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2009年 08月 18日 ( 1 )
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト その2(OST 『長屋紳士録』より)
タイトル
武夫と浪子
アーティスト
笠智衆およびキャスト(OST)
ライター
Traditonal
収録アルバム
『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
リリース年
1947年
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HDDのクラッシュと、レス・ポールの死という、二つの意外事のおかげで、ただでさえ目がまわるほど忙しいのに、なにを書いているのかわからないような目まぐるしさになってしまいました。

三つの玉でジャグリングするぐらいならなんとかなるのですが、皆様に見えているところだけでも四つ(当家と、右側にリンクを張ってある他の三つのブログ)、ほかにもうひとつ隠しブログがあって、いま、宙に投げあげているものが五つあるのだから、これを回転させるのに四苦八苦しています。

以上、弁解おしまい。友人からメールをもらって、小津安二郎の『長屋紳士録』の前編を書いてから、ずいぶん時間がたってしまったことに思い至りました。いま、たしかめたら、あの記事は7月31日付けでした。これはいくらなんでもまずいので、そろそろ決着をつけようと思います。

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『長屋紳士録』に記録された東京風景のなかでもっとも驚いたのは、このショットだった。本願寺のすぐそば、いまは埋め立てられて公園になってしまった、かつての築地川で釣りをしていた!

◆ 編集とリズム ◆◆
もうお忘れでしょうから繰り返しますが、前回は「覗き機関」と「からくり節」のことを書いただけにすぎず、小津安二郎はジム・ゴードン並みのすぐれたグルーヴの持ち主であるといっただけで、その中身に入りこむ手前で、あとは次回に、となってしまいました。本日はそのつづきです。

「映画のグルーヴ」「映画のセンス・オヴ・タイム」は、監督の技量のみならず、編集者の手腕にもよるものですが、このあたりは、人それぞれ事情が異なり、ひとまとめにいうことはできないようです。

たとえば、黒澤明が編集を得意としたことはさまざまな本に記録されていますし、じっさい、自分でフィルムをつないだそうです。ここは印刷物なら傍点を付して強調するところで、ふつうの監督はまずフィルムには手を触れないものです。この場合、「編集者」と呼ぶべきは黒澤明自身で、編集とクレジットされた人は編集助手の役目をしたのでしょう。

小津安二郎は、黒澤のように自分でフィルムにさわることは、すくなくとも監督として名をなしてからはなかったようです。しかし、すぐれた監督の多くがそうであるように、小津は鋭敏なセンス・オヴ・タイムをもっていたといわれます。

出典に当たらず、うろ覚えで書きますが、戦後の小津映画のほとんどを編集した浜村義康が、こういう回想をしていました。なんの映画だったか、ラッシュのときに小津が浜村を振り返って(小津のうしろの席は浜村と決まっていた)、「なぜ一コマ短くしたのだ?」というので、浜村は「フィルムにキズがあったので、しかたなく切りました」とこたえたそうです。

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浜村曰く、動きのあるショットなら一コマ(24分の1秒)のちがいがわかる人はかなりいるだろうが、あれは空〔から〕のショット、ただ風景が映っているだけの動きのないものだった、小津さんはそういうものでも、一コマ分短くなったことがわかる人だった云々。

◆ ロック・ステディー ◆◆
これは、ひとつには、小津映画の「空のショット」のつなぎ方が、厳密な規則にしたがっていたためでもあるでしょう。『小津安二郎新発見』という本のなかで、昭和24年の『晩春』から浜村義康の助手となった編集者の浦岡敬一(略歴と著書については、このページへどうぞ)が、小津のリズムについて語っています。これについては本が出てきたので、うろ覚えではありません!

f0147840_22325759.jpg質問者が小津の特長を列挙し、それに対して浦岡は、

「加えて、場面転換にはオーバー・ラップなどの編集技法を使わずに、実景を三つ四つほど重ねて、音楽をブリッジすることなどがあげられますね」

そして、くだらない寄り道はまったくなしに、ずばり小津リズムの核心を指摘しています。

「その実景の秒数は、七フィート、ジャスト。一コマたりとも違わない。しかも、ダイアローグ・カット、つまり、会話の部分はすべて台詞尻十コマ、頭六コマで切れている。これはどういうことかというと、Aの人物が話し終わって十コマ間があき、つぎの人物が話すまでに六コマの間があくということなんです。その間はつねに十六コマ、つまり三分の二秒、間があくということです」

こういう分析力にすぐれ、ものいいが遠まわりしない人は大好きです。さすがは日本を代表する名編集者。

まず、第一のポイントである「実景の長さ」です。7フィートをスタンダード・サイズのコマ数に換算すると133コマ(19コマ×7)で、これを24コマで割ると、約5秒半です。わたしは頭のなかで、シーンのつなぎの実景の秒数をいい加減に勘定したことがあるのですが、6秒、5秒半、5秒ぐらいの割合で、人物のショットが近づくほど、実景のショットを短くしているのではないかと勘違いしていました。われながら、あてにならんタイムだ、と呆れます。

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『秋日和』のタイトル直後。まず東京タワーの寄り。

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東京タワーの引き、この2ショットで、ここが芝であることをわからせる。

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つづいて、寺の本堂の前。以上の3ショットで、以下のシークェンスが芝にある寺で起きるのだとわかる。

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寺の内部。ここまでが人物のいない実景。

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寺の内部。水の照り返しがある廊下を北竜二が歩いている。

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北竜二が自分の席に戻り、人物たちが登場して、台詞が語られ、芝居がはじまる。浦岡敬一がいっている「実景」によるシーンの転換とは、こういう小津の手法を指す。

つねに7フィートちょうど、といわれて、なるほど、そうでなければいけないのだな、と納得しました。すこしずつ短くするのでは、まるでメル・テイラーやジョン・グェランのような三流ドラマーの、拍を食って突っ込みまくるフィルインのようなもの、いいグルーヴになるはずがありません。小津はジム・ゴードンやジム・ケルトナーのように、つねに精密なステディー・ビートの人なのだと、肝に銘じました。

さて、浦岡敬一が指摘した第二のポイント、といきたいのですが、本日は時間がとれず、さらにもう一回延長させていただきます。こんどは半月も間をおかず、明日にもつづきを書きますので、お赦しあれ。


by songsf4s | 2009-08-18 23:41 | 映画・TV音楽