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2010年 08月 03日 ( 1 )
デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(1969年) その6

『イージー・ライダー』とはぜんぜん関係ないのですが、昨日見ていて爆笑した『Frank Sinatra Spectacular』というショウの一コマ、サミー・デイヴィス・ジュニアのセグメントからのクリップ。途中からいろいろなシンガーの物真似になりますが、ディーン・マーティンの真似がムチャクチャに楽しいのです。



もうひとつ、いま途中まで見たディーン・マーティンをホストに70年代から80年代にかけてつづいたテレビ番組、Celebrity Roastのフランク・シナトラの回から、ピーター・フォーク、というか「LA市警のコロンボ警部」のスピーチ。扮装もコロンボのまま、いうことなすことコロンボそのままでスピーチをし、毎度、容疑者を怒らせてしまう例のくどい「いじり方」でシナトラを困らせます。



スピーチ・テーブルの両側はもちろんホストのディノとゲストのシナトラ、パネルは、ロナルド・レーガン、オーソン・ウェルズ、ジーン・ケリー、テリー・サヴァラス、ドン・リクルズ、レッド・バトンズ、アーネスト・ボーグナインなどなどの人びとです。

タイトルのroastというのは「こきおろす」といった意味で、Dean Martin's Celebrity Roastは毎回、大物ゲストを俎上に載せ、パネリストがよってたかってウィットに富んだイジメをするというもので、10シーズンほどつづいた長寿番組でした。

◆ リズムの変化 ◆◆
さて、『イージー・ライダー』。今日はなんとか最後の曲、ロジャー・マギンのBallad of Easy Riderにたどり着こうと思っています。

ワイアットはビリーほどキンキラの娼家になじめず、敵娼に、外に出ないか、といい、ビリーとその敵娼もいっしょに、マルディ・グラで賑わうニューオーリンズの町に出ます。

マルディ・グラのシークェンスは「芝居」はなしで、四人が歩くすがたをそのままキャメラ(アリフレックスかなにかに替え、手持ちで撮影している。ここだけ画調が異なる)で捉えただけに見えます。このドキュメンタリー・タッチのチェンジアップはなかなか効果的で、そのままタブレット(コミューンを出発するときにもらったもの)を服用しての、トリップ・シーンへとつながります。このシーンにかぎらず、幻想シーンというのはそれほど面白いものではないので、とくにいうことはありません。

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ニューオーリンズに入ってから、編集のリズムが変化して、グッド・グルーヴが消えるように感じます。ここまでの編集のリズムはいいのだから、これは意識的なのではないでしょうか。幻想シーンからあいだになにもはさまず、そのまま、おそらくは帰路についたところなのでしょうが、またライドのシーンが出てきます。このシークェンスがそれまでとは微妙に感触が異なるように思います。

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ここで流れるささやかなインストゥルメンタル、エレクトリック・フラッグのFlash, Bam, PowはOST盤には収録されていません。これは1967年AIP製作の『白昼の幻想』(監督=ロジャー・コーマン、脚本=ジャック・ニコルソン、出演=ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ブルース・ダーンというぐあいに、『イージー・ライダー』のプロトタイプのようなスタッフとキャスト)に使われたトラックの使いまわしです。それで『イージー・ライダー』のOST盤には収録されなかったのでしょう。

『白昼の幻想』は全編にエレクトリック・フラッグの音楽が流れますが、マイケル・ブルームフィールド・ファンが聴いても、とくに面白いものではありません。ハスケル・ウェクスラーの『アメリカを斬る!』(Medium Cool)のOSTもとくにブルームフィールドのプレイがどうこうというものではありませんでした。ついに見そびれてしまったBehind the Green Doorも、ブルームフィールドのプレイを聴くために見るほどのものではないだろうと推測しています。

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『白昼の幻想』は公開当時に見たきりなので、いいも悪いも、記憶なし。考えてみると、『白昼の幻想』は「全編にロックンロールを流す」映画だったわけで、その意味で『イージー・ライダー』に先行するものだったのに、当時はその点をとくに重視しませんでした。AIP製作だから、ジャンル映画、音楽映画の一種と捉えたのかもしれません(『イージー・ライダー』公開後のリヴァイヴァルで見た可能性もある)。トリップ・シーンが話題になったので見ましたが、とくに面白かったという記憶はありません。

Roger Corman - The Trip (1967) trailer


うーん、トレイラーを見ても、まったく記憶を刺激されず、完璧に忘れてしまったようです!

◆ We blow it ◆◆
エレクトリック・フラッグのFlash, Bam, Powの流れる夕暮れのライド・シーンが終わると、また焚き火の前での対話です。これが最後の対話なので、重要なものに決まっていますが、ハンソンの長広舌とちがって、このワイアットとビリーの対話は短く、解釈はわれわれにゆだねられています。

ビリーは(例によってハッパをやって)クスクス笑いながら、「やったぜ、俺たちはやったんだ。金持ちだ。やったぜ、やったぜ、俺たちはフロリダに引退だ」とはしゃいでいます。

しかし、ワイアットはニコリともせず、一言「俺たちはしくじった」(We blow it)と云います。それだけなので、どのようにでも解釈の余地はあるのですが、しかし、それほどわかりにくいわけはありません。といって、ここでわたしの解釈を説明するのも野暮なので、やめておきますが。

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ビリーは、ワイアットの云うことが理解できず、どういうことだ、とききますが、ワイアットは「しくじった」と繰り返すばかりです。はじめから、この二人のキャラクターは明瞭に描き分けられていて、ビリーはものごとを単純かつ直截に捉えますが、ワイアットは思索的な人間として描かれています。だから、コカインの取引からはじまったこの「旅」について、ビリーは成功、ワイアットは失敗という、正反対の結論を導きだしたわけです。

つまるところ、これは両者の世界観のちがい、ものごとを見る基準の置き方のちがいを反映しています。ビリーは金と自由と女とドラッグがあればハッピーといういたって形而下的人物なのに対し、ワイアットはもうすこし形而上的で、この世界にも、われわれの人生にも、なにか「意味」があると信じたいのでしょう。

Flash, Bam, Pow~We blow it~It's Alright Ma~Gunshots~End Title


◆ エモーションの欠落 ◆◆
最後の2曲、どちらもロジャー・マギンの歌へといきますが、未見の方は、いくらなんでももうお読みになるのをやめたほうがいいでしょう。あらかじめ知っているよりは、知らないほうがずっといいエンディングですから。

このへんが前半とはタッチがちがうのですが、つぎのライドはいきなり夕暮れの風景で、そのあとにもっと明るいシークェンスがつなげられています。つまり、二日の時間経過をあらわしているのかもしれませんが、そのへんは不明瞭です。

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ここで流れるロジャー・マギンのIt's Alright Ma (I'm Only Bleeding)は、もちろんボブ・ディランのBringing It All Back Homeからのもので、マギンもアコースティックギターとハーモニカのバッキングで歌っています。このマギンの2曲だけは、他のトラックとは異なり、既存のものではなく、『イージー・ライダー』のために録音された(It's Alright Ma)か、新たに書かれたもの(The Ballad of Easy Rider)です。

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最初に見たときは、アコースティックに変化したことにハッとしましたが、いまになると、そこに意味があるともないとも判断しかねます。It's Alright Maが選ばれた理由は、主として歌詞だろうと思われます。「大丈夫だよ、ママ。ぼくは血を流しているだけだ」というタイトルになったコーラスが、この直後の襲撃シーンにつながるからではないでしょうか。

その襲撃シーンですが、これが書きにくいのです。最初に見たときも不思議な感じがしたし、今回の再見でもやはり妙な感じが残ります。ほかに車の見あたらない寂しい道路で、ワイアットとビリーはピックアップ・トラックに乗った男たちに出会います。トラックの男は冗談半分にビリーに銃口を向け、「髪の毛を剪ったらどうだ」と云い、ビリーは中指を突き立てて見せます。

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このつぎのショットが妙なのです。ビリーの「ファック・ユー」に、男たちはとくに感情的な反応を見せず、ただ「ちょっと脅かしてやるか」と無表情に云い、ショットガンを撃ちます。ふつうなら、ここは「ファック・ユー」に色をなすショットをはさんでから発砲なのではないでしょうか。子どものときも、無表情のまま発砲するところがすごく不気味に感じられましたし、いまもって奇妙な感覚をおぼえます。

このシークェンスが奇妙になった原因のひとつは、ピックアップ・トラックの男たちが、おそらく俳優ではなく、素人だからだろうと思います。演技といえるようなものではなく、セリフも棒読みですし、表情に変化らしい変化をつけることもしていません。だから、「不気味な印象を与える演技」をしたわけではなく、たんなる結果にすぎません。

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それでもなお、これは作り手の意図にちがいありません。では、肝心の場面に素人を登場させ、不器用な「演技」をさせたのはなぜか? その答えはすでに自分で書いたようです。たぶん、そのほうがずっと怖いからです。

訓練を受けた俳優が「ロングヘアード・フリークにファック・ユーと侮辱され、脅すだけのつもりだったのが気が変わり、怒りのためにわれを忘れて発砲してしまう」演技をしたとしたらどうでしょう? 理に落ちてしまいます。変な言い方ですが、それでは「ちゃんとした理由のある発砲」になってしまいます。じっさい、子どもにすら「なんか変だ」という強い印象を与えたのだから、この「演出」(というか「演出の不在」というべきかもしれないが)は成功だったと思います。

◆ To some other town ◆◆
ワイアットはバイクを停め、ピックアップ・トラックを見送ってから、倒れたビリーのところに駈けつけます。ビリーは「I'm gonna get 'em」(「やっつけてやる」)といい、ワイアットは「いま、助けを呼んでくるから」といって再びバイクに乗ります。

ここも奇妙に感じました。ワイアットはトラックが去った方向へと行くからです。そっちへ行っては危険だろうと思うのですが、まあ、考えてみると、彼がビリーに止めを刺しに戻ってくる恐れがあり、じっさい、トラックは反転してきます。でも、ワイアットは武器など持っていないはずで、どうするつもりだったのかと思います。まあ、理屈ではなく、衝動的な動きということにしておきますが。

トラックの男がワイアットに向かって(正確にはキャメラに向かって)発砲するショットはありますが、ワイアットがどうなったかはわからず、ただバイクが吹き飛び、爆発するショットで終わる、というのはご存知の通り。たいていの観客は、ワイアットも撃たれたものと解釈するでしょう。

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当時はそんなことは思わなかったのですが、今回の再見では、こういう間接的なショットで終わる映画があったなあ、と思いました。なんのことはない、『2001年宇宙の旅』を連想していたのでした。あのサイケデリック・シークェンスが終わって、どこかの室内になってからはわからないことだらけで(ただし、アーサー・C・クラーク版『2001年宇宙の旅』では明快に説明されている)、「で、結局、フランク・ボウマンはどうなったのだ?」と思いましたが、『イージー・ライダー』のエンディングにも似たような感覚があります。

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『2001年宇宙の旅』は1968年公開、『イージー・ライダー』はその直後に製作されているので、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、テリー・サザーンの三人は、エンディングをむくつけにしない手法のヒントをスタンリー・キューブリックに頂戴したのかもしれない、などと空想しました。

なんだかスッキリしないといえばスッキリしないのですが、音楽の力というのはすごいものだと思います。歌を聴いているうちに、なんとなく腑に落ちてしまうのです。

爆発炎上するワイアットのバイクから、キャメラは空撮で引いていき、ロジャー・マギン歌うBallad of Easy Riderが入ってきて、空撮のままエンディング・タイトルに入ります。二人の生死はあいまいですが、Flow river flow, flow to the seaというマギンの歌が叙情的な感覚を生み、「なんとなく」これでいいような気がするというか、映画を見た、という気分になってしまうのです。その意味で、よくできたテーマ曲といっていいでしょう(またしても連想だが、『黒いオルフェ』の悲劇の翌朝、子どもがギターを持って歌うエンディングを思いだした。輪廻転生的感覚)。



連想といえば、『狂った果実』『八月の濡れた砂』『冒険者たち』も思い起こすわけで、空撮エンディングはあの時代のはやりものだったのかもしれません。

◆ Southern Man ◆◆
当時はもちろんこのエンディングは衝撃的に感じられました。しかし、製作から40年もたったので、衝撃力は当然ながら減じられたと感じます。その分、今回の再見では、「きれいな映画だなあ」とばかり思って見ていました。子どものときは、撮影の美しさをあまり意識していなかったようです。『イージー・ライダー』を、『オリエント急行の殺人』みたいな観光映画のようにいっては具合が悪いかもしれませんが、でも、これほど美しい映画はそうはないでしょう。

もうひとつ、当時は「南部っていうのは怖ろしいところなんだなあ」と思いましたし、じっさいにそういう側面もあったのでしょう(70年代なかばに同級生がテキサスを旅したが、その話をきいて、たんなる思いこみにすぎないが、やはり怖ろしいところだと感じた)。でも、いまになると、レーナード・スキナードがSweet Home Alabamaを歌った心情もわかるし、たんに風体が怪しいよそ者というだけでバットで殴ったり、ショットガンで撃ったりなどはしない大多数のふつうの南部人は、すごく迷惑しただろうなあ、と思います。もちろん、公民権運動の問題をはじめ、南部には抑圧的な伝統があったのだから、火のないところに煙を立てたわけではないものの、彼らにもいろいろ言い分はあっただろうと思います。

ロジャー・マギンの、ではなく、バーズのBallad of Easy Riderのことをはじめ、いくぶんか補足したいこともあるのですが、すでに長すぎるので、ここらでエンドマークとします。次回は季節もので、戦争映画を、と思っています。


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by songsf4s | 2010-08-03 23:53 | 映画・TV音楽