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2010年 03月 19日 ( 1 )
そして写真だけが残る(ことになるだろう) その4 谷譲次『テキサス無宿』『めりけんじゃっぷ商売往来』

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今日もまだホコリまみれで古本と格闘していて、映画を見るどころではありません。音楽は聴いているので、久しぶりに素直になにかの曲を取り上げようかと思わなくもないのですが、聴くのは楽でも、書くのはまたべつなので、その時間もつくれません。

ということで、またまた古書漫談、ただし、今日は昨日の長ったらしい野球本談義みたいにならないように、迅速なるヒットエンドランを目指します。

◆ 一人三人 ◆◆
昭和戦前期に大活躍をした、長谷川海太郎という小説家がいました。長谷川海太郎という本名による著書はないのでしょうが、林不忘、牧逸馬、谷譲次という三つのペンネームを使い分け、若くして、まさに「書き死に」としかいいようのない「作家の死」をとげた人物です。

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ほかのものはともかくとして、林不忘名義で書いた、隻眼隻腕の無頼剣士を主人公とした『丹下左膳』シリーズは、古くは山中貞雄監督(左膳役は大河内伝次郎。トーキーになったとき「しぇいは丹下、名はしゃぜん」に聞こえると訛りを揶揄された)、戦後なら、三隅研次(左膳は大河内伝次郎)、松田定次(大友柳太郎)、五社英雄(中村錦之助!)などの、とてつもない数とタイプの映画化があるうえに、当然テレビドラマもあって(ついでにいえば、「女左膳」シリーズというのもあった。女左膳を演じたのは大楠道代!)、すくなくとも二昔ぐらい前までは、だれでも知っているキャラクターでした。

ただし、隻眼隻腕が災いしたのか、わたしが子どものときにはあまり人気のある剣士ではなく、チャンバラごっこで「しぇいは丹下、名はしゃ膳」なんていう台詞をいいたがる子どもはあまりいませんでした。「杉作、ゆくぞ」と鞍馬天狗になったり、はたまた白馬童子になったり、赤胴鈴之介になったりするのが一般的でした。

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『鞍馬天狗』で鎌倉雪の下だったか小町だったかに「御殿」を建てた大佛次郎同様、長谷川海太郎も『丹下左膳』で雪の下に御殿を建てたものの、全体が完成する前に、その新居で心臓発作に斃れたそうです。享年三十六とはまたあんまりな……。

しかし、わたしは原作を読んだこともなければ、映画もそれほど見たことがありません。ひとつだけ好きなのは、大河内伝次郎が自分で自分のキャラクターをパロディーとして演じたといった塩梅の、山中貞雄監督『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』です。山中貞雄というと、『人情紙風船』を推す論者が多いのですが、わたしはもういっぽうの陣営、『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』や『河内山宗春』のほうがいいという一派に与します。

山中貞雄監督『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』


英語字幕版


◆ ふるどうふや ◆◆
文字どおり「死ぬほど書いて書きまくった」作家なので、牧逸馬名義の現代小説などは、あまり褒める人がいません。たとえば中井英夫などは(こういう書き手がこのようなものを書いたのを読むのは)「痛々しい」とまでいっています。でも、たとえ中井英夫でも、他人の感覚は他人の感覚、どこまでいっても自分が読んだ経験ではないので、そこまでいわれる小説を、いつかは読んでみようと思っています。

中井英夫も賞賛している、谷譲次名義の小説的ルポルタージュというか、ルポルタージュ的小説というか、そういうものが、わたしの長谷川海太郎読書体験のほとんどすべてです。これがじつになんとも、ほかにこのような味をもった書き手はいないだろうという、独特のスピード感あふれるスタイルで書かれています。

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この「ふるどうふや・ぶりかいすくりーむ・こすつ・だいむ・てんせんつあ・ぶりく――えねわん・えるす?」のような、英語のカナ書きが充満していて、はじめて読んだときは必死で解読し、そのたびにクスクス笑いました。このひらがなの塊を英語に戻すと「Philadelphia brick icecream costs a dime, (or) 10 cents--(ここで注文があり、ひとつ売ったという思い入れの休止符が入る)anyone else?」てなあたりでしょうかね。

記憶しているものでは、ほかに「下の船倉に行ってあれをとってこい」とかなんとかいうときに、船倉のことを「ダンビロ」と書いていたのにびっくりしました。down belowです。耳から入ったままで日本語化した言葉のなかには、「プリン」(pudding)のように、この「ダンビロ」に似た表記をするものがあります。

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高校のとき、昨日はどこに泊まったのだときかれて「シアトル」といったら、アメリカの高校生にポカンとされました。「どこだって?」としつこくいうので、「だからシアトル!」と怒鳴ったら、彼らはひそひそと額を寄せ合い、物言いでもついたのかという様相を呈しはじめました。

「なぜたかがシアトルの一言が通じないのだ! ここはアメリカじゃないのか?」と腹を立てそうになったとき、だれかがパッと顔を輝かせ「おー、シアルー! おまえがいっているのはシアルーのことだな?」というので、わたしもやっと誤解の原因がわかり、イエース、イエース、ザッツ・イットと叫びましたね。いやはやまったく!

で、谷譲次もまた「メリケンのいうセアルの町」と書いていました。そうです。シアトルの実態は「せある」か「しある」か、なにかそのへんにちがいありません。プリンを食べたいときだって、「プディング」などというよりは、「プリン」といったほうが、ずっと早くスプーンを手にすることができるでしょう。

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いえ、書き言葉として英語をどう書くかはべつの問題です。ここでは現実の会話と、その延長線上にある文芸作品における「表現」の話をしただけです。書き言葉と文芸表現は明確に区別するべきことなのですが、近ごろの若者は襟を正した日本語の書き方の教育を受けていないようで、ビジネスの世界ですら、たんにため口に「です・ます」をつけただけみたいな日本語を平気で使うという、民族文化崩壊的惨状になっています。だから、この両者はきちんと使い分けなければいけないのだ、ということは大声で強調しておきます。ビジネス・レターでは「シアトル」が正しい表記です。

◆ 俗物根性刺激的古書価 ◆◆
例によって、話が明後日のほうに飛んでしまいました。スキャンをお見せした本は、社会思想社の教養文庫に収められた文庫本です。ふつう、文庫本というのは古書店では二束三文で売られます。昔だったら、多少値上がりする文庫本というと、岩波文庫の絶版のものにかぎられたくらいです。

ところがなにもかもが文庫になり、文庫オリジナルもあるというご時世にあっては、先日取り上げたサンリオ文庫のように、一人前の値段をつけられてしまう文庫本があとをたちません。この『テキサス無宿』も、状態の悪いものでも1000円、なかには2000円をつけている書店があります。

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じつは、この教養文庫版「一人三人全集」シリーズのうち、谷譲次名義の5冊を全部買った記憶があるのです。まだすべてを発見できてはいないのですが、全部出てきて、「揃い」で押し出すと、万の値をつけても罵倒はされない可能性があるのです。

ここでまた、わが内なる俗物がムクムクと頭をもたげるのです。「じゃあ、売っちゃおうか」てなことをつぶやいては、でも、ほかのものはともかく、谷譲次名義は、あと十年生きていれば、もう一回ぐらいは読みそうだしなあ、と後戻りをするという、世にもくだらない逡巡循環に陥っています。

◆ 函入り一人三人全集 ◆◆
どうせこういうことを書くのなら、すでにオークションに出品したものを取り上げれば、すこしは「商売」の足しになるかもしれないのに、俗物に徹しきれず、つい、売ろうか売るまいか迷っているもののことばかり書いています。

学生時代、長谷川海太郎にはそれなりの関心をもっていたので、見かければあれこれと買っていました。そのなかには、すでにオークション(楽天)に出品済みの、河出書房版「一人三人全集」の端本があります。

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林不忘『釘抜籐吉捕物覚書』(河出書房版「一人三人全集」のうち)

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牧逸馬『七時〇三分』(河出書房版「一人三人全集」のうち)

装幀は横尾忠則。さすがは、というデザインです。昔はいい造本の書籍がごく当たり前のように出版されていたものですが、文庫と新書が幅をきかせる当今では、「造本」などということはどうでもよくなり、ながめても、さわっても楽しい本というのはめっきり少なくなってしまいました。もうそういう時代が復活することはないでしょうね。

そういうしだいで、次回は呆れるほど凝りに凝った本を取り上げようと思います。
by songsf4s | 2010-03-19 23:56 | 書物