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2009年 09月 07日 ( 1 )
Nikkatsuの復活 その2

もうどなたもご記憶がないでしょうが、今年の四月に、『狂った果実』を四回にわたって取り上げたとき(その1その2その3その4)、ロケ地散歩をしました。そのなかで、鎌倉駅の階段のまわりを囲う手すりの形が見覚えない、やはりこのあたりが登場した田坂具隆監督の『乳母車』を見返す機会があったら、あちらではどういう形になっていたかたしかめたいと書きました(「狂った果実 その2」)。

依然として『乳母車』は見返していないのですが、木村威夫著・荒川邦彦編『映画美術 擬景・借景・嘘百景』という本を読んでいたら、木村威夫がこのシーンの美術に言及していました。

映画美術―擬景・借景・嘘百景(アマゾン・リンク)
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これを読んだら、なおのこと、『乳母車』のこのシークェンスを再見したくなってきましたが(山根寿子が上り東京行きの、たしか2号車あたりのボックス席に坐り、見送りに来た芦川いづみと話すところがあって、そこがロケなのか、セットなのか見極めたい)、ともあれ、階段の周囲の手すりをたしかめたいといっても、『狂った果実』はロケ、『乳母車』はセットの可能性ありとくるのだから、微妙なことになってしまいました。

まあ、木村威夫も、このような「ピックアップ」は実物を忠実にコピーするだけだから、面白くもなんともないといっているわけで、参考にはなるのでしょうけれどねえ。

現場で起きたことをプロが回想するとじつに面白いものだと、毎度のことを再確認しました。小津安二郎の日本間のサイズはタダゴトではない、あれは美術の浜田辰夫とふたりで、苦心の末にたどり着いたものにちがいない、なんてコメントも、評論家人種の口からは絶対に出てこないもので、千鈞の重みがあります。

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『乳母車』の石原裕次郎と芦川いづみ。寺の境内のシーンもやはり九品仏でロケーションをしたと木村威夫は証言している。印象的な撮影だった。

◆ 山下公園のギター ◆◆
以前にも触れたことがありますが、われわれの世代は日活アクションの全盛期(がいつかということについては、かつてはそれなりのコンセンサスがあったものの、いまではちょっと揺らぎつつある。でも、それはべつの話。一般に1950年代終わりから1961年ぐらいまでとされる)には間に合いませんでした。

これもすでに書いたことですが、わたしは1960年ごろから、母親(熱烈な裕次郎ファン)や兄(サユリスト!)のお供で日活映画を見ていたので、それなりの下地がありました。十代半ばで一時遠ざかったものの、高校三年のときに鈴木清順のエッセイを読み(「ガロ」か「話の特集」に掲載されたものだったと思う)、また日活ファンとして甦って以来、あとはオフなし、ずっとオンでした。

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ところが、同世代には日活ファンというのがほとんどいなくて、ぜんぜん話が通じないのです。VCRというものが当たり前になって以降、もう一度、友人たちに薦めたこともあります。でも、これもほとんど成果なしでした。

考えてみると、「セールスマン」であるわたしのほうも、自分が売り込もうとしているものに万全の信頼をおいていたわけではなかったので、相手が乗ってこないのも無理もないことでした。

たとえばですね、わたしは(宍戸錠も近年、あれが日活のベストとコメントしていた)『赤いハンカチ』が大好きで、何度見たか勘定できないほどです。それでも、ジョーさんが素晴らしいと賞賛していた、ホテル・ニューグランドの内と外のシークェンス(最上階のレストランにいる浅丘ルリ子と、山下公園外のイチョウにもたれかかった石原裕次郎のショットの切り返し)ですら、ここがいい、と断言するのをためらってしまうのです。

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なぜか? 裕次郎がイチョウに立てかけたギターのせいです。わたしは、こういうものは、ちょっと古い映画を見るときに受け入れなければいけないことのひとつ、「取引」の一部として、見なかったことにしてしまいます。でも、わたしから『赤いハンカチ』を薦められた友人たちは、こういうディテールの古めかしさに、いちいち引っかかってしまい、物語に入れないようなのです。

いや、そんなのは些末なことだ、本質的な欠陥ではない、と断言できるパワーがこちらにあれば、「折伏」も不可能ではないのかもしれませんが、わたし自身が、あのギターはよけいだよな、と思っているのだから、言葉も尻すぼみになってしまうのです。

赤いハンカチ予告編


◆ 絵空事のなかの絵空事 ◆◆
というような事情から、べつにひきこもったり、クローゼットに隠れたわけではないのですが、日活映画について、ふだん口にすることはなくなりました。鈴木清順のシネマテークがあっても、だれにも声をかけずにひとりで見に行き、やっぱり『俺たちの血が許さない』のアキラはいいなあ、松原智恵子はこれが代表作ではないか、などと自分にだけ語りかけ、自分だけで納得していました。まるでトレイドウィンズのNew York's a Lonely Townです!

イン・ザ・クローゼットではないのですが、でも、やはりいくぶんか恥ずかしく思っていたこともたしかです。渡り鳥シリーズ、とくに『大草原の渡り鳥』なんか、日活が好きじゃないと、失笑する人が多いのですよ。なんで北海道で西部劇やってるのよ、ありえないじゃん、というわけです。

そこでわたしが、「いや、これでいいのだ、娯楽映画というのはそういうものだ、リアルだと思って見ているものだって、じつは日活ウェスタンと懸隔のない絵空事なのだ、映画とは生まれついての絵空事である、という理解に到達すれば、北海道や九州で西部劇をやることになんら問題はない」なんて反論ができればいいのですがねえ。残念ながら、やっぱりわたしも、「日本で西部劇をやるのは奇妙だな」と思っているので、日活映画は馬鹿馬鹿しいと云われれば、その点は認めざるをえない、と引っ込むしかないのです。

日活映画を見ることであまり自虐的にならないように、わたしはひとつの拠り所をつくりました。「昔の日本を見る」というサイドキックを見つけたのです。こういうことなら、映画の出来不出来は関係ありません。

いや、ロケでとらえられた昔日の日本など、スタジオと関係ないだろう、ほかの会社の映画だっていいはずだ、といわれそうです。たしかに、ある程度まではその通りです。東宝特撮映画に描かれた街も見所満載です。とはいえ、やはり、かつてはアメリカと同様に、スタジオ特有のタッチというものがあり、日活は特別な味をもっていました。

そのへんの興味もあって、日活を代表する、いや、日本を代表する美術監督である木村威夫の本を読みはじめたのですが、今日は時間切れ、また「つづく」です。いや、いまのうちにお断りしておきますが、しばらくは気の向くままに日活と日本映画のことを、あっちへふらり、こっちへぶらりと、テキトーに、ダラダラと書いていくつもりです。
by songsf4s | 2009-09-07 23:57 | 映画