一昨年のクリスマス・スペシャルのSilver Bellsの記事で、この曲はデイモン・ラニアンの「レモン・ドロップ・キッド」を原作とした、映画『腰抜けペテン師』の挿入曲として書かれた、ということを見てきたように講釈しました。
そのとき、こういう風に現物を確認しないまま、だれかの書いたことを引き写すのはイヤだなあと思ったので、今回は雪辱を期してみました。

◆ クリスマスの街頭 ◆◆
一昨年の記事で、シノプシスを読んだかぎりでは、ラニアンの短編「レモン・ドロップ・キッド」と、ボブ・ホープ主演の映画『レモン・ドロップ・キッド』(1951年)とのあいだには、ほとんど連絡がないと書きました。じっさいに映画を見ても、ラニアンならこんな話はつくらないぜ、という主人公の性格設定であり、話の展開でした。
そういう話はあとにして、映画のなかでSilver Bellsが流れるシーンをとりあえずご覧あれ。一昨年の記事で推測したとおりのシークェンスで流れました。つまり、それなりに絵に添った歌詞になっているということです。
Silver Bells街頭シークェンス
なんともいえずノスタルジックに感じられるシークェンスで、こういう絵に出合えるのが、大昔の映画を見る大きな楽しみのひとつです。たんなる絵と音としてなら、わたしはこういうシークェンスを見ていれば満足してしまいます。問題は、映画には物語という次元もあることです。
◆ リメイクゆえの逸脱 ◆◆

ということで、1951年のリメイク版が変な話になった責任は、最初の映画化にはないことは明らかです。いや、すでにストレートな映画化があったので、すこしひねりを入れようとして、大失敗したというパターンかもしれません。リメイクはつねにむずかしいのです。
ボブ・ホープ扮するレモン・ドロップ・キッドは競馬の予想屋です。日本の競馬場の外にいて、大げさな口上つきで予想紙を売っているようなタイプの予想屋とはちょっとちがいます。個別にカモを引っかけては、自分がいかにも事情に通じているように思わせ、それぞれの客にちがう馬に賭けさせるのです。

たとえば、自分は獣医で、これから出走する馬の状態はよく知っているのだけれど、医者は「患者」(馬だろうが!)のことについては守秘義務があるから明かすことはできない、とかなんとかもったいぶったことをいったあげく、つぎのレースは〈アイアン・バー〉のものだ、などと吹き込みます。鉄の棒だなんて名前の馬が走るかよ、と思って見ていると、これが一着!


そういう調子で、つぎつぎとちがう馬を売り込んでいけば、だれかが当たります。当たった相手からは謝礼をもらい、はずれた客には二度と顔を合わせないようにする、という戦術です。
◆ 詐欺が不得意な詐欺師 ◆◆
一昨年はこの部分をまちがって書いてしまいました。わたしが読んだシノプシスがまちがっていたのか、急いでいたために、記憶していたラニアンの設定で書いてしまったのか、どちらかです。

客にぜったい勝てない馬に賭けさせ、その賭金を預かって、馬券を買ったようなフリをして買わずに丸ごと懐に入れてしまう、というやり口は、デイモン・ラニアンの「レモン・ドロップ・キッド」のほうで、映画はちがうのです。ラニアンの原作では、ぜったいに勝てないはずのよぼよぼ馬が勝ってしまい、レモン・ドロップ・キッドが窮地に追い込まれる、という導入部でした。
1951年のリメイク版映画では、暗黒街の顔役の娘を、そうとは知らずにカモにしてしまい、〈ライトニング〉という名前だけは走りそうな馬に賭けさせます。これが〈アイアン・バー〉とは月とスッポン、スタートから嫌がり、案の定、ドンケツになって、2万ドルの損をさせてしまいます。これであとは、一昨年の記事のシノプシスに話がつながります。

わたしは、この設定からしてダメだと思いました。暗黒街の顔役の娘は、このレースでもっとも大金をもったカモです。そういうカモにはできるだけ確度の高い情報を教えるのが論理的です。賭金が大きいほど報酬も大きくなるのが理屈です。最上の客にもっとも勝てそうもない馬を割り当てるようでは、一日もこの業界で生きていけないはずです。
映画はそういう観客の不満には頓着せず、どんどん先に進んでしまいます。暗黒街の顔役に脅されたキッドは、クリスマスまでに2万ドルを返すと約束し、〈外科医のサム〉という「人からものを取り出すことの専門家」に鰺のように「開かれる」のをなんとか免れます。


金を返すために、キッドはニューヨークに戻り、クリスマスのインチキ募金で金を稼ぐことを思いつきますが、市の許可証をもっていなかったために警察につかまってしまいます。




窮余の一策、キッドは困っている老婦人のための施設をでっちあげ(キッドを脅している顔役が所有するカジノを転用する)、そのための寄付を募るといってライセンスを得ます。
◆ キャラクター設定の混乱 ◆◆
このあと、べつの悪党がキッドの金と老婦人たちを横取りし、それを取り戻すために奮闘するという展開になりますが、なんだかギクシャクした話の運びでした。

なによりも、レモン・ドロップ・キッドのキャラクターが、いい奴なんだか、悪い奴なんだかはっきりせず、大団円にいたっても、めでたしめでたし、にならないのが困りものです。考えの足りないケチな詐欺師が詐欺をやりそこない(つまり、考えの足りない下手くそなシナリオ・ライターが人物設定とプロットを混乱させ)、苦しまぎれと運で、うっかりまちがえてハッピーエンドになってしまっただけです。


最後に官憲の力を借りるなら、はじめからキッドを善人(いやまあ、詐欺師だから、善人はないが、デイモン・ラニアンの登場人物はみな「愛すべき悪党」なのだ。ラニアンの話を映画化するなら、「人好きのする悪人」を描く力量が必要不可欠)とするべきだし、あくまでもピカロとしたいなら、最後も警官などの力を借りずに、独力で敵対する悪党の向こうずねをかっぱらう、という話にするべきでした。詐欺師が警官と手を組むというのは、警察の腐敗への皮肉だったのでしょうかね?
はてさて、映画を見て、シノプシスを書くのが精一杯、ずらりと並べたSilver Bellsを聴くところまではたどり着けませんでした。次回、White Christmasの半分ほど、たったの39種類しかない(!)Silver Bellsの各ヴァージョンを検討し、一昨年の記事を補訂します。三月ウサギじゃありませんが、急がないとクリスマスはすぐそこ、ろくに映画を見ないうちに終わってしまいそうです!
以下はアマゾン・リンク(テキストのみがリンクで、画像はリンクされていないものもある)
Damon Runyon "Little Miss Marker"
ブロードウェイの天使 (新潮文庫)

『リトル・ミス・マーカー』もシャーリー・テンプル主演で映画化されている。
Damon Runyon "Broadway Incident"

ブロードウェイの出来事 (ブロードウェイ物語)
デイモン・ラニアン短編集『ガイズ・アンド・ドールズ』
Guys and Dolls: The Stories of Damon Runyon

日本語で読むのはかなりきびしい作家で、最後はオリジナルで読もうという結論に到達するかもしれない。
『レモン・ドロップ・キッド』DVD(米盤、日本語字幕なし)
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リージョン・コード無視DVDプレイヤーないしはリージョン・コード解除ソフトが必要になる可能性が高い。