大岡昇平の『武蔵野夫人』は大昔に読んだきりで、プロットを忘れてしまいました。有夫の婦人が夫ではない若い男と、進展しない恋愛を抱えて、「ハケ」だの「恋ヶ窪」だのといった名詞のあいだをうろうろする、ぐらいの記憶です。

現実の土地を舞台に、その場所のディテールを書き込んでくれる小説のほうが好きですが、さらに好ましいのは、よく知っている土地をスケッチしたものです。『武蔵野夫人』を読んだときは、あのあたりを散策してみる余裕がなく、ただ電車で通りすぎていただけなので、「知っている土地」ではなく「未知の土地」でした。
若いころは都市徘徊を好み、山岳はおろか田園地帯を歩こうという気もありませんでした。悪人がよからぬたくらみをするこの世の陰の場所を愛する小僧っ子にとって(小学校のとき、もっとも魅惑を感じたのは黒澤明の『天国と地獄』で山崎勉が徘徊する界隈。矢作俊彦の短編「暗黒街のサンマ」の少年は、小学校のときのわたし自身に見えた)、『武蔵野夫人』が描く「恋ヶ窪」のあたりは、全部が表で、裏も陰もなく、あまりにもとっかかりがなさすぎました。

しかし、ここが小説と映画の決定的なちがい、溝口健二が描いた武蔵野を見て、なるほど、印象派か、と納得しました。そのあたりに重心の三分の二ぐらいをかけて『武蔵野夫人』を見てみます。
◆ 手練手管 ◆◆
太平洋戦争の末期、空襲で家を焼かれた忠雄と道子の秋山夫妻(森雅之と田中絹代)は、道子の実家(たぶん小金井村のあたりにある)に避難してきます。
実家には道子の老いた両親(進藤英太郎と平井岐代子)が暮らしていて、母のほうはどこが悪いのか、永の患いで床についています。また、すぐ向かいの家には、道子の従兄弟の大野英治(山村聡)と妻の富子(轟夕起子)が一人娘とともに暮らしています。
実家につく早々、森雅之は、道子ときたら、うろたえるわたしを冷然と見下しているんですからね、とボヤき、田中絹代は、あなたはここへ来る途中、一度でもわたしに、大丈夫か、と声をかけてくれましたか、となじります。





ほど経ずして母がみまかり、墓参のおりに、父は娘の夫婦仲を心配している容子を示します。「おまえは手練手管というものが苦手だから」と新藤英太郎がいうと、田中絹代が「いやですわ」という強い嫌悪を示したところで、わたしは驚きました。
夫婦のあいだで手練手管ってなんだ、とカマトトをやりそうになりましたが、つまり「閨房」のあれこれをいったわけです。おまえたちは閨でしっくりいっていないのだろう、と父にいわれたのだから、娘が会話を打ち切るのも無理はありません。
しかし、飾りを剥ぎ取って、あからさまにいうなら、つまるところ、この映画の主題はセックスです。ポイントは二つ。彼女が既婚者でありながら性的に未熟であること、そして、夫とうまくいっていないことです。この二点から必然的にプロットが導きだされます。

この映画に田中絹代はミスキャストではないかと思いましたが、よく考えると、結婚しても花開かなかった女を演じられるスターはそれほど多くないかもしれません。いや、田中絹代に惚れていたという溝口健二は、彼女に合った話柄を選択したということでしょう。
◆ タブローとしての映画 ◆◆
終戦直前に父もみまかります。森雅之は大学でフランス文学を教えていて、戦後の出版ブームのおかげで「スタンダールの翻訳が売れて」順調にやっていますが、山村聡は軍需景気が終わり、家運が傾きます。




終戦から二、三年ののち、南方の捕虜収容所から解放されて道子の若い従兄弟・宮地勉(片山明彦)が帰還します。








勉は義母しかいない自宅には帰りたがらず、田中絹代に、ここにおいてくれと頼みます。森雅之は、きみの昔の仲間たちは五反田にアパートを借りて面白おかしくやっているようだよ、若い者は若い者だけで楽しくやればいいといいます。
片山明彦は、収容所にいるとき、武蔵野の夢を見た、といいます。森雅之や轟夕起子は、そんなものがまだあるか、あったとしてもどうというものではないと相手にしませんが、田中絹代は父の蔵書から武蔵野に関するものを選び出したり、遠出の散策に誘ったりします。







溝口健二が「泰西名画」(子どものころ、なんて古くさい響きと字面の言葉だと思った)を好んだから、そのオマージュとしてこういう絵を撮ったのか、それとも逆に、印象派なんて日本の物真似じゃないかと見下していたのか、そのへんはわかりません。とにかく、西洋絵画、とくにゴッホを念頭に置いて、こうした絵作りをしたと仮定しても、的はずれではないだろうと思います。
そして、この映画のもっともいいところは、この視覚的な美とそれを彩る音楽です。武蔵野の風景だけは美しく、あとは醜いばかりなのです。
人間たちの思惑は、どの人物についても、わたしには好ましくありません。森雅之は色欲に目が眩み、山村聡は左前の事業を立て直すために田中絹代が相続した財産を当てにし、轟夕起子も片山明彦に気があるいっぽうで、言い寄る森雅之を操って遊んでいます。片山明彦はどっちつかずの不決断、イノセントに見える田中絹代も、みずから性的開花を拒んだ小児症、男にとってははなはだ迷惑、夫にとっては悪夢です。



◆ 人物造形 ◆◆
クレジットには、「脚色 依田義賢」と並んで「潤色 福田恆存」とあります(Movie Walkerすなわちキネ旬のデータベースは「恒存」と字をまちがえている。こういう間違いが多すぎる。そのくせ、おおいに役に立った年度別検索を廃止した)。福田恆存は『武蔵野夫人』を舞台化したそうで、その改変も映画に取り込んだという意味で、クレジットされたのだろうと想像します。

原作を忘れてしまったので、どこをどう改変したのかはわかりませんが、結果的にできた脚本も、人物の描出という面ではうまくいっているとは思えません。森雅之と山村聡は見た目の通り、ただの俗物で、とくに解釈は不要、そこはいいとします。
轟夕起子は、森雅之と火遊びするいっぽう、片山明彦が好きで、ちょっかいを出すのは、ヴァンプ型と了解できますが、森雅之の夫であり、片山明彦を姉のように愛している田中絹代にどういう顔をするかというところがうまくいっていないと感じます。
片山明彦も、年齢からいって当然ながら、自分をもてあまして、どう生きればいいのか決めかね、「アプレな」(この言葉も通じるのは私らの世代が最後か)生活と、田中絹代を思う気持とのあいだで、うろうろするのですが、心理をはかりかねることが多すぎ、少なくとも後年の人間の目には不可解で、明瞭な像を結びません。まあ、演技がよろしくないせいもあるのでしょうが。




田中絹代にいたっては、なんなんだ、この女は、と腹が立ってきます。愛はなくても夫婦は夫婦と思うなら、片山明彦のことで夫の疑いを招くようなふるまいはすべきではないのに、そういう知恵は働かないようで、頭の悪い聖母マリアといった気味合いの、おおいにはた迷惑な女です。
セックスをあからさまに表現できないからかもしれませんが、いったいどういうつもりで従兄弟に接しているのか、最後までわかりませんでした。男は嫌いではないが、性的な接触には嫌悪感があるということなのか、リアリティーがまったくありません。複数の矛盾する観念に甲斐庄楠音が見繕った衣裳をとっかえひっかえ着せただけに見えます。
◆ シェイクスピア悲劇 ◆◆
今回もエンディングを書きます。たぶん小説とはいくぶん異なるので、本を読もうという方は気にしなくてもいいかもしれませんが、映画をご覧になるつもりの方はここまでとしてください。
森雅之が田舎に帰って留守のとき(じつは轟夕起子と逢っている)、村山貯水池のほうに散策に行った田中絹代と片山明彦は、突然の嵐に遭って、ホテルに泊まることになります。
サンプル 早坂文雄「大雷雨」





その夜、片山明彦に迫られ、田中絹代は拒絶します。嵐を奇貨として女をものにしようという男もあまり利口ではないし、その気がないのに、さんざん恋人のように振る舞った女も知恵が足りません。
サンプル 早坂文雄「嵐の翌朝」


その翌日なのか、山村聡が血相を変えて田中絹代のところにやってきます。森雅之と轟夕起子が示し合わせて出奔した、土地の権利書ももっていったにちがいない、というのです。
田中絹代は金庫を開け、山村聡のいうとおり、権利書がないことをたしかめます。父から受け継いだ土地を守ることに強い義務を感じていた田中絹代は狼狽し、土地の売却を防ぐ方法はないのかと山村聡に問いただします。山村聡は、もうどうにもならない、といいながら、冗談半分のように、きみが死ねば、遺言が執行されることになるがね、といいます。




田中絹代は墓に詣で、どうしたらいいのでしょうか、と亡き父に問います。いっぽう、森雅之は不動産屋に土地売却の話を持ち込みますが、名義人である田中絹代の同意書だかなにかが必要で、この書類だけではどうにもならないと断られてしまいます。




金を持って逃げるという当てが外れ、森雅之と轟夕起子はその夜、飲み歩きますが、最後のところで、彼女はするりと身をかわしてタクシーにひとりで乗ってしまい、森雅之はやむなく家に帰ります。
サンプル 早坂文雄「ブギ」
大声で怒鳴っても妻はあらわれず、しかたなく雨戸を外して森雅之は家に入ります。横たわる妻を起こそうと布団をはがすと、両足はしごきで結んであり、枕元には薬瓶がありました。



たいした根拠はないのですが、このあたりに福田恆存の「潤色」があるのではないかと思います。福田恆存は舞台演出家であると同時に(あまりうまいとは思わないが)シェイクスピアの翻訳家でもあったわけで、この些細な誤解と不運が招いた悲劇は、いかにもシェイクスピア的だからです。
舞台の芝居というのは、象徴的、様式的なものだから、そういう潤色もいいのかもしれませんが、映画にすると、いかにも作り事めいて見えます。ここが『武蔵野夫人』のもっとも弱い鎖だと感じます。
死なねばならぬほど重大なことには思えないし、たとえ重大だとしても、ふつうの人間なら、もっとさまざまな手を尽くして夫の土地売却を防ぐ努力をし、すべてが無駄だったときに、はじめて死を決意をするでしょう。いきなり死んでしまうなどというのは、まともな人間のすることには思えません。


◆ 武蔵野の夢 ◆◆
田中絹代は翌日にいたって息を引き取るので、関係者全員が枕頭に集い、死が宣告されたあとでそれぞれの不誠実をなじり合います。




山村聡は田中絹代の遺言状を出し、財産の三分の二は片山明彦にいくことを明かしますが、当の相続人は、腹立たしげに、ぼくはいりません、あなたたちで分けなさいといって出て行ってしまいます。片山明彦が歩くさまに、田中絹代が書き送った手紙の言葉が重ねられます。
サンプル 早坂文雄「エンディング 武蔵野の夢」
「でも、その武蔵野はあなたの夢であり、感傷にしかすぎないのです。工場や学校、それから、たくましい力で生まれ変わろうとしている東京の町、それがほんとうの武蔵野の姿なのよ。あなたはそういう新しい土台から生まれ直さなければならないわ」
この結論はやや意外の感がありましたが、終戦六年後では、こういうほうがふさわしかったのかもしれません。
キャメラは田園の道からそのはずれの西洋館の廃墟へとたどり、さらに丘陵の下に広がる都市を見せます。








このショットには軽い衝撃を覚えました。この時代、このような田園と都会の明快な界面がどれほど一般的だったか知りませんが、やがて、このような風景はどこにでも見られるようになります。わたしはこういう土地で数年間暮らしたことがありますし、この数年よく歩いている横浜南部から鎌倉にかけての丘陵地帯のあちこちに見られます。
こうしたことを肯定的に見るか否定的に見るかはとりあえず措くとして、これはきわめて予見的な絵でしたし、『武蔵野夫人』と題した映画がこういうショットで終わるとは思っていなかったので、感銘を受けました。
小説同様、結局、いいんだか悪いんだかよくわからずに終わってしまいましたが、ということはつまり、いいとは思わなかったということです。
それでも、フィルムに定着された武蔵野の風景(それを現実のものというのはためらう。日活映画の横浜がわたしが知っている横浜とは異なるように、溝口健二の武蔵野も現実の武蔵野とは異なるにちがいない)と、早坂文雄の音楽は魅惑的で、できればもっとよい画質と音質であってくれたら(さらにいえばもっと大編成の錬度の高いオーケストラであってくれたら)、話の結構の出来不出来なんかそっちのけで、美しい映画だ、と感嘆したかもしれません。


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武蔵野夫人 (新潮文庫)
