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2009年 11月 03日 ( 1 )
『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その4

このところ、当家のほうでは、かつてのメインラインだった、1960年代のポップ・ミュージックが登場することはめったになく、ハル・ブレインにすら言及しない日々がつづいています。

そういうのをやめたわけではなく、ご存知の方はご存知のように、黄金光音堂なるブログのほうに舞台を移しています。ほんとうはあちらでは主として映画をあつかうつもりだったのですが、相次ぐ訃報への対応をしているうちに、いつのまにか役割が入れ替わっていました。

これまたご存知の方はご存知のように、猫ブログというのをやっていまして、こちらも最近は「猫音楽」というのをテーマにしています。今日の更新では、ついにあちらでもハル・ブレインが登場しました。われながら、いつ出るか、と思っていたのですがね。

また、黄金光音堂は、今日はエリー・グリニッチ追悼を休んで、自分で自分にクイズを出題しました。これがかなりキツい問題で、この程度の解答しかできないのか、という感じでした。共通一次なら合格すれすれの微妙なところです。

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問題のレベルは高い、と申し上げておきますが、なんで俺はこのブログなんかに来て他人の書いたことを読んでいるのだ、ほんとうは俺が書くべきだ、と自負なさっている方は、ぜひ挑戦してみてください。内蔵データベースの大きさを験されますぜ。まあ、全問正解という方はいらっしゃらないだろうと思いますよ。いえ、答えはまだわたしも知らないので、正解かどうかはこれから検証するのですが!

◆ 川向こうへ ◆◆
のんびり日本シリーズなんか見ていたので、残りあと2時間。今日は枕なんか書いている余裕はないのに、なにをやっているのやら。

さて、「美術監督・木村威夫といっしょに見る『乳母車』」シリーズ、本日は4回目、いよいよ舞台は行く着くところまで行き着きます。宇野重吉の妻、山根壽子が家を出て、それとほぼ時を同じくして、新珠三千代のほうも宇野重吉と別れようと決意し、「『乳母車』の美術 その3」でお見せした奥沢の「妾宅」を引き払って、弟の下宿の空いている部屋に移ります。

新珠三千代の弟の石原裕次郎と、宇野、山根夫妻の娘である芦川いづみは、宇野-新珠のあいだにできた赤ん坊、彼らから見れば、姪、妹の行く末を案じ、なんとかこの三すくみを打開しようと、騙すようにして、関係者を石原裕次郎および新珠三千代の下宿に集めることになります。

まずは、娘に騙されて車に乗せられた山根壽子の様子から。

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橋を見せるのは、これから川向こう、宇野重吉、山根壽子が、普段なら足を踏み入れない場所に行くことを暗示するためです。大げさにいえば「異界」との境界を越えたという意味です。

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車が止まったのも工場らしき建物の前、そこから着飾った二人は狭い路地に入っていきます。

◆ 半プライヴェート空間 ◆◆
芦川いづみがおとなった先は、女性たちが造花作りの内職をしている裏長屋で、思わず、さぞご不快であろう、と山根奥様の心中を案じてしまいます!

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ここから伊佐山三郎撮影監督は、木村威夫が「道楽でつくった」という二階建てセットをクレーンによるワンショットで見せます。田坂監督が「木村くん、ここはクレーンだね。うん、きみの狙いで撮ってやるよ」といったのだそうな。伊佐山キャメラマンは「ここだけ調子が崩れるんだよなあ、木村くん」とボヤいたとか。

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あとから宇野重吉がやってきて、山根壽子同様、これまた逃げ場を失った恰好で二階に押し上げられ、全員が腰を落ち着けるまでの流れも、クレーン撮影で捉えられています。じっさいに九尺(約二・七メートル)の高さに組んだセットに、四間のクレーンをあげ、ライトもあげ、撮影スタッフも二階に上がるので、画面に映らない部分を入れると倍以上の広さになり、こういうセットは見えないところで金を食うのだと美術監督はいっています。だから「道楽でつくったセット」なのでしょう!

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◆ 論理の破綻と視覚の防波堤 ◆◆
石坂ディベート小説としては、関係者が一堂に会し、事態の収拾と打開を話し合うこの場面は、物語の山場です。しかし、何度見ても、宇野重吉の父がいったことの意味がわからず、なんだか、うやむやなままに散開した印象が残ります。解決ではなく、謝罪の場に終わっているのです。

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木村威夫によると、宇野重吉は、むずかしい、むずかしい、といっていたそうです。たしかに、なにも実質的なことをいわず、なにか意味のあることをいったように見せかけ、この苦しい場面から、最後に残ったささやかな威厳を失わずに脱出する、という状況なので、むずかしいに決まっています!

このプロットは小説も、映画も、ここで躓いて佳作になり損ねました。でも、「木村くん」が「道楽でつくった」二階建てセットと、せっかく美術監督ががんばったのだから、このセットを十全に生かして撮影しようという、田坂監督と伊佐山撮影監督の愛情のおかけで、映画的興趣は保たれ、それが物語の論理の崩壊から、観客の目をそらす役割を果たしています。

ここが小説と映画の根本的に異なるところです。いえ、小説だって、華麗なレトリックという、映画にない武器を駆使して、破綻を回避することができるわけですがね。

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残り30分。写真の加工と貼り付けの時間が必要なので、本日はここまで。次回には『乳母車』を完結させるつもりです。
by songsf4s | 2009-11-03 23:59 | 映画