去る ◆◆
サード・ヴァース。

It's the same story the crow told me
It's the only one he know
like the morning sun you come
and like the wind you go
Ain't no time to hate,
barely time to wait
Wo-oah, what I want to know,
where does the time go?

「それはカラスに聞かされたのと同じ話、あいつはこの話しか知らないんだ、きみは朝の太陽のようにやってきて、風のように去る、憎んでいる時間なんかない、待てる時間もほとんどない、ぼくが知りたいのは、時はどこへいってしまうのかということ」

カラスねえ。単純に伝承を探ると、たとえば世界大百科のカラスの項には、西洋の伝承として「カラスは不気味な鳴声、黒い姿から不吉な鳥とされ、死と関係づける俗信が多い。家のまわりをカラスが飛ぶのは死の前兆とされ、カラスの群れがけたたましく空中を飛びかうのは戦争を予言するのだという」とあります。また、ギリシャ神話には、告げ口をするおしゃべりな鳥として出てくるそうです。さらに、ジョニー・ホートンの1964年のシングルに、Same Old Tale The Crow Told Meという曲があるようです。そして、カラスといえば、エドガー・アラン・ポーの『大鴉』も無視するわけにはいかんだろう、という意見も当然ながらあります。

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「風のように去る」というと、日本人の場合、「風林火山」の「疾きこと風のごとし」を思い浮かべます。そんなの関係ないだろう、なんて頭から否定しないほうがいいのです。ロバート・ハンターは日本文化にも関心があり、歌詞のなかに「招き猫」を登場させたり(いや、断定はできないが、そう考えることができる)、芭蕉にインスパイアされたと思われる歌詞も書いています。

◆ この曲はどう進むのか? ◆◆
フォースにして最後のヴァース。

I live in a silver mine
and I call it Beggar's Tomb
I got me a violin
and I beg you call the tune
Anybody's choice
I can hear your voice
Wo-oah what I want to know,
how does the song go?

「ぼくは銀の鉱山に住んでいて、ここを乞食の墓穴と呼んでいる、ヴァイオリンをもっているんだけれど、なにか曲をあげてくれないか、だれのお好みでもかまわない、君たちの声は聞こえているよ、ぼくが知りたいのは、その曲がどういう風になっているかということだけさ」

むずかしいですねえ。デイヴィッド・ドッドのサイトにも、このヴァースについてはなんの意見も寄せられていません。文字通りに受け取ると、ここは戦争とは関係ないように読めるのですが、どうですかね。ロバート・ハンターの歌詞は、しばしば音楽、バンド、聴衆について語っています。そういう流れからいうと、ここはデッドとデッドヘッズのことを歌っているように、わたしには思えます。でも、silver mineとはなんのことなのか? beggar's tombはなにを指すのか……見当もつきません。

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最後のコーラス。

Come hear Uncle John's Band
by the riverside
Come with me or go alone
He's come to take his children home
Come hear Uncle John's Band
playing to the tide
Come on along or go alone
he's come to take his children home

「アンクル・ジョンズ・バンドよ、この川の畔に来ないか、ぼくといっしょに来るか、それともなければ、ひとりでいくか、彼は自分の子どもたちを連れ帰りにやってきた、アンクル・ジョンズ・バンドよ、潮の満ち干に合わせてプレイしてくれ、いっしょに来るか、ひとりでいくか、彼は自分の子どもたちを連れ帰りにやってきた」

何度いっしょに歌ったかわからないコーラスですが、いざ、意味を考えてみると、なんのことなのか、さっぱりわかりません。シングアロングした経験からいうと、ここは音としてうたって楽しいくだりです。高校生のときは、「潮の満ち干に合わせてプレイする」というのは、きれいなイメージだと思いました。いまでも悪くないと思いますが、そんなことをいっても解釈にはなんの多足にもなりませんな。

これでなにかを書いたことになるのかどうか、いたって心もとないのですが、まあ、とにもかくにも、よろめきつつではあれ、最後までたどり着けたので、諒としてください。本日は歌詞を見るだけで精いっぱいだったので、音の検討は明日以降にさせていただきます。

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Grateful Dead "Workingman's Dead" DVD Audio
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by songsf4s | 2008-05-11 23:30 | 風の歌
Cast Your Fate to the Wind その2 by Billy Strange & the Challengers
タイトル
Cast Your Fate to the Wind
アーティスト
Billy Strange & the Challengers
ライター
Vince Guaraldi, Carl Werber
収録アルバム
Billy Strange & the Challengers
リリース年
1967年
他のヴァージョン
The Sandpipers, David Axelrod, Johnny Rivers, Vince Guaraldi Trio, Sounds Orchestral, Quincy Jones, Martin Denny, We Five, Ramsey Lewis
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昨日は曖昧模糊とした歌詞の解釈に難渋して、いろいろなことを書き忘れ、挙げ句の果てに、ジョニー・リヴァーズのジャケット写真の表を入れるつもりが、裏を入れてしまい、あとで気づいてビックリ仰天する騒ぎでした。

忘れたことのうち、もっともまずいのはライター名。これは忘れたというより、昨日の段階ではよくわからなかったのです。いまはCarl Werberという名前を入れていますが、これも確定ではありません。Weberとしている盤もあるのです。また、なんとかLoweだったか、べつの名前を書いているものもあれば、Werberと併記されているものもあります。

ライター・クレジットの混乱は思いのほか多いものです。厳密にいえば、これは作者名ではなく、著作権者名であり、たんに作者と著作権者が同一であるケースが多いにすぎません。著作権が譲渡されることはしばしばあります。また著作権をめぐる裁判の結果、ライター・クレジットが変更されることもあります。この曲の歌詞には、なにかそういう裏の事情があり、その結果、盤によってクレジットが異なっているのではないでしょうか。

◆ ボス・ギター・アンサンブル ◆◆
今日の看板には、ビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズを立てました。これはビリー・ストレンジとそのバンドということではなく、ビリー・ストレンジ・ウィズ・ザ・チャレンジャーズとしたほうがいいもので、ビリー・ザ・ボスとチャレンジャーズという、GNPクレシェンドのレーベル・メイトの共演という企画です。

しかし、そんなことは表向きのことにすぎません。実体は、ハリウッドのエース・プレイヤーたちのスタジオ・プロジェクトです。チャレンジャーズというグループは実在しましたが、スタジオではメンバーの一部がプレイした可能性はあっても、ドラムやリードといったキー・プレイヤーはみなスタジオ・ミュージシャンです。

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チャレンジャーズのベスト盤に付されたクレジット。なるほど、Additional Guest Musiciansとは、ものはいいようである。しかし、じっさいにはこんなものですむはずがない。これはごく一部にすぎないだろう。ただし、メンバー自身のプレイとしか思えないトラックもあるので、うっかりアウトテイク集なんか買ってしまうと、わたしのように泣きを見ることになる。

しかし、建前にいくぶんかは忠実であろうとした結果、この盤はなかなか楽しい仕上がりになりました。チャレンジャーズにビリー・ストレンジが加わったという建前なので、いつもよりギターの数が多いのです。ギター・アンサンブル・マニアとしては、これほどうれしいことはありません。

ビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズのCast Your Fate to the Windは、まず、左チャンネルのダンエレクトロ6弦ベース(ダノ)がリードをとります。そのうしろでコード・ストロークをしているギターはおそらく二人、ダノにすこしかぶるようにもう一本のギターが左に入ってきて、これが短いソロというかメロディー・ラインを弾きます。

そして、いよいよ御大ビリー・ザ・ボス・ストレンジが、看板役者のように花道から、いや、いままで空いていた右チャンネルに登場します。ボスはニュアンスたっぷりのソフトなプレイを得意としていますが、ここではめったにやらないワイルドなインプロヴをやっています。

ビリー・ザ・ボスの16小節が終わって、ストップ・タイムをはさんだあとはやや複雑になります。ボスはそのまま残ってオブリガートにまわり、たぶん2本のギターがメロディーを弾き、その下にはダノが加わっているように聞こえます(最初に出てきた左チャンネルのダノはヴァースだけで消える)。

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ダノ・プレイヤーでもあったキャロル・ケイは、ダノはベースではなく、1オクターヴ低いギター、すなわち「ベース・ギター」である、といっています。「ローカル47」(アメリカ音楽家組合LA支部)の支払伝票では、ダノをプレイした場合、そのプレイヤーの楽器は「ギター」と記載されます。「ベース」と記載されるのはアップライトまたはフェンダーを弾いた場合のみ。これも、キャロル・ケイが組合に訂正を申し入れた結果なのだとか。彼女にいわせると、フェンダー・ベースを「ベース・ギター」というのは間違いで、この言葉は本来ダノを指すのだそうです。

で、CK説にしたがい、ダノをギターに繰り入れて(じっさいこの曲では、ベースのパートはフェンダー・ベースがプレイしていて、ダノはギターのパートを弾いている)勘定すると、この曲に登場するギターは、同じフレーズを弾いているギターがあるので、断定は困難ですが、おそらく左4人、右4人で、左右合わせて8人ということになりそうです。

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Danelectro Longhorn model 6 string bass guitar これは1966年製で、もとの持ち主はフーのジョン・エントウィスルだとか。

しかしですねえ、いくら60年代のハリウッドではオーヴァーダブは避けるといっても、8人が雁首そろえて弾いたとは思えません。ベーシック・トラックの段階ではコードのストロークやカッティングをしたプレイヤーが、二度目にはリードにまわったのではないでしょうか。きちんと計画を立てれば、4人×2パスで完了するはずです。これなら、ベーシック・トラッキングのあとに、ヴォーカル・オーヴァーダブをするのと同じ程度のジェネレーション・ロスですみます(ただし、プレイヤーは、というか、組合は、ひとりの人間が2種類の仕事をしたら、ふたり分の料金を請求するので、コスト・ダウン効果は小さい)。

書き忘れましたが、このヴァージョンもドラムはまちがいなくハル・ブレインです。インストでは歌手の邪魔をする心配はないので、ハルはいつも派手に叩きます。この曲でも、楽しそうに叩きまくっています。

なんせ、年端もいかぬころにサーフ・ブームに遭遇した世代なので、ちゃんとやってくれているかぎりは、こういうタイプのサウンドを、わたしはほぼ無条件で歓迎します。この盤は、ドラムがハル・ブレイン、ギターはビリー・ストレンジという好条件がそろっているし、しかも、アレンジされたギター・アンサンブルなのだから、これは極楽というものです。ギター・インスト・ファン、サーフ・インスト・ファンには、このレアLPを強くお奨めします。まだCDになっていない楽しい盤が山ほどあるのです。

◆ ピアノもの2種 ◆◆
興味のおもむくままにハル・ブレイン関連盤を先に出しましたが、Cast Your Fate to the Windのもっとも有名なヴァージョンは、オリジナルのヴィンス・グァーラルディー盤と、カヴァー・ヒットのサウンズ・オーケストラル盤です。

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この2種はひとつにまとめてしまっていいでしょう。サウンズ・オーケストラル盤は、ヴィンス・グァーラルディー盤のコピーだからです。法律的には問題ないのかもしれませんが、わたしがサウンズ・オーケストラル盤のピアニストだったら、こんな屈辱的な贋造は断じてしない、「それはぼくのやり方ではない」なんてフィリップ・マーロウのようなことをいって、プロデューサーに食ってかかるでしょう。

2種のどこがちがうかというと、オリジナルはピアノ・トリオのプレイなのに対して、模造品はそこにオーケストラをかぶせているという点です。それくらいのことはしないと寝覚めが悪いでしょう。リズム・セクションに関しては、オリジナルをそのままありがたくいただいただけのもので、なんの工夫もしていません。

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オリジナルは、イントロではベースが弓弾きでルート(Eb)をドローンのようにずっと鳴らしています。これがなかなか効果的なのですが、サウンズ・オーケストラル盤では、これを3オクターヴ上げ、ヴァイオリンでEbを鳴らしています。こういうのをアイディアと呼ぶ人もいるかもしれませんが、わたしなら「盗み方がセコい」といいます。

オリジナルが市場のことを考えずに、気ままにやっているのに対し、贋作は、売ろうという姿勢が明確で、聴きやすいサウンドになっています。だからヒットしたのでしょう。ヒットのためならなんでもやる、ということ自体はけっこうだと思います。しかし、その「なんでも」とは、なんらかの「工夫」でなくてはなりません。たとえば、バックビートが弱いと見れば、自転車のチェーンでスタジオの床をぶっ叩く(マーサ&ザ・ヴァンデラーズのDancin' in the Street)といったたぐいのことです。「なんでも」のなかには、盗みは含まれないのです。

以前、ペレス・プラードのCherry Pink and Apple Blossom Whiteを取り上げたときも、イギリス製模造品を聴いてイヤな気分になりましたが、そういう国民性なのかもしれません。われわれも同じような国民性をもっているような気がする、ということもそのときに書きました(自分で自分をコピーしてばかりで、近ごろめげている)。

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Vince Guaraldi

「法律が、警察が裁けないのなら、俺が裁く」なんて裕次郎にいわれるまえに、仮にも職業として音楽をつくる人間なら、コピーなんかアマチュアのやること、というプライドぐらいは持てといいたくなります。あっ、裕次郎の台詞自体がミッキー・スピレインの盗作か!

◆ エキゾティカの行き着いた場所 ◆◆
気分を変えるために、変わり種をいきましょう。変わり種とくれば、マーティン・デニー盤です。いや、いつものマーティン・デニーではありません。Exotic Moogというアルバム・タイトルが示すように、多数のムーグが右から左に、左から右に、ビュンビュン飛びかっちゃうのです。

ひところ、ムーグの音なんか聴きたくもなかったのですが、これだけ時間がたつと、アナログ・シンセの太いサウンドが、また魅力的に感じられるようになりました。ディジタル・シンセには、逆立ちしたってこんな音は出せません。アナログ・シンセが消えたのは、音が悪かったからではなく、パッチの設定が悪夢のように手間がかかったにすぎないわけで、プログラミングせずに、ただ懐手で聴いているぶんには、アナログのほうがはるかに音楽的な音だと感じます。

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Martin Denny "Exotic Moog" Quiet Village、The Enchanted Sea、Yellow Birdなどのエキゾティカ・クラシックのムーグ・ヴァージョンも入っている。ジャケットは二つ折りですらなく、ただのペラ一枚、そのくせ限定1000部だなんてくだらないことが書いてある。シリアル・ナンバーもないのに、限定もハチの頭もない。2オン1で、抱き合わせはLes Baxter "Moog Rock"だから、まあ、色彩は統一されている。

エキゾティカのすぐ隣に、どうやらささやかなハモンド・ブームがあったように思われますし、スペース・サウンドの流行もエキゾティカの文脈にありました。つまり、エキゾティカとは特定のサウンドのことではなく、異質な音を求める「気分」それ自体のことである、と定義するべきなのでしょう。

その気分が、ときには南洋ムードに、ときにはジャングル・ムードに、さらには宇宙ムードに、というように、刹那の像を結ぶということでしょう。そう捉えれば、最後に登場したエキゾティカの像が、シンセ・サウンドだったことは不思議でもなんでもないことになります。たまたま、これは細野晴臣が『泰安洋行』からYMOへとたどった道と重なります。

ハリウッド録音はまだつづきます。デイヴィッド・アクスルロッドもまたハリウッドの裏方のひとりです。イレクトリック・プルーンズのMass in F Minorは、じつはプルーンズとは関係なく、アクスルロッドがつくったものだそうで、このへんがいかにもハリウッドらしいところです(現在ではアクスルロッド名義で、The Warner/Reprise Recordings: Electric Prunes And Sessionsというタイトルの盤が出ていて、これはすでに公然の事実。ただし、いまだにプルーンズがプレイしたと考えられている初期のものについても、当然、疑いはおよぶことになる)。

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左上から、David Axelrod "Heavy Axe" The Electric Prunes "Mass in F Minor" David Axelrod "Warner/Reprise Sessions" David Axelrod "Earth Rot"

しかし、Cast Your Fate to the Windを収録したHeavy Axeという盤は1975年のものです。つまり、残念ながら、ハリウッドのインフラストラクチャーが半壊したあとの録音なのです。まだ瓦礫の山にはなっていませんが、取り壊しが決まって、住人の多数が転出してしまったあとのさびしい集合住宅状態。

こうなると、個々のプレイヤーの技量だけではどうにもなりません。うまくいくときもあれば、惨憺たる仕上がりになるときもあります。デイヴィッド・アクスルロッドのCast Your Fate to the Windは、どちらでもありません。つまり、とくに面白くもなければ、腹が立つようなものでもないのです。アクスルロッドの盤としては、1970年のEarth Rotのほうが、わたしには面白く感じられます。

◆ その他のヴァージョン ◆◆
f0147840_0225781.jpgクリスマス・ソング特集のときに、ラムジー・ルイスの盤をけなした記憶がありますが、Cast Your Fate to the Windは、なかなか好ましい出来です。ピアノとコンガを前に出し、ブラスとストリングスをうしろに下げた立体的なバランシングがけっこう。

ピアニストなのに、いや、ピアニストだからというべきかもしれませんが、ヴィンス・グァーラルディーとはまったく似ていないアレンジにしたのも、本来、当然のことながら、サウンズ・オーケストラルの模造品を聴いたあとだと、こうでなくちゃいけない、と思います。いや、くどいようですが、アレンジは変えなくては「いけない」ものです。そういう手間をかけないコピー品がたくさんあるからといって、それが正しいということにはなりません。

f0147840_0232052.jpg泥縄で2ヴァージョン、試聴してみました。ひとつはクウィンシー・ジョーンズ盤。ドラムとベースはけっこうなグルーヴです。しかし、おおむねフュージョンの雰囲気で、その手が嫌いなわたしとしては、好みではありません。レスリー・ゴアのときのクウィンシー・ジョーンズの仕事ぶりにはおおいに感銘を受けましたが、こういう盤を聴くと、あれはやっぱり、アレンジャーがクラウス・オーゲルマンだったことが大きかったのかもしれない、という気がしてきます。

ウィー・ファイヴ盤は、サウンドがどうこうという前に、なんでこんな風にうたうのかな、という出だしで、そこでいったん聴く気が萎えます。リード・ヴォーカルの女性、名前を調べたこともありませんが、もともと彼女の声とシンギング・スタイルは好みではなく、縁がないものと思い、Make Someone Happyという盤を買ったはいいけれど、つまらん、とほったらかしにしていました。

f0147840_0234528.jpgCast Your Fate to the Windについては、最初のへんてこりんな歌いまわしの難所を通過できれば、あとはそれほど奇天烈ではありません。このリード・シンガー、高い声は疳に障りますが(いや、ハイ・パートにいったときの「歌い方」が疳に障るのであって、声質の問題ではないかもしれない)、中音域ではそれほど悪くありません。

まだやっているらしく、オフィシャル・サイトがあったので、ちょっとバイオを読んでみました。それで、コーラス・グループ的なノリ、フォーク・グループ的なノリの尻尾が、尾てい骨に退化しないまま、尻尾としてそのまま残っているのだとわかり、気に入らなかった理由が得心できました。

わが家のプレイヤーでの順番は、いちばんつまらないサウンズ・オーケストラル盤を先頭にし、最後にサンドパイパーズ盤を置いています。やっぱり、サンドパイパーズ盤がいちばん気持のいいグルーヴです。つぎがビリー・ストレンジ&ザ・チャレンジャーズ、そのつぎが微妙ですが、ドラスティックに変貌を遂げているマーティン・デニー盤でしょうか。
by songsf4s | 2008-05-10 23:57 | 風の歌
Cast Your Fate to the Wind その1 by the Sandpipers
タイトル
Cast Your Fate to the Wind
アーティスト
The Sandpipers
ライター
Vince Guaraldi, Carl Werber
収録アルバム
Guantanamera
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Billy Strange & The Challengers, David Axelrod, Johnny Rivers, Vince Guaraldi Trio, Sounds Orchestral, Quincy Jones, Martin Denny, We Five, Ramsey Lewis
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本日のCast Your Fate to the Windは、風の歌としては、先日取り上げたThe Breeze and Iと並ぶ代表的なスタンダードといえるでしょう。当然、うんざりするほど多数のヴァージョンがあります。

The Breeze and Iと同じように、この曲もインストゥルメンタル曲という印象が強いのですが、やっぱりちゃんと歌詞があり、わが家にもヴォーカル・ヴァージョンがあります。

検索結果リストを眺めていて思ったのですが、風の歌にはインスト曲が多数あります。あれこれ考えてみると、どうやら、これはたんなる偶然ではなく、ささやかなりとはいえ必然性があるように思えてきました。しかし、その点については、後日をゆっくり考察してみることにします。

◆ 軽風から雄風まで ◆◆
それでは歌詞を見ることにしますが、看板に立てたサンドパイパーズ盤は、ヴァースをひとつ省略しているので、歌詞はジョニー・リヴァーズ盤にしたがっておきます。ファースト・ヴァース。

A month of nights, a year of days
Octobers drifting into Mays
I set my sail when the tide comes in
And I just cast my fate to the wind

「ひと月分の夜、一年分の日々、十月はゆるゆると漂って五月にたどりつく、潮が満ちたら帆をかかげ、おのれの運命を風にあずけよう」

いちおう、現在形をとりましたが、あとにいくと、時間が経過したことがわかります。じっさいには過去のことをいっていると思われるので、現在形なのは形式だけ、実体は過去形だと思っていただいたほうがいいでしょう。

クモのなかには、成虫になると、風の強い晴天の日を選んで、長く糸を吐きだし、風に乗って遠いところに飛んでいく種類が数多くあるそうです。高度8000メートルで捕獲された例もあるし、周囲数百キロにまったく陸地のないところで、船に舞い降りたものもあるそうで、このクモの無銭旅行はちょっとしたものなのです。Cast Your Fate to the Windというタイトルから、わたしはこのクモのことを連想します。運まかせ、風まかせ、なかなかリリカルなイメージです。

セカンド・ヴァース。

I shift my course along the breeze
Won't sail upwind on memories
The empty sky is my best friend
And I just cast my fate to the wind

「弱風に合わせて針路をとる、記憶の向かい風に逆らうことはしない、からっぽの空だけを友とし、おのれの運命を風にあずける」

The Breeze and Iのときはその必要性を感じなかったので省きましたが、breezeという言葉は、文脈によっては気象用語、つまり、厳密に定義できる言葉として見る必要があります。以前、ヴァン・モリソンのFull Force Galeのときに、ビューフォート風力階級のチャートをご覧いただきましたが、ここにもう一度かかげることにします。

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ビューフォート風力階級 ジェリー・デニス『カエルや魚が降ってくる! 気象と自然の博物誌』(新潮社)より。挿画・大矢正和。

このチャートには原語が書かれていませんが、英語ではつぎのようになっています(breezeのみ。単位はマイル/時)。

No.2 light breeze(軽風 4-7)
No.3 gentle breeze(軟風 8-12)
No.4 moderate breeze(和風 13-18)
No.5 fresh breeze(疾風 19-24)
No.6 strong breeze(雄風 25-31)

日本的な表現にすると、風速1.6メートルの洗濯物がなかなか乾かないかすかな風から、13.8メートルの洗濯物が吹き飛ばされてしまう強風まで含まれるので、あまり意味がありませんが、breezeという言葉をあいまいに使うと、こうなってしまうのです。

もちろん、歌詞に厳密な表現を求めるわけにはいきませんが、わたしはこういうところが気になるたちなのです。帆をかかげるといっているのだから、船舶と海洋気象に関する知識があるという前提で解釈せざるをえません。帆船にとって、風は死命を制するのだから、厳密に定義するべきものです。細かいことをいえば、breezeには「海陸風」(日中は海から陸へ、夜は陸から海へ吹く風。この風の方位の逆転にともなう無風状態が「朝凪」「夕凪」)という意味まであります。

松本隆が「渚を滑るディンギーで」と書いたとき、ヨットとディンギーはまったくサイズが異なる、ヨット(機帆船)のように外洋航行用の図体の大きな船は「渚」に近寄ることすらできず、まして「滑る」ことなどありえない、「滑る」ならディンギー(帆のあるなしにかかわらず、要するに「小舟」)しかないという、船舶知識が彼にはあったのです。

ものを書くというのは、たとえ流行小唄の歌詞であっても、そうでなければいけないのです。だから、このヴァースのbreezeの使い方は気に入りません。船がどれくらいの速度で走っているのか、まったくイメージできません。歌詞は、いや言葉は、聴き手の脳裏にイメージをつくってこそ、役割を果たすことができます。

◆ どっちつかずのあいまいさ ◆◆
ブリッジ。

Time has a way of changing
A man throughout the years
And now I'm rearranging my life through all my tears
Alone, alone

「時は長いあいだに人を変えることができる、わたしは涙を流すことで人生を立て直そうとしている、たったひとりで」

サード・ヴァース。

And that never was, there couldn't be
A place in time for men like me
Who'd drink the dark and laugh the day
And let their wildest dreams blow away

「そんなことは起こらなかった、夜は飲み、昼間は笑い、ものすごく大きな夢を吹き飛ばしてしまうわたしのような人間には、時のなかに居場所などないのだ」

なにをいっているのかさっぱりわかりません。自嘲のヴァースらしいと思うだけです。「暗闇を飲む」を「夜は飲み」とするのはいくぶん強引かもしれませんが、dayとの対比から考えて、そういう意味だろうと思います。陰鬱な酒というのも考えられますが。

最初のthatはなにを受けているのでしょう。ブリッジでいっている、時間は人を変化させるということでしょうか。よくわかりません。

ふたたびブリッジをはさんで最後のヴァースへ。

Now I'm old I'm wise and smart
I'm just a man with half a heart
I wonder how it might have been
Had I not cast my fate to the wind

「いまではわたしも年をとり、賢くなった、わたしはただ心ここにないまま生きているにすぎない、もしも風に運命をあずけなかったら、どうなっていたのだろうかと思う」

ここもわかりません。ファースト・ヴァースでは、風に運命をあずけることを肯定的に捉えているように見えましたが、ここまでくると、そうとも思えなくなってきます。もっとマシな生き方ができたのではないか、という後悔を語っているように見えます。しかし、それすらもがあいまいで、このヴァースも肯定的に捉えようと思えばできないことはありません。

意味がどうであれ、ひとつだけハッキリとわかることがあります。この曲はもともとインストゥルメンタルとして書かれたにちがいない、ということです。歌詞はあとからとってつけたちぐはぐなものにしか思えません。

◆ サンドパイパーズ盤 ◆◆
まずは歌ものからいきます。最初は看板に立てたサンドパイパーズ盤です。いま、サンドパイパーズと書くつもりが、パイドパイパーズと書いてしまったくらいで、じつは、このグループのことは調べたこともなければ、気にしたこともありません。子どものころ、Guantanameraがヒットしたことは記憶していますが、それだけのことにすぎず、とくにいいと思ったこともなければ、ダメだと思ったこともなく、基本的に無縁と思っていました。

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無縁でなくなったのは、ハル・ブレインの回想記を読んでからのことです。この回想記に付されたトップテン・ディスコグラフィーに、Guantanameraがあげられていたのです。セッションは通常4曲単位なので、同じアルバムのなかでもメンバーが異なることがしばしばありますが、アルバムGuantanameraに収録されたサンドパイパーズのCast Your Fate to the Windは、明らかにハル・ブレインのプレイであり、それが大きな魅力になっています。いや、正確にいえば、以前にも書いたように、1960年代のハリウッドという環境が生みだすサウンドが魅力的なのであって、ハル・ブレインはその一部にすぎません。

f0147840_0142545.jpgプレイヤーのみならず、アレンジャー、スタジオ、エンジニアといった要素もそろわないと、こういうサウンドをコンスタントに生みだすことはできません。Cast Your Fate to the Windでいえば、ハル・ブレインのプレイもすぐれていますが、それが魅力的に聞こえるようにするには、スタジオの鳴りとエンジニアの技術が不可欠です。さらにいえば、ドラマーだけではグルーヴを決定することはできず、すぐれたベース・プレイヤーの協力も必要です。

左チャンネルのドラムとベースは、ハル・ブレインとチャック・バーグホーファーという、ティファナ・ブラスのコンビではないでしょうか。Cast Your Fate to the Windのベースはアップライトです。バーグホーファーはTJBではフェンダーをプレイしていますが、もともとはアップライトのプレイヤーですし、タイム、グルーヴというのは、アップライトでもフェンダーでも大きく変化したりはしません。このヴァージョンが心地よい最大の理由は、このドラムとベースのコンビでしょう。

ハル・ブレインの音の響きもかなりいい部類です。タムタムだか低いティンバレスだか判断のできない音が鳴っていますが、このサウンドが非常に印象的で、エンジニアの腕のよさがうかがえます(A&Mのエンジニア部のボスだったラリー・レヴィンの仕事か?)。

f0147840_0152322.jpgしかし、タムタムはタムタムでちゃんとわかるので(じつに美しい!)、やはりこのティンバレスのような音の正体が気になります。ハル・ブレインの最初のモンスター・セットは、特注のタムではなく、出来合のティンバレスをラックに載せたものだということをなにかで読みました。ひょっとしたら、タムタムのほかに、ティンバレスをラックに載せ、場面場面で使い分けていたのではないかと思わせるのが、この曲のボーナス的な面白さです。まあ、ドラム・クレイジー以外には関係のないことですが。べつのプレイヤーがティンバレスを叩いた可能性は低いでしょう。一カ所、ティンバレスが鳴っているあいだだけシンバルが消えているところがあるので、ハルがプレイしたと推定できます。

ひとつ笑ったことがあります。サンドパイパーズの代表作であるGuantanameraは、典型的なTwist & Shout=La Bamba=Louie Louieタイプの3コードです。Cast Your Fate to the Windも、一部、素直でない使い方もしていますが、基本的には同じタイプの3コードなのです。サンドパイパーズ自身またはプロデューサーが、Guantanameraのフォーマットにこだわったにちがいありません。じっさい、アルバムGuantanameraには、La BambaもLouie Louieも入っているのです!

◆ ジョニー・リヴァーズ盤 ◆◆
ジョニー・リヴァーズのCast Your Fate to the Windのドラマーもハル・ブレインです。これは盤にクレジットがあるので書き写しておきます。

Hal Blaine……drums
Joe Osborn……bass
Larry Knechtel……keyboards
Johnny Rivers……guitar
Tommy Tedesco……guitar
Bud Shank……flute & sax
Jules Chaikin……french horn
Gary Coleman……vibes

Lou Adler……producer
Marty Paich……brass & string arrange and conduct
Bones Howe……recording

管をのぞけば、ドラマーからエンジニアにいたるまで、ジョニー・リヴァーズの全盛期のレギュラー・スタッフです。スタジオは明記されていませんが、当然、ハリウッドのユナイティッド・ウェスタンにちがいありません。ジョニー・リヴァーズはユナイティッドしか使わなかったといわれています。

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つまり、くどくなりますが、これがインフラストラクチャーというものなのです。ハリウッドでは、「上もの」がどう入れ替わろうと、環境が一定の品質を保証するようになっているのです。この環境は、フランク・シナトラが来ようが、フランク・ザッパが来ようが、モンキーズが来ようが、なにが来たって、まったくビクともしないほど堅牢です。じっさい、ダメな音をつくるほうがむずかしいでしょう。仮にプロデューサーのルー・アドラーが、スタジオに入ったとたん心臓麻痺でバッタリ倒れたとしても、セッションはつつがなく完了したはずです。それくらいの経験と技量をもつスタッフです。

サンドパイパーズを看板に立てて、ジョニー・リヴァーズを次点にしたのは、唯一、ハル・ブレインのタムの響きが理由です。サンドパイパーズ盤では、じつにきれいな音で録れているのです。

残念ながら時間切れとなってしまったので、残る各ヴァージョンについては、明日以降に持ち越しとさせていただきます。
by songsf4s | 2008-05-09 23:57 | 風の歌
Carey by Joni Mitchell
タイトル
Carey
アーティスト
Joni Mithchell
ライター
Joni Mitchell
収録アルバム
Blue
リリース年
1971年
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タイトルにはキーワードが含まれず、歌詞に出てくるだけ、という曲の出番は、もうすこし「深い」ところのほうがいいと思うのですが、いろいろと都合があって、風の歌特集は3曲目にして、ややイレギュラーなところに入りこみます。

◆ アフリカからの風 ◆◆
本日の曲はジョニ・ミッチェルのCareyです。さっそくファースト・ヴァース。

The wind is in from Africa
Last night I couldn’t sleep
Oh, you know it sure is hard to leave here, Carey
But it's really not my home
My fingernails are filthy
I got beach tar on my feet
And I miss my clean white linen
And my fancy french cologne

「アフリカから吹いてくる風のせいできのうの夜は眠れなかった、もちろん、ここを離れるのはつらいのよ、ケアリー、でも、ここはわたしの故郷というわけではないし、指の爪はひどいことになっているし、足にはビーチのタールがついちゃったし、清潔な白いリネンや素敵なフランス製のコロンも懐かしいの」

いろいろ問題ありのヴァースです。アフリカからの風、という言葉に記憶を刺激され、ものの本を繰ってみました。たぶん「シロッコ」のことでしょう。平凡社『気象の事典』は以下のように記述しています。

「シロッコscirocco 地中海北岸に吹く温かい南または南東風。サハラ砂漠の熱帯気団が北上し、初めは乾燥しているが、海を渡るうちに高温多湿(40度以上になることがある)となり、霧や雨、ときにはサハラ砂漠の砂塵をともなって吹く。この風は国や地域によっていろいろな呼び名がある」

f0147840_23324769.jpgこの風なら、(たぶん蒸し暑くて)眠れなかった、という二行目にきれいにつながります。それにしても、世界各地にさまざまな性質のさまざまな呼び名の風があるのは、じつに驚くばかりです。『気象の事典』を眺めていて、ああ、そういえば、そういうタイトルの曲があったな、と思いだしたものもあります。いずれ登場させるかもしれません。

ケアリーというタイトルはなんなのか、という問題もあります。変な場所に出てくるので、地名かと思ってしまいますが、あとのほうにいくと、人名であることがわかります。念のために、Careyという土地がないかといちおう調べましたが、みつかりませんでした。フランスの「カレー地方」はスペルがちがいます。しかし、では、いま語り手はどこにいるのか、という問題は残ります。それについては後段で。

足にタールがついているというので、子どものころを思いだしました。小学校に上がったころから、漂着タールがひどくなり、いつもいっていた海水浴場の多くが不快な場所になってしまいました。昔は、船というのは、どこへいっても、油槽の汚れを海に捨てていたのですな。最近はタールを見かけることはありません。見かけたら、ゴミ捨ての結果ではなく、事故による汚染でしょう。

コーラス。

Oh Carey get out your cane
And I'll put on some silver
Oh you're a mean old daddy, but I like you fine

「ケアリー、ステッキをわたしに寄越しなさい、そうしたら銀の飾りをつけてあげる、まったくあなたったらいやらしい年寄りだけど、でも、あなたのことが好きよ」

なんとなく、裏の意味がありそうにも感じるのですが、わたしには推測できません。籐製ではなく、黒檀製などの場合だけでしょうが、ステッキの持ち手に銀細工の握りをつけているものがありますね。あれのことをいっているのでしょう。大昔なら、老若を問わず、ステッキをもつのは紳士のたしなみだったのでしょうが、現代ではお年寄りのものとみなしていいでしょう。だから、mean old daddyは文字通り「おじさま」なのだと解釈できます。この曲を書いたとき、ジョニは二十代です。

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◆ マターラの月 ◆◆
セカンド・ヴァース。

Come on down to the Mermaid Cafe
And I will buy you a bottle of wine
And we'll laugh and toast to nothing
And smash our empty glasses down
Let's have a round for these freaks and these soldiers
A round for these friends of mine
Let's have another round for the bright red devil
Who keeps me in this tourist town

「さあ、マーメイド・カフェへいきましょう、ワインをボトルで買ってあげるから、そして、笑いながらなんのためでもなく乾杯してグラスを割りましょう、この変わり者や兵隊にひとまわり、つぎは友だちにもひとまわり、そして、この旅行者の町にわたしを引き留めている灼熱の悪魔にもまたひとまわり」

have a roundは酒がひとまわりする、つまり、その場の全員がグラスを干すことです。forがつくと、「~のために乾杯」といって全員が飲むことになるのだと思います。この場合、全員といっても二人しかいませんが。bright red devilは、どうやら南のほうの土地らしいので、太陽と解釈しておきました。

コーラスをはさんでサード・ヴァースへ。

Maybe I'll go to Amsterdam
Or maybe I'll go to Rome
And rent me a grand piano
And put some flowers 'round my room
But let's not talk about fare-thee-wells now
The night is a starry dome
And they're playin' that scratchy rock'n'roll
Beneath the Matalla moon

「ひょっとしたらアムステルダムかローマに行くかもしれない、そしてグランドピアノを借りて、部屋に花を飾ろうかな、でも、いまは別れのことはやめましょう、夜は星のドーム、そして彼らはマターラの月の下で、スクラッチ・ノイズのひどいロックンロールをかけている」

f0147840_23381940.jpgマターラとはなんだ、ですよねえ。何々の月といった場合、たいてい、どこかの土地から見た月という意味です。ハヴァナの月といったら、ハヴァナで見る月といったたぐい。ということは、マターラは地名である可能性が高くなります。マターラという土地が、アフリカから風が吹いてくる範囲にあるか?

北シナイ、イスラエルのガザ地区ないしはそこに接したところにマターラという町がありました。たぶん、語り手の現在位置はここなのでしょう。海辺の町なので漂着タールとも符合します。どんなところかまったく知りませんが、暑くて、ほこりっぽく、おそらくは清潔なリネンもない、へんぴなところなのでしょう。

ということはつまり、ケアリー(ジョニは「カリー」に近い発音をしている)はマターラの住人で、語り手は旅行者ということなのでしょう。マターラを去るということは、すなわちケアリー/カリーにも別れを告げることになるという意味だと読み取れます。

フォースにして最後のヴァースは、ファースト・ヴァースの変形なので略させていただきます。

◆ ジョニにはめずらしいグッド・グルーヴ ◆◆
べつに悪い曲ではないのですが、コードはシンプルだし、歌詞が特段冴えているわけでもありません。いや、半分ぐらいは記憶していたので、それなりに音としては面白いのでしょうが、たとえばGalleryのように、ほほうと思うストーリーではありません。

この曲を選んだ理由は、じつはジョニ・ミッチェルではないのです。肝心なのは、ベースとギターで参加しているスティーヴ・スティルズなのです。

f0147840_2340553.jpg当家にいらっしゃるお客さん方の大多数は、CS&NのSuite: Judy Blue Eyesという曲をご存知だと思います。あの曲がヒットしたとき、みなさんはどう感じられたか知りませんが、わたしは、スティルズのアコースティック・ギターのプレイと、ベースのグルーヴに感心しました。あれ一曲で、スティーヴ・スティルズのベースのファンになりましたねえ。

記憶に頼るとミスをすると思い、いまSuite: Judy Blue Eyesを聴きなおましたが、やはりきわめて個性的で楽しいプレイです。本職のベース・プレイヤーのように、予定調和的凡庸ラインをとらないところが非常に好ましいですし、タイムも立派なものです。ベースの面でだれかに影響を受けたとしたら、ポール・マッカトニーでしょう。CS&Nのボックスでは、ダラス・テイラーが冒頭からドラムを入れるオルタネート・ミックスが収録されていますが、これはオリジナルのドラムレスが正解でしょう。ドラムが入ると、スティルズのベースが聞こえなくなってしまいます。

さて、Careyです。はじめて聴いた瞬間、このベースは知っている、と確信し、脳内データベースに検索をかけたら、即座に、スティーヴ・スティルズ確率90パーセント、と応答があったくらいで、彼らしい面白いラインをとるプレイだし、グルーヴも一級品です。このベースがなければ、Careyはこれほど印象深いトラックにはならなかったでしょう。

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スティルズのアコースティックがまた、いうまでもなくグッド・グルーヴなのです。Careyでは、最初に入ってくるアコースティックはジョニのプレイで、すこし遅れて入ってくる左チャンネルのギターがスティルズです。オープン・チューニングだと思いますが、バランとオープンで弾いたときの響きのいいこと。ベースとあいまってすばらしいグルーヴをつくっています。

◆ そして誰もいなくなるだろう ◆◆
この曲は、大ヒットしたダブル・ライヴ・アルバム、Miles of Aislesにも収録されています。このライヴ盤では、スタジオではリズム・セクションなしでやっていた曲が聴きやすくなったのはたしかですが、正直にいって、うーん、という出来です。だって、LAエクスプレスですからね、ドラムは「突っ走り」のジョン・グェラン、わたしはこの人が好きではないのです。

f0147840_23453962.jpgまあ、Careyでは、グェランもひどく走ったり、突っ込んだりといういつもの悪いクセはあまり出してはいませんが、やはり微妙にタイムが速く、いつも遅れがちのジョニのヴォーカルがいっそう遅れて聞こえます。亭主のドラムをバックに歌いたい気持はわかるけれど、亭主に選ぶなら、グェランではなく、べつのドラマーにするべきだったでしょう。他のプレイヤー、とくにベースも感心できません。

ジョニ・ミッチェルのタイムが悪いのは、かつては、字あまりなんて言葉では足りないほど盛大にあまりまくる、むやみにシラブルが詰め込まれた、やたらと忙しい歌詞のせいかと思っていましたが、Why Do Fools Fall in Loveのバッド・グルーヴを聴いていて、他人の曲でもタイムが悪いことがハッキリし、ジョニ自身のタイム自体に問題があるのだと、やっとわかりました。年をとると、概して感覚は鈍磨していきますが、蓄積がものをいう分野では、鋭敏になっていくこともあるようです。

最近、命名してみた現象があります。「老人性嗜好尖鋭症」または「老人性嗜好狭窄症」というのですが、わかりますか? 子どものころは、「ストライク・ゾーン」がむやみに広く、大人の目にはバックネット直撃の大暴投に見える球でも、ストライクと見て振りにいきます。だんだんと目が厳しくなり、ハイ・ティーンぐらいになると、高さは胸から膝まで、幅はベース板いっぱいぐらい、という、すくなくとも当人にとっては妥当なストライク・ゾーンに到達します(まあ、悪球打ちというタイプもいますな)。これは長期安定型ストライク・ゾーンで、大きな変化はなく、数十年が経過します。

そして、晩年を迎えるとどうなるか。家族親戚知人が櫛の歯を欠くように消えていくのと軌を一にするかのように、かつて親しかった嗜好品が姿を消していくのです。選別眼がラディカルといっていいまでにきびしくなっていき、ほとんどの音楽や書物の出来が気に入らず、机辺から遠ざけ、二度と再読、再聴しないものの倉庫へとしまわれていきます。

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マーティンO-45Sスティーヴ・スティルズ・モデル。D-45のヴァリエーションだろう。値段は知らないほうがいいと思うが、それなら車を買うという人のほうが多いにちがいない。さすがに家が買えるほどの値段ではない。

ひとつはいわゆる「趣味の洗練」が原因でしょう。許せるドラマー、聴いていて不快にならないドラマーはどんどん減っていきます。たいていがダメなプレイヤーに分類されてしまうのです。

もうひとつは、こちらが大人になった、というか、作者が自分の子どもか孫のように見える年齢になったことが原因でしょう。たとえば、長いあいだ読んでいた池波正太郎がついに読めなくなりました。もともと気に入らなかった部分が肥大化して、気に入っていた部分を圧倒してしまうというか、要するに、なんだ、若いころは立派な大人に見えたけれど、こっちが年をとってみれば、この人も所詮、物書きというだだっ子にすぎない、若僧じゃないか、という気分です。

かくして、読むもの、聴くものの幅はどんどん狭まり、やがて、気に入ったものはなくなり、この世に未練なく死んでいけるのだろうと思います。いやまあ、そこにいたるまでにはもうすこし時間があるだろうと期待していますが、なあに、あしたの紅顔も夕べには白骨となる、この記事が当家の最後の挨拶になる可能性だってあります。

f0147840_23534924.jpgえーと、ジョニ・ミッチェルの話でした。つまり、そういう過程において、この人も好きなシンガーから脱落してしまったということです。最近のお婆さん声にショックを受けたということもありますが、ずっと気に入らなかった彼女のドラマーの趣味が、当人のタイムの悪さに由来するものだとわかったところで、Miles of Aisles以降の盤がまったく聴けなくなりました。Ladies of the Canyon、Clouds、For the Roses、Blueといった初期の数枚があれば、わたしには十分です。

それにしても、あらゆる表層物が時の流れに飲み込まれて、変質、褪色していくのに、Careyという曲はベースがいい、という印象はずっと変わらないのだから、グルーヴというのはすごいものです。ここに、グルーヴというものの本質、本然的堅牢性があるような気がするのですが、その点はまたいつかチャンスがあったときにでも書きます。
by songsf4s | 2008-05-08 23:55 | 風の歌
The Breeze and I by the Shadows その2
タイトル
The Breeze and I
アーティスト
The Shadows
ライター
Ernesto Lecuona, Al Stillman
収録アルバム
With Strings Attached
リリース年
1963年
他のヴァージョン
The 50 Guitars, Santo & Johnny, the Tornados, Jim Messina & His Jesters, The Three Suns, Bert Kaempfert, Esquivel, Henry Mancini, Les Baxter, Stanley Black & His Concert Orchestra, the Explosion Rockets, the Flamingos, the Four Freshmen
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「その1」と「その2」のあいだをこんなにあいて、まるで引っぱってしまったようになり、失礼いたしました。更新していないのに、アクセス数が減らなかった(どころか、じつは休んでいるあいだのほうがふだんより多かった!)ことから考えて、どうも、毎日、更新したかどうか確認にいらしている方も相当数いらっしゃる気配で、恐縮しております。

人間、生きているといろいろな目に遭うものです。三日に、うちから遠くない海辺の公園で、ラスクを食べながらお茶を飲んでいました。で、囓り残した小さなラスクのかけらをもって、ぼんやりと海を眺めていたのですな。そこへ、うしろからだれかがドンと突きあたったと思ったとたん、右手の人差し指をなにかがかすめ、するどい痛みが走りました。トビに襲われたのです。

自慢じゃありませんが、わたしはトビには襲われ馴れています。したがって、連中の飛行技術については、あなたがたのような素人ではなく、経験と長年の観察にもとづく、ヴェテランとしての一家言をもっています。つらつら勘定するに、おおよそ2・5年に1回の割合で襲われているのですからね。

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最初にやられたのは、山上の公園でのこと。このときは半分食べたサンドウィッチを手にもっていたら、みごとにもっていかれました。しかも、あのサンドウィッチは、真珠湾に停泊する戦艦アリゾナみたいにむずかしい攻撃目標だったはずなのです。背後に立木があるので進入路はひとつ、脱出路も崖際の手すりと突き出た桜の枝のあわい、数十センチの帯状の空間のみ。そこを通り抜けながら、わたしにはまったく接触せず、サンドウィッチだけをさらっていきました。ただただ、その飛行技術の卓越性に感心しちゃいましたよ。

つぎは海でいなり寿司を食べていて、膝においていた折箱をひっくり返されました。このときは肩にトビがぶつかりました。最初のトビの技に感銘を受けたので、ドジなトビがいるものだとムッとなりました。

今回は、ラスクの小さなかけらという微少なターゲットを選択した度胸には感心します。でも、肝心のターゲットはつかみそこない、しかもわたしの背中に思いきり衝突し、挙げ句の果てに、嘴でわたしの人差し指に長いキズをふたつもつくるという、マヌケなミッション・インコンプリート。近ごろ、ダメなトビが増えているのかもしれません。

最初のトビがハル・ブレインかジム・ゴードンだとすると、五月三日のトビはラス・カンケルかジョン・グェランあたりですな。トビの世界でも、ドラマーと同じように、素晴らしい技術を持つのはごく一握りなのだということがよくわかりました。

いや、そういう話をしたかったのではないのです。人差し指にバンドエイドを巻くと、タイピングしづらい、つまり、更新をサボった理由のひとつは、ラス・カンケルやジョン・グェランと同類の、技術をもたないドジなトビにケガをさせられたためだった、といいたいのです。

◆ シャドウズ盤 ◆◆
かつてインスト・バンドというのは教育機関のようなものでした。「機関」が大げさなら、音楽史の教科書といいかえてもかまいません。しかし、音楽の基本的な構造も教えてくれるという意味で、わたしとしてはやはり、学校か塾のようなものだといいたくなります。

ヴェンチャーズにもずいぶんたくさん古典を教えてもらいましたが、Breeze and Iは「もうひとつの塾」であるシャドウズで知りました。ややパセティックな曲調からいって、これは当然のことで、ヴェンチャーズ向きではなく、シャドウズ向きの曲なのです。

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ハンク・マーヴィンはいつものとおりのプレイぶりです。低音部でのプレイからスタートして、ひとまわりすると1オクターヴ上げ、あとは下がったり、上がったり、ミュートを使ったり、というあのスタイルです。たいしたサウンドだと思います。こういうギターを聴けば、自動的に、あっ、シャドウズだ、と思うのですから。フェンダーを弾いても、バーンズを弾いても、基本的には同じ色彩を保っているのも、ハンク・マーヴィンのサウンドとスタイルが強固につくられたものだったことを証明しています。

うちにはシャドウズのThe Breeze and Iは3種類あります。編集盤のLPヴァージョン(オリジナルはシングルのみのリリースだったらしい)ではモノーラルですが、Complete Singles A's and B'sとWith Strings Attachedという2種類のCDでは、ステレオになっています。

LP時代にはモノ・ミックスだった理由は、CDを聴くとよくわかります。ひとつのチャンネルにドラム、ベース、アコースティック・ギター、カスタネット、フルートがかたまり、もういっぽうはハンク・マーヴィンのリードだけ、というむちゃくちゃなバランシングだからです。つまり、もともとステレオ・ミックスは想定していないのです。

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オランダ盤"Dance with the Shadows" LP. ジョン・ロスティルがいないトリオのシャドウズの写真。70年代以降のシャドウズのことをさっぱり知らないのだが、こんな時期があったのかもしれない。

しかし、わたしのもっているLPがいい加減なマスタリングのものだったのかもしれませんが、音の表情がいいのは、Complete Singlesのものです。CDどうしを比較してもそう感じます。バランシングはいただけませんが、ハンク・マーヴィンのギターを聴くには、Complete Singles A's and B's収録のステレオ・ミックスThe Breeze and Iがいちばんいいのではないでしょうか。

◆ シャドウズのそのまたシャドウ ◆◆
Guitar Maniaというオムニバスに入っていただけなのですが、エクスプロージョン・ロケッツというギター・バンドのThe Breeze and Iもあります。

f0147840_1948824.jpg他の作業をしながら流していて、「あれ? シャドウズのThe Breeze and Iにはオルタネート・テイクがあったんだっけ?」と思ったくらいで、エクスプロージョン・ロケッツのThe Breeze and Iは、恥も外聞もあらばこそ、シャドウズ盤の臆面のないコピー、正真正銘の盗品です。アレンジとサウンドとギターのプレイ・スタイルに著作権があれば、告訴されるでしょう。

しかし、こういうバンドは、アマチュアなら世界中にたくさんあるはずです。日本にはいまでも、そこらじゅうにヴェンチャーズ・コピー・バンドがあるように、オランダではシャドウズのコピー・バンドが必要とされたというだけのことでしょう。コピーものとしては健闘しています。非常によくできたニセモノですが、それだけに罪は重いといえます。

f0147840_19501052.jpg同じようにリヴァーブをきかせたギター・サウンドでも、ジム・メシーナ&ヒズ・ジェスターズのほうがずっと楽しめます。まあ、わたしという人間が、こういうリヴァーブ・ドレンチト・サーフ・サウンドを聴いた瞬間、精神年齢があの時代にもどってしまうというだけでしょうけれど、この手のものとしても、メシーナのThe Breeze and Iはよくできたほうだと思います。

しかし、これ、ちょっと微妙な出来です。ドラムがうまくないので、考えこんでしまうのですが、スタジオ・ミュージシャンの仕事であった可能性も否定できません。リードもがんばっていますし(ポコのときのメシーナを考えると、これほど弾けたはずがないと感じる)、セカンド・ギターとベースもなかなかです。どうであれ、こういうサウンドはいつでも歓迎です。

f0147840_1957644.jpg同じギターものでも、「同じ」というわけにはいかないのが、50ギターズ・ヴァージョン。「国境の南サウンド」で売った50ギターズなので、The Breeze and Iは取り上げて当然の曲です。アルバムMaria Elena収録なので、リードはトミー・テデスコですが、残念ながら、この曲では活躍しません。

とはいえ、もともと50ギターズはチーム・プレイを本分とし、リードのあざやかなプレイはボーナスにすぎません。50ギターズのThe Breeze and Iは、どうも、アレンジャーが困惑したか、ほかの曲で時間を使い果たしたかしてしまったかのようなレンディションなのが、ちょっと困りもので、アレンジによって、曲の流れに変化を生むにはいたっていません。そういうときは、トミーに目の覚めるようなパッセージを弾いてもらえばいいはずなのですが……。

スリー・サンズ盤The Breeze and Iは1961年のもので、50年代の彼らの盤とはちがい、比較的スムーズなつくりになっています。アコーディオン、べつのアコーディオン(低音域)、オルガン、ギター、そしてアコーディオンにもどるというリード廻しですが、遅滞なく、きれいに廻しています。いつもこうなら、BGMとしておおいに利用できるでしょうが、50年代はこうではないんですよねえ、残念ながら。このときはギターはもうヴィニー・ベルなのだろうと思います。

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◆ 異質なペダル・スティール・サウンド ◆◆
これをギターものといっていいかどうかわかりませんが、Sleep Walkで知られるサント&ジョニーのヴァージョンもあります。彼らのペダル・スティールは、なにがどうしてそうなったかはわかりませんが、ふつうのペダル・スティールの音はしていなくて、それが大きな特長となっています。

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キンクスのデイヴ・デイヴィーズ、プロコール・ハルムのロビン・トロワーという、ふたりのギタリストの話を読んでいて、同じだなあ、と思ったことがあります。どちらも、手作り的な工夫でディストーション・サウンドを得たのです。

デイヴィーズは、「ほんものの」アンプとギターのあいだに、子どものころに使っていた、安物の小さなモニター・アンプをはさんだのだそうです。このモニター・アンプに過負荷をかける(要するにヴォリュームを最大にする)と音が割れ、それを本チャンのアンプで増幅して、You Really Got Meのあの独特のディストーション・ギターを生みだしたというのです。

トロワーの場合も、やはり「ほんものの」アンプとギターのあいだに、べつの小さなアンプをはさみ、この小型アンプのケーブルの一部をショートさせ、なかば壊れたアンプをつくり、その歪んだ音を「ほんものの」アンプで増幅したそうです。自分で工夫したことによって、それぞれが独自のサウンドを得たという点も重要でしょう。

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サント&ジョニーのペダル・スティールも、わたしはこのたぐいの細工をしているのではないかと考えています。ストレートなサウンドではなく、微妙にディストーションがかかっているような、独特の音になっています。

サント&ジョニーのThe Breeze and Iは、The Best Of The Restという盤に収録されたものですが、これはデータがまったくなく、そのくせ、値段は一枚物なのに3800円という法外さで(あんまり高くて目をむいたので忘れられない)、かなり怪しげな代物です。したがって録音時期が不明なのですが、いいアレンジでもなければ、バックのプレイも見るべきものがなく、初期の録音ではないかと感じます。いま、泥縄でディスコグラフィーを探したところ、彼らのThe Breeze and Iは1960年のシングルだと書いているところがありました。いかにもそのあたりのサウンドに聞こえます。

ペダル・スティールの音自体がノーマルではないので、このギター・デュオのサウンドは、カントリーにもハワイアンにも聞こえないのですが、The Breeze and Iはアレンジのせいで、パンクなハワイアンとでもいうムードになっています。「国境の南」から西の海にズレたような音です。アレンジとサウンドはいただけませんが、十数種類のThe Breeze and Iと並べてみると、変わり種として面白く感じられます。自分の土俵に持ち込むのはものすごくだいじなことでしょう。

そういう意味では、もうひとつのギターものThe Breeze and I、トーネイドーズ盤は、ジョー・ミークのプロデュースなのだから、当然、ミークの土俵で勝負しています。例によってよくわからない音が鳴っています。ヴァースのリード楽器はプリペアード・ピアノにイフェクトをかけたもののような気もしますが、あるいは、わたしの知らないキーボード楽器かもしれません。強固なサウンドを作り上げた人は、やはり強いと痛感するヴァージョンです。他人の物真似しかできない人もいますが、物真似だけはぜったいにしたくない、他人に似てしまうことを屈辱と感じる人もいるのです。

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VOX社のキーボード、Univox Concert Grand。トーネイドーズの不可解なサウンドの根源はこれ?

◆ ヘンリー・マンシーニ盤 ◆◆
昔のハリウッドのオーケストラというのはすごいものだなあ、とThe Breeze and Iでもため息が出ます。

f0147840_21391461.jpgやはり筆頭はヘンリー・マンシーニ盤でしょう。フルートとパーカッションだけではじまり、そこにベース、アコースティックおよびエレクトリックのギター、ウッドブロックなどが加わってくるときのサウンドの奥行きからしてもう、これはいい、と感じます。こういう小さなところでムムッと思わせる根源はなにかといえば、それはその土地のもつ音楽インフラストラクチャーの厚みなのです。

ポップ・オーケストラの場合、リード楽器の選択は重要です。フルートを引き継ぐのはストリングスですが、これが左右両チャンネルに、べつのラインを弾くふたつのグループに分けてあり、いつものように手を抜かない仕事ぶりです。途中から、ホルンを中心とした中低音域のブラスをストリングスに重ねる技も、基本に忠実。

しかし、ストリングスはあっという間に背後に退き、あの風変わりなオルガンがリードを引き継ぎます。Moon Riverで印象的なリード楽器として使われたオルガンのトーンです。そして、これまた左右両チャンネルに分配された複数のアコースティック・ギター(左チャンネルは12弦)がリードとなり、ストリングス、ブラスも加わって盛り上げたあと、イントロの小編成にもどってフェイドアウトします。まったく間然とするところのない、山あり谷ありの変化に富んだ、三分間のあざやかなドラマです。

盤にはパーソネルがついているので、スキャンしておきました。

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The credits for "The Latin Sound of Henry Mancini" 2月8日のメンバーを基本にし、その他の日は部分的に入れ替えて読む。The Breeze and Iはトラック8なので、2月23日のメンバーによる録音。したがって、ドラムはシェリー・マン、ベースはレッド・ミッチェル。このウェストコースト・ジャズ生き残りのベース・プレイヤーは、ポップ系セッション・ワークもかなりしたようで、キャロル・ケイによると、ボビー・ジェントリーのOde to Billie Joeのベースはミッチェルだという。

◆ その他のオーケストラもの ◆◆
f0147840_21544484.jpgレス・バクスターのThe Breeze and Iは、ヘンリー・マンシーニ盤より十年ほど前にあたる1956年に録音されていますが、やはりハリウッドという土地の強さを感じさせてくれるサウンドです。ハリウッドのオーケストラ音楽がみなステレオ録音になる、ブームの時代の直前に録音されているのは残念ですが、残念だと感じるのは、もとがいいので、もっといい音になる可能性をもっていたからにほかなりません。

とくにイントロのストリングスはいいアレンジなので、広がりのある音で聴いてみたかったと思いますし、冒頭のピアノ・ソロのあとでストリングスが入ってくる瞬間もなかなか魅力的です。1:30というランニング・タイムなので、はじまったと思ったらもう終わっているようなヴァージョンですが、それはそれで、さっと風が吹き抜けたようなさわやかさがあります。

f0147840_21562913.jpgエスクィヴァル盤は、この人の珍なところがいいほうの目を出した仕上がりです。今回並べたヴァージョンのなかではテンポの速い部類で、冒頭のピアノのせわしないオブリガートからしてもう、いかにもエスクィヴァルだなあ、という味があります。途中でラテンになったり、なんの脈絡もなくペダル・スティールが飛び込んできたりするところも、エスクィヴァルならではです。NYのオーケストラも、それほどレベルが低かったわけではないことは、エスクィヴァルとイノック・ライトの盤を聴くとわかります。たんに、ハリウッドがすごすぎただけなのです。

f0147840_22142081.jpgベルト・ケンプフェルト盤は1964年のものなので、深いリヴァーブのかかったフラット・ピッキングのフェンダー・ベースが印象的です。録音自体は悪くありませんが、どの楽器も同じような強度で、サウンドに奥行きが感じられないところは、やはり、ハリウッドとは比較にならないと感じます。

1950年代後半から60年代にかけての、ハリウッドのポップ・オーケストラはひとつの文化というべきもので、他の国はいうまでもなく、ニューヨークやナッシュヴィルといったアメリカの他の音楽センターでも、とうてい太刀打ちできるものではありません。オーケストラというのはいわば「総合力」の勝負なので、インフラストラクチャーの厚みがもっとも端的にあらわれるのです。

ヘンリー・マンシーニ盤The Breeze and Iが録音された、ハリウッドのRCAのスタジオは、RCA Victor's Music Center of the World、すなわち、RCAヴィクター世界音楽中心スタジオと名乗っています。なにを口幅ったいと思う方もいらっしゃるでしょうが、これは正真正銘、掛け値なしのスタジオ名です。オーケストラを鳴らすなら、ハリウッドのRCAのスタジオA(「クラシックのRCA」を支えたスタジオ)しかない、臨時のオーケストラを編成するならハリウッドしか考えられない、そういう時代が厳然としてあったのです。

スタジオの設計、最新最良の機材、質的に最良にして量的に世界最大のミュージシャン・プール、上は作曲家、アレンジャーから、末端は、パート譜を起こすコピーイスト会社、一日のあいだに、スタジオからスタジオへと移動するミュージシャンの楽器運搬を代行する搬送会社、楽器や機材の販売と補修・改造をするプロショップにいたるまで、すべてが隙なく、そして分厚い層を成して整っていた土地は、ハリウッドしかなかったのです。それが、ほかのどんな形式よりも、ポップ・オーケストラのサウンドとして表現されたのだから、他の都市でつくられた音楽を圧倒して当然なのでした。
by songsf4s | 2008-05-07 22:30 | 風の歌
The Breeze and I by the Shadows その1
タイトル
The Breeze and I
アーティスト
The Shadows
ライター
Ernesto Lecuona
収録アルバム
Complete Singles A's and B's 1959-1980
リリース年
1963年
他のヴァージョン
The 50 Guitars, Santo & Johnny, the Tornados, Jim Messina & His Jesters, The Three Suns, Bert Kaempfert, Esquivel, Henry Mancini, Les Baxter, Stanley Black & His Concert Orchestra, the Explosion Rockets, the Flamingos, the Four Freshmen
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風の歌特集は、二日目からもう蹉跌しちゃった状態で、タイム・リミット目前なのに、なにを取り上げるか決まらず、今日は休むか、と思ったのですが、そのかわりに、二回に分けるしかなさそうな曲の前半だけをやることにします。

f0147840_23381143.jpg本日はどなたもご存知の曲、エルネスト・レクオーナのThe Breeze and Iです。この、TabooやMalaguenaの作者のことをあれこれ書きはじめると、ことはとほうもなく面倒になるので、今回はそちらのほうには踏み込みません。You Tubeに、レクオーナ自身がこの曲の原曲であるAndaluciaをプレイした映像があるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。ピアニストとしてもなかなかの腕ですし、ワルツ・タイムなので、ありゃりゃ、とあわてます。

だれが考えたって、この曲はインストのはずなんですが、お立ち会い、じつは、ちゃんと歌詞があるのです。歌詞があるどころか、わたしは知らなかったのですが(!)、うちにもちゃんと2種類もヴォーカル・ヴァージョンがあって、あちゃあ、でした。

◆ セカンド・ヴァースなどだれも聴かないなら、いっそ…… ◆◆
ということで、あとから加えられた泥縄の歌詞がなにをいっているか、チラッと見てみましょう。ファースト・ヴァース。

The breeze and I are saying with a sigh
That you no longer care
The breeze and I are whispering goodbye
To dreams we used to share

「そよ風とわたしは溜め息とともにいう、あなたはもうわたしのことを愛していないと、そよ風とわたしは、わたしたちがいっしょに見た夢に別れの言葉をささやく」

なにも問題はないようなので、まっすぐブリッジへ。

Ours was a love song that seemed constant as the moon
Ending in a strange, mournful tune
And all about me, they know you have departed without me
And we wonder why
The breeze and I
The breeze and I

「わたしたちのあいだは、月のように永遠に思えるラヴ・ソングではじまり、見知らぬ、苦悶の曲で終わる、わたしのまわりの人たちはみな、わたしを置いてあなたが去ったことを知っている、そして、そよ風とわたしは、なぜなのだろうと考える」

このall about meはちょっと悩ましいのですが、コンテクストから考えて、all the people around meのことだとみなしておきます。aboutにはaroundと同じような意味もありますから。

やや不思議な構成の曲で、歌詞はこれだけしかなく、あとはここまでに出てきたものを適当に繰り返します。ワン・ヴァース、ワン・ブリッジとはまためずらしい!

◆ 歌もの2種 ◆◆
さて、歌詞は簡単なのですが、各ヴァージョンの検討のほうはそうはいきません。今日はいつもとは順番を変えて、重要性の低いものを先に片づけることにします。

f0147840_23432931.jpgくだらねーなー、と呆れたのがフォー・フレッシュメン盤。インスト盤がすぐれたアレンジのものが多いなか、なんだよこれは、でした。ムードもへったくれもなく、ただプレイしました、ただうたいました、ああ、そうですか、です。

白痴なのか文盲なのか、別れの歌だなんてことも、まったく気にしていないらしく、にぎやかに、楽しそうにやっています。いくらラテンだからって、ここまで脳天気にやることもないでしょう。

いや、インストならわかりますよ。でも、フォー・フレッシュメンはヴォーカル・グループなのだから、音とともに言葉も伝えなければいけないわけで、言葉の意味を全面的に否定した歌い方は、ふつうはしないでしょう。犬が西向きゃ尾は東、地球の上に朝が来る、その反対側は夜だろう、てな状態です。稲垣足穂が、政治と文学を同居させるのは、二台の機関車を反対向きに接続するようなものだ、どこにも行き着かない、といっていましたが、フォー・フレッシュメンのThe Breeze and Iはまさにそれでしょう。

対比のつもりだったのでしょうかねえ。だとしたら、時代の先をいく立派な、いや、革新的といってもいいレンディションだと思います。哀しい歌をサラリとうたうのが、60年代音楽の大きな特長と考えている人間として、脱帽しておきます。でも、60年代音楽なら、こんな、対比にもなっていない、ただの衝突矛盾にすぎない垢抜けないことはやらんぞ、と捨てゼリフをいっておきます。

f0147840_2347395.jpgフォー・フレッシュメンにくらべれば、フラミンゴーズははるかにマシです。といっても、フォー・フレッシュメンが0点以下なのに対し、フラミンゴーズは30点ぐらいというところですが、すくなくともマイナスではなく、プラスの数値です。

たとえば、マーセルズなんかでもそうですが、大ヒットが出ると、とくにドゥーワップ・グループは、そのヒット・レシピに忠実であろうとする傾向があります。要するに、二匹目のドジョウ的アレンジ、サウンドにするということです。いや、否定的にいっているわけではなく、こういうことは「そうあるべき」であり、それが「フォーマット」というものであり、しばしば「フォーマット」が「スタイル」に成長することがあり、そして、娯楽の世界ではフォーマットをうまく使うのは基本的技術なのです。

問題は、フォーマットに則ってつくったからといって、それでいいもの、売れるものができるとはかぎらず、要は作り手の能力と運しだいということです。「ギターを持った歌う流れ者が、たまたま腰を落ち着けた町で悪人どもを豪快にやっつけ、ふたたびどこかに去っていく」というフォーマットが当たったら、当然、つぎもそういう映画を、ということになりますが、あとはみな縮小再生産に堕するのがふつうです。

f0147840_23521016.jpgフラミンゴーズは、I Only Have Eyes for Youの、スロウな、さみしい、しかし、ドラマティックなヴァージョンを当てたので、このフォーマットでBreeze and Iをやりました。フォー・フレッシュメンのあとで聴くと、このほうがずっといいと思いますが、これはちょっとさびしすぎるレンディションで、いくらなんでもテンポが遅すぎると感じます(I Only Have Eyes for Youとほぼ同じテンポ)。

この曲が本来的にもつグッド・フィーリンが抹消されているのはまずいでしょう。I Only Have Eyes for Youにはあったドラマも感じません。この曲の他のヴァージョンとは異なる、紋切り型ではないアレンジは買えますが、しかし、フラミンゴーズの文脈で見れば、自分たちのヒット曲のフォーマットを紋切り型にしてしまったのだから、結局はクリシェなのです。

マーセルズが二度とBlue Moonのようなヒットを生まなかったのと同じで、フラミンゴーズも、いくらフォーマットを守っても、結局、I Only Have Eyes for Youの成功を再現することはできませんでした。それが、シンガー、グループ、バンドの「器」だというべきであって、フォーマットを守ることが間違いだということにはならないでしょう。フォーマットというのは、つねに使いようなのです。

◆ スタンリー・ブラック・オーケストラ ◆◆
残るすべてのヴァージョンがインストです。いいものを褒めるのは手間暇かかるので、今日は勘弁していただき、インストのほうも、あまりよろしくないものから先に片づけます。しかし、悪いものはありません。すごくいいもの、かなりいいもの、まあまあのもの、といった感じです。

あまり面白くないと感じるのは、スタンリー・ブラック盤です。ほんの一握りの盤しか聴いたことがありませんが、このイギリスのピアニスト/バンド・リーダーのものには、それなりに面白い盤があります。スモール・コンボでやったもの、たとえば、Tropical MoonlightやCuban Moonlightなどは、イギリスのエキゾティカもナメてはいけない、と感じさせるものでした。

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しかし、うちにある2枚のオーケストラもの、Franceというアルバムと、The Breeze and Iを収録したLatin Rhythmsという盤は、どちらも、なんだかなあ、という出来です。スタジオの鳴りが悪いのか、エンジニアがタコなのか、たんにテクノロジー・レベルの問題なのか(コンソールの入力チャンネル数とマイクの設置可能本数など)、大編成なのに、サウンドに広がりも厚みもなく、ペラッとした音になっているのがいただけません。

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それほどアクの強いものではありませんが、タンゴ的アレンジで、それ自体はけっこうだと思います。しかし、中途半端な感じで、タンゴでやるなら、笑ってしまうほどタンゴを強調したほうが面白かったのではないかと思います。サウンドのみならず、アレンジの面でも平板な出来です。ストリングス、クラリネット、アコーディオンと、アタックの強くない楽器ばかりがリードをとっているのも、輪郭をぼやかすことに貢献しています。なんとか褒めどころを見つけようと思ってジタバタしているのですが、結局、なにもなし。スタンリー・ブラックを聴くなら、ほかの盤のほうがいいでしょう。

時間切れなので、一転して、いいヴァージョンばかりになる後半は、明日以降に持ち越させていただきます。看板にしたシャドウズ盤のことぐらいは書こうと思ったのですが、それもままならず。ああ、忙しい、忙しいといって、五月兎は去っていくのでした。あ、ルイス・キャロルのあれは、五月じゃなくて、三月だったか!
by songsf4s | 2008-05-02 23:57 | 風の歌
Ride the Wind by the Youngbloods
タイトル
Ride the Wind
アーティスト
The Youngbloods
ライター
Jesse Colin Young
収録アルバム
Ride the Wind
リリース年
1968年(Elephant Mountain収録オリジナル・スタジオ・ヴァージョン)
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風薫る五月となりました。みなさまいかがお過ごしでしょうか。小生、寄る年波には勝てず、趣味の野良仕事がこたえ、息も絶え絶えの毎日です。

ということで、風薫る五月は、風の歌特集をやらかしてみます。しかし、いま泥縄で検索してみたところ、よけいなもの(window、Kai Winding、Earth Wind & Fire、その他もろもろ)が引っかかるせいもあって、先月の馬鹿ソング特集をはるかにうわまわる厖大なヒット件数になってしまい、手のつけられないありさまです。

そのくせ、はじめから念頭にあったのはたった4曲だけ。どうやらスタート早々、「メインテナンス」のために、ちょっと休まないといけないであろうことが、もうすでに予測できる困った特集であります。

ということで、本日はまず、五月は風の歌特集にしようと決めた、そのそもそもの動機となった曲、ヤングブラッズのRide the Windです。

◆ 知覚の扉の向こう側 ◆◆
ほとんどインストゥルメンタルみたいな曲だから、歌詞も音で聴いていて、意味を気にしたことはなく、死ぬほど聴いたわりには、さて、どんな歌詞だったか、という状態です。好きなのはライヴ盤ですが、歌詞はスタジオ録音にしたがっておきます。ファースト・ヴァース。

Ride the wind let your dreams blow
In the stream of the wind flow
And you will know the reason why I ride the wind
Ride the wind leave your mind behind
Feel the rush of suspended time
That gets you high
And thats why I ride the wind

「風に乗ろう、風の流れに夢をただよわせよう、そうすれば、僕が風に乗る理由がわかるだろう。理性をあとにして風に乗ろう、時が止まる快さを感じてハイになろう、だから僕は風に乗るんだ」

はじめに「ハイ」という言葉が出てくるのは、つまり、そういう歌だよ、という宣言ないしは説明なので、高度何メートルか、などとトンチンカンなことは考えないでください。

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The Youngbloods; (l-r) Jesse Colin Young (vocal, bass, guitar), Joe Bauer (drums, percussion) and Banana a.k.a. Lowell Levinger (vocal, piano, guitar, banjo, pedal steel)

短めのインストゥルメンタル・ブレイクをはさんでブリッジへ。

See the colors flashing like a rainbow
Drink'em until your senses overflow
And you will find that you can grow by letting go
Come on let it go

「色彩が虹のように燦めくのを見よう、知覚が溢れでるまで色彩を飲み込もう、そうすれば、なすがままにすることで自分が成長するのがわかるだろう、さあ、なすがままにしよう」

タブレットを飲み込んて30分もたち、知覚の変化に抵抗せず、「なすがまま」にしていると、やがて自分が「成長」したか、逆に縮小したか、または部屋が縮退したような感覚が生まれるといわれています。圧倒的な色彩感覚と聴覚の変化も起こるそうです。また、自分は鳥だと思いこむのもよくある現象で、じっさいに窓から飛び出してしまうこともめずらしくないとか。サウンドにはそのけはないのですが、このブリッジは、Ride the Windがサイケデリック時代のど真ん中で書かれたことを雄弁に語る、リアルな描写といえるでしょう。

◆ 「目」を開く ◆◆
またインストゥルメンタル・ブレイクとブリッジをはさんで、セカンドにして最後のヴァースへ。

Ride the wind, hear the whislte blow
You can feel all you need to know
Be open eyed and open wide
And ride the wind, ride the wind, ride the wind...

「風に乗れ、口笛を聴け、知る必要のあることはすべて感じ取ることができる、目を見開き、大きく開いて、風に乗れ、風に乗れ」

知る必要があることはすべて感じ取ることができるのも、やはり知覚の変化がもたらす現象です。しばしば、世界の秘密を解明した錯覚に陥るといわれています。目は開いたほうがいい人もいるでしょうし、つぶったほうが世界を見られると考える人たちもいます。ただし、ここでいっている「目」とは、両眼のことではなく、もうひとつの目、「知覚の目」である可能性が高く、この第三の目を開けというのであれば、このヴァースもリアルな描写といえるかもしれません。これで、「スペース・コリダー」に突入する準備は整い、「風に乗」って光と色彩と音響と「世界観知覚」の時間がはじまります。

ライヴ・ヴァージョンでは歌詞は変形されていますが、基本的には、ライヴらしく、オーディエンスへの呼びかけ(youの前にpeopleをはさんだり、come onを入れたりなど)が加えられるだけです。

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The first lineup of the Youngbloods; (l-r) Joe Bauer, Josse Colin Young, Banana and Jerry Corbitt

◆ ギター・バンドからピアノ・トリオへ ◆◆
ヤングブラッズは、ニューヨーク=ボストンのフォーク・コミュニティーを行ったり来たりしていた3人のフォーキーに、バックビートなんか叩きたくなかったけれど、一文無しで選択の余地がなかったジャズ・ドラマーが加わって生まれたグループです。

まだジェリー・コービットがいて、ニューヨークで録音し、フィーリクス・パパラーディーがプロデュースしたセカンド・アルバムまでと、コービットが抜け、ハリウッドやサンフランシスコで録音するようになったサード・アルバム以降は、極論するなら、別個の音楽と見たほうがいいと感じます。

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"The Youngbloods" LP, the eponymous titled debut album.
ヤングブラッズのデビュー盤は、Get Togetherがヒットしたあとは、Get Togetherとリタイトルされ、ジャケットもべつのものになった。

もちろん、時代の変化も大きく作用し、サイケデリック以後、多くのバンドが変貌を遂げています。ヤングブラッズも、ラヴィン・スプーンフル風のスタイルから、なんといえばいいのかわからない時期(ジャズ・オリエンティッド・エレクトリック・ピアノ・ドリヴン・ア・ラ・ジャグバンド・フォーク・ロック???)を通過し、最後はアク抜きしてふやけたロカビリー・バンドのようなものになって死にます。

初期のラヴィン・スプーンフル的な時期も、当然ながら好きですが、その後のへんてこりんなバンドの時期が、わたしとしてはもっとも楽しめました。アルバムでいうと、Elephant Mountain、Rock Festival、Ride the Windの時期です。といっても、スタジオ録音はElephant Mountainだけで、あとの2枚はそれをライヴでやったようなものにすぎないのですが。

◆ 「バナナ」と名乗る男 ◆◆
Ride the Windという曲は、Elephant Mountainのアルバム・クローザーとして、最初はアコースティックな形で登場しました。

ジェリー・コービットという人をどう評価するかによるでしょうが、Elephant Mountainというアルバムは、わたしはヤングブラッズの代表作だと考えています。ポップであるより、アーティスティックであるほうがいい、などとは断じていいませんが、しかし、このケースでは、アーティスティックな方向にシフトしたことが、いい結果を生んだと感じます。

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The Youngbloods "Elephant Mountain" (1968)

なにしろサイケデリックとトータル・アルバム・ブームの最中に録音された盤ですから、よけいな遊びやらSEやらがいっぱい入っていますが、楽曲の出来もいいし(Sunlight、Beautiful、Quicksand、Smug、Rain Song、そしてインストゥルメンタルのOn Sir Francis Drakeなど)、最初の2枚にくらべ、ゆるめのほうにグルーヴが微妙に変化したことも美点になっています。数ある「ペパーズの子どもたち」のなかでも、上位にくる一枚でしょう。

さまざまな変化のなかでいちばん大きかったのは、ジェリー・コービットがいるあいだは、基本的にはギターを中心とするサウンドだったのが、このアルバム以後、バナナ(ローウェル・レヴィンガー)が、ギターよりもアコースティック、エレクトリック、両方のピアノを弾くことが多くなり、ちょっとよそにはない不思議なサウンドが生まれることです。

f0147840_23552738.jpgなぜ不思議かというと、バナナのピアノはどうひいき目に見ても「うまい」とはいえず、そもそも、ピアノっぽくないラインを弾くのですが、それが妙に味のあるプレイなのです。こんな推測に同意してくれる人はほとんどいないでしょうが、わたしは、バナナはバンジョーのプレイを、そのまま鍵盤上に展開したのだと考えています。Rock Festivalに収録されたInterludeという、バンジョー・インスト(バンジョーもうまくない!)を聴いて、ピアノとバンジョーのラインがよく似ていると感じました。

バナナというプレイヤー自身が、そもそも不思議なキャラクターなのです。ギターもバンジョーもうまくないうえに、ピアノもテクニカルではなく、しかし、マンドリンだの、ペダルスティールだのと、なんでも手あたりしだいにプレイし、どれも味があるのです。まあ、ピアノがいちばん面白いと思いますが。

バナナのピアノが好きだなんていう変わり者は、わたしぐらいかと思っていましたが、1970年だったか、ゲーリー・バートン・カルテットで来日したとき、スティーヴ・スワローが、ヤングブラッズが好きだ、といっていました(ほかにトラフィックと、たしかグレイトフル・デッドもあげていた。俺と同じだ、趣味がいい、と思った記憶あり!)。

そのときはとくに意味のある発言とは思いませんでしたが、後年、バナナのソロ・アルバム、Mid-Mountain-Ranchで、2曲だけですが、スティーヴ・スワローがゲストでベースをプレイしているのを聴き(スワローはアップライト、フェンダーの両方をプレイするが、このときはフェンダーのみ)、あ、ほんとに好きだったのかよ、と驚きました。しかも、1曲(Great Blue Heron)はストレートな4ビートです。このときのバナナのピアノがまた下手くそなんですが、じつに味があって、ピアノ・トリオなんか大嫌いなくせに、この曲はじつに楽しく感じます。ドラムのジョー・バウアーも、こっちが本職なので、きれいなブラシ・ワークをやっています。

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Banana and the Bunch "Mid-Mountain-Ranch," 1972, Raccoon #13, Warner Bros. BS 2626.

◆ ゾウの山に吹く風 ◆◆
例によって、話が脇道に入っていってしまいました。Ride the Windは、うちには3ヴァージョンあります。68年のElphant Mountain収録スタジオ・ヴァージョン、71年のアルバムRide the Wind収録のライヴ・ヴァージョン、そして、後年のブート(69年録音)に収録されたライヴ・ヴァージョンです。

スタジオ盤は、ドラム、ベース、アコースティック・ピアノ、ヴァイブ、コンガという楽器構成で、バナナがヴァイブをダブルでやった可能性もゼロではありませんが、おそらく、本職のプレイヤーの仕事でしょう。盤には、special thanksとして、ジョー・クレイトン、プラズ・ジョンソン、デニス・スミスという人への謝辞があります。プラズはもちろんいわずと知れたサックス・プレイヤーなので、クレイトン、スミスのどちらかがヴァイブ・プレイヤーなのだろうと思います。

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ジェリー・コービットはこのアルバムの録音中に抜けました。Smugのように、コービットが参加していることがわかるトラックがありますが、Ride the Windは、もうトリオになってからの録音と思われます。コービットが抜けたことで、バナナがギターよりピアノを弾くことが多くなったのは、ギター一本よりは、ピアノ一台のほうがマシだ、と思ったからではないでしょうか。いや、たんに結果から逆算しただけの推測ですが。

このアコースティック仕上げのスタジオ盤Ride the Windも、十分に魅力的なトラックです。2コードに簡略化されてしまう、後半の長いインストゥルメンタル・パート(ヴァースは、D-C#-C-B-G-Gm-Bb-Aという、変則的進行)は、ヴァイブなりピアノなりが前に出てソロをとるという感じではなく、いわば環境音楽的に、呪文のように同じ場所をグルグルまわるのですが、単調さがいいほうの目に転がったと感じる、気持のよい浮遊感があります。

◆ ライヴ・ヴァージョン ◆◆
時代の流行だった「パワー・トリオ」(ジミー・ヘンドリクス・エクスペリエンス、クリーム)ならぬ、こんな「パワーレス・トリオ」で、ライヴなんかよくやったものだと思いますが、人間、なんとかしようという意志があれば、なんとかなるもののようです。カリフォルニアに移住して以後のヤングブラッズは、ライヴ・バンドとして活躍するようになります。

バナナは、ライヴではアコースティック・ピアノは使わず、かの有名なエレクトリック・ピアノを弾いていて、Ride the Windも当然エレクトリックでやっています。イントロで即座に拍手が起きているところから考えると、この時点ですでに、代表作とみなされていたのかも知れません。シングル・カットされたわけではないのですが。

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The center part of the cover of "Elephant Mountain"
Elephant Mountainのカヴァーの中心部分を拡大したもの。このイラストは、かなりリアルだったことがあとでわかった。下の写真をご覧あれ。

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Banana (Lowel Levinger) and his famous "Banana Dish" electric piano.
Mid-Mountain-Ranchの裏ジャケットにある、バナナと彼のエレクトリック・ピアノ。上のイラストがこのピアノを忠実に描いていたことがおわかりだろう。しかし、どこの会社のピアノなのだ?

バナナはおそらく正規の教育を受けたわけではなく、セルフ・トレインド・ピアニストなのでしょう。そういう人にとっては、鍵盤の軽いエレクトリックのほうがはるかに弾きやすく(本職のピアニストにとっては逆らしいが)、ライヴ盤Ride the Windのグッド・グルーヴは、主として、バナナのリラックスしたプレイがもたらしていると感じます。

トーンがまた独特で、これほどやわらかいエレクトリック・ピアノのサウンドというのをわたしは知りません。クレイグ・ダージの疳に障る金属的なフェンダー・ピアノのまさに正反対で、これもまたバナナらしいグッド・フィーリンを生む一要素になっています。

バナナというのは、なにをやってもつねにロウ・キー、どんな場面でもレイド・バックしているプレイヤーで、人柄がそのまま音に出たのではないかと感じます。子どものころからずっと、そういうイメージでバナナを見てきました。バナナなんて名乗る人物は、人に騙されることはあっても、人を騙すことはないにちがいありません。

f0147840_0243534.jpgジョー・バウアーは、ロック・バンドなんかやりたくなかったと断言しているだけあって、非ロック的な曲になると、リラックスしたプレイをします。Ride the Windは4/4ですが、ノーマルな8ビートではなく、バウアーにとっては、やりたいタイプの音楽と、やりたくないタイプの音楽の中間あたりではないでしょうか。タイムは比較的いいほうなので、サイドスティックやライド・ベルといった、もともと得意としたプレイを中心としたRide the Windは、楽しんでいることが感じられます。これも、このヴァージョンを心地よいものにしている要素です。

f0147840_0271870.jpgジェシー・コリン・ヤングは、ヤングブラッズを発足する以前は、ギター一本でうたう典型的なフォーキーだったことが、キャピトルに残されたSoul of a City Boyというアルバムでわかります。ギターをベースに持ち替えた瞬間から、Get Togetherのプレイのような、本職も真っ青のグルーヴを生み出せるものかどうか、いくぶん引っかかるものを感じます。

ヤングブラッズの初期のプロデューサーは、フィーリクス・パパラーディーです。したがって、ひょっとしたらヤングはベースを弾かなかったのかもしれない、という疑いがきざしても無理はないでしょう。断定は避けますが、アルバムRide the Windに収録されたライヴのGet Togetherは、テンポがやや速いこともあって、スタジオ盤のような瞠目するほどのグッド・グルーヴではありません。

f0147840_0315454.jpgしかし、初期はどうあれ、Elephant Mountain以降はヤングがベースをプレイしたのはまちがいないでしょう。元フォーキーにしては、上出来だと思います。なにしろ、3人しかいないので、ベースが弱いと、冗談抜きで「パワーレス」になっちゃいます。

いいシンガーはいいベーシストの素質をもっているものです。ベースというのが、すぐれてハーモニックな楽器だからです。ヤングのプレイにも、シンガーとしてのハーモニー感覚が感じられるラインがよく出てきます。タイムも悪くありません。ただし、ヤングブラッズのベースで非常にいいと感じるのは、Get Togetherなどの初期のスタジオ録音のほうです。

◆ ふたたびギター・バンドへ ◆◆
残るヴァージョンは、ブートなので、簡単に。そもそも録音が悪く、バランシングもひどいので、それが興を殺ぐ結果になっています。なんたって、イントロでいちばんよく聞こえるのは、キック・ドラムなんですから。

この時期には径の小さいキックを高めにチューニングし、ヘッドを外して、毛布などでミュートするのが主流です。つまり、「リング」させない、短くシャープなサウンドということです。ところが、バウアーのキック・ドラムは、たぶん、大昔のジャズ・ドラマーがよく使った、径が大きいタイプで、チューニングも低くしているように聞こえます。まるでコンサート・ベース・ドラムのように「リング」しているのです。これは、サイケデリック時代どころか、それ以前だって、ポップ/ロックの世界ではあまりお目にかかれません。

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しかし、それ以外はべつにマイナス要素はありません(バウアーのタムタムやスネアの使い方はどの時期もあまり好きではないが)。この69年の段階で、ライヴでのRide the Windのアレンジはすでに固まっていたことがよくわかります。71年のアルバムRide the Wind収録ヴァージョンそのままのスタイルなのです。

Sugar Babe、フレッド・ニール作のDolphinなど、アルバムRide the Windと重なる曲は、いずれも、後年の形と変わりありません。Sugar Babeは、ライヴでのピアノ・ヴァージョンのほうが、Earth Music収録のギター・ヴァージョンよりはるかに楽しめます。コービットが抜けたことが、いいほうに作用した曲でしょう。まあ、ライヴでのSunlightのベースレス・アレンジはいただけませんが。

ヤングブラッズはアルバムRide the Windが録音された71年に、ほぼ壊れたとみなしていいでしょう。この年にジェシー・コリン・ヤングはソロ・アルバムをリリースしていますし、翌年にはバナナもソロ・アルバムを出します。

ヤングが新しい楽曲を自分のアルバムのほうに投入した結果、Good and Dusty(71年)とHigh On A Ridgetop(72年)という、ヤングブラッズの2枚のスタジオ盤は、気の抜けたロックンロール・カヴァーで埋め尽くされることになります。まともな曲はヤングの旧作Dream Boatと、バナナのHippie from Olemaぐらいしかありません。

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しかし、あの音楽スタイルで、トリオというのは、はじめからかなり無理があり、うまくできる曲の幅が極度に狭いため、むしろ、68年から71年までよくもったと感じます。そして、この苦しい状態が独特のサウンドを生み、それが大きな魅力になったのもまちがいありません。

末期には、マイケル・ケインというベースを入れ、ヤングがギターに転じて、初期のようなギター・バンドにもどりますが、そうなってみると、たんにうまくないギターが二人いるだけの凡庸なバンドにしか聞こえないのだから、なんとも皮肉なものです。

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by songsf4s | 2008-05-01 23:55 | 風の歌