人気ブログランキング |
2009年 07月 01日 ( 1 )
Main Title by Bernard Herrmann(OST 『愛のメモリー』より)
タイトル
Main Title
アーティスト
Bernard Herrmann (OST)
ライター
Bernard Herrmann
収録アルバム
Obsession (OST)
リリース年
1976年
f0147840_21221060.jpg

ジョン・カーペンターの『要塞警察』のときに書きましたが、カーペンターはかつて、ブライアン・デ・パーマのことをコピーキャットと批判したことがあります。

じっさい、そういわれても仕方がないというか、みずから好んでヒチコックの下風に立ったようなところがデ・パーマにはありました。とくに70年代から80年代はじめぐらいまでの諸作は、冗談なのか本気なのかわからないほど、ヒチコック風の、というよりヒチコックをそのままコピーしたような映画ばかりでした。

f0147840_21295273.jpg
ブライアン・デ・パーマ(左)とアル・パチーノ(中)

どれくらいヒチコック風かというと、プロットはもちろんヒチコック好みのサスペンス、画面はヒチコック作品からの引用だらけ、そして、もっとひどいときは、音楽までヒチコック気取りでした。

そして、本日の『愛のメモリー』(うへえ、名は体をあらわすタイトルで、羊頭狗肉ではないのだが、まともな神経の人間は恥ずかしくて口にできない!)こそは、ブライアン・デ・パーマのヒチコック心酔が行く着くところまで行き着き、本家ヒチコック座付き作曲家であるバーナード・ハーマンに音楽を依頼してしまったという作品なのです。この映画の原題どおり、まさしく「妄執」Obsessionの果て。さて、その結果や如何に?

予告篇


◆ 未熟ゆえの魅力 ◆◆
このときのブライアン・デ・パーマと本家本元では、やはりずいぶんと開きがあるものだなあ、と思います。それが如実にあらわれているのが「名場面」です。ヒチコックの場合、あらためて再見するまでもなく、多くの作品で、あれとこれと、というように、すぐに極めつきの名場面が思いだされます。

デ・パーマの場合、残念ながら、そういう風に文句なしに記憶に刻み込まれる場面というのはないようです。いや、Obsessionでは、撮影監督のヴィルモス・ジグモンドの助けもあって、あちこちで仕掛けてはくるのです。でも、どれもまだ腰が据わっていないというか、薄味というか、手つきが見えるというか、本家のような、しっかりとした手応えのあるシーン作りをしているとは、わたしには思えません。

f0147840_21421559.jpg

f0147840_214224100.jpg

f0147840_21424163.jpg

f0147840_21425397.jpg

f0147840_2143636.jpg

f0147840_21431524.jpg
身代金受け渡しシークェンス。ミズーリ河を行く外輪船に乗ったクリフ・ロバートソンが、身代金の入ったブリーフケースを桟橋に投げ上げ、車できた犯人がそれを回収するところを、ヴィルモス・ジグモンドは船上のキャメラから移動で捉えた。

ただ、これはあと知恵なのですが、ずっとデ・パーマの映画を見ていくと、技術がともなってきて、落ち着いた絵作りになった作品のほうが、スムーズになった分、感興が薄く感じられます。音楽でもよくあることですが、まだ右も左もわからぬうちに猪突猛進でつくってしまったもののほうが、ラフ・エッジはあっても、いや、ラフ・エッジがあるおかげで、味として後年のものよりよかったりします。

たとえば、数年後の『アンタッチャブル』あたりになると、演出ぶりも落ち着いて、滑らかな展開になるのですが、そのいっぽうで、どこにもとがったところのない、ごくふつうの映画に感じられます。いや、まったく、ものをつくるというのはむずかしいものです。したがって、ブライアン・デ・パーマ作品中にあって相対的には、Obsessionは捨てがたい映画ではあります。

◆ 愛のオーメンのエクソシスト ◆◆
さっさと音楽のほうにいけばいいのに、映画のことでグズグズしていたのには理由があります。それをご覧いただきましょう。

タイトル


うーん、これはなんといえばいいのか。慎重に言葉を選ぶと「バーナード・ハーマンの全スコアのうち、とくに重要なものではない」といったあたりでしょうか。うちで友だちと話しているときなら、「Obsessionは最悪かもな」と口を滑らすでしょう。

どこが気に入らないかというと、まるで『オーメン』とか『エクソシスト』とか、そういったたぐいの、キリスト教がらみの、冗談のように荘重なところのある恐怖映画がはじまりそうな、馬鹿らしさと紙一重の大袈裟さです。キリスト教がらみで、馬鹿らしさと紙一重の大袈裟な身振りといえば、近年ではなんといっても『ダヴィンチ・コード』(紙一重どころか、王道を行くアホらしさそのもの、というご意見もありましょうなあ)が抜きんでていますが、あの映画なんかにはピッタリのサウンドです。

f0147840_2222237.jpg変な衣裳をまとってはいるものの、『愛のメモリー』という邦題が開き直って宣言しているように、Obsessionは本質的にラヴ・ストーリーなのです。トリッキーではあるので、たとえば、アンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』(スタニスラフ・レムの原作の邦題は『ソラリスの陽のもとに』)や、ダグラス・トランブルの『ブレインストーム』あたりの親類と思ったほうがいいのですが、ともあれ、骨組にまでストリップ・ダウンすれば、恋愛映画です。

いや、スコアを書いたのがジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーあたりの非複雑系作曲家なら、わたしだって、じゃあ、ショーガネーナとスッパリあきらめます。でも、バーナード・ハーマンですからね。もうすこし微妙なメイン・タイトルをつくれたはずです。現に、前回取り上げた『めまい』では、サスペンス映画であると同時に、特殊な設定のラヴ・ストーリーだというあの映画の二面性を、うまく音として表現していました。

そういう高度な表現のできる作曲家なのに、なぜこのメイン・タイトルは『オーメン』なのだ、と嘆息をついてしまうのです。いや、いい曲はあるのですよ。OSTではThe Church/Court's Confession/Bryn Mawrと題されている10分近い曲の冒頭や後半は、『めまい2』という雰囲気で、おおいに楽しめます。まあ、自己コピーの雰囲気なきにしもあらずのところが弱いのですけれど、映画のほうもヒチコックの『めまい』のコピーだから、その意味で筋は通っていることになります。

f0147840_2210192.jpg
Bryn Mawrが流れるシーン。ジュヌヴィエーヴ・ブジョルドは魅力的に撮られているが、とくにイタリアのシークェンスがすばらしい。楽曲名にもなり、この場面のセリフにも出てくる「ブリン・マー」の意味がわからなくて調べた。19世紀末に創立されたフィラデルフィアの女子大。それで納得がいった。ちなみに、津田塾の創立者、津田梅子はブリン・マーの卒業生なのだとか。

だから、全面的に気に入らないわけではなく、荘重なメイン・タイトルが気に入らず、その延長線上で、ティンパニーとオルガンの組み合わせがあちこちに顔を出し、そのたびにわたしは「またオーメンかよ」とイライラしてしまうだけなのです。

バーナード・ハーマンも、「同じ映画」のスコアを二度書くとは思わなかったでしょう。その戸惑いには同情します。いや、でも、根本的な蹉跌は外部にあり、ハーマンにはなんの責任もないのかもしれません。公開直前に、プロットの根幹部分が変更されてしまい、ハーマンがスコアを書いたものとは、大きくニュアンスがズレてしまったのです。

しかし、それを説明するには、プロットの肝心要のところを書く必要があります。これからこの映画をご覧になるなら、この部分はぜったいに読まないほうがいいので、以下は、DVDをご覧になったあとでお読みください。

f0147840_22195424.jpg

◆ コントラヴァーシャルなテーマと音楽的錯誤 ◆◆
ハーマンが荘重なテーマを書いたのは、この映画を悲劇と捉えたからかもしれません。いちおう、現実には起こらなかったこと、夢のなかの出来事という処理をしていますが、根本的なところで、Obsessionは、そうとは知らずに娘と同衾してしまった父親の悲劇なのです。ピエル・パオロ・パゾリーニの『アポロンの地獄』同様のエンディングであってもおかしくない話なのです。

そう考えると、バーナード・ハーマンの大仰なメイン・タイトルは、じつはテーマをみごとに表現したものといえます。公開前に、インセスト・タブーの部分を現実ではなかったとするための追加シーンを撮影したため、ハーマンがスコアを書いたときとはプロットの根本部分が変化してしまったのです。まったく、複数の人間のイマジネーションが合成される映画というのは、じつに一筋縄ではいかないなと、またしても嘆息が出てしまいます。

f0147840_22204660.jpg

f0147840_2221127.jpg

f0147840_22212528.jpg
『めまい』だと思ってみていると、『レベッカ』が混入してきて、おや、そっちへ行くのか、と混迷しはじめる。

いや、会社の要求にしたがって撮り直しをせず、じっさいにインセスト・タブーをおかしてしまった悲劇として公開したほうがよかった、といっているわけではありません。そのやり方もやはり公開版同様、うまくいかなかったのではないでしょうか。発想の根本のところですでに、ふつうの人間には居心地のよくない話なのです。

初見のときは、『めまい』をハッピーエンドに書き直そうとしたのだと捉えましたが、今回、久しぶりに見直し、プロットの書き換えも考慮に入れて検討してみたら、ハッピーエンドになっていること自体、無理があると感じました。死ななければそれでいいということはありません。インセスト・タブーの破戒者として生きていくことは、死ぬこと以上の悲劇だろうと思います。

f0147840_22262127.jpg

f0147840_22263318.jpg
「開かずの間」もまたレベッカ・テーマ

ブライアン・デ・パーマのものとしては、ラフ・エッジゆえの魅力のある映画だと思うのですが、やはり、素直に佳作というのはためらうな、という結論でした。バーナード・ハーマンは、やるべきことをやったのかもしれない、とは思うものの、決定的な部分でプロットに足を引っ張られたか、またはみずから落ち込んでいったように思われます。「退屈はしない失敗作」というあたりでいいのではないでしょうか。

なんだかどっちつかずの混乱した記事になってしまいましたが、じっさい、Obsessionは、見ているときも、気分の針は肯定から否定へ、否定から肯定へと、行ったり来たりするのです。そして、その理由は、主としてインセスト・タブーの扱いで迷ったために、プロットそれ自体が当初目指したものから大きくズレたことにある、といっていいだろうと思います。わたしは、たとえ夢のなかの出来事として逃げを打ったにせよ、やはりインセスト・タブーを肯定的に見ることはできませんでした。そこが最大の欠陥でしょう。

f0147840_22274715.jpg

by songsf4s | 2009-07-01 23:51 | 映画・TV音楽