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2009年 07月 10日 ( 1 )
ゴジラ・メイン・タイトル by 伊福部昭 (OST 『ゴジラ』より)
タイトル
ゴジラ・メイン・タイトル
アーティスト
伊福部昭 (OST)
ライター
伊福部昭
収録アルバム
Godzilla 50th Anniversary Edition (OST)
リリース年
1954年
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◆ トホな国ニッポン ◆◆
現在使われている日本語のアルファベット表記というのは、つくづく奇妙なものだと思います。街角で交番の「Koban」という看板を見るたびに、「大判小判ざくざく」と頭のなかでコール&レスポンスをしちゃいます。

日本国内で通用しているだけなら、もとの漢字や仮名とセットになっていることも多く、類推のむずかしい固有名詞でもわかったりします。「Oe Indust. Co.」だけでは読めませんが、「大江産業」(万一実在していたら、ご容赦を)とあれば、そういうことか、と納得します。

ゴジラ1 予告篇


しかし、ウェブでこれだけ日本のことが取り沙汰されるようになると、日本の文物に関する英文記事を読むのはひどく疲れるときがあります。たとえば、このブログは、わたしと同世代のアメリカ人のところなのですが、それはそれは熱心に日本映画を見ていて、おおいに啓発されます。

しかし、わたしの知らない最近の日本映画人の名前が頻出するため、しばしば立ち止まって考えてしまいます。Yukiなんていう名前は、由紀かもしれないし、結城かもしれないし、知らないとさっぱり読めません。そういうわたしも、この伸ばすんだか、伸ばさないんだか見当のつかないYuの表記を使う名前なのですが!

東宝特撮映画のファンというのは、こういう世相ですから、海外にも山ほどいて、ウェブサイトやらブログやらが氾濫しています。こういうことになると、人間はまじめに、徹底的にやる傾向があるようで、なかには面白いものもあります。われわれも似たようなことをしているのですが、そういうサイトのなかに、タイトルのJPEGの飾りとして、日本語を使っているところがありました。でも、その飾りの日本語というのが、「トホ映画」っていうんですよ。あらら、でした。

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もちろん、固有名詞のアルファベット表記に長音記号を使っているところもあるし、前述のブログのように、たとえば、Koreedaとは書かず、Kore'edaと書いて、「コリーダ」ではなく「是枝」なのだということまでわかるように、気を遣っているところもあります(ということは、OeもOh'eにすると読める可能性が出てくる?)。

こういうことというのは、一度、普及してしまうと変更できないもので、なんとも悩ましいことです。わたしは、他人に見せないもの、たとえば、落語のエアチェック・ファイルは、Shinsyou_Kaen DaikoとかShinchou_SuzumeとかEnsyou_Misoguraといったように、語尾のuを省略せずにファイル名をつけています。

ただし、RyuukouやRyuukyouというように、同じ母音が重なると、あまりきれいではなくて、ここでもむずかしさを痛感してしまいます。飯田さんなんてお名前も困りますねえ。Idaだと英語式に「アイダ」と読みそうになるし、Iidaもきれいではないし、どうしよー、です。

こうしてみてくると、二重母音がむずかしいのだということがはっきりしてきますが、解決策なんか、わたしには見当もつきません。だれか、なんとかしてくれー、です。

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◆ けなげな曲 ◆◆
シナリオに大きな穴があるとかなんとか、一人前に不満をいっているくせに、この二週間ほどのあいだに、トホ映画、もとい、東宝特撮映画を四本も見てしまいました。やはり音楽が気になり、いくつか面白いチェンジアップを見つけましたが、でも、そういうところに行く前に、やはりど真ん中の速球をやっておかないと義理が悪かろうと思い、だれもが知っている、ゴジラのメイン・タイトル、というより、ゴジラ行進曲とか、ゴジラ・マーチといったほうが通りがいいであろう曲を取り上げることにしました。



取り上げるといったところで、「わたしもやっぱりこの曲は好き」という、コメント欄に書けばいいじゃネーか、みたいなことしか思っていないのでして、書くことはなにもないのです。平行五度とか、そういうことが問題にされたりすることもあるようですが、ポップ/ロック的観点では当たり前の手法なので、われわれの側からは取り立てて問題にするべきことではなく、伝統音楽の世界の問題でしょう。

ゴジラというより、自衛隊が出動する音楽という感じで、子どものときは、これが流れると、いつも盛り上がっていました。まあ、いつだって、どの兵器も通用しないのですが、音楽は元気で、また今回も負けゲームだろうけれど、とりあえずやってみようや、という楽天性があり、いっぽうで、絶望的な戦いの悲壮感も重合されていて、そのへんがつねに愛されてきた理由ではないかと思います。勝ち目のない太平洋戦争を繰り返すことを強いられている心境の表現じゃないでしょうか。勇壮かつ悲愴というところでしょう。クリシェ御免。

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そうしばしば自衛隊に出動を要請するわけにはいかなかったのか、こういうショットは使いまわしされることが多い。これは再利用だらけの『大怪獣バラン』で二度のおつとめを果たしたショットのひとつ。

いったい、いつも、なにをくどくどしく書いているのかと、こういう日は反省してしまいます。よけいな飾りをとれば、いつもいっていることはたったの二種類、「この曲は好きだ」「この曲は嫌いだ」にすぎず、字を書くまでもなく、YとNを大きくて派手なロゴにして、ペタッとやっておけば、それですんじゃうのです。

◆ 三つの楽しみ ◆◆
といって終わりではなんなので、駄話をつづけます。年寄りが縁台将棋をしながらぶつぶついっている無駄話と同程度の価値しかないと覚悟のうえでお読みあれ。

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ブツブツ文句をいいながら、どうして東宝特撮映画を見ているのか、この際だから、よく考えてみました。どういうことを楽しみにして待ち受けているかを、自覚的、第三者的に観察してみたのです。わりに簡単なことでした。

1. 俳優たち
2. ロケの町並みと模型によるセット
3. 音楽

まず1の俳優たち。これがなんといっても楽しみです。土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博、宝田明、藤木悠、高島忠夫、田崎潤(東宝特撮ムードが濃厚に感じられる順に並べてみた)といった男優陣、とくに、四天王ともいうべき土屋嘉男、平田昭彦、佐原健二、小泉博を見ていると、子どものころにもどったような気分になります。

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土屋嘉男(左)と小泉博(『ゴジラの逆襲』より)

もちろん、ほかのタイプの映画の記憶もありますが(土屋嘉男は黒澤組のレギュラーなので、『七人の侍』の農民などは印象が強い)、子どものころに夢中になった映画群の常連だから、いまになって再会すると、なんともいえない親しみを感じます。若いままの姿で町ですれちがったら、きっと頭を下げちゃうでしょう。残念ながらすでに鬼籍に入った人もいるのですが……。

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左から河内桃子、平田昭彦、志村喬、宝田明

こういう特別な親しみを感じる俳優というのは、わたしの場合、東宝にかぎられるようです。子どものころ(というのは昭和30年代のことだが)、松竹をのぞく邦画四社を満遍なく見ていましたが、日活はほぼとぎれることなく見つづけているので、しばらく会っていなかった懐かしさというものは感じませんし、大映や東映の映画は、いわば大人向けのものに無理矢理適応していたようなものなので(『白馬童子』『赤胴鈴之助』といった子ども向け時代劇もあったが、東映のいちばんのお楽しみはアニメーションだった)、やはり、東宝特撮映画男優陣は特別な存在です。

じっさい、なんだかすごく気になってきて、もっとお年を召してからの作品群をまとめて見たいだなんていう、非常に不都合な考えを起こしています。まずは、佐原健二から……。

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佐原健二(左)と有島一郎(『キングコング対ゴジラ』より)

2のロケの町並みとセットというのは、とくに説明の要はないでしょう。実写の町並みはもちろんじっくり見ますし、しばしばストップ・モーションにしてたしかめています。映画は映画館で見るべきものですが、好きなところで止められるというのは、ロケ地観察には絶対不可欠です。

東宝特撮映画は、ミニチュアの町並みを破壊することを売り物にしていたので、当然、そちらも気になります。円谷特技監督以下、実物をコピーしようとがんばったのでしょう。ミニチュアの町並みを見るのも楽しいものです。子どものころは大破壊に喝采していましたが、この年になると、あー、それはいま残っていたとしたら名所になるようなビルなんだから、壊さないでよー、なんて思うところが自分で笑ってしまいますがね。

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炎上する東京。『ゴジラ』は全編に太平洋戦争のメタファーがちりばめられていて、当時の観客が不気味なリアリティーを感じたであろうことは容易に想像がつく。

そして、これまでにも『ガス人間第一号』『マタンゴ』で二度にわたってみてきたように、音楽はなかなか楽しくて、これもまた大きな魅力になっています。まあ、これはいわずもがななのですが。

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このショットの意味を理解するのには少々手間取った。銀座のデパートのいずれかの屋上に大きなバード・ケイジがあったのを、なにかべつの映画で見た記憶がある。そのデパート(銀座三越?)の屋上から、ケイジ越しにゴジラを捉えたという趣向である。

◆ 成瀬タッチ ◆◆
『ゴジラ』第一作に間に合ったのは、団塊の世代までです。われわれは間に合いませんでした。もちろん、翌1955年の第二作『ゴジラの逆襲』にも間に合わず、「My first Toho」は『空の大怪獣ラドン』でした。といっても、封切りのときに見たとはっきり記憶しているだけで、中身はきれいに忘れてしまいました。記憶が鮮明になるのは『モスラ』以後です。

最初の『ゴジラ』はいつ見たのか、これまた記憶がありません。たぶん、子どものころ、夏休みにリヴァイヴァルがあって、それで見たのだろうと思います。それはいいのですが、その後、一度も見なかったのか、今回見直したら、さっぱり記憶がなくて、驚きました。第二作の『ゴジラの逆襲』のほうは大人になってからヴィデオを見たのですが、オリジナル・ゴジラを見るのは半世紀ぶりぐらいだったようです。

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有楽町の朝日新聞(右)と日本劇場(日劇)に迫るゴジラ。ほかのものはやむをえないとしても、この二つのビルだけは残すべきだったと思う。というこちらの感傷とは無関係に、ゴジラは無頓着に壊していく。

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向島側から捉えた浅草・松屋(右)。中央の尖塔は地下鉄ビルではないかと思うが、それにしては位置がややずれている。リアリズムは捨て、見栄えのよい配置をとった? どちらも現存だが、地下鉄ビル(地下鉄入口の上にある)は、ステンレスのプレートを全面に貼りつけ、スクラッチ・タイルの外壁や尖塔を隠してしまっている。川端康成の『浅草紅團』はこの尖塔の上での会話からはじまるぐらいで、本来なら浅草のランドマークになるべき建築。

半世紀ぶりに見て思ったのは、ああ、アメリカ製ゴジラはこのシーンを引用したのね、といった些末なことと、サウンド・イフェクトというか、ゴジラの叫び声のすごさです。ゴジラの声がすごいのは、当然、知っていたのですが、一作目の冒頭はとりわけすごいのではないでしょうか。よくまあ、こんな音をつくったものだと呆れます。

これは東宝音響部の仕事ではなく、伊福部昭の発案で、ベースをこすったのだとか。そういえば、キャロル・ケイが『激突!』のときだったか、ベースでトラックの、たしかギア・チェンジの効果音をつくったという話を書いていました。そういう細部の工夫というのが、映画のもっとも重要な楽しみのような気がするときすらあります。

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ゴジラの足跡、日本(上)とハリウッド(下)。こうして見ると、日本製はいかになんでもケレンがなさすぎる。やぐらを組んででも、もっと明快なショットを撮るべきだった。「暗示」にとどめておきたかっただろうとは思うが……。

それから、もうひとつ、これは子どものころにはわかるはずがないのですが、なるほど、成瀬巳喜男映画の兄弟だ、と感じました。『ゴジラ』の撮影監督の玉井正夫は成瀬組で、たまたまこのときだけ特撮もののグリップを握ったのだということが、美術監督の中古智(こちらも成瀬組から『ゴジラ』に出張し、師匠である北猛夫美術監督を補佐している)の本に出てきます。

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室内シーンではむずかしいライティングをする。

一流キャメラマンというのはやはりタッチをもっているので、『ゴジラ』も、セット・シーンになると、なんとなく、成瀬映画的な湿度が感じられるのです。そう思ってみると、妙な気分になること請け合いです。

東宝特撮映画はこれで終わりではなく、「つづく」のつもりでいます。間をあけずに何本か行こうともくろんでいますが、果たしていかに。

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by songsf4s | 2009-07-10 23:30 | 映画・TV音楽