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カテゴリ:嵐の歌( 17 )
Full Force Gale by Van Morrison
タイトル
Full Force Gale
アーティスト
Van Morrison
ライター
Van Morrison
収録アルバム
Into the Music
リリース年
1979年
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気象用語の基準というのは、どうやら各国まちまちのようで、昔、日米の風力の表現を比較検討したことがありますが、まったく異なった考え方を前提としていることがわかりました。

科学の世界で計測基準が共通化されていないのは、ちょっとめずらしいことではないかと思うのですが、それだけ気象というものが人間の生活に密着していることをあらわしているのでしょう。

Galeという言葉を辞書で引くと、「1 疾風、大風;【海・気】 強風 《時速 32-63 マイル; ⇒→BEAUFORT SCALE》;《古・詩》 微風 a ~ of wind 一陣の強風」などと書いてあります。

この曲のタイトルはFull Force Galeなのですから、「No.7 moderate gale or near gale(強風)、No.8 fresh gale or gale(疾強風)、No.9 strong gale(大強風)、No.10 whole gale or storm(全強風)」と4段階に分かれているgaleのなかでも、最大の「全強風」と解釈するべきでしょう。日本式にいうと、全強風は毎秒24.5から28.4メートルで、小さな台風なみの風速です。この上にはもう「暴風」と「台風」しかありません。

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考えてみると、ゲイル・ストームというシンガーは、とんでもない芸名をつけたものです。「嵐強風子」ですからね!

◆ 強風に乗った速い展開 ◆◆
それではファースト・ヴァース。

Like a full force gale
I was lifted up again
I was lifted up again by the Lord

「とてつもない強風のように、わたしはふたたび宙にもちあげっれた、ふたたび主にもちあげられたのだ」

とりあえず、ここは検討せずに、つぎのヴァースへ。

And no matter where I roam
I will find my way back home
I will always return to the Lord

「どこを漂泊していようと、家に帰る道は見つかるだろう、わたしはつねに主のもとに帰るだろう」

サード・ヴァース。

In the gentle evening breeze
By the whispering shady trees
I will find my sanctuary in the Lord

「おだやかな夜のそよ風のなかで、よく茂ったさわさわと騒ぐ木のそばで、わたしは主のなかに聖域を見つけるだろう」

Sanctuaryは、「聖域」より「避難場所」とみなしたほうがいいかもしれません。

ブリッジ。

I was heading for a fall
Then I looked up and saw
The writing on the wall

「わたしは真っ逆さまに墜ちようとしていた、そのとき、顔を上げると、壁の落書きが目に入ったのだった」

以上ですべてで、あとは、これまでに出たヴァースまたはブリッジを繰り返すだけです。

◆ 私生活とサウンド ◆◆
なにか、覚るところがあったのでしょう。そうとしか思えない歌詞です。宗教色の強いアルバムではないのですが、サウンドとしては、全体に「復活」を感じるものになっています。もう、ヴァンとの付き合いをやめようかと思っていたところに、この秀作が出たので、ひときわ印象に残りました。

f0147840_23511283.jpg他人の私生活などどうでもいいようなものですが、ヴァンはTupelo Honeyのスリーヴにいっしょに写っていた夫人だか恋人だかと別れ、しばらくひどい状態だったということをなにかで読んだ記憶があります。それが、1974年の力強いライヴ・アルバムIt's Too Late to Stop Nowから、77年のA Period of Transitionのあいだに起きたことなのでしょう。あんなにいい状態だったシンガーが、そう簡単に落ちるはずがありません。私生活上のトラブルが意欲を殺したというのなら、納得がいきます。

74年のVeedon Fleeceから3年をあけて(74年までは年1、2作のリリースがあったのだから、この空白は長い)リリースされたA Period of Transitionは、まだ陰鬱な空気におおわれ、「リハビリ中」の印象を受けますが、78年のWavelengthになると、復調の気配が強くなりました。

f0147840_2355562.jpg前作のオリー・ブラウンというドラマーがかなりタイムが遅く、躍動感のないタイプだったのに対し、こちらのアルバムのピーター・ヴァンフックはノーマルなタイムだったのも、アルバム全体の印象を左右していると感じます。極端にタイムが遅いドラマーだと、どうしても暗いグルーヴ、乗れないビートになってしまいます。ザ・バンドが典型です。

そして、その翌年にリリースされたのが、このFull Force Galeを収録したInto the Musicです。タイトルからして積極性が感じられますが、中身はまさしく完全復調、力強い秀作です。

◆ 明るい復活 ◆◆
f0147840_23563669.jpg70年代前半のヴァン・モリソンは、かなりいいバンドとツアーおよびレコーディングをしていて、どのアルバムも腹が立つようなことはないのですが、ツアー・バンドに義理立てしすぎたきらいはあります。ツアー・バンドとスタジオ・バンドは別物で、本来は、スタジオ・レコーディングにツアー・バンドを使うのはいいことではありません。レベルがちがうからです。

70年代中期以降は、おそらくツアー・バンドの維持をやめ、WavelengthやInto the Musicの録音は、ワン・ショットのプレイヤーが多いのではないかと想像します。ヴァンの気分が持ち直したことのみならず、バンドが充実したことも、この2作の高揚感に寄与していると感じます。もちろん、タイムのよいドラマーへの交代というのが、内なる高揚感をサウンドとして表現できた最大の理由でしょう。

全盛期をすぎてから、Into the Musicのような秀作が生まれたのは、ほとんど奇蹟的と感じます。アルバム・オープナーのタイトルが、Bright Side of the Roadで、中身もタイトルどおり軽快ですが、そのつぎがこのアップテンポのFull Force Galeで、歌詞はどうであれ、サウンドは素晴らしいと感じました。ライ・クーダーのアコースティックによる間奏も、勝負を急ぐ必要があるせいか、彼自身の盤のときより、ずっと中身の濃い、緊張感のあるプレイになっています。

f0147840_021680.jpgヴァンはテンションのついた変なコードは使わず、メイジャー、セヴンス、マイナー、メイジャー・セヴンスといったあたりまえのコードを組み合わせて使うタイプのシンプルなソングライターです。なかでもInto the Musicは循環コードばかり、わるくいえばクリシェだらけなのですが、ヴァンの前向きな気分のおかげで、それがいいほうに作用して、このアルバムが明るいものになったと感じます。じっさい、こんなに明るいヴァン・モリソンは、これ以前にも、これ以後にも見られません。

◆ 「お経」もまた楽しからず哉 ◆◆
ヴァンの盤にはかならずお経のような、長ったらしくて鬱陶しい曲があるのですが、Into the Musicでは、それもあまり気になりません。And the Healing Has BegunとIt's All in the Game/You Know What They're Writing About(タイトルも寿下無のように長い!)の2曲が「お経」トラックですが、I-IV-Vタイプのコード進行(And the Healing Has Begun)と、ドラマーのグルーヴのおかげで、かつてのListen to the Lionみたいに、死ぬ目に遭うようなことはありません。なんとなく終わってくれます。

「お経」(まあ、一般にはfillerにあたるものといっていいでしょう)ですら、けっこう聴けるのだから、ほかのまともな曲はちょっとした出来で、ヴァンの全作品のなかで唯一、全曲を何度も繰り返し聴きました。It's Too Late to Stop Nowと並んで、グルーヴがよく、好きなアルバムです。

MoondanceやTupelo Honeyのアクの強さに跳ね返されたリスナーは、より一般性のある、このInto the Musicからお入りになるのがよいでしょう。
by songsf4s | 2007-10-10 23:56 | 嵐の歌
Windy by the Association
タイトル
Windy
アーティスト
The Association
ライター
Ruthann Friedman
収録アルバム
Insight Out
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Baja Marimba Band, the Ventures
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クラシックス・フォーのStormy同様、疾風怒濤の時代に横目でチラッと見ただけで通りすぎたバンドの登場です。

クラシックス・フォーにはちょっと気が動いただけですが、アソシエイションは、バンドとしてはあまり興味がわかなかったものの、一点だけ、すごく気になるところがあって、かなり食指が動きました。その点については後述します。

この曲を嵐の特集に繰り入れるのは、こじつけもいいところで、理由といっても、歌詞のなかにstormyという単語が登場するにすぎません。でも、そんなことはどうでもいいのです。わたしが口を開けばかならず出てくる曲なので、いずれ、なにか口実をつけて扱うつもりでした。

◆ ゴミ箱行きの意味不明歌詞 ◆◆
ファースト・ヴァース。

Who's peekin' out from under a stairway
Calling a name that's lighter than air
Who's bending down to give me a rainbow
Everyone knows it's Windy

f0147840_2347723.jpgサウンドしか聴いていないようなものなので、改めて歌詞を見ると、なんの話なのか、さっぱりわかりません。そもそも、はじめて聴いたとき以来、歌詞などまったく気にしたことがないので、テキトーにやっつけます。

「階段の下から外を覗き、空気より軽い名前をを呼んでいるのは誰だろう? わたしに虹をくれようとしてひざまずいているの誰だろう? それはウィンディーだと誰もが知っている」

くだらねえなあ、のひと言です。文字を追いかけることはできますが、意味を取ることはできません。意味不明の箇所には拘泥せず、どんどんいきます。セカンド・ヴァース。

Who's tripping down the streets of the city
Smilin' at everybody she sees
Who's reachin' out to capture a moment
Everyone knows it's Windy

「会う人みなに微笑みながら町の通りをスキップしていくのは誰だろう? 手を伸ばして瞬間を掴まえようとしているのは誰だろう? それはウィンディーだと誰もが知っている」

ファースト同様、これもゴミ箱直行ヴァースのように思いますが、こちらのほうが少しマシに感じます。といっても、たんに、ファーストよりは溌剌とした少女の面影のようなものが漂ってくるような気がしないでもない、といった程度のことにすぎません。

コーラス。

And Windy has stor-my eyes
That flash at the sound of lies
And Windy has wings to fly
Above the clouds
Above the clouds

「ウィンディーは嵐のような眼をしている、それは偽りを見ると光る、ウィンディーは空飛ぶ翼をもっている、雲の高みへと昇る翼を」

ここも、ヴァース同様くだらない代物ですが、And Windy has stormy eyesというセンテンスだけは、われわれロッキン中学生のお気に入りでした。ここだけは、いまでもいいと思いますし、これがあったから、かろうじて歌詞として通用したのだと思います。

歌詞についてはこんなもので十分でしょう。愚作です。

◆ ありえないうまさ ◆◆
しかし、歌詞のくだらなさとは対照的に、サウンドはいまでも素晴らしいと思います。中学のとき、この曲のどこが気になったかというと、ドラマーがありえないほどうまかったことです。おかしな表現かもしれませんが、まさにそういう印象でした。

アソシエイションというバンドのことを、わたしは「軟弱なコーラス・グループ」とみなし、ロック・バンドとは思っていなかったという前提があります。といっても、Cherishだけの印象なのですが、のちにNever My Loveを聴いて、この印象はさらに強くなります(よけいなことですが、この曲の「かなわぬ恋」という邦題は、ポップ史上三本指に入る大誤訳または意図的大曲解、とんでもないインチキです。Never, My Loveと、本来は入れるべきカンマが略されているのでわからなくなっていますが、「そんなことはけっして起こらないさ、わたしの愛する人よ」といっているのです。「かなわぬ」悲恋どころか、とうの昔に完璧にかなっちゃっている恋なんです)。

そんな軟弱な連中なのに、ドラマーだけはメチャクチャにうまい、というのが、この曲を聴いたときの驚きでした。こんなすごいドラマーは、あらゆるロック・バンドを見渡してもそうはいないわけで、そんな驚異のプレイヤーが、なんだって、アソシエイションのように、ドラマーなんか必要としないような軟弱コーラス・グループにいるのか、そこがまったく理解できなかったのです。ありえないこと、あってはいけないことだったのです。

アソシエイションが分解したら、このドラマーはもっといいバンド、ドラマーの技術が生きるグループに移って大活躍することになる、というのが、わたしの予想でした。これはみごとな大ハズレ、同時にみごとに大当たりでした。

◆ オクトプラス・モンスター・セット ◆◆
もちろん、この曲のドラマーがハル・ブレインだったことはいまではわかっています。「もっといいバンドにいって」というわたしの予想はハズレでしたが、「大活躍する」というほうの予想は当たりだったことになります。ドラマーを見る目はまちがっていなかったけれど、音楽業界とはどういうところなのか、ということは、まったく理解していなかったわけです。

ハル・ブレインのボックス・セットをつくるなら、プレイからいっても、チャート・アクションからいっても、彼のサウンドおよびプレイ・スタイルの変遷からいっても、この曲はぜったいに外せないでしょう。

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ハル・ブレインは、60年代終わりから、近年では「オクトプラス」という名前で知られるようになった、8個のコンサート・タムがラックに並ぶモンスター・セットを使うようになります。特許を取っておけばよかった、とハルが後悔するほど、この種のモンスター・セットはのちに猖獗を極めますが、この時代には、2タムか、多くても3タムのカスタム・セットしか知られていませんでした。

脇道ですが、キャロル・ケイがオクトプラス・セットをはじめて見たときのことを書いています。あんまり馬鹿馬鹿しいので、「それでメロディーでも叩いたら」とからかったら、ハルが即座に叩いてみせたのでひっくり返った、といっています。

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ただのタムではなく、コンサート・タム、つまり、ちゃんと音階にチューニングするようになっているということで、ドレミファソラシドの8音だから、8個なのです。ということはつまり、メイジャー・スケールの曲ならメロディーを叩けるということです。そんなことをやった事実は、盤のうえからは確認できませんが、プロデューサーに求められれば、ハルは即座にやってみせたでしょう。

f0147840_03670.jpgハル・ブレイン回想記の共著者である、デイヴィッド・ゴーギンというライターが怠慢なために、このオクトプラス・セットがいつ導入されたか明確な日付または楽曲は明らかではありません。わたしは、69年導入と考えています。

f0147840_0632.jpgリリース時期から考えて69年録音と推測できるカーペンターズのTicket to Rideで、すでにピッチの異なる数多くのタムが鳴っています。70年のニール・ダイアモンドのSoolaimonおよびCracklin' Rosieでは、明らかにオクトプラスによるプレイを聴くことができます。

f0147840_011467.jpgしかし、これ以前にすでにピッチの高いタムの音がしているトラックがあります。なにかのインタヴューだったか、ハルは、初期のラック・タム・セットは、ティンバレスをラックに載せたものだったといっています。それで思いだしたのが、Windyのフィルインに使われている、ピッチの高いタムまたはティンバレスらしき音です。

68年から69年前半にかけては、オクトプラスによるプレイと断定できる曲は見つけられないので(いや、数が多いので、見落とした可能性も高いのですが)、67年のWindyの録音時にすでにオクトプラスがあったとは思いませんが、タムのかわりにティンバレスを使ったということは推測できます。だとするなら、これがオクトプラス開発の出発点になったのではないかと考えたくなります。そういう意味でも、Windyはわたしにとっては重要な曲なのです。

◆ ハル・ブレインのプロフェッショナル魂 ◆◆
何度か書きましたが、ハル・ブレインは派手なフィルインで有名なものの、じつは、細かいプレイ、ささやかな工夫にも特長があるプレイヤーです。Windyでは、間奏の入り口での、スネアによるあざやかな高速ストレート・シクスティーンス(16分のパラディドル)に耳を引っぱられがちですが、注意しないと聞こえてこない、キックの細かな使い方にも彼らしさがあらわれています。

f0147840_0231218.jpgフィル・スペクターの諸作のフェイドアウトや、ママズ&パパズのCalifornia Dreamin'などが典型ですが、ハル・ブレインは、しばしばキックに極端なアクセントをつけます。リズム・パターンを変えるだけでなく、クワイアット・パートとラウド・パートでは、キックの踏み込み方がまったく異なるのです。

この曲の終わりのほうは、「Who's skippin' down the streets of the city, smiling at everybody she sees, who's reachin' out to capture a moment, everyone knows it's Windy」をイヤになるほど繰り返し、フェイドアウトするという構成ですが、この繰り返しのあいだ、ハルはしだいにキックの音数を増やしていき、踏み込み方も強くしていくことで、この馬鹿馬鹿しい繰り返しが単調に堕すのを救っています。

わたしがハル・ブレインというドラマーに最敬礼したくなるのは、こういうプレイを聴いたときです。つねに、そのトラックをよりよいものにしようと工夫を怠らず、最善を尽くした立派なプロフェッショナルでした。あれほどのプロ根性をもったプレイヤーはほかにはいないでしょう。

◆ サウンドの「肉体美」 ◆◆
ジム・ケルトナーが、なんとかハルのベース・ドラム・サウンドを盗もうと、チューニングなどに工夫してみたが、あの音は真似できなかったといっています。ということはつまり、脚力の差なのでしょう。

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瞬発力とパワーで他のドラマーにまさっていたから、ハル・ブレインはあのような美しいキック・ドラム・サウンドがつくれたにちがいありません。打者でいえば、抜群のスウィング・スピードでボールをスタンドまで運ぶタイプです。

体力の問題に行き着いてしまうのではアンチクライマクスかもしれませんが、音楽とは、つまるところ、すぐれて肉体的なものなのだと思います。うまいドラマーは掃いて捨てるほどいますが、ハルのように美しいサウンドをつくったドラマーはほかにはいません。だから、わたしはまだハル・ブレインのプレイを聴きつづけているのです。
by songsf4s | 2007-10-09 23:42 | 嵐の歌
Hurricane by Joe Maphis
タイトル
Hurricane
アーティスト
Joe Maphis
ライター
Larry Collins
収録アルバム
Flying Fingers
リリース年
未詳(late 50's?)
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◆ 噂にたがわぬ速度 ◆◆
本日は時間がとれず、休みにしようかと思ったのですが、かわりに、タイトルだけでこじつけて、インストゥルメンタル曲をご紹介します。

ジョー・メイフィスはカントリー・ピッカーで、この人のことを知ったのは、ビリー・ストレンジを通じてのことです。彼が何度かメイフィスについて言及しているのです。ひとつは、最初のモズライト・プレイヤーという意味で、もうひとつは、彼に大きな影響をあたえたプレイヤーとして、です。

f0147840_2331884.jpgモズライトのプレイヤーで、しかもビリー・ストレンジが賞賛しているとあっては、一度、聴いてみたいと思ったのですが、メイフィスのクレジットのある盤は、わが家には、ビリー・ストレンジと「バンジョー・プレイヤーとして」共演した盤、それに、どこにいるのかわからないけれど、とにかくどこかで弾いていると書いてあるリック・ネルソンのベスト盤だけで、彼のギター・プレイをちゃんと聴くことができませんでした。

つい先日、ようやくメイフィスの編集盤を手に入れたのですが、一聴して、ひっくり返りました。ビリー・ストレンジが、メイフィスはうまいと賞賛しているし、カントリー・ピッカーなのだから、速さで勝負の人なのだろうと予想はしていましたが、予想を上まわる速さでした。Flying Fingersというアルバム・タイトルそのままの、天翔るスピードです。

ざっと検索したかぎりでは、試聴できるところがかなりあるようなので、カントリーだから好きずきがあるでしょうが、ギターの歴史にご興味がおありの方は、頭の30秒でいいので、ぜひお聴きになってみてください。当今のフニャ弦ウソ速度とはちがう、ちゃんとピッキングしたホンモノの速さを聴くことができます。楽曲としては、Flying Fingerがおすすめです。頭の30秒だけでもうまさがわかります。

いや、こういう場合はやはりYou Tubeでしょうか。Hurricaneの作曲者ラリー・コリンズと共演したFlying Fingersをはじめ、多くのテレビ・ライヴがあります。コリンズもやはりワンダー・キッドですねえ。

◆ 速度へのこだわり ◆◆
しかし、カントリーの世界というのは、なぜ速さにこだわるのか、昔からその起源がわからず、不思議に思っています。子どものころ、テレビでカントリーのコンテストというものをチラッと見たのですが、出てくる人、出てくる人、ギターだろうが、フィドルだろうが、バンジョーだろうが、楽器に関わりなく、外の世界に出しても、速さでは負けないという人ばかりで、唖然としました。

キャロル・ケイは、カントリー・ピッカーではなく、ビーバッパーですが、チョッパーなんてまだるっこしい、あんなのでは速く弾けない、わたしは速さではだれにも負けたことはない、といっていました。たしかに、教則ヴィデオを見ていると、ベースでもむちゃくちゃ速いなあ、と思います。セッション・ワークで速さを要求されるケースはまずないのですが、あの正確なグルーヴは、この速度に裏打ちされているのだな、と思いました。

f0147840_2332430.jpgそのCKさんが、スタジオで、しばしばグレン・キャンベルとギターの速弾き競争をやっていたのだそうです。グレンに確認したわけではありませんが、彼女は、一度も負けなかった、わたしの全勝だったと主張しています。

後年、グレンがスターになって、テレビでレギュラー番組をもったとき、ある回で彼女がゲストとして呼ばれ、いつもスタジオでやっていたこの競争を、番組上で再現することになったのだそうです。野球なんかでもそういうことが起きますが、このとき、いつもとは違う環境のせいか、彼女はミス・トーンをやって、グレンに負けてしまったのだそうです。たった一度だけ負けたのが、人気番組でのことだったのが悔しかったらしく、彼女はしきりに残念がっていました。

なんでしょうねえ、この速さへのこだわりは? いや、わたしにもよくわからないのです。ひとつだけ思いつくのは、なにかの楽器をはじめたとき、なにを目指すかということです。多くの場合、正確かつ高速にその楽器をプレイできるようになることを目標とするのではないでしょうか。「表現」などというのは、大人のいうことであって、子どもはまず正確性と速度によって楽器の習得度合いを見るはずです。

◆ ユートピアとしての速度 ◆◆
「子ども」ということにポイントがあるのかもしれません。子どものころから反吐が出るほど楽器を弾きつづけてきたいい大人が、テレビカメラの前にまで出て、どっちが速いか今度こそ決着をつけよう、などと「決闘」するのは、子どものユートピアの再現なのではないでしょうか。

f0147840_23332586.jpg大人は、ときに子どもに返ることを強く欲します。複雑性に支配される前の、すべては二値論理で構成された単純きわまりない世界への回帰です。われわれがスポーツに熱狂したりするのは、そういうことなのだろうと思います。

音楽の世界はきわめて複雑です。速いだけでは、プロとしてどこかに行き着けるわけではありません。エディー・コクランは、その最大のヒット曲Summertime Bluesでは、速弾きを封印したどころか、ギター・ソロすらやらず、コードしか弾きませんでした。速いだけでは、「音楽は曲芸でもなければトラック・レースでもない」といわれてしまうのです。いや、わたし自身、いつもそういうことをいっています。

でも、ジョー・メイフィスを聴いていて、この気持ちよさはなんだろうと、考えこんでしまいました。とりあえず思いついたのは、われわれはみな、子どものとき、メイフィスのようになることを目指したものであり、その記憶を刺激されるのだ、ということぐらいでした。
by songsf4s | 2007-10-05 19:58 | 嵐の歌
Stormy by Classics IV
タイトル
Stormy
アーティスト
Classics IV
ライター
Perry "Buddy" C. Buie, James R. Cobb
収録アルバム
The Very Best of Classics IV
リリース年
1968年
他のヴァージョン
Bobbie Gentry, the Supremes, the Meters, the Ventures, the Funk Brothers
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◆ 4枚目のアルバムしかないバンド!? ◆◆
ホンモノの嵐の歌がまだちょっと残っていますが、昨日はキース・リードの嵐に翻弄され、半死半生の目に遭ったので、ちょっとお気楽な曲で息抜きをします。

いや、このまま、ずっと息を抜きっぱなしで、二度と暴風海域には戻らないかもしれませんが。なんたって、流行歌における「嵐」は「恋の嵐」であることのほうが本筋であり、比喩であるほうが正しい姿なのです。

スタンダードやトラッドには、タイトルに嵐がつく有名な曲がほかにありますが、わたしが育った時代にもっとも有名だったのは、このクラシックス・フォーのStormyです。わたしの手元には5種類のヴァージョンしかありませんが、もっと多くのカヴァーがあるでしょう。

f0147840_23551156.jpgClassics IVというのは、ご存知のない方を戸惑わせるバンド名のようで、昔、渋谷のレコード店で盤を漁っていたら、「Classics」と表示した板があって、「そんなバンドは知らないねえ」と通りすぎようとしたら(いや、60年代にそういうコーラス・グループがあったのですが、わたしは知りませんでした)、クラシックス・フォーのベスト盤がおいてありました。その店では、「クラシックス」というグループの4枚目のアルバムと思ったようです。

後世になんの影響もあたえず(メンバーの一部は、アトランタ・リズム・セクションに流れ込みますが、このバンド自体もそれほど影響力があったわけではありませんし、バンドの心臓部であるリズム隊はクラシックス・フォーとは無関係です)、純粋な娯楽としての音楽を提供したグループなので、忘れられて当然でしょう。しかし、同時代に生きた人たちなら、たとえ当時は彼らの盤を買わなくても、あとで2、3曲、聴きたくなったにちがいないと想像しています。その代表的な曲がこのStormyです。

◆ 現代版天照大神 ◆◆
それでは歌詞を見てみましょう。ファースト・ヴァースとコーラスをまとめていきます。

You were the sunshine, baby, whenever you smiled
But I call you Stormy today
All of a sudden that ole rain's fallin' down
And my world is cloudy and gray
You've gone away
Oh Stormy, oh Stormy
Bring back that sunny day

「微笑んでさえいれば、きみはいつだって太陽さ、でも、今日はストーミーだ、突然、雨が降りはじめて、ぼくの世界は雲に覆われて灰色になってしまった、きみはいってしまった、ああ、ストーミー、あの晴れた日を返してくれ」

f0147840_23573632.jpgワッハッハ、楽勝ですなあ。キース・リードの正反対の作詞家がいるとしたら、このJ・R・コブでしょう。どこにもわかりにくいところはなく、百科事典はおろか、英和辞典すら不要です。でも、ビルボード・チャートの上位には、こういう曲がこなくてはいけないのです。これぞ正調歌謡曲。トップ40ヒットがみな「青い影」みたいな歌詞になっちゃったら、世界は発狂したと考えるべきです。

コーラスも、いかにも、これはコーラスです、という造り。キース・リードみたいに長いコーラスなんてめったにあるものではなく、こういうふうに、タイトルを織り込んで(いや、コーラスのリフレインをタイトルにする、というべきか)、それを繰り返すのが流行歌の正しいコーラスのあり方です。

つづけてセカンド・ヴァース、短い歌詞なので、これがラスト・ヴァースです。

Yesterday's love was like a warm summer breeze
But, like the weather you changed
Now things are dreary, baby
And it's windy and cold
And I stand alone in the rain
Callin' your name

「昨日の愛は夏のそよ風のようなもの、でも、天気が変わるようにきみは変わってしまった、いまではすべては陰鬱になり、風が冷たく吹いている、ぼくは雨の中に寂しく立ちつくし、きみの名を呼んでいる」

一丁上がり。当ブログはじまって以来の楽な歌詞でした。以下、コーラスを繰り返してフェイドアウトします。

◆ 疾風怒濤の時代のエアポケット的歌謡曲 ◆◆
歌詞はワン・アイディアのクリシェで、設定に忠実にしたがって比喩を使っているという点以外は、とくにどうということのないものですが、曲とサウンドは印象的でした。でも、当時は買いませんでした。

68年といえば疾風怒濤の時代、パワー・トリオの全盛期、まだジミヘンが生きていて、ギュインだのゴワンだのとギターを虐待していたころです。中学生としては、どうしたってそっちのほうに気を奪われるわけで、Stormyにまで手がまわるはずがないのです。すでにスティーヴ・ウィンウッドやマイケル・ブルームフィールドも、わたしの「必聴リスト」に入っていましたし。

f0147840_235967.jpg時がめぐり、人が年を取るのは、なかなかけっこうなことで、ジミヘンはジミヘン、クラシックス・フォーはクラシックス・フォー、どちらもけっこうと思えるようになりました。こちらの年齢が、ほんの2、3年ずれていれば、リリース当時に買っていただろうと思います。

ドラムは安定していますし(リード・ヴォーカルのデニス・ヨーストがドラムということになっています。とりあえず、そう受け取っておきますが、検討の余地ありでしょう)、リヴァーブのかけ方も深すぎず、浅すぎず、いいサウンドだと思います。いや、録音技術的にどうこうというものではありませんが、AMラジオで聴くぶんにはほどのよいサウンドなのです。

◆ ボビー・ジェントリーの圧倒的カヴァー ◆◆
わが家にはいくつかカヴァー盤がありますが、なんといっても、ボビー・ジェントリー盤が抜きんでています。

f0147840_004483.jpgこのトラックの出所はよくわからず、いまもまたOde to Bobbie Gentryにいって確認しましたが、初出は編集盤CDらしく、どうやら、アウトテイクのように思われます。たしかに、ボビーのヴォーカルに、ナイロン・ギターとアップライト・ベースのバックがついているだけで、オーヴァーダブ前の未完成ヴァージョンのように聞こえます。

しかし、これを当時はリリースしなかったのは惜しいなあと思います。ボビーにもってこいの楽曲で、彼女が自分で書いたのかと思ってしまうほどです。まあ、それは、彼女がメイジャー・セヴンス・コードを好んで使うライターであり、Stormyがメイジャー・セヴンス・コードでつくられた曲だから、ということでしょう。でも、ボビーのレンディションも、デニス・ヨーストのような非個性的、匿名的なもの(歌謡曲はそれでいいのですが)ではなく、いかにも初期のボビーらしい、プライヴェートな雰囲気があり、じつに好ましい出来です。

f0147840_034929.jpgヴォーカルものとしては、ほかにスプリームズ盤をもっています。なんだか、違和感のあるリマスタリングで、そこまでドラムを持ち上げなくてもいいだろうという音です。バックビートがうるさくて、声が聞こえないのが今風のバランシングだとしても、スプリームズは大昔のグループなんだから、昔風の音でかまわないだろうに、と思います。たまたま、オリジナル・レコーディングが非常に分離のよいものだったので、今風にミックスしてしまったといったあたりでしょうか。

◆ いるのやら、いないのやら、ほんにあなたは屁のようなお人 ◆◆
残りはインストばかりで、甲乙つけがたい出来です。といっても、いいほうではなく、あまりよくないほうの、です。

ファンク・ブラザーズ盤は、オーヴァーダブだらけのひどい音質で、スプリームズと同じレーベルの盤とは思えないほどです。ファンク・ブラザーズとは、数年前に映画にもなったスタジオ・プレイヤーの集団で、デトロイトでモータウンのためにレコーディングしていたプレイヤーに、だれかが後年あたえた名称です。そういう性質の「バンド」なので、個体ではなく、流体で、ピアノのアール・ヴァン・ダイクを中心にしたスタジオ・プロジェクトといったあたりでしょう。

しかし、このStormyはじつに怪しいトラックです。オーヴァーダブがひどくてよく聞こえないのですが、ベーシックはどうやらスプリームズと同じもののようです。なーんだ、馬鹿馬鹿しい。スプリームズ盤はハリウッド録音でしょう。そのベーシックにあとからゴチャゴチャとオーヴァーダブして、インスト盤をでっち上げただけです。そのオーヴァーダブですら、きっとハリウッドでやったにちがいありません。

f0147840_053457.jpgなにがファンク・ブラザーズだ、なにがアール・ヴァン・ダイクだ、モータウンのやることはいつも尻が割れている、と笑い飛ばしておけばいいだけです。だいたい、ファンク・ブラザーズなんて、実在すら怪しいのだから、トラックだって幽霊みたいなものです。会社がファンク・ブラザーズというラベルを貼ったものがファンク・ブラザーズになるだけであって、実体なんかありゃしないでしょうに。でも、依然として神話捏造にはげんでいるのは、まあ、見上げたものかもしれません。いや、見上げるたって、車寅次郎がいう「見上げたもんだよ、カエルのなんとか」ですけれどね。

f0147840_06533.jpgもうひとつ、ミーターズ盤があります。どうも、このバンド、出来損ないのMG'sという印象で、わたしは乗れません。この曲も、MG'sのGroovin'みたいな雰囲気ですが、ただし、これではMG'sのようなヒットにはならないと断言できます。MG'sは白人にもわかるプレイをしていたけれど、ミーターズはそのへんの配慮はいっさいしなかったというところでしょうか。泥臭さが鼻につきます。ひとりひとりのプレイに、MG'sのような共感がわきません。グルーヴは重要ですが、グルーヴ「だけしかない」のでは、わたしにとってはマンボ・ジャンボです。

f0147840_084182.jpgあ、まだ終わりじゃなかった。ヴェンチャーズ盤がありました。忘れていい出来です。最近、何度かけなした時期の録音で、この曲のドラムはたぶんジョン・グェランでしょう。バックビートはいつもよりすこしだけマシですが、またフィルインで突っ込んでいます。いや、まあ、最近けなした他の曲よりはマシな出来ですが、マシだからといっても、べつに聴かなければならないようなものでもありません。

◆ またしてもロイヤルティーの移動 ◆◆
この曲にも、最近、裁判沙汰があったそうです。ジョン・レジェンドというシンガーだかなんだかが、Stormyを盗作したとして、この曲の作者たちから訴えられ、敗訴したのだとか。

レジェンドという人(ぜんぜん存じません)は、そんな曲は聴いたこともないといっているそうですが、たとえそうだとしても、そっくりだったら負けます。争点は似ているか似ていないかであって、聴いたことがあるかどうかではない、ということさえわからない、非理知的な人たちが集まった業界なのですね。

コードのパターンはかぎられているのだから、他人の空似みたいなことも起きるでしょうが、こういうケースは、ずっと以前に耳にしたことがあり、それが曲を作っているときに無意識のうちに出てきて、真似をしたことに気づかないか、気づいても、ナメてかかるということが多いように思えます。

この点について、ジミー・ウェブがその著Tunesmithのなかで紙幅を割いています。彼は、政治家の「なにぶん古いことでございまして」と同類の、「聴いたことがない」という、だれもが使う弁解にはきわめて冷淡で、オフレコの内訳話をいくつか上げ、多くは意図的な盗作であると断じています。

f0147840_093828.jpg最後にデニス・ヨーストのことを。ヨーストは昨年、転倒して外傷性脳障害を負い、目下、リハビリ中であると、オフィシャル・サイトで奥さんが書いています。ここの記述によると、ヨーストが「クラシックス・フォー」という名称を登記したなどというつまらないことがわかりますが、それをどのように利用しているかもうかがえて、なるほどなあ、と思います。

トップ10ヒットが3曲もあるバンドですが、治療代の寄付を募らねばならない程度の蓄えしかないということもわかり、楽曲の著作権をもっていないと、この業界ではきびしい末路が待っているということまでわかるのでした。マシュー・フィッシャーの訴訟も、そういう切実なことだったのかもしれません。
by songsf4s | 2007-10-04 23:44 | 嵐の歌
The Wreck of the Hesperus by Procol Harum
タイトル
The Wreck of the Hesperus
アーティスト
Procol Harum
ライター
words by Keith Reid, music by Mathew Fisher
収録アルバム
A Salty Dog
リリース年
1969年
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最後にサーフ・ミュージックを取り上げたのいつのことだったか、今日は久方ぶりに海に出ることにしましょう。いつもとはちょっとちがう海ですが。

80曲近くもあつかってくると、くそ度胸がつくようで、キース・リードの詩を再登場させることにしました。前回のA Salty Dogのときは、必要な箇所だけ抜き出して、全体を見ることを避けましたが、今回は、わからないところはわからないとし、全体を見ることにします。

歌詞のなかでは、The Wreck of the Hesperusというタイトルは登場しないので、先に説明しておきます。Hesperusは「宵の明星」(つまり金星)という意味ですが、wreckは遭難のことをいいます。このアルバムは海の冒険をテーマにしているので、ここでのThe Hesperusは、おそらくは「宵の明星号」という船を指しているのでしょう。いや、きっと帆船だから、「明星丸」のほうがいいでしょうかね!

◆ 「手を吊し」てどうするっていうんだ! ◆◆
これから歌詞を見ていきますが、オフィシャル・サイトに掲載されている版を利用させていただきます。

では、まずファースト・ヴァース。いきなり暴風海域に投げ込まれるので、そこらに掴まってください。

We'll hoist a hand, becalmed upon a troubled sea
"Make haste to your funeral," cries the Valkyrie
We'll hoist a hand or drown amidst this stormy sea
"Here lies a coffin," cries the cemetery, it calls to me

さすがはキース・リード、冒頭からして、もうわかりません。わからないから、テキトーな解釈を試みてみます。

「帆をたたもう、荒れ狂う海で船を停めて、『自分の葬式に急いでいきなさい』とヴァルキュリヤが叫んだ、帆をたたもう、そうしなければ、この嵐の海の真っ直中でおぼれ死ぬことになる、『ここに棺桶が埋まっている』と墓地が叫んだように思えた」

handが海事用語だとすると、乗員のことなのですが、この場合はどうでしょうか。手を吊す、では意味を成さないようなので、乗員だと考えても、荒れる海の上に人を吊すことになにか意味があるのかどうか。

日本武尊[やまとたけるのみこと]が東征の際、三浦半島の走水から房総に渡るときに嵐に襲われ、海を鎮めるために弟橘媛[おとたちばなひめ]が身を投げたという伝説があって、そんなことを連想してしまいましたが、ファースト・ラインにそんなわけのわからないことをもってくるとは思えません。このセンテンスは、この曲に何度も登場するのですから。

f0147840_019315.jpgそこで、海事熟語なのだという仮定に立って、あれこれ考えたり、いろいろな辞書に当たってみました。hoistという動詞は、海事用語ではふつう、帆の上げ下ろしに使われるようで、ひょっとしたら「帆をたたもう」という意味ではないかという気がしてきました。でも、handに「帆」または「帆綱」に相当する意味があるとしているソースを見つけられませんでした。

ただし、動詞としてのhandには「帆をたたむ」という意味があるとリーダーズ英和辞典はいっています。リーダーズの海事用語のカヴァー範囲は、50パーセント以下と思われるので、一般には知られていなくても、「帆をたたむ」という動詞からの転用で、「帆」という意味がhandにはあるのではないか、という道筋で考え、以上のように解釈してみました。

becalmは海事用語で「停船する」ことをいうようです。ヴァルキュリヤは、北欧神話の女神で、「オーディンの命令で空中に馬を走らせて、戦死した英雄たちの霊をヴァルハラに導き、 そこに侍する少女たちの一人」だそうです。オーディンとはなんだ、ヴァルハラとはなんだ、などとはじめると、この記事はいつまでも終わらないので、あとはご自分でお調べください。ワーグナーの歌劇を取り上げたわけではないのに、いったい、どうしてこうなっちゃうのか、恐るべし、キース・リード。

意味はどうであれ、キース・リードの詩ですから、音韻的にはじつに気持ちよいものです。この曲をご存知ない方でも、最後の"Here lies a coffin," cries the cemetery, it calls to meを、ちょっとリズムをつけて音読なされば、彼がすぐれた詩人であることをうっすらと感じ取ることができるでしょう。

◆ 風前の灯火 ◆◆
つづいてファース・コーラス。

And all for nothing quite in vain was hope forever tossed
No thoughts explained, no moments gained, all hope forever lost
One moment's space, one moment's final fall from grace
Burnt by fire, blind in sight, lost in ire

ここもまたおおいに問題ありで、まさしく荒れ狂う海に乗りだした帆船のように翻弄されます。そもそも、マシュー・フィッシャーは、ここに書いたようには歌っていないように聞こえるのですが、でも、とりあえず、強く主張するほどの確信はないので、オフィシャル・サイトにしたがっておきます。

「だが、すべては烏有に帰し、むなしくなった、望みはまったく失われたのだ、どのような思考をもっても説明がつかず、時間稼ぎもできず、あらゆる望みが絶たれた、宙に浮かんだかと思えば、つぎの瞬間には、体裁もなにもあらばこそ、下にたたき落とされた、火にあぶられ、視界を奪われ、怒りにわれを忘れた」

インチキだなあ、と自分でも思います。キース・リードが意味をストレートにわからせようとはしていないのだから、知ったことか、です。でも、音韻的には、ここもじつに気持ちがよいのは認めざるをえません。とくに1行目がすばらしい!

◆ そして船の運命は……? ◆◆
ロビン・トロワーの短いギター・ソロ、そしてオーケストラの間奏をはさんで、セカンド・ヴァースへ。

We'll hoist a hand, becalmed upon a troubled sea
I fear a mighty wave is threatening me
We'll hoist a hand, or drown amidst this stormy sea
"Come follow after," cry the humble, "You will surely see ..."

「帆をたたもう、荒れ狂う海で船を止めて、いまにもとてつもない波がやってきそうだ、帆をたたもう、そうしなければ、この嵐の海で溺れ死ぬことになる、「わたしについてきなされ」と下っ端の乗員が叫んだ、「きっとわかることでしょう」

the humbleは、海事用語で、船での職掌かと思ったのですが、そういう意味は発見できませんでした。「下っ端」というのは、わたしの当てずっぽうにすぎず、ファースト・ヴァースのヴァルキュリヤのように、突然、どこかからあらわれた謎の人物、語り手の幻視かもしれません。もうなかば死を覚悟している語り手ですからね。

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坐っているのがキース・リード、そのうしろにゲーリー・ブルッカー、後列左からデイヴ・ナイツ、バリー・J・ウィルソン、マシュー・フィッシャー、ロビン・トロワー

またコーラスが出てきますが、1行目だけ、

But still for nothing quite in vain was hope forever tossed

と変えています。ここもやっぱり、わたしには「those hope forever lost」にきこえるんですがね。

あとは一巡目と同じように、トロワーのソロ、オーケストラのアウトロとつづきます。フェイドアウトでの嵐のSEは一段と激しさを増し、岩礁にたたきつけられる船が見えるようです。

◆ マシュー・フィッシャーの位置 ◆◆
この曲が収録されたA Salty Dogについては、すでに書いたので略します。リリース以来、つねに聴きつづけてきたので、なにやらわかったような気がしていましたが、詳細に歌詞を検討すると、意味がわからないばかりでなく、記憶違いまであって、やれやれ、でした。

しかし、サウンドはべつです。マシュー・フィッシャーは、このアルバム、いや、正確にはつぎのアルバムHomeの録音途中でハルムを抜けて以降は、自分で歌詞を書いています。それが、このようなサウンドを、彼が自分のソロ・アルバムではやらなかった理由ではないでしょうか。

猛り狂う海をみごとに表現した、スケール感のあるサウンドですし、メロディーのつけ方も、キース・リードの詩がもつ音韻を壊さないものになっています。ドラマーのショウ・タイムとまではいえないでしょうが、バリー・J・ウィルソンも、彼の重さをうまく使った、ドラマティックなプレイをしています。オーケストラは別録りでしょうが、自分がドラマーだったら、こういうタイプの曲をオーケストラといっしょにやるのは、さぞ楽しかろうと思います。

f0147840_024125.jpgこの曲のピアノは、速い三連符のアルペジオをずっと弾きつづけるもので(大昔、バンド仲間が、コピーできたぞ、とうれしそうに弾いてくれたのは忘れられません)、ゲーリー・ブルッカーも意外に弾けるのだな、と思いましたが、クレジットを見れば、ピアノとオーケストレーションはマシュー・フィッシャーでした。そりゃそうでしょうね。ブルッカーのピアノは、R&B指向のヴォーカルが、自分の歌伴として、たぶん耳から覚えたもので、教育を受けたピアニストのプレイではありません。

そういう意味でも、マシュー・フィッシャーを失ったのは、このバンドにとって痛手だったと思います。以後のハルムはほとんど難破船です。わたしは縁を切り、マシュー・フィッシャーのソロを追いかけることになりました。

マシュー・フィッシャーのヴォーカルをほめる人はいないでしょうが、わたしは、この曲についても、そして、ハルムにおける彼の他の曲にしても、これはこれでいいんだ、と思っています。歌のうまさをひけらかすことしか考えてない、脳みそゼロ・グラムの不快きわまりないジャズ・シンガーたち(だれのことをいっているかは、過去の記事をご覧になればわかります)なんかより、ずっとはるかに上等なヴォーカルです。歌い手というのは、われわれが曲を聴く邪魔をするようでは下の下なのです。そこのところがわかるまでに、ずいぶん時間がかかりましたが。

◆ 裁判で争われた「その曲をその曲たらしめる本質的要素」 ◆◆
先日、マシュー・フィッシャーのいる近年のハルムのライヴを聴きましたが、不思議なことに、マシューが弾くと、A Whiter Shade of Paleが、ちゃんとあの音になってしまうんですね。マシューは、あの「青い影」のドロウバー・セッティングをウェブで公開しているので、その気になれば、だれだって彼と同じ音を出せるはずなのですが、そこが人間のやること、やっぱり、ホンモノにはホンモノだけの味があるようです。

という、呑気な話で締めくくるつもりだったのですが……。妙なものを見つけてしまいました。これは常識で、わたしだけが知らなかったことかもしれませんが、去年、「青い影」の著作権をめぐって、マシューが、ゲーリー・ブルッカーを相手取って訴訟を起こしたのだそうです。みなさん、ご存知でした? ご存知だったら以下は飛ばしてください。

これは決着がついたわけではなく、上級審に進む(進んだ)ようですが、裁判所は、マシュー・フィッシャーの主張を大筋で認め、(過去の分は認められず)今後のロイヤルティーの一部はマシューのものになるようです。

一般論としては、ブルッカーの主張するとおり、マシューはあの曲でオルガンを弾いただけ、自分のパートを自分の考えでアレンジしただけであって、このケースを一般化することはできないでしょうが、あの曲にかぎっていえば、わたしが聴いていたのは、ブルッカーの退屈なヴォーカルでもなければ、意味不明のキース・リードの歌詞でもなく、マシューのオルガンと、名前失念のセッション・ドラマーのプレイでした。

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裁判所から出てきたマシュー・フィッシャー。となりは夫人?

はっきりいって、あの微妙なタイミングで、マシューが募集広告に応募しなければ、「青い影」の世界的な巨大ヒットはなく、プロコール・ハルムというバンドの未来もべつのものになっていたにちがいありません。金銭的な争いは見ていて気持ちのよいものではありませんが、マシューを「たんなる伴奏者にすぎない」とするブルッカーの言い方には、音楽というものに対する敬意が感じられず、マシューの貢献にすこしは感謝しろ、といいたくなります。

◆ さらなる火種? ◆◆
しかし、このまま、上級審でも裁定が覆らないと、訴訟ラッシュが起きるかもしれませんねえ。たとえば、つぎの候補としては、The House of the Rising Sun(「朝日のあたる家」)をめぐる、ヒルトン・ヴァレンタイン対アラン・プライス事件が筆頭じゃないでしょうか。ヴァレンタインは、あの当時、トラッド曲のアレンジに著作権が生じることなど知らず、アランにクレジットを取られたが、あの曲をアレンジしたのは俺だ、とどこかで怒っていました。

ごもっとも、ごもっとも。あれがヒットしたのは、ヴァレンタインのギター・アルペジオのおかげです。プロデューサーのミッキー・モストだって同意しています。あの曲のマスターをEMIに持ち込んだとき、会社の連中は、長すぎるからDJに嫌われる、と難色を示したけれど、「だれがそんなことを気にする! リスナーはイントロを聴いただけでレコード屋に走っている」といって説得したと回想しています。そうでしょうねえ。たしかに、いいのはイントロだけ、あとは退屈です。「青い影」にそっくりの事例じゃないですか。アラン・プライスは冷や冷やしていることでしょう。

いや、こういうことをいいはじめると、たしかに、ブルッカーのいうように、秩序は破壊されますねえ。ほら、すごいイントロ・リックをたくさんつくったドラマーがいるじゃないですか。ドン、ドドン、という、ポップ史上もっとも有名なキック・ドラム・イントロとか、ね? あの人なんか、一度に数百件の訴訟を起こせるかもしれませんよ。こりゃたいへんだ。
by songsf4s | 2007-10-03 23:55 | 嵐の歌
Louisiana 1927 by Randy Newman
タイトル
Louisiana 1927
アーティスト
Randy Newman
ライター
Randy Newman
収録アルバム
Good Old Boys
リリース年
1974年
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歌における「嵐」、stormという言葉は、おおむね比喩として使われます。どの曲のことだったか忘れましたが、バッドフィンガーの曲の邦題に「嵐の恋」(No Matter What You Are?)というのがありましたよね。だいたい、そのたぐいのことをいっているものが多いのです。

当ブログの嵐の歌特集は、すぐにネタ切れになることは見えているので、嵐の恋といったたぐいの、こじつけ特集のこじつけ記事もいずれ書くことになりますが、まずは、大まじめに、ホンモノの災害を扱った曲を取り上げることにします。昨夜も書いたとおり、台風がきて被害が出たら、この曲は持ち出しにくくなるので、さっさとやっちゃいます。いま、日本の四囲の気象は平穏に見えますが、竜巻が起きて被害が出るなんてことだってありうるわけで、急ぐにしくはないのです。

どうであれ、ずっとやりたかったランディー・ニューマンの曲、それも、若いころに感銘を受けたアルバムの、そのなかでもとくにすぐれた曲、多くの人がニューマンの代表作と考える曲をとりあげられるのは、わたしの喜びとするところです。

◆ 奴らは俺たちを押し流そうとしている ◆◆
では、ファースト・ヴァース。

What has happened down here
Is the wind have changed?
Clouds roll in from the north
And it started to rain
Rained real hard
And rained for a real long time
Six feet of water in the streets of Evangeline

「いったいここでなにがあったのだ、風が変わったのか、北から雲が流れこみ、雨が降りはじめた、ほんとうにひどい雨だった、そして、とてつもなく長いあいだ降りつづけた、イヴァンジェラインの通りは6フィートの水に埋まった」

意味としてはとくに問題がないでしょう。英語として、音として聴いたときに、詩的響き、それも、叙情詩ではなく、叙事詩の響きをもつ歌です。

セカンド・ヴァース。

The river rose all day
The river rose all night
Some people got lost in the flood
Some people got away alright
The river have busted through
Cleared down to Plaquemines
Six feet of water in the streets of Evangelne

「河は一日中かさを増しつづけ、一晩中それはつづいた、洪水に命を落とした人もいれば、無事に逃げのびた人もいた、河はあらゆるものを押し流し、プラケマインまで一面水で埋めてしまった、イヴァンジェラインの通りは6フィートの水に埋まった」

この歌は、洪水一般のことではなく、1927年のルイジアナの大洪水を歌っているので、「河」には固有名詞があります。ミシシピー河です。この洪水については、後段で調べたことを書きます。イヴァンジェラインやプラケマインについても同じく。ここは文脈から考えて、とてつもなく広範囲の土地が水没したのだと受け取っておけばいいだけです。

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つぎはコーラス。

Louisiana, Louisiana
They're tyrin' to wash us away
They're tryin' to wash us away
Louisiana, Louisiana
They're tryin' to wash us away
They're tryin' to wash us away

ここは訳すまでもなくて、「奴らは俺たちを押し流そうとしている」と繰り返しているだけです。「奴ら」は当然、洪水ですね。

◆ じつにけしからんじゃないか ◆◆
サードにして最後のヴァース。

President Coolidge came down in a railroad train
With a little fat man with a note-pad in his hand
The President say
"Little fat man isn't it a shame
What the river has done to this poor crackers land"

「クーリッジ大統領は、ノートを手にした太った小男といっしょに、鉄道でやってきた、彼はいった、『なあ、チビデブよ、この哀れな貧乏白人の土地に河がやったことは、じつにけしからんじゃないか』」

f0147840_10788.jpgカルヴィン・クーリッジは第30代大統領、共和党、1923年から29年まで大統領の座にあった、と辞書はいっています。前任者ハーディングの急死による副大統領からの昇格ですが、二期目をつとめています。little fat manは不明です。たんなる秘書官か、補佐官か、あるいは国務長官か。クーリッジのつぎの大統領になる、この当時の商務長官、ハーバート・フーヴァーのことではないか、といっているサイトもありますが、わたしには判断できません。

f0147840_105472.jpg鉄道でやってくるのは、ほかに適当な手段がないのだろうからしかたありませんが、ランディー・ニューマンはそれをうまく利用して、いかにもお気楽な「視察」の印象をあたえるのに成功しています。わが国でも、災害というと、首相や大臣がかならず「顔見せ」をするのを見慣れているから、そう感じるのかもしれませんが。

そしてクーリッジのセリフ、「this poor crackers land」と、ひとごとのようにいうところが、この曲のポイントでしょう。ランディー・ニューマンは、じつにひどいことを平然という人間で、いつもの彼の文脈では、cracker=貧乏白人という言葉は、まあ、ノーマルなのですが、クーリッジにいわせたことで、けしからんのは、洪水より、おまえのほうだ、という印象をリスナーにあたえています。

あとはコーラスを繰り返してエンディングとなります。

◆ 肥沃な土地の代価 ◆◆
ランディー・ニューマンについて書くまえに、この「南北戦争以来最大の国家的惨禍」について、できるだけ手短に。

f0147840_121917.jpgこのミシシピーの氾濫は27年4月に、長期にわたる大雨(14インチ=約350ミリの降水量を記録した日があった)で起きたもので、ハリケーンによって短時間で起きたものではないようです。しかし、結果は似たようなもので、水没地域はルイジアナを中心に7州におよび、数百人が死亡、500万人以上が避難したそうです。

ここで重要なのは、この水害が大きな理由になって、南部の黒人が盛んに北部へ移住するようになったという点です。これがアーバン・ブルース、ひいてはロックンロールの誕生につながります。ニューオーリンズからの道路の関係で、多くはシカゴへいくのですが、ルートいくつか忘れてしまいました。51でしたっけ? 現在の道路とはちょっとちがうので、昔調べたメモをなくすと、往生しちゃいます。

こういう大災害があれば、かならず政治社会的問題が起きます。移住に関係のあることとしては、白人農場主が、黒人の農場労働者たちが土地を捨てるのを恐れて、避難所に監禁し、赤十字が無料で配ろうとした支援物資を有料にして、借金で縛りつけた、などという記述がありました。昔の支配者にとって、もっとも恐ろしいことは、農民の「逃散」だということは、日本中世史を読んでいてもわかることです。逃げて苦しい目に遭うよりいくぶんマシ、と思える租税をかけないと、農地を放棄されてしまうわけで、ここに中世の領主(戦国大名などですね)の苦心があったようです。

f0147840_131687.jpgまた、ラテン・クォーターが2フィートの水に覆われたニューオーリンズ市が、このままではどうにもならないというので、市の南部の堤防を30トンのダイナマイトで破壊し、市におよぶ被害を食い止めようとしたため、他の地域に大きな被害が及んだといわれています。これと、2005年のニューオーリンズの大きな被害はなにか関係があるのでしょうか。1927年の洪水のあとで、flood control actという法律が制定されたということが見つかっただけで、それ以上のことはわかりませんが。

洪水が起きる土地というのは、高校の世界史で教わったことによれば、文明が生まれる肥沃な土地です。天の恵みはタダではない、ということでしょうかね。

◆ ニコチン酸への寄り道 ◆◆
f0147840_1182844.jpgランディー・ニューマンのボックス「Guilty: 30 Years」(懲役30年の有罪!)には、一問一答が収録されています。この曲について、ニューマンは「この洪水について読んだんだ。ペラグラ(ニコチン酸欠乏症)の治療法が発見されたのは、この洪水のおかげだった。なんにでも理由はあるものさ」といっています。韜晦のようにも読めますが、本心のよくわからない人なので、ほうっておきましょう。

気になる方もいらっしゃるでしょうから、ニコチン酸とペラグラについて、百科事典で調べたことをいちおう書いておきます。そんなことは気にならない方は、この節は飛ばして、つぎの小見出しまで飛んでください。

ニコチン酸とは、「ビタミンB群に属する水溶性ビタミンの一種」で、「補酵素、NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)、および NADP(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチドリン酸)の成分として、酸化還元反応の水素の受容体として作用している」そうです。わたしにはなんのことか、まったくのグリーク、ヘブライ、マンボ・ジャンボですが。

ペラグラとは、「ビタミンB群、とくにニコチン酸アミド欠乏による全身性疾患。皮膚では顔面、手足の背面、上胸部などの露出部に紅斑、水疱、潰瘍を生じ、やがて色素沈着と萎縮を残す。このほか消化器症状、神経症状を伴い、重症の場合は死亡する」という病気だそうです。

ここで、平凡社世界大百科と小学館ニッポニカの意見が対立します。ニッポニカは「トウモロコシを主食とする人たちにおこり、アメリカの南部で多数発生した」と記述しています。これでランディー・ニューマンの歌につながりましたよね。洪水後、ペラグラの患者が増えて、治療法の発見につながった、というあたりでしょう。

ところが、世界大百科は、ここで、チッチッチ、と舌打ちしています。「ペラグラは、動物性タンパク質の摂取が少なく、トウモロコシを多食している地方に、地方病としてみられる。(略)米のトリプトファンやニコチン酸の含量は、トウモロコシのそれとほとんど変わらないが、米を主食とする地方ではペラグラはみられない。それゆえ、ペラグラの発症要因は、ニコチン酸やトリプトファンの欠乏によるのではなく、他の要因によるとも考えられている」のだそうです。

わたしにはよくわからないので、医学界ではまだ決着がついていない問題なのだろうとしておきます。なんにだって、対立意見はあるものさ!

◆ ハリウッド音楽工場訪問記 ◆◆
ランディー・ニューマンの「家」という背景については、Moon of Manakooraの記事に書きましたので、そちらをご参照くだされば幸いです。

そういう一族の一員として生まれた彼は、好きか嫌いかは知らず、一族のビジネスである音楽界に入ります。ソングライターとして名を成す以前、徒弟奉公時代の彼について、ジョージ・マーティンが書き記しています。

f0147840_115499.jpgマーティンはブライアン・エプスティーンとともにハリウッドを訪れ(というのだから、エプスティーンが死んだ1967年以前)、当時、20世紀フォックスの音楽部長だった、旧知のライオネル・ニューマンに会いました。ランディーの曲をシラ・ブラックで録音したことがあったので、マーティンはそのことをいうと、ランディーは「アレンジ・写譜課」にいると教えられ、そこへいってみました。

そこは「とてつもなく広いタイピスト室」のようなところで、おおぜいの男たちが机に向かって曲を書いていた、とマーティンは呆れたように書いています。そのなかに目指すランディーがいたわけです。マーティンは、ランディーのような才能のある人間が、なんだってこんな工場みたいなところにいるのだろうと不思議に思いながら部屋を見渡して、旧知のイギリス人作曲家を見つけ、また驚いたといっています。

ハリウッドの映画音楽は、こういう「生産ライン」でつくられているのだ、ときには、彼らはどういう映画かということすら知らず、何秒間のカー・チェイス・シーンといった指定だけで仕事をするのだ、とマーティンはいっています。

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ランディー・ニューマンのキャリアはそういう匿名的音楽を書くことからスタートしているというのは、覚えておいてもいいことかもしれません。いや、忘れちゃってもいいことでしょうが、こういうちょっとした背景情報というのは、わたしには非常に興味深く感じられるのです。

◆ 無敵のソングライター ◆◆
ランディーの音楽について、数時間でまとめるなんてはじめから不可能な話で、この記事もそろそろ投げ出さなければならない時刻が迫っています。

f0147840_120785.jpgわたしは、「幻の名盤」などぜったいにほめない人間で、あんなものは、それだけの十分な理由があってまったく売れなかった盤を、もう一度売り込もうという、さもしい会社の詐欺言辞にすぎないと断言しているのは、このブログでそれなりの期間、お付き合いしていただいた方はおわかりでしょう。ほめ言葉のインフレ(というか、見方によってはデフレ)を手助けするつもりは毛頭ありません。

f0147840_1215117.jpgしかし、Louisiana 1923が収録された、ランディー・ニューマンのアルバム、Good Old Boysは傑作です。70年代に聴いた盤のなかでもっとも重要なものの一枚です。いま聴いても、Redneck、Birminghamなど、ほかの曲も素晴らしいと思います。

怖い叔父さんたちのいいつけか、子どものころにきびしく鍛えられたことがうかがえるピアノのみごとなプレイ、一族の血であり肉である卓越したオーケストレーション、怖いもの知らずの大胆な、しかし、ウィットとユーモアに満ちた歌詞、印象深いメロディーを書く能力、これだけの多彩な才能を持ち合わせた音楽家など、そういるものではありません。

f0147840_1232054.jpgこれで声がよかったら、すくなくとも一般に美声といわれるような声をもっていたら、とんでもないことになっていたでしょう。しかし、そこはよくしたもので、ふつうには美声とはいわれない声だったおかげで、彼の曲にも歌にも、独特の陰影が加わったのだと思います。ランディー・ニューマンから皮肉をとってしまったら、たんに美しいバラッドを書く作曲家しか残らないですからね。

イヴァンジェラインとプラケマインにたどり着けませんでしたが、気になる方はウェブで検索なさってみてください。プラケマインは、洪水がどれほどの広範囲に渡ったかを示そうとした地名にちがいありません。

あ、そうだ、ランディー・ニューマンがニューオーリンズ生まれだということを書き忘れていました。まあ、忘れても、nk24mdwstさんがちゃんと突っ込みを入れてくれたはずですけれど!

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by songsf4s | 2007-10-02 23:57 | 嵐の歌
Looks Like Rain by Bob Weir
タイトル
Looks Like Rain
アーティスト
Bob Weir
ライター
lyrics by John Perry Barlow, music by Bob Weir
収録アルバム
Ace
リリース年
1972年
他のヴァージョン
Grateful Dead (ライヴ。複数)
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十月というと、台風の季節じゃなかろうか、というひどいこじつけで、これから何曲か、嵐の歌を見ていこうと思います。

十月前半というと、「秋晴れ」という言葉そのものの好天の日もあるわけで、ひょっとしたら、当ブログもときおり好天の秋の歌をはさむかもしれませんが、ほんとうに台風がきて、大きな被害が出たりするとシャレにならない曲もあるので、そんなことが起こる前に、とりあえず、急いで進めるつもりです。

f0147840_1212916.jpgボブ・ウィアといってもご存知のない方が多いでしょうが、グレイトフル・デッドのギターとヴォーカルで、バンドの発足以来、現在も中心メンバーとして活躍している人です。デッドというのは、発足以来の中核メンバーの全員が、死亡以外の理由では脱退しなかったバンドでして、ウィアは、デッドの残された唯一のヴォーカリストとして、これからもバンドが存続しているかぎりはがんばっていくのだろうと思います。

ボブ・ウィアには2枚だけソロ・アルバムがあります(ほかにキング・フィッシュなど、デッド以外のサイド・プロジェクトあり)。Looks Like Rainは、最初のソロ・アルバムに収録されたもので、やや意外な曲でしたが、そのへんのことはあとで述べることにして、まずは歌詞を見ていくことにします。

◆ 歌に書かれたラヴレター ◆◆

I woke today and felt your side of bed
The covers were still warm where you'd been layin'
You were gone
My heart was filled with dread
You might not be sleepin' here again

「今朝、目が覚めて、ベッドのとなりにふれると、きみが寝ていたところはまだシーツがあたたかかった、きみは去り、ぼくの心は恐れでいっぱいになった、きみはもうここで眠ることはないのかもしれない」

いやあ、わかりやすくて助かります。説明が行き届きすぎで、詩になっていないといっていっていいかもしれません。このようにバーロウの歌詞がわかりやすいのには、ちゃんとした理由があるのですが、そのあたりは後段で。

説明不要なので、どんどんいきます。つぎはファースト・コーラス。コーラスとは思えないほど長い!

It's alright, I love you
And that's not gonna change
Run me round, make me hurt again and again
But I'll still sing you love songs
Written in the letters of your name
And brave the storm to come
For it surely looks like rain

f0147840_1231075.jpgかまわないさ、まだ愛しているし、それはずっと変わらない、小突きまわし、傷つけるがいいさ、それでもきみにラヴ・ソングを歌うだろう、きみの名前で書かれたラヴ・ソングを、嵐にそなえよう、すぐにも雨が降りだすにちがいない」

ここはちょっと問題のあるところですが、それは長い話になるので、ここは順番を変えて、先に最後の2行を。これがあるから、この曲を「嵐の歌特集」のトップバッターにもってきたのは、もうおわかりでしょう。

でも、このbraveはちょっと迷って、「意訳」しました。より逐語的には「嵐に立ち向かえ」でしょうかね。いずれにしても、この曲でいちばん好きなラインです。座右の銘に見えないこともないでしょ?

◆ 「折り込み」か暗号か? ◆◆
ファンのあいだでは「Written in the letters of your name」が議論の対象になっていて、わたしがしばしば訪れている、デイヴィッド・ドッドの注釈付きグレイトフル・デッド歌詞サイトのLooks Like Rainのページには、いくつか読者の意見が寄せられています。

だれでも思いつきそうなのは、都々逸でやるような「折り込み」です。冒頭の一文字をつなぎ合わせると、なにかの言葉が浮かびあがるというもので、初歩的暗号みたいなものです。たとえば、このコーラスを例にとれば、「I-A-R-B-W-A-F」ですが、意味を成しませんね。逆から読んでも、フォウブレイなんて女性名があるとは思えません。

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ニューヨーク近代美術館も彼の作品を購入し、いまやめでたくも「殿堂入り」したケリーがデザインしたジャケットなので、大きくしてアンコール。マリリン・モンローのような女性が手にしているのはモンキー・レンチ。このアルバムのオープナー、The Greatest Story Ever Toldの歌詞の一節、With a left-handed monkey wrenchにちなむ。

読者の投稿でいちばん可笑しいのは、ボブ・ウィア自身が解説していると証言するものです。なんといっているかというと、「あの曲のキーはGで、A、D、Eと進んでCマイナーで終わる。だから名前はゲイデック・マイナーだ」

冗談に決まっています。だって、キーはGじゃないんですから。スタジオ盤はテープ速度をいじったらしくハーフ・トーンで、どちらともつかないのですが、ライヴではEをキーにしています。ヴァースはE-A-C#m-F#m-E-B-C#m-F#m-Eで一周します。移調も暗号手法のひとつと見て、キーをウィアのいうようにGに移調するすると、G-C-Em-Am-C-Em-Am-Cで、ウィアのいっているコードとはまったく異なりますし、つなげても意味を成しません。

ヴァースじゃなくて、コーラスが問題なのだろう、とおっしゃるかもしれませんが、やっぱり意味を成すとは思えません。もうすでに十分に煩雑なので、検討は略しますが、納得のいかない方はこのページでコード進行をご覧になり、あれこれ移調などなさってみてください。ここの「採譜」(とはいわないか)は、わたしとは多少異なりますが、経過音的な中間のコードを鳴らすか鳴らさないかという違いです。

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裏ジャケ。ボブ・ウィアが手にしているのはなんの葉か。「スペードのエース」の思い入れ。

ビートルズのあれやこれやの端々をつかまえて、ポールは死んだ、とか、ジョンはレコーディングの前にピザを食べたとか、リンゴはシュウェップスが好きだとか、馬鹿げたことをいう病気の人が昔はたくさんいました。ボブ・ウィアも、その手の病気の人たちをからかっただけでしょう。そもそも彼は曲を作っただけであって、歌詞を書いたわけじゃないんですからね。

わたしは、ジョン・バーロウという人をいくぶん見くびっているので、そんな凝ったことをするはずがないと思っています。「Mary, Mary, I love you so」といった、名前を繰り返すラヴ・ソングというのは山ほどあるわけで、そういうもののことをいっているにすぎないと考えています。

◆ 猫のケンカは犬も食わない ◆◆
セカンド・ヴァース。

Did you ever waken to the sound
Of street cats makin' love
And guess from their cries
You were listenin' to a fight
Well, you know
Hate's just the last thing they're thinkin' of
They're only trying to make it through the night

「ノラネコが愛し合う声で目が覚めたことがあるかい、彼らの泣き声からして、きみはケンカの声をきいていたらしい、憎しみなんか彼らの頭にはない、ただああやって夜をすごそうとしているだけさ」

はあて、このヴァースはなんでしょうね。3、4行目で脈絡を失います。their criesは猫の鳴き声だと解釈するのが順当でしょうが、そこからなぜ、「きみ」がケンカの声を聴いているとわかるのか? サカリのついた猫の呼びかけの声をケンカと勘違いしている、ということでしょうか。

f0147840_1362168.jpgあと十年で機械の助けなしに猫語を完璧に解するようになっているだろう、というほどの修練を積んだ人間としては、サカリの声とケンカの声は間違えようがないと思うのですがねえ。しいていうと、サカリがつくとケンカが起きやすいですね。オス二匹にメス一匹となれば、どうしたって争いになりますから、さっきまで呼びかけていたと思ったら、もうケンカになっているということはあります。

で、話を戻しますが、このヴァースはなんだっていうのでしょう。同じ猫の声から、この二人は愛と憎しみという、異なったものを感じ取っている? なんかウソくさい、紋切り型の解釈に思えますが、ジョン・バーロウは紋切り型のところがある作詞家なので、そう受け取っておくことにします。

◆ ふたたび、嵐にそなえよ ◆◆
ここでコーラスのかわりにジェリー・ガルシアのペダル・スティール・ソロが入り、サード・ヴァースへ。

I only wanna hold you
I don't want to tie you down
Or fence you in the lines
I might have drawn
It's just I've gotten used to havin' you around
My landscape would be empty
If you were gone

「ただきみを抱きしめたいだけで、縛りつけようなんて思っていないし、ぼくが描いた線の内側に閉じこめようとも思っていない、ただきみがそばにいるのに慣れてしまっただけなんだ、きみがいなくなったらぼくの風景はむなしくなるだろう」

f0147840_1383115.jpgここも説明も検討の要もないところでしょう。It's justのところが日本語になりきっていませんが、これは弁解だと思います。きみがいることに慣れてしまったせいで、ああいうことになっただけなんだ(どういうことかわかりませんが、まあ、大事にしなくなるといったことでしょう)、許してくれないか、といったような意味だと思います。

いやあ、セカンド・ヴァースはさっぱりわかりませんが、通常の流行歌の範疇になんとか収まる歌詞で、デッドの曲で、当ブログで取り上げられる曲はこれくらいだと思っていたとおりでした。

いや、そのことはあとまわしにして、歌詞を片づけましょう。というか、またコーラスが出てくるだけです。ただし、こんどはエンディング前ですから、「嵐にそなえろ、いまにも雨が降りだすにちがいない」のラインがより効果的です。

◆ もうひとりの“エース”、ビル・クルツマン ◆◆
さて、なにから書きますか。この曲は、ボブ・ウィアのソロということになっていますが、パーソネルはグレイトフル・デッドそのままです。そのことから、これがデッドのWBにおける実質的に最後のアルバムになった、ということはつまり、「アコースティック・デッド」時代から、「第二期エレクトリック・デッド時代」へのブリッジなのである、なんていうデッド・ヘッズにとっては興味深い問題もあるのですが、受けそうもないから、これはボツ。

グルーヴのことからいきましょう。デッドのドラマーはビル・クルツマンで、途中からミッキー・ハートが出入りしますが、ダブルになったり、シングルになったりするだけのことで、クルツマンはつねにデッドのサウンドの中心であり、それはいまも変わりません。

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ストゥールにはクルツマン、奥左がボブ・ウィア、右がジェリー・ガルシア(の頭だけ)

ビル・クルツマンというのは、60年代のバンドのドラマーとしては、例外的にタイムが非常にいい人でした。そういう人ははじめからタイムがいいものですが、バンドのドラマーというのは、だいたいが非常に若いときから録音しているので、盤のうえで、いいなあ、と感じるようになるのは、69年のLive/Deadに収録された11拍子のElevenのあたりからです。

f0147840_155148.jpgつぎのライヴ盤、エポニマス・タイトルのGrateful Dead(ジャケット・デザインから、一般にSkull & Rosesすなわち骸骨と薔薇と呼ばれている)のオープナーであるBerthaや、そのつぎのMama Tried(マール・ハガードのカヴァー)なんか、ベースのフィル・レッシュのドライヴとも相まって、素晴らしいグルーヴをつくっていました。

70年代前半というのが、チューニングやスネア・ワイアの張りぐあいも合わせて、クルツマンがもっともよかった時期です。もちろん、ベースのフィル・レッシュのサウンドとの兼ね合いがあるわけで、それも含めてです。そのもっともよかった時期、クルツマンの、ウルトラ・ドライなスネアのサウンド、絶好調時のグルーヴに支えられたこのLooks Like Rainのサウンドが悪いはずがありません。クルツマンの代表作だと思います。まるでハル・ブレインを聴いているみたいな気になります。

このアルバムのタイトル、Aceはウィアのニックネームですが、わたしとしてはむしろ、クルツマンのことを「エース」と呼びたいですね。

◆ ゴッドショー初のスタジオ・セッション ◆◆
f0147840_1585877.jpgこの曲は、ピアノのキース・ゴッドショーの加入直後に録音されています。1972年から79年という、キース・ゴッドショーがいた時代がすなわちデッドの黄金時代で、このボブ・ウィアのソロは、その意味でも転回点になりました。「腕のよいピアニストがいるデッド」の時代がはじまったのです。この曲ではゴッドショーはバッキングに徹していますが、いまふりかえれば、やっぱりゴッドショー、いいプレイだと感じます(リリース当時、こっちはやっと大学に入ったばかりの小僧、そんなところまで気がまわりませんやね!)。

f0147840_281779.jpgフィル・レッシュも、このころはまだアレンビックのカスタム・ベースではないと思うのですが、強力なグルーヴで、クルツマンといっしょに、このミディアム・ロッカ・バラッドをもりあげています。レッシュらしい、ふつうではないライン取りがまたけっこうです。ルートを避ける傾向のある人なんです。

f0147840_2115351.jpgジェリー・ガルシアは、この曲ではギターではなく、ペダル・スティールです。ペダル・スティールを練習するためにNRPSをつくったのですが、それから足かけ3年、かなり慣れてきた感じです。結局、カントリーのプレイヤーのように、複数の弦をジャラジャラと弾くようにはなりませんでしたが、ガルシアらしいプレイ・スタイルをつくりあげたと感じます。遅めの曲の時にそのスタイルが生きるようで、Looks Like Rainはペダル・スティール向きの曲ではないのに、これはこれでいいと感じます。デイヴィッド・クロスビーの最初のソロ・アルバムでも、ガルシアはペダル・スティールを弾いていますが(曲名失念)、あれもなかなか「スペーシー」で悪くありませんでした。

デッドのときにはやらないタイプの、ストリングスまで入ったストレート・バラッドなので、みんな楽しそうに遊んでいる感じがします。ラヴ・バラッドで盛り上げたりしないバンドですからね。この曲のライヴ・ヴァージョンをひとつだけ持っていますが、はっぴいえんどの「朝」のエレクトリック・ライヴ・ヴァージョンのように、まったくの別人に変身しています。結局、デッドの文脈ではやりにくいということでしょう。

◆ 二人の座付き作詞家 ◆◆
f0147840_236354.jpgキース・ゴッドショーが入ったのちの、デッドとしての最初のスタジオ盤、グレイトフル・デッド・レコードの一枚目のリリースでもあるWake of the Flood(このタイトルから、本特集の匂いがプンプンしているでしょう>tonieさん。とりあげるとは確約しませんけれど)では、ウィアはふたたびバーロウと組んで、Weather Report Suiteという、明らかにLooks Like Rainから派生したと思われる組曲をつくっています。天象をあつかった曲をつくるというのは、わたしには共感できることで、この組曲はウィアの代表作だと思います。

f0147840_239275.jpgグレイトフル・デッドには、もともと「座付き作詞家」のロバート・ハンターという人がいて、おもにジェリー・ガルシアと組んでいたのですが、ガルシア同様、歌詞が書けないらしいボブ・ウィアにも作品を提供していました。しかし、いろいろ読んでみると、この二人はあまりそりが合わなかったようです。

f0147840_2404484.jpg簡単にいうと、ハンターという人は、作詞家ではなく、詩人なのです。作風からもそう感じますが、おそらく、一言一句たりとも作曲家の自由にはさせないのでしょう。作曲家は、音の都合でしばしば歌詞の一部を変更するもので、プロの作詞家は作曲家の要望に応じて、修正を加えるタイプが多いはずです。しかし、詩人はそういうことに我慢はしないのです。それでウィアと衝突することが多かったらしく、ジョン・ペリー・バーロウという人が登場したわけです。

ロバート・ハンターの歌詞は、毎度、キース・リードの歌詞よりもむずかしくて、五里霧中、めったに意味がとれることがないのですが(だから、注釈付きグレイトフル・デッド歌詞サイトが人気を呼び、書籍も出ているわけです)、ポップ指向の強いボブ・ウィアとそりが合うくらいで、バーロウの歌詞は、ハンターとは対照的に、わかりやすいものが多いと感じます。

◆ グレイトフル・デッド・コングロマリット ◆◆
最後につまらない話を加えておきます。いま、世界のアーティストのなかで、最大の売り上げを誇っているのはだれだかご存知でしょうか? グレイトフル・デッドです。売り上げ面でいうと、ストーンズなんか、デッドの前では鼻くそなんです。年商一億ドルに届くかもしれないというのだから、これはもうバンドじゃなくて、企業と呼ぶべきです。

f0147840_2474714.jpgなんでそんな奇怪なことが起きたのかと、だれでも不思議に思うわけで、CBSイヴニング・ニュースが特集を組んでいましたが、日本にきたこともなければ、呼ばれたことすらないこのバンドが、そんなことを目指したわけではないのに、そういう位置にはからずも立ってしまった背景については、つぎのチャンスのときに考えてみます。

とりあえず、『プレシディオの男たち』のDVDでもご覧になって、ショーン・コネリーといっしょに「デッドとはなんだ?」と愚問を発しながら、予習をなさっておくようにおすすめします。世界のデッド・ヘッズが、あのショーン・コネリーのセリフに、笑い死にしたことでしょう。あの映画のなかに、ちゃんとデッドが「大企業化」した背景が描かれています。シナリオ・ライターか監督が、筋金入りのオリジナル・ヘッズだったのだろうと想像しています。

あ、「head」というのは、デッド用語でファンのことです。わたしは1968年からのファンなので、「オリジナル・ヘッズ」のひとりです。70年のWorkingman's Dead以降にファンになっても、永遠にぺえぺえの兵隊(あのアルバムでファンが急増したのです)、オリジナル・ヘッズとは呼ばれないのですよ。おそれいったか!

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ボブ・ウィア
Ace
Ace
by songsf4s | 2007-10-01 23:54 | 嵐の歌