
前回、オリジナルの『一日だけの淑女』と、リメイクの『ポケット一杯の幸福』のどこがどう違うなどという話をしましたが、もっとも肝心なことを忘れていました。
『ポケット一杯の幸福』はクリスマスを背景としているのに対し、『一日だけの淑女』はそうではないのです。わたしは両方とも見て知っているからいいのですが、当家の記事をお読みになっただけの方は、この点がおわかりになるはずもないのでした。
◆ おなじみのワルたち ◆◆
ということで、さらに書き落としや勘違いがあってはいけないと、昨夜、『一日だけの淑女』を再見しました。やはり、クリスマスの描写はありませんでした。代貸(オリジナルでは「シェイクスピア」と呼ばれている。これは二つ名かもしれない。ジョニー・ザ・シェイクスピアとかね!)が「子どものころはサンタ・クロースなんか信じられなかったけれどね」と呟くのが、唯一のクリスマスへの言及です。


くどくなりますが、一昨年のPocketful of Miraclesの記事に書いたように、デイモン・ラニアンの原作「マダム・ラ・ギンプ」もクリスマス・ストーリーではないということを改めて確認しておきます。
『ポケット一杯の幸福』が、『一日だけの淑女』より40分も長くなり、その増加分はどこに消えたかといえば、冒頭におかれたシカゴのギャングとの取引だと書きましたが、これも見直して確認しました。アップル・アニーがスペインで暮らす娘からの手紙を受け取るあたりからは、キャプラはリメイクにおいて愚直なまでに忠実に自作をなぞっています。
些細なことですが、ヤクザ者を集めて紳士に仕立て上げるシーンでは、ラニアン・ファンにはおなじみの人物たちが登場します。ハリー・ザ・ホース、ラスト・カード・ルイ、そしてブッチです。



いや、ルイも、ブッチも、あのルイや、あのブッチ(「ブッチの子守歌」の赤ん坊を抱いた金庫破り)かどうかはわかりません。でも、ハリー・ザ・ホースを出したということは、フランク・キャプラは明らかにラニアンの世界を意識していたことを示しています。だから、ルイはラスト・カードにちがいないし、ブッチはあの恐妻家の金庫破りにちがいないのです。
◆ 元からあったクリスマス・ストーリー的味わい ◆◆
久しぶりに『一日だけの淑女』を再見し、コンパクトにまとまっていて、話の展開に渋滞が少なく、グッド・グルーヴがある、と思いました。ただし、『一日だけの淑女』は傑作であり、『ポケット一杯の幸福』は駄作である、などというような、隔絶した印象はありませんでした。たんに、『ポケット一杯の幸福』はオリジナルよりすこしだけ贅肉が多いと感じるにすぎません。せめて15分ほどカットしてくれれば、濃密な映画になっただろうと思います。




『一日だけの淑女』はクリスマス映画ではなかったのに、リメイクにあたってキャプラが『ポケット一杯の幸福』の背景をクリスマスにしたのは、ごく当然のことに感じられます。リメイクを見たあとでオリジナルを見れば、クリスマス・ストーリーにしなかったことのほうが不自然に感じられるのです。
クリスマス・ストーリーというのは、超自然現象や怪異が織り込まれているほうがそれらしい雰囲気になります。まあ、チャールズ・ディケンズが敷いた線路に乗ってものをいっているにすぎませんが、やはり『クリスマス・キャロル』の影響は巨大なのです。
『クリスマス・キャロル』のように怪異は起こらないものの、『一日だけの淑女』の代貸、シェイクスピアが述懐するように、これはクリスマスに起きそうなフェアリー・テールなのです。『素晴らしき哉、人生』を撮ったあとで、キャプラは、しまった、『一日だけの淑女』で一カ所ミスをした、と思ったのでしょう。その結果が『ポケット一杯の幸福』なのだと思います。

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