前回の「関連ありやなしや 夜霧のしのび逢い~霧のカレリア~ブーベの恋人」からのつづきで、まだヨーロッパ三界をさまよっています。今日はサルヴァトーレ・アダモです。
フランスの、といおうとしたのですが、それはたんなる印象で、イタリア生まれのベルギーのシンガー・ソングライター、と表現しているところがありました。シチリア島生まれだそうです。フランス語で歌い、フランスを中心に活躍したために、フランスのシンガーのように思っていましたが。
もっとも印象に残っているアダモの歌。
Adamo - Inch Allah
当時の雑誌に「アラーの御心のままに」てな意味であると書かれていました。いちおう調べましたが、やはりそのような意味らしく、昔の音楽雑誌もたまには本当のことを書いたようです。
ちょっと話は飛びますが、多くの方がご記憶であろう、60年代に大ヒットした歌謡曲があります。
青江三奈 - 伊勢佐木町ブルース
あたくしが記憶している歌謡曲はこのへんまでで、あとはうちの母親のR&Bの知識といい勝負ができる程度のことしか知りません。いや、べつに昔の歌謡曲のほうがよかったとか、そういう意味ではなく、知っているか否かというニュートラルなことをいっているだけです。
それで、伊勢佐木町ブルースを聴いたときに、なんだかはじめてのような気がしなくて、どこで聴いたのだろうかと考え込みました。当時は解答にたどり着けず、ずっとあとになって、そうか、と思ったのがこの曲。
Salvatore Adamo - En Blues Jeans et Blouson de cuir(ブルー・ジーンと皮ジャンバー)
法廷での争いになったら勝負は写真判定かもしれませんが、似ているの、似ていないのという無責任な評定なら、そっくりじゃん、と断定していいでしょう。
「伊勢佐木町ブルース」というのは、12小節のbluesではなく、淡谷のり子の、というか、服部良一の「別れのブルース」あたりに端を発する、日本歌謡界でいうところの「ブルース」の典型のように感じるのですが、それがストレートにシチリア生まれでフランスで活躍したベルギーの歌手の大ヒット曲に接続してしまうというのは、なんとも奇妙というか、当然というか、不可解です。
これは「いただいた」とかなんとかいう卑小なレベルを超えて、民族のメンタリティーの近縁性として捉えるべきのような気がします。ふつうにやっていても、似てしまうのだ、と。
いえ、ここで改宗しちゃったりはしません。ロックンロールは奇蹟だったのだ、あれがなければ、われわれは哀愁マイナー世界しか知らずに儚い一生をすごすはめになったであろう、なんというリトル・リチャードの恩寵、畏るべきチャック・ベリーの祝福、インシャラー、と思うわけです。
ここから先は付けたりです。さらに後年、スタンダード化した有名曲のオリジナル・ヴァージョンにたどり着いたとき、おや、と思いました。
Little Willie John - Fever
うっそー、アメリカにも伊勢佐木町ブルースがあったのかよ、と思いましたね。いや、アホな話ですみません。べつにどうだというのではなく、そう思ったというだけのことでした。
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アダモ
プレミアム・ツイン・ベスト サン・トワ・マミー~アダモ・ベスト

青江三奈
ゴールデン☆ベスト 青江三奈

リトル・ウィリー・ジョン
Early King Sessions
