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カテゴリ:Evil Moonの歌( 16 )
Moonlight Feels Right by Starbuck
タイトル
Moonlight Feels Right
アーティスト
Starbuck
ライター
Bruce Blackman
収録アルバム
Moonlight Feels Right
リリース年
1976年
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わたしの場合、70年代後半から「暗黒時代」に入った兆しが見えはじめ、土曜の午後、ダイアル810に合わせ、ケイシー・ケイサムのAmerican Top 40を聴く習慣もいつのまにかなくなりました。大ざっぱにいうと、ディスコの時代のはじまりとともに、わたしのリアルタイム音楽生活は終わったことになります。

70年代後半のチャートを眺めると、もっていたいと思う曲は一握りにすぎず、80年代なかばからとりかかった、ビルボート・トップ40集めでも、1955年、エルヴィスのデビューから1975年までと時代を区切ることに決め、70年代後半以降のものは、ふだん持ち歩くチャート・データのプリントアウト(ドット・インパクト・プリンターの印字! どこかにあの騒々しいプリンターが生きているだろうかと、I Wonder Who's Kissing Her Nowのような気分になる)にも含めませんでした。

対象外とした70年代後半の曲のなかで、この曲は買っておかなければ、と思った例外が、今夜の曲、スターバックのMoonlight Feels Rightです。ラジオで聴いていても、強く印象に残るサウンドでした。その点はあとまわしにして、歌詞から見ていきます。

◆ フランスのコネ??? ◆◆
ファースト・ヴァース。よくわからないところのある歌詞ですが、まあ、テキトーに。

The wind blew some luck in my direction
I caught it in my hands today
I finally made a tricky French connection
You winked and gave me your O.K.
I'll take you on a trip beside the ocean
And drop the top at Chesapeake Bay
Ain't nothing like the sky to dose a potion
The moon'll send you on your way

「風向きのおかげで幸運が舞い込み、今日、それをしっかりつかみ取った、やっとトリッキーなフレンチ・コネクションに成功して、きみはウィンクし、承知してくれた、海のそばまでつれていって、チェサピーク湾で車の幌を下ろすんだ、薬を一服やるのに、空の下ほどいいものはない、月が遠くに運んでくれるから」

音もどこか奇妙なのですが、歌詞もなんだか不思議なものです。考えすぎかもしれませんが、ヴードゥーの陰がチラチラしていて、それでこの曲を先月のHarvest Moon特集では取り上げず、今月にまわしたしだい。

「フレンチ・コネクション」はなんのことかさっぱりわかりません。ジーン・ハックマンがフランス野郎を相手に奮闘し、結局、あと一歩のところで一敗地にまみれてしまう、映画『フレンチ・コネクション』の場合は、日活映画でいうところの「麻薬ルート」のことを「コネクション」といっていましたが、それがこの曲に関係あるのかどうか、見当もつきません。

ラジオで流れてヒットした曲が、そんなまずいことを歌っているようにも思えないので、麻薬の線はないことにすると、こんどは男女関係の意味でのコネクションを思い浮かべるのですが、それに「フレンチ」がついちゃっていいものかどうか、これまた考えこみます。いや、つまり俗語のFrenchには、いろいろ意味があって……ムニャムニャ。

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フレンチ・コネクション・コレクション 上から映画『フレンチ・コネクション』、その映画でジーン・ハックマン扮する刑事ポパイがかぶっていたのと同じタイプの帽子が、フレンチ・コネクションの名前で売られている、ほかに、眼鏡フレーム、スニーカーにもフレンチ・コネクションというものがあったが、馬鹿馬鹿しいので省略、そして、アクロバティック飛行では、このような技をフレンチ・コネクションというのだとか。こう見てくると、いちばん最後の写真がこの歌詞に関係ありそうな気がしてくる。

potionといえばLove Potion No.9が思い浮かぶわけで、まあ、薬は薬なのですが、medicineやdrugという場合の医薬品の薬とはちょっとちがい、「霊薬」なんていう訳語があてられています。Love Potion No.9に出てくる薬も、アンダーグラウンドまで含めてそこらで売っている薬ではなく、謎の惚れ薬であり、だから、medicineでもなければ、drugでもなく、postionを使っているわけです。

この曲も、そういうたぐいの怪しげな、いわば空想上の「薬」をいっているのでしょう。これがたとえば、コカインを指すだなんて思われたりしたら、ラジオのエア・プレイはほぼゼロになってしまうはずで、この曲が大ヒットしたということは、だれもそういうようには勘繰らなかったことを証明しています。

◆ 「ものすごくものすごい」のだろうか? ◆◆
Moonlight feels right(「月もちょうど頃合いはよし」といったぐらいの意味でしょう。月齢と色事には密接な関係があるという仮定がないと出てこない歌詞)と繰り返すだけのコーラスがあって、セカンド・ヴァースへ。

We'll lay back and observe the constellations
And watch the moon smilin' bright
I'll play the radio on southern stations
Cause southern belles are hell at night
You say you came to Baltimore from Ole Miss.
A class of seven four gold ring
The eastern moon looks ready for a wet kiss
To make the tide rise again

「寝転がって星座を観察し、月が明るく微笑むのを眺めよう、ラジオは南部の局にしよう、南部の女たちは夜になるとすごいから、きみはミシシピーからボルティモアにやってきたという、74年卒の金の指輪、東の空の月は、ウェット・キスでまた潮を満ちさせようとしている」

f0147840_1204939.jpgsouthern belles are hellのhellはよくわかりません。「南部の女は地獄」だなんて、江戸の隠語だったらきわめて侮辱的な表現になってしまいますが、たぶん、副詞的に使ったものであり、そのうえで副詞が修飾するはずの形容詞が省略されているのではないでしょうか。「ものすごく○×である」という、強意表現でしょう。「ものすごく」なんなのかはわからないのですが、きっと、ものすごくものすごいのでしょう!

この歌で、現実に、すでに起きたことは、時制の使い方から考えるに、彼女が「いいわよ」と承知したところまでで、あとは語り手の空想ないしはプランにすぎません。このヴァースも、すでに起きたことは皆無で、これから起きるであろうことのみが語られています。だから、彼女がじっさいにミシシピーの出身かどうか、74年に大学(ミシシピー州立大?)を卒業したかどうかわかりません。そういうタイプの女性であろうと空想しているだけなのかもしれないのです。

◆ どこがどう痒いのやら ◆◆
また、Moonlight feels rightというコーラス、さらにマリンバおよびシンセサイザーの間奏をはさみ、ラスト・ヴァースへ。

We'll see the sun come up on Sunday morning
And watch it fade the moon away
I guess you know I'm giving you a warning
Cause me and moon are itching to play
I'll take you on a trip beside the ocean
And drop the top at Chesapeake Bay
Ain't nothin like the sky to dose a potion
The moon'll send you on your way

「日曜の朝、太陽が昇り、月をかき消すのを見よう、きみに警告していることはわかっていると思うけれど、ぼくと月は遊びたくてうずうずしているんだ、きみを海のそばにつれていこう、チェサピーク湾のところで車の幌を下ろすんだ、薬を一服やるのに、空の下ほどいいものはない、月が遠くに運んでくれるから」

itching to playがよくわからないし(なにをプレイするというのか?)、なぜ月までそこにふくまれるのかも奇妙です。itchはかゆみなので、なんとなく、品のよくないことを思い浮かべちゃいます。だいたい、はじめから清く正しい恋の雰囲気はなく、いきなり一晩で決着をつけようとする意図が語り手のいうことに感じられると思うのですが、どんなものでしょうか。

◆ 「強い」デビュー・シングルの副作用 ◆◆
このところ、ムーグやアープなどのアナログ・シンセサイザーの野太い音が懐かしくなり、そういうものをよく聴いています。「シンセサイザー」とひとくくりにされていますが、アナログ・シンセとディジタル・シンセではまったく音がちがいます。片やアナログは、プレイヤー(というよりプログラマー)によって音が異なり、したがって楽器としての要件を満たしているのに対して、片やディジタルは、だれがやっても同じ音、楽器ではなく、機械に分類されるべきものと感じます。

こんな簡単なことなのに、ディジタル・シンセの音があふれかえったときは、どうして居心地悪く感じるのかよくわかりませんでした。楽器じゃないのだから、快感に直接には結びつかないほうが正常で、あれが直接的な快感になるとしたら、工場の騒音が音楽に聞こえるようになったみたいなもので、感覚が狂ったということでしょう。

f0147840_1311662.jpgどういう盤のシンセを聴くかというと、トッド・ラングレンの初期のもの、アル・クーパー数曲、スティーヴ・スティルズのマナサス数曲、ジョン・カーペンター監督の自作サントラ(この人は将来、映画監督としては忘れられ、ミュージシャンとして歴史に記録されるのでは?)、そして、このMoonlight Feels Lightです。

歌詞はへんてこりんで、意味不明のところがあちこちにありますが、サウンドはすばらしいものです。マリンバ、シンセ、そしてドラムも、すべてがピタリとはまり、あざやかなサウンドスケープを生みだした、じつに幸福なシングルです。

アルバムを聴くと、こんなにうまくいっている曲はなく、みなどこかぎこちない出来です。そしてなによりも大きいのは、Moonlight Feels Lightには感じられる奥行きがなく、ひどく平べったい、ボール紙のようなサウンドばかりだということです。Moonlight Feels Lightだけは、月の魔物のおかげか、ヴードゥーのおかげか、霊薬のおかげか、なんだか知りませんが、偶然にすべてがうまくいってしまったのでしょう。

f0147840_1232930.jpgそういうシングルは明暗両義的に恐いものです。まちがいなく大ヒットしますが、同時に、えてして、そのアーティストの命取りになってしまうのです。スターバックのデビュー・アルバムからは、Moonlight Feels Rightのほかに、I Got To KnowとLucky Manという2曲が、フォロウ・アップとしてシングル・カットされています。この選択そのものは賛成できます。シングルになりうる曲がこのアルバムにあるとしたら、わたしもこの2曲だと思います。どちらも軽快で、そこそこキャッチーですが、ホット100には入ったものの、トップ40には届きませんでした。さらに2枚のアルバムを出していますが、結局、二度とヒットは出ていません。

Moonlight Feels Rightには、たんなる(官能的な)ラヴ・ソングに終わらない、なにか得体の知れないものが隠れている感触があります。それこそ月の魔物みたいなものが、音の向こうに潜んでいるのです。キャッチーであると同時に、そういうもやもやした正体不明のものの感触があるのはこの曲だけで、あとはみな、たんなる平たいポップ・ソングなのです。

こういうのは、意図してどうにかなるものではなく、フォロウ・アップがうまくいかなかった理由をたとえ彼らが自覚していたとしても、どうすることもできなかったでしょう。そういう不思議な奥行き、厚み、深みというのは、つくるものではなく、授かるものだからです。

◆ 瞬時に消えた永遠 ◆◆
わたしはMoonlight Feels Rightというトラックが好きなだけであって、作り手にはあまり興味がなく、また、シングル盤というのは、本来、そういう匿名的なもの、ただ音だけが独立して宙にあるものなのだと思います。いちおう、そうお断りしておき、最低限のバイオを書いておきます。

f0147840_125545.jpgこのバンドの核は、Moonlight Feels Rightを書いた、ヴォーカル、キーボードのブルース・ブラックマンとマリンバのボー・ワグナーで、ともにイターニティー・チルドレンというグループに在籍し、60年代にMrs. Bluebirdというマイナー・ヒットを生んでいます。

編集盤でこの曲だけもっていますが、これといって取り柄のない凡庸な楽曲のまわりにゴテゴテとハーモニーの飾りをつけて、なにかあるように見せかけただけの、あの時代にはよくあったタイプの張りぼてサウンドで、ビルボード69位というチャート・アクションは、楽曲の実力以上、出来すぎの順位だと思います。

f0147840_127559.jpgブラックマンはミシシピーの生まれだそうで、それが歌詞のOle Miss.に反映されたのだということがわかります。しかし、ミシシピー的なのはそこだけで、サウンドは南部的ではありません。グルーヴにも南部的な臭味はなく、ハリウッドのドラマーを使ったといわれたら、やっぱりな、と思ってしまうほど、洗練されたスネアのサウンドになっています(ただし、アルバム全体を聴くと、このようなスネアが聴けるトラックはほかにはなく、タイムはまずまずだが、バランスのよくないドラマーであることがわかり、シングルでのプレイに感心して損した、と後悔する)。

なにか、もうすこし書くようなことがあると思ったのですが、ミシシピー生まれが歌詞に関係がある、これを書いておけば、それで十分なようです。それ以上の興味がある方は、ファン・サイトのバイオでもご覧になってみてください。

繰り返しになりますが、やはり野におけ、というヤツで、ラジオでシングルを聴いているときに感じた謎めいた印象は、アルバムを聴くときれいさっぱり消え失せ、厚さ1ミリのボール紙にすぎないことがわかって、じつにもって興醒めです。ときには、あれこれと聴かないほうがいいこともあるようです。いや、ときには、ではなく、たいていの場合は、でしょうかね。
by songsf4s | 2007-10-26 00:04 | Evil Moonの歌
Purple People Eater by Sheb Wooley
タイトル
Purple People Eater
アーティスト
Sheb Wooley
ライター
Sheb Wooley
収録アルバム
Dr. Demento Presents: Greatest Novelty CD of All Time!
リリース年
1958年
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50年代ヒット曲集にしばしば収められるだけでなく、ハロウィーンの季節にはアメリカ中で流れているはずのモンスターものの定番でもあり、またワン・ヒット・ワンダー・アンソロジーにもしばしばとられ、みなさんの棚やHDDやポータブルにも収まっているであろう、「季節性耳タコ曲」の登場であります。

◆ ひとつ眼だって? ◆◆
それではファースト・ヴァース。

Well I saw the thing comin' out of the sky
It had the one long horn, one big eye
I commenced to shakin' and I said "ooh-eee"
It looks like a purple eater to me

「その生物は空からやってきた、一本の長い角がはえ、大きなひとつ眼をしていた、俺は震えだし、「ウッヒャー」といった、そいつは紫人喰いのように見えた」

thingには「生き物」という意味があります。The Thingすなわち『遊星よりの物体X』(ハワード・ホークスのオリジナル)または『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンターのリメイク)というのは、「物体」のほうがタイトルとして響きがいいとは思いますが、要するに、辞書を引かない無精な映画会社、レコード会社の社員たちが、これまでに五万とまき散らしてきた誤訳のひとつです。

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モノクロからカラーへ 「物体」は進化し、パワーアップする

f0147840_130515.jpg大昔の通俗SFに出てくるモンスターは、みな目が大きく、bug-eyedすなわち「昆虫の目をした」という形容詞がつけられたそうです。ここでのひとつ眼はそんな連想かもしれませんし、あるいは、ギリシャ神話で、イアソンとアルゴ探検隊が遭遇するひとつ眼の巨人(名前失念)あたりが念頭にあったのかもしれません。

なぜ紫色なのか? たいした理由はないのでしょう。人間の肌にはありえない色ならなんでもよくて、紫がいちばん肌の色としては気色悪そうだから、といったていどのことじゃないでしょうか。

ファー・スト・コーラス。この曲では、すべてのヴァースのあとにコーラスがあります。

It was a one-eyed, one-horned, flyin' purple people eater
(One-eyed, one-horned, flyin' purple people eater)
A one-eyed, one-horned, flyin' purple people eater
Sure looks strange to me (One eye?)

「そいつはひとつ眼、一角、空飛ぶ紫人喰い、いやまったく奇妙な化け物さ(ひとつ眼だって?)」

パーレンのなかはバックコーラスの合いの手です。

◆ チップマンクス声のかるーいモンスター ◆◆
半音転調して、セカンド・ヴァースへ。

Well he came down to earth and he lit in a tree
I said Mr. Purple People Eater, don't eat me
I heard him say in a voice so gruff
I wouldn't eat you cuz you're so tough

「ヤツは地球にやってくると、とある木に降り立った、俺が「紫人喰いさん、俺を食べないでくれ」といったら、ヤツはひどいしわがれ声で『おまえなんか喰うものか、固くてお歯に合わない』といった」

f0147840_1454562.jpg紫人喰いのセリフのところは、テープの遅廻し(世間で「早廻し」といっているもののこと。じっさいにはスロウダウンして録音し、通常速度で再生する)による、異常にピッチの高い声でやっています。「チップマンクス風」です。といわれてわかった人はもうお若くない。

こんどは「一角だって?」というところだけがちがうコーラスをはさみ、また半音上げて、サード・ヴァースへ。

I said Mr. Purple People Eater, what's your line
He said it's eatin' purple people and it sure is fine
But that's not the reason that I came to land
I wanna get a job in a rock and roll band

「『じゃあ、あんたの好物はなんだい』ときいたら、紫人喰いがこたえるには『紫人だ、あれはすごくうまい、でも、俺がここにきたのはそれが目的じゃない、じつは、ロックンロール・バンドで働きたいとおもってな』ときたもんだ」

f0147840_140014.jpgファースト・ヴァースで、Purple People Eaterを「紫色の肌をした人喰いモンスター」と解釈したのはまちがいに見えるかもしれません。正しくは「紫人を喰うモンスター」なのではないか、と。でも、そういうことではないと思います。だれが聴いても、この表現では修飾関係は明白ではなく、モンスターが紫色なのだろうと思うのは自然なことです。それを逆手にとって、じつは「紫人」を食べるモンスターなのだ、とひっくり返したのがこのラインの意図でしょう。この「紫人」というのが、わけがわからなくて、笑えます。きっと広い宇宙のどこかに、やわらかくて美味な紫人がいるのでしょう。

今度のコーラスはいままでとかなりちがうので、無精せずにペーストします。

Well bless my soul, rock and roll, flyin' purple people eater
Pigeon-toed, undergrowed, flyin' purple people eater
(We wear short shorts)
Flyin' purple people eater
Sure looks strange to me

「まったくなんてこった、ロックンロール・クレイジーの空飛ぶ紫人喰いだとよ、内股で歩く、育ちそこないの空飛ぶ紫人喰い、まったくおかしなヤツだぜ」

バックコーラスの合いの手、We wear short shortsは、ご存知の方はご存知、ロイヤル・ティーンズのヒット曲Short Shortsの引用で、メロディーもそのまま使っています。名前は忘れましたが、週末の深夜にやっているタモリのテレビ番組のエンディング・テーマといえばおわかりでしょうか?

◆ モンスターのパフォーミング・キャリア ◆◆
フォースまできましたが、まだ終わりではありません。

And then he swung from the tree and he lit on the ground
He started to rock, really rockin' around
It was a crazy ditty with a swingin' tune
Sing a boop boop aboopa lopa lum bam boom

「そしてヤツは木からひらりと地面に飛び降りると、ノリノリでロックしはじめた、それは無茶苦茶におかしな歌詞のノリのいい曲で、『バッパラパラッパラッパルンバンブーン』てな調子さ」

つづくフォース・コーラスでは、Short Shortsの引用のところが、「I like short shorts」にかわり、歌い手も女性コーラスではなく、紫人喰いの声、すなわち、チップマンクス声になり、このモンスターも、ご多分にもれず好色であることが明らかになります。

f0147840_1501763.jpg昔のB級ホラーでは、モンスター(または宇宙人、またはミイラ、または半魚人、または狼男、またはドラキュラ、その他いろいろ)が美女を掠うことになっていましたが、お互い、種が違うのだから、リビドーが発動するとは思えないんですがねえ。キングコングだって変ですよ。まあ、異種であってもリビドーが発動してしまうところが、モンスターのモンスターたるゆえんなのかもしれませんが。

その点、ゴジラなんか、美女には目もくれず(まあ、あちらから見れば、人間は蟻なみのサイズだから、どちらにしろ見えないのかもしれませんが)、くそみそいっしょ、美女醜女老若おかまいなしに、一律に踏みつぶしていったのは、世界のモンスターの頂点に立つ王者の、孤高の魂の発露というべきでしょう。アナーキーというべきか、お役所仕事的融通のなさというべきか。

このコーラスの最後の合いの手は「紫人だって?」となっています。自分でボケておいて、自分で突っ込みを入れるという、ある意味では現代的な演出。

さてフィフス、これでようやくおしまいのヴァース。

And then he went on his way, and then what do ya know
I saw him last night on a TV show
He was blowing it out, a'really knockin'em dead
Playin' rock and roll music through the horn in his head

「で、ヤツはどこかへいっちまった、で、驚くなかれ、昨日の夜、ヤツがテレビに出ていたんだ、ものすごい勢いで吹きまくって、観衆は完全にノックアウト、例の頭の一角でロックンロールをやっていたのさ」

f0147840_212353.jpgそして、管楽器のソロに突入。うーん、この楽器はなんでしょうねえ、木管であることはたしかですが、クラリネットか、ソプラノ・サックスか、はたまたチャルメラ(ウソ)による、いずれにしても、その楽器本来のサウンドではない、かなりいじった音による(わかった! テープ遅廻し録音によるテナー・サックス・ソロ。クラリネット・ソロと書いていたサイト、あなたは楽器の音色の微妙な違いに対する知識とセンスがなく、スタジオのギミックに関する知識と想像力に欠けていますぞ)、really blowin' outするソロがアウトロになっています。そして、植木等の「や、ご苦労さん」のような、チップマンクス声の「テキーラ」のひと言でサゲ。

◆ 「ホンモノ」のスタッフたち ◆◆
この曲はほんとうに多くの編集盤に採られていますし、うちのHDDを検索しても、4種類あることがわかりますが、それも当然です。細部のつくりこみがきちんとしていて、腐らないから、いまでもよく聴かれているのでしょう。

ふつうのロック・バンドは、手を抜いても、それが味になったりすることがありますが、コミック・ソングは、手を抜いたら、ぜったいに成功しません。細部にいたるまで趣向を凝らし、なによりも、本気でパフォームすることが重要になります。

f0147840_21483.jpg出来のよいノヴェルティーやコミック・ソングというのは、かならずそのようにつくられているもので、この紫人喰いも例外ではありません。ドラムはアール・パーマーですし、となれば、ピッチをいじってもちゃんとブロウしているテナー・サックスのソロは、プラズ・“ピンク・パンサー”・ジョンソンである可能性が高くなります。

f0147840_221982.jpgウーリーの他の曲のレコーディング・パーソネルなのですが、レッド・カレンダーとプラズ・ジョンソンの名前があるのをウェブで見ました。50年代終わりのハリウッドのレギュラーたちですから、わからなかったら、この人たちの名前を当てずっぽうでいっておけば、五分五分の確率で正解になってしまうのですがね。ここにアール・パーマーですから、50年代から60年代はじめにかけて、多くのロックンロール・クラシックをレコーディングしたメンバーでやっているのです。

フランキー堺は、シティ・スリッカーズをはじめるにあたって、「コミックをやるには、どうしても腕のいいミュージシャンが必要だ」といって、レベルの高いバンドになるようにメンバーを集めたそうですが、わかっていた人なのだな、と思います。

もちろん、クレイジー・キャッツの諸作における、萩原哲晶の、これでもか、これでもかというディテールにこだわったアレンジ、植木等の小さな工夫を積み重ねたレンディションなども、当然、想起されるべきものです。

◆ その日、遅くなって…… ◆◆
いま、The Billboard Book of Number One Hitsという資料のあることを思いだして、ひととおり読んでみました。

シェブ・ウーリーの友人の子どもたちが学校で仕入れてきたナゾナゾがあるのだそうです。「ひとつ眼で、空を飛び、一角で、人間を食べるもの、なーんだ?」というもの。こたえは「ひとつ眼で一角の空飛ぶ人喰い」と、ナゾナゾになっていない、オフビートなジョークで、ウーリーはこれをもとに曲を書いたのだとか。したがって、彼が付け加えた「紫」にも、たいした意味があるわけではなく、このナゾナゾになっていないナゾナゾのジョークに、よりいっそうナンセンスな味をあたえるための飾りなのでしょう。

f0147840_25203.jpgシェブ・ウーリーのものは、わが家にはあと1曲、40年代のものがあるだけですが、このときはふつうのヒルビリーです。どんな分野にもノヴェルティー・チューンというのはあるし、カントリー系にはとくに多いので、すでにノベルティーを歌ったことはあったのでしょうが、レコーディングとしては、紫人喰いがはじめてだったのではないでしょうか。

この後、ポップ・チャートでの大ヒットはなく、典型的なワン・ヒット・ワンダーのようにいわれることもありますが、カントリー・チャートでは、ノヴェルティー・ソング専用の芸名、ベン・コルダー名義で、各種のパロディー・ソングのヒットがあるようです。残念ながら聴いたことがありません。Harper Valley P.T.A. (Later That Same Day)なんて曲は、タイトルからして、ちょっと聴いてみたくなります。「その日遅くなって……」という、テレビ・ドラマのシーン転換の常套句で、あの大ヒット曲をからかったのでしょう。

f0147840_27360.jpgついこのあいだ、(Ghost) Riders in the Skyで、「ローハイド」のことにふれたばかりですが、シェブ・ウーリーはあのドラマのピート役でした(といっても、もう記憶が飛んでいるかもしれませんが)。本編のフィルモグラフィーもなかなか印象的で、『真昼の決闘』『ジャイアンツ』などの有名作品が並んでいます。

あ、それから、The Billboard Book of Number One Hitsは、やはりアウトロは、テナー・サックスのピッチをいじったものだと、あっさり書いていました。

もうひとつ、書き忘れていたことがありました。ウェブでウーリーのことを調べると、むやみやたらと、「ウィルヘルムの叫び声」という記事にぶつかります。簡単にいうと、ハリウッドのさまざまな映画(ある人の計算では100本以上)に、同じ叫び声がつかわれていて、「ウィルヘルムの叫び声」と呼ばれているのだそうです。この叫び声をやったのが、じつはウーリーではないかといわれているのだとか。その叫び声だけをつなげた映像というのがYou Tubeにあります。

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『真昼の決闘』のシェブ・ウーリー(右手前)と、エースのジョーのようにはすに坐ったリー・ヴァン・クリーフ(中央)

by songsf4s | 2007-10-25 00:59 | Evil Moonの歌
Something Following Me by Procol Harum
タイトル
Something Following Me
アーティスト
Procol Harum
ライター
Gary Brooker, Keith Reid
収録アルバム
Procol Harum
リリース年
1967年
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プロコール・ハルムの「6番目のメンバー」キース・リードは、とくに初期は怪奇幻想の詩人といった印象で、彼自身はひと言もそんなつもりだったとはいっていない、A Whiter Shade of Paleにすら、わたしは英国ゴシック小説の伝統を読み取ってしまったりします(いや、ホレース・ウォルポールは『オトラント城奇譚』をやっとのことで読んだだけ、アン・ラドクリフにいたっては一冊も読み通せず、アイリッシュのブラム・ストーカーには退屈し、「多少とも読んだ」といえるのは、冒険小説的な側面が強いデニス・ウィートリーぐらいですが)。As the mirror told his tale「鏡が自分のストーリーを語った」といったラインに強くそれがあらわれているように感じます。

より直接的には、Salad Days (Are Here Again)、Cerdes (Outside The Gates Of)、そして、今回とりあげる、Something Following Meといったデビュー盤の諸作が、彼のゴシック趣味をあらわしています(歌詞はないのでキース・リードの詩は無関係だが、マシュー・フィッシャー作のインストゥルメンタル曲、Repent Walpurgis「悔い改めよ、ヴァルプルギス」のタイトル付けにも怪奇幻想趣味が感じられる)。

◆ 家と墓石の(音韻的な)隠された関係 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

While standing at the junction on 42nd Street
I idly kick a pebble lying near my feet
I hear a weird noise, take a look up and down
The cause of the commotion is right there on the ground
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt about it, it's my own tombstone

「42丁目の交叉点にたたずみ、そばにあった小石をなにげなく蹴ると、気味の悪い音が聞こえた、上を見たり、下を見たりしたが、原因はすぐそこの地面にあった、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのだが、それは見まちがいようもなく、わたし自身の墓石だったのだ」

なにも説明なしに出てきている42丁目は、たぶんニューヨークの42丁目でしょう。ご存知のように劇場街です。ここに舞台を設定したのはなにか意味があるのかどうか、それはわたしにはわかりません。

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子どものころ、わけがわからないままにキース・リードが大好きだったのですが、この詩は、彼の作にしてはわかりやすく、お気に入りの一曲でした。「家に置いてきたつもりだった」thought I'd left it at homeというラインがきいています。これがないと平板になっていたのではないでしょうか。わたしは、ここでギョッとしました。

あやふやな記憶で書きますが、三島由紀夫が柳田国男の『遠野物語』について、つぎのようなことをいっています。幽霊が土間を歩き、上がりがまちに置いてあった薪にふれると、それがクルクルとまわる、この瞬間に幽霊がリアリティーをもつ、云々。わたしには、thought I'd left it at homeは、「薪がくるくる廻る一瞬」に思えます。ここにこの語り手の恐怖または狂気が現出しています。

キース・リードはつねに凡庸ならざる韻を踏む人ですが、このヴァースのstreetとfeetもなかなかです。韻とはいえませんが、my tombstoneではなく、my own tombstoneとしてあるおかげで、オウンとストウンの音が響き合っています。

◆ パンと頭、苦痛と狂気、また家と墓石 ◆◆
セカンド・ヴァース。

I went into a shop, and bought a loaf of bread
I sank my teeth into it, thought I'd bust my head
I dashed to the dentist, said, 'I've got an awful pain!'
The man looks in my mouth and screams, 'This boy is insane!'
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's a lump in my mouth of my own tombstone

「とある店に行ってパンを買った、そのパンを噛んだ瞬間、わたしは自分の頭を割ってしまったのかと思った、あわてて歯医者に駆け込み、「ひどい痛みなんだ!」と訴えた、男はわたしの口を見て、「狂ってる!」と叫んだ、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、わたし自身の墓石のかけらが口の中にあったのだ」

怪談というより、悪夢のヴァースというべきでしょうか。歯と石が象徴するものについて考えるのは、わたしの手には負えません。キース・リードは、同じくデビュー盤に収録されたSalad Days (Are Here Again)でも、your teeth have lost their gleamというラインを書いています。

意味はどうであれ、このヴァースの押韻はすごいものだと思います。breadとheadも凡庸ではありませんが、painとsaneはうなります。そして、三つのヴァースすべてに登場するhomeとtombstoneはfalse rhyme「偽韻」でしょうが、音としてはちゃんと韻を踏んでいるように聞こえます。この組み合わせのすごいこと、ひょっとしたら天才かもしれません。

◆ 「椅子」の坐り心地 ◆◆
サードにしてラスト・ヴァースへ。

I went to see a movie, got the only empty seat
I tried to stretch out in it, something blocking my feet
Finally the lights came up, and I could clearly see
a slab of engraved marble, just staring up at me
Imagine my surprise, thought I'd left it at home
but there's no doubt I'm sitting on my own tombstone

「映画を見にいき、たったひとつ空いていた席に坐った、脚を伸ばそうとしたが、なにかが邪魔で、できなかった、映画が終わって明るくなると、はっきりと見えた、彫り物のある大理石の板がわたしを見上げていた、わたしの驚きを想像してほしい、家に置いてきたつもりでいたのに、うたがいもなく、わたしは自分自身の墓石の上に坐っていたのだ」

自分の墓石を蹴飛ばしたのも驚いたでしょうが、そうとは知らずにずっとそのうえに坐っていたのには、文字通り死ぬほど驚いたでしょう! 三つのヴァースのなかで、このサードがもっとも出来がよいと思います。じっさいに、キース・リードが見た悪夢にこの詩の種子があるのだとしたら、このヴァースがそうではないのか、という気がします。夢のなかの論理(というか超論理)では、墓石が椅子になり、椅子が墓石になったりするものです。

f0147840_23584133.jpg映画館も、キース・リードの詩ではだいじなモティーフのように思われます。やはり、子どものときに好きだったRamblin' on(セカンド・アルバムShine on Brightly収録)は、映画館から話がはじまります。

42丁目には映画館がたくさんあるようですが、話はファースト・ヴァースの42丁目から、そのままつながっているのかどうか。42丁目の映画館での奇妙な出来事が登場する『真夜中のカウボーイ』がヒットするのは、まだ未来のことです。念のため。

◆ デビュー盤幻想 ◆◆
プロコール・ハルムのデビュー盤(米盤にはA Whiter Shade of Paleが収録されたが、日本では英盤と同じく、この曲は収録されていない。ただし、英盤とは異なり、セカンド・シングルのHomburgが収録された。ジャケット・デザインも日本独自のもの。ポリドールはオリジナル盤のデザインを使わないことで当時悪名を馳せたが、この盤だけは日本ポリドールのデザインのほうがいい)は、録音がひどくて損をしていますが、楽曲は粒がそろっていました。

f0147840_014789.jpg問題は音質だけではありません。AWSPの爆発的なヒットの勢いがしぼまないうちにというので、リリースを急ぎ、アレンジやレコーディングにかける時間的余裕がなかったことも如実に感じます。ほとんどスタジオ・ライヴで、本来は構築的サウンドであるべきものがあっさりしすぎた仕上げになっていたり(しかし、逆にいうと、このバンドの本来のスタイル、前身であるR&Bカヴァー・バンド、パラマウンツという地が透けて見え、それはそれで面白い)、曲によって音の手ざわりを変えるべきなのに、ひと色のサウンドになっていたり、欠点の多いアルバムです。

しかし、それでもなお、このアルバムは、ヒット曲AWSP抜きでも十分に魅力に富んでいます。すぐれたアーティストのデビュー盤に共通する、どこへいくのか、なにになるのか、まだ方向がはっきりとは見えないまま、いまだ名づけえぬ強いエネルギーが、幕を距てた見えないところで噴出の準備をはじめているのが感じられるのです。

こういうことはイメージのなかにあるだけであり、現実に聞こえる音ではありません。ありえたかもしれない大傑作がイメージされるのです。したがって、現実の音はつねにそのイメージに劣るため、その後の佳作、秀作は、ついに幻の傑作デビュー盤をしのぐことはできない運命にあります。はっぴいえんどのデビュー盤も、そういう幻視を起こさせる「ありえたかもしれない傑作」のひとつでした。

◆ 録音とマスタリングの問題 ◆◆
わたしのプロコール・ハルムへの興味は、キース・リードの詩は別として、音楽的な面だけにかぎるなら、まずマシュー・フィッシャーであり、そしてバリー・J・ウィルソンに尽きます。

f0147840_0105318.jpgゲーリー・ブルッカーは凡庸な歌い手であり、どうということもないピアニストであり、初期にいい曲をいくつか書き、その後、まったくダメになった作曲家であり、ロビン・トロワーは、プロコール・ハルムというunusualなバンドに適応した点は評価できるけれど、基本的に頭の空っぽなギタリストにすぎず、ソロになってからは面白くもなんともないアルバムを量産しただけの、聴くべき、そして、語るべき音楽性などもたないプレイヤーとつねに思ってきました。

この曲ではマシュー・フィッシャーのプレゼンスはミニマルで、残りの4人しか活躍しません。BJのプレイは、もうすこし速い曲のほうが楽しめるのですが、これくらいのテンポのときに見せる、強引な16分を何度かやっていて、そのあたりはニヤリとします(ジョー・コッカーのWith a Little Help from My Friendsでも同様のプレイが聴ける)。

f0147840_0195463.jpgthere's a lump in my mouthのところの、スネアのロールからタムタム(口径が大きく、チューニングが低めで、キース・ムーンに近いサウンド)へというフィルインなど、いかにもBJらしいリックで、この人とハル・ブレインぐらいしか使わないだろうというフレーズです。

しかし、ちょっとミスもやっています。独創的かつ冒険的な「危ない」プレイを好む人で(そこが好きなのです)、「ミスもプレイのうち」ぐらいに思って聴かないといけないのですが、それでもデビュー盤はとりわけミスが目立ちます。時間の余裕がなかったことがうかがわれます。やっぱり、盤はていねいにつくったほうが、あとあと後悔しないですむのです。

間奏のゲーリー・ブルッカー(前半)とロビン・トロワー(後半)のプレイは、稚いのひと言。すでにマシューとBJがかなりのレベルのプレイをしているのとは対照的です。

f0147840_0232590.jpg近年のリマスター盤(リマスター、エクステンディッド、マルチ・ディスク・セットというのがブームですなあ。詐欺商法で集団訴訟にあって、軒並みつぶれないのが不思議。せめて、シングル・ディスクものの下取りぐらいすればいいのに)にはかならずしも歓迎できないものが見受けられるのですが、このアルバムの昔の盤はほんとうにひどい音だったので、LPや初期のCD(とくに国内盤は呆れたマスタリング)は燃やしてしまい、リマスター盤をお聴きになるようにおすすめします。ドラムのプレゼンスが改善されたトラックもあります。とりわけ、Pandora's Boxというアウトテイク集に収められたKaleidoscopeのステレオ・ミックスや、30th Anniversary Anthologyというセットのデビュー盤のマスタリングは、BJファンには福音といえるものです。
by songsf4s | 2007-10-23 23:49 | Evil Moonの歌
(Ghost) Riders in the Sky その2 by the Ventures
タイトル
(Ghost) Riders in the Sky
アーティスト
The Ventures,
ライター
Stan Jones
収録アルバム
Another Smash!!!
リリース年
1961年
他のヴァージョン
Vaughn Monroe, Bing Crosby, Peggy Lee, Burl Ives, Kay Starr, Dean Martin, Johnny Cash, Marty Robbins, Frankie Laine, the Ramrods, the Shadows, The Baja Marimba Band, Dick Dale
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まず、前回の「Ghost) Riders in the Sky その1 by Vaughn Monroe」の訂正から。ヴォーン・モンローは、ファースト・コーラスで、Ghost riders in the skyと歌っていると書きましたが、聴き直したら、モンローもGhost herds in the skyと歌っていました。謹んで訂正させてたいただきます。陳謝。

◆ 幽霊カウボーイを演じた幽霊バンド ◆◆
昨日はこの曲の歌ものを看板にしたたので、今日はインスト盤のどれかを看板に立てようと思ったのですが、ヒット・ヴァージョンであるラムロッズ盤には問題があって、ヴェンチャーズ盤で代用させていただきました。

f0147840_0172696.jpgどういう問題かというと、正体がよくわからないのです。なんたって、グーグルでthe ramrods riders in the skyのキーワードで検索をかけると、「うち」の昨日の記事が4番目にきてしまうというのだから、いかに取り上げているところがすくないかがわかります。「日本語のページ」じゃなくて、「Web全体」の検索で、ですよ。

いちおう、こんなページを見つけたので読んでみましたが、1956年にコネティカットで生まれたバンドだとかで、なるほど、ヴェンチャーズと同じね、と納得しました。そもそも、わたしは、ラムロッズがまがりなりにも実在していたとする記事があったこと自体に、ビックリ仰天してしまいました。てっきり「幻のバンド」、スタジオにしか存在しないグループだと思いこんでいたのです。

そんな、ちょこっと出てきて、すぐ消えた素人バンドのドラマーが、これほど安定したバックビートが叩けるなら、アール・パーマーもゲーリー・チェスターもハル・ブレインもジム・ゴードンもジム・ケルトナーもまったく不要で、彼らはみな仕事にあぶれ、歴史に名を残すこともなかったに決まっています。ラムロッズ盤(Ghost) Riders in the Skyはプロフェッショナルたちの仕事にちがいありません。

f0147840_0465830.jpgラムロッズがコネティカットに生まれようが生まれまいが、この(Ghost) Riders in the Skyを録音したメンバー、たぶんニューヨークのレギュラーたちの知ったことではないでしょう。わたしがプロデューサーで、今日の録音に呼べるドラマーは、レヴォン・ヘルムとジョン・グェランとラムロッズの陰のドラマーの3人しかいないといわれたら、迷わずラムロッズのドラマーを選びます。正確なグルーヴです。

ドラマーのみならず、他のメンバーも当然、素人ではないでしょう。サックスは明らかに一流のプロ、ドゥエイン・エディー風に低音弦でトゥワングするギターも、見せ場はありませんが、見せ場のない曲を無難に弾けることこそ、プロフェッショナルの証明です。

これで終わりと思ったところで、ライノのThe Histroy of Rock Instrumentalsにこのヴァージョンが収録されていることを思いだし、ライナーを読んでみました。コネティカットのラムロッズは、といっているだけで、あとは具体的にこのグループのことはなにもいっていません。ライノのライナーが無視するぐらいだから、実在のラムロッズがいかに吹けば飛ぶようなバンドだったかがしのばれちゃいます。

このライナーが指摘しているように、サウンド・イフェクトやカウボーイの叫び声のような演出は、インスト・グループにとっては重要な武器ですが、それよりも気になったのは終盤に出てくるApacheのメロディーです。

f0147840_029284.jpgシャドウズのApacheがイギリスでヒットしたのが1960年7月、ラムロッズの(Ghost) Riders in the Skyのチャートインは61年1月、つまり録音は60年晩秋ごろ、ヨルゲン・イングマンのApacheのアメリカでのチャートインも同じく61年1月。

となれば、ラムロッズ(のアレンジャーまたはプロデューサー)は、イングマン盤Apacheを聴いてから、(Ghost) Riders in the Skyを録音した可能性はきわめて低く、オリジナルのシャドウズ盤Apacheから引用したと考えるのが順当でしょう。アメリカのインスト盤制作関係者のあいだでは、シャドウズが評判になっていたのかもしれません。歌ものは、ビートルズが出るまでは、アメリカではイギリスの歌手など存在しないも同然でしたが、インストのほうは事情がちがっていたのかもしれません。翌62年には、トーネイドーズのTelstarがビルボード・チャートトッパーになります。

◆ どこにでもあらわれる「ゴースト」 ◆◆
ヴェンチャーズ盤は、ラムロッズ盤のヒットを受けたもので、つまりアルバム・トラックとしてカヴァーしたにすぎないでしょう。基本的にはラムロッズ盤を踏襲したアレンジですが、ビリー・ストレンジは、ラムロッズのようにドゥエイン・エディー風のトゥワンギン・ギター・スタイルは使わず、他のヴェンチャーズのトラックと同じようなトーンとスタイルで弾いています。ドラムはハル・ブレインでしょう。

f0147840_0332797.jpgディック・デイル盤は、もっとテンポが速く、ギターは当然、深いリヴァーブとトレモロをかけたデイルのスタイルです。キャピトルと契約してからは、彼のバンド、デル・トーンズはスタジオに入れてもらえなくなったので、当然、ドラムはハル・ブレインがプレイしています。暴れています。

バハ・マリンバ・バンドは、いってみれば、「ティファナ・ブラスの子ども」です。あの「グループ」(実体はスタジオ・プロジェクト)のサウンドを、マリンバに置き換えただけのものです。それだけの安易な企画ですが、いくつかシングル・ヒットがあり、アルバムもかなり出しているのだから、音楽商売は奇妙なものだといわざるをえません。

ハーブ・アルパートとTJBは、「ブラス」というぐらいで、オリー・ミッチェルをメインとするトランペッター陣(といってもTJBサウンドは、2本のトランペットによるデュオであることを特長としているのですが)が活躍しますが、BMBの場合は、ハリウッドのヴェテラン・パーカッショニスト/マレット・プレイヤーのジュリアス・ウェクターをリーダーとしたマレット・プレイヤーたちが中心となっています。あとはTJBと同じ、メンバーも同じです。

f0147840_0351311.jpgスタジオ・プロジェクトだから、技量さえあれば、だれがドラムをやってもいいのですが、TJBも、BMBも、ほとんどすべてがハル・ブレインで、このBMB盤(Ghost) Riders in the Skyもハルが叩いています。いつもよりちょっとチューニングが高く、何度か出てくるロールが派手に響くように工夫しています。毎度申し上げるように、ハル・ブレインという人は、「小さな工夫、大きな親切」の立派なプロフェッショナルなのです。

いやはや、毎度ながら、インスト盤を並べると、ハル・ブレインを並べたような状態になってしまい、大笑いです。どんな柳の下にもかならず立っている「ゴースト」の元締めであります。

f0147840_0371583.jpgこれで終わったかと思ったら、シャドウズが残っていました。わたしはシャドウズの大ファンである、と宣言をしたうえで申し上げますが、この70年代終わりのシャドウズはひどいものです。シャドウズがディスコやってどうするんだよ、であります。You Tubeにも、later yearsの耐えがたいシャドウズのライヴ映像があったりします。美しかった女優がおばあさん役をやるのは、生きるため、またはパフォーマーの業なのでしょうが、見せられるほうは世をはかなんでしまいます。そんな感じの映像です。シャドウズも、ヴェンチャーズ同様、60年代いっぱいで退場するべきバンドでした。

◆ ローリン、ローリン ◆◆
歌ものでは、フランキー・レイン盤が好きです。例によって、当面「必要な」曲をプレイヤーにドラッグしてあり、他のことをしているときもずっと流しているのですが、フランキー・レイン盤(Ghost) Riders in the Skyが出てくると、おや、これはだれだっけ、と作業の手が止まります。

f0147840_0391251.jpgフランキー・レインは「ローハイド」のテーマを歌った人です。したがって、わたしの世代の人間は、毎週、彼の歌を聴き、翌日、幼稚園や学校に行くときには「ローレン、ローレン」と彼の口真似をしていたわけで、いわば、子どものころに可愛がってくれた「近所のおじさん」みたいなものです。だから、久しぶりにこの人の声を聴くと、無条件に、いいなあ、と感じ入ってしまいます。しかし、ローハイドの出だしは、じつは「Rollin', rollin'」と歌っているということをあとで知りました。やっぱり「ローレン、ローレン」と聞こえると思うのですが。

レインの声には、とくに低音にいったときですが、独特の「嫌味のない太さ」とでもいうようなものがあって、これがこの人の最大の魅力になっていると感じます。なんだか、フランキー・レインの曲を集めて、まとめて聴いてみたくなりました。

tonieさんご推奨のマーティー・ロビンズ盤もけっこうな出来です。ロビンズもまた、美声なのに嫌味がなく、さまざまなタイプの曲を歌えるヴァーサティリティーをもっているので、スタンダード曲をやるのに向いています。ロビンズの盤には、たいてい、凄腕のギタリストがオブリガートをつけているのですが、この曲も例外ではなく、毎度ながら、すげえなあ、と思います。わが家にある2枚組ベストにはパーソネルが書いてあるのですが、目下、行方不明なので、後日、このギタリストの名前は補足させていただきます。

◆ その他のヴォーカル盤 ◆◆
そろそろ時間切れなので、あとは駆け足で。

ディーン・マーティンは、ラウンジっぽい、くつろいだ歌のほうがわたしの好み(ハンパじゃなく「好み」です)に合っていますが、映画での役柄(ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン主演、リッキー・ネルソンも「歌って撃つ」若き天才シンガー/ガン・ファイターをやった『リオ・ブラヴォー』など)の印象もあるのか、カントリー系の曲を歌うこともよくあります。これはこれで、悪くはありません。あの映画でのディノは、飲んだくれぶりがじつによかったなあ、と思います。シンガーとしても、ああいう「飲んべえの女ったらし」の自堕落さが味になった人だと思います。

ビング・クロスビー盤はヒットしているそうですが、うちにあるのは怪しい編集盤に収録された、ものすごくノイジーな、明らかにSP、それも状態のよくない盤から起こしたもので、よく聞こえません。わかるのは、背筋を伸ばした楷書の歌いぶりだということだけです。

f0147840_0432537.jpgバール・アイヴズは俳優としてのほうが名(と顔)を知られているでしょうが、歌もなかなか、というか、面白い声とキャラクターをもっています。オムニバスでもっているだけなのですが、ベスト盤ぐらいは聴いてみたくなりました。

ケイ・スター盤もペギー・リー盤も、出来は悪くないのですが、女性がこういう歌をうたうのは、どういうんだろうなあ、と思います。『アニーよ銃をとれ!』みたいな、ある種の倒錯美を狙ったものでしょうかね。男まさりの勇ましい女性像というのは、アメリカ大衆の好みなのかもしれません。

ケイ・スターは、そういう仮定に合致する、お転婆娘みたいな歌い方で、好きかどうかイエス、ノーで答えろ、といわれたら、答えに窮し、訊ねたヤツを殴り倒して逃げるしかないという感じです。

ペギー・リーも、真夜中のラウンジ、といった雰囲気の曲をやっているほうがいいんじゃないでしょうかね。当方の個人的な都合にすぎないのですが、女性アナウンサーの野球中継を聴いているようで、なんだかそわそわしてしまいます。電車のアナウンスは女性の声のほうがいいと思うのですが、やっぱり、野球中継と(Ghost) Riders in the Skyは男の声にかぎります。
by songsf4s | 2007-10-22 23:52 | Evil Moonの歌
(Ghost) Riders in the Sky その1 by Vaughn Monroe
タイトル
(Ghost) Riders in the Sky
アーティスト
Vaughn Monroe
ライター
Stan Jones
収録アルバム
Sentimental Journey: Pop Vocal Classics Vol.2 1947-50
リリース年
1949年
他のヴァージョン
Bing Crosby, Peggy Lee, Burl Ives, Kay Starr, Dean Martin, Johnny Cash, Marty Robbins, Frankie Laine, the Ramrods, the Ventures, the Shadows, Baja Marimba Band, Dick Dale
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多少は盤を集めると、だれでも、イヤでも集まってしまう曲というのがあります。この(Ghost) Riders in the Skyもその典型で、わが家のHDDを検索した結果を見て、うんざりしました。こんなにもっているとは知りませんでした!

だれか有名な人を看板に立ててもいいのですが、もっとも代表的なヴァージョンとされるヴォーン・モンロー盤にしました。このヴァージョンは1949年のチャート・トッパーだそうです。歌詞もヴォーン・モンロー盤に依拠することにします。

◆ 幽霊牛と幽霊カウボーイ ◆◆
それではファースト・ヴァース。ゴースト・ストーリーなので、そのつもりでお読みください。

An old cowpoke went riding out one dark and windy day
Upon a ridge he rested as he went along his way
When all at once a mighty herd of red-eyed cows he saw
A'plowin' through the ragged skies and up a cloudy draw

f0147840_0115916.jpg「ある風の強い曇った日に、老いたるカウボーイが馬に乗って出かけた、途中、とある尾根で休んでいると、突然、赤い眼をした牛の群があらわれ、雲が折り重なる空の谷間を耕すように走っていった」

ragged skiesはよくわかりません。ぼろぼろの、ぼさぼさの、という意味から、厚みのある雲が折り重なっているのだろうと考えました。「雲の渓谷」は、そのもくもくと折り重なる雲のあわいをいっているのでしょう。腰を据えて検討していられるほど短い歌詞ではないので、先を急ぎます。

Yi-pi-yi-ay, Yi-pi-yi-o
Ghost riders in the sky

というのが、コーラスとみなしていいようです。イーピアイエイ、イーピアイオーというのは、カウボーイが牛を追う時のかけ声でしょう。子どものころは、EPIA、EPIOに聞こえ、なにかの略称を繰り返しているのだと思っていました。

最初のコーラスだけは、Ghost herd in the sky、「空を行く幽霊牛の群」と歌っているヴァージョンもいくつかあります。さきに幽霊カウボーイを出すのは、演出上、ぐあいがわるいという考えなのでしょう。

Their brands were still on fire and their hooves were made of steel
Their horns wuz black and shiny and their hot breaths he could feel
A bolt of fear went through him as they thundered through the sky
For he saw the riders comin' hard and he heard their mournful cry

f0147840_0142263.jpg「焼き印はまだ燃えていて、ひづめは鉄、角は黒光りし、熱い息がすぐそばで感じられるほどだった、牛の群が雷のように空を駆け抜けると、恐怖が電撃のように彼を撃った、カウボーイたちが彼のほうに向かって疾駆し、彼らの苦悶に満ちた叫び声が聞こえたのだ」

たしかに、ridersはここではじめて登場させるほうが効果的かもしれません。ファースト・コーラスでridersを登場させてしまうと、目撃しているカウボーイの恐怖が伝わらないでしょう。

どんどんいきます。サード・ヴァース。

Their faces gaunt, their eyes were blurred, and shirts all soaked with sweat
They're ridin' hard to catch that herd but they ain't caught them yet
They've got to ride forever in that range up in the sky
On horses snortin' fire, as they ride on, hear their cry

f0147840_0164884.jpg「カウボーイたちの顔はやつれ、目はどんよりし、シャツは汗でびしょびしょだった、彼らは群を捕まえようと必死に駆けていたが、まだ捕まえられずにいる、あのカウボーイたちは、空のあの放牧地で、永遠に群を追いつづけなければならないのだ、火のように息を荒げ、悲鳴を上げる馬の背にまたがって」

フォースにしてラスト・ヴァース。

As the riders loped on by him, he heard one call his name
"If you want to save your soul from hell a' ridin' on our range"
"Then cowboy change your ways today or with us you will ride"
"A-tryin' to catch the Devil's herd across these endless skies."

「カウボーイたちが彼のそばを駆け抜けようとした時、ひとりが彼の名を呼んだ、『俺たちの地獄の放牧地で馬を駆るようなことになりたくないなら、今日はべつの道を行くことだな、さもないと、俺たちといっしょに、あの悪魔の牛の群を捕まえようと、この果てしない空を永遠に駆けつづけることになるぞ』」

◆ 幽霊船と幽霊猟師 ◆◆
いったい、なにをやらかしたために、この幽霊カウボーイたちがこんな無間地獄に落とされたのかわかりませんが、さながらシジフォスの神話か、さまよえるオランダ人というところです。じっさい、ソングライターの頭には、このどちらかがあったのかもしれません。

しかし、もっと直接的な近縁性があるのは、北欧伝説のWild Hunt、「幽霊猟師」なのだそうです。H.R. Ellis Davidsonという先生の講演をもとにしたという記事によると、これはスカンディナヴィアの北からスイスにおよぶ地域につたわる民話だそうで、面白そうなので、ちょっと読んでみます。民話のつねで、さまざまなヴァリエーションがあるようですが、大筋では以下のような話だそうです。

f0147840_0361343.jpg夜の森で、大きな吠え声と叫び声が聞こえ、馬に乗った黒い人影が、犬を連れて、宙をものすごい勢いで駆け抜け、そのうしろから奇妙な魔物の群がついていく、そして、騎手は頭がないことがあるのだそうです。行列のなかの野獣のひづめと眼からは火が噴き、馬と犬は二本脚または三本脚のこともあり、知っている新仏も列のなかに混じっていることが多いのだとか。

このすさまじい群は、たまたま遭遇した人間にとっては非常に危険ですが、ときには褒美を与える場合もあるのだそうです。賢明な旅人は、この行列に出会ったら、うつぶせになって道に伏せ、運がよければ、冷たい犬の脚に踏みつけられるだけで、無事に切り抜けることができますが、愚かな者は、宙にさらわれ、家から遠く離れた場所におろされるか、ときには命を失うことになります。

◆ またしてもオーディン、ウータン ◆◆
この記事では、「ユール・ログ」、クリスマスに暖炉に入れる大きな薪が出てくるので、地域によっては、これはクリスマスの物語なのかもしれません。ご存知のように、クリスマスもまた怪談や妖精物語の季節です。

f0147840_0382110.jpgいっぽうで、騎手の首がないというところで、スリーピー・ホロウの首なし騎手の物語も連想します。この伝説があの物語に流れ込んでいるのかもしれません。

北欧伝説ですから、これが神話にむすびついていることもあり、この騎手がオーディンだとか、ウータンだとかに措定されることもあるのだとか。またしても、ワーグナーの歌劇にたどり着いてしまいました。

ワーグナーなんかにジャンプしてしまっては、とうてい他のヴァージョンの検討などするどころの騒ぎではありません。クライマクスは目睫の間に迫っているので、延長戦などしたくないのですが、これだけたくさんヴァージョンがあっては、どうにもなりません。不本意ながら、音楽的な検討は明日以降に持ち越しとさせていただきます。
by songsf4s | 2007-10-21 23:51 | Evil Moonの歌
Bad Moon Rising by Creedence Clearwater Revival
タイトル
Bad Moon Rising
アーティスト
Creedence Clearwater Revival
ライター
John Fogerty
収録アルバム
Green River
リリース年
1969年
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日本人の感覚には合わないのですが、十月下旬は怪談の季節ということになっています。ご存知のように、音楽にもその系統のものが昔からあります。といっても、どちらかというと、コメディーのほうに傾斜してしまう傾向があるようで(恐怖と笑いが隣り合っていることは昔から多くの論者が語るところです)、サウンドトラックは別として、本気で怖がらせようとしている曲、ほんとうに怖い曲はありません。

また、つぎの満月はハンターズ・ムーン、狩猟月でもありますので、月のもうひとつの側面、凶相ないしは魔術的な面をうたったものも適当に織り込んで、これからクライマクスのジャック・オー・ランターンの日までを過ごそうと思います。そのイントロダクションとして、この曲は適切なのではないでしょうか。

◆ 時代の暗喩としての天象 ◆◆
では、どういうふうに悪い月なのかを見ていくことにします。ファースト・ヴァース。

I see the bad moon arising
I see trouble on the way
I see earthquakes and lightnin'
I see bad times today

「不吉な月が昇ろうとしている、悪いことが起こるだろう、地震が、雷が見える、嫌な時代が来るのがわかる」

f0147840_1152088.jpgなんでこんな歌詞の歌が大ヒットしたかといえば、背景にヴェトナム戦争があったからでしょう。とくに、リスナーの側は、それが誤解であれ、正解であれ、ホラー映画のテーマ・ソングと受け取ったからではなく、泥沼化するヴェトナム戦争と、アメリカ社会のドラスティックな変化に対する不安を言い当てたものとして、この曲を支持したにちがいありません。

以下はコーラス。

Don't go around tonight
Well its bound to take your life
There's a bad moon on the rise

「今夜は外に出ちゃダメだ、命を取られかねないぞ、不吉な月が昇ろうとしているんだから」

ここもスティーヴン・キングの『トウモロコシ畑の子供たち』みたいな情景を思い浮かべてもかまわないのですが、同時に「命を取られかねない」戦争のことをうたっていると読んでもかまわないわけです。

◆ 不可解な「目」 ◆◆

I hear hurricanes are blowing
I know the end is coming soon
I fear rivers overflowing
I hear the voice of rage and ruin

「ハリケーンのうなりが聞こえる、終末の時は遠くないだろう、河が溢れそうだ、怒りと破滅の声が聞こえてくる」

ここも解釈上の問題が起きるところではないでしょう。I fear rivers overflowingのラインにうなずいたアメリカ人は多かったのではないでしょうか。I hear the voice of rage and ruinというラインで、この曲が一種のプロテスト・ソングであることが宣言されています。

最後のヴァース。

Hope you got your things together
Hope you are quite prepared to die
Looks like we're in for nasty weather
One eye is taken for an eye

「荷物をまとめたほうがいい、死を覚悟しておくんだな、ひどい天気になりそうだ」というところまではいいとして、最後はよくわかりません。

take forの通常の意味は、「交換する」か「とってかわる」で、逐語訳としては、たとえば「ひとつの目を手に入れるためにひとつの目をとれらる」「ひとつの目にべつの目がとってかわる」などとなってしまい、目がまわります。「ハリケーンの目」ということなら、つぎつぎとハリケーンがくる、ということになるでしょうが、最後のラインでそんなことをいうように思えず、結論はありません。

そもそも、じっさいにジョン・フォガティーがそう歌っているかどうかもわかりません。聴き取れないので、あちこちの歌詞サイトを見てみましたが、どこもこのように聴き取っています。ただし、歌詞サイトというのは、まじめなところは稀で、たいていは広告などで稼ぐために、よその歌詞をいただいてきているだけなので、同じ間違いが増幅されている可能性もあります。

いずれにしても、この1行に全体の解釈がかかっているわけではないので、不明のままでもいっこうにかまわないでしょう。

◆ わずか1年でふたたびやってきた潮目 ◆◆
CCRはとくに好きなグループではありません。主として、ドラムが嫌いだったからですが、I Put a Spell on YouやSusie Qといった初期のヒットに見られるように、全体的に重苦しい雰囲気があって、それも好みませんでした。

f0147840_1195033.jpgそれはそれとして、いっぽうで、彼らがスムーズに市場に受け入れられたのも、当然だと当時から感じていました。CCRの最初のヒット、Susie Qがリリースされたのは1968年の夏、すなわち、Summer of Loveの1年後、まだサイケデリアの嵐が収まらなかった時期です。

どんなものであれ、なにか強い力が働けば、その反作用はかならずあるものです。あの時代にも、サイケデリアの複雑、高踏的な方向性に対する反動はすでに起きはじめていたのだと思います。

f0147840_1204013.jpg68年秋のトミー・ジェイムズ&ザ・ションデルズのCrimson and Cloverのような、子どもが聴いていても、サイケデリック・サウンドを表面的になぞっただけの、インチキな代物と感じるような曲が大ヒットするということは、サイケデリアは純粋な商品となり、消費し尽くされる道を歩みはじめたことを明白に示しています。モンキーズまでサイケデリック風の音作りをするようになっては、もううんざりだという気分が主流になっても、なんの不思議もありません。

f0147840_1214777.jpgなによりも時代感覚のするどさで頂点に立ったビートルズは、こういう状況をあらかじめ見越していたかのように、なんのギミックもない、ストレートなLady Madonnaを、すでに68年の春にリリースしています。つねにビートルズの動きを読んで、そのあとについていったストーンズも、68年初夏には、やはりギミックのないJumpin' Jack Flashをリリースしています。68年夏には、サイケデリアはすでに流行遅れになる兆しが見えていたことになります。

CCRは、そういう気分にうまく合致するサウンド、複雑、都会的、高踏的というサイケデリアとは対極にある、シンプル&ストレートフォーワードで土臭いサウンドによって、この気分に乗って登場し、それを増幅することによってアメリカのリーディング・ロック・グループへと成長していったのでしょう。

◆ グルーヴの問題ふたたび ◆◆
子どものわたしも、世の中ではそういうシンプルな音への傾斜がはじまっていることは感じていましたし、それはそれで歓迎できると思っていました。さらにいえば、そういう潮流の新しい旗手がCCRだとも感じていました。たんに、ドラムが嫌いだっただけです。

f0147840_1233353.jpg坊主が憎くても袈裟まで憎いなどということはありませんが、ドラムが憎ければ、バンドおよびそのアーティストの音楽まで憎いのはよくあることで、CCRも当時はまったく買いませんでした。同じころ、ある意味でCCRと同じポジションについたザ・バンドも、デビュー盤を長いあいだ借りて、それなりにつきあってみましたが、まえにドライヴするどころか、うしろにドラッグするようなドラムのノリにめげただけで終わりました。

初期CCRのうっとうしいグルーヴのなかでは異質に感じたのが、このBad Moon Risingです。歌詞の内容とはまったく裏腹に(いや、つくる側の意図としては、歌詞が鬱陶しいからこそ)曲とサウンドのほうはシンプルかつ軽快で、Susie QやI Put a Spell on Youの印象とはかけ離れたものでした。

改めて彼らのアルバムを聴き直すと、シャレにならないほどひどいドラミングの曲があり、子どものわたしは正しかったと思います。しかし、ちゃんとリズムをキープしている曲もあって、警戒警報が点滅します。たんに、フロスティーのように、手の動きが悪く、パラディドルが苦手なだけで、バックビートに関しては安定している人なのかもしれません。しかし、楽曲によって、スタジオ・プレイヤーがストゥールに坐った可能性も否定できません。材料がないので、結論は棚上げにしますが。

f0147840_1244376.jpgこの曲で、印象はすこし好転したのですが、このバンドの存在そのものを肯定するところまではいきませんでした。はじめて「これはいい」と感じたのは、69年のWilly and the Poor Boysです。Down on the Cornerなどは、非常にいいグルーヴだと感じました(やっぱり、どこか変です。ふつう、そんなに極端に、同じドラマーがいいグルーヴと悪いグルーヴをいったりきたりすることはありえません)。

これで安定していいアルバムを出してくれれば、わたしはファンになったでしょうが、あとのアルバムはあまり話題にもならず、わたしの周囲の人間はみな関心をよそへと移してしまい(要するに、以後は出来のいい盤がなかったということでしょう。子どもは正直なので、一度落ちたとみなしたバンドを買いつづけたりしませんから)、ついにCCRとはあまり縁がなく終わりました。

f0147840_1354485.jpgラジオで聴いていた印象でいえば、ジョン・フォガティーがはじめからもっていた、パセティックな一面が強く出た曲、同時に、矛盾しているようですが、「抜け」のよい、明るいヴォーカルが聴けるもの、Who'll Stop the Rain、Have You Ever Seen the Rain、そして、目下の対象であるBad Moon Risingなどは、ちょっと食指が動きましたし、いま聴いても、この系統はやはりいいと感じます。

CCRというグループ、ジョン・フォガティーというソングライター/シンガーは、混沌の時代に、シンプルにイエス、ノーをいうことで受け入れられたのではないかという気がします。子どものわたしは、彼らの音楽の向こう側にある、「時代精神の方向性」を明確に読み取ることができず、ドラムがひどい(トラックもある)という表面的なことに惑わされたことになるようです。

でも、音楽ですから、ドラムのいい曲はいい、ドラムのひどい曲はダメ、というシンプルな判断基準をもつ子どもがまちがっていたとも思えませんし、なんの反省もなく、そのまま年を取ったいまのわたしもまちがっているとも思えません。ロックンロールはグルーヴの音楽なのですから。

今月も残り少なく、満月はもうすぐです。出番を待つ狼男が、舞台の袖まできているので、急がないとなあ、と反省した月齢九日の夜でした。
by songsf4s | 2007-10-21 00:45 | Evil Moonの歌