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2010年 10月 25日 ( 1 )
和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年) その4

(追記: サンプル「湖水」のリンクが空だったのを修正しました。どうも失礼いたしました。他の2トラックは思ったより多くのアクセスがあり、少々驚きました。)


『雨月物語』のスコアからどこかを切り出そうと思ったのですが、いやもう途方に暮れました。これほど絵と切り離すと意味を失ってしまう音というのは、これまでに取り上げた映画にはありませんでした。絵があってこそ意味をもつ音ばかりなのです。

だから、単独で聴いても意味を成さないことを知っていただくためだけに、サンプルをつくろうと、方向転換しました。『雨月物語』のフルスコア盤はないので、以下は映画から切り出したもので、タイトルはわたしが便宜的につけたものです。いずれも台詞がかぶっています。

サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「湖水」
サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「天国」
サンプル 早坂文雄(または斉藤一郎)「囲炉裏」

「湖水」は「『雨月物語』その1」「『雨月物語』その2」でふれた一族五人が舟で湖水を渡るシーンです。水戸光子が艪をこぎながら歌う舟歌と大太鼓のステディー・ビート。歌がたくさん出てくるので、わざわざ吉井勇に作詞を依頼することになったのでしょう。

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「天国」は、前回の「『雨月物語』その3」でふれた、朽木屋敷で森雅之が目覚め、京マチ子と湯浴みをし、さらに湖を一望する屋敷の庭で戯れる場面です。西洋音楽と日本の音楽が交錯、混淆するところにご注意を。

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最後の「囲炉裏」は後述するクライマクスのものなので、未見の方はお聴きにならないほうがいいでしょう。幽霊の登場するところに「スティンガー」(するどい威しの音)がまったく使われていないことに特徴があります。

◆ 兜首 ◆◆
毎度同じようなことをいっていますが、今回はエンディングまで行くので、『雨月物語』を未見の方はお読みにならないほうがいいと、強く申し上げておきます。

小沢栄太郎は手負いの武者とその家来が戦場から離れるのを見つけ、つけていきます。敵に首を取られないように、家来が大将の首を刎ね、それをもって立ち去ろうとするところを、小沢栄太郎はうしろから突き殺します。

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大将の首を持ち帰り、自分の大将(なのだろう。例によって説明はない)に差し出したところ、「分不相応な落ち首を拾ったな」と笑われますが、それでも恩賞をとらすというので、鎧兜と馬と家来を望み、あたえられます。

その家来を連れて故郷に錦を飾ろうという途次、妓楼にあがることになります。ここで得々と大将の首を取ったときの自慢話をしていると、金を払わずに帰ろうとした嫖客を追って遊女があらわれます。女房の水戸光子だったのです。

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◆ 護符 ◆◆
森雅之は、朽木屋敷に行くときに通りかかった服屋で、京マチ子のために買い物をします。すこし金が足りなくなったので、そこの山陰の朽木屋敷まで届けてくれ、残りの代金はそのときに渡す、というと、主(上田吉二郎)はギョッとし、金はもういい、品物はやるから持って帰れと、けんもほろろに森雅之を追い出します。

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屋敷に帰ろうとすると、すれ違った僧に呼びとめられます。森雅之の顔に死相があらわれているというのです。僧侶は、妻と子があるなら、その者たちのもとに帰れと諭しますが、森雅之は肯わずに去ろうとするのを、僧はさらに引き留め、見殺しにもできない、といいます。

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京マチ子は、美しい着物を見て大喜びしますが、森雅之の浮かぬ表情に気づき、近寄って背中に触ろうとしたとたん、飛び退きます。市で出会った僧が森雅之の体に梵字の護符を書いておいたのです。

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その護符をぬぐってくれという京マチ子の嘆願を拒み、森雅之はそばにあった刀を抜いて狂ったように振りまわし、庭に出て気を失ってしまいます。

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朝目覚めると、人に取り囲まれていて、昨夜から握ったままだった刀を見とがめられます。それは先ごろ盗まれたご神刀で、盗人めとこづかれ、銭を奪われてしまいます。

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(衣裳を担当した甲斐庄楠音=かいのしょう・ただおとは、特異なスタイルの画家だった。三十年ほど前だっただろうか、「京都日本画展」という展覧会で楠音の絵を数点見て感銘を受けた。溝口のタダゴトではないテイストに、たしかにこの画家は合ったのかもしれない。ウェブ上にはいくつか甲斐庄楠音の絵があるので、ぜひ検索してご覧あれ)

◆ 幸福 ◆◆
さて、いよいよ未見の方はぜったいに読まないほうがいいくだりです。

夜分、森雅之は故郷に帰り着き、家に入りますが、なかは暗く、ひと気がありません。「宮木、宮木」と女房の名を呼びながら、土間を通って裏口から外に出て、ぐるっと回ってまた表口に立つと、さっきまで暗かった囲炉裏に火があり、その前に女房が坐っています。

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戸口から森雅之が入ってきて、土間を通って裏に抜け、また戸口に立って、女房の姿を認めるまでを、宮川一夫のキャメラはワン・ショットで捉えます。幽霊が登場するのだから、怖いシーンではあるのですが、どちらかというと、美しさに総毛立ちます。

『雨月物語』を見ていて、わたしは三度、ハッとしました。朽木屋敷の侍女(亡霊だが)たちが灯りをつけた瞬間、岩風呂からキャメラが横移動で地面をたどっていったら、突然、湖の畔に出た一瞬。そして、この囲炉裏に火が入って、田中絹代があらわれるときです。

そのいずれもが、強いショックではなく、音でいえば立ち上がりの遅い、アタックの弱い、短いフェイドインではじまり、長いサステインがあるような波形をしています。ギョッとするというより、すうーっと静かに驚きがフェイドインしてくるのです。

これは、『雨月物語』が「ゴースト・ストーリー」ではあるけれど、「ホラー」ではないことを示しています。脅して怖がらせることが目的ではないのです。音楽も、いわゆる「スティンガー」(ジャン、ドン、バンといったオノマトペで表せるような、瞬間的なフォルテシモの音。観客をstingして跳びあがらせることからそう呼ぶ)をいっさい使っていません。

宮川一夫は、無人の囲炉裏と、田中絹代が坐り、火の入った囲炉裏をワン・ショットに収めたことについて、映画だからできることだ、といっています。そのとおりですが、でも、そんな簡単なことじゃなくて、もっとなにかあるでしょう、といいたくなります。幽霊をどのように出現させるかについては、たいへんな煩悶があり、そのうえで生まれたショットだろうと想像します。

このように、静謐のなかで、しかし、見るものの心をざわめかせるように幽霊を登場させたことで、この映画は永遠の命を獲得したと思います。そのあたりは、他の映画との比較で、後日、もう一度ふれたいと思います。

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女房は森雅之にすがりつき、無事の帰着を歓びます。粗末な土産しか持って帰れなかった、と藁苞を見せ、欲にかられた自分はどうかしていた、間違いに気づいたと謝る亭主に、親子三人、静かに楽しく暮らせればそれでいいのだと慰め、酒を飲ませます。

酔って森雅之が子どもを抱いて横になると、夜着をかけてあげ、亭主が脱いだわらじの土を払って片づけ、繕い物をはじめます。

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朝になって名主が訪れ、子どもがいなくなったので昨夜から大騒ぎで探していたが、お前のところに戻っていたのか、やれやれ、無事でよかったと歓びます。森雅之が、名主に挨拶させようと、その場にいない女房を呼ぶので、名主は驚き、夢でも見ているのか、お前の女房は落ち武者に殺されてしまったといいます。

女房が遊女になっているのを見て、侍がイヤになった小沢栄太郎も村に戻り、森雅之親子といっしょに野良仕事や焼き物に精を出し、昔の暮らしが戻ります。森雅之が粘土をこねているところで、田中絹代の霊が声だけであらわれ、こうしてろくろを廻してあなたを手伝っているときがいちばん幸せです、といいます。

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◆ 野心と安寧 ◆◆
男たちのささやかな野心は悲惨な結果を招き、結局、女たちのもとに戻っていき、日々の静かな生活のなかにこそほんとうの幸福があることを知る、というこの話の「レッスン」については、意見はさまざまおありでしょう。この設定から正反対の結論を導きだす物語もつくれます。

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しかし、こういう映画を見たときは、そんなことはどちらでもいいと感じます。「ある時間を経験した」という濃密さ、重さだけが残るのです。われわれは見ることと、聴くことという、心のもっとも根幹に関わる作業に専念してしまうので、「理念」ごとき表層的なことを気にする余裕はなくなってしまうのです。その意味で、『雨月物語』は「究極的に究極の映画」といえるでしょう。絵と音だけなのです。

だから、たとえあなたが、「男は戦場にあってこそ真の姿を発現する」という信念を持っていても、『雨月物語』に賛嘆する妨げにはなりません。理念だの信念だのといった精神の低次の問題ではなく、「光と影と音による時間の経験」というもっとも高次にある映画だからです。

いや、こんな小理屈をこねても無意味ですし、読んだところでなんのことかおわかりにならないでしょう。ただ見ればいいだけの映画です。

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by songsf4s | 2010-10-25 23:57 | 映画