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2012年 06月 01日 ( 1 )
川口松太郎と溝口健二の『雨月物語』補足と訂正 付:代表作抄
 
新藤兼人監督没だそうです。享年百、赤飯を炊く年齢の大往生で、めでたい、というべきでしょう。最近のお若い方は、大往生も、赤飯もご存知ないらしく、めでたい、というツイートはついに目にしませんでした。

当家では、以前、新藤兼人映画で面白いと思ったものは一本もない、と書きましたし、いまさら口を拭う気もありません。わたしにとってはきわめて相性の悪い映画監督のひとりで、もはや、見てみようという好奇心も起こりません。

ひとつだけ気になったことがあります。新藤兼人は脚本家としても傑出していた、という意見をいくつか見ました。それ自体についてはなにも考えはありません。なにかいうほどの数は見ていないのです。しいていうと、市川崑の『暁の追跡』のときに、新藤兼人の脚本がひどいと書いたほどで、とにかく苦手なのです。

いや、新藤兼人がすぐれた脚本家かどうかは知りません。しかし、その新藤兼人によるすぐれた脚本のなかに、鈴木清順監督の『けんかえれじい』を入れるのには、おおいなる抵抗、違和感があります。

当家では何度も鈴木清順映画をとりあげ、そのつど強調しました。鈴木清順は、脚本をまったく重視しない監督であり、彼の最初の仕事は、脚本をずたずたにして、自分らしい映画の土台へと変換することである、と。

鈴木清順映画ではプロットはあまり意味をもたず、重要なのは、なにを描くかではなく、どう描くか、です。ストーリーではなく、視覚的なディテールに重心の大半がかかっているのです。

以上は鈴木清順映画一般に通じる大原則。もう一点あります。なにで読んだのか忘れてしまったのですが(木村威夫の『映画美術』かもしれない)、そのような清順の手によって、いつものように、脚本などクソ食らえと大改変した『けんかえれじい』の試写を見て、新藤兼人が激怒した、という話が伝わっているのです。

脚本を書いたご当人が激怒するようなものを、その人の脚本の代表作に算入するのはどんなものでしょうか。映画の出来がよかったからといって、脚本がよかったと、まっすぐに逆算するのは賛成できません。

とりわけ、鈴木清順のように、台本なんか会社が寄越すもの、そんなもので映画は撮れない、自分の映画は自分のやり方で撮ると公言している監督をつかまえて、手放しで脚本をほめたりすると、監督も、脚本家も、双方ともに腹を立てるのではないでしょうか。

◆ 原作ならず ◆◆
てなことを枕に、今回は石原裕次郎の映画を、と思っていたのですが、なにしろ相手は三時間半の大作、ただ見るだけでもおおごと、サウンドトラックの切り出しだって、2GBのwavファイルを相手に悪戦苦闘して、今日は準備が整いませんでした。

ツイッターで最近フォローしてくださった方が、先日の溝口健二と川口松太郎の記事について、背景情報を寄せられたので、今日はそれをもとに訂正と補足をしておきます。

多くの溝口健二映画のシナリオを書いた依田義賢の『溝口健二の人と芸術』という本がありまして、わたしも若いころに読んだのですが、中身は忘れてしまいましたし、当家の溝口=川口シリーズの冒頭に書いたように、一昨年、蔵書をほとんどすべて整理したときに、映画関係の本も手放してしまいました。

で、その本によると、『雨月物語』は、映画の企画と小説が同時進行だったのだそうです。返信のツイートにも書きましたが、アーサー・C・クラークが、スタンリー・キューブリックと共同でシナリオを書き、映画とパラレルで小説を執筆した『2001年宇宙の旅』と同じパターンです。後年の露骨な商業主義ノヴェライゼーションとは、いくぶんかニュアンスが異なりますが、しかし、箱に入れるなら「原作」ではなく「ノヴェライゼーション」です。謹んで訂正させていただきます。

お浜が映画では生き延びたのは、会社からの注文があってのことだったと依田義賢は証言しているそうです。会社といったって、溝口健二の映画に注文をつけられるのは、永田雅一しかいなかったのではないでしょうか!

アーサー・C・クラークの小説とスタンリー・キューブリックの映画では、とりわけエンディングのニュアンスが大きく異なったように、『雨月物語』も映画と小説では結末が異なり、後味も大きく異なっていました。たんなる偶然かもしれませんし、そこに映画と小説の本質的な違いがあらわれるものなのかもしれません。

◆ 人情馬鹿列伝抄 ◆◆
溝口=川口シリーズを書いた直接の動機は、溝口健二の映画を見たからではなく、いまやほとんど売れないと古書店の番頭氏が保証した、川口松太郎の本を数冊まとめて読み返し、もったいないなあ、いいものがたくさんあるのに、と思ったからです。

○人情馬鹿物語
いろいろあったものの、結局、川口松太郎は『人情馬鹿物語』の作家、というところに落ち着いたように思います。若き日の作者自身と思われる「信吉」という作家志望の青年と、その師匠である講釈師の悟道軒円玉(実在)をめぐる人々の、古風な義理と人情のあやなす連作短編です。

なぜ作家志望の信吉=川口松太郎が講釈師の弟子になっていたかというと、円玉は躰が弱く、この物語ではもう講釈はやめて、速記本作者になっていたからです。そして、講談速記が発展したものが、時代小説であり、大衆小説のひながたなのだ、というのが、大衆文学の歴史では常識となっています(講談社の最初の社名は「大日本雄弁会講談社」といった。講談速記本からスタートした)。

たしか半村良が『雨やどり』のあとがきで、これは川口松太郎の『人情馬鹿物語』に範をとった連作短編であり、オマージュなのだという趣旨のことを書いていて、それでまだ学生だったころに『人情馬鹿物語』を古本屋であがないました。

一読、なるほど、と納得がいきました。いずれも、なんともいえず胸にしみる話柄ですし、古い東京のおもかげが行間に揺曳するところにおおいなる魅力があります。

半村良は、連作『雨やどり』と同じ登場人物による続篇に『新宿馬鹿物語』というタイトルをつけました。

○続・人情馬鹿物語
『人情馬鹿物語』は、のちに代表作といわれることになるわけで、評判も悪くなかったのでしょう。続篇が生まれています。

続篇も基本的には正篇と同じような雰囲気で、引き続き悟道軒円玉も登場しますが、すこし時代の下った話も入っていました。やはり、正篇ほどの密度、完成度とはいきませんが、しかし、正篇が気に入った読み手には十分に満足のいくものでした。

○非情物語
タイトルが示すように、『人情馬鹿物語』と同様の連作短編形式をとり、同様に、やるせなくなるような人の情けの物語が集められていますが、悟道軒円玉の時代ではなく、大東亜戦争後の時代を背景にしています。

息子の川口浩から聞いたものを書いたという「親不孝通り」という短編は、それこそ、川口浩とその夫人の野添ひとみの主演で映画化したらよろしかろうという話です。浩は、親父の小説は古い、と批判したそうですが、彼がこの話を書きなよと語った物語は、結局、川口松太郎的な、『人情馬鹿物語』的な結末を迎えます。

川口松太郎は身辺の人物を題材にした短編をたくさん書いているので、当然、幼なじみの溝口健二も何度か登場しています。『非情物語』収録の「祇王寺ざくら」には、溝口健二や依田義賢と遊びに行った祇王寺での出来事が描かれています。

また、大映専務としての執務の様子を描くくだりもあり、古い日本映画を愛する人間には興味深い付録になっています。

○しぐれ茶屋おりく
連作短編と長編の中間のような形式の、各章読み切りの短編をつないだ長編です。

明治の中頃(だったと思う)、吉原の妓楼の女主「おりく」が、妓楼を養女にゆずって、鐘ヶ淵のあたりの寂しい場所に料理茶屋を開き、努力によって店を繁盛させながら、時代の変転が気に入らず、店を閉じるまでの物語です。

おりくは、若いときに吉原の妓楼に買われながら、主人に気に入られ、結局、見世には出ないまま、主人の囲われものになります。その没後、女だてらに妓楼を経営しますが、養女が大きくなり、婿を迎えたので、なかば引退するようにして料理屋を開きます。妓楼を営んでいたころは身を慎んでいましたが、茶屋を開いてからは、もういいだろうと、これまでの人生の報酬として、おりくは男道楽を自分に許します。

したがって、話はおおむね、おりくが惚れた男たちの肖像という形になるのですが、しかし、これまた、人と人のつながりというのは摩訶不思議だなあ、というところに落ち着く、いかにも川口松太郎らしい話材ばかりです。

浅草生まれなので、川口松太郎は芸事をよく知っています。当然、落語や講釈にもくわしく、彼の語り口自体にそれが血となって流れていますが、『しぐれ茶屋おりく』では、もっと直接的に、芸人たちの肖像という形で表現されています。

とりわけ、おお、と思ったのは、おりくの若き日の回想に登場する三遊亭圓朝です。圓朝ですよ!

おりくの亭主は寄席が好きで、おりくもやがて芸に深い関心を抱くようになります。亭主から圓朝の『塩原多助一代記』がいかにすばらしいかをきかされたおりくは、晩年の圓朝がこの長い続き物を高座にのせたときに、毎晩通い詰めて圓朝の芸を堪能します。

この連作のなかで、圓朝が登場する短編は、プロットとしてすばらしいわけではないのですが、圓朝の姿がなんとも慕わしく、これほど噺家の高座姿を筆に乗せるのがうまい作家はほかにいないのではないかと感じます。

三遊亭圓朝は1900年没、川口松太郎は1899年誕生、どう考えても、川口松太郎は圓朝の高座を知るはずがありません。しかし、おそらくは悟道軒円玉あたりから、くわしく話をきいたのでしょう、じつに真に迫った圓朝の肖像が描かれています。なんせ、安藤鶴夫も一目をおいた作家ですからね。

○古都憂愁
これまた連作短編ですが、背景になったのは、いつもの東京下町ではなく、タイトルが示すとおり京都です。

川口松太郎は大映の専務だったので、撮影所のある京都にしばしば滞在したようで、『古都憂愁』は、いわば京の芸妓をあつかった『人情馬鹿物語』です。

当然ながら、こちらにも溝口健二は登場します。同じ浅草生まれでも、川口松太郎は東京と京都を行ったり来たりしていましたが、溝口健二は戦前から京都暮らしでした。そして、こちらに収録された溝口健二がらみの話は、溝口自身の映画『お遊さま』のロケをめぐる物語なので、溝口ファンは目をお通しになったほうがよかろうと思います。ううむ、そんな話があったのか、とちょっと感銘を受ける短編です。

いま思い出しましたが、半村良の『ながめせしまに』に収録された諸篇の一部は、『古都憂愁』に範をとったもののように感じます。


そろそろ時間切れ、なんの準備もなく、手元に該当の本のないまま(引越準備で大部分は段ボールに収めてしまった)、エイヤッと乱暴に書いてしまい、ちょっと恥ずかしいようにも思うのですが、このブログはもともと音楽をあつかっていたもので、それが映画を扱うのも逸脱、小説となるとさらに守備範囲からはずれるので、勢いのついた時でないと書きにくく、一気にやってしまいました。

上掲のほかに映画(成瀬巳喜男監督、長谷川一夫、山田五十鈴主演)や芝居にもなった『鶴八鶴次郎』は、おおかたの人の認める代表作ですし、中篇『風流深川唄』も、感銘の深いものでした。川口松太郎らしい話柄とはいいかねますが、代表作に数えられることもある『皇女和の宮』も、一気に読ませる長編です。

そのうち、映画と込みで『鶴八鶴次郎』を取り上げられるといいのですが、それより『蛇姫さま』でしょうかね!


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続 人情馬鹿物語
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半村良
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by songsf4s | 2012-06-01 23:54 | 書物