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カテゴリ:Harvest Moonの歌( 17 )
It's Only a Paper Moon by Nat 'King' Cole
タイトル
It's Only a Paper Moon
アーティスト
Nat 'King' Cole
ライター
music by Harold Arlen, lyrics by E.Y. Harburg and Billy Rose
収録アルバム
After Midnight
リリース年
1933年(初演、ナット・コール盤は1956年)
他のヴァージョン
Frank Sinatra, Harry Nilsson, Ella Fitzgerald, Lionel Hampton, Dottie Reid, Eddie Heywood, Marvin Gaye, Art Blakey & the Jazz Messengers
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本日は、月の歌となれば、やらないわけにはいかないだろうというスタンダードです。山ほどヴァージョンがあって、どれを看板に立てるか迷うところですが、ヒット・ヴァージョンでもあるし、好きなシンガーでもあるし、いままでに取り上げたことのない人ということで、ナット・“キング”・コールにしました。

◆ 芝居の背景か遊園地の景物か ◆◆
さっそく歌詞を見ていきますが、背景がわからないと設定がわからないという仕組みでして、適宜、脇道に逸れることになりますので、そのあたり、よろしく。

ヴァージョンによる歌詞の異同がありますし、ナット・コール盤は少数派に属すようですが、いちおう彼のヴァージョンに依拠します。いや、ナット・コール盤といっても時期の異なるヴァージョンがあって、ちょっとやっかいなのですが。とにかく、ファースト・ヴァース。

It's only a paper moon
Hanging over a cardboard sea
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「これはボール紙に描いた海の上に浮かぶ、紙の月にすぎないけれど、もしもきみがぼくのことを信じてくれたら、これは本物になるんだよ」

ちょい意訳が入りましたが、まあ、こんなあたりでしょう。

なによりもまず、「紙の月」とはなにか、というのが問題です。この曲には、演劇用語が登場するので、単純に、紙でできた芝居の背景の月と考えておけば、とりあえずいいだろうと思います。そういう前提で解釈して、問題が起きるわけではありません。しかし、ちょっとべつの想像もします。

最近はあまり見ませんが、わたしが子どものころは、観光地に行くと、たとえば、三度笠に振り分け荷物、九寸五分の長脇差という旅人(つまり博徒)の絵と、そのとなりには道中杖に手っ甲脚絆すがたの女性の絵、なんてえものをベニヤ板に描いたものがおいてありました。二人の顔のところには穴が開いていて、そこから顔をのぞかせて記念写真を撮る、という馬鹿馬鹿しい代物です。

紙の月とは、どうやらそういうもののことも指したのだと思われます。それは、つぎのような写真がたくさん残されていることからうかがわれます。

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この歌のおおもとをたどっていくと、ベン・ヘクト(乱歩編のアンソロジーでヘクトのミステリー短編を読んだ方もいらっしゃるでしょう)とジーン・ファウラー作のThe Great Magooというブロードウェイの芝居の挿入曲として書かれたそうです。この芝居はコーニー・アイランド遊園地で働く人間を題材にしたものだそうで、想像するに、アメリカの遊園地には、この写真撮影用の「紙の月」があったのではないでしょうか。だから、記念写真が山ほど残されているのだと思います。

f0147840_054228.jpgそこまで考えると、単純に芝居の背景の紙でできた月というところから一歩踏み込んで、劇中のコーニー・アイランド遊園地には「紙の月」があり、その前で女の子に語りかけるといったシーンで歌われたものではないか、などというところまで入りこんでいきます。

まあ、どちらに考えても、歌の意味が変わるわけではありません。この月は紙に描いた偽物にすぎないけれど、ぼくのことを信じてくれれば、これは「ごっこ」(make-believe)ではなくなる、つまり、本物になるんだよ、といっているわけです。1933年、日本でいえば昭和8年、東京中が毎晩「東京音頭」を踊り狂った年の作品ですから、たわいのない設定は、突っ込みの対象ではなく、味わうべき対象です。

◆ sailする空と月 ◆◆
セカンド・ヴァース。

It is only a canvas sky
Sailing over a muslin tree
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

「モスリン地の木の上に浮かぶ、ただのキャンヴァスに描いた空にすぎないけれど、きみがぼくのことを信じてくれれば、本物になるんだよ」

f0147840_0572342.jpgファースト・ヴァースと同工異曲で、月を空に置き換えただけのことです。最近はあまりいわないようですが、モスリンは織物の名称です。布を切ってつくった木の押し絵のようなものをいっているのでしょう。

空がsailするのはすこし奇妙に感じますが、辞書には「The moon was sailing high」という用法が載っています。雲もsailというとあります。空も月も雲も静止しているというより、浮動している感じがするわけで、それを反映した表現なのでしょう。ヴァージョンによって、sailはファースト・ヴァースの月に使い、セカンド・ヴァースの空にはhangを使っているものもあります。

◆ ホンキートンク・パレードとペニー・アーケイド ◆◆
つぎはブリッジ。

Without your love
It's a honky-tonk parade
Without your love
It's a melody played in a penny arcade

ここがいちばん引っかかった箇所です。honky-tonk paradeというのは、どうやら演劇用語で、出来の悪い芝居を意味するようです。honky-tonkの本来の意味は南部の安酒場のことですから、そういう場所での出し物のようだ、というので、騒々しいばかりで内容のない芝居をhonky-tonk paradeと皮肉ったのだろうと想像するのですが(小さな芝居一座が西部をまわって、酒場で芝居をやるというシーンをなにかの映画で見た記憶があることを付け加えておきます)、これは当たるも八卦当たらぬも八卦のたぐいですので、あまり信用なさらないように。

f0147840_122221.jpgpenny arcadeというのは、当今のゲームセンターのようなものですが、昔は、コインを入れると短い映画を写す機械(いわゆる「ニッケル・オデオン」または「ニケロディオン」。大きなスクリーンに映写するわけではなく、双眼鏡のような形のものから小型テレビのようなものを覗きこむ仕組みなので、ひとりしか見られない)もおかれていたようで、わたしは、そういう映画の音質の悪い音楽のことを思い浮かべました。大昔のことですが、近所のデパートの屋上で、そういう機械で短編漫画映画を見たことがあるんです。日本にもそういうものがあったと証言しておきます。

したがって意味としては「きみの愛がなければ、この世はまるで出来の悪い芝居、きみの愛がなければ、この世はまるでペニーアーケードに流れる音楽のようなもの」というあたりで、愛がなければ意味がない、ということをいいたいわけです。

◆ 人生は安手のサーカス ◆◆
つづいてサードにして最後のヴァース。

It's a Barnum and Bailey world
Just as phony as it can be
But it wouldn't be make believe
If you believed in me

またしても辞書が頼りのラインが登場です。リーダーズ英和辞典には、つぎのような記述があります。

バーナム P(hineas) T(aylor) ~ (1810-91) 《米国の興行師・サーカス王; James A(nthony) Bailey (1847-1906) と共に Barnum & Bailey Circus を成功させた》

文脈から考えて、バーナムとベイリーのものはとくに質のよいサーカスではなかったのでしょう。「この世はまるでバーナムとベイリーのサーカスみたいなひどい偽物さ、でも、きみがぼくを信じてくれるなら、本物になるんだよ」といった意味になります。

f0147840_135225.jpgここまで触れずにきましたが、believe inというのは、わたしが子どものころには、「(存在、実在などを)信じる」という意味であって、「きみのいうことを信用しよう」といいたいのなら、I believe youといわなければいけない、I believe in youでは意味が変わってしまうと教わりました。ラヴィン・スプーンフルのDo You Believe in Magicのような用法が正しいということです。

しかし、この曲が書かれたころには、たぶん、用法のそのような明快な分化はおこなわれていなかったのではないでしょうか。日本語でも戦前と現今では意味、用法が変わった言葉や句はたくさんあります。人によってはif you believe to meと歌っているのは、believe inの現代的な意味との衝突を嫌った結果なのだろうと思います。もっとも、日本の教育現場では、believe to meという言いまわしも、教えていないのではないかと思います。あまり見かけない用法です。

◆ またしてもシナトラ=リドル ◆◆
さて、ここからは各種ヴァージョンの検討ですが、いやもう、こんなに往生した曲はありません。なんといっても、スタンダードなので、ジャズのほうのヴァージョンが多いのにへこたれました。ジャズというのは、わたしの理解するところでは、すくなくとも戦後のものは、インプロヴにプライオリティーをおく音楽です。したがって、楽曲はインプロヴのためのヴィークルにすぎず、途中からは、メロディーは意味を失い、コード進行だけを借りるという状態になるわけですよね。そんな状態で、ヴァージョンの聴き比べなどやっても、あまり意味がないように思えるのです。

でもまあ、そういっては身も蓋もないので、とりあえず、ヴォーカルものだけでも見ていきましょう。

f0147840_19041.jpgなんといっても、わたしの好みはフランク・シナトラ盤です。あやしい編集盤でもっているだけなので、出所不明なのが困りものです。シナトラは何度かこの曲を録音しているようですが、わたしがもっているものは1940年代の音ではありえないので、1960年のSinatra's Swingin' Session!!!収録のヴァージョンと思われます。

これはキャピトルでの最後の盤で、アレンジャーはネルソン・リドルです。じっさい、ものすごい管のアレンジとサウンドで、リドルにちがいないと感じます。いまディスコグラフィーで確認したのですが、どうやら、わたしがもっている編集盤は、このLPのトラックを全曲収録しているらしく、いま、ひととおり聴き直しましたが、充実のアレンジ、卓越したプレイ、圧倒的なサウンドで、たとえヴォーカルがシナトラでなくても、十分に楽しめる出来です。

◆ 決定的な時期に録音されたマーヴィン・ゲイ盤 ◆◆
つぎは、あまり賛成が得られないでしょうが、マーヴィン・ゲイ盤が気に入っています。いや、1963年のものですから、ゲイの歌はまだ若くて、味わいのあるものではありません。でも、ドラムが好みなんです。正確さと強さを兼備したこのプレイヤーは、アール・パーマー以外に考えられません。いいプレイです。

f0147840_111551.jpgデトロイト派にはご異存がおありでしょうが、キャロル・ケイが参加する以前から、モータウンはハリウッドで録音していたという証拠がまさに、この1963年のA Tribute to the Great Nat King Coleというマーヴィン・ゲイのアルバムだと感じます。こんな音がデトロイトでつくれるのなら、はじめからモータウンはハリウッドのプレイヤーを必要としなかったでしょう。これがハリウッドでないなら、モータウンのハリウッド録音などゼロなのだという意見に賛成してもいいくらいに、ガチガチのハリウッド・サウンドです。モータウンLA問題にご興味がおありの方はぜひ聴いておくべき盤だと確信します。

つぎはエラ・フィッツジェラルド盤ですが、これまた編集盤収録で、録音時期がわかりません。しかし、ヒット曲集に収録されているので、ヒット・ヴァージョンではないかと感じます。声がすごく若くて、ミディアム・テンポで、力まずに歌っているところが好ましく感じます。こんなにいい感じに歌っていた人が、後年、なんであんなにイヤッったらしく「歌いまわす」ようになったのか、不思議というしかありません。年をとってからのエラは、わたしがもっとも嫌悪するタイプのシンガーです。「まわすな、こねるな、素直にやれ」とくり返しておきます。うろがまわって、歌い方を忘れたのでしょう。年はとりたくないものです。

ニルソン盤は、アウトテイクを没後にリリースしたもので、評価の対象外です。ものすごくスロウにやっていて、あの盤の他の曲と色合いを一致させています。ただ、歌詞の内容から考えて、軽く歌うべき曲のように思われるので、オリジナルLPへの収録が見送られ、ニルソンが生きているあいだはリリースされなかったのは当然だと感じます。

f0147840_1204420.jpg映画『ファニー・レイディー』のなかで歌われた、ジェイムズ・カーンのヴァージョンもあります。カーンは意外にいい声をしていて、しかも素直に歌っていて、拾いものでした。

わたしはジャズ・ファンではないので、よく知らない人のものもあります。調べれば簡単にわかるのでしょうが、時間がないので省略します。わが家にはドティー・リードという女性歌手のヴァージョンがあります。エラより速く、シナトラに近いテンポですが、バックのプレイも合わせて、なかなか心地よい出来です。可愛らしい声で、ちょっと気になるシンガーです。声のよさには、どんなテクニックもかなわないのだ、とまた思うのでした。

メアリー・アン・マコールという人は、歌い方が嫌いなタイプなので、気に入りませんでした。くどいのはダメ。

◆ 楽曲不要の自己至上主義プレイ ◆◆
さて、インスト盤ですが、いわゆる「インスト」はゼロで、ジャズ・プレイヤーのものばかりです。ちょっと退屈しましたが、いちおう、名前だけ並べておきます。チャーリー・パーカー、ライオネル・ハンプトン、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ、エディー・ヘイウッド。

f0147840_1231749.jpgそんな風にプレイするなら、楽曲なんか選ぶ必要ないじゃんか、適当にコードを並べればいいだけだろ、メロディーさえつかわなければ、著作権使用料を払う必要もないのに、バッカみたい、でした。彼らは自分たちのためにプレイしているのであって、ギター・インスト・バンドのように、リスナーやオーディエンスのためにプレイしているわけではないということなのでしょう。

唯一、エディー・ヘイウッドという人のものだけは、きちんとアレンジされ、ダンサブル(といっても、現在のダンスじゃ毛頭ござんせんがね)かつリスナブルな出来で、エンターテインしてくれています。
by songsf4s | 2007-09-24 23:51 | Harvest Moonの歌
Moon of Manakoora by Dorothy Lamour
タイトル
Moon of Manakoora
アーティスト
Dorothy Lamour
ライター
Frank Loesser, Alfred Newman
収録アルバム
未詳(映画『Hurricane』挿入曲)
リリース年
1937年
他のヴァージョン
Axel Stordahl, Los Indios Tabajaras, the Ventures, Hal Aloma and His Orchestra, Al Shaw & His Hawaiian Beachcombers
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f0147840_155346.jpg今回の月の曲は、秋の音のようには聞こえませんし、歌詞もあまり面白くはないのですが、音は面白く、なかなかいいヴァージョンがそろっているうえ、インストゥルメンタルが多いのもわたしの好みなので、他の面倒な曲を避け、楽をするために取り上げてみました。楽をするつもりだったのに、思わぬ陥穽にはまる、というのをいままでに何度もやっているので、今夜も調べもので苦しむかもしれませんが。

もっとも好ましいヴァージョンはべつのものなのですが、オリジナルだという理由で、ドロシー・ラムーア盤を看板に立てました。これもなかなかよい出来ですし、歌のあるヴァージョンはわたしの手元にはすくないので、彼女のヴァージョンをもとに歌詞を見ていくことにします。

◆ マナクーラを求めて ◆◆

The moon of Manakoora filled the night
With magic Polynesian charms
The moon of Manakoora came in sight
And brought you to my eager arms

「マナクーラの月がポリネシアの魔力で夜を満たしている、マナクーラの月が姿をあらわせば、あなたをわたしの恋する腕に引き寄せるでしょう」

f0147840_1563827.jpgグーグルというものがあるので、ナメていたのですが、いきなり調べものの陥穽にはまりそうになりました。マナクーラとはどこのことだ! グーグルはこの曲の各種ヴァージョンばかり吐きだして、いっこうに島を見つけてくれません。

しかし、急いでいるときには救いの髪が洗われる、もとい、救いの神があらわれるもので、ときおりのぞいているティキ・セントラルというエキゾティカ関係掲示板のスレッドに、解答と思われるものがありました。ティキ/エキゾティカ狂いの連中が、マナクーラ島は「左のスピーカーと右のスピーカーの中間に存在する」というぐらいなので、これはジョン・フォードかシナリオ・ライターがつくった、ポリネシアの架空の島にちがいありません。

マナクーラはわかった、でも、ポリネシア(ドロシー・ラムーアの発音では「ポリニージア」ですが)とはどこのことだ、というくどい人のために、平凡社世界大百科の定義を以下にコピーしておきます。

太平洋の島々のうち、北はハワイ、南はニュージーランド、東はイースター島を頂点とする一辺およそ8000kmの巨大な三角形に含まれる島々の総称。ポリネシアという言葉は、元来ギリシア語で〈多数の島々〉を意味する。地質学的には、オーストラリア大陸プレートの前縁にあたるニュージーランド、ケルマデク諸島、トンガ諸島と、太平洋プレート上のハワイ、マルキーズ諸島、ソシエテ諸島など数多くの諸島からなる。

よろしいあるか? では、先に進むあるぞ。

◆ やっぱり月の魔法 ◆◆
セカンドにして最後のヴァース。

The moon of Manakoora soon will rise again
Above the island shore
Then I'll behold it in your dusky eyes
And you'll be in my arms once more

「マナクーラの月が島の岸辺にまた昇れば、あなたの悲しげな目に月の姿を見るだろう、そして、あなたはまたわたしの腕のなかに還る」

f0147840_1592083.jpgこりゃもうブードゥーみたいなもので、Mr. Moonlightならぬ、Miss Moonlightの呪いという感じであります。いったい、『ハリケーン』というのはどういう映画だったのでしょうか。ドロシー・ラムーアの役柄は「酋長の娘」となっていて、巫術のたぐいを弄しても不思議はなさそうですが。

ドロシー・ラムーアの歌をはじめて聴きましたが、ちょっと怖いといえば怖いものの、なかなかけっこうです。うしろはスティール・ギターやウクレレを使って、ハワイアン風にやっていて、マナクーラはやはり、ハワイ諸島のどこかのつもりだったことをうかがわせます。

◆ ラーサー話変じてラニアン話 ◆◆
本題である音のほうにいくまえに、作詞家のフランク・ラーサー(と発音すると辞書にはあります)について。

f0147840_213088.jpg1937(昭和12)年に活躍していた人なので、とっくに故人かと思ったら、とーんでもない、まだ現役らしく、凝ったオフィシャル・サイトまであったので、びっくりしました。このサイトに行かれるようならご注意申し上げますが、ご自分のプレイヤーをストップしてからにしたほうが賢明です。むやみに音楽が流れてきて、往生しました。

それはともかく、この歌詞を書いたときには、ラーサーはまだ27歳、これが彼にとって最初のヒットだったそうです。このとき、ラーサーは撮影所に雇われていたというのだから、昔のメイジャー・スタジオのありようが見えてきます。シナリオ・ライターや作曲家やアレンジャーが常勤だったように、作詞家もまたスタジオに勤めていたのです。それどころか、バディー・コレットの自伝を読むと、プレイヤーもみな各スタジオの専属だったそうで、60年代以降のハリウッドとはまったくようすが異なります。映画スタジオには、まだたっぷり金があったのです。

f0147840_2111452.jpgラーサーはハリウッド映画とブロードウェイ・ミュージカルの世界で活躍したそうで、代表作は『努力しないで出世する方法』『野郎どもと女たち』Guys and Dollsだといわれて、ああ、あれか、でした。デイモン・ラニアンの短編をいくつかつなげて、ひとつのストーリーにしたもので(落語をいくつかまとめた映画というのが、『幕末太陽伝』や、エノケンの長屋ものなど、日本にもありますね)、ブロードウェイ版は知りませんが、ハリウッド版では、マーロン・ブランドが「スカイ」を演じ、歌までうたっていました(ま、ミュージカルだから、避けようもないわけですが)。ラニアンの面白さが十全に生かされたストーリーとは思えず、忘れていい映画だと思います。ブランドもミスキャストと感じました。

f0147840_2133276.jpgラニアン原作の映画を見るなら、やはり『一日だけの淑女』とそのリメイク『ポケット一杯の幸福』でしょう。後者ではアン=マーグレットがデビューしていて(脇でピーター・フォークがギャングの代貸を好演)、『バイ・バイ・バーディー』以降の彼女とはまったく異なり、ひどくキュートに撮れていて驚きました。小津作品のときの岡田茉莉子が別人なのといっしょです。

えーと、ラーサーはさておき、デイモン・ラニアンとフランク・キャプラは大好きだという話でした。失礼。

◆ ニューマン一族 ◆◆
なんて見出しをつけてみましたが、やめましょうや。あと一時間で更新しなきゃならないのだから、ハリウッドに深くはびこった一族のサーガなんて書けるはずがありません。

f0147840_2171789.jpgものすごく簡単にいうと、この曲をつくったアルフレッド・ニューマンは、ランディー・ニューマンの叔父さんにあたる人です。ライオネルやエミールの長兄で(10人兄弟の長男)、ピアニストとしてスタートし、舞台のミュージカルで指揮をとっているうちに、アーヴィング・バーリンに、ハリウッドにいくといい、といわれたことがきっかけで、映画界に入ったそうです。バーリンがニューマン一族のメフィストだったことになりますなあ。

20世紀フォックスの音楽部長をつとめ(ただけでなく、もちろん、作曲、編曲、指揮などもした。とうてい、管理職の片手間仕事とはいえない膨大な数の映画に音楽をつけている)、人事も担当したので、デイヴィッド・ラスキン(公式にはチャップリン作とされている曲の真の作者のひとりといわれる)、バーナード・ハーマン、ジョン・ウィリアムズらのキャリアをスタートさせたのだそうです(いやはや、超大物ばかり)。

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血の雨が降る二人、バーナード・ハーマンとアルフレッド・ヒチコック

もちろん、エミールとライオネルという弟たちも、この偉いお兄さんのおかげでスタジオ入りできたわけで、まだ生まれていないランディー・ニューマンの未来も、この叔父さんが決めてしまったといってもいいくらいです。デイヴィッドとトーマスというアルフレッドの二人の息子もハリウッド音楽界で働いているそうで、わたしは最近、なにかの映画でこのどちらかの名前を見ました。もちろん、「一族」の人間にちがいないと思ったわけです。

作品としては、『アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド』『ショウほど素敵な商売はない』『王様と私』『南太平洋』などなどが並び、最後に近い作品が『大空港』だそうです。いやあ、有名作ばかりで、なんだか疲れちゃいました。

あ、そうそう、アルフレッド叔父さんは20世紀フォックス映画の冒頭に出てくる、あの大げさなアニメーションの音楽を書いたそうです。ということは、だれでも、いやでも、彼の音楽をいまでも聴いていることになります。

◆ やっと出ましたアクスル・ストーダール ◆◆
さてお待ちかね(だったのはわたしですが)、インスト盤観兵式のはじまりです。これだけが目的でこの曲を取り上げたのに、前ふりの長かったこと、もう肝心のことを書く時間がほとんど残されていません。

f0147840_226466.jpgまず、すごいのはなんといっても、アクスル・ストーダール盤です。かつて、トロピカル・スリーヴ・ギャラリーのときに、この盤のジャケットを使い、まだ聴いていない、早く聴きたいと書いたことなんか、もうお忘れでしょうが、やっと念願かなって、聴くだけでなく、ここに取り上げることができました。

とにかく、ドッヒャーというしかないサウンドです。半音進行ばかりの変なメロディー(ちょっとDeep Purpleを思いだしますが、あそこまで徹底して半音進行を使っているわけではありません。もちろん、Deep Purple同様、CからCmへと移動するといった変則的コード進行を使っていますが)を、大人数のヴァイオリンでやるとどうなるかは、すでにレス・バクスターの諸作で知っていましたが、こちらも、レス・バクスター金満オーケストラに勝るとも劣らぬスケール感と酩酊感です。こういう効果って、ワーグナーもなにかで使っていたような気がするのですが、「トリスタンとイゾルデ」でしょうか? Somebody help me!

シナトラのアレンジャーが、自分の名義の盤ではいったいどういうことをしているのか、という興味でこの盤を手に入れたのですが、いや、やっぱりただのネズミではありませんでした。ヴァイオリンがいいのはもちろんとして、フルート部隊とフレンチ・ホルン部隊(その裏で、トロンボーンと判断のつかない管楽器もいっしょに鳴らしているところが、なかなかの技です)の使い方がけっこう毛だらけ。この手のサウンドは、まだポップ/ロックにのめり込む以前、映画狂だった幼稚園から小学校のときに浴びるように聴いたものなので、年をとってくると、本卦還りでコロッとやられてしまいます。

f0147840_230935.jpgつぎはどの盤でしょうか。ムードがあるのはタバハラス・ヴァージョンでしょうかね。ちゃんとサウンド・イフェクトまで入って、正調エキゾティカをやっています。うーむ、当ブログのお客さんのなかに、本邦におけるロス・インディオス・タバハラス研究のオーソリティーもいらっしゃるので、うかつなことが書けず、固まっちゃいました。

その方に、タバハラスは高音部の指板を削って、弦を深く押さえ込めるようにしているのだと教えていただきました。つまり、ベンドと同じ効果(フレットを移動せずにピッチをスラーさせる)をよりスムーズに実現できるようにしているわけです。これは有名なMaria Elenaの冒頭で聴くことができますが、このMoon of Manakooraでも、ベンドに聞こえる音は、おそらくその「押さえ込み」によって実現しているのでしょう。それはともかく、タバハラスのハワイアンというのも、変だといえば変ですが、これはこれで悪くないように思います。雰囲気的には違和感がありません。

◆ 出所不明盤および出所鮮明盤 ◆◆
ほかにも、ラウンジ/エキゾティカ/ハワイアン傾斜のせいで転がり込んできた、よくわからないヴァージョンもあります。

まずはハル・アロマ楽団。ライナーによると、ハル・アロマというバンド・リーダーはハワイ生まれだそうで、オーセンティックなハワイアンなのだといっていますが、ハリウッドを代表する作曲家であるアルフレッド・ニューマンが、ハリウッドを代表する監督であるジョン・フォードの映画のために書いた音楽を、オーセンティックなハワイアンというのは無理があります。

f0147840_231386.jpgでもまあ、わたしはオーセンティシティーなどということは気にしないというか、フォニーにはフォニーにしかないよさがあると考えるので、そのへんにはこだわりません。リード楽器は、たぶんペダルなしのラップ系スティール・ギター、ピッチの低い不思議なスティール・ギターと思われるもの、ヴァイブラフォーンと、順に交代していきます。このヴァイブが出てくる一瞬の、バックのスティール・ギターのオブリガートが妙に気持ちがよくて、ここばかり聴いてしまいました。1959年の録音だそうですが、うしろのほうでかすかに、スラック・キー風のギターの音も聞こえます。いや、ただのギターか。

f0147840_2343658.jpgデータがわからないのは、ハワイアンの編集盤に入っていた、アル・ショウ&ヒズ・ハワイアン・ビーチコーマーズというバンドのものです。これは純粋なインストではなく、昔のビッグ・バンドのように、曲がはじまってかなりたってから、男女デュエットによるヴォーカルが出てきます。メロディーを変えたわけではないのに、ドロシー・ラムーア盤やアクスル・ストーダール盤にあった、魔術的な雰囲気はまったくなく、あっけらかんとしています。モノなので、どうやら戦前の録音で、スティール・ギターとアコーディオンが使われています。

さて、どん尻に控えしはヴェンチャーズです。セカンド・アルバム収録のものなので、いつものメンバーであろうといってすませたいところですが、ベースは明らかにフラット・ピッキングで、親指フィンガリングしかしなかったというレイ・ポールマンには思えません。この時期、あとはだれがベースを弾いた可能性があるか、ちょっとむずかしいところです。

テンポが遅いので、ドラムが活躍する余地はなし、したがって、プレイヤーの推測もできません。ブラシを廻さず、ただ2&4を「ヒット」しているところが、やっぱりちょっと変で、変わったドラミングをするので有名な人である可能性が大ですが。

つまり、ビリー・ストレンジのソロみたいな曲だということなので、リードを聴けばそれでよいというトラックです。さすがはビリー・ストレンジ、こういうテンポでも、けっして突っ込むことがなく、ゆったりとしたグルーヴをつくっています。こういうプレイは若造にはできません。いや、ボスもこのころは若かったのですが、プレイはすでに大人です。突っ込みまくる旅人看板ヴェンチャーズとは大違い。

以上、オリジナル・ヒット(映画には歌は出てこないという話も聞きましたが)であるドロシー・ラムーア盤、それに強烈なストリングス・アレンジで攻めまくるアクスル・ストーダール盤という、2つの魔術的ヴァージョンがよろしいのではないかと思います。

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◆ 訂正(2007年9月20日) ◆◆
tonieさんがコメントで書かれたことを、念のためにこちらにも。ジョエル・ウィットバーンのPOP MEMORIES 1890-1954には、ドロシー・ラムーアのMoon of Manakooraは登場せず、この曲がチャートインしたのは、「38年のビング・クロスビー10位、レイ・ノーブル15位」の2回のみだそうです。

したがって、ドロシー・ラムーア盤がオリジナル・ヒット・ヴァージョンであるというわたしの記述は間違いということになります。謹んで訂正いたします。
by songsf4s | 2007-09-19 23:57 | Harvest Moonの歌
Lullaby in Ragtime by Nilsson
タイトル
Lullaby in Ragtime
アーティスト
Nilsson
ライター
Sylvia Fine
収録アルバム
A Little Touch of Schmilsson in the Night
リリース年
1973年
他のヴァージョン
Danny Kaye
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ニルソンのNilsson Sings Newmanは、わたしの「棺桶に入れたい13枚」の1枚ですが、Harryや、このLullaby in Ragtimeが収録されたA Little Touch of Schmilsson in the Nightも、棺桶が「付き馬」のような「頭抜け大一番」サイズで、130枚入るならば、やはり入れてもらいたいアルバムです。

そして、Lullaby in Ragtimeは、わたしの鼻歌ベスト・テンの1位に、この20年間ぐらいずっと居坐りつづけているほど好きな歌です。そのわりには歌詞の意味を気にしたことがなかったのですが、それはたぶん、たいした意味はないからだと思います。でも、念のために、細かく見ていくことにしましょう。

◆ サンドマンふたたび ◆◆
以下はファースト・ヴァース、というか、構成がよくわからないのですが、とにかく、はじめに歌われる部分です。

Won't you play the music so the cradle can rock
To a lullaby in ragtime
Sleepy hands are creeping to the end of the clock
Play a lullaby in ragtime
You can tell the sandman is on his way
By the way that they play
As still, as the trill, of a thrush, in a twilight high

わたしの鼻歌オールタイム・ナンバーワンになるくらいだから、音韻がいいのは当然ですが、こうして改めてみると、記憶があいまいでナンセンス・シラブルに置き換えて歌っていた箇所は、ちょっと意味がとりにくくもあります。

「ラグタイムの子守唄で揺り籠が揺れるような音楽をやってくれないかな、時計の端に眠気をもよおした手がそっと忍び寄るように、ラグタイムで子守唄をやってくれ、黄昏時のツグミのさえずりのように静かなプレイのしかたで、サンドマンがもうじきやってくることがわかるよ」

いやはや、日本語のリズムがガタガタなのはご容赦を。By the way that they playなんて表現は、日本語がもっとも苦手とするもので、わたしのせいというより、日本語の性質のせいなのです。byとwayとplay、theとthatとtheyという組み合わせのおかげで、ここは音韻的に非常に面白く、また、歌って気持ちのいいところなのですが、音を取り去って、意味だけ書いては話になりません。

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アウトテイクを集めたCD、A Touch More Schmilsson in the Night。It's Only a Paper MoonやI'm Always Chasing Rainbowsなど、A Little Touch of Schmilsson in the Nightから外された曲がはじめて陽の目を見た。Lullaby in Ragtimeのオルタネート・テイクも収録されている。

twilight highというのも響きのいい言葉の並びです。ツグミ(にかぎらず、たいていの鳴鳥がそうですが)は朝夕に啼くので、気分がハイになって、という意味でtwilight highといっているのでしょう。

「サンドマン」すなわち眠り男(E・Th・A・ホフマンの短編に「砂男」というのがありましたが)については、ボビー・ジェントリーのMorning Gloryのところでふれました。

◆ 銀色の月ならぬ、銀の音色 ◆◆
つづいてセカンド・ヴァースまたはヴァースとコーラスの一体化したもの。

So you can hear the rhythm of the ripples
On the side of the boat
As you sail away to dreamland
High above the moon you hear a silvery note
As the sandman takes your hand
So rock-a-by my baby
Don't you cry my baby
Sleepy-time is nigh
Won't you rock me to a ragtime lullaby

「夢の国に向かうボートの舷側に寄せくるさざ波のリズムが聞こえるだろう、サンドマンが手をとると、月よりも高くに銀の鈴のような音色が聞こえるだろう、だからお眠り、わたしのベイビー、泣くんじゃないよ、わたしのベイビー、おねむの時はもうすぐだから、ラグタイムの子守唄に合わせてわたしを揺すってくれないか」

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オリジナルのA Little Touch of Schmilsson in the Nightに、アウトテイク集の曲を加えて集大成したCD、As Time Goes By。いまはこれがとってかわってしまったが、やはりオリジナルの選曲のほうがよかったと感じる。

どちらかというと、このヴァースのほうが好みですが、最後に、ベイビーではなく、自分を揺すってくれといっているのを、何度も歌いながら、気づいていませんでした。子どもを寝かしつけようとして、大人のほうが寝てしまうというのは、川柳や落語のネタなので、そういうようなことなのだろうと、笑って自分のうかつさも見逃すことにします。

あとは弦の間奏があり、So rock-a-by my baby以下をくり返すだけで、もう新しい言葉は出てきません。

◆ 伝統の底力 ◆◆
このアルバムはリリース時点では買わず、数年後に聴いたのですが、それがかえってよかったように思います。十代では、ゴードン・ジェンキンズのアレンジを聴く気分にはこちらがなっていませんし、また、聴いても、古くさいオーケストラ音楽と思っただけで終わったと思います。

f0147840_183160.jpgじっさい、リリースから数年後にはじめて聴いたとき、このアルバムのオーケストレーションには、ベッドから転がり落ちるほどの衝撃を受けました。ロックンロールがポピュラー・ミュージックの世界から吹き飛ばしてしまった「伝統」の力に驚いたのです。70年代にこれだけのアレンジとアンサンブルが実現できたというのは、ほとんど奇蹟ではないかと思います。ゴードン・ジェンキンズが健在だったことと、ハリウッドがつねにこうしたタイプの音楽を必要としていたために、伝統が保持された結果だろうと思います。

わたしのようなほとんど純粋培養のロックンロール小僧が、大人になってこうした音楽にストレートに反応したのは、たぶん、子どものころに見たハリウッド製ミュージカル映画とディズニーのアニメーション映画のおかげでしょう。ジェンキンズのアレンジは、そういう時代の匂いを濃厚に伝えながら、古くささのない、新鮮な響きを生み出すことに成功しています。

ディジタル・シンセサイザーというのは、音楽をつくる道具としてはあまりにも雑駁ですが、音楽を分析する道具としてはこれ以上のものはないと思います。かつてMIDIで、ジャック・ニーチーのThe Lonely Surferや、ジョン・バリーのGold Fingerのオーケストレーションをコピーしてみたのですが、わずかな曲をやっただけでも、じつにいろいろなことがわかりました。

なによりも啓発的だったのは、フレンチ・ホルンという楽器は、ピッチによっては沈んでしまう、ということがわかった点でした。友人にきいたところ、クラシックではそれは常識で、たとえば、フレンチ・ホルンの1オクターブ上に薄くフルートを重ねるなどの処理によって輪郭をつくり、沈むのを防ぐのだそうです(ハリウッドのスタジオのやり方を連想された方もいるでしょう。そう、フィル・スペクターやブライアン・ウィルソンがやったことに通じるのです)。

オーケストレーションというのは、こういう小さな知識を経験とセンスによって組み合わせ、目的の効果を上げることなのだと思います。ゴードン・ジェンキンズは、生涯、そういうことをやってきた人ですから、クラシックではなく、わたしが小さいころから親しんできた映画スコアのイディオムを、ニルソンのこの盤で集大成したという印象で、それで、はじめて聴いたときに衝撃を受けたのだと思います。

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左からビリー・メイ、フランク・シナトラ、ドン・コスタ、ゴードン・ジェンキンズ。ニルソンがこのアルバムをつくるにあたって、シナトラを意識しなかったはずがない。

もう、こうした音楽が顧みられなくなっていた時代ですから(73年になにを聴いていたか思いだしてください、ゼップとかディープ・パープルとかだったりするんじゃないですか? わたしはカムバックしたビーチボーイズを徹底的に聴いていました)、ゴードン・ジェンキンズは、これを遺作にしようというくらいの気組みでアレンジしたのではないかと、わたしは考えています。けっして力みは感じませんが、隅々にまで神経がゆきとどいた、じつに気持ちのよいオーケストレーションです。

プレイヤーもみなうまくて、これまた伝統の力を感じます。ギターはアコースティックですが、いわゆるフォーク・ギターではなく、ピックアップを通さないフルアコースティックのジャズ・ギターの生音です。このサウンドがまた、当時のわたしには新鮮に響きました。かつてラリー・コリエルが、他人のソロのバックでよく使っていたのを思いだしたのですが、このニルソン盤のギタリストは、コリエルのような若造ではないでしょう。ジェンキンズがシナトラの録音でも起用したプレイヤーじゃないでしょうか。ドラムもシナトラの盤と同じタイムのように感じます。

◆ 60年代的ヴォイス・コントロールの集成 ◆◆
ニルソンという人はじつに歌がうまいのですが、「わたしの時代」のシンガーなので、「歌いあげる」ことはめったにしません(Without Youのシャウトは例外中の例外)。とりわけ、戦前の曲をカヴァーしたこの盤では、歌いあげたりすると、一直線で古代にジャンプしてしまうので、注意深く、じつに注意深く抑揚をコントロールしています。

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ゴードン・ジェンキンズとハリー・ニルソン。49人編成のオーケストラだったというのだから、ハル・ブレインが「飛行機の格納庫のようにだだっ広い」と表現した、ハリウッドのRCAのAスタジオだろう。「クラシックのRCA」を支えたスタジオである。

ソングライターとしてスタートした人なので、彼の盤を聴くこちらも、ふつうはまず楽曲の出来を気にするのですが、このアルバムはすべてカヴァー曲ですから、ニルソンがいかにスタンダードを歌うかに興味の焦点がきます。彼は十分にそのことを意識して、最初の発声の強さから、語尾の延ばし方と「呑み込み方」にいたるまで、慎重に計算して歌っています。

となると、どうしてもシナトラを連想するわけですが(じっさいニルソンは、ジェンキンズが書き、シナトラも歌ったAll I Askもこの盤でカヴァーしている)、やはり、ニルソンは「わたしの時代」のシンガーだと感じます。その時代がどういう時代だったかという知識と想像力を駆使しなくても、彼がやろうとしていることはすんなり耳に収まるのです。

シナトラを聴くときは、この時代はこうだったのだろうから、ここをこう歌うのは、たぶんこういう意図なのだろう、などと考えるときがあるのですが、ニルソンについては、まったくそういう努力がいらないのです。ただただ、うんうん、そうだ、ハリー、その調子だ、俺たちはそういう風に歌うのが正しいとされる時代に育ったよな、とうなずくだけなのです。涙が出るような経験なのですよ、ニルソンが真剣に昔の曲を歌うのを聴くのは。

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ハープの弦越しのハリー。このアルバムでは、全曲、オーケストラといっしょに「ライヴ」で歌ったという。これまたシナトラのやり方、伝統的な録音方法である。

アルバム全体を聴き直していると、これも墓場までもっていく13枚に入れるべきのような気がしてきました。わたしが知っているアメリカ音楽のよさが、最後の光芒を放った一枚ではないでしょうか。

◆ ラグタイムの子守唄? ◆◆
ラグタイムというのは、わたしが理解しているかぎりでは、テンポが速めで、どちらかというとにぎやかな音楽スタイルのはずですが、ニルソン盤はスロウ・シャッフルのアレンジです。にぎやかな子守唄というのが、そもそも矛盾しているように思うので、いかにも子守唄らしい、ゆるいグルーヴのニルソン盤の解釈は正しいのではないかと思います。

f0147840_1341816.jpgLullaby in Ragtimeのオリジナルは、映画『五つの銅貨』でのダニー・ケイの歌で、ライターはケイの夫人だったシルヴィア・ファインです。この映画を見ているのに、この曲についてはまったく記憶がありません。記憶がないということは、わたしの好みではなかったということなのだと考えておけばいいわけで、ニルソン盤がなければ、この曲に注目することはなかったでしょう。

ただ、この曲のコード・チェンジはなかなか面白いところもあって、かなり腕のあるソングライターなのだろうと感じます。盤はもっていないにしても、『五つの銅貨』のVCRはどこかにあるはずなのですが、見つからなかったので、オリジナルの検討は、いつかべつの日に。シルヴィア・ファインの他の曲を検討する機会もあるのではないかと思います。
by songsf4s | 2007-09-17 23:56 | Harvest Moonの歌
Whiskey by New Riders of the Purple Sage
タイトル
Whiskey
アーティスト
New Riders of the Purple Sage
ライター
John Dawson
収録アルバム
Gypsy Cowboy
リリース年
1972年
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ラヴ・ソングにはすぐに飽きてしまう人間なので、今回は変化球、それもスライダーではなく、ナックルでいきます。アメリカ文化を多少ともご存知の方は、月の歌の特集にWhiskeyというタイトルが出てくれば、ああ、あれのことね、とすぐにおわかりかと思います。そう、あれの歌です。わからなかった方にも、あとで種明かしをしますので、ご心配なく。

f0147840_21373783.jpgニュー・ライダーズ・オヴ・ザ・パープル・セイジというバンドもご存知なければ、もちろん、彼らのWhiskeyもお聴きになったことがないという方が多いでしょうが、安心してください。今回はオフィシャル・サイトのMusicページでMP3ファイルをダウンロードすることができます。

しかも、販売サイトによくある、首から上だけのケチなファイルとは大違い、ちゃんとイントロからエンディングまで五体満足ですし、96だとか128Kbpsといったケチな音質でもありません。160Kbpsです。盤を買わなくてもオーケイってくらいで、こんなに大盤振る舞いをしていいのだろうかと思います。軽快な曲ですので、せっかくの勧進元からの大盤振る舞い、ぜひMP3をお聴きになりながら、以下をお読みください。

◆ 簡単で正直な商売 ◆◆
では、ファースト・ヴァースから。オフィシャル・サイトに歌詞も用意されているのですが、どこかの制作会社に任せたらしく、第三者が聴き取りをしたかなんかで、どう聴いても、そうは歌っていないと思うところがあるため、グレイトフル・デッド歌詞サイトにあった、より正確と思われる歌詞に依拠することにします。

My family's always been in whiskey
It's a simple honest way to earn a dime
The only trouble's been my uncle sam now
He been tryin' to collect taxes all the time

「わが家は昔からウィスキー商売をやってきた、簡単で正直な商売だからな、唯一の問題はアンクル・サムさ、あいつらはいつも税金を取り立てようと待ちかまえているんだ」

f0147840_21434236.jpgだいたいおわかりいただけたでしょうか。たいていの国では酒類にはかならず税金がかかるわけで、この語り手は税金を払わないウィスキーの密造 and/or 搬送をビジネスにしていることがわかります。映画などにもときおり登場しますが、どうやら、アメリカではこのビジネスはかなり盛んにおこなわれているようです。密造酒関係のウェブ・サイトも豊富で、歴史から蒸留ノウハウにいたるまで懇切丁寧に解説されています。そういうところで、少々写真を拾い、今回の飾り付けに利用させてもらいました。

◆ お立ち会い、シェヴィーはシェヴィーでもちょとちがう ◆◆
セカンド・ヴァースでは、語り手の「ビジネス」のディテールが描写されています。

Now this ain't no ordinary chevy
The motor and suspension ain't the same
Whiskey as you know is very heavy
And getting through is what they call the game

「こいつはふつうのシェヴィーとはちがうんだぜ、エンジンとサスペンションは特別仕立てでな、だれだって知っているように、ウィスキーってやつはえらく重いじゃないか、こういうゲームのことを、世間じゃ通り抜けっていっているわけさ」

4行目はよく聞こえませんし、わたしの解釈もテキトーですので、あまり信用しないでください。

f0147840_21524865.jpgふつうのシェヴィーではなく、重いウィスキーを積んでもへたったりしない、頑丈なサスペンションと強力なエンジンに交換したシヴォレー(当然ながら、ちゃんとシェヴィーという略称を使っています。ファースト・クラスのBeach Babyの記事で、その点にふれました)のトラックで、注文主のところまで商品を搬送することを、この曲は語っているわけで、アルバム・タイトルがGypsy Cowboyとなっていることから、現代のカウボーイ・ソングという意図なのだと思います。

車をチューンアップしているのは、ウィスキーの重さだけが理由ではないでしょう。ここで「アンクル・サム」と呼んでいる国税庁の役人または警官の追跡を受けた場合には、逃げ足も必要なのにちがいありません。

デイモン・ラニアン・ファンは、ああ、そういえば、といって「プリンセス・オハラ」という、名馬がウィスキー密輸業者のトラックと、セントラル・パーク通り抜けの「カー・チェイス」をする、愉快な短編を連想したりするのですが、ラニアン・ファンはいらっしゃらないですかね? じつに楽しい物語なんですが。

◆ 健康によくない職業 ◆◆
つづいて、思わずいっしょに歌いたくなる軽快なコーラスに突入しますが、ここは歌詞の聴き取りにも、わたしの解釈にも問題のある箇所です。以下は、正しい聴き取りと思われる歌詞です。

It's a dark and rainy night
But my engine's running right
And I hope to get to Memphis before dawn
Yeah and if I make it through
Gonna save what I have to
It ain't healty running whiskey very long

「今夜は暗くて雨も降っているけれど、エンジンは快調そのものさ、なんとか夜明け前にメンフィスに着きたいものだ、これをやりとげれば、やらなければならないことをしないですむだろう、ウィスキー運びなんてものを長くつづけるのは健康によくないからな」

微妙なのは5行目のGonna save what I have toです。どうしても金を稼がねばならない事情があって、最後のひと仕事をやっている、という状況ではないでしょうか。「やらなければならないことを省く」とは、このひと仕事さえやれば、もう二度とウィスキー運びはしないですむ、という意味のように思います。

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摘発された密造酒業者のトラック

そう考えれば、最後の「ウィスキー運びなんてものを長くつづけるのは健康によくないからな」にすんなりつながるでしょう。ただし、オフィシャル・サイトでは、ここを「Then help me running whiskey very long」としています。でも、これでは意味が通らないと思います。

◆ メンフィスまでノンストップでぶっ飛ばせ ◆◆
つづいてサード・ヴァース。

Three hundred miles from home to Memphis
There's a dozen men along the way
Never stop and let'em do no looking
Yeah, that was what my pappy used to say

「わが家からメンフィスまで300マイル、道筋には一ダースの連中が待ちかまえている、けっして止まるな、ぜったいに見つかるんじゃない、親父がよくそういっていたものさ」

ここではmenというあいまいな表現になっていますが、ライヴでは、ジョン・ドウソンははっきりと「敵」を名指していると、グレイトフル・デッド歌詞研究サイトの注釈にあります。いくつかヴァリエーションがあるようですが、たとえば、「And a dozen cops that know me on the way」つまり「途中には俺のことを知っているおまわりが一ダースも待ちかまえている」などと歌ったそうです。盤でボカしたのは、会社ともめるのを避けるためだったのでしょう。

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密造酒業者の検問

ここでコーラスをくり返し、ペダル・スティールの間奏をはさんで、最後のヴァースに突入します。

Three hundred miles from home to Memphis
And susan says she don't want me to go
She said now honey don't take chances
Ah love I want to keep ya don't ya know

「わが家からメンフィスまで300マイル、スーザンは俺を行かせたがらない、あいつは、そんな危ないことはやめて、あなたにいっしょにいてもらいたいのに、といっていた」

f0147840_22135565.jpgとはいえ、彼が危ない仕事をやっているのは、スーザンと彼自身の未来のためにちがいありません。わたしはすぐに想像をふくらませるので、スーザンのおなかには彼の子どもが宿っているのではないか、なんて思っちゃうのですけれどね。

以下、またコーラスをくり返し、「ウィスキー運びなんて長くやるのは健康によくないぜ」と何度も歌って終わります。じっさい、健康によくないだろうなあ、と思うのでありました。

◆ 月光酒業者 ◆◆
ちょっと待った、月の歌の特集じゃないのか、この歌のどこにも月なんか出てこなかったぞ、と思った方もいらっしゃるかもしれません。なぜ、月が出てこないかというと、ウィスキーと月の関係は周知のことで、わざわざいうまでもないからです。

こういう密造酒のことをmoonshine wiskey、または、たんにmoonshineと呼び、密造業者をmoonshinerと呼ぶのです。したがって、このWhiskeyの語り手もまたムーンシャイナー、ただそれだけの理由で、月の歌の特集にこの曲をもってくるという強引なことをやってしまったというしだい。だから、今日は「ナックル」だと申し上げたのです。

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こんなサイトもありました

でも、わたしはこういう物語性の強い、ディテールに富んだ、ウィットのある歌詞が好きなので、もちだせる隙さえあれば、これからもいつだって投入するだろうと思います。Whiskey as you know is very heavyなんて、当たり前のことをいっているのに、妙に可笑しいのは、やはり作詞家の手腕でしょう。as you knowがきいています。

こういうことを歌ったものとしては、ほかにヴァン・モリソンの、その名もズバリ、Moonshine Whiskeyという曲を知っていますが、まだほかにもいくつかあるだろうと思います。カントリー・ミュージックのテーマにはもってこいではないでしょうか。

◆ 新紫聖人牧童楽団簡略始末記 ◆◆
NRPSは、ジョン・“マーマデューク”・ドウソンと、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアを核にスタートし、デイヴィッド・ネルソン(ギター)、デイヴ・トーバート(ベース)が加わり、さらにデッドの他のメンバーが入れ替わり立ち替わり加わってライヴをやっているうちに、徐々に独立したバンドの体裁を整えていき、たまたまいわゆる「アコースティック・デッド」時代だったので、デッドのオープニング・アクトをつとめるようになり、やがてCBSからデビューすることになったようです。

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デビュー当時のラインアップ 左端がWhiskeyの作者ジョン・ドウソン、その右がジェリー・ガルシア、右端はスペンサー・ドライデン

デビュー盤の録音途中で、助っ人のデッドのミッキー・ハートにかわって、ジェファーソン・エアプレインのドラマー、スペンサー・ドライデンが加わり(エアプレインのときとはうってかわり、やっと居場所を見つけたという雰囲気のプレイ)、セカンド・アルバムでは、これまた結果的に助っ人の位置になってしまったジェリー・ガルシアにかわって、ペダル・スティールのバディー・ケイジが加わり、レギュラー・ラインアップが整います。

このWhiskeyが収録されたサード・アルバムは、このラインアップで録音されています。Whiskeyではさらに、ダーリーン・ディドメニコという人がコーラスのハイ・パートを歌っていて、これがなかなかけっこうな響きになっています。

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左からスペンサー・ドライデン、デイヴ・トーバート、ジョン・ドウソン、デイヴィッド・ネルソン、バディー・ケイジ

デイヴィッド・ネルソンという人は、おそらくピックを使わず、テレキャスターをフィンガリングで弾いているのだと思いますが、独特のスタイルで、好ましいプレイをします。デッドのBox of Rain(アルバムAmerican Beauty収録)でもゲストで間奏を弾いていますが、これがまたなかなかけっこうな出来です。Whiskeyでは右チャンネルに配されているのがネルソンのギターです。フェンダーでアルペジオをやったりするところが、ちょっと変わっています。

その後、トーバートにかわってバーズのスキップ・バッティンが入ったり、ドライデンが抜けたり、紆余曲折あって現在に至っているようですが、4枚目までしか買わなかったわたしは、近年のNRPSにはとんと不案内なので、これにて失礼。

付 記
Whiskeyが気に入って、オフィシャル・サイトから他のファイルもダウンロードなさるなら、まずはデビュー盤の曲からはじめるようにおすすめします。どの曲がどうだなどとお節介なことは申しませんが、昔、もっともよく聴いたのはデビュー盤でしたし、最近、聴き直し、やはりいい盤だと思いました。いまでは拡大版が出ていますが、オリジナルの状態で十分だと思います。
by songsf4s | 2007-09-17 22:58 | Harvest Moonの歌
Oh You Crazy Moon by Frank Sinatra
タイトル
Oh You Crazy Moon
アーティスト
Frank Sinatra
ライター
Johnny Burke, James Van Heusen
収録アルバム
Moonlight Sinatra
リリース年
1966年
他のヴァージョン
Wendy Clare, Wes Montgomery
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Moon River、Blue Moonときたのだから、つぎもヘヴィー級の曲を予想されたかもしれませんが、すこし軽いものを選びました。

軽いといっても、ジミー・ヴァン・ヒューゼンの曲ですし、フランク・シナトラとウェス・モンゴメリーがやっているぐらいで、吹けば飛ぶような曲というわけでもありません。たんに、ヒットしてから70年近くたったので、忘れられてしまっただけです。Blue Moonのつぎにこれをもってきたのには、それなりの理由があるのですが、それは歌詞を見ていけばおわかりになるでしょう。

◆ ブルームーンを脇から見れば ◆◆

When they met, the way they smiled
I saw that I was through
Oh, you crazy moon
What did you do

「あの二人が出会ったときの、あの微笑みを見て、ぼくはもうおしまいだと思った、まったく、この気のふれた月めが、いったいなにをやらかしてくれたんだ」という歌詞なので、いや、すでにタイトルだけで想像がつくでしょうが、ちょっとオフビートで、変わっています。

Blue Moonにも出てきますが、月は男女を結びつけるもの、という常識があることになります。なんだか、六月に取り上げたJuneとMoonの連想にすぎないようにも思えますが、彼らがそう考えているのだから、わたしがなにをいってもはじまりません。

Blue Moonでは、語り手は願いが叶って、最後には月が金色になってしまうのですが、こちらは逆で、月がその魔力でよけいなことをしたために、割を食ったほうが、月に文句をつけているという趣向です。この曲が書かれた1930年代終わりの時点でも、こういう裏返しが、ちゃんと裏返しのシャレだと通じるほど、月で男女が結ばれるという曲が山ほどあったのだと想像できます。

And when they kissed, they tried to say
That it was just in fun
Oh, you crazy moon
Look what you've done

「あの二人はキスしておいて、ほんの冗談だなんていってた、この気のふれた月めが、自分のやったことを見ろっていうんだ」

なにも説明の要はないとみなし、ブリッジへいきます。

◆ 裏を行くワン・アイディア・ストーリー ◆◆

Once you promised me, you know
That it would never end
You should be ashamed to show
Your funny face my friend

「けっして終わるようなことはないって約束したじゃないか、よく平気でそのヘンテコな顔をさらせたものだな」なんてあたりでしょう。どのツラさげて俺のまえにあらわれやがった、といいたいのであります。

And there they are, they fell in love
I guess you think that you're smart
Oh, you crazy moon
You broke my heart

「あの二人を見ろよ、すっかり恋に落ちちゃったじゃないか、おまえ、してやったり、なんておもってるんだろう、まったくもう、この気のふれた月めが、おまえのおかげこっちは失恋だ」

というわけで、Blue Moonの裏返しというか、立場を変えて、「月の魔力」について語った曲と読み取れます。

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ジミー・ヴァン・ヒューゼン(ピアノ)とフランク・シナトラ

西欧文化では、月は人を狂気へと誘うものとされていて、lunatic=気違いじみた、という単語は、見ればおわかりのように、月の女神lunaからきています。lunaticが意味するのは、月の影響で人がそうなるということにすぎず、月そのものが狂的だというわけではないのですが、この歌では、月そのものがクレイジーとされ、語り手が、あんな馬鹿なことをしやがって、と責めたてるわけで、一般の月の歌、愛の女神への感謝の歌の裏をいったところが、唯一のアイディアであり、趣向となっています。この曲をとりあげた動機もその一点にありました。

◆ ビッグ・バンドを録る最後のチャンス ◆◆
f0147840_0455123.jpgこの曲のシナトラ盤は66年のリリースですが、録音は65年の終わりで、アレンジャーはネルソン・リドルです。この時期、つまりシナトラが徐々に回復し、Strangers in the Nightの大ヒットで完全復活を遂げ、その余勢を駆って、ナンシーとのデュエットによるSomethin' Stupidまでチャート・トッパーになるという時期にあって、ネルソン・リドルがヒットにからめなかったのは、彼の腕が落ちたわけではなく、時代との波長がすこしだけズレたにすぎません。これだけ時が過ぎれば、そんなことは気にならず、ただただゴージャスなアレンジを楽しめばよいと感じます。

お持ちの方はよくご存知のように、そりゃもう、リプリーズ時代のシナトラだから、サウンドは素晴らしいものです。リドルのアレンジも手に入ったもので、こういうゴージャスな管のアンサンブルはそうそう聴けるものではありません。ローウェル・フランクという人の録音もたいしたものです。

おそらく、この時期のシナトラというのはあまり注目されていないのだろうと思いますが、ビッグ・バンド・スタイルの音楽をやるにはほとんど最後のチャンスといってもいいくらいの時期で、出来のよいアレンジ、ハイ・レベルなプレイとアンサンブル、すぐれた録音技術がそろって、間然とするところがありません。

ドラマーも、なにをするというわけでもないのに、なかなか印象的なグルーヴで、ぜひ名前を知りたいものだと思います。アクセントで入れるライド・ベルのフィルなど、あざやかなものですし、間奏でのサイドスティックによる2&4も端正で、好みです。きっと名のあるプレイヤーでしょう。

◆ Aチーム ◆◆
しかし、ウェンディー・クレアという女性シンガーによる、この曲のオリジナル・ヒット・ヴァージョン(1939年、すなわち昭和14年リリース)を聴くと、なるほど、本来はこういう曲か、と納得がいきます。上述のような歌詞なので、やはり女性シンガーが歌ったほうが、可愛らしく月に文句をいっているような感じになって、曲の趣向が生きていると感じます。

戦前のビッグ・バンド音楽の第一の存在意義は、ダンスのバック・ミュージックを提供することにあるので、このウェンディー・クレア盤も、シナトラ盤よりややテンポが速く、踊れるようになっていますが、そのなかでも、ある種の雰囲気をうまくつくっていて、なるほど、ヒット曲だったのだな、と思います。

f0147840_0471446.jpg古いことになると、なかなか調べがつかず、ウェンディー・クレアというシンガーについてはよくわかりませんでしたし、現在、手に入る編集盤に収録されるのも、この曲ともう一曲だけのようです。でも、好みの声、好みのシンギング・スタイルです。かろうじて一枚だけ見つかった写真を入れておきますが、歌もこの写真から受ける印象とズレのないものです。

ライターの片方、作曲をしたジミー・ヴァン・ヒューゼンはいまさら説明の要もないほどで、主としてハリウッドで映画の主題歌や挿入曲を、それもとりわけビング・クロスビーのために書いた人で、数々のヒットがあります。シナトラが歌ったジミー・ヴァン・ヒューゼンの曲の一覧というのがありますが、このOh You Crazy Moonをはじめ、なんと合計84曲もあります。これを一堂に集めると、Sinatra Sings Jimmy Van Heusenというソングブック・ボックスができてしまうわけで、シナトラがもっともたくさん歌った作曲家にちがいありません。

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Aチーム ジミー・ヴァン・ヒューゼン(左)とジョニー・バーク

作詞家のジョン・バークは、調べてみると、アーヴィング・バーリンのシカゴ・オフィスの営業からスタートして、そこでソングライティングをするようになり、やがてハリウッドに移り、ヴァン・ヒューゼンとのコンビで数々のヒット曲を生むことになったのだとか。サミー・カーンは彼らのことを「Aチーム」と呼んだそうですが、彼らの曲のリストを見ると、なるほどAチームだったのだろうと思います。

でも、わたしのような後年の人間が見ると、目を引くのは、シナトラもカヴァーしましたが、ハーパーズ・ビザールのセカンド・アルバム、Anything Goesに収録されたPocketful of Miraclesも彼らの作品であることです(フランク・キャプラが自作『一日だけの淑女』を戦後にリメイクした『ポケット一杯の幸福』の主題歌)。

もうひとつ、バークはMistyの作詞家といわれて、ああ、そうだったのか、と驚いたことも書き加えておきます。

f0147840_0545957.jpgわが家にはもうひとつ、ウェス・モンゴメリーのヴァージョンがあります。ウェスが完全にイージー・リスニングのプレイヤーとなってからのアルバム、California Dreamingに収録されたもので、それ以上でも、それ以下でもない出来です。つまり、聴いていて不快ではないし、オクターヴ奏法によるサウンドからは初期にはあったノイズがすっかりとれ、きれいなプレイですが、それ以上のなにかを感じるわけでもありません。

わたしの苦手なグレイディー・テイトが、スティックではなく、ブラシでプレイしているので、アクセントのつけ方がダサいとか、タイムがあまりよくないといった彼の欠点がこの曲ではめだたず、ドラマーのやり方が疳に障ると、その曲全体が丸ごと不愉快になる、わたしのような人間には福音ではありますが。

ウェンディー・クレアのヴァージョンを収めた戦前ヒット曲集のライナーによると、ほかにグレン・ミラーやメル・トーメがカヴァーしているそうですが、わが家にはなく、聴くことができませんでした。
by songsf4s | 2007-09-15 23:58 | Harvest Moonの歌
Blue Moon by the Marcels
タイトル
Blue Moon
アーティスト
The Marcels
ライター
Lorenz Hart, Richard Rodgers
収録アルバム
The Best of the Marcels
リリース年
1961年(org. in 1934)
他のヴァージョン
Elvis Presley, Bob Dylan, Julie London, the Ventures, Bruce Johnston, Cliff Richard, Ten Tuff Guitars
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コメントにも書いたのですが、今月後半または下旬を予定していた、Harvest Moon特集を繰り上げて、今日からはじめることにします。過ぎ去った夏を回想する歌も、もう一度、どこかでカムバックさせます。もうすこし秋が深まってからのほうが、時季的に合っている曲をすこし残してあるのです。

Harvest Moonというのは、暦上というか、月の運行上、日本でいう中秋(仲秋)の名月にあたります。ただし、日本の風流とは異なり、この言葉の起源は実用的なもので、harvest、つまり刈り入れの超繁忙期に、ナイター照明のような月が出て、エクストラ・イニングに突入できることから、九月の満月の時期をこう呼んだのだそうです。

そのように、風情のない起源をもつので、直接にハーヴェスト・ムーンを扱った曲はたいした数はないようです。しかし、北半球の多くの地域では、秋になり、気温が下がれば、当然、湿度が下がって空気は澄明になり、結果として、月は煌々と照るわけで、西洋でも、月と秋を結びつける気分がいくぶんあるようです。

と、理屈はいいましたが、月でも持ち出さないことには、秋風とともにこのブログは開店休業になるので、Harvest Moon特集をやろうという趣向ですから、「収穫月」はほんの景物、山ほどある月の歌をこの時期にできるだけ聴いてみようというだけにすぎません。

◆ マーセルズ盤なかりせば…… ◆◆
月を扱った歌とくれば、あれだろう、××××(わいせつな言葉ではなく、あなたが古典だと思っている月の曲のタイトルを入れる)、あれ以外にないじゃないか、と憤慨なさっている方もいらっしゃいましょうが、こちらにも都合というものがありまして、Blue Moonでキックオフとさせていただきます。

f0147840_1192165.jpgBlue Moonと一口にいってもいろいろありまして、だれのヴァージョンを選ぶかは、ほとんど心理試験みたいなものかもしれません。痛くもない腹を探られるのも癪なので、さきに説明しておくと、マーセルズ盤は、いわば「Blue Moon中興の祖」だからです。このビルボード・チャート・トッパーがなければ、あるいは、期限切れとなって、歴史上の一行の記述のみという運命が、この曲を待っていたかもしれないのです。

そりゃ、エルヴィス・プレスリーやボブ・ディランを看板に立てたほうが、アクセスは増えるにちがいないのですが、「フォーム」と「スタイル」はだいじにしたいので、歴史上もっとも重要な盤をさしおいて、エルヴィスやディランを看板に立てたりはしないのです。では、この曲に関するかぎり、マーセルズが王様である、という共通認識がしっかり確立されたという前提で、話を進めさせていただきます。

◆ 星に願えば、もとい、月に願えば ◆◆
なにしろ、日本でいえば昭和九年、満州事変のさなか、去年の大ヒット曲は東京音頭だったという年に書かれた曲なので、歌詞もすこし変化したようですが、ここでは当然、中興の祖、マーセルズ盤をもとにします。

Blue Moon, you saw me standing alone
Without a dream in my heart
Without a love of my own

「ブルームーンよ、心に夢もなければ、愛する人もなく、ぼくがひとりぽっちで立っているのを見ただろう?」と、出だしは簡単なものです。古い曲なので、本来、スロウなテンポだったはずで、マーセルズのように速いテンポだと、どこまでがファースト・ヴァースなのか、どこからがセカンド・ヴァースなのか、わからないうちに、あっというまにブリッジに突入して、ビックリすることになります。

Blue moon, you knew just what I was there for
You heard me saying a prayer for
Someone I really could care for

「ブルームーンよ、ぼくがなんのためにあそこにいたのかわかっているだろう? ぼくが祈っていたのが聞こえてはずだ、だれか思いをかける人がほしいと祈っていたのが」というように、このヴァースもシンプルなものです。行の尻尾がすべてforにしてあるのが、工夫といえば工夫かもしれませんが、すくなくとも現代の目から見ると、それほど感心するようなものでもありません。

◆ いきなりサゲ ◆◆
なにしろテンポが速いので、00:52でブリッジに突入です。

And then there suddenly appeared before me
The only one my arms will ever hold
Heard somebody whisper please adore me
And when I looked the moon had turned to gold

「すると突然、ぼくの目の前に、はじめてこの腕に抱きしめられるかもしれない、ただひとりの人があらわれ、だれか、わたしのことを好きになって、という声が聞こえた、ふと仰ぎみると、月は黄金に輝いていた」

二つのヴァースは簡単なものでしたが、ここでちょっと考えこみます。なんだって、こんなにあっさりと、願いが叶ってしまうのか、です。民俗学的、神話学的考察など、わたしもやりたくないし、またその任でもないし、みなさんも読みたくないでしょうが、どうも、そういう匂いがプンプンしています。Mr. Moonlightにブードゥーが匂うのと同じです。

基本的に、月は女性性の象徴、豊穣の女神のはずです。よって、男が願いをかける相手として正しいでしょう(流行歌の場合、女性はふつう、星に願いをかける。Wish upon a Star)。「月の魔力」、ルナティックな一夜の魔法?

もうひとつ、月はふつう銀であらわされ、黄金であらわされるのは太陽です(レイ・ブラッドベリーのThe Golden Apple of the Sunなんていう短編集がありました)。silvery moonという言いまわしは、しばしば歌に登場しますが、月がゴールドだというのはあまり聴きません。

いや、なにも解釈を提示できるわけではなく、なんだか、いつもとちがうな、と思っただけなのですが。

以下、ファースト・ヴァースにもどって繰り返しになるので、もう新しい言葉はあらわれません。

おっと、当たり前なので省略しましたが、念のために書いておくと、月が青いのは、気象条件の問題というより、心理条件の問題に属することで、憂鬱だなあ、というのときのI'm feelin' blueのそのblueです。だから、goldも深く考えずに、ブルーな気分がゴールドになった、それ以上の含意はなし、としておけばいいのかもしれません。

◆ A&Rは仕事をしたのか、しなかったのか ◆◆
マーセルズと契約したレコード会社は、コロンビア映画の子会社、コルピクスです。コルピクスにはいろいろなストーリーがありますが、今日はまだ先が長いので、そのあたりはまたの機会に譲ります。

f0147840_122159.jpgコルピクスとくれば、「あたしたちが売れないのはベンチがアホだからだ」とロネッツに袖にされたので有名な、いや、シェリー・ファブレイのJohnny Angelをプロデュースしたことで知られるステュー・フィリップスを思い浮かべますが、マーセルズのこの曲も彼の仕事だそうです。2曲もチャート・トッパーを生んだプロデューサーなんだから、それほど馬鹿にしたものではないことになるよ>ロニー、ネドラ、それにエステル。

フィリップスとマーセルズが最初のセッションでスタジオに入ったとき(フィリップスはハリウッドとNYのオフィスをいったりきたりして忙しかったようですが、マーセルズはたぶんNYでしょう)、マーセルズが用意していたのは3曲だけだったそうです。3時間のセッションで4曲録音というのが業界の常識、こんどから間違えないようにね>マーセルズ。

f0147840_1235177.jpgでも、アーティスト任せで、曲を用意してこなかったプロデューサーもよほどのトンマで、ロネッツに袖にされたのもやっぱり無理はないかもよ>フィリップス。あなたの肩書きはなに? A&Rマン、すなわち、アーティスト&レパートリー・マン、曲を用意するのも大事な仕事じゃないですか。曲を用意してきませんでした、スタジオ・タイムがあまりました、なんてマヌケなプロデューサーの話は聞きませんよ。自伝を出版なさったそうですが、このへん、どう処理されたのですか? 笑い飛ばした? それぐらいしかできませんよねえ。

さて、メーターがまわっているなかで、最後の1曲をどうするかという相談がまとまり、ただひとり、Blue Moonを知っていたメンバーが他の連中に一時間かけて曲を教え、スタジオ・タイムが余すところあと8分というところで、2テイク分のBlue Moonができあがったのだとか。ブレイク・ダウンはなし、どちらも一発で最後までいっているそうです。

この手の話は、ほとんど類型的神話となっていて、たとえば、ニーノ・テンポとエイプリル・スティーヴンズのチャート・トッパー、Deep Purpleにも、そんなエピソードがついています。話半分できいておいたほうがいいのですが、ただ、プロフェッショナルというのは、コード進行さえわかれば、その場でヘッドアレンジし、きっちりやることができるものですし、世にも奇妙なメロディーラインと、ディミニシュとオーギュメントのあるコード進行をもつDeep Purpleはおくとして、Blue Moonはいたってシンプルな類型的コード進行(いわゆる「花はどこへ行った進行」、キーがCなら、C-Am-F-Gのタイプ)ですから、2テイクでキメるというのもありうることです。マーセルズが練習している1時間があれば、プロには十分すぎるくらいです。

そもそも、この馬鹿速いテンポは、残り8分というプレッシャーが生んだものかもしれません。ゆっくりやっていては2テイク目が録れない、急げ、なんてことになったのじゃないでしょうか。それが結果オーライで、じつに変てこな、つまり、きわめて新鮮なBlue Moonを生んだのでしょう。

たぶん、You Tubeでマーセルズのヴァージョンがみつかると思いますが、念のために書いておくと、ジョニー・シンバルのMr. Bassmanというのがありますね? ああいうスタイルのBlue Moonだと思えば、それほど遠くないでしょう。

◆ 各種ヴォーカル・ヴァージョン ◆◆
今夜もヴァージョンが多いので、「群がる女をな、こうかき分けてな、そりゃもうたいへんなものだったさ、なあに、俥屋だったんだけどな」なんて、志ん生のコピーをやっている暇はないので、群がるヴァージョンを蹴散らして全力疾走します。

f0147840_1262524.jpg歌ものでは、ボブ・ディラン盤がもっとも好きです。これはSelf Portrait、すなわち、評論家たちがボコボコにして、両手両足をもって外に投げ捨てたあのLPに収録されたものですが、わたしは評論家じゃないから、「それまでに印刷物でシリアスなものを褒めてしまった行きがかり」などなかったし、いまもないので、この盤は子どものころから絶賛しつづけています。曲を書かずに、シンガーをやってみたディランは非常に好ましいと思いました。あんなダラダラと長いだけの曲は書かずに、シンガーに徹したほうがいいかもよ>ボビー。

f0147840_1272463.jpgディランのBiographボックスのLP版ほど、マスタリングのちがいに仰天したリイシューはありません。あんまり音がちがうので、当時のソニー盤LPと、米盤Biographの両方をディジタル化して、数曲の波形を比較したのですが、同じ曲とは思えないほど、まったくちがう形をしていました。つまり、ダイナミック・レンジがまったく異なるということです。

どちらがいいか、好みは分かれるでしょうが、やっぱり、シンバルがシャキッとなったし、キックとベースも土性ッ骨のある音になっているので、わたしは近年のマスタリングのほうをとります。違和感はありますが、現在のディランのカタログは、いずれもていねいにマスタリングされています。

この盤はナッシュヴィル録音で、ドラムはわたしの苦手なケニー・バトリーですが、ラス・カンケルやジェフ・ポーカロやジョン・グェランのように、タイムが悪いから嫌いなのではなく、タムかと思うほど低いスネアのチューニングが嫌いなだけであって(bit lateのタイプで、アップテンポには不向きだが、カンケル、ポーカロ、グェランのように、前後に不安定に揺れることはなく、終始一貫、安定してlate。揺れないのだから、使うほうが彼はlateだということを承知していればいいだけのことで、信頼できるタイプ)、この曲でもいいプレイをしていると思います。たまにはスネアをシャキッとチューニングしてみたらどうかな>ケニー。ボルトをもうひと廻しでいいから。

それにしても、自分で笑ってしまうのですが、わたしはマーセルズ盤でこの曲を知ったので、ディラン盤を聴いたとき、「けっこうきれいな曲じゃん」と思ったのでした。話が逆だっていうに>俺。わたしもかつては、「近ごろの若いヤツはものを知らないから困る」といわれた、その「若いヤツ」というものだったことがあるのです。

◆ サゲ抜きで一丁頼むわ ◆◆
f0147840_1291935.jpgエルヴィスは、例のサン・セッションからのもので、才能があるような雰囲気をもっていますが、それはのちのエルヴィスを知っていることによる錯覚かもしれません。とくに自慢になるような出来ではなく、ファン以外には無関係なヴァージョンです。

ただ、ブリッジを歌っていない、つまり、祈るだけで、その先はないままに終わっているところが、ちょっと、おや、と感じさせます。あのへんな結末を飛ばしてしまうのも、ひとつの考え方かもしれません。「品川心中」の後編を高座にかける噺家がほとんどいないことに通じるものがあります。

f0147840_133107.jpgディランのつぎはジュリー・ロンドン盤が好みです。ただし、歌詞からいうと、男が女神に祈るほうがいいように思います。女が女神に祈ると、なにやら禍々しい雰囲気、オカルティズムの匂いがします。

あとはうちにはクリフ・リチャード盤がありますが、意外にけっこうな出来です。やっぱり、この人はいい声をしていたからスターになったのだと確認しました。予算潤沢なタイプのアーティストですから、なかなかビッグ・プロダクションで、イギリスのオーケストラも立派なもんだねえ、シナトラのバックもできるかも、と思います。

◆ インスト盤 ◆◆
インスト盤は、ビリー・ストレンジ、キャロル・ケイ、レイ・ポールマン、そして、ハル・ブレインというメンバーだった時代のヴェンチャーズ盤で決まりです。ハルはWalk Don't Run、Lullaby of the Leaves、Perfidiaなどに使ったのと同じスタイルで叩いています。つまり、スネアもライドもすんばらしいの自乗のサウンドだということです。ジャズが抜けきらないハルを聴けるのはヴェンチャーズ盤だけなので、そういうお楽しみなのです。

f0147840_1365510.jpgでも、わたしのような人間にWalk Don't Runと同じドラミングね、といわれるのを避けるためか、ハルはお得意の「小さな工夫、大きな親切」をしています(この人は小さな工夫に命をかけるドラマーだったのです。派手、派手と褒めたりけなしたりするだけが能じゃありませんよ>巷の諸兄)。偶数小節の最後の拍は、スネアをヒットしないで、ロールさせているのです。この短いロールがハルのトレイド・マークであることは、ご存知のとおり。ごく初期から使っていたのです。それにしても、すごくunusualなドラミング。変なドラマーだったのであります。

ビリー・ザ・ボス・ストレンジは、この時期の売りものだったアーム使いに冴えを見せています。私見では、初期サーフ・インスト・バンドがみなアームを使ったのは、ヴェンチャーズの影響によるもので、ということはつまり、ボスの影響でみんなアームを使ったことになります。ボスのように、ていねいなアーミングをするプレイヤーはそう多くはないのですが。まあ、だからこそは、ビリー・ストレンジがいまでも尊敬されているのです。

f0147840_1593176.jpg若き日のブルース・ジョンストンのBlue Moonもなかなか悪くありません。ライヴ録音ということになっている盤なのですが、騒ぐオーディエンスに向かってブルースが、「ブルー・ムーンをやるぜ、そう、あのブルー・ムーンだよ、ほんとうにブルー・ムーンをやるんだってんじゃんか、るせえヤツらだな」(意訳)と紹介しているのが笑えます。なるほど、やっぱり、若い連中にはダサい曲、古めかしい曲だと思われていたんだな、と納得してしまいました。終わっても拍手はパラ。受けていません。

Moon Riverに引き続いて、またテン・タフ・ギターズ盤もあります。リードはうまい人です。あたりまえか。でも、この曲のアレンジはちょっといただけません。

なんか、変なヴァージョンがひとつ残っているのですが、正体不明のイタリア人サックス・プレイヤーのムード・ミュージックなので省略し、これにてBlue Moon観兵式を終わります。
by songsf4s | 2007-09-13 23:57 | Harvest Moonの歌
Moon River by Audrey Hepburn
タイトル
Moon River
アーティスト
Audrey Hepburn
ライター
Johnny Mercer, Henry Mancini
収録アルバム
Music from Breakfast At Tiffany's
リリース年
1961年
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昨日までは夏は終わったという歌の特集だったのに、なんだって、いきなりMoon Riverなんだ、とお思いでしょうが、手前勝手な内輪の理由がありまして、今日やるしかないのです。今月後半に予定している、中秋の名月特集、もとい、Harvest Moon特集の予告篇としてご了承あれ。

わが家のHDDには、Summertime並みに大量のMoon Riverがありますが、作者のヘンリー・マンシーニ推奨ヴァージョンである、オードリー・ヘップバーンのものを看板に立てました。他の各ヴァージョンについても、できるだけふれるつもりでいます。

◆ 圧縮されたエモーション ◆◆
それでは、ファースト・ヴァースから。短いのですが、中身の濃い歌詞なので、みなさまのお手元にも10種類はあるであろう、この曲のいずれかのヴァージョンをお聴きになりながら、または、You Tubeの動画(映画からとった絵もあるのではないでしょうか)を流しながら、熟読ください。

Moon River, wider than a mile
I'm crossin' you in style someday
Old dream maker, you heartbreaker
Wherever you're goin', I'm goin'your way

「ムーン・リヴァー、1マイル以上の幅があったって、いつかきっと、お上品にすまして、あなたを渡ってやる、昔なじみのドリーム・メイカー、憎らしいハートブレイカー、あなたが流れていくところ、わたしはどこへでもいく」

f0147840_0502539.jpgやっぱり、ジョニー・マーサーの作品は緊張します。この日本語は翻訳ではなく、「大意」にすぎないということをふたたび確認させてもらいます。こんなもの、訳せませんよ。このまんま、意味なんかほうっておいて、英語で覚えてください。いっしょに歌うと気持ちのいい歌詞です。

あえてひとつだけいえば、三行目はやはり、うまい、と思います。歌詞というのは、すくない言葉で多くを語るものがよいのですが、この行なんか、その教科書です。明瞭にその示すところがわかるわけではないにしても、人であれ、ものであれ、ことがらであれ、強い固着の対象は、喜びをもたらすと同時に、同じほど深い悲しみをもたらす、ということを、じつに短く、これ以上短くはできないくらいに圧縮して、ポンと提示していると思います。

◆ 時制を操るマジック ◆◆
セカンド・ヴァース。短い歌詞なので、これが最後のヴァースです。

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end
Waitin' round the bend
My huckleberry friend
Moon River and me

「放浪者が二人、世界を見に旅立つ、見るべき世界は山ほどある、わたしたちは、曲がりの向こうにある同じ虹の端を追いかけている、わたしのハックルベリー・フレンド、ムーン・リヴァーとわたし」

f0147840_0524058.jpgここもやっかいな、というか、非常に出来のよいヴァースで、まず思うのは、時制がわからないということです。現在形にも読めるし、過去形にも読めるのです。「放浪者が二人、世界を見に旅立った、見るべき世界は山ほどあった、わたしたちは、曲がりの向こうに待っている同じ虹の端を追いかけた、わたしのハックルベリー・フレンド、ムーン・リヴァーとわたし」

というように解釈しても差し支えないのです。まあ、どちらかというと、現在形のほうがいいような気はしますが、年をとってきて、ふと、昔のことを思いかえすならば、過去形として聞こえてくるようにも思います。じっさい、気分しだいで聴いてよいのでしょう。

◆ 絶妙の詩的省略 ◆◆
野暮なことをいいますが、物理学の、というか、光学の原理からいって、虹の端はどこまで追いかけても掴まえられません。観察者の背後に光源があり、観察者の前方に光を反射する雨のカーテンが存在しなければならないからです。「前方」はどこまでいっても前方であり、けっして「いま自分がいるその地点」にはなりません。

だから、虹をつかむとか、虹を追いかける、という言いまわしは、実現しない夢を追いかけることをいうわけで、I'm Always Chasin' Rainbowsなんて曲や、『虹をつかむ男』などという映画が生まれたのはご案内のとおり。

f0147840_0535620.jpg虹の端にたどりついたら、そこを掘ると、金の壺または宝物が出てくるという伝説があります。これも、虹の端はぜったいに捕捉できないということからきているのでしょう。そのあたりの文化的な含意が、もちろん、このマーサーの歌詞の背景にもあります。

そして、マイ・ハックルベリー・フレンド。これがフックじゃなければ、フックなど存在しないというぐらいの強烈なフレーズです。マンシーニがこの三語に惚れ込んだということは、シナトラのSummer Windのところでふれました。そのときにも書きましたが、それは当然でしょう。だれだって、ここでハッとします。幼なじみの離れがたい友、という意味を伝えるのに、これほど効果的で、短くて、詩的な省略はないでしょう。

いや、短く省略すればなんでもいいわけではありません。ここで重要なのは「詩的省略」だということです。my huckleberry friendは民族の記憶を呼び覚ます、強烈な詩的三語です。対象外の東洋人であるわたしだって、子どものころに読んだハックルベリー・フィンの物語を思いだして、あるエモーションを呼び覚まされたくらいなのだから、アメリカ人の多くは、ここでみずからの記憶に入りこむにちがいありません。

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Aマイナーを弾く(?)オードリー・ヘップバーン

ムーン・リヴァーとはなにを暗喩しているのか、といった問題もあるとは思いますが、それは各人の解釈です。映画の内容というか、オードリー・ヘップバーンが演じた女性のrestlessな心と、離れもせず、近づきすぎもせず、ちょうどよい距離を保った、いい主題歌だと思います。つまり、『ティファニーで朝食を』という映画をご覧になると、なんとなく、この歌詞の意味するところを感じ取れるのではないか、ということです。

◆ ジョニー・マーサーの「予言」 ◆◆
ヘンリー・マンシーニは、その自伝「Did They Mention the Music?」のなかで、Moon Riverについて、オードリー・ヘップバーンが歌うのだから、専門のシンガーではない人間にも歌いやすい、シンプルな曲を書こうとしたといっています。じっさい、キーはC、ピアノの黒鍵は使わず、白鍵のみのメイジャー・スケールで書かれていますし、たいていの素人が困難を感じる、ピッチの大きな飛躍もなく、半音進行もありません(メイジャー・スケールだから、当然ですが)。

マンシーニは、オードリーの音域を確認したり、あれこれと時間がかかったけれど、いざ、書きはじめたら、ほんの数分でできたといっています。凝ったところはまったくないので、それほど誇張ではないと思います。彼はこういうものをつくるのはほんとうに得手としていましたし。彼が書いたスコアについてはいろいろ見方はあるでしょうが、だれもの心にもっとも印象深く残る主題曲、主題歌に関しては、あの時代、マンシーニはナンバーワンだったと思います。

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オードリー・ヘップバーンからヘンリー・マンシーニへの礼状。「先日、あなたのスコアのついた『ティファニーで朝食を』を見ることができました。音楽のない映画というのは、燃料切れの飛行機のようなものです。どれほど素晴らしい仕事をしても、わたしたちはまだ地面にいるまま、現実世界から離れることはできません。あなたの音楽はわたしたち全員を持ち上げ、大空高く翔けあがらせてくれました。わたしたちが言葉で、身振りで伝えられないことすべてを、あなたは表現しています。素晴らしいイマジネーション、喜び、そして美しさのある素晴らしい仕事でした」といったようなことが書いてある。

この曲の歌詞を書くように依頼されたマーサーは、ロックンロールが支配する市場を見て、自分のキャリアはもう終わりだと悲観していたそうです(レコード会社経営者としては、ここからが有卦にいる時代なのですが)。マンシーニの曲を聴いて、こういったそうです。

「ハンク、これからの時代、いったいだれがワルツなんかレコーディングするっていうんだ。とにかく、映画のために曲を書こう。でも、そのあとは、商業的にこの曲に未来はないね」

We'll do it for the picture, but after that it hasn't any future commerciallyと、ちゃんと韻を踏んでいるところが可笑しいのですが、60年代はじめという時代にあって、これはマーサーの正直な感懐だったのでしょう。もちろん、マーサーの悲観的な予想は大外れ、大ヒットしたアンディー・ウィリアムズ盤をはじめ、無数のカヴァーが生まれ、「耳タコ」化して、もう二度と聴きたくないくらいのクラシックになったのはご承知のとおりです。

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ヘンリー・マンシーニ(左)とジョニー・マーサー。「いやあ、あの予測は大間違いだったな」「だから、いったでしょ、ヒットするって」

もうひとつ、マンシーニのことを書いておきましょう。マンシーニ自身の名義によるアルバム、Breakfast at Tiffany'sには、この曲の女性コーラス・ヴァージョンが収録されています。こちらもなかなかよい出来ですが、マンシーニは、オードリーにもう一度歌ってもらえばよかったと、しきりに後悔しています。たしかに、彼女に当てて書いた曲なので、映画ヴァージョンは非常に雰囲気があって、素晴らしいと感じます。音楽スタジオでの再録音ヴァージョンも遺しておくべきだったでしょう。現在、聴けるのは、映画サントラそのままの、前後がぷつんと切れたヴァージョンだけです。

◆ 各種ヴォーカル盤 ◆◆
さて、あとは時間ぎりぎりまで、わが家にある各種ヴァージョンをできるだけかけてみます。

なかなかいいと思うのは、つい先日、Wonderful Summerをとりあげた、ロビン・ウォードのヴァージョンです。アレンジ、サウンド、プレイ(例によってドラムはハル・ブレイン)が好みだという理由も大きいのですが、彼女の歌い方もこの曲に合っていると感じます。さすがは、歌えない女優のスタンドインを無数にやった歌手だけのことはあります。わざとらしくならないように、さりげなく、それでいて、雰囲気をつくるのがうまいのです。

f0147840_138663.jpgボビー・ダーリン盤は、ギターの伴奏のみで歌うファースト・ヴァースが印象的。なかなかすごいギターです。ダーリンは、ニューヨークとハリウッドをいったりきたりしながらレコーディングをしていましたが、Moon Riverはキャピトル時代の録音ですし、音から考えてもハリウッド録音と思われます。

f0147840_1403587.jpgアニタ・カー・シンガーズ盤は、コーラスなので、ヘンリー・マンシーニ盤に近い雰囲気ですが、弦の厚さが聴きどころでしょう。なんだって、こんなビッグ・プロダクションなのだろう、どうやってコストを正当化したのか、なんて、よけいなことを考えてしまいます。ぜんぜん歌を聴いていないじゃないか>俺。

イーディー・ゴーメは、得意な人ではないのですが、ぜんぜんしみじみしないヴァージョンではあるものの、悪くありません。ボサ・ノヴァというか、チャチャチャですな、ここまでいくと。こういう曲では変化球のアレンジにならざるをえないので、まあ、これはこれでよし、でしょう。

ジェリー・バトラーはごめんなさいします。この曲は、たぶん、男がしみじみと歌ってはいけないのだろうと感じます。その意味で、シナトラもちょっと……。たくさんレコーディングすると、こういうミスもあります。

Jacinthaという若い女性ジャズ・シンガーがいるらしいのですが(「おーい、この盤、なんだってうちにあるんだ、だれがもってきた?」)、これもゴメンナサイです。わたしの身上を簡単に標語にすると、「まわすな、こなすな、素直にやれ」(isn't it poetic, uh?)です。歌いまわしたり、歌いこなしているあいだはダメ、「ただ歌う」ようにならなければいけないのです。この人は、自分がうまいことを人に知らせたがっています(多いんですがね、そういう人は)。それでは、聞き手は引きます。

◆ 各種インストゥルメンタル盤 ◆◆
インスト盤も山ほどあります。

ドゥエイン・エディーは、珍なアレンジでくるかと思ったら、かまえているこっちがコケるほどストレートにやっています。ストレートすぎるでしょう、これじゃあ。

ハーブ・アルパート&TJBは、当然、あのスタイルで軽くやっています。リード楽器がわからなくて、ちょっと悩みます。だれかおせーて。中間部のペダル・スティールがみごと。だれでしょうか。この曲にペダル・スティールというのも、ほかに例がないかもしれません。

f0147840_1423364.jpgテン・タフ・ギターズという、60年代はじめのニューヨークの企画盤もあります。ハリウッドの50ギターズは、数で迫るアコースティック・ギター集団でしたが、こちらは数で迫るエレクトリック・ギター集団。これはこれで面白い音です。ドラムもうまい。ハル・ブレインに近いスネアのチューニングで、ゲーリー・チェスターと推測します。

f0147840_1435137.jpgネルソン・リドル楽団は、もう頭から尻尾まで「ラウンジ・ミュージック」しています。『ティファニーで朝食を』に、こういう変奏曲を使ってもよかったような気がしてきます。中間部でのテナー・サックス・ソロが、なにをするわけでもないのに、むむ、できるな、と唸ります。プラズ・ジョンソンのような音色だから、プラズのプレイと、またまた適当な憶測を書いておくことにします。

最後にヘンリー・マンシーニ盤。前半のリードはハーモニカですが、これはこれで、わたしは気に入っていて、何度も聴いています。後半の混声コーラスも悪くなくて、こういうのが、幼いころに叩き込まれた「アメリカの音楽」です。

わが家のプレイヤーは一周して(途中、ポール・アンカなどを飛ばした)、ロビン・ウォード盤に戻りました。やはり、けっこうな出来です。

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by songsf4s | 2007-09-12 23:55 | Harvest Moonの歌