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2010年 06月 14日 ( 1 )
デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(1969年) その2

『イージー・ライダー』の当時の予告編やポスターには、A man went looking for America and couldn't find it anywhereと書かれています。「男はアメリカを見つけに行き、それがどこにもないことを知った」というのは、まあ、そうまとめていいのかもしれないと思ういっぽう、やはり、論理のレベルを超えたところにこそ映画は存在するのだ、という気もします。

『イージー・ライダー』トレイラー


『イージー・ライダー』は、音楽の使い方と絵作り、そして終盤の展開で新しい方向性を示しましたが(終盤の展開については、アーサー・ペンの『逃亡地帯』を連想した)、本質的には伝統的ロード・ムーヴィーという古い酒を、ロングヘアのヒッピー的風体の男たちがチョッパーに乗る、という新しい革袋に入れてみるという発想だったのでしょう。図式的には、新しい社会階層が古い社会階層に出合ってなにが起こるかを描いた、というようにストリップ・ダウンできます。

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シンボリズム。朝、ピーター・フォンダは前夜に野宿した場所を歩きまわる。まず目にするのは廃屋。

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朽ち果てた車の残骸

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廃屋のなかから屋根の残骸を通して、ラズロ・コヴァックスのキャメラは太陽を捉える。

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引き出しのなかに打ち捨てられたコンパス。明瞭なシンボリズム。

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ピーター・フォンダは落ちていた本を拾い上げる。

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◆ 食事と土地 ◆◆
出発の翌日ぐらいの出来事なのだと思いますが、ピーター・フォンダのバイクがパンクし、農場に行って納屋を借り、修理する場面があります。キャメラは、農場の男たちが馬の足に蹄鉄を打つ様子を手前に、都会から来た男たちがパンクの修理をする様子を奥に配して、ひとつのフレームに収めます。

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これは開巻早々、この映画が語ることを明瞭なシンボルを使って観客に伝える意図のもとに配されたショットなのでしょう。その直後、この農場の一家とともに二人が昼食のテーブルについた場面で、その意図は補強されます。

ステッペンウルフのThe PusherとBorn to Be Wildのつぎに流れるのは、バーズのWasn't Born to Followですが、その直前が農場のシークェンスで、以下のクリップはそれをひとつにしています。その意味で、他のWasn't Born to Followのクリップより、以下にあげたもののほうが切り取り方にセンスを感じます。ショット単体ではなく、ショットのつなぎがつくる「遷移」「移行過程」それ自体が重要なのですから。

バーズ Wasn't Born to Follow 1回目


これまたシンボリズムの一種といえるでしょうが、農場主とキャプテン・アメリカの対話はうまくつくってあります。「どこから来たんだ?」「LA」「エル・エイ?」「ロサンジェルス」というように、二人が異なる言語を使っていることが示されます。

つづくフォンダの言葉、

「You sure got a nice spread here」

は、農場主に「うまい食事だ」と解釈されてしまいます(口語ではspreadには「食事」の意味がある)。農場主が妻に「コーヒーのおかわりを」というのは、そういう意味です。フォンダは誤解されたことを知って、spreadを普通の言葉で言い換えます。

フォンダ「いや、そうじゃなくて、ここはいいところ(nice place)だっていいたかったんだ。自分の土地で得たもので生きていくというのは、だれもができることじゃない。自分の時間を使って自分のことをするっていうのは、自慢できることだよ」

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この映画は、主人公たちにほとんど心情を語らせないことに特長があるのですが、ここは、キャプテン・アメリカの価値観を、映像表現や間接的言葉に迂回させず、直截に表現した唯一の場面でしょう。

これは、静かでほとんどアクションがないにもかかわらず、強く印象に残るシーンでした。子どもだったわたしは、このシーンの陽射しの当たり方が気に入っただけで、対話の意味にまでは気がまわりませんでしたが(spreadの意味など知りもしなかった)、でも、それもまたいっぽうで意図されたことだと思います。こんなぐあいに食事するのはさぞかしいい気分だろうと感じたのは、「ほんとうの生活とはこういうものなのだ」というこの場面の意図を映像のレベルで表現しようとしたことを、論理ではなく、感覚のレベルで正確に受け取ったのだと思います。

◆ 悪名高きバード兄弟 ◆◆
そして、この直後に出てくるバーズのWasn't Born to Followは、『イージー・ライダー』に使われた曲でもっとも好きなものです。1968年のアルバムThe Notorious Byrd Brothersに収録されたもので、ライターはジェリー・ゴーフィンとキャロル・キングです。

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The Notorious Byrd Brothersは、オリジナル・バーズの最後のアルバムといえます。このLPの録音の途中で、ロジャー・マギンとクリス・ヒルマンは、デイヴィッド・クロスビーに、おまえは首だ、と言い渡し、残りのトラックはトリオで録音されます。バーズのドラマー、マイケル・クラークは録音にはほとんど参加せず、主としてジム・ゴードンがプレイしていたと考えられるので(このアルバムだけジム・ゴードンのクレジットがある)、実質的にはデュオにまで縮小してしまったのです。このつぎのSweetheart of the Rodeoでは、グラム・パーソンズが参加し、カントリーへと大きく舵を切ることになるので、「オリジナル・バーズの最後のアルバム」とみなしています。

マギン=ヒルマン組とクロスビーの対立は先鋭化し、バンドの状況はどん底だったように思えますが、どういうわけか、後年振り返って彼らのベストと感じるアルバムができてしまいました。もっとも苦しいときに、最良の作品が生まれるというのは、じつはそれほど珍しいことではないのでしょうけれど。

クロスビーは後年、あんなゴーフィン=キング作品をバーズが歌うのはまちがっている、という趣旨のことをいっていました。Wasn't Born to Followのみならず、The Notorious Byrd Brothersでは、Goin' Backというゴーフィン=キングの曲も歌っています。

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どちらもジェリー・ゴーフィンの最良の作品に繰り入れられる出来で、とくにGoin' Backはいい歌詞だと考えています。ゴーフィンだって馬鹿ではないのだから、ティーン・ポップの時代はとうに終わったことを知らないはずもなく、このころから、「作家性」の強い歌詞を書くようになっていきます。

デイヴィッド・クロスビーは、ジェリー・ゴーフィンを一時代前の保守的作詞家の親玉と考え、そのイメージだけで曲を拒否したのでしょう。そういうのを馬鹿といいます。先入観を排して、実体を見る意志も能力もないのです。その意味で、ゴーフィン=キングの曲を歌おうと考えたロジャー・マギンばかりでなく、二度にわたってWasn't Born to Followを『イージー・ライダー』に流したピーター・フォンダおよびデニス・ホッパーも賢明でした。

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◆ やっと好きになった映画 ◆◆
撮影監督のラズロ・コヴァックスは、長いあいだ『イージー・ライダー』が嫌いだったそうです。ひどい心痛の最悪の時期(私生活のことだろう)に撮った映画だし、この映画の撮影監督だったというおかげで「拒否された」(仕事の面でだろう)のだそうです。単に「I was rejected」とあるだけで、なにについて、だれに拒否されたのかはわかりませんが、『イージー・ライダー』の仕事をなんらかの意味で嫌った人たちが映画界にいたのでしょう。

この追想はおそらく最晩年のものでしょうが、コヴァックスは『イージー・ライダー』に惚れ込んだ(fell in love)のはつい最近のことだといっています。その理由は、

「あの映画のある場面はわたしにとってとくに重要なものなのだ。バイクが森や草原を抜けていくショットが山ほどあるが、そのなかに、光がまだらになってレンズの反射で虹色になるところがある。あれは当時としてはきわめてユニークだった。それまで、だれもそんなことはしなかったんだ」

だそうです。レンズ・フレアが起きないように慎重に撮影プランを立てることが、当時は撮影監督の責任のひとつだったのでしょう。

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黒澤明の『羅生門』の冒頭、志村喬が歩くシーン、いや、森雅之と京マチ子が山を行くシーン、いやいや、三船敏郎が居眠りをしているシーンだったか、宮川一夫のキャメラが捉えた、あの木もれ陽を連想した方がいらっしゃるかもしれませんが、あの映画はモノクロなので虹色になったりはしませんでした。

ここでコヴァックスがいっている、レンズ・フレアが虹色になるショットというのは、上述のWasn't Born to Followが流れるシーンのものなのです。わたしの場合も、『イージー・ライダー』の音楽が流れるところでいちばん好きなのはこのシーンだったので、ただの偶然にすぎませんが、撮影監督と好みが一致し、ちょっといい気分になりました。

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ラズロ・コヴァックスとデニス・ホッパー。彼らは、当時はまだあまり利用されていなかった高感度フィルムで『イージー・ライダー』を撮ったという。

こんどばかりは超高速で駆け抜けるぞ、と思って取りかかったのですが、見はじめれば、そして書きはじめれば、やっぱりいろいろなことがあるもので、予定通りには進んでいません。この調子では、あと3回ぐらいは『イージー・ライダー』をつづけることになりそうです。


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by songsf4s | 2010-06-14 23:55 | 映画・TV音楽